月曜日, 10月 12, 2026
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5氏が立候補へ 茨城6区 衆院選’26

解散に伴う衆院選があす27日公示される。つくば、土浦市など5市が選挙区の茨城6区には▽前職で立憲民主党を離党した青山大人氏(47)=無所属▽前職で外務副大臣の国光あやの氏(46)=自民▽新人で会社員の堀越麻紀氏(53)=参政▽新人で党県南部地区委員会副委員長の稲葉英樹氏(58)=共産▽新人で自営業の中村吉男氏(55)=無所属=の5氏が立候補を表明している。前職2氏の争いに新人3氏が加わる混戦となりそうだ。

自民党の裏金問題が争点になった前回2024年10月の衆院選は、共産新人を加え三つどもえの戦いだった。青山氏が5市すべてで国光氏を上回って計約12万票を獲得、国光氏に約1万3000票の差を付けて小選挙区で初勝利した。国光氏は比例復活当選した。今回は、昨年7月の参院選の際、つくば、土浦など5市で計約6万5000票をとり、茨城で初の参院議席を獲得した参政党も参戦する。

青山大人氏 無所属 前

青山大人氏

4期目を目指す青山氏は①教育の負担軽減②消費税食料品ゼロ③TX土浦駅延伸などを掲げ、立憲民主党と公明党による新党「中道改革連合」に加わらず無所属で臨む。これまで通り連合茨城の推薦を得るものの「無所属は比例復活がなく、政見放送もない。今まで以上に緊張感をもっている」と話す。

これまで、衆院文部科学委員会理事として、公立学校教員の教職調整額を段階的に引き上げる給特法の改正を50年ぶりに実現させたなどと実績を強調する。

27日の告示日は午前11時30分から土浦市乙戸の大塚商店前で第一声、午後6時30分から土浦市城北町のホテルマロウド筑波で出陣式を開く。

国光あやの氏 自民 前 

国光あやの氏

同じく4期目を目指す国光氏は高市政権の外務副大臣として①強い外交②強い経済③強い社会保障を掲げる。

これまで、2026年度以降の実現が検討されている出産の標準費用無償化と、単身高齢者が身元保証人なしで入院や施設入所ができ葬儀や納骨まで公的にサポートする支援体制整備に向けた社会福祉法改正の検討などの実績を強調し「ゆりかごから墓場まで安心して暮らせるよう国を動かせたことは議員冥利に尽きる」とする。前回、小選挙区で青山氏に敗れたことに対しては「私の力不足だった。今回はより一層、夢を語り、思いを語る選挙にしたい」と話す。

27日は、午前10時からつくば市吉瀬の選挙事務所で出発式を行う。

堀越麻紀氏 参政 新

堀越麻紀氏

参政党新人の堀越氏は①消費税の段階的廃止②外国人受け入れ制度の見直し③子育て支援などを掲げる。

「日本経済は35年間停滞し、給料が上がらない。日本には180万人の失業者がいるのに、2028年度までに特定技能外国人を82万人受け入れる政策に違和感をもち」昨年7月に入党した。つくばみらい市出身、高校時代に米国に留学し、語学力を生かして外資系小売店でマーケティングなどを担当。その後、外国人技能実習生に関わる仕事に就き、過剰な外国人の受け入れに問題意識をもったとする。

27日は、午前10時30分からみらい平駅前で第一声、夕方5時からつくば駅前広場で出陣式をする。

稲葉英樹氏 共産 新 

稲葉英樹氏

共産党新人の稲葉氏は①消費税廃止目指し5%に②核兵器禁止条約参加③給付型中心の奨学金制度の実現などを掲げる。

土浦市出身。小学2年の時、父親が急死し母一人子一人となり、母親が大変な思いで働く姿を見て育った。半導体メーカーに勤務、つくば市の産業技術総合研究所で半導体研究者の研究補助を務めた経験もある。2023年から党県南部地区委員会の専従職員となり、25年から同委副委員長。これまでの選挙は裏方で候補者を支える側だった。

27日は午前11時からつくば市竹園の大清水公園前で第一声、午後4時からはイオンモール土浦で比例候補の塩川鉄也氏と街頭演説する。

中村吉男氏 無所属 新 

中村吉男氏

無所属新人の中村氏は、①憲法9条を改正し国防軍を明記②航空宇宙産業を育てるための環境整備③経済の活性化などを訴える。

石岡市出身。実家は、祖父母が創業した老舗の呉服仕立て店。拓殖大学商学部貿易学科を卒業後、ホテルに勤務しホテルマンに。その後、婚礼プロデュース会社役員やウェブ専門スクールでIT研修会社の立てつけなど行った。

27日は午後2時から石岡駅西口前で第一声となる街頭演説をする。

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