金曜日, 4月 26, 2024
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コロナワクチン接種「騒動」《くずかごの唄》88

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【コラム・奥井登美子】コロナワクチンで、町の人たちは促進派と拒否派と分かれてしまっている。

Aさんは、ワクチン接種を息子さんに報告したら「死んでもいいのか。僕は知らないぞ」と、ものすごい勢いで怒られてしまったという。何と言って息子を説得したらいいか途方にくれているらしい。ワクチン拒否派の中には、原理はよく解らないくせに、供給する政治・行政の実力が不満で怒りを爆発させている人もいるらしい。

また、ワクチンそのものが大嫌いという人もいる。江戸時代、ジェンナーの牛痘(ぎゅうとう)を広めようとした緒方洪庵らの蘭学医に対して、「牛痘をしたら牛になる」と言って、怖がった人たちと似たような人が今もいることがわかって、おかしくなってしまった。

「今は何を言ってもだめ、聞く耳をもたない。何も言わないで、コロナが下火になってきたら、ワクチンが効いてよかった、といってやればいい」。

「カロナール」が消えた!

Bさんは副反応の心配性。副反応が出たらどうしようと、接種しないうちから心配で、夜も眠れないという。近所の医者に相談したら「熱が出たらカロナールを処方するから飲めば治る」と言われて少し安心したけれど、薬を出してはくれなかった。カロナール成分の一般薬が薬局にあれば、接種前に用意して持っていたいと言う。

カロナールの成分はアセトアミノフェン。大正8年にスペイン風邪が流行したときも、この薬を使った。いわば昔からある薬だ。

最近、不思議なことに、一般薬として売れる形のカロナールが品切れになっている。処方薬は在庫があるので、処方箋調剤には差し支えないが、世の中にBさんみたいな、熱も出ていないのに薬を用意したい心配性の人がたくさんいるらしく、買い占めが横行しているという。おかしな世の中だ。

「かかりつけ医」って何?

Cさんは健康で、医者にかかったことがない。ワクチン説明書の中の「かかりつけ医」という言葉がピンとこないらしい。

「接種してくれる医院の名簿を見て、お宅の家から一番近くて、すぐに行ける医院に電話して予約すればいいのよ。近ければ熱が出たときでも安心でしょ」

「なーんだ。そんなことでいいのなら、やってみるわ」

「インフルエンザのワクチンのときと同じ。考え過ぎると面倒だから、気楽にいきましょう」(随筆家、薬剤師)

ロシアは中国に押しつぶされるのか 《雑記録》25

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【コラム・瀧田薫】ソ連邦が崩壊(1991年)してから、今年で約30年が経過した。この間、ロシアは、自国の求心力を保とうと必死の努力を傾け、衰退と分裂の時代をなんとか乗り切ってきた。しかし成長と発展のトレンドはまだ見えてこない。「ロシアの現状は、外交面と軍事面では超大国であり続けているが、それ以外の領域では低開発国でしかない」というのが研究者大方のロシア評である。

ソ連崩壊前の1988年、ソ連経済は中国経済の約3倍の規模であった。しかし今日(2020年)のGDPは中国のそれの約10分の1でしかない。

6月11日、英国・コーンウォールで開かれた「2021年G7サミット」は、西側諸国が現在の中国とロシアをどう評価し、どう扱おうとしているか、検証する絶好の機会となった。今回会議の最重要テーマが「中国の覇権主義にどう対応するか」にあったことは明らかだ。ロシアについては、欧州諸国がその軍事的脅威に言及し、バイデン米大統領に認識を共有するよう要請したが、主要議題になることはなかった。

バイデン氏は、G7閉会後の6月16日、スイス・ジュネーブに立ち寄り、ロシアのプーチン大統領と首脳会談をもった。この会談はバイデン氏の方から持ち掛け、プーチン氏がその誘いに応じたものである。この流れからすれば、バイデン氏がロシアを重視しているかに見える。しかし、会談後の記者会見でバイデン氏が明らかにしたのは、「中国との覇権争いに勝つための一つの条件として、ロシアを重視する」との見解であった。

米ロ首脳ジュネーブ会談の読み方

バイデン氏は、対ロ関係において目指すのは対立の解消ではなく、対立を管理することだと言い、米国の優先事項と価値観の明確な説明ができれば、会談は成功だとも述べた。その上で「ロシアは中国に押しつぶされそうになっている」とのコメントで記者会見を締めくくった。明らかに、中露の連携にくさびを打ち込むための言葉である。

一方のプーチン氏は、別に開かれた記者会見の冒頭、米露関係について「家族のような信頼関係はあり得ないが、会談は極めて建設的だった」と評価した。ロシア国内には、プーチン政権が米国との対立を深めたことで、ロシアの中国依存度が過度なものになることを懸念する向きがある。

プーチン氏にも、米中の覇権争いに割って入ることができないもどかしさを抱えながら、せめて米中両国とロシアとの間の均衡を維持したいとの思いがあり、それが今回の会談に応じる動機ともなった。ともあれ、プーチン氏にとって、今回のバイデン氏との会談そしてバイデン氏のコメントは屈辱的なものであったろう。

プーチン氏は記者会見を「米露関係の将来に幻想をもっていないし、そんな幻想があるはずもない」という厳しい言葉で締めくくった。彼の矜持(きょうじ)が言わせたこのコメントは、プーチン・ロシアの権威主義的体質がさらに高じることを予感させるものに思えた。(茨城キリスト教大学名誉教授)

つくば市議の施設観と文化センス 《吾妻カガミ》110

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくばセンタービルの中央広場にエスカレーターを付けるべきか、付けるのであれば1基でよいか、2基にすべきか。こういった議論が本サイトで盛り上がっています。市の2基設置案に対し、市議や市民から「いらない」「1基でよい」といった声が多く出たことから、市は「まず1基、もう1基は改めて検討」という妥協案で幕引きを図りたいようです。でも、議論はまだまだ続くのではないでしょうか。

この論争について、コラム「中心地区再生計画 出だしでつまずき」(5月17日掲載)の中で、私は「深地下のTX秋葉原駅にはエスカレーターは絶対必要ですが、センター広場にはどうでしょうか」とコメント。控えめに疑問を呈しました。しかし、喧々諤々(けんけんがくかく)の議論になってきたこともあり、少し頭を整理しておきたいと思います。

「広場にエスカレーター」の是非

議論は大きく2つに分けられます。1つは、エスカレーターが2階高架歩道と1階凹型広場をつなぐ設備として必要か否か、という機能面の議論です。TX秋葉原駅のように地下数階と地上をつなぎ、多くの人を混乱なく運ぶのには必要な装置ですが、歩道と広場の行き来には「いらない」でしょう。また、百貨店のように快適に買い物をしてもらう商業施設には必要でしょうが、広場=公園には「いらない」でしょう。

もう1つは、磯崎新さんが設計したセンター広場は文化遺産だから、電動自動階段を設けるのは学園都市の名所を壊すようなものだ、いや文化より利便性だ、という文化面の議論です。どちらかというと私には苦手な分野ですが、観光資源として「いじらない」方がよいのではないしょうか。

加えて、「センタービル改修めぐり市民団体討論」(6月27日掲載)中で紹介された加藤研さん(筑波大助教)の発言を読み、広場には思想性もあることを知りました。「国家がつくった都市の中心をあえて空洞にしたのは、痛烈な筑波研究学園都市批判があった」と。センター広場には、市民に絶えざる自省を促すメッセージが込められているわけです。

その広場にエスカレーターを付けることは、名画に朱の線を勝手に入れるとか、思索の場に不釣り合いな仕掛けを置くようなもの? それでは、文化や哲学に弱い私も不要と言わざるを得ません。

市議さんの「感度」を勝手に点検

各市議はどう考えているのか、「エスカレーター計画で市議会」(6月3日掲載)を取材した記者に一覧表を作ってもらいました(会派、敬称略)。

▽意見を表明せず:山中八策の会=塩田尚

▽2基が妥当だが1基でもよい:つくば自民党・新しい風=黒田健祐、長塚俊宏、神谷大蔵、小久保貴史、五頭泰誠、ヘイズ・ジョン、久保谷孝夫

▽1基でよい:つくば・市民ネットワーク=小森谷さやか、川村直子、あさのえくこ、皆川幸枝/創生クラブ=高野文男、小村政文、中村重雄/清郷会=木村清隆/つくばチェンジチャレンジ=川久保皆実

▽2基ともいらない:自民党政清クラブ=飯岡宏之、宮本達也、木村修寿、塚本洋二、鈴木富士雄/公明党つくば=小野泰宏、山本美和、浜中勝美/日本共産党つくば市議団=橋本佳子、山中真弓/新社会党つくば=金子和雄

(経済ジャーナリスト)

ワクチン接種と社会福祉 《介護教育の現場から》8

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専門学校の授業風景

【コラム・岩松珠美】梅の実や赤しそがスーパーに並び、梅干しや梅シロップを漬ける梅雨に入った。今、コロナワクチン接種が国や自治体主導で進められている。予防接種法及び検疫法の一部改正によって、ワクチン接種は同法の「臨時接種の特例」に位置付けられ、医療従事者に優先接種する形でスタートした。

65歳以上の高齢者については、ワクチン接種の進め方は自治体によってまちまちだが、自治体の大事な施策として実施されている。茨城県では、3~4月に医療従事者接種、4~5月に施設入所高齢者と従業員に接種が進められた。費用は全額国庫負担で、接種を受ける努力義務が生じる。

接種による健康被害については、国が損害賠償することになっている。つくば市、かすみがうら市、土浦市の特別養護老人ホームなどの施設でアルバイトをしている専門学校の学生たちも、介護従事者としてワクチン接種を受け、接種率は6月末までに、1年生で5割、2年生で9割に達している。

その費用は、個人負担だと1回2070円だが、国が負担する。これは、国民の健康と安全を守るのが政治の役割であるという考え方に基づく。

地域性に合った自治体の役割

社会保障制度整備と相まって、社会福祉をどうするかは国の施策の根幹をなしている。憲法第25条で「生存権」が規定され、日本が福祉国家を目指すことを宣言してからである。

国は、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、その他心身の困窮者に対し、金銭給付を講じている。同時に国民1人1人も、社会連帯の精神に立ち、それぞれの能力に応じて社会的義務が求められ、例えば保険料を納付しなければならない。

税金が高くても生活が保障されるならば構わない、という考え方も確かにある。北欧の福祉制度は最高だと言われているが、「高福祉高税金」は国民の合意として成立している。

ワクチン接種に際しても、地域のニーズに応じた良質の福祉・医療サービスを効率的に提供するために、地方自治体がその地域性に合った展開をすることが求められる。(つくばアジア福祉専門学校校長)

こんなに言っているのに改善されない 《続・気軽にSOS》88

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【コラム・浅井和幸】かなり前から、何度も何度も繰り返し言っているのに、何も改善されない。そのように感じる人は多いのではないでしょうか。それは、社会に対してかも知れないし、知り合いに対してかも知れないし、家族に対してかも知れません。ときには、自分に対して感じることもあるかもしれませんね。

「人は変えられない、自分は変えられる」ということを鵜呑(うの)みにする必要はありません。私たちはコミュニケーションをとって相手に影響を与え、相手が変わることも経験しているはずです。批判をすることも悪いことではなく、批判をすることで改善されることだってあるでしょう。

しかし、何度も繰り返し伝えているのに変わらないと感じたときに、どのような手段を今後とっていくか、とらえ直すことは大切なことです。もちろん、同じ手段を重ねることも、黙って相手が変わるのを待つことも一つの手段として有効なことはあります。ですが、多くの場面では、同じ要素が集まれば、同じ結果が表れるのは当然で、結果、同じことが繰り返されます。

例えば、「宿題やれ」とか「もっとまじめに考えろ」とか「お菓子を食べるな」とか「不正をなくせ」とかの言葉を、同じ状況で、同じように繰り返し伝えたところで、そこに集まる要素は変わらないので、材料が同じであれば同じ現象が起こり、改善されません。批判を伝える相手が敵対しているならば、同じ現象が起こるどころか、批判とは反対の方向に進み、事態は悪化します。

足りない何かを足すことが必要

もし、同じ言動を繰り返しても変わらないのであれば、そして変えたいと思うのであれば、足りない何かを足す必要があります。それが、その相手と味方の関係になることなのか、むしろその相手は無視して自分が行動してしまうのか、別の批判の仕方をするのか、足りない何かを探し試します。足りない何かは、自分がすべて背負う必要はなく、他の誰か志を共有できる誰かに動いてもらってもよいかもしれません。

また、言動を変えるということで言えば、批判をやめるということでプラスに転じることがあります。学校に行けと言わなくなることで登校できるようになったり、お互いの短所を言い合うことをやめることで、連携して物事を解決できるようになったりする例はたくさんあります。「廊下は危ないから走るな」よりも「廊下は静かに歩いた方が安全だよ」と伝えたほうがよいことがあります。

私が相談を受けてアドバイスをするときに、「来年も落第したら、もう大学をやめてもらうからな」というよりも、「あと3年は大学の費用を出す協力はできるからな」と伝えるようにとアドバイスをする場面が多くあります。「ある何かができないと、悪い未来が待っているからな」と伝え、その後に続く「だから、そうならないように頑張れよ」という言葉を端折(はしょ)ってしまうと、不安をさらに上乗せしてしまいますので、お気を付けください。(精神保健福祉士)

外国語を学ぶコツ① 《ことばのおはなし》35

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コラム・山口絹記】今年になってから、本格的にドイツ語の学習を始めた。言語学を学んでいると言うと、様々な言語に明るいと思われがちだが、言語学というのは母語以外の言語を学ぶ学問ではない。私もある程度扱えるのは母語である日本語と英語、米語のみで、辞書があればある程度スペイン語を読み書き発音できる程度だ。

「またどうしてドイツ語を?」と訊かれるのだが、残念ながら自分でも理由をうまく説明できない。親の影響で小さいころから目や耳にすることが多かったから。大好きな本を原書で読みたいから。本当は学んでみたかったのに、第2外国語の履修でスペイン語に逃げたから。一度は逃げたのに何度も何度も目の前にきっかけが現れるから。

詳しく書き始めると自分語りの連載になってしまうので今は避けることにするが、私の中でwant(欲求)がwill(強い意思)になり、いつしかbe going to(決定された未来)になっていくには、多くの欲求と、やってもないのに諦めた経験が必要ということがここ数年わかってきた。経験上、もう逃げるべきでないことがわかってしまう。

こうして始めた何かは、いつか自分自身の核なるものに近づく一つの要素になっていく。

心を無にして徹底的に丸暗記

さて、自分語りはこのあたりにして、言語を研究している者として外国語を学ぶちょっとしたコツについて、しばらく書いていこうと思う(本コラムのタイトルに引かれた方はコレが気になるはずだ)。

外国語を学ぶというのは意外と簡単なのだ。まずは心を無にして徹底的に丸暗記すること。目的にもよるが、市販されている単語帳などを使って、せいぜい8000単語程度例文ごと覚えれば、おそらくスタートラインに立てる。なんだかんだコレが一番近道だ。

学習にあたっては可能な限り正確な発音を発話しながら学ぶこと。読み書きしかしないから発音は必要ないと思うかもしれないが、それは違う。ノドが痛くなるくらいには発音しておこう。

それから、できることなら1日3時間、できれば5時間ほど学習に時間をあてること。そうすれば1年ほどでカタチができてくる。正直、1日1時間では厳しい。日本人が高校まで英語を学んでも英語ができるようにならない、などという話はよく耳にするが、当然だ。学習量が足らないだけである。

そして、資金は惜しまず投入しよう。おすすめの書籍や辞書などを人に教えてもらうのではなく、自分なりにおすすめを語れるくらいになる必要がある。

楽な方法など存在しない

最後に、「日常会話レベル」というのが最高レベルだということを覚えておこう。英語で言うならば、TOEICで900点をとっても英語の小説が読めない、などというのはざらだ。

そんなの無理、と思うならば、今はまだ言語学習に対する意欲が足りていないのかもしれない。残酷な事実として、言語学習を始めとしてあらゆることに楽な方法など存在しないのだ。次回から、少し詳細なおはなしをしてみようと思う。(言語研究者)

江戸時代の「酒」 《県南の食生活》26

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【コラム・古家晴美】前回、江戸前期に著された『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』(1697年)に記されていた、日本酒で作る「梅酒」について取り上げた。その後、江戸中期の類書『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(1712年)に基づき復元醸造された酒を入手し、飲んでみた。せっかくの機会なので、今回は「酒」つながりで、江戸の酒について述べることにしたい。

島根県の若林酒造が醸した「寛文の雫(かんぶんのしづく)」は、アルコール度14%、酸度4.4ミリリットル、アミノ酸度7.1ミリリットル、精米歩合90%、日本酒度(甘さと辛さを示す指標、マイナスになるほど甘くなる)マイナス78、酵母 生酛(きもと)―とラベルに記載されている。正直なところ、お酒というよりも味醂(みりん)に近い甘さだ。

現代の日本酒は、アルコール度数が大体16%、酸度1.5ミリリットル、アミノ酸度1.2ミリリットル、精米歩合70%前後、糖分4%―。日本酒度に関していえば、最近の超辛口がプラス25、大甘口がマイナス60というから、マイナス78がいかに甘いかがわかる。ちなみに、手元のプリズム式の糖度計で糖度を量ったところ、現代の某醸造元の甘口酒が11、超辛口が9、またウイスキーが14.5だったのに対し、「寛文の雫」は23.5であった(値が大きいほど糖度が高い)。

また、醸造学の小泉武夫氏によれば、江戸前期の『本朝食鑑』を復元した酒は、アルコール度数が17度で、酸度7本朝食鑑、アミノ酸度6本朝食鑑、糖分16%と、現代の酒の糖分の4倍だ。味が濃く、味醂のようにとろりとした酒で、「あんなに味の濃い酒、飲めるはずない」「酒に水増ししたものも結構、出回っていたのではないか」とのことだ。

酒の甘辛は世相を映す鏡

そもそも、少量の酒でも満足できる甘口の酒が好まれるのは、乱世や不景気、米不足の世で、飲み飽きない辛口は太平の世に好まれるとの説がある。

江戸後期になると、臼と杵(きね)の足踏み精米から水車精米へと移行し、高精白米が実現し、灘の辛口酒が人気を博す。1877~1990年の市販酒の平均値を示した資料によれば、明治は超辛口、大正はやや甘口、昭和は甘口。ところが昭和60年代以降は、肉食・油消費の増大により、さっぱりした辛口志向だそうだ。

さらに、小泉氏は『延喜式(えんぎしき)』にある古代の天皇や高官が嗜(たしな)む上級酒を再現した。アルコール度数は3%と低いが、酸度7ミリリットル、アミノ酸度9ミリリットル、糖分34%―。江戸の酒よりもさらに甘かった。しかし、このころの大甘口の酒は特権階級の飲みものであった。はちみつや大陸からもたらされた麦芽糖など、甘いものにアプローチできるのは、限られた人々だけだったのだ。下級官吏には、辛口の酒が給与の一部として現物支給されていた。

「たかが酒、されど酒」の甘辛について取り上げた。技術の発達も大きな影響を及ぼすが、味は時々の世相を映し出す鏡である同時に、時代の社会構造がそこに凝縮されているのだと考える。(筑波学院大学教授)

つくば工科高校サポートクラブ 《塞翁が馬》2

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復元したサポートクラブのチラシ(部分)

【コラム・三浦一憲】音楽祭プロデュースのボランティア活動はいきなり始めたわけではなく、きっかけになることがありました。1999年、娘が県立つくば工科高校・建築科に入学したことが、その「始まりの始まり」です。

学校から帰ってきた娘に「建築の授業どうだった」と聞くと、「つまらなかった。みんな寝ていた」。この返事には笑うしかないのだが、何がつまらなかったのか聞いてみると、何も知らない高校生に、いきなり構造・工法の授業だった、と。大学とは違うと思っていたから、まず建築に興味を持たせるのではなく、最初の授業から構造・工法に入るのかと、驚きました。これで、何とかしないとの気持ちが湧きあがってきたのです。

目の前に何とかしないとのことが起きている。どうしたらいいのか思案した結果、建築の持っている面白さとか、可能性みたいなことを高校生に見せ、体験させることが一番ではないか思い、当時の助川校長に掛け合いました。ボランティア活動では、これが一番大事なことです。

「高校生をサポートさせてください」と校長に話したら、「面白い! 応援するからやってください」ということになり、「つくば工科高校サポートクラブ」が立ち上がります。重要なことは、学校のテリトリーに入り何かするのではなく、外から有益なプログラムを提供することです。プロデユーサーとしての私のスイッチが入った瞬間でした。当時のつくば市は公共建築ラッシュ。これを利用しない手はないと、いろいろ企画しました。

当時のワープロ(フロッピーに保存)で書いた案内は印刷することができず、文字が薄くなったチラシをデジタル処理してなんと判読できる状態にまでしました。それでも分からない箇所は撮影したネガフィルムなどから記憶をたどり、苦労して復元したのがコラム写真です。

サポートクラブの記録(19992001

  • 1回 1999年7月17日  友部で建設中のショッピングセンター見学
  • 2回 1999年8月 3日  国際会議場、カピオホール、ノバホール見学
  • 3回 1999年9月18日  ウェディングドレスできるまで(学内教室)
  • 4回 1999年9月23日  アメリカン2×4住宅見学
  • 5回 2000年2月19日  外国人宿舎「二の宮ハウス」見学1回目
  • 6回 2000年2月26日  エポカルつくば「フランクロイドと日本」講演会
  • 7回 2000年3月18日  クラッシックフレッシュコンサート(学内音楽室)
  • 8回 2000年8月 3日  科学技術未来館~ビーナスフォート~東京国際フォーラム見学
  • 9回 2000年11月27日 外国人宿舎「二の宮ハウス」見学2回目
  • 10回 2001年3月27日  外国人宿舎「二の宮ハウス」見学3回目
  • 11回 2001年10月18日 竹中工務店・技術研究所見学

(まちかど音楽市場代表)

筑波山系のハイキング登山の薦め 《ひょうたんの眼》33

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【コラム・高橋恵一】オリンピックが最上級のスポーツイベントなら、高齢化時代の庶民が気楽に取り組めるスポーツに軽登山がある。日本で一番登山人数が多いのは、八王子市の高尾山だそうだが、地元びいきで言えば、筑波山も十分に魅力的だ。

加えて、近年は、筑波山の尾根伝いの宝篋山(ほうきょうざん、小田山)や朝日峠へのハイキングも人気があり、週末は各駐車場が混み合う状態のようだ。この南山麓沿いに、宝篋山、東城寺、小野の小町の里、清滝観音(坂東33観音霊場の26番札所)、雪入山ふれあいの里など、家族で楽しめる「名所」「古刹(こさつ)」が連なっている。朝日峠を越えた石岡市八郷地区も、大変魅力的な地域なのだが、それぞれの魅力の紹介は次の機会にしたい。

筑波山や稜線(りょうせん)に連なる各山、峠などからは、360度の眺望景観が自慢で、関東平野や霞ケ浦はもちろん、東京の高層ビル群や富士山、太平洋まで望めるのだが、眼下の常総の地が、日本の武士社会を生み出し、武士社会の発展、確立に大きな役割を担った壮大な歴史ロマンの舞台でもあるのだ。

自然と歴史のロマンの地

武士が朝廷や貴族の警護・軍事のために雇われていた存在から、自ら土地を開墾・占有し、支配する武士・武士団登場の象徴的な存在が、平高望(たいらのたかもち)だ。桓武天皇のひ孫の高望王が、臣下の道を選び、平姓を与えられ、筑波山を仰ぐ常陸国真壁郡石田の地(現在の筑西市東石田)に本拠を置いて私有地を開いた。

長男・平国香(くにか)には石田、二男には羽鳥(桜川市)、三男には豊田郷(常総市)、四男には水守郷(みもりごう、つくば市)を分け与え、さらに、その領域は、常陸、下総、上総の国まで広がった。

平国香と甥の領地争いから平将門の乱が起こり、関東全域を巻き込んだ5年にわたる騒乱は、国香の長男・平貞盛(さだもり)と藤原秀郷(ひでさと、下野国)によって平定されたが、大乱を起こしたのも、平定したのも武士であり、武士の存在が大きくなった事件と言われている。その後、平貞盛は中央に出て、最初の武士政権・平清盛に至る伊勢平氏の祖となっている。

平貞盛の弟が常陸国の領地を受け継ぎ、水守郷を経て筑波の多気(たき)山を本拠とし、常陸国の那珂川以南に広く一族(常陸平氏)を配置して、主に常陸国の大掾職(だいじょうしょく、国司の守、介の次の順位の職)を世襲した。

源頼朝が鎌倉幕府を開いたとき、筑西市を本拠としていた八田知家(はった・ともいえ)が常陸の南西部に進出、多気氏(たきし、常陸大掾)に代わり、筑波山麓を領して、小田氏(つくば市)の祖となり、鎌倉時代から戦国時代まで統治した。南北朝時代に、北畠親房を迎え激しい戦いの舞台になるなど、盛衰約400年の歴史が繰り広げられた。

筑波山から眺める霞ケ浦流域の地は、自然災害も少なく、気候も温暖で、常陸国風土記では「常世の国」とはこの地のことではないかと称えられた地でもある。一方で、日本の未来を描き出す研究学園都市には、桓武平氏発祥の地・水守郷があるのだ。筑波山系の峰々から、自然と歴史のロマンの地を眺めてほしい。(地図好きの土浦人)

どさくさに紛れトンデモ法案が成立 《邑から日本を見る》90

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【コラム・先﨑千尋】テレビも新聞も、コロナワクチン注射とオリンピック・パラリンピックのオンパレード。国会で審議すべき大事な問題があっても、菅総理は野党の追及を恐れてか、国会を延長することなく、今月16日に店じまいしてしまった。しかし、そのどさくさに紛れ、自衛隊基地・原発など安全保障上重要な施設周辺や国境離島の土地利用規制法が16日未明に成立した。

この法律により、重要施設に指定された地域の土地が自由に取引できなくなるだけでなく、利用調査により、国民の思想・良心の自由が侵害されかねない。それなのに、衆参両院での審議時間は20数時間という短いもの。

政府は、この法律は、外国資本が土地を買収し施設の活動を妨害することで日本の安保環境が脅かされる事態に対処するためだと説明している。しかし、国会の審議では具体的な規制対象の区域や行為は明らかにしなかった。今後「規制方針」を決めると言う。

法律では、自衛隊や在日米軍基地、原発などの重要施設の周囲約1キロを「注視区域」に指定。重要性が高い所は「特別注視区域」とする。施設の機能を阻害する行為は処罰対象になる。どこを、何がということは、これから決める。しかしそれは政令などによるので、閣議決定だけ。政府がこうしたいと決めれば、それで通ってしまう。国会は関与できない仕組みだ。恣意的な運用が心配される。

どういう情報を集めるかも政令で定める。政府の裁量次第だ。この法の趣旨が「安全保障上」だから、政府がやろうと思えば何でも調査できるということ。これは憲法で保障されている思想信条の自由に反する危険性がある。

指定区域の候補地は全国で1000カ所以上に上ると言われているが、狙い撃ちされるのは米軍基地の島、沖縄であろう。沖縄本島を含め、すべてが国境離島だ。その気になれば沖縄県全域を区域に指定できる。県民全部を調査対象にすることができるということだ。名護市辺野古では新基地建設が進められている。「機材の搬入を阻止する行為は処罰の対象」になり得る。

首相の首相による首相のための法案

原発の反対運動も対象にされる。なぜ原発が対象になるのかは国会では明らかにされなかった。原発では、周辺の住民は被害者であって、被害をもたらすのは原発そのものなのだ。東京電力福島第1原発の事故でそのことは証明されているではないか。

とにかく、それらの施設の周辺地域では、安全保障の名のもとに市民の行動が日常的に監視される。家族や交友関係にまで及ぶ可能性もある。戦前の治安維持法を思い出す。

6月14日の参議院での参考人質疑で、弁護士の馬奈木巌太郎さんは「取り返しのつかない法案。誰も止められず、事後検証もできない。沖縄を丸ごと監視下に置く発想。首相に限定のない権限を与えており、内閣総理大臣の内閣総理大臣による内閣総理大臣のための法案だ」と述べた。

ナチスドイツの全権委任法と同じではないか。それでも、この法案は国会を通ってしまった。今の国会は野党の勢力が弱いので、首相が「これを通す」と言えば法律ができてしまう。与党の中にまともな政治家はいないのだろうか。つい、ため息が出てしまう。(元瓜連町長)

「大気の窓」と3ミリの宇宙服 《食う寝る宇宙》88

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【コラム・玉置晋】どうも最近、日に当たると手の甲が腫れるのです。インターネットで検索してみると、日光アレルギーというものがあるそうです。じゃあ日焼け止めを塗ってみなさいよと言われ、奥様の日焼け止めを借りてみたものの、腫れは治まらず。

さらに調べてみると、日光アレルギーの原因となる光の波長は可視光が多いとのこと。日焼け止めは紫外線を防ぐもので、可視光には防御力が限定的であるとのこと。宇宙天気防災研究を志しているのに、太陽からの攻撃に脆弱(ぜいじゃく)とは困ったなあ。とりあえず長袖を着ることにして、ひどいようなら病院に行こうと思います。

地球の大気は、厳しい日光から僕たちを優しく守ってくれています。人体に有害な波長の日光は、地球の大気がその大部分を吸収してくれています。大気に吸収されずに地表に到達しやすい波長領域が可視光や近赤外線で、「大気の窓」と呼ばれています。僕たち地上の生命は、この窓を通して降り注ぐ日光に適応した進化をしてきたわけです。

一方、地球は表面から、大気の窓を通して宇宙空間に赤外線の形でエネルギーを放射しています。二酸化炭素といった温暖化物質が増えてくると、大気の窓を塞ぐ効果があります。これが温暖化問題です。

地球はいかに幸せな場所か

大気の中でも特に僕たちを守ってくれているのは、高度10~50キロの成層圏にあるオゾン層です。紫外線は、エネルギーが高い順にUV-C、UV-B、UV-Aと分類されます。オゾン層は、エネルギーの高い320nm(ナノメートル)以下の波長であるUV-C、UV-Bを吸収してくれます。

だから、オゾン層は「厚さ3ミリメートルの宇宙服」とも呼ばれています。オゾン層の上の宇宙空間では、UV-CやUV-Bを直接浴びることになります。これらの紫外線は目の障害や皮膚がんを誘発させる恐れがあります。宇宙の中で地球がいかに幸せな場所なのか、ヒトは宇宙を知って初めて気が付くのかもしれませんね。

それにしても日光アレルギーの件はマズイなあ。このままだと、大好きなハワイに行っても外に出られないぞ。実にマズイ。(宇宙天気防災研究者)

太陽光発電に浸食される里山の危機 《宍塚の里山》78

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宍塚大池周辺の地図

【コラム・佐々木哲美】3年前、宍塚里山の南西部にある畑と森林が伐採され、太陽光発電のパネルが設置されました。その面積は約3.5ヘクタールにも及びました。土地所有者の権利の大きさを前に、里山を維持できなかった私たちは無力さを痛感。そこで、土地を取得するために、ナショナル・トラスト(文化財や自然風景地などの保全活動)の取り組みを検討しました。「宍塚の里山」約100ヘクタールのうち数ヘクタール取得すれば、行政も考えるのではないかと期待したからです。

太陽光発電の位置=全国農地ナビから作成

私たちは昨年1月、公益社団法人「日本ナショナル・トラスト協会」の助成金をいただき、改めて土地所有者の調査に入りました。11月には「里山保全のためにNPO法人は何ができるか」をテーマに学習会を開催しました。最近、学習会に参加した方の母親がお亡くなりになり、相続財産の中から50万円を寄付してくれました。また、当会が土地の寄付を受け付けていると知った方から、宍塚の里山に所有する67坪の山林を寄付したいとの申し出がありました。

また、当会が10数年整備してきた土地の所有者から「太陽光発電に土地を貸すか売らないか」と言われているが、どうしたらいいかとの相談もありました。周辺の土地所有者に当たって調べたところ、約2.7ヘクタールの事業が計画されていることが判明しました。その対応を考えているさなか、5月中旬、「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」南側に発電設備の材料が突如運び込まれ、あっという間にパネルが設置されました。その後も周辺の草が刈られ、新たな施設建設の勢いは止まりません。

「再生可能エネルギー」が自然を破壊

経産省のホームページにFIT(固定価格買い取り方式)認定の計画は大小を問わず掲載されていると聞き調べてみましたが、確認できませんでした。また、茨城県のガイドライン(2021年4月改定)によれば、50キロワット以上の計画(面積換算700平方メートル以上)は市町村に計画を提出するように定められています。しかし、FIT認定外の情報は公表されていないため、市町村への問い合わせが必要ということでした。

土浦市では2016年12月、「太陽光発電設備の適正な設置に関する条例」が制定され、市内に50キロワット以上の事業用太陽光発電設備を設置する場合は、市との協議が必要となっています。担当者に問い合わせたところ、県のガイドラインに対応した条例改定の動きはなく、経産省ホームページに掲載されている以上の情報は把握していないということでした。

経産省の資料によれば、事業用太陽光発電のコストは、2014年にキロワットアワー(KWh)当たり約34円だったのが、19年には13.1円まで下がりました。30年には5.8円まで下がると予想されています。このままでは、CO2を削減する再生可能エネルギーの美名のもとに「地球にやさしい自然破壊」が加速していきます。 そもそも、CO2を固定している都市近郊の森林を伐採して、太陽光発電とは本末転倒です。一刻も早く里山保全の方策を講じなければなりません。(宍塚の自然と歴史の会 副理事長)

つくば科学万博の夢 《遊民通信》19

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でんでんINS館のパンフ

【コラム・田口哲郎】

前略

つくば科学万博(国際科学技術博覧会)のテーマが「人間・居住・環境と科学技術」だったと、前回(6月10日付)書きました。つくば万博というと、自然開発や快適性増進のための科学技術の祭典というイメージがありました。しかし、1985年というバブル期直前の時代にも関わらず、住環境や環境に配慮したテーマが掲げられていたのです。

そこで小学生の時、2回訪れた際に入手したガイドブックやパビリオンのパンフレットを引っ張り出してきて、当時を思い出しながら見返しました。一番印象に残っているのは、芙蓉グループが出展していたロボットシアターです。さまざまなロボットが行うショーは楽しく、ロボットのデザインも近未来的でワクワクしたものです。ロボットは「友だちロボット」と呼ばれ、人間との共生が強調されていました。

この共生は、手塚治虫の鉄腕アトムや藤子不二雄のドラえもんなどで扱われてきたものです。カラフルでかわいいロボットが繰り広げるショーを眺めながら、子供ながら自然に明るい未来を思い描くことができました。

今顧みて驚いたパビリオンがあります。日本電信電話株式会社(NTT)のでんでんINS館です。INSは後にADSLとなり、現在の光通信へと進化する高度情報通信システムのことです。配られたパンフレットの中に「INSが築く便利なくらし」というページがあり、テレビ電話やネットショッピングが挙げられています。そして、インターネットを使った自宅学習、在宅勤務、ホームドクター(在宅医療)も書かれています。コロナ禍になって一気に現実味を帯びたことが網羅されています。

高度に産業化した社会が情報化し、集中から分散へシフトし、地域社会が復権し、プラクトピアという社会になるという予言はアルビン・ トフラーの『第三の波』(1980年)でなされていました。このような壮大な予言でなくとも、今現在起こっている事象が35年前にはすでに実現可能なものとして発表されていたんですね。

これからの社会の夢は何か?

ところで、でんでんISN館のテーマは「INSがひらく夢のあるくらし」でした。あのころの夢が実現している2021年現在、便利なくらしは夢に満ちているでしょうか? コロナ禍ということで夢どころの話ではないのですが、それにしても、かつての夢が現実に落とし込まれると、それは夢っぽくなくなるのかもしれません。

夢とは一体何でしょうか。それに、今現在の社会が描ける夢はなんなのだろうかと考えると、これからの社会があまりにも読みにくいので輪郭すらつかめません。2025年開催予定の大阪万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、キーワードは「共創」です。博覧会は、夢の裏には堅実な科学技術・思想があるのだと教えてくれます。競争ではなく共創、夢のためのヒントは何なのか注目したいと思います。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

ナツツバキ、ドクダミ、アザミ、ネジリバナ 《続・平熱日記》88

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【コラム・斉藤裕之】4月の初め、家のプルーンの木に小さな白い花がいっぱい咲いていて驚いた。これまでも、ぽつりぽつりと咲いたことはあったのだが…。去年植え替えたブーゲンビリアも見事に咲いて、気が付けば、昨年手に入れたレモンの鉢植えもいくつか花が咲いている。

花は色彩にあふれ生き生きとして、描く者にとっても飾る側としても、最も好まれるモチーフだ。バラやユリ、シャクヤクやボタンなどは、文字通り「華のある」モチーフとしてよく描かれるが、私はそれほど引かれない。

ふと、モネの「睡蓮(スイレン)」を思い出した。フランスに留学していた時には美術館のフリーパスをもらっていたので、「睡蓮」のあるオランジェリー美術館(元はオレンジの倉庫だった)に何度も通った。また、パリ郊外のジベルニーにあるモネのアトリエを訪ね、睡蓮の池のある庭も歩いた。

日本では優しい色彩の印象派として知られるモネだが、その眼は驚くほど映像的で一眼レフカメラのようだ。それから、例えば積み藁(わら)の絵や崖を描いた作品を白黒にしてみると、デッサン力が卓抜していることもわかる。そして、一見情緒的に見える色彩は理論的に重ねられている。

しかし、なぜ睡蓮だったのだろう。当時モチーフに苦慮していたモネが、偶然ジベルニーを訪れて睡蓮に出会ったというが…。

歴史的に、花は卓上の静物あるいは風景の一部として描かれた。しかしモネにとっては、睡蓮という花そのものではなく、「睡蓮のある水面」が重要だったのだろう。つまり、ルーアンの大聖堂が建築物としての構造や奥行きを描くために選ばれたのではないように、何度も描かれた庭や池は、モネの求める絵画空間や色彩表現の実験台として格好のモチーフであったのだと思う。

例えばモネが土浦に住んでいたとして、霞ケ浦の広大な蓮田を描いたか? 否。(ゴッホなら蓮を描いたかも)

花はやはり軽くなくてはいけない

さて、今年もドクダミがきれいに咲く季節となった。それから、以前はほとんど見ることがなかったアザミが、ここ数年道端や野にあるのを見つけて、これまた描きたいと思う。そして、ご近所さんの庭先や公園で、白くてころりとしたナツツバキが、こちらは地面に落ちているのを描く。

花はやはり軽くなくてはいけない。どんなにきらびやかでも、華々しくとも、触れれば柔らかく薄く軽くある。だから、アジサイが何キロもあるような塊になってはいけない。それから、花こそ自然の摂理そのままの形をしていて、いい加減には描けない。そのあたりが面倒くさいから、花を避けているのかもしれない。

散歩の途中でネジリバナを見つけた。らせん状のピンクの花がかわいらしいが、こちらは描かずにめでる。「ネジリバナ ねじれて咲いて 素直かな」。どなたの句だったか忘れたが、毎年この花を見ると思い出す。そうだ、今年はクズの花を描こう。毎年描こうとしてうまくいかない花たち。(画家)

つくばの街づくり 迷走する市の計画 《吾妻カガミ》109

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「ロピア」が入る「トナリエ クレオ」

【コラム・坂本栄】TXつくば駅前に新装オープンした「トナリエ クレオ」をのぞいてみました。撤退した西武百貨店では「デパ地下」だった1階には、食品スーパー「ロピア」のパワフルな食材が並び、以前とは大分違った雰囲気でした。茨城初の同店が核店舗として入り、つくばセンター地区は平成のころとは違ったまちに生まれ変わるような予感がします。

徒歩や自転車で行ける「クレオ」

トナリエ・クレオ開店の様子は、本サイトの記事「クレオ3年ぶりに再オープン」(5月19日掲載)をご覧ください。新しい家主「日本エスコン」の伊藤社長のあいさつが引用されていますが、「大型百貨店などのGMS(ゼネラル・マーチャンダイズ・ストア)を核とする構成から、地域住民に欠かせない食品スーパーを核とするNSC(ネイバーフッド・ショッピング・センター)に構成を変えていく」との考え方には、なるほどと思いました。

業界用語NSCとは、食品スーパーを中心にして、近隣住宅街などの小商圏をターゲットとする商業施設のことだそうです。大商圏を想定して高級品も扱う百貨店とは違ったコンセプトです。中部電力系の東証1部上場不動産会社・日本エスコンとしては、つくば駅周辺に林立するマンションに注目(自らもクレオ隣りに建設中)、勢いのある食品スーパーを誘致したようです。

この地区には、カスミ・フードスクエア学園店、ヨークベニマル・つくば竹園店、西友・つくば竹園店など、有力な食品スーパーがひしめいています。そこに新たなNSCをぶつけてきたことに、エスコンとロピアの気合いを感じます。クレオに徒歩あるいは自転車で来られるエリアに、これからもマンション、戸建住宅が増えると読んだからでしょう。

これらの店の大商戦によって、つくば駅周辺が活気ある「オフィス+マンション+飲食店+小売店」地域になればと思います。

市の無為は「まちづくり」にプラス

こういった絵を描いていたら、2年半前に、五十嵐市長が「つくば駅周辺にマンションを建てさせない」と言っていたのを思い出しました。この計画がまだ生きているとすれば、進出会社の読みに狂いが生じます。そこで市長にただしたところ、マンションを規制する方針は変わっていないということでした。どうやら、市は民主導の「まちづくり」が面白くないようです。

市主導の「まちづくり会社」による「クレオ再生計画」が失敗した後、コラム「クレオ問題 そして祭りは終わった?」(2018年11月5日掲載)の中で、「市は時間軸を曖昧にしたまま、つくば駅周辺にマンションを建てさせない用途制限措置を導入しようとしている。これでは、建設を誘導しているようなものです」と指摘しました。

その後の推移を見ると、市はマンション規制に動かず、市長発言によって逆に建設が促され、マンションの集積が進むことになりました。市長の言行不一致=無為が「まちづくり」にプラスになったわけです。

エスカレーター問題で迷走するセンター地区再生計画もそうですが、市は余計なことをしない方がよいようです。この際、お荷物の「センタービル」の再生も、市主導の「まちづくり会社」ではなく、知恵と力がある民間会社に頼んだらどうでしょうか。この提案、コラム「センタービル再生の問題点」(2020年8月3日掲載)でも書きました。(経済ジャーナリスト)

正岡子規『水戸紀行』追歩(8) 《沃野一望》28

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暮色の筑波山=県庁から

【コラム・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

明治22年、水戸在住の友人を訪ね、東京から水戸へ徒歩で向かった正岡子規は、いよいよ水戸へ近づいた。足腰からの悲鳴に辛苦の令和追歩組も、県庁手前のバス停で休憩後、どうにか腰をあげ、水戸駅までの最後の詰めに立ちあがる。「どっこいしょ」。歩きはじめが、さらに辛い。

県庁のビルに差し掛かる。ちょっと立派すぎはしないか。身体疲労が、思考を過敏にしているかもしれない。超広幅な歩道の整備も、ありがたいにはありがたいが、なんだか虚しさも覚える。

無機質ビルを後方にし、とぼとぼ歩けば右カーブの左手に、偕楽園、好文亭が見えてくる。これぞ水戸。水戸藩九代藩主斉昭の命で造園された日本三名園のひとつ。それでも、金沢の兼六園などと比べれば、随分地味だ。それが、偕楽園の味だろう。名物の梅も、もともとは戦時備蓄品目的と聞く。

子規は、偕楽園へ立ち寄り庭園の風雅を堪能している。「余は未だ此の如く婉麗幽遠なる公園を見たることあらず」とある。

子規が訪れたときは、幸運にも梅の季節だった。「がけには梅の樹斜めにわだかまりて花いまだ散り尽くさず」と感激している。現在、園内には、子規の有名な句碑が建立されている。

急崖に梅ことごとく斜めなり

子規は、偕楽園の広場で野球に興じる少年たちを見掛け、紀行に記録している。野球とは、子規の訳語(自身の本名=昇=のぼる=野ボール=野球)とか。無類の野球好きで知られている。

帰路特急 南崖の梅 手を振る子

令和版は、千波湖畔へ戻り、水戸駅南口を目指す。最後のがんばりだ。足の裏はいよいよ悲鳴をあげる。湖では、白鳥に餌を投げる人、ジョギンググループ、犬の散歩、ボールを蹴りながら走るサッカー少年。

ふと気が付くと、自分の影が長く伸びている。日暮れが早い。朝の6時から歩きはじめ16時すぎ、水戸駅南口着。どうにか子規先生に報告できるがんばりで歩ききった。

その子規先生、水戸の宿へ着くと、またも不機嫌。「客部屋にあらで三畳じき許りのほの暗き納戸ともいふべき程の処」へ通され、「腹だたしきこと一方ならず されど腹へっては立てられもせず 先ず牛飯を持て来よと命ずれば」、やっとの思いで食事にありついた。最後まで食い物の恨みが恐ろしい『水戸紀行』だった。

令和版は、水戸駅に着き、痛い足を引きずり蕎麦屋へはいり、見えない子規の背中と、ひそかな打ち上げの乾杯をあげる。地酒が喉へしみいる。

水戸からの帰路、子規は、水戸線―東北本線経由の列車で上野へ帰った(当時まだ常磐線の日暮里―友部間は開通していない)。『水戸紀行』の最後にあたり、子規は「正午となれば上野停車場へ帰りぬ、余りの早さにあるきしことのおかしく思われぬ めでたしめでたし」とまとめている。

さて令和版も子規にならい、「特急ひたち」で帰ることにする。水戸駅を発車した特急は、すぐに偕楽園下を疾走してゆく。長いようであっという間の追歩だった。ためしたことのない一句を許してもらおうか。

帰路特急南崖の梅手を振る子(作家)

ダイエット中のご褒美がケーキ 《続・気軽にSOS》87

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【コラム・浅井和幸】さぁ、仕事も頑張った、嫌なことにも耐えた、ダイエット中だけど、今日は自分にご褒美として大き目のケーキを食べちゃおう。この文章は、「当たり前」「普通」でしょうか? それとも「変」でしょうか?

では、今週はダイエットがうまくいっているから、ご褒美にカロリーの高いものを食べるのはいかがですか? 山登りをしていて、この1時間は頑張ったから、ご褒美に100メートルだけ下っちゃおうは?

分かっちゃいるけど、やめられねぇ。そんな言葉が、半世紀以上前にはやりました。まさに、人間の本質をとらえた素晴らしい言葉ですね。

目標や希望に向かって歩き続けることは、難しくつらいことが多い。目標や希望の反対方向に、うれしいことがある。そう感じている人は多いし、そのように教育されますよね。我慢して勉強するのが素晴らしい、嫌なことがあっても続けることがよい、苦しいことをするから尊敬される―と

一般的にそう教えられたりすることも多いですが、山を登って朝日を楽しむ人、ダイエットに成功して健康的になる人、コツコツと仕事や活動を続ける人も確実にいます。

これらの人たちは、本当に苦しむことに耐えているだけなのでしょうか? もちろんそうでなく、ここまで達成できたといううれしい思い、健康になったり、褒められたり、貯金が出来たりという喜びを感じているはずです。

それも、山を登りきる前にも、何度も喜びを感じることもあるでしょう。空気がおいしいなとか、きれいな花が咲いているなとか。

ささいなことを積み重ねましょう

自身の目標に反する状態で苦しんでいる人たちが、目標を達成する方向に言動や生活を変えていくお手伝いをすることが、私の仕事や活動と言えます。余裕がなく無意識に悪循環の選択をし、分かっちゃいるけどやめられねぇ状態から、抜けるための小さな喜びを感じられることは好循環を生みます。

ささいなことを馬鹿にせずに、積み重ねましょう。積み重ねに苦手意識がある人は、小さな喜びを見つけることに意識を向けましょう。好循環はその先にあります。

だからと言って、やっぱり程度は大切。体重が減ることが喜び、増えることが恐怖となって、健康を保てないほどの過度のダイエットをしてしまう心の病もありますから、ご注意を(できたら健康を喜びにしてほしいところですが…)。

半端はダメだと追い詰めるのも、過ぎたるはなお及ばざるがごとしと考えるのも、また、あなたの人生です。自分自身で選択していけるとよいですね。(精神保健福祉士)

石岡市ふるさと歴史館の村田宗右衛門展 《くずかごの唄》88

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「村田宗右衛門の本棚」パンフレットから

【コラム・奥井登美子】石岡市の「ふるさと歴史館」でボランティアをしている斎藤護さんに誘われて、「村田宗右衛門の本棚」という企画展を見に行った。3代目の村田宗右衛門の次男の村田英次郎が、結婚し、我が家に婿に来て、姓と名までが変えられて奥井有一郎。私の亭主の父親である。

舅(しゅうと)は何かことがあると、石岡が恋しくて、私は父のお供でよく石岡に行かされた。石岡市街に入る前、必ず山王川の畔で停車して風景を鑑賞する。ここから見る筑波山は先端が鋭角で、その日の気候で色が様々に違って見える。不可思議で見事な山の眺めだ。

「ここから見た筑波山の形は、よそでは見られない形と色だよ。いいだろう」

そのころの石岡の町には古い構えの商店がまだたくさん残っていて、歩いても楽しかった。無責任な私の観察であるが、まるでそのまま歌舞伎役者になれるような、面長の村田家独特の顔の系譜もある。我が家では次兄の奥井勝二が、若い時は村田流の顔であった。娘の不二子がそれを引き継いでいる。

宗右衛門は石岡の渋沢栄一

千葉県野田のキッコーマンの社長の茂木家にもよく行かされた。舅の仲良しの従妹(いとこ)が2人、村田家から茂木家に嫁いでいて、格式のある立派な家だった。特に畳敷きのトイレがすごい。十二単衣みたいな和服の服装で入っても、排泄してその後トイレの中で着替えもできるという広い個室。私は最初、見ただけでびっくりして、緊張し、オシッコが出なくなってしまった。

佐原にも行かされた。舅の母親のおとくさんの実家が佐原市の伊能忠敬家の隣家の箕輪商店だった。お嫁にくる時は船で来たそうだ。村田家のルーツは近江商人で、近江屋宗右衛門といっていた。酒と醤油の製造を手掛け、莫大な財を築いて、明治の初めころは家に蔵が何棟もあったという。

企画展の一番目立つ所に、村田家の醸造品の宣伝用の看板が置いてあった。英字と日本字の混ざった今風の看板で、江戸時代の発想から考えると飛びぬけて現代的である。徳川から明治へ、日本中が大革命で、渋沢栄一流の日本の文化の枠を乗り越えた商人が台頭した時代だったのだろう。村田宗右衛門は、石岡の渋沢栄一だったのだ。(随筆家、薬剤師)

日本の学校では当たり前の一斉授業 《電動車いすから見た景色》19

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【コラム・川端舞】前回のコラムで、障害児が普通学校に通うのは権利だと書いたが、今の日本の普通学校が何も変わらないまま、全ての障害児が通えるとは全く思っていない。

私は子どものころ、学校の授業についていけなくなったら、学校に通えなくなると思っていた。それは私に障害があったからでもあるが、障害のない子どもでも同じようなことを感じるときはないだろうか。学校に通えなくなるまでは思わなくても、授業についていけなくて面白くないと感じたことがある人は多いだろう。

学校の授業をつまらないと多くの人が感じる理由は、日本の学校が一斉授業を基本にしていることが大きいだろう。1クラス30人以上の生徒がいて、ひとりひとり、得意科目も苦手科目も違う中で、全員が同じ教材を同じスピードで理解しようとする。

障害の有無に関わらず、その科目が苦手な子どもは、授業の内容が分からず、面白くないかもしれないし、反対にその科目がとても得意で、どんどん先に進みたい子どもにとっては、授業の内容が簡単すぎて、退屈かもしれない。一斉授業の場合、平均的な学力の子どもにしか面白くない授業になってしまう可能性がある。

子どものひとりひとりに合った教材

障害のある子どものほとんどが普通学校に通うカナダでは、授業でプリント学習をする際、教員が4種類ほど内容の異なるプリントを用意し、子どもたちが自分のやりたいプリントを選んで学習するのだと、ある新聞記事に書いてあった。多民族国家であるカナダでは、英語が苦手な子どもがいることに配慮し、英文の難易度が異なる教科書を3種類準備。表紙は同じで、どの教科書を使っても同じ内容を学べるという。

ひとりひとり、自分の学力に合った教科書やプリントで学習し、分からないところは教員に個別に質問する。そうすれば、十人十色の子どもたち全員が、自分の学力に合った学習ができるのではないだろうか。

ただ、この方法を取るには、1クラス30人の子どもを1人の教員が教えるのは大変である。日本は少子化なのだから、1クラス10人にしたらどうだろうか。自分のペースで学べる学校は、障害児だけでなく、障害のない子どもにとっても過ごしやすい学校になるだろう。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

老舗「サイトウコーヒー」《ご飯は世界を救う》36

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【コラム・川浪せつ子】今回は牛久市の老舗「サイトウコーヒー」さん。画家の斉藤裕之氏のコラム「コーヒーのこと」(5月9日掲載)を拝読し、居ても立ってもいられず、訪問しました。オシャレなお店! リスペクトしている斉藤氏のお墨付き!おまけに20周年!

期待を裏切らない、ステキな空間でした。ランチはテーブル席で。ふと横を見ると、グレーヘアーを軽く束ね、黒い服、げた履きの女性が、1人で本を読んでいらっしゃいました。たまらんなぁ~。このオシャレ空間に、絵のようにマッチしていて。ハートにドキュン!

食事に行くときは、ネットで下調べをします。こちらでは、ランチタイムのあとの午後3時から、「カッパフェ」という、カッパをデザインしたパフェがあるそうで。では、1回目はランチ、2回目はパフェに挑戦だわ。まずは、ランチのスパゲティーを現場スケッチ。次は、開花時期の「あやめ園」で、スケッチや写真を撮ってから。

もうワクワク感が満杯。1回目も2回目も、ちゃんと予約を入れて。2回目、3時におうかがいすると、満席でした。6月に行ったのは、「カッパフェ」は隔月で、いつものカッパの緑色だけではなく、別バージョンもあるからです。今回は、マンゴーでオレンジ色。2つ並んだら、こんな感じ。写メして、最近会うことのできない家族や友人に、送りまくりました。

牛久でおいしいものと文化を体験

牛久市の中央生涯学習センター・文化ホールでの展覧会も、見てきました。そういえば、「ビエンナーレうしく」っていうのがあったなぁ。残念ながら、終了してしまったようです。最近、牛久周辺を訪問していませんでしたが、カフェに置いてあったパンフレットを見て、牛久の皆さんの頑張りが伝わってきました。

7月11日、このホールで「NHKのど自慢」が。出場者と観覧者を往復はがきで募集中。申込期限が迫っていて、あわてていたら、「歌うんだ~?」と連れ合い。まさかまさか。観覧希望です。また牛久に行って、おいしいものと文化を体験するのです。(イラストレーター)