【コラム・平野国美】私は家系的に下戸で、飲み屋に出かけることは滅多にありません。しかし、ある時から飲み屋街の看板を眺めて歩くのが好きになりました。特に、陽が落ちてネオンに電源が入り浮かび上がった様は格別なのです。

その日もスマホを片手に飲み屋街の写真を撮っていました。そうしたら、後ろから怪しい男がついてくるのです。踏み込んではいけない場所に足を入れてしまったのか? 写してはいけないものを撮ったのか? 足早に立ち去ろうとすると、「おい、待て」と声をかけられたのです。

怪しいお前も看板屋か?

見た目70代の男は服装こそラフですが、危険な感じはありませんでした。「お前は同業者か?」と顔をのぞき込んできました。この方は何を生業(なりわい)としている方なのだろうか?

「さっきから見ていると、飲み屋の看板をずっと撮影しているから、看板屋か? 映画のセット屋か?」と、尋ねてきました。自己紹介は省略して、「おいちゃんは何をする方?」と尋ねると、「昔はな、こういう飲み屋の看板とか作ってたんだ。あんたも同業者かと思ってな」と答えました。

「お話を聞かせてください」と、喫茶と書かれた看板の店に一緒に入りました。場所は奥浅草の千束通り辺り。時間は夜の8時。古い「昭和」の喫茶店に2人で入り、生ぬるいコーヒーを飲みながら話を聞いたのです。

看板・のれん・マッチ箱

「仕事はデザイナーということでしょうか?」「デザイナー? そんなんじゃないな。俺、そういう奴ら嫌いなの。蝋石(ろうせき)って知ってるか? 子供のころから、あれで道に絵や文字を書いて遊んでいたのよ。字がうまいっていうんじゃなくて、なんていうかなあ」

何が言いたいのかを推測して、「味のある字が書けるみたいな?ですか」「そう、それだ。少し、近所じゃ評判になった。書道でも習うかって言われたけど、ああいう堅苦しいのは、俺ダメ。学校も大嫌い」と懐かしそうに語るのです。

「ある日、いつも通り、蝋石で遊んでいたら、ちょっと強面(こわおもて)のおっさんが、ずっと上から眺めているんだよ。おい坊主、卒業したら、うちに来いって言われ、いつの間にか、そこに就職したんだ」

コーヒーを一口すすって、「事務所と言っても、親方の家にソファーと机を置いてよ。合羽橋の道具街の近くだから、居酒屋やスナック開こうとする客がワンサカ来てよ。俺が話を聞いて、文字とちょっとした絵を入れて、看板、のれん、マッチ箱を作って開店させるんだ。それで50年ぐらい生きてきた」

他の看板とのバランスが大事

「この辺りの店には、まだそれが残ってる。灯りがつかなくなったネオンも随分あるけど。でも、ある時から広告会社とかデザイナーが出てきて、俺たちはお払い箱になった。その店だけが目立っちゃダメなんだ。ほかの看板とのバランスが大切なんだよ」(訪問診療医師)