土曜日, 2月 28, 2026
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研究者の愛があふれる「シダ展」 16日から 筑波実験植物園

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徳之島で発見した新産種「ムシャシダ」を解説する海老原淳さん=つくば市天久保、筑波実験植物園

国立科学博物館 筑波実験植物園(つくば市天久保)で16日から、シダ植物がテーマの企画展「シダ・ミュージアム―つくばシダ展」が始まる。同園が保有するシダ植物600種以上の中から、初公開となる近年発見された新種や絶滅の恐れのある希少種などを含む約200点が展示される。同園でのシダ展開催は19年ぶりとなる。

現在、世界中にある1万2000種余りのシダ植物のうち日本には約600種が生息しているとされる。一方で、野生のシカに食べられるなどして、約3分の1にあたる260種あまりが絶滅の危機にひんしており、環境省が定める「レッドリスト」に登録されている。

こうした状況の中で同園は、希少なシダ植物を絶滅から救うため胞子から培養し育てている。今回の展示では、保護の取り組みの様子が公開されるとともに、「タカサゴイヌワラビ」など絶滅危惧種に指定されている約80種を間近に見ることができる。

展覧会では、絶滅の危機に瀕するシダの保護についても知ることができる

また2018年に長崎県対馬で発見された新種の「ツシマミサキカグマ」や、今回の企画展を担当する同博物館植物研究部陸上植物研究グループの海老原淳さん(45)らが同年に鹿児島県徳之島で、日本国内で初めて自生するのを発見した新産種で、これまで台湾、中国、ベトナム、ミャンマーで確認されていた「ムシャシダ」など、直近7〜8年の間に見つかった新種・新産種を8種、展示している。

ほかにも、水分を含むとフィルムのように半透明に輝く、コケに似た「コケシノブ」や、江戸時代にも人気を博し、古くから園芸品種として愛好されてきたシダ植物で根や葉をもたないことが特徴の「松葉蘭」、見るだけでなく日本の食生活に根付いた「わらび」など食べられるシダ植物のレシピを「3分シダクッキング」という動画で会場で流すなど、ユーモアを交えながら、シダに親近感を覚える仕掛けも用意されている。

シダの調理動画も放映されている

企画展の担当者で同博物館植物研究部多様性解析・保全グループの堤千絵さん(46)は「シダ植物は地味なイメージがあるかもしれないが、着生することで高い木に登る。それだけでなく、落ちる雨水を集めるなど、シダは自然の中で賢く生きている。そんなシダ植物の多様な生き方は魅力的。より多くの人にその魅力が伝われば」と思いを語る。

海老原さんは「今回、筑波実験植物園で開催するシダ植物の企画展は19年ぶり。シダに詳しい方も、初めて接する方も、大人からお子さんまで楽しめるような構成を作った。ぜひ、シダの多様な魅力を知る機会にしてもらえたら」と、来場を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆「シダ・ミュージアム―つくばシダ展」は9月16日(土)~24日(日)まで、つくば市天久保4-1-1 筑波実験植物園で開催。開園時間は午前9時から午後4時30分。料金は一般320円(税込み)、18歳以下と65歳以上は無料。期間中は「シダの多様性研究と保全の最前線」(16日開催)など専門家によるセミナーが複数予定されている。それぞれ定員制で、予約が必要なものもある。詳細はイベント特設サイトへ。

ツェッペリン伯号の模型など展示 地域再発見を イオン土浦で16日から

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イベントの案内

子どもたちに地域の話題を紹介し、空への夢を持ってほしいと、「飛行船と空飛ぶ人たち」と題した催しが16日からイオンモール土浦(同市上高津)で開かれる。20世紀初頭、土浦に飛来した世界最大級の飛行船、ツェッペリン伯号の模型2機が展示されるほか、筑波大の学生サークルが製作した人力飛行機が展示される予定だ。協力は「土浦ツェッペリン倶楽部」、「つくば鳥人間の会」。18日まで。

会場はモール1階の「花火ひろば」。長さ約3メートルのツェッペリン伯号の模型2機が展示される。実物の約80分の1の大きさで、1機は今年2月に完成した新しい模型だという。時間帯によっては土浦ツェッペリン倶楽部の会員が来場し、展示解説を行う。また、紙芝居「ツェッペリンが舞い降りた日」の実演が1日2回、午後1時からと午後3時から行われる。

人力飛行機は、筑波大学のサークル「つくば鳥人間の会」が作ったもので、人力飛行機の練習用コックピットやプロペラ、2005年から歴代の人力飛行機の機体図面も展示する。子ども向けの体験イベントとして、各日先着100人限定で、ストローを使って不思議な形の紙飛行機を作る工作体験が行われる。

30万人押し寄せ、流行語に

巨大なドイツの飛行船、ツェッペリン伯号が土浦に飛来したのは1929年(昭和4年)8月のこと。世界一周の途中に霞ケ浦海軍航空隊(阿見町)の霞ケ浦飛行場に寄港し、5日間停泊した。乗員、乗客は料亭「霞月楼」(土浦市中央)で歓迎を受けた。当時最先端の乗り物だった236.6メートルの飛行船を一目見ようと30万人の観衆が押し寄せたと伝えられ、「君はツェッペリンを見たか!」が当時の流行語となったと言われている。

イオンモール土浦では「土浦と茨城」の話題を紹介し、地元を再発見してほしいと「知るをたのしく。まなびの」と題したイベントを毎月実施している。「土浦ツェッペリン倶楽部」の堀越雄二さんは「一般の方に土浦にツェッペリン伯号が飛来したという大きな歴史があることを知って誇りに思ってもらいたい。子どもたちも模型と一緒に写真を撮って楽しんでもらい、町おこしの起爆剤になれば」と来場を呼び掛ける。(田中めぐみ)

◆イベント「飛行船と空飛ぶ人たち」はイオンモール土浦1階、花火のひろばで、16日(土)から18日(月・祝)の3日間開催。開催時間は午前11時から午後5時まで(受付は午後4時半まで)。

コインランドリーの女王《短いおはなし》19

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

彼女は赤いポルシェでやってくる。

胸元で揺れる長い髪、体形がそのまま出るようなミニのワンピース。

右手にピンクの大きなバッグ。左手に車のキーをじゃらりと鳴らし、ヒールの音を響かせる。

ここは、町はずれのコインランドリー。客は1人暮らしの男ばかり。

誰もが彼女のファンだ。

彼女がほほ笑むと、ハートの矢が刺さったようにメロメロになる。

コインを入れる仕草(しぐさ)にさえ誰もがときめく。

「どうぞ」

彼女のために椅子(いす)を空けると、優雅に足を組む。

ヘッドフォンで音楽を聴き、リズムに合わせて体をくねらせる。

ああ、なんてセクシー。

僕らは彼女を、クイーンと呼んだ。

クイーンが来るのは月・水・金の午後8時。いつも時間ピッタリだ。

そしてそれは、金曜の夜だった。

いつものようにクイーンが来て、僕らを翻弄(ほんろう)させて出て行った。

僕はその日、興味本位でポルシェを追った。

こっちは原付バイクだし、追いつくはずもないと思ったが、ポルシェは意外とゆっくり走った。

そして古いアパートの前で停まった。

ここがクイーンの家? まさか、こんなボロアパートに住んでいるはずがない。

そう思ったとき、ポルシェのドアが開いて女が出てきた。

「え?」

それは、まったくの別人だった。

よれよれのスエット上下、無造作に束ねたぼさぼさの髪、サンダル履き。

クイーンはどこに行ったんだ?

ぼさぼさ女は、クイーンが持っていたのと同じピンクのバッグを持って、アパートの階段を上がっていく。

次の瞬間、赤いポルシェが消えて、古ぼけた軽自動車に変わった。

まるでかぼちゃの馬車みたいだ。魔法が解けたのか?

僕は首をひねりながら帰った。

月曜日、クイーンはいつものようにコインランドリーにやってきた。

僕は、金曜日のことを確かめたくて、ポルシェの鍵を隠した。

クイーンが音楽を聴いているときに、こっそり自分のポケットに入れた。

帰ろうとしたクイーンは、焦って鍵を探した。

「鍵がないわ。誰か知らない?」

時間がどんどん過ぎていく。

5分後、魔法が解けた。

ぼさぼさの髪、毛玉だらけのスエット、ノーメイクの平凡な顔。

取り巻きだった男たちは、あまりの変貌(へんぼう)ぶりにうろたえた。

僕がポケットから鍵を出すと、彼女は泣きそうな顔で出て行った。

ポルシェは、もちろん軽自動車に変わっている。

「何だ、アレ?」「普通の女だ」

男たちは、事態が飲み込めないまま帰って行った。

僕は罪悪感と、何とも言えない喪失感を拭いきれなかった。

水曜の夜、僕の原付バイクが、突然赤いポルシェに変わった。

鏡を見たら、上質なスーツと整ったさわやかなルックス。

理想の男になっている。

今度は僕の番なのか?

おそらく魔法は1時間余りで切れるのだろう。

さてどうしよう。

僕はとりあえずコインランドリーに向かった。

いつもは男ばかりのコインランドリーが、女子大生のたまり場になっていた。

彼女たちは、目をハートにして僕を迎えた。

                                (作家)

敵対関係から、ともに闘う仲間へ 《電動車いすから見た景色》46

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】今、女性団体と障害者団体の共闘の歴史を調べている。1972年、母体保護法の前身である優生保護法において、重度障害がある胎児の中絶を認める改正案が国会に上程された。だが、女性団体と障害者団体が反対し、法改正は阻止された。

女性の社会運動であるフェミニズムの歴史を解説した荻野美穂の「女のからだ―フェミニズム以降」(岩波新書)によると、当時の改正案には経済的理由による中絶の禁止も含まれ、当初、フェミニズムの運動に関わる女性たちは、「産む・産まないは女が決める」という「中絶の権利」を主張し、中絶の禁止に反対した。これに対し、障害者たちは「胎児に障害があれば、中絶するのか」と厳しく問うた。

昨年出版されたフェミニズム入門書「シモーヌVOL.7」(現代書館編集)では、当時、障害者団体側であった横田弘と、女性団体側であった志岐寿美栄が書いた文章を掘り起こし、女性と障害者が互いに葛藤を抱えながらも、共闘関係になっていく過程を特集している。

「胎児の障害の有無により、中絶するかを決めるのは、今生きている障害者をも否定する」「障害児を産んだだけで、女性は社会から冷たい目を向けられ、我が子を殺してしまうまで追い詰められる」という血を吐くような両者の葛藤の末、実は互いを苦しめているのは今の社会構造だと思い至り、社会を変えるべく共闘していった。その結果、優生保護法の改正は阻止されたのだった。

マイノリティを苦しめる正体

現在、母体保護法では、胎児の障害を直接的な理由とする中絶は認められていないが、出生前診断で障害があると判定された胎児の多くは、「身体的理由又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある」として中絶されている。

障害児として生まれた私は、どうしても障害のある胎児に感情移入し、中絶する女性に敵意を向けてしまいたくなる。しかし、障害児者はいないことを前提に多くの建物や制度が作られ、健常児の育児さえ、女性だけに負担を強いる社会を考えると、苦悩の末に障害のある胎児を中絶する女性だけを責めることはできない。

「障害児の誕生は避けるべき」「育児は女性がやるべき」という圧力で、女性の社会進出や障害者の生きる価値を否定し続ける社会を変えていきたい。この社会は多数派が都合のよいように作られている。現在もマイノリティ集団同士が敵対してしまっている現象が至る所で起きているが、彼らに生きづらさを押しつけているのは誰なのか、冷静に考えたい。(障害当事者)

洞峰公園を現地視察 県議会調査特別委員会

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当初グランピング施設建設計画があった洞峰公園の野球場を視察する県議会調査特別委員会の委員ら(左側)

県営の都市公園、洞峰公園(つくば市二の宮、約20ヘクタール)を地元のつくば市に無償譲渡する県執行部の方針を審査している県議会の県有施設・県出資団体調査特別委員会(田山東湖委員長)の委員らが13日、洞峰公園を現地視察し、県都市整備課らの案内で、野球場や体育館のプール棟とアリーナ棟、新都市記念館、フィールドハウス、冒険広場や洞峰沼などを見て回った。

野球場は当初、パークPFI事業者がグランピングやバーベキュー施設を建設する計画を立てていた。現地で県の説明を受けた県議からは「(公園の中の)狭いエリアということが分かった」「皆さんへの説明が足りなかったのではないか」などの意見が出た。

体育館のプール棟とアリーナ棟、飲食店やギャラリースペースがある新都市記念館、トイレや会議室があるフィールドハウスの視察では、市への譲渡に向けて、県が現在、雨漏りやタイルのはがれなど不具合箇所を修繕しているなどの説明が県担当課からあった。

緑豊かな公園環境が維持されてきたことについて県は「4000本の樹木があり、100種類の鳥類が観察されている。公園サポーターが5団体登録されていて、若い人からお年寄りまで、花壇をつくったり清掃活動をして環境が維持されてきた」などとと説明した。

視察の途中、つくば市の飯野哲雄副市長らも参加して意見交換が行われ、県議からは「議会で(パークPFI事業を)議決して1年もたたないうちにこういったことになってしまった。つくば市の心配もあるし、県の貴重な財産を無償であげていいのかという県民感情もある」(森田悦男氏)、「(体育館や新都市記念館などの)建物の機能をきちんと維持していくことが課題。(県が策定した)長寿命化計画では建物の更新に数十億円かかる。市としてやっていけるのか」(江尻加那氏)、「プールは冬も温水で、体育館は暖房。つくば市は移管後、学校のプールに使いたいという話もある。燃料費は(年間維持管理費の)1億5000万円の中に入っているのか」(中山一生氏)などの質問や意見が出た。

田山委員長は「グランピングやバーベキュー予定地は(公園の中の)狭い一部の用地だということが分かった。いい悪いは別にして、県民やつくば市民への説明が欠落していたんだと思う。(公園の維持管理費など)経費だけの問題で云々ではなく、市民感情としてどうなのかということもあったと思う。現在の(県と市との)話の進み具合も意識して、今後に向けて検討したい。現場を見て良かったと思う」など感想を話した。

委員らはこの日、前回の8月30日の委員会で継続審査となった洞峰公園のほか、民間譲渡が計画されている鹿島セントラルホテルの計2カ所を現地視察した。次回の委員会は25日開催される予定。(鈴木宏子)

「今」と向き合う若手作家14人 県つくば美術館で写真展

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主催団体代表で写真家の田嵜裕季子さん(中央)と、出展作家の浦邉俊考さん(左)、三橋宏章さん(右)

国内外で活躍する14人の若手作家による写真を中心とした作品展「ヴィジュアル・コミュニケーション展2023ーレジリエンス:不確実性のうちを生きる」が、12日から県つくば美術館(つくば市吾妻)で始まった。主催は市内在住の写真家、田嵜裕季子さんが代表を務めるビジュアルコミュニケーション研究会。田嵜さんが教べんをとる日大芸術学部で写真を学んだ卒業生らが参加する。同会による展覧会は2011年4月に始まり、今回で7回目を迎える。

これまで展覧会では、その時代の世相を映像で表現することに努めてきた。今回のテーマを「不確実性」にした理由を田嵜さんは「私たちの元には、AI、コロナ、戦争など次々に起きる問題が、多くの情報と共に毎日押し寄せ、まるで霧の中を手探りで歩いているような時代を生きている。今が『不確実』であるとあえて言うことで、この時代を誰もがたくましく生き抜くことができればという思いを込めた」と説明する。

会場には、戦争の記憶を写真で表現する菊田真奈さんの「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」▽横になれないよう真ん中に肘掛けを付けたベンチなど公共空間の「排除アート」をテーマにした阿部隼也さんの「The Appearance of Spaces(ゼ・アピアランス・オブ・スぺイシス)」▽施設に入所した祖母と向き合う飯田茜さんの「Unsicherheit(ウンジヒャーハイト)」など全14作品が展示されている。

相対化、問いかけ

出展者の一人で写真家の三橋宏章さん(38)は、これまで東海村の原子力関連施設や東京都千代田区にある千鳥ケ淵戦没者墓苑など、社会的な問題を抱える風景を写真にし、発表してきた。今回展示するのは数年前から取り組む国立公園をテーマにした「風景、まなざし、国立公園」。釧路湿原や富士山、瀬戸内海、屋久島の森など6カ所の写真を展示している。

千鳥ケ淵戦没者墓苑に関心を持つ中で、同墓苑の植生を設計した造園学者、田村剛氏が、日本の国立公園の「産みの親」であると知ったのが、このシリーズに取り組むきっかけになった。その目的を三橋さんは「国立公園は『日本を代表する自然の風景地』として法律で政治的に定められた『日本』を表すもの。それを写真にすることで日本という国を相対化して見ることができるのではないかと考えた」と話す。写真中央に、三橋さんのカメラに背を向け壮大な風景に見入る観光客が映り込むのが特徴だ。「不確実性の高い現代で、人間や社会を超えた存在を求めているようにも見える。そう駆り立てるものを写真で表現したかった」と作品への思いを語る。

地方都市の文化とコミュニティーをテーマに作品を作る浦邉俊考さん(23)は、故郷の房総半島と、そこと歴史的なつながりを持つ紀伊半島を舞台とした写真6点を展示する。民俗学者・柳田國男が説いた「黒潮」の流れに乗って移動した人の営みに、二つの半島のつながりを見出すとともに「地域らしさ、幸せとはなにか」を問いかける作品だ。

社会に向き合うきっかけに

SNSやニュースに動画が増えるなど表現手段が多様化している中、主催団体代表の田嵜さんは「私たちは、わかりやすく短時間で説明された情報を見せられ、無意識に消費しているが、写真は、そこに立ち止まって自分で読み解くという側面がある。若い作家たちが向き合っている『今』に出会うことで、より主体的に社会に向き合うきっかけにしてもらいたい」と来場を呼びかける。(柴田大輔)

◆「ヴィジュアル・コミュニケーション展2023ーレジリエンス:不確実性のうちを生きる」は県つくば美術館で開催。会期は18日まで。開館時間は午前9時半から午後5時、最終日のみ午後3時まで。入場無料。18日は、国内外で開催されるフォトフェスティバルの企画等に関わるキュレーターの菊田樹子さんと参加作家によるトークイベントが11時から開催される。問い合わせはメールで。

65歳になって考えていること《ハチドリ暮らし》29

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家の庭のミカンが青々としています

【コラム・山口京子】一生に1年だけの65歳…。それぞれの年齢が1年の期間なのは当たり前ですが、この1年でしっかり考えるべきことは何なのかが気になっています。無事にここまで生きることができたという安堵(あんど)の思いと、自分が65歳になったことの不思議な感覚…。ここにきて、人生の主なイベントは峠を越えたのでしょう。

30年前の自分が思っていたこと。一つ、2人の子どもをちゃんと育てて、できれば大学まで行かせたい。二つ、家を買うことで生じた住宅ローンは、なるべく繰上げ返済をして定年まで持ち越さない。三つ、夫が定年まで勤めあげてくれれば、老後は年金でどうにかなるだろう。

思っていたことでかなったこと、かなわなかったこと。

一つ目、子どもをちゃんと育てるというのはどういうことなのかを自問すると、自分がイメージする「ちゃんと」を、子どもに一方的に押し付けてきたのではないか。子どもの気持ちや考えを察するとか聞きとるという配慮ができていませんでした。

また、大学に行かせたいのは、それが当たり前の風潮になっていたこと。また、子ども自身が大学を希望したこと。上の子は大学で学びたいというよりは、高校3年生の段階で具体的に働くという選択ができなかったこともあるでしょう。ちょうど就職氷河期にあたっていて、担任の先生は進学より就職の方が難しいと言っていたのを覚えています。下の子は語学が学びたいから大学に行きたいと意思を表示していました。

70歳までのローンで返せますか?

二つ目、わが家が組んだ住宅ローンの完済時期は夫が70歳。年金生活になって、月に10万円以上のローンの返済は現実的ではありません。当時、銀行の方に「70歳までのローンで返せますか、大丈夫ですか」と聞いたとき、担当者は「みなさん、そういうローンを組んでいますよ」という返答。

そのときはうなずいてしまいましたが、数年してから怖くなり、繰上げ返済をするようになりました。夫が50歳ごろにローンが終わったときは、本当にほっとしました。

三つ目、定年まで勤めると思っていましたが、早期退職勧奨に手をあげて退職し、厳しい再就職の経験をしました。現役時代の収入に応じた保険料の支払い額は、年金の額にも影響します。年金制度の仕組みや改正で、年金の額は実質減少傾向にあります。65歳以上で働く人は900万人を超えたそうです。  

これからの社会がどうなるかは不確実ですが、自分が願う暮らし方や働き方ができますように。(消費生活アドバイザー)

地震時の断層の滑りを再現 世界最大規模の試験機を開発 防災研

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世界最大規模の巨大岩石摩擦試験機。中央の黒い直方形がはんれい岩の岩石で、上の岩石と下の岩石をすり合わせて断層の滑りを再現する=つくば市天王台、防災科学技術研究所 大型耐震実験施設内

発生のメカニズム解明へ

巨大な岩石同士をすり合わせて地震時の断層の滑りを再現する世界最大規模の試験装置を防災科学技術研究所(つくば市天王台)が開発し、12日、報道関係者を対象に公開実験を実施した。「巨大岩石摩擦試験機」で、地震発生のメカニズムや、地震が連鎖的に起こる仕組みの解明を目指す。

同研究所地震津波防災研究部門の山下太主任研究員らが開発した。今年3月に装置が完成し、8月から実験を開始した。設計・開発・設置費は約4億円。

試験機は幅13.4メートル、奥行4メートル、高さ5.9メートル、総重量200トン。装置の中央に、直方体の岩石を上下に2体並べ、加重をかけ、すり合わせて、石の伸び縮みや揺れなどのデータを測定する。すり合わせる岩石は長さ7.5メートル、幅0.5メートル、高さ0.75メートルと、長さ6メートル、幅0.5メートル、高さ0.75メートルで、2体の岩石がすれ合う断層面積が世界最大規模になる。最大で1200トンの加重をかけ、毎秒0.01ミリから1ミリの速さで、最大1メートル滑らせることができる。

身の回りで実際に起きているマグニチュード・マイナス1.4規模の地震を実際に起こすのと同じ規模の実験になる。地震として観測可能な最少規模の地震より少し大きな地震という。実験に使用する岩石は現在、粒が小さく硬く壊れにくい、はんれい岩を使っている。

実験の説明をする山下太主任研究員

地震は、断層が滑る際に揺れ(地震波)が起こり発生する。断層の滑り方は岩石の摩擦の性質に左右されることから、地震のメカニズムの解明を目指し、これまでも岩石同士をすり合わせて摩擦の性質を探る研究が世界中で重ねられてきた。

当初は、手のひらサイズの岩石を使って実験室で摩擦の性質を調べる実験が行われてきたが、近年の研究で、実験に使う岩石の大きさによって摩擦の性質が変わることが分かり、自然に近い大きさの岩石での実験が求められているという。

南海トラフ「半割れ」再現も

今後は、岩石と岩石がすり合う断層面に発生する石の粉などの摩耗物を取り除いて断層面が比較的均質な状態で実験したり、石の粉を残したまま断層面が不均質な状態で実験するなどし、断層面の均質性が地震の前の段階にどのように作用しているかなども実験で確かめたい考えだ。

さらに南海トラフのような広大な断層では、断層の一部が滑って地震が発生した後、時間をおいて残りの断層が滑る「半割れ」と呼ばれる連鎖的な地震が発生してきた。半割れは現在国が、南海トラフで想定しているケースの一つでもある。これまでの試験装置では使用する岩石が小さかったため、断層全体が一度に滑ってしまう地震しか再現できなかった。今回開発された装置を使い、半割れのような複雑な地震の発生を実験で再現することも求められている。

同研究所は2011年から大型岩石摩擦実験に取り組み、これまで長さ1.5メートルの岩石で実験してきた、今回開発した大型試験機はそれに次ぐ規模となる。

12日は同研究所内の大型耐震実験施設内に組み立てられた巨大岩石摩擦試験機を動かし、上段のはんれい岩に上から30トンの荷重をかけて、さらに下段のはんれい岩を横に毎秒0.01ミリの速さで1センチ動かす実験を実施した。山下主任研究員は「地震を再現して地震発生のメカニズムを再現し、地震発生予測につなげたい」と話す。(鈴木宏子)

海のものと山の人《続・平熱日記》141

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写真は筆者

【コラム・斉藤裕之】夏のバカンスイン山口。楽しみの一つは弟の舟で釣りに出かけること。狙いはアジとメバル、カワハギなどの瀬戸内の小魚。ところが港を出てしばらくすると、ナブラ(イワシなどの小魚が大きな魚に追われてできる)が湧いているのを発見。餌のイワシを追って海面をバシャバシャ泳いでいるのは、この辺りでヤズと呼ばれているブリの子供。急いで疑似餌を投げてみるが、うまくヒットしない。

どうやらヤズが回遊してきたという情報が回ったとみえて、次に舟を出したときにはヤズ狙いの釣り舟は随分と増えていた。遠目に立派なヤズを釣り上げている姿も見かけるようになった。我々もナブラにキャストを繰り返してはみたものの、ヤズの気を引くことはできず、本来の餌釣りに専念することにした。

結果、刺身と煮つけにちょうどいいサイズのアジとアラカブが釣れた。その日の夕方、近くの果樹園で働く義妹のユキちゃんが帰宅。「これもらったの」と、なんと大きなヤズを抱えているではないか。ご友人が日本海で釣ってきたものだそうだ。こういう状況を言い表す、うまいことわざなり故事成語なりがありそうな…。

とにかく、願ってもない御馳走(ごちそう)には違いないが、初老の我々3人にはちょっと持て余す大きさで、メインディッシュの予定だったアジは塩をされて干物に回された。

ユキちゃんと休日に市街へ出かけた

ユキちゃんは不安定な暮らしをしていた弟を支えて、2人の娘を立派に育てた。今は午前中に地元の加工場でパンを焼いて、午後は果樹園で働く。毎朝みそ汁と魚を焼いてくれて、弟の弁当と私の昼のおにぎりも用意してくれる。夕飯もちゃちゃっと作る。その間に、薪(まき)で風呂も焚(た)く。いつも少し駆け足気味にスタスタと歩き、とにかくよく動く。

そのユキちゃんと休みの日に市街へ出かけた。目的の一つは昔からあるラーメン屋さん。この店に初めて訪れたのは小学生の頃。隣のみっちゃんと映画を見た後、「ライスちゅうメニューが50円であるんよ」と誘われて入った。多分相当貧乏に見えたのか、意気揚々と「ライス」を2つ注文した子供に、ご主人はおかずをつけてくれた。

当時すでに評判だったこの店は、今も行列ができるほど繁盛していた。コショウを一振り。数十年ぶりに食べるラーメン(中華そば?)は記憶の通りの味だった。ユキちゃんに「高校の食堂のラーメンを思い出したよ」と、私。実はユキちゃんは同じ高校の1年先輩。

アジを狙ってヒラメが食いついた

山口で過ごす最後の日。クマゼミの鳴き声で覆われた粭島(すくもじま)の港を出航。小アジの群れにぶつかって辟易(へきえき)していたら、何と、弟の竿(さお)に引っ掛かった小アジを狙って大きなヒラメが食いついた。というわけで、最後の晩餐は豪華ヒラメの刺身。夕方帰宅したユキちゃんは手際よくさばいて、その手には大きなヒラメの頭と骨が。

「これは山の人にあげよう」と言って、裏の捨て場に放り投げた。「何の動物(彼女が山の人と呼ぶ)か知らんけど、次の日にはきれいに無くなるんよ」

バカンスって、もしかしてベイカント(からっぽ)のこと? 夕方、パク(犬)と散歩していているときに、頭の中で言葉が結びついた。あ、くずの花が咲いている。勢いのある緑色だった田んぼも、いつの間にか秋色に変わりつつあった。(画家)

現役教師にエール 元高校教員が授業づくりの「勘ドコロ」出版

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著書を紹介する片岡英明さん=つくば市内の自宅

つくば市在住の元高校教師で、NEWSつくばコラムニストの片岡英明さん(72)が、現役教師のために授業や学級活動のヒントをまとめた電子書籍「若手教師の勘ドコロー基礎力を磨く授業づくり・HR(ホームルーム)づくり、教えます」(22世紀アート、税込1000円)をこのほど出版した。

片岡さんが1982年から2021年までに書きためた教育に関する論文やアイデアを収録している。学校現場で使える指導の実践例を多数挙げ、解説している。片岡さんは「悩みは宝。悩んだことや失敗に全ての問題を解決するためのヒントがある」と若手教師に向けてエールを送る。

絶版となった前著「若い教師のための授業・HRづくり」(2016年、三友社出版)に、17年から21年発表の論文6本を加え、新たに電子書籍化した。長年の高校教師の経験から得た、生徒との関係をつくる対話法や授業のコツなど、明文化されにくい教師の仕事の要所、いわゆる「勘ドコロ」をまとめている。

2010年当時、教室で英語を教える片岡さん=霞ケ浦高校

片岡さんは茨城大学大学院農学研究科を修了後、私立霞ケ浦高校(阿見町)で英語教師として39年勤め、2016年に退職した。生徒との対話を中心にした指導を重視する。生徒とのかかわり方は「渚(なぎさ)を歩くイメージ」。押しつけや説得ではなく、遠くから生徒を冷静に見る、中に入り波を起こす、というスタイルだ。

「上から見下ろす評論家教師ではなく、子どもが遊んでいる水に入ってかき回してしまう教師でもない。時に大きな波をかぶることもある」と笑う片岡さん。「それでも生徒との対話が教師の根本的なエネルギーになる。意見を押し付けるのではなく、『まいったなあ』『すごいな』といったゆるい言葉の研究が大切」と話す。同書にはゆるい言葉を使った生徒との対話例も掲載した。

英語の教科指導においては、短くやさしい言葉で文法を解説する「ひとくち英文法」を考案し、その試みについても同書に再録した。「自分が英語を勉強し始めた時、なぜ“do”が“does”になるのだろうと悩んで分からなかったことから、生徒に文法を分かりやすく伝えるためにはどうすればよいかを突き詰めて考えた」という。

教員を取り巻く現状を憂える。なり手が減少していることについては、学校側が指導に自信と責任を持つことが必要と語る。「人間が人間を教えているのだから指導には失敗があって当たり前。失敗があっても長い目で見て、良い方に指導しようとしていることは分かってくれと、学校側が自信を持てば、教育にチャレンジしてみようという若者が増えるのでは」。これから教員を志す学生や、現役の教員への応援メッセージとして同書を届けたい思いがある。(田中めぐみ)

◆「若手教師の勘ドコロ─基礎力を磨く授業づくり・HRづくり、教えます」(22世紀アート)は476ページ、税込み1000円。電子書籍販売サービスAmazon Kindle(アマゾンキンドル)で8月30日から発売。

東海第2原発、避難できるか?《邑から日本を見る》143

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那珂市で講演する桜井勝延元南相馬市長(中央奥)

【コラム・先﨑千尋】漁業関係者との文書での約束を一方的に破り、多くの漁民が反対している中で、先月24日に始まった東京電力福島第1原発の汚染水海洋放出。これに対して中国が日本産水産物の輸入を全面的に停止した。野村哲郎農水大臣はこの事態を想定外と発言、さらにアルプス処理水を汚染水と記者団に言ったため、政府は打ち消すのに躍起になった。この問題が今後どうなるかは現時点では分からないが、岸田文雄首相には頭の痛いことだけは確かだ。

こうした中、先月27日、那珂市の「ふれあいセンターごだい」で、「東海村にある日本原電東海第2発電所で事故が起きたら避難できるのか」をテーマとした講演会(同実行委員会主催)が開かれた。主催者の話では170人を超える入場者がいたというから、同原発に対して周辺住民の関心が高いことが分かる。

講演会では、福島県元南相馬市長の桜井勝延さんと美浦村長の中島栄さんが講演した。桜井さんの住む南相馬市は一部が避難区域に指定された。

桜井さんは当時の状況を「避難区域になることを最初に知ったのはテレビ。国、県からは何の連絡もなかった。食料やガソリンなどの生活物資が入らなくなった。市内は原発から20キロの線で分断され、住民の間に亀裂が入った。強制的に避難させられた区域の惨状は口では言い表せない。原発さえなければ、と今でも考える」と怒りを込めながら語り、「東海第2の最良の避難計画は原発の再稼働を止めること。そうすれば避難計画を作らなくていいから」と結んだ。

「美浦村は原発の再稼働に反対だ」

美浦村は、東海第2原発が事故を起こせば、ひたちなか市から2007人(当初は3000人以上)の避難民を受け入れることになっている(県の計画)。しかし、本当にそれだけの人が避難できるのか。中島さんは、それは無理だと言う。

その理由を「ひたちなか市から美浦村までの間に那珂川、恋瀬川、桜川などがあり、避難者がわれ先にと移動すれば、スムーズな避難はできない。避難できたとしても、入院患者、透析患者、要介護者など支援が必要な人にどう対応するか。犬猫などのペットを飼っている人もいる。それらの人たちがどれくらいいるのかを知らされなければ対応できないので、まだ何も決まっていない」などと説明し、「福島の事例でも分かるように、10年以上経っても避難生活を続けている人がかなりの人数になる。住民の負担を減らし、安全な生活を守るために、避難しなくともよい方法を考えるべきだ」と提言した。

中島さんは最後に「美浦村は原発の再稼働に反対だ。原発に頼らなくてすむように、2015年に霞ケ浦湖畔に太陽光発電所を立て、現在は年間で1億円以上の収入を得ている。人間が作った技術で制御できないものは人間社会に不必要であり、地球上につくるべきではない」と結んだ。

那珂市での集会前日には、水戸市で東海第2原発の再稼働を止める大集会が開かれ、県内や首都圏から約600人が参加し、水戸市内をデモ行進した。(元瓜連町長)

移住しつくばの自然から着想 佐々木あかねさん抽象画展

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作品と佐々木あかねさん。小作品からF50までの大きさの作品が展示されている=つくば市民ギャラリー

市民ギャラリーで開幕

つくば市在住の画家、佐々木あかねさん(32)の作品108点を一堂に展示した抽象画の個展「Color of motion(カラー・オブ・モーション)」が10日、つくば市民ギャラリー(同市吾妻)で始まった。関東で個展を開くのは初めてとなる。18日まで。

佐々木さんは北海道生まれ、青森県育ち。絵を習い始めたのは小学生の頃からで、小学校高学年の時に岡本太郎の作品を見て衝撃を受け、以来、抽象画を描き始めたという。北海道教育大学の芸術課程美術コースを卒業後、都内のアートスクールで絵画講師として指導しながら制作を続けてきた。

作品は、アクリル絵の具や水彩絵の具を紙やキャンバスに飛び散らせたり垂らしたりする「アクション・ペインティング」という技法で描かれたもの。アメリカの画家、ジャクソン・ポロックの影響を受け、2020年頃からこの技法で描くようになった。偶然生まれた形やにじみ、色の重なりなどにある意図しない規則性や美しさを制作のテーマとしている。

今年、つくば市に移住してきた。「つくばでの生活を始めて早8カ月、すでにこの土地に魅了されています」と佐々木さん。つくばの豊かな自然に影響を受け、新作36点を作り上げた。植物の形や空の移り変わりなどから着想を得ているという。

「誰でも匂いや温度など言い表せない記憶を持っている。作品を見た人にそういった記憶を思い出して感じてもらいたい」と話す。アートスクールの講師だったことから、つくばでも子どものための絵画教室を開きたいという夢がある。「つくばの自然豊かな環境で今後ものびのびと制作し、発信し交流していきたい」と語る。

◆佐々木さんの個展「Akane Sasaki Solo Exhibition『Color of motion』」は18日(月)まで、つくば市吾妻2-7-5、中央公園レストハウス内、つくば市民ギャラリーで開催。開館時間は午前10時~午後4時半(最終日は午後1時まで)。入場無料。会期中は佐々木さんが在廊する。展示作品は購入が可能。佐々木さんのホームページはこちら

筑波技術大の多田伊吹さん 2025デフリンピックのエンブレムを制作

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イベントでデザインを手に持つ筑波技術大学の多田伊吹さん=東京都パラスポーツトレーニングセンター(筑波技術大学提供)

ろう者のためのオリンピック、デフリンピックが2025年に東京で初めて開催される。大会のエンブレムに、筑波技術大学の学生、多田伊吹さん考案のデザインが採用されることが決まった。大会エンブレムは、大会の気運醸成に活用するほか、大会時の盛り上げにも使用する予定だという。

採用された東京2025デフリンピックのエンブレム(同)

採用が決定したエンブレムは手と花がモチーフ。聴覚障害者のコミュニケーションが手話で行われることから、多田さんはデザインを考え始めてすぐに手の形を思いついた。手を桜の花弁に見立てて、人々の繋がりの「輪」を表現し、コミュニティが「輪」のように繋がった先で新たな花が咲いてほしいという、未来への希望の思いを込めた。エンブレムにはデフリンピックの公式ロゴマークと同じ赤色、青色、黄色、緑色を用いており、この色はアジア太平洋、ヨーロッパ、全アメリカ、アフリカと4つの地域の連合を表現しているという。

エンブレムは、同大の学生が考案した案の中から投票で選ばれた。今月3日に東京都パラスポーツトレーニングセンター(調布市)で開催されたイベント「2025 年デフリンピック 大会エンブレムをえらぼう!」で3案が示され、中高生らが投票し、決定した。投票したのは都内に在住、在学の中高生65人。同大の学生からそれぞれのデザインの説明を聞き、参加者同士の意見交換を経て投票を行った。全日本ろうあ連盟理事長の石野富志三郎さんは「選手もこのエンブレムを見て、競技を頑張ろうという気持ちが湧き出てくるのではないかと非常に期待している」と述べた。同イベントには、21年のデフリンピックブラジル大会に出場した中野洸介選手(陸上競技・マラソン)と岩渕亜依選手(デフサッカー)も参加し、デフスポーツの魅力や2025 年のデフリンピックへの思いなどを語った。

投票イベントの参加者らからは「一筆書きができるところが素晴らしい」「手の指下のところが繋がりを表しているのが良い」「親指のところが花になっておりユニーク」「一目で手であることがわかり、幼稚園生など小さい子でも描きやすそうなデザイン」などと評価され、採用が決定した。

エンブレム制作は、全日本ろうあ連盟がきこえない人を制作の主役にしようと、筑波技術大学の学生に協力をあおぎ、同大学の総合デザイン学部に所属する1年生から4年生15人が今年5月から制作を開始した。完成した中から校内選考で5案を選んで、同連盟に提出。同連盟が制作要件に基づいた審査や商標など知的財産の事前調査を行い、さらに3案に絞り込んだという。

多田さんは、手の輪や花びらの形、色の配置など、細かい点の調整や修正等も含めて、完成まで約2週間かかったと話す。「(手の形を)どう表現するか、悩みに悩んで、やっとひらめいて作ったので、それを皆さんに選んでいただけたことがうれしい」と喜びを語る。

卒業後は都内の旅行会社に就職する予定。「旅行会社が大切にしていることは、人と人のつながり。私もエンブレムデザインに込めた思いと同様に、学んできたデザインの知恵を活かし、旅行を通して、お客様に喜びや感動などを贈りたい。2年後にデフリンピックが開催されるので、共に働く方やお客様に少しずつデフリンピックの話題を広めていくよう、自ら繋がりを深めていきたい」と夢を語る。

デフリンピックは、ろう者による国際スポーツ大会で、1924年にフランスのパリで第1回大会が始まって以来、4年に一度、夏季と冬季大会が開催されている。2025年は100周年の記念となる25回目の大会で、初の東京開催。会期は11月15日(土)から26日(水)まで。世界70~80カ国・地域から、約3000人の選手が出場する予定。(田中めぐみ)

首都圏のマンション住民 筑波山麓で稲刈り体験

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参加者に稲の刈り方を説明するメンバー=つくば市神郡

筑波山麓グリーンツーリズム推進協議会(つくば市北条)と野村不動産(東京都新宿区)が主催する里山交流イベント「かやぶきの里プロジェクト」が9日、つくば市神郡で開催され、同社が分譲する首都圏のマンション住民が筑波山麓で稲刈りを体験した。

過疎化と高齢化が進む農村と、故郷を持たない都会の子供たちをつなぎ、都市と農村の持続可能な関係を築くことが狙い。2012年から始まり、コロナ禍により3年ぶりの開催となった。

前日の台風13号による大雨で開催が心配されたが、東京、神奈川、千葉、埼玉から家族連れ46人が参加した。同社がマンション住民を対象にはがきで参加者を募った。費用は同社が負担し、マンション住民は無料で体験できる。参加者には後日、2キロの精米が届けられる。5月には50人が参加してすでに田植えを体験している。地元からは、同協議会やNPOつくば環境フォーラムのメンバーら13人が対応にあたった。

会場の「すそみの田んぼ(野村不動産エコ田んぼ)」は、同環境フォーラムが、生き物と共存するコメ作りをしている。当日つくば駅に集合しバスで現地へ。到着後、近くの林に移動し、まず収穫したコメを天日乾燥させる「おだがけ」で使うクヌギの木を伐採し、参加者が枝や葉を取り払った。さらに加工した木材を田んぼまで運び、稲が干せるように組み立てる。準備が出来たら、田んぼで稲刈りを体験。30分ほど作業をし、自然の中で家族ごとに食事をした。午後は、田んぼの生き物探しや虫取り、沢遊び、里山散策などを行った。虫取りは子供たちには稲刈りよりも人気があった。同協議会は、地元の農産物や菓子、ジュース、コーヒーなどを販売し、参加者と交流を図った。

沢遊びや虫取りを体験する参加者

東京都港区から参加した柳川剛教さん(37)は「子供たちに自然環境を体験させたいと申し込んだ。ここは素晴らしい環境に恵まれており、子供たちは稲刈りや昆虫観察を楽しんだ。かつて筑波大学に通っていたのでつくばは懐かしい地。今でも愛着がある。今後このような企画があれば是非また参加したい」と述べた。

同社によると、体験イベントは分譲マンションの住民を招待するという顧客サービスであると共に、企業の社会貢献でもあるという。一方、同協議会は、都会の人に農村の魅力を知ってもらい、将来、定住や就農につながればと期待を持っている。農村に憧れる都市住民は一定数おり、うまくマッチングできればビジネスチャンスになり得ると関係者は話し合った。

同協議会事務局の安藤彗さん(40)は「当初は100人集めようと計画したが、コロナ明けということもって慎重に進めたいという双方の意見で50人ということになった。グリーンツーリズムが目指すものは都市と農村の交流の促進であり、最終的には都会の人が農村部の価値観に気づき、担い手不足に陥っている農業などに目を向けてくれればありがたい」と語る。

土浦花火弁当 お披露目

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今年販売予定の色どり華やかな土浦花火弁当をお披露目する飲食店関係者ら

11月4日開催の「第92回土浦全国花火競技大会」で販売される土浦花火弁当がこのほどお披露目された。地元の飲食店が土浦の食材を使って作った料理を、花火の打ち上げ筒に見立てた3段重ねの容器に詰めた花火大会限定の弁当だ。昨年は飲食の制限があり300個ほどしか販売できなかったが、今年はコロナ禍前と同じ3000個の販売を目指す。

三段重ねの土浦花火弁当。写真は「喜作」の花火弁当で、土浦のレンコン料理のほか、フグとアンコウの唐揚げ、フグの炊き込みご飯などを提供する

今年は日本料理店やレストランなど飲食店6店と1組合が提供する。販売するのは▽ふぐ・あんこうの「喜作」(同市神立中央)▽老舗料亭の「霞月楼」(中央)▽弁当・ケータリング・会食の「さくらガーデン」(宍塚)▽和食の「蓮の庭」(阿見町実穀)▽「寿司の旦兵衛」(大和町)▽つくだ煮とうなぎの「小松屋」(大和町)▽土浦飲食店組合。

土浦のレンコンや霞ケ浦のシラウオなどの地元食材や、常陸牛、アンコウなど茨城の食材をふんだんに使った炊き込みご飯、天ぷら、ローストビーフ、煮物などを提供する。花火大会は肌寒くなる季節に開催されることから、釜めしは観覧席で容器に付いたひもを引っ張ると加熱され熱々の状態で味わうことができるなど心づくしのメニューを用意する。

ずわい蟹、えぼ鯛など豪華な食材を使った「霞月楼」の釜めし。容器に付いているひもを引っ張ると加熱され、熱々の状態で味わうことができる

土浦花火弁当は、飲食店などでつくる「土浦市食のまちづくり推進協議会」(堀越雄二会長が、土浦名物の花火弁当をつくって全国から訪れる見物客に味わってもらおうと2006年から販売を始めた。同弁当部会の嶋田玲子部会長は「食を通して土浦の良さをPRしていきたい」と意気込みを話す。市観光協会の中川喜久治会長は「土浦の食材を使って腕によりをかけて提供する。去年はコロナの制約があったが、今年は何とかコロナ禍前に戻って、土浦のお店の力を全国に発信したい」と話す。

弁当の価格は物価高の影響で昨年より若干高くなり、2000円台から4000円台になる見込みという。

「蓮の庭」の花火弁当。茨城の食材を食べてもらいたいと同店の大手町店や日本橋店でも宣伝したいと力を込める

◆花火弁当は事前予約が必要。花火大会当日、桟敷席近くで受け取ることができる。市観光協会のホームページ(HP)と各飲食店のHPで案内し、事前予約を受け付ける。詳しくは電話029-824-2810(市観光協会)へ。

美浦村の鹿島海軍航空隊跡地《日本一の湖のほとりにある街の話》15

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大山湖畔公園(イラストは筆者)

【コラム・若田部哲】うだるような日差し、頭上にはどこまでも高く澄んだ空と湧き上がる入道雲。「終戦の日も、こんな天気だったのだろうか」。8月半ば、そんなことを考えながら愛車のハンドルを握り、霞ケ浦の水面と稲穂が続く風景を横目に、取材先へと向かいました。

目的地は、この7月より「大山湖畔公園」として一般公開が始まった、美浦村の鹿島海軍航空隊跡地。今回は、同村企画財政課の大竹さんと、園の指定管理を受託している「プロジェクト茨城」の篠田さんに、お話を伺いました。

鹿島海軍航空隊は1938年に発足し、阿見町の予科練とともに第2次世界大戦時の重要拠点としての役割を果たした場所です。終戦後、跡地の一部は東京医科歯科大霞ケ浦分院として使用され、1997年に閉院。その後は草に覆われた状態となり、フィルムコミッションなどで多数利用されつつも、心霊スポットとして不法侵入が絶えない、荒れた状態となっていました。

村は長らく放置されていたこの場所を2016年に国から取得し、当初は敷地内に残存する旧軍事施設を取り壊し公園として整備する予定でした。公園として整備が進まない中、笠間市の筑波海軍航空隊の指定管理も手掛ける「プロジェクト茨城」から村への投げかけにより、保存による利活用の方向性が上がってきたそうです。

保存への舵(かじ)が切られたポイントとしては、この施設が一まとまりの戦争遺跡群として、国内でも最大級のものである点。現在、敷地内には「旧本部庁舎」「汽缶(ボイラー)場」「自力発電所」「自動車車庫」の4つの遺構が残っており、整備された順路に従い各施設を見学させて頂きました。

現在の平和に思いを馳せる拠点

各施設とも、朽ちつつも往時が偲(しの)ばれる造りが印象的です。天井が高く、各所に細かい装飾が施された本部庁舎。堅牢な構造により、外壁は剥がれ落ちつつも、どこか美しさを漂わせる、鉄骨トラス造の汽缶場や発電室。また、巨大なレンガのボイラーは、取材に先立ち画像を見ていたものの、実物は予想を超えた迫力あるたたずまいでした。

最も印象的だったのは、特別に上がらせていただいた本部棟屋上からの眺めです。広大な敷地は草に覆われ、各施設や既に基礎だけになった遺構がその中に点在する光景に、戦争への言いようのない虚無感を禁じえませんでした。

今後の活用については、2024年3月までに村の文化財に登録する予定であり、予科練記念館(阿見町)や筑波海軍航空隊などと広域の連携を図りつつ、遠方からの来客も、地元の方も活用できる方策を探っていきたいとのこと。

老朽化した戦争遺構を、その意義を踏まえ意匠性を維持しつつ、保存・活用することは様々な困難を生じることと思われますが、観光のみならず、現在の平和に思いを馳(は)せる拠点として、ぜひ多くの方にご覧頂きたいスポットです。(土浦市職員)

大山湖畔公園(鹿島海軍航空隊跡地)
▽公開日:土日のみ、午前9時~午後5時(最終入園は午後3時)
▽詳細は【公式】鹿島海軍航空隊跡(大山湖畔公園)をご確認ください。

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

つくばFCレディース伊東選手 デフサッカー世界選手権に挑戦

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手話で「ガンバ」のポーズをとる伊東選手(左)と五十嵐市長=つくば市役所

日本代表キャプテン

女子サッカーなでしこリーグ2部のつくばFCレディースで正ゴールキーパー(GK)を務め、セキショウグループのアドバンス・カーライフサービスに勤務する伊東美和選手(22)がこのほど、デフサッカー女子日本代表に主将として選出された。世界選手権出場を前に8日、五十嵐立青つくば市長を表敬訪問した。

出場するのは23日からマレーシア・クアラルンプールで開催される第4回ろう者サッカー(デフサッカー)世界選手権大会。聴覚障害者を対象とした競技で、選手同士はアイコンタクトや手話などでコミュニケーションをとる。今大会、女子は10カ国が参加。予選リーグで日本は米国、イングランド、ネパール、トルコと同じBグループに配された。

「出場するからには優勝が目標。日の丸を背負う責任と結果が求められる。応援してくれる方々に一番見ていただきたいのは、厳しい状況でも全員で必死に最後まで戦い続ける姿。一人でも多くの人に感動と勇気を与え、子どもたちに日本代表を目指してもらえるようなプレーがしたい」と伊東選手。

世界選手権は新型コロナの影響により延期され、開催は7年ぶり。今回、女子チームは11人制のところ8人しかメンバーが選出されておらず、人数のハンデを背負って戦うことになる。これはデフフットサルワールドカップ(11月10日~、ブラジル・ノヴァペトロポリス)と開催時期が近いことが原因。両方に出場する遠征費がねん出できず、一方に絞らざるを得ない選手が多かったという。

ルール上は最低7人いればゲームが成立するが、当然控え選手はおらず、ケガをしてもピッチから下がるわけにはいかない。「どうしても厳しい時間が長くなると思うが、キャプテンとして常にチームを鼓舞したり、一人一人に声掛けしたりして、チームが一番いい状態で戦えるよう準備していきたい」

栃木県出身。小3でサッカーを始め、中2からGKを務める。宇都宮文星女子高で3年次に全国高校選手権出場、卒業とともにつくばFCに入団。仕事ではDr.Driveアドバンスセルフ吾妻店に勤務し、カーメンテナンスなどに従事する。

つくばFCでは現在4年目。今季は背番号1を背負い、開幕から多くの試合で先発出場を果たしてきた。身長は157センチ。なでしこリーグ1部・2部を合わせ60人ほどのGKがいる中で、最も小柄なクラスに入るという。だが持ち前のキック力とビルドアップ能力で最後方からゲームを組み立てる。伊東選手の蹴るロングフィードがチャンスをつくり出すことも多い。

右耳は3歳のとき突発性難聴を患い、左耳も3年ほど前から聴力が落ち始め、半年前から補聴器を装着する。デフサッカーには昨年7月の代表候補選考会を機に挑戦を決めた。つくばFCの試合でも前座イベントとして、子ども向けのデフサッカー体験会を自ら主催するなどの取り組みもしている。

五十嵐市長は「障害者サッカーの体験会は市でも開催したことがあり、子どもたちの視点が変わって良い影響があると思う。機会があればスケジュールの許す限り参加したい」と話すとともに、大会での健闘を祈り、激励金を伊東さんに手渡した。(池田充雄)

筑波山で「ナラ枯れ」 中腹のコナラ、集団で枯死

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つくば市沼田側から望む筑波山。麓から中腹に赤茶けた部分が目立つ

筑波山でこの夏、まるで紅葉のように赤茶けた樹木が目立つようになり、麓から中腹にあるコナラなどが集団で枯れている。南側の宝篋山でも枯れた樹木を確認することが出来る。筑波山などで活動する市民団体「つくばネイチャークラブ」代表で環境カウンセラーの田中ひとみさんによると「ナラ枯れ」だという。

何本がナラ枯れで枯死したかは不明だ。赤茶けて見える箇所がすべてナラ枯れの被害を受けた樹木かどうかも現時点で分からない。一方、幹が太く、樹齢を重ねた樹木が被害を受けやすいとされており、枯死した樹木は早期に対策を取らないと、翌年以降さらに被害が広がるとされる。筑波山はこれから紅葉シーズンを迎えることから、景観や観光への影響を心配する声もある。

赤茶けて見える部分が広がる筑波山中腹

ナラ枯れは、ナラ類、シイ・カシ類などの樹木が集団で枯れてしまう病気で、全国的に大きな問題になっている。梅雨明け後の7月中旬から8月に発生するとされ、森林病害虫のカシノナガキクイムシ(通称:カシナガ)が引き起こす。カシナガが媒介する病原菌、ナラ菌の作用により、7~8月頃に急速に葉の色が赤褐色に変色し、枯死する。カシナガは、生きている木の幹に直径1.5~2.0ミリの丸い穴をあけて食い入る。その穴からは粉のように細かい木くずが排出され、幹の根元にたまる。1匹で数百個の卵を生むとされ、被害はあっという間に拡大する。

初確認は昨年 筑波山系

県内では2020年につくば市内で確認されたのが最初で、今年5月時点で県内44市町村中31市町村で確認されている。県林業技術センターによると、筑波山系では昨年、朝日トンネル付近で確認されたのが最初という。今年になって急速に筑波山や宝篋山まで広がったかどうかは不明だ。高温少雨の年は被害が多いともいわれる。

つくば市によると、筑波山麓の同市臼井、筑波ふれあいの里で今年、ナラ枯れが確認された。市は32本を伐採し、薬剤によるくん蒸処理を実施した。

葉がすべて茶色になった樹木=筑波ふれあいの里近く

筑波山は水郷筑波国定公園になっており、国有地や私有地などさまざま。市は市有地について、今後ナラ枯れを調査し、今後の対策を検討したいとする。

県林業課はホームページで、ナラ枯れの被害木を放置したり伐倒したままにすると、カシナガが増殖し分散して被害が拡大する恐れがあるため、伐倒後は焼却または薬剤によるくん蒸処理が必要だと呼び掛けている。さらにナラ枯れが発生した森林では、猛毒のキノコ、カエンタケが発生することがあり、誤って食べてしまうと死亡する危険や、触れるだけでも皮膚の炎症をおこすので注意が必要だとしている。

田中代表は「地球温暖化にも間接的な原因がある。冬に死ぬはずのカシナガが越冬してしまい繁殖してしまう。筑波山では標高の低い所で顕著であり、管理されずに放置され大きくなった老木に被害が進んでいる」と話す。(榎田智司)

◆ナラ枯れの過去記事は以下の通り
➡ナラ枯れの脅威! 被害対策奮戦記(上)《宍塚の里山》79(21年7月27日付
➡ナラ枯れの脅威! 被害対応奮戦記(下)《宍塚の里山》80(21年8月28日付
➡先月「ナラ枯れ」調査を行いました 《宍塚の里山》88(22年4月23日付
➡ナラ枯れ対策 子どもたちの活躍《宍塚の里山》97(23年1月28日付

デジタル社会今昔《遊民通信》72

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【コラム・田口哲郎】

前略

デジタルネイティブという言葉はずいぶん定着しました。生まれたときにはすでにIT革命が起こっており、インターネットやパソコンが当たり前にある環境で育った世代を指します。私はデジタルネイティブではありません。インターネットやパソコンが普及して、日常生活で使いはじめたのは、大学生のときです。

大学で課されるレポートはワープロソフトで作成し、プリントアウトして提出していました。インターネットがめずらしく、ネットサーフィンといういろいろなホームページを閲覧する遊びがはやっていて、テレホーダイを利用して何時間もつぶしていました。

いま思うと、なぜあんなに夢中になれたのか不思議です。電子メールにもいちいち感動して、新しいコミュニケーションツールを楽しんで使っていました。そう考えると、情報収集の方法も変わりました。昔はホームページや掲示板(BBS)などでしたが、いまは旧ツイッターなどSNSが主流です。

ITツールが生活を変えた

ふとインターネット、パソコン、携帯電話がなかった時代に思いをはせました。よく引き合いに出されるのは、待ち合わせ方法の変化です。携帯電話がないころは、待ち合わせ場所は細かく決めなければいけませんでした。たとえば、新宿駅東口改札出て、右に何番目の柱のところ、などと。いまはだいたいの場所を決めて、そこに着いたら電話なりメッセージ送信すれば会えます。

ITツールは便利なのですが、便利ゆえに使いこなし方が問われることになります。そうなると、より効率的にとかはやくとか、目的をすばやく的確にこなすことが求められるようになっている気がします。

自分をかえりみても、たとえば出かけるにしても、ただぶらぶらするのではなく、目的を設定して、順路を調べて、よりはやく、より安く移動しようとしてしまいます。こうなりますと、散歩好きを自称する身としてはよくありません。なにもITツールが悪いのではないのです。

要は使い方です。そして使い方を考えるとややこしいので、いっそ使わないことが大切なのかもしれません。このごろ、わけもなく、デジタル社会になる前の世の中にノスタルジーを感じます。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

ベテラン教員にも新たな気付き【不登校生徒の居場所 校内フリースクール】下

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つくば市の校内フリースクール「Sルーム」内の自分のペースで勉強できる学びのスペース。Sルームはパーティションで仕切られ、リラックスできる場と学びの場に分かれている(市教育局学び推進課提供)

伊東誠一さん(仮名、56歳)は、つくば市の公立中学校に今春設置された不登校生徒の居場所「校内フリースクール」の支援員を務める。県南地域の小中学校の教員として教壇に立ち、教頭も務めた。担当教科は理科。思うところがあって今春で学校教員を退いた。その後は放課後児童クラブの指導員になろうかと考えたが、周囲の勧めがあって校内フリースクールの支援員に就いた。

伊東さんが担当する生徒は5人で、このうち3人が常時通学している。登下校の時間や学習する内容、過ごし方は生徒たちの自由意志に任せている。校内フリースクールができたことで、それまで通所していた民間フリースクールを辞めてきた生徒もいるという。

着任し、子どもたちと過ごして分かったことがある。自分の意見をうまく言語化できない子どもたちだからこそ、その話に耳を傾けることの大切さだ。通常の教室では授業中に教員が学習事項を板書して生徒がそれをノートに書き写す。教員にとってはクラス全員が書き写すことは当たり前だが、書き写すことが苦手な子どもは「何が嫌なのか」を聞いてもらえず、級友からは怠けていると見られて学校が嫌いになることがある。「過去の私は子どもの意見をじっくり聞かず、自分主導で子どもたちに勉強を強制していた」と振り返る。

「待つ」ことの大切さにも気づいた。問題が解けない子どもがいたら、考えるヒントを示して答えを考えだすのをじっと待つ。自分は勉強ができないと思い込んでいる子どもほど、答えを見つけ出せたことで達成感を得て自己肯定感が高まる。同時に「考える力」をつけることになる。忍耐強く待てるようになった伊東さんだが、教えることが当たり前の教員にとって待つより教えたくなってしまう。ベテラン教員になるほど待つのは難しいのではないかと伊東さんはいう。

さらに、人と関わるのが苦手な子どもを孤立させないためにどうしたらいいかと考えたが、取り越し苦労だった。女子生徒2人が意気投合して楽しそうに過ごしている。分かり合える友だちがいて安心できる人間関係があれば、学校は楽しくなる。生きづらさを抱えている子どもたちにとって、校内フリースクールは育ちと学びの選択肢の一つとして必要と伊東さんは言い切る。

中学の教員だったころ、高校受験を控えた中3の2学期から不登校になった生徒の担任をしていたことがある。不登校の理由を聞いたがつかみどころがなく、家庭訪問や保護者を交えて話をしたが良い結果は得られなかった。生徒は卒業証書を校長室で受け取り、私立高校に進んだ。

今、校内フリースクールを担当したことで子どもたちの学校に行けない悩みや苦しさが分かるようになり、あの時、生徒をもっと見てやっていれば悩んでいたことに気が付いたと悔いる。「子どもの気持ちを表面的にしか分かってなかった。今の私なら、子どもの視点に立ってもっと出来ることがあった」と話した。

支援員の役割は、子どもたちがストレスから解放される居心地の良い場所づくりだと思っているという。登校してくる子どもたちを笑顔で迎え、話を聞いたり、分からないところがあれば一緒に勉強する。子どもたちにとって「いつも校内フリースクールにいるおじさんでいい」と話す。そんな伊東さんに生徒が掛けた言葉が「先生、来年も担任でいてくれるよね」。子どもたちが望むなら支援員を続けていきたいと伊東さんはいう。

子どもの第3の居場所として全国に広がってきたフリースクールは全国的にはNPOなど民間団体が運営しているものが多い。民間のフリースクールは所在地が遠かったり、月謝など経済的負担で利用できる児童生徒はごく少数に限られるケースもある。一方、自治体が公立学校の空き教室を活用して整備した校内フリースクールは自宅から通学でき、授業料がかからない上に給食も食べることができる。また専任職員(支援員)が中核となって児童生徒の状況や学習内容を把握し、個々に寄り添った支援も期待できる。(橋立多美)

終わり