木曜日, 11月 6, 2025
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小田氏の一族郎党 435年ぶり居城跡に参集 つくば

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小田城本丸跡で、本殿のあった遺構を囲みあいさつを交わす参加者一行=つくば市小田

一族郎党が集まるのは435年ぶりー。鎌倉時代から戦国時代まで常陸国南部に一大勢力を築いた大名家の一族や家臣の子孫ら約30人が25日、つくば市小田の小田城跡に集まり、地元関係者らと交流を持った。

小田城跡歴史ひろばを拠点に、ボランティアガイド活動を展開する常陸小田城親衛隊の会(小島幹男会長)が企画、関東一円の子孫に参加を呼び掛けた。小田城最後の領主、15代小田氏治(うじはる)から数えて28代目という、東京都に住む小田治嗣さん(42)らが参集した。

親衛隊の会の懇話会として開催した。同会の会員にも地元在住の子孫がおり、総出で一行を出迎えた。家系図などで系譜がはっきりしている子孫もいれば、姓が小田というだけで「歴史的な興味をもって色々調べさせてもらっている」という小田大二さん(千葉市)もいた。参加者同士の交流では、正室と側室の子孫が互いの素性を確かめ合って歓談する場面もあった。

常陸小田城親衛隊の会メンバーから、居城跡近くの案内所で小田城の概要説明を受ける一行

小島会長によれば、小田氏治は佐竹氏の侵攻を受けて居城を失ったが、奪還を図るべく反旗をひるがえした1590(天正18)年の戦いが豊臣秀吉の逆鱗(げきりん)に触れる形で所領を没収された。以来一族郎党は全国に散り散りになり、400年以上が経過したという。

小田城跡が1935(昭和10)年に国の史跡指定を受けてから今年90周年、本丸跡を貫通していた筑波鉄道の廃線(1987年)後、一帯を復元整備して2015年に歴史ひろばが開設されてから10年となることから、「10年の間に歴史ひろばを訪れた人の記帳などから、全国に散らばった小田一族の所在が少しずつたどれるようになった。いい機会だから、市のホームページなどを介し、参加を呼び掛けた」と小島会長。

懇話会は今回が初開催。小島会長が「国史跡指定から100周年になる10年後には市の方で開催を検討してほしい」と言うと、参加していた森田充教育長は「小田城の認知度が上がるよう一致して取り組みたい」と応じた。

一行は午後、8代孝朝(たかとも)の供養塔がある小田地内の龍勝寺にお参り。座禅と焼香で、先祖を供養する儀式に臨んだ。

曹洞宗の龍勝寺で座禅に臨む一行

小田治嗣さんは「つくばには40年前から来ていて、おぼろげながら筑波線の記憶もある。畑になっていた本丸跡も見ている。それがここまで立派に保存してもらい、小田氏が今もって地元の人に愛されているのを感じることができた。感謝しかない」と語った。(相澤冬樹)

土浦の花火100年と大会の見どころ《見上げてごらん!》45

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第1回会場付近の現在(筆者撮影)

【コラム・小泉裕司】11月1日(土)に予定されている今年の「土浦の花火」は初回から数えて100周年。そこで、その歴史に簡単に触れたあと、今大会の見どころを花火鑑賞士の視点から解説しておきたい。

1回の会場

土浦の花火は、100年前の1925年9月5日、霞ケ浦湖畔の岡本埋立地で始まった。10万人を超える観客が土浦の町中にあふれたそうだ。ただ、当時のプログラムが残存せず、競技の内容、出品作品や花火師の名前は確認されていない。プログラムがあったのかどうかもわかっていない。

ちなみに、湖畔の埋め立ては、当時霞ケ浦で盛んだった汽船業を起業した故岡本儀兵衛氏が行ったもので、現在の川口運動公園エリア(第1回会場付近=Googleマップ)になる。

2回の会場

大会公式パンフレットによると、桜川河畔に会場を移転したのは6年後の1931年とあるが、その3年前の「いはらき新聞」は、開催地について桜川岸と報じている。「土浦町内ものがたり」(本堂清著、常陽新聞社)にも、第2回には常磐線踏切の警備上の問題で移転したとある。

異常な混雑の中、安全な大会を確保するための警備体制の強化など、人的にも費用的にも大変な苦労があるのは今も同じ。そういえば、踏切の横にあった跨線(こせん)橋を渡った記憶がかすかによみがえる。

移転先は、匂橋付近の桜川右岸の土手。対岸の現桜町地区は、土浦町が「土浦百年の構想」として1922年から進めた耕地整理事業が完成し、1925年に土浦町内に散在していた花街がこの地に三業指定地区として強制移転させられ、地区名を「栄町」とした。

花火見物客はさらに増え、街の商店街はうるおったようだ。現在、土浦市立博物館で開催中のテーマ展「土浦の花火百年」(本サイト記事は10月12日掲載)に展示中の第2回プログラムによれば、大会に共催した店舗は、飲食店や旅館が並んでいることからも、第2回移転説は信憑(しんぴょう)性が高いように思う。

第2回大会プログラムの表(土浦市立博物館所蔵)
第2回大会プログラムの裏(土浦市立博物館所蔵)

会場の今後

その後、霞ケ浦湖畔に移ったが、安全対策を勘案し、1971年には現在地「桜川大曲」に移り、100年の半分以上をこの地で開催し、今日に至っている。残念ながら、現在地周辺の急激な環境変化を勘案すると、この地での永続性は考えにくい。土浦の花火200年に向け、会場のあり方を早期に方針を固めることが、今を生きる私たちの役割に違いない。

今大会の見どころ

今大会は、全国19都道県から57の煙火業者が一堂に会し、内閣総理大臣賞を目指し、匠(たくみ)の技を披露する。10号玉の部45作品、創造花火の部22作品、スターマインの部22作品の3部門で競技が行われ、各部門の優勝者には経済産業大臣賞などの権威ある賞が授与される。ちなみに、参加業者数57は国内の競技大会日本一を誇る。

スターマインの部

最近の傾向は、速射連発の「迫力系」と、しっとりゆったりの「芸術系」に2極化しており、全作品が音楽付き。0.03秒単位でコンピュータプログラムされた花火とのシンクロが見もの。精魂込めた、夜空を彩る400発余の光と音の傑作に没入しよう。

創造花火の部

前大会は、時差式花火の応用など、近年にない創造性豊かな作品が私たちを感動させてくれた。

田端煙火(静岡県)の「もぐらバトルロイヤル」は、夜空でモグラたたき? 北陸火工の「見てくれ!鍛え抜かれた俺の腹筋」は、今年も女性花火師のアイデアか? 前大会「しんちゃん」で優勝した北日本花火興業の「赤いキツネと緑のタヌキ」も、大いに気になる。今年の作品タイトルも、ワクワク感いっぱい。

10号玉の部

前回よりも1作品増えた「五重芯」7作品に注目だろう。完璧な四重芯や三重芯も美しいが、匠の究極の技と言われる五重芯による優勝争いが繰り広げられることは必至。観客席のみなさんは動体視力の限界に挑戦しながら、夜空を凝視してほしい。

土浦花火づくし

競技開始から1時間後の午後6時30分、大会提供ワイドスターマイン「土浦花火づくし」の打ち上げ開始。幅500メートル、9カ所から4号、5号、8号玉を約7分間、2000発を打ち上げる。

このプログラムを楽しみに訪れる来場者が多いのはうれしいが、終わると帰りを急ぐ方が多いのはとても残念。後半の打ち上げは、昨年の大会の成績上位の煙火業者。余りにもったいなさ過ぎるので、どうか最後までご覧いただくことを切願する。

撮影減衰効果

大会を間近に控え、毎年、要らぬアドバイスを繰り返しているが、今回はスマホによる花火撮影について一言申し上げる。

感動して写真や動画に残したいと思うのはやまやま。一方、撮影することに集中するあまり、その瞬間の感動と記憶が薄れてしまうことは学術的に立証済。花火師によると、今夜打ち上げた花火と同じ花火を打ち上げることはできないとのこと。いわば一期一会の世界を、スマホの画面越しではなく、目視でしっかりと脳裏に焼き付けてほしい。

今年こそ、大会の無事開催を祈り、「ドーン ドーン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

▼ラジオ特番&ネットで生中継:会場に行けない方にはFMラジオやネットでのライブ配信がお薦め。土浦全国花火競技大会実行委員会YouTubeチャンネル

つくば市職員2人を失職及び懲戒処分

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つくば市役所

つくば市は24日までに、同市職員2人をそれぞれ失職及び停職2カ月の懲戒処分にしたと発表した。

スマホ見ながら運転し歩行者にけが

失職となったのは、こども部の30代一般職員。市人事課によると同職員は、今年1月31日、勤務時間外に土浦市内で、自家用車で買い物をし、帰宅途中、スマートフォンを見ながら運転し、赤信号で交差点に進入。横断歩道を渡っていた歩行者に衝突し、けがを負わせる交通事故を起こし、過失運転致傷の疑いで現行犯逮捕された。

その後7月30日、水戸地検土浦支部から過失運転致傷罪で起訴され、10月8日に水戸地裁土浦支部で禁固1年4カ月執行猶予3年の判決が言い渡され、同22日、刑が確定した。

禁固以上の刑に処せられた場合、地方公務員法により自動的に公務員の職を失うことになり、22日付で失職となった。同課によると本人は、事故を起こしけがを負わせたことに対し真摯(しんし)に反省しているという。

無断欠勤含め37回理由なく欠勤

一方懲戒処分となったのは、市民部地域交流センターの50代一般職員。市人事課によると同職員は、今年2月から10月の間、体調不良を理由に休暇を取得する中で、与えられた年次休暇20日と夏季休暇5日の計25日をすべて取得した上で、無断欠勤を含め計37回にわたり正当な理由なく欠勤したとしている。

職員には療養休暇などの制度があり、所属部署などから「医療機関を受診し適正な休暇手続きをすること」「勤務できない場合は所属部署への連絡を入れること」について繰り返し指摘を受けていたにもかかわらず、適正な手続きをとらなかった。

市職員分限懲戒審査委員会が23日開かれ、同職員に対し、24日から停職2カ月の懲戒処分が決まった。市人事課によると、本人は申し訳ありませんと述べているという。

職員2人の処分について五十嵐立青市長は同日「自動車の運転については公私問わず交通法規を遵守し細心の注意を払うよう再三にわたり注意喚起していたにもかかわらず、このような事故が起きてしまったことは誠に遺憾であり、事故の被害者に対して心から深くお詫びし、体調の回復を強く祈念します」とし、「職員の欠勤については、職員として必要な手続きを怠っただけでなく全体の奉仕者たる公務員として市民の信頼を損ねる行為であり、深くお詫びします。今後、市民の不信を招くことが無いよう、職員に対し改めて安全運転や服務規律を徹底させ綱紀粛正に努めます」などとするコメントを発表した。

筑波大 岡城選手 阪神がドラフト3位指名

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川村監督と記念撮影に応じる岡城快生選手(右)

「ファンに負けない熱い選手に」と目標

今年度のプロ野球ドラフト会議が23日開かれ、筑波大学硬式野球部の岡城快生選手が、阪神タイガースから3位指名を受けた。大学構内の野球・ソフトボール室内練習施設「Invictus athlete Performance Center」(インヴィクタス・アスリート・パフォーマンス・センター)で吉報を聞いた岡城選手は、野球部の同期の仲間らに胴上げされるなどして喜びに浸り、「筑波大を背負ってプロの世界で戦うので応援よろしくお願いします」とあいさつした。

指名を受けての感想は「こんなに早く選ばれるとは思ってなく、正直ほっとした。指名を待つ間は緊張が抜けなかったが、後ろに同期の仲間がいたので気持ちが楽になった」と岡城選手。阪神についての印象は「ファンと球団の心理的距離が近く、一体感があるチーム。ファンも熱い人が多いので、自分も負けずに熱い選手になりたい」。プロ野球選手としての目標は「具体的な目標や理想の選手像などはないが唯一無二の選手になりたい。強みである走力を生かして走攻守オールラウンダーなバランスとれた選手になり、けがなく長く選手を続けたい」と話した。

発表の瞬間、川村監督と握手を交わす

岡城選手は岡山県出身。進学校の岡山一宮高校へ進み、ショート兼投手としてプレー。最高成績は県大会2回戦止まりだった。進路は「将来が広がるよう野球が強い国公立へ」と考え、筑波大学に進学。「ストレスがない環境で、心も体もゼロから積み上げることができた」と成長を実感できたという。

同部監督の川村卓教授は「肩と足は入学時から良かったが、特に目立った選手ではなかった。課題を一つ一つ克服でき、積み上げによってここまで伸びることができた。特に打撃が伸び、課題としていたインコースを打てるようになった」と評価するほか、練習中の様子や試合中のベンチからの声掛けなど、人柄の部分でもスカウトの目に止まったようだと話した。

同期の仲間に囲まれる岡城選手(中央)

俊足強肩を生かして大学1年時に外野手として抜擢され、2年春からベンチ入り、3年春から中堅手のレギュラーとして定着。3年冬には大学日本代表候補にも選出された。身長183センチ、体重83キロ、右打ちで右方向へも放つことができ、走力では1塁到達タイム約4.2秒と高い能力を誇る。(池田充雄)

まちの進化が分かる「けんがくトレカ」《けんがくひろば》17

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けんがくトレカ市役所

【コラム・島田由美子】25日(土)に開催される「けんがくハロウィン2025」で、ちょっとワクワクする新企画が登場します。 その名も「けんがくトレーディングカード」。このカードは、研究学園(略してけんがく)地域が生まれてから今の姿になるまでの“まちの進化”を写真でたどる、全16種類のカードです。その写真には、研究学園駅、市役所、駅周辺マンション群、イーアスつくばなど、おなじみの場所がいっぱい。

まっさらな土地から建物が建ち、そこに人が集まり、にぎやかなまちになっていく様子が、1枚1枚のカードにギュッとつまっています。

カードの名前もユニークです。「まっ平らな更地」を表す“タイラー”、「役所」をもじった“ヤクショー”など、思わず笑ってしまう工夫が盛り込まれています。攻撃力は駅の乗降者数や「けんがく」の人口でポイント化されていて、家族で見比べながら「このころはまだ何もなかったんだね」なんて、話が弾みそうです。

けんがくトレカ駅周辺

みんなでカードを交換しよう!

ハロウィン会場では、来場者全員にカードが4枚配られます。 カードにはアルファベットと数字が書かれていて、他の人と交換して集めるゲームになっています。同じアルファベットのカードを4種類そろえたり、同じ数字を4種類そろえると、景品がもらえます。さらに、4人でチームを作って16種類すべてそろえたら、研究学園地域のお店や会社から豪華賞品がチーム全員にプレゼントされます。

カードをきっかけに、「これと交換しよう!」「この写真すごいね!」と、初めて会った人とも仲良くなれるかもしれません。遊びながら、地域のことを理解できる、少し特別なハロウィンになるでしょう。

カードに使われている写真は、20年近くの間、研究学園のまちを見つめ続けてきた一住民が撮影したものです。その写真をもとに、地域住民がアイデアを出し合い、デザインを考え、心をこめて作り上げました。このカードは住民が力を合わせて作った“地域の宝物”です。

ぜひ「けんがくハロウィン」へ!

「けんがくハロウィン2025」は、学園の杜公園と研究学園駅周辺で開催します。トリックオアトリートやハロウィンクラフト、ごみ拾いなど家族で楽しめるイベントがいっぱいです。カードを集めながらぜひ、まちの思い出をたどる秋の1日を楽しんでください。(けんがくまちづくり実行委員)

<けんがくハロウィン2025>
・日時:10月25日(土)正午〜午後4時30分(荒天中止)
・会場:学園の杜公園&研究学園駅周辺(受付は公園)

170企業・団体が技術や商品PR 筑波銀行ビジネス交流商談会

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筑波銀行ビジネス交流商談会の会場の様子=つくば市竹園、つくばカピオ

地域産業の販路拡大を応援

地域企業の情報発信と販路拡大を応援する筑波銀行(本店土浦市、生田雅彦頭取)の「2025ビジネス交流商談会」が22日、つくば市竹園、つくばカピオで開催された。県内のほか栃木、群馬県など北関東の約170の企業や団体が参加し、「食」「ものづくり」「ベンチャー」などの各ブースで自社の技術や商品をPRした。約2500人が来場し、各ブースでは担当者の話に熱心に聞き入ったり、名刺を交換する姿が見られた。約400件の商談が行われた。

同時に食のPRイベントとして「つくばマルシェ」が会場前広場と隣接の大清水公園で開催され、つくば市の「銀座惣菜店」など15店が出店した。

ワクワクするビジネスの出会いを

商談会は地域産業の販路を拡大しようと、同行が北関東の栃木銀行(宇都宮市)、東和銀行(前橋市)などと共催して毎年開催している。

生田雅彦頭取はオープニングセレモニーで「国内外の経済情勢は、原材料コストの上昇や人手不足など厳しい環境に置かれており、地域金融機関としてはこれまで以上に地元中小企業に継続した支援が必要不可欠と考えている」とし、今年の交流商談会について「同業種だけでなく異業種も含め、ワクワクするようなビジネスの出会いに貢献し、サステナブルな未来に向けたビジネスモデル構築の機会となり、地域社会の発展の一助になれば」などとあいさつした。

あいさつする筑波銀行の生田頭取

「食」のブースでは、筑波山麓でオリジナルブランドの常陸小田米を生産しているつくば市の筑波農場や土浦市の焼き芋専門店芋やす土浦本店など48社が出展し、商品をPRした。「ものづくり」ブースに出展した東茨城郡大洗町のワークショップステップインターナショナルは、体幹機能が低下した人や犬の体幹機能を安定させる特殊繊維のEQT繊維素材で作ったリストバンドなどを展示した。

商談会には高校生も参加した。県立常陸大宮高校(工藤博幸校長)は授業の一環として、同市の友好都市である秋田県大館市の高校生とともにブレンドコーヒーのドリップパックを開発し、参加者に無料配布した。

岩下泰善茨城県副知事と名刺交換をする常陸大宮高校1年生の笹沼由奈さん(右)=同

行政機関のブースには茨城県のほか石岡市や牛久市などの自治体、県開発公社などが出展した。つくば市は同市認定物産品の日本酒や菓子などを集めた「つくばコレクション」と、筑波山麓サイクリングなど市内周遊観光モデルコースを紹介した。同市産業振興課の本田茜さんは「つくば市は面積が広く、知られていない観光スポットも多い。市に移住している人も増えているので、県外の人はもちろん市内の人にも今日の機会に市の良さを周知したい」と話していた。(伊藤悦子)

割烹着の制服 大日本忠君愛国婦人会《くずかごの唄》152

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】荻窪で生まれ育った私は、父の仕事の関係で荒川の近くに引っ越した。小学3年生のとき、サリーという名のシェパード犬を飼っていた。サリーは私にとって愛犬以上の存在だった。「ハウス」と叫ぶと犬小屋にさっと入っていく。毎朝、サリーとの散歩が学校へ行く前の楽しい日課だった。

サリーを連れて荒川の土手を散歩しているとき、愛国婦人会という旗を持ち、自分たちで制服と決めた割烹(かっぽう)着を着た3人のおばさんたちに会ってしまった。「日本はいま戦争中です。私たちも愛国の精神で、このような活動をしています」。一人一人バラバラになると、普通の平凡なおばさんだが、3人が束になると迫力がすごい。

「忠君愛国」「忠君愛国」「……」。お念仏のように唱えて、旗を振っている。

「今、日本は戦争中です。犬なんか飼っている人はおりません」

「この犬はとてもお利口さんで、人間の雑飯、残り物を何でも食べてくれます。わざわざ犬の餌を用意しなくても、大丈夫なのです」

「住所と名前を言いなさい」

「犬の名はサリー」

「犬の名、聞いてどうするのですか。しかも、サリーだなんて、敵性用語ではないですか。あなたの親の名と住所を言いなさい」


「はい……」

サリー、どこへ行ったの?

私が学校に行っている間に、隣組長さんのところに愛国婦人会の人が来て、犬をどこかに連れて行ってしまった。その日のうちに殺されてしまったそうである。

「サリー、どこへ行ってしまったの?」

それから1カ月間、私はサリーの名を呼びながら、泣いてばかりいた。(随筆家、薬剤師)

たかが5千円 されど5千円《短いおはなし》44

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

夕方の混み合うスーパーのレジ。

あら、この人、お釣り間違えてる。
2300円買って5千円出したら、お釣りは2700円でしょう。
それなのに私の手には、7700円が載っている。
やっぱり言わないとまずいよね。5千円って大きいもの。
「あの」と言いかけた途端、後ろに並んだ客に肩を押された。

「終わったらさっさとよけて」

弾かれて、私はすごすごと下がった。
ネコババしたわけじゃないのよ。ちゃんと返そうとしたのよ。
なのに、あのおばさんが押すから。
言い訳しながら、万引きでもしたような気分で、ささっと店を出た。

戸惑いながら5千円札を見る。たかが5千円。
そうよ。普段の行いが良いから、神様がくれたご褒美よ。
そう思ったら気が楽になった。

夜になって帰ってきた夫が、やけに沈んでいる。

「何かあったの?」

「実はさ、同期のKくんが、懲戒免職になったんだ」

「まあ、どうして?」

「K君は経理の仕事をしているんだけど、会社の金を使い込んだらしい」

「まあ、いくら?」

「5千円」

「5千円? たったの5千円?」

「たとえ5千円でも横領だよ。ちょっと借りて後で返すつもりだったらしい。これまでも、何度かやってたらしいんだ」

「クビになったら大変じゃないの。どうするの、これから」

「職探しだな。奥さんは駅前のスーパーで働いているらしいよ」

「駅前のスーパー?!」 私はハッとした。

釣銭を間違えた店員のネームプレート、確かKではなかったか。
「飯まだ?」という夫の声など聞こえないほど動揺していた。
罪悪感で押しつぶされそうだ。
明日スーパーに行って、5千円を返そう。

翌日、封筒に5千円を入れてスーパーに行った。
Kさんは、都合よく人気の少ない通路で品出しをしていた。

「あの、Kさん」

話しかけるとKさんは笑顔で振り返った。

「いらっしゃいませ。何か御用でしょうか」

「あの、昨日、レジのお金、合わなかったでしょう?」

「え?」

「ごめんなさい。私、お釣りを多く受け取ってしまって。これ、返します」

「何のことでしょう?」

「いいから受け取って。ご主人だけでも大変なのに、あなたまで辞めさせられたら大変じゃないの。ね、受け取って」

私はKさんのポケットに封筒をねじ込んで、素早く店を出た。
これでいい。これで私が地獄に落ちることはない。

Kさんは、首をかしげていた。

「なんだろう、あの人。レジのお金はきっちり合っていたのに。あら、5千円も入ってる。店長に言った方がいいかな。でも私、今日で辞めて夫と田舎に帰るから、別にいいか。もらっておこう。ラッキー」

Kさんが、意外としたたかだったことなどつゆ知らず、私はその夜家計簿を付けながら、5千円が足りないことに気が付いた。
もしかして私、昨日の買い物で1万円出していた?
あ、そういえば、1万円札だったかも。絶対そうだ。私の勘違いだった。
落ち込む私に息子が追い打ちをかける。

「お母さん、部活の合宿代5千円ね」
                                     (作家)

日本語学ぶ10月入学生大幅増 日本つくば国際語学院で歓迎会

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全員で記念撮影をする10月入学生と在校生、教職員ら=つくば山水亭

つくば文化学園(東郷治久理事長)が運営する日本語学校「日本つくば国際語学院」(つくば市松代、東郷校長)の2025年10月入学の新入生歓迎会が21日、同市小野崎の料亭、つくば山水亭で開かれた。9つの国と地域から来日した65人が、鮮やかな民族衣装などに身を包み、新たな一歩を踏み出した。昨年10月と比べ1.5倍の入学者数となった。在校生も含めこの日は日本語を学ぶ211人の学生が会場にあふれた。

入学生の出身国・地域はネパール、ミャンマー、スリランカ、バングラデシュ、べトナム、中国、モンゴル、台湾、フランスの計65人で、ネパールが27人と最も多く、次いでミャンマー20人。

習いたての日本語で自己紹介するフランスからの新入生

歓迎会では学生証の授与式などがスピーディに行われた。その後、出席した10月入学生64人全員が一人ひとり、習いたての日本語で自己紹介した。出身国、年齢、日本でやりたいこと、趣味などを話し、「日本語を学び大学や大学院に進学したい」「IT技術を学び母国で役立てたい」などと語った。趣味は「サッカー」「読書」「旅行」など、好きな食べ物は「ラーメン」「おにぎり」などと話す新入生もいた。

在校生代表してスリランカ出身のカンブラワラ・ヴィターナゲ・ハンサマーリ・サダルワニさんが歓迎のあいさつをし「最初、不安を感じることもあるが、少しずつでも、諦めず、頑張り、努力すれば必ず道は開ける。あせらず自分のペースで夢を実現していこう」と新入生にエールを送った。

在校生を代表してあいさつするカンブラワラ・ヴィターナグ・ハンサマーリ・サダルワニさん

東郷理事長兼校長は「日本語は難しいが、努力を積み重ねることで必ずものにすることが出来る。そして日本の文化や社会を学んでほしい。つまずくこともあるかも知れないが、明るく前向きにチャレンジしていけば良い結果が生まれる」と話した。

記念撮影会や歓迎パーティなども催され、ダンスや歌などが披露された。ミャンマー出身の学生によるダンスがフィナーレを飾り、会場を盛り上げた。

会場を盛り上げたミャンマーのダンス

同校は県内最大の日本語学校。東郷理事長は「今回も入学者がかなり増え、この傾向は続くと思う。現在、校舎もいっぱいいっぱいの状態で対策を考えているところ」などと話した。(榎田智司)

イカ・タコ釣り 遊び仕事(2)《デザインを考える》25

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イラストは筆者

【コラム・三橋俊雄】前回(9月16日掲載)は、タケノコ掘りを取り上げ、経済的には重要ではないものの、自然との関わりを通じて楽しまれ、受け継がれてきた活動を「遊び仕事」として紹介しました。今回は、京都府北部の丹後半島を舞台に、日本海(若狭湾)に面した宮津市養老地区における「タコ釣り」「イカ釣り」という遊び仕事についてお話しします。

「食いたい」と思ったら堤防へ

「食いたいな」と思ったら、すぐに堤防へ向かいます。 海を眺めながら、穴にじっと潜んでいるマダコを探します。竹や糸の先に「バカシ(疑似餌)」(図1)と呼ばれるルアーをつけ、タコの居場所を探ります。タコは穴の中にいても吸盤を外に出しているため、道具を使わなくても見つけやすいそうです。

穴に潜むタコをおびき出すには、バカシを見せるためのスペースが必要です。もともとタコが穴から出ているときは、頭がゆらゆらと揺れているので、すぐに見分けがつきます。

うまく釣るには、海が鏡のように穏やかで、海底まで見えることが条件です。 雨上がりは海が静まり、タコ釣りには絶好のチャンス。急いで堤防へ向かい、タコを探します。 マダコは移動して止まるたびに、なぜか体の色が真っ白に変わるため、海底でひときわ目立ち、すぐに見分けがつきます。

タコ釣りの季節は、4~5月から10月まで。10月を過ぎると、マダコを食べるミズダコが沖から堤防付近までやってくるため、マダコは沖のほうへ移動し、堤防では捕れなくなるようです。

自然と向き合い夢中になって

アオリイカは9月中旬から11月まで。道具は竿(さお)とビシ(おもり)のついた糸とバカシです。昼間、船で釣るとイカの真上まで近づけるので見つけやすいとのこと。大きなタルイカ(成体で胴長100センチ、体重20キロを超す)(図2)なら10~12月が漁期です。

夜釣りに出かけることを「イカツケ」と呼びます。釣りの時間帯は、夕方から夜中の12時ごろまでです。満月の夜は海が明るく、透明度も高いため、バカシ(疑似餌)がよく光り、イカの食いつきもよくなります。そのため、一晩で胴長20センチほどのアオリイカを100杯近く釣る人もいるそうです。

捕ったイカは、刺身やスルメにして家族で味わったり、ご近所に分けたりします。肉厚のタルイカは、そのままでも刺身などにしますが、一度冷凍してから使うと食べやすく甘味も増します。

この地区では、食べること以上に、イカを釣ることそのものを楽しみにしている人が多いようです。

船に子どもを乗せてイカ釣りに出かけ、そこで櫓(ろ)のこぎ方も教えたし、自分もかつて、そうして教えてもらいながら覚えてきたそうです。

こうして、自然と向き合いながら夢中になってきた地域の大人たちの「遊び仕事」。 次回も、そんな暮らしの知恵と楽しみを紹介していきます。(ソーシャルデザイナー)

まだ続く運動公園問題 つくば市長の宿題【吾妻カガミ】211

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市の総合運動公園用地は3年前に倉庫業者に売却され、それに反対する有志市民の住民訴訟も敗訴したことで、「もう終わった問題」と思っている方が多いと思います。ところが、酒井泉市議が秋の議会で売却の問題点を追求、今後は「用地買い戻し実現に向けて対市民キャンペーンを展開する」そうです。私もこの欄で売却の問題点をいくつか指摘してきたこともあり、その行方を注目しています。

幻に終わった県南の中核施設

住民投票で実現しなかった市原前市長時代の総合運動公園計画について、私は以下のように考えています。

▼総事業費が300億円に上る財政負担に市民は不安を覚えたようだが、15年の長期計画でやれば、年20億の負担で済んだ。具体的には、高いレベルの3施設(陸上競技場、総合体育館、サッカー場)を各5年計画で順番に整備すればよかった。県南の中核運動施設と位置付け、県や周辺市町村にも経費を分担してもらい、国の補助も受ける計画にすれば、年20億の市負担を限りなく減らすことができた。

▼前市長時代にUR都市機構から取得した用地は45ヘクタールと広く、研究機関が連なる幹線道路沿いの少し奥に位置し、利用者には極めて使い勝手がよい。したがって、つくば市民だけでなく他県民も広く利用できる場所として活用すべきであり、各種施設から成る総合運動公園は県南エリアに望まれるプロジェクトであった。

全用地売却は政治的な選択

ところが、この計画は五十嵐現市長が旗を振った反対運動と住民投票によってご破算になりました。その問題点について、私は以下のように理解しています。結論を先に言うと、運動公園問題は現市長の未解決の厄介事ということです。

▼総事業費300億という数字が反対運動で強調された結果、市民の関心は市の財政負担に向けられ、県南に整備される総合運動公園のメリットに思いが至らなかった。また、住民投票の問いが全計画に賛成か反対かの2択式でなく、「(計画修正も含む)どちらでもない」もある3択式であったならば、この択に〇を付ける市民が一定シェアを占め、当初計画の見直し(整備計画の長期化、3施設の設計変更、1~2施設への縮小など)が可能だった。

▼現市長は、市民運動家として運動公園反対運動を主導し、計画が頓挫した用地をURに返還することを最初の市長選の目玉公約にしたため(結果は失敗)、当初計画の修正という選択肢の採用は政治的に難しくなり、全用地の売却に走らざるを得なくなった。つまり、返還失敗という失政の痕跡を消し去ることが市長就任後の政策テーマになった。

▼用地処分を焦るあまり、反対運動と市長選挙の際に指摘した前市長の行政スタイル(市民や議会の声を軽視して執行部が独走したと批判)を自ら踏襲し、用地売却の議案を議会に提出せず、市民の考えを無作為に聞くアンケート調査(住民投票のミニ版)もせず、倉庫業者による住民説明会の非開催(チラシ配布のみ)を容認した。

開示情報の多くは黒塗り

反対運動で市の財政負担(300億!)を強調したこと、市民の声をきちんと聞き取る調査を実施しなかったこと、議会による議決手続きを無視したこと、周辺住民への説明会を業者に回避させたこと―などを見てくると、現市長の市政運営には疑問符が付きます。

酒井市議が指摘している問題点は多岐にわたりますが、市が用地売却で採用したプロポーザル方式(取得価格と利用方法を購入希望業者に提出させ、それらを点数化し、総合点が高い業者に売却)がきちんと行われたかどうか、特に問題にしています。市が用地取得の条件に掲げた「防災倉庫」の提案内容や審査書類を開示するよう市に要求したところ、開示拒否あるいは黒塗りだったそうです。

こういった市の対応を受け、酒井市議は業者選定に当たり何かあったのではないかと疑っています。近畿財務局管内にあった国有地の不正売却でも財務省が文書開示を迫られ、黒塗りの書類を出して逃げ回ったという事件もありました。(経済ジャーナリスト)

<参考>運動公園問題を扱った最新記事と過去コラム(青字部を押してください)
・「防災拠点27年末完成へ…」(9月30日掲載
・186「…市民軽視の連鎖」(24年7月1日掲載
・152「住民訴訟の判決は…」(23年3月6日掲載
・145「…おかしな行政手順」(22年11月21日掲載
・137「リコール運動の行方…」(22年7月18日掲載
・135「…つくば市政の不思議」(22年6月20日掲載
・129「…なぜか逃げ回る市長」(22年3月21日掲載
・125「…都合がよい理屈付け」(22年1月31日掲載

「パレスチナの子供たちに思いはせてほしい」 靴150足並べ追悼と抗議

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子供の靴150足が並べられ、ガザで死亡した子供たち一人一人の名前が読み上げられた追悼と抗議行動=19日夕方、つくばセンター広場

つくば駅前

子供の靴150足を並べ、パレスチナのガザ地区で死亡した子供たちを追悼し、イスラエルに抗議する行動が19日、つくば駅前のつくばセンター広場で実施された。抗議行動中の約2時間の間、ガザで死亡した子供たち一人ひとりの名前が読み上げられた。市内外の約40人が参加し、「ガザ虐殺を止めろ」「だれも殺すな」などと書かれた自作のプラカードを掲げたり、通行人にチラシを手渡し「パレスチナに関心をもってほしい」と呼び掛けるなどした。

パレスチナ人の父をもつ、つくば市在住の会社員、ラクマン来良さん(37)らが呼び掛けた。ラクマンさんはガザ侵攻が始まって以降、パレスチナに関心をもってもらおうと、自宅や市民活動拠点などで映画上映会やバザーを開いたり、つくば駅前で抗議行動などを実施してきた(24年2月27日付同9月27日)。

2時間の間、死亡したガザの子供たち一人ひとりの名前が読み上げられた

150足の子供の靴は神戸市の疋田香澄さんから送られてきたものだ。疋田さんは、イスラエルによるガザ侵攻で犠牲となったパレスチナ人約6万7000人のうち40%近くが10歳未満の子供であることを表現しようと、SNSで呼び掛け、使わなくなった子供の靴を150足集め、ガザ侵攻から間もなく2年となる10月5日、150足の靴を並べて犠牲者を追悼するイベントを開催した。

SNSで神戸の追悼イベントを知ったラクマンさんが、疋田さんに連絡し、神戸に続きつくばでも、子供たちの靴を並べる追悼イベントが開かれることになった。

ラクマンさんは「子供たちが一番の犠牲者。靴は、大きくなれなかった子供たちを象徴するもの。亡くなった子供たちを追悼し(何人死亡したなどの)数字だけではなく、本当だったら走り回ったり、元気に遊び回っていたはずの子どもたちが殺されたことを知ってほしい」と話し、「イスラエルとハマスが10日停戦に合意し、このまま停戦が続いてほしいが、イスラエルは当初1日600台ガザに搬入すると言っていた支援物資を半分しか入れてない」とし「パレスチナの状況がこうなっているのは国際社会が許していることもある。もっとパレスチナに興味をもって自分のことと思ってくれたら」と話す。

追悼と抗議行動で、神戸での疋田さんのスピーチを読み上げるラクマンさん(左)

ラクマンさんと共に追悼と抗議行動を呼び掛けた市内に住む大学生、斉藤花さん(25)は参加者を前にマイクをとり「ガザで第一段階の停戦に入ったが、これで完全に殺害や侵略が終わったわけではない。イスラエル軍におびえ、家族と切り離されながら、パレスチナ人の暮らしはとても厳しいものになっている。パレスチナの一人一人の子どもたちに思いをはせてほしい」などと話し、参加者に黙とうを呼び掛けた。

追悼と抗議行動には、つくばインターナショナルスクールに通う高校生5人が参加した。それぞれイギリス、インド、アイルランド、ロシア、バングラデシュにルーツをもつ2年生と3年生で、高2の女子生徒は「子供たちが殺されているのが悲しくて、SNSで追悼と抗議行動があるのを知り、友達や先生に声を掛けて、何かできることはないかと参加した」と話した。(鈴木宏子)

亡くなった子供たちの追悼のため黙とうする参加者

モグラのトンネルとジョウビタキ《鳥撮り三昧》6

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ジョウビタキ(写真は筆者)

【コラム・海老原信一】暖かい日差しに包まれた筑波山の梅林。林の縁に続く、草がきれいに刈り込まれた斜面。その下をゴツゴツした岩に縁どられた沢が一筋流れています。水が勢いよく流れる岩の苔にサワガニがしがみつき、流されまいと頑張っています。

沢筋の低木の枝先には、ジョウビタキのオスが一方向を見つめながら止まっています。何を見ているの?気になって視線の先を追うと、沢筋の斜面の土がモコモコ盛り上がって伸びています。「おっ、モグラだ」。ジョウビタキはこの斜面の一筋になぜ興味があるのか、程なく分かりました。

モコモコ伸びる一筋が小さな崩落を起こし、黒い土がバラバラと落ちています。それにジョウビタキが反応。崩れたところへ飛び、土の中へ嘴(くちばし)を差しこむと、何かをくわえ岩に飛び戻ります。嘴には小さな虫がくわえられていて、数回嘴を動かすとおなかへ。その間もモコモコは伸びていきます。

モグラのモコモコが崩れたら、そこから虫を得られる。何でもないようだけれど、考えると不思議に思います。モグラのトンネルが崩れると虫が出て来るのを、ジョウビタキはどうして知っているのか、推測することにします。

仲間で情報を共有し採餌

偶然モコモコが崩れたところに出くわし、そこから虫が出てきたのを見つけた仲間がいて、仲間たちがその情報を共有し、採餌(さいじ)行動ができたのだと思われます。こういったことは身近にあり、カラス、ムクドリ、セキレイなどが田畑のトラックターの後をついていき、土中から顔を出す虫を食べるのを見た方もいるでしょう。

公園などの草刈りの後、ムクドリやセキレイなどがやってきて、短くなった草の中から虫を捕らえているのも見かけると思います。

ある発見を採餌行動として成立させることを「学習する」と表現したりします。学問的にはもっと複雑な解説があるのでしょうが、一鳥見人が学んだことです。鳥を観察するって面白いものです。(写真家)

女性が働きやすい建設会社へ「取り組み認められた」 つくばの浅野物産

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庭・外構展示場「ここちテリア」で花づくりに取り組む浅野物産の女性従業員

人気ユーチューバーが花の直売イベント

つくば市羽成の建設会社、浅野物産(浅野一重社長)の庭・外構展示場「ここちテリア」で、園芸系の人気ユーチューバー古屋悟司さんが主催し、全国から花木生産者が多数集まる花の直売イベント「はなむすび」が11月2日、3日の2日間開催される。

古谷さんは都内で花屋を経営し、ユーチューブのチャンネル登録者数は20万人に達する。「はなむすび」は花がもつ感動や癒しの力を知ってもらうためのイベントで、花の楽しみ方や育て方を知ってもらい、園芸の新しい需要を掘り起こし、コロナ禍以降、園芸から離れてしまった人々を呼び戻すことが狙いという。

イベントではワークショップ、クイズ形式のトークイベント、オークション、質問ブースをなど設け、キッチンカーや地元飲食店も出店する。前回は5月に東京・よみうりランドで催され大盛況だった。今回は家族連れなど1500人の来場者を見込んでいる。

古谷さんは、会場にここちテリアを選定するにあたり、花がたくさんあるのを見て、イベントのイメージとぴったり合うことから会場を決定した。浅野物産の浅野弘美専務は「女性を多く雇用するようになってから会社にガーデナー部門が出来た。そのため選ばれたのではないか」と話し、建設会社として女性が働きやすい職場とする取り組みを重ねてきたことをPRしたい意向だ。

花の直売イベント「はなむすび」の会場となるここちテリア園内

「茨城女性リーダー登用先進企業」に

浅野物産は今年2月、県が推進する2024年度の「茨城女性リーダー登用先進企業 奨励賞」を受賞した。国内の建設業全体では男性就業者が85%を占めるが、浅野物産は社員30人のうち半数の15人が女性だ。女性が働きやすい職場環境づくりに取り組み、女性の管理職登用を積極的に推進していることから表彰された。

建設業ではまれなこの取り組みの場となったのが、9年前に始めた「ここちテリア」だ。当初から女性を多く採用し、子育て中の女性にも対応した柔軟な働き方を目指した。

同奨励賞の受賞は、9年間の取り組みが社会的に認められた証しで、浅野専務は「以前は男性中心の会社だったが、女性目線で経営を考えるといろいろなことが出来るようになった。今後も社会に貢献できることは何かということを念頭に置き事業を展開していきたい」と話す。

ここちテリア入り口

浅野物産は1962年に運送会社として創業、68年に建設業を始め、2016年には造園部門のここちテリアを始めるなど、事業の幅を広げてきた。ここちテリアでは理想の庭を展示するほか、敷地内には、ギャラリーや貸スペースもあり、親子リトミックや園芸教室など市民活動も応援している。独自の企画として年に1回「ここちガーデンフェスタ」を開き、コンサートやフラワーマーケットなどのイベントも開催している。来年春には「Seasons(シーズンズ)つくばカフェ」が敷地内にオープンする予定だ。(榎田智司)

お花の直売イベント「はなむすび」は11月2日(日)~3日(月)、いずれも午前10時~午後4時、つくば市羽成23-1 ここちテリアtsukubaで開催。入場無料。主催は、はなむすび実行委員会あとりえ亜樹。問い合わせはメールgekihana.official@gmail.comへ。

つくばの夕焼け《ご近所スケッチ》19

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】暑く長かった夏もどうにか終わり、やっと秋になってきたようです。忙しい毎日、空を見上げることはありますか? 都内からの帰宅中、高速バスや電車の窓から見える空と筑波山。特に空の大きさに、いつもホッとします。都心ではビルの隙間からしか見えないので、ヤレヤレという気持ちになります。

都内住まいの実家の母がつくばに来るたび、「つくばの空は広いねぇ」と言っていました。子供3人を抱え仕事をしていたそのころ、私は空を見上げる余裕なし。毎日、毎日、子供たちの胃袋を満たすこと、仕事の締め切りのことで頭がいっぱい。そんな私が空を見上げるようになったのは、母もいなくなり、子供たちも手が離れてからでした。

母は60才半ばで余命宣告され、実家と病院がある東京に通わなくてはならなくなりました。つくばエクスプレス(TX)もなかったころで、一番上の子が小学校に入ったばかりで、下の2人は保育所。いろいろなことが重なり、泣く泣く仕事を辞めました。今でいう介護離職?

つらいときには空を見るの

そのころ、母が入っている病院に行ったとき、「私ね、つらいときには空を見るの」と。都心の病院の窓から見える空は四角で小さかったのですが、母にとっては癒しの空だったのです。2年ほど病院と実家を行き来して、最期の半年は空の見える病室ではなく、狭い2人部屋。終末期には外もほとんど見えない部屋でした。30数年前ですから、まだ緩和病棟などがなかった時代です。

母の年齢を超えた今、空を見上げる時間、心の余裕ができました。つくば周辺は、本当に素晴らしい空が見られますね。特に夕日は、短い間にいろいろな表情を見せてくれます。今回は、つくば市西大沼で描いた絵です。牛久学園線が遠方に見え、まるで天国のどこかのようです(行ったことないけど)。私のイメージも絵に乗せてこんな風に。(イラストレーター)

「いっぱい笑った」つくばの保育園で初公演 イタリア劇団 ラ・バラッカ

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マネキンにいろいろな服を着せる「ラ・バラッカ」舞台の様子=16日、つくば市鬼ケ窪、みらいのもり保育園ホール

0歳から6歳までの小さな子供たちのための演劇作品をつくるイタリアの劇団「ラ・バラッカ」の公演が16日、つくば市鬼ケ窪、私立みらいのもり保育園(久松恵園長)で催され、0歳から5歳の園児93人が笑ったり、立ち上がったりしながら、舞台を楽しんだ。同劇団が日本の保育園で公演したのは初めて(10月7日付)。

文化交流団体「日伊櫻の会」(沢辺満智子代表)が主催した。4歳の園児からは「全部おもしろかった」「もう1回見たい」「いっぱい笑って楽しかった」などの感想が出された。

一般向けの公演は19日につくばカピオホールで催される。今回の来日公演は関彰商事がスポンサーとなっていることから、セキショウグループの関耀会(葉章二理事長)が運営する保育園で一足先に特別公演が実現した。

言葉を使わず、身振りや動作だけで表現する40分間の二人芝居で、多様な家族の在り方を問い掛ける演目「ファミリエ」が上演された。舞台の道具をころがしたり、蹴ったり、2人でふざけ合ったり、マネキンにいろいろな服を着せたりしながら、ユーモアたっぷりに演じ、家族の多様性を表現した。

赤ちゃんのマネキンを肩車して舞台を走るアンドレア・ブゼッティさん(左)とロレンツオ・モンティさん

公演後は、共に舞台に立った芸術監督のアンドレア・ブゼッティさん(45)と俳優のロレンツオ・モンティさん(35)との交流の時間が設けられ、2人は「見てくれているみんなに(いろいろな服を着たマネキンが)どんな顔をしているのか、どんな家族か考えてもらいたくて、わざと顔が無いマネキンを使った」などと話し掛けた。子供たちからは「好きな食べ物はなんですか」という質問が出て、ブゼッティさんは「ピザ」、モンティさんは「ラーメン」と答え、会場を沸かせた。

公演後、2人は「0歳から3歳は目を見開いて、何が起こっているのか熱心に見て、スポンジにように吸収してくれる。3歳以上はいろいろな質問が出てくる」と話し「舞台を見て何かの答えを得るというよりも、見てくれた子どもたちが疑問をもって、お母さんやお父さん、友だちに話して、家族ってなんだろうと考えてくれたら」と述べた。

公演後、子供たち一人一人とハイタッチをするもモンティさん(左)とブゼッティさん

同園の久松園長は「身近なものを何かに見立てて遊ぶ『見立て遊び』や、別のものになったつもりで遊ぶ『つもり遊び』は子供たちの世界を広げる。ラ・バラッカの舞台は言葉が無いからこそ、子供たちの心に響き、子供たちの想像力をかきたてると思う」と感想を話し、保育士の山田沙織さん(37)は「舞台のマネキンの顔が無かったことで、子供たちはマネキンの顔を一人一人想像しながら舞台を楽しんだと思う。(マネキンに赤い服と青い服を着せる場面などを通し)女の子は赤い服とか、男の子は青い服とか、決まっているわけではないというメッセージは、今後の保育の仕事にも役立つと思う」などと話していた。(鈴木宏子)

茨城ロボッツ敗れる 開幕1勝4敗に 

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チーム最多の29得点を挙げたロバート・フランクス(右端、青いユニフォーム)

男子バスケットボールBリーグ1部(B1)2025-26シーズンが10月3日開幕し、茨城ロボッツ(本拠地:水戸市、ホームタウン:水戸市・つくば市)は開幕5戦目となる15日、日立市東成沢町の池の川さくらアリーナでサンロッカーズ渋谷(SR渋谷)と対戦、82—84で敗れ、1勝4敗となった。

ロボッツは昨シーズン、15勝45敗と低迷し東地区7位に終わった。今シーズンは30勝を目標に掲げるが、4日の開幕戦はアウェーで仙台89ERSに連敗。ホーム開幕戦となった11日は延長戦の末に群馬クレインサンダーを破りホームで初勝利を上げた。しかし翌12日は敗れ、ここまで1勝3敗でSR渋谷戦に臨んだ。会場には平日にもかかわらず満員の3157人のファンが熱い声援を送った。 

第1クオーター、ドリブルで攻め込む陳岡流羽

2025−2026 B1リーグ戦 (10月15日、日立市池の川さくらアリーナ)
茨城ロボッツ 82ー84  サンロッカーズ渋谷 
茨城 23  16  21  22    = 82
渋谷 20  18  18  28    = 84

ロボッツは序盤から終始リードを奪いながらも終盤に逆転を許し、悔しい敗戦となった。第1クオーターは中村功平のシュートで得点するとその後は一進一退の攻防が続いた。昨年までSR渋谷に2シーズン在籍し今季からロボッツに移籍したつくば市出身の小島元基が、古巣を相手に終了間際にシュートを決め、第1クオーターは渋谷にリードを許さなかった。

第1クオーター終了間際に小島元基がシュートを決める

第2クオーターは直後に逆転を許すが、タイラー・クックのダンクシュートに、ロバート・フランクスと駒沢颯が3ポイントシュートを決め、前半を39ー38と1点リードで折り返す。フランクスは「自分の強みを見せられたので、今後も自分の強みを継続して見せられるようにステップアップしていきたい」と話した。

攻撃の中心として活躍したタイラー・クック

後半もロボッツは、フランクスを中心に得点を重ね、最大10点のリードを広げる。だが徐々にSR渋谷の反撃に遭い逆転を許すと、残り5秒を切ったところでクックのシュートが決まり同点とする。しかし直後に勝ち越しを許し、敗れた。

チーム最多の29得点を挙げMIPを獲得したフランクスは「最後の方に自分たちにミスが多く出てしまった。チームとしてしっかり戦えたのはいいことなので、ポジティブに考えてやっていきたい。次のアルバルク東京は強いチームだが、そういうチームに対しても戦えるということを証明できていると思うので、自信を持って、チームとしてしっかり準備をしていけば勝てると思う」と次の試合に意欲を見せた。

試合後、スタンドに挨拶する茨城ロボッツの選手たち

クリス・ホルム ヘッドコーチは「今日の負けは痛かった。全体的なプレーは良かっと思うが、SR渋谷が何かをして勝ったというよりも、集中力が欠けてしまったり、シュートを打てるときに打てなくてチャンスを自分たちでつぶしてしまったことが40分間通して積み重なってしまったのが自分たちの課題」と悔しがった。次節は18日、19日アウェーでアルバルク東京と対戦する。(高橋浩一)

廃校をサイクリスト拠点やレストランに 旧斗利出小 土浦市が地元企業に売却へ

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旧斗利出小学校校庭(土浦市提供)

小中一貫の新治学園義務教育学校(同市藤沢)が開校したのに伴って2018年3月末で廃校となった同市高岡、旧斗利出(とりで)小学校跡地(約1.3ヘクタール)の利活用について、土浦市は15日、公募型プロポーザルを実施した結果、サイクリスト向け拠点やレストラン、マルシェ、子供たちの遊び場などとして利活用すると提案した地元の太陽光発電設備販売会社、アクセスシャイン(同市中)が最も優れた提案をしたとして優先交渉権者に決定したと発表した。今後、提案内容をもとに基本協定を締結し、合意すれば同社に用地と建物を売却する。

同社の提案内容は、同小跡地は、サイクリングロード「つくば霞ケ浦りんりんロード」に近く、つくば市春風台から桜川に架かるさくら大橋を通って国道125号につながる、土浦とつくばを結ぶ県道藤沢荒川沖線に近いなどの立地にあることから、立地条件を生かし、①2階建ての校舎をコミュニケーションゾーンとして常時、地元企業が出店したり、レストランを開いたり、地域交流スペースとして活用する②体育館をサイクリストゾーンとして常時、サイクリスト向け拠点とするほか、災害時は地域住民の一時避難所として活用する③校庭はイベント広場として、休日にキッチンカーなどによるマルシェを開いたり、イベント開催時以外は子どもの遊び場として利活用するーなど。

旧斗利出小学校校舎(土浦市提供)

同小の跡地利活用について同市は、5月30日に公募を開始し、市内外の3事業者から応募があった。プレゼンテーションとヒアリングを実施し、市のプロポーザル選定委員会が参加事業者の資質、事業内容、購入価格などについて審査した結果、アクセスシャインが優先交渉権者に決定した。

校舎は改修が必要で、体育館は耐震基準を満たしていないなどから、市は、今後必要になる校舎の改修費用や体育館の耐震補強費用などを差し引いて、最低売却価格を578万円として提示していた。公募でいくらの提示があったかは非公表としている。

今後については、11月ごろまでに利活用の提案内容について市と同社とで基本協定を締結し、年内に住民説明会を開催。さらに同小は市街化調整区域であることなどから、県の開発審査会の承認が必要となるほか、開発許可などの法令手続きに1~2年かかる見通しで、改修工事着手はその後になる。

新治学園義務教育学校の開校に伴って、新治地区では斗利出小のほか、藤沢小、山ノ荘小の3校が廃校となった。旧藤沢小は現在、体育館が地域の避難所となっているほか、日ごろ地域のスポーツクラブなどに利用されている。旧山ノ荘小は日立建機ICTデモサイトとして、情報通信技術を用いた建設機械のデモンストレーションや体験をする場に利用されており、旧斗利出小だけが利活用方法が決まってなかった。(鈴木宏子)

油彩画、水墨画など70点 筑波銀行退職者の会が美術展 つくば本部ギャラリー

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筑波嶺会の会員ら=つくば市竹園、筑波銀行つくば本部2階ギャラリー

筑波銀行の退職者でつくる筑波嶺会の土浦支部美術展が15日、つくば市竹園の筑波銀行つくば本部ビル2階ギャラリーで始まった。昨年、会の名称を筑波銀行OB会から筑波嶺会に変更して2回目の開催となる。同会に所属する22人が、退職後に制作した油彩画、水墨画、写真、書、彫刻、陶芸など約70点を展示している。

小松崎綾子(78)さんは、押し花絵「竹林」など3点を展示。バラ、銀ポプラ、落ち葉、タブの新芽、木の皮、ケイトウなどを素材にして、絵の具を用いず仕上げた。「16年前から習い始めた。根気のいる作業で一つの作品を作るのに2、3カ月かかる。最初、形がないものがだんだん仕上がっていくのは感動もの。とても達成感がある」と話す。

小松崎綾子さんの押し花絵「竹林」

堀越喜代子(78)さんは、鉛筆画「花明かり」など3点を展示。2Hから10Bの鉛筆を使い、ていねいに仕上げていく。作品は人物を描く。15年ほど前に習い始めて2018年には個展も開いた。「描くには手間がかかる、遠くから眺め確認する作業も必要。しかし完成すると充実感がいっぱいになる。人物によって筆が進むときと進まない時がある。また何か乗り移ったように筆が進むことがあるから不思議」だと語る。 

堀越喜代子さんの鉛筆画「花明かり」

今年は2024年9月に亡くなった会員、安斉克一さんの追悼展を加え、安西さんが生前に制作した油絵8点を展示している。

同銀行は2010年に関東つくば銀行と茨城銀行が合併し誕生した。筑波嶺会は水戸支部、下妻支部、土浦支部の3支部があり、今回、土浦支部が主催した。会員は60代後半から70代後半が中心。定年延長という時代でもあり、リタイアした後にすぐに会員になることは近年少なくなったという。

筑波嶺会会長の徳宿彰さんは「銀行の中でもこうした芸術関連のOB会があるのは珍しい。みんな同窓会のように楽しみにしている」と話す。(榎田智司)

旧日本軍の二つの飛行場から「戦争とつくば」考える 戦後80年企画展

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谷田部海軍航空隊の隊員だった祖父が撮影した写真が収められているアルバムを紹介する市文化財課職員の久保田昌子さん=小田城跡歴史ひろば案内所

2カ所で巡回

戦後80年を迎え戦争の記憶が徐々に失われつつある中、アジア・太平洋戦争中につくば市にあった旧日本軍の二つの飛行場から、戦争とつくばの関わりを考える巡回企画展「戦争とつくば」が同市小田、小田城跡歴史ひろば案内所で開かれている。併せて原始・古代から近代までの戦争と地域の人々との関わりを発掘出土品や古文書などの資料から振り返る。写真や地図、出土品などの資料約100点が展示され、初公開の資料もある。

二つの飛行場は、市南部にあった谷田部海軍航空隊と、北部にあった西筑波陸軍飛行場。

展示会場の様子

隊員らのスナップ写真を初公開 谷田部海軍航空隊

谷田部海軍航空隊は、現在の同市上横場、観音台、高野台にまたがってあった。1938(昭和13)年12月、阿見町にあった霞ケ浦海軍航空隊の谷田部分遣隊が設置され、翌39(昭和14)年12月に谷田部海軍航空隊として独立し、「赤とんぼ」と呼ばれた練習機の訓練などが行われた。現在、筑波学園病院がある上横場には、木造2階建ての本部や宿舎などの建物があり、農研機構の各研究所がある観音台は、縦横1.8キロ×1.3キロの芝生の滑走路があった。滑走路の南東の高野台には、敵襲から飛行機を隠す掩体壕(えんたいごう)が多数設置されていた。市の調査で3基の掩体壕跡が残っていることが確認され、写真と地図で紹介されている。

戦局が悪化した1944(昭和19)年11月以降は、神之池海軍航空隊(現在の鹿嶋市)の実戦部隊が谷田部に移設され、谷田部にあった練習機部隊は神町基地(現在の山形県東根市)に移設。神之池から零戦などがやってきて、実用機で訓練する実用機教程が行われた。1945(昭和20)年2月、米軍が群馬県の軍用機生産工場、中島飛行機工場や、霞ケ浦海軍航空隊があった阿見・土浦方面を攻撃した際は、谷田部から迎撃に向かい計4人が死亡した。その後は実用機訓練から特攻隊訓練に切り替わり、神風特攻隊「昭和隊」が編成され、同年4月7日以降は隊員らが次々に鹿児島県の鹿屋海軍航空基地に向かった。昭和隊は第7次まで編成され、54人いた隊員のうち40人が死亡した。

企画展では、カメラが趣味だった当時の隊員(故人)が撮影した隊員らのスナップ写真や、昭和隊が鹿屋に向けて出撃する1945年4月7日、水杯を酌み交わす隊員らの様子など、当時の貴重な写真を展示している。写真を撮影したのは、企画展を主催する市文化財課職員、久保田昌子さんの祖父が撮影したもので、初めて一般に公開された。ほかに2006年、地元のつくば工科高校(現在つくばサイエンス高)の生徒が、宮城県白石市を訪ね、当時の昭和隊隊員にインタビューした貴重な証言を記録したビデオを会場で上映している。

谷田部海軍航空隊の写真

竹内浩三の「筑波日記」を紹介 西筑波陸軍飛行場

西筑波陸軍飛行場は当時の作岡村、吉沼村にまたがる約300ヘクタールの広大な敷地で、地元の勤労奉仕による工事で1940(昭和15)年7月、陸軍航空士官学校西筑波文教所として開設された。指令室などの建物のほか、鉄骨造の格納庫が3棟、木造の格納庫が6棟あり、谷田部と異なりコンクリートで舗装された滑走路があった。士官学校として利用されたのは2年程度で、その後は落下傘やグライダーを用いて敵地前方に進む挺身部隊の訓練地となった。1943(昭和18)年11月には滑空歩兵部隊と滑空機操縦部隊のグライダー部隊となった。

企画展では、当時西筑波の隊員だった三重県出身の詩人、竹内浩三(1921-45)が遺した「筑波日記」を紹介し、小田城跡で訓練をしたり、作岡で掩体壕を掘ったり、吉沼にたびたび出掛けて外食を楽しんだり、銭湯や書店に足しげく通ったりなどの一節をパネルで展示している。ほかに中菅間の個人宅で保管されていた西筑波飛行場で使われていたと伝わる灰皿などを展示している。

近代以前の展示では、つくば市内で確認できる最古の武器として、古墳時代前期の4世紀後半ごろ出土した鉄剣などが紹介。戦国時代、落城と奪還が繰り返された小田城の堀跡から発掘された、2カ所に刀傷とみられる鋭利な外傷がある中年女性の頭蓋骨が初公開されている。

初公開されている小田城の堀跡から発掘された頭蓋骨

市文化財課は「アジア・太平洋戦争で大きな空襲を受けなかったつくばが戦争について大きく取り上げられる機会は多くなかったが、戦争と無関係でいたわけではなく、戦争の痕跡は身近なところに残されており、戦争の悲惨さと平和の大切さについて考える機会になれば」としている。(鈴木宏子)

◆巡回企画展「戦争とつくば」は10月4日(土)~来年2月8日(日)まで市内2カ所で開催される。①10月4日(土)~12月7日(日)は同市小田2532-2、小田城跡歴史ひろば案内所で、②12月18日(木)~2025年2月8日(日)は同市谷田部4774-18、谷田部郷土資料館で開催。入場無料。開館時間はいずれも午前9時~午後4時30分、月曜など休館(祝日の場合は翌日)。
▽会期中、二つの旧日本軍飛行場跡をバスと徒歩でめぐり、地割や地形に残る痕跡を見学する体験講座「飛行場の痕跡をめぐる」を11月29日(土)午前10時~午後3時に開催する。定員20人。事前申込必要。申し込みはこちら
▽ほかに、筑波大名誉教授の伊藤純郎さんによる講演会「谷田部海軍航空隊と民衆—本土防衛、特攻隊に対するまなざし」を12月6日(土)午後2~4時、市役所コミュニティ棟1階で開催する。定員約100人。当日受付。