【ノベル・伊東葎花】

あら、お客さん? 泊めて欲しいって?

こまったねえ。もう民宿はやってないのよ。

2年前に夫を亡くしてね、私ひとりじゃどうにもならなくてねえ。

ちょっと先にペンションがあるから、そちらに連絡してあげましょうか。

どうしてもここに泊まりたいって?

まあ、女性ひとりくらいなら何とかなるかね。

大したもてなしは出来ないけど、それでもよかったらどうぞ。

お客さん、寒くない?

こっちで火に当たりなさいよ。

「だいじょうぶ」

あらそう。

珍しいねえ。女の一人旅? しかもこんな雪山に。

顔色悪いけど、まさか自殺とか考えてないよね。

ダメだよ。生きたくても生きられない人だっているんだからね。

夕飯は? 食べないの? じゃあ、何かお話ししようか。

雪女の話とか、どう?

「ゆきおんな」

そう、雪女。夫がね、雪山で会ったのよ。

怖かったらしいよ~。

つり上がった眼をして、氷みたいに冷たい息を吐いて、人間を凍らせるんだって。

だけどね、夫のことは殺さずに助けてくれたんだ。

どうしてだろうね。夫が色男だったからかね。ふふふ。

もう40年も前の話だけどね。

「よんじゅうねんも、まえ」

そうだよ。

夫はね、普段は無口だったけど、酔うとおしゃべりになってね、民宿の客によく雪女の話をしていたよ。

その話は雪女伝説なんて言われて、すっかり評判になってね、晩年はよく語り部なんかもしていたよ。

夫が話す雪女の話は、本当に怖かったよ。

何しろ自分の体験だからね、雪女の恐ろしさが手に取るようにわかったよ。

真っ白な顔に、目は血が滲(にじ)んだような赤、長い黒髪をたらりと夫の首にからませて、地の底を這うような低い声で言ったそうだよ。

「わたしのことを、だれかにはなしたら、ころす」

そうそう。お客さん、よく知ってるね。夫の話を聞いたことあるの?

うまいねえ。本物みたいだ。夫の後を継いで、語り部やる?

夏の夜なんか、怪談話でひっぱりだこだよ。

「なつは、むり」

あはは、お客さん、暑さに弱いのかい?

さては北国生まれだね。

あれ、お客さんどうしたの? 泣いてるの?

「あのひと、しんだのか」

あの人? 夫のこと? お客さん、夫を知っているの?

「わたしが、ころしたかった」

(作家)