土曜日, 4月 27, 2024
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次世代の担い手育成「里山体験プログラム」《宍塚の里山》110

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写真は筆者提供

【コラム・田上公恵】里山の保全活動においては後継者不足が大きな課題となっています。持続可能な里山保全を目指すために、当会では2022年度より、広く若者が参加できる「里山体験プログラム」を開始しました。3月の募集と同時に社会人や大学生に応募していただき、人気の企画となっております。

4月に開講式を行い、1年間当会に所属して、保全活動や環境教育、観察会などを体験しながら里山の意義と保全、資源循環、生物多様性、NPOの運営と意義などを学びます。そこに経験豊かな専門家集団がていねいに寄り添って指導に当たります。既定の単位を満たした場合、理事長名の修了証書を授与しており、22年度と23年度はそれぞれ5名の社会人、大学生、大学院生を受入れました。未来の担い手が少しずつ育っていることを大変うれしく思います。

参加者の満足度は高く、里山での体験活動を仕事に生かす社会人、筑波大学の体験活動の単位認定に取り組む学生―それぞれご自分の目標を目指して熱心に履修しています。プログラム生の中には自分の専門性を高めるために月例観察会の講師を希望した大学院生もいます。

人と人、自然と人がつながる場所

以下、1年間の体験を通して寄せられたプログラム生の感想です。

▽自然を体感できるところ、地域とのつながりや文化・歴史を学べるところ、様々な年代の方と関わり、詳しい資料配布などが非常にためになりました。

▽広いヤードがあり、様々なプログラムがあるところが非常によいと思います。

▽見つけた生き物や体験した作業について、詳しい方から解説をいただけることが多く、その場限りの体験ではなく、学びにつなげられるところがよかったです。

▽単に参加者として関わるのではなく里山の一員として活動に関われること、1人ひとりのやりたいことや得意なことを活動の中で実現してくださること―がよかったです。

▽体験プログラム参加者はみんな生き生きとしていて、お互いに助け合うこともあって、自然の中で多くの方々と関わりながら活動できたのがよかったです。

▽様々なプログラムを通して、多面的に里山を観察・体験できたことがよかったです。

▽特定のボランティアだけでなく、一般の方が参加できるプログラムが多く、活動を通して日常的に里山の意義をアピールできることはとても大切なことだと感じました。

▽以前よりも、里地里山という地に貢献したいと思うようになりました。

▽保全活動を継続して実施していくことの大変さをひしひしと感じています。

▽里山は、単に生き物がたくさんすんでいる自然というだけでなく、「人と人とがつながる場所」と思いました。

▽「人と自然がつながる場所」だと感じました。活動全体を通して、幼児からお年寄りまで、様々な世代が集って自然の恵みを感じる場所だなと感じました。(宍塚の自然と歴史の会 環境教育部)

問題のないところに問題を見つけること《遊民通信》83

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【コラム・田口哲郎】

前略

前回、日本社会に根を張っているいわゆるオールド・ボーイズ・ネットワークあるいはオールド・ボーイズ・クラブについて書きました(1月26日付)。同じ学歴、成功体験、失敗体験をもつ男性が結束力の強い集団をつくり、長い間、社会を支配してきた、という話です。その中で、女性は排除され、不当に差別を受けてきました。

しかし、このオールド・ボーイズ・ネットワークの構成員、つまりいわゆるエリート男性が意図的に抑圧を行ってきたのかというと、それはそうとも言えないということになりそうです。

たとえば、ある男性が高等教育を受けるまで受験戦争に勝ち抜き、大学を卒業し、大企業に就職、結婚をし専業主婦の妻と子どもと幸せな家庭を築き、そして定年を迎える、あるいは脱サラして起業をして大企業に育てあげる、あるいは議員に出馬して当選、自治体の首長や国務大臣を務めるまでになる、という人生を想定した場合に、その男性は、自分は置かれた環境で頑張ってきただけだ、大学の同窓、職場の仲間、選挙区の住民そして理想的な家族と共により良い社会をつくるために力を尽くしただけだ、と言うでしょう。

その信念や事実を否定することはできません。しかし、その「置かれた環境」自体がオールド・ボーイズ・ネットワークをつくり出している場合、そのネットワークに潜む問題には気付けないことが多いのではないでしょうか。

人間社会の基盤に潜む問題点

人間は集団をつくることで今まで生き延びてきました。厳しい自然環境に抵抗しながら、快適な文明生活をつくることは、近代社会が成し遂げてきたことで、そこにオールド・ボーイズ・ネットワークは深く関わっています。こうした人間が群れて生きるという基本的なことは、否定したら人間社会が成り立ちません。

かといって、基本なのだから、この基本は絶対に正しいので変えてはいけない、というのも危険です。基本は大切ですが、その基本が本質のように持っている問題点を見つけて解決してゆくことが、人類の進歩なのかもしれません。一見、問題のないところに問題を見つけることが求められているのでしょう。オールド・ボーイズ・ネットワークという言葉自体が生まれ、広く知られるようになったことは、そうした人類の進歩を表しているように思えます。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

今年も「さくらまつり2024」を開催します!《けんがくひろば》3

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さくらまつり=2022年4月2日(筆者提供)

【コラム・島田由美子】「けんがく」(つくば市研究学園)地区では毎年、地域の活動団体が連携して「けんがく さくらまつり」と「けんがく ハロウィン」の2大イベントを開催しています。今回は、開催を1カ月後に控えた「けんがく さくらまつり2024」をご紹介します。

「けんがく さくらまつり」のコンセプトは、“地域の文化祭&新歓祭”。けんがく地区の団体や住民の活動の紹介・発表の場であるとともに、春になって新しく移ってこられる方々をお迎えする交流の場です。2022年から開催しており、毎回200~300名の地域住民が来場されています。

多彩なアクティビティ

3回目の開催となる「けんがく さくらまつり2024」はバージョンアップし、12のアクティビティを楽しめます。一番のおすすめは毎年恒例の「さがせ!さくらエイト」。さくらまつりの会場となる研究学園駅前公園では2月下旬から4月下旬にかけて、河津桜、寒緋(カンヒ)桜、ソメイヨシノ、枝垂(しだ)れ桜、山桜、関山(カンザン)、普賢象(フゲンゾウ)、御衣黄(ギョイコウ)が順々に咲いていきます。

「さがせ!さくらエイト」では、その8種類の桜の木をスタンプラリーで巡ります。「けんがく パフォーマンス」で音楽やガマ口上、「けんがく ギャラリー」で絵や書を鑑賞した後は、スポーツチャンバラやグランドゴルフで体を動かせます。大きな桜の下では、昔あそびを楽しんだり、青空図書館の絵本をゆっくり眺めたりできます。公園北側の雑木林では玉入れ鬼ごっこや丸太切りなど、自然の中で思いっきり汗をかけます。

公園近くの中央消防署から消防士さんが駆けつけ、緊急車両展示や水消火器体験を催してくれます。そのほか、ゴミ拾いやフリーマーケット、ミニ縁日など、盛りだくさんですが、それぞれのアクティビティに参加すると押してもらえるスタンプを集めると、賞品を受け取れることができます(先着順)。

古くからの住民の思いをつなぐ

けんがく さくらまつりは、地域資源である千本桜にちなんで開催されます。千本桜はつくばエクスプレス(TX)が開通する以前から住まわれていた住民の方々が、“研究学園・葛城の発展繁栄を願って”2007年から12年をかけて植樹されてきたものです。

私たち主催者の「けんがくまちづくり実行委員会」は、さくらまつりで地域の様々な住民や活動団体が千本桜のようにつながることを祈っています。(けんがくまちづくり実行委員会代表 島田由美子)

<けんがくさくらまつり2024

▽日時:3月30日(土)午前11~午後3時(ゴミ拾いは午前10時から)

▽場所:研究学園駅前公園内 古民家(つくばスタイル館)他

▽主催:けんがくまちづくり実行委員会

▽荒天の場合は一部企画中止

千年の歳月に見たもの《写真だいすき》29

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あちこち崩れた仏像の部分(撮影は筆者)。この写真は本文とは関係ありません

【コラム・オダギ秀】心に残った撮影は、少なくない。古い仏像を撮ったことは多かったが、このときも、忘れ難かった。

小高い丘を登っていくと、林の中に、小さな堂宇(どうう)があった。のぞいてみると、中に、取り残されたような、全身傷ついた虚空蔵菩薩がおわした。堂宇の中には、厨子(ずし)もあったが、厨子にも入らず、いたるところシロアリに喰われ、持物を失い指も欠け、身体のあちこちが割れ、面貌も定かではなく、その像は流した悲しみの涙さえ乾いてしまったようであった。

どのような歴史を背負った寺院の本尊であったのか、その寺が、いつの時代に廃寺となったのか、明らかなものは残されていないという。しかし筑波山に連なる周辺の山中には、近くには名古刹(こさつ)もあり、山岳寺院らしき廃寺もあり、ここの虚空蔵菩薩像は平安時代後期の作と推定されているらしいから、集落の人々に護られながら、およそ一千年近い時を経てきたことになっていた。

虚空蔵菩薩は、妨げるものがない広大無辺の功徳で人々の願いをかなえてくれる菩薩だそうだ。だが、この菩薩の左手施無畏印(せむいいん)の指は欠け、右手に持っていたであろう宝珠(ほうじゅ)か剣も失われている。

全体にバランスのよい量感なのだが、整っていたであろう顔立ちの漆箔(しっぱく)は剥げ落ち、痛々しい表情も、はっきりとは見えなかった。そこここに深く入り込んだシロアリの食い後も目立った。剥ぎ目のズレにも心が痛んだ。そのような菩薩にすがってもいいものか、という気にさせられた。

憎悪も孤独も後悔も悲槍も…

坐していた千年近い歳月は、その長さだけで、この世の、憎悪も孤独も後悔も悲槍も、拭い去ってしまうのだろうか。虚空蔵さま、あなたは、今、時を経て何を思うのですか?

ボクは、流れる汗にまかせ、ボク自身の悲痛を、少し漏らした。すると、堂を覆うセミの声がひときわ激しくなった気がした。思わずボクが拭ったのは、汗なのか涙なのか、木立を抜ける風が、心なしか涼しくなった気がした。

あの撮影から、もう十数年が過ぎたろうか。あの菩薩にすがった人々の思いは、どこに残っているのだろうか。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

中国で見つけた魔法瓶の形《デザインを考える》5

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写真は筆者

【コラム・三橋俊雄】今回は、以前私が中国で出合った「魔法瓶の適正デザイン」についてお話しします。上の写真は、左から上海の友人が送ってくれた竹製の魔法瓶(中身本体はありません)、鉄製の魔法瓶、その次は上海の路上でおばあさんから譲り受けたアルミ製の魔法瓶、一番右は北京のデパートで購入したプラスチック製の魔法瓶です。

ここで言う「〇〇製」とは魔法瓶の外部構造のことです。内部はそれぞれ真空2重ガラスの容器が収まっており、魔法瓶の栓はすべてコルク製のものが用いられています。

穴だらけの鉄製魔法瓶 

鉄製の魔法瓶は、1986年に中国を初めて訪問した際、北京中央工芸美術学院の院長室で出合ったものと同じです。これは、私が中国で「ショック」を受けた二つのうちの一つでした。ちなみに、もう一つは、中国中南部・湖南省の駅ホームで見た、ズボンのお尻がぱっくり開いた(おむつ不要の)幼児用「股割れズボン」です。

なぜ鉄製の魔法瓶が穴だらけだったのでしょうか?

1980年代、中国では、この魔法瓶が日本で言う「役所の大きな黄色いヤカン」のように、多くの公の場で使われていたようです。当時は、工業製品として自転車が花形産業であり、そのチェーンに使うヒョウタン型の板金が大量に必要でした。そこで、製造工程ではそれを打ち抜いた後の端材が多く排出され、その端材を丸めてカバーとして利用したのが、この穴だらけの魔法瓶でした。

この魔法瓶は、上部もやはり板金を曲げて溶接しただけの簡素な作りであり、その上の小さな注ぎ口だけがプラスチック製でした。本体部分のガラス容器は、穴だらけの板金カバーの下部で、交差した2本の針金により固定されているだけでした。

適正技術・適正デザイン

これらの竹、鉄、アルミ、プラスチック製の魔法瓶を並べて気付いたことは、第1に、カバーの材質こそ異なっているものの、その大きさやプロポーション、取っ手の位置などは同様の形状をしていたということです。その理由は、「お湯を注ぎ」「保温し」「急須や茶碗に注ぐ」という、人と道具の関係が共通していたからでしょう。

第2に、魔法瓶の「使われ方」は共通しているものの、魔法瓶の外部構造に関しては、技術的発展に伴って、竹製、鉄製、アルミ製、プラスチック製のカバーが登場したように、その時代ごとに、中国が有する技術や生産方法によって作り出されてきたということです。

すなわち、これらの時代や地域に適合した魔法瓶の製造・デザインの在り方こそ、当該地域の自立的な発展につながる「適正技術・適正デザイン」であったと言えるのではないでしょうか。(ソーシャルデザイナー)

県に請求書送付を つくば市の高校通学費補助《吾妻カガミ》177

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茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】つくば市は洞峰公園の維持管理を県から押し付けられましたが、県立高校問題では県の施策にはまりました。本来は県が負担してしかるべき費用を市の予算案に盛り込んだからです。この半年の間に、市民は知事の巧みさと市長の拙さを相次いで目撃したことになります。

遠距離通学に年間3万円補助

つくば市は2月1日に発表した来年度予算案に、土浦市、牛久市、常総市、下妻市など、遠距離の高校に通う生徒にバスや鉄道の通学費用を補助する予算を挿入しました。1億6152万円を計上し、通学に年間10万円以上かかる学生には年3万円を補助するという内容です。

この善政について、市は「急増する市内在住の高校通学者数と市内立地の高校定員数との不均衡により生じる遠距離通学負担に対して、経済的負担の軽減を図る」と説明しています。簡単に言うと、市内の県立高不足のために市外の高校に通学しなければならない学生の持ち出しを少し軽くする施策です。

つくば市は、高校生徒数と定員数の不均衡を解消する策として、市内に県立高を新設するよう県に要求してきました。しかし県は、県全体の少子化・人口減を理由に、県全体の傾向とは逆に人口が増えているつくば市での県立高新設にも消極的です。

そして、(A)市内にある既存県立高の学級増(高校経営予算の節約)、(B)近隣市の県立高への通学奨励(広域化による問題解決)―の2代替策で、高校新設を見送ろうとしています。

市長は新設実現を諦めたわけではないと言っていますが、遠距離通学補助によってTX沿線エリアに県立高を新設せよという声が弱まらないか心配です。

高校新設<既存高活用+広域通学圏

県の考え方(新設を渋る理由、代替策、高校教育の目玉)を整理すると、こういうことです。

▼少子化・人口減で県内の高校入学者は減っており、県立高は統合・廃止で減らす。

▼県全体の傾向とは逆のTX沿線についても県立高の新設は極力避ける。

▼これで生じる学生数と定員数の不均衡は既存高学級増と通学圏広域化で乗り切る。

▼上位の既存県立高については中高一貫併設によって学生のレベル・アップを図る。

県がこういった県立高経営の枠組みにこだわるのであれば、市が通学補助の窓口業務を代行するとしても、その費用は県に出してもらうべきです。県の仕掛け(B)に追随していると、県立高不足問題の解決は既存高学級増と通学圏広域化で進みます。

新設までの暫定措置として県ないし市が遠距離通学費を補助するにしても、上限が3万円では少な過ぎます。実際にかかる費用の3分の1以下ということですから。県に送る請求書は、少なくとも1億6152万円✕3=4億8456万円にする必要があるでしょう。

通学補助を大幅県に請求書送付

生徒数と定員数のミスマッチ解消は、人口が増えているTX沿線市の重要課題です。それなのに、県も市も目先の対策でごまかそうとしています。生徒に遠距離通学の時間的負担を強い、保護者には経済的負担を強いるのを放置し、微々たる通学補助金を出す「善政」で取り繕うとする市長も困ったものです。

市議会は来年度予算案を否決し、総額4億8456万円の修正案を出し直させ、県に同額の請求書を送らせる議案を決議すべきでしょう。研究学園市=高校過疎地では「世界に笑われるまち」TSUKUBAになってしまいます。(経済ジャーナリスト)

<参考>

▽記事「…市の新年度予算案 過去最大を…連続更新」(2024年2月1日掲載

▽コラム139「上り坂の市と下り坂の県のおはなし」(2022年8月15日掲載

▽コラム118「つくば学園都市は公立高の過疎地」(2021年10月18日掲載

「花火を聴く」 視覚障害者の花火鑑賞《見上げてごらん!》24

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第92回土浦全国花火競技大会ワイドスターマイン「土浦花火づくし」(実行委員会提供)

【コラム・小泉裕司】花火を季題とした風景や心象を描写した名句は数多い。人生や季節の移ろいを、儚(はかな)く消える花火に重ねるのだろうか。

盆などの慰霊行事であったことから、「初秋」の季語だったようだが、現代は納涼行事として「夏」が主流のよう。「遠花火(とおはなび)」も同様。たった3文字にもかかわらず、打ち上げ場所から遠く離れたところから「見る」花火への、切なさや愛(いと)おしさが心に沁(し)みる季語である。

花火鑑賞の多様性

昨年の土浦市議会第4回定例会では、「土浦全国花火競技大会時の障害がある方の観覧」についての一般質問に対する答弁で、佐藤亨産業経済部長は「花火会場で、視覚障害者に花火の魅力を感じてもらうことができた」という希有(けう)なエピソードを披露した。

大会当日の朝まで行くかどうか迷ったあげく、意を決し、会場を訪れた視覚障害のある男女2人は、打ち上げが始まるころには、桟敷席近くに到着することができたという。

杖(つえ)を持った2人に気付いた桟敷席担当の係員は、業務の傍ら、土手にたたずむ2人を気にかけていたそう。周知のとおり、打ち上げ終了後の道路は、超過密な状況と化し、視覚障害者には危険きわまりない。これを察知した係員は、土浦駅行きのシャトルバス停まで誘導し、無事帰路に着いたのこと。

2人は、花火の真下に来たことで、まぶたの奥に光を感じることができたという。音や振動を体感することや、音楽、場内アナウンスも聴くことができた。何よりも、観客と一緒に拍手をすることができたことに感動。「ここまで来て本当によかった。ありがとうございます」と涙を流し、花火を堪能した喜びを係員に伝えたそう。

この報告を聞いた部長は、障害者も花火の思い出をつくることができる、土浦の花火は様々な人たちに感動を与えることができることを実感したという。筆者も、土浦の花火ファンが、また2人、増えたことが実にうれしい。 一方で、本稿でこの話題を書くことに躊躇(ちゅうちょ)したのも事実。

つまり、主催者にとっては、来場者の安全を確保することが最優先の使命であって、身動きもままならぬ雑踏や道路面の不備も想定される中で、係員まで巻き込んだ身勝手な行動と非難されないか。

さらに、係員の対応は業務範囲を逸脱しているのではないかなど、大いに逡巡(しゅんじゅん)した。実行委員会は、会場から1.5キロ離れた安全な場所に「身障者用駐車場」を確保して、会場への誘導を勧めることはしていない。

しかしながら、今回の2人の行動によって、新たな気付きを得たことも事実。それは…「花火を聴く」。 

「花火の光を感じたい、心に響く音を聴きたい。こんな欲求を満たしてくれる環境づくりの必要性、誰ひとり取り残さないとの観点からも大切なことであり、これからもあらゆる面でみがきをかけて、多様な観客に楽しんでいただける大会づくりにまい進したい」と、部長答弁を括(くく)った。

まさに、安藤市長が標榜(ひょうぼう)するダイバーシティの考え方に沿った、崇高な精神である。

「亡き人を思い遠花火に耳澄ます」

このエピソードの対極にあるのが、Oi café 20「亡き人を思い遠花火に耳澄ます」(平野国美、常陽リビング、2017/8/19、6ページ)。

介護ベッド上で目を閉じ、遠くに響く土浦花火の音を聞きながら、母親代わりの亡き姉への郷愁、その姉と会話した花火への情念が動画のごとく流れる。訪問診療医で本サイトのコラムニストでもある平野氏ご本人から、以前に送っていただいたコラムを、読み返している。

「いつか一緒に、あの花火の真下で眺めたいねって話してたの。そのお姉ちゃんが行けないのに、今さら私だけ見に行くってわけにはいかないの」。昭和期の俳人鈴木真砂女の句が添えられていた。「死にし人 別れし人や 遠花火」

真下で体感するもよし、遠花火に耳澄ますもよし。本日は、この辺で「打ち留めー」。「ドドーン キラキラ!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

昭和にトリップできる郷愁の商店街《看取り医者は見た!》13

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写真は筆者

【コラム・平野国美】私は休日に商店街を歩くのが好きです。ショッピングとかでなく、ただ、何かあれば店に入ってみたり、古い純喫茶に入ってみたり―と。外国にはそれほど行ったことはありませが、自分も商店街育ちのせいなのか、日本の商店街が好きなのです。そこでは、その町の庶民文化を味わえますし、「昭和」にトリップができる気もするのです。

しかし、シャッター通り=歯が抜けたように消えていく商店街=が、最近では目立つどころか、ほとんどが消えていくのです。今、日本で活性化している商店街は、以前の数パーセントと言われています。最近では、シャッター通りは取り壊されたか、かつて商店街であったとは思えないような住宅街へと変わりつつあります。昔の「商店街」は博物館入りになるのでしょうか?

こういった痕跡を歩くのは、趣があって楽しいものです。先日、四国のある商店街を歩いていると、聞きなれない天地真理の歌がスピーカーから流れてきました。歌詞をスマホで調べると、「若葉のささやき」(1973年3月21日発売)という曲で、小学2年生だった50年前にトリップできました。

フランスなどの洗練された商店街も美しいのですが、どこか物足りなさを感じます。それは、文字表記がアルファベットということだけではありません。今、海外のしゃれた商店街と日本の猥雑(わいざつ)な商店街を比較すると、構造的にも文化的にも、日本らしさというものがいくつも見えてきます。

「町中華」「純喫茶」「レトロビル」

以下、私の「商店街」論です。昭和の人情商店街は消えていく運命なのか?についても、考えたいと思います。

残るものか?残らぬものなのか? それはわかりません。しかし数は減少していくでしょう。歩きながらその現実を見ると、消えていく運命なのだと思えてきます。一方で、「町中華」とか「純喫茶」とか「レトロビル」といった言葉が生まれてくる背景は何なのでしょうか?

商店街の見方、楽しみ方はいろいろあると思います。私は、その空間や形態に魅力を感じております。また、その発祥や由来など歴史的な流れに目を向けると、見えてくるものもあります。それがわかると、消えていく理由も見えてきます。

一方で、活気がある商店街の裏側を眺めることができたとき、「そういう商店街の存在の仕方もあるのだな」と感心するのです。上の写真は、私が好きなアーケード街(左、市場由来の那覇市の中央通り)、曲線が美しい商店街(右、瀬戸市の銀座通り)です。(訪問診療医師)

生きて、社会に抵抗せよ《電動車いすから見た景色》51

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】「生きるのは苦しい」。子どもの頃からずっと感じてきたが、なかなか表出できなかった言葉が堂々と書いてあることに、私は心底安堵(あんど)した。社会を変えたいと望みながら、本当の自分をさらけ出す勇気すらない私に、そっと寄り添ってくれるような言葉だ。

1995年生まれのライター、高島鈴さんの初エッセイ集『布団の中から蜂起せよ―アナーカ・フェミニズムのための断章』(人文書院)。

高島さんは本書で、家父長制、異性愛規範、資本主義をはじめとする、弱い個人を追い詰める権力や差別を否定し、社会を変える働きかけ全てを「革命」と呼ぶ。「革命」と聞くと、行動力のある強い人がすることだと思いがちだが、著者によると、日常の中で自分を脅かすものに少しでも抵抗しながら生きることそのものがすでに革命への加担なのだ。

私は、世間のつくった「あるべき障害者像」を恨みながら、少しでもそれに近づこうとする自分が嫌いだ。窒息しそうなほど苦しいのに、誰かに褒められようと、笑顔で頑張る矛盾だらけの自分が大嫌いだ。そんな私に、「生きるのは苦しい」と断言しながら、それでも、たとえ布団から起き上がれなくても、今いる場所で生き延びることが「社会を変える力」だとする高島さんの言葉は響いた。

あなたという存在を伝えて

大げさなことはしなくてよい。家の近くの学校に、心地の良い服装で通う。ほしい情報を自分にとって分かりやすい方法で受け取る。周りから自分らしい名前で呼ばれる。愛し合った人と家族になる。そんな、あなたの望む生き方をすればいい。

しかし、この社会は、健常で、日本語が母語で、自分の性別に違和感がなく、異性愛で…、世間から見た「普通の人」しかいない前提でつくられている。そんな社会で自分という存在が無視されていると感じたときは、ほんの少し勇気を出して、この社会であなたという人間が生きていることを周囲に伝えてほしい。

伝える手段は何でもよい。具体的な行動をするエネルギーがないなら、今を生き延びるだけでいい。生きていれば、誰かがあなたの存在に気づくかもしれない。でも、あなたが死んだら、何も伝わらない。

社会は呆(あき)れるほどゆっくりとしか変わらない。それでも、誰かに生きづらさを押しつける社会を変えたくて、私は文章を書き続ける。私の言葉が小さな波紋となり、会ったこともないあなたと共鳴し合いながら、いつか社会を変える巨大な渦に合流することを願う。(障害当事者)

筑波学園病院内の「レストラン サンテ」《ご飯は世界を救う》60

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】サーロインステーキを初めて描きました。今まで、サーロインステーキって数えるほどしか食してないです。息子3人のお腹を、どうやって安価で栄養あるもので満腹にさせるか―こればっかり考えていました。そして、どうにかでっかくなりました。

筑波学園病院(つくば市上横場)にはめったに行かないですが、今回は連れ合いが整形外科を受診。かつては息子がはやり病とかで色々お世話になりました。でも、院内の「レストラン サンテ」は横目で見ても、毎回バタバタとスルーでした。それで、前々から一度入ってみたいと思っていました。今回ちょっと勇気。

病院ですから、優しい感じの麺類や和食かと思っていたら、サーロインステーキが「おすすめ」となっていて…。なんだか不思議ですよね。サーロインステーキが病院レストランのお勧め? お値段も超お得! それで、描くことに。いえ、食べることに。

病気でなくても、また行きたい

それが、食べつけない、つまり経験値が低いものは、描きにくいことが判明。育児後、まぁ、食べられれば食べたのですが、食べ慣れたものばかり食べるって、ありますよね。それに、上手に焼けないし…。

結構、描くのに苦戦です。お手軽価格の、とてもおいしいこのステーキ。もっと、おいしそうに描きたかったなぁ~。病気でなくても、また行きたいレストランです。

色々な方がランチなさっていました。病院のスタッフさん風の方。車いすでお連れの方に食べさせてもらっている方。多分、皆さん病院にご飯だけ食べに来ているのではないでしょう。

ご飯を食べないと生きていけない。そのたった1回の食事でさえ、長く診察の順番を待って、やっと終わって、結果がどうであれ、とにかくご飯を食べることができる。そんな何でもなさそうなことが、貴重で幸せなのではないかしら。

その一食が「おいしい!!」となったら、最高。サンテさん、これからも幸せな時間をつくってくださいね。(イラストレーター)

◆「レストラン サンテ」は2月19日から内装工事に入り、3月21日再開予定です。

「人生100年時代」というけれど…《ハチドリ暮らし》34

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畑のレタスに霜がかかっています

【コラム・山口京子】「人生100年時代」ということは、老後の時間が延びるということ、すると、体力や気力はどうなるのか? 長寿にどう心構えをするのか、しないまま歳を重ねてしまうのか…。

80歳まで生きるとは予想していなかった母。自身の母を自分が4歳のころに亡くしており、母親の顔は覚えていないと言います。母が35歳のとき、父親は65歳で亡くなりました。父が亡くなった年を超えたとき、感無量だったと言います。60代から80代前半までは旅行と趣味で日々忙しく、先のことは頭になかったと。

その母が90歳になったころ、「こんなに長生きするなら、お金のことをちゃんと考えておくべきだった」と言うのです。現在の日本では90歳以上の人が200万人を超え、その7割は要介護認定を受けているそうです。年齢を重ねるほど個人差が大きいように思われますが、やはり誰もが老いていきます。

母の老いを見ていると、85歳で体力がガクンと落ち、要支援1に認定され、90歳でガクガクガクンと落ち、要支援2と認定されました。1人暮らしで食事作りもままなりません。

私たち子どもが、月に数回、買い出しや病院通いのために実家に帰省していました。その後、カゼを引き体調を崩してから、呼び出される回数が増えます。体調が悪く、気持ちも落ち込んでいるときは「もう1人暮らしは無理だから施設に入ろうかな」と言い、体調が良くなれば「まだまだ1人暮らしを頑張れる」と気持ちが揺れます。

干し柿、うな丼、チョコレート

鼻が利かない母は、自分が漏らしているおしっこの臭いに気付きません。ですが、私たちからすると強烈な臭いです。加えて大便を漏らすようにもなりました。自分で箸をつかってご飯を食べることはできるけれど、調理や片付けは難しくなっています。1人でお風呂に入ることはできません。洗濯をすることも難しくなっています。

腰の痛みが尋常ではないと言うので、整形外科で診察していただきました。このままでは寝たきりになると言われました。施設入所を考えケアマネジャーさんに相談すると、入所に不本意な母に対して「今は寒い時期だから施設に入ろう。暖かくなったら家に戻ればいいよね」と言葉がけ。

母も納得し、施設に入ることにしました。施設に入る前の夜、干し柿、うな丼、チョコレートを食べ切りました。「長生きなんかしたくない」と言いつつ、不調があれば医者通い…。長生きとその代償との折り合いをどう付ければよいのでしょう。(消費生活アドバイザー)

明菜と聖子が市長選挙に出たら? 《映画探偵団》73

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】「中森明菜と松田聖子がつくば市長選挙に出たら、どちらが選ばれるだろうか?」と考えた。2月4日、ホテルグランド東雲で開催した『新春つくこい祭ツアー/80年代の中森明菜を舞い歌う』第1景の本番中だった。

明菜の80年代のヒット曲に合わせ、フラメンコと日本舞踊を次々に披露。参加者の手拍子、足拍子、掛け声でグングン盛り上がった。圧巻は『二人静』の曲によるフラメンコと日本舞踊の競演。扇を短刀に見立て、2人がグサッと刺すしぐさにはどよめきが起きた。

第2景であいさつに立った来賓は「見ていて、青春時代を思い出し涙ウルウルになりました。現在では娘がカラオケで歌っています」と話されていた。明菜再ブ一ムが起きていると知ってはいたが、眼前の40代以上の女性の反応を見て、本当にそうなのだなと実感させられた。

80年代の明菜の曲とつくばの歴史を重ねた構成(映画探偵団72)を理解していただけるか心配だったが、第2景の民謡版『少女A』が終わったあと、長年つくばで暮らす人がわざわざ私のところにいらして、構成が良いとほめてくれた。どうやら分かってくれたようだ。

今回のイベントで明菜のことを調べると、明菜より2年前の80年にデビューし同時期に活躍した松田聖子の存在が浮き上がってきた。

何人かの女性に明菜と聖子のことを尋ねると、皆熱心に2人のことを語ってくれた。髪型、衣装、振付などにこだわりセルフプロデュースする明菜を支持する派とぶりっ子と揶揄されながらも海外での飛躍をめざしていた上昇志向の聖子支持派に分かれる。また、2人とも大好きだという女性も多くいた。

薬師丸ひろ子と原田知世は?

2024年2月はつくば史にとって特別な月になる。2月1日、洞峰公園が茨城県から無償譲渡された。2月12日には、つくばセンタービルに市民センターと消費生活センターと市国際交流協会が入った「コリドイオ」(イタリア語で回廊の意味)がオ一プンするからだ。

明菜派、聖子派がどんな反応を示すか興味がある。洞峰公園を無視しコリドイオのことを語るのか? コリドイオよりも洞峰公園の維持管理に関心を示すのか? 2つの出来事を分けて考えるのか? だが2つの場所は都市の中心軸として一つにつながっている。別のものではない。

つくばセンタービルができた年、筒井康隆原作、大林宣彦監督、原田知世主演の角川映画『時をかける少女』(1983)が公開された。未来から植物採集にやって来た若者に女子高校生が恋をしてしまうというお話。未来人は念波を用い関係者の記憶を書き換える。

この年、先に角川映画でデビューしていた薬師丸ひろ子と原田知世のアイドル競争が始まった。音楽業界の明菜と聖子、映画業界の薬師丸ひろ子と原田知世の活躍も同時期だったのだ。また明菜は角川映画のファンでアルバムを作っている。

今秋にはつくば市長選挙を控えている。鍵を握るのは80年代に明菜と聖子の歌声で育った女性たち、ひろ子と知世の映画を見ていた女性たちである。 だからであろうか、2人が市長選に出たら、どっちが勝つかなどと不埒(ふらち)な妄想が湧いてしまったのだろう。

次のイベントも80年代の女性を対象にするつもりである。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

茨城の干し芋 最近の話題《邑から日本を見る》153

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干し芋づくりの体験

【コラム・先﨑千尋】茨城県の冬の風物詩は干し芋。と言っても、県南や県西地区の人はあまり関係ないと思っているかもしれない。私が県北地区に住んでいるからそう思うのだろうか。

誰にも好かれるその干し芋。全国の干し芋の産出額(生産額)は2021年のデータで130億円(1万910トン)。うち茨城が129億円。先進地だった静岡県などすべてを足しても1億円にすぎないのだから、ダントツ、独壇場だ。

その茨城の中でも、ひたちなか市、東海村、那珂市で90%を占める。他では、鉾田市、茨城町、那珂市などで生産量が多い。

干し芋は県内や首都圏などでは知られていても、全国レベルでの知名度は高くない。そこで県は1月10日を「ほしいもの日」と制定し、認知度の向上をめざすことにした。この日にしたのは、芋という字が草冠(くさかんむり)の下に一と十が入っているからだそうだ。

そうした県の動きに合わせて、干し芋加工業者の中にも新たな試みが見られる。そのうちの一つに、ひたちなか市阿字ヶ浦町のマルヒがある。同社ではこの1月から、「あなただけの特別な干し芋を作りませんか(MAKE HOSIIMO  YOURSELF)と消費者に呼びかけ、干し芋の手づくり体験ができる施設を作った。

会場は同社が海水浴シーズンに営業しているビーチガーデンの一室で、同社専務の黒澤一欽さんが、最初に干し芋の歴史や作り方を映像で紹介する。その後、エプロンや手袋、帽子などの作業着を身に着けてもらい、作業にとりかかる。

体験では、あらかじめ蒸しておいた約2キロのサツマイモを使う。イモの種類は、古くからある「玉豊」か、人気の高い「べにはるか」で、体験者が事前に選んでおく。作業は、ナイフでイモの皮をむき、スライサーを通して薄く切り、用意されたすだれに並べる。

すだれに並べたサツマイモは同社で預かり、1週間ほど天日で干し、完成した干し芋を体験者の名前が入ったパックに袋詰めし、届けられる。体験できるのは、1月から4月までの金・土曜日。申込者は県内や首都圏の干し芋が好きな人が多く、大阪からも来ている。

干し芋の皮で焼酎造り

マルヒのもう一つの話題は、蒸したサツマイモの皮や、大きくなりすぎて干し芋に適さないサツマイモなど、干し芋の製造工程でこれまで捨てられてきた残渣(ざんさ)を利用して3種類の焼酎を製造し、販売を始めたことだ。

干し芋の残渣を利用した焼酎

大量に出る干し芋の皮の処分は、放置しておくとクサくなり、これまで生産者の頭痛のタネだった。焼酎は3種類ともサツマイモの甘い香りが楽しめ、品種やサツマイモの状態の違いから生じる味の差を感じ取るのも楽しみの一つだ。

干し芋焼酎はこれまでにもひたちなか農協(現常陸農協)の「へのかっぱ」などがあるが、残渣を利用しての焼酎づくりは、干し芋産地の課題解決の新たな手法として注目されよう。

黒澤専務は2009年にスタートした「ほしいも学校」の最初からのメンバーだ。ほしいも学校のコンセプトは、コミュニケーション、商品開発、教育、広報、農業、志気。干し芋の体験教室や残渣を利用した焼酎造りは、ほしいも学校の目指す方向に沿った活動と言える。拍手を送りたい。(元瓜連町長)

◆問い合わせ先は㈱マルヒ(電話0120-028056)

せっかちでやせ我慢《続・平熱日記》151

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】小さい頃からずっと冬はこたつのある家だった。しかし、この冬はこたつを出したものの入らないでいる。始めは節約を心がけて寒さが厳しくなったらいずれは入ろうと思っていたのだが、羽毛布団に潜り込んでテレビを見たりしているうちに、とうとうこたつなしで年を越してしまった。

よく家族に「せっかち」だと言われる。確かに行列が大嫌いだし、請求書の類いはとにかく早く払ってしまいたい。しかしこれが私の気質なのかというと、意外に教育されたものでないかと最近思うようになった。

思えば、小学校の頃から体操服に着替えるのも計算ドリルも教室の移動も、とにかく手早くやるように言われ続けた。のろまで愚図(ぐず)は悪であるかのように教育されたのだ。

それと同じように教え込まれたのが「やせ我慢」。特に、寒さに対してのやせ我慢は善とされた。冷たい水で雑巾がけ。休み時間は校庭をぐるぐる走らされ、「子供は風の子、元気な子」作戦。乾布摩擦なんて今では見かけなくなったが、このような心頭滅却型のやせ我慢教育は少なからず私の身に沁みついている。

だが、そろそろやせ我慢も限界。毎月の光熱費の請求額にびくびくしながら暮らすのもうんざりだ。

貧乏性の男の春はまだ遠い

多分歳のせいか、こたつは我慢できても風呂には入りたい。以前は冬に2~3日風呂に入らなくとも平気だったのに、この頃は風呂に入って温まりたいと思うようになった。ちなみに、去年は節約チャレンジャーのつもりで真冬でもシャワーで済ませていたが、今年は考え直した。

毎日銭湯に行くことを考えれば、また冷えた体のまま風邪を引いたり免疫力が落ちることを考えれば、熱い風呂に入った方が結局安く上がるというものだ。さらばやせ我慢! どうせなら、少し熱めの湯に入浴剤などを入れて温泉気分を楽しむことにしよう。ここはせっかちな性分を封印して、ゆっくりと湯につかる。身も心も温まって、体の冷えも疲れも取れた気がする。

スーパーでは半額で買えるペットボトル飲料をコンビニで平気で買うのに、1円でも安いガソリンスタンドを探してしまう。歯磨き粉は親の仇(かたき)でもあるかのように最後まで絞り出すくせに、普段の買い物はどんぶり勘定である。全く何をケチっていくら節約しているというのか。

というか、そもそも1人暮らしなのがよくない。自分1人のために風呂に湯を張るのはもったいないという話だ。だから、今日も夕方になると風呂に入ろうかどうしようかと悩む。よし、今日は寒いし風呂に入ろう。たまった洗濯をするのに、残り湯を使うから。言い訳がましいのも歳を取ったせいか。

暮れに指をけがしたことで、洗い物にゴム手袋をするようになった。まさにけがの功名というか、毎年悩まされていた親指のぱっくり割れもないし、お湯を使わなくて済むのが何よりうれしい。せっかちでやせ我慢の上に貧乏性の男の春はまだ遠い。(画家)

出来ない理由が先に出てくる《続・気軽にSOS》146

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【コラム・浅井和幸】先日、友人Aと待ち合わせの話し合いをしました。大したことではないので、さっと済ませられるかと思っていたのですが、なかなか話が進まず、何を話し合っているのか、途中から分からなくなることもありました。

A「来週の月曜日に一緒に昼食を食べよう」

浅井「たまにはよいね。どこかで待ち合わせてから、食べに行こう」

A「どこで待ち合わせる? 浅井が決めてよ」

浅井「どこでも良いよ。事務所で待ち合わせようか? それともAの家に迎えに行こうか?」

A「事務所まで行くのは面倒だなぁ」

浅井「じゃ、Aの家に迎えに行くよ」

A「いやいや、遠いし、申しわけないよ」

浅井「別に構わないけど」

A「でもなぁ…」

結局、事務所で待ち合わせをすることになったのですが、Aの考え方のくせが私の考え方のくせとあまり合いません。待ち合わせ場所をどうするかとかではなく、どのような場所で待ち合わせるのが嫌かというやり取りに終始するのです。

逆立ちして待ち合わせるのは苦しい

この話には続きがあって、私は「こちらも、アメリカで待ち合わせるのは遠いので嫌だし、逆立ちして待ち合わせるのも嫌だな。場所を決めることぐらい、大した問題ではないと思うけど、こちらも待ち合わせには適さないことを永遠と言い続けようか? 車を担いで待ち合わせるのは不可能だとか」と、極端なことを言います。するとAはハッとして、事務所で待ち合わせることになったのです。

自分は何も悪いことをしていないのに、運が悪いとか周りの人間が悪いやつばかりだと、Aはいつも言います。ですが実のところ、A自身が解決策を考えるどころか、悪いところを探し出して、あげつらっている日々なのです。

どんなことにも良い点と悪い点があります。悪い点ばかりを見続ける、改善させないように立ち振る舞う、苦しさをかなり抱え込む―。大変な人生を選択している彼に、同情の念を抱かずにはいられないのですが、改善策をアドバイスすることは彼のストレスを大きくしてしまいます。

それにAは、耐えられないほどの苦痛を感じて反発するだけなので、苦しみを重ね続ける彼を遠くで見守るしか手はないのだと、自分に言い聞かせる今日この頃です。(精神保健福祉士)

住むのに便利な街《遊民通信》82

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【コラム・田口哲郎】

前略

先日、「徹子の部屋」に阿川佐和子さんが出ていて、おもしろい話をしていました。阿川さんは終(つい)の住処(すみか)になるだろう我が家を探すのに、海が見えるところに住みたいと思ったそう。海が見える家にずっと憧れを持っていたのがその理由です。

最初は瀬戸内海沿岸の尾道あたりを考えたけれども、東京での仕事が多く、通うのが不便なので断念。次に東京近郊の湘南はどうかと年上のお友達に相談したら、湘南は東京都心まで距離があるし、海辺は生活利便施設があまりないところが多いので、生活が不便になるから止めた方がよいと言われたそうです。

「海なら年に数回見に行けばよいじゃないか」と言われたらしい。そして結局、都心の便利なところに住んでいるというオチでした。

これを見て、なるほど海辺や森の中の家に憧れるけれども、景観がよいのは心を和ませてくれても、生活するのに直接的便利さは提供してはくれないー。改めて考えさせられる言葉でした。

県南で住むのに便利な街は?

私は常々、茨城県南には筑波山や霞ケ浦を始めとして風光明媚(めいび)な場所はたくさんあるのに、特に霞ケ浦はいまいち観光地としてパッケージ化がされていないように思っていました。京都の宇治みたいな楽園感があまりないような気がするのです。

でも、よく考えると、宇治の観光地のど真ん中にスーパーマーケットやホームセンターはないです。行くたびに、こんなところに住みたいと願うのですが、実際に住むとなると不便さが出てくるのかもしれませんね。

そういう意味で、筑波山や霞ケ浦の周辺は鉄道駅から離れていたりして少し不便ですので、逆に観光地としての可能性は大いにあると考えてもよいんじゃないでしょうか。

ところで、生活利便施設があるといっても、それが点在していると、結局、自動車に乗らなければならなくなったりと不便さがあったりします。駅前にスーパーマーケット、ホームセンター、家電量販店などが集中しているところが、生活に便利な街ということになるでしょう。

すると、県南地域で思いつくのはTXの研究学園駅です。さらに、JR常磐線のひたち野うしく駅周辺も隠れた便利エリアになっています。関東広しといえども、これほど便利な街はそうそうないと思います。

コロナ禍が収まり、東京への集中の傾向が出てきた昨今、郊外の駅チカの便利な街がますますにぎわうかもしれませんね。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

県立中学入試から、学びを考える《竹林亭日乗》13

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立春の筑波山(写真は筆者)

【コラム・片岡英明】1月6日の県立中入試で、定員920人に2393人が応募した。これは2023年度の県内小学6年生2万3442人の10.2%になり、10人に1人が県立中を受験したことになる。今まで受験といえば高校入試だったが、最近は小学生の中学受験が増えている。

学ぶ力をつけるのは、生徒も含め私たちの一生のテーマであり、学びたいときがスタートだ。しかし、中学受験について保護者の話を聞くと、どうしても塾が話題になる。そういった一方向の流れに疑問を感じながら、中学受験を意識した生徒の学びも応援する、一生モノの「学びの大河」を提起できないかと悩んでいる。

中学入試も貫く「読む力」

県立中試験は、①長い問題文を読む力、②複数の図表から設問と関係する部分を柔らかく読む力、③問い-意見-理由-説明の記述を意識した設問の意図を読む力―を重視している。

2024年の適性検査1は全13ページで算数と理科。問題数は29問、回答時間は45分で、90秒で1問を解く必要がある。算数の問題1は本文13行と図の次にあり、短時間で「問いは何か」「どう解くか」の2ステップで読み解く必要がある。

長文化が指摘される共通テストも、県立中の問題でも、長い文章を正確に速く読むには、文章の型を学び、先を予想する力が要となる。それには、教科書・新聞・本などを主体的に読むための基本となる「3つの読み」が有効である。

情報読み、読解、対話読み

1.情報読み=何が書いてあるか? 文章をキーワードや段落を意識して必要な情報を効率的に探す。設問と関係がある文を探すのもこれだ。

県立中入試のように図表が多い問題は、マンガを読むように、株のディーラーように、拘りのない緩い目の「並行読み」で対処する。でも、情報読みばかりでは当然疲れる。

2.読解=著者はなぜ書いたか? 情報読みで「あっれ」と立ち止まり、新聞の切り抜きをノートに貼る。そのときに、主体的な読解と学びの蓄積が始まる。効率や速さからwhyへの深化だ。

なぜ、この問題を出したか? その意図を考えると、情報読みが読解となる。問題作成者の意図を読み取る学習は、設問と関係する文を探す(正解に接近する)速さを上げ、正解率が高まる。試験で効率的に解答するにも、ゆっくりwhyと考える読解の学習段階が重要だ。

3.対話読み=「そうか?」と著者に問う。切り抜いた新聞記事をノートに貼ると、意見を書きたくなる。著者と自分との対話である。

小論ならば著者の結論や根拠に、物語では山場で主人公が行動で示した著者の思いについて、あれこれ耕す。対話読みとは、言葉がどんな場面で発せられたかを読み解き、自分の意見を著者にぶつけることだ。これを行って、初めて自分の読みが完結する。

読みから記述へ、始まりは読み

読みは、著者がどう書いたか、つまり「表現の工夫」に至る。そこから、読みが記述につながる。そして、記述は話すことに、話すことが聞くことにも広がっていく。始まりは読みである。

学びや中学受験を意識したら、以上の3つの読みを参考に、一生モノの「学びの大河」となる読む力をつけてほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

2058年に1億人割れ、日本の人口減少対策は?《ひょうたんの眼》65

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山茶花(さざんか)=写真は筆者

【コラム・高橋恵一】国立社会保障・人口問題研究所は、日本の人口が2050年には、現在より17%減の1億600万人になると予測した。2058年には1億人を割り込み、2100年には7500万人としている。

少子化が進めば、人口減少で働き手や消費者が減り生産力が低下して、経済全体を弱めると考え、人口減少を抑えることを最重要課題として、与党も野党も、メディアも子育て対策に夢中のようだ。岸田政権は、異次元の子育て対策を喧伝(けんでん)している。

子どもづくりを国策として奨励したのは太平洋戦争時代で、「産めよ、増やせよ」「軍国の母」などの掛け声とともに、「兵隊さん」を確保するためだったが、赤ん坊が兵士になるまで15年から20年を要するので、泥縄政策であり、効果は無かった。まして戦死を美化し、食糧確保もままならない戦時中に子育てをするなど、母親にとって納得できる国策では無かったであろう。

ある調査で、大学生の19%(女子は23.5%)が子どもを欲しくないと答え、経済面の不安や女性に育児負担が偏ると考えているとの結果が報告されている。非正規低賃金の若者には、子育てどころか、結婚もままならない。また、異常な受験競争でトリプル学習塾や勝利至上主義の部活に身を置く子どもたちの現状で、生まれる子供たちは自由と笑顔で成長できるのだろうか?

欧州の福祉国家を構築する経済政策

折しも、GDPがドイツに抜かれて世界第4位になり、日本の経済成長力が低下しつつあることが明らかになった。独の人口は8400万人、2070年に予想される日本の人口だ。日本が、失われた30年と言われ、個人消費が低迷している間に、独、英、仏、北欧諸国は、福祉国家を構築する経済政策で進み、30年の間に日本に差をつけた。

例えば、医療福祉サービスは、経済需要の大きな分野であり、賃金は、個人消費支出として循環するのだ。財源が公的部門から出れば、建設部門の公共事業と同じ機能を持つことになる。日本の低賃金政策が、結局、GDPで独に抜かれた所以(ゆえん)なのだ。医療・介護従事者の賃金は政府が決められる。岸田総理は明日にも、望む賃上げを実現でき、人手不足を解消できるのだ。

人口減少は、少子化要因だけでなく、後期高齢に達した団塊の世代の今後20年ほどの急速減少も加わっていく。人口1億人なら、1億人分の需要に応じた供給力で対応すればよいだけだ。(地図好きの土浦人)

台湾・総統選挙と立法院選挙《雑記録》56

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プリムラ・ジュリアン(写真は筆者)

【コラム・瀧田薫】1月13日、台湾総統選挙の投開票が実施された。選挙前、中国の習近平国家主席が台湾侵攻に踏み切るレッドラインは「台湾の独立」にあるとの見方が流布されていたため、次期台湾総統に誰がなるのか、世界の関心が集まっていた。

選挙の結果、親米派の与党(民進党)賴清徳候補が得票率40.05%を獲得して次期総統に当選した。中国政府が期待していた親中派の野党(国民党)侯友誼候補は得票率33.49%で敗れた。第三勢力として無党派層や若い世代から支持された柯文哲候補(民衆党)は得票率26.46%と健闘した。

一方、同時に実施された立法院(国会)選挙(定数113)においては、与党・民進党が過半数を割り込み51議席で第2党に転落し、野党・国民党は議席を増やして第1党になったが、過半数を獲得できず、52議席にとどまった。

この結果、8議席を獲得した民衆党がキャスティングボートを握ることになった。与党・民進党の過去8年間の統治が「対中関係の悪化」とそれに伴う経済の不調さらに経済格差をもたらしたとの批判・不満が若者世代と無党派層にあり、これが民衆党への支持につながったようだ。

与党が議会の過半数を失ったため、賴次期総統の政権運営は困難を極めるだろう。頼氏は民衆党との連立工作を急ぐが、柯氏がこれに素直に応じるとは思えない。

選挙戦中、柯氏は「民進党と国民党による旧来の2大政党制を打破しよう」と訴えた。選挙後の記者会見では「他党と協力はするが、個々の法案、政策には是々非々で臨む」と述べ、台中関係では「対話を望むが、重要なのは台湾の民主主義と生活を守ることだ」とし、その上で「候補者中、米中双方に受け入れられるのは私だけだ」と強調した。(世界日報、1月13日付)

米中・台中関係 日本の役割は大

ちなみに、柯氏の発言がそのまま今回の選挙の総括になっている。つまり、台湾の有権者は、米中対立の狭間(はざま)にあって、台湾の現状維持策を選択するバランス感覚を示すと同時に、旧態依然の2大政党制に楔(くさび)を入れ、民主主義の堅持と経済格差の解消を望んだのである。現総統・蔡英文氏を継承すると宣言した頼氏を次期総統に選びはしたが、頼氏の台湾独立志向は支持しない意思を立法院選挙(ねじれ国会)で示したと言えよう。

野党・侯友誼氏の対中融和姿勢については、有権者の間に、香港の二の舞になりかねないとの警戒心があった。実際、有権者は外部からの選挙干渉に強い拒否反応を示し、中国政府による侯候補への後押しは、結果として侯氏の足を引っ張ることとなった。

中国政府は台湾の民意に失望し、台湾に対する経済、軍事両面の圧力を強化する姿勢だが、早晩、民進党との対話を模索せざるを得なくなるだろう。米国のバイデン大統領は頼氏に対し、台湾の独立は支持しない旨のメッセージを届けた。日本政府も祝意を届けたが、政府よりも超党派の議員連盟「日華議員懇談会」の方が精力的に動いた。

1972年の日中国交正常化以降、議員外交そして民間外交が日台関係の推進軸となってきた。こうした努力あってのことだろう、台湾政府に限らず国民党も民衆党も日本を信頼し、米中関係そして台中関係において日本が果たす役割に期待している。台湾有事を未然に防ぐため、日本政府は米中間の仲介役を果たさねばならない。日本外交の真価が問われることになる。(茨城キリスト教大学名誉教授)

土浦博物館と市民の郷土史論争に市長が回答《吾妻カガミ》176

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本堂清さんと土浦市立博物館

【コラム・坂本栄】土浦市立博物館から郷土史論争を拒否された市民が市の広聴窓口に質問状を送ったところ、市は博物館が執筆した反論文を同封した市長名の回答書をまとめ、同市民に郵送してきました。博物館はこの郷土史家をクレーマー(常習苦情者)扱いにして論争を拒んでいましたが、博物館を監督する市長が代わりに回答したことで、市の論争拒否姿勢は改められたことになります。

郷土史家をクレーマー視した博物館

この問題については本コラムでも何度か取り上げました。経緯、争点、私の疑問などについては下の青字部をクリックしてご覧ください。

▽論争を挑む本堂氏⇒博物館が論争拒否通告:158「…博物館が郷土史論争を拒絶!

▽本堂氏をクレーマー扱いする市⇒論点整理:159「…論争拒否…土浦市法務が助言

▽教育委担当課の論争封殺の動き⇒私の提案:163「…拒否…市民の研究者が猛反発

経緯はこういうことです。元市職員の本堂清氏が博物館の郷土史解釈に疑問を持ち、糸賀茂男館長や学芸員に何度も会って回答を求めたところ、A4版3ページの回答(23年1月30日付)が送られてきて、末尾に「…これ以上のご質問はご容赦ください。…今後は口頭・文書などいかなる形式においても、博物館は一切回答致しません…」と書かれていました。

主な争点はこういうことです。▼本堂氏:筑波山系の市北部は古くから「山の荘」と呼ばれていたvs.▼博物館:そう呼ばれるようになったのは中世以降である、▼博物館:「山の荘」は桜川南側の現つくば市北部にあった「方穂荘(かたほのしょう)」の一部だったvs.▼本堂氏:いや、「方穂荘」は桜川北側の「山の荘」までは延びていない。

市長は論争拒否を事実上取り下げ

本堂氏は3ページの回答に納得せず、市の広聴窓口「こんにちは市長さん」経由で、市長に「再検討要請」(同8月30日付)と「回答への反論」(同9月27日付)を提出しました。最初のパラグラフで触れた市長の回答(A4版1ページ、同12月14日付)は、本堂氏の要請と反論に応えたものです。

市長回答には「…現段階においては、従前と同様の質問については(博物館の)これまでの見解と相違はないため、前回以上の回答は難しいとのことです。別添1・2の2部は私が受けた報告ではございますが、ご参考までに同封させていただきます」と記載され、博物館による「市長へのご報告①」(A4版43ページ、1月回答の詳述版)と「市長へのご報告②」(同28ページ、反論への反論)が添付されていました。

広聴窓口に寄せられた市政への疑問には答えなければなりませんから、市長はA4版1ページで回答したわけです。それに、博物館が「今後…回答致しません」と通告した手前、市長が代わりに回答するという体裁を取り、博物館が作成した全71ページの報告書が添付されました。ということは、市としては論争拒否を事実上取り下げたことを意味します。

特別展「本堂vs.糸賀論争」を期待 

論争拒否絡みでは、博物館に通じるルートが市役所にできました。しかし郷土史解釈では、本堂氏も博物館も相手の主張を認めていません。本堂氏は「屁理屈はこれまでと同じ。論点をズラしている箇所もある」と言っており、今回切り開いた「こんにちは市長さん」チャネルを使って博物館との論争を続けるそうです。

館長が率いる学芸員団と郷土史に詳しい研究者によるこの論争、いずれも自説を譲らず、どうやら平行線の状態が続きそうです。この際、博物館が特別展「本堂vs.糸賀論争」を企画し、争点を公開するも面白いと思います。また、館長と学芸員は研究室にこもらず、市民と議論する「サロン」を館内に設けたらどうでしょうか。(経済ジャーナリスト)

<参考>

土浦市長の回答書(23年12月14日付)

市立博物館の解答書(23年1月30日付)