水曜日, 6月 29, 2022
ホーム 土浦 パチンコ店⇒フィットネスジム 土浦駅前ビルの高橋さん【キーパーソン】

パチンコ店⇒フィットネスジム 土浦駅前ビルの高橋さん【キーパーソン】

JR土浦駅の前にある7階建ての商業ビル。1~2階にあったパチンコ店が昨年5月に撤退。両フロアーは空いたままになっていたが、この4月、2階にフィットネスジムが開業した。以前は全館「丸井土浦店」だった駅前ビルのテナントの推移を知ることで、商都・土浦の盛衰を知ろうと、このビル(東郷ビル ぷらっと)のオーナー・高橋信子さん(東郷商事社長)に話を聞いた。

土浦駅西口、市役所前の東郷ビル

駅前の特性を生かし自らジムを開設

2階にオープンした会員制ジムは、24時間使える「Plat Fit(ぷらっと フィット)24」と、インストラクターによるレッスン(午前10時~午後10時)も受けられる「Plat Pilates(ぷらっと ピラティス)」の2つのコース。200坪(660平方メートル)の広いフロアーには各種マシンが置かれ、映像・音声に合わせて自由に運動できるスタジオと、指導員に教わりながら専用マシンを使って運動するスタジオがある。

最近、この種のジムは増えているが、フランチャイズ(親会社・加盟店方式)のものが多い。高橋さんによると、Platは専門家の知恵を借りながら、自分のアイデアも入れて設計した施設と言う。東郷商事にとっては、従来のフロアー貸しではなく、フロアーを自ら活用する新しい試みになる。

JRを利用する通勤者・通学生には常時利用可能。駅の東口(霞ケ浦側)と西口(市街地側)に林立するマンションの住民には徒歩圏内。駅前ビルの特性を生かしながら、高層住宅街化する土浦駅周辺を強く意識した事業といえる。

「丸井」⇒パチンコ+飲食+カラオケ

東郷ビルに「駅の前の」百貨店・丸井が入っていたのは、1968~2004年の36年間。土浦が茨城県南の中心として繁栄していたころだ。1~7階には、紳士服・婦人服、インテリア・家具、時計・メガネ、その他の店が並び、屋上には遊園地もあった。大家さん・東郷商事にとっては夢のような時代だった。

丸井撤退後、建物を所有する3社(丸井+東郷商事+地元不動産会社)はビルの売却も考えた。しかし、話がまとまらず、東郷商事が全所有権を買い取り、2年後の2006年、いろいろな店が入る複合ビルとして再オープン。その後、店の入れ替わりはあったものの、1~2階にパチンコ店が入り、3~7階を飲食店やカラオケ店などが使うという形が続いた。

1年前のパチンコ店撤退について、「若い人を中心にゲームや賭け事のスマホ化が進み、パチンコ人口が減少。加えて、パチンコ店の大型化・郊外化が進み、テナントがいずれ店を閉めることは覚悟していた」と言う。

この1年間、1~2階をどう埋めるか検討した結果、2階は自社運営のスポーツジムに。1階には複数の店を入れることを考え、コンビニ、ブランド・カフェ、コインランドリーなどの誘致を図ってきたが、まだテナントは決まっていない。マンション住民や通勤者・通学生が利用する、新しい「土浦スタイル」に合う店に使ってほしいようだ。

【たかはし・のぶこ】土浦一高卒。中央大学文学部(心理学専攻)卒後、幹部候補生として海上自衛隊に入隊。幕僚監部広報班や実科学校などに5年。2尉で退官した後、日本生命に15年勤務(フィナンシャルプランナー資格を取得)。2007年、父親が経営する有限会社東郷商事に戻り、取締役。2013年から代表取締役。1956年、土浦駅前生まれ、同市並木在住。

【インタビュー後記】高橋さんがオーナーの会社がなぜ東郷商事なのか? 以前から不思議に思っていたが、今回のインタビューでそれが氷解した。鹿児島出身の祖父が先の大戦が始まった年(1941年)、土浦駅前にあった東郷旅館を買い取り、霞ヶ浦海軍航空隊相手の商売を開始(宿泊客の多くは海軍関係、海軍に食料品を納入する「御用商人」も)。旅館は日露海戦の英雄・東郷平八郎の姓を使った屋号だったらしく、同じ薩摩出身の祖父も気に入ったようだ。1958年、父親が旅館のそばに東郷食堂を開業。そして1967年、「丸井のビル」を他2社と共有する東郷商事を設立。戦前は海軍の街だった土浦海軍元帥の姓をもらった社名海軍の階級なら中尉だった高橋さん。このつながりが分かっただけでも有益な時間だった。(経済ジャーナリスト・坂本栄)

誹謗中傷するコメントはNEWSつくば編集局が削除します。
0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る

陽性確認者数(公表日ベース)の推移

つくば市

土浦市

スポンサー

注目の記事

最近のコメント

最新記事

安売りカメラ店 《写真だいすき》9

【コラム・オダギ秀】また昔の話で、ゴメン。でも、店への愛を込めて書きたいのだ。とても若いころ、写真家仲間が頼りにしていた安売りカメラ店のことだ。 新宿の裏通りのその店は、間口が2、3間ほどだったろうか、住宅のような、お店とは思えないようなところだった。ガラスの引き戸を開けて入るとカウンターがあり、商品は並んでいない、カメラや写真の材料を売る店だった。近所にかつて浄水場があったので、その名前が付けてあった。 カウンターで「トライ、長巻き、2缶」のように言うと、無口な細っこいアンチャンが奥の棚から品物を持って来てくれた。貧しいカメラマンたちには、ありがたい安売り店だった。品物は並んでいないから、何というどんな商品か、価格はいくらならいいのか、わかる者だけが出入りする店だった。プロ機材ならまず手に入ったし、価格に不満なこともなかった。安かったのだ。 1年ぐらいしてからか、天井に穴を開け、2階の倉庫から品物をひもで吊り下げるようになって、品ぞろえとスピードが少し増し、店員も2人から5人くらいに増えたと思う。 昔、写真は、フィルムという感光シートか、それを細く巻いたロールで撮影していた。フィルムはパトローネという小さな金属ケースに巻き込まれていて、パトローネには36枚撮影分のフィルム入り、というのが普通だった。 プロやそのタマゴたちはパトローネ入りではなく、ずっと長くてコスパのいい100フィート入りの缶を買い、適当な長さにフィルムを切って、使用済みのパトローネに詰め、フィルム代を安くあげるようにしていた。

つくばの坂路で実証実験 森林総研に電動四足歩行ロボット

森林総合研究所(つくば市松の里、浅野透所長)は28日、ソフトバンク(本社・東京都港区、宮川潤一社長)と取り組む「電動四足歩行ロボット」による実験を公開した。スマート林業の実現と脱炭素社会をめざし、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)からの委託を受け、21年度からロボットの歩行実験を行っていたもので、6月から研究所内の施設で実証実験を開始した。 取り組むのは「NEDO先導研究プログラム/農山村の森林整備に対応した脱炭素型電動ロボットの研究開発」。傾斜角度が30度までの斜面の上り下りが全自動で出来るアメリカ製の四足歩行ロボットを採用して、森林環境において、高精度な自動歩行がどこまで可能になるか、通信の改善をどのように実現するか、など実地に検証する。 造林作業向けに開発 従事者の高齢化や担い手不足から、わが国の木材自給率は40%程度に留まり、国産材の供給力の強化が林業の課題になっている。近年は特に木材を伐採した後、新たに苗木を植えての「再造林」が進まないことが悩みになっているそう。 抜根や下刈りなどに人手を要するうえ、傾斜地での作業となるため労働負荷が大きい。この「造林」作業にマッチした走行性能を有するモビリティーの開発を目指している。具体的には、シカの食害対策のため設置する防鹿柵の点検、苗木の運搬、森林資源の調査・計測などの作業を想定している。 21年度は森林総研と連携協定を結ぶ北海道下川町で、造林地や急傾斜地、積雪などの環境下で電動四足歩行ロボットの歩行能力について調査・検討を行った。一定の条件下であれば斜面や障害物などがあっても安定した歩行ができることが分かった。

500号の大作も 県つくば美術館で「茨城の美術セレクション」展

茨城県で活躍中の作家たちの作品を展覧する「茨城の美術セレクション」展が28日、県つくば美術館(つくば市吾妻)で始まった。県の美術界を代表する27人の作家による日本画6点、洋画16点、彫刻5点を展示する。 今年1月に県近代美術館(水戸市)で開かれた「第12回現代茨城作家美術展」に出品した100人の中から27人、27点の作品を選抜して展示する。19日までの県陶芸美術館(笠間市)に続く移動展覧会で、来年3月1日から12日には県天心記念五浦美術館(北茨城市)開催と、それぞれ異なる作品の展示となる。 昨年の開催では約1400人が来場した。作家自身が来場者に技法や制作への思いを話す「ギャラリートーク」が毎回好評だが、今回は来場者との対面スタイルでは実施せず、会期終了後にYouTubeでトークの動画を配信予定だという。 会派やジャンルの垣根を越えた大作が一堂に会する。展示された作品の中には、500号の大きさの絵画2つで構成された筑波大学名誉教授、玉川信一さんの作品「愚者の階梯(かいてい)」や筑波大教授、仏山輝美さんが自らの顔や手をモチーフとして描いた作品「月光」など、生と死を感じさせるような作品が並ぶ。 県美術展覧会事務局(水戸市千波町)の学芸員、天羽かおるさんは「生と死のテーマは作家が生きていく中で突き当たる必然。現役の作家が今まさに感じていることを表現している。コロナ禍以後は、作品にじっくり対面し丁寧に見られている方が多くなった。肌感覚だが、以前より特に男性で、お一人で来場される方が増えているように感じる」と話す。 市内から訪れた男性は「図書館に寄ったついでに見に来た。近代的な感じの作品が多く、おもしろい展覧会」と話した。(田中めぐみ)

病院はそろそろ建て替え? 霞ケ浦医療センターの鈴木さん【キーパーソン】

土浦市の高台、下高津にある霞ケ浦医療センターは築53年になる。10数年前、勤務医が激減、それに伴い利用者が減り、廃院を取り沙汰されたこともあった。しかし、行政や大学を巻き込んだ病院改革が進み、医師の数は元に戻り、利用者も増えている。鈴木祥司院長に、どんな方法で危機を脱したのか?建て替えプランは?などについて聞いた。 霞ケ浦医療センターは「霞ケ浦海軍病院」に始まり、戦後まもなく「国立霞ケ浦病院」として出発。土浦市や近隣の人たちから「コクリツ」と呼ばれ、県南地域の医療を担ってきた。そして2004年に独立行政法人となり、「国立病院機構霞ケ浦医療センター」という長~い名の病院として再出発した。 存亡の危機→土浦市と筑波大の支援で再生 「存亡の危機に陥った」のは、「(国の)臨床研修制度の変更」(2004年)が主因。大学病院自体の研修医が減ったことから、それまで大学の病院から国立病院に派遣されていた医師が引き揚げられ、「50人近くいた医師が18人、内科はたった1人」に激減。総合病院の体を成さない、ほぼ産婦人科だけの病院となった。運営上は2008~2010年ごろが一番大変だったそうだ。 ここで土浦市が動く。2011年に市代表、県代表、機構代表、筑波大学代表などから成る「将来構想委員会」が発足。翌12年、「(当時の)中川市長と市議会の英断で」実現した寄付講座がテコとなり、病院内に「筑波大学付属病院・土浦市地域臨床教育ステーション」を設置。大学病院から教官3人が派遣され、筑波大の地域拠点病院になるとともに、地域医療の教育機関としての役割を担うこととなった。 現在、筑波大からの教官派遣は5人に増え、県内8カ所の地域臨床教育センター(当初の「ステーション」を改称)の1つとして、診療・教育・研究を行っている。これに伴い、筑波大から次々と医師が集まり、医師数は48人(2022年現在、筑波大出身がほとんど)に戻った。一時は減少した病院利用者も増え、「ずっと赤字だった収支は2017年から黒字となった」