月曜日, 10月 12, 2026
ホームつくば大和ハウスが住まいと暮らしの新店舗 28日、イーアスつくばにオープン

大和ハウスが住まいと暮らしの新店舗 28日、イーアスつくばにオープン

業界初、メタバース住宅展示場も

大和ハウス工業(本社大阪市、芳井敬一社長)が28日、住まいと暮らしのあらゆるニーズに応え、困り事を解決する新店舗「LiveStyle Shop(リブスタイル・ショップ)つくば」を、自社が運営するつくば市研究学園の大型複合商業施設、イーアスつくば3階にオープンする。全国第1号店で、業界初のメタバース住宅展示場の体験もできる。

大友浩嗣常務執行役員が24日記者会見し発表した。コロナ禍で住宅展示場の新規来場者数が減少する中、買い物ついでに気軽に立ち寄ってもらおうと新業態の店舗を開設する。

記者発表する大和ハウス工業の大友浩嗣常務

住宅を取得したい人は最初、新築か中古か建て替えかなどをまだ具体化しておらず、さまざまな住まい方を比較検討していることから、グループ会社が協力し、住まいと暮らしのあらゆる相談に乗れるようにした。

新築戸建て住宅を販売する大和ハウス工業のほか、リフォーム工事、インテリア販売、不動産の売買仲介、賃貸住宅や賃貸マンションの管理運営をするグループ企業4社と共同運営する。販売などはせず、相談に乗ったり、情報を提供したり、提案するという。

店内には、住まいの困りごとを解決する「住まい方提案ゾーン」、メタバース住宅展示場が体験できる「リブスタイルデザインゾーン」、より快適な住まいや暮らしを提案する「リフォーム・インテリアゾーン」、新築から中古、賃貸住宅まで全国の物件が検索できる「不動産検索ゾーン」の4つのエリアがある。

記者向けに公開されたイーアスつくば3階の「LiveStyle Shop」

住まいの困りごと解決は、例えば、自宅で楽器を演奏したり、こだわりの機器で音楽や映画鑑賞を楽しみたい人向けに、実際に遮音効果を体験してもらって、オリジナルの防音室を提案などする。家事を家族全員で分担したい共働きの家族には、家事をシェアするアイデアを提案などする。

メタバース住宅展示場は、店内にあるタブレット端末や大画面を使って、アバター(自分の分身)が仮想空間上の住宅に入り、担当者に質問したり、壁や床、天井、家具などの色やデザインを変えて居心地を確かめたりできる。メタバース住宅は、同社が今年4月、住宅業界として初めてインターネット上で公開したばかり。同社の登録会員はインターネット上で4種類の住宅のメタバース体験ができるが、新店舗では未登録者でも気軽に体験できる。

リフォームやインテリアは、最新設備による省エネや電気の自給自足のためのリフォームを提案したり、ペットと暮らすための傷付きにくい家具の選び方、住まいに応じたお勧めのリモートワークの空間づくりなど、数カ月ごとにテーマを変えながら提案する。

目標来店客数は年間3700組。近隣から多くの家族連れが来店するイーアスつくばで実証し、今後、同社が運営する全国の商業施設などで出店拡大を目指すという。

大友常務は「住宅展示場ビジネスが変わってきている。(インターネット上のメタバース住宅展示場など)デジタルでも可能だが、お客様とリアルな接点をもちたい」とし「新築戸建てに特化するのではなく、グループ全体でいろいろなライフスタイルの提案ができる場所にしたい」と話す。

◆同店は5月28日(土)午前10時、イーアスつくば3階南側にオープンする。店舗面積148平方メートル、営業時間は午前10時から午後7時。問い合わせは電話029-846-0500(同店)。オープンを記念して28日から6月5日まで、イーアスつくばの商品券が当たるガラガラ抽選会を開催する。

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