土曜日, 11月 8, 2025
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弱虫ペダルチームと協定締結 旧筑波東中の自転車拠点整備で連携 つくば市

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連携協定を締結した(左から)五十嵐立青つくば市長、漫画「弱虫ペダル」の作者で「弱虫ペダルサイクリングチーム」の渡辺航監督と同チームの佐藤成彦ゼネラルマネージャー=つくば市役所

つくば市は6日、市内に本拠地がある自転車チーム「弱虫ペダルサイクリングチーム」と、自転車利用の推進を目指した連携協力協定を締結した。

具体的な連携事業はこれから詰めるが、今後、同チームの選手が、小中学生向けの自転車交通安全教室に講師として参加したり、市が筑波東中学校跡地に計画している自転車拠点整備について同チームからアドバイスを受けるなどするという。

人気漫画「弱虫ペダル」の作者で、同チームの渡辺航監督(50)と佐藤成彦ゼネラルマネージャー(51)が市役所を訪れ、協定書に調印した。

渡辺監督は「国内のロードレースを盛り上げようとチームを立ち上げた。弱虫ペダルを読んで自転車競技の世界に入った若者たちが、世界に羽ばたく道筋の一つになればいいと思っていた。そのときにつくば市から(連携協定の)話があった。筑波東中にサイクリング拠点ができる。子供たちが自転車に触れ、自転車っていいな、楽しいなと感じ、選手たちがもっている自転車の気づきをフィードバックしながら、どんどん活用できる方向にいければ」などと話した。

佐藤GMは「チームが発足して6年間、つくば市を拠点に活動してきた。つくば市の素晴らしい環境があって活動ができる。少しでも恩返しできれば。筑波東中を拠点にした活用は、私どもも協力できたら」とした。

五十嵐立青市長は「今年つくば市にサイクルコミュニティ推進室が発足した。自転車利活用を本格的に加速させていくタイミングにある。(自転車を)知ってもらい、盛り上げていく上でこれ以上心強いパートナーはいない」などと述べた。

市は現在、廃校となった旧筑波東中の校舎の一部にサイクリング拠点を整備するための設計を実施している。さらに弱虫ペダルチームの提案を受けて同中のグラウンドに新たに、自転車競技の一つ、BMX(バイシクルモトクロス)コースを整備する計画を立てている(6月25日付)。

「不足していた糧が満ちてきた」土浦日大 小菅監督【高校野球’21】

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ざっくばらんに語ってくれる小菅監督=土浦日本大学高校

土浦日大はこの夏をどう迎えるのか。秋はまさかの県大会初戦で敗退、春は準優勝の常磐大高に準々決勝でタイブレークの末に惜しくも敗退した。小菅勲監督(54)に大会への意気込みやコロナ禍がチームづくりにどう影響したかなどを語ってもらった。

厳しいゾーン、身が引き締まる

ー組み合わせですが、常総学院ゾーンに入り、霞ケ浦も同じゾーンになりました。そのほかに好投手を擁する多賀や水戸葵陵などの中堅私学が入っています。まず、このゾーンに入った所感をお聞かせ願います。

小菅 厳しいゾーンです。非常に身の引き締まる思いがします。私は毎年、何回戦でどこと当たるといったことはほとんど見ないで大会に臨みます。勝ち上がりの予測が外れることも少なくありません。初戦、もし多賀高校さんが勝ち上がってきますと、神永耀生投手(3年)と対決することになります。去年常総学院に投げ勝った良いピッチャーです。そのほかに川井虹投手(3年)も良いボールを放っています。

ー右の好投手2枚に対して何か対策は考えていますか。

小菅 県内の好投手の情報は、年間を通してチーム内で共有し、対策を練っています。当然その中に神永君も入っていました。それを確認し直したいと思います。昨今はカット系、チェンジアップなどの特殊球を多投する投手が多いので、練習試合の中で対応してきました。選手はそういうピッチャーに対応しなければ勝てないということはよく分かっていますので、それをもう一回おさらいし、再認識するということだと思います。

負けに不思議の負けなし

ー秋の県大会初戦の敗戦から冬場はどのように過ごしてきましたか。

小菅 秋に初戦で負けたことは絶対にその原因がある。“負けに不思議の負けなし”で、時間をかけて修正をしてきました。ようやくこの春になって、こちらが感じている以上に自分を「重くして」しまう選手が多くて、逆境の時に見せる姿が分かるようになってきました。逆境をはね除ける糧が、昨年からのコロナ禍で足りないと思っています。これまで、去年1年の真剣勝負の積み重ねが欠落していました。春の大会の戦績は満足できるものではありませんでしたが、ようやくここに来て不足していた糧が満ちてきた感があります。チームにもまとまりが出てきました。全員で、大会の時ももっと良い声掛け、あるいは結束が出来ると思っています。チーム力としては、十分に優勝の可能性があると信じています。特に野手は能力の高い選手がいます。“大会を通して成長を果たしていく”のが優勝チームだと思います。1イニング1イニング、一戦一戦で成長していきたいです。その姿を見ることが楽しみです。

エース左腕の小谷野=J:COMスタジアム土浦

エースは小谷野、3人で回す想定

ー戦力について伺います。夏はどのような布陣になりそうでしょうか。

小菅 昨秋にベンチ入りしていなかった小谷野奨大(3年)がエースナンバーを着けます。2番手、3番手の山田奏太と河野智輝は2年生です。秋からはレギュラーが2~3名入れ替わり、背番号二桁の選手も秋から4~5名入れ替わりました。チーム全体で「切磋琢磨」ができました。

ー小谷野投手はどんなタイプの投手ですか。

小菅 左投げで180センチです。大柄な割に制球力がよくて,ストレート、カーブ、スライダー、チェンジアップを満遍なく操れるピッチャーです。

ー秋に1番をつけていた山田投手はどんな調子でしょうか。

小菅 ここ3カ月くらいでかなり成長してきました。彼もボールの勢いで勝負するタイプではなく、コントロールや試合をつくる能力と、強気なピッチャーなのでピンチでも向かっていける要素を持っています。ベストな状態で臨めると思います。身長も伸びて170センチ後半になったと思います。以前は少しぽっちゃり系だったのですが、この3カ月くらいで体脂肪もコントロール出来てきて、その分ボールのキレも増したように思います。

ー河野投手はどのようなタイプの投手ですか。

小菅 右サイドスローです。落ち着いていて淡々としたピッチャーです。大体この3人で回す想定ですが、4人目には、この数週間でいちばん調子の良いピッチャーを入れたいと思います。

ー秋はたくさん下級生がベンチ入りしていましたが、夏は3年生が入ってくるのでしょうか。

小菅 やはり3年生が巻き返し、夏は3年生が増えました。20人中15~16人くらいが3年生になるのではないでしょうか。

キャプテンの芹澤。昨年の独自大会=ノーブルホームスタジアム水戸

去年秋は衝突、産みの苦しみを経験

ー野手陣について伺います。下級生の時から中心選手であった菅野と芹澤、1年夏からスタメンを張っている吉次悠真が春の大会では2番、3番、4番と上位を打っていました。3選手が特に注目を浴びていますが、各選手の状態を具体的な数字などを交えて教えてください。

小菅 正確な本数を把握していませんが、菅野と芹澤は通算本塁打が20本弱で同じくらいの数字だと思います。吉次は一桁台です。トーナメントで求められるのは“勝負強さ”です。“一球入魂”の精神です。あまり本塁打数などは求めていません。本人の励みにしてもらう程度です。まずけがなくここまで来ているというのが良い材料です。菅野と芹澤の2人でチームを引っ張っています。去年の秋にはお互いに衝突したり、冬の間は口論したりと産みの苦しみを経験しました。それだけ2人でチーム作りを真剣にやっているという証拠です。今は同じ方向に向かっています。非常に頭の良い子たちなので、2人でしっかりと考えてチーム作りをやってきたと感じています。後は責任を背負いすぎないようにして欲しいなと思います。今のところは心身ともに充実していると思います。

ー菅野は何球団かスカウトがチェックしに来たという話があります。

小菅 巨人と楽天、中日が来ました。菅野は183センチで90キロと恵まれた体格でありながら100メートル走を12秒切るスピードがあります。そういうデータを知っているので追っているのでしょう。現状では大学経由などワンクッション置いた方がいいでしょうとスカウトも言っていますし、私もそう思います。本人もその辺は理解しています。補強ポイントとして見に来るチームもいるということです。

プロが注目する菅野。昨年の独自大会=ノーブルホームスタジアムk水戸

ー春の大会で1番を打っていた武田優輝と5番の荻原康誠はどのような選手ですか。

小菅 武田は非常にガッツマンでチームのリードオフマンにふさわしい人間です。2年生ですけれども、よく声が出て元気がある。芹澤と二遊間でコンビを組んでいますが、いい「化学反応」を起こしています。時には芹澤が武田に引っ張られながらやっている感じもあります。荻原は学習成績もトップクラスで、練習も一番やる模範中の模範の選手です。自分の真面目さを貫き通して自己を確立してきました。この3カ月くらい試合でも打っていますし、荻原が打って助かった、救世主となった試合が数多くあります。

ーそれでは5番は荻原で決まりですか。

小菅 候補の一人ではありますが固定はしません。警戒される芹澤・菅野の後を打つ重要な役割でありますから、候補は何人かいます。ケースバイケースで決めます。

ーほかに調子が上向きの選手はいますか。

小菅 去年から出場していましたが、中村陸人(3年)です。足も速いです。紆余曲折あって自己が確立できていない時期もありましたが、最近ようやく夏の大会に勝つんだという気持ちが見えるようになってきました。後は高内大翔(3年)ですね。この選手も気持ちの浮き沈みがありました。自分の路線、役割、あるべき姿を確立するのに時間がかかったのですが、ここ2週間ほど非常に良い状態でして期待しています。また大島優太朗(3年)という選手も調子が上がってきました。うちの選手はみんな真面目なんですが、彼は大らかなタイプです。チームの中に一人や二人、考えすぎないような選手がいると良いスパイスになるので期待しています。

ー1年生はどのような状況ですか。

小菅 1年生は促成栽培せずにゆっくりつくっています。秋に照準を合わせてじっくりと仕上げようと話しています。コンセプトも理解してくれて、主体的に練習に取り組んでいます。

土浦日大出島グラウンドにて

感謝の気持ちあふれてる

ーコロナを経験してチームの取り組みとして変化はありましたか。

小菅 まず3年生は「今年は選手権ができて本当にありがたい」という気持ちがあふれています。やはり去年の3年生を目の当たりにしていますから。この間保護者会の壮行会があって、保護者の前でキャプテンの芹澤があいさつをしていました。「本当に大会が開催されることに感謝しています」と言っていました。本音だと思います。後は、このチーム、この世代は仲が良い。3年生のチームワークが非常に良い。皆で頑張って甲子園に行こうよという感じは出ています。なおさらいろいろと制約された中で練習や練習試合をやってきました。本当に練習試合が厳しかったんです。うちはよくても相手がキャンセルを申し出る。直前の金曜日にお互いにやっぱり行けない。本当にいろいろなところと情報交換しながらも、毎週欠かさずになんとか練習試合ができました。有り難かったです。

心は熱く、頭は冷静に

ー最近見た試合で、選手同士が「おおらかに、おおらかに」と声を掛け合っていました。何かきっかけというか、こういう声掛けをするようになった理由はあるのでしょうか。

小菅 私は常日頃から野球はガツガツとやるものではないと言っています。人によっては野球を格闘技に例えたりしますよね。一瞬一瞬のプレーではボルテージが上がりますが、特にバッティングなんかではおおらかさを忘れてしまうとがっついてしまうので、頭は常に冷静にすることを大事にしています。そういったことでおおらかにという声掛けが出るのかもしれません。心は熱く、頭は冷静に、一言で言うとおおらかにとなると思います。

ーこれをチームのテーマとして取り組んでいるのでしょうか。

小菅 自然とテーゼとして流れています。ゲームの時も、選手だけで集まってピッチャーのこと、配球のことを言い合っています。頭は冷静でおおらかさを失うと実のある打ち合わせはできないですから。相手を分析する面など、野球偏差値もかなり良い感じに高まってきています。

ー去年のインタビューでは球速を上げたり投球を改善するために一貫して取り組んでいることがあるということでした。現在でもこの点は変更がありませんか。

小菅 一貫して取り組んでおります。毎月ラプソードを借りて回転数や変化球の精度を計測して「ピッチトンネル」を測っていますし、成果があったと確信しております。

ーピッチトンネルとはどのようなものですか。

小菅 同じ球筋、同じトンネルを通過してから変化させるのが有効という考えのもとにボールの軌道を修正する作業です。当然カーブのように目線を上げる球種もあるのですが、力んだり抑えてやろうとなるとなかなか上手くはいきません。同じ球筋を通ってから変化するという、大きく曲がりすぎることがないように意識しながらやっております。

ー今大会は球数の制限はどのようになっているのでしょうか。

小菅 1週間500球で、試合日を起点として前1週間です。決勝戦を起点として4回戦からの4試合が問題になると思います。去年準々決勝までいった時に球数を見せられて(前1週間が)300球程度だったので、この調子でいくと決勝戦で球数制限を超えるんだなと感じました。高校野球はトーナメントです。勝たないと明日がありません。流れと試合展開をよく見ながら、500球ルールに対応していきたいと思います。

ー木内幸男監督が昨年11月にお亡くなりになりました。小菅監督は、甲子園を制覇を果たした1984年の取手二高の優勝メンバーでした。木内監督から受け継いだことや思いなどをお聞かせ願います。

小菅 最後に会ったのは亡くなられる1年ほど前でお元気でした。いつものようにずっと野球の話を興味深くされていました。木内監督から学ばせて頂いたことは1冊の本になると思います。お亡くなりになられてとても残念ですが、悲しい気持ちを決意に変えていきたいと思っています。大事なのは木内監督の遺志を継いで、次の世代の者が高校野球を発展させていくことです。木内監督の気概、「甲子園で勝つ事が教育になる」ーを胸に刻んで励んでいきたいと思います。(聞き手・伊達康)

ロシアは中国に押しつぶされるのか 《雑記録》25

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【コラム・瀧田薫】ソ連邦が崩壊(1991年)してから、今年で約30年が経過した。この間、ロシアは、自国の求心力を保とうと必死の努力を傾け、衰退と分裂の時代をなんとか乗り切ってきた。しかし成長と発展のトレンドはまだ見えてこない。「ロシアの現状は、外交面と軍事面では超大国であり続けているが、それ以外の領域では低開発国でしかない」というのが研究者大方のロシア評である。

ソ連崩壊前の1988年、ソ連経済は中国経済の約3倍の規模であった。しかし今日(2020年)のGDPは中国のそれの約10分の1でしかない。

6月11日、英国・コーンウォールで開かれた「2021年G7サミット」は、西側諸国が現在の中国とロシアをどう評価し、どう扱おうとしているか、検証する絶好の機会となった。今回会議の最重要テーマが「中国の覇権主義にどう対応するか」にあったことは明らかだ。ロシアについては、欧州諸国がその軍事的脅威に言及し、バイデン米大統領に認識を共有するよう要請したが、主要議題になることはなかった。

バイデン氏は、G7閉会後の6月16日、スイス・ジュネーブに立ち寄り、ロシアのプーチン大統領と首脳会談をもった。この会談はバイデン氏の方から持ち掛け、プーチン氏がその誘いに応じたものである。この流れからすれば、バイデン氏がロシアを重視しているかに見える。しかし、会談後の記者会見でバイデン氏が明らかにしたのは、「中国との覇権争いに勝つための一つの条件として、ロシアを重視する」との見解であった。

米ロ首脳ジュネーブ会談の読み方

バイデン氏は、対ロ関係において目指すのは対立の解消ではなく、対立を管理することだと言い、米国の優先事項と価値観の明確な説明ができれば、会談は成功だとも述べた。その上で「ロシアは中国に押しつぶされそうになっている」とのコメントで記者会見を締めくくった。明らかに、中露の連携にくさびを打ち込むための言葉である。

一方のプーチン氏は、別に開かれた記者会見の冒頭、米露関係について「家族のような信頼関係はあり得ないが、会談は極めて建設的だった」と評価した。ロシア国内には、プーチン政権が米国との対立を深めたことで、ロシアの中国依存度が過度なものになることを懸念する向きがある。

プーチン氏にも、米中の覇権争いに割って入ることができないもどかしさを抱えながら、せめて米中両国とロシアとの間の均衡を維持したいとの思いがあり、それが今回の会談に応じる動機ともなった。ともあれ、プーチン氏にとって、今回のバイデン氏との会談そしてバイデン氏のコメントは屈辱的なものであったろう。

プーチン氏は記者会見を「米露関係の将来に幻想をもっていないし、そんな幻想があるはずもない」という厳しい言葉で締めくくった。彼の矜持(きょうじ)が言わせたこのコメントは、プーチン・ロシアの権威主義的体質がさらに高じることを予感させるものに思えた。(茨城キリスト教大学名誉教授)

県内の聖火リレー つくばでフィナーレ

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沿道を埋める市民の声援に応える宇宙飛行士の毛利衛さん

4日、5日の2日間にわたり、県内16市町を176人でつないだ東京オリンピックの聖火が、県内最終地点であるTX研究学園駅前公園(つくば市学園南)でフィナーレを迎えた。

5日夕方、土浦市では、市内出身の柔道家で2009年世界選手権金メダリストの福見友子さんら13人が県立土浦一高前から土浦駅前の市役所までを走った。つくば市では、宇宙飛行士の毛利衛さん、野口聡一さんら21人が、ノバホール前からTX研究学園駅前公園までをリレーし聖火をつないだ。

同駅前公園では、各日の最終聖火ランナー到着時に開催される、聖火を聖火皿へ点火する式典が行われた。出発やゴール地点には大勢の市民が駆け付けた。

「コロナ禍の思いを炎に乗せて走った」

つくば市の第1走者を務めた宇宙飛行士の毛利衛さん(73)は「科学の街・つくばで第1走者を務めることを誇りに思う」とした上で、「コロナ禍で困っている人がたくさんいる中で、そうした人々の思いを炎に乗せて走った」と語った。今回の聖火は、歴史上初めて水素を燃料としたことに触れ「新しい科学技術が生まれるつくばの街で、クリーンな、新しい社会のシンボルとなる水素の聖火を灯せたのは誇らしく思う」と話し、「賛否両論ある中での開催ではあるが、オリンピックの成功が世界に勇気を与えられるのではと考えている」と話した。

フィナーレのTX研究学園駅前公園で聖火皿に点火された聖火

つくば市の最終ランナー、加藤澤男さん(74)がTX研究学園駅前公園に入ると、到着を待つ市民が拍手で迎えた。筑波大学名誉教授の加藤さんは、1968年メキシコ大会、1972年ミュンヘン大会、1976年モントリオール大会、計3度のオリンピックで体操競技に出場し、日本最多記録である8個の金メダルを含む計12個のメダルを獲得した。

聖火リレーを見ようと会場を訪れた市内の櫻井芳則さん(52)は「いよいよ(オリンピックが)始まるなという感じですね。抽選で当選して、今日は仕事を早めに切り上げて家族と来ました」と感慨深げに話し、「中学校でテニスをする息子にとってもいい思い出になる」と話した。

聖火は明日6日から3日間にわたり埼玉県を、9日からは最終地となる東京都を走り、23日正午過ぎ、最終ゴール地点となる東京都庁前に到着する予定だ。開会式は同日夜8時から国立競技場で行われる。埼玉県では新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、「まん延防止等重点措置」対象区域の川口市、さいたま市で公道での聖火リレー中止が決定され、東京都は島しょ部を除く全日程で公道での実施を見送る方向で調整が進んでいると報道されている。(柴田大輔)

聖火リレー終着地点の研究学園駅前公園で抗議行動をする市民たち=5日午後8時30分ごろ

「五輪は中止」抗議行動、つくばでも

つくば市では、オリンピック開催に抗議する市民らが、聖火リレー出発地点のノバホール前(同市吾妻)と、終着地点の研究学園駅前公園(同市学園南)でそれぞれプラカードを掲げるなど抗議活動を行った。

ノバホール前では、開始前の午後6時ごろから市民ら約10人が集まり、「五輪は中止」などと書かれたプラカードを掲げた。

抗議行動に参加した牛久市の福祉関係勤務の男性(48)は「元々オリンピックに反対だけど、コロナ禍が無ければこういうアピールはしなかった。東京では飲食店に営業自粛させているのにオリンピックをやるのはおかしい。オリンピックにお金を使うなら、飲食店の救済にお金を使ってほしい」と語った。

終着地点の研究学園駅前公園では、約20人が「オリンピック廃止」の横断幕などを掲げて抗議活動を行った。

つくば市の団体職員男性(62)は「コロナ対策と全く正反対なオリンピックをやってはいけない。心の中ではみんな反対していると思う。声を上げるべきではないか。日本だけでなく世界中が(コロナ禍で)苦しんでいる。(オリンピック開催は)人の道に反する」と話した。(崎山勝功)

開催可否「最終判断は8月」 土浦花火大会で安藤市長

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会見をする安藤真理子市長=5日、土浦市役所

土浦市、安藤真理子市長の定例会見が5日、同市役所で開かれた。第90回記念土浦全国花火競技大会について「11月6日に開催する方向で準備をするが、正式決定ではない」とし「開催か中止かは、8月に最終決断する」と話した。

安藤市長は「花火業界は厳しい状況にあり、文化存続の危機でもある。できるなら全国に先駆けて開催し、業界の光を取り戻したい」とする一方、「オリンピック後の新型コロナ感染状況や、ワクチン接種状況によっては中止する場合もある」とも述べた。

市商工観光課花火対策室は「土浦の花火競技大会は全国でも有数の大会。開催して成功すれば他の花火大会の起爆剤になる可能性がある。しかし住民の健康と安全が最優先。危険を冒してまで開催するつもりはない」と話す。土浦と並ぶ日本三大花火の秋田県大曲、新潟県長岡はいずれも開催中止を決めている。

開催する場合の日程について、同実行委員会(実行委員長・安藤真理子市長)は6月29日に会合を開き、11月6日、桜川畔とすることを決めた。開催の可否を決定する前に日程を決めたのは、警察、消防など多数の関係者との調整が必要になることや、JRの臨時列車運行の調整なども行うため、今から開催を想定した準備に着手する必要があるためだという。

開催の場合、競技種目は例年通りを予定している。全国から約55業者が参加する予定だが、参加意向を各業者に調査中だとした。

市花火対策室によると、開催する場合の新型コロナ対策として、例年なら桟敷席4万席と一般観覧席2万席など合わせて6万席を用意するが、開催する場合、3分の1に減らし2万席にすることを検討している。桟敷席や観覧席での飲食は奨励しないが、アルコール類も含め持ち込みを規制できないとして、静かに見物し、飲食の際は黙って食べる「黙食」を呼び掛ける。露店の出店については桟敷席や観覧席のエリア内での出店は認めない方向だという。

さらに桟敷席などの販売対象を、例えば県内居住者に限定することや、万が一、感染者が発生した場合に備え、計2万人の氏名、住所、連絡先などを把握することも検討している。

一方、花火大会が開催されれば、会場周辺も大勢の見物客でごった返し、沿道に露店が出て混雑することが予想される。開催する場合、会場周辺の飲食や飲酒についてどう取り扱うか、国や県と協議中だとする。駅周辺の混雑にどう対応するかも検討している。

観光帆引き船運航は7月21日から

観光帆引き船の運航が、7月21日から始まると発表があった。操業船は「七福神丸」「水郷丸Ⅱ」の2隻。9月19日には、かすみがうら市、行方市と合同で、8隻の帆引き船を運航する。ラクスマリーナか常陽観光乗り場で見学船の受付を行う。運航は10月17日まで。(伊藤悦子)

「箸とスプーン」止め、クオカードに つくば市 敬老大会中止の記念品

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1000円のクオカード

つくば市が、敬老大会中止に代わる記念品として定価1000円の「箸とスプーンセット」を70歳以上の高齢者全員に贈るとしていた問題(6月17日付23日付)で、市は、箸とスプーンを取り止め、1000円のクオカードを贈ることを決めた。今年の敬老の日前後に70歳以上の計約3万7200人全員に郵送する。

箸とスプーンをめぐっては議会から異論が出て、付帯決議が出されていた。市高齢福祉課によると、付帯決議を重く受け止め、再度庁内で検討し、6月29日に贈呈品目の変更を決めたという。市内店舗限定で利用できる地域商品券なども検討したが、敬老の日に間に合わないことから、既成のクオカードとするという。

発送作業については、1000円のクオカードは市が購入し、メッセージや中袋の印刷とクオカードの封入作業などを市内の障害者就労施設に優先的に発注する。ただし市指定の印刷ができる作業所が市内に2カ所程度しかないことから、市は印刷ができる作業所に仕事を委託し、委託作業所から市内の別の作業所に仕事を回してもらうようにするという。

箸とスプーンセットは、6月議会に購入費と包装代約6300万円と郵送代約1300万円の計約7600万円が計上された。しかし今年3月、市は75歳以上に3000円を給付する一般敬老祝金を廃止したばかりであることなどから、議会では、祝金がもらえなくなる高齢者が大半となる中、箸とスプーンで喜ばれるのかなどの意見が出たほか、障害者就労施設への発注をめぐっても受注機会を増やすことにつながるのかなどの疑問が出されていた。

予算は付帯決議を付けた上で可決されたが、6月議会最終日には、川久保皆実氏(つくばチェンジチャレンジ)、橋本佳子氏(共産)、塚本洋二氏(自民党政清クラブ)、小森谷さやか氏(市民ネット)から「欲しいものは人それぞれ」「クオカードや地域商品券が喜ばれる」などの意見が相次いで出されていた。(鈴木宏子)

「気持ち負けなければ結果付いてくる」常総学院 島田監督【高校野球’21】

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常総学院の島田直也監督=常総学院野球グラウンド

第103回全国高校野球選手権茨城大会が8日開幕する(6月23日付)。有力校はどのように夏を迎えるのか、監督に話を聞いた。第1回は茨城が誇る名門・常総学院の島田直也監督(51)だ。

常総学院は昨年夏の独自大会以降、投手コーチであった元プロ野球選手の島田氏が監督に就任し、秋季県大会で準優勝した。秋季関東大会では破竹の勢いで勝ち上がり、準優勝の末、6年ぶりに春のセンバツ出場権を獲得した。センバツでは6年ぶりの勝利を挙げ、島田監督にとっても甲子園初采配初勝利の記念すべき試合となった。センバツ以降、チームとしていかに過ごしてきたか。大会前の意気込みなども存分に語ってもらった。

チャレンジャーのつもりでやる

—常総学院の組み合わせゾーンには県南地区の強豪校である霞ケ浦や土浦日大が入り激戦ゾーンといわれています。組み合わせをみて島田監督の所感をお聞かせください。

島田 相手はどこでも一緒だと思っているので、ただ自分たちの力を出せば頂点までいけるんじゃないかとは思っています。厳しいゾーンではありますが、うちは1試合1試合チャレンジャーのつもりでやるだけです。

ーセンバツのお話をお聞きしたいと思います。センバツは1回戦のタイブレークを制して敦賀気比に勝ち6年振りの甲子園勝利ということで、県内の高校野球ファンに大変明るいニュースを届けていただきました。島田監督にとっても甲子園初采配初勝利ということで、記念の試合になったと思います。次戦では中京大中京の好投手・畔柳亨丞投手を打ち崩すことができませんでした。センバツの総括をお聞かせください。

島田 僕も夏に監督に就任し、当然、高校野球の指導は初めてでしたし、僕の今まで経験したことを選手たちに伝えられたら良いなという思いでまずやっていて、その先に甲子園というものがあったので、そこを目指すためにはこういうことが必要だよと思いながら指導してきました。とりあえず甲子園に行けたことについてはホッとしたというか、良かったなというのが前提です。そこで、今度は全国に行って勝たなくちゃいけないということで冬の間に練習をしました。センバツでは1回戦でタイブレークで苦しみながらもチーム全員で勝って勢いに乗るかなと思ったんですが、2回戦は全国でも屈指のピッチャーに当たってしまうと、まだそこまでのレベルには達していなかったなというのが印象ですね。

ー畔柳投手についてはどのような印象を受けましたか。

島田 やっぱりマシンで150キロ近くのボールは打てるのですけれど、人間の動作が入ってタイミングを合わせてとなると難しいですね。本当に選手たちも初めて全国でも屈指のピッチャーや打線と対戦できたので、良い経験ができたんじゃないかなと思いますけれども、あのようなすごいボールを投げるピッチャーは関東にはいないので、なかなか対応できなかったというのが印象ですかね。

ー畔柳投手のボールを経験したことで、春の関東大会では怖い相手はいなかったのではないかなと思うのですが、春の関東大会ベスト4という結果についてはいかがお考えでしょうか。

島田 優勝を狙っていたので、準決勝で関東一高に負けてしまって当然悔しい思いもありました。それでもやっぱり当たり前のことができなくてミスで負けたのでね。そういう当たり前のことができないと夏は足をすくわれるよということは選手たちには言いながら今まで取り組んできてはいたのですが、センバツ以降、春の関東大会まではあっという間で、なかなか当たり前のプレーの確認ができなかったことが影響していますね。

春の大会からエースナンバーを背負う大川=ノーブルホームスタジアム水戸

大川と秋本のWエースに

ーピッチャーのことについて伺います。大川慈英投手はセンバツ後に春季県大会で背番号1のエースとして関東大会をたぐり寄せる大活躍を見せたと思います。大川投手について、これからどのような投手に育って欲しいですとか、今後に寄せる期待値などを教えていただければと思います。

島田 秋本璃空の調子が悪かったということがあって、大川を1番にしたんですね。大川はポテンシャルが高いと思うのですが、自分の良い球をまだただ投げているだけで、上手く場面に応じて使うことが出来ていない状態ではないかなと思います。そこがしっかりと出来るようになったら秋本と一緒くらいに嫌なピッチャーになると思うんですけど。僕から言わせたら、まだ、ただ投げているだけという印象ですね。

ー秋本君は関東大会でベンチ入りしませんでした。現在どういう状態でしょうか。

島田 調子が悪かったので関東大会は無理をしませんでした。夏には間に合うと思います。エースナンバーは競争の末にまだどちらになるか分からないですね(6月29日のインタビュー時点)。

Wエースの一角を担う秋本。春の関東大会は不調でベンチを外れた=J:COMスタジアム土浦

ー春の関東大会では3年生の時岡秀輔投手が好投しましたし、1年生の中林永遠投手が県大会で公式戦デビューを果たすなど投手陣の明るい材料がありました。大川君、秋本君以外に、島田監督が期待する現時点の3枚目、4枚目のピッチャーを教えてください。

島田 難しいなあ。正直現状ではいません。時岡とか中林、2年生の石川大翔もそうですけど、経験させながら自信を付けさせようと思っているのですが、まだあの2人の次に任せられるかというとまだまだそこまで行っていないですね。ただ、大川、秋本の2人だけでは絶対に夏は勝てないと思っていますし、当然、先ほど名前が挙がってきたピッチャーには頑張って欲しいなという気持ちはありますね。

ー序盤戦では2枚のエースは温存しておきたいというお気持ちはありますか。

島田 球数制限とかそういうのはあるので、登板の間隔なんかを考えなければならないとは思うんですけど、彼らにとって高校野球の最後の大会です。1試合でも落とすわけにはいかないですよね。ですので、1試合1試合ベストのメンバーでいくしかないのではないかと思います。

春の明秀学園日立戦から4番に座る主将の田邊=ノーブルホーム水戸

夏も4番は田邊

ー田邊広大捕手は4番も板に付いてきたと思いますが、夏も4番は田邊君でいくというお考えでしょうか。

島田 打順はどうなんですかね。田邊は責任感があるので頼りになりますし、春の良い流れをそのままにしたいという思いもありますね。たぶんそうなるとは思います。

ーそのほかに三輪拓未選手や宮原一騎選手、鳥山穣太郎選手、伊藤琢磨選手など3年生の調子の良い打者を試合ごとに見極めて上位を任せているように思いますが、この辺は不動のメンバーでしょうか。

島田 3年生だけに任せるということはないですね。2年生の力も当然必要になってきます。ある意味、鳥山も宮原ももう少し頑張ってもらわないとどうかなという、下からの突き上げはきています。センバツに出たからといってレギュラー確約という訳ではないので、そういう意味ではチーム力自体は上がっているのかなと思います。最後の最後まで競争をさせますね。

ー1年生の夏のスタメン起用もありますか。

島田 それはちょっと。若い力も必要ですけども。春は当然経験を積ませたいということもありますが、夏はレベルが見合っていれば当然ベンチに入ると思います。現時点では3年生に比べれば弱いという部分がありますのでね。経験を積ませるためにベンチ入りさせるほどの余裕がないので、どうなるかなという感じですね。

ー秋本投手はバッティングセンスも大変素晴らしいものを持っていると思います。もし投げない時でも代打での起用はありますか。

島田 十分あるんじゃないですか。

春の県大会、東洋大牛久に勝利し自軍スタンドにあいさつする島田監督=ノーブルホーム水戸

母校のため、使命感が勝った

ー続きまして、島田監督のことを伺いたいと思います。去年、コーチになられたときの経緯を教えていただけないでしょうか。

島田 学校から連絡がありまして、ニュアンス的には常総を助けてくれないかという感じで話が来たんですけども、やはり僕はNPB(日本野球機構)の方で仕事をしたいという思いがあったので最初は断っていたんです。ただ、熱意というか、お話させてもらっているうちに、僕もこうやって野球界に携われているのも常総学院のおかげだし、自分の力で何とかできるのであればそれも恩返しになるのかなと思いまして決意しました。一度アマチュアに来てしまえばもうプロには帰れないので、決断するに当たって相当に迷いました。でももう50歳も過ぎていましたし、なんと言うんですかね、まあこういう、誘ってもらっている時に行かなくちゃダメなんじゃないかなっていう使命感が勝ってNPBの方は諦めたという思いで、母校のために頑張ろうという気持ちで引き受けました。

ー恩師の木内幸男監督(故人)には報告されたのでしょうか。

島田 常総にお世話になる去年3月のタイミングで一回あいさつに行って、秋の関東大会が終わった後にあいさつに行きましたので、しっかりとお話は出来ています。

ーセンバツでは6年ぶりの1勝を挙げるなど、常総ファンのみならず茨城県の高校野球ファンも県勢の久しぶりの勝利に酔いしれました。昨夏の監督就任からこれまでのことを振り返って、感想をいただけたらと思います。

島田 周りが実際にどう思っているかは分からないですけど、僕自身は本当に監督就任によって勝って当然だって思われているんだろうなとは感じていましたし、結果を残すことについてずっとプレッシャーを感じていました。僕もプロ野球界の中でやってきたので、プレッシャーには強い方かなとは思ったんですけどね。でも高校生はトーナメントなので、1回でも負けたら終わりですからそういう難しさというか、トーナメントの戦いというのもまだまだこれからも勉強すべきことだと思います。いろんなプレッシャーは本当にありましたよ。ただ、結果が少しずつ付いてきていたので、それは良いことなんでしょうけどね。余りにも順調に行き過ぎて何か怖い部分もありますよね。チームを勝たせることももちろん大事なんですけど、本当に当たり前の話で、あいさつとか整理整頓とか、それが出来ればプレーにも反映されると思っているので、そこはずっとうるさく言っていたかな。

センター前に強く低い打球を打て

ー選手とのコミュニケーションなんかで苦労されたことはないですか。

島田 なかなか僕も人見知りのところがあるので、極力選手と話そうとは思ってるんですけど、なんせ部員が100人近くいると一人一人と話すのは難しいところです。極力コミュニケーションを取ろうとは思っていますけれど、選手たちは物足りないと思ってるんじゃないですかね。

ーこのチームはバッティングがすごく良いなという印象があるのですが、バッティングは監督ご自身も経験から勉強されながら指導されているのでしょうか。

島田 全然指導してないですよ。バッティングは水ものだと思っているので。それよりは小技とか当たり前のことの方が大事かなと思っていますので、それを練習するようにしています。練習してはいますが、まだまだ出来ていないですね。後は、強く振るのも結構なのですが、形を意識して軸を意識した自分のスイングをしてくれと。センター前に強く低い打球を打てということを常日頃から言って意識させています。

悔しくてしょうがない

ー今年のチームカラーを監督の目線で解説願います。

島田 どうなんでしょう。僕もまだ分かってないというか、ああいう若い子たちをどうやったら上手く波に乗らせることが出来るのかなと、そういうことしか考えていなくて、ただその中でも厳しさも教えなくてはいけないと思っているんですよね。監督就任当時はそんなに口うるさく言っていなかったんです。ですが、センバツでのあの手も足も出なかった惨めな試合をして帰って来てですね。僕は本当に3月27日というのは悔しくて悔しくてしょうがないんですが、なんか子どもたちは悔しさも何もなくて甲子園に行ったことに満足しているように感じたんですね。ちょっとそれは違うなと思って、甲子園から帰ってからは逆に今度は口うるさく言ってきているんです。でもちょっとその状況もここに来て慣れて来てしまっているのかなという感じで、難しいなと。どうやって指導していくのが良いのかなというのはまだまだ僕も勉強中ですね。

ー就任当時は探り探りだったが今は大きな声で指示をしていると。

島田 就任していきなりは無理でした。最初は子どもたちがどういう野球をやるのかなと思ってあえて何も言いませんでしたが、やはり課題が出てからはこういうことをやっていこうということで、それが上手くいって関東大会まで行ってあのような成績になったのだと思いますね。今は甲子園に行って帰ってきてから僕と同じレベルで悔しいと思ってくれているだろうと思っていたら、違う方向に行ってしまっていたので、ちょっと待てよと。センバツから帰ってからレポートを出させたのですが、「悔しいです」とか、「一球に対する執着心がなかったです」とかいうことを書いているのですけれど、何か練習からはそういう風には見えないので、そこが転機となって結構今は口うるさく言うようになりましたね。甲子園の借りは甲子園で返すしかないと思っているのですが、なかなかそういう感じには見えないなというのが甲子園から帰ってきてからの印象ですね。

ーそれが4月だったり5月だったりという段階で、今6月を終える段階で上り調子にはなってきているのでしょうか。

島田 いや、なっていないと思いますよ。秋にギラギラしていたものが今は見えないですね。あくまで僕がそう感じているだけですよ。

ー最後に、夏の大会に向けた意気込みをお願いします。

島田 本当に3年生にとって最後の試合ですし、春のセンバツも良いところですけど、それ以上に夏の甲子園というのは良いところですので、最後はみんなで笑って終わるためにも絶対甲子園に行かなくちゃいけないなという気持ちは、もしかしたら選手以上に思っているかもしれません。当然、他校はみんな打倒常総で来ると思うので、気持ちだけは負けないように、自分たちの野球さえできれば勝てると思うので。それができなければ結局勝負ごとなので負ける可能性もありますけれど、とにかく2時間と少しの試合時間を集中して、最後まで全力プレーでできたら自然と良い結果が付いてくると思っています。(聞き手・伊達康)

つくば市議の施設観と文化センス 《吾妻カガミ》110

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくばセンタービルの中央広場にエスカレーターを付けるべきか、付けるのであれば1基でよいか、2基にすべきか。こういった議論が本サイトで盛り上がっています。市の2基設置案に対し、市議や市民から「いらない」「1基でよい」といった声が多く出たことから、市は「まず1基、もう1基は改めて検討」という妥協案で幕引きを図りたいようです。でも、議論はまだまだ続くのではないでしょうか。

この論争について、コラム「中心地区再生計画 出だしでつまずき」(5月17日掲載)の中で、私は「深地下のTX秋葉原駅にはエスカレーターは絶対必要ですが、センター広場にはどうでしょうか」とコメント。控えめに疑問を呈しました。しかし、喧々諤々(けんけんがくかく)の議論になってきたこともあり、少し頭を整理しておきたいと思います。

「広場にエスカレーター」の是非

議論は大きく2つに分けられます。1つは、エスカレーターが2階高架歩道と1階凹型広場をつなぐ設備として必要か否か、という機能面の議論です。TX秋葉原駅のように地下数階と地上をつなぎ、多くの人を混乱なく運ぶのには必要な装置ですが、歩道と広場の行き来には「いらない」でしょう。また、百貨店のように快適に買い物をしてもらう商業施設には必要でしょうが、広場=公園には「いらない」でしょう。

もう1つは、磯崎新さんが設計したセンター広場は文化遺産だから、電動自動階段を設けるのは学園都市の名所を壊すようなものだ、いや文化より利便性だ、という文化面の議論です。どちらかというと私には苦手な分野ですが、観光資源として「いじらない」方がよいのではないしょうか。

加えて、「センタービル改修めぐり市民団体討論」(6月27日掲載)中で紹介された加藤研さん(筑波大助教)の発言を読み、広場には思想性もあることを知りました。「国家がつくった都市の中心をあえて空洞にしたのは、痛烈な筑波研究学園都市批判があった」と。センター広場には、市民に絶えざる自省を促すメッセージが込められているわけです。

その広場にエスカレーターを付けることは、名画に朱の線を勝手に入れるとか、思索の場に不釣り合いな仕掛けを置くようなもの? それでは、文化や哲学に弱い私も不要と言わざるを得ません。

市議さんの「感度」を勝手に点検

各市議はどう考えているのか、「エスカレーター計画で市議会」(6月3日掲載)を取材した記者に一覧表を作ってもらいました(会派、敬称略)。

▽意見を表明せず:山中八策の会=塩田尚

▽2基が妥当だが1基でもよい:つくば自民党・新しい風=黒田健祐、長塚俊宏、神谷大蔵、小久保貴史、五頭泰誠、ヘイズ・ジョン、久保谷孝夫

▽1基でよい:つくば・市民ネットワーク=小森谷さやか、川村直子、あさのえくこ、皆川幸枝/創生クラブ=高野文男、小村政文、中村重雄/清郷会=木村清隆/つくばチェンジチャレンジ=川久保皆実

▽2基ともいらない:自民党政清クラブ=飯岡宏之、宮本達也、木村修寿、塚本洋二、鈴木富士雄/公明党つくば=小野泰宏、山本美和、浜中勝美/日本共産党つくば市議団=橋本佳子、山中真弓/新社会党つくば=金子和雄

(経済ジャーナリスト)

土浦写真家協会が8月にも発足 市出身のオダギさんが奔走

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オダギ秀さん

土浦市在住の写真愛好家を中心に「土浦写真家協会」を設立する動きが進み、早ければ8月にも設立総会が開かれる。発足に向けて奔走してきた市出身のオダギ秀さん(コマーシャルフォトグラファー)は「土浦の写真文化、写真産業が失われつつあり、これでいいのかと、ずっと心を痛めてきた。同好の人たちが集うことで、土浦の文化風土を再活性化したい」と話す。

具体的な活動としては、土浦市などが主催する写真展の後援、公民館などを使った撮影講座の開催、写真愛好家と写真関連店との交流促進、写真文化を育てるウェブサイトの運営、小規模な写真展を気軽に開ける街中ギャラリーの運営、昔の街並みなどを写した写真の保存(アーカイブ)―などを考えている。

城跡公園の雪の城門

この中でもアーカイブに力を入れる考えで、「明治、大正、昭和の土浦の諸相を記録したような、歴史的な写真を掘り起こし、協会の手で保存したい」と語る。具体的には、旧家などに残されている古い写真を提供してもらい、分類・デジタル化して保存。企画展での公開だけでなく、メディア経由での「土浦の魅力発信」も想定している。

写真文化の振興発展を願い活動

土浦生まれ・土浦育ちのオダギさんは、早稲田大政経学部を卒業した後、商業写真の仕事ほか、写真愛好家を指導する「オダギ塾」の開催、身の回りの風景などを写真で切り取った個展の開催など、多方面で活躍してきた。こういった活動をするうち、土浦の写真文化の衰退が気になり、何とかしなければと思うに至った。

霞ヶ浦の帆引き船

協会の趣意書や規約はすでに作成され、写真塾の多くの卒業生の支持も得ている。また、地元の有力者も加わった理事会メンバーもほぼ固まり、設立準備は最終段階にある。

協会の目的は「土浦市を中心とする写真文化の振興発展を願う活動を行うことにより、土浦市および周辺地域の文化育成と土浦市民および多くの人々の意義ある生涯実現に寄与する」とされている。会費は、写真愛好家など正会員が年2,400円、協会の活動を支援する企業など賛助会員が年5,000円から。(岩田大志)

◆「土浦写真家協会」についての問い合わせはshu@odagi.co.jpまで。

ワクチン接種と社会福祉 《介護教育の現場から》8

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専門学校の授業風景

【コラム・岩松珠美】梅の実や赤しそがスーパーに並び、梅干しや梅シロップを漬ける梅雨に入った。今、コロナワクチン接種が国や自治体主導で進められている。予防接種法及び検疫法の一部改正によって、ワクチン接種は同法の「臨時接種の特例」に位置付けられ、医療従事者に優先接種する形でスタートした。

65歳以上の高齢者については、ワクチン接種の進め方は自治体によってまちまちだが、自治体の大事な施策として実施されている。茨城県では、3~4月に医療従事者接種、4~5月に施設入所高齢者と従業員に接種が進められた。費用は全額国庫負担で、接種を受ける努力義務が生じる。

接種による健康被害については、国が損害賠償することになっている。つくば市、かすみがうら市、土浦市の特別養護老人ホームなどの施設でアルバイトをしている専門学校の学生たちも、介護従事者としてワクチン接種を受け、接種率は6月末までに、1年生で5割、2年生で9割に達している。

その費用は、個人負担だと1回2070円だが、国が負担する。これは、国民の健康と安全を守るのが政治の役割であるという考え方に基づく。

地域性に合った自治体の役割

社会保障制度整備と相まって、社会福祉をどうするかは国の施策の根幹をなしている。憲法第25条で「生存権」が規定され、日本が福祉国家を目指すことを宣言してからである。

国は、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、その他心身の困窮者に対し、金銭給付を講じている。同時に国民1人1人も、社会連帯の精神に立ち、それぞれの能力に応じて社会的義務が求められ、例えば保険料を納付しなければならない。

税金が高くても生活が保障されるならば構わない、という考え方も確かにある。北欧の福祉制度は最高だと言われているが、「高福祉高税金」は国民の合意として成立している。

ワクチン接種に際しても、地域のニーズに応じた良質の福祉・医療サービスを効率的に提供するために、地方自治体がその地域性に合った展開をすることが求められる。(つくばアジア福祉専門学校校長)

こんなに言っているのに改善されない 《続・気軽にSOS》88

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【コラム・浅井和幸】かなり前から、何度も何度も繰り返し言っているのに、何も改善されない。そのように感じる人は多いのではないでしょうか。それは、社会に対してかも知れないし、知り合いに対してかも知れないし、家族に対してかも知れません。ときには、自分に対して感じることもあるかもしれませんね。

「人は変えられない、自分は変えられる」ということを鵜呑(うの)みにする必要はありません。私たちはコミュニケーションをとって相手に影響を与え、相手が変わることも経験しているはずです。批判をすることも悪いことではなく、批判をすることで改善されることだってあるでしょう。

しかし、何度も繰り返し伝えているのに変わらないと感じたときに、どのような手段を今後とっていくか、とらえ直すことは大切なことです。もちろん、同じ手段を重ねることも、黙って相手が変わるのを待つことも一つの手段として有効なことはあります。ですが、多くの場面では、同じ要素が集まれば、同じ結果が表れるのは当然で、結果、同じことが繰り返されます。

例えば、「宿題やれ」とか「もっとまじめに考えろ」とか「お菓子を食べるな」とか「不正をなくせ」とかの言葉を、同じ状況で、同じように繰り返し伝えたところで、そこに集まる要素は変わらないので、材料が同じであれば同じ現象が起こり、改善されません。批判を伝える相手が敵対しているならば、同じ現象が起こるどころか、批判とは反対の方向に進み、事態は悪化します。

足りない何かを足すことが必要

もし、同じ言動を繰り返しても変わらないのであれば、そして変えたいと思うのであれば、足りない何かを足す必要があります。それが、その相手と味方の関係になることなのか、むしろその相手は無視して自分が行動してしまうのか、別の批判の仕方をするのか、足りない何かを探し試します。足りない何かは、自分がすべて背負う必要はなく、他の誰か志を共有できる誰かに動いてもらってもよいかもしれません。

また、言動を変えるということで言えば、批判をやめるということでプラスに転じることがあります。学校に行けと言わなくなることで登校できるようになったり、お互いの短所を言い合うことをやめることで、連携して物事を解決できるようになったりする例はたくさんあります。「廊下は危ないから走るな」よりも「廊下は静かに歩いた方が安全だよ」と伝えたほうがよいことがあります。

私が相談を受けてアドバイスをするときに、「来年も落第したら、もう大学をやめてもらうからな」というよりも、「あと3年は大学の費用を出す協力はできるからな」と伝えるようにとアドバイスをする場面が多くあります。「ある何かができないと、悪い未来が待っているからな」と伝え、その後に続く「だから、そうならないように頑張れよ」という言葉を端折(はしょ)ってしまうと、不安をさらに上乗せしてしまいますので、お気を付けください。(精神保健福祉士)

県産材の販路拡大期待 11、18日に森林湖沼環境税実績報告会

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夏景色の霞ケ浦=土浦市大岩田
霞ケ浦の夏景色=土浦市大岩田

茨城県による「森林湖沼環境税ー活用事業に係る実績報告会」が11日と18日、オンラインで開催される。

特に最近は、コロナ禍と働き方改革の浸透などから木材需要が高まり、県は、県産材木の販路拡大が期待される中高層や大規模建築物分野にターゲットを絞り、実際に施工した木造マンションの建材調達の方法などについて、関係者にヒヤリングを行っているという。

一方、霞ケ浦の水質浄化では、「泳げる霞ケ浦」「遊べる河川」を目指し、できる限り早期に湖水の全水域平均値でCOD(化学的酸素要求量)を1リットル当たり5ミリグラム前半の水質を目指す目標を掲げている。

中でも生活排水対策は税導入時の2008年度から積極的に取り組み、19年度までの12年間で約1万基の高度処理型浄化槽の設置補助、約7000件の下水道への接続など実績を挙げてきた。

さらに4月1日からは県霞ケ浦水質保全条例など関係条例、法令の改正に伴い、流域に立地する飲食店やコンビニなど小規模事業所の排水規制に乗り出しており、新たに罰則規定も盛り込まれていることから、期成基準の順守が期待されている。

森林湖沼環境税は、県内の豊かな森林資源の保全や霞ケ浦など湖沼の水質浄化対策を進め、良好な自然環境を次世代へ引き継ぐため導入され、2008年度から同税を活用した各種施策に取り組んでいる。

オンライン開催による実績報告会の内容は、年間約17億円(県民1人当たり年間1000円)の森林湖沼環境税を活用した事業実績を報告し、意見交換などをする。(山崎実)

◆詳しくは県環境対策課水環境室(電話029ー301ー2968)

外国語を学ぶコツ① 《ことばのおはなし》35

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コラム・山口絹記】今年になってから、本格的にドイツ語の学習を始めた。言語学を学んでいると言うと、様々な言語に明るいと思われがちだが、言語学というのは母語以外の言語を学ぶ学問ではない。私もある程度扱えるのは母語である日本語と英語、米語のみで、辞書があればある程度スペイン語を読み書き発音できる程度だ。

「またどうしてドイツ語を?」と訊かれるのだが、残念ながら自分でも理由をうまく説明できない。親の影響で小さいころから目や耳にすることが多かったから。大好きな本を原書で読みたいから。本当は学んでみたかったのに、第2外国語の履修でスペイン語に逃げたから。一度は逃げたのに何度も何度も目の前にきっかけが現れるから。

詳しく書き始めると自分語りの連載になってしまうので今は避けることにするが、私の中でwant(欲求)がwill(強い意思)になり、いつしかbe going to(決定された未来)になっていくには、多くの欲求と、やってもないのに諦めた経験が必要ということがここ数年わかってきた。経験上、もう逃げるべきでないことがわかってしまう。

こうして始めた何かは、いつか自分自身の核なるものに近づく一つの要素になっていく。

心を無にして徹底的に丸暗記

さて、自分語りはこのあたりにして、言語を研究している者として外国語を学ぶちょっとしたコツについて、しばらく書いていこうと思う(本コラムのタイトルに引かれた方はコレが気になるはずだ)。

外国語を学ぶというのは意外と簡単なのだ。まずは心を無にして徹底的に丸暗記すること。目的にもよるが、市販されている単語帳などを使って、せいぜい8000単語程度例文ごと覚えれば、おそらくスタートラインに立てる。なんだかんだコレが一番近道だ。

学習にあたっては可能な限り正確な発音を発話しながら学ぶこと。読み書きしかしないから発音は必要ないと思うかもしれないが、それは違う。ノドが痛くなるくらいには発音しておこう。

それから、できることなら1日3時間、できれば5時間ほど学習に時間をあてること。そうすれば1年ほどでカタチができてくる。正直、1日1時間では厳しい。日本人が高校まで英語を学んでも英語ができるようにならない、などという話はよく耳にするが、当然だ。学習量が足らないだけである。

そして、資金は惜しまず投入しよう。おすすめの書籍や辞書などを人に教えてもらうのではなく、自分なりにおすすめを語れるくらいになる必要がある。

楽な方法など存在しない

最後に、「日常会話レベル」というのが最高レベルだということを覚えておこう。英語で言うならば、TOEICで900点をとっても英語の小説が読めない、などというのはざらだ。

そんなの無理、と思うならば、今はまだ言語学習に対する意欲が足りていないのかもしれない。残酷な事実として、言語学習を始めとしてあらゆることに楽な方法など存在しないのだ。次回から、少し詳細なおはなしをしてみようと思う。(言語研究者)

地磁気観測所移転問題が再燃 県、対国交渉へ

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地磁気観測所=石岡市柿岡

一時は絶望視されていた気象庁地磁気観測所(石岡市柿岡)の移転問題が、再燃を見せ始めている。県議会第2回定例会(6月1-18日)でも議題に上り、大井川和彦知事は改めて対国交渉に取り組んでいく姿勢を表明した。

観測所は、東京での市内電車(直流電車)の開通に伴う観測業務への影響を考慮し、1913(大正2)年に柿岡に移転した。施設の半径35キロ圏内では直流電化が制限されるため、1985年にいわゆる常磐新線(現在のつくばエクスプレス)の整備が位置付けられた際にも、導入車両の電化方式や関連施設整備の面で大きな障害となっていた。

このため、県は1982年に新線整備計画の検討に合わせ、有識者などで構成する「地磁気観測所問題研究会」を設置し、学術、技術的な検討を加え、不可能とされていた施設移転に関し、一部機能については(施設移転が)可能であることなどを報告書として提示した。

これを受け、1984年には県、市町村、商工団体などによる「地磁気観測所移転促進協議会」を発足させ、官民一体となり気象庁などに働き掛けを行った。しかし移転費用の負担問題などから、1994年頃に働き掛けを事実上断念した。協議会の活動も、自然消滅の状態を余儀なくされた。

しかし大井川知事はあきらめきれない様子で、第2回定例会の答弁で、TX(つくばエクスプレス)が本県発展の重要なファクターであることを強調しながら、東京延伸だけでなく、県内延伸、さらには都心と県西地域を結ぶ地下鉄8号線の県内延伸など、東京方面との相互乗り入れの課題になっていると指摘した。

一昨年の2019年、知事自ら気象庁に移転の申し入れを行った。気象庁は直流電流による観測ノイズの除去方法などについて検証したが、昨年、これまで通り、「移転は困難」との見解が示されたという。

そこで県は「そもそもこの施設は国が東京から移転を進めたものであり、国の責任において県外へ移転を進めるか、出来ないのなら地元への補償を行うべき」との新しい視点から▽施設を早期に、県外へ移転すること▽交流直流両用方式車両の導入に伴う車両整備費などの十分な補償を行うーなどを主な骨子とする要望を改めて提示することにした。

県交通政策課は「一度は消滅しかけた政策課題だが、鉄道ネットワークの形成と確立は茨城県の発展に重要であり、要望による対国交渉など、新たな活動に踏み出したい」としている。(山崎実)

拡張現実下のまつりつくば8月開催 やらないパレードもスマホで見せる

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2019年の「まつりつくば」おはやしパレードの様子

つくば市きっての夏祭り「まつりつくば」は今年、8月7日から31日のロングラン開催となる。新型コロナ対策から、土浦学園線でのねぶた大パレードや、センター広場でのステージイベント、飲食の出店などは実施しない。その代わり、最新のデジタル技術を駆使するなどして、つくばらしい夏祭りの新スタイルを提案する。

つくば市とまつりつくば実行委員会が主催し、毎年8月下旬に約45万人が参加する一大フェスティバルも、昨年はコロナ禍から中止となった。市観光推進課は「2年連続で中止とするのではなく、新型コロナの影響下でも、市民が楽しみ、華やかな気持ちになれるような機会を提供できるように、新しい形でまつりつくばを開催する」と話す。

今回、導入されるAR(Augmented Reality、拡張現実)技術は、スマートフォンの画面越しに、ナビゲーションや3Dデータを現実世界に重ねて出現させることが出来る。つくばセンター広場や土浦学園線で、指定のQRコードを読み込むと、スマホ画面を通して、実在の風景にねぶたやみこしが重なって表示される。まつりつくばのにぎわいが繰り広げられているかのようなバーチャル世界が手軽に体験できるという。

コロナ禍であっても祭りを楽しむための工夫で、アプリなどのインストールは不要。市によると「QRコードが記載されたチラシを全戸配布する。そのQRコードをスマホで読み取ってもらうと、これまで祭りで演出されてきたようなものや演出がARで再現される仕組み」だという。

具体的には「ねぶたやみこし、花火の表示を想定している。例年通りとはいかないが、祭りの雰囲気が感じられるものを用意する。例えば、センター広場や土浦学園線で見ていただければ、これまでのパレードを再現できるような形」だという。さらに「自宅で花火の演出を見ていただくような形」も想定し準備している。

ねぶたパレードで盛り上がった2019年夏の「まつりつくば」

つくばセンター広場を中心に提灯や行灯による空間演出など、お祭りならではの雰囲気を盛り上げる計画もある。

ほかにも、オンラインステージやデジタルスタンプラリーが新たに導入される。オンラインステージでは、おはやしやよさこいパフォーマンスをインターネット上で生中継したり、過去のまつりつくばの映像のオンライン配信が行われる。

デジタルスタンプラリーでは、市内の参加店舗(現在、店舗数は未定)で電子スタンプを集めた人を対象に抽選で賞品をプレゼントする。(山口和紀)

詳細については決定次第「まつりつくば」ホームページで随時発表される。まつりつくばオフィシャルサイトはこちら

2年ぶり 制作意欲倍加で150点 ムサビ卒業生ら県つくば美術館で支部展

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県つくば美術館で始まった武蔵野美術大学校友会茨城支部展=つくば市吾妻

武蔵野美術大学(ムサビ、東京都小平市)の卒業生らでつくる校友会の第18回茨城支部展が県つくば美術館(つくば市吾妻)で始まった。7月4日まで、会員30人の絵画など、作品150点が展示されている。

校友会顧問、沼尻正芳さん(70)によると、支部展はこれまで同美術館の第1スペースだけを使い、展示数は80点程度だったという。しかし、新型コロナ感染拡大の影響で中止になった昨年の分も挽回しようと今年は第1、第2両スペースを使い、例年の倍近い150点の展示になった。

展示されているのは、技法も油絵や水彩画、墨絵など絵画を始め、張り子人形や刺繍バッグ、藍染めスカーフなどさまざま。絵画は100号の大作もあれば、ハガキサイズの小さな作品も。沼尻さんは、「150点という数は見応えがある。ジャンルにとらわれない展示なので楽しんでいただければ」と語った。

故・繪畑浩二さん作品「猫の集会」

特別展示として昨年他界した会員、繪畑浩二さんの作品の展示コーナーもある。8点の展示のひとつ、「猫の集会」は、温かみのある表情で色鮮やかな6体の張り子の猫たち。来館者らから「かわいい」という声が上がっていた。

会場を訪れていた鈴木亮寛さん(76)はつくばみらい市田村にある華蔵院の住職。寺に所蔵している江戸時代の阿弥陀如来像を、沼尻さんに半年かけて描いてもらったという。「100号サイズで迫力がある。後光が差しているような姿に感動した」と見入っていた。

沼尻さんが描いた華蔵院の阿弥陀如来像に見入る来場者

同支部は、武蔵野美術大学と前身の帝国美術学校や武蔵野美術学校、短期大学、大学院などを卒業した茨城県出身者、在住者ら約80人が在籍している。大学卒業後も美術家として活動している人をはじめ、主婦、会社員や元教員などで、50代から70代が多いという。

支部展のほか、会員以外も参加できるクロッキー会やデッサン会などを牛久など県内で年3回ほど開催、地域住民とともに文化活動を創ることにも努めている。(伊藤悦子)

◇会期は4日まで。入場無料。午前9時30分~午後5時。最終日は午後3時で終了。

江戸時代の「酒」 《県南の食生活》26

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【コラム・古家晴美】前回、江戸前期に著された『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』(1697年)に記されていた、日本酒で作る「梅酒」について取り上げた。その後、江戸中期の類書『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(1712年)に基づき復元醸造された酒を入手し、飲んでみた。せっかくの機会なので、今回は「酒」つながりで、江戸の酒について述べることにしたい。

島根県の若林酒造が醸した「寛文の雫(かんぶんのしづく)」は、アルコール度14%、酸度4.4ミリリットル、アミノ酸度7.1ミリリットル、精米歩合90%、日本酒度(甘さと辛さを示す指標、マイナスになるほど甘くなる)マイナス78、酵母 生酛(きもと)―とラベルに記載されている。正直なところ、お酒というよりも味醂(みりん)に近い甘さだ。

現代の日本酒は、アルコール度数が大体16%、酸度1.5ミリリットル、アミノ酸度1.2ミリリットル、精米歩合70%前後、糖分4%―。日本酒度に関していえば、最近の超辛口がプラス25、大甘口がマイナス60というから、マイナス78がいかに甘いかがわかる。ちなみに、手元のプリズム式の糖度計で糖度を量ったところ、現代の某醸造元の甘口酒が11、超辛口が9、またウイスキーが14.5だったのに対し、「寛文の雫」は23.5であった(値が大きいほど糖度が高い)。

また、醸造学の小泉武夫氏によれば、江戸前期の『本朝食鑑』を復元した酒は、アルコール度数が17度で、酸度7本朝食鑑、アミノ酸度6本朝食鑑、糖分16%と、現代の酒の糖分の4倍だ。味が濃く、味醂のようにとろりとした酒で、「あんなに味の濃い酒、飲めるはずない」「酒に水増ししたものも結構、出回っていたのではないか」とのことだ。

酒の甘辛は世相を映す鏡

そもそも、少量の酒でも満足できる甘口の酒が好まれるのは、乱世や不景気、米不足の世で、飲み飽きない辛口は太平の世に好まれるとの説がある。

江戸後期になると、臼と杵(きね)の足踏み精米から水車精米へと移行し、高精白米が実現し、灘の辛口酒が人気を博す。1877~1990年の市販酒の平均値を示した資料によれば、明治は超辛口、大正はやや甘口、昭和は甘口。ところが昭和60年代以降は、肉食・油消費の増大により、さっぱりした辛口志向だそうだ。

さらに、小泉氏は『延喜式(えんぎしき)』にある古代の天皇や高官が嗜(たしな)む上級酒を再現した。アルコール度数は3%と低いが、酸度7ミリリットル、アミノ酸度9ミリリットル、糖分34%―。江戸の酒よりもさらに甘かった。しかし、このころの大甘口の酒は特権階級の飲みものであった。はちみつや大陸からもたらされた麦芽糖など、甘いものにアプローチできるのは、限られた人々だけだったのだ。下級官吏には、辛口の酒が給与の一部として現物支給されていた。

「たかが酒、されど酒」の甘辛について取り上げた。技術の発達も大きな影響を及ぼすが、味は時々の世相を映し出す鏡である同時に、時代の社会構造がそこに凝縮されているのだと考える。(筑波学院大学教授)

物材機構、製薬11社と共同研究スタート 世界に通じる標準化を目指す

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オープンラボが設置されるつくば(並木地区)の研究施設=物質・材料研究機構提供

物質・材料研究機構(NIMS、つくば市千現)が製薬企業11社とともに発足させたマテリアルズオープンプラットフォーム(MOP)が25日、医薬品に関する共同研究を開始した。参加企業はアステラス製薬、エーザイ、沢井製薬、塩野義製薬、第一三共、大鵬薬品工業、武田薬品工業、田辺三菱製薬、中外製薬工業、東和薬品、日本新薬。医薬品開発に関わる候補化合物の物性評価と製剤開発に関わる共同研究を企業の壁を越えて進め、研究開発の基盤力強化、開発技術の共有、開発手法の標準化を目指す。

MOPは産官学連携の新しい枠組みで、研究所と企業の個別な関係を各者の水平な連携に広げて構築し、国際競争力強化を図る。各企業が自前主義の発想から脱却し、保有技術を結集して共同で基礎技術力を磨くことが必須と考えられることから、NIMSが中心になってプラットフォームをまとめた。NIMS機能性材料研究拠点医療応用ソフトマターグループの川上亘作グループリーダーがプラットフォーム長を務める。

従来の医薬品は低分子化合物が中心だったが、近年は抗体、核酸、細胞など用いる材料が多様化しており、製薬企業には柔軟な対応力が求められている。新しい材料による医薬品は疾患予防や治療の可能性を大きく広げており、例えば新型コロナワクチンはm(メッセンジャー)RNA 技術によって開発されている。

国内製薬企業は、海外の大手製薬企業と比べると人員規模において大きく劣るのに加え、経営の効率化で研究所の部分分社化なども進み、新しい基礎技術の開発が難しくなっている。一方で、核酸医薬などの比較的歴史の浅い治療法においては評価手法が確定しておらず、その開発と標準化が急務となっていた。

つくば・並木地区にオープンラボ

当面の研究テーマは、①抗体医薬の分析法確立②抗体医薬の製剤化技術の開発③核酸医薬の物性評価法確立④低分子薬物の消化管吸収メカニズムの解明⑤非晶質医薬品の安定化⑥イオン液体の製剤利用-の6つをあげている。参加企業の約100人の研究者と共同研究を行い、国内製薬企業の物性評価・製剤開発に関する基礎技術力の向上と、製薬における開発手法において世界に通じる標準化を目指すという。

共同研究はコロナ禍で急速に普及したオンライン会議技術を利用することによって、企業間、研究グループ間の情報共有を頻繁に行って進める。また参加企業の研究者はNIMSが所有する最先端機器も利用でき、つくば(並木地区)に開設するオープンラボは、参加者が自由に出入りできる予定という。(如月啓)

「神様」寺内タケシを「伝説」の音職人がしのぶ 土浦三高下で追悼の夕べ

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「音屋セミナー」で寺内タケシさんを語る行方洋一さん=ノーチラスカフェ

18日に亡くなった「エレキの神様」、寺内タケシさんの葬儀・告別式が横浜市で営まれた26日、出身地の土浦で、ひそやかに、そして大きな音のロックンロールで故人をしのぶ追悼コンサートが催された。

在りし日の寺内タケシさん=実弟の寺内正夫さん提供

会場は阿見町のノーチラスカフェ(山本哲夫さん経営)。寺内さんの出身校である県立土浦三高(土浦市大岩田)が見下ろす道路沿いにあるコーヒーとジャズの店。近くに住む音響エンジニアの行方洋一さん(78)が2018年9月から、貴重な音源を持参して「音屋セミナー」を開いている。

セミナー19回目の26日は「シンフォニーオーケストラ」がテーマで、マーラーの交響楽などによるプログラムを用意していたが、急きょ前半部を「寺内タケシさん追悼の夕べ」に差し替えた。

亡くなった寺内さんは1939年生まれだから没年は82歳、行方さんとは4つ違い。1960年代、激動の音楽シーンを共に駆け抜けた世代だ。

出会いは自動車学校

「実は出会いからしておかしくってねえ」。行方さんが20歳のとき、やはり三高近くの阿見町にある県の自動車学校へ免許取得に行った。いわゆる「一発試験」、そのときが初対面で「2人とも、学科は受かったのだけど実技で落ちてね。印象に残った」。

このころから寺内さんは有名人、土浦ではことに「やんちゃ」ぶりが知られていた。父親の寺内竜太郎さんは市議会議長を務めた親分肌の政治家だったが、タケシさんには手を焼き、三高に入学させると、当時の真船始校長の自宅に寄宿させたというエピソードがある。この真船校長宅が、行方さんの自宅と通り1本をはさむだけのご近所だった。

東京に通う常磐線で乗り合わせるようになると、「お前は何をやってるんだ」と聞かれ、東芝音楽工業(後の東芝EMI)に勤めるレコーディングエンジニアだと明かした。寺内さんはキングレコード専属だったが、構わず「俺の音を録(と)ってくれ」という話に発展した。

1965年ごろ、東芝には専用のスタジオがなく、博報堂が麹町(東京・千代田区)にもっていたスタジオを借りていた。ここに寺内さんは自身のバンド「ブルージーンズ」と、後にグループサウンズブームをけん引することになる「ブルーコメッツ」を率いて乗り込んできた。ボーカルは内田裕也と尾藤イサオの2人だった。

行方さんによれば「アンプを利かせて38センチの大径ウーハー(スピーカー)4つを鳴らすんだけど、動き出しちゃうからバンドの坊やを上に乗っけて重石にして演奏するわけ。スタジオは2階にあったから1階でナレーションを録っていたDJがクレームつけてきてね、仕方がないから今日はもう帰ってくれって」。

一発録りのよき時代

皆が「やんちゃ」してた。日本のロックンロール創成期。セミナーでは2バンド、ツインボーカルの「ツイストアンドシャウト」や「青い渚をぶっとばせ」など、行方さん録音の楽曲を6曲ほどかけた。

2人の共同作業はこの時期だけ。「いわゆる一発録りで、エフェクター(装置)も多重録音(技術)もなかった。寺内さんのアドリブ(即興演奏)が入ってくると、ちょっとした癖があって、その音を拾う。下手なボーカルだなあ、なんて考えてることまで分かった」

寺内さんはこの後、「レッツゴー運命」で1967年日本レコード大賞編曲賞、母校の土浦三高を訪ねて始めた「ハイスクールコンサート」で活動の幅を広げていく。行方さんも坂本九「見上げてごらん夜の星を」や欧陽菲菲「雨の御堂筋」などのヒット曲を数多く手掛けたほか、クラシック曲の録音などでも高く評価された。一線を退いても「伝説の音職人」と呼ばれるほどの存在で、今日でも後進の指導に当たっている。「お互い一番いい時期に仕事ができてよかったと思っている」と懐かしむ行方さんだった。(相澤冬樹)

7月5日に聖火リレー 土浦、つくばの夕暮れ時を走る

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土浦市役所周辺に張り出される交通規制案内

7月23日の東京オリンピック開会に向けて、聖火リレーが4日、5日に茨城県内を走る。県内16市町を176人のランナーが巡る。土浦、つくば両市に入るのは2日目の5日、夕暮れどきとなる。

土浦市では、市内出身の柔道家で、2009年世界選手権金メダリストの福見友子さんら13人が走者を務める。県立土浦一高(同市真鍋)旧本館前を午後5時40分にスタートし、亀城公園を経由、約30分かけて土浦駅前の市役所(同市大和町)を目指す。

つくば市の走者は、宇宙飛行士の毛利衛さん、野口聡一さんら21人。午後7時5分にノバホール(同市吾妻)前吾妻セントラル歩道橋をスタートし、センター地区を周回、県内最終地点となるTX研究学園駅前公園(同市学園南)を目指す。駅前公園では、各日最終聖火ランナーの到着時に、聖火を聖火皿へ点火する式典が予定されている。到着式の観覧には事前申し込みが必要で、21日に締め切られている。

つくば市の聖火リレースタート地点 吾妻セントラル歩道橋付近

東京2020聖火リレーメディア事務局によると、新型コロナウイルス感染防止の観点から、沿道観覧の混雑を避けるため、各ランナーの走行区間は各走者がスタートする30分前まで非公表となっている。

大井川知事は23日の定例会見で、公道での聖火リレー開催について、今後感染が急拡大する可能性もあるとし、状況に応じて臨機応変な方針変更をすると話した。現段階では密にならないよう対策をとるとした。

リレーは3月25日に福島県からスタート、茨城県は45番目。4日に鹿嶋市の鹿島神宮をスタートし、袋田の滝や竜神大吊橋、霞ケ浦などの名所を走り、聖火をつなぐ。ライブ中継は、NHKの特設サイトで観覧できる。(柴田大輔)