月曜日, 12月 29, 2025
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県営の洞峰公園、つくば市が買い取ったら?《吾妻カガミ》134

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グランピング施設などが計画されている洞峰公園野球場=つくば市二の宮

【コラム・坂本栄】茨城県が改修しようとしている県営・洞峰公園(つくば市二の宮)。つくば市は了解したのだと思い、改修を進めようとしたら、市民から計画の目玉と進め方に疑問の声が。当然、市は市民の側に立ち、県と市はバトル状態に。いっそ、市が公園を県から買い取り、市民に現状のまま利用してもらったら?

県と市のバトルに市民運動が参入

県の改修計画のあらましは「…4社グループに決定…洞峰公園の整備事業…」(2021年11月30日掲載)に出ています。学園都市にふさわしい、レクリエーションも楽しめる、にぎわいを創り出すエリアにする―という考え方で、野球場をつぶし民営のグランピング(宿泊用具が備わった豪華テント)や、バーベキュー施設を設けるのが目玉です。

県の内外からたくさんの人に来てもらい、おカネを落としてもらうだけでなく、公園運営に民間会社も加わってもらい、その上がりを公園管理費の足しにしようという、大井川知事らしいアイデアです。県の魅力度アップ作戦の一環でしょう。

この計画に対し、そんなものは要らないとの声が市民の間から上がりました。自然公園の形が壊され、宿泊者の騒音・酒・たばこ、バーベキューの煙・臭いは迷惑だ、と。市側の懸念は「26項目で(市と県が)やりとり」(5月4日掲載)に詳しく出ています。市民運動も起き、2000人を超える署名を集め、県の計画策定作業に参加したいと言っています。そのいきさつは「県に協議の場設置を要望…」(5月13日掲載)をご覧ください。

県営公園は合併前の谷田部に開園

県にとって、洞峰公園改修は、水戸偕楽園改修(現在策定中)、大洗水族館改修(知事はジンベエザメに執心)、石岡フラワーパーク改修(昨春完了)と同じ、観光振興策です(小粒ではありますが)。市の懸念に配慮し、「騒音、酒、タバコ、煙、臭い」に極力対処することはあっても、改修そのものにはこだわるでしょう。

そこで提案。公園管理費を減らしたい県の立場を考え(魅力度アップの方は勘弁してもらい)、同時に市民の疑問や反対に応えるためにも、洞峰公園を買い取って市営にするのも一案です。

洞峰公園が1980年に開園したとき、つくば市はありませんでした。谷田部町、豊里町、大穂町、桜村が合併して生まれたのは1987年ですから、場所は谷田部町でした。事情通によると、学園都市にふさわしい公園が必要と考えた県が、町の財政力では無理と考え、代わりに造ったそうです。それから42年。市が管理するのは自然ではないでしょうか。

洞峰公園は20ヘクタール、総合運動公園用地が45ヘクタール。運動公園は66億円ですから、土地単価が仮に同じとすると、洞峰公園は29億円になります。これをどれだけ下げてもらうかは、市の交渉力にかかってきます。市と県のバトルが続くことは好ましくありません。それは市と県の関係の泥沼化を意味するからです。(経済ジャーナリスト)

350人が苗木1000本を植樹 筑波山神社林で2年半ぶり

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石村理事長(左から2人目)を囲む留学生グループ=筑波山神社林

世界環境デーの5日、筑波山神社(つくば市筑波、上野貞茂宮司)では、NPO法人地球の緑を育てる会(事務局・つくばみらい市、石村章子理事長)による第16回筑波山水源の森づくりが約350人の参加で行われた。インドネシアなどからの留学生も参加、安全祈願の神事に頭を垂れた後、山中の神社林に向かいスダジイやタブノキ、コナラなど落葉・常緑の広葉樹10種、約1000本の苗木を植えた。

2006年に始まった植林活動で、毎年定期的に行われてきたが、コロナ禍で中断し、19年10月以来約2年半ぶりの開催となった。協賛企業や明るい社会づくり筑浦協議会、土浦ライオンズクラブなどの関係団体、市民ら約350人が参加。神社随神門前で開会式を行った後、女体山に向かう登山道脇の神社林に入り、約1時間ほど作業した。

植樹の前に行われた安全祈願の神事=筑波山神社随神門前

筑波山神社は 375 ヘクタールもの広大な神社林を有するが、戦後植えられたスギ、ヒノキ、マツの針葉樹林が多くを占め、間伐などの管理不全のまま荒廃している部分が目立っていた。土壌を豊かにし、保水力のある「水源の森」にするには広葉樹が最適という。

苗木の広葉樹は、育てる会の石村理事長らが自前の圃場でドングリなどから育ててきたもの。中断の間に大きく育ち過ぎてしまい、搬入が難しくなるなどして処分した苗木もあったが、この日は高さ50ー70センチほどにそろえたポット苗1000鉢が持ち込まれた。

世界環境デーに国際色豊か

今回植林する約500平方メートルの山の斜面は事前に間伐が施され、日光が差し込むようになった。間伐材で足場となる土止めを組むなど、事務局による準備が整えられた。石村理事長によれば「準備期間中、本当に開催できるか不安でしょうがなかった。そしたら5日が世界環境デーだと昨日(4日)知った。これも巡り合わせ。ぐずつき気味だったお天気もよくなって、神様の山だけありますね」と感慨深げ。

「1人3本の木を植えてもらいます。森になります」などとの指導で、筑波大学のインドネシア留学生グループを中心にトルコやイラン、中国などの若者たちも31人が参加、植林の列に加わった。

東京農工大学連携大学院のある茨城大学農学部(阿見町)で学ぶイグデ・カルタ・サトリアウィバウさんは、来日3年で筑波山には4回も登っている大の山好き。「何が感動したって、こんなに多くの人が木を植えるために山に登ってくる。インドネシアに持ち帰って是非やってみたいと思った」

レザ・アリエスカさんは筑波大学農林学系で学ぶ。国では森林学を専攻していた。「赤道直下のインドネシアだけど気温は年中25℃で一定しているから、30℃以上になる日本の夏は暑いと思う。だからここのフォレスト(森)はいい。今日は最高のコンデション、気持ちよかった」。参加を呼び掛けたトルコやイランからの留学生仲間にも喜ばれていた。(相澤冬樹)

優れた卒業作品など一堂に 筑波大芸術系 3年ぶりCONNECT展

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CONNECT展の様子=つくば市二の宮、スタジオ‘S

筑波大学で芸術を学んだ学生らの2021年度卒業・修了研究の中から特に優れた作品と論文を展示する「CONNECT(コネクト)展Ⅵ」が5日、つくば市二の宮のスタジオ’Sで開幕した。2016年から毎年開催していたが一昨年と去年はコロナ禍で中止しており、3年ぶり6回目の開催となる。

同大は芸術専門学群の卒業研究と、大学院博士前期課程芸術専攻および芸術学学位プログラムの修了研究の中から、特に優れた作品と論文に筑波大学芸術賞を授与している。また同窓会「茗渓会」が茗渓会賞を授与している。会場では受賞作品と論文を展示しているほか、優秀な研究を紹介している。

版画や立体造形、印影など6人の6作品を展示し、30人の卒業・修了論文をタペストリー展示で紹介している。

展示されている6作品は、芸術賞を受賞した有賀睦さんの「眼差しa」「眼差しb」、影山亜美さんの「八百万の神」、茗渓会賞を授賞した最上健さんの「進化と朽滅」など。いずれも同大のアート・コレクションに新しく収蔵されるという。

ほかに、茗渓会賞を受賞した大森春歌さんの「子ども向け造形ワークショップの運営と今後の展望―8つの事例を比較・分析して」など3つの論文が、製本された状態で手に取って読めるよう展示されている。

スタジオ’S担当コーディネーターの浅野恵さんは「3年ぶりの開催。2月から3月に県つくば美術館で開催された卒業・修了制作展の内容を凝縮した展示となっている。学生さんたちの研究の成果、学生生活の集大成を多くの人に見てほしい」と話す。

展覧会は関彰商事と筑波大学芸術系が主催する。両者は2016年から連携し「CONNECT- 関(かかわる)・ 繋(つながる)・ 波(はきゅうする)」というコンセプトを掲げ、芸術活動を支援する協働プロジェクトを企画運営している。 (田中めぐみ)

◆会期は5日(日)~16日(木)。開館時間は午前10時から午後5時。入場無料。

夫への依存心を解き整体院開業 つくば市 石井みちよさん【ウーマン】2

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もむらく整体院で施術する石井さん=つくば市大角豆

日常会話がなく気持ちを共有できない夫と離婚を考えた石井みちよさん(53)=つくば市大角豆=は、経済的理由から踏み切れずに苦しみ、呼吸困難で救急搬送されたりもした。その後、思いのたけをブログにつづることで凍った心が解け始め、経済的自立に向けて昨年10月、「もむらく整体院」を開業した。

夫は研究者。31歳で結婚し、横浜市と同市並木の公務員宿舎で暮らしてきた。結婚から3年、一人娘が誕生したころから傷つくことが多くなった。

夫は娘には関心を示したが、みちよさんとは必要最低限の会話だけで食事中はテレビに釘付け。ある日、夕食後に自室にこもって研究のためにパソコンを打つ夫の背に声をかけると、邪魔だと言わんばかりに「シッ、シッ」と手で追い払われた。

無視されることが辛くて心が休まらず、いつも頭の中は「離婚」でいっぱいだった。離婚後の生活を支えるために時給の高い訪問ヘルパーの職を選んで働き始めたが、計画通りに収入を得るのは難しかった。

スペース田楽の玄関に立つ石井さん

夫の仕打ちはなぜなのか、自分に原因があるのかと本で調べたことがある。話し合いが苦手、家族との時間より仕事に没頭する、みちよさんの気持ちが理解できないなど、夫の症状は発達障害の一つ、アスペルガー症候群の傾向がある状態だと分かった。が、夫を受け入れる気にはなれなかった。

5年前、並木の公務員宿舎にほど近い大角豆地区の集落に建つ店舗付き中古住宅を購入した。「庭が広く、店舗部分で何か楽しいことができそう」と想像がふくらんだ。夫の反対はなかった。

新居購入当時も夫と顔を合わせる休日は気分が落ち込むなど、不穏な毎日で不眠に悩んでいた。そこに新居のリフォームと中学2年の娘の登校行き渋りのストレスが重なった。息ができなくなって救急病院に搬送され、その後は心療内科で処方された精神安定剤を飲むようになった。ホームヘルパーの仕事は辞めた。

落ち着きを取り戻すとブログを開設し、3日に1度の頻度で夫との葛藤をつづった。書くことでいやされ、客観的に自分を見ることができるようになった。「初めは主人への雑言でしたが、次第に都合の悪いことは隠そうとする身勝手さに気づき、(私に)苦手なことを要求された夫も被害者だったと思うようになりました」

そして「お金の苦労を知らず、結婚すれば楽に暮らせると思っていたのは間違いだった。夫に依存せず、経済的に自立しよう」と心が定まった。

新居の店舗部分に整体院を開業する青写真を描き、東京・世田谷の整体学校で基本的な施術を学んだ。さらに東洋医学のエビデンス(治療法の根拠)に基づき施術する、東京・神楽坂のアラウンドセラピーのスタジオに通って「ボディケアセラピスト」の資格を取得した。

準備が整い、昨年10月「もむらく整体院」を開業した。リフォームを施した広さ約70平方メートルの空間の和室が整体院で、洋室はレンタルスペース「スペース田楽」として貸し出している。もむらく整体院の施術対象は女性のみで、全身フルコースは1日1人限定。

発達障害などで共感性に乏しいパートナーにストレスをため、体調を崩したり、精神疾患にかかる状態を「カサンドラ症候群」という。みちよさんは、自分と同じように夫との関係に悩む人に寄り添い、前向きになるための「カサンドラ自助会つくば~エトワール」を主宰。毎月会員がスペース田楽に集っている。

中学で登校をしぶった愛娘は今春県外の大学に入学して1人暮らしを始めた。みちよさんは「主人と2人だけなら振り出しに戻ったかも。今はスペース田楽に来てくださる人や仲間がいて、穏やかな毎日を送っています」とした上で、「整体院の収益を上げていきたい」と明るく前を向く。(橋立多美)

◆もむらく整体院(つくば市大角豆1340)やスペース田楽のブログはこちら、利用はこちらから。

悪いものを取り除くと良くなるか? 《続・気軽にSOS》110

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【コラム・浅井和幸】かなり昔の学園ドラマで、「腐ったミカンがあるとその箱の中の他のミカンも腐るから早めに取り除かなければいけない」というニュアンスのセリフがありました。主人公の先生は「〇〇(生徒の名前)は腐ったミカンじゃない」と突っぱねていたような気がします。

ネットで検索したら、もう40年以上前のドラマのようですね。いやはや、よく覚えていないわけだ。

さて、実際問題ではいかがでしょうか。やはり、職場などで問題を起こす人物にやきもきさせられ、どうやって辞めさせようかと考えている人も少なくないでしょう。

確かに問題を起こす1人を辞めさせると、一気にチームのパフォーマンスが上がりより良い職場になっていくということもあり得ることです。しかし、1人を変えても、また別の人材が足手まといに感じて、悪口の対象になる人間関係というのは少なからずあるものです。

その腐ったミカン・ポジションの人を排除しても、また別の腐ったミカンが現れる。そう感じたときは、実はその場自体に腐ったミカンを作りだすメカニズムができている可能性があります。

どんなに優秀な人が集まった大学でも職場でも、必ず落ちこぼれは出るものです。「経済学者のヴィルフレド・パレート」とか、「パレートの法則」とか、「80:20の法則」とか、「2:6:2の法則」などで検索してみると、面白い情報が出てきますよ。

くず材料でおいしいラーメンを作る

優秀か優秀じゃないかという一つだけの定規、もしくは自分の好き嫌いの判断で、嫌いなものを取り除くことが、結果、自分の望まない方向にその場を動かしてしまうこともあります。そもそも、その「悪いもの」を排除することが難しい場面もあるでしょう。

そんなときは、その「悪いもの」の評価の善悪を抜きに、どのような性質があるかを洗い出し、それを生かすリフレーミングをすることをお勧めします。頑固者は意志が固いとか、お節介は面倒見が良いとか、声が小さいは控えめ―など。

それら短所だと思えるものを特徴としてとらえ、長所にしていける方法や組み合わせを考えて試してみるのです。

例えば、くず材料でおいしいラーメンを作るイメージでしょうか。他の料理では使えそうもないくず野菜や鳥や豚などの骨。これらを味見して、まずいから取り出しちゃえとなったら、おいしいスープが取れなくなるかもしれません。

毒は薄めると薬になることもあるものです。もともと渋柿は甘柿よりも糖度が高いといいます。物事は全てつながっていて影響を与え合っています。個々を良いもの悪いものに分けるのではなく、うまく組み合わせることでより、大きな効果を狙えるかもしれないと意識すると、違う景色が見えてきます。(精神保健福祉士)

老人食のむずかしさ 《くずかごの唄》109

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】「今日のぬかみそはナスにしてくれ」。ナスのぬかみそ漬けくらい難しい漬物はない。色がすぐに変わってしまう。それなのにうちの亭主は、食べたくなって叫んだら、2~3分のうちに色のよいナスを出さないと怒る。

亭主が製薬会社の研究所に勤務していたころ、日仏薬学会の事務長をやっていた。フランスのシラク大統領が来日した時も握手してもらったらしい。

当時の日仏薬学会の会長は東京理科大・薬学教授の辰野高司先生。辰野先生は、おじい様が東京駅を設計した辰野金吾氏。父上は東大のフランス文学者・辰野隆先生で、フランスに対する思いがハンパな人ではなかった。

亭主は高司先生に、フランス人との付き合い方を手に取って教えていただいたおかげで、ワインの選び方、フランス料理に使うチーズの種類などにも詳しくて、私も彼に教わって、家でフランス料理風のニセ料理をせっせと作ったものだった。

仏壇はしょうゆつぎの隠し場所

そのフランス通が85歳を過ぎてから、自分が幼いころ食べていたものだけが食べ物だと思い込むようになってしまった(幼いころの食べ物だけが食べ物と思い込む老人は多いらしい)。味付けはしょうゆとみそ。昔の人がよく食べた、ぬかみそ漬けが大好きで、白いご飯に漬物、半熟の卵があればいいと言う。

昔、あれほど好きだった牛肉のステーキも、食べてくれない。しょうゆを入れてすき焼き風にすれば少し食べてくれる。タンパク質を、どこでどうやって食べさせたらいいか、私は困ってしまった。幸い、霞ケ浦医療センター病院で栄養指導を受けることができた。

私が「塩分制限で塩分は1日6.5グラムですからね」と言うと怒ってしまう彼も、「栄養指導の時に、先生に言われたでしょう。1食2グラムなのよ」と言うと、怒らないで聞いてくれるので助かる。しかし、敵もさるもの。悪知恵を働かせて抵抗するので始末が悪い。

私がこの家に来た時に、近所に住む親戚のばあさんたちから、仏壇の掃除の仕方が悪いとよく叱られた。バラの花を供えた時も怒られた。私は今でも、仏壇の中だけはあまり見たくない場所になってしまった。

亭主は、私が見たくない仏壇の引き出しにしょうゆつぎを隠して、私が苦心して用意した減塩の料理にも、こっそりとしょうゆをかけていたらしい。(随筆家、薬剤師)

同じ境遇だから分かり合える 障害のある中高生向けLINE相談スタート つくば

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相談を受ける障害者スタッフ=つくば自立生活センターほにゃら

障害者同士が対等な立場で支援し合う当事者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(つくば市天久保)が4月から、「障害がある中高生のためのLINE de(ラインで)相談」事業を始めた。身体障害があり、公的な介助制度を使いながら市内で生活しているスタッフ4人が相談に対応する。

ほにゃら事務局長で、自身も重度身体障害がある斉藤新吾さん(47)は「障害のある中高生が自分と同じような障害のある大人に会う機会は少ないだろう。障害者として生きてきた私たちの経験が、今悩んでいる中高生の役に立てば」と話す。東洋大学客員研究員で、障害児教育が専門の一木玲子さんは「現在でも、障害のある中高生が障害のある大人に相談をする機会自体がほとんどない。中高生に身近なLINEを使ってその機会をつくるのは画期的な取り組みだろう」としている。

障害のある大人に相談したかった

自立生活センターでは、障害者同士が対等な立場で話を聞き合うことを通して、社会の中で自信を持って生きていくことを目指すピア・カウンセリングを日常的に行っている。障害のある仲間だからこそ分かり合えることがあるという考えがベースにある。

相談を受ける障害者スタッフも、中高生時代、様々な悩みがあった。斉藤さんは「当時、障害のある大人に相談できていれば、障害とともに生きていく具体的なイメージを持て、悩み方も違っていたかもしれない」と振り返る。

障害者スタッフの1人である川島映利奈さん(39)は「高校時代、地域で介助者の支援を受けながら生活している障害者と関わることで、親に介助を頼まなくても、自分の好きなことができると気づいた。学校で出会う友達や先生だけでなく、様々な背景を持つ障害者と話すことで将来の選択肢が広がるのでは」と語る。

LINE相談のホームページには、相談内容の例として「障害があるのは自分が悪いのか」「就職や1人暮らしはできるのか」などの障害に関する悩みや「先生や支援員・友達とどう関わればいいか」「家族と一緒でないと、どこにも行けない」などの人間関係の悩みが挙げられている。これらは、障害者スタッフが実際に中高生時代に悩んでいたことだ。 川島さんは「モヤモヤした気持ちを聞いてほしいだけでもいい。私たちと話すことで、一人じゃないと思え、少しでも楽になれば」と呼びかける。(川端舞)

●「障害がある中高生のためのLINE de 相談」ホームページから友達追加することで相談できる。開設時間は毎日午後5時から10時。1回の相談時間は40分。相談は無料で、匿名でも可能。希望する場合は、同性のスタッフが対応する。

ウクライナ避難民の心の支援に つくば生まれの「パロ」届く

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医療機関に贈呈されたアザラシ型ロボット「パロ」、左が宮島昭夫大使=在ポーランド日本国大使館提供

産業技術総合研究所(産総研、石村和彦理事長)で誕生した、つくば生まれのアザラシ型ロボット「パロ」が、ウクライナ避難民への「心の支援」に役立とうとしている。「パロ」の発案者で研究開発者の産総研人間情報インタラクション研究部門、柴田崇徳上級主任研究員に1日夕、入った連絡によれば、ポーランド・ワルシャワの日本大使館で、避難民を受け入れている医療機関に「パロ」を届ける贈呈式が行われた。

贈られたアザラシ型ロボット「パロ」は、最新型のヨーロッパ向け医療機器版。1日(日本時間午後5時)、受け入れ先のマゾフシェ県神経精神医学センターとワルシャワ医療大学に、各2体が宮島昭夫特命全権大使から手交された。日本貿易振興機構(ジェトロ)のワルシャワ事務所を介し、産総研技術移転ベンチャーの知能システム(本社・富山県南砺市、大川丈男社長)の製造、寄贈による。

ポーランドの2医療機関へ

2月24日のロシアの侵攻により、紛争地からウクライナ国内や周辺国へ多くの人々が避難している。ポーランドには4月18日現在で、国外では最も多い280万人が避難したとされる。避難民へは「衣食住の確保」が最優先課題ながら、約3カ月が過ぎ「心の支援」も重要になってきている状況だ。爆撃、銃撃等による恐怖とその後のPTSD(心的外傷後ストレス障害)、避難生活や集団生活のストレス、今後の不安、抑うつ、孤独、興奮、不眠等の精神的な問題が顕著になっているという。

そこで、「パロ」のような医療機器で、避難民の「心の支援」を行えば、オリジナルの「人道的支援」を提供できると考えた。「武器の提供はできないが、日本らしい貢献になる」と柴田研究員。

「パロ」は、ぬいぐるみ状のアザラシ型ロボットの内部に様々なセンサーや電気回路、機械系統を組み込み、人工知能で制御される。産総研では1993年から、本物の動物を飼うことが困難な場所や人々のために、セラピーを目的に研究開発された。

2011年の東日本大震災の際も、被災地では1~2カ月ほどすると、ストレス、不安、抑うつなどが増加するようになった。この時、被災地で活用されたのが約80体のパロ。そのふれあいに被災者は癒やされ、喜ばれた経験があった。柴田研究員は「今回も近い状況」という。

ウクライナでは2006年、外務省の「文化啓発用品」として在ウクライナ日本国大使館にパロが配置された。チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故後の小児ガンの子供たちなどを対象に、「心の支援」に活用され、好評を得た。このことから、ウクライナ人に「パロ」が受け入れられる可能性が高く、セラピー効果を期待できそう、と予測された。

日本では、一般家庭向けのペット用と、「福祉用具」としてのセラピー用のパロが、個人や医療福祉施設等で広く利用されている。他方、制度が異なるアメリカ、ヨーロッパなどでは、パロは「医療機器」として扱われる。現在の第9世代まで、世界30カ国以上で7000体以上が利用されている。

今回、在ポーランド日本大使館から2つの医療機関に問い合わせたところ、避難民への「心の支援」のために、欧州向け医療機器版のパロの活用の希望があったことから、最新型の寄贈に至った。ポーランドでは初めての導入となる。

「ウクライナ国内、周辺国などへの避難民は約1000万人と非常に多く、長期化すると思われるので、これから『心の支援』がますます重要になる」と柴田研究員。コロナ禍の影響で、今回は参加できなかったが、今後状況が許せば現地を訪問し、見学や観察、避難民や支援者たちにインタビューするなどして、活用について情報収集する予定という。(相澤冬樹)

1周年迎えるコワーキングスペース 5日に記念パーティー つくばROOMS

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右がROOMSを運営する滝波俊平さん(筑波大学大学院2年)。左が同じく神脇和宜さん(つくば市在住)

利用者間の交流を重視した共用の仕事・勉強の空間、コワーキングスペース「ROOMS(ルームス)」(つくば市苅間)が1日、オープン1周年を迎えた。5日には記念パーティーを予定している。サービスを立ち上げた筑波大学大学院2年の滝波俊平さん(25)に話を聞いた。

ROOMS(2021年5月6日既報)は、作業用の「個室」と「コワーキングスペース」の提供をメーンにしている。開業から1年が経った現在、個室を目当てにした利用者が主だ。利用者の多くは女性で「オンライン会議を静かなところでやりたい」という声が多い。ほかにも「アイドルのライブを一人で集中して見たい」という個室利用者の声もあった。

今年4月の利用者数は「個室」が37人、コワーキングスペース5人。これまでの累計利用者数でみても12倍ほどのひらきがある。月間の売上額はおよそ4万円で推移している。「コワーキングスペースの利用が伸びないのは意外だった。現在は、コワーキングスペースを別の形に転換することも検討している」という。

開業当初は個室とコワーキングスペースのみを提供していたが、現在は「キッチンスペース」と「イベントスペース」、「こたつ部屋」も始めた。利用者のニーズに応えるためだ。しかしイベントスペースはコロナ禍で利用する催しが少なかったため利用者はほとんどいなかった。キッチンスペースについては「クリスマス女子会やママ会などで数件の利用があった」そうだ。「お客さんの声を聞きながら少しずつ新しい挑戦をしてきた。これからも良い場を作っていくために試行錯誤していきたいと思っている」と滝波さん。

新たに提供を開始した「こたつ部屋」の様

コロナ禍での開業だったが影響は少なくなかった。「感染者数が増加すると利用者も減り、減少すると増える。このサイクルがあった」。コロナ禍のリモートワークやオンライン授業などの需要で「個室」の利用が増えるのではないかと考えていたが、実際にはそうした利用者は少なかったそうだ。

「良い場を作っていきたい」

1周年記念パーティーは5日、ROOMSで開催される。つくば市天久保の喫茶店「ひととつむぐカフェ 縁counter(エンカウンター)」などが出店する。同店は滝波さんと同じく、筑波大学大学院に在籍しながらお店を経営する伊藤悠椰さんのカフェだ。滝波さんは「ROOMSのスタッフの方が伊藤さんと知り合いで、紹介をしてもらった。こういう風にいろいろなつながりを作ることができた1年間だった」と振り返る。

同市上郷でパパイヤ農園を営む柳下浩一朗さん(ジミーfarm合同会社)からは、パパイヤ茶の提供を受けた。普段からコワーキングスペースで飲むことができるお茶だ。「こういうコラボはありがたい。これからもつながりが増えていったらうれしい」と滝波さん。

記念パーティーでは滝波さんが「植本祭」と呼ぶ催しが行われる。利用者から「好きな本」を募集し、それをROOMSが購入する。当日、参加者でそれらの本を棚に移し、誰かが好きな本だけが集まる「本棚」を完成させるというイベント。「私自身も本が好きでこの催しを考え付いた。新しいつながりが生まれたらうれしい」と話す。

今後について滝波さんは、「現在は5年制の一貫制博士課程の2年目なので、まだ数年は大学院生として在学する。これからもROOMSを続けていって、良い場を作っていけたらと思う」と展望を語った。(山口和紀)

◆1周年パーティーは6月5日(日)午前10時から。営業時間は午前9時から午後19時。日曜定休。電話029-856-4155 。HPはこちら

こどもと一緒に本を読むということ③ 《ことばのおはなし》46

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【コラム・山口絹記】娘とふたりで山を登っていた時のことだ。娘に昔のことを聞かれ、「うーん、なんだっけ。思い出せないな」と答えると、「パパは何か望みをかなえちゃったのかもしれないね」と言われてハッとしたことがある。

この、「何か望むものを得た代わりに、大切な記憶を失くす」という設定は、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』で主人公のバスチアンが体験するものなのだ。

娘と私の会話には、一緒に読んだ物語の登場人物がたびたび現れる。彼らは私たちにとって、よく知る共通の知り合いや友人のようなものなのだ。

そして彼らが会話に登場するたびに、私と娘の間で彼ら自身やその背景にある物語に対する印象が大きく異なっていることに驚かされる。

ひとつの物語でも、それを受け取った人によって抱く感情や印象が異なるのは、なぜなのだろう。質量のないことばが、私たち一人ひとりに届いたとき、それぞれに違った影響を与えるというのは、当然のことのようで、とても不思議な現象ではないだろうか。

私にもたれかかりながら、私の読む物語に耳を傾ける娘の身体からは、自然と感情が伝わってくる。緊張してこわばったり、笑ったり、身体が熱くなったり。私が気にもとめなかった場面に喜んだり、悲しんだり。私はそんな娘の変化にいちいち驚きながら本を読む。

誰かの物語を体験する行為

物語というのは、それに関わった人の数だけあり、そしてまた、それを受け取る人の数だけ存在する。私たちは、自分自身のひとつの物語しか生きることができないが、本を読むというのは、一時的にせよ、今、ここではないではないどこかで、誰かの物語を体験する行為だ。

そして、そんな物語を誰かと一緒に読むというのはとても特別な行為なのだと思う。きっと娘は、私と一緒に読んだ物語を忘れてしまうこともあるだろう。少しさみしい気もするが、それはそれでよい。

様々な物語が営まれる場所や登場人物というのは、いずれ彼女にとっての何か大切なものに置き換わるスペースになるのだと思う。だから、よいのだ。

一緒に本を読んでいるとき、ふと娘の顔をのぞくと、見たこともないような真剣な表情で挿絵をじっと見ていることがある。自分も大好きな場面で娘が興奮していると、ついつい夜遅くまで一緒に読みふけってしまう。

「まだ読みたい」と言いつつ眠ってしまった娘を抱えて寝室に運んでいると、こんな時間がいつまでも続いてくれたらいいと思ってしまうのだが、娘との読書を卒業しなければならないのは、私の方なのかもしれない。(言語研究者)

教育現場のクラスターを早期に検知 リーバー、筑波大など4大学と共同研究

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リーバー社と4大学との共同研究分担図

医療相談アプリを提供するリーバー(つくば市、伊藤俊⼀郎社長)は31日までに、筑波大学(つくば市、永田恭介学長)、京都大学(京都市、湊長博学長)、福島大学(福島市、三浦浩喜学長)、福島県立医科大学(福島市、竹之下誠一学長)の4大学と健康観察アプリ「LEBER(リーバー)」を活用した感染症クラスターの早期検知などをめざす共同研究に着手した。

研究は、主に教育現場における集団感染を早期に検知し、積極的検査につなげるアラートシステム「感染症AIサーベイランスシステム」の開発を目的としている。アプリ利用者の体温・体調管理データなどを解析するうえで、適切なAIの計算方法(アルゴリズム)を構築して、「リーバー」に組み込む研究だ。これにより、より早期のPCRや抗原検査に繋げての感染症クラスター予防や、アプリ内健康予報を通じてユーザーに的確な行動を促す仕組みを構築をめざす。

「リーバー」は24時間365日スマホで医師に相談ができる医療相談アプリ。学校向けには健康観察アプリ「LEBER for School」があり、児童・生徒の体温・体調データを収集している。全国約1300校に導入されており、つくば市では小中学校全校に普及し、保護者の9割に使われている。

リーバーによる体温チェックの画面と国内小中学校へのLEBER for School の普及度=リーバー社提供

コロナ禍の現在、教育現場ではPCR検査などで1クラス2人以上の陽性反応者が出ると学級閉鎖、クラスターとなる。これら感染症の早期検知のため、「リーバー」によって収集した発熱などのデータを解析する。解析のツールとなるのが感染症数理モデルで、流行データ分析やシナリオ分析を行い政策判断の核ともなる。今回、いち早く数理モデルを活用した感染予測研究に取り組んでいる京都大学医学研究科環境衛生学分野、西浦博教授の参画を得た。

さらにAI技術構築では筑波大学人工知能研究室、鈴木健嗣教授、教育現場でのサービス設計の検討と改善では福島大学教育推進機構、前川直哉准教授ら、4大学の研究者がそれぞれの役割分担を持って共同研究に加わった。

リーバー社によれば、研究は集団感染に警戒と検査を促す「アラート」を発するタイミング、その文言などにも及ぶという。2022年度の単年度事業で、成果は論文等にまとめる一方、アプリへの実装を目指すということだ。(相澤冬樹)

生存確認 《短いおはなし》3

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

嫁が来たよ。40過ぎてようやく結婚した長男の嫁だ。
杓子(しゃくし)定規で生真面目な、なかなかの変わり者だ。

嫁は、毎週土曜日の13時きっかりにチャイムを鳴らす。
そして玄関先で必ず言うんだ。
「お義母さん、こんにちは。生存確認に参りました」
「はいはい。ご苦労さん。この通り生きてるよ」

嫁は背筋を伸ばして、茶室に招かれたようにお茶を飲む。
「つつじが美しいですね」
庭を愛(め)でることも忘れない。マニュアルがあるのかね。いつも同じだ。

「洋一は元気? ちっとも顔を見せないけど」
「洋一さんは、公私ともに順調です」
「職場の挨拶(あいさつ)みたいだね」
「お義母さん、あの葉っぱは紫陽花(あじさい)ですね」
「そう。うちの紫陽花は近所でも有名だよ。まるで虹の国に迷い込んだみたいにきれいだよ」
「虹の国ですか? すみません。比喩は苦手で、全く想像できません」
「まあ、見たらわかるよ。来月には咲くからさ。生存確認のついでに見たらいいよ」

嫁は急に目線を落として、深々と頭を下げた。
「すみません。私がここへ来るのは今日が最後です」
「ええ、なに? どういうこと?」
「洋一さんからお話があると思いますが、私たち、離婚することになりました」
「噓だろう? まだ1年も経っていないじゃないか」
「私たちは、恋愛をせずに結婚しました。婚期を過ぎて互いに焦っていたのです」
「上手(うま)くいかなかったのかい?」
「洋一さんに、好きな人ができました。私と結婚した後に、運命の人に出会ったそうです」
「何だい、それ。ひどいじゃないか。親の顔が見てみたい…って、あたしか!」
「彼は悪くありません。早まって、私と結婚してしまっただけです」
「だけど、あんたはそれでいいのかい?」
「私、別れを告げられても悲しくなかったんです。契約が終わったくらいにしか感じませんでした。つまり、それが答えです」嫁は表情を変えずに、きれいな姿勢のままお茶を飲みほした。
「生存確認は引き継ぎますので、ご心配なく」
「バカだね。そんなのどうだっていいよ」

嫁は立ち上がって庭を見た。
「虹の国の紫陽花、見たかったです。それだけが心残りです」
少し丸まった背中が微(かす)かに震えている。
たった数ヶ月の付き合いだけど、嫁と庭を眺める時間は嫌いじゃなかった。
紫陽花、一緒に見たいよ。

「ねえ、生存確認は、やっぱりあんたにお願いしたいよ。ダメかね?」
嫁が振り向いて、微かに笑った。
「承知しました。では、これからは嫁ではなく、茶飲み友達として伺います」
「茶飲み友達か。いいねえ」

嫁は、深々と頭を下げて帰っていった。
石畳を歩く歩幅が少しだけ乱れている。
可愛くないね。素直に泣けばいいのにさ。

(作家)

写真が好きになる写真 《写真だいすき》8

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天聖寺如意輪観音(筆者撮影)

【コラム・オダギ秀】もう半世紀ほども昔の話だ。1枚の写真に衝撃を受けた。小さな本の表紙の写真だ。野の花に、小さな石仏がほほ笑みかけていた。何てすてきな写真なんだと、ボクはその写真の虜(とりこ)になり、以来半世紀、写真を職業にしながら、野の石仏を撮ることになった。

そのころは、まだ石仏などあまり注目されておらず、その撮影者は作家だったが、野の石仏の魅力を普及させた先駆者だった。

後に、同じ石仏を何度もその作家が撮ったのを見たが、それらの写真には魅力を感じなかった。同じ石仏なのに、他の写真にはほほ笑みがないのだ。そのことから、写真を撮るときの心情と写真技術がいかに大切かをボクは学んだ。

写真屋さんが撮った記念の集合写真に、感銘を受けたこともある。ボク自身は、何の関係もない写真だ。

同窓会だそうだ。10人ほどの年配の男女が、庭に椅子を並べて掛けている。なかに2脚、誰も座っていない椅子が置いてある。参加したくて、でもどうしても来られなかった2人の席だそうだ。素晴らしい写真屋さんの配慮に感銘を受けた。

欠席された方は、自分がいない椅子だけ写った記念写真を、いつまでも大切にするだろう。関係のない者でも、空席の写った写真を見たら、心に残るだろう。その場に存在しない人も撮れるのだと学んだ。

土浦の医者だった 平本のじいさん

住井すゑさんが、牛久でお元気だったころ、住井さんの裏に住んでいた平本じいさんを紹介してくれた。じいさんは写真がすごく好きだから、と。ボクは、平本さんというじいさんは元医師で、それ以外の素性は知らずにいた。

じいさんはボクに、大切そうに写真集を拡げ、「ブラッサイ(ハンガリー出身の写真家)はいいなあ」と何度も何度も何度も言った。その時のじいさんの表情と、ブラッサイが撮った夜のパリの裏街の写真が忘れられない。医者だった平本じいさんは、ブラッサイのモノクロ写真に、何を見ていたのだろうか。自分の人生に、何か共鳴するものがあったのかも知れない。

そのころ、若いアンチャンのボクは、ブラッサイなんて知らず、適当に相づちを打つだけだったが、じいさんの中のロマンは、人生を振り返る大切なものだったのだろうか。平本じいさんは、自分がやっていた医院を土浦市に寄贈し(今の土浦一中地区公民館)、新治協同病院(今の土浦協同病院)の2代目の院長だったと、ずいぶん後になって知った。

心に残っているだけで価値があり、大切な写真が、たいていの人にある。1枚の写真が、半世紀もの人生を動かすこともあれば、写真を見ることで人生のその時の心情がよみがえり、あらたな活力になることもあろう。どんなに古くなってはいても、写真によってよみがえるのは、断片ではあるが、人生そのものなのではなかろうか。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会長)

アストロプラネッツ、巨人3軍と交流戦 土浦では逆転負け

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8回裏1死二・三塁、佐久田の一塁ゴロで安田がホームイン(撮影/高橋浩一)

プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの茨城アストロプラネッツが、日本プロ野球(NPB)の読売巨人軍3軍との交流戦2試合に臨んでいる。28日にJ:COMスタジアム土浦(土浦市川口町)で行われた第1試合は、終盤に逆転され4-5で敗れた。第2試合は29日に笠間市民球場(笠間市箱田)で開催される。プレーボールは午後1時の予定。

茨城アストロプラネッツ-読売巨人軍3軍(28日、J:COMスタジアム土浦)
巨人 000001004 5
茨城 002001010 4

茨城は3回裏、野中大輝が敵失で出塁、高橋駿の二塁打で二・三塁の好機を作ると、安田寿明の中堅への犠牲フライで1点を挙げ。さらに内山竣の適時打で1点を加えた。

3回裏1死二・三塁、安田が中堅へ犠打フライを放つ

先制打について「インコースのまっすぐを狙った。相手投手は力があるので振り負けないことと、低めの変化球を振らないことを心掛けた」と安田。相手の駒田徳広監督は四国アイランドリーグ高知時代の恩師なので、いいところを見せたいと気合いが入ったという。安田は8回にも四球で出塁し、好走塁で1点をもぎ取った。「佐久田は必ずバットに当ててくれるので、ボールが地面に付いたら即行こうと。日頃から練習してきたプレーが出せてよかった」

この犠打で野中が先制のホームイン

投手は先発の楢嵜塁が3イニング、2番手の福田夏央が2イニングを受け持ち、ともに2安打でまとめた。だが6回から潮目が変わり始める。3人目の渡辺明貴は2アウトまでは順調だったが、四球と野手エラー、暴投で二・三塁とされ、1ヒットで1点を失ったところであえなく降板。この場面では兼任コーチの巽真悟が火消しに立った。

7、8回は外国人のペレズとDJが登板、共に制球に苦しみながら1イニングずつを務めた。9回にマウンドに上がったのはクローザーの森祐樹。しかし四球と3安打で1点を失いなおも1死満塁。ここでピッチャーゴロをホームへ悪送球し、2点を献上してしまう。救援に向かった高橋国杜も中前への適時打を浴び、ついに逆転を許した。

9回表1死満塁、ホーム悪送球で2点を失い、うなだれる森

「森は信頼して後ろを投げさせているが、三振を取ることで頭が一杯になってしまい、どこでアウトを取るか整理できていなかった。反省はしても引きずらず、次の試合で貢献してミスを取り返してほしい。外国人投手は日本のマウンドにまだ慣れてなく、試合で使いながら経験を積ませていきたい」と巽兼任コーチ。

「シーズンはこれからが山場で、栃木との合同チーム戦やオールスター戦なども控えている。ファンやスカウトの目に止まる機会も自然と増えるので、選手がいいパフォーマンスを発揮できるようバックアップしていきたい」と松坂賢監督は話している。(池田充雄)

平和の象徴「アンネのバラ」 《令和楽学ラボ》18

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キアラ館の前に咲くアンネのバラ

【コラム・川上美智子】ロシアによるウクライナ侵攻から3カ月。戦闘が長期化し、終わりが見えない深刻な状況になっています。21世紀。平和が当たり前のようになっている日本では、戦場の悲惨さは写真やテレビを通じてしかわかりません。

昨年、国際ロータリー第2820地区(茨城県)では、高校生や大学生を対象とする研修で、平和の大切さを考えてもらうため、戦場カメラマンの渡部陽一さんにZoomで講演してもらいました。写真の中の紛争地域の子どもたちの悲しい目や、被害を受けた女性や子どもの悲惨な姿に思いをはせ、ロータリーが目指す恒久的平和と人道支援の大切さを学ぶ機会となりました。

我々、第2次大戦直後に生まれ、戦争の無い恵まれた時代に人生を送れた世代は幸せです。子どもたち、孫たち、そして子々孫々が、日本を決して戦場にしないよう願ってやみません。

私が勤務していた茨城キリスト教大学(日立市)にも、命の尊さと平和を象徴するアンネ・フランクのバラがあります。5月に満開となり、赤、黄、ピンクと開花とともに色を変えていきます。アンネの父親オットー・フランクが、野バラが好きだったアンネの形見として、友人から譲り受けたこのバラに、「Souvenir d’Anne Frank(アンネの形見)」と名付けました。

先日、久しぶりに大学を訪れ、教会のキアラ館の前に咲くアンネのバラに出会いました。茨城キリスト教学園では、平和を願い、このバラの花を広く知ってもらうため、接ぎ木をして育て、毎年、県内の養護施設、保育園、幼稚園、小中学校に贈っています。その先は400施設に上ります。

園児たちに平和の大切さを語り継ぐ

つくば市鬼ヶ窪の「みらいのもり保育園」でも、2年前に苗木をもらい育てましたが、残念ながら枯らしてしまいました。今年、このバラを育てていた、つくば市議の方とご縁があって、苗木を分けてもらい育て始めました。園児たちに平和の大切さを語り継げられるよう、今度こそ大切に育てます。また、我が家の庭でも育てたいと思っています。

さて、ウクライナのことでは、避難民支援について茨城県国際交流協会から声がかかり、茨城キリスト教大文学部現代英語学科でウクライナ出身のジャブコ・ユリア先生が教鞭(きょうべん)を執っていることもあり、県と大学が連携するお手伝いをしました。

また、茨城キリスト教大は、ウクライナのイワン・フランコ記念リヴィウ国立大学と留学提携を結んでいます。今月、ヨーロッパを経由してようやく留学生が1名、日本に到着しました。彼女は平和な日本で勉学を進められる幸せを感じていることでしょう。今後は日本とウクライナ復興の架け橋になってもらえればと願っています。(茨城キリスト教大学名誉教授、みらいのもり保育園長)

昼夜兼行の100キロウオーク つくばりんりんロードで3年ぶり

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つくばりんりんロード100キロウオーク、緑陰の第1ステージ、約20キロ地点を過ぎる参加者たち=つくば市沼田

3年ぶり開催の「つくばりんりんロード100キロウオーク」が28日始まった。同日正午、発着点となるつくば市沼田の筑波休憩所(旧筑波鉄道筑波駅)をスタートし、桜川市と土浦市にまたがる全長100キロのコースを24時間以内で完歩をめざす大会。約270人が参加した。

同大会は4月半ばから、しおや(栃木)、ぐんま(群馬)と連続して行われる「北関東300キロウオーク」のトリを務める大会。昼夜兼行の100キロウオークを3大会連続でこなす猛者(もさ)も少なくない。

つくばは同ウオーク大会実行委員会(今井修二委員長)主催で2016年から開かれているが、コロナ禍のため20、21年と中止。今回は、事前に「体温測定・体調管理」記録を取るなど、感染予防対策を徹底して開催に漕ぎつけた。参加者の年齢構成が比較的高めなこともあって、19年大会の約300人規模から減じたが、エントリーは北海道から福岡県まで広く集まった。

新型コロナ対策から開会式もなく、参加者は正午からフリースタートで三々五々歩き出すスタイル。「100キロウオークは自分との戦い、完歩を目指すもので順位を争う大会ではない」と実行委員長の今井修二さん(73)=筑西市在住。「エイド」と呼ばれる休憩所兼チェックポイントが3カ所に設けられ、実行委員やボランティアが水分や栄養補給の支援に当たった。

前日の雨から一転、好天に恵まれて、筑波山は青空の下、深緑が鮮やかさを増した。おかげで気温も一気に上昇。木陰の多いりんりんロードとはいえ、多数繰り出したサイクリストにあおられる形で、歩くピッチも早まり、「走らないでください」の注意が飛んだりする。

第1ステージを先頭で戻ってきた阿部さん=筑波休憩所

午後3時すぎ、つくば市小田を折り返し筑波休憩所までの第1ステージをトップで戻ってきたのは草加市(埼玉)の阿部倶久さん(69)、しおや大会に続く参戦で、「このコースは平坦で歩きやすい」と感想。「もう24時間歩き詰めは無理なので15、6時間歩いてあす未明にはゴールしたい。ひとまず第1ステージを先頭で通過の目標は達成できた」と汗をぬぐった。

29日午前4時ごろには最初の完歩者がゴールしそうだが、順位による表彰はない。同日午後1時までにゴールすると「完歩賞」が出るが、3大会完歩の表彰式も行われないそうだ。

今井委員長によれば、つくばウオークは「北関東300キロウオーク」のなかで最後発だけに、一層の盛り上げを図りたいという。このため「大会本部に旧筑波東中を使いたいと申し出たが市教育委員会から色よい返事をもらえなかった。実行委員の中につくば市民が1人もいないなど、さびしいところもある。さらにアピールしていきたい」と新たな一歩を踏み出そうとしている。(相澤冬樹)

【追記】大会は29日午後、スムーズに終了した。事務局まとめでスタートの参加者270人、ゴール190人、完歩率は70.37%だった。北関東三大100キロウオーク大会完歩者は72人いた。

聖地・土浦にパトレイバーのデザインマンホール 来年2月完成

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パトレイバー(左)とグリフォン(ジェンコ提供)。背景は「TV-劇パト2+」展示会場=土浦市大和町

アニメ「機動警察パトレイバー」の聖地、土浦市が、市内15カ所のマンホールのふたをパトレイバーのデザインマンホールに変える。15カ所すべて異なるデザインとなり、アニメのキャラクターやロボットがカラーで登場する。

完成は来年2月末の予定。設置場所は、JR土浦駅から亀城公園周辺約1.1キロ間の歩道などを検討している。市中心市街地の名所や観光地近くに設置するなど、訪れた人が市内を歩き回れるよう回遊性を高めて設置する。

パトレイバーは歩行式の作業ロボット「レイバー」が普及する近未来の東京を舞台に、警視庁レイバー部隊の活躍を描くアニメ。土浦はレイバー部隊の敵役で、驚異的な性能をもつメカ「グリフォン」が製造された土浦研究所があるとされ、ファンの間で聖地となっている。

ファンの来訪を期待

同市は今年1月14日から2月13日まで「機動警察パトレイバー30周年突破記念 in土浦『TV-劇パト2+』展」(1月13日付)を開催した。北海道や九州など全国から約3100人のファンが訪れるなど盛況で、グッズなど売り上げは約700万円だった。

デザインマンホールの企画を担当する市政策企画課の奥山成俊さんは「パトレイバーは作品発表から30年たっても根強い人気がある。企画を一過性で終わらせず、コロナ禍で弱まった観光を、国の地方創生臨時交付金で活性化したいと考えた」と話す。

アニメキャラクターなどのデザインマンホールを製作し観光客が増えている自治体があることを知り、パトレイバーの版元やマンホール製作会社と話し合い、製作をすることになった。市ではデザインマンホールの設置で、土浦を訪れるファンやマンホールマニアが増えることを期待している。

デザインマンホールは、樹脂で作ったプレートを既存のマンホールのふたにはめ込んで固定する。従来の鋳物タイプのマンホールに比べて、写真のようにリアルで鮮やかになるのが特徴だ。

15種のデザインは、これから版元と話し合って決めるという。パトレイバーのアニメやオリジナルビデオ、劇場版などから、ロボットやキャラクターを作成する予定だ。背景には土浦ならではの風景を入れるなどを検討しており、アニメの世界観を壊さないように配慮する。

グッズ、スタンプラリー、カードも検討

マンホール完成に先駆けて、グッズの再販も検討している。グッズは、土浦市庁舎1階きらら館や、土浦市観光協会・土浦まちかど蔵「大徳」(同市中央)で販売する。マンホール完成後は、マンホールを巡るデジタルスタンプラリーも実施する。

マンホールカードの製作も順次行っていく。奥山さんは「マンホール完成時にも何かイベントできたらと考えている。完成後も何度も土浦を訪れてもらえたら」と語る。(伊藤悦子)

みんなで楽しく田んぼづくり 《宍塚の里山》89

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「田んぼの学校」の田植えの様子

【コラム・阿部きよ子】私たち「宍塚の自然と歴史の会」では、1995年から里山の中の休耕地となった谷津田で稲作りを開始し、1999年以降、子どもから大人までを対象とした「田んぼ塾」を開いてきました。そして、2015年からは、新たな稲作方法を研究開発する「自然農田んぼ塾」と子ども中心の「田んぼの学校」に分かれて、谷津田の稲作に取り組んできました。

田んぼの学校は、年度ごとに家族単位で「生徒」を募集し、①稲作と稲作に伴う伝統文化を学ぶ食農教育、②里山の自然や田んぼの環境について学ぶ環境教育―をしています。

今年度は、定員越えで数家族お断りしましたが、33家族で発足しました。豊かな生態系を持つ宍塚の里山の入り口の休耕田を地主さんからお借りし、機械化以前の方法で、肥料は米ぬかだけ、完全無農薬で稲を育てています。伝統行事の「ならせもち」用に、白、赤それぞれ1種類の餅米の品種と藁(わら)細工用の品種を栽培しています。

子どもが田植えや稲刈りに参加する「田んぼの学校」は各地にありますが、私たちの学校には、以下のような特色があります。

a.子どもも大人も主体的に取り組む、b.種まきから食べるところまで継続して稲と関わる、c.里山の四季の変化の中で感性や知性を駆使し、自然環境を体験しながら学ぶ、d.毎回、作業の意味や稲作の変化について学習し、日誌もつけ、ときには「宿題」もする、e.経験も知識も出身地も異なる老若男女、大人子どもが交流し学び合う―。

子どもは泥んこを楽しむように

参加者が増え、出席率も高いので、種まき、しろかき、田植え、草取り、稲刈り、脱穀(足踏み脱穀機使用)と選別(唐箕=とうみ=)などの作業は、5~6回に分けて実施しています。かかし作りの竹の準備、かかしとお別れする「かかし送り」、正月の伝統行事「ならせもち」(昨年度は餅の代わりに紅白団子を枝につけました)などは、担当係の家族を中心に、準備から片付けまで皆で取り組んでいます。

子どもも大人も、よく働き、よく学びます。最初は泥に入るのが怖くて泣いた子も、他の子の様子を見ながら勇気を出せるようになり、泥んこを楽しむようになっていきます。泥だらけの服を自分で井戸水で洗って着替える子もいます。

子どもたち同士が刺激し合いながら、頼もしい働き手になっていく姿から、親たちもスタッフもエネルギーをもらっています。昨年度は「トム・ソーヤスクール企画コンテスト」に応募し、努力賞をいただきました。

コロナ禍で、皆が一同に集まる機会が減ったこともあり、HP担当の親御さんたちが、作業や行事の様子がわかるHPと、子どもたちの日誌や絵のHPを開いています。皆さまも、私たちの会の田んぼの学校のページを開いてみてください。大人のスタッフはすべて無償ボランティアですが、随時募集中です。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

「体育はマスク不要」通知に つくばの学校現場は半々

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運動会の練習に取り組む6年生たち=26日、つくば市松代、市立手代木南小学校

学校現場でのマスク着用について、文部科学省は24日、体育の授業はマスク不要との通知を出した。学校現場はどう受け止めているのか。文科省の通知が出された直後、屋外で運動会の練習に取り組むつくば市内の小学校を訪ねると、マスクを着用する子と外す子は半々だった。

新型コロナウイルス対策をめぐる24日の文科省通知は、体育の授業は屋外に限らずプールや屋内の体育館でもマスク着用の必要はない、運動部の活動も体育の授業に準じる、熱中症リスクが高い夏場の登下校時はマスクを外すーなど。ただし実際の運用に当たっては地域の実情に応じたものとし、マスク着用を希望する児童生徒に対しても適切な配慮が必要だとしている。

文科省や県の通知を受けてつくば市教育局は翌25日、市内の各小中学校などに対し、体育の授業はマスクの着用は必要ないなどの連絡をした。

強制はできない

つくば市松代の市立手代木南小学校(澤邉芳幸校長、児童数354人)は来月4日にコロナ禍3年目の運動会を予定している。取材に赴いた26日、6年生が運動場で運動会の練習をしていたが、マスクを着けた子と外した子は半々だった。

これまでも感染対策の学校衛生管理マニュアルで、体育の授業ではマスクの着用は必要ないと示されている。今回、より具体的に強調された格好だが、澤邉校長は「コロナが収束していないし、保護者の考え方もあって強制はできない。体育の時間はマスクを外してもいいよ」と指導することにしている。また「マスクを外したくない子もいるようだ」と話す。

熱中症と感染対策の両方

運動会本番では熱中症対策と新型コロナウイルス感染対策の両方を講じる予定だ。熱中症対策のため、校庭に16張りのテントを設営して全児童が日差しを避けられるようにする。競技中はマスクを外すが、テント下でマスクを着けて応援する際は大きな声を出さずに拍手でエールを送るよう指導している。

また児童たちの間隔を十分に確保するために入場と退場の位置を分けたり、保護者席を2カ所設けて密を避けるなどの対策を講じる。

コロナ禍での熱中症対策として広がっているのが「半日運動会」だという。同校でも開催規模を短縮して気温が上がらない午前中に開催する。弁当はない。競技者の距離が近い綱引きなどの団体競技やPTA種目、児童によるダンス種目は姿を消し、同校の伝統、6年生による南中ソーラン踊りが披露されるという。

10代以下の割合高く心配

保護者の受け止めはどうか。小学6年生の娘を持つ同市茎崎地区在住の40代の母親は、県内の新型コロナ感染者は10代以下の割合が依然高いことを心配し、「言い聞かせても子どもたちの身体的距離は近くなりがち」とした上で、脱マスクの流れに不安を見せた。

素顔恥ずかしい

子供たちには、マスクを外したくない別の心理も働いているようだ。2年以上に及ぶ長期のマスク着用でマスクをしていることが常態化し、素顔を見せることを恥ずかしがる子どももいる。市内の小6の女子児童は「マスクをしていると安心できる。ないと外に出られない」と話す。

今春高校生になった市内の女子生徒は「高校に入学したときからずっとマスクを着けているので、友達に素顔を見せるのは恥ずかしいし、素顔を見たことのないクラスメートも多い。マスクは外したくない」と言う。

外したくないのは思春期を迎えた男子も同様だ。市内の中学2年の男子は「週に何度かひげをそらないとまずいが、マスクで隠れるから楽」と話している。(橋立多美)

幻の「筑後氏」から脱し、正しい「小田氏」に 《ひょうたんの眼》49

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特別展のパンフレット(左)と展示図録の一部=土浦市立博物館発行

【コラム・高橋恵一】土浦市立博物館の特別展「八田知家と名門常陸小田氏」(3月19日~5月8日)では、小田氏の初代・八田知家(はった・ともいえ)が「八田氏」から「筑後(ちくご)氏」に名乗りを変え、「小田氏」を名乗るのは、4代目の時知(ときとも、1250年ごろ)からと説明されていました。

私は、八田氏の名乗り(今でいえば苗字)を「筑後」に変えたとする説明は誤りと思うから、訂正すべきだと、特別展前に博物館宛てに出した文書、それから本コラム47(4月20日掲載)で指摘しました。しかし、博物館の本サイトへの「お応え」寄稿(4月27日掲載)では誤りでないとの論拠が示されず、特別展のシンポジウム(5月1日)でも、参加者から質問があったのに、「筑後の件は置いておく」と、取り上げられませんでした。

博物館などが「八田知家」が「筑後」に名乗り(苗字)を変えたとする根拠は、歴史書「吾妻鏡(あずまかがみ)」の中の記述で、知家の子供たちが「筑後太郎」「筑後六郎」などと名乗ったとしていることです。

吾妻鏡の人名表記は、名(苗)字に太郎とか七郎などの生まれ順ないし家における順序が示され、さらに実名からなるのが基本とされ、八田右衛門尉(うえもんのじょう)知家、北条小四郎義時(ほうじょう・こしろうよしとき)、結城七郎朝光(ゆうき・しちろうともみつ)などとされています。さらに、本人が五位以上の(朝廷が任ずる)官職に就くと、官職名だけとなり、相模守(さがみのかみ=北条義時)、筑後守(八田知家)などと表記されています。

その子息たちは、親の官職名の後に、名字を省略して、自分の官職や通称と実名が表記されています。北条泰時(やすとき、義時の嫡男)は相模(さがみ)太郎、八田知重(ともしげ、知家の嫡男)は筑後左衛門尉(さえもんのじょう)知重結城朝廣(ゆうき・ともひろ、上野介朝光=こうずけのすけ・ともみつ=の嫡男)は上野七郎左衛門尉朝廣などと表記されています。

いずれも、吾妻鏡の編者が、多くの御家人の人名を記述するにあたって、家系や官位などを整理・判読できるように、ルールに従って記述したと考えられます。つまり、筑後左衛門尉知重、の「筑後」は「筑後守の子息の…」という意味であり、名字を表記しているわけではありません。「相模」太郎も「上野」七郎左衛門尉朝廣も同じ表記ルールです。

「筑後氏」の採用は各種の歴史にも影響

さらに、吾妻鏡の成立は、源氏3代の将軍記が1270年代前半、それ以降の将軍記は1300年ごろとされており、八田氏が名字を変えたとされる時期から70年後にならないと、「筑後知重」という表記は見ることができないのです。名乗りを変えたとする知家は、「筑後」を子息の名乗りの前に表記されることを、いつ認識できたのでしょうか?

今回の特別展やその際に出された図録では、発掘調査の結果、小田城あるいは居館が八田知家の時代に小田に存在したことを否定できない、と報告されました。知家が建立したとされる極楽寺も同様です。小田を名乗ったのは4代目時知からとされる根拠の宝治合戦(ほうじがっせん、1247年)での3代・泰知(やすとも)失脚説も、誤りの可能性が大きいとされました。

近年のつくば・土浦地方の市町村史や歴史展示では、「筑後氏」説の採用を受けて、小田城と八田・小田氏の登場を、従来の通説より70年ほど遅れた年として説明しています。これは鎌倉時代の約半分の年数になり、考古学や交通史、文化史、宗教史などにも影響を与えます。幻の「筑後氏」から脱し、出版物や展示などが訂正される必要があります。(地図と歴史が好きな土浦人)