火曜日, 10月 13, 2026
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パリパラリンピック 高橋利恵子選手 関彰商事で帰国報告会

健闘、ゴールボール女子キャプテン

ゴールボール女子のキャプテンとしてパリパラリンピックに出場した高橋利恵子選手(26)が帰国し、10日、自身が籍を置く関彰商事(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)つくばオフィス(つくば市二の宮)で帰国報告会が開かれた。

ゴールボールは、視覚に障害のある選手が3人1組で、鈴が入ったボールを転がすように投げ合い、得点を競う競技。高橋選手のポジションはセンターで、ディフェンスの要だ。

女子チームは予選リーグで、韓国、カナダ、フランスを撃破して3連勝し、予選を1位通過と好成績で勝ち進んだが、準々決勝でブラジルに0-2で敗れ、6位となった。東京パラリンピックでは銅メダルだったことから今回、金メダルが期待されたが、メダル獲得はならなかった。

帰国報告会で高橋選手は「金メダルを目指して頑張ったが、準々決勝で敗れ、6位という結果になった。受け入れがたい結果でとても悔しく、今もその気持ちが続いている。しかし大会は、東京と違い観客の声援が響きとても楽しかった。ゴールボールを多くの人に知ってもらえたのはうれしい。これからも頑張っていきたいので応援をお願いします」とあいさつした。

報告会には約100人の社員が集まった。関社長は「高橋選手の頑張っている姿は、社員に勇気や元気を与えてくれた。心から感謝したい。社員の中に世界で戦えるアスリートがいることは誇り。これからも次の大会や、次回のパラリンピックがあるロサンゼルスを目指してほしい」と語った。

高橋選手(前列中央)を囲んでの記念撮影する関彰商事の写真ら

高橋選手は広島県広島市生まれ。先天性の病気で幼い頃から視覚障害がある。小学校は普通学校に通ったが、中学校から地元の特別支援学校で学び、高校は筑波大附属視覚特別支援学校に進学。高校2年生の時にゴールボールと出合った。

大学は筑波大に進学。2017年日本代表強化選手に選ばれ、18年世界選手権で初の日本代表入りした。21年には東京パラリンピックに初出場し銅メダルを獲得。23年から日本代表のキャプテンを務める。関彰商事には22年4月に入社し、総合企画部に所属する。

高橋選手は「パリでの生活は、陸上100メートルに出場した、同じ関彰商事社員である東田選手に選手村の様子など詳しく聞いたのでとても助かった。情報を聞いて準備していたので快適に過ごすことができた。選手村の悪評があったので改善されたのではないか」とパリでの生活を振り返った。(榎田智司)

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