【コラム・冠木新市】化け猫映画の『怪談佐賀騒動』(1953)を見返したが、今見ても怖かった。SFXのすぐれたハリウッドホラー映画や演出のテクニックがさえるジャパンホラー映画より、因果応報を描いた化け猫映画のほうが怖い。多分、子どもの頃に見た化け猫映画のトラウマで怖さを感じてしまうのだろう。

化け猫映画とは、悪い奴のいじめによって非業の死をとげた主人の飼い猫が化け猫となり仇(かたき)をとる話だ。つり上がった目、真っ赤に裂けた唇、ぴょこんと立った両耳の姿で悪党たちに襲いかかる。観客は仇を討とうする化け猫を応援し感情移入するべきなのだが、化け猫のあまりの不気味さに襲われる悪党側の気持ちになって恐怖を感じてしまうのだ。

化け猫映画の歴史は古い。明治時代の『鍋島の猫』(1912)に始まる。私が初めて見たのが新東宝の『亡霊怪猫屋敷』(1958)。怖くて夜中トイレに一人で行けなかった。子どもの私に化け猫映画を見せた大人は誰だろうか。

化け猫女優・入江たか子

その後、化け猫映画の歴史を調べ、戦前の化け猫スタアは鈴木澄子、戦後は入江たか子だと知る。入江たか子には覚えがあった。

黒澤明監督の『椿三十郎』(1962)に家老の奥方が出てくる。貫禄があり、主役の三船敏郎に引けを取らず存在感を示し、上品な雰囲気を醸し出していた。入江は華族出身の戦前の大スタアで、女優で初めてプロダクションを作った映画史に残る美人女優である。だが、戦後は一転して化け猫女優として人気を得る。

①『怪談佐賀騒動』(1953) のヒットを皮切りに 、②『怪猫有馬御殿』(1953)は12月29日公開のお正月映画である。当時、新年から化け猫映画を見る観客がいたわけだから、いかにすさまじい人気だったかが分かる。翌年には2本製作され、③『怪猫岡崎騒動』(1954)はシリーズ最高のヒットを記録した。④『怪猫逢魔ケ辻󠄀』(1954)もお正月映画だった。⑤『怪猫夜泣き沼』(1957)が最後で、入江たか子は5年で5本の作品を残した。

ハリウッドのゾンビ映画

それからも、日本映画界で化け猫映画は何本も作られるが、東映の『怪猫トルコ風呂』(1975)を最後にその歴史は途絶える。ホラーとお色気とコメディーを合わせ持つこの作品を期待して見たが、少しも怖くなくて失望した。だが今では、カルト映画として人気が上がってきている。

化け猫映画が途絶えた頃から、ハリウッドのゾンビ映画が続々作られた。ゾンビ映画の歴史も古い。『恐怖城』(1932)が始まりだから、かれこれ90年も続いている。私は、ゾンビ映画が好きではない。ゾンビは理由もなく健康な人々に襲いかかり、仲間を増やしていく。一体、何が目的なのだろうか。

この30数年、子どもたちの不登校問題が話題になっている。その背景は、いじめに原因があるような気がしてならない。もしや、この30数年次々と公開されたゾンビ映画の人気と関連しているのではと妄想してしまう。

ゾンビと比較すれば、化け猫のほうが健康的である。子どもたちに化け猫映画を見せ、いじめると化け猫に襲われると、因果応報を無意識に刷り込んだらどうだろうか。こんなこと言うと、寄ってたかって匿名の人たちに批判されるかな?  サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)