土曜日, 5月 4, 2024
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みんなで楽しく田んぼづくり 《宍塚の里山》89

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「田んぼの学校」の田植えの様子

【コラム・阿部きよ子】私たち「宍塚の自然と歴史の会」では、1995年から里山の中の休耕地となった谷津田で稲作りを開始し、1999年以降、子どもから大人までを対象とした「田んぼ塾」を開いてきました。そして、2015年からは、新たな稲作方法を研究開発する「自然農田んぼ塾」と子ども中心の「田んぼの学校」に分かれて、谷津田の稲作に取り組んできました。

田んぼの学校は、年度ごとに家族単位で「生徒」を募集し、①稲作と稲作に伴う伝統文化を学ぶ食農教育、②里山の自然や田んぼの環境について学ぶ環境教育―をしています。

今年度は、定員越えで数家族お断りしましたが、33家族で発足しました。豊かな生態系を持つ宍塚の里山の入り口の休耕田を地主さんからお借りし、機械化以前の方法で、肥料は米ぬかだけ、完全無農薬で稲を育てています。伝統行事の「ならせもち」用に、白、赤それぞれ1種類の餅米の品種と藁(わら)細工用の品種を栽培しています。

子どもが田植えや稲刈りに参加する「田んぼの学校」は各地にありますが、私たちの学校には、以下のような特色があります。

a.子どもも大人も主体的に取り組む、b.種まきから食べるところまで継続して稲と関わる、c.里山の四季の変化の中で感性や知性を駆使し、自然環境を体験しながら学ぶ、d.毎回、作業の意味や稲作の変化について学習し、日誌もつけ、ときには「宿題」もする、e.経験も知識も出身地も異なる老若男女、大人子どもが交流し学び合う―。

子どもは泥んこを楽しむように

参加者が増え、出席率も高いので、種まき、しろかき、田植え、草取り、稲刈り、脱穀(足踏み脱穀機使用)と選別(唐箕=とうみ=)などの作業は、5~6回に分けて実施しています。かかし作りの竹の準備、かかしとお別れする「かかし送り」、正月の伝統行事「ならせもち」(昨年度は餅の代わりに紅白団子を枝につけました)などは、担当係の家族を中心に、準備から片付けまで皆で取り組んでいます。

子どもも大人も、よく働き、よく学びます。最初は泥に入るのが怖くて泣いた子も、他の子の様子を見ながら勇気を出せるようになり、泥んこを楽しむようになっていきます。泥だらけの服を自分で井戸水で洗って着替える子もいます。

子どもたち同士が刺激し合いながら、頼もしい働き手になっていく姿から、親たちもスタッフもエネルギーをもらっています。昨年度は「トム・ソーヤスクール企画コンテスト」に応募し、努力賞をいただきました。

コロナ禍で、皆が一同に集まる機会が減ったこともあり、HP担当の親御さんたちが、作業や行事の様子がわかるHPと、子どもたちの日誌や絵のHPを開いています。皆さまも、私たちの会の田んぼの学校のページを開いてみてください。大人のスタッフはすべて無償ボランティアですが、随時募集中です。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

「体育はマスク不要」通知に つくばの学校現場は半々

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運動会の練習に取り組む6年生たち=26日、つくば市松代、市立手代木南小学校

学校現場でのマスク着用について、文部科学省は24日、体育の授業はマスク不要との通知を出した。学校現場はどう受け止めているのか。文科省の通知が出された直後、屋外で運動会の練習に取り組むつくば市内の小学校を訪ねると、マスクを着用する子と外す子は半々だった。

新型コロナウイルス対策をめぐる24日の文科省通知は、体育の授業は屋外に限らずプールや屋内の体育館でもマスク着用の必要はない、運動部の活動も体育の授業に準じる、熱中症リスクが高い夏場の登下校時はマスクを外すーなど。ただし実際の運用に当たっては地域の実情に応じたものとし、マスク着用を希望する児童生徒に対しても適切な配慮が必要だとしている。

文科省や県の通知を受けてつくば市教育局は翌25日、市内の各小中学校などに対し、体育の授業はマスクの着用は必要ないなどの連絡をした。

強制はできない

つくば市松代の市立手代木南小学校(澤邉芳幸校長、児童数354人)は来月4日にコロナ禍3年目の運動会を予定している。取材に赴いた26日、6年生が運動場で運動会の練習をしていたが、マスクを着けた子と外した子は半々だった。

これまでも感染対策の学校衛生管理マニュアルで、体育の授業ではマスクの着用は必要ないと示されている。今回、より具体的に強調された格好だが、澤邉校長は「コロナが収束していないし、保護者の考え方もあって強制はできない。体育の時間はマスクを外してもいいよ」と指導することにしている。また「マスクを外したくない子もいるようだ」と話す。

熱中症と感染対策の両方

運動会本番では熱中症対策と新型コロナウイルス感染対策の両方を講じる予定だ。熱中症対策のため、校庭に16張りのテントを設営して全児童が日差しを避けられるようにする。競技中はマスクを外すが、テント下でマスクを着けて応援する際は大きな声を出さずに拍手でエールを送るよう指導している。

また児童たちの間隔を十分に確保するために入場と退場の位置を分けたり、保護者席を2カ所設けて密を避けるなどの対策を講じる。

コロナ禍での熱中症対策として広がっているのが「半日運動会」だという。同校でも開催規模を短縮して気温が上がらない午前中に開催する。弁当はない。競技者の距離が近い綱引きなどの団体競技やPTA種目、児童によるダンス種目は姿を消し、同校の伝統、6年生による南中ソーラン踊りが披露されるという。

10代以下の割合高く心配

保護者の受け止めはどうか。小学6年生の娘を持つ同市茎崎地区在住の40代の母親は、県内の新型コロナ感染者は10代以下の割合が依然高いことを心配し、「言い聞かせても子どもたちの身体的距離は近くなりがち」とした上で、脱マスクの流れに不安を見せた。

素顔恥ずかしい

子供たちには、マスクを外したくない別の心理も働いているようだ。2年以上に及ぶ長期のマスク着用でマスクをしていることが常態化し、素顔を見せることを恥ずかしがる子どももいる。市内の小6の女子児童は「マスクをしていると安心できる。ないと外に出られない」と話す。

今春高校生になった市内の女子生徒は「高校に入学したときからずっとマスクを着けているので、友達に素顔を見せるのは恥ずかしいし、素顔を見たことのないクラスメートも多い。マスクは外したくない」と言う。

外したくないのは思春期を迎えた男子も同様だ。市内の中学2年の男子は「週に何度かひげをそらないとまずいが、マスクで隠れるから楽」と話している。(橋立多美)

幻の「筑後氏」から脱し、正しい「小田氏」に 《ひょうたんの眼》49

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特別展のパンフレット(左)と展示図録の一部=土浦市立博物館発行

【コラム・高橋恵一】土浦市立博物館の特別展「八田知家と名門常陸小田氏」(3月19日~5月8日)では、小田氏の初代・八田知家(はった・ともいえ)が「八田氏」から「筑後(ちくご)氏」に名乗りを変え、「小田氏」を名乗るのは、4代目の時知(ときとも、1250年ごろ)からと説明されていました。

私は、八田氏の名乗り(今でいえば苗字)を「筑後」に変えたとする説明は誤りと思うから、訂正すべきだと、特別展前に博物館宛てに出した文書、それから本コラム47(4月20日掲載)で指摘しました。しかし、博物館の本サイトへの「お応え」寄稿(4月27日掲載)では誤りでないとの論拠が示されず、特別展のシンポジウム(5月1日)でも、参加者から質問があったのに、「筑後の件は置いておく」と、取り上げられませんでした。

博物館などが「八田知家」が「筑後」に名乗り(苗字)を変えたとする根拠は、歴史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」の中の記述で、知家の子供たちが「筑後太郎」「筑後六郎」などと名乗ったとしていることです。

吾妻鏡の人名表記は、名(苗)字に太郎とか七郎などの生まれ順ないし家における順序が示され、さらに実名からなるのが基本とされ、八田右衛門尉(うえもんのじょう)知家、北条小四郎義時(ほうじょう・こしろうよしとき)、結城七郎朝光(ゆうき・しちろうともみつ)などとされています。さらに、本人が五位以上の(朝廷が任ずる)官職に就くと、官職名だけとなり、相模守(さがみのかみ=北条義時)、筑後守(八田知家)などと表記されています。

その子息たちは、親の官職名の後に、名字を省略して、自分の官職や通称と実名が表記されています。北条泰時(やすとき、義時の嫡男)は相模(さがみ)太郎、八田知重(ともしげ、知家の嫡男)は筑後左衛門尉(さえもんのじょう)知重結城朝廣(ゆうき・ともひろ、上野介朝光=こうずけのすけ・ともみつ=の嫡男)は上野七郎左衛門尉朝廣などと表記されています。

いずれも、吾妻鏡の編者が、多くの御家人の人名を記述するにあたって、家系や官位などを整理・判読できるように、ルールに従って記述したと考えられます。つまり、筑後左衛門尉知重、の「筑後」は「筑後守の子息の…」という意味であり、名字を表記しているわけではありません。「相模」太郎も「上野」七郎左衛門尉朝廣も同じ表記ルールです。

「筑後氏」の採用は各種の歴史にも影響

さらに、吾妻鏡の成立は、源氏3代の将軍記が1270年代前半、それ以降の将軍記は1300年ごろとされており、八田氏が名字を変えたとされる時期から70年後にならないと、「筑後知重」という表記は見ることができないのです。名乗りを変えたとする知家は、「筑後」を子息の名乗りの前に表記されることを、いつ認識できたのでしょうか?

今回の特別展やその際に出された図録では、発掘調査の結果、小田城あるいは居館が八田知家の時代に小田に存在したことを否定できない、と報告されました。知家が建立したとされる極楽寺も同様です。小田を名乗ったのは4代目時知からとされる根拠の宝治合戦(ほうじがっせん、1247年)での3代・泰知(やすとも)失脚説も、誤りの可能性が大きいとされました。

近年のつくば・土浦地方の市町村史や歴史展示では、「筑後氏」説の採用を受けて、小田城と八田・小田氏の登場を、従来の通説より70年ほど遅れた年として説明しています。これは鎌倉時代の約半分の年数になり、考古学や交通史、文化史、宗教史などにも影響を与えます。幻の「筑後氏」から脱し、出版物や展示などが訂正される必要があります。(地図と歴史が好きな土浦人)

来季に意欲 茨城ロボッツがつくば市長を表敬訪問

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左から、西村大介茨城ロボッツ社長、五十嵐立青つくば市長、福澤晃平茨城ロボッツ副主将、萩原武久つくば市スポーツ振興担当理事

水戸、つくば市を中心に茨城県をホームタウンとする、プロバスケットボールBリーグ1部(B1)、茨城ロボッツの西村大介社長と福澤晃平副主将が26日、五十嵐立青つくば市長を表敬訪問し、初のB1リーグ挑戦となった今季の成績を報告した。

ロボッツの今季最終成績は16勝38敗で東地区11チーム中10位。コロナ禍により6試合が中止になった。今季は降格が行われないため、来季もB1で戦うことが決まっている。ロボッツは、つくばをチーム発祥の地=マザータウンと位置付けており、市内の小中学校体育館などでスクールを開講。こうした特別な絆を基に、つくばのバスケットボールの活動を下支えしている。

五十嵐市長は、3月26日につくばカピオアリーナで開催されたサンロッカーズ渋谷戦を観戦した。感想として「シーズン当初は苦しかったが強くなり、成長した姿を見せてもらった」と語った。これに対し福澤選手は「最初は体の当たりなど(B1は)フィジカルが全く違うと思ったが、練習からレベルが上がり、しっかり戦えるようになった」と答えた。

西村社長は「ウイニングカルチャーが育ってきた。最後まで諦めない気持ちはBリーグでも1、2を争うと評価されている。バスケは攻撃する側が圧倒的に有利。最大18点差が1分少々でひっくり返ることもあり、最後までどうなるか分からない」と話し、サッカー経験者でもある五十嵐市長は「メンタルの影響はサッカー以上に大きそう。見ている方はハラハラする、面白いスポーツだ」と応じた。

また西村社長は「来季は降格制度が復活するため、負けるわけにはいかない。戦力の補強に加え、既存の選手のレベルアップも必要。さらに新B1=メモ=への参入に向けた審査も来季から始まる。それにはまずB1で優勝争いを演じるくらいでないと」と、来季に向けて意欲を燃やした。(池田充雄)

【メモ】2026-27シーズンから導入が予定されている新B1リーグは、順位による昇降格ではなく、入場者数、年間売上高、アリーナ基準の3要件を満たしたチームだけが参入できる。特に厳しいとされているのが、平均入場者数4000人をクリアすることだ。現在、ロボッツのホームゲームにはアダストリアみとアリーナ(水戸市緑町、収容人数5000人)のほか、かみす防災アリーナ(神栖市木崎、5000人)、池の川さくらアリーナ(日立市東成沢町、2632人)、つくばカピオアリーナ(つくば市竹園、2728人)の3カ所が使われている。

自動配送ロボット、スーパーの商品を配達 つくば駅周辺で28日から

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スーパーの商品を積んで配送に出発する自動配送ロボット=つくば市竹園、デイズ・タウン近くのペデストリアンデッキ

無人運転の自動配送ロボットが、つくば駅周辺のペデストリアンデッキ(遊歩道)など公道を自動運転で走行し、食品スーパーの商品を自宅前まで配達するサービスが28日からつくば駅周辺で始まる。

楽天グループ、パナソニック・ホールディングス(HD)、西友の3社とつくば市が、7月30日までの毎週土曜日、計10日間実施する。同市竹園の商業施設デイズ・タウン内の西友つくば竹園店の商品を配送する。

自動配送ロボットが公道を走行して配達するのは、楽天など3社が今年3月と4月に神奈川県横須賀市で実施したのに次いで全国2カ所目という。

つくば市では、西友つくば竹園店から約850メートル範囲内の、ペデストリアンデッキに面した吾妻1~4丁目と竹園1~3丁目のマンションや一戸建て住民など約1000世帯が対象となる。

生鮮食品、冷蔵・冷凍商品、弁当、惣菜、日用品など約2000点の中から注文することができる。配達時間を指定できるほか、注文から最短30分で届けることもできる。配達手数料は1回110円(消費税込み)。商品の受け取りは、自宅前の公道に出てロボットから取り出すことが必要になる。

道交法改正見据え

楽天が、自動配送ロボットやドローンによる配送サービスを行うために開発したスマートホン向けの専用注文サイトから注文する。支払いは楽天ペイのみ。

少子高齢化により配達員が不足する一方、配送ニーズは増え、配送コストが上昇すると予測されること、現在開会中の国会で道路交通法の改正が審議され、来年から自動配送ロボットなど遠隔操作型小型車の運行が現在の許可制から届け出制になるなど、自動配送ロボットの公道走行が加速するとみられることなどを見据えた。

将来は、街のレストランの食事を配達したり、楽天が運営するインターネットショップの商品を配送することなども想定しているという。

さらにつくば市が「スーパーシティ」特区に指定され、荷物搬送ロボットによる配達が事業の一つになっていること、つくば駅周辺に安全性が高いペデストリアンデッキが整備されていることなどから、今回、つくば市でサービスを実施する。

自動配送ロボットはパナソニックHDが開発した「クロスエリア ロボ(X-Area Robo)」で、高さ115センチ、長さ117センチ、幅65センチ。車体の色は赤で、商品を入れる容量は114リットル。

あらかじめつくば駅周辺を走行して作った地図データをもとに、センサーやカメラで安全を確認しながら、歩く速さとほぼ同じ時速4キロで自動走行する。同時に、つくば市から約60キロ離れた東京都中央区にある遠隔管制システムで、遠隔監視や操作をして安全を確保する。

車両は原付バイクと同じ扱いで、運行のため道交法上の道路使用許可を取り、遠隔操作による道路運送車両法の保安基準緩和の認定を受けた。万が一事故が発生した場合は遠隔操作者が責任を負うことになるが、これまで公道での事故はゼロという。

時速4キロでペデを走行

26日、楽天グループ・コマースカンパニーの向井秀明ジェネラルマネージャーと、パナソニックHD・モビリティソリューション部の東島勝義部長らが記者会見し発表したほか、同市竹園のデイズ・タウン前から吾妻のマンション前まで、自動配送ロボットが実際にペデストリアンデッキを走行するデモンストレーションを実施した。

デイズ・タウン前のペデストリアンデッキでは、商品を積み込んだ自動配送ロボットが「通ります」などの音声を発しながら出発、保安監視員として、つくばまちなかデザインのスタッフがロボットの後を付いて歩いた。つくば市での配送では毎回、保安監視員が後を付いて歩くという。

途中、人が前に現れると停止したり、「お先にどうぞ」と音声を出しながら、約15分間走行し、吾妻のマンション前で停止した。注文者には、現在ロボットがどの場所を走行しているか通知されるほか、到着時間直前にも通知される。吾妻のマンション前で商品を受け取ったパート、藤沢直子さん(44)は「自宅で仕事をしており、仕事や子育ての合い間の時間に商品を取りに受け行くだけでいいので便利」などと話していた。

マンション前に出て注文した商品を受け取る藤沢直子さん=同市吾妻

つくばでのサービスでは、走行の安全性や利便性のほか、配送手数料はいくらが適正かなども検証するという。

◆つくばでの配送は1台の自動配送ロボットが行う。配送日時は5月28日(土)から7月30日(土)までの毎週土曜日、1日8便まで。

絵になる散歩、鎌倉の養老先生、洞峰公園の市民《遊民通信》41

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つくば市の洞峰公園

【コラム・田口哲郎】

前略

先日、最近話題の洞峰公園(つくば市二の宮)を散歩しました。遊歩道が、洞峰沼、野球場、サッカー場、テニスコート、子ども広場、温水プール、体育館の周りを巡っています。広々とした良い公園です。先日このコラムでも、都市の中のこの公園にも「自然」があるのだと書きました(3月24日付)。さて、今回はつくば市での「散歩」について考えたいと思います。

2020年から1年近くNHK・BSで放映された「まいにち養老先生 ときどき まる」は『バカの壁』で有名な解剖学者養老孟司さんと18歳の愛猫のまるののんびりとした暮らしを紹介するドキュメンタリーです。

養老先生は鎌倉に住んでいます。まるは老猫なので、先生の家の庭から外に出ませんが、養老先生は毎日散歩します。谷が多い鎌倉は起伏が多く、高齢の先生が歩くのは大変そうですが、風情のある坂をゆっくり登ります。先生の行く先は建長寺や覚円寺などの古いお寺です。

年季の入った木造のお堂で宗教観を語ったり、苔(こけ)に覆われた古い墓場をめぐって死生観を語ったりします。時には、奥さまと二人、近所のおしゃれなモダン中華のレストランで優雅にディナーというような、地位も名誉もある先生らしいハイソな生活も出てきますが、大体は「散歩してる」の印象です。

寺院巡りの次に先生は、北鎌倉駅近くのカフェでタバコをくゆらせながらコーヒーを飲み、プリンを食べる。その映像を見ながら、鎌倉は散歩も絵になるなと思いました。

「使う」から「愛でる」街へ

散歩くらい私もします。その間に哲学的なことを考えたりもします。カフェだって、一昔前までは東京都心にしかなかったけど、もう茨城県南でもおなじみになったスター・バックスでカフェ・モカとスコーンを頼みます(タバコは吸いませんが)。やっていること自体は先生と変わりません。もちろん、養老先生の足元にも及ばないというか、比べるのも申し訳ない私なのですが。

もし養老先生がつくば市に住んでいて、洞峰公園を散歩して、近くのカフェでコーヒーを飲む光景を放映するとしたら、それはそれで素敵だと思うのです。でも、養老先生がそれを鎌倉ですると、1足す1が2になる以上のなにかが付け加えられるような気がします。

1000年近く歴史がある鎌倉と、都市化したのがまだ40年くらいの学園都市を比べてもね―と言われるのはごもっとも。でも、隣りの芝生は青く見えるではないですが、鎌倉に対するあこがれは、逆に街の文化をつくる原動力になるのではないでしょうか。

養老先生が巡っている鎌倉は寺社仏閣が立ち並んでいます。それは人々が「利用」もする場所ですが、心から「尊ぶ」場所でもあります。土地をどう使うかも大切ですが、その土地がどうしたら尊くなるのか。市民の想いを大切にする街になれば、学園都市はいずれ古都になるでしょう。鎌倉も源頼朝が幕府を開いたときは新しい街だったのですから。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

つくばセンタービルの改修について 藤岡洋保 東工大名誉教授

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つくばセンタービル中央広場=撮影/藤岡洋保東京工業大学名誉教授
藤岡洋保・東京工業大学名誉教授  

【寄稿・藤岡洋保】私は近代建築史の研究者で、長年にわたり近現代の歴史的建造物の保存を支援しつつ、その意義を考えてきた。

つくば市が計画した、「つくばセンタービル」(1983年竣工)の広場へのエスカレーター設置に対して、一部の市民が反対運動を組織し、人流のデータなどをもとに設置の必要がないことを指摘しつつ、それが実施されれば世界的建築家・磯崎新の作品の価値を損なうことになることをシンポジウムなどで訴え、市がそれを撤回したというニュースを最近耳にした。

この運動の前と後で、広場には何も変化が起きなかったことになるので一見ささやかなできごとだが、心ある市民の行動によってオリジナルの価値が守られたことは記憶されるべきだと思う。そして、この運動が、フェアなやり方で速やかに進められたことも注目される。建築の専門家ではない人たちが、広場をも含めた同ビルのデザインの価値を認識し、それを守ったことにも敬意を表したいし、その活動には研究学園都市ならではの民度の高さを感じる。

太平洋戦争後の名建築の保存・活用は、1990年代からはじまったといってよい。文化庁もそこに文化財的価値を認め、竣工後50年以上経った建物の有形文化財登録や重要文化財指定を進めている。かつて古社寺中心だった文化財指定の対象が広がったということであり、近現代の建物を生かしたユニークな環境形成が進められているということでもある。その近現代の建物の多くは、古建築よりも大規模で不特定多数の人が出入りするので、耐震性の確保や設備の更新、バリアフリーなどに対応しつつ、活用を図ることが求められる。

つくばセンタービル外観=撮影/藤岡洋保東京工業大学名誉教授

それに関連して、今回の計画で不思議なのは、そもそもなぜエスカレーターの設置が必要とされたのか、誰がそれを提唱したのかが、公表された資料を見てもわからないことである。バリアフリー対応については、広場のすぐそばにあるエレベーターが使えるので、設置費や維持費をかけてまで、エスカレーターを新設する理由が見えてこない。

ちなみに、この「センタービル」の建築的価値は、1970年代後半から80年代にかけての「ポストモダニズム」の、日本における代表例であることに認められる。より具体的には、「独創性」に価値を見る近代特有の思想を、過去の名建築の形を引用することで批判しつつ、「建築の新しさ」が「形の発明」にではなく、「既存の形やモチーフの新しい解釈や組み合わせ」にあることを示した点や、本体から独立したキュービックな階段室に錯視を導入して「非日常性」を演出した点に、ポストモダニズムらしさが認められるということである。

錯視が導入された、つくばセンタービル内ホテル日航つくばの階段室内部=撮影/藤岡洋保東京工業大学名誉教授

それはまた、ゾーニングや、人車分離とセットになった幅広の直線道路で整然と区画された街が、人の心や活動を刺激する場になり得るのかという磯崎の問いをも含んでいたともいえよう。彼は、つくばの都市計画を支えた近代合理主義に代えて、「非日常」をここに導入して街の活性化を訴えようとしたと考えられるのである。

この点からも、ミケランジェロ設計のローマのカンピドリオ広場(1588年頃)を変形しながら引用した、「非日常の場」である「センタービル」の広場に、エスカレーターという、日常的な装置を設置すると、その設計趣旨を台無しにしかねないことが了解できる。つくば市が計画を撤回したのは賢明だったといえる。

カンピドリオ広場=撮影/藤岡洋保・東京工業大学名誉教授

なお、この建物の改修に際してプロポーザル・コンペが行われたが、その時の予条件や審査経過の情報があまり開示されていないらしい。公金が使われる事業では情報開示が求められるはずだし、審査員の氏名やその一人ひとりの採点表まで公表する自治体があることを知れば、「センタービル改修」に対するつくば市の情報公開の仕方には不透明さが感じられる。

また私には、このコンペに応募した建築関係者の気持ちが理解できない。磯崎の傑作の価値を損なう可能性が高いコンペに参加するのはためらわれるはずだから、あえてそれに挑むのは、彼のデザインに対する敬意が希薄で、それを超えられるという自信(?)に満ちた建築家だけになり、「センタービル」の価値を損なう提案が通る可能性が高いことになる。

今後のこの建物内部のリニューアルが、磯崎の設計趣旨への敬意を払いながら進められることを望みたい。(東京工業大学名誉教授・工学博士/近代建築史)

野菜作りへの道、一歩ずつ《菜園の輪》4

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ジミーさんが貸し出している菜園

【コラム・古家晴美】つくば市における様々な菜園の在り方について触れてきたが、今回はそれを脇で支える方から話をうかがった。32年間続けた教員を5年前に早期退職し、農家へと転身された、つくば市在住のジミーさんこと、柳下浩一朗(60)さんだ。長年、多くの子どもたちと接してきたジミーさんが野菜作りを通して目指すのは、子どもに「豊かな体験と素晴らしい出会い」を持ってもらうことだと言う。

その第一歩として、つくば市が募集する農産物オーナー制度の参加農園として手を挙げた。パパイヤとサツマイモの11回の農業体験やイベントを開催。その中で、より興味を持った参加者に貸し農園(菜園)への参加を呼び掛けた。オーナー制に応募した40組120名のうち、6組の家族が現在、フカフカの土に緑が映える菜園で様々な野菜を栽培している。

来年度から有料で本格始動する予定だが、本年度はお試しということで、無料で20平方メートルの菜園を貸し出している。

運営側として、様々な心遣いをしている。菜園へ自動車でやってくる利用者は多い。地元の農家の方の通行に迷惑がかからぬよう、菜園の路肩に防草シートを張ってパーキングスペースを確保した。車を菜園の脇に横付けできるという利点もある。また、自宅からホースで水を引き、菜園の近くで利用できるように工夫した。トイレは仮設を2セット用意したが、利用者が少ないことから、現在は菜園から徒歩1~2分の自宅トイレを開放している。

その他、スコップや鍬(くわ)、マルチシートも無料貸与している。ジミーさんの後ろに付いて畑の中に足を踏み入れると、ホロッと崩れるケーキの上を歩いているような感触だった。3年間、パパイヤを栽培した跡地だそうで、この土なら何を作ってもうまくいく、とのこと。

畑は作り手の個性が出る

「畑は作り手の個性が出る」とよく言われるが、菜園を見ていてそうかもしれない、と感じる。雑草がたくましく生い茂り、作物名を書いた腰高の竿(さお)を目印に、ようやく野菜の存在を確認できる畑。整然と畝が並び、しっかりとかぶせたマルチの苗を植え込む穴が几帳面(きちょうめん)に正円に切り取られている畑。

子どもの手書きと思われるネームプレートとカラフルな風車が立てかけられた畑。まだ、6区画だけだが、様々な畑がある。しかし、ジミーさんはそれがよいのだという。それぞれの個性が出ているから菜園は面白い。

オーナー制で、土や虫、カエルを見たことも触れたこともなかった子どもたちが、数回の農業体験で、みるみる間に成長する。さらに自分の菜園を持つことにより、土との関わり、野菜づくりの体験を深掘りする機会ができる。野菜づくりへの道をゆっくり一歩ずつ前進している。(筑波学院大学教授)

マスク外し「外ヨガ」で開放感 栗原交流センター つくば

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マスクを外して立ちポーズを決める参加者たち

五月晴れとなった24日、筑波山と宝篋山を望むつくば市栗原の市栗原交流センターの芝生広場で、屋外でヨガを楽しむ「外ヨガ」が開かれ、15人の参加者たちは、新型コロナウイルス感染拡大以来ほぼ2年ぶりに、マスクを外して仲間と一緒に体を動かした。

今月23日、国が新型コロナウイルス対策の基本的対処方針を変更し、屋外で人と2メートル以上の距離を確保できない場合でも、会話をほとんど行わなければマスク着用の必要はないと発表したのを受けてマスクを外した。

村野一義所長は「マスクの着用について政府の方針が示されたので、会話しない受講生はマスクを外して参加してもらえる」と安堵(あんど)した表情を見せた。

外ヨガは、マットに仰向けの姿勢で大地と接触するグランディングという軽いウォーミングアップから始まり、水分補給をしながら座ったり四つんばいの姿勢で股関節や背骨を動かしたり、立ちポーズを取ったりした。最後は、横たわって何も考えない瞑想(めいそう)の時間を意味する「しかばね」のポーズで終了した。

「肩こりで体はガチガチ、できるかな」と不安げだった参加者の水谷浩子さん(62)は「マスクを外して気持ちよかったし、リラックスできた」。ヨガ経験者で50代の鷹巣あけみさんは「鳥の声や風を感じながらの外ヨガは、余計なことを考えることがなくて良かった。ここでヨガができるのは幸せ」と話した。夫に子どもを預けて産後5カ月で参加した30代の岡野絵莉子さんは「体を伸ばして開放された気分」と笑顔を見せた。

感染から身を守るとはいえ、長く続くマスク着用の生活は心の負担になっていたはずで、マスクなしで外気を吸いながらヨガのポーズをとる参加者たちは、心身ともに開放感を感じている様子だった。

筑波山と宝篋山を望む芝生広場

外ヨガは栗原交流センターが企画した講座で、24日を初回に全3回開催される。「筑波山と宝篋山を見上げ、近くを流れる桜川に沿って水田が広がる景観と、広い芝生広場を有する栗原交流センターの立地を生かした講座を考えた」と同センターの村野所長は話す。コロナ禍による健康志向の高まりと戸外での活動に定員15人を超える応募があり、抽選で受講生が決まった。

講師を務めたヨガインストラクターの染川ひろみさんは、市内各地の交流センターやヨガサークルなどで幅広く指導している。染川さんは「心と体をつなぐことが大切で、ポーズの格好を気にすることはない」と話し「筑波山に連なる山々を眺めて田園をわたる風や鳥の声に耳を澄ますなど、心地良さを体感してください」と語りかけていた。(橋立多美)

大和ハウスが住まいと暮らしの新店舗 28日、イーアスつくばにオープン

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28日オープンするLiveStyle Shopのメタバース住宅展示場ゾーン。アバターが仮想空間上の住宅に入って担当者に質問したり、壁や床などの色やデザインを変えるなどして居心地を確かめることができる=つくば市研究学園、イーアスつくば3階

業界初、メタバース住宅展示場も

大和ハウス工業(本社大阪市、芳井敬一社長)が28日、住まいと暮らしのあらゆるニーズに応え、困り事を解決する新店舗「LiveStyle Shop(リブスタイル・ショップ)つくば」を、自社が運営するつくば市研究学園の大型複合商業施設、イーアスつくば3階にオープンする。全国第1号店で、業界初のメタバース住宅展示場の体験もできる。

大友浩嗣常務執行役員が24日記者会見し発表した。コロナ禍で住宅展示場の新規来場者数が減少する中、買い物ついでに気軽に立ち寄ってもらおうと新業態の店舗を開設する。

記者発表する大和ハウス工業の大友浩嗣常務

住宅を取得したい人は最初、新築か中古か建て替えかなどをまだ具体化しておらず、さまざまな住まい方を比較検討していることから、グループ会社が協力し、住まいと暮らしのあらゆる相談に乗れるようにした。

新築戸建て住宅を販売する大和ハウス工業のほか、リフォーム工事、インテリア販売、不動産の売買仲介、賃貸住宅や賃貸マンションの管理運営をするグループ企業4社と共同運営する。販売などはせず、相談に乗ったり、情報を提供したり、提案するという。

店内には、住まいの困りごとを解決する「住まい方提案ゾーン」、メタバース住宅展示場が体験できる「リブスタイルデザインゾーン」、より快適な住まいや暮らしを提案する「リフォーム・インテリアゾーン」、新築から中古、賃貸住宅まで全国の物件が検索できる「不動産検索ゾーン」の4つのエリアがある。

記者向けに公開されたイーアスつくば3階の「LiveStyle Shop」

住まいの困りごと解決は、例えば、自宅で楽器を演奏したり、こだわりの機器で音楽や映画鑑賞を楽しみたい人向けに、実際に遮音効果を体験してもらって、オリジナルの防音室を提案などする。家事を家族全員で分担したい共働きの家族には、家事をシェアするアイデアを提案などする。

メタバース住宅展示場は、店内にあるタブレット端末や大画面を使って、アバター(自分の分身)が仮想空間上の住宅に入り、担当者に質問したり、壁や床、天井、家具などの色やデザインを変えて居心地を確かめたりできる。メタバース住宅は、同社が今年4月、住宅業界として初めてインターネット上で公開したばかり。同社の登録会員はインターネット上で4種類の住宅のメタバース体験ができるが、新店舗では未登録者でも気軽に体験できる。

リフォームやインテリアは、最新設備による省エネや電気の自給自足のためのリフォームを提案したり、ペットと暮らすための傷付きにくい家具の選び方、住まいに応じたお勧めのリモートワークの空間づくりなど、数カ月ごとにテーマを変えながら提案する。

目標来店客数は年間3700組。近隣から多くの家族連れが来店するイーアスつくばで実証し、今後、同社が運営する全国の商業施設などで出店拡大を目指すという。

大友常務は「住宅展示場ビジネスが変わってきている。(インターネット上のメタバース住宅展示場など)デジタルでも可能だが、お客様とリアルな接点をもちたい」とし「新築戸建てに特化するのではなく、グループ全体でいろいろなライフスタイルの提案ができる場所にしたい」と話す。

◆同店は5月28日(土)午前10時、イーアスつくば3階南側にオープンする。店舗面積148平方メートル、営業時間は午前10時から午後7時。問い合わせは電話029-846-0500(同店)。オープンを記念して28日から6月5日まで、イーアスつくばの商品券が当たるガラガラ抽選会を開催する。

半径1キロの黄金週間 《続・平熱日記》110

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【コラム・斉藤裕之】テレビでは高速道路の渋滞が復活したことをうれしそうに報道している。カーボンフリーだとかガソリンが高いとかコロナがどうとかということは、久しぶりの行動規制のない連休を目の前にしては無粋ということか。

それにしても1年で一番いい季節。ご近所では、草むしりに精を出すご婦人や庭木を見上げて剪定(せんてい)の算段をするご主人の姿をよくお見掛けしたし、ホームセンターに行けば、野菜の苗や土をカートいっぱいに載せた人々でごった返していた。

夫婦2人の我が家では、食べきれないキュウリやナスはよして、ささやかなミニトマトの苗を買って帰った。それから、気になっていたホーロー製の小さなバスタブ型の水槽を掃除することにした。毎年かわいらしいスイレンを咲かせるこの水槽。昨年はここにホテイアオイを入れてみたところ、水面いっぱいに増えて、冬を迎えたころに全部枯れてみっともない様子になってしまった。

実はボウフラ除けのためにメダカを入れてあるのだが、この体では全滅かと思いながら水を捨ててみたところ、「生存者1名、いや1匹発見!」。しかし1匹というのはさすがに寂しかろうと、ホームセンターに赴いた。昨今は、残念ながらメダカの学校は川の中ではなくホームセンターにあるのだ。「12匹で〇〇円!」という特価品を見つけて、1ダースの仲間と水草を買って帰った。

木っ端で箸を作ってみた

薪(まき)を作るのにもちょうどいい季節だ。玉切りにしてあるものを割って、軒下に積んでいく。渾身(こんしん)の力でヨキを振り下ろす無酸素運動。すぐに心拍数も上がり汗も噴き出す。近ごろ何かと耳にするSDGsという言葉。最近、私なりのひとつの答えが見えてきた。それは「美」だ。事実、目の前に積み上がっていく薪のなんと美しいことか。

それから、ふと思い立って久しぶりに箸(はし)を作ってみた。適当な木っ端で斜めのガイドを作る。そこに1センチ角ほどの棒状の木をセットしてカンナで削っていく。30分ほどで出来上がった。水に沈むと言われるほどの密度があって、「鉄刀木」と書いて「タガヤサン」と読む木の箸。他に花梨(カリン)や月桂樹(ゲッケイジュ)の端材もあるので、娘夫婦にも作ってやった。

そして、犬の散歩の道すがら出会った面白い光景。竹林を背負った民家なのだが、そこに立っている樫(かし)の木を伐(き)っている。恐らく重機も入れないのだろう。はしごをいくつもつなげて木に縛り付けている。高さは電柱よりも高いので15メートルはあろうか。遠目には、はしごがいっぱいくっ付いている木に見える。

アート作品のようでもあり、なんだか久しぶりに心が躍る光景だった。半径1キロ内で過ごした今年の連休。(画家)

パチンコ店⇒フィットネスジム 土浦駅前ビルの高橋さん【キーパーソン】

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高橋信子さん

JR土浦駅の前にある7階建ての商業ビル。1~2階にあったパチンコ店が昨年5月に撤退。両フロアーは空いたままになっていたが、この4月、2階にフィットネスジムが開業した。以前は全館「丸井土浦店」だった駅前ビルのテナントの推移を知ることで、商都・土浦の盛衰を知ろうと、このビル(東郷ビル ぷらっと)のオーナー・高橋信子さん(東郷商事社長)に話を聞いた。

土浦駅西口、市役所前の東郷ビル

駅前の特性を生かし自らジムを開設

2階にオープンした会員制ジムは、24時間使える「Plat Fit(ぷらっと フィット)24」と、インストラクターによるレッスン(午前10時~午後10時)も受けられる「Plat Pilates(ぷらっと ピラティス)」の2つのコース。200坪(660平方メートル)の広いフロアーには各種マシンが置かれ、映像・音声に合わせて自由に運動できるスタジオと、指導員に教わりながら専用マシンを使って運動するスタジオがある。

最近、この種のジムは増えているが、フランチャイズ(親会社・加盟店方式)のものが多い。高橋さんによると、Platは専門家の知恵を借りながら、自分のアイデアも入れて設計した施設と言う。東郷商事にとっては、従来のフロアー貸しではなく、フロアーを自ら活用する新しい試みになる。

JRを利用する通勤者・通学生には常時利用可能。駅の東口(霞ケ浦側)と西口(市街地側)に林立するマンションの住民には徒歩圏内。駅前ビルの特性を生かしながら、高層住宅街化する土浦駅周辺を強く意識した事業といえる。

「丸井」⇒パチンコ+飲食+カラオケ

東郷ビルに「駅の前の」百貨店・丸井が入っていたのは、1968~2004年の36年間。土浦が茨城県南の中心として繁栄していたころだ。1~7階には、紳士服・婦人服、インテリア・家具、時計・メガネ、その他の店が並び、屋上には遊園地もあった。大家さん・東郷商事にとっては夢のような時代だった。

丸井撤退後、建物を所有する3社(丸井+東郷商事+地元不動産会社)はビルの売却も考えた。しかし、話がまとまらず、東郷商事が全所有権を買い取り、2年後の2006年、いろいろな店が入る複合ビルとして再オープン。その後、店の入れ替わりはあったものの、1~2階にパチンコ店が入り、3~7階を飲食店やカラオケ店などが使うという形が続いた。

1年前のパチンコ店撤退について、「若い人を中心にゲームや賭け事のスマホ化が進み、パチンコ人口が減少。加えて、パチンコ店の大型化・郊外化が進み、テナントがいずれ店を閉めることは覚悟していた」と言う。

この1年間、1~2階をどう埋めるか検討した結果、2階は自社運営のスポーツジムに。1階には複数の店を入れることを考え、コンビニ、ブランド・カフェ、コインランドリーなどの誘致を図ってきたが、まだテナントは決まっていない。マンション住民や通勤者・通学生が利用する、新しい「土浦スタイル」に合う店に使ってほしいようだ。

【たかはし・のぶこ】土浦一高卒。中央大学文学部(心理学専攻)卒後、幹部候補生として海上自衛隊に入隊。幕僚監部広報班や実科学校などに5年。2尉で退官した後、日本生命に15年勤務(フィナンシャルプランナー資格を取得)。2007年、父親が経営する有限会社東郷商事に戻り、取締役。2013年から代表取締役。1956年、土浦駅前生まれ、同市並木在住。

【インタビュー後記】高橋さんがオーナーの会社がなぜ東郷商事なのか? 以前から不思議に思っていたが、今回のインタビューでそれが氷解した。鹿児島出身の祖父が先の大戦が始まった年(1941年)、土浦駅前にあった東郷旅館を買い取り、霞ヶ浦海軍航空隊相手の商売を開始(宿泊客の多くは海軍関係、海軍に食料品を納入する「御用商人」も)。旅館は日露海戦の英雄・東郷平八郎の姓を使った屋号だったらしく、同じ薩摩出身の祖父も気に入ったようだ。1958年、父親が旅館のそばに東郷食堂を開業。そして1967年、「丸井のビル」を他2社と共有する東郷商事を設立。戦前は海軍の街だった土浦海軍元帥の姓をもらった社名海軍の階級なら中尉だった高橋さん。このつながりが分かっただけでも有益な時間だった。(経済ジャーナリスト・坂本栄)

小出裕章さんが常陸太田市で講演 《邑から日本を見る》112

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田植えを終えた我が家の田んぼ

【コラム・先﨑千尋】「日本は世界一の地震国。避難計画とは、ふるさと喪失計画だ。東海第2原発を再稼働させてはならない」。

5月7日、常陸太田市のパルティホールで開かれた講演会で、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんが熱っぽく訴えた。この講演会は同講演会実行委員会が主催。最初に記録映画「地震・津波・原発事故」が上映され、東日本大震災による津波と東京電力福島第1原発の事故、飯舘村で事故に遭い昨年10月に甲状腺がんで亡くなった長谷川健一さんらの話などが紹介された。講演会には県内外から420人が参加した。

小出さんの講演のタイトルは「日本の原子力開発と東海第2原発の再稼働」。小出さんは最初に原子力開発が東海村に誘致された経過を話し、「どんな機械でも故障し、事故も起こす。人間は神ではない。必ず誤りを犯す。原子力発電所も機械であり、事故から無縁ではない」と、事故が起きるのは必然だと述べた。そのことを国も電力会社も知っており、それ故に東電は自分の電力供給範囲から原発を追い出し、福島や新潟に作った。

その福島。事故から11年経っても放射線量が高く、現場に行けない。溶け落ちた炉心がどこにあるのかさえ分からないでいる。原子炉を冷やすために水を注入し続け、放射能汚染水が増え続けている。3月現在で汚染水の貯留量は約130万トンになり、国と東電は昨年4月、汚染水を海に流すことを決めた。「地球は水の惑星であり、水を汚すことは究極の自然破壊だ」と、小出さんは危機感を表す。

また、復興の掛け声のもとで住宅支援の打ち切りなど被害者たちが押しつぶされ、汚染があることを口にすると「復興の邪魔だ」と非難されると言う。 

「子供たちを被曝から守るのが大人の責任」

さらに、東電は原発事故のあと、「最後の1人まで賠償貫徹」「迅速かつきめ細やかな賠償の徹底」「和解仲介案の尊重」という3つの誓いを立てたが、それは全部ウソだったと小出さんは東電の姿勢を糾弾する。小出さんの指摘を待つまでもなく、最近の相次ぐ東電敗訴という最高裁判決でそのことは証明されていよう。

小出さんは最後に日本原電の東海第2原発の再稼働について触れた。「日本は世界一の地震大国。日本は地震の巣に原発を57基もつくってしまった。東海第2原発から東京駅まで116㌔。首都圏は150㌔圏内にすっぽり入る。半径30キロ圏内に94万人、150キロ圏内に4000万人が住んでいる。その人々が避難できるのか。できたとすると、それはふるさと喪失になる」。

昨年3月の「日本原電は東海第2発電所の原子炉を運転してはならない」という水戸地裁の判決がありながら、国は知らぬ顔で避難計画策定の責任を地元自治体に押し付ける。できるはずがないと批判する。

私は、スライドで紹介された「日本人の大人には、原子力の暴走を許し、福島第1原子力発電所事故を引き起こした責任がある。自分が被曝しても子供たちを被曝から守るのが大人の責任」という、柚木ミサトさんのイラストが強く印象に残った。そして、久しぶりに聞いた小出節に感動した。(元瓜連町長)

29年続くにぎわい再び つくばリサイクルマーケット

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買い物客でにぎわうリサイクルマーケット=つくば市吾妻、中央公園水の広場

家庭で使わなくなった不用品を持ち寄り、安く販売してリサイクルする「第122回つくばリサイクルマーケット」が22日、同市吾妻の中央公園水の広場で開かれた。市内や近隣市の市民らが38区画に出店し、買い物客でにぎわいを見せた。コロナ禍で半年ぶりの開催となった。

つくば市の市民団体「リサイクルを推進する会」(高野正子代表)が1994年から主催しており、今年で29年目となる。

毎年3月、5月、9月、11月の年4回開催し、多い時には700人の来場者があったが、コロナ禍で中止を余儀なくされていた。昨年11月に再開し33区画に出店した。しかし感染拡大を受けて、今年3月は再び中止となっていた。今回は出店区画を40区画用意、30人のキャンセル待ちがあったという。

「つくばのごみを宝の山に!」をモットーに、使用可能なものを捨てずにリサイクルすることを目的とするマーケットで、出品されたのは、衣類や靴、本、未使用のタオルや食器、使わなくなったおもちゃ、雑貨、文房具などさまざま。

出店したつくばみらい市在住の女性は「何度も出店している。ずっと出したくて久しぶりの出店。家族のものなどたまった不用品を持ってきた。天気が良くなって、思っていた以上に買っていただいた」と話す。

土浦市から息子を連れて買い物に訪れた篠崎史織さんは「初めて来た。10円や100円といった値段で子どもでも買いやすいので、自分でお金を出して買うという体験ができてよい。息子はコロナ禍の中生まれたのでこういった体験が貴重」と話した。

感染対策として、会場4カ所に入口を設置。来場者には検温、消毒を行い、入場証を配布した。出店区画はコロナ禍以前のおよそ半分に減らして密を避け、開催時間を1時間短縮、飲食も禁止とした。感染を防止しながら安全に開催できるよう、ボランティアスタッフの秋元靖史さんが中心となって、入口の配置や区画の位置の割り振りを工夫したという。

代表の高野さんは「ボランティアスタッフたちが、自分の気が付かなかったことをやってくれ、みんなで意見を出し合って運営できている。スタッフの協力が本当にありがたい。自分は保育士だったこともあり、リサイクルマーケットは子どもの教育にも良いと思ってやってきた。ずっと続けていきたい」と話す。

ボランティアスタッフとして20年以上運営に携わっている澤井里佳子さんは「コロナ禍で中止になっていた時は、皆さんと会う機会も無くなってしまっていた。コロナ禍以前は外国人留学生もよく日用品を買いに来ていた。常連だった外国人のお客さんもいたが、見かけないのでどうなったのか」と案じた。(田中めぐみ)

◆次回は9月25日(日)開催予定。雨天中止。出店参加費は1区画500円で事前申し込みが必要。リサイクルを推進する会のホームページはこちら。メールはinfo@t-recyclemarket.main.jpへ。

認識の対立を克服するには? 《文京町便り》4

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】2月24日以降、ロシアのウクライナ侵攻の報道に接していると、戦争の背後に潜む正義は、時代や場所、あるいは人や組織で異なっていることが分かる。侵攻したロシアやプーチンには、少なくとも自国民向けの必然性や正当性があるはずである。

ロシアがこのような暴挙に至った経緯や背景は必ずしもつまびらかではないが、ここ数年来、米国やNATO(北大西洋条約機構)によるロシアへの圧力・圧迫があった(と、少なくともロシアおよびプーチンが思い込んだ)ことは確かである。その意味では彼らには、ゆがんでいたにせよ、なにがしかの必然性があったはずである。それなくしては、このように大規模な「特別軍事作戦」(一方的な侵略)を決行できない。

対して、この侵攻は、侵攻されたウクライナのみならず、EU(欧州連合)、NATO、米国や日本などの民主主義国にとって全く理解できない暴挙である。

この認識の対立構造は、それぞれの国民世論にも反映していて、ロシア国内の世論調査では(国内世論の操作が行われている上に、政府系の御用調査機関と揶揄(やゆ)されているが)、今回の特別軍事作戦は相当の支持を得ている。たとえば、全ロシア世論調査センターの3月17日調査やレバダセンターの4月21~27日調査では、いずれも「支持する」が74%に上っている。

他方で、国連総会でのロシアの軍事行動への圧倒的な非難決議(3月2日の非難決議への賛成141カ国、反対5カ国、棄権5カ国)に見られるように、国際政治・国際世論はロシアへの非難では歩調を合わせている。

関係者・当事者の「良識」に期待

当然ながら、ゼレンスキー政権に対するウクライナ国民の支持は高い。2019年4月の大統領選挙では73%の支持を得て当選したものの、次第に支持率を下げ、ロシア侵攻前は30~40%の支持率に低下していた。それが侵攻直後の2月26~27日調査では91%に跳ね上がっている。

また、米国、NATO各国や日本でも、それぞれの自国政府の対応には、一定の支持が集まっている。ただし、ドイツでは、5月8~15日に実施された州議会選挙では、シュルツ首相の所属する国政与党の中道左派・社会民主党が大敗しているが、この批判票は、ウクライナへの武器供与の判断の遅れなどに起因しているようなので、少なくともロシア批判に揺るぎはない。

こうした対立状況をどう克服させるか。伝統的・歴史的には、相手側を徹底的にたたくというよりも、ある段階・時点からは、緊密な外交交渉や経済関係・文化交流などの相互依存を深めることで融和させる手法が有効だと理解されてきた。しかし現下の厳しい情勢は、それもむなしい経験知・願望かもしれない。

では、どうするか。私は、関係者・当事者の「良識」に期待したい。漠然とした概念かもしれないが、それ以外には、少なくとも私には、現状を突破する出口が見えない。(専修大学名誉教授)

昔「アダルトチルドレン」、今「毒親」 《続・気軽にSOS》109

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【コラム・浅井和幸】おかげさまで、浅井心理相談室はこの6月で20周年を迎えます。様々な方にご支持いただき、本当に感謝しております。以前相談に来られた方からのご紹介で来談されるケースや、相談をして元気になったので精神保健福祉士を目指したいとか、公認心理師やカウンセラーになりたい―といった話を聞くと、とてもうれしくなります。

といっても、「浅井のようになりたい」という言葉を聞くと、うれしい反面、「もっと上を目指した方がよいよ。君はもっと大きな可能性を秘めている」と思いますし、正直にそう伝えます。

相談室を開いたころ高校生だった来談者も、すでに30代になって再び来談されることもあります。皆さん、本当に立派になられて感慨深いものがあります。70代の方もいましたので、あの方はもう100歳を超えるのかぁ―などと考えることもあります。

20~30年前、アダルトチルドレンという言葉を頻繁に目にしました。この言葉はもともと、アルコール依存症の親の元で育った子供が、大人になって様々な支障が出てくるという概念です。その意味が広がり、機能不全家族で育った人が様々な生きづらさを抱えていく―という意味にもなりました。医学的な診断名ではありません。

相談の場でも多く耳にしたものですが、最近では「毒親」という言葉に置き換わっていると感じます。毒親は「親ガチャ」とセットで聞くことも多いですね。これらの言葉の登場に、気持ちが軽くなった人もいるでしょう。こんなにつらいのは自分だけではないのだという仲間意識、訳の分からない苦しさから「毒親に育てられた子ども」に属せたという安心感です。

これは、どこの病院に行っても、何も悪くないと医師に言われ苦しさが続く中、うつ病とか難病などの病名がつくことで、何となく治療法があるのだろうという救われた感覚に似ているのだと思います。カサンドラ症候群という、アスペルガー症候群のパートナーを持つ人の苦悩もこれに似ていますね。

苦しい人に接する人が今とは違う言動をする

しかし、ここからが大きな問題なのです。原因がわかった(つもりになって)、そこで安心して、苦しみ続けてしまうこともあります。というよりも、苦しみ続ける人の方が多いかもしれません。

原因や悪者探しが解決には大切なこともありますが、気持ちを軽くして生活するには、そこに向かうための手段が必要です。親、パートナー、はたまた世界が変わるまで何もせずに耐え忍んで待つという方法を否定するつもりはありません。しかし、今起こっている事象に変化を起こすには、自分自身がささいなことでもよいので、変化することがより効果的です。

それは周りの人にも言えます。苦しいのならば苦しい人が変わればいいではなく、苦しい人に接する人が今とは違う言動をすることが大切です。批判は大切だと思います。ですが、多くの人が、いや、1人でもよいから、自分の言動が変われば周りに変化を及ぼせることに気付くとよいと思います。(精神保健福祉士)

入国待ちわびた留学生52人 日本つくば国際語学院で3年ぶり入学式

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3年ぶりの入学式に臨んだ新入生=つくば市松代、山水亭

つくば文化学園が運営する日本語学校「日本つくば国際語学院」(つくば市松代、東郷治久理事長兼校長)の入学式が20日、隣接の日本料理店、山水亭で催され、コロナ禍の中、入国を待ちわびた13カ国の52人が入学した。3年ぶりの入学式となった。

2年間入国できず待機していた留学生が多いという。例年なら4月に入学式を開催するが、コロナ禍で留学生の入国が遅れたため1カ月遅れの式典となった。

出身国は、イラン、ウズベキスタン、タジキスタン、スリランカ、ネパール、ガーナ、カメルーン、ミャンマー、モンゴル、中国、韓国など。

新入生一人一人に学生証を手渡す東郷治久理事長兼校長(右)=同

式典では、東郷理事長が一人ひとりに学生証を手渡し、「去年、おととしは入学式が行えなかった。待ちわびていた入学式が盛大に行えたことは大きな喜び」とあいさつした。さらに「コロナの中、一度は入学を断念しようかと考えた人もいたと思うが、将来の夢の実現のために目標を果たすという強い意志が扉を開いた」と称えた。その上で「日本語を楽しく学び、日本を好きになってもらおうというのがモットー。たくさん日本語で話して上手になってください」などと呼び掛けた。

新入生を代表してイラン出身のハディース・ダナーさん(28)が日本語であいさつし「もし世界中のどこにも戦争がなかったら、おそらく今日、ウクライナ人やシリア人も私たちとここで入学式を祝うことができたと思う」と語り、「ここにいる新入生は、大きな願いを達成し成長するために留学を決意し、さまざまな人が安全に安心して一緒に暮らせる日本を選んだ。今の気持ちを忘れずに精一杯頑張るつもりです」などと決意を話した。

新入生を代表して日本語であいさつするイラン出身のハディース・ダナーさん

続いて在校生を代表してベトナム出身のズォン・ヴァン・チンさんも日本語で「私を助けてくれた先輩たちのように、私も優しい先輩になろうと心の中で決め、皆さんが来るのをずっと待っていたのに、コロナのせいでなかなか先輩になれなかった。今日やっと先輩になれた。皆さんと一緒に勉強できる毎日を楽しみにしています」と話した。

同校は2018年度に開学。20年度と21年度はコロナ禍で入学予定者が来日できず、学生は、リモートで出される宿題をこなすなどしながら待機していた。一方、同校では主に、つくば市内の大学や研究機関などで働く外国人の家族などが日本語を勉強するなどしていたという。

新入生代表としてあいさつしたイラン出身のハディースさんは、アニメ監督、宮崎駿さんのファンで、イランの大学で日本語と日本文化を学び、卒業後、イラン国内のアートスクールでイラストやアニメを勉強した。1年半前に来日する予定だったが、コロナ禍でかなわず、イラン国内の会社でイラストを描く仕事をしながら入国できる日を待ったという。「ずっと待っていることは一番大変だったけれど、アニメは日本が世界一なので、将来のため来日した」と話す。卒業後は、日本のアニメ制作会社で働くことが夢だという。

死に方が選べない時代 《くずかごの唄》108

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【コラム・奥井登美子】死に方を自分で選ぶのが難しい時代になってしまった。コロナの流行がそれを加速してしまっている。人生で最後のしめくくり、「ご臨終」が不可能になってしまったのだ。

Tさんはがんの末期で入院したご主人に会いに行ったけれど、コロナの感染を恐れて会わせてもらえなかった。そのままご主人は亡くなって、遺体をさわることすらコロナの危険でできなかったという。愛する夫の臨終に立ち会えなかったTさんはノイローゼみたいになってしまった。

奥井恒夫さんはご近所に住む親戚で、薬剤師。家族の次に大事な人である。認知症予防に碁と散歩。毎日散歩をして、脳と身体、両方を鍛えていた。彼は自宅で倒れ、救急車で入院。コロナで会わせてもらえないまま、亡くなってしまった。亭主にとって、会えないままになくなった恒夫さんの死はショックだった。

在宅死について書かれた本

「このごろ、息を吐くときが苦しい。おやじも最後のころ、そう言っていた。ぴんぴんころりバタンキュー。人間らしさの残っている間に家で死にたいよ。図書館に行って、在宅死の書いてある本借りてきてくれよ」

亭主に頼まれて、私は図書館に行って本を探してみた。

『我が家で最期を』(千場純、小学館)
『こうして死ねたら悔いはない』(石飛幸三、幻冬舎)
『それでも病院で死にますか』(尾崎容子、セブン&アイ出版)
『在宅死のすすめ方』(専門家22人、世界文化社)
『世界一しあわせな臨終 その迎え方の秘訣』(志賀貢、三交社)
『穏やかな死に医療はいらない』(萬田緑平、朝日新書)
『死に方は自分で選ぶ』(平尾良雄、講談社)

死を選ぶ。それぞれ深い意味のある本で、2人で夢中になって読んだ。(随筆家、薬剤師)

例外だった私の子ども時代 《電動車いすから見た景色》30

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小学校時代は歩行器を押して通学していた

【コラム・川端舞】学校教育法では特別支援学校の対象となる障害の程度が定められていて、それより重度の障害を持つ子どもは就学時に教育委員会から特別支援学校への入学を提案される。2007年から、障害児の就学先を決定する際は保護者の意見を聞かなければならないとされたが、それでも特別支援学校の就学基準に該当する障害児はそのまま特別支援学校に入学するのがほとんどだろう。

私も小学校入学時、特別支援学校への入学を提案されたが、両親の強い意向により、私は重度の障害を持ちながら、通常の小学校に入学した。

障害があるのに通常学級に通っている自分が例外的な存在であることは、小学校時代から薄々気づいていた。身体障害のある子どもは自分しか学校にいなかったし、数人いた知的障害のある同級生は、ほとんどの授業を別の教室で受けていた。

時々、道徳の授業で教材に出てくる障害者は、教室で学んでいる同級生とは異なる世界で生きている「特別な存在」だと言われている気がして、実は「障害者」に分類される人間が同じ教室にいることがばれないように、私は息を殺して授業を聞いていた。

「障害を持って通常学級に通う…

大学で特別支援教育を学び、改めて法律上は、私は特別支援学校の就学基準に該当することを知った。特別支援学校での障害児支援に関する研究はたくさんあるのに、子ども時代の自分のように通常学校に通う重度障害児への支援に関する研究はほとんど見つからず、「そんな障害児はいない」と言われているようで、無性に悔しかった。当時の私の調べ方が足りなかったのかもしれないが、通常学校に通う障害児もいる。

でも、私は重度障害を持って生まれ、小学校から高校まで通常学校で学んだ。楽しいことばかりではなく、正直、苦しいことのほうが多かったけれど、障害を持って通常学校に通うことでしか私という人生は始まらなかっただろう。

そして、悩み多き高校時代を経て、地元の群馬からつくば市に引っ越してきてから12年たった今でも、当時の同級生と連絡を取り合うこの人生が間違っていたとは思えない。「障害を持って通常学級に通うのは例外などではなく、当たり前に楽しんでいいことなのだよ」と小学校時代の自分に言ってあげたい。今から20年も前、通常学校に通う重度障害児は確かにいたのだ。(障害当事者) 

国保税の口座振替依頼書を別人に誤送付 つくば市

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つくば市役所

つくば市は18日、国民健康保険税を銀行口座から引き落とすための口座振替依頼書の写しを、5月9日付けで別人に誤って送付してしまったと発表した。

誤送付した依頼書には、国保税納税義務者の氏名、住所、電話番号、生年月日、引き落としをする口座の金融機関名、口座番号、口座名義人の氏名が書かれていた。

市国民健康保険課によると、4人の口座振替依頼書に記載の誤りがあったことから、再提出してもらうため、4人に対しそれぞれ、誤った記載のある依頼書の写しを9日付で送付した。

その際、そのうちの1人に、本人の分と別人の分の2通を送ってしまったという。

担当職員が、同じ宛名を2枚印刷し、同じ宛名が印刷された2通の封筒にそれぞれ、本人分と別人分を入れて送付してしまったという。その際、宛名のチェックなどは実施しなかった。

13日、2通の通知を受け取った世帯主から、本人分と別人分が届いていると筑波窓口センターに直接、持ち込みがあり、誤送付が判明した。

同課は、誤送付した依頼書を回収して、受け取った世帯に謝罪。さらに、別人に誤送付された世帯に対しても事情を説明し謝罪した、その上で改めて書類を提出してもらうよう依頼したとしている。

再発防止策として同課は、送付時のチェックリストを課の職員で再確認し、送付時は複数の職員で封筒の宛名と内容物の確認を徹底していくとしている。