火曜日, 4月 22, 2025
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離婚届と結婚届《短いおはなし》31

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

バツイチ同士の再婚で、彼も私も子供がいない。障害は何もない。
彼はちょっと頼りないけど優しい人だ。
一緒に暮らし始めて、あとは籍を入れるだけだった。

ところがここで問題が起きた。
彼の離婚届が、出されていなかった。つまり彼はまだ、離婚をしていない。

彼は別れた妻に電話をした。

「え? 出し忘れた? もう5年も経つんだぞ。忘れたって、何だよ」

不機嫌そうに電話を切った彼は、いらつきながら言った。

「だらしない奴なんだ。私が出すって言いながら忘れたんだって。しかもどこかへ失くしたらしい。本当にダメな奴なんだ。だから別れたんだ」

「それで、どうするの?」

「明日、うちに来るって。離婚届をその場で書いてもらうよ。会うのが嫌だったら、君は出かけてもいいよ」

彼はそう言ったけれど、私が留守の間に来られて、あちこち見られるのは嫌だ。
私は、2人の離婚届の署名に立ち会うことにした。

翌日、午後6時に来るはずの元妻は、30分を過ぎても来ない。

「ルーズなんだよ。だから別れたんだ。仕事が忙しいとか言って朝飯も作らないし、掃除もいい加減だし」

彼の元妻に対する悪口は、どんどんエスカレートする。
いつだって仕事優先で、妻としての役割を果たさなかったとか、車の運転が荒いとか、自分よりも高収入なのを鼻にかけていたとか。
聞けば聞くほど、彼が小さい男に見えてくる。

元妻は、6時40分を過ぎたころにやっと来た。

「ごめんなさい。遅れちゃって」

彼が言うほどだらしない印象はない。上品なスーツを着て、薄化粧だけど美人だった。

「忙しい時間にごめんなさいね。離婚届を書いたらすぐに帰りますから」

感じのいい人だった。

彼女の後ろから、小さな男の子が顔を出した。彼女は子供の頭をなでながら言った。

「この子を保育園に迎えに行って、遅くなってしまったの」

彼が驚いて聞いた。

「君の子供? 結婚したのか?」

「結婚するわけないでしょう。離婚してないんだから。さあ、ごあいさつして」

母親に促され、子供がかわいい声であいさつをした。

「はるきです。5歳です」

「5歳?」

彼が青ざめた。確かめるまでもなく、はるき君は彼にそっくりだ。

「別れた後で妊娠がわかったの。でもね、捨てないでくれってすがりつくあなたを追い出しておいて、妊娠したから帰ってきてなんて言えないじゃないの」

すがりついた? 彼が?

「出産準備や仕事の調整で忙しくて、離婚届出し忘れちゃったの」

彼女はそう言うと、素早く離婚届に名前を書いて印を押して帰った。

「じゃあ、あとはヨロシク」

離婚届を見つめながら、彼は明らかに動揺している。

「彼女、わざと離婚届を出さなかったんじゃない? あなたが帰ってくると思って」

「そうかな…」

「追いかけたら。あなた父親でしょう」

慌てて出て行く彼を見送って、私は離婚届を丸めて捨てた。

彼が元妻、いえ、妻の悪口を言い始めたときから、わずかな嫌悪感を拭いきれない。

それは放っておいた珈琲のシミみたいに、消えることはないだろう。
抽斗(ひきだし)にしまった婚姻届を出す日は、もう永遠に来ない。
ため息をつきながら捨てた。ゴミ箱の中で、離婚届と婚姻届がぶつかり合って弾けた。(作家)

「霞月楼所蔵品展」が開幕 土浦市民ギャラリー

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会場の様子。手前が一色五郎の作品2点、奥が屏風のレプリカ=同市大和町、アルカス土浦1階 土浦市民ギャラリー

29日はトークセッション

明治時代に創業し各時代の政治家、軍人、文化人らをもてなした土浦の老舗料亭「霞月楼」(同市中央、堀越恒夫代表)が所蔵する美術作品などの写真パネル約40点を一堂に展示する「霞月楼所蔵品展」(同実行委員会主催)が24日、土浦駅前の土浦市民ギャラリー(同市大和町、アルカス土浦1階)で始まった。会期は29日まで。初日は午後2時からオープンし、約40人が訪れた。

政治家、軍人、文化人らが通う

「霞月楼」は1889年(明治22年)に創業、130年以上の歴史を誇る。県内の政治家や実業家らの社交場として、また多くの文人や画家、書家らが逗留(とうりゅう)する創作の場としても栄え、画家の大川一男小川芋銭、竹久夢二、岡本一平などが残した作品が大切に継承されている。

1921年(大正10年)、阿見町に霞ケ浦海軍航空隊が発足すると、海軍の関係者らが訪れて連日にぎわい、東郷平八郎山本五十六もよく通った。1929年、飛行船ツェッペリン伯号が飛来した際は、乗客乗員を「霞月楼」で歓待した。

海軍予備学生の寄せ書き屏風レプリカも

展示されているのは、東郷平八郎、山本五十六、リンドバーグ、ツェッペリン伯号などにまつわる歴史資料と、著名作家の美術作品の写真パネルなど。土浦市出身の彫刻家、一色五郎の作品は「白鷺(しらさぎ)」の写真パネルのほか、「逆さだるま」と鳩の彫刻2点の現物を展示している。

太平洋戦争末期の1944年に「霞月楼」で開かれた海軍予備学生の送別の宴で、これから戦地に向かう予備学生らが寄せ書きした屏風(びょうぶ)は、同じ大きさのレプリカを展示。「征空萬里」、「回天」という勇ましい言葉や、当時人気だった芸者「春駒」の文字が見られる遺書のような屏風は、若者が命を賭した戦争の痛ましさを生々しく伝える歴史資料の一つだ。

「霞月楼」の堀越雄二さんは「当時祖父が予科練にいて、この寄せ書き屏風の存在を伝え聞いていたという人も訪れ、涙を浮かべて屏風を見ていた。このような歴史の1ページがあることを多くの人に知ってもらえれば。開催中は受付にいるので、解説もしますし、質問もいつでもお待ちしています」と話している。(田中めぐみ)

◆「霞月楼所蔵品展」は土浦市民ギャラリーで、9月24日(火)から29日(日)まで開催。開館時間は午前10時から午後6時まで。入場無料。

◆最終日の9月29日(日)午後1時から午後3時は同ギャラリーで、小説家の高野史緒さんと社会学者の清水亮さんによるトークセッション「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」が開かれる。入場無料。車で来場の際は駐車場が最大2時間無料。図書館、または市民ギャラリー受付で確認印が必要。

➡《霞月楼コレクション》の過去記事はこちら

障害があっても海外で夢をかなえる 米国で1年研修へ 八木郷太さん

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米国に研修に行くことが決まった八木郷太さん

国内初、公費の障害福祉サービス利用し

障害に対する啓発活動をする土浦の当事者団体「DETいばらき」(高橋成典代表)のメンバーで、水戸市の当事者団体「自立生活センターいろは」事務局長の八木郷太さん(28)が、重い障害のある人に公費でヘルパーを派遣する「重度訪問介護」を利用し、米国の障害者団体で約1年間、研修を受ける。長期間の国外滞在時に国内の福祉サービスの利用が認められるのは全国でも初めての事例。八木さんの挑戦が、障害者運動の歴史に新たな1ページを刻む。

土浦市内の飲食店で22日、DETいばらきの障害当事者メンバーやヘルパーらが集まり、米国に向かう八木さんの壮行会を開いた。会の冒頭で八木さんは「大変なことはまだあるが、楽しみたい」と話すと、同団体の代表の高橋さん(59)は「素晴らしい活動。たくさんのことを吸収して、次の時代につないで欲しい」と語った。

「DETいばらき」で活動する仲間たちとの壮行会で乾杯する八木さん(中央)

八木さんは中学3年の時、柔道の練習中の事故で脊椎を損傷し、首から下を全く動かせなくなった。現在は、ヘルパーによる24時間の介助を受けながら水戸市内で一人暮らしをする。自立生活センターいろはでは当事者として障害者の地域生活を支援し、DETいばらきでは障害への理解啓発に取り組んでいる。

米国で障害者のパレードに参加

八木さんは、海外で活動することを子どもの頃から夢見ていた。事故に遭った時は現実を受け止められず、何度も涙がこみ上げたという。その後は周囲に支えられ、「どんな重い障害があっても自分らしく生きることができる」という理念を掲げる障害者の自立生活運動に出合い、20歳からヘルパー制度を利用して一人暮らしを始めた。

一度は諦めかけた海外への夢が再燃したのは2017年。世界で初めて「障害者差別禁止法」が制定された米国での記念イベントに、日本全国の障害者や介助者らと参加した。現地では、米国以外の若者たちとも交流し、パレードにも参加した。さらに、保険制度改悪を阻止するため逮捕者を出すのもいとわず座り込む米国の当事者らに接し、「熱いムーブメントを肌で感じた。彼らと一緒に活動したいと思った」と振り返る。

2023年に日立市で開かれた「茨城県障害者権利条例」制定8周年を記念するパレードで先頭中央を歩く八木さん

「国内で前例がない」

八木さんに今年、渡米のチャンスが訪れた。障害者支援に取り組むダスキンによる「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」に応募し、八木さんが立てた、米国で運動を学ぶという研修計画が採択されたのだ。約1年間の八木さんの現地滞在費が助成されることになった。これで夢への扉が開くと思ったが大きな壁に突き当たる。米国で八木さんの生活を支えるヘルパーに支払う「介助料」は助成の対象外だった。

自分で体を動かすことができない八木さんの暮らしには、常にヘルパーの介助が必要になる。日本では、障害福祉サービス制度を利用することで、ほとんど自己負担なく24時間の介助サービスを受けることができる。しかし、1年に及ぶ長期の国外滞在に対し、サービスの支給決定権を持つ水戸市は当初「国内で前例がない」と態度を保留。のちに「国内に1年間不在となると、居住実態が日本から現地に移るため、ヘルパー制度を利用できなくなる」と八木さんに伝えた。

八木さんが受けている重度訪問介護は、半分を国が負担し、残りを茨城県と水戸市が負担している。ヘルパー派遣費用は年間で約2000万円。制度が適用されなければ、全額が八木さんの自己負担となる。現地でヘルパーを雇用すれば時給は約30ドル(日本円で4000円超)になる。個人でまかなえる金額ではなかった。「障害がなければ、現地滞在にかかる費用の助成だけで夢に向かうことができるはずなのに…」。計画を断念することも八木さんの頭をよぎった。

「DETいばらき」で活動する仲間たちと写る八木さん(左から3人目)

全国の障害者が動き、厚労省交渉

そこで動いたのが、全国で活動する障害者たちだった。調べると、1年未満の滞在であれば、国外にいても税金は日本に収める必要があるとわかった。納税するなら、制度も国内にいるのと同様に使えるべきだ―。これを根拠に当事者らが交渉すると厚生労働省は「海外滞在が1年未満の場合は転居届を提出する必要がなく、渡航前の市町村が引き続き居住地となると推定される。したがって、障害福祉サービスの利用は可能」との見解を示した。厚労省が認めたことで水戸市は八木さんに対して「国外滞在中でも1年未満であれば、今利用している介助サービスを継続して使用できる」と認めた。夢を実現するための大きな壁が取り去られた瞬間だった。

現地では、1日に必要な3人のヘルパーのうち、2人は日本から渡航するヘルパーが制度を利用する。もう1人は現地で雇用する予定だ。制度外となる現地雇用分のヘルパー費用は、クラウドファンディグで301人から寄せられた約500万円を充てる。

八木さんは「たくさんの方に助けられここまで来られた。絶対に1人では無理だった」と話し、「海外に憧れる障害がない人と同じように『海外で学びたい』という強い気持ちが私にはある。しかし夢を実現するための障壁が、障害者であることが理由になるのはフェアじゃない」と述べる。

「かつては障害者が一人暮らしするのが大変だった。それが今はヘルパー制度があることで可能になった。そしてようやく『海外へ』というところにきた」と当事者運動の積み重ねによる時代の変化を八木さんは実感する。

現地の障害者運動に飛び込みたい

米国では、西海岸カリフォルニア州のサン・ラファエル市にある障害者の自立生活を支援する当事者団体で、研修員として現地スタッフと共に活動し、団体の運営や権利擁護活動を学ぶ。早ければ11月中にも渡航する予定だ。八木さんが現地で一番やりたいのは「現地の障害者運動に飛び込むこと」だ。日々、現地の当事者と同じ空気を吸い、暮らしを共にする中で、障害者としての権利や権利意識をどのように獲得しているかを学び、障害者が生きる街や文化を体感したいと話す。7年前に感じた熱が、今も八木さんを突き動かしている。

「将来、若い障害者が今の時代を見て『昔は海外に行くのがこんなに大変だったんだね』と笑い話になるような社会になっていたらうれしい。障害者が健常者と同じように、どんどん海外を志せる社会になってほしい。自分の経験が、他の障害者にとって一歩を踏み出すきっかけになれば」と八木さんは語る。

厚労省障害福祉課は取材に対し、八木さんの事例を踏まえて「滞在期間が1年未満なら海外でも障害福祉サービスを利用できることを、全国の自治体に、事務連絡としてなるべく早期に、わかりやすい形で周知する」とした。(柴田大輔)

私の地球 ユキちゃんのこと《続・平熱日記》166

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】夏の間過ごした弟の家の敷地には水の流れがある。ここより上にはもう民家はないので、いざという時には飲み水にもなるという。それとは別に水がしみだしている場所があって、そこにはふかふかのコケが一面に生えている。その中心に向かって飛び石が置いてあって、その先には小さな浅い池がある。

のぞいてみるとアカハライモリがいて、夏も後半だというのに小さなオタマジャクシが見える。「たぶんモリアオガエルだと思うよ」。この池を作って管理をしているのは義妹のユキちゃんだ。

夕食の時間には、食卓からちょうど山の端に沈む真っ赤な夕陽が見える。ユキちゃんはその夕焼けを見ると、居ても立ってもいられない様子でスマホを持って表に出ていく。「今日の空はきれいじゃった!」。次の日も同じように箸をおいて夕陽を見に行く。

そんなユキちゃんが去年の夏、たまたま寄った道の駅で見つけたメダカを古い石臼の中で飼い始めた。そして、今年の夏、百均で買ったという小さな金魚鉢には、もらってきたというメダカの子供が数匹泳いでいた。ユキちゃんはその金魚鉢を大事そうに抱えて、実に楽しそうにのぞいている。メダカの具合を確認したり、スポイトで汚れを吸い取ったり。

そして、たまたま寄った道の駅で、今度はメダカ用の水草と小さな巻貝を見つけた(最近道の駅でメダカは必須アイテム化しているようだ)。この巻貝は金魚鉢の汚れを食べてくれるらしい。

カタツムリと同じ雌雄同体で、2匹いれば増えるというのだ。茨城の私の家にもメダカがいるので、4匹いるうちの半分をもらって帰ろうと思っていたら、ある日、1つの殻が空っぽになって沈んでいるのにユキちゃんが気付いた。1匹だけ持って帰ってもしょうがないので、また増えたらもらうことにした。

夏の間、忙しい果樹園の仕事があるにもかかわらず、毎日おいしいごはんを作ってくれたユキちゃんに何かお礼をしよう。そう思っていたら、偶然、ピッタリのプレゼントを見つけた。淵が青くてひらひらした古い小さなガラスの金魚鉢。

アサギマダラが飛んでくるんよ!

茨城に戻って少しは涼しくなるかと思いきや、今年はいつまでも暑い。そこにユキちゃんから画像が届いた。プレゼントした金魚鉢が映っているようだが、よくわからない。「巻貝が1匹死んで2匹になったと思ったら、赤ちゃんがいっぱい生まれた!」とのコメント。

「秋になるとフジバカマが咲いて、そうしたらアサギマダラが飛んでくるんよ!」。ユキちゃんは、北から南へ千キロ以上も移動するというアサギマダラ蝶(チョウ)がもうすぐこの山の中の敷地に立ち寄るのを心待ちにしている。

画家、香月泰男(164話)は、生涯、山口県の三隅町を離れることなく画業に勤しんだ。そして、その小さな町が彼の空であり大地であり「私の地球」であると言った。まさに、この山の中の家はユキちゃんの地球だと思った。多分ユキちゃんは香月泰男の言葉を知らないと思うけど。(画家)

つくばFCが連勝 最終節を前に3位確定

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後半12分、今井が勝ち越しのゴールを挙げる(撮影/高橋浩一)

関東サッカーリーグ1部第17節、ジョイフル本田つくばFC対ヴェルフェ矢板(本拠地・栃木県矢板市)の試合が22日、つくば市山木のセキショウ・チャレンジスタジアムで開催され、つくばが2-1で勝利した。つくばはこれで7勝5分5敗、勝ち点を26に伸ばし3位をキープ。次の最終節は10月6日、セキショウ・チャレンジスタジアムで桐蔭横浜大学FCと対戦する。

第58回関東サッカーリーグ1部 第17節(9月22日、セキショウ・チャレンジスタジアム)
ジョイフル本田つくばFC 2-1 ヴェルフェ矢板
前半1-1
後半1-0

今節を終えて、つくばは5戦負けなしで2連勝と好調を維持。4位の南葛SCに対し勝ち点5差をつける一方、上位では首位のボンズ市原FCが勝ち点43、2位の東京23FCが同39に伸ばしており、つくばは3位が確定。JFL(日本サッカーリーグ)昇格の望みもすでに断たれた。敗れた矢板は勝ち点13で最下位を脱することができず、6年ぶりの関東1部で苦戦中だ。

前半5分、先制点を挙げた宮本(左から4人目)の周囲に選手が集まる

試合は前半5分につくばが先制。左サイドから仕掛けて相手守備を引き寄せたところで大きく右へ展開、MF河島雪大とのパス交換でDF石原大樹が抜け出し、ゴールライン際からマイナスのクロス。これをFW宮本英明が頭で叩き込んだ。

「石原ならあそこに出してくれるという共通理解があった。だからわざと入り過ぎず止まって待ち、思った通りのボールが来た。2人で1年間積み上げてきた形が出せた」と宮本。昨季はけがに悩まされたが、今季は良いコンディションを維持し、「自分の中で一番いいパフォーマンスを出せている」という。

前半、左サイドをドリブルで攻め込む郡司

この辺りの攻防について、左MFの郡司侑弥は「自分が中間ポジションを取ることで相手DFを中に寄せ、外にサイドバックが上がれるスペースを作るプランだった。だが相手は自分のサイドに蓋をしてきたので、右へ展開する形をとった」と解説。「相手の中央の守備が緩いときは、縦のドリブル突破やクロスなど、自分の持ち味も出すことができた」とも話す。

その後もつくばはチャンスを作るが追加点は得られず、34分に同点ゴールを奪われる。後がない矢板は球際をタイトにし、スピードに乗った攻撃で襲いかかってきた。「守備で相手にスペースを与えてしまい、失点場面ではパスの出し手へのプレッシャーが甘くなった」と副島秀治監督は悔やむ。

後半4分、カットインした郡司からのショートパスに、宮本が反転しながらシュートを放つ

後半は全体をコンパクトにし、相手にスペースを与えない形に修正。守備の背後を突いてロングボールに河島が飛び出すなど、攻撃のバリエーションも増やした。すると12分、つくばに勝ち越しゴールが生まれる。コーナーキックの流れからDF高橋琉偉が中央でシュートを放ち、相手GKがこぼしたボールをDF今井涼成が左足で決めた。今井は今季移籍し初ゴール。「セットプレーでの得点は僕の役割。常に狙っている。目の前にいいボールが来たので流し込んだだけ。うまく反応できてよかった」との振り返り。

勝ち越しのゴールを決めた今井

「もう少し点を取れるゲームだったが、相手も必死にプレーしてきた。隙を見せるとカウンターやセットプレーがあるので粘り強く守りながら、最後まで崩せるシーンをつくれた」と副島監督。「ホームの声援が後押しとなり、一人一人の積み重ねがゴールという結果になって表れた」という今日のようなゲームを、次の最終節でも期待したい。(池田充雄)

後半途中から左MFとして出場、突破力を生かして3本のシュートを放った岡島温希

食料の確保は安全保障の1丁目1番地《邑から日本を見る》168

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赤字でも続けるわが家の米づくり。やっと収穫

【コラム・先﨑千尋】今、国民の話題、関心事は米だ。スーパーで最近まで棚に安売りの米が並んでいた。しかしそれが様変わり。品薄に加えて、南海トラフ地震臨時情報を受けた買いだめなどで欠品が起こり、「1家族1袋限り」という表示が貼ってある。テレビでは、2時間かけて東京都心部から千葉県の「道の駅」まで買いに行く人や、米生産農家の携帯にひっきりなしに注文が入る情景などが映し出されている。

しかし、自民党の総裁選や立憲民主党の代表選を見ていると、米不足問題を正面からとらえ、解決策を提唱する人はいないようだ。

岸田首相も坂本農水大臣も「端境期だから仕方がない。そのうち新米が出てくれば落ち着く。民間業者には、持っている在庫を民間同士で融通し合うよう要請している。米の作況は平年並みなので、政府が保有している備蓄米を出す状況にはない」と、能天気なことを言うのみ。大阪府の吉村知事が備蓄米の放出を国に要請したくらいだ。「令和の米騒動」と言われているが、消費者もおとなしくしているので「騒動」にはなっていない。

では、なぜ米が足りないのか。米の消費量が生産量を上回っているからだ。昨年の生産量は661万トン。それに対して消費量は702万トンだから、差し引き約40万トン足りない計算になる。新米が出そろう10月になれば店頭での米不足は解消されるだろうが、早食いしているので、来年のこの時期にも同じ現象が起きることが目に見えている。

わが国は「瑞穂の国」と言われた。白いご飯を腹いっぱい食べることが庶民の夢だった。日本全体の水田をフルに使えば1400万トンは生産できると言われている。しかし、1970年から始まった米の生産調整(減反)政策によって、政府の予測以上に農家は米を作らなくなった。それでも政府は現在、減反ではなく、水田をつぶし、畑に転換する減田政策を進めている。

それだけではない。農水省の統計によれば、一昨年の米生産農家の時給はたったの10円にしかならない。これもすべての農家の平均なので、わが家のような5反歩しか作らない零細農家は赤字になっている。それでも続けているのは、先祖からの田んぼを荒らすわけにはいかない、子どもや親戚に自分の作った米を食べてもらいたい、などの理由による。だが、そう考えるのは我々の世代でおしまいのようだ。誰が1時間10円で働くか。

つい最近、農協の関係者に聞いたら、茨城県の農協が農家に渡す概算金(仮渡金)を、8月に決めた玄米60キロ当たり1万8000円(前年より5300円アップ)をさらに5000円足し、2万3000円にしたとか。これでやっと1990年代の水準に戻ったのだが、集荷業者の攻勢が強く、予定通り集まるか心配だと言う。農協の直売所で見たら玄米5キロで3500円と、随分高くなった。しかし、これでも茶碗1杯分が約40円。カップ麺が1個200円、菓子パンが1個140円などと比べると、米はまだまだ安い。

防衛力強化より食料の確保を

ではこれからどうするか。

国産米を将来にわたって確保するには、持続可能な稲作経営を国と国民(消費者)が保障することが最優先。生産者の労働コスト10円を、せめて労働者の最低賃金(時給1000円)並みにすることだ。労働コストを米価にまるまる転嫁すると消費者に与える影響が大きいので、諸外国で取り入れている農家の所得補償政策に舵(かじ)を切ることも必要になろう。さらに備蓄米を増やす。

「食料安保」と口では言うけれど、1カ月半分の備蓄米しかない日本。国は防衛力強化のために43兆円を使うと言っているが、国民の命を守るためなら、その1割でも食料に回せばいいではないか。食料の確保は安全保障の1丁目1番地である。(元瓜連町長)

利根川大花火大会を観覧して《見上げてごらん!》31

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主な有料観覧席と民間有料駐車場の事例(筆者提供)

【コラム・小泉裕司】「花火な旅2024」の前半戦が終了。台風の迷走やゲリラ雷雨など、今まで経験のない気象変化との戦いが続いた。9月から後半戦に突入、11月2日(土)の「土浦」まで、怒濤(どとう)のごとく「いばらきの秋花火」が続く。

ということで、今回は、秋花火開幕戦、9月14日(土)に境町の利根川河川敷で開催された第37回利根川大花火大会の所感を連ねたい。

秋の夜空に、スターマインや尺玉など迫力ある約3万発の花火が打ち上げられ、30万人の観客を魅了した。 土浦と大曲の両競技大会で内閣総理大臣賞の受賞歴を誇る野村花火工業(水戸市)、山崎煙火製造所(つくば市)、紅屋青木煙火店(長野県)、マルゴー(山梨県)の「4大花火師」が匠(たくみ)の技を披露。音楽は安室奈美恵さんの「ヒーロー」などで知られる作曲家、今井了介さんがすべてのプログラムを音楽プロデュースした。

通常、花火師が選曲も打ち上げもプログラムするが、いわば分業制を採用。今井さんが、スターマインや10号玉(尺玉)の競演すべてを選曲、各花火師はそれに合わせて打ち上げをプログラミングした。大会初の試みに、まずは敬意を表しよう。

駐車場予約システムの効果

花火大会主催者への取材で聞こえてくるのは、異常な混雑の中、安全を確保するための警備体制の強化など、人的にも費用的にも苦労が大きいというということ。花火会場のキャパシティは限界を超えており、これ以上観客が増えることは、正直、勘弁してほしいという。

特に地方の場合、移動は車中心となるため、会場への少ないアクセス道路に車が集中し、早い時間から渋滞が発生。打ち上げ開始までに会場に着けないとか、帰路は駐車場から出られないとか、出場後も渋滞で深夜着といった状況が各大会で発生している。

境町も、都市基盤や公共交通の脆弱(ぜいじゃく)さから、同様の状況があったという。これらの課題を打開するため、他の花火大会で実績を残す軒先(株)と駐車場シェアサービスを共同開発・実践した成果が認められ、今年度、第1回全国シェアリングシティ大賞2024(シェアリングエコノミー協会主催)の大賞を受賞した。

会場周辺の駐車場は、民間も公設もすべてネットからの事前予約制で有料。合計約4000台を収容する駐車場は、1台1万円以上と高額でも、会場近くから満車になったという。

私は今回も、渋滞に巻き込まれながらも空き駐車場を探して彷徨(ほうこう)することなく、予約した駐車場に到着した。不正駐車も見当たらないのは予約システムの効果だろう。同時に、主催者側のコスト削減と運営スタッフの負担軽減にも効果が生じているに違いない。

観覧席の高額化

観覧席は、近隣の大会に比較し、超高額な価格設定にもかかわらず、早期に完売。転売防止策とのことだが、今年も転売サイトはにぎやかだった。本大会初のラグジュアリー席は、打上現場の真っ正面最前列に2人用のリクライニングシートを設置、価格は8万円。それでも即時完売。こうした「境価格」は、他の大会からも注目されている。

マナー知らずの浴衣美女

観客の目の前で、打ち上がる花火を背に、時にはライトをつけて記念撮影に及ぶ迷惑集団が出現。何度もポーズを変えて、さらに交代して、最後は、みんなで集合写真に及ぶ。ここ数年の現象だが、やめるよう注意するのは私だけではない。周辺の観客や係員も参戦する。この行動自体がストレス、しかも二度と見られない花火作品を見逃すことになる。

今回も私の前のテーブルは、浴衣を着た外国語を話す男女4人が着席。とにかく落ち着きがなく、自撮りはもとより、男女のふれあいを繰り返す。我慢の限界が来たところで、遅れて到着した予約客に席の間違いを指摘され、目の前から消えた。

美しい花火を見ると、喜びや感動、興奮などの上向きな感情が喚起され、ポジティブな気分や心の開放が促進されると言われるが、こうして原稿を書いている最中も、思い出してイライラ感が募るばかり。この上は、ラグジュアリー席の購入しかないようだ。本日は、この辺で「打ち留めー」。「シュルシュルシュル どどーん」(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

子どもたちに多様な選択肢を 不登校支援団体が第3回合同説明会 23日つくば

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昨年つくば市内で開かれた「第2回不登校・多様な学び つながる“縁”日」の会場風景(不登校・多様な学びネットワーク提供)

1カ所増え県内3カ所で

不登校など学校に悩みを抱える子どもや保護者と、フリースクールや各自治体の教育相談室などの支援団体をつなぐイベントが、23日につくば市の市立桜総合体育館、10月19日に筑西市の県県西生涯学習センター、11月23日にひたちなか市のスポーツ&カルチャーしおかぜみなとで開かれる。

県内で活動する支援団体や保護者などでつくる「不登校・多様な学びネットワーク」が主催する。3回目の開催となる今年は、600人余りが来場した昨年より会場が1カ所増え、県内3カ所での開催となる。参加するのは、フリースクール、通信制学校など民間の支援団体75団体と、つくば市や土浦市など県内9市の教育相談機関で、それぞれ相談ブースを構えたり、資料を置いたりする。

ひとりで悩まないで

県南エリアリーダーの松崎貴志さん(松崎さん提供)

同ネットワークの県南エリアリーダーで、子どもが中学生のころ不登校を体験したつくば市の松崎貴志さん(44)は「ひとりで悩まないでほしい。身近に寄り添える場所があることを多くの方に伝えたい」と思いを述べる。自身の子どもに対しては、学校に行けない間も一緒に食卓を囲み、買い物など外出を共にするなど、無理をさせずに寄り添っていたという。

松崎さんは「みんな学校に行っている中で、学校に行けない自分は他の人とは違ってしまったと、子どもが苦しんでいた」と当時を振り返り、「子どもは、親や周りに迷惑をかけてしまっているのではと思ってしまったのかもしれない。不安の中で自分を苦しめていた」と語る。

そんな中で助けになったのが周囲のアドバイスだった。勧められた通信制の高校に進学し、そこで自分に合った学び方を選択し、現在は専門学校の卒業を控えて内定を得た企業への就職が決まり、社会に羽ばたこうとしている。松崎さんは「親である私は周りに伝えることで自分の気持ちが楽になった。家族だけで抱え込まずに誰かに相談してもらいたい」と話す。

参加団体の中には、感覚が繊細で刺激が苦手な子や発達・学習障害児などに対する支援団体、性的マイノリティの当事者団体など専門分野に特化した団体も複数参加している。専門家による講演会のほか、つくば会場では不登校の子を持つ保護者らによる座談会も予定されている。フリースクールに通う子どもたちによる手作りのゲームやグッズの販売、キッチンカーの出店など誰もが楽しめる企画も用意している。

松崎さんは「不登校に限らず、子育てに悩んでいる方にも来ていただきたい。行政の相談窓口もあるし、ほかにも寄り添い相談を受けてくれる団体がたくさんある。『これを聞いたら恥ずかしい?』と思わずに、困った時にはここに相談すれば少しは楽になるかなというところを見つけにきていただきたい」と言い、「不登校は決してダメではない。不登校だから学べないわけではなく、多様な学び方がある。それがイベントのキーワード。子ども達の選択肢を増やしてもらいたい。そのためにいろいろな人とつながってほしい」と話す。

◆「第3回不登校・多様な学びーつながる“縁”日」は▷9月23日(月・祝)=つくば市金田1608の桜総合体育館で午前10時から午後4時まで▷10月19日(土)=筑西市野殿1371の県政生涯学習センターで午前11時から午後4時まで▷11月23日(土)=ひたちなか市牛久保1-10-18のスポーツ&カルチャーしおかぜみなとで午前11時から午後4時まで。それぞれ入場無料。詳しくは特設サイトへ。

バードウォッチングにこと寄せて《文京町便り》32

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】今回は、私が米国および英国で経験した軽微な(体力勝負でない)アウトドア活動についてです。2度目の米国滞在中(1993年、ワシントンDC近くのバージニア州フェアファックス)、バードウォッチングの会に何度か参加しました。

土曜日の早朝(日の出直後)、大西洋岸の河口あるいは(バージニア州西部の)シェナンドー・バレー麓などの適当な駐車場に15名程度が集合した後、リーダーの誘導で、防水対応のシューズと携帯双眼鏡を片手に、森林、灌木(かんほく)や草地に静かに分け入るのです。

この経験で私が得たポイントは、鳥を探すにはむやみに辺りに目を向けるのではなく、さえずりや羽音のする方向に体と視線と双眼鏡を向ける、ということでした。

ベテランになれば、鳥のさえずりでその鳥の姿と名前を当てることができます。私も、カセットテープを入手して、車の運転中、語学テープをヒヤリングする要領でチャレンジし、帰国後も少し続けてみましたが、残念ながら、とてもその域には達しませんでした。要するに、鳥のさえずりは聞き分けられませんでした。

米国のバードウォッチングでは、もう一つ得難い体験をしました。熱心な会員の中には、自宅を野鳥の住み家にしつらえている方が少なくない、ということです。

そうした会員のお誘いで、ご自宅に案内されたとき、そのご自宅はさほど広いわけではないものの、家屋内部も庭もきちんと手入れされているだけでなく、いたるところに巣箱と水辺が配置されていて、野鳥がこれらを目指して絶えず飛来するのです。当家の方は日ごろからそれを眺め、かつ1年を通じた変化を楽しんでいるのです。

しかも、同好者に自分たちの「作品」を披露することで、それぞれの満足感・好奇心を高めているのです。

自宅を限定的に開放する試み

自宅を限定的ながらも開放するという試みは、英国でも、ガーデニングやフラワーアレンジメントの会で体験しました。

元々、かつての領主の館や庭園などはナショナルトラスト運動の対象になっていることもあり、広大でかなり解放されているのですが、それほどの由緒・来歴を持たない一般庶民のささやかな家屋や庭でも、こうした公開対象になっているのです。それは、自然およびその移ろいを楽しんでいる自分たちの「作品」を、同好者に見てもらいたいという気持ちの発露でもあります。

したがって、維持管理が行き届かなくなり、基準に達せずユニークさに欠けると判断されると、公開リストから外されてしまいます。

日本でも、野鳥の会、盆栽、菊づくりなど、歴史と伝統を誇る文化的なアウトドア活動は数多くあります。茶の湯の野点なども、そうした趣向かも知れません。古民家をカフェ・レストラン・宿泊施設などに改修し、こうした歴史的文化遺産の管理・説明を地元ボランティアが交代で担当することなども、地域資源や人材の再生・掘り起しにつながり、有意義でしょう。

しかし、それぞれの自宅などをいわば「作品」として(日にち・時間・対象者を)限定しながらも開放するという静謐(せいひつ)な試みも、地域再生という観点からももう少し普及してもいいのかもしれません。(専修大学名誉教授)

慶応大の学生10人 土浦・阿見の博物館など巡り 歴史語り継ぐ方法を調査

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土浦市立博物館を見学する学生たち=18日、同市中央

土浦市立博物館(同市中央)や予科練平和記念館(阿見町廻戸)などを巡り、歴史を語り継ぐ方法を調査しようと、18日から、慶応義塾大学の学生10人が土浦を訪れている。土浦市内に20日まで滞在し、街歩きをしながら史跡を見たり、地元の人にインタビューするなどしてフィールドワークの手法を学ぶ。最終日には同市中央のギャラリー、がばんクリエイティブルームで作業をし、体験したことをまとめる予定だ。

社会学者の清水亮さん企画

訪れたのは同大環境情報学部と総合政策学部の1~3年生10人。土浦や阿見町の戦中・戦後史をまとめた「『軍都』を生きる 霞ケ浦の生活史1919-1968」(岩波書店)=23年3月22日付=の著者である同大専任講師の清水亮さんが教育活動の一環として合宿を企画した。社会学を専門とする清水さんのゼミ生や、フィールドワーク法の授業を受講する学生など、調査手法を学びたい学生たちが参加した。清水さんは学生時代から自身も幾度となく土浦を訪れ、近現代史の調査を続けている(24年8月3日付)。

調査1日目となる18日には、明治、大正、昭和の調剤道具などが展示されている「奥井薬局」や、1929年に飛来した際の写真や資料が展示されている「ツェッペリン伯号記念館」、江戸時代後期の商家を活用した観光拠点「まちかど蔵」などを学生たちが巡って、街中にある小さな展示を見学。手作りの展示に取り組む人々に聞き取りをするなどし、土浦の街全体を博物館に見立てる「フィールドミュージアム」の可能性を探った。

午後には市立博物館を訪れ、歴史や文化を伝える資料を見学した。学生たちは一つ一つに足を止め、メモを取ったり写真撮影をしたりしながら、熱心に見入っていた。見学後は同館学芸員の野田礼子さんに展示の工夫や課題についてインタビューした。2日目となる19日には予科練平和記念館などを訪れ、学芸員の山下裕美子さんや、予科練戦没者の遺書や遺品などの資料を保存・収集する「海原会」の行方滋子さんにも話を聞いた。

災害、地方創生…それぞれの興味から

参加した3年生の福島優希さんは桜川市の出身で、防災教育に関心があり普段は全国各地で調査を行っている。地元の茨城についてもっと深く知りたいと考え、この合宿に参加した。調査で土浦を訪れるのは2回目だ。「土浦は水運の街。今は水害を避けて川辺には住まないことが多いが、土浦の昔の富裕層は川辺に住んでいたのが興味深く、もっと調べたいと思った」と災害の観点から着目し、関心を深めていた。

同じく3年生で静岡県出身の高久快さんは地方創生や地方の経済活性に関心を持っているという。土浦を訪れるのは初めてで「昔の街並みが残りつつ、昔と今とが融合している。『昭和レトロ』な雰囲気がいい」と話す。戦後、軍用地がどのように利用されてきたかに興味を持っており、調べたいという。

1年生の中沢遥花さんは図書館や、サードプレイスと呼ばれる自宅や学校、職場でもない第3の居場所に関心があり、合宿に参加した。「土浦は昔の雰囲気が残っており、歴史を感じられる街」と土浦の印象を語った。

五感で「生きた歴史」見つけて

同大の清水専任講師は「博物館などの展示は、それを作る人の努力と工夫があってできている。リスペクトの気持ちを持ってほしい」と活動の目的を話す。歴史をどのように語り継いでいくか、若い世代の視点で考えてほしいとし、「フィールドワークのノウハウやスキルというよりも、人との出会いを大切にし、そこに生きた歴史があることを学生たちに伝えたい。街中も、風景や地形など実際に歩いて分かることがある。教室での勉強や、書物を紐解いていく勉強とは違い、空間の中で五感を使って体験することを大事にしてほしい」と思いを語り、フィールドワークの楽しさを説く。(田中めぐみ)

◆社会学者の清水亮さんは、29日(日)午後1~3時、土浦市民ギャラリー(同市大和町、アルカス土浦1階)で開かれるトークセッション「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」に出演し、小説家の高野史緒さんと対談する。トークイベントに先立って24日(火)~29日(日)、同ギャラリーで「霞月楼所蔵品展」が開かれる。開館時間は午前10時から午後6時(初日は午後1時から開場)。いずれも入場無料。

➡詳しくはこちら

「愛」と「生命」を込める 筑波大大学院の姉弟2人展 つくば スタジオ’S

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姉の小松原佳織さん(右)と弟の優作さん(左)=つくば市二の宮、ギャラリー「スタジオ’S」

小松原佳織さん(25)と小松原優作さん(23)による二人展「いつものところ」が20日からつくば市二の宮のギャラリー、スタジオ’S(関彰商事つくば本社内)で始まった。2人は静岡県掛川市出身の姉弟で、それぞれ筑波大学芸術専門学群を卒業後、同大大学院に進学し絵画を研究している。佳織さんは「愛」を、優作さんは「生命」を、自然の中に見る光や色と共に作品に描き込む。油絵やアクリル画、手芸品など佳織さんが15点、優作さんが8点の作品を展示する。30日まで。

佳織さんがベージュ色の布製手提げバッグに描くのは、夕日に照らされるように赤やオレンジ、黄色に彩られた雲。部分的に盛り込まれた青や緑が色彩の鮮やかさを引き立てる。バッグの反対面には毛糸で表現した雲を縫い込んだ。「雲は、光の加減で見える色が変わっていく。人が感じる愛、心が動く瞬間を表現したい」と作品への思いを語る。「信仰」という作品では、ある作家の展覧会で見た、大型作品に引き込まれるように集まる観客を、無機質な四角形とそこに漂い集まる雲で表現した。

優作さんが描くのは「生命から感じる喜び、感謝、美しさ」。世界で続く戦争や貧困、差別を意識しながら日々の暮らしで感じる喜怒哀楽に心を寄せる。「生活の中で感じる命の大切さを作品に込めたい」と言う。よく足を運ぶというつくば市内の筑波実験植物園でみた光を描いたのが「植物園」。湿気がこもる温室に夕陽が差し込み、拡散する柔らかい光に包まれる植物に感じた生命の力強さを表現した。その他に、実家の台所で料理する母親の後ろ姿や、故郷に広がる田園風景に目を向ける父親を描いた作品が展示される。両親への感謝を込めたと話す。

小松原佳織さんの作品「信仰」

姉弟で先に絵を始めたのは、姉の佳織さん。漫画などの絵を書き写すことが好きだったという小学生のときに近所の絵画教室に通い始めた。後を追うように、2歳違いの優作さんも小学1年で同じ教室で絵を始めた。その後は姉の後を追うように、同じ高校、大学、大学院へと進学し、互いに刺激し合いながら絵を探究してきた。

佳織さんは絵を描くことの魅力を「悩んだときや自然を見たときに絵を描くことが多い。気持ちを消化できる。描き始めると、周りの音が聞こえなくなるほど集中する」と言い、優作さんは「描いていく中で、自分が好きなものや嫌いなものがわかっていく。自己理解が進むのが絵の魅力」だと話す。

市内の義務教育学校で非常勤講師として美術を教えたこともある佳織さんは「将来は教員になる予定。子どもたちの吸収力のすごさに驚くし、どうすればよりわかりやすく教えられるか考えるのも楽しい。いろいろな教材を生徒に提供できるよう、布染めや金継ぎなどにも挑戦したい」と言い、優作さんは、「今回の作品には、おがくずを絵の具に混ぜて凹凸を表現したものがある。今後はアクリル絵の具を多く使ったり、千代紙を主体的に使うなど表現方法を広げていきたい。将来は作品を販売していきたい」と意気込みを語る。

壁面に「愛」を貼って

会期中29日まで、鑑賞者が自由に手を加えられる作品制作コーナーをギャラリー内の6メートルほどの壁面に設置する。壁に貼り付けられた無地の大型模造紙に、来場者がそれぞれ「愛」を感じる場面や瞬間を書いた付箋を貼り付けていくと、最後に「何か」が浮かび上がる。「人が人へ持つ愛、感じる愛が私の作品作りの大きなテーマ。皆さんが感じる『愛』を一緒に貼り付けながら、一つの作品として展示を一緒に盛り上げていきたい。ぜひ、参加していただけたら」と佳織さんが呼びかける。(柴田大輔)

◆「小松原佳織・小松原優作 二人展『いつものところ』」は、9月20日(金)から30日(月)、つくば市二の宮1-23-6 関彰商事つくば本社内、スタジオ’Sで開催。開館は午前11時から午後5時まで。29(日)は午前10時から、作家によるギャラリートークが予定されている。入場無料。詳しくはスタジオ’Sのイベントホームページへ。

私を信頼し、私と話せ《電動車いすから見た景色》58

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車椅子に乗った筆者が電話口で話しているのに、相手から「介助者に代わってください」と言われている様子。イラストは筆者

【コラム・川端舞】時々、一本電話をかけるだけで疲弊することがある。それは、電話の相手が私の言葉を聞き取れなかった時ではなく、私の言葉を聞こうとしなかった時だ。

私が初めての場所に電話する時は、相手が言語障害の人とのコミュニケーションに慣れていない場合を考え、事前にできるだけ話したい内容を紙に書いておく。そして、もし相手が私の言葉を聞き取れなかったら、どのタイミングで通訳を入れてもらうかを、そばにいる介助者と打ち合わせてから電話をかける。

私が電話をかけると、たいてい相手は一瞬、沈黙する。困った表情を浮かべているのが、電話口からもよく分かる。その反応には慣れているので、私の言ったことを介助者に通訳してもらう。多くの場合は、介助者の通訳を入れることで、私と相手の会話が成立する。これが私なりの電話をかける方法だ。

しかし、時々、この方法が通用しない時がある。電話の相手が、私にではなく、介助者に話しかけてしまうのだ。そんな時は、電話のスピーカーで介助者も一緒に聞いているから、私に直接話してもらえばいいことを説明するのだが、ごくたまに、「では、ご本人ではなく、介助者に電話を代わってください」と言われてしまうことがある。

私が話したいことがあるから電話をかけているのに、介助者と話してどうするのだろう。私の言いたいことを介助者が全部把握している訳でもないのに。私を信頼してもらえていないようで、すごく悔しい。

障害者の生きた経験をなめるな

初めて私と話す人に、私の言葉を全て聞き取れとは言わない。ただ、私が「話したい」と言っているのだから、まずは私と話せ。あなたは言語障害のある人と初めて話すのかもしれないが、私は30年以上、言語障害と付き合っていて、どのタイミングで介助者の通訳を入れるのが効果的なのかも、あなたより熟知している。この社会の大半の人間は、言語障害のある者と話すのに慣れていないことも、私は嫌というほど知っている。

だから、介助者が隣にいる時に、あなたに電話をかけるのだ。言語障害のある者と話すことに慣れていて、聞き取れなかったら聞き返してくれると見込んだ相手に電話をかける時は、介助者と打ち合わせてから電話をかけるなどという、面倒なことはしない。

私は、自分に言語障害があることも、その時々でどのコミュニケーション方法が自分に一番合っているのかも、この社会で一番よく知っている。その上で、あなたに電話をかけているのだ。障害者をもっと信頼してほしい。(障害当事者)

霞ケ浦湖畔で音楽フェス 5年ぶり野外開催 

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2018年に野外で開かれた霞ケ浦KOHANロックの様子(同実行委員会提供)

21、22日 土浦

土浦で最大規模の野外音楽フェスティバル「霞ケ浦KOHANロック2024」(同実行委員会主催)が、21、22日、土浦市大岩田、霞ケ浦総合公園で開催される。コロナ禍で21年は開催中止、20年と22、23年は市内のライブハウスなど屋内で開催した。野外開催としては5年ぶりとなる。

ロックやジャズ、フォークなど多彩なジャンルのプロやアマチュア32組が出演し、2日間、湖畔の芝生広場で音楽を奏でる。入場無料。

21日は日本の伝統的な民俗音楽である民謡を世界の音楽でアレンジして演奏する「民謡クルセイダーズ」、22日は俳優でトロンボーン奏者としても活躍する浜野謙太を中心としたファンクバンド「在日ファンク」が出演するなど、ビッグなアーティストも出演する。

第9回となる今年のスローガンは「土着」と「反骨」。日本人のDNAにある民族的なもの、ロックの持つ反発するエネルギーを言葉にした。

同公園内にある入浴施設「霞浦の湯」近くの芝生広場を「グランドレインボウステージ」とし、人工砂浜がある水辺広場を「水際熱風ステージ」として二つのステージを設置する。そのほか郷土芸能などを披露するアートパフォーマンスエリア、飲食村エリア、マルシェエリアも充実し、音楽以外でも楽しめるようにする。

入場無料にこだわる

地元の観光資源である霞ケ浦を全国の人に知ってもらいたいと、10年前の2015年、つくば市在住の会社員、山田径子さんが音楽フェスを始めた。山田さんは20年以上にわたり湖畔で開催されてきた親子向けイベントに参加、広々とした湖畔の緑地で野外ライブを開いたら、たくさんの人に来てもらえて、かつての臭くて近寄りがたい霞ケ浦のイメージを払拭でき、霞ケ浦に目を向けてもらえるのではないかと考えていたという。当初は市内のライブハウスが会場だったが、湖畔での開催が実現し、19年は50組が出演し約1000人が来場するなど最大規模となった。

老若男女誰もが湖畔の素晴らしい環境を楽しんでほしいと、入場無料にこだわる。開催資金調達のため、クラウドファンディングも活用、オリジナルTシャツや缶バッチの販売にも力を入れる。

主催者の山田径子さんは「一般的な野外フェスは入場料が高く、子供連れなどでは行けない。このフェスはペットも連れて聞きに行ける。Tシャツなどのグッズを買った人は優先的に前の方で見られる仕組みをつくっている」と話し「初めて来る人も常連の人も、湖畔の環境の中で素晴らしい音楽を楽しんでもらえればうれしい」と来場を呼び掛ける。(榎田智司)

◆雨天決行。当日のプログラムなど詳しくはこちら

茗溪学園中2年 石井美空さん 国内最高峰のジュニアテニス大会で3位に

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石井美空さん(左)と安藤市長=土浦市役所

地元土浦市長に報告

国内最高峰のジュニアテニス大会「ユニクロ全日本ジュニアテニス選手権2024」の14歳以下女子ダブルスで、土浦市に住む茗溪学園中学2年の石井美空さんが3位となり、18日、地元の土浦市役所を訪れ、安藤真理子市長を表敬訪問した。

大会は8月26日から9月6日まで都内の有明テニスの森公園テニスコ-トで催された。石井さんは同じ中学2年でつくば市に住む色川渚月さんとペアを組み、順調に勝ち進み3位となった。7月に開かれた第98回関東ジュニアテニス選手権は優勝している。

石井さんは土浦小学校から茗渓学園に進み、土浦市内のテニススクール「ABCテニスアカデミー」でテニスを学んでいる。

表敬訪問には石井さんと母親の和香さん、市からは安藤市長、小林勉副市長、入野浩美教育長が出席し和やかに話が進んだ。

石井さんは「レベルの高い大会で大変だった。負けた時は悔しかったが、楽しく終わることができた」とあいさつ。安藤市長は「おめでとうございます。こんなに華奢(きゃしゃ)な娘さんが快挙を成し遂げたことは驚き。今後オリンピックで活躍する日も来るかも知れないとわくわくしている」と健闘をたたえた。

ペアを組んだ色川さんとは時間を合わせる余裕もなく、ほとんど一緒に練習をしないで成し遂げた快挙だということで、出席者全員が驚いていた。母親の和香さんから、2年前、入野教育長から絵画の表彰を受けたという話題も出た。(榎田智司)

ワンちゃんがネコちゃんに負けた日《看取り医者は見た!》27

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写真は筆者

【コラム・平野国美】犬の訓練士の方から興味深い話を聞きました。今の時代風に言えば、犬の世界もジェンダーレスになってきたそうです。どういうことか?と聞くと「肉体的にはオスなのだが、しぐさがメスっぽいとか、同性に興味を示すオスが増えてきた」と言うのです。

食餌(しょくじ)や環境のせい?と尋ねると、「大昔、まだ野性だったころは、強くないと餌を獲れなかったのだろう。現代では、飼い主が安定して餌を与えるので、強くなくても生きていけるようになった。さらに、敵と戦う必要がなくなった」と話すのです。

さらに「今の時代、人懐っこくて、おとなしいワンちゃんが喜ばれる。獰猛(どうもう)にほえる犬は集合住宅で飼うには難しい。そういった『かわいい系』の犬が掛け合わされた結果、こういうワンちゃんが増えてきた。飼い主が高齢化して同居する若い家族がいないので、散歩に連れ出すのも厳しくなり、おとなし目の性格の子が好まれる」と。

こういった話を聞くと、独居高齢化時代のペットに望まれる形が見えてきます。22年前、私が訪問診療を始めたころ、ペットの世界は犬が優勢でした。ところが現在は、猫が圧倒的に多くなりました。統計を見ると、2016年ごろ、犬と猫の数は逆転しています。その後、犬は減り続け、猫は右肩上がりです。

高齢化時代の散歩や餌を考えると、猫の方が経済的です。それに散歩の必要がなく、飼うスペースも狭くて大丈夫。高齢者の体力にも優しいということが、この逆転劇の原因ではないでしょうか? 2016年に犬が猫に負けたのです。保健所などの尽力で野良犬、野良猫は見かけなくなりましたが、隠れ猫、迷い猫は、まだいそうな気がします。

仏壇の中のワンちゃん

犬派であったある患者さんの話。残念ながら飼い犬に先に逝かれ、ペットロスで傷心の日々、迷い猫がやって来て、ペットロスから離脱しました。猫とのスキンシップでも、あのオキシトシンは分泌されるそうです。時代が流れ、ペットの傾向も変わっていくのでしょう。

診察に行く夫婦のお宅の話。診察中、仕事に出かける前の娘が部屋にやって来て、私にあいさつした後、仏壇に線香を上げ、手を合わせてから出勤して行きました。「今時、仏壇にお祈りをするなんて感心ですね。お2人も御先祖様も安心ですね」と話すと、母親が「違います。亡くなったチャッピーちゃんに手を合わせたんです」

仏壇の中にワンちゃんの写真が飾られていました。今、ペットとの関係は家族以上なのです。(訪問診療医師)

選挙運動費用の上限額を誤って告示 4年前のつくば市長選・市議選

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つくば市役所

つくば市選挙管理委員会は18日、4年前の市長選・市議選で、各候補者の選挙運動費用の上限額(支出制限額)を誤って告示し、法で定められた金額を下回る額を、各候補者に通知していたと発表した。

市選管事務局によると、市長選については支出制限額を1829万2800円とすべきところを、誤って1550万円と告示していた。市議選については、555万6100円とすべきところを誤って440万円と告示していた。

一方、実際に選挙運動費用に使われたとして市選管に報告された費用は、3人が立候補した市長選は、最も少なかった候補者が105万200円、最も多かった候補者は288万6295円だった。41人が立候補した市議選は50万2832円から238万9465円で、いずれも選挙への影響は無かった。

昨年11月初旬、職員が誤りに気付き選管委員長と事務局長などに報告、当時は選挙への影響がなかったことから誤りを発表しなかった。その後今年9月2日、同じ職員から改めて話があり、内容を精査した結果、発表すべきものと認識を改め、18日、発表に至ったという。

選挙運動費用の支出制限額は、お金がかからない選挙をして、立候補の機会を均等化するために設けられた。選挙運動での自動車の使用、ビラの作成、ポスターの作成費用が公費で負担されることから、選挙公営制度ともいわれる。金額は、有権者数(選挙人登録者数)によって計算式に基づいて算出され、告示日に各候補者に通知される。

同選管事務局は金額を誤ってしまった原因について、計算方法及び選挙人登録者数のいずれにも誤りがあったにもかかわらず、事務局並びに選挙管理委員の確認が不足していたためとしている。

今後の対応として、4年前の市長選・市議選に立候補した人全員に謝罪するとし、再発防止策については、選挙管理委員及び事務局職員が計算方法を再確認し、それぞれ責任をもって計算を徹底するとしている。

同選管の南文男委員長は「民主主義の根幹である選挙執行において、このような不適正な事務処理と、報告が遅れたことにより、市民、有権者、立候補者の信頼を損ねることとなり深くお詫びし、今後このようなことが無いよう、深く反省し、さらに緊張感をもって取り組みます」などとするコメントを発表した。

川エビ捕り、漁協が料理教室【桜川と共に】12

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参加者につくだ煮を教える桜川漁業協同組合の鈴木組合長(左から2番目)

季節ごとシリーズ化目指す

つくば市内を流れる桜川で捕れた川エビを使った料理体験会が17日、つくば市栗原の栗原交流センター調理室で開かれた。桜川漁業協同組合(鈴木清次組合長)が主催した。桜川への関心を広げたいと、在来魚を用いた「親子料理教室」に向けたもので、来年度以降は川エビをはじめ、フナやコイ、ハゼ類のゴロなど、季節ごとに桜川で捕れる魚介類を材料にしてシリーズ化を目指す。この日は同漁協の鈴木清次組合長(82)が講師を務めた。

地域住民にとってかつて貴重なタンパク源だったが、漁獲量が減り今では作る家庭も少なくなった。出来上がった川エビのつくだ煮を口にすると参加者からは、「美味しい、絶品」「楽しくて普段の仕事を忘れられる」などの歓声が上がった。参加者は地元の女性5人。鈴木組合長が会長を務めるつくば市水質浄化対策推進協議会のメンバーで、日ごろ河川敷でごみ拾いや花壇の整備などに取り組んでいる。

この日のために用意したのは、鈴木組合長が桜川で採った1.5キロほどの大ぶりの川エビ。これから11月にかけて旬を迎えるという。鈴木組合長は、活動の幅を広げようと60歳で調理師免許を取得し、漁協などの活動の中で、川エビやコイなど、桜川の魚介類で作った手料理を参加者に振る舞っている。

この日作った川エビのつくだ煮も鈴木組合長の自信作。エビの量に見合った鍋を選び、砂糖、塩、みりん、醤油を適量混ぜ合わせ、沸騰したところにエビを入れていく。弱火で2時間煮込むと完成だ。ポイントはたっぷりの砂糖と、少量の塩。塩味が砂糖の甘さを引き立てる。

出来上がった川エビのつくだ煮

桜川への関心広げたい

今回の活動は、桜川が流れる地域住民に、川への関心を持ってもらうことだと鈴木組合長は話す。背景にあるのが、水質悪化や川辺の荒地化、増加する外来種と減少する在来種などだ。かつて桜川はきれいな水と豊かな漁業資源に恵まれていた。霞ケ浦を代表する在来魚のワカサギは、桜川など流入河川を産卵場にするが、桜川に遡上するワカサギも激減し、漁獲量はピーク時の1パーセント未満にまで減っている。

さらに漁協が抱える課題が組合員の高齢化だ。現在71人いる組合員の平均年齢は80歳を超えている。同漁協では、稚魚や卵の放流、川辺の整備・清掃等を通じた河川管理をしてきた。今後は多様な市民とのつながりの中で、地域住民の関心を得るとともに、次世代を担う若い世代の参加が必要だと考える。

桜川漁協では、子どもたちに伝統漁法の投網を教えたり、地域イベントにブースを出展したりするなど地域に向けた啓発活動を行ってきた。最近では、桜川で増えるアメリカナマズのほか、ブラックバス、ブルーギルなど特定外来魚の駆除をイベント化した「特定外来魚釣り大会」を開催すると、市内の中華料理店が霞ケ浦のアメリカナマズを料理した新メニューを開発するなど、桜川を通じて市民との新しいつながりが生まれつつある。今年5月からは、市民団体やNEWSつくばと漁協が協力し、伝統漁法など漁協の活動を参加者が学びながら、川の環境保全への関心を高めるための「桜川川守養成プログラム」が始まった。

鈴木組合長は「料理教室も、桜川への啓発につながれば」と期待を込める。(柴田大輔)

➡「桜川と共に」の過去記事はこちら

筑波山とエキスポセンターのロケット《ご近所スケッチ》12

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】この絵は10年くらい前に描きました。今では見ることのできない風景です。

理由は3つ。この風景を見た場所は吾妻の公務員宿舎。かつては誰でも敷地内に簡単に入れました。階段の踊り場から描いた風景です。私は高所恐怖症にもかかわらず、高い場所から地域を眺めるのが大好き。いま人は住まず、敷地に入ることもできません。

2つ目は、樹木が大きくなり、筑波山などが臨めなくなったということ。3つ目は、手前に見える小学校と駐車場だった場所にはビルが建ちました。数年前、その横の立体駐車場の屋上から同じ方向を見たのですが、木が大きくなり、期待した風景は見えませんでした。

「X」でつながる新々住民

私は42年前、今はつくば市になった旧谷田部町に移ってきました。1985年に科学万博があり、引っ越してきたころ閑散としていた所は大きく変わりました。街はどうやって変貌するか興味があり、建設中の西武百貨店(今のトナリエ)をスケッチしたりしました。

都内で建築パース(未完成建物などの完成予想図)の仕事をしていたとき、磯崎新さんが設計した「つくばセンタービル」の下描きをしたこともあります。そのときは、まさかつくば市に引っ越して来るとは思いもしませんでした。

最近、つくば周辺のことをもっと知りたくて「X」を始めました。そうしたら、東京から移って来た方々に出会い、ビックリ。コロナ禍の数年間、若い方、働き盛りの方、リモートでお仕事の方、たくさん移って来たようです。こういった新々住民の方々が街に活力を与えていくように思います。

いろいろな意味で、私も背中を押され、頑張りたいと思います。(イラストレーター)

<ご案内>
9月23日(月)~29日(日)、つくば市桜が丘15-4のギャラリー「アート・スペース・コリーヌ」で「つくば水彩画会」4人展を開催します。絵やレプリカ、ハガキ、カレンダーの販売もします。

つくば水彩会のはがき

「ゴジラ-1.0」で戦跡巡り 霞ケ浦でロケ地ツアー開催

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ゴジラをラッピングした水陸両用バスで霞ケ浦を遊覧する

映画「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」の主要ロケ地だった美浦村にある旧海軍の鹿島海軍航空隊跡と霞ケ浦を巡るツアー「ゴジラ-1.0霞ケ浦水上大作戦」(県観光物産協会主催)が14日から始まった。国内外の「ゴジラファン」を呼び込みながら、希少な戦争遺跡の継承につなげたいと関係者は言う。

水陸両用バスをラッピング

「入水します!」「オー!」ツアーガイドの呼び掛けに参加者たちが手を挙げて応じると、大型の水陸両用バスが水しぶきを上げて霞ケ浦に突入する−。ツアーでは、霞ケ浦に現れたゴジラを倒すため、ゴジラを太平洋へとおびき寄せるというストーリーに沿って、参加者たちが映画にも登場する戦争遺跡群と、霞ケ浦を水陸両用車に乗り巡っていく。

ツアーガイドを務める、美浦村出身で「大山湖畔公園」施設長の青木和城さん

映画「ゴジラ-1.0」は2023年に公開されると、日本の作品として初めてアカデミー賞で視覚効果賞を受賞した。終戦間際から戦後が舞台の作品で、美浦村の鹿島海軍航空隊跡をはじめ、筑波海軍航空隊記念館(笠間市)、ヒロサワ運動公園本球場前(筑西市)など県内3カ所が主要ロケ地に選ばれた。茨城県は、都内からのアクセスの良さや広い敷地があるなどの理由から、映画やドラマ、CMなど多数の撮影が各地で行われている。県は2002年に「いばらきフィルムコミッション」を設置し、ロケ支援に力を入れ、誘致を進めてきた。

今回のツアーの舞台となる鹿島海軍航空隊跡地は美浦村の霞ケ浦湖畔に位置する。敷地内には、同航空隊の旧本部庁舎やボイラー室、自力発電所など、20施設以上の旧海軍史跡が残されている。同航空隊は1938年に水上機の練習航空隊として発足し、終戦後は東京医科歯科大学霞ケ浦分院の結核療養施設などに使われた。1997年に同院が閉院すると、長らく放置され、「心霊スポット」となるなど荒廃していた。2016年、美浦村が国から払い下げを受けて、一帯の史跡群を「大山湖畔公園」として整備し、一般公開されたのが昨年7月から。今回のツアー企画の共催団体「茨城プロジェクト」(金沢大介代表)が、指定管理者として公園を管理運営している。

ゴジラがラッピングされた水陸両用バス

「震電」コックピットを体感

ツアーでは、JR土浦駅から「特殊海防艇526号」と名付けられた水陸両用バスで陸路、同航空隊跡地を目指す。交通に不便を抱える美浦村への移動そのものを一つのコンテンツにしたもので、窓のない無骨な車両から霞ケ浦や広い田園風景を望むことができる。

現地に着くと、かつて荷揚港として利用された場所から霞ケ浦に入水し、霞ケ浦を約20分遊覧する。当時の姿を残す軽油庫内では暗闇の屋内に、「ゴジラ-1.0」制作関係者が監修した約6分間のオリジナル映像作品が投影され、映画にも登場する戦闘機「震電」をコックピットで操舵する気分を体感できる。その他、ロケ風景の写真、歴代ゴジラのポスター、実際の撮影に使われた「震電」のコックピット模型が展示されている。

映画で使用された戦闘機「震電」のコックピット模型が展示される

インバウンド集客を期待

主催団体、県観光物産協会の鈴木友子DMO推進課長(53)は「インバウンドの集客を期待している。茨城は映画などロケが盛んで、それ自体が地域資源となっている。世界中で認知される『ゴジラ』をきっかけに、ロケ地と地域を関連づけた企画を通じて、地域の魅力を伝えたい」と話す。

「茨城プロジェクト」の金沢代表(53)は「全国に多数ある戦争遺構には壊されているものも多い。未来に残すためには、まず知ってもらうことが重要。映画をきっかけに、史跡への人の流れができ、人同士が結びつく場所になれば、存在する理由ができる。ここに対して多くの方に関心を持っていただき、考えてもらうきっかけになれば」と話すと、「(鹿島海軍航空隊跡の)軍事目的の使用は終わったが、これからどんな施設になるか、僕らが向き合うべきことだと思っている」と語った。(柴田大輔)

内部が公開される鹿島海軍航空隊跡の旧本庁舎

◆「ゴジラ-1.0霞ケ浦水上大作戦」は、12月22日までの土日祝日(一部金曜日)、午前と午後、1日2回実施する。土浦駅発着のバスツアーは、水陸両用バスでの霞ケ浦遊覧と映像による震電搭乗体験に、日本語と英語ガイド、8カ国語のパンフレットにオリジナルレインコートが付いて2万円(税込)。現地集合でのツアーは、水陸両用バスでの霞ケ浦遊覧と映像による震電搭乗体験のみで5000円(税込)。問い合わせは県観光物産協会(電話029-226-3800)へ。

里山の暮らしを学ぶ(3)《デザインを考える》12

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写真は筆者

【コラム・三橋俊雄】今回は「ブリコラージュ(bricolage)」のお話をします。文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースの著書『野生の思考』に登場する「ありあわせの道具や材料を使い自らの手でモノをつくる」というフランス語で、日本では「器用仕事」「日曜大工」などと訳されています。

コラム11(8月21日掲載)で紹介した桶(おけ)職人のTさんは、まさに「ブリコラージュの名人」でした。彼は、生活に必要な道具をつくるとき、まず、その道具の機能的・形態的・構造的イメージと重ね合わせながら、それに使えそうな材料を身の周りの自然から探します。

そこには、自然物あるいは自然物の一部を、つくりたい道具のイメージと重ね合わせる「見立て」の技を通して、そのモノがもつ形状や構造を最大限に生かし、目的にかなう道具をつくり上げていく「ブリコラージュ」の手法を見ることができます。

上の左の写真は、農具置き場としてTさんが田んぼの脇に建てた納屋の写真です。この納屋の庇(ひさし)を支える方杖(ほうづえ)と呼ばれる部位は、雪の重さで曲がった杉の「根曲がり材」を利用したものです。この方杖からは、自然の造形を生かし構造的にも合理的で美しい、ものづくりの知恵を見ることができます。

右の写真は、農作業用の鎌などを研ぐために用いられる砥石(といし)の台です。後方は現在使われているもので、2本の角材を脚として釘(くぎ)で台座に打ちつけたものです。一方、手前は、Tさんが長らく愛用していた砥石の台です。これは、自然木の三つ股の部分を砥石台のイメージそのままに切り取り、わずかな加工を施しただけのものです。

こうした砥石の台座と脚部を一体としてとらえ、それに見合った自然物を探し利用するものづくりの手法は、ブリコラージュの好例と言えるでしょう。

曲がり具合がちょうどよい

そのほかにも、Tさんのお宅には、Y字型の「イツキ」の枝を利用した物掛け棒や、奥さんのHさんが杉の下刈りに行ったときに「カッコガエエナー」と思って切り出してきた太さと曲がり具合がぴったりのご主人愛用の杖(つえ)、筵機(むしろばた)の足に使うため納屋の脇に逆V字型にしばらく立てかけてある太めの二股の原木など、枚挙にいとまがありません。

また、コラム10(7月16日掲載)に登場した「背負子(しょいこ)」の両端の「オヤギ」も、Tさんが「曲がり具合がちょうどよい」と山から切り出してきて保存し、必要なときに利用するブリコラージュの技に違いありません。

ひるがえって現代のものづくりは、自然が創り出してきた造形を無視して、加工の手間やエネルギーを浪費しながら、大量生産型、技術優先型のものづくりに邁進(まいしん)しているように思えます。上述のような、里山の暮らしの中から生み出されてきた「ブリコラージュ・デザイン」は、まさに、人と自然が共生していくための一つの「在り方」といえるのではないでしょうか。(ソーシャルデザイナー)