火曜日, 10月 6, 2026
ホーム文化これにて打ち止め 7日、水海道 宝来館跡地で「第10回懐かシネマ」

これにて打ち止め 7日、水海道 宝来館跡地で「第10回懐かシネマ」

常総市水海道宝町でかつて賑わいを見せた映画館「宝来館」をしのぶ野外映画会「懐かシネマ」が7日、旧宝来館跡地で開かれる。2014年に始まり10回目を数える人気のイベントだったが、今回で惜しまれつつ千秋楽を迎える。

最初は2014年の水海道千姫まつりの前夜祭に、一夜限りの復活として行われた。翌年は常総水害の被害に遭った市民を勇気付けようと2度目の復活を果たした。その後は「また来年もやってほしい」という周囲の声に支えられ、「10回目までは何とか頑張ってみよう」と続けてきたという。

かつての宝来館の姿

「一つの切れ目として10回目はちょうどいい。『場所を移してでも続けられないか』という声もあるが、ここでやることに意義がある。昔の宝来館を覚えている人が少なくなってきたことも終える理由の一つ」と話すのは、懐かシネマ実行委員会会長の東郷治久さん。

東郷さんは料亭「つくば山水亭」や、テーマパーク「つくばわんわんランド」、日本語学校「日本つくば国際語学院」などを経営するサンスイグループの代表。宝来館跡地は自身の出生地でもある。父で東郷商店2代目の通行さんが、明治期に建てられた古い芝居小屋を買い取り、映画館に改装して1946(昭和21)年から始めたのが宝来館だった。「父が映写技師、母が木戸番を務め、母の背中には私が背負われ、膝元には姉がうたた寝をしていた」と創業のころを語る。

1950(昭和25)年ごろの記念写真。前列中央が両親で、母の膝に座るのが東郷治久さん。前列左端は井桁さん

当時、映画は娯楽の王様で、宝来館では水海道駅まで続く約1000人もの行列ができたという。その後、通行さんが経営する映画館は1958(昭和33)年までに県西・県南・県央の計17館に急拡大。だが映画が斜陽産業化すると「つくばグランドホテル」を中心とするサービス業へ軸足を移し、1973(昭和48)年に宝来館も閉館した。

東郷さんらが「懐かシネマ」をスタートしたとき、「宝来館を懐かしんでくれる人がこんなにいたんだ」と感慨深かったという。「伊奈や谷和原から毎週自転車で来た」「よく家族で見に来た」「初デートがここだった」などの声が聞かれ、水戸や東京から子どもや孫に車を出してもらって来る人もいた。そのうち「病気になって来年は来れるかどうか」といった話が出るようになり、後に訃報が届いた人もいた。近年は宝来館をしのぶという当初の趣旨よりも、今では珍しくなった野外映画に興味を持って来る人が増えていた。

今回の上映作品は山田洋次監督・高倉健主演の「幸福の黄色いハンカチ」だ。「毎回の演目は自分が独断と偏見で選んでいる」と東郷さんは言うが、参加者に見たい映画をアンケートで問うと美空ひばり、石原裕次郎、吉永小百合、高倉健、オードリー・ヘップバーンの5人が圧倒的だった。その最後の一人の登場で、全10回のフィナーレを飾ることになる。(池田充雄)

ロコレディ前のベンチで談笑する東郷さんと羽富さん

◆第10回懐かシネマは9月7日(土)、常総市水海道宝町のブティックロコレディ駐車場(旧宝来館跡地)で。鑑賞無料、予約不要。午後4時30分受付開始、同6時30分上映開始。少雨決行、荒天時は9月8日(日)に順延。問い合わせは電話0297-22-1377(ロコレディ水海道事務所)

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