木曜日, 3月 23, 2023
ホーム コラム 野菜作りへの道、一歩ずつ《菜園の輪》4

野菜作りへの道、一歩ずつ《菜園の輪》4

【コラム・古家晴美】つくば市における様々な菜園の在り方について触れてきたが、今回はそれを脇で支える方から話をうかがった。32年間続けた教員を5年前に早期退職し、農家へと転身された、つくば市在住のジミーさんこと、柳下浩一朗(60)さんだ。長年、多くの子どもたちと接してきたジミーさんが野菜作りを通して目指すのは、子どもに「豊かな体験と素晴らしい出会い」を持ってもらうことだと言う。

その第一歩として、つくば市が募集する農産物オーナー制度の参加農園として手を挙げた。パパイヤとサツマイモの11回の農業体験やイベントを開催。その中で、より興味を持った参加者に貸し農園(菜園)への参加を呼び掛けた。オーナー制に応募した40組120名のうち、6組の家族が現在、フカフカの土に緑が映える菜園で様々な野菜を栽培している。

来年度から有料で本格始動する予定だが、本年度はお試しということで、無料で20平方メートルの菜園を貸し出している。

運営側として、様々な心遣いをしている。菜園へ自動車でやってくる利用者は多い。地元の農家の方の通行に迷惑がかからぬよう、菜園の路肩に防草シートを張ってパーキングスペースを確保した。車を菜園の脇に横付けできるという利点もある。また、自宅からホースで水を引き、菜園の近くで利用できるように工夫した。トイレは仮設を2セット用意したが、利用者が少ないことから、現在は菜園から徒歩1~2分の自宅トイレを開放している。

その他、スコップや鍬(くわ)、マルチシートも無料貸与している。ジミーさんの後ろに付いて畑の中に足を踏み入れると、ホロッと崩れるケーキの上を歩いているような感触だった。3年間、パパイヤを栽培した跡地だそうで、この土なら何を作ってもうまくいく、とのこと。

畑は作り手の個性が出る

「畑は作り手の個性が出る」とよく言われるが、菜園を見ていてそうかもしれない、と感じる。雑草がたくましく生い茂り、作物名を書いた腰高の竿(さお)を目印に、ようやく野菜の存在を確認できる畑。整然と畝が並び、しっかりとかぶせたマルチの苗を植え込む穴が几帳面(きちょうめん)に正円に切り取られている畑。

子どもの手書きと思われるネームプレートとカラフルな風車が立てかけられた畑。まだ、6区画だけだが、様々な畑がある。しかし、ジミーさんはそれがよいのだという。それぞれの個性が出ているから菜園は面白い。

オーナー制で、土や虫、カエルを見たことも触れたこともなかった子どもたちが、数回の農業体験で、みるみる間に成長する。さらに自分の菜園を持つことにより、土との関わり、野菜づくりの体験を深掘りする機会ができる。野菜づくりへの道をゆっくり一歩ずつ前進している。(筑波学院大学教授)

3 コメント

guest
名誉棄損、業務妨害、差別助長等の恐れがあると判断したコメントは削除します。
NEWSつくばは、つくば、土浦市の読者を対象に新たに、認定コメンテーター制度を設けます。登録受け付け中です。

3 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー

注目の記事

最近のコメント

最新記事

桜と遠藤周作が教える 日本人の心 《遊民通信》61

【コラム・田口哲郎】前略 東京で桜の開花が宣言され、21日にははや満開。茨城県南の桜も咲き始めましたね。これからがとても楽しみです。毎年、この時期になると街のいたるところで桜が咲きます。満開もすばらしいですが、散りぎわも美しいです。 世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(この世に桜がなかったならば、春の気分はおだやかだろうに) これは有名な在原業平の歌です。古代から日本人は桜を愛してきました。桜の花の咲き方は日本人の心を表している、なんて言われます。桜を見ながら、何もむずかしく考えなくても湧いてくる素直な感動、これが日本人の心というものなのかな、と思ったりします。 それにしても、日本人の心とはなんでしょうか? それについて深く考えたのは、前回も取り上げました作家の遠藤周作です。

若手社会学者 清水亮さんが紐解く 阿見・土浦「軍都」とその時代 

『「軍都」を生きる 霞ケ浦の生活史1919-1968』(岩波書店)は、社会学者の清水亮さん(31)が地道な資料調査やインタビューを積み重ね、戦前から戦後を描き出した新刊。予科練(海軍飛行予科練習生)につながる海軍航空隊があった阿見、航空隊からの来客で栄えた土浦の人々が、基地や軍人たちとどう関わりながら生活したか、さらに戦後なぜ自衛隊駐屯地を誘致したのかを紐解く。 等身大の人々の目線で歴史研究 土浦市の開業医で作家の佐賀純一さん、阿見町の郷土史家である赤堀好夫さんらが取材し聞き書きした記録や地元紙、常陽新聞の記事などの資料も多数引用され、当時の人々の声を拾い集めた生活史となっている。豊富な写真を交え、日常の中で起きたさまざまな出来事を取り上げながら、「軍都」が抱えていた問題や葛藤についても分析している。 清水さんは「俯瞰(ふかん)する歴史学とは一風違って等身大の人々の目線で、下から見上げる歴史を書きたかった。自分の解釈は出さず、事実を重ねて書いた。戦争は重たくて悲惨なテーマと思っている人、歴史に関心がない人にこそ読んでもらいたい。日常生活の中の等身大の歴史に触れてほしい」と話す。

(仮)のまま30回目の同人誌即売会 26日に土浦市亀城プラザ

同人誌即売会の第30回「亀城祭(仮)」が26日、土浦市中央の亀城プラザで開かれる。漫画やアニメの愛好者たちが集う交流イベントだが、仮称を思わすネーミングのまま、イベントは30回目を迎え、春に萌え(もえ)る。 亀城祭(仮)は漫画やアニメの愛好者たちが、読んだり見たりするのに飽き足らず、創作活動を始め、出来上がった作品を同じ趣味を持つ同士で売り買いする同人誌の即売・交流会。東京ビッグサイトなどを会場に大規模なイベントが開かれているが、地方でも同様に小規模な同人誌即売会が行われており、土浦では亀城祭(仮)がそれにあたる。 主催はコスモグループ。土浦市在住の女性会社員、三条深海さん(ペンネーム)が代表を務める。元々趣味で漫画を描くなどの活動をしていたが、県内で互いの作品を見せ合うなどして交流をする場を作っていきたいと同じ趣味の仲間に声を掛け、同市内で即売会「コミックネット」を開いたのが始まりという。 亀城プラザの大会議室や石岡市民会館を借りて、40小間程度の小規模な同人誌即売会を開催したが、会場が手狭になったため、2007年以降、亀城プラザ1階フロアを借り切る現在のスタイルになり、春と秋の年2回のペースで開催してきた。コロナ禍で20年の春、秋、21年の秋は中止となったが、参加意欲は衰えず、22年の2回の開催をこなし、今春第30回の節目を迎える。 この間ずっとタイトルから(仮)の字を外さずにきた。三条さんは、「イベントとしての発展への期待を込めて、今は(仮)である、という意味でつけている。また亀城祭という地域のお祭りがあるので、それとの区別のため名称を工夫した」そうだ。 イベントの参加者は毎回、延べ200人ぐらい。今回は出展者として50を超すサークルが参加する。1階フロアに約60台の机を並べて売り場とし、出展者の販売物が展示される。創作物は一次制作(自分で創作したオリジナル作品)、二次創作(元々あった作品に自分なりに手を加えたもの)がある。漫画やアニメだけでなく、手作りのアクセサリーや写真集などを扱う売り場もある。

磯崎新さんの思考をめぐる 「作品」つくばセンタービルで追悼シンポジウム

建築家、磯崎新さんの業績を振り返るシンポジウムが19日、つくばセンタービル(つくば市吾妻)のノバホールで開かれた。つくば市民が中心となる「追悼 磯崎新つくば実行委員会」(委員長・鵜沢隆筑波大名誉教授)が主催した。同ビルをはじめ、水戸芸術館などを手掛け、昨年12月に91歳で亡くなった磯崎さんをしのんで、県内外から約350人が訪れた。会場では、磯崎さんの「思考」をめぐってパネリストの白熱した議論が繰り広げられた。 来場者を迎える磯崎新さんの写真=ノバホールロビーに 登壇したのは、磯崎さんのアトリエ勤務を経て、建築分野で多数の受賞経験を持つ法政大学名誉教授の渡辺真理さん、横浜国立大名誉教授の北山恒さん、神奈川大学教授の曽我部昌史さん、2010年ベネチア・ビエンナーレ建築展で金獅子賞を受賞した若手建築家、石上純也さんの4人。登壇者それぞれが磯崎さんとの想い出を振り返ることから始まった。 「広島の廃墟」にルーツ 「ノバホールの入り口の壁と天井のパターンを手がけた」という渡辺さんは、1980年から95年にかけて磯崎新アトリエに勤務し、センタービル建築にも携わった。入社当時、磯崎さんは「街の全てをデザインする意気込みで取り組んでいた」と振り返る。

記事データベースで過去の記事を見る