月曜日, 5月 12, 2025
ホーム ブログ ページ 30

ジュネーブに行ってきます 《電動車いすから見た景色》32

0

【コラム・川端舞】障害者権利条約は、障害者が社会のあらゆる場面で他の人と平等に生活する権利を規定している。日本が障害者権利条約を守っているか、国連の障害者権利委員会が審査する会合が8月、国連ジュネーブ本部で開催される。その会合を傍聴するために、スイスのジュネーブに行けることになった。

日本を審査する国連障害者権利委員会の委員は、ほとんどが世界中から選ばれた多様な障害者だ。日本からも多くの障害者がジュネーブに向かい、国内の障害者の権利について現状を障害者権利委員会の委員に伝える。

障害者権利条約は、「私たちのことを私たち抜きで決めないで(Nothing about us without us)」を合言葉に、世界中の障害当事者が参加して作成され、2006年に国連で採択された。そんな当事者主体の条約に基づき、世界と日本の障害者リーダーが自分たちの権利を話し合う場に、私も参加できるのだ。

国連審査傍聴に向けて、権利条約や審査の流れを改めて勉強し直しているため、国連審査の詳細は8月のコラムで説明したい。そのコラムが掲載されるときには、私はジュネーブにいるはずだ。

経験値を増やす絶好のチャンス

国連審査を傍聴するまでの旅路は初めてのことだらけだ。まず人生で初めて、航空券を自分で予約した。自分と介助者の航空券を間違えないように、緊張しながら予約する。今回は他の車いすユーザーも一緒に行くこともあり、旅行代理店の方も慣れているようで、私が車いすを利用していることを伝えると、すぐにどの書類を提出すればいいか教えてくれた。

私は介助者と一緒に飛行機に乗ったり、10日間も介助者と旅をするのも初めてで、楽しみ半分、不安半分なのだが、自分以外にも多くの障害当事者が同じような日程でジュネーブに行くと思うと、少し安心する。

障害があると「失敗するとかわいそう」「大変だから無理にやらなくていいよ」と言われることも多く、いろんなことに挑戦する機会が少なくなってしまいがちだ。しかし、新しく挑戦したことが思っていた以上に面白く、自分の世界が広がることもある。新しい挑戦を応援し、見守ってくれる人たちがいるおかげで、私の世界は広がり、好きなことがどんどん増えていく。

これから私も障害当事者として多くの経験を積んで、他の当事者が新しいことに挑戦するのを不安がっているときに、「こうすれば大丈夫だよ」とアドバイスできる存在になりたい。そのために経験値をどんどん増やす絶好のチャンスが、この夏やってくる。(障害当事者)

トナリエ・スクエアの「ベリーベリーカフェ」 《ご飯は世界を救う》49

0

【コラム・川浪せつ子】TXつくば駅そば、トナリエつくばスクエアのフードコートに、「ベリーベリーカフェ」さんはあります。以前、図書館の帰りに同じ階のパン屋さんに寄り、駐車券をもらいお茶していました。コロナ下、お客さんが減ってしまったのか、そのパン屋さん(2020年9月17日掲載)は閉鎖。困ったなぁ~と、フードコートで初めてお茶してみました。それが、結構よかった!

それ以来、「ベリーベリーカフェ」さんのファンに。はやりは少し陰りましたけど、タピオカ入りのミルクティーを注文。とてもおいしいのですが、ちょっと難点が。タピオカを太いストローで吸い込むとき、細かく砕けた氷を一緒に吸い込んでしまう…。コレ、とっても残念な感触。タピオカのクニュクニュだけを、味わいたいんだけどなぁ~。

ほかのお気に入りは、コーヒーフロート。アイスコーヒーの上に、アイスクリームが浮いています。このお店のアイスは、丸いアイススプーンでアイスを載せたもの。ほかのお店では、ソフトクリームを載せるバーションもありますね。どちらもスキです。

イラスト、食欲をそそりますか?

そして今回は、「ハンバーグ・オムライスセット」というダブルでおいしいというものを、注文してみました。ちょうど、私が属しているグループの展覧会がつくば美術館であり、午後のお当番の前に。そして、絵が映えるように、シュワシュワのメロンソーダー、スープとセットです。

描き始めたのはよかったのですが、色塗りの段階で苦戦。卵の上には、デミグラソース。茶色のもので、こういう分散型のソースって難しいのです。ハンバーグはやめておいて、ただのオムライス(これは赤いケチャップだった!)のほうが、映えたのではないか? でも、もうこれでやるしかない、と頑張りました。

このイラスト、食欲をそそりますでしょうか? スケッチを見て、「うまそう!」「食べたい!」と思っていただけ、それだけで幸せな気分になれる絵を描きたい。そう思っている毎日です。

このお店には、ワッフル―甘いのと食事タイプ―もあります。品数も多いので、これから、楽しみ、楽しみ ♪(イラストレーター)

スイカの苗から変なものが… 《ハチドリ暮らし》15

0
スイカだったはずなのに…

【コラム・山口京子】思わぬ出来事がありました。今春、畑に、ジャガイモ、ナス、きゅうり、ピーマン、ネギ、玉ネギ、枝豆、インゲン、トウモロコシ、スイカの苗を植えたところ、なんと、スイカの苗についた実は、ウリというか、冬瓜(とうがん)というか、ひょうたんというか、よくわからないものだったのです。

確か、店で買ったときは、苗ポットにはスイカの写真が付いていました。昨年もこの店でスイカの苗を買い、スイカを食べることができたのに…。今年は、どこでどう間違ったのでしょう。苗がスイカではなかったと考えるしかありません。それとも突然変異なんてことがあるのでしょうか。このわけのわからない実がどこまで大きくなるのか、様子見の状態です。

目的のものと実際のものが違っている場合は、目的のものをくださいと言う権利が消費者にはあります。けれども、お店と交渉するにしても、買ったときのレシートもポットに付いていた写真もありません。すでに数カ月も時間が経過しています。こんなことが起きるなんて思ってもみなかったので、証拠となるものは何も取っておきませんでした。

知らないために不利益を被ったら

今回は小さな出来事でしたが、大きな契約では諦め切れないことも出てくるでしょう。それれで、以前聞いた話を思い出しました。

ある方の家に保険会社の営業員が訪問してきて、「いい保険ができたので、今持っている保険を下取りして、新しい保険に入り直しませんか」と勧めたそうです。新しい保険のいいところの説明がありました。それならと、新しい保険に加入しました。古い保険を新しい保険に移す、転換というやり方です。そのときはなんの疑問も抱かなかったそうです。

数年後、保険について勉強するセミナーに参加し、予定利率の高かった保険を解約し、予定利率の低い保険にされていたことに気づいたそうです。予定利率のことや転換の仕組みを知っていたら、転換はしなかったと言っていました。

知らないために不利益を被ってしまうことがあります。保険会社と個人では、情報の質や量に大きな差があります。民法は対等な個人(私人間)を想定していますが、保険会社と個人の関係では、個人が弱い立場に置かれることが少なくありません。

その格差を是正し、個人(消費者)の権利を守るための法律があります。消費者法といわれるものです。消費者トラブルで困った場合は、行政の消費生活センターに相談することをお勧めします。(消費生活アドバイザー)

人間は作る生き物「ホモファーベル」 《続・平熱日記》113

0

【コラム・斉藤裕之】美術大学の学生にとって美大受験の予備校の先生はいいアルバイトになる。私も随分長い間しばらく住んでいた埼玉の予備校にお世話になった。日曜日のコースには栃木や群馬から高校生がやってきた。当時は彼らの北関東訛(なま)りが新鮮だった。

その中の1人の女の子の話。出会ったのは彼女が高校生の時。さすがに現役とはいかなかったが、才能と努力で後に芸大に見事合格した。最後に会ったのは我が家を建てた直後に引っ越しを手伝いに来てくれた時だから、ちょうど20年前になる。それからしばらくして、実家のある那須に生活の拠点を移したこと、数年前から牛舎を改築してなにやら始めたところまではSNSで知っていた。

その牛舎が見事なカフェに生まれ変わって、その様子がテレビで紹介されるという。私はそれまでその番組を知らなかったのだけれど、古い建物をリフォームしてカフェを営んでいる方々を取り上げている番組らしい。古い建物やリフォームは私の大好物である。牛舎としては珍しい入母屋(いりもや)のつくりや、かわいらしい建具なども興味深く拝見させていただいた。

番組の中で、彼女は旦那さんと共にこのカフェに生きがいを感じているのがよく分かった。いつか大きなタケノコを送ってくださった、ご両親のお顔も拝見できた。そして東日本大震災を機に彼女が故郷に帰り、その魅力に気づいたことを知った。故郷を愛し故郷に生きる彼女の姿を見て、応援したいと思った。

1日ひとつでもいいから何か作る

少し迷ったが、放送後にSNSに簡単なコメントを送った。すると「先生が『人間は作る生き物』と言われたことを今でも覚えていて…」という返信があった。これはホモサピエンスという人間の学名に対して、「人間は本質的に物を作ることにおいて人間である」という概念で人間を定義したもので、「ホモファーベル(つくるひと)」という言葉に由縁している。

それを恐らく何かの時に口にしたのだと思うのだが、彼女がこの言葉を大事にしてくれていたということに感慨深くもあったが、実はこの言葉を聞いて意表を突かれたのは私自身だった。

この4月、日雇い先生をする学校で生徒に向けた自己紹介文を書くように言われたので、急いでパソコンに打ち込んだ。「1日ひとつでもいいから何か作ろうと思っています。文章でもご飯でも、友達でも」。何とも腑(ふ)抜けた自己紹介だが、つまり私自身無意識に「ホモファーベル」であり続けたいと思っていたということだ。

言葉が消えていくものでよかったと思う。良くも悪くも。言葉ひとつで仲良くなったり険悪になったり。でも何かの折に心に引っ掛かった言葉が何十年も生き続けることもある。那須には大学の研修所があったので、何度か出かけた思い出の地だ。しばらくぶりに尋ねてみようか。北関東訛りにも少しは免疫ができたことだし。(画家)

最高裁の裁判官は結局国の番人? 《邑から日本を見る》115

0
除草が終わった田んぼ

【コラム・先﨑千尋】東京電力福島第1原発事故で避難した住民らが、国に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷は先月17日に「津波対策が講じられていても、事故が発生した可能性が相当ある」とし、国の賠償責任はないとする判断を示した。

この判決をテレビのニュースで聞き、新聞を読み、原告らの怒りと落胆、涙する姿を見て、最高裁の裁判官は国民の側に立つのではなく、国の番人なのではないか、と考え込んだ。

今回の判決は、福島、群馬、千葉、愛媛の各県で起こされ、福島、千葉、愛媛では高裁が国の責任を認め、群馬だけが国の責任を認めず、司法判断は割れていた。このため、最高裁が今回統一判断を示したもの。法務省によれば、今回の訴訟を含めて、国に対して賠償を求めたのは約30件あるという。

原発が立地する福島県からの避難者はピーク時には16万人を超え、この4月時点でも約3万人が避難生活を続けている。

判決の骨子は、「国が東電への規制権限を行使していれば、事故が起きなかったとは認められない。国が2002年に公表した地震予測の『長期評価』を前提とした津波対策を東電に命じても、津波の到来による大量の浸水は避けられなかった」など。今後の判決は、今回示された判例に沿って出されることになろう。

原発は典型的な「国策民営」の事業だ。国が方針を決め、民間企業の東電や関西電力などが発電所を持ち、運営する。福島の事故後に当時の東電の清水社長は「福島第1原発は、国に許可していただいている原発だ」と発言している。先日、北海道知床沖で観光船沈没事故を起こした知床観光の桂田社長も「許可していた国も悪い」と発言していた。それと同根か。

判決は、津波対策を講じていても事故は防げなかったとしている。そういう論理なら、東電にも責任がないということになるのではないか。一体、誰の責任だというのか。

国に忖度してこのような判決?

3・11の時、東海村にある日本原電東海第2発電所は、1週間前にポンプ周りの擁壁のかさ上げが終わり、重大事故にはならず、辛うじて助かった。防潮堤があっても津波の高さは想定を超え、事故は防げなかったという判断ではなく、東海第2でもわかるように、事故が発生しないような対策を講じることはできたはずだ。

私たち国民の生命や財産を守るために国は責任を果たしたと言えるのだろうか。判決は、どのような対策を講じれば事故を防げたのか何も示していない。

原発推進政策は、これまでも、そしてこれからも、国のエネルギー基本政策に位置づけられている。最高裁が原発国賠訴訟(福島原子力発電所事故に伴う国家賠償請求訴訟)で国の法的責任を認めれば、原発推進政策の見直しが求められる。今回の裁判官は、下級審の事実認定を踏まえず、先に結論ありきとした。

最高裁の人事は内閣が決める。今回の判決は、国策の誤りを認めず、被害を受けた住民の救済を考えず、国に忖度(そんたく)してこのような判決を下したとしか思えない。救いは、4人の裁判官のうちの1人の三浦守裁判官が、判決文で30ページに及ぶ反対意見を述べていることだ。(元瓜連町長)

基本を繰り返す 《つくば法律日記》22

0
堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】中学1年生の頃から、ボクシングが好きで、当時は日本で放送された試合は全てビデオに撮り、ボクシング雑誌を隅から隅まで読んでいた。当時世界チャンピオンだった、大橋秀行さんが会長を務めるジムの井上尚弥選手の先日の試合も当然見た。1カ月たった今でも余韻が残っている。

どうしてあんなに強いんだろうと考えながら過ごしている。挙げれば数えきれないだろうけど、その中でビジネスマンとして何か吸収できないかと考えた時に思い浮かぶのが、基本を大切にしているところだ。

ガードを高く構え、パンチを打ったら、すぐにガードの位置に戻す。日ごろの練習でも基本を何度も繰り返す。基本となるステップは、子どもの頃から欠かさずに続けているらしい。

そういえば、司法試験も新しい理論や判例の勉強よりも、基本を何度も繰り返した人が合格する。いろいろな本を読むよりも、同じ本をボロボロになるまで繰り返した方が実力がつく。

社会人になって、何か新しいことを勉強する時も、基本となる本を飽きるほど何度も何度も読むと、だんだん初めて触れた時と全然違う感覚になっていき、昔から知っていたことみたいになってくる。

コラム締め切り厳守も基本

基本が大事であることは、子どもの頃から言われ続けているのに、なぜ人は基本を繰り返すことを忘れてしまうのだろう。たぶんそれは、基本は淡泊でつまらない、同じことを繰り返すと飽きてくる、優秀な人を見ると基本以外の派手なところが目立ち、基本が重要と感じなくなる―などなど。

一流のプロの世界でも、基本を大事にしているかどうかで結果が変わると思われるのだから、自分もたくさん基本を怠っているだろうと思い、見直せることがないか、考えてみた。

まず、日々の仕事や勉強で、本を繰り返し読んでいないことがある。人の悪口を言わないかと言えば、多分たまに言っている。元気に明るく挨拶をしているかと言えば、そうでないこともある。ビジネスマンとして反省すべきは、時間を守らないことがあることだ。このコラムの締め切りも、十分反省すべきだ。

ただ、基本を守れていないのは、自分だけではない。暴力がいけないことも、民主主義が守られなければならないことも、子どものころから基本であることとして教わってきた。それでも、人間はそんな大事な基本を忘れてしまう生き物らしい。憎しみは何も生み出さないことも基本だと思うから、「罪を憎んで人を憎まず」―元首相の銃撃事件について頭を整理したい。(弁護士)

琵琶湖一周「ビワイチ」を走ってきた 《夢実行人》10

0
右は竹生島・宝厳寺の御札

【コラム・秋元昭臣】5月下旬、ビワイチ(琵琶湖一周サイクリング)走って、改めて自然のままの「カスイチ」(霞ケ浦一周サイクリング)に良さを感じました。「ビワイチ」は一般道であり、自動車に追われながら走りますが、「カスイチ」は全走路のほぼ半分が専用道路になっていて、車を気にしないで走れるからです。

また、「ビワイチ」は一般道路との交差点が多く、徐行しないで走る車が結構あり、とても危険を感じました。京都市内では、歩道の中に幅の広い自転車レーンがあり、ビックリしたものです。

車道脇にブルーラインがあるのは「ビワイチ」も「カスイチ」も同じですが、大きな矢羽根印が「ビワイチ」にはありませんでした。交差点では誘導ラインが切れてしまうので、曲がる場合、表示を見落としてしまうと、戻って出直すことに。これは「カスイチ」も同じですが…。

「ビワイチ」では、スマホのガイドは使わず、路面標識だけで走りました。案内地図には到着時間など記入もでき、休憩時に走行作戦を立てました。宿泊は、長浜と京都の2ケ所で、バイク野郎の宿「ライダーハウス」を利用。利用者は若者が多く、1畳1人で雑魚寝。宿泊料が安いのにはビックリ。

琵琶湖いろいろ:霞ヶ浦との比較

▽古代湖(世界に20しかない大昔の湖)で深い。海跡湖の霞ケ浦は浅い。水面は霞ケ浦の3倍の670平方キロ。平均の深さは霞ケ浦と同じ4メートルだが、北湖には最大深さ104メートルのところも。近年はヘドロ堆積が見られるそう。

▽「ビワイチ」の長さは200キロ。「カスイチ」+「つくばりんりんロード」=180キロ。「りんりん」も足せば、いい勝負。

▽透明度は悪くても2~8メートル。昔は霞ケ浦も10メートルぐらいあったが、今は0.6~2.5メートル。COD(水の汚れの指標、小さい方がきれい)は2.4mg/L。これは泳げたころの霞ケ浦の3分の1。琵琶湖にはかなわない。

▽京都・大阪・兵庫の水がめになっており、貯留量は270億立方メートルと、霞ケ浦の30倍。流入河川数は450本(霞ケ浦は56本)。鈴鹿、伊吹、野坂、比良山地からきれいな水が流れ込む。港の数は、大型港4、その他港65。霞ケ浦は150以上あるが、大型港は2つだけ。

▽観光船運航会社は、「大津汽船」をトップに4社。霞ケ浦は「ラクスマリーナ」「常陽観光」の2社。こちらも琵琶湖が上。

▽湖岸には砂浜が多く、水泳場やキャンプ場が多い。湖内の2島=竹生島(神様の島で人は住めない)と沖島へは、定期船が運航されている。(元ラクスマリーナ専務)

サイクリストの宿 《日本一の湖のほとりにある街の話》1

0

【コラム・若田部哲】このコラムは、日本一の湖・霞ケ浦にまつわる様々なコトやモノを紹介する欄です。「日本一は琵琶湖でしょ」と思ったそこのアナタ。もちろん正解ですが、それは面積の話。一般に「霞ケ浦」と呼ばれているのは霞ケ浦の一部(西浦)で、北浦や外浪逆浦(そとなさかうら)といった水域を合わせると、「周長」日本一は霞ケ浦なのです。

この霞ケ浦周囲と、隣接する筑波山とを巡るサイクリングコースが「つくば霞ケ浦りんりんロード」として、2019年、全国で3カ所しかない「ナショナルサイクルルート」に選定されました。

霞ケ浦の水際線の変化

今回は、このサイクルルートの起点となる駅ビル「プレイアトレ土浦」内に、2020年、オープンした「星野リゾート BEB5(ベブファイブ)土浦」をご紹介。総支配人の大庭祐太さんにお話を伺いました。

合言葉は「ハマる輪泊」

BEB5土浦は、高級リゾート「星のや」をはじめ、様々なブランドを展開する星野リゾート初の、自転車を楽しむホテルです。

合言葉は「ハマる輪泊」。本格的サイクリストから、普段自転車に乗らない人、ビジネスマンまで、幅広い人それぞれが気軽に楽しめるホテルになっています。

気軽さ・手軽さに重点を置いており、フロントで予約のQRコードを読み取らせれば、チェックインは完了。小径車とクロスバイク2タイプの電動自転車を貸し出しているため、手ぶらで来て、気軽にサイクリングが楽しめます。

その一方、本格的なサイクリスト向けの自転車用メンテナンススペース、自転車関連サニタリーなどにも抜かりがありません。 また、館内に自転車を持ち込めるため、盗難の心配は皆無です。

「BEB5土浦」のサイクルルーム

客室は性格が異なる3タイプ。1つ目の「サイクルルーム」は、本格的サイクリスト向きの部屋。部屋内の壁にサイクルスタンドが設置されており、向かい側のガラス張りの浴室から、お湯に浸かりながら愛車を眺めるなんてことも可能です!

2つ目が「ヤグラルーム」。畳敷きの部屋の中央に、上がロフトベッドになっている櫓(やぐら)が組まれ、その下は大きなソファとなっている、皆でワイワイと楽しむのに最適な空間です。

3つめの「ダブルルーム」は、ビジネスにも使用しやすい、シンプルで居心地の良いスペース。いずれのタイプにも、さりげなく自転車的モチーフが散りばめられている演出が心憎いところです。

カジュアルな素材を用いつつも、細部まで計算されたプロポーションや、要所に配された名作什器(じゅうき)により、館内のどこを切り取ってもSNS映えする空間となっているのも、さすが星野リゾート。

居心地の良いスタイリッシュな空間だけでなく、季節を通して様々なアクティビティが用意され、何度も来たくなる、まさに「ハマる輪泊」が用意されています。

地域文化こそ最大の資源

自転車を楽しむホテルだけに、スタッフはみな相当なサイクリストぞろいかと思いきや、必ずしもそうでもないとのこと。逆に、そうしたスタッフの意見から生まれたアクティビティもあるそうです。

例えば、今夏開催の「朝活ブルーベリーサイクリング」では、電動アシスト付き自転車で、ホテルから片道10キロほどのブルーベリー農園に向かい、農薬無使用・有機農法のブルーベリー狩りを楽しみます。その後、収穫した果実をホテルのミキサー付自転車でスムージーにして味わう、というもの。

朝活ブルーベリーサイクリング

サイクリストなら、「えっ」と思うかもしれません。ある程度自転車に乗る人間にとって、10キロはほんの散歩程度の距離。ですが、普段自転車になじみのない人にとって、10キロは一つの壁であり、達成感も得られる絶妙な距離設定です。

生粋のサイクリストだけだったら逆に生まれにくいアイデアも、柔軟に取り入れていく。そこには星野リゾートの社風である、アイデアを自由に出し合えるフラットな組織文化があるとのこと。自転車を楽しみつつ、プラスアルファとして「この地域ならではの地域文化を楽しんでいただく」ことを念頭に、常に皆でアイデアを出し合っているのだそうです。

「自転車リゾートはまねできるが、地域文化はまねできない。茨城の豊富な地域文化こそが、このホテルの強みです」と大庭さんは語ります。 農業大国・茨城の様々な地域文化・資源と自転車の組み合わせで、これからどのようにこのホテルが成熟していくのか、とても楽しみです。(土浦市職員)

若田部哲さん

【わかたべ・てつ】筑波大学大学院修士課程芸術研究科デザイン専攻修了後、建築設計事務所など経て、2009年、土浦市役所入庁。地元出身が多い職場にあって、県外出身として地域への理解を深めるため、霞ケ浦周辺を歩き回り、様々な対象をイラスト化。WEBサイト「日本一の湖のほとりにある街の話」などで地域の魅力を配信。1976年生まれ。

「日本一の湖のほとりにある街の話」の公式ホームページはこちら

この空をご先祖さまも見ていた 古今東西の空模様《遊民通信》44

0

【コラム・田口哲郎】

前略

梅雨が明けて、空模様が変わりましたね。晴れると、遠くに入道雲のようなものが見える、夏の空になりました。

空を見ていてふと思ったのですが、わたしが空を眺めているとき、当然、見たままの空が認識されているわけですが、その空は写真のような空です。でも、たとえばその空を絵のように記憶しようとしたとしたら、おそらく写実的な水彩や油彩の絵、つまり西洋画に描かれている空です。光と影がある、リアルな空が広がるのです。

日本古来の空感覚

でも、日本は西洋画が本格的に入ってきた明治期以前から存続している国であり、日本人は昔からこの日本列島に住んできました。すると、当然ご先祖さまたちもわたしが普段何気なく眺めている空を眺めていたはずです。

現代のわたしたちは、青空に雲があって、穏やかな雰囲気ならば、天使が降りてきそうだなとか、まるでシスティーナ礼拝堂にあるような壁画を思い浮かべるわけですが、ご先祖さまたちはどうだったのでしょうか?

気になって浮世絵の空についてインターネットで検索してみましら、浮世絵のコレクションで有名な太田記念美術館の公式サイトブログに気になる記事を見つけました。

浮世絵の夕空についての記事ですが、「浮世絵には『夕涼み』『夕立』『夕景』『夕照』といった、夕方であることを示す言葉を含んだタイトルの作品がかなりあります。しかしながら、日が沈み、徐々に薄暗くなっていく夕暮れ空の美しさを捉えた作品はそれほど多い訳ではありません」とのこと(2021年8月11日の記事)。

おそらく、空模様を詳細に描いたのはルネサンス以降の西洋画で、日本画の空描写は淡白であったと思われます。空はひとつ、洋の東西でつながっているのに、所違えば空感覚も違うというのはおもしろいです。それほどに、わたしたちは西洋化しているのですね。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

10億円の交差点 自動車研究所にADAS試験場《土着通信部》52

0
ADAS試験場で行われたテープカット=4日、城里テストセンター

【コラム・相澤冬樹】かつて谷田部の高速試験場、のちに自研、いまやJARIと呼ぶのか、つくば時代を知るものには長い付き合いとなる日本自動車研究所(坂本秀行理事長)が4日、城里町の城里テストセンターに完成させたADAS試験場の完成披露を行った。

ADASは「Advanced driver-assistance systems」の略で、読み方は「エーダス」が一般的。日本語では「先進運転支援システム」となる。カメラやセンサーで運転環境を認知して、ドライバーの判断を助け、車両制御をアシストする。こうした機能を車両に実装し、事故が起きる確率を減らしたり、運転の負荷を軽減したりする技術開発が業界挙げて盛んになっている。

その研究開発で、JARI-ADASは国内初の専用試験場となる。つくばエクスプレス(TX)建設に合わせ、JARIがつくばに研究所を残し、高速テストコースを城里に移転したのが2005年。以来17年、ようやく訪れる機会を得て、完成記念のメディア向け公開に駆けつけた。

全周5.5キロの高速周回路で知られる城里テストセンターだが、楕円コースの内径部北側にあった悪路試験場を改修してADAS試験場を新設した。総工費10億円をかけ、直進方向500メートル、横断方向300メートルの道路が、扇形走路の北に寄った部分で直行する。全舗装面積は約3万平方メートル、路面は極度に平坦にならした3層舗装を施している。

2014年度建設の第2総合試験路(全長520メートル)では実施の難しい、走路幅の大きい試験路整備を目指した。特に交差点を想定した走行評価を行う。

城里テストセンターの鎌田実所長によれば、2011~20年の交通事故を調べると、四輪車対歩行者の死傷件数は信号交差点の事故が約7割を占める。なかでも四輪車の右折中の割合が高く、対策が望まれるという。今回の試験路ではAEBS(先進緊急ブレーキシステム)などを搭載した車両を走らせ、交差点での横断方向の車両を認識する試験などに使う。

お披露目ではテープカットの後、デモ試験を実施した。ロボットが運転操作する試験車両が右左折する際、自動ブレーキが適切に作動して対向するダミー車や歩行者を模したダミー人形と衝突せずに停止する試験走行を披露した。車両は直進方向で時速80キロ、横断方向で同60キロまで加速できるという。

7月から稼働開始し、すでに複数社から引き合いが来ている。国内の主要メーカーはそれぞれ独自にADAS試験場を設ける構えを見せているが、部品メーカーなどからの受注にも応え、1日8時間年間365日稼働の条件で稼働率80%を目標としている。城里テストセンター自体は夜間利用も拡大しており、年間稼働率は100%を超えているということだ。

参議院議員選挙 憲法改正どうなる? 《雑記録》37

0

【コラム・瀧田薫】参院選(7月10日投開票)の争点を一つだけ取り上げれば、まず「憲法改正」が焦点であろう。よく憲法改正に前向きな勢力(自民、公明、日本維新の会、国民民主)が議席数の3分の2に届くか否かが話題になるが、それがクリアされれば改正がすぐできるというものではない。4党の憲法改正に対する姿勢、特に憲法9条の扱いに主張のばらつきが大きく、改正の発議に向けて4党間の意見調整ができるかどうか、見通しは立っていない。

もっとも、与党が思惑どおりの安定多数を確保すれば、岸田首相が衆院を解散しない限り、衆参議員の任期満了を迎える2025年まで、国政選挙の予定がない「黄金の3年間」がやってくる。与党内には、国論を二分するような大きな政治課題に腰を据えて取り組めるとの期待があり、発議に至るまで熟議を尽くす時間的余裕に恵まれていることも確かだ。

ところで、現時点で、憲法9条の改正を掲げているのは、厳密に言えば、自民、維新の2党のみである。自民は憲法9条に自衛隊を明記する方針であり、維新は9条に明確に規定すると主張している。公明は9条の1項と2項を堅持する方針であり、別の条項での自衛隊明記についても引き続き検討するとし、党の公約に「自衛隊を憲法上明記すべしとの意見があるが、多くの国民は(自衛隊を)違憲とみていない」との説明をわざわざ付け加えている。

国民民主は、公約で「9条は自衛権の行使の範囲、自衛隊の保持・統制に関するルール、2項との関係の3つの論点から具体的な議論を進める」として含みを残している。他方、立憲民主党は自民党改憲案に反対し早期の憲法改正は不必要としつつ、「国民の権利の拡大についての議論」に限っては積極的な姿勢を見せている。

共産、社民両党はこれまでどおり護憲の立場を貫く。れいわ新選組は、現行憲法の実践のために必要な制度と法の整備を目指すとし、NHK党は改正に関する議論を積極的に促すとしている。

安全保障をめぐる議論が活発化

新聞各社その他の間では、今回の参院選で改憲勢力が3分の2の議席をギリギリ確保するとの見方が有力だが、そうなると、選挙後の参院は少数議席しか持たない政党でもキャスティングボートを握りやすい環境となる。すでに改憲勢力が4分の3を占めている衆院と比較して、参院における意見調整のハードルはそれなりに高くなるだろう。

ところで、選挙とウクライナ戦争が重なったこともあり、憲法改正と表裏の関係にある安全保障をめぐる議論が最近活発だ。ただし、防衛費の増額など数字だけが先行する前のめりの議論はいただけない。専門家の間では、いわゆるハイブリッド戦(情報戦、サイバーなど)への備えを想定し、日本の防衛政策を根本から考え直す時とする指摘がある。

各党とも結論ありきではなく、国家安全保障戦略など、いわゆる3文書の今後の改定にどう対応するか、党内外で調査・研究の機会をつくり、専門部会を立ち上げるなどすべきだろう。(茨城キリスト教大学名誉教授)

TX延伸論議に見る つくば市の狭い視野 《吾妻カガミ》136

0
つくばエクスプレス

【コラム・坂本栄】茨城県がTX県内延伸の4方向案(茨城空港、水戸市、土浦市、筑波山)を示したことで、その線上・目標に位置する自治体が自分たちの所へと誘致に乗り出し、地元の政治家も加わって騒々しくなっています。しかし筑波山を抱えるつくば市は、TXの終始点であることに満足しているのか、特に動いておりません。

ポイントはどこで常磐線にクロスさせるか

茨城空港、水戸、土浦の各方向誘致については、「TX石岡延伸推進協議会」、「TX水戸・茨城空港延伸促進協議会」、「TX土浦延伸を実現する会」が立ち上がりました。土浦の様子は記事「TX土浦延伸へ決起集会 市民参加で競合2団体に対抗」(6月12日掲載)をご覧ください。

茨城空港、水戸、土浦への延伸ラインはもちろん別々です。しかし、石岡、水戸、土浦の主張は「空港まで延ばせ」と言っている点では共通しています。水戸の場合、まず空港まで延ばし、さらに空港→水戸を要求していますが、石岡と土浦は「うちの市内で常磐線と交差させ、空港まで延ばせ」と言っているからです。

水戸が、空港→水戸は後回しにし、常磐線で交差する駅→水戸駅(TXの一部JR乗り入れ、残りは茨城空港直通)を受け入れれば、ポイントは「どこでJR常磐線にクロスさせるか(つくば駅と空港を直線で結ぶと高浜駅のちょっと北=石岡市内=で交差)」になります。

TX県内延伸=研究学園と茨城空港の連結

こういったことを考えると、メデイアでよく使われる「TX県内延伸」という言い方は「学園都市と茨城空港の連結」と言い換えるべきです。

10~20年先を展望すると、首都圏の2国際空港(羽田と成田)だけではビジネス・トラベル客をさばけなくなります。ロシアと中国の特異な行動によって、当分、国際ビジネス客の移動は抑制されるでしょうが、いずれ正常化します。訪日外国人旅行客は、コロナ前の何倍にもなるでしょう。そうなると、首都圏に国際空港がもう1つ必要になります。

第3空港として米軍横田基地の転用が検討されているものの、同基地は対中戦略の前線センターでもあり、民間空港化は難しいでしょう。そこで、①拡張が比較的容易な茨城空港の第3空港化、②空港へのアクセス鉄道としてTXの茨城空港延伸―をセットにして、国に実現を働きかけたらどうでしょうか。国家プロジェクトになれば、地元の負担は少なくて済みます。

TXが常磐線と交差して「茨城国際空港」につながると、つくば市は米国のボストン市に並ぶ学園都市になります。水戸、石岡、土浦の3市と組み、茨城空港延伸キャンペーンに参加すべきなのに、つくば市は「つくば止まり」で満足しているようです。TXを東京へのアクセス手段とだけ考えているようでは、視野が狭すぎます。(経済ジャーナリスト)

ウクライナのニュース 《くずかごの唄》111

0
葦(あし)の繊維で作った和紙に丸木俊さんが描いたカッパの絵

【コラム・奥井登美子】

「毎日、ウクライナのニュースを見ていると、僕はどういうわけか、丸木さんがあのニュースを見て何を言われるか、知りたいと痛切に思うようになってしまった」

「ご夫婦で原発の絵を担いで、世界中を行脚して回っていらしたわね。ウクライナはいらしたのかしら?」

「さあわからない…。2人とも、人類の悲劇を実際に見て、絵にしたんだもの、すごい人だよ。昔、位里さんと俊さんが、2人でうちへ来てくれた日のことも、つい、昨日のように思い出してしまう」

土浦市の奥井薬局の2階で、「丸木位里(いり)・俊(とし)展」をやったことがあった。250人もの人が駆けつけてくれて、盛況だった。お2人は我が家に泊まって、おしゃべりして、家のふすまが白いのを見て、刷毛(はけ)と墨汁(ぼくじゅう)を使って、大きな絵を描いてくださった。

生前葬やったの、覚えている?

「10年前、日仏薬学会の市川一郎さんが、東京・本郷の画廊を1週間だけ借りて、丸木夫妻の絵を持ち寄って丸木展をやったね」

「本郷でやったから、中外製薬、日仏薬学会、薬史学会の友達がたくさん来てくれて、展覧会の最後の日、あなたの生前葬儀もやったの、覚えている?」

皆、薬の専門家だから、大動脈解離という病気の恐ろしさをよく知っている。亭主が大動脈の中膜が37センチも乖離(かいり)して、意識不明になり、救急車でお茶の水の東京医科歯科大病院・救急病棟に運ばれて、運よく命を取り留めたといういきさつを知って、集まった人達が、皆、びっくりしていた。

そこで、またいつ死んでもいいようにと、いつのまにか、丸木展覧会の最後の日が生前葬別会になってしまったのだ。

人類の究極の悲劇を実際に見て、絵にした丸木夫妻の大きな深い優しさ。私たち2人とも、どれだけ助けられたのか測りしれない。(随筆家、薬剤師)

「キーパーソン」 《続・気軽にSOS》112

0

【コラム・浅井和幸】「キーパーソン」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。病院への入院や介護施設に入所するときの手続きや連絡先などの協力をする人を指すことがあります。家族などが担うことが多いですが、身寄りがない方の場合は弁護士や施設の職員などが担うこともあるようです。

それ以外に、地域福祉でも支援時に課題解決のカギを握っている人という意味で使われることがあります。例えば、コミュニケーションの取れないひきこもりの方への支援としてのキーパーソンとして、接する機会が多い家族や友人、すでに支援をしているワーカーなどが挙げられるでしょう。

「悪いのは自分ではない、社会の方だ」という信念から、支援者とは会いたくない、何をされるのか分からずに怖いと感じている方は多いものです。支援を受けるなんて迷惑をおかけして申し訳ないと考えて、かたくなに支援を拒む方もいます。

良い悪いではなく人は支え合い、その多様性の中で生きていくものです。生活上で何か支障があれば、頼れるところを頼ることは大切なことです。

しかし、頼ることに慣れていない人が、そうそう簡単に支援者を利用することを選択できないことは当たり前のことです。心身にある程度の余裕がなければ、新しいことを始めることがさらなるストレスになり、避けたくなるのは不思議なことではありません。

そのようなときに、新しいことを取り入れることができる、周りの少しでも余裕のある方に関わってもらうことは、事態を変化させることにポジティブな影響を与えます。いろいろな関わり方のできる人が周りにいることは、複数の選択肢を得ることになります。

だれかの手を握りやすい状況になる

なので、支援者はキーパーソンを探すことが大切なことです。そうそう計画通りに進むことがない難しいケースであっても、たくさんの手が差し伸べられていたら、被支援者(利用者)が自分の意思で動こうとしたときに、だれかの手を握りやすい状況になるのですから。

被支援者の可能性を広げることが大切なことで、支援者が自分の信念でキーパーソンを決めつけて固定してしまうことはとても危険です。例えば、不登校は両親の仲が良ければ改善するという信念を持っている支援者は、「両親」をキーパーソンにして、さらに固定してしまいがちです。

実際にあったことですが、両親が仲良くなることが大切なので、不登校の子に直接会えるのに両親とばかり話しをして、いつまでたっても(といっても私からすれば短い期間でした)仲良くなるような兆候が見えないから、諦めてその家族との関わりを止めるという自称カウンセラーに接したことがあります。

課題の解決はいつも同じ道を同じようにたどるとは限りません。現状を変えたいと思い言動を変えていける些細(ささい)な積み重ねができる人が、できるところから変化させていくことが大切なのです。抱え込むことは避けなければいけませんが、大きな変化、安直なきっかけばかり追わずに、ほんの些細なかかわりの積み重ねを大切にしましょう。(精神保健福祉士)

あまり話さない息子と、あまり話さない私《ことばのおはなし》47

0

【コラム・山口絹記】あなたは、生まれてはじめて自分が発したことばを覚えているだろうか。

まぁ、覚えていないだろう。でも、親であれば自分のこどもが初めて発した意味のある(と思われる)ことばは覚えているのではないだろうか。我が家の上の娘も、最初は「まんまんま」とか「わんわん」とか、おそらく統計的にもよくあることばから話し始めていた。

しかし、下の1歳になる息子があまり話さない。

今年から保育園に通い始めたのだが、ついに保育園の先生に「あまり話さない」ということで心配されてしまっていた。普通はそろそろ「ママ」とか「わんわん」とかいうんですけど、ということらしい。かわいそうに、2人目のこどもということで、だいぶ適当に育てられている彼。母子手帳に書かれているような発育具合のチェックも適当になっていて気が付かなかった。

とはいえ、特に心配していなかったのには一応理由があった。保育園の先生にはなんとなく言えなかったのだが、すでにいろいろボキャブラリーがあったのだ。

一つは「でてって?(出ていけの意)」。何か気に食わないことが起きたり、私の帰宅時に飛び出すひとこと。これは姉のマネである。

もう一つは「うんてぃ、でたぁ(実際は出てない)」。まさかの「ママ」「パパ」より先に飛び出した二語文である。初めて聞いたときはだいぶ驚いたが、何も出ていないのが紛らわしいことこの上ない。困ったことである。他にも、「べろべろばぁ」とか、「てぃんてぃん」なんてことも言う。我が子ながらずいぶんと陽気な1歳児だ。

でもここにはことばがある

そして、ここ数日、ついに「まんまんま…」と言い出した。きちんと母の方を向いているので、たぶん理解して発話しているような気がする。さらには昨夜、隣の部屋から「パパパパパパ…」という声も聞こえたのだが、のぞき込むとにこにこして黙る。その場を離れるとまた、背後から「パパパパパ…」と聞こえる。私を呼んでいるわけではないのかもしれないし、もしかすると、からかわれているのかもしれない。まぁ、彼の真意を知ることはないのだろう。

息子と2人で近所のスーパーに買い出しに出ているとき、ふと数年前、私も頭の中の血管が破裂してことばが話せなくなったことを思い出した。あの時の私は、今の息子よりもことばを話すことができなかった。ことばのない、とても静かな景色を見ていた。

何かを見つけて駆けていったと思ったら、ふと振り返った息子がクシャッと笑った。そして次の瞬間には地面を歩くアリを捕まえている。食べないでくれよ?

今となってはすっかり話せる私と、あまり話さない息子。2人の時間はとても静かである。どちらもあまり話さない。でもここにはことばがある。私には見えるのだ。(言語研究者)

日本はプーチンのロシアになるのか 《ひょうたんの眼》50

0
庭のアジサイ

【コラム・高橋恵一】プーチンのロシアの理不尽なウクライナ侵攻を見て、日本の危機と防衛力の強化が叫ばれている。よくメディアに登場する「専門家」は、防衛省関係者・自衛隊幹部OB、あるいは旧大日本帝国の残影が残る関係者が大半だ。

「専門家」の解決策は、ロシアを押し返して、妥協できるところで停戦するシナリオだろうが、それまでにどれだけのウクライナ人が死ななければならないのだろう。ロシアの兵士は何万人死ぬのだろうか。世界の穀倉地帯の混乱で飢餓に陥る人々は16億人を超すとも予測されている。

プーチン大統領は、核兵器使用もいとわないという、無茶ぶりだ。NATO欧州加盟国は、防衛費をGDPの2%に増額するという。長期戦略として効果的かどうかも疑わしいが、少なくとも今のウクライナには間に合わない。

現在の日本の防衛予算は世界第8位。取りざたされているGDPの2%になれば、米国、中国に次いで、世界3番目の軍事費大国になる。

プーチンの侵略行為が、先の大戦のナチスドイツや大日本帝国軍の行動によく似ていることを考えれば、日本の防衛力強化は軍国日本の復活ともとられ、世界や日本国民が受け入れるとは思えない。世界は、そう見るのだ。

当然、中国もロシアも北朝鮮も、対抗して防衛力を強化する。それどころか、日本を警戒する意味で、韓国、台湾、フィリピンなどとの緊張も高めてしまうかもしれない。米国も、軍事産業部門以外からは、歓迎されないのではないか。

それにもかかわらず、憲法まで変え、日本の防衛力の抜本的強化を図る意味があるのだろうか。

不戦は日本の義務

ウクライナについては、「人命」と「人間の尊厳」保護を最優先して、現状で「停戦」するしかない。国連が、その役割を果たすしかない。

プーチンのロシアには、国際法も人道も通じない。先の大戦のナチドイツや大日本帝国の戦争と同じだ。だから、戦闘が予測される地域の外に市民を避難させ、現状で停戦する。どちらに不満があっても、これ以上の戦争継続は世界経済も地球環境も破滅するだけで、人類が滅びかねないからだ。

兵器は限りなく進化(?)高度化(?)するので、絶対的な攻撃力や絶対的な防衛などはありえない。中国で「矛盾」という言葉が生まれたのは何千年前なのだろう?

一方、大戦の反省から、日本人が苦難の末にやっと獲得した行動規範が、日本国憲法であり、その前文で「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、(その実現を果たすために)名誉ある地位を占めたい。全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と規定している。

不戦は日本の義務でもあるが、世界に履行を求める要求でもあるのだ。「核兵器禁止条約」はその第一歩であり、日本が締約国会議にオブザーバー参加もできなくて、どうするのだ。参院選で新しくなる国会議員は、どういう態度をとるのであろうか?(地図好きの土浦人)

安売りカメラ店 《写真だいすき》9

0
この店で買った機材に、ボクはずいぶん助けられてきたものだ

【コラム・オダギ秀】また昔の話で、ゴメン。でも、店への愛を込めて書きたいのだ。とても若いころ、写真家仲間が頼りにしていた安売りカメラ店のことだ。

新宿の裏通りのその店は、間口が2、3間ほどだったろうか、住宅のような、お店とは思えないようなところだった。ガラスの引き戸を開けて入るとカウンターがあり、商品は並んでいない、カメラや写真の材料を売る店だった。近所にかつて浄水場があったので、その名前が付けてあった。

カウンターで「トライ、長巻き、2缶」のように言うと、無口な細っこいアンチャンが奥の棚から品物を持って来てくれた。貧しいカメラマンたちには、ありがたい安売り店だった。品物は並んでいないから、何というどんな商品か、価格はいくらならいいのか、わかる者だけが出入りする店だった。プロ機材ならまず手に入ったし、価格に不満なこともなかった。安かったのだ。

1年ぐらいしてからか、天井に穴を開け、2階の倉庫から品物をひもで吊り下げるようになって、品ぞろえとスピードが少し増し、店員も2人から5人くらいに増えたと思う。

昔、写真は、フィルムという感光シートか、それを細く巻いたロールで撮影していた。フィルムはパトローネという小さな金属ケースに巻き込まれていて、パトローネには36枚撮影分のフィルム入り、というのが普通だった。

プロやそのタマゴたちはパトローネ入りではなく、ずっと長くてコスパのいい100フィート入りの缶を買い、適当な長さにフィルムを切って、使用済みのパトローネに詰め、フィルム代を安くあげるようにしていた。

フィルムは真っ暗闇で作業しなければならないから、長巻きを両手で拡げて何枚撮りにするか、見ないでできるように、明室で目隠しして練習を繰り返した。

後には、店のDPEで出たものだろうか、使用済みのパトローネが捨てずに店の隅に置いてあり、ボクらはずいぶんそれをもらって使った。使用済みとはいえ、たいていは使えるものだったから、ありがたかった。

今では、あめだって売っている

ある時、新宿近くでバスに乗っていたら、ボクが写真材料の袋を抱えていたからだろう、離れた席からどこかのオッチャンがわざわざボクの所にやって来て、うれしそうに、でもヒソヒソ声でいい店があるんだよと、その店を教えてくれた。ボクは、知ってるよと返事してから、仲間だねと言って2人で笑った。

その店はどんどん大きくなり、プロの写真の店ではなくなった。今では何店もあり、いろんなものを売っている。今朝、ボクはその店のネットで、キャラメルを買った。今では、あめだって売っているんだぜ。

夕方に届いたそのキャラメルを口に含み、安さと早さに「あのころと変わんねえな」と思いながら仕事を続けた。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

コーヒーの木を買って考えた ものの値段 《続・平熱日記》112

0

【コラム・斉藤裕之】草刈りのアルバイトから戻ったら、まずはシャワーを浴びて昼飯。午前中だけの作業とはいえ、炎天下の数時間の労働はこたえる。「おお、今日はソーメンか!」

すると、「ちょっと欲しいものがあるんだけど」。カミさんにしては珍しいおねだり?「コーヒーの木が欲しいんだけど」。「は?」。カミさんの口から出たのは、意外な言葉だった。「コーヒーの花ってどういうのか、知ってる? 白くてねえ、すごくいい香りがするんだって…」と、聞き返される前に説明を始めるカミさん。

要するに、コーヒーの花を見てみたいが、ある程度の大きさの木にならないと花は咲かない。ついては、先日立ち寄ったコーヒーの専門店で、花を咲かせそうなコーヒーの木を見かけたので、是非買い求めたい、ということのようだ。

はて、これまでもコーヒーの木を目にすることはあったはずだが…。確かに花を見たことはないし、そもそも日本の気候には合ってないんじゃ…。ビニールハウスで栽培しているとか、沖縄でどうのこうのというのは聞いたことはあるけど…。

とにかく、その店でコーヒーの木にひとめぼれをしたということだと理解した。「それで、そのコーヒーの木はいくらすんの?」って聞いたら、「〇〇円。でも安いと思うの!」。カミさんはネットで調べていたらしいが、その金額に少しひるんだ私。

「それにもうすぐ誕生日だし…」というダメ押しの一言。そういえば、このところ特にプレゼントもしていないなあと思って、ソーメンを流し込んでその店に向かった。

草を刈って草を買うとは

店に着くと、お目当ての木が見当たらない。店員さんに尋ねてみると、風が強いので裏の倉庫に入れてあるという。「これをください」。元気そうな葉を身に着けた木は、ぎりぎり軽のバンに乗るほどの高さだった。その店のシンボルツリーのような存在だったのか、店員さんも名残惜しそうに見送ってくれた。

カミさんは以前園芸店で働いていたことがあって、植物のことは一通り詳しい。だから、日当たりだの水やりだのは口を出さにことにしている。結果、2階に置くのがいいだろうということになった。大きさといい葉の緑といい、なかなかいい感じだ。うまく育てれば花も期待できるし、店員さん曰く、実もなるかもしれないということだった。

こうして我が家にやってきたコーヒーの木。せこい話だが、はじめはその値段が随分と高いものに思えた。貧乏性の私としては、何かと比較してなんとか納得しようとした。食べ物、洋服、電化製品…。

しかし、実用的なものの値段と比べてもしっくりこない。何でもかんでも安いのが当たり前の、消費文化に麻痺(まひ)させられていた自分に気づかされた。例えば、自分がこの木をこの大きさまで育てるとして、その手間や年数を考えると、その値段は妥当なものに思えた。 そして結局、私の基本的な金銭感覚は肉体労働の時給だと理解した。草刈り3日分の日当で、カミさんにお誕生日プレゼントを買ってやれたわけだ。草を刈って草を買うとは…。実は、カミさんは挿し木も得意で、増やしたコーヒーの木を娘たちにもプレゼントしてやりたいという。梅雨のころが挿し木にいいのだそうだ。(画家)

終わっていない水俣病だが… 《邑から日本を見る》114

0
農薬を使わない有機栽培のミカン畑

【コラム・先﨑千尋】5月下旬、鹿児島市から熊本県水俣市に向かった。高速道路を使うと2時間余。山の中をひた走り。ここにも2人の朋(ほう)友がいる。1人は、水俣病患者支援のために水俣に入り、そのまま居ついてしまった大澤忠夫さん。もう1人は、市長として初めて水俣病患者に陳謝し、水俣病問題の解決に当たり、新しい水俣づくりに奔走した吉井正澄さん。

「公害の原点」と言われた水俣病が南九州の片隅で発見されたのは、経済白書が「もはや戦後ではない」と書いた1956年のこと。チッソが波静かな不知火(しらぬい)海の一部である水俣湾に猛毒のメチル水銀を垂れ流し、魚を通して周辺漁民や住民の人体を蝕(むしば)み、今なお被害に苦しむ人たちが大勢いる水俣。今回も、チッソ水俣工場の正門、毒を流した排水溝と埋立地、小さな漁港、水俣病歴史考証館などを1日歩いた。

大澤さんが京都にいた頃、水俣病患者に出逢い、1973年に水俣に移住した。水俣病患者たちは、海が有機水銀で汚染されていたため漁業ができず、陸に上がって山を切り開き、甘夏の栽培を始めた。当時の甘夏栽培には20回もの農薬を散布していたが、「他人に毒を盛られた者は、他人に毒を盛らない。加害者になりたくない」と、農薬や除草剤の散布を止めた。

そして、大澤さんは生産者たちと「反農薬水俣袋地区生産者連合」(反農連)を結成し、反農薬、有機栽培、自主販売を柱に、甘夏をはじめとする柑橘(かんきつ)類、野菜などの出荷を行うようになった。

こうして生産された甘夏は、表皮が“がさくれ”。見た目が悪く、売れない。大澤さんはその甘夏をリュックに詰め込み、つてを頼って売り歩いた。当時、私は『消費者レポート』で「ガサクレミカンを食べてください」という大澤さんの記事を読み、水戸市の友人たちと共同購入を始めた。それが私と水俣との出会いである。大澤さんには水戸まで来てもらったこともある。酒が回ると、カセットにスイッチを入れ踊り出す。座は一気にはじける。

今回、ミカン畑にも連れて行ってもらった。海が間近に見え、眺めはいいが、急斜面。高齢でミカンづくりを止める生産者が増えているという。大澤さんの家も、息子、娘の2代目に代わっている。

記憶を呼び覚ますものが消えている

吉井さんは市内の山奥に住んでおり、90歳になる。1994年に水俣市長に当選し、水俣病患者の精神的な救済を優先課題とし、市民の意識革命に取り組んだ。「環境モデル都市」をめざし環境学習に力を入れ、22分類のごみ収集、リサイクル工場の誘致など、行政だけでなく、市民が参加する活動を展開した。出身が市街地や海岸沿いではないため、客観的な見方、考え方ができたのだと思える。

私には、2000年に同市で開かれた「環境自治体会議」が忘れられない。私が司会を担当した分科会には、吉井市長のほか、岐阜県御嵩町長の柳川義郎さん、鎌倉市長の竹内謙さん、東海村の村上達也さんが出席したが、たまたま直前に柳川町長が暴漢に襲われるという事件が起こり、岐阜、熊本両県警の警備の人たちが会場をぐるりと取り囲んだのだ。

吉井さんの住まいの周辺は皆、棚田。石積みの田んぼを見ると先人の苦労がしのばれる。今でもトラクターに乗ると言う吉井さんは、がんが再発したそうだが、若々しい。田畑を上ったり下りたりだから、足腰が鍛え抜かれている。文章を書き続けているので、頭もさえている。

水俣は進化し続ける町。そう思いながら水俣通いをしてきたが、今回は市内では水俣病の記憶を呼び覚ますものが消えている。なぜなのだろうかと考えながら、水俣をあとにした。(元瓜連町長)

雨男・晴れ男 《短いおはなし》4

0
イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

雨と晴れなら、晴れの方が好き。
きっと9割くらいの人がそう答えるはず。
私、間違っていないよね。

好きだった彼は究極の雨男。初めてのデートは台風級の大雨。
会うたび雨。いつも雨。彼の人生、大切な行事はすべて雨だったと打ち明けられた。

大粒の雨が窓ガラスを叩(たた)く小さな部屋で「結婚しよう」と彼が言った。
不器用だけど優しくて、きっと私を大切にしてくれる。
嬉(うれ)しかったけど、ふと考えてしまった。
彼と一緒にいる限り、この先の行事はすべて雨。
結婚式も新婚旅行も、絶対雨だ。
子どもの行事も家族旅行もすべて雨だ。

迷っていたときに現れたのは、取引先の御曹司。
出会ったばかりでグイグイ来られて、ついに誘いに乗ってしまった。
初めてのドライブは、最高の青空。グレイの雲がみるみるうちに去っていく。
「俺、究極の晴れ男なんだ」
彼が言った。私の中で、何かが揺れた。

彼とのデートはいつも晴れ。降水確率80%をも覆すパワー。
テニスにゴルフ。キャンプにバーベキュー。
楽しくて、結局私は、晴れ男を選んだ。
土砂降りの日に雨男と別れ、秋晴れの日に晴れ男と結婚した。

だけど幸せは続かなかった。
晴れ男は、家庭を顧みない遊び人で、子どもが生まれても協力どころか無関心。
たった3年で離婚した。離婚した日も悲しいくらいの晴天だった。
優しかった雨男の彼を思い出す毎日。やっぱり私、間違えた?
ひとり息子の晴太(はるた)は、父親に似て晴れ男。
入園式も遠足も、雨に降られたことはない。
しかし幼稚園最後の運動会、ピカピカのお天気だったのに、年少組のかけっこが始まる辺りから、何やら雲行きが怪しくなってきた。
そして突然降りだした大粒の雨。
運動会は一時中断で、みんなテントの中に避難した。
「予報、雨じゃなかったのにね」と困り顔の保護者たち。

そのとき、ひとりの男が園庭の真ん中に出てきて頭を下げた。
「すみません。この雨は、僕のせいです」
思わず息をのんだ。彼だ! 究極の雨男の彼だ!
「僕が来たら雨が降ることはわかっていたのに、どうしても息子が走る姿を見たくて来てしまいました。ごめんなさい」
ふくよかな女性が走ってきて、彼の隣で同じように頭を下げた。
「夫が雨男ですみません」
たちまち起こる爆笑の渦。怒っている人なんて誰もいない。

ああ、そうか。私もこんなふうに彼を支えればよかったのか。
ずぶ濡(ぬ)れなのに幸せそうなふたりを見ながら、自分の愚かさに気づいた。
雨に濡れるくらい、どうってことないのに。

彼が帰ったと同時に、雨が止んだ。
園児たちが、いっせいに走り出す。喧騒(けんそう)の中、取り残された気分でしゃがみ込んだ。
「ママ」と晴太が私の手を握った。
「虹が出てるよ」
見上げると、空いっぱいの虹が、地球をまるごと包んでいる。
なんて優しくて、なんて美しい。
ああ、そうだ。私、やっぱり間違っていない。
自分で選んだ人生だもの。
私は、世界一愛しい小さな晴れ男の手を、ぎゅっと握り返した。(作家)