【コラム・冠木新市】今年の「まつりつくば」は、規模を縮小してTX研究学園駅前で開催することに決まったが、市民の間には微妙な感情が漂っている。「なぜ、つくばセンター地区で縮小してやらないのか」と不満気な人々。「今回だけは新型コロナがあるから仕方ないか」と認める人々。「もう2度と中心市街地には戻らないよ」と達観する人々。

さらに、そうした感情を察しつつ発言を控える人々。そのため、モヤッとした空気に包まれ、まつりを迎えるムードにはまだ今ひとつの状況だ。研究学園駅の方はどうなのだろうか? 「CO-EN」会場の件で「つくばまちなかデザイン」の人と話をしていたら、研究学園駅に行ってしまうのを非常に残念がり、「ウラ『まつりつくば』をやろうかと考えている」と本音を語ってくれた。

「まつりつくば」は、新住民と旧住民との交流の場として、1981年に有志によって企画されたという説がある。その後つくば市が誕生し、行政主体で運営がなされ、年々拡大してきた。私も30年前から参加しているが、大きく変化したのは、土浦学園線を通行止めにし、青森のねぶたがパレ一ドに出てきた1998年あたりではないか。

「なんでつくばに『ねぶた』なんだ!?」との陰口は耳にしたが、それはそれで多くの市民は楽しんでいた。2000年に、中央図書館~エキスポセンターの通りで始まった、ア一トタウン大道芸も若者たちを引き付け、拡大に貢献した。

私の一番の楽しみは、2日目の夜、ステージで繰り広げられる地元歌手・北条きよ美、川神あい、三ツ木清隆のショ一である。センター広場に周辺の人たちが集まり、応援合戦が繰り広げられる。ペンライトやキラキラしたグッズが配られ、応援を頼まれる。10数年前、面白さに気づきロック好きの探偵団員を誘ったら、ハマってしまい、最後まで見ていた。

歌手たちの地元愛あふれる語りも、好感がもてる。つまり「世界のつくばで村まつり亅の趣なのだ。やはりこのステージはセンター広場の窪(くぼ)んだ空間がよく似合う。

高倉健主演の『八甲田山』

映画俳優の高倉健は2度大きな変化を遂げた。1度目は『網走番外地』(1965)でやくざを演じ一躍人気者になったときだ。それまでは会社員役などが多かった。その後、年間10数本も出演し、任侠(にんきょう)映画ブ一厶を牽引した。2度目は、任侠映画から足を洗い大作『八甲田山』(1977)で聡明な軍人役を演じたときだ。

その後は、出演作品を年1~2本ぐらいに厳選し、国民的スターへと成長し、2013年に文化勲章を受けた。

『八甲田山』の終盤近く、雪中行軍を続ける徳島大尉(高倉健)が暴風雪に襲われ、一歩も進めなくなったとき、少年の頃を回想する3分あまりのシーンがある。花畑での追いかけっこ、川での水遊び、夏の夜祭り、母との墓参り、畑仕事の手伝い…。何気ない日常がきらめいて映り、この普通の生活が幸せなんだなと感じさせてくれる瞬間だった。

まつりは子どもたちの思い出となるものだ。新型コロナで2年間「まつりつくば」が中止となり、その間移住してきた家族はとても期待していたのに違いない。

10年前、「まつりつくば亅の責任者の1人に、企画にも市民を参加させたらどうかと提案したら、「そろそろそういう時期かな」と話していた。行政主導の「まつりつくば」の企画に、シン・新住民を含め、市民参加の仕組みをつくる時期が来ているのではなかろうか。サイコドン ハ トコヤンサノ。(脚本家)