【コラム・先﨑千尋】3月下旬のある日、私は地元の瓜連小学校で再び教壇に立った。相手は5年生全員だ(といっても60人弱)。テーマは「倭文織に魅せられて―しづ織とは何か」。

私が住んでいるすぐ近くに常陸二ノ宮静(しず)神社がある。近頃は、神社に隣接する静峰(しずみね)公園の2000本の八重桜の方が知られているが、「桜田門外の変」で井伊大老を討った一人、斎藤監物(さいとう・けんもつ)の墓もあり、歴史に関心のある人はそちらに引き付けられる。

静神社の祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)。織物の神様だそうだ。古代、神社の周辺には倭文部(しどりべ)という職業集団がいた。倭文(しどり、しづおり)とは「楮(コウゾ)や麻、からむしなどを素材として、その緯(い)を青、赤などに染め、文(あや)に織った布」と言われている。『万葉集』には、防人(さきもり)に行った倭文部可良麻呂(しどりべのからまろ)の長歌が収められている。

この織物は『常陸国風土記』や『延喜式』など多くの文献に出てくるが、現物が発見されていないので、こういうものだと断定はできないが、調べる価値のある織物だ。

地元にこのような貴重な歴史遺産がある瓜連町では、約30年前に楮や木綿などを使ってしづ織の復活を試み、小学校にも「しづ織クラブ」が誕生した。今の子どもたちは第2世代になる。私もこのクラブの誕生に関わっており、小学校から「しづ織とは何かを話してほしい」と頼まれたのだ。

楽しみながら学ぶ、楽しいことを学ぶ

私は当然、しづ織の素材や用途などについて基本的なことを話したが、その前に、歴史とは何か、どうして歴史を学ぶのかについて、私が日ごろ考えていることを伝えた。学校で教わる歴史とは、年表を覚えることと有名な人や事件などを知ること。だから面白くない。私はその壁を破りたかった。

長い長い人類の歩みの中で、数え切れない人々の暮らしや生活があり、事件や事故、自然災害なども起きた。その中から何をつかみ取るのか。自分が生きている今と違う世界がある。そこを旅するのが歴史だ。過去に学ぶことは、これからの自分や地域、国の将来を考えることだ。そう前置きし、次のようなことを話した。

しづ織を織っていた倭文部の人たちは、どんな暮らしをしていたのだろうか。何を食べていたんだろうか。他の人たちとの交流はどうしていたんだろうか。静神社の近くに前方後円墳があるが、しづ織と関係あるのだろうか。一つのことに興味を持てば、調べたいことが次々に浮かんでくる。それを調べるのが歴史の旅なのだ。

この地域には、奈良・平安時代には「倭文郷(しどりごう)」という大きなムラがあり、最近墨書(ぼくしょ)土器も見つかった。鎌倉・室町時代は、東西南北の交通の要所で、東海村辺りから栃木那須方面への塩の道が通っていた。

私は当日、わが家の田んぼで見つけた旧石器時代の小さな石斧(おの)を持参した。皆それを手に取り、目をキラキラ輝かせていた。楽しみながら学ぶ、楽しいことを学ぶ、それが子どもの教育に大事なことなのではないか。そう考えた。(元瓜連町長)