【コラム・斉藤裕之】草刈りのアルバイトから戻ったら、まずはシャワーを浴びて昼飯。午前中だけの作業とはいえ、炎天下の数時間の労働はこたえる。「おお、今日はソーメンか!」

すると、「ちょっと欲しいものがあるんだけど」。カミさんにしては珍しいおねだり?「コーヒーの木が欲しいんだけど」。「は?」。カミさんの口から出たのは、意外な言葉だった。「コーヒーの花ってどういうのか、知ってる? 白くてねえ、すごくいい香りがするんだって…」と、聞き返される前に説明を始めるカミさん。

要するに、コーヒーの花を見てみたいが、ある程度の大きさの木にならないと花は咲かない。ついては、先日立ち寄ったコーヒーの専門店で、花を咲かせそうなコーヒーの木を見かけたので、是非買い求めたい、ということのようだ。

はて、これまでもコーヒーの木を目にすることはあったはずだが…。確かに花を見たことはないし、そもそも日本の気候には合ってないんじゃ…。ビニールハウスで栽培しているとか、沖縄でどうのこうのというのは聞いたことはあるけど…。

とにかく、その店でコーヒーの木にひとめぼれをしたということだと理解した。「それで、そのコーヒーの木はいくらすんの?」って聞いたら、「〇〇円。でも安いと思うの!」。カミさんはネットで調べていたらしいが、その金額に少しひるんだ私。

「それにもうすぐ誕生日だし…」というダメ押しの一言。そういえば、このところ特にプレゼントもしていないなあと思って、ソーメンを流し込んでその店に向かった。

草を刈って草を買うとは

店に着くと、お目当ての木が見当たらない。店員さんに尋ねてみると、風が強いので裏の倉庫に入れてあるという。「これをください」。元気そうな葉を身に着けた木は、ぎりぎり軽のバンに乗るほどの高さだった。その店のシンボルツリーのような存在だったのか、店員さんも名残惜しそうに見送ってくれた。

カミさんは以前園芸店で働いていたことがあって、植物のことは一通り詳しい。だから、日当たりだの水やりだのは口を出さにことにしている。結果、2階に置くのがいいだろうということになった。大きさといい葉の緑といい、なかなかいい感じだ。うまく育てれば花も期待できるし、店員さん曰く、実もなるかもしれないということだった。

こうして我が家にやってきたコーヒーの木。せこい話だが、はじめはその値段が随分と高いものに思えた。貧乏性の私としては、何かと比較してなんとか納得しようとした。食べ物、洋服、電化製品…。

しかし、実用的なものの値段と比べてもしっくりこない。何でもかんでも安いのが当たり前の、消費文化に麻痺(まひ)させられていた自分に気づかされた。例えば、自分がこの木をこの大きさまで育てるとして、その手間や年数を考えると、その値段は妥当なものに思えた。 そして結局、私の基本的な金銭感覚は肉体労働の時給だと理解した。草刈り3日分の日当で、カミさんにお誕生日プレゼントを買ってやれたわけだ。草を刈って草を買うとは…。実は、カミさんは挿し木も得意で、増やしたコーヒーの木を娘たちにもプレゼントしてやりたいという。梅雨のころが挿し木にいいのだそうだ。(画家)