水曜日, 4月 1, 2026
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《吾妻カガミ》89 つくば市議会の愚かな選択

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】前回のコラム(8月17日掲載)では、4年前の市長選挙で五十嵐さんが掲げた看板公約「運動公園問題の完全解決」について検証しました。今回はその関連ということで、この問題のプロセスで節目になった市議会の動きを取り上げます。結論を先に言ってしまうと、議会は「愚かな選択をした」ということです。

運動公園問題を整理すると、市原前市長が計画(陸上競技場など3施設をUR都市機構から買った土地に305億円かけて建設)を発表多額の建設費に反対する市民運動(住民投票を求める署名活動)が活発化議会が住民投票実施とその要領を可決建設反対が多数を占め前市長は計画の推進を断念「運動公園問題の完全解決」を目玉公約に掲げた五十嵐市長が誕生それから4年経った今「問題の完全解決」は完全未解決―といった流れになります。

こういった経緯から、運動公園問題は、市民の反応に気落ちして4期目への出馬を断念した前市長にとっても、前回選挙で公約の目玉にして当選した現市長にとっても、とても重い案件であった(ある)ことが分かります。前市長は不出馬で失政の責任を取りましたが、看板公約を実現できなかった五十嵐さんはどうするのでしょうか?

現実策を封じた2択住民投票

話がそれましたので元に戻します。節目の動きは、2015年5月12日、「議会が住民投票実施とその要領を可決」した際に起きました。投票用紙の設問を、執行部が推す3択(計画に賛成、反対、見直し)にするか、市議側が提案した2択(賛成、反対)にするかで、議会が紛糾。採決の結果、2択方式が採用されました。これによって、当初の運動公園計画を見直すという、現実策を探る議論は封じられたわけです。

ところが今になって、公式競技ができる陸上競技場が欲しい、空き地になっている運動公園予定地に造ったらどうか―といった声が市議や市民の間から出ています。これは、当初計画(予定地に公認陸上競技場+サッカー兼ラクビー場+総合体育館を建設)のスケールダウン(予定地に陸上競技場だけを建設)ですから、3択の「見直し」そのものです。

もし住民投票が3択で実施されていれば、見直し+賛成が多数を占め、優先度が高かった陸上競技場はすでに完成、今ごろ利用されていたのではないでしょうか。5年前の議会は、スポーツ施設の是非という議会本来の仕事よりも、反市長会派(グループ)の政治的な思惑に支配され、賢さに欠ける選択をしたことになります。この愚かな行動により、市民の利益が大きく損なわれました。(経済ジャーナリスト)

<参考:市議の投票行動>

▼2択方式に賛成した現市議:久保谷孝夫(自民つくばクラブ・新しい風)、五頭泰誠(同)、小久保貴史(同)、神谷大蔵(同)、黒田健祐(同)、北口ひとみ(つくば・市民ネットワーク)、宇野信子(同)、皆川幸枝(同)、滝口隆一(日本共産党)、橋本佳子(同)、金子和雄(新社会党)、塩田尚(山中八策の会)=敬称略

▼3択方式に賛成した現市議:塚本洋二(つくば市政クラブ)、柳沢逸夫(同)、鈴木富士雄(同)、高野進(同)、須藤光明(同)、大久保勝弘(同)、小野泰宏(公明党)、浜中勝美(同)、山本美和(同)、木村清隆(つくば政清会)=同

《霞月楼コレクション》7 中村不折 洋画・書・挿絵・収集などに多大な業績

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霞月楼

「これぞ不折流」

【池田充雄】霞月楼に「霞月」の書を残した中村不折(なかむら・ふせつ)を紹介する。落款には大正丁巳(1917年)二月との年紀があるが、残念ながら由緒などは伝わっていない。

額「霞月」1917年 霞月楼所蔵

「霞月」の書について、不折コレクションを収蔵する台東区立書道博物館主任研究員の中村信宏さんは「これぞ不折流という、特徴がよく出た作品」と述べ、「書の本場である中国には、ただ美しく書けばいいというものではなく、大事なのは気迫であり、それがあれば自然とまとまりが出るものだという理念がある。不折の字は決して美しくはないが、一度見たら忘れられない風格を備えている」と解説している。

不折が霞月楼を知ったのは、1907(明治40)年に東京朝日新聞の仕事で筑波山を訪れた際だろうか。あるいは小川芋銭の線もあり得る。本多錦吉郎の死後、芋銭ら門下生が建てた顕彰碑には不折が銘を書き、書道博物館には合作の「猫の図」が残るなど、2人の交遊を示す証拠もある。1907年や1917年ではなさそうだが、何かの機会に霞月楼で酒を酌み交わしていないとも限らない。

新聞の挿絵画家として頭角現す

中村不折 1937年、72歳 台東区立書道博物館所蔵

不折は1866(慶応2)年、江戸京橋東湊町(現東京都中央区新川)で生まれた。本名鈼太郎。一家は1870(明治3)年、維新の混乱を避けて高遠(現長野県伊那市)へ帰郷。不折は呉服店や菓子店で働きながら漢籍・南画・書を学び、1884(明治17)年からは西高遠学校の代用教員などを務める。

1887(明治20)年上京し、小山正太郎の「不同舎」に入塾、明治美術会の展覧会で作品発表を重ねる。同会は小山や浅井忠、松岡寿、本多錦吉郎らが1889(明治22)年に創立した日本初の洋画団体で、二世五姓田芳柳も創立会員の一人だった。

生計のため教科書や新聞の挿絵などを描き、1895(明治28)年には日本新聞社の記者として日清戦争に従軍。中国各地や朝鮮半島を巡り、「龍門二十品」や「淳化閣帖」の拓本など書の古典とされる貴重な資料を持ち帰った。

日本新聞社では正岡子規と出会い、その縁で小説家らとも親交を深め、島崎藤村の「若菜集」や伊藤左千夫の「野菊の墓」、あるいは雑誌「新小説」「ホトトギス」「馬酔木」などの装丁・挿絵も数多く手掛けた。夏目漱石は「吾輩は猫である」が発売後わずか20日で初版売り切れとなり、「不折の描いた軽妙な挿絵のおかげ」と感謝する手紙を送っている。

夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』上巻(挿画・中村不折、装丁・橋口五葉)1905年、大蔵書店・服部書店 台東区立書道博物館所蔵

渡仏を経て洋画家として大成

1901(明治34)年にはフランスへ自費留学し、ジャン=ポール・ローランスから人物画を徹底して学ぶほか、彫刻家オーギュスト・ロダンのアトリエなども訪問し、イタリアやイギリスにも足を伸ばした。また、不同舎の後輩で同じ長野県人の荻原碌山がパリに来ると親しく世話をした。

1905(明治38)年に帰国し、明治美術会の後身である太平洋画会に所属。東洋の歴史画を目指し、日本や中国の故事を題材にした作品を相次いで発表した。代表作の「建国剏業」では日本の建国神話を、西洋流の立体的な画面構成と、緻密かつ力強い人体表現で描き、1907(明治40)年の東京勧業博覧会で一等金牌を受賞している。

同年から始まった文展では審査委員の一人に任命され、1919(大正8)年に帝国美術院が創設されると初代会員13人中に名を連ねた。また太平洋画会研究所では人体デッサンや解剖学を指導し、2000人以上の生徒を世に送り出した。1929(昭和4)年には太平洋美術学校への改組に伴い、初代校長に就任している。

書家・不折、衝撃のデビュー飾る

洋画と並行して書の研究にも精進し、特に中国南北朝時代の北派の書を基底に、「不折流」と呼ばれる大胆で斬新な書風を展開した。その代表作が1908(明治41)年に発表した「龍眠帖」で、当時の書道界に驚きをもって迎えられ、河東碧梧桐や森鴎外ら熱心な支持者も多かった。

「龍眠帖」1908年、木版印刷折本 台東区立書道博物館所蔵

不折の書は「日本盛」「神州一味噌」「筆匠平安堂」など多くの商品名や商標にも用いられた。特に「新宿中村屋」の看板文字はよく知られている。不折と中村屋の縁は荻原碌山が結んだようだ。碌山は中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻と郷里の穂高村の頃から親しく、帰国後は中村屋の裏にアトリエを構え、彼を慕って若い芸術家たちが集まるようになった。

中村屋サロンの中心人物の一人に中村彝がいる。彼も太平洋画会研究所では不折の教え子だった。碌山は1910(明治43)年に30歳で早世、彝も1924(大正13)年に37歳で世を去り、不折は悲嘆の中で彼らの墓碑銘を書いた。ほかに伊藤左千夫や森鴎外の墓も彼の手による。

収集の精華を見せる書道博物館

中国巡遊から始まった不折の書道研究は生涯に及んだ。40余年にわたり日中の書道史上重要な資料を集め続け、1936(昭和11)年には書道博物館を開館。収蔵品は重要文化財12点、重要美術品5点を含む約1万6000点に及んだ。これらは自身の書や日本画の潤筆料を原資とし、全くの独力で成し遂げられた。

不折は1943(昭和18)年に78歳で他界するが、博物館は1945(昭和20)年の東京大空襲を鉄筋コンクリートの躯体で耐え、戦後も遺族の手で守り抜かれた。1995(平成7)年に台東区へ寄贈されると、中村不折記念館を併設し、2000(平成12)年に台東区立書道博物館として再開館した。

●取材協力・参考資料 台東区立書道博物館▽中村不折自伝「僕の歩いた道」(2016年、台東区立書道博物館)▽「中村不折のすべて」(2020年、台東区立書道博物館)▽新宿中村屋ウェブサイト

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

《つくば法律日記》11 つくば市の2つのメディア

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】長引くコロナウィルス禍で、相撲、野球、サッカーなどを現場で見ることは制約を受けています。また、米大統領選挙、つくば市長・市議選挙、自民党総裁選挙なども、コロナ禍の影響を受け、民主主義もダメージを受けるかと心配していましたが、現状に危機感を覚える人が多く、いろいろな議論が起きている気はしています。

つくば市長選挙については、出馬に意欲を示していた方がコロナ禍を理由に、立候補を止めると聞いたときは、「つくばの民主主義も疫病の前に敗北した」と、落胆しました。しかし、8月末、現市長に挑戦する方が現れ、議論が活性化するのではと、期待が持てるようになりました。

自民党総裁選では、世論調査で一番人気がある人が、総裁になりそうもないというのはどうかと思いますが、それが政党政治であり、メリット・デメリットがありながら、日本が選択した制度です。一番人気の人が総裁になりそうもないことが、かえって国民の関心を高めているところもあるようです。

コロナ禍の閉塞感に挑む

テレビやパソコンの前で現状を批判することは簡単ですが、僕としては、現状を打開しようと努力している人がいる中、自分は何ができているだろうと考えると、反省することばかりです。

今は、SNSを通して政治的な発言が容易にできる世の中です。SNSはファクトという点で劣ってはいます。しかし、知人がSNSでまちの問題点を指摘、それまで気づかずにいた問題を知ったときには、SNSが無力でないと感じました。

宣伝するわけではありませんが、つくばには「NEWSつくば」という、経験豊富な記者を抱える媒体があります。また、宣伝になるかもしれませんが、僕が代表を務めている「ラヂオつくば」は「NEWSつくば」と提携して、市に関連するニュースを流しています。

「Withコロナ」であっても、こういった媒体に接することは通常通りできますので、僕ができることがあるとすれば、これらの媒体を活かして、つくば市政の新鮮かつ正確な情報を流すことかもしれないと思っています。つくばの市長・市議選挙では、「ラヂオつくば」で特別番組を設け、コロナ禍による閉塞感に挑もうと思っています。(弁護士)

3密回避の「ソトカフェ」 つくばセンター広場で飲食店支援

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ソファやハンモックで飲食ができる客席を設けた「ソトカフェ」=つくばセンター広場

【車谷郁実】3密を避け市民の憩いの場をつくりつつ、コロナ禍で苦境にある市内の飲食店を支援しようという屋外営業の「ソトカフェ」が5日、つくばセンター広場(つくば市吾妻)で始まった。ソファやハンモックで飲食ができる客席を100席設けたオープンテラスに、市内の飲食店11店舗が出店、テントやキッチンカーで営業する企画で、初日は多くの家族連れでにぎわった。

国土交通省がテイクアウトやテラス営業のための道路占用の許可基準を緩和し、飲食店に接続する路端の利用や飲食提供の施設の仮設が可能になったのを受けて、つくば市が企画した。

6月下旬から出店者の募集を始め、市内の和食系居酒屋や洋風バー、ベトナムやブラジル料理など10の飲食店とバルーンの販売店の出店が決まった。市はコロナ禍で厳しい経営状況にある飲食店を早急に支援したいと企画から2カ月でイベント開始にこぎつけた。市内でテイクアウトの代行サービスを行う「リアッタイーツ」とも連携し、つくばセンター広場前に商品を配達できるようにした。

新型コロナの感染拡大から、同市でも先月クラスターが発生するなど、多くの飲食店が厳しい経営状況にある。ソトカフェに参加している「居酒屋みやま」でも売り上げが激減。8月の売り上げは昨年の2~3割程度だったという。社長の髙橋賢司さん(44)は「イベントの話を聞いたとき、助かったと思った。不安しかなかったが少し希望が見えた」と感染リスクが軽減される屋外での営業に期待を寄せる。

利用者からも屋外スペースの活用を歓迎する声が上がった。土浦市から小学生の子どもたちを連れて友人家族とソトカフェを訪れた田谷沙織さん(33)は「距離を保ちながら子どもたちとゆったりできるのでありがたい」と喜んだ。

木陰になっている客席でそれぞれの時間を過ごす利用者たち=同

主催したつくば市市街地振興課の渋谷亘さんは「困っている飲食店の助けになればと思う。市民の皆さんにも感染リスクの少ないところで飲食を楽しんでほしい」と話す。

イベントは来年3月31日まで。金・土・日曜日のみ営業するオープンテラスの飲食店もある。今後もテーブルの間隔を3メートル以上開ける、アルコール消毒を設置する、などの感染対策を講じていく予定だ。(くるまだに・いくみ=筑波大学社会国際学群社会学類1年、ドットジェイピーインターン生)

【気分爽快 りんりんロード】1 「自分の世界広がる」髙山了さん

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筑波山をバックにりんりんロードを走る髙山さん(先頭)

秋はサイクリングシーズン。コロナ禍で、密にならない身近な野外レジャーが注目されている折、「つくば霞ケ浦りんりんロード」をさっそうと走れば気分もリフレッシュできそう。昨年ナショナルサイクルルートに指定され、モデルコースは充実、レンタサイクルもある。日々、りんりんロードと周辺を走る地元の自転車愛好家に、魅力を聞いた。

ポタリングがおもしろい

【田中めぐみ】土浦市在住の髙山了(さとる)さん(73)は、「普段の足慣らし」として日常的にりんりんロードを走っている。

定年退職後、60歳から10年かけて、奈良からローマまでのシルクロード約2万キロを自転車で横断した経験がある。以前から日本の歴史や文化のルーツをたどりたいと考え、定年になり、シルクロードを自転車旅行する愛好サークル「シルクロード雑学大学」(事務局・東京)に所属し、仲間と共に走破した。

次の新たな目標は、日本の海岸線を一周すること。自らを「鉄っちゃん(鉄道ファン)でもある」という髙山さんは、自転車と鉄道を組み合わせて一周する計画を立てている。

日頃走る、りんりんロードの魅力について「りんりんロードを軸に、気ままに脇道に入ってポタリングするのがおもしろい」と話す。「ポタリング」は、目的地を特に定めることなく自転車でめぐる散歩のこと。気ままにサイクリングすると、思いもよらぬ発見があるという。

例えば、土浦に前方後円墳があることを知っているだろうか。りんりんロードの虫掛休憩所からほど近い「常名天神山古墳」(土浦市常名)で、なんと全長約70メートルの前方後円墳が見られる。

りんりんロードを外れ、筑波山麓方面に足を延ばすと行き当たる「六所皇大神宮霊跡」(つくば市臼井)も、髙山さんには発見したばかりの興味深いスポットだ。かつて筑波山神社の里宮とされ、現在は廃社となっている。往時どのような人たちがどのように神様を拝んでいたのか、時の流れに思いをはせるという。

六所皇大神宮霊跡にある磐座=つくば市臼井(髙山さん撮影)

「平沢官衙(かんが)遺跡」(同市平沢)で立ち止まってみるのも気持ちがいい。広々とした開放感を満喫できる。北条から筑波山への参詣道である「つくば道」は日本の道百選にも選出されており、古の情緒を感じるスポットだ。

都内から訪れた人を髙山さんが案内すると「こんなところがあったとは」と皆一様に感動し、必ず喜んでくれるそうだ。

りんりんロードを霞ケ浦湖岸沿いに下り美浦村まで足を伸ばせば、初めて日本人の手によって発掘調査が行われ「日本考古学の原点」とされる「陸平(おかだいら)貝塚」がある。史跡・文化に興味ある人におすすめのスポットが満載だ。

奈良・平安時代におかれた郡役所の跡とされる平沢官衙遺跡(髙山さん撮影)

人も歩けば望に当たる

地元の人との交流も髙山さんの楽しみのひとつになっている。田植えの季節には農作業する人に声を掛け、田植え機に詳しくなったそう。土浦出身だが「地元でも知らないところがまだまだたくさんあり、りんりんロードは何度走っても飽きることがない」という。

「犬も歩けば棒に当たる」をもじり、「人も歩けば望に当たる」と笑う。望とは新しい希望という意味だ。地域の魅力を再発見することで、自分の世界が広がっていくのを感じると話す。髙山さんの言うように、風の向くまま気の向くままに自転車で行けば、新しい希望を見つけられそうだ。

初心者はすぐ買わない

「りんりんロードはよく整備されていて、都内の有名サイクリングロードと比べても格段に走りやすい」という。比較的空いているため初心者にも安全だが、いくつか注意点があるそうだ。

まず、自転車を始めるからと言ってすぐに買わないこと。自転車には様々な種類があり重さや値段もピンキリ。自分がどのように自転車に乗るのか、スタイルが定まらないうちは中古車を買って試したり、レンタサイクルを活用したりして様子を見ることが大事だ。

走り方のスタイルが定まったら、経験者や自転車屋さんに相談しながらどのような自転車が合うか吟味するとよい。

自宅に駐車スペースがない場合は折りたためる小径車もおすすめだ。また、けが防止のためにヘルメットを着用し、服装は長袖長ズボンとし、肌を出さないこと。ハンドルの滑り止め用の手袋をはめることも必要だ。

忘れがちなのが保険加入。対人事故の可能性も考え、自転車保険に入っておくことも忘れずに。サドルの高さ調整やペダルを踏む際ひざを平行に保つこと、ブレーキのかけ方などにもコツがある。初心者はけがにつながらないようよく勉強してから始めたい。髙山さんは「自転車の楽しみ方はいろいろ。人それぞれ見つけてほしい」と話した。(続く)

《続・気軽にSOS》68 猫とのコミュニケーション

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【コラム・浅井和幸】私は常日ごろから、コミュニケーションが大事と伝えています。日常の人間関係でも何かの支援でも、相互の気持ちを伝達し合うこと、感じ取ろうとすることが大切と考えています。

事実と推測を一緒くたにして過ごしていることは多いものです。あの人は私を嫌っているとか、私の気持ちを相手は酌(く)んで動くべきだ、という思い込みで日常生活を送りがちです。また支援にしても、良い支援と悪い支援、良い言葉かけと悪い言葉かけに分けて決めつけ、相手がどのように感じているかは二の次、三の次になしてしまうこともしばしば、というより、思い込みで動いていることの方が多いのです。

それは人間同士だけでなく、猫と人間でも同じです。浅井家だけに通じる言葉、「みー触り」「らえる触り」「とまと触り」というものがあります。「みー」「らえる」「とまと」は、浅井家にいる(いた)歴代の猫です。

さば白柄のオス猫「みー」。甘えん坊で、いつも人間にベタベタとくっついてきます。遠くにいても呼べば寄ってくるし、玄関まで人間を出迎えたりします。この猫は、ガシガシ強めに撫(な)でたり、軽く肩叩きをするかのように叩くととても喜びます。この撫で方を「みー触り」と呼んでいます。

猫の気持ちと距離を測りながら

「みー」よりも、一回り大きなスモーク柄のメス猫「らえる」。洗濯機や机の上に乗ると、体当たりをするように甘えてきます。しかし、普段は遠巻きにこちらを見ていました。それだけ強く当たってくるのであれば、やっぱり「みー触り」が良いだろうと思って触ろうとすると、逃げていきます。

いわゆる普通の猫に対する撫で方でも、体を震わせるようにして逃げていきました。ある時、「らえる」と名前を呼びながら、体毛に触るかどうかの優しく触ってみると、逃げることが少なくなりました。

今まで普通だと思って触っていたやり方では、「らえる」にとっては強すぎて嫌だったのです。ある団体に保護されていた「らえる」。過去に、ちょっと嫌な経験もあったのでしょう。若干の人間に対する不信感があったのではないかと思います。この「らえる触り」を繰り返すうちに距離が縮まり、コツはありますが、今ではもう少し強めに触っても逃げなくなりました。

それ以外に、三毛猫(もちろんメス)の「とまと」。ある程度、どのような触り方でも喜ぶのですが、手のひらを押し当てるようにして、ゆっくり震わせるようにすると、落ち着いて寝転がります。これが「とまと触り」。

ある農場に、乳離れするかしないかのうちに捨てられていた「とまと」。カラスに襲われていたところを、その農場主に保護されました。もしかしたら、もっと恐ろしい体験もしていたかもしれません。きっと、大きな面積で触れられることで安心感があったのでしょう。

もちろんこれらは、様々な試行錯誤、猫の反応を見ながら接しているうちに見つけた方法です。少しずつ猫の気持ちと距離を測りながら。(精神保健福祉士)

高校生ボランティアが元気を発信 土浦駅前・県南生涯学習センター

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企画担当をした杉浦彰子さん(左)と生天目咲弥さん=県南生涯学習センター

【伊藤悦子】日ごろ高校生ボランティアに、学習と活動の場を提供している茨城県県南生涯学習センター(土浦市大和町)が、withコロナの時代に新基軸を打ち出した。まずはビデオ会議ツールを利用した「ヤングボランティアオンラインセミナー」を開催したところ、従来のボランティア講座を大幅に上回る参加者を集め、弾みをつけて次なる発信に歩を進めている。

同セミナーは8月30日、オンライン開催した。新型コロナの影響から、問い合わせがあっても高校生にボランティア活動の場を提供できない状態で同センターは対応に苦慮。2012年から行ってきた高校生向けに行ってきたボランティア講座の開催も困難になっていた。

今回は、講師に『旅キャリ』代表武田直樹さん、ゲストスピーカーにタイ在住の森本薫子さん、筑波大学学生グループ盆LIVE実行委員会を招いた。オンラインにすることで、タイに住むゲストスピーカーとも中継を繋ぐことができた。参加した高校生は73人。昨年度対面で行った講座の32人を倍以上上回った。企画を担当した同センターの杉浦彰子さんによれば、「オンラインにしたことで守谷市などからも参加があった」そうだ。

講座に参加した生徒たちからは「オンラインセミナーは初めての経験でとても貴重な時間を過ごせた」「興味深い話がたくさん聞けたので、また機会があったら参加したい。ボランティア活動にも参加してみようと思う」などの感想が寄せられているという。

高校生が作るマスクケース介しQ&A

「オンライン講座に参加して話を聞いて面白かっただけでなく、こんなときだからこそできるボランティア活動をしてもらいたい」と杉浦さんは次の手を打つ。「土浦駅から元気発信プロジェクト」の企画だ。

オンライン講座に参加した生徒が、自宅でクリアファイルを使ったマスクケースを1人7、8個ずつ、合計400個を作成する。マスクケースには高校生からのメッセージとQRコードが付いており、読み取ると同センターのサイト、夢を語る高校生と応援する大人の非対面の対話の場「夢追(ゆめつい)Yume-tui」につながるようになっている。

高校生のメッセージとQRコードが付いたマスクケース

サイトには、「高校生から大人への質問」が匿名で掲載されており、読んだ大人も匿名で回答することができる。同センターが大人からの回答をサイトに掲載することで、高校生が読むことができる。直接は会わなくても「高校生は大人に質問をする、大人は質問に答えることができる」という仕組み。

杉浦さんは「会えなくても土浦駅前から元気を発信したい、こういうときでも夢を語り合っていける環境を作りたいと考えた。高校生が自分にロールモデルになりそうな大人を見つける機会にしたい」と意気込む。

マスクケースは駅ビル「プレイアトレ土浦」(同市有明町)3階、ステーションロビーのカフェ「SLOW JET COFFEE Cookie(スロージェットコーヒークッキー)」に9月18日から設置する。「レストランなので、マスクケースがあると便利だと思う。目にしたらぜひ手に取ってQRコードも読み取って欲しい。高校生のメッセージを読んで元気になってもらえたら」と語っている。

経済効果5億円突破 2019年度県内ロケ 作品数は減少

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NHK連続テレビ小説「エール」で東京帝国音楽学校の校舎となった土浦一高旧本館㊧とバラエティー番組などの撮影に使われた旧筑波東中学校

【山崎実】茨城県フィルムコミッション推進室(FC)は、2019年度の県内ロケ支援実績をまとめた。作品数、撮影日数は前年度より減少したが、経済波及効果は増加して5億円を突破した。

19年度のロケ支援作品数は515件(18年度は606件)で、ロケ延べ日数は1253日(同1318日)、経済波及効果の推計額は5億1000万円(同4億5000万円)だった。

映画やドラマの主なロケ支援作品は▽NHK連続テレビ小説「エール」(ロケ地は土浦市や水戸市など)▽同大河ドラマ「麒麟がくる」(常陸大宮市、県北)▽同ドラマ「少年寅次郎」(常陸大宮市)など。

ほかに、▽7月に亡くなった三浦春馬さんが主演のフジテレビ系ドラマ「TWO WEEKS」(土浦市)▽テレビ朝日の「仮面ライダー ゼロワン」(水戸市)▽北川景子さんなどが出演した映画「スマホを落としただけなのに」(県央)▽佐藤健さん主演の映画「ひとよ」(大洗町、神栖市)▽アニメを実写映画化した「映像研には手を出すな!」(笠間市、水戸市、美浦村)ーなどがあり、延べ約1万6000人の県民がボランティアエキストラとして映画やドラマ246作品に参加した。

旧筑波東中が5位

利用頻度の高いロケ地のベスト10は、①筑波海軍航空隊記念館/県立こころの医療センター敷地(笠間市)②採石場(常陸大宮市)③袋田の滝(大子町)④旧筑波東中学校(つくば市)⑤猿島環境センター(境町)⑥茨城空港(小美玉市)⑦大洗海岸(大洗町)⑧自然散策の森(つくばみらい市)⑨水戸赤十字病院(水戸市)⑩茨城県庁・議会棟(同)の順。

県FC推進室が2002年に設置されて以来、17年間の支援作品は累計7023件となり、ロケ支援推計7000作品を上回った。経済波及効果の推計額も累計で約83億2000万円に上っている。

すでにFCが設立されているのは34市町村。現在、設立を検討しているのは、下妻、坂東、かすみがうら、那珂市と茨城町の5市町という。

【つくば/都市と文化】1 建築博物都市・つくば

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「つくば建築フォトファイル」つくば建築研究会で取り扱い

【鴨志田隆之】つくば市、少し限定して筑波研究学園都市内には、すでに改築、解体され現存していない建物も含めて、実に多種多様で大量の公共建築が林立する。磯崎新設計によるつくばセンタービルをはじめ、つくばカピオ(谷口吉生設計)、つくば国際会議場(坂倉建築研究所)、つくば文化アルス(石本建築事務所)、松見公園展望塔・レストハウス(菊竹清訓設計)、筑波新都市記念館・洞峰公園体育館(大高正人設計)など。

研究学園都市の開発を主に手掛けたのは、現在のUR都市機構(都市再生機構、日本住宅公団~住宅・都市整備公団が前身)と国土交通省(建設省)の出先機関、筑波大学(施設部)などだった。個々の建築物は都市の森の中に埋もれて久しいが、公団では自ら担当した建物だけでなく、建設省や各研究機関の建築についてもデータベースを残している。この資料は90年代後半の建築記録で内部資料としてまとめられたが、後にNPOが立ち上げられ、つくば建築研究会として「つくば建築フォトファイル」が2005年に出版された。つくばエクスプレス(TX)開業に合わせて、つくばの建築と街のガイドブックとしてまとめられており、現在でも入手可能だ。

106の建築物を掲載、800点のカラー写真や図版、300ページを超えるボリュームは、手軽に持ち歩くにはいささか重さを感じるが、公共、研究、住宅などのジャンルごとに紹介される建物それぞれが、これほど個性を放っていたのかと再認識させられる。

同書を編集したつくば建築研究会の若柳綾子理事に聞くと、「私の夫(若柳幹郎さん)が生前、前身のデータベースづくりを公団から依頼された。当初は内部資料でしたが、後の時代に向けて一般市民にも販売できるものとして考えられていたようです。若柳建築事務所とともにこの仕事を私とNPOが引き継ぎ、作り上げたものです。建築探訪ツアーなども展開してきました」と経緯を話してくれた。

いま、この書籍を紹介する理由は、膨大な建築作品集とともに収録されている土肥博至さん(住宅公団出身、筑波大学教授を経て神戸芸術工科大学で学長を務めた)と故・大高正人さん(大高建築設計事務所を率い各地の建築設計のほか、全国のニュータウン開発に参画)の対談にある。2人とも、建築家、都市計画家として研究学園都市のデザインに関わり、建築も残した人物だ。

対談の時点で都市は概成(1979年度、43 の教育・試験研究機関等の移転完了をもって学園都市建設は概ね完了した)しており、つくば市合併を経て、まちづくりはTX開業と沿線開発による市街地形成という新しい局面に移っていた。「もはやどこがどうだかわからなくなった」「まちは変わるもの。変われなければ沈滞する」と対話している。

彼らの展望通り、研究学園都市は変貌を続けている。しかし変化の仕方に魅力があるかどうかは、住まい、訪れる人々それぞれの受け止める印象で異なるだろう。コロナ禍によって外出も思うようにならない日々、この建築フォトファイルを再読すると、つくばの街と樹々に埋もれた106件もの建築(掲載点数)をあらためて俯瞰(ふかん)することができる。(続く、全5回シリーズ、不定期掲載)

「つくば建築フォトファイル」(変形B5判、370ページ、本体価格2381円+税)つくば建築研究会で取り扱い中(通信販売のみ、電話029-886-8039)http://tsukuba-arch.org/?page_id=12

常陸牛に続きヒラメも 給食に県産メニュー

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写真はイメージ(土浦市の学校給食試食メニュー)

【山崎実】4日開会の県議会第3回定例会には、コロナ禍の影響で需要が落ち込んでいる茨城県産水産物の消費拡大を目的とする学校給食提供緊急対策事業の予算が提案される。

常陸牛に続いて、県内の全小中学校の学校給食に、ヒラメ、イワシ、シラス、サバ類など、茨城を代表する水産物のメニューを月1回程度、提供する試みだ。

補助率は児童生徒1人1回当たり1000円で、漁業者や養殖業者、水産加工業者などの経営安定に寄与する狙いもある。予算額は1億1000万円。

従来は、魚種をタイやブリなど養殖魚に限って国の補助事業で行われてきた。その後、国の補助がヒラメ、イワシ等へも緩和されたことで、全県規模で学校給食に提供する。

需要や出荷の低迷が続く霞ケ浦の養殖ゴイも給食の対象魚種に加えており、現在、各小中学校に、希望魚種の調査を実施している。

県漁政課は「各学校に食材を提供することで、児童生徒の県産品に対する理解が深まれば」と話している。11月ごろを目途にスタートさせたい意向だ。

《くずかごの唄》68 関東大震災 PTSDになった母

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】私は母から9月1日の関東大震災の時の話を耳にタコができるほど聞かされて育った。母は20歳、妊娠8カ月だった。昼御飯を食べている時、今まで経験したことのないほど揺れ、老齢で目の見えなくなった姑(しゅうとめ)の手を引いて、父と3人で京橋の新富町から皇居方面に避難することにしたという。

ご飯は後で食べるつもりで持って出た。あいにくお昼時とあって、どこの家でもかまどに火を焚いていたからたまらない。木造住宅の崩壊した家から煙が出て、あれよあれよという間に、点々と火が広がってしまったという。

15分間くらい歩く間に、火事はますますひどくなって、銀座の通りを横切る時、風が熱風となって左右から吹き付けてくるので、とても怖かったという。

やっとの思いで皇居前広場に着いて、さて、のどが渇いて水が飲みたいと思ったが水がない。井戸水は朝鮮の人が毒を投入したので飲んではいけないという「おふれ」まがいの「噂」が広がって、水が飲めなかったのがとても苦しかったという。

3日間そこで野宿し、父が歩いて探し回って、友達の亀山さんの目黒の家が焼けないで残っていたので、その家にしばらくお世話になり、芝公園の中に臨時の産院が出来たので、そこで兄を出産した。可哀そうに、兄の戸籍謄本には、「出生地 芝公園内2号地」と書かれていた。

怖かった震災時の話を何回も

震災で京橋区の98%が焼失。焼け出された人たちは、当時は郊外の、自然の豊かな阿佐ヶ谷や荻窪に移り住んだ。

父は子供が大好きで、慶應の学生時代から「藤友会」という、今でいう子供文庫みたいな塾を造って、近所の子供たちに、勉強や水泳を教えていたという。父は早く次の子供が欲しかったらしいが、20歳で震災避難と出産を体験した母が、今でいえばPTSD(心的外傷後ストレス障害)みたいな精神状態で、不安定で、なかなか子供が出来なかったという。兄の出産から10年たって、やっと私が生まれた。

私がもの心ついた時、母はまるで、蚕(かいこ)が糸を吐き出すように、私をつかまえては、怖かった震災の時の話。何が不安だったか、同じ話を何回もしていた。今思えば、新しく生まれてきた娘に話をすることでストレスを軽減していたのかも知れない。

私は、震災と戦争のつかの間の年月、荻窪の原っぱでのびのびと、楽しい幼年時代をすごして育った。(随筆家、薬剤師)

ホテル・旅館を要配慮者の避難所に つくば市が協定

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協定を締結した五十嵐つくば市長と高橋支部長(左)

【鈴木宏子】災害時に、ホテルや旅館を避難所として活用しようと、つくば市は2日、県ホテル旅館生活衛生同業組合つくば支部(高橋栄支部長、市内29施設加盟)と災害時避難所提供協定を締結した。高齢者や障害者、妊婦などの要配慮者や、体調が悪い人、共同生活が困難な人などに優先して利用してもらう。

近年、災害が多発していることに加え、コロナ禍で避難所の3密を防ぐことが求められ、避難所を数多く確保しなければならないこと、本来、要配慮者が避難する民間の福祉施設など福祉避難所はコロナ禍で受け入れが難しくなることが想定されることなどから、市内のホテルや旅館で、宿泊や食事、入浴などを提供してもらえるようにする。

ホテルなどへの避難は、地域の小中学校や交流センターなど避難所に避難してきた住民の中から、市職員が、特段の配慮が必要な人を、空き室があるホテルなどに割り振る。自力でホテルなどに行けない避難者は、市が送迎する。

避難所となったホテルや旅館には市職員を派遣し、避難者の健康状態を確認などする。

滞在期間は、災害発生直後の短期間のほか、家屋が壊れて自宅に戻れないケースなど長期間の利用も想定している。宿泊費は食事代を含め1人1泊上限7000円程度を目安とし、費用は市が負担する。

同協定締結は水戸、ひたちなか市についで県内3市目。同組合に加盟する市内29カ所のホテルや旅館が協力するが、実際に何人程度が利用するかは未定という。

五十嵐立青市長は「3密を回避するためには公共施設だけでは限界がある。市民の安心にとっても大きい」と話し、同組合つくば支部の高橋支部長は「組合として、つくば市や住民のために協力させていただきたい」と話した。

市危機管理室によると、避難所で3密を避ける対策をとった場合、市内に112カ所ある避難所の定員は、従来の約1万5000人から6割減の約6000人程度になってしまうことから、今後さらに増やすことを検討していくとしている。

登録義務条例とセットで事業者の感染防止対策を支援 県

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茨城県庁(イラストは「いばらきアマビエちゃん」)

【山崎実】茨城県議会第3回定例会が4日開会する。県は、県独自の新型コロナウイルス感染者接触通知システム「いばらきアマビエちゃん」の登録事業者を支援する経費など、感染拡大防止を中心に、総額195億5200万円の一般会計補正予算案を提案する。

県議会に同時提案する予定の「県感染防止と経済活動の両立を図る条例」案とセットで、事業者の対策を支援する。同条例は、4月の感染拡大の際、県が休業要請や時短営業要請をした飲食店やホテル、ショッピングモール、美容院などに「アマビエちゃん」の登録を義務付ける。さらに、県民に県が行うPCR検査などへの協力を義務化したり、感染者に対する不当な差別的取り扱いを禁止することを定めている。

補正予算案の事業者への感染拡大防止への対応では、「アマビエちゃん」登録事業者に、感染防止対策に要する経費の一部を助成する。助成額は1事業者当たり定額3万円、複数店舗所有者の場合は6万円となる。県内の条例登録義務事業者約2万5000事業者を対象とする。8月17日時点のアマビエちゃん登録事業者は1万6260件という。

この事業では、登録店舗での利用登録者向けプレゼントキャンペーンも実施する。毎月抽選で5000円相当の県産品を、1カ月当たり3500人にプレゼントする。6カ月間実施する予定で、計約2万1000人にプレゼントする。予算額は10億4700万円。

このほか、介護・障害福祉施設などの感染拡大防止事業として、マスクなど衛生用品等の購入費用を支援したり、濃厚接触者が発生した施設がサービスを継続するための経費支援などに57億300万円を計上する。

保育施設などの感染拡大防止では、放課後児童クラブなどに補助を行う市町村に対する補助や、幼保連携型認定こども園や認可外保育施設等の感染拡大防止対策に補助を行う市町村への補助などに9億7400万円を盛り込む。

学校サポーターを配置する事業には、新たに2億2100万円の予算を措置する。学校サポーターは小中学校などに配置し、円滑に授業を進めるため、児童生徒の健康管理、保護者への連絡業務、構内の消毒作業を行う。配置人数は各学級1人(大規模校は2人)で、教員免許は必要ない。時給は1000円(通勤相当分は別途支給)で来年3月までの配置を予定している。

県議会第3回定例会の会期は4日から10月1日まで28日間。

《ことばのおはなし》25 私のおはなし⑭

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【コラム・山口絹記】「手術、終わったよ」。自分のことばで伝えるというのが、今の私には大切なことだ。それは、とりあえず元気だ、という証拠であり、同時にことばを失っていない、という証拠になるからだ。

自分が元気に生きているということを、一対一で伝えなければいけない人というのは実はそう多くないのだな。手術前に作った連絡リストを眺めながら、そんなことを考えた。

術後のリハビリでは―と言っても、後遺症がほとんどないため、お話するだけなのだが―ずっとお世話になっていた言語聴覚士の方が、失語について学ぶためのおすすめ書籍を教えてくれながら「山口さんのリハビリをしないで済んで、本当に良かったです」と言った。術前は話せた人が術後に話せなくなってしまうことは、当然だが、普通にあることだそうだ。

担当医の先生に抜糸をしてもらったときには、手術の難易度を定量的に教えてほしいと頼んでみた。5段階のグレードのうち、私の状態はグレード2で、グレード3になると手術するか迷う状態。グレード4以上になると手術は危険なため、基本的に放射線治療などになるらしい。

「そういうのって、普通術前に聞きませんかね?」。先生は苦笑しながら、「山口さん、割と無理する人だから、やっぱり3針縫っておきましょう。一応50針の傷ですから、かきむしったりしないでくださいよ。はがれますからね」と、もう一度頭を縫われた。

一度退院してからも、手術の影響で軽い硬膜外出血を起こしたり、短期間に2度インフルエンザで倒れたりといろいろあったものの、桜が咲くころには体調も落ち着いた。

「パパ、だいぶしゃべれるようになったね」

桜吹雪の中を娘に手を引かれて走る。空を舞う花びらと、大きなその幹に私は目を奪われるのだけど、娘はそんなもの見てはいない。素晴らしいものを見つけたのだろう、何かを指差しながら、ただ全力で走る。私には何を指しているのかわからない。

一度失ったことばは取り戻したが、時とともに失ってしまった小さいころの記憶が戻ることはあまりない。失って、取り戻すことのできないものの見方があるとしたら、その視点で、見方で、見たものも失っているのかもしれない。だとしたら、私の中にはどれだけのものが残っているのだろうか。

「何かいいもの、見つけたの?」。ちょっと無粋だなと思いながら娘にたずねてみる。娘は私の顔をじっと見つめてしばらく何かを考えていたようだが、説明することを諦めたのだろう。すべり台へ走っていってしまった。

抱っこした娘の頭にくっついた桜の花びらを払い落としながら、家路につく。

「まだ遊びたい」「帰らない」とジタバタする娘を「お昼ごはんの時間です」とたしなめながら、いつの間にか、娘もずいぶんとことばを話せるようになったものだなと感慨に浸る。

すると、娘がなぜか、内緒話をするように耳元に口を寄せて、「パパ、だいぶしゃべれるようになったね」とささやいた。私は一瞬呆気にとられ、大笑いしながら言った。 「おかげさまでね」-おしまい-(言語研究者)

「土浦病院と小川芋銭」 市立博物館で初公開の作品展

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作品に見入る入館者=土浦市立博物館

【伊藤悦子】土浦で開業して100余年、2018年に閉院した産科病院とゆかりの画家を取り上げるテーマ展「土浦病院と小川芋銭(おがわ・うせん)展」が1日、土浦市立博物館で始まった。10月11日まで。

土浦病院に残された芋銭の作品は今回初公開になる。作品のほかに、土浦病院新築工事の棟札など貴重な資料も合わせて30点展示されている。

土浦病院は、1914(大正3)年石島ゑいが内西町(現在の土浦市中央1丁目)に開業した産婦人科を専門にした病院。ゑいは茨城県初の女性医師だ。石島家は3代にわたって地域医療を支えたが、2018年閉院した。

小川芋銭は、1868(慶応4)年江戸赤坂で牛久藩士の家に生まれた画家。挿絵画家として名声を高め、のちに日本画に取り組んだ。また俳人としても活躍した。

交流のきっかけは人とのつながり

ゑいの夫、績(いさお)が芋銭と交流があったことから、土浦病院には芋銭の作品が保管されていた。芋銭は病院の患者というわけではなく、何が交流のきっかけとなったかなど分かっていないことも多い。

同館学芸員の野田礼子さんは「芋銭は全国に応援してくれる人が多く、芋銭を介して人と人がつながっていった。その輪の中に績、ゑいもいたのではと考えられる」と見ている。「今の時点で分かることは限られているが、展示をすることで芋銭と績、ゑいなど人のつながりが新たに分かるのでは」という思いから企画した。

病院の閉院に際し、芋銭の作品の一部は市に寄贈されたが、ほかに個人所蔵で今まで紹介されていない作品もあった。これらをまとめ博物館で紹介する。野田さんは「石島家の寝室や客間に飾ってあったものは初公開だが、病院のエレベーターホールや玄関にずっと飾られていた作品も展示しているので、入院や通院したことがある方は見たことがあると思うかもしれない。そういったものを一堂に展示するのは初めて」という。

会期中は、小川芋銭研究者の北畠健による記念講演「土浦と芋銭」(9月20日)や市立博物館学芸員による講座「土浦病院と小川芋銭―石島家に残る作品の整理」(10月10日)などの行事が予定されている。

◆「土浦病院と小川芋銭」10月11日まで。開館時間は午前9時から午後4時30分。入館料は一般105円、小中高校生50円(税込み)。休館日は月曜と9月23日。問い合わせ電話029-824-2928(同館)

【参考記事】《霞月楼コレクション》3 小川芋銭 農村と水辺の風物を愛した文人画家

事業ごみを家庭ごみに不正積み替え つくばの収集業者

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つくば市のごみ焼却施設「サステナスクエア」に入るごみ収集車=つくば市水守(本文と関係ありません)

つくば市内のごみ収集業者が、収集・処理料が有料の事業系ごみの一部を、処理料が無料の家庭ごみに不正に積み替えて、市のごみ焼却施設に搬出していたことが分かった。市は調査を実施し、被害額が確定次第、警察に告訴する方針だ。

今年3月、元従業員から市に内部告発があり、不正が分かった。一方「NHKから国民を守る党」が8月下旬、不正積み替えを内部告発動画で配信し、市に抗議などが寄せられている。

市環境衛生課によると、この業者は、飲食店や事務所などから出る事業系ごみを収集・運搬する許可を市から受けているほか、市の委託を受け、谷田部地区の一部で家庭ごみを収集運搬している。

事業系ごみは、事業所がそれぞれ料金を払って許可業者に収集してもらい、業者は10キロ190円の処理料を払って市のごみ焼却施設に搬出する。ところがこの業者は、事業所から収集運搬料を受け取りながら、事業系ごみの一部を、処理料が無料の家庭ごみ収集車に不正に積み替えて、市に処理料を払わず、ごみ焼却施設に搬出していた。

市の調べに対しごみ収集業者は、数年前から事業系ごみの一部を家庭ごみに積み替えていたと不正を認めているという。実際にどれくらいの量を積み替え、どれくらいの利益を不正に得ていたかは、現在、市が調査している。

市は3月以降、警察と相談しながらこの業者を複数回立ち入り調査した。さらに業者がごみを収集している市内外の事業者約70社に聞き取り調査して、不正に積み替えたごみの量や市の被害額を調べている。これまでに約60社の聞き取りを終了したという。

市は、なるべく早く、警察に告訴するとしているほか、事業系ごみの収集許可と家庭ごみの収集委託を取り消すことも検討している。

《雑記録》15 安倍長期政権 ついに限界辞任

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【コラム・瀧田薫】8月28日、安倍晋三首相が辞任の意向を表明した。第2次内閣発足(2012年12月26日)以降、首相在任日数は2800日を超えており、難病を抱えながら激務をこなしてきた首相の自己管理能力には敬服するが、それも限界にきたということだろう。自民党総裁の任期はまだ残り1年あるが、政治空白をつくるわけにはいかない。後任選びを急がねばなるまい。

辞任表明を受け、「突然のことで驚いている」とコメントする有力議員がほとんどだが、後釜首相候補者は活発に動きだしているし、新聞紙上でも「安倍長期政権の総括」が始まっている。

たとえば、政治学者・細谷雄一氏(8月25日付朝日新聞)は、「安倍首相の思想信条(戦後レジーム=戦後体制からの脱却)は、多くの国民の意識とはかけ離れていた。それが、第1次政権が短命に終った理由だ」とし、さらに「第2次安倍政権は先の失敗を教訓として、アベノミクス(実利の経済政策)を前面に押し出すと同時に集団的自衛権行使の一部容認に代表される保守重視のイメージ戦略を組み合わせた、この絶妙なバランス感覚が安倍長期政権を支えた」と指摘している。

安倍首相からすれば、レームダック(政治的影響力を失い、政権末期を指摘される首相や大統領)扱いをされることは不愉快なことだろう。しかし、もっと不愉快なのは「戦後体制からの脱却」が事実上失敗に終わったと指摘されたことだろう。

教育基本法の改正や集団的自衛権行使の一部容認など、一定の成果はあったとする与党内の見方もあるが、「この国を安倍首相の考える本道に戻す」という究極の目標からすれば、満足できる成果ではない。結局、安倍首相は、志半ばにして、失意のうちに第一線を退くこととなった。

トランプ依存外交は幕引き

さて、後継政権の政策課題はどうなるだろうか。イデオロギーについては「戦後体制からの脱却」という看板が継承される可能性は低い。しかし、世界情勢次第では、ナショナリズムへの対応が必要になるかも知れない。

安全保障政策については、安倍政権の敷いた路線が当面継承されるだろう。経済面では、アベノミクスの負の遺産(経済格差の拡大、財政規律の破綻と累積債務、地方の疲弊など)を抱えながら、人口減少と低成長、そしてコロナ禍という苦い現実に向き合わねばならない。

残念ながら、日本の技術競争力は、デジタル化に代表される構造改革についていけず、落ち込む一方である。日本の産業を支えてきた中小企業を支援し、これをベンチャー化するなど、新たな産業政策も必要だ。行政と国会の改革も待ったなしである。いわゆる「政治主導(安倍一強)」を見直すことになろう。

最後に外交面であるが、米大統領選挙の結果一つ、それで国際環境は激変する。これからは、米中対立の狭間で、日本外交の自主性とバランス感覚が問われるだろう。トランプ依存でやっていけた時代は、コロナウイルスの登場で潮目が変わり、安倍首相の退陣とともに幕引きとなりそうだ。(茨城キリスト教大学名誉教授)

【土浦市長会見】魅力をPR テレワーク移住体験ツアー

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会見する安藤真理子市長=土浦市庁

【伊藤悦子】土浦市は、新型コロナウイルス感染症緊急経済対策第6弾を実施する。マスク・消毒液の確保、妊婦子育て世帯への支援のほか、公民館のトイレ改修、移住定住促進事業など「新しい生活様式」を踏まえた地域経済の活性化事業に取り組む。安藤真理子市長が31日の定例会見で発表した。事業費は総額約7900万円。1日開会の市議会定例会に、一般会計補正予算を提出する。

「泊りがけ体験」で呼び込む

移住定住促進事業は、地域経済の活性化に関する事業のうち「新たな暮らしのスタイルの確立」として事業費約550万円を計上する。

新型コロナの感染拡大以降、出社をしないテレワークが定着し、これに伴い都心から郊外への移住も関心の高まりみせている。同市は、出社が必要になった場合でも電車、車ともに東京まで約1時間とアクセスに優れること、駅から歩いて行ける距離に霞ケ浦があるなど自然にも恵まれていること、レンコンをはじめ農産物の質が高いこと-など移住に適した環境であることをPRする。

テレワーク移住体験ツアーは、県外居住者で特にサイクルライフに興味のある層をターゲットに取り組む。土浦駅に直結した自転車と一緒に泊まれるホテルに数日滞在してもらい、実際にテレワークをしながら、自転車を活用した生活体験を通し、市の魅力や都心へのアクセスの良さを実感してもらうのが狙い。

実施は来年2月ごろを予定している。今年12月ごろ、家族連れなども想定し10組ほど募集する予定。

新しい生活にらみ市独自事業

「新しい生活様式」を踏まえた地域経済の活性化に関する事業では、「社会的な環境の整備」として、各地区の公民館施設のトイレ改修事業も実施する。和式トイレの水を流すときに発生する飛沫やエアロゾル感染防止のために、ふた付き洋式トイレに改修する。事業費に約3300万円を計上する。

妊婦健診など妊婦で移動する際、公共交通機関を使わずにタクシーが利用できるように助成する。事業費は約580万円。

小中学校および義務教育学校には、消毒薬や防護服など、感染防止用消耗品を追加で購入する。事業費は約490万円を計上する。

ガバメントクラウドファンディング(GCF)は、自治体がプロジェクトオーナーとなり、賛同者から寄付金を募集する仕組み。税金の控除が受けられるふるさと納税制度とクラウドファンディングを組み合わせたもので、今回は市内の高齢者施設に非接触型体温計を購入して配る。ふるさと土浦応援寄付金として歳入100万円を計上する。

会見で市長は「不確かな情報や誤った情報により、感染者その家族、感染防止に対応している人などへの偏見や差別が全国的にみられる。恐れるべきはコロナウイルスであって人ではないこと、偏見や差別をなくすためにも、市民1人ひとりが正しい知識を得て欲しい」と話があった。市のホームページ8月11日付「市民の皆様へ」からも読むことができる。

土浦市長会見映像=J:COM茨城提供

会社経営の富島純一氏が出馬表明 つくば市長選、一騎打ちに

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記者会見し立候補表明する富島純一氏=つくば研究交流センター内記者クラブ室

【鈴木宏子】任期満了に伴い10月18日告示、25日投開票で行われるつくば市長選に、自動車販売会社などを経営する「チャンプ・ホールディングス」社長で、新人の富島純一氏(37)=無所属=が31日、記者会見し立候補を表明した。同市長選には現職の五十嵐立青氏(42)=同=がすでに2期目を目指して立候補を表明しており、現職と新人の一騎打ちになりそうだ。

富島氏は「1期4年で結果が出せないのでは動きが遅い」と現職を批判した上で、「企業経営では毎年結果を出さなければ倒産してしまう。コロナ禍で新しい生活が求められている今、即断即決できるリーダーが不可欠。このままでは、目先の問題だけを解決するつくば市になってしまう」と立候補の動機を話した。

具体的には、つくば駅周辺開発や待機児童、公共交通、スタートアップ支援などの問題点を指摘し「つくば駅前開発は数年間方向性がはっきりしない。待機児童問題の解決は、やるべきことは分かっているのだからさっさとやるべき。つくバスは本数を増やしたのに利用者が減っており、やり方を抜本的に見直す必要がある」などと批判し、さらに「スタートアップ支援はパフォーマンスとしてはできているが、どこにつながるかというと、つくば市が支援して東京に出て行ってしまう。つくば駅周辺にビジネス拠点を整備し、全国の先端企業を誘致してつくばにスタートアップ企業をつくるべき」などと話した。

基本スタンスとして、①企業経営の経験を生かしスピーディーに実行し、結果を出す②科学技術に加え、文化、芸術、スポーツなど多種多様な人が集い活躍できる開かれた街を目指す③地の利のポテンシャルを生かし民間の力とアイデアを幅広く募りながら街づくりを行うーの3つを掲げるとした。

具体的な公約としてはほかに、市内6地区ごとに月1回市民の意見を聞く会を実施する、一般競争入札を適切に運用する、公式記録のとれる陸上競技場が必要という市民ニーズを踏まえ、財政負担を抑えながらコンサートにも活用できる施設整備を行う、単独で中核市移行を目指すーなどを掲げた。

富島氏は土浦市出身、市立都和中学卒。21歳のときつくば市花室で中古車販売業を起業し、現在、つくばや土浦などを中心に、自動車販売の「オートチャンプ」やレッカーロードサービスの「ITY」のほか、不動産賃貸、ソフトウエア開発、障害者就労支援会社などを幅広く経営する。

選挙戦は、つくばでのビジネス交流を通して親交を深めた実業家仲間や市民などが応援するという。

《ライズ学園日記》7 何でもできなければ…いけないのか?

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平沢官衙(かんが)遺跡=つくば市平沢

【コラム・小野村哲】教師という立場で、「できないことがあってもいい」などと言ったら、「それをできるようにするのが、お前の仕事だろう!」と、お叱りを受けるかもしれない。けれど英語教師の私には、できないことがたくさんある。まず、算数は苦手だ。「それでよく教師が務まる」と言われるかもしれないが、算数はできても英語はダメだという人も多いに違いない。

一歩職場を離れれば、できないことだらけだと言ってもいい。義母が野菜を育ててくれるおかげで、我が家の食卓には毎日取り立ての野菜が並ぶが、私自身は大根1本まともに育てられない。

私たちは今、改めて「何を目指すのか」を話し合っている。ライズ学園開校時に掲げていたのは、「1人ひとりに異なる学びを尊重し、その可能性を伸長する」ということだ。学校を休んでいたりすれば勉強は遅れる。ゆっくり遠回りをしてくる子もいるが、遠回りは無駄とは限らないし、「遅い」ということは必ずしも「できない」ということではないはずだ。

しかしこの国では、「大器晩成」などという言葉は死語となりかけている。コロナ休校の後、新聞に折り込まれていた大手塾のチラシには、「倍速コース」「ぜったいに取り戻す」と大見出しが躍っていた。マスクをした上にフェイスシールドをした講師とともに、子どもたちはどこに導かれようとしているのだろう。

学校へ行かなくてはいけないのだろうか?

しかし今となれば、「1人ひとりに異なる可能性を伸長する」などとは、大層かっこいいセリフを掲げたものだと思う。「私たちが、伸ばしてあげましょう」といった、上から目線も感じられる。そこで目指すところして「子どもたちの幸せ」をあげてみたが、スタッフからは「幸せってどういうことですか?」と、混ぜ返された。

毎日きちんと学校に行って、高校、大学と進み、就職といったレールの上を無難に進むことをいうのか? だとすると学校は、子どもたちをそのようなステレオタイプにはめるための組織なのだろうか? 幸せはそんなものではないし、これからの学校が目指すのも、そのようなものではないはずだ。

ますます高度化、複雑化する社会では、IT技術者に限っても1人で何でもできるなどと言うことはありえない。新型コロナウィルスの感染拡大で、地方での暮しを模索する人も増えてきているという。価値観は多様化している。なのに学校は、次代の変化に適応できていない。不登校児童生徒のための支援施設として「適応指導教室」というものがあったが、適応指導が必要なのは、むしろ学校の方だ。

1人で何でもできるようにする必要なんてない(大人だってできないんだから…)。学校だって、自分のプラスにならないと思えば、無理に行かなくたっていい。コロナ休校期間に料理を覚え、それをレシピにまとめた子がいる。学校以外にも、学びの機会はいくらだってある。私たちもそんな子どもたちのニーズに応えられるよう、努力を重ねたいと思っている。(つくば市教育委員)