火曜日, 11月 11, 2025
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《霞月楼コレクション》5 小林巣居人 田園と水郷を生涯描いた自然画人

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霞月楼

芋銭・百穂の二師に鍛えられる

【池田充雄】小林巣居人(そうきょじん)は1897(明治30)年、稲敷郡長戸村(現龍ケ崎市半田町)の農家に生まれた。本名は善。長戸尋常小学校(現長戸小学校)を経て、1911(明治44)年に長戸農業補修学校を卒業、地元の青年学校で農業指導助手を務めた。

作品名・制作年不詳 紙本彩色額装 71×48cm 霞月楼所蔵

1917(大正6)年に画家を志し、牛久の小川芋銭を訪ねる。芋銭の勧めで翌年春に上京し、平福百穂の画塾に入門。後に巣居人は「第一の師・芋銭より発想の自由を教えられ、第二の師・百穂からは厳しい写生を叩きこまれた」と語っている。

1921(大正10)年の第2回中央美術展に初入選。茨展には1923(大正12)年の第1回から出品、2~5回に県賞を連続受賞し、その後無鑑査。院展では1928(昭和3)年の第15回展に「竹林」で初入選、1931(昭和6)年には院友に推挙され、画壇の評価を高めていく。

1929(昭和4)年に帝国美術学校(後の武蔵野美術学校、現武蔵野美術大学)が開校すると、日本画科長の百穂の下で助手として勤務。芋銭との交流も続き、1935(昭和10)年には銚子市海鹿島の潮光庵で数カ月にわたり起居を共にして制作を助けた。余談だが海鹿島は竹久夢二の詩「宵待草」の誕生の地でもある。

院展を出て新興展を設立・再興

1937(昭和12)年、同志11人と共に日本美術院を脱退し「自由拘束なき新興清新なる芸術」を目指して新興美術院を結成。だが1943(昭和18)年の第6回新興展に出品した「土機光象」を巡り意見が対立、巣居人ら3人が同院を脱退する。

小林巣居人

戦時疎開を経て1946(昭和21)年、新治郡高浜町(現石岡市高浜)の篠目(笹目)八郎兵衛の下に移住。八郎兵衛は霞ケ浦に蒸気船を導入した水運業の大立者で、土浦の色川三郎兵衛らと共に日本鉄道土浦線(現JR常磐線)の開通にも尽力した。芋銭の支援者でもあり、潮光庵も篠目家の別荘だった。

この頃の巣居人の活躍は多岐にわたる。1947(昭和22)年の土浦市美術協会設立に協力、1949(昭和24)年の県南美術協会展で審査員。1948(昭和23)年に武蔵野美術学校教授に就任。1950(昭和25)年には戦時中の混乱で途絶していた新興美術院を再興。県展では1952(昭和27)年から審査員を務めた。後の県芸術祭にも晩年まで出品を続け、没後の1979(昭和54)年に「小林巣居人賞」が創設された。

故郷の土と水に生きる小さな命

巣居人は故郷の身近な自然を生涯描き続けた。当初、師2人から得た「枝上人」「巣居」の雅号はいずれも、その人の心の置き所を示すかのようだ。幼少期より育まれた土への親しみは「土機光象」で結実した。上巻では地上の花や鳥や虫などが、下巻では地中の球根やドジョウやタニシなどが、それぞれに生を謳歌する作品だ。自然界の小さな命を愛おしむ心は、宮沢賢治の世界観とも共鳴し「やまなし」「よだかの星」などの作品を生み出した。

「よだかの星」(部分)1951年 紙本彩色屏風二曲一双 第1回再興新興美術院展 茨城県近代美術館所蔵

戦後は高浜を拠点に、水面の移ろいや風に揺れる芦原など、霞ケ浦の風物を主な題材とした。1957(昭和32)年の東京転居後もこの傾向は続く一方、湖面の波立ちや雲の流れをリズミカルに描くなど、表現の様式化・抽象化が進んだ。1958(昭和33)年から約10年間、日本橋の三越本店で個展を開くが、この頃には画面構成はより装飾的になり、色彩もより鮮やかさを増していった。冒頭に掲げた霞月楼所蔵の作品にも同時期の特徴がよく出ている。

老境にたどり着いた清澄な世界

巣居人は1975(昭和50)年、妻の療養のため高浜へ戻った。最晩年の作品では穏やかな色彩と柔らかなタッチで清澄な世界を作り上げた。「春雪」では静かに舞い落ちる淡雪を小鳥たちが見上げ、春の到来を予感する様子を、優しい眼差しで描いている。1978(昭和53)年、81歳で他界。その遺風は三男の小林恒岳が受け継ぎ、高浜や八郷の自然を慈しむ作品を描いていたが、彼もまた2017(平成29)年に鬼籍に入った。

「春雪」1977年 紙本彩色額装 72.5×99.5cm 秋季新興展 茨城県近代美術館所蔵
  • 取材協力・参考資料 茨城県近代美術館▽図録「小林巣居人遺作展」(1980年、茨城県立美術博物館)▽図録「小林巣居人の世界」(2010年、茨城県天心記念五浦美術館)▽図録「小林巣居人・恒岳展-故郷への思い」(2013年、茨城県天心記念五浦美術館)▽図録「故郷を愛した作家たち」(2014年、とりでアートギャラリーきらり)▽画集「田園の詩」(1982年、京都書院発行)▽雑誌「常陽藝文」1999年3月号(常陽藝文センター発行)

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

《食う寝る宇宙》67 ネオワイズ彗星観察、筑波山に阻まれる

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【コラム・玉置晋】2020年3月に発見された新彗星(すいせい)「ネオワイズ彗星」が7月に肉眼で見えるというニュースが流れ、観たいなあと思っておりました。都市部で天体を観るためには、肉眼だと1~2等級の明るさにならないと厳しいです。だから、彗星を肉眼で観られる機会はそうそうありません。

20年以上前になりますが、僕が高校生のころ、学校の帰り道、自転車をこぎながら「百武(ひゃくたけ)彗星」(1996年に接近)を観て以来でしょうか。ボヤ~とした小指の先ぐらいのコマがみえたものです。その数年前には、ハレー彗星(1986年に接近)も大きな話題になりましたね。

そんなわけで、是非とも観たかったネオワイズ彗星。今年は6月ごろから雨続きで、全く夜空を楽しめませんでしたが、7月19日には久しぶりに晴れ。今日こそは「観るぞ~」と決意していました。どちらの方角を向けばよいのか調べたところ、北西方向、地平面から拳(こぶし)2個分の高さとのこと。随分、低いところなのね。

僕が住んでいるのは茨城県土浦市。自宅窓から北西方向を観ると、そこには標高877メートルの筑波山。我が家から見て、拳5~6個分の高さでございます。「筑波山、どいてください!」。結局、ネオワイズ彗星を観ることはできませんでした。残念!

新たな太陽活動サイクルの始まり?

話を変え、最近の話題を紹介。太陽活動は11年周期で、活発な時期と静穏な時期を繰り返しています。今は、1755年に記録が始まった第1太陽活動サイクルから数えて、24番目の活動サイクルの末期の極小期におります。

太陽を眺めてもほとんど黒点が現れない状態が続き、このまま地球は氷河期に突入してしまうのではないかという話もチラホラ出ておりましたが、ここに来て黒点が姿を現すようになりました。黒点は強い磁場を持っており、S極とN極のペアで現れます。

S極とN極の並びがポイントで、太陽活動周期により入れ替わります。太陽の北半球の場合、今の第24太陽活動サイクルでは、地球から見て右側がS極、左側がN極という並びだったのですが、今見えている黒点の並びは右側がN極、左側がS極(南半球では順番が反対)です。次の第25太陽活動サイクルの並びに他なりません。

間もなく、新たな太陽活動サイクルの始まりが宣言されることでしょう。第25太陽活動サイクルのピークは2025年と予想されています。(宇宙天気防災研究者)

市民の意見を反映 県内議員向け改正バリアフリー法学習会

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ウェブ開催となった「バリアフリー法学習会」の参加者

【川端舞】2018年の改正に続き、今年5月に再改正されたバリアフリー法のオンライン学習会がこのほど、県議会と県内市町村議会の議員を対象に開催された。バリアフリーに関する促進方針(マスタープラン)や基本構想を市町村が策定することが2018年に努力義務になったが、参加した議員からはマスタープランなどを作成するよう自治体に働きかけたいなどの意見があがった。

発言できる当事者リーダーの育成

主催したのは、茨城に障害のある人の権利条例をつくる会(事務局・水戸市)。学習会には県議会と市町村議会の議員10人が参加した。

改正バリアフリー法の要点やマスタープラン、基本構想について、障害者の全国組織であるDPI日本会議の佐藤聡さんと尾上浩二さんが説明した。2人はバリアフリー法改正にも関わった。

マスタープランは、その市町村の中で優先的にバリアフリー化の促進が必要な地区を設定するなど、市町村全域のバリアフリー化の基本方針を定めるものである。一方、マスタープランで設定した特定の地区において、バリアフリー化するための具体的な事業について書かれたものが基本構想だ。

マスタープランや基本構想を策定するときは、障害者や高齢者をはじめとした市民の意見を反映することが求められる。学習会では、市民の意見を反映して作られた兵庫県明石市のマスタープランが紹介された。マスタープランをもとに、実際にバリアフリーなまちづくりを進める際も市民の意見を反映する仕組みがある。

明石市のマスタープラン策定にも関わった尾上さんは、「障害者らから意見を聞くことで、最初は自分が何に困っているか話せなかった障害者が、だんだん自分の意見を言えるようになった。バリアフリーなまちづくりに市民の意見を反映させるためには、発言できる当事者リーダーを育てることも大切だ」と語った。

県内市町村にマスタープランを

今年3月時点で、県内でマスタープランを策定している市町村はまだない。基本構想は土浦市を含め県内7市で策定されているが、「バリアフリーの取り組み事例を市民に情報発信する」のように、具体的な事業計画まで落とし込めないものは、マスタープランには反映できるが、基本構想には書けない。

尾上さんは参加した議員に対し、「バリアフリー法が改正されたのを機に、県内市町村にマスタープランや基本構想の策定に取り組んでほしい」と訴えた。

また、市民から市町村にマスタープランや基本構想の作成を提案することもできる。「多くの人たちと、誰もが住みやすい茨城をつくりたい」という思いを掲げる「-つくる会」では27日午後2時から、市民向けの改正バリアフリー法学習会をオンラインで開催する。

◆市民向け改正バリアフリー法学習会の詳細はこちら

《つくば法律日記》10 歴史の教科書から学ぶこと

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】山川出版の詳説世界史を読んでいる。人は30代になると走りたくなり、40代になると歴史から学びたくなるというのが、僕の持論である。本屋では、歴史から勉強する系の本が平積みになり、ネットでは歴史を学ぶ動画が人気を博している。

ところが、歴史の教科書や本は、過去を知るという意味では学べるけど、未来を予測するということでは、なかなか学ぶことが難しい。考えてみれば、僕らの子どものころの教科書が未来を予測していていたかと言えば、その記載とは全然違う未来になっている。

教科書には書いてはいないが、大人は第3次世界大戦の可能性を語ったり、恐怖の大魔王が降ってくると脅かしたりと、僕は未来への恐怖心を煽られた。しかし、これらは現実化していない。戦争を繰り返してはいけないので、第3次大戦の可能性を語ることは大事だっただろうけど、世界を揺るがすのは戦争だけではなさそうだと、withコロナで知ることになる。

過去の感染症や伝染病の記述はないわけではないが、教科書にはさらっと記載されているだけで、未来への不安としては書かれていない。14世紀のイギリスとフランスの100年戦争のころにペストが流行したと書かれていると、昔のこととさえ感じる。

教科書についてネガティブなことばかり書いてしまったが、教科書は予言書ではないので、未来がこうなると書かれているはずがない。僕らのほうこそ、教科書に書かれた事実から未来を予測しなければならないし、よい未来にする努力をしなければならない。

未来を予測して何をすべきかを考える

ただ、教科書や学校の勉強だけで、未来を予測できるはずがない。僕が高校を卒業したのは1993年だけど、そこまでの勉強で、2年後にWindows95が出てインターネットで世界がつながるなんて分からなかったし、スマホでいろいろなことができるようになるなんて予想できなかった。

予想できるはずがないと開き直っているのではない。ネットの存在は知っていたし、例えば慶應大学に湘南藤沢キャンパス(SFC)ができて、こんな社会になるとなんとなくは言われていた。それでも高校を卒業する段階で、僕みたいに未来を予測せずに人生設計をしている若者だらけだったのは、まずかったのではないかと思い、皆で反省したいと思っている。

この15年くらい、日本は世界で1人負けしたと言われている。今年は戦後75年の年だけど、この間、戦争がなくてよかったと思っている日本人が大半だと思う。もちろん僕も、世界大戦が起こらなくてよかったと思っている。

だけど、戦争でない戦いで大敗を喫しているかもしれない。この15年、日本が1人負けしたと言われると、僕のようにのんきな高校生がいたせいなのではないかと、思ってしまうことがある。だから、歴史から学びつつ、未来を予測して、何をすべきかを考えたくなる。

日本は、第2次世界大戦後に、僕らの親の世代の努力のお蔭で高度経済成長を遂げた。今の僕らは、大敗を喫した直後で、僕らの親の世代と同じように突き抜ける努力をしないといけないのではないか。

そうは言っても、第2次大戦後の高度成長のころとは、重大な違いがある。それは、何をどう努力すればいいのかが分かりにくいことだ。だから、歴史を学びつつ、未来についても語り合い、あるべき成長を遂げたいと思う、戦後75年夏。(弁護士)

公共施設併設のスーパー誘致 つくば市茎崎庁舎跡地

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茎崎庁舎跡地。右側の建物が茎崎保健センター

【鈴木宏子】2016年に庁舎が解体されたつくば市小茎、旧茎崎庁舎跡地(約1.15ヘクタール)の利活用に関する地元説明会が7日、茎崎交流センターで開かれた。市公有地利活用推進課は、敷地の一部に立地している市茎崎保健センターを解体・撤去し、跡地に公共施設併設のスーパーやドラッグストアなど商業施設を誘致する案などを説明した。

参加した市民からは、現在の茎崎保健センターが担っている公共機能を維持するよう求める意見が相次いだ。スーパーの誘致については、懐疑的な意見と、一刻も早く誘致を進めるよう求める意見の両方が出され白熱した。

3案を提示

説明会で市が提示したのは、①約1500平方メートルの平屋建て商業施設に、約540平方メートルの平屋建て公共施設を併設し、約200台の駐車場を整備する②約1900平方メートルの平屋建て商業施設に、約530平方メートルの2階建て公共施設を併設し、約200台の駐車場を整備する③約2300平方メートルの平屋建て商業施設と約640平方メートルの公共施設を別々に整備し、約170台の駐車場を整備するーの3案。

整備手法は、築40年ほど経つ保健センターを市が解体し、庁舎跡地を民間事業者に賃貸する。民間事業者は公共施設併設の商業施設と駐車場を整備し、民間が整備した公共施設を、市が民間から賃借する。商業施設と公共施設を別棟で整備する場合、公共施設は市が建設する。

整備する公共施設には、市役所窓口と相談センター、運動スペース、調理室をつくり、現在、茎崎保健センターにある機能を概ね維持できるようにする。ただし公共施設を別棟で建てる場合は、埋蔵文化財の調査が必要になるという。

スケジュールとして市は、地元住民の意見を聞いた上で、今年12月までに公募条件を定め、来年3月までに商業施設を公募したいとしている。

概算事業費は、市が保健センターを解体する費用が2億円、①平屋建て商業施設に平屋建て公共施設を併設する場合は、駐車場の整備費も含め民間の負担が約14億円②商業施設に併設する公共施設を2階建てにする場合は、エレベーター設置が必要になることなどから民間負担が約16億円③商業施設と公共施設を別々に建設する場合は民間負担が12億円、市の負担は保健センター解体費や埋蔵文化財調査、公共施設建設費を含め計7億円になるとした。

その上で市としては、総事業費が最も少ない、商業施設に平屋建て公共施設を併設する①案が最も優れていると説明した。

7日の地元説明会の様子=茎崎交流センター

意見相次ぎ白熱

7日の説明会には約35人が参加した。市民からは「現在の茎崎保健センターの機能を維持してほしい」「公共機能維持プラスアルファがあればいい」「下岩崎の茎崎老人福祉センターも老朽化しており、それらをセットにして茎崎全体の公共施設の老朽化対策を考えてほしい」などの意見が出された。市は保健センターの機能について「40歳以上の集団健診については最悪、谷田部保健センターになる可能性もある」などと話した。

商業施設誘致については「実際に民間の出店意向はあるのか」「茎崎は人口が減少しており中途半端な(規模の)スーパーなら閉店してしまう」など懐疑的な意見が出された。市が「具体的に民間事業者に当たっていることはなく、住民の理解が得られてから民間にヒヤリングしたい」と答えると、住民から「絵に描いた餅では」と反論が出るなどのやりとりもあった。一方「買い物ができ、家族で集える場所が身近にあればありがたい」「(商業施設誘致を)早く進めていただきたい」などの賛成意見もあった。

旧茎崎町は2002年につくば市に編入合併後、2010年に庁舎を閉庁した。その後16年に庁舎が解体され、現在は一部がバスターミナルとなっている。

跡地活用については、17年に民間事業者を対象にした聞き取り調査を実施、公共施設併設型スーパーやドラッグストアの提案があったことから、翌18、19年に区会連合会役員やPTA役員らと意見交換し、今回の3案が出来上がった。

地元説明会は8日にも開かれる。

京都発、世界を巡って茨城着 古民家ゲストハウスの若女将

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ゲストハウス「江口屋」を切り盛りする若女将、森田千亜紀さん

【相澤冬樹】かつては夏の遊泳場としてにぎわったかすみがうら市の歩崎、今では自転車道「つくば霞ケ浦りんりんロード」をやってくるサイクリストが脚を休める。そんな行楽スポットに先月お目見えした古民家改装のゲストハウスが、いきなり8月末まで満杯の宿泊予約という盛況ぶりだ。訪ねると、宿を切り盛りする若女将(おかみ)、森田千亜紀さんが京都弁で迎えてくれた。

森田さんは京都・伏見の出身、2カ月前に東京から土浦市内に居を移し、かすみがうら市の第3セクター、かすみがうら未来づくりカンパニー(今野浩紹代表)に入社した。同市どころか茨城にも縁がなかったが、東京で「ゲストハウスをやれるところがないか」と人づてに探しあてたのが、同社が指定管理者となり開設するゲストハウス「江口屋」だった。

同市坂の歩崎公園近くにある江口屋は、明治後期に建てられた築110年の古民家を改築した宿泊施設。元の造り酒屋の屋号を受け継ぐ形で、7月下旬オープンした。敷地面積約3000平方メートル、建物は約190平方メートル、外観は合板葺(ふ)きだが、内部には茅葺きがまだ残っており、平屋建てらしからぬ屋根の風格がある。東に開けた和障子越しに、霞ケ浦から昇る朝日が望めるロケーションだ。

元は造り酒屋だった「江口屋」、内外装とも装いを新たにした=かすみがうら市坂

和室と洋室の全3室のほか食堂や広間を備える。部屋は通常1室2人で、新型コロナ対策から週末のみ2家族限定の宿泊を受け入れる形で予約をとったところ、早々に8月中の予約が埋まった。いばらき応援割(茨城県宿泊促進事業)を利用した県内からのお客たちだった。

1泊朝食付きの宿泊料金は大人(中学生以上)1人7000円(税別)、毎朝かまど(羽釜)で炊き上げるご飯をはじめ、地場産の野菜などで朝食が提供される。平日は日中、バーベキューや石窯ピザづくりなどが楽しめる体験プログラムを用意している。

世界22カ国の食卓を巡った

森田さんは子供時代の境遇もあって、大家族の生活や大人数で囲む食卓にあこがれた。ボランティアで子供食堂の手伝いなどもしていたといい、2017年には思い立って「世界の食卓を巡る旅」に出た。観光地やレストランの食事ではなく、暮らしのなかにある「食卓」を見てみようという意図だった。

旅はインドから始まり、中東、ヨーロッパからアフリカに入り、マダガスカルやサモアなど22カ国に及んだ。「インドでいきなり食中毒になり、止めたくなったけど、出国して2週間では帰られへん」と踏ん張った。基本お金で謝礼を払うことはなく、食材を持ち込んだり子供の世話などをして交流する付き合い方を身に着けた。モロッコではラマダン(断食)明けの食事に招かれ、「生きているヤギをさばき、皮も骨も無駄にせずいただく経験ができた」そうだ。

1年2カ月の旅の後帰国、今度は自分がホストとなる「ゲストハウス」に携わりたかった。昨年秋にかすみがうら市から話があり、新型コロナの影響であきらめかけた時期もあったが「三密」対策や部屋をローテーションで使いながらの消毒対策などを講じて、今夏のオープンにこぎつけた。

森田さんは滑り出しの手ごたえを、「いらしてくれた方に“おばあちゃんの家に来たみたい”とか、“また帰ってくるね”とセカンドハウスのように使ってもらえているのがうれしい」と語る。毎月第一水曜日に定例の交流会を開いていく計画もあるそうだ。

◆問い合わせは、かすみがうら未来づくりカンパニー(電話029-840-9010)。ゲストハウス「江口屋」の案内はこちら

《茨城鉄道物語》4 ブルネル賞って なんだっぺ

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JR日立駅の駅舎内から見える太平洋にせり出したカフェ=写真サイト「海の見える駅」提供

【コラム・塚本一也】皆さんは「ブルネル賞」という賞をご存じだろうか? 鉄道関連施設のデザインに対する国際的な賞で、鉄道のノーベル賞ともいわれている。受賞対象は、駅舎、鉄道インフラ、関連施設、工業デザイン、車両の5つの部門に分かれており、部門ごとに優秀賞と奨励賞が選定される。

第1回表彰式は1985年に英国で行われ、以後2~3年ごとに不定期で開催されている。JR東日本の代表的な受賞作品としては、第4回(1992年)の成田エクスプレスや第12回(2014年)の東京ステーションシティが挙げられる。

私たちに身近なところにも、ブルネル賞を受賞した作品が3つある。1つは、日本が初参加した第3回(1989年)に奨励賞を受賞した651系「スーパーひたち」である。そのスタイリッシュな外観デザインは「タキシードボディ」とよばれ、毎時130キロの運転で疾走するスーパー特急の先駆けとなった列車である。

2番目が、第6回(1996年)に駅舎部門で奨励賞を受賞した水郡線の磐城塙(いわきはなわ)駅である。同駅は、JR東日本が水郡線の各駅舎に対して取り組んだ、都市機能と鉄道駅舎を一体化した「合築駅」という施策の一環として建築された。設計は東北大学の伊藤邦明先生(故人)で、設計監理はJR水戸支社が行った。

ガラス張り外装のJR日立駅

3番目は、第12回(2014年)に優秀賞を受賞した常磐線日立駅である。同駅は日立市出身で水戸一高OGでもある妹島和代先生が設計した。妹島先生の設計は、細長比ギリギリかと思われるような柱で支えられた、大きなガラス張りの外装が特徴的である。

実は、日立駅のオープニングセレモニーは2011年3月13日を予定していた。その前々日に東日本大震災に被災したわけだが、たいした損傷もなく済んだということである。妹島先生の設計がデザインだけでなく、構造的にも優れていることが実証されたエピソードである。同駅は太平洋を一望できるカフェが有名であり、筆者も一度訪れてみたいと思っている。

このように、地方支社の管轄でブルネル賞作品が3点もあることは、JR東日本内では大変珍しいケースである。651系のスーパーひたちはすでに廃車となっているため、現在では乗車体験することはできないが、磐城塙駅と日立駅は現存している。是非、読者の皆様にも見学に行っていただき、鉄道建築の斬新さと奥深さを味わっていただきたい。(一級建築士)

事務処理ロボットRPA 県が20業種で導入、業務時間6割削減 

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茨城県庁

【山崎実】2019年度からRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション、ソフトウエアロボットによる業務自動化)を本格導入した茨城県が、その実証効果を明らかにした。

県行政経営課によると、昨年度は20業種でRPAを導入した。ICT(情報通信技術)を活用した業務の生産性向上が目的で、働き方改革の一環だった。

結果、職員の業務時間を、導入前の年5万8593時間から2万2810時間と、3万5783時間(見込み)の削減効果が得られたという。特に県立学校教職員の出張旅費入力業務では、年1万6354時間の削減ができたとしている。

財務会計システムを利用するRPAは新型コロナウイルス感染拡大防止協力金の支給にも活用し、支払い処理に要する時間を1件当たり12分から2分へと約80%短縮した。

同課は、今年度も介護支援専門員の登録業務、不動産取得税の税務情報入力業務、小中学校非常勤講師の給与支払業務や児童福祉施設への委託費集計事務、源泉徴収一覧表の作成ーなど20業務にRPAの導入を予定している。

これまでの実証効果を踏まえ同課は「引き続き現場の政策立案、対外的な調整業務や、県民サービスの向上に職員が傾注できるよう。業務改革を推進していきたい」としている。

《ことばのおはなし》24 私のおはなし⑬

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【コラム・山口絹記開頭手術は9時から始まった。手術室の前まで見送りに来た母と妻と娘に何か声をかけようとしたが、直後娘が転んで泣き出してしまった。少し迷ったが、娘をあやす妻を見ながら、手を振って手術室へ入った。

こたつのように温かい手術台の上に横たわり、麻酔を投与される。「よろしくおねがいします」と言い終わる前に気を失った。掴めそうなほど濃い闇に包まれる。水の中をとてつもない速さで移動しているように感じた。それでも抵抗はほとんど感じない。まるで自分の身体が流線型になってしまったようだ。気まぐれに差し込むビロードのようなコバルトブルーの光に、やはりここは水の中なのだと確信する。

遠くから、何かが近づいてくるのが見えた。おびただしい量の巨大で直方体の黒い柱がクジラの群れのように通り過ぎていく。私の身体は、音もなく柱の隙間を縫いながら浮上し始めた。水面から飛び出すと同時に眩しさに目を細める。

足元を見ると、妻と母と目があった。なるほど、とりあえず生きているらしい。右手をあげようとしたが動かない。覚悟はしていたことだ。何か、2人を安心させられるようなことばを探した。酸素マスクが邪魔だが話せそうだ。

「…脂っこいラーメンが食べたい」

2人は少し笑ってくれたが、言い終わらないうちに肩から頭にかけて痛みが走った。頭が痛いのは当然だが、肩の痛みもただごとではない。それも、ラーメンどころか12時間は水すら飲めないらしい。

トイレ問題以外は術後経過良好

ICUから人がいなくなると、ほとんど動かない右手の状況把握に移った。左手で触ると、かなり強い麻痺がある。肩と親指、人差し指、中指は少しだけ動くが薬指と小指は全く動かなかった。少しリハビリすればギターで簡単な曲くらい弾けそうだ。右脚も動くようだし、状況はかなり良いと言える。

その後、痛みで眠れない12時間はひたすら右手のリハビリにあて、なぜか朝には右手の動作がほぼ復活した。昼には尿道カテーテルと頭部のドレンも外れ、一般病棟に移された。鎮痛剤を限度いっぱい打ち、顎(頭蓋骨)の痛みに耐えながら昼食をとり、ぐったりと横たわっていると、尿瓶を持った看護師が現れた。

リベンジの時が来たらしい。看護師がまだ部屋にいるのもお構いなしに尿瓶を掴んでズボンとパンツを下ろし、ベッドの角度を調整した(この日のために尿瓶の使い方は調査済み)。いける。

途端、私は変な声を出して尿瓶を抱きかかえるようにベッドにうずくまった。激痛。股間が破裂したのかと思ったが、どうやらカテーテルの影響で膀胱(ぼうこう)に溜まった空気が排出されたらしい。なんということだろう。パニックになりながらも意味不明な怒りが湧くほどの痛みである。(空気は2日間にわたって出続け、夢にまで見た。術後数日間の日記の記録はほとんどトイレ事情のことで、他人が読んだら私が何の手術をしたかわからないだろう)

トイレ問題以外は術後の経過は笑ってしまうほど良好で、何より、ことばを再び失わずに済んだことに私は心底から安堵した。-次回に続く-(言語研究者)

【夏の高校野球県大会】最終日 完封で土浦湖北、霞ケ浦が4強入り

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【土浦湖北-土浦日大】試合終了後、マウンドに集まる土浦湖北の選手たち=ノーブルホームスタジアム水戸

2020年夏季県高校野球大会は最終日の5日、2球場で準々決勝4試合が行われた。ノーブルホームスタジアム水戸では土浦湖北が土浦日大と戦い、2-0で同郷対決を制した。ひたちなか市民球場では霞ケ浦が水城に3-0で勝利した。他2試合は水戸啓明が水海道二に4-2、明秀日立が多賀に7-0。この結果により土浦湖北、霞ケ浦、水戸啓明、明秀日立がベスト4に決まり、大会の全日程を終了した。

【湖】大坪 – 佐藤武 【日】中川 – 菅野
土浦湖北の大坪誠之助は自身初の完封勝ち=同(撮影/竹田栄紀)

投手戦は湖北が日大に競り勝つ

【崎山勝功】土浦勢同士の対戦は、両エースによる投手戦となった。土浦湖北は大坪誠之助、土浦日大は中川竜哉が共に力投を繰り広げ、4回終了時点では双方無得点。

5回、湖北は先頭の大坪が左翼線三塁打で出塁すると中川のボークで生還、思いがけない形で先制点をあげた。9回にも田中海斗主将が中前安打で出塁すると、中川の四球と再度のボーク、暴投で生還し、1点を追加した。

対する大坪は、3回無死二・三塁のピンチを迎えながら後続を3三振に切ってとる圧巻のピッチング。最終的には日大打線を散発5安打無失点に抑え、湖北を4強に導いた。

土浦湖北の小川幸男監督は「大坪の気持ちと力のバランスがうまくいった試合。お互いの手の内を知っているからこそ打撃は難しかった」と振り返り、大坪の投球については「3年間でもベスト」と絶賛した。

9回まで力投した土浦日大の中川竜哉=同

「人生初めての完封勝利」という大坪は「今日はスライダーが少し調子が良くなかった。真っすぐ主体で自分らしいピッチングができた」と胸を張った。田中海斗主将は「5回終了後に、中川に球数を投げさせようと話し合った」との作戦変更が奏功したと明かした。

土浦日大の小菅勲監督は「準決勝にふさわしい、いいゲームだった」と試合を総括、「相手ピッチャーが良かった。大事なところで長打を出せず、終盤は選手に焦りが出た。失点のボークそのものは仕方ないとしか言えない」と厳しい表情で語った。

三振13を奪ったものの、惜しくも敗戦投手となった中川は「先取点を渡さないところを意識した。ランナーを背負っても相手投手に負けずに粘りたかった」と自身のボークでの失点を悔やんだ。五十嵐明斗主将は「チャンスが回ってきたときに生かせなかった」とチームの反省点を述べた。

霞ケ浦投打の主軸が躍動 

【高橋浩一】霞ケ浦-水城戦は両エースの投げ合いに加え、互いに内外野の守備が光り、両チーム合わせて4つのダブルプレーが飛び出すなど、締まった試合になった。その中で霞ケ浦は3回表、1死二塁から小田倉啓介主将の中前適時打で先制。6回には2死一・二塁から新山秀男と小田倉の連打で2点を追加した。

完投したエースの山本=ひたちなか市民球場

霞ケ浦の先発・山本雄大は「最後の試合だったので緊張もあり、初回から抜けたボールが多かったが、なんとか粘って最後まで投げきれてよかった」とコメント。調子はあまり良くないと思ったそうだが、それでも水城打線から9三振を奪い散発3安打に抑え、走者をスコアリングポジションに進ませない活躍ぶり。水城としては、昨年の準決勝で敗れたリベンジを果たそうと臨んだ試合だったが、成すすべなく完敗となった。

高橋祐二監督は「小田倉がよくチームを引っ張り、激励しながらやってくれた。声だけでなく技術的な面でもよく面倒をみてくれて、そのお陰でここまで来た。山本は今までプロに入った4人の中でも総合的に見てナンバーワンの投手」とこの試合のヒーロー2人の活躍を讃えた。

5打数4安打と活躍し、2打点を挙げた小田倉=同

小田倉主将は「甲子園がなくなってからも、いままでと変わらずに明日に繋がるような2カ月にしようと3年生で話し合った。そこでだれ一人くさらず、自分が言ったことに対して周りが全員ついて来てくれたので、自分の辛さを周りが助けてくれた」と大会を振り返った。

小田倉は高校卒業後、大学で野球を続けるという。「霞ケ浦への思いはどこへ行こうと変わらないし、自分が活躍すれば母校の名前も出るので、いままで指導してくれた先生方にも恩返しになる。いままで通り霞ケ浦のプライドを背負って一生懸命やりたい」と将来を見据える。

【語り継ぐ 戦後75年】① 6日から土浦で「2020原爆と人間展」

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昨年の「2019原爆と人間展」の様子=県南生涯学習センター(土浦市大和町)土浦平和の会提供

【田中めぐみ】広島市の高校生が描いた原爆の絵30点や写真パネルを展示し、戦争の悲惨さや核兵器根絶を訴える「2020原爆と人間展」が6日から、土浦市大和町の茨城県県南生涯学習センターで開かれる。9日まで、入場無料。

同展は被爆から60年の2005年から始まり、今年で16回目。主催する土浦平和の会の事務局長で、県平和委員会常任理事の近藤輝男さん(79)は、「展示を通し、核兵器の問題についてもっと多くの人に関心を持ってほしい」と話す。近藤さんに平和活動への思いを聞いた。

土浦平和の会の事務局長近藤輝男さん

戦中・戦後、ひもじかった原体験

近藤さんは1941年、長野県飯綱町で生まれた。叔父は戦争で亡くなったという。親からも戦時中苦労した話を聞いていた。物心ついた頃は食べる物が少なく、ひもじい思いをした。田舎だったので、都会の人が着物を食べ物と交換しにくる様子もよく見たという。よく食べていたのはじゃがいもとご飯を混ぜた芋めしや、麦の割合が多い麦めし。

「肉が食べられるのは盆か正月だけ。飼っていた鶏や兎をつぶして食べた。かわいそうで殺せないので、人に頼んでやってもらっていた」

甘いものもなく、貴重品だった砂糖を母親が隠していたが、幼い近藤さんはそれを見つけては盗みなめしていたという。母は近藤さんに、赤ん坊だった近藤さんをヤギのミルクで育てた話をよくした。食べ物がないせいでお乳が出なかったという。大きくなってからもヤギのミルクを時々飲んだそうで「甘くておいしかった」と振り返る。

1964年、埼玉県川口市にあった資源技術試験所(現在の産業技術総合研究所)に入った。石油資源に関する研究に従事し、インドネシアやアメリカなど様々な国を訪ねた。オランダのアムステルダムに行った際にはアンネ・フランクの家を見学し、ナチスから身を隠すための隠れ家に通じる入り口を見て戦争の悲惨さを感じたという。

2001年から2005年はブラジルに滞在し、海底油田から採れる石油の質をよくするための研究に携わった。ブラジルにも日系ブラジル人の被爆者がいて平和活動を行っていることを知り、当時から平和活動に関心を持っていたという。ブラジルからの帰国後、仕事を引退し「土浦平和の会」で活動を始めた。

歴史から学び、社会構造の見直しを

国連は2017年、核兵器禁止条約を採択した。核兵器の全面廃止と根絶を目的にしている。50カ国が批准すれば効力を発揮するが、条約を批准した国は今40カ国であと10カ国。

「核を多く持つロシアやアメリカ、フランスといった大国が反対しているし、被爆国で賛成すべきはずの日本も反対している。戦争を体験している世代は年々少なくなり、後世に語りつぐ人も少なくなってきた。歴史を学び、戦争について知り、想像力を養わなければなけない。新型コロナウイルスの感染拡大、地球温暖化など、今までのやり方では人類が存続できない状況に差し掛かってきた。一人ひとりの行動変容が求められている。核兵器についても同じ。これから運動が広がり、これまでの社会構造を考え直すきっかけになるのではないかと期待している」

  • 終戦から75年もの時が流れ、戦争を直接体験した人たちから記憶を聞くのが難しくなった。遺品や証言に接しながら昭和・平成と戦争体験を語り継いできた人たちも高齢になった今、世代を超えて戦争をどう伝えるべきなのか。NEWSつくばが8月に問いかけるシリーズを随時掲載する。

《くずかごの唄》66 昆虫社会の異変

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】我が家の裏庭は私のささやかな家庭菜園になっている。庭に来る虫たちを観察しながら、キュウリ、ナスなど、毎日漬ける「ぬかみそ」の材料を家の菜園で調達できるのが何よりうれしい。

私は台所の生ごみはまだ捨てたことがない。木の葉と混ぜて発酵させ、菜園用のたい肥を作る。根っこがはびこってなかなか抜けない雑草を抜くとき、新聞紙を畳んで雑草の上に乗せ、その上に生ゴミを置くと、いつの間にか雑草は消えて、ごみに強い植物、ツルニチニチ草などがはびこるようになってくる。

野菜作り以外の楽しみは、なんといっても昆虫の観察が毎日できることである。山椒(サンショ)の木2.5メートルが1本、1.5メートルが2本ある。山椒の葉と実の匂いが特別好きでもないのに3本も植えてあるのは、アゲハ蝶の観察ができるからである。アゲハ蝶は幼いとき、どういうわけかこの辺りでは虫好みのミカンがないので、山椒の葉を食べて育つ。

虫を無視してはいけない

「今年は何匹くらい幼虫になってくれるかな」とワクワクしながら幼虫の数を数える。2016年は特別多くて50匹。次の年も30~40匹。毎年30匹以上のいろいろな種類のアゲハ蝶の幼虫が、遠慮なく畑の野菜の葉も食べてグングン大きくなる。

私は昆虫を観察しながら昆虫のおこぼれの野菜を収穫している。しかし、今年に限って、野菜は元気に育っているのに昆虫たちのお出ましがない。なぜなのだろう。

山椒の葉には卵すら乗っていない。毎年、丸坊主になるほど葉が食べられてしまうのに、今年に限って葉がふさふさして虫に食べられた後もない。日照時間が少ないからなのだろうか。いつもの年とまったく違う虫たちの異変。虫に聞いてみるほかないのだろうか。人間はムシ(虫)をムシ(無視)してはいけないと思う。(随筆家、薬剤師)

5日から「立体交差」は新橋へ 土浦市の国道354号高津橋

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国道354号の高津橋。左下に見える斜路も5日開通する=7月末に撮影、土浦市下高津

【相澤冬樹】土浦一古い、とされるランプ(傾斜路)付きの「立体交差」が5日、供用を再開する。土浦市下高津の国道354号高津橋の新橋が完成、同日朝、迂回路の仮橋から切り替えられる。同時に橋梁の下部をくぐる県道土浦坂東線(都市計画街路・宍塚大岩田線)から354号上り方面に左折登坂する斜路も開通し、4年ぶりに立体交差本来の形に戻ることになった。

高津橋は橋長22メートル、国道6号として開通した1934(昭和9)年に立体交差で架けられた(※メモ参照)。交差する県道は、旧中家村(1937年土浦町に編入合併)時代には「根崎道」と呼ばれた幹線道路。土浦学園線(県道土浦境線)が開通するまでは、筑波研究学園都市の建設などで人や資材を運ぶ動脈となった。

しかし県道は狭小で歩道も無く、交差点には右折レーンが無いためしばしば渋滞が発生した。高津橋とは3.3メートルの高さ制限がかけられており、車両の円滑な交通に支障を来たしていた。

3.3メートルの高さ制限がかかる仮橋も秋までに撤去される=同

宍塚大岩田線は拡幅整備

このため県は13年度から、土浦坂東線交点より東側に延長362メートルの都市計画街路宍塚大岩田線を事業化。これに合わせ、16年度から迂回路の仮橋を設置して、高津橋の架け替えを一体的に進めてきた。

橋梁下部の基礎工で、新工法の「回転杭工法」を採用して、市街地内の施工時の悩みの種である騒音・振動問題に取り組むなどしている。

県土浦土木事務所によれば、新橋に切り替える際、4年間遮断していた上り方面への左折斜路も新しい舗装で復活させる。仮橋の撤去工事は昼間、交互通行規制を講じるなどして進め、秋には撤去を終えたい考え。県道土浦坂東線(宍塚大岩田線)は幅員20メートル、右折レーンも持つ歩車道区分の道路に拡幅された。今後沿道の環境整備を行い、年内に事業を完了させる構えだ。特に開通式などの行事は計画されていないという。

  • ※メモ 本堂清さんは「土浦町内ものがたり」(1989年、常陽新聞社)の「下高津」の項で次のように書いている。「国道6号線は、昭和9年に開通したものである。新道建設にあたって県は水戸街道の改修に伴い高津坂の曲がりを直し、宿通りを真っ直ぐ銭亀橋まで拡幅する案を示した。菊地太兵太さんらは、この案に反対し、(高津)宿の西側に新たに建設し、根崎道と新道との交差点を立体化すれば協力すると陳情して、今のような形で通させた」

《雑記録》14 「イージス・アショア」中止と新安保戦略

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【コラム・瀧田薫】2020年6月15日、河野太郎防衛相はイージス・アショアの配備計画停止を発表し、安倍首相もこれを追認した。2017年に導入が閣議決定され、配置候補地(秋田県と山口県)の了承を求めて交渉中だったものが突然の中止である。与党内では、事前の通告がなかったことへの不満もあって、異論・反論が噴出した。安倍首相もこれを無視出来ず、「この夏、国家安全保障会議(NSC)で議論し、日本の安全保障戦略の新しい方向を打ち出す」との考えを表明した。これを受け、現在、与党内でにわかに防衛論議が盛り上がっている。

7月末、首相の肝いりで新設された検討チームが、ミサイル防衛に関する政府への提言案をまとめたが、最終的な結論の中身について確たる見通しはない。ただ、今後の議論をリードする4人のキーパースンを示すことはできる。すなわち、安倍首相、河野防衛相、岩屋毅前防衛相、そして小野寺五典前々防衛相(新設された検討会議・座長に就任)の4者である。

安倍首相は、イージス・アショアを北朝鮮ミサイルへの備えとして国民に説明し、同時にトランプ米大統領からの圧力(バイ・アメリカン)に応える一石二鳥の良策と考えていた。しかし、この計画には大きな欠陥があった。候補地の指定を受けた自治体から、ロケットのブースターが居住区に落下する可能性を指摘されたのに対し、防衛省はコンピューターで操作するので安全だと説明していた。

ところが、5月下旬、アメリカの製造元から、ブースターの落下位置を制御するため大規模改修が必要との情報が防衛省に伝えられた。この情報を聞いた河野防衛相は、以前からイージス・アショアの兵器としての性能やコストに疑念を抱いていたこともあって、即座に計画の中止を決断、安倍首相の説得に向かった。

転んでもただでは起きない安倍首相

首相は当然難色を示したが、政治的環境が悪過ぎた。相次ぐ不手際で秋田への配備を断念したばかりであり、党内の複数の不祥事、コロナウイルス、大雨被害、経済の落ち込みまであるなかで、地元選挙区民の安全を無視することはさすがにできなかったようだ。しかし、転んでもただでは起きない。計画中止の見返りとして、安全保障戦略の新方向を探る検討チームを立ち上げた。

小野寺氏は、イージスシステムの導入に中心的役割を果してきただけに、配置計画の中止の報に猛反発し、河野防衛相の中止理由の説明が日本の防衛システムへの不信感につながり、日米関係にも悪影響を与えると真っ向から批判した。しかし、河野氏が計画を中止したことで、新安保戦略検討会議の座長に就任したのだから政治は分からない。岩屋氏は、毎日新聞紙上(7月13日付)で「計画を中止したからといって、敵基地攻撃能力を持つべきという議論には論理の飛躍がある」との見解を表明し、党内の議論が極論に走ることを抑制する役割を果そうとしている。

以上の4者、それぞれの思惑は大きく異なるが、新安保戦略の鍵を握っている人物であることは確かだ。動向に注目したい。(茨城キリスト教大学名誉教授)

外来患者5、6月も減少のまま 県保険医協会 長期化に危機感

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茨城県保険医協会=土浦市大町

【山崎実】県保険医協会(土浦市大町)は、新型コロナウイルスの影響による5月診療分と6月診療分の患者受診状況、保険診療収入の増減などに関するアンケート調査結果をまとめた。

外来患者数の推移をみると、緊急事態宣言が続いた5月も外来患者数は9割の医療機関が減少(医科91%、歯科94%)、解除された6月でも86%の医療機関が減少するなど、依然、外来患者数は戻ってきていない。

4月診療分影響調査(6月14日付)に続き、第2弾の調査となる。

調査対象は、同協会に所属する医師、歯科医師で、アンケートの郵送数は1843件(医科909件、歯科934件)で、回答数は404件(21.9%)だった。

保険診療収入も外来患者数の減少と同じ傾向を示し、5月の保険診療収入は9割の医療機関が減少、6月も84%が減少したと回答している。

「資金ショートに直面する」

診療報酬が医療機関に振り込まれるのは診療月の2カ月後。大幅減収となった4月分は6月下旬だったが、5、6月の減収も深刻で「長期間の収入減が続けば、資金ショートの危機に直面する」と指摘する。コロナによる減収減益に対する補償は、持続化給付金以外になく、支給要件も厳しいため、該当する医療機関は少数という。

調査ではさらに、医療機関として困っていることや、行政などへの要望について質問した。経営関連では、マスク、アルコールなど衛生材料の不足・高騰、受診減・収入減・赤字、感染防護具の不足、給付金・補助金などの情報不足、風評被害(歯科)、感染対策経費や従業員への給与支払いーなどの意見が多く寄せられた。

また検査や診療では、検査体制の整備、インフルエンザ流行期の診療対応が不明、発熱患者の扱い・動線確保、地域での発熱外来ーなど、医療現場からの課題や要望が相次いだ。

同協会は「地域医療は病院と診療所の連携・役割分担で営まれており、個別の医療機関が立ち行かなくなれば、地域の医療供給体制に影響を与える。感染拡大に対応するためにも、医療機関の立て直しは急務」と警鐘を鳴らしている。

《吾妻カガミ》87 つくばセンタービル再生の問題点

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つくばセンタービル 手前はノバホール 奥はホテル日航つくば

【コラム・坂本栄】本サイトの中ほどに「つくばセンタービル」というタイトルの特設コーナーが設けられています。現時点では、市が同ビルをどう活用しようとしているのか調べた記事と、ビル裏手(正面?)の中央広場への想いを述べた脚本家のコラムがアップされています。今回のコラムではこのセンタービルの問題を取り上げましょう。

記事とコラムは、「具体案、市民に説明なく」(6月26日掲載)、「民意と距離ある計画」(6月27日掲載)、「世界的アート建築に屋根?」(6月28日掲載)、「コラム:磯崎新の設計思想」(7月9日掲載)の青字部をクリックしてご覧ください。磯崎氏は、ノバホール+ホテル日航つくば+センタービル+中央広場を設計した方です。

記事は、①市は空きが目立つセンタービル1階を、事業の立ち上げを目指す起業者の作業区にしようとしている②また、音楽会場・ノバホール右側の建物などは市民活動を支援する拠点に改装しようとしている③しかし、これらの案は市民の意を汲んだものとはいえず、市の情報開示も十分ではない④一方、中央広場に屋根を付けるという改修案に磯崎氏は遠回しに反対している―に要約できます。

起業には「トキワ荘」がよく似合う

一昔前、センタービル1階には銀行の支店や飲食店などが入り、一帯はまさに市のセンターでした。ところが、賑わいの中心がTX研究学園駅に移り、センタービル周辺は駐車の便が今一のこともあって、市の真ん中ではなくなりました。

こういった場所の再生を考える市も、大変です。若い起業者支援のために、旧一等区画を活用しようとする気持ちは分かります。でも、そういった優遇策は彼らのためにならないでしょう。起業には、赤塚不二夫らが雑居した「トキワ荘」がよく似合うからです。ビル・ゲイツはガレージで起業しました。事業の立ち上げには、公務員宿舎跡が向いていると思います。

センタービルを核とするTXつくば駅周辺は、オフィスビル+マンション+飲食店+小売店が立ち並ぶ「ビジネスゾーン」にし、企業の本支店を誘致したらどうでしょうか。センタービルについては、その区分所有権(つくば市53%、ホテル日航つくば38%、筑波都市整備9%)を大手不動産に一括売却し、民間の知恵(再設計は磯崎新事務所?)で再開発してもらったらどうでしょうか。(経済ジャーナリスト)

【夏の高校野球県大会】8日目 土浦日大もコールドで8強入り

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【土浦日大―日立北】6回裏、生還した土浦日大の吉原蓮=J:COMスタジアム土浦

2020年夏季県高校野球大会は8日目の2日、2球場で4試合を行い、5日の最終日に臨む8強が出そろった。3回戦で打線が停滞した土浦日大は、打線につながりが戻り、7回一気のコールド勝ち。5日はノーブルホームスタジアム水戸で土浦日大土浦湖北が、ひたちなか市民で霞ケ浦水城が、それぞれ行われる。

(7回コールド)【日】鯨岡、齋藤、野木 – 辻 【土】関、村上、滑川 – 菅野

【崎山勝功】土浦日大は3回、中村陸翔の内野安打を皮切りに4連打するなど打線が爆発。その後は終始土浦日大ペースで試合が進み、4回には笠嶋大介の二塁打などで2点、5回には日立北のエラーなどから一気に5点を奪い、6回にも吉原蓮の安打で得点を2ケタに乗せ、勝負を決めた。

5回表まで力投した、土浦日大の関大空馬=同

投手陣は、先発の関大空馬(せきたくま)が5回まで1失点。6回に交代した村上陽駿は2失点し、途中から滑川翔吾に交代。滑川は日立北打線を無失点で抑えた。

小菅勲監督は「1日のつくば秀英戦の延長戦として戦う形で、結果的に打線がつながった」と試合を振り返った。

大会初登板の関は「初めてのマウンドで、緊張し力が入ったが、マウンドで修正していくことができた」と喜びを口にした。3安打を放った2年生の芹澤優仁は「リラックスして自分のバッティングが出来たと思う。試合を重ねるたびに力を発揮できている。次の試合も相手のピッチャーに合わせて対応していきたい」と、5日の最終戦を見据えた。

【夏の高校野球県大会】湖北、霞ケ浦 コールド勝ちで8強入り 土浦日大は4回戦へ

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【土浦湖北-茨城キリスト】2回に先制タイムリー、3回に2打点と活躍した土浦湖北の稲葉悠太(右)。3回第2打席。低めのスライダーを風に乗せて右翼深くへ運んだ=JCOMスタジアム土浦

2020年夏季県高校野球大会は7日目の1日、2球場で3回戦の残り2試合と4回戦4試合が行われた。J:COMスタジアム土浦では土浦日大がつくば秀英を4-0で下し4回戦進出。土浦湖北は茨城キリスト教学園に13-0の大差で7回コールド勝ち、準々決勝に進出した。ノーブルホームスタジアム水戸で4回戦の霞ケ浦は鹿島学園に11-1で6回コールド勝ちを収めた。今大会は雨の影響で順延が重なり8強決定で打ち切りとしていたが、4強決定まで実施する。

3回戦 土浦日大はつくば秀英を完封

【土】中川 – 菅野 【つ】枩本、次郎丸、後藤 – 青木

【崎山勝功】土浦日大は、2回表に吉原蓮の安打を皮切りに、笠嶋大介の二塁打が続き2点を先制。つくば秀英は3回表に枩本匠に代えて次郎丸匡峻をリリーフに送るも、5回表に暴投や守備陣のエラーなどが重なったところへ、土浦日大が五十嵐明斗主将の適時打でさらに2点を追加し、4-0と引き離した。

完投した土浦日大の中川竜哉=J:COMスタジアム土浦

土浦日大エースの中川竜哉は8奪三振で完投、守備陣も堅守でつくば秀英に得点を与えず、完封勝ちを収めた。小菅勲監督は「久々の試合だったので調子が図りかねたが、投手戦でピッチャーに抑えてもらうしかないと思った。完封は上出来だった」と中川を高く評価した。

中川は「ピッチング自体はあまり調子が良くなかったが、残り3試合と決められているので、自分の持てる力を悔いのないよう出しきろうと思い、最初から腕を振っていった」と試合を振り返った。

主将の五十嵐は「今日は相手のエラーやミスで2点もらったので、打線がつながったわけではない。チャンスの場面での凡退は、もう少し工夫しなくては」と、次戦への改善点を挙げた。

完封負けを喫したつくば秀英の森田健文監督は「点の取られ方が悪く、守備からリズムをつくるうちの持ち味が出せなかった。打線は相手のファーストストライクの甘い球を狙おうとしたが、それが打てなかった」と敗因を分析した。

若井太陽主将は「守備から入る意識だったが、ミスから失点し流れが悪くなった。序盤、相手投手が変化球を置きにきたのを振っていけば、流れを渡さずに済んだかもしれない」と悔やんだ。

3回から8回まで力投した次郎丸は「先制されて苦しい展開だったが、相手を気にせず自分の投球ができた。3、4回はゼロで抑えたが、5回の失点は安易に攻めてしまった。もっと緩急や高低など広く使い、じっくり攻めていればエラーもなく、次の回に良い展開ができたと思う」と敗戦の弁を語った。

土浦湖北 下位打線が躍動

(7回コールド)【土】大坪、三浦、荒木 – 佐藤武 【茨】横山、綿引、蛭田、徳永 – 清水太

【池田充雄】土浦湖北は2・3回の攻撃で計6点を挙げ、試合の大勢を決めた。「引き付けてすべてのボールに対応しようという意識だった。最初はタイミングが早くフライを打ち上げていたが、後のバッターが修正し、狙い通りのつなぐ野球ができた」と田中海斗主将。

特に下位打線が躍動し、7~9番の3人がいずれも3打点を挙げた。7番の稲葉悠太は、2回には1死三塁から右前へ先制タイムリー、3回には2死一・二塁から右越えの2点二塁打という活躍ぶり。「新チームになってすぐ7番に抜擢されたが、打てなくて迷惑をかけていた。今大会では一つもミスがなく、ヒットも打てて3年生に恩返しができた」と感慨深げ。

3回表、生還した稲葉を迎える土浦湖北の選手たち=J:COMスタジアム土浦

4回以降は相手の2人目投手に対しやや淡泊な攻撃になったが、「いままでやってきたことをもう一度しっかりやろう」との小川幸男監督の檄(げき)を受け、7回に再び大爆発。打者11人で長短打6本を放ち、5点を奪ってコールド勝ちを決めた。

投手は3人のリレーで、前の試合から間隔が空いた影響からか、それぞれ調子はいま一つだったという。先発の大坪誠之助は「ストレートで腕に力が入らず力んでしまった。後ろに2人いいピッチャーがいるので安心して任せられる」と2回でマウンドを降りたが、「次は自分がちゃんと投げないと勝てないと思う。3日間あるので球威は戻せる」と、最終戦に向けて調整に励む構えだ。

霞ケ浦 打ち勝つ野球で大量得点

(6回コールド)【霞】山本、高松、前原、真仲-瀬川【鹿】猪俣、穂刈、常世田、渡辺、徳永、東風谷-野原、岡本

【高橋浩一】霞ケ浦は、3回戦の総和工戦で延長タイブレークに持ち込まれた反省から、打ち勝つ野球を追求し、2ケタ安打で大量11点をものにした。

この日2番に入った小田倉啓介主将は、3回と4回に2打席連続の二塁打、2打点を挙げ、チームの大量得点の足がかりを作った。「今まで情け  ない試合ばかりだったので何とか打ちたかった。みんながつないでくれたのでチームを勝たせるバッティングができた」と振り返る。

3回表無死二・三塁、斎藤拓生の左前打で佐々木が先制のホームイン

6回には相手投手の乱れから1死満塁とし、瀬川悠人の左前適時打や伊澤誠の中越え3点三塁打などで一気に6点を奪った。「今まで出ていない選手が気持ちを出し、食らいついたプレーをしてくれた。それがいままで出ていた選手にも伝わって、もっとやらなきゃいけないと、全員がまとまった試合だった」と小田倉。

「代わった選手が持ち味を出してヒットを打ってくれてうれしい。出ていなかった3年生が11人いたので、全員出すつもりで組み合わせを考えた。点数が入ったので思い通りに使えた」と高橋祐二監督。

次の試合は5日の準々決勝だが、日程の都合により本大会の最終戦となる。「2連覇という目標を掲げて1年間やってきたので、甲子園はなくなっても最後に気持ちよく勝って終わりたい」(小田倉)、「最後の試合なので20人フルメンバーで下級生も入れて、いつもの試合と同じ気持ちで戦う」(高橋監督)と、あくまで前向きに戦う姿勢を見せる。

対策指針をステージ3に引き上げ 新型コロナで県

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茨城県庁

【鈴木宏子】新型コロナウイルスの感染防止対策について、大井川和彦知事は7月31日、県の対策指針を同日から、感染が拡大している状態のステージ3に引き上げると発表した。

未登録で発生なら店名公表

その上で、クラスター発生業種や大規模イベントで、県の感染拡大防止システム「いばらきアマビエちゃん」未登録施設の利用自粛を改めて要請した。未登録店で陽性者が発生したり、感染者と接触した可能性がある人を把握できない場合は、感染経路が追えない可能性が高くなることから、店舗名を公表するとしている。県内では7月31日時点で9305事業所が登録しているという。

さらに水戸市では「夜の街」でクラスターが発生し市中感染の可能性が出てきたとして、PCRローラー作戦を実施する。夜の繁華街が立地する大工町など5地区の飲食店と風俗店の従業員と、7月22日から31日までの利用者全員を対象に、県が無料でPCR検査を実施する。ただし法的に強制はできないとした。

水戸、古河、つくばで感染拡大

6つの判断指標のうち、1週間の1日当たりの陽性者数(直近1週間平均は7.3人)、陽性者のうち濃厚接触者以外の数(同3.1人)、陽性率(同3.1%)の3つがステージ3レベルになった。

一方、病床の確保など医療提供体制は現時点で余裕があるが、救急患者のたらい回しを防ぐため県入院調整本部を30日再び立ち上げた。さらに新型コロナの確保病床数を県全体で72床から171床に週明けまでに増やす。

県内では6月下旬と比べ、水戸(7月17~30日の陽性者数17人)、古河(同14人)、つくば(同13人)の3市で感染が拡大していると指摘した。

つくば市の拡大の原因は、都内などで感染した人がそれぞれ単発で発見されている例がほとんどという。古河は栃木県で発生したクラスター感染者が発見されたなど他県での感染者が単発で発見されるケースがほとんどと分析した。一方、水戸市の場合は、都内での接触と関係なく、夜の街で感染が広がり、ここ数日、急速に増えてきているとした。

大井川知事はさらに、70歳以上の高齢者や基礎疾患がある人、妊婦は外出の際は慎重に対応すること、東京への不要不急の移動や滞在は引き続き自粛するよう要請している。

《続・気軽にSOS》66 根性や気合いは鍛えて身につくのか

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【コラム・浅井和幸】頑張らなくてよいという言葉がもてはやされ、「頑張ること」が悪であるとまで言われることがある昨今です。そのような中で、「根性」や「気合い」が必要なのかという疑問を持つ方も多いと思います。

ただ、頑張ることが悪である場合、頑張っている人間や成果も悪であるという評価になってしまうことに矛盾を感じる必要はあるでしょう。頑張り過ぎて、疲労が度を越えること、疲労感に気づかずに疲労を重ねていくことは危険です。頑張ること、頑張り過ぎること、疲労、疲労感、疲労回復というキーワードは覚えておいて損はないと思います。

話を元に戻して、「根性や気合が必要なのか?」です。これに関しては、もう一歩の作業で達成すること、もう一歩で勝負に勝てることには、実際に有効であることは心理学や脳科学で有効であるという見解はあります。

難しいことは置いておいて、「おりゃ~~」と声を出すことで、無言よりも重いものを持ち上げられる、皆で掛け声を掛け合うことで乗り切れる―こともあることは、経験したことがある人もいるのではないでしょうか。

さて、この根性や気合のレベルを上げることは可能なのでしょうか。これらのことは、大声で掛け声が長く続くかどうかではなく、嫌な作業を継続させる集中力をより長く続ける力ととらえることが日常では多いと思います。この集中力を続けること、高めることは、適切な鍛え方で身に着けることは可能です。

適度な負荷と成功体験が大切

瞑想、イメージトレーニング、成功体験などなどが、この力を伸ばすことが出来る方法の一部です。山登りをして頂上で見る朝日やテストの点数が上がることを喜べる人ほど、もっと上に向かうものです。これには、その人に合った適度な負荷(苦労)と成功体験(喜びを感じる)ことが大切なのです。

ですから、部活で監督やコーチに怒鳴られたり殴られたりすることや、夏の暑い時期でもネクタイをつけてジャケットを羽織り、サドルを外した自転車で立ちこぎして、フラフラになるまで営業をすれば根性がつくというのは、ほぼ間違いです。

「ほぼ」というのは、それが偶然、その人にとって適度な負荷と喜びであった場合で、徐々に負荷が重くなる時のみ、その行動で根性がついていくのです。根性レベル「3」だった人が、「4」になり、「5」になっていくのならば根性がついたとなりますが、もともと根性レベル「7」だった人が「7」のままだったり、「6」になったりしていれば、それは根性が変わらないか、無くなったことになります。

若いころの体験で根性がついたという人のほとんどは、もともと根性があった人の可能性があります。ほとんどの人は、画一的な「根性のつけ方」では、脱落するか、レベルが下がります。その証拠に、次の二つに思い当たることは無いでしょうか?

・根性のない奴は、部活や仕事を辞めていった。

・若いころの苦労を、歳を重ねた今はしたくない。(精神保健福祉士)