月曜日, 5月 23, 2022
ホーム 土浦 《霞月楼コレクション》1 大川一男 国芳派の流れを汲んだ美人画

《霞月楼コレクション》1 大川一男 国芳派の流れを汲んだ美人画

【池田充雄】長い間、土浦には美術館がないと指摘されていた。美術品を収集・展示する公共空間だ。アルカス土浦内に市民ギャラリーが2017年開館し、展示の機能は備わったが、収集による文化の保全・継承面は十分といえない。かつての土浦では、市民がそうした文化をよく担ってきた。その代表的存在が料亭・霞月楼(土浦市中央、堀越恒夫代表)。本シリーズでは霞月楼に残された地域ゆかりの名品に目を向けていく。

  • 霞月楼 1889(明治22)年創業、130年の歴史を誇る土浦きっての老舗料亭。各時代の政治家、軍人、文化人ら、土浦に降り立つあまたの著名人をもてなした。2代当主の堀越正雄はかつて東京・麹町(現永田町)の星岡茶寮に在籍し、その草創期を支えた名料理人だったという。

往時の土浦の風情を漂わせる

「わかさぎ焼」1938年 絹本彩色 177×237cm 霞月楼所蔵

「わかさぎ焼」は土浦出身の日本画家、大川一男が1938(昭和13)年に描いた作品だ。当時の川口町(現川口1丁目)あたりは、霞ケ浦から揚がった新鮮なワカサギを焼き売りにする店が川筋沿いに立ち並び、あぶられた魚の香ばしい匂いが街中に漂っていたという。土浦小唄にある「焼かれながらも二本差し」の風情のまさにそのままだ。

この絵は当初、町内にあったさる薬局の依頼により屏風として描かれたが、一男が戦後になって訪ねてみると薬局はすでになく、尋ね歩くうちに絵だけが霞月楼に保存されていることが分かった。モデルになった女性も後年に霞月楼を訪れており、絵姿は姉さん被りの手ぬぐいのひょうたんの柄まで、当時のものをそのまま写し取っていると話したという。

図案工を経て深水に弟子入り

大川一男

大川一男は1914(大正3)年、新治郡上大津村(現土浦市田村町)に400年以上続く豪農の長男として生まれた。上大津東尋常高等小学校を卒業後、農業の道に入るも画家への夢は捨てがたく、母校の恩師のとりなしで京都図案協会の研究生となり、西陣織の図案工として才能を発揮し始める。

1930(昭和5)年、京都で開催された帝展を見て、伊東深水の作品に心酔。手紙を送り内弟子となることが許され、東京・大井町の深水画塾で日本画の基礎技術を学ぶ。浮世絵の歌川国芳から月岡芳年、水野年方、鏑木清方、伊東深水と続く系譜を「玄冶店(げんやだな)派」と呼ぶが、一男もその末流に名を連ねたことになる。

1935(昭和10)年、茨城会館開館記念美術展に大川朝勢の画号で「朝霧」を発表し3等賞。これが公募展への初出品で初入選にもなった。

戦後の土浦で農業と絵を両立

戦時には2度にわたる招集を受け、中国戦線を転戦中に終戦を迎えた。1946(昭和21)年6月に復員したが、実家を支えた弟たちはいずれも戦死し、両親や親族の強い要望により家業を継ぐことになる。

一方で絵への情熱も絶やさず、1948(昭和23)年土浦に県南美術協会が発足するといち早く作品を発表。当時土浦近郊に疎開していた浦田正夫の下に通い、小林巣居人や永田春水の知遇も得る。ここに養父清直、鈴木草牛、根本正、片岡巳代子ら地域作家の面々が加わり、巣居人が再興した新興美術院や県展などを舞台に、互いに競い合い精進を重ねていく。

1980(昭和55)年に新興美術院理事、県芸術祭美術展委員、県文化団体連合常任理事に就任。1994(平成6)年には県つくば美術館で画業60年記念展を開催。2001(平成13)年に88歳で亡くなった。

「枝垂桜」1983年 第33回新興展出品 175×366cm

現代美人画、風景画にも名作

「踊り子」1988年 第38回新興展出品 181.2×122cm 土浦市民ギャラリー所蔵

一男の作品は、最初の師である伊東深水の薫陶よろしい、伝統的で気品漂う美人画に定評がある。一方で、あでやかな洋装の中に現代女性らしい精神性を感じさせる作品群もあり、広く人気を集めている。

深水からは「過去の様式をなぞった単なる美人画ではなく、自分なりの発見に基づき、個性を大切にした人物画を描くように」という主旨の教えを受け、その後の創作活動の大きな刺激になったという。

戦後は花鳥や風景にも画題を広げた。その代表作が奥入瀬渓谷を描いた「流奏」で、1982(昭和57)年の第32回新興展で文部大臣奨励賞を受賞した。風景画では師と仰ぐ人はなく「農村に暮らし、自然に触発され、気の赴くまま、型にはまらずに描いている」と話している。(文中敬称略)

  • 取材協力・参考資料 ▽茨城県近代美術館▽常陽芸文センター▽大川家▽画集「画業60年記念大川一男展作品集」1994年▽リーフレット「大川一男展」(1996年、芸文ギャラリー)▽1994年9月20日付茨城新聞▽1996年1月14日付産経新聞

誹謗中傷するコメントはNEWSつくば編集局が削除します。
0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る

陽性確認者数(公表日ベース)の推移

つくば市

土浦市

スポンサー

注目の記事

最近のコメント

最新記事

小出裕章さんが常陸太田市で講演 《邑から日本を見る》112

【コラム・先﨑千尋】「日本は世界一の地震国。避難計画とは、ふるさと喪失計画だ。東海第2原発を再稼働させてはならない」。 5月7日、常陸太田市のパルティホールで開かれた講演会で、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんが熱っぽく訴えた。この講演会は同講演会実行委員会が主催。最初に記録映画「地震・津波・原発事故」が上映され、東日本大震災による津波と東京電力福島第1原発の事故、飯舘村で事故に遭い昨年10月に甲状腺がんで亡くなった長谷川健一さんらの話などが紹介された。講演会には県内外から420人が参加した。 小出さんの講演のタイトルは「日本の原子力開発と東海第2原発の再稼働」。小出さんは最初に原子力開発が東海村に誘致された経過を話し、「どんな機械でも故障し、事故も起こす。人間は神ではない。必ず誤りを犯す。原子力発電所も機械であり、事故から無縁ではない」と、事故が起きるのは必然だと述べた。そのことを国も電力会社も知っており、それ故に東電は自分の電力供給範囲から原発を追い出し、福島や新潟に作った。 その福島。事故から11年経っても放射線量が高く、現場に行けない。溶け落ちた炉心がどこにあるのかさえ分からないでいる。原子炉を冷やすために水を注入し続け、放射能汚染水が増え続けている。3月現在で汚染水の貯留量は約130万トンになり、国と東電は昨年4月、汚染水を海に流すことを決めた。「地球は水の惑星であり、水を汚すことは究極の自然破壊だ」と、小出さんは危機感を表す。 また、復興の掛け声のもとで住宅支援の打ち切りなど被害者たちが押しつぶされ、汚染があることを口にすると「復興の邪魔だ」と非難されると言う。  「子供たちを被曝から守るのが大人の責任」

29年続くにぎわい再び つくばリサイクルマーケット

家庭で使わなくなった不用品を持ち寄り、安く販売してリサイクルする「第122回つくばリサイクルマーケット」が22日、同市吾妻の中央公園水の広場で開かれた。市内や近隣市の市民らが38区画に出店し、買い物客でにぎわいを見せた。コロナ禍で半年ぶりの開催となった。 つくば市の市民団体「リサイクルを推進する会」(高野正子代表)が1994年から主催しており、今年で29年目となる。 毎年3月、5月、9月、11月の年4回開催し、多い時には700人の来場者があったが、コロナ禍で中止を余儀なくされていた。昨年11月に再開し33区画に出店した。しかし感染拡大を受けて、今年3月は再び中止となっていた。今回は出店区画を40区画用意、30人のキャンセル待ちがあったという。 「つくばのごみを宝の山に!」をモットーに、使用可能なものを捨てずにリサイクルすることを目的とするマーケットで、出品されたのは、衣類や靴、本、未使用のタオルや食器、使わなくなったおもちゃ、雑貨、文房具などさまざま。 出店したつくばみらい市在住の女性は「何度も出店している。ずっと出したくて久しぶりの出店。家族のものなどたまった不用品を持ってきた。天気が良くなって、思っていた以上に買っていただいた」と話す。 土浦市から息子を連れて買い物に訪れた篠崎史織さんは「初めて来た。10円や100円といった値段で子どもでも買いやすいので、自分でお金を出して買うという体験ができてよい。息子はコロナ禍の中生まれたのでこういった体験が貴重」と話した。

認識の対立を克服するには? 《文京町便り》4

【コラム・原田博夫】2月24日以降、ロシアのウクライナ侵攻の報道に接していると、戦争の背後に潜む正義は、時代や場所、あるいは人や組織で異なっていることが分かる。侵攻したロシアやプーチンには、少なくとも自国民向けの必然性や正当性があるはずである。 ロシアがこのような暴挙に至った経緯や背景は必ずしもつまびらかではないが、ここ数年来、米国やNATO(北大西洋条約機構)によるロシアへの圧力・圧迫があった(と、少なくともロシアおよびプーチンが思い込んだ)ことは確かである。その意味では彼らには、ゆがんでいたにせよ、なにがしかの必然性があったはずである。それなくしては、このように大規模な「特別軍事作戦」(一方的な侵略)を決行できない。 対して、この侵攻は、侵攻されたウクライナのみならず、EU(欧州連合)、NATO、米国や日本などの民主主義国にとって全く理解できない暴挙である。 この認識の対立構造は、それぞれの国民世論にも反映していて、ロシア国内の世論調査では(国内世論の操作が行われている上に、政府系の御用調査機関と揶揄(やゆ)されているが)、今回の特別軍事作戦は相当の支持を得ている。たとえば、全ロシア世論調査センターの3月17日調査やレバダセンターの4月21~27日調査では、いずれも「支持する」が74%に上っている。 他方で、国連総会でのロシアの軍事行動への圧倒的な非難決議(3月2日の非難決議への賛成141カ国、反対5カ国、棄権5カ国)に見られるように、国際政治・国際世論はロシアへの非難では歩調を合わせている。 関係者・当事者の「良識」に期待

昔「アダルトチルドレン」、今「毒親」 《続・気軽にSOS》109

【コラム・浅井和幸】おかげさまで、浅井心理相談室はこの6月で20周年を迎えます。様々な方にご支持いただき、本当に感謝しております。以前相談に来られた方からのご紹介で来談されるケースや、相談をして元気になったので精神保健福祉士を目指したいとか、公認心理師やカウンセラーになりたい―といった話を聞くと、とてもうれしくなります。 といっても、「浅井のようになりたい」という言葉を聞くと、うれしい反面、「もっと上を目指した方がよいよ。君はもっと大きな可能性を秘めている」と思いますし、正直にそう伝えます。 相談室を開いたころ高校生だった来談者も、すでに30代になって再び来談されることもあります。皆さん、本当に立派になられて感慨深いものがあります。70代の方もいましたので、あの方はもう100歳を超えるのかぁ―などと考えることもあります。 20~30年前、アダルトチルドレンという言葉を頻繁に目にしました。この言葉はもともと、アルコール依存症の親の元で育った子供が、大人になって様々な支障が出てくるという概念です。その意味が広がり、機能不全家族で育った人が様々な生きづらさを抱えていく―という意味にもなりました。医学的な診断名ではありません。 相談の場でも多く耳にしたものですが、最近では「毒親」という言葉に置き換わっていると感じます。毒親は「親ガチャ」とセットで聞くことも多いですね。これらの言葉の登場に、気持ちが軽くなった人もいるでしょう。こんなにつらいのは自分だけではないのだという仲間意識、訳の分からない苦しさから「毒親に育てられた子ども」に属せたという安心感です。 これは、どこの病院に行っても、何も悪くないと医師に言われ苦しさが続く中、うつ病とか難病などの病名がつくことで、何となく治療法があるのだろうという救われた感覚に似ているのだと思います。カサンドラ症候群という、アスペルガー症候群のパートナーを持つ人の苦悩もこれに似ていますね。