火曜日, 4月 22, 2025
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土浦で初 筑波大芸術系卒業制作展 市民作家減少、新たな萌芽に 

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株田昌彦さんの油彩画「排気4000 Ⅰ,Ⅱ」の前で足を止める来場者たち=土浦市大和町、アルカス土浦1階市民ギャラリー

筑波大学芸術系の卒業制作作品のうち、特に優れた作品を展示する「筑波大学アート・コレクション展 TURNING POINT(ターニング・ポイント)」が土浦駅前の同市大和町、アルカス土浦1階市民ギャラリーで開かれ、絵画や造形など卒業生の力作16点が展示されている。同大アート・コレクション展の土浦市での開催は初めて。

決意表明の作品

日本画や彫塑(ちょうそ)、書、版画、総合造形など、14の領域を有する筑波大学ならではの多様なジャンルの作品が展示されている。第11回MOE創作絵本グランプリを受賞した絵本作家、塩満幸香さんの油彩画「Sit down, please.」や、多摩美術大学講師の陳芃宇さんの日本画「The End・Be Start」、宇都宮大学准教授の株田昌彦さんの油彩画「排気4000 Ⅰ,Ⅱ」など横幅2~4.5メートルの大作や、映像作家浅井佑子さんの映像作品「make-up」なども見ることができる。

塩満幸香さんの大きさ約2.3×3.6m油彩画「Sit down, please.」

いずれも同大で「芸術賞」と「茗渓賞」として1999年から2018年までに表彰された受賞作だ。「芸術賞」は1997年度、「茗渓会賞」は2006年度に始まった表彰制度で、これまで120点余りの作品が受賞している。受賞作品は毎年大学が買い上げ、「筑波大学アート・コレクション」として収蔵されている。卒業制作は、芸術を志す若者が、自身の今後の方向性を宣言する決意表明の作品でもある。

土浦市の友人と一緒につくば市から訪れた須藤スミ子さんは「これまでヨーロッパやアメリカなど16カ国の美術館を訪れているが、遜色なく、プロ並みの力作ぞろいで迫力があり、驚いた。若い人たちにがんばってほしい」と話し、展示された工芸作品などに見入っていた。

会場の様子=同

市民美術展、県内一の歴史

土浦市は、市民公募型の美術展「土浦市美術展覧会」が1947年に始まり、県内一の歴史ある美術展として知られるなど、県南の芸術文化の中心地となってきた。しかし少子高齢化が進む近年は、創作活動をする市民作家が減少しているという。若い感性で創り出された作品に触れることで土浦市の芸術文化振興の新たな萌芽のきっかけにしたいと同市が展示を企画した。

企画した同市文化振興課の若田部哲さんによると、ターニング・ポイントというタイトルには、展示された作品が学生の卒業後の方向性を決め、大きな転機となったという意味と、同展が土浦の芸術文化への意識を変える転換点になればという思いが込められているという。「芸術系を目指す若い人たちにぜひ見に来てほしい。土浦の高校生にも見てもらえたら」と来場を呼び掛ける。(田中めぐみ)

◆会期は10月20日(日)まで。開館時間は午前10時~午後6時。月曜日は休館(祝日を除く)。入場無料。土浦市民ギャラリーは、土浦市大和町1-1、土浦市立図書館1階。問い合わせは電話029-846-2950(同ギャラリー)。

つくば市長における退職金問題の研究《吾妻カガミ》191

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】コラム189(8月19日掲載)で「今度は退職金もらうの? つくば市長」と問うたら、要旨「もらうけど、金額は市民に決めてもらう」との答えが五十嵐市長から返ってきた。その仕組みは記事「ネット投票し市民評価で金額決定へ…」(8月26日掲載)に詳しい。

金額を操作できる仕組み

ざっと説明すると、ネット投票(採点)で2期目の仕事振りについて市民に点数を付けてもらい、その平均が100点ならば規定額の2040万円を受け取り、市民の評価が50点ならば1020万円で我慢するというスキームだ。評点ゼロの場合は、受け取りを辞退した1期目の退職金と同じ22円(法律上の最少額)になる。

一見すると、仕事振りと退職金額を連動させるスマートな仕組みになっている。しかし、市民だれもが投票できるわけではなく、採点に参加できるのはマイナンバーカード取得を済ませた15歳以上の市民に限られ、しかも市が用意したスマホ上の参入アプリを使いこなせる人だけが対象になる。

つまり、マイナンバー嫌いとネット弱者は市長採点に参加できないから、この仕組みの公平性には疑問符が付く。市長ファンのマイナンバー好きとネット強者を動員して高い得点を演出することが可能だからだ。もちろん、逆動員をかけて低い平均点に誘導することもできる。

採点者無作為抽出を回避

市民採点を導入するのであれば、無作為に抽出した市民3000人ぐらいから何点付けるか聞き、その平均点を出して決めるべきだろう。新聞やテレビが世論調査に使う方法だ。これであれば、回答者がマイナンバー好きとネット強者に偏らず、いま市長が導入しようとしているスキームよりも公平性を担保できる。

たとえ五十嵐氏が考案した仕組みを使うにしても、市ホームページ(HP)上の市政広報(PR)だけを信じてはいけない。市長は「市長公約事業ロードマップ2020~2024」を採点の参考にしてほしいと言っているが、市政を厳しく監視している本サイトの記事も参考にしてもらいたい。

ハムレット並に悩んだ?

コラム189では「(1期目の退職金を辞退したのは)おカネにこだわらない市長像を市民の間に広げたかったようだ。政治の世界ではこの種の受け狙いの政治手法をポピュリズム(大衆迎合主義)と呼ぶ」と、五十嵐氏の振る舞いを批判。「退職金はハードな仕事をこなす市長の報酬の一部だから…、堂々と受け取るべきと考える」と述べた。

市長の後援者からも「受け取るべきだ」と言われていたようで、2期目の退職金は受け取った方がいいか、1期目との整合性を保って2期目も受け取らない方がいいか、五十嵐氏は悩んだようだ。ハムレット並の煩悶(はんもん)の末、「もらうけど、金額は市民に決めてもらう」という仕組みをひねり出した。

退職金辞退=ポピュリズム=批判をかわし、秋の市長選挙に(資金面で?)備えたわけだが、ネット採点という市民受けを狙ったカラクリといえる。まだポピュリズム思考から脱していないようだ。(経済ジャーナリスト)

<参考> 最近復刊され「つくば市民の声新聞」第7号も採点の参考になります。発行者の許可をもらいリンクを張りました。青字部をクリックすると読めます。

やさしい日本語で外国人にも分かりやすく 防災イベント 28日つくばで

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(左から)主催団体の鬼木さん、水谷さん、山口さん、つくば市国際交流協会の中村さん、西田さん

9月商品化の「防災かるた」も登場

やさしい日本語を使ったゲームを通じて外国人に防災意識を高めてもらおうと、つくば市の市民団体「にほんごでおしゃべりプロジェクトチーム」(山口寛子代表)が28日、同市吾妻、つくばセンタービル内の市民活動拠点コリドイオと同センター広場で「やさしいにほんごで にげろ!たすけろ!防災脱出ゲーム」を開く。参加者は、施設各所に置かれた防災がテーマの課題を解きながら、施設からの脱出を目指す。今年で4回目で、昨年は筑波大で開かれ約80人が参加した。

イベントでは、市内在住の防災士で主催団体にも関わる水谷寛子さん(64)が、イラストや文面を自作し、9月に商品化された防災かるた「やさしいにほんごで ぼうさいかるた」(白泉社製作)も使われる。水谷さんは第1回から企画に参加する中で、防災についてどうしたら外国人により分かりやすく伝えられるか考えたのが、かるた製作につながった。「災害の多い日本で安心して暮らすためには、自分の防災力を上げることが大切。かるたはルールが簡単。大人も子どもも楽しみながらできる」と話す。

水谷さんが考案し9月に販売された「防災かるた」

やさしい日本語で月2回おしゃべり会

主催する同チームは、外国人を対象とするおしゃべり会を2021年から月2回開催し、8月で91回を数えた。ベトナムやスリランカなどつくば在住の外国人や日本人らが参加し、外国人が日々の暮らしで感じる疑問を語り合う。代表の山口さん(40)は「『やさしい日本語』というのがあることを、外国の方だけでなく日本人にも知ってもらえたら、英語ができなくても、いざという時に、必要なことを外国の方に伝えるのに役立つ」と話す。

今年1月の能登半島地震では、避難所に身を寄せた外国人が、言葉がわからないことから「勝手に手をつけたら怒られるのでは」と思い込み、支援物資の食糧や毛布を手にできなかったことが報道された。防災かるたを制作した水谷さんは「決してそこにいた人が冷たかったり、意地悪だったりしたわけでない。混乱の中でも外国人に分かりやすい言葉で伝えられたなら状況が違っていたはず」と言う。

同チームで活動する日本語教師の鬼木尚子さん(56)は「一つの文を短くすることで伝わりやすくなる。『備蓄』といっても難しいので『ようい(用意)』にするなど、難しい日本語や漢語を使わないのが大切」だと言い、発音が日本語読みになってしまった「カタカナ語」も通じにくいと話す。

身を守る方法 楽しみながら知って

山口さんは「過去のイベントには子どもから大人まで、家族連れや1人での参加もあったし、日本人も参加している。防災のことは、災害がないと忘れるし、見直しを怠ってしまいがち。ジャッキを使った救出や模擬消火器体験、本物の消防士とのやりとりなど、普段はなかなかできない体験ができるので、是非、多くの方に参加していただければ」と言い、共催する市国際交流協会の中村貴之さん(52)は、「災害時に必要な情報をどのように外国の方に伝えられるか考えてきた。身を守る方法を楽しみながら知ってもらえたら」と参加を呼び掛ける。

イベントでは、屋外のつくばセンター広場で、つくば中央消防署の協力を得て水を使った模擬消火器を使ったり、施設内では車の車体を持ち上げるジャッキを使って障害物の下敷きになった人形を助け出したりする。その他に、会場にいる消防士に電話を架け、火事、病気、けがの3パターンの状況を日本語で的確に伝えたり、防災バッグの中身を当てたりする。調理室では非常食のアルファ米を実際に調理して試食体験もできる。

各所には、消防士の意見をもとに作った、緊急時の電話の会話例文や、けがや病気の症状を伝える際に必要になる体の部位名などを、外国人にも分かるように配慮した「やさしい日本語」で記した冊子が用意され、参加者は持ち帰ることができる。(柴田大輔)

◆「やさしいにほんごで にげろ!たすけろ!防災脱出ゲーム」は、9月28日(土)午後1時から4時まで、つくばセンタービル内コリドイオとつくばセンター広場で開催される。参加費は無料。事前申込制。申し込みは専用サイトへ。問い合わせはメール(oshaberinihongo@gmail.com)へ。

「青い眼の人形」と「赤い靴」の謎《映画探偵団》80

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】2025年は、茨城県出身の詩人・野口雨情没後80年に当たる。また「筑波節」「筑波小唄」誕生95周年でもある。今、記念イベントを準備している。これまでは雨情の茨城県民謡14曲に絞り活動してきたが、今回は初めて童謡も取り上げることにした。

代表作「七つの子」「青い眼の人形」「赤い靴」は、なんと同じ1921(大正10年)、雨情40歳のときに作られた。しかも「青い眼」と「赤い靴」は同じ12月に発表されている。2つは独立した童謡だが、「青」と「赤」が同時期に作られているため、何か関連があるのではと想像してしまう。

それは、元は1つの詞を2つに分けた「筑波節」と「筑波小唄」の仕事があるからだ(映画探偵団22)。雨情の詞は極度にシンプルなため、謎めいていて想像力を刺激する。

青い眼の人形

青い眼をした
お人形は
アメリカ生まれの
セルロイド

日本の港に
ついたとき
一杯涙を
うかべてた

「わたしは言葉が
わからない
迷子になったら
なんとせう」

やさしい日本の
嬢ちゃんよ
仲よく遊んで
やっとくれ

米国生まれのセルロイド人形を持った人が日本へやってくる。言葉が分からない人形に、優しい日本の嬢ちゃんよ、仲良く遊んでやっとくれと言う。この大人は女性だろうか。

赤い靴

赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行っちゃつた

横浜の 埠頭(はとば)から
船に乘って
異人さんに つれられて
行っちゃつた

今では 青い目に
なっちゃつて
異人さんのお国に
いるんだらう

赤い靴 見るたび
考へる
異人さんに逢ふたび
考える

赤い靴をはいた少女が異人さんに連れられ、外国に行ってしまう歌である。日本に来る「青い眼の」歌と、異国に行く「赤い靴」の歌。つながりはないのだろうか。

「サムライ」と「ある殺し屋」

1967年に作られた2つの映画がある。アラン・ドロン主演のフランス映画「サムライ」と市川雷蔵主演の日本映画「ある殺し屋」だ。2本とも殺し屋が主人公で、暗黒街のヤクザからの依頼で仕事を引き受ける。

「サムライ」はベッドと鳥かごがあるだけのガラ~ンとした室内に住み、殺しに出かける。車を盗み、仲間の所でナンバーを変え、銃を調達する。恋人のマンションとカ一ドゲーム場に寄り、アリバイをつくる。ほとんどセリフはなく淡々と行動を追っていく。

「ある殺し屋」の主人公は小料理屋を経営し、料理も作る独り身である。こちらは、針を使って相手の首を背後からブスッと刺す。後の池波正太郎作の必殺仕掛人シリーズは、この作品が基になっていると思われる。

2作品とも、なぜ殺し屋をやっているのかの説明はない。ただ「ある殺し屋」では、旅客機が飛ぶ真下で殺しを依頼される場面で、笑顔の主人公と戦闘機乗りの仲間との写真と、暗黒街のボスの写真が映る。戦争で散った純粋な若者と現代の腐敗した大人の対比に、何か主人公の怒りに満ちた思いが感じられる。

「サムライ」も、ナチスドイツとのレジスタンス体験を持つジャン・ピエール・メルビル監督なので、なんとなく戦争の匂いがする(映画探偵団44)。

私は、フランスと日本の殺し屋を描いた映画になぜか同じ空気を感じてしまう。

日本と米国の戦争を暗示?

雨情の2作品をこんなふうに読めないだろうか。昔、赤い靴をはいていた少女が、異人さんにもらわれていき、外国人と結婚して青い眼の娘を生む。赤い靴をはいていた女の子は外国人と離婚して、娘を連れて日本に帰国する。娘は日本語が話せない。故郷に戻り受け入れてもらえるか、不安と再び故郷で暮らせる期待感。

「青い眼の人形」と「赤い靴」。少女から母親となった1人女性を描いた話。さらにその後の日本と米国の戦争を暗示していたのかもしれない。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

争点は裏金解明とジェンダーフリーだ《ひょうたんの眼》72

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写真は筆者

【コラム・高橋恵一】自民党に対する厳しい支持率低下を受け、岸田首相は党総裁への再選を放棄し、次の首相でもある自民党総裁選が行われている。支持率低下の要因は、統一教会問題と政治資金の裏金問題の解明と関係者の処分がないことだろう。統一教会問題にしても、裏金問題にしても、安倍元首相の主導のもとに、不当な選挙活動が行われたであろうことは疑いの余地がなく、安倍一強と言われた現有議席の正当性さえも疑われることになる。

しかし、自民党は、支持率低下の要因解明に頬かむりして、新たな権力争いに国民の目をそらそうとしている。各総裁候補は、問題の解決ではなく、党首交代を逆手にとって自分の権力獲得に乗り出し、新首相就任直後の解散を予告して、政権選択選挙に持ち込んでしまった。

自民党の党首候補は勢いがよい。経済を活性化し、再度、世界トップレベルの経済力を取り戻す。防衛力を強化し、アメリカに頼るのではなく、日本が中心になって、世界の紛争を止め、世界秩序を構築する。政治資金の問題は、様々な議論をして、国民に理解してもらう(時間をかけて、うやむやにして、忘れてもらう)?

現実には、小泉政権以来の長期経済停滞の失われた30年。さらにダメ押しになったアベノミクスの輸出産業優先の円安政策。いずれも低賃金構造が内需不足・不況を引きずっての30年だ。経済政策の失敗で、GDPがドイツに抜かれ世界4位になり、間もなくインドにも抜かれる見通しだ。

世界の常識から遅れている日本

深刻なのは1人当たりのGDPが、世界38位と昨年より4位後退し、先進国の最下位レベルになっているのだ。アベノミクスは、安易な国債発行を続け、国債残高もGDPの2倍以上になっている。自分たちのお粗末な経済運営の失敗を棚上げにして、世界に冠たる経済大国に戻ったり、世界を席巻する防衛大国になるなど、どういう計算で考えられるのだろう。

1人当たりGDPでみると、この30年間に、ヨーロッパに確実に後れを取っているのだが、大局的な言い方をすれば、ヨーロッパでは社会経済政治分野などあらゆる場面で女性の活動が当たり前になり、男女の区分を論ずる意味がない状態になっている。

GDPは、1人当たりGDPの総計だから、働き手の中に、構造的な低賃金層を抱えている国のGDPが負けるのは当然だ。低賃金労働者の多くは、市役所の非正規職員や看護師、介護士など女性就労者だ。ヨーロッパでは、女性のあらゆる場面での活動を抑制することのないように、社会制度、労働環境、生活文化を改革して来た。それがジェンダーフリーだ。

配偶者の130万円の壁だの、選択的夫婦別姓、女性初の首相などの可否を議論していること自体が、日本が世界常識から遅れ切っていることを示しているのだ。

岸田政権は、企業に賃上げを要請しているが、市役所の臨時職員の給与も、看護師や介護士の給与も、政府が決定できるのだ。女性の賃金が安いのが当然という政治家は、これからの日本には不要なのだ。(地歴好きの土浦人)

市職員の請願、継続審査に つくば市議会特別委 生活保護行政の不適正事務問題

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13日開かれたつくば市議会請願審査特別委員会の様子

現役のつくば市職員(39)が、市議会9月会議に提出した「生活保護業務の適正化を求める請願」(9月3日付)について審議する市議会請願審査特別委員会(長塚俊宏委員長)が13日開かれた。生活保護行政をめぐる不適正な事務処理問題について現在、市役所内と市公平委員会で、調査が進められているなどとして、請願を継続審査とすることを決めた。

次の特別委の開催日程は未定。市議会は10月27日に改選が行われ、現市議は11月29日に任期満了となる。継続審査となった請願は、任期満了により審議未了で事実上、廃案となる。長塚委員長は「現段階で(公益通報などの)調査がされており、推移を見ないと、委員会で意見は出てこない。(市執行部や公平委員会が)しっかりした調査を進めていただくことがあるべき姿だと思う。(改選後に)再度、請願として上がってくるということもあると思う」としている。

13日の特別委ではまず、請願を出した市職員が今年2月と3月に計4回、市公平委員会に公益通報し、不適正事務の是正を求めたことについて、請願の中で「市として最終的な自浄作用を期待して公益通報もしたが、受理までに3カ月以上もかかり、その後も一向に不適正事案は是正されていない」などと指摘していることについて市議から質問が出て、公益通報の受け付け窓口である市人事課は「受理までに一定の時間を要し5月30日に受理した。何も動いてないことは一切なく、慎重かつ綿密に調査して一定の時間がかかっている」などと主張した。

市議からは「請願の趣旨は(生活保護行政の)適正化だが、事実認定の方法として双方の主張を聞き取って、意見が分かれる場合は証拠に基づいて判断しなければならない。どう進めていくか(市議同士の)共通理解が得られないと進められない」「つくば市として事実認定をしっかりやらなければ判断できない。委員会はそれから判断していくべき」などの意見が出て、請願の中身の審査には入らなかった。その上で長塚委員長が「(請願で指摘されている不適正事務について)一つ一つ(委員会が)事実認定していくのは難しく、(市や公平委員会の調査の)経緯を見ながらでないと難しい」とする見解を示し、全会一致で継続審査となった。

継続審査となったことについて、請願を出した市職員は取材に対し「(市議会には)県の特別監査の要請や、第三者委員会による検証を採択することなども期待していたが、時期的に継続審査も致し方ないことかなと理解した。(市議会には)何より問題の大きさを受け止めていただけたことに感謝している。請願は異例なことかとは思うが、12月議会までの各調査の進ちょくも踏まえて、再度請願させていただきたいと考えている」とし、「(市の公益通報の対応に関する)市長のX(旧ツイッター)投稿も、兵庫県にようにブラックボックスになってしまいがちな公益通報について、その流れを明確にしていただけて感謝している。(市の公益通報が)調査の前の受理に3カ月以上かかっていたことも含め、より誤解されにくい発表がされていくことを今後も期待しています」としている。(鈴木宏子)

➡市職員の請願はこちら

香取市の落花生専門「オオノ」農園《日本一の湖のほとりにある街の話》27

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】9月から10月ごろにかけての短い期間、スーパーや道の駅などで見かける「生落花生」。今回は、全国の落花生の8割以上を生産する千葉県で、その栽培の現場に行ってきました。向かった先は、落花生専門農園である香取市の「株式会社オオノ農園」。4代目の大野雄一郎さんにお話を伺いました。

同農園は大正時代、あたり一帯が開墾地だったころより農業を始め、3代目の先代が栽培を落花生一本に絞り、2008年に法人登録したそうです。千葉県の独自品種「Qなっつ」に加え、「郷の香」、「千葉半立(ちばはんだち)」などの品種を生産するほか、6次産業として風味豊かな「落花生ペースト」をはじめとする、様々な加工品を生産・販売しています。

有機肥料5種類をブレンドしたオリジナルの肥料により、青々と葉が茂った圃場(ほじょう)を眺めながら、まず年間の栽培スケジュールを教えていただきました。4月から7月初旬に種まき、8月末から10月いっぱいが収穫、そして10月以降は収穫した落花生を加工しつつ畑を耕し、その後1月ごろからは肥料をまいて土づくり、というのが年間の大まかな流れとのこと。

悩ましいのが多雨の季節が重なる収穫期で、雨により収穫が遅れると収穫量が激減してしまうのだそうです。収穫後、畑で「わらボッチ」と呼ばれる状態で積み重ね、実を乾燥。さらにその後、コンテナに入れて乾燥させるそうで、圃場近くのハウス内は、収穫を待つ全面網張りのコンテナが何段も積まれていました。

生産者によっては機械乾燥とするところもあるそうですが、食味の点からいえば自然乾燥の方が良いため、大野さんは自然乾燥にこだわっているそうです。

落花生ペースト、とりたて塩ゆで

圃場を見学した後、「Qなっつ」に次ぐ人気商品であり、農園の代表的6次生産品である「落花生ペースト」を試食させていただきました。自社栽培落花生100%、砂糖不使用の濃厚なペーストは、落花生の風味豊かで濃厚な味わい! パンやアイスなどにあわせるのはもちろんのこと、「ガトーショコラなど濃厚な味の物とあわせるのもおススメです」と大野さん。

そして、生産地ならではの楽しみが、とれたて生落花生の塩ゆで! 取材後、頂いた朝どりの「郷の香」を、たっぷりの塩を入れたお湯でゆであげ、カラを割っていただくと…ソラマメのようなホクホク感と甘み、カラを割る手と口が止まりません! 手はセカセカ、口はムシャムシャと、山と積んであった落花生はみるみる消えてしまいました。

香取市の「道の駅 水の郷さわら」をはじめとして、各所で広く親しまれる同農園の落花生商品。産地ならではの新物とあわせ、ぜひお楽しみください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

生活保護受給者27人の個人情報を誤送信 つくば市

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つくば市役所

つくば市は12日、生活保護受給者27人の氏名、居住している集合住宅の部屋番号、家賃額が書かれたリストを、誤って別人のファックス番号に送信してしまったと発表した。

市社会福祉課によると、受給者が複数入居している集合住宅の不動産管理会社宛てに、27人の9月分の個別家賃額をファックスで送信しようとしたところ、一桁番号違いの別人に誤送信したという。

27人の家賃については、市福祉事務所が直接、家主などに支払う「代理納付」という制度を使って不動産管理会社に振り込んでいる。同社が管理する集合住宅で今回、複数の退去者と入居者があったことから、9日、同社から、市が振り込んだ9月分の個別の家賃額内訳について情報提供の依頼があり、同課の担当職員が27人分のリストを作成して同日ファックス送信した。

11日、同社からファックスが届いてないとの連絡があり、同課が送信履歴を確認したところ、ファックス番号を間違えて送信していたことが分かった。

市は同日、誤送信先に電話し謝罪すると共にデータの削除を依頼した。生活保護受給者27人に対しては今後直接会って謝罪するとしている。

同市では代理納付の家賃をまとめて振り込む場合があり、個別の家賃額について問い合わせがあった場合、通常は電話で回答している。今回は人数が多かったことからファックスで送信してしまったことが原因としている。

再発防止策として同課は、職員に個人情報を厳重に取り扱うよう注意喚起すると共に、原則電話で回答しファックスで個人情報を送付しないようにするとしている。やむを得ずメールで送信する場合には、まずメールで依頼を受け、それに返信する形でパスワード設定をした上で送付し、メールの到着を電話で確認した上でパスワードを伝えるなど取り扱いを徹底するとしている。

ナラ枯れ 観光拠点の筑波山梅林周辺に広がる 市、枯死した13本を伐採

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筑波山梅林周辺の「四季の道」近くの枯死したコナラの木=つくば市筑波

つくば市の観光地、筑波山で今夏、ナラ枯れの被害が筑波山梅林周辺にまで広がっていることが分かった。筑波山系では2022年に初めて朝日トンネル付近で確認され、昨年は、南麓の体験施設「筑波ふれあいの里」(同市臼井)で被害が確認された(23年9月8日付)。今年は、西側中腹の梅林(同市筑波)を通る林道「四季の道」周辺にまで被害がさらに広がり、市は枯死した13本を伐採し薬剤によるくん蒸処理をした。

同市森林保全室の後藤佑太主任は「今年はナラ枯れの広がりが筑波山全体、およびその周辺に広がっており、とても大きい。今後の対策は県が考えているように、残したい良い木を選んだ上でワクチンを打つなど予防することが中心となる」と話す。

筑波山東側の土浦市でもナラ枯れが問題になっている。6月議会で一般質問があり、同市産業経済部の塚本隆行部長は「公共施設、公園などの倒木や枝落ちによる人的被害があるおそれのある場所では伐採、破砕処理を進めている。個人所有のものについては(森林の間伐や枝打ち、下草刈りなど森林整備費用の7割を市が補助する)小規模森林整備事業補助金を広く周知していく」などと答弁した。

土浦市永井、筑波山麓山麓の雑木林で枯れた木が見られた

9-10月、全県で被害量調査

筑波山では昨年から、南側の山麓や周辺の民有地の雑木林で、ナラ枯れの被害を受け、葉が赤茶けた樹木が目立つようになった。

今年8月下旬から9月初旬にかけて、記者が筑波山と周辺の宝篋山、土浦市の小野、本郷、永井の山など確認したところ、昨年ナラ枯れの被害が確認された南麓は、昨年とは別の箇所の雑木林に発生するなど被害が拡大していることが確認できた。ただし被害本数、面積等は不明だ。

つくば市山口から見た宝篋山。枯れた樹木が目立つ

県はナラ枯れについて被害量の実態調査を、県全域で9月から10月にかけて行う予定だ。

県のこれまでの調査によると、県内ではつくば市で2020年に被害が確認されたのが最初で、その後県全域で確認され、2024年8月現在、44市町村のうち34市町村で被害が確認されている。

ナレ枯れはナラ類、シイ、カシなどの広葉樹が枯れてしまう樹木の病気で、森林病害虫のカシナガクイムシが引き起こす。

森林総合研究所の調査によると、ナラ枯れの被害に遭っている樹木は、かつて燃料として使われていたが、利用されなくなって太くなったものが多く、放置すれば3割ぐらいが枯死し、コナラ林であった場所が被害後にコナラ林に戻るのは難しいとされる。夏に異常な高温が続くこともナラ枯れを助長しているといわれる。(榎田智司)

都市の気とまちづくり 名古屋と大阪《遊民通信》96

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【コラム・田口哲郎】

前略

先日、名古屋に行ってきました。新幹線で東京駅から1時間半。言わずと知れた本州の中央部の中枢都市です。名古屋の夏はとくに暑いと聞いていましたが、9月というのに本当に暑かったです。先週、大阪に行ってきましたが、大阪よりも暑く感じたので、相当だなと思います。

名古屋は、近世に織田信長が那古野城の城主となって以来、豊臣秀吉、徳川家康とその領主をいただき、近代以降は工業地帯として発展してきた、伝統も経済規模も大きい大都市なのはご存知のとおりです。

その名古屋、すべてを回ったわけではないのですが、中心部と郊外を見た感じで、大阪とはやはり街の雰囲気は違いました。ひとことで言うと、大阪は蓄積を感じ、名古屋には流れを感じました。

名古屋は京都と東京の中間ですから、大きな往来のなかにあります。あくまでイメージなのですが、でも、街が拡大して広がっているダイナミズムみたいなものが感じられました。どこかに活気が常にあって、変化に対して寛容なのではないかと思いました。

一方、大阪は瀬戸内海の大阪湾に面しているので、なんとなく地理的に行き止まりな感じがして、名古屋のような流れというよりは、物事がそこで止まって、積み重なり、蓄積が熟成して文化になる感覚が街から感じられました。たしかに、上方文化は大阪で生まれて江戸に広まりました。

気の流れが街をつくる?!

気の流れというのでしょうか、そういうものが人びとの気性に影響して、まちづくりにも現れるのかもしれませんね。

最近、大阪、名古屋と二つの地方都市に行きましたが、感じるのはゆとりです。東京を中心とする首都圏とは時間の流れの速さが違います。そうすると、人が人にやさしい。疲れ切った群衆が行きすぎる東京の駅とは違い、みんな生気があり、どことなく元気に見えました。

首都圏にありながら茨城県南は土地に余裕がありますから、東京の疲弊を緩和するゆとりを提供できればよいですね。東京に一番近い地方都市を目指してまちづくりをするのもよいかもしれません。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

花いっぱいのまちづくり《けんがくひろば》10

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グリーンの会の活動風景(筆者提供)

【コラム・二木重光】4月上旬、研究学園駅前は色とりどりのチューリップが揺れ、駅行く人たちを迎えてくれます。正面にはどんと構える筑波山。家路に着く私にとってもホッとできる瞬間。ここは私のホームタウンです。2005年8月、日本自動車研究所の高速テストコース跡地に造られた研究学園駅は、広大な空地の中にポツンとたたずんでいました。

それから7年が経った2012年。駅周辺のビル建設が一段落し、街路樹の下は茅(かや)で覆われていました。この年、つくば駅周辺で駐車場を運営管理する「つくば都市交通センター(TUTC)」主催のまちづくりセミナーがきっかけとなり、研究学園を「花が咲く美しいまち」「誇らしいふるさとと思えるまち」「地域住民・新旧住民がつながる地域コミュニティ」にしようと、私たち「研究学園グリーンネックレス・グリーンの会」が誕生し、花いっぱい活動がスタートしました。

活動を始めて12年。この間、多くの子供たちが巣立っていきました。今でも、花いっぱい活動を通じて、小学生からおばあちゃんまでの世代が協力し合う姿が見られます。最近、大学生も参加するようになり、人の輪がさらに広がり、大きくつながります。

一緒に秋の花植えをやりましょう

素人集団の私たち。園芸ソムリエの先生から学ぶ機会を与えてもらい、ひとり立ちするまでTUTCの支援をいただきました。それ以降も、ホテルベストランドからの休憩場所提供やお茶の差し入れ、タネのタキイからの球根や花苗の提供、地元の企業や店舗からの散水用水の提供などをいただき、多くの皆さんに支えられて研究学園花いっぱい活動を続けています。

駅前のベンチでひと休みする人に癒やしを与えてくれたベゴニア。春に植えたベゴニアやマリーゴールドはもう終盤。いよいよ秋の衣替えが始まります。10月下旬から11月上旬にかけて、毎土曜日の午前中、秋から来春に花を咲かせるパンジーやビオラなどに植え替えます。

そんな花いっぱいのまちづくりにご協力いただける方を募集します。お花に興味がある方、地域コミュニティやボランティア活動に興味がある方、私たちと一緒に秋の花植えをやりましょう。(研究学園グリーンネックレス・グリーンの会 広報担当)

<追い合わせ先>
・メール:kenkyugakuen.green@gmail.com
・インスタグラム:kenkyugakuengreen(研究学園グリーンネックレス)

パリパラリンピック 高橋利恵子選手 関彰商事で帰国報告会

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パリパラリンピックの報告をする高橋選手

健闘、ゴールボール女子キャプテン

ゴールボール女子のキャプテンとしてパリパラリンピックに出場した高橋利恵子選手(26)が帰国し、10日、自身が籍を置く関彰商事(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)つくばオフィス(つくば市二の宮)で帰国報告会が開かれた。

ゴールボールは、視覚に障害のある選手が3人1組で、鈴が入ったボールを転がすように投げ合い、得点を競う競技。高橋選手のポジションはセンターで、ディフェンスの要だ。

女子チームは予選リーグで、韓国、カナダ、フランスを撃破して3連勝し、予選を1位通過と好成績で勝ち進んだが、準々決勝でブラジルに0-2で敗れ、6位となった。東京パラリンピックでは銅メダルだったことから今回、金メダルが期待されたが、メダル獲得はならなかった。

帰国報告会で高橋選手は「金メダルを目指して頑張ったが、準々決勝で敗れ、6位という結果になった。受け入れがたい結果でとても悔しく、今もその気持ちが続いている。しかし大会は、東京と違い観客の声援が響きとても楽しかった。ゴールボールを多くの人に知ってもらえたのはうれしい。これからも頑張っていきたいので応援をお願いします」とあいさつした。

報告会には約100人の社員が集まった。関社長は「高橋選手の頑張っている姿は、社員に勇気や元気を与えてくれた。心から感謝したい。社員の中に世界で戦えるアスリートがいることは誇り。これからも次の大会や、次回のパラリンピックがあるロサンゼルスを目指してほしい」と語った。

高橋選手(前列中央)を囲んでの記念撮影する関彰商事の写真ら

高橋選手は広島県広島市生まれ。先天性の病気で幼い頃から視覚障害がある。小学校は普通学校に通ったが、中学校から地元の特別支援学校で学び、高校は筑波大附属視覚特別支援学校に進学。高校2年生の時にゴールボールと出合った。

大学は筑波大に進学。2017年日本代表強化選手に選ばれ、18年世界選手権で初の日本代表入りした。21年には東京パラリンピックに初出場し銅メダルを獲得。23年から日本代表のキャプテンを務める。関彰商事には22年4月に入社し、総合企画部に所属する。

高橋選手は「パリでの生活は、陸上100メートルに出場した、同じ関彰商事社員である東田選手に選手村の様子など詳しく聞いたのでとても助かった。情報を聞いて準備していたので快適に過ごすことができた。選手村の悪評があったので改善されたのではないか」とパリでの生活を振り返った。(榎田智司)

コメ不足・値上がりに危機感 子ども食堂や食料支援団体 つくば

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8月下旬から緊急でコメの寄付を募っている「つくば子ども支援ネット」事務局長の鬼木尚子さん(中央)

23年産米の寄付を緊急募集

全国的なコメ不足と値上がりの中、フードバンクや子ども食堂など経済的に困窮する家庭を支援する団体が支援継続に不安を抱えている。

スーパーでは、コメの購入制限を呼び掛ける札が品薄の商品棚に並ぶなど、全国的なコメ不足が叫ばれた8月下旬、ひとり親世帯や子どもがいる非課税世帯などへの食糧支援活動「フードパントリー」や、子ども食堂向けのフードバンクを行う子育て支援団体「つくば子ども支援ネット」(山内ゆかり代表)が、コメの「緊急募集」を呼び掛けた。同団体事務局長の鬼木尚子さんは、コメ不足により支援活動が滞ることへの強い危機感がある、と話す。

SOS増えている

つくば子ども支援ネットでは2020年の発足以来、年に数回、寄付された食料を無料配布するフードパントリーを開いてきた。直近では7月28日、支援を求める100世帯にコメ5キロと野菜2キロを含む食料と、子ども向けの文具・雑貨のセットを配布した。

例年なら新米の出てくるこの時期に、前年度米の寄付が農家から集まるが、今年は思うように集まらなかった。「7月の支援で在庫の玄米をほぼ出し切ってしまい、残りが十数キロにまで減ってしまった」と鬼木さんは苦境を話す。「コメ不足の今年は農家の手元にも在庫が不足しているよう」だという。

一方で、日々の暮らしに困る人からの、支援を求める「SOS」は、例年に比べて増えている。鬼木さんらはその都度、コメを5キロ渡すなど、最低限の食料支援を続けていると話す。

「支援を続ける中で在庫が減り続けている。先日『おコメが無くて困っている』とある子ども食堂から問い合わせがあった。本来であれば60キロくらい差し上げるはずが在庫不足で断らざるを得なかった」と言い、「団体のメーン活動であるフードバンクとしての機能が果たせなかった。このままではフードパントリーも続けられなくなるかもしれない」と、活動継続に危機感を抱く。

コメ以外にも寄付として届いた食品を仕分ける「つくば子ども支援ネット」のメンバー

子ども食堂「備蓄が少なくなった」

つくば市内で子ども食堂「つくば『こどもの家』食堂」を運営するNPO法人マナーズ代表の宅間佳代子さんは「まだなんとか(米の在庫が)あるが、このままでは足りなくなる」と不安を話す。

宅間さんらは、隔週水曜日に市内で子ども食堂を開き、一度に30キロ超のコメを使用する。「子どもたちがお腹をいっぱいにして帰って欲しいという」という思いから「一般的なお弁当に比べてご飯をたっぷり入れている」として1食に対して幼児で110グラム、それより年上の子どもには220グラムのコメを提供している。「支援して一番喜ばれるのがおコメ。子ども食堂では、少量だが持ち帰り用のコメも配っている」と言い、「いつも寄付をくれる方からの寄付がなくなるなどして備蓄が少なくなった」。利用者の家族からは、「おコメがない」「新米が出てきても値上がりするのでは」という不安の声が届いているという。

外国人から寄付も

「見た目だけではその人がどんな生活をしているかわからない。人目を気にして支援を求められない人、(生活保護などの)制度を受けるまでいかないからこそ苦しんでいる人もいる」と、つくば子ども支援ネットの鬼木さんは言う。

これまで同会に支援を求めてきた人のほぼ全員が、小学生や赤ちゃんの子を持つシングルマザーだった。「物価の高騰から光熱費を払えないという声もある。おコメだけでなく、他のものも本当にないのだと思うが、やはりおコメが手に入らないことに不安を感じる人は多い」と話す。

同会が「お米急募」の呼び掛けをSNSなどを通じて出した8月21日以降、主に個人から合計170キロほどの米が集まった。中には留学生など外国人からの寄付のあったと言い、「みんな困っているはずなのに、皆さんの温かい気持ちがすごくありがたい」と鬼木さんは話す。

「支援が必要な人を支えるのが私たちの仕事。おコメをお届けするというのを続けたい。ぜひ、少しでも多くの支援をお願いできれば」と呼び掛ける。(柴田大輔)

◆コメの寄付に関する「つくば子ども支援ネット」への問い合わせはこちら。支援に関する問い合わせはこちら

つくば・土浦地区トップ2高の学級増を《竹林亭日乗》20

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収穫の秋(写真は筆者)

【コラム・片岡英明】前回(8月13日掲載)は、今年の土浦市立8中学から土浦一高への入学者が18人に激減したと書いた。つくば市の高校受験も、牛久栄進高の学級増や市内のサイエンス高の普通科併設などで改善はしたものの、受験者の増加に追い付かず、状況はさらに深刻といえる。

まず、竹園高校を例に解決策を考えたい。つくば市内中学生の県立高校への入学者を、上位4校について見ると、以下のようになる。

     22年  23年  24年
竹園高校 222   200   185
牛久栄進 127   129   150
土浦一高  92   88   70
(募集学級 6    6    4)
土浦二高  89   113   124

土浦一高の募集減のため、市外からの竹園高への入学者が増え、今年の市内入学者は3年前に比べ37人減った。今年から1学級増えた牛久栄進高へは前年より21人増えた。募集学級が減った土浦一高へは3年前より22人減り、土浦二高へは35人増えた。結果、つくば市からトップ2高(土浦一高と竹園高)への入学者は59人減った。

竹園高への市外入学増と土浦一高の定員削減の両挟みに遭い、進学の悩みが土浦一高・竹園高受験者だけでなく、中学生全体に広がっていると言える。この推移を過去5年について見ると以下のようになる。

     20年 21年 22年 23年 24年
竹園高校 185  188  222  200  185
牛久栄進 129  127  127  129  150
土浦一高 109  119  92  88  70
(募集学級  8   7   6   6    4)
土浦二高 101  110  89  113  124

竹園高入学は、土浦一高が6学級になった22年に市内回帰が起き、222人に増加した。しかし、今年は土浦一高入学がさらに減少した上に、22年の竹園高増加分も消えてしまった。土浦一高+竹園高は、294人→307人→314人→288人→255人。22年をピークにして、今年は5年前より39人減った。つくばの受験生のため、竹園高の「狭き門」を広げる必要がある。

つくばエリアは15学級不足

土浦市の保護者からは「土浦一高は無理」といった声、つくば市の保護者からは「市内県立高が不足」の声を聞く。保護者の悩みは深刻で、募集条件が毎年違うので過去のデータは参考にならないとの意見があり、進学先を変更したとの声も多かった。

23年→24年の土浦一高入学者が大きく変動した中学も多い、土浦一中:10人→3人、土浦四中:6人→3人、都和中:5人→1人、吾妻中:9人→3人、手代木中:16人→5人、竹園東中:10人→20人。県は、この増減の裏にある受験生の悩みを読み取ってほしい。

問題は、この募集減がつくばエリアの構造的な県立高不足とTX沿線の中学生増の大波の中で起きていることだ。県全体の平均に比べ、つくばエリアの県立高の募集は現状で15学級不足している。加えて、25年入試ではエリア内の水海道一高の定員も削減される。

各エリアの生徒数に見合う入学枠設定を宣言した県の「2019年高校改革プラン」に期待しているものの、その後に筑波高・水海道一高で定員削減があり、つくばエリアの募集増は進まない。その間、つくば市の高校受験生は1928人(20年)から2174人(24年)へと246人(12.8%)も増え、状況は深刻になっている。

改めて、つくば・土浦の受験生のために、土浦一高の募集を6学級に戻し、竹園高については2学級増を求めたい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

堤防改修の優先順位めぐる安全評価争点に 鬼怒川水害訴訟

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東京高裁に向かう原告住民ら

東京高裁で第1回口頭弁論

2015年9月の鬼怒川水害で、常総市の住民が甚大な被害に遭ったのは国交省の河川管理に落ち度があったためだなどとして、同市の住民20人と法人1社が国を相手取って約2億2000万円の損害賠償を求めた国家賠償訴訟の控訴審 第1回口頭弁論が9日、東京高裁で開かれた(9月7日付)。越水し決壊した同市上三坂地区の堤防をめぐって住民側は、堤防の改修工事が後回しにされていたのは国が誤った安全評価に基づいたためで優先順位に問題があったなどと主張した。

一審で水戸地裁は、国の河川管理の落ち度を一部認め、国に対し、原告住民32人のうち9人に約3900万円の損害賠償を支払うよう命じる判決を出した。原告住民と被告の国の双方が控訴していた。

控訴審で住民側は、一審で主張が退けられた同市上三坂地区の越水・決壊した堤防について「鬼怒川下流域で一番堤防の高さが低く、最も危険な場所だった」とし、国が堤防の安全性判断基準としている「スライドダウン評価」に誤りがあったなどとした。

これに対し国は「安全度などのバランスを見て(河川の整備は下流からとする)『下流原則』に基づき改修を行った」として、水害発生当時、被害のあった上三坂地区より下流域にあたる同市中妻地区や羽生町の改修工事を進めており、被害は、上三坂地区に改修が及ぶ前に「経験したことのない記録的な降水量」の豪雨にあったことで起きたもので、「国に法的責任はない」と主張した。

記者会見に応じる原告団共同代表の片岡一美さん

原告団共同代表の片岡一美さん(71)は「スライドダウン評価は(机上の)空論の世界での条件で、危険だ。国が、現実に危険なところにきちんと対処すれば、今後も防げる水害があるはず。(一審は)間違っている条件で判決を出した」と批判した。さらに「上三坂地区の下流にあたる地域から堤防を改修していた」とする国の主張に対しては、国が例に挙げた中妻地区や羽生町などよりさらに下流にある小貫地区で、2015年と19年に鬼怒川の氾濫による被害を受けている場所があるとして「下流原則」は実際には行われていないとした。

第2回口頭弁論は11月11日午後1時30分から東京高裁で開かれる。(柴田大輔)

メタン削減の水稲栽培研究 米ゲイツ財団から5億円規模の助成

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茨城大学農学部付属国際フィールド農学センター(阿見町)内に設置した水田におけるKH32C導入の実証実験の様子=茨城大学提供

茨城大学農学部・西澤教授らのプロジェクトを支援

温室効果ガス、メタンの水田からの排出抑制をめざす茨城大学農学部の西澤智康教授を代表者とする研究プロジェクトに、米国のビル&メリンダ・ゲイツ財団から約383万ドル、日本円にして約5億円規模の助成が決定し、8月からインド、コロンビア、ドイツの大学・研究機関との取り組みがスタートした。

プロジェクトは英語の頭文字をとってM4NCO、「微生物が介するメタン排出緩和と窒素循環最適化」の取り組み。今後3年間の計画で、植物生育促進効果のある微生物をイネの栽培体系に導入することによるメタンの排出削減や窒素の土壌への貯蔵に係る効果を、アジアやラテンアメリカの多様な条件下で実証する。技術の普及を図ることで、世界全体のメタン排出量を3%以上削減(二酸化炭素換算で年間2400万トン)することを目標にしている。

西澤智康農学部教授=茨城大学提供

課題を解決するとして注目される微生物はイネの根と相互作用するKH32Cというバクテリア株。西澤教授とともにプロジェクトに取り組む同農学部の迫田翠助教らが阿見町の農学部付属国際フィールド農学センター内に設置した水田ほ場で研究してきた。

KH32Cを接種したイネ種子を栽培すると、水田土壌のメタン生成(メタン生成古細菌)とメタン消費(メタン酸化細菌)の群集構造が低メタン生成・高メタン消費型へと変動することが確認できた。肥料を施さない無施肥と窒素施肥の条件下でイネの収量を維持したまま栽培した結果、メタン排出量をそれぞれ約20%削減することが確認されたという。

昨年12月に開催された国連気候変動枠組条約第28回締約国会議(COP28)では、気候変動対策の強化とともに、食料・農業分野の持続可能な発展に向けた協力が呼び掛けられた。温室効果ガスの一つ、メタンは、気候変動に与える影響リスクが同量の二酸化炭素の約27倍とも言われ、生態系から発生するメタンの約4割は水稲や畜産などの農業分野から排出されている。

東南アジア、南アジア、ラテンアメリカなど地域の小規模農家では、メタンの大きな排出源となるような伝統的な水稲栽培が盛んに行われている。気候変動の対策に向けては、これらの地域で品種改良や高度なかんがいシステムなど、新たな技術の導入が必要だが、コスト面などから困難な状況となっている。

助成を決めたビル&メリンダ・ゲイツ財団は、マイクロソフト元会長のビル・ゲイツ氏とメリンダ夫人によって2000年に創設された。世界最大の慈善基金団体で、保健衛生と開発支援を中心に多額の資金提供を行っている。西澤教授らが日本国内とアジアの稲作への技術転換と実装を模索していたときに、研究が財団の目に留まって研究助成に至ったという。

プロジェクトでは今後、技術導入の簡便さ、接種微生物が土壌で増殖しないことによる環境への負荷の少なさなどの確証に努めて、若い研究者・技術者の育成も進めながら技術の普及を図ることにしている。

西澤教授は「支援により、私たちが目指す温室効果ガス排出量削減の実現に大きく近づくことになった。世界中の研究から科学的なイノベーションの種を見つけ、社会の進展のための高度なエビデンスの生成を支援する財団の取り組みに、感謝と敬意を示したい」と話している。(相澤冬樹)

ツェッペリンと土浦の近現代史テーマに 作家 高野史緒さん×学者 清水亮さんがトーク

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1929年、阿見町の霞ケ浦海軍航空隊に飛来したツェッペリン伯号。霞ケ浦飛行場にて居並ぶ航空隊員と共に(霞月楼所蔵)

24-29日 アルカス土浦で「霞月楼所蔵品展」

土浦の老舗料亭「霞月楼」(土浦市中央、堀越恒夫代表)が所蔵する美術作品や歴史資料の写真パネル約30点を展示する「霞月楼所蔵品展」が9月24日から29日まで、土浦駅前の市民ギャラリー(アルカス土浦1階、同市大和町)で開催される。最終日の29日には昨年、いずれも土浦を題材にした本を出版した作家の高野史緒さんと社会学者の清水亮さんがトークセッション「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」に登壇し、異なる視点から土浦を解釈し歴史を解き明かす。2人が土浦で話をするのは初めて。

NEWSつくばと土浦ツェッペリン倶楽部がつくる霞月楼所蔵展実行委員会(坂本栄実行委員長)が主催する。

作家と学者が土浦にスポットライト

1931年にニューヨークから北太平洋航路を経て霞ケ浦に飛来したリンドバーグ夫妻(霞月楼所蔵)

高野史緒さんは土浦市生まれ、土浦二高出身。SFやミステリーを得意とする江戸川乱歩賞受賞の人気作家だ。昨年2月、土浦を舞台としたSF小説『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』(ハヤカワ文庫)を出版し、今年2月に早川書房が発行した『SFが読みたい!2024年版』国内編で第1位を獲得した(2月25日付)。SFファンが「聖地巡礼」で土浦を訪れるなど話題となっている。同作は土浦二高の高校生と、量子コンピュータの開発に関わる青年の男女2人が主人公で、作中には土浦市の霞月楼や亀城公園、旧土浦市役所、つくば市のノバホール、筑波大学などが登場する。高野さんは今年5月に新作『ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅』(講談社)を発売した(5月21日付)。

清水亮さんは東京都出身の若手社会学者。現在、慶應義塾大学専任講師を務める。東京大学の学部生だった2013年から阿見町や土浦の地域史に興味を抱き、研究を始めた。昨年『「軍都」を生きる 霞ヶ浦の生活史1919-1968』(岩波書店)を出版(3月22日付)。霞月楼の資料や常陽新聞の記事などを史料に等身大の生活を描き出し、ドイツの飛行船ツェッペリン伯号の飛来の様子や、どのようにして阿見、土浦で基地が受け入れられてきたか、戦前、戦中、戦後を通した生活史をまとめた。今年6月には、戦争の記憶を拾い集めようとする若手研究者11人の研究をまとめた『戦争のかけらを集めて 遠ざかる兵士たちと私たちの歴史実践』(図書出版みぎわ)を企画、編集し、刊行している(8月3日付)。

SF小説と社会学、偶然にも異なる分野から同時期にスポットライトが当たった土浦。高野さん、清水さんのいずれの著作にも、ツェッペリン伯号が土浦に飛来した出来事が大きなテーマとして扱われている。ツェッペリン伯号の飛来はどのような意味があり、どのように受け止められたのか。土浦と当時の歴史的背景について2人がトークする。

老舗料亭の記憶伝える

手野町出身で伊東深水に学んだ画家、大川一男が戦前の土浦の風物を描いた「わかさぎ焼」(霞月楼所蔵)

トークに先立って、24日から市民ギャラリーで展示される「霞月楼」所蔵品の写真展は、大川一男、小川芋銭、竹久夢二、岡本一平など有名作家の美術品や、東郷平八郎、山本五十六、リンドバーグ、ツェッペリン伯号にまつわる歴史資料など。各時代の政治家や、文化人、軍人など著名人をもてなしてきた「霞月楼」が収集し継承してきた。

画家・俳人として活躍した小川芋銭が、1934(昭和9)年に霞月楼に残したとされる「浮れ舟」(霞月楼所蔵)

美術作品では土浦や茨城にゆかりある作家の作品を多く展示する。歴史資料は海軍航空隊の存在が土浦を内外に強く印象付けたことが分かるもので、大正から昭和初期の時代性を見ることができる。ツェッペリン伯号については写真パネルのほか大型模型なども展示する。

屋台村をコラボ開催

トークセッションが開催される29日にはコラボ企画としてアルカス土浦前の広場で屋台村も開かれ、もつ煮込みやスイーツ、ドリンクなどのほか、かつてツェッペリン伯号乗組員にふるまったカレーを現代風にアレンジした「土浦ツェッペリンカレー」を販売する。イオンモール土浦の未来屋書店土浦店も出店し、高野さんと清水さんの著書販売やサイン会を行う予定だ。(田中めぐみ)

◆高野史緒さんと清水亮さんのトークセッション「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」は、土浦市民ギャラリー(アルカス土浦1階、同市大和町)で、9月29日(日)午後1時から午後3時。入場無料。車で来場の際は駐車場が最大2時間無料。(図書館、または市民ギャラリー受付で確認印が必要)

◆「霞月楼所蔵品展」は土浦市民ギャラリーで、9月24日(火)から29日(日)午前10時から午後6時まで(初日は午後1時から開場)。入場無料。

原発の話題、問題が相次ぐこの頃《邑から日本を見る》167

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水戸市で開かれた反原発集会

【コラム・先﨑千尋】このところ原発に関するニュースが相次いでいる。8月22日、東京電力福島第一原発2号機の溶融核燃料(デブリ)取り出しは、準備の初歩的なミスで中断した。翌23日には日本原子力発電(原電)が、東海第二原発(東海村)の安全対策工事の完了時期を2026年12月に延期すると発表した。28日には原子力規制委員会が定例会合で、原電敦賀原発2号機(福井県)が原発の新規制基準に適合せず、再稼働の条件とする審査は不合格とする「審査書」の案を了承した。

一方、24日には、東海第二原発の再稼働に反対する「STOP!東海第二原発の再稼働 いばらき大集会」が水戸市の駿優教育会館で開かれ、約600人(主催者発表)が参加した。

福島第一原発の燃料デブリ試験的取り出しは、廃炉作業の中で最も重要で最難関な局面。報道によれば、燃料デブリを取り出す装置の5つあるパイプの順番が違っていたとのこと。約1カ月前から現場に置かれていたが、誰も気づかなかったそうだ。

問題なのは、現場には東電の社員が誰もいなかったことだ。工事は三菱重工が請け負っているが、おそらく下請けに任せきりで、担当者は現場を見ていなかったのだろう。原子力規制庁や県の職員が現場に常駐していても誰も気づかなかったという。信じられない初歩的な誤りだ。こんな会社が新潟で柏崎刈羽原発の再稼働をもくろんでいる。

原電の隠蔽体質が問題

東海第二原発の防潮堤施工不良はどうなるのだろうか。

この問題は、昨年春に工事に従事していた人がずさんな工事に憤り、共産党に情報を提供したために明るみに出た。コンクリートの充填不足や鉄筋のゆがみなどを原電が公表したのは昨年10月。その間に現地を視察した東海村議や周辺6市村の首長に説明しなかった。共産党が記者会見で発表するという直前に公表した。

原電は原子力規制庁に対し、防潮堤の基礎を残したまま、鋼板や鉄骨による基礎内部の強化や周辺地盤の液状化を防ぐ薬剤注入などを組み合わせて強度を確保するとしているが、原子力規制委員会がこれを認めるか否かは現時点では分からない。周辺首長は、公表が遅すぎると原電の対応を批判している。

原子力規制委員会が、敦賀原発2号機の原子炉建屋直下に活断層が通っている可能性があるとして同原発は新規制基準に不適合としたことは、私たちから見れば当然と思えるが、原電は追加調査のデータで審査を再申請する考えのようで、再稼働をあきらめていない。

原電が再稼働に向けた審査を原子力規制委員会に申請したのは15年11月。地質データの書き換えや、資料に1000か所以上の誤りがあることが発覚し、審査は2度中断した。東海でも敦賀でもそうだが、原電の隠蔽体質は、東電と同様に、今でも変わっていない。

24日の集会では、賛同人の訴えと、石川県にある志賀原発の廃炉を訴えている北野進さんの講演があった。賛同人には、水戸、常陸、やさと、岩井などの農協組合長や、つくば、かすみがうら、美浦、茨城、城里の首長、生協、科学者、住職、日本有機農業研究会理事長など多彩なメンバーが名を連ね、壇上から東海第二の再稼働反対を訴えていた。(元瓜連町長)

200人が名画に酔い 「懐かシネマ」幕下ろす 水海道 宝来館跡地

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笑いあり涙ありの観客=7日、常総市水海道宝町の宝来館跡地

常総市水海道宝町にかつてあった映画館「宝来館」跡地で7日夜、第10回となる野外映画会「懐かシネマ」が開催された(9月4日付)。2014年から続いてきた催しも今回が最終回。主催者の東郷治久さんや羽富都史彰さん、神達岳志常総市長、俳優の山本學さんらのあいさつの後、山田洋次監督・高倉健主演の「幸福の黄色いハンカチ」が上映され、約200人の観客が名画に酔いしれた。

「最後に値する素晴らしい映画だった」と東郷さん。「来場された皆さんから、かえって自分たちの方が元気をいただいた。このパワーを次の世代へ渡さなくては」と羽富さん。

オープニングセレモニーで、神達市長(左端)から花束を受け取る(右から)東郷さん、井桁さん、羽富さん

40年越しのサプライズも

最後にサプライズもあった。1983(昭和58)年の宝来館取り壊しの際、同館に寄せる思いのたけをつづり、新聞折り込みチラシで7000枚を配布した人がいた。ずっと名前を秘し続けてきたその人が、今回ついに明らかになった。

その人とは岩見印刷(水海道橋本町)社長の岩見昌光さん(70)。当時30歳で、「映画館という一つの文化が水海道から消える。そのことに市民の皆さんに思いを馳せてほしかった」との意図だったそうだ。これには東郷さんも「宝来館を閉めることは両親も残念に思っていただけに、あのチラシを見たときは本当に喜んでいた」と、万感の思いがこみ上げていた。

会場周辺は多くの市民らで賑わった

「宝来館は私の原点」

発起人の一人の井桁豊さん(89歳)は「私は水海道生まれ宝来館育ち。絵と映画が好きだから映画看板絵師を続けてこられた。いろいろあったが苦労とは思わなかった」と、宝来館での日々を振り返った。

井桁さんは1939(昭和9)年生まれ。中学卒業と同時に宝来館に勤め、映画看板の修業を始めた。「中学校の先生が『絵がすごくうまい子がいる』と推薦してくれた。宝来館でも描き手を探していたところで、当時好きだったスタルヒン(巨人軍などで活躍したプロ野球投手)の絵を見せて一発合格だった」

当時の上映は3本立てで週替わり、短いときは3日で替わることもあり、絵を入れている余裕がなく、文字ばかりの看板のときも多かった。看板以外の仕事では、近くの町の倉庫などにフィルムと映写機を運び込み、出張上映会を開くこともあったという。

井桁さん

20歳のとき修業のため上京。赤羽東映やオリンピアなどの映画館で住み込みで働く一方、当時映画街として栄えた浅草六区や日比谷の看板を見て回り、腕を磨いた。「四谷にあった映画看板専門の会社でアルバイトもした。背景はほかの人に任せて人物だけを描いた。顔を描ける人は少なかったので、忙しいときは徹夜続きだった」

映画会社からはチラシなどの宣伝材料は来るが、それを基にどう描くかは絵師のセンスの見せどころ。フィルムが白黒であっても看板では頭の中で色を補ってカラーで描く。井桁さんはほかの人が5色で描くところを10色以上も使い、遠くからでも目を引くよう立体的に、躍動感あるタッチで描いた。

東京では15年ほど映画看板を描き続けたが、テレビの普及などもあって仕事が減少。谷田部町(現つくば市)に家を建て、商業看板のほか賞状など筆耕の仕事をなりわいとしながら、シネフォーラムつちうらなどの映画看板も描き続けた。

2014年に「懐かシネマ」の活動を東郷治久さん、羽富都史彰さんと共に始めたのは「宝来館は自分の出発点。その原点の姿を残したい」との思いもあった。土浦やつくばでの個展では、自身の描いた映画のポスター絵や、スター俳優のポートレートなども展示。次回開催は来年4月、つくば山水亭(つくば市小野崎)で予定しているそうだ。(池田充雄)

中村哲医師写真展 13日からつくばで 元JICA職員「遺志継ぎ国際支援の考え広めたい」

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アフガニスタンで活動中の中村哲医師(ペシャワール会提供)

女性の人権考えるトークセッションも

パキスタンやアフガニスタンの人道支援に従事し、2019年に銃撃を受けて亡くなった医師、中村哲さんの活動を紹介する写真展が、13日から16日まで、つくば市高野台、国際協力機構(JICA)筑波センターで開かれる。写真パネル50点を展示し、中村さんの活動を伝えるDVDの映写も行う。15日にはアフガニスタンと日本の女性の人権について考えるトークセッションやアフガニスタンの弦楽器ラバーブの演奏会も開かれる。

主催するのは「中村哲医師を偲び思索と活動に学ぶつくば市民の会」代表で、元JACA職員の渡辺正幸さん(85)。2022年から同展を始め、今年で3回目の開催となる。渡辺さんはパキスタンで人道支援プロジェクトに携わった経験を持つ。中村さんの遺志を継ぎ、パキスタンでの支援活動を継続する国際NGO「ペシャワール会」を支え、つくば市民に国際支援の考えを広めたいと話す。

写真展開催の思いを語る渡辺正幸さん=つくば市内の自宅

羊の寄生虫駆除から

渡辺さんは1995年から5年間、JICA職員としてパンジャーブ州ドーリ村で支援活動を行った。中村哲さんが活動していた場所から600キロほど離れた、アフガニスタンとの国境近くだ。

ドーリ村の人々に最初に対面した時、人々は銃を携えていた。植物の生えない石と岩だけの谷川沿いの村では、羊が現金と同じ価値を持っており、狭い土地で過剰な羊を放牧していた。牧草が無くなると他の部族の牧草地を奪い、部族同士の争いが絶えない状況だった。そこで渡辺さんらプロジェクトチームは羊の消化管に寄生する寄生虫の駆除薬を投薬することから始め、徐々に村人たちの信頼を得た。牧草地を3つに分割し、羊を入れず牧草を育てる場所を設けてローテーションで放牧する技術や、芋やレモンなどの栽培方法も教えた。

ひどい扱いを受けていた女性の支援にも乗り出した。「女性は雑巾と同じ扱い。人権が無く、女性には教育もしない、病気になっても病院に連れて行かない。死んでもいくらでも替えが効くという考え。そこで(中村さんが現地代表を務めていた)ペシャワールからぼろきれをもらってきて洗って雑巾を縫うということを教えた」。女性たちが作った雑巾が売れるようになり、小金を稼げるようになると、男性が女性を見る目も変わってきたのを感じたという。

村長から「支援を継続」を申し出

5年間のプロジェクトが終わるころ、現地の村長ら10人からプロジェクトチームのメンバーに会いたいと申し出があった。申し出に応じ会場に赴くと、渡辺さんらが現地入りした時には銃を携えていた村人が、その時は誰も銃を持っていなかった。ドーリ村の村長自身も「銃を持たずに村境を超えることがあるのは初めてだ」と驚いた。話は「プロジェクトを続け、隣の村にも支援をしてほしい」という内容だった。武力には武力でという行動原理を、信頼関係を築くことで変えられたことは、渡辺さんにとって大きな経験だった。支援の継続は一存では決められず、日本に持ち帰った。しかし1998年にインド、パキスタンが地下核実験を行い、核兵器の保有を宣言したことから、核不拡散の立場を取る日本政府からは新規の支援協力ができなくなってしまった。

パキスタンやアフガニスタンで人道支援活動をしていたときの渡辺さん(左)とドーリ村の村長(中央)=渡辺さん提供

その後、中村哲さんの著作を読み、自分の体験と重なる所が多いと感じた渡辺さん。「撃たれても撃ち返すな。撃ち合いにしたら話ができなくなる」と言い、話し合いで相互信頼関係を築くことを貫いた中村さんに共感し、「力で欲望を満たす、より大きな武力を持つことが敵対する力の抑止になるという歴史がある。それを逆転させる考えを広めたい」と、2年前から中村さんの写真展企画を始めた。

戦争体験が原点に

国際人道支援への関心は、渡辺さん自身の戦争体験が原点にある。渡辺さんは満州生まれで、7歳の時に日本に帰還した。6歳の時に生まれた弟がおり、背に負ってよく世話をしていた。しかし、生まれたばかりの弟は日本に引き揚げた直後に亡くなってしまった。

「1946年8月、満州からの引き揚げ船で広島に到着し、船から降りてDDT(白い粉の殺虫剤)をかけられて払い落し、もう殺される心配はないと安堵(あんど)した時、弟は飢餓で亡くなった」。少年がぐったりとした幼児を背負い、まっすぐ立っている様子を撮影した写真「焼き場に立つ少年」を示し、「この少年は私そのものだ」と話す渡辺さん。「焼き場に立つ少年」は、アメリカの写真家ジョー・オダネル氏が撮影し、長崎原爆資料館に展示されているものだ。同じような悲劇が当時数多くあったと話す。「貧困が戦争につながる。安心して食べられる社会、不自由になっても助け合う仕組みを作り、戦争の恐怖、家族を失う悲しみをもう二度と繰り返してはいけない。そのためには平和を望む人々の声が大きくならなければならない。若い人たちに展示を見てそのことを考えてほしい」と語り、写真展への来場を呼びかける。(田中めぐみ)

◆中村哲医師写真展「アフガニスタンにあと50人の中村哲さんが居れば世界が変わる」は9月13日(金)から16日(月)、つくば市高野台3-6-6、国際協力機構(JICA)筑波センターで開催。開催時間は全日午前10時から午後4時まで。15日(日)午後1時からは、ラバーブ演奏と「女性と人権―アフガニスタンと日本―」のトークセッションが行われる。入場無料。主催は「中村哲医師を偲び思索と活動に学ぶつくば市民の会」。