月曜日, 10月 12, 2026
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GO TO 鬼ケ島《短いおはなし》47

【ノベル・伊東葎花】

どうも。鬼です。そうです。昔話に出てくる、角が生えた鬼です。
私たちは昔、人間に退治されました。それ以来、人里離れた小さな島で、身を寄せ合ってひっそりと暮らしていたのです。
しかしあるとき、命知らずのユーチューバーがやってきて、私たちにカメラを向けました。

「伝説の鬼ケ島は実在しました~! 本物の鬼がいま~す」

そう言って、私たちの動画をネットで流したのです。
鬼ケ島の存在が、知られてしまいました。

人間たちがうじゃうじゃやってきました。
私たちは戸惑って、おびえました。何しろ人間は怖いものだと教えられてきたのです。
しかし人間は、とても好意的でした。手土産に酒や食べ物をくれました。
それを目当てに、独占インタビューに応える鬼も出てきました。
特に害はないし、これも時代かと歓迎ムードで人間たちを迎えました。

ある日、大企業の営業マンがやってきました。

「この島に、鬼のテーマパークを造りませんか。たくさんの鬼の雇用を確約します。今よりずっと潤った暮らしができますよ」

鬼たちのショータイム、鬼とのふれあいコーナー、インスタ映えする鬼スポット、鬼のコスプレ大会、鬼のかくらんジェットコースターなど、いろいろ提案してきました。
島が潤うのはいいことです。
鬼だってオシャレもしたいし、おいしい物も食べたいのです。

2月のある日、企業の重役たちが視察に来ました。
視察といっても家族連れです。妻や子どもや孫までいます。
まるで経費を使って旅行に来ているみたいでした。
本物の鬼に、子どもたちは大興奮。
重役たちも昼から酒を酌み交わし、リラックスムードでした。
鬼も人間も、和やかな雰囲気に包まれていました。

しかしその夜のことです。
子どもたちが、カバンから豆を取り出して、いきなり投げつけてきたのです。
「おには~そと」と言いながら、鬼に向かって投げるのです。
大人たちは、止めるどころか笑っています。

「ああ、そうか。今日は節分か」

「本物の鬼に豆をぶつけるなんて、そうそうできるものじゃない」

「どうでしょう、鬼テーマパークで、節分アトラクションをつくっては」

「楽しそうだな。早速、案を練ろうじゃないか」

「逆オニごっこっていうのも面白いわ? 人間が鬼をつかまえて、捕まえた鬼には豆をぶつけてもいい、とか」

「いいねえ」

重役たちは、豆を拾って食べながら、そんな話で盛り上がっています。

私たちは、恐ろしくなりました。やはり人間は怖いです。
夜中にそうっと抜け出して、鬼たちを集めました。
人間たちは、ぐっすり眠っています。
今のうちに、みんなで島を出ることにしました。
重役たちが乗ってきたクルーザーにみんなで乗り込んで、新しい島を目指しました。
今度こそ、誰にも見つからない平和な島で、静かにひっそり暮らしたいのです。

みなさん、どうか私たちを探さないでください。

(作家)

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