水曜日, 4月 24, 2024
ホーム ブログ ページ 30

茨城空港とTXはいいね 《令和楽学ラボ》19

0
大塚国際美術館(徳島県鳴門市)で孫たちを写す=筆者撮影

【コラム・川上美智子】新型コロナが少し落ち着きを見せた5~7月、茨城県内での3年間の巣ごもりを解禁し、茨城空港から福岡と淡路島に飛び立ちました。どちらも1泊2日の日程でしたが、十分に目的を果たすことができ、この空港の価値の高さを再認識しました。

若いころから海外旅行が大好きで、成田空港はよく利用してきましたが、お隣に行く気分でローカル空港を活用すると、行動範囲が一挙に拡大することを実感しました。茨城空港のもう一つの魅力は、駐車場が無料で、ドアtoドアで手軽に空港に行けることです。

発着するスカイマーク便は、札幌、神戸、福岡、那覇の国内主要都市と茨城を結び、幼い子どもでも高齢者でも、簡単に短時間で目的地に運んでくれます。また、遠方から容易に旅行客を招き入れることができます。そのためか、家族連れも多く搭乗し、飛行機は満席でした。

先週あたりから、新型コロナ感染症の第7波が猛威を奮いはじめ、次にいつ利用できるかはわかりませんが、人気でチケットの取得が難しいので、便数を増やしてもらえると助かります。

TX延伸は県にとって死活問題

ところで、つくば市と秋葉原を結ぶTXの延伸が大きな話題となっています。振り返ると、TXがつくば市にもたらしたものは想像以上に大きかったと思います。1970年代の筑波研究学園都市の建設、1985年の科学万博開催、2005年のTX開通により、つくばは大きく発展してきました。

建設期のころ、県の公共事業再評価委員を拝命していたことから、つくばの開発現場を視察する機会がありました。そのときは、どこまでも広がる大地や林を前にして、このような田舎に人が住むようになるのだろうかという印象でした。一緒に視察した委員たちも、この開発は大丈夫かなと心配していました。

TXの1番電車にも試乗しましたが、田んぼや畑の中をひた走るTXの車窓からは、建物らしいものはほとんど見えませんでした。

今、TX沿線は住宅ラッシュで、若い家族が増えています。また、私が園長をしている保育園では、東京通勤の保護者や、東京から転入してくる子育て家族が目立ち、つくば市は成長し続けています。このTXの延伸がどうなるかは、県内の市町村にとっては死活問題です。

実現の時期は2050年ごろと言われていますので、我が年代が見ることはかないませんが、高齢社会の中での公共交通という立ち位置を考えると、とても重要な問題です。日本の大都市やアジアの玄関口となるよう、茨城空港へのTX延伸を期待しています。つくば駅から石岡、茨城空港、水戸とつながることが、県全体の発展に大切だと思います。

私は淡路島に生まれました。神戸から船で島に渡る時代は、旅行も大ごとでしたが、明石大橋や大鳴門橋が出来たことで、大きく発展し続けています。今回の1泊2日の旅行でも、島の先にある大塚国際美術館(鳴門市)に、簡単に足を伸ばすことができました。(茨城キリスト教大学名誉教授、みらいのもり保育園長)

「マイナポイント」のこと 《ひょうたんの眼》51

0
庭の百日紅(サルスベリ)

【コラム・高橋恵一】マイナンバーカードを取得すると、2万円相当の「ポイント」が付与されるので、早く取得するようにと政府は躍起になっている。取得率の高い市町村には、地方交付税を増額するという。商品やサービスの販売促進のために、ポイント付与がまん延しているが、「おまけ商法」の色彩が濃くなってきているのではないか。

つまり、必要の無いものをおまけで釣って、売りつける商法であり、景品表示法で規制されている取引である。意地悪く言えば、価値のないもの、粗悪なサービスを、景品(ポイント)で目くらましをして、販売していることになる。

前にこのコラムで、高田保の「ブラリひょうたん」に出て来る「奈良の旅館・日吉館」の紹介をしたことがある。多くの古美術研究者が贔屓(ひいき)にしている旅館に、学生たちが「米」だけは背負って来たから安く泊めてくれと言ったら、宿の主人は「50円でよろしい。その代わり、他の客より1時間早起きをして、できるだけ沢山観て廻(まわ)りなさい」と応じたという話だ。

戦後の間もない時期だが、大赤字に違いない。古都の奈良美術を誇りとしている宿屋の気概が見えて、いかにも小気味よい。現代のポイント付与もこうあってほしい。

しょせん、IT関連業界の「もうけ」話?

マイナポイントは、国の重点政策遂行のための手段だろうが、現金に代わる「おまけ」で釣り、市町村を叱咤(しった)してまで推進する「マイナンバーカード」の取得は、古都奈良の美術ほどに貴重な制度で、美術学生に役立つほどに国民生活が便利になるのだろうか? そう国民に理解されているのだろうか?

今日も、政府(デジタル庁、総務省、厚生労働省)が新聞全面広告で、2万円分のマイナポイントがもらえるから、9月末までに申請するようにPRしている。しかし、マイナンバー制度の内容も、国民の具体的メリットも、政府のメリットも書かれてはいない。マイナンバーカードの具体的な取り扱い方もわからない。

常時携帯しなくてはいけないのか? 反対に、紛失したり、悪用されたりしないために、金庫などに保管しておかなくてはならないのか? オレオレ詐欺にあったらどうするのか?至近の報道では、「旧統一教会」が信者の資産状況を事細かに調べ上げているそうだが、個人情報が大量に流出してしまうことは無いのか? 中国では、同様の国のデータから10億人分が流出し、取り引きされているという話もあるが、大丈夫なのか?

先の全国民への10万円給付の際、マイナンバーカードで申請すれば、早くもらえるという触れ込みだったが、マイナンバーと住民基本台帳がリンクされておらず、世帯員の扱いが手作業になってしまって、紙申請より給付が遅れてしまった。要するに、システムの準備が出来ていないのだ。大丈夫なのか?

マイナンバー制度に限らず、日本のデジタル化、IT化は、世界に後れを取っているといわれるが、大きな要因に、国の制度、政府の所管するシステムなのに、制度設計から維持管理まで、外部委託してしまっているからではないのか? しょせん、IT関連業界の「もうけ」になってしまうのではないか?

このような、国の中枢を担う制度の設計と管理は、政府が自ら責任を持って、細部まで練り上げることが必須だ。(地図好きの土浦人)

第2の人生で生きがいを見つけて《菜園の輪》6

0
いろいろな野菜を作る小島幹男さん=つくば市内の畑で

【コラム・古家晴美】時折、畑で裸足(はだし)になる。春にはイキイキとした土の生命力を感じ、夏には熱気を帯びた土の荒々しさ、秋にはそれが落ち着いた感じが足からじかに伝わってくる、と語る小島幹男さん(76)。本格的に野菜づくりを始めたのは、教員を定年退職してからのことだった。健康のために体を動かしたい、耕作放棄したら雑草が生い茂り近所に迷惑をかけるのではないか、という思いからだった。

筑波山麓の農村地帯に代々住んでいる。子供の頃は、田んぼを1町5反歩(約1.5ヘクタール)、畑を6反歩(約60アール)所有し、その半分は家族で耕作していた。畑では、自給用の麦や野菜を栽培したという。残りは人を雇ったり、住み込みのお手伝いの女性の手を借りた。現在、自家用の畑は当時の半分の3反歩(約30アール)になったが、それでも7人家族では、食べきれないほどの大量の野菜が収穫される。

幹男さんのこだわりは、極力、農薬を使わないことだ。アブラムシが付くと枯れてしまうそら豆以外は、作物に穴が空いても、薬は使わない。また、様々な品種の野菜や、人があまり作っていないゴマ、昔懐かしい金マクワなどを作るのも楽しみだ。

今の時期、アスパラガス、ピーマン、シシトウ、万願寺とうがらし、ナス、トマト、キュウリ、ズッキーニ、ゴマ、スイカ、ヤマトイモ、春菊、ドジョウインゲン、ネギ、ショウガ、プリンスメロン、小豆、とら豆、ゴボウ、はぐら瓜、オクラ、落花生、トウモロコシ、花豆、黒豆、里芋、さつまいも、かぼちゃ、キクイモ、金マクワに、梅、柿、栗、ブルーベリーと、約30種に及ぶ野菜やくだものが畑に植えられている。

セットにして親戚・知人・友人に配る

これに、ピーマンならば緑・赤・黄、ナスは水なす・米ナス、トマトは赤と黄のミニトマトに中玉の2種類、緑色と黄色のズッキーニ、スイカは赤・黒(赤)・黄・小玉、かぼちゃは大ぶりのかぼちゃの他に小さなかぼちゃ―など、多品種を栽培している。特にじゃがいもは、店頭に並ぶもの以外に、皮も中身も赤いもの、皮が黒く中身が紫色のもの、皮は赤いが中身がオレンジ色のものなど5種類作り、セットにして親戚や知人、友人に配る。

配って評判がよかった品種を、翌年の作付けに反映させることもある。まさに「菜園の輪」が出来上がっている。畑仕事について、家庭菜園入門書には載っていないプロのコツを教えてくれたのは、隣の畑のおじいさんだった。畑で10時に共にお茶を飲みながら、色々な知識を得てきた。

耕作放棄地問題が取り沙汰されて久しい。特に、今の時期、雑草と格闘しながら、日々、田畑を管理するのは、重労働だ。しかし、土を通した四季の移ろい、多くの人とのつながり、新たな野菜との出会いなど、菜園は様々な輪をもたらしてくれるのではなかろうか。(筑波学院大学教授)

「まつりつくば」が変わるとき? 《映画探偵団》57

0

【コラム・冠木新市】今年の「まつりつくば」は、規模を縮小してTX研究学園駅前で開催することに決まったが、市民の間には微妙な感情が漂っている。「なぜ、つくばセンター地区で縮小してやらないのか」と不満気な人々。「今回だけは新型コロナがあるから仕方ないか」と認める人々。「もう2度と中心市街地には戻らないよ」と達観する人々。

さらに、そうした感情を察しつつ発言を控える人々。そのため、モヤッとした空気に包まれ、まつりを迎えるムードにはまだ今ひとつの状況だ。研究学園駅の方はどうなのだろうか? 「CO-EN」会場の件で「つくばまちなかデザイン」の人と話をしていたら、研究学園駅に行ってしまうのを非常に残念がり、「ウラ『まつりつくば』をやろうかと考えている」と本音を語ってくれた。

「まつりつくば」は、新住民と旧住民との交流の場として、1981年に有志によって企画されたという説がある。その後つくば市が誕生し、行政主体で運営がなされ、年々拡大してきた。私も30年前から参加しているが、大きく変化したのは、土浦学園線を通行止めにし、青森のねぶたがパレ一ドに出てきた1998年あたりではないか。

「なんでつくばに『ねぶた』なんだ!?」との陰口は耳にしたが、それはそれで多くの市民は楽しんでいた。2000年に、中央図書館~エキスポセンターの通りで始まった、ア一トタウン大道芸も若者たちを引き付け、拡大に貢献した。

私の一番の楽しみは、2日目の夜、ステージで繰り広げられる地元歌手・北条きよ美、川神あい、三ツ木清隆のショ一である。センター広場に周辺の人たちが集まり、応援合戦が繰り広げられる。ペンライトやキラキラしたグッズが配られ、応援を頼まれる。10数年前、面白さに気づきロック好きの探偵団員を誘ったら、ハマってしまい、最後まで見ていた。

歌手たちの地元愛あふれる語りも、好感がもてる。つまり「世界のつくばで村まつり亅の趣なのだ。やはりこのステージはセンター広場の窪(くぼ)んだ空間がよく似合う。

高倉健主演の『八甲田山』

映画俳優の高倉健は2度大きな変化を遂げた。1度目は『網走番外地』(1965)でやくざを演じ一躍人気者になったときだ。それまでは会社員役などが多かった。その後、年間10数本も出演し、任侠(にんきょう)映画ブ一厶を牽引した。2度目は、任侠映画から足を洗い大作『八甲田山』(1977)で聡明な軍人役を演じたときだ。

その後は、出演作品を年1~2本ぐらいに厳選し、国民的スターへと成長し、2013年に文化勲章を受けた。

『八甲田山』の終盤近く、雪中行軍を続ける徳島大尉(高倉健)が暴風雪に襲われ、一歩も進めなくなったとき、少年の頃を回想する3分あまりのシーンがある。花畑での追いかけっこ、川での水遊び、夏の夜祭り、母との墓参り、畑仕事の手伝い…。何気ない日常がきらめいて映り、この普通の生活が幸せなんだなと感じさせてくれる瞬間だった。

まつりは子どもたちの思い出となるものだ。新型コロナで2年間「まつりつくば」が中止となり、その間移住してきた家族はとても期待していたのに違いない。

10年前、「まつりつくば亅の責任者の1人に、企画にも市民を参加させたらどうかと提案したら、「そろそろそういう時期かな」と話していた。行政主導の「まつりつくば」の企画に、シン・新住民を含め、市民参加の仕組みをつくる時期が来ているのではなかろうか。サイコドン ハ トコヤンサノ。(脚本家)

世界で一つだけの… 《続・平熱日記》114

0

【コラム・斉藤裕之】連日の酷暑の中、九十九里に向かった。途中でスイカとトウモロコシを買って、カミさんがテレビで見たという海辺の道の駅に着いたのは昼少し前。平日のせいか、のんびりとした雰囲気だ。建物に入ると目に飛び込んできたのは、大きな水槽いっぱいに泳ぐイワシの群れ。

「世界で一つだけの花」という歌がある。「花屋の店先に並んだ、いろんな花を見ていた…」。私はこの歌の歌詞を「いろんな花があるように、あなた方も世界に一つだけの存在なのだから、頑張って、あなたらしい花を咲かせてね」という意味なのだと思っていた。

ところがあるとき、歌詞をじっくりと見ることがあって、私は長い間この歌の意味を勘違いしていたことに気づいた。

例えば「…1人1人違う種を持つ、その花を咲かせるためだけに一生懸命になればいい…」という部分。つまり「いろんな花があるけども、種のときに咲く花は決まっている。だから無駄な努力はやめて、分相応の花を咲かせるのがよい」という、いわば先天的な才能主義・遺伝子万能主義にも受け取れるような歌なのではないかと。

教科書にも載っているという、この歌にケチをつけるつもりはない。ただテレビで耳にしたり、どこかで見かけた何気ない言葉が、喉元に引っかかった小骨のように、いつまでも気になることがあって。「世界で一つだけの…」とか「思い出作り」とか。

落花生の花は黄色くてかわいらしい

ヒトという生き物が他の生き物とえらく違っていることは不思議なことだ。自分らしく生きるとか、いやそもそも生きることの意味なんて、他の生き物にとってはどうでもいいことだ。

花だってそうだ。ヒトにどう見られようなんて思って咲いているわけではない。せいぜい虫や鳥に繁殖を手伝ってもらうために色や形を工夫しているのだろうが、ヒトが勝手に美しいだの、すてきだの言っているだけだ。しかしだからといって、生き物を単に遺伝子を運ぶ器として考えるにはあまりにも複雑で精巧で美しくさえある。

「魚屋の水槽に並んだイワシの顔を見ていた…」。それぞれの見分けのつかないイワシの顔を見ていて、こんなことを考えるのも人それぞれとご容赦願いたい。

さてと、それから2階にある食堂で生まれ育った瀬戸内海とは全く違う表情の海を窓越しに見ながら、イワシではなくアジの刺身を食べた。入梅イワシというイワシの旬を示す言葉を聞く暇もなく、観測史上最も早く開けた今年の梅雨。

「ところでこの先はなにかありますか?」っておばちゃんに聞いたら、「なんもねえよ」って言われた。

というわけで、今回は九十九里もあるという浜の横断はあきらめて、ピーナッツ畑を通って帰ることにした。前に落花生の種まきのアルバイトをしたことがある。スクワットをしながら、何時間も種をまき続けるという、これまでで一番きつかった労働。落花生の花は黄色くてかわいらしい。(画家)

経営者の怠慢を糾弾した東京地裁の判決 《邑から日本を見る》116

0
田の土手に咲くヤマユリ

【コラム・先﨑千尋】専修大学名誉教授の原田博夫さんは24日の「文京町便り」で、原発は再開すべきか、脱・原発を目指すべきかを論じていて、2011年3月に起きた東京電力福島第1原発事故を巡る2つの裁判に触れている。私も前回のコラム(7月11日掲載)で、「最高裁の裁判官は結局国の番人?」を書いた。今回は13日の東京地裁判決について、そのあらましと私見を書く。

13日午後、東京地裁の朝倉佳秀裁判長は、東京電力の勝俣恒久元会長ら4人に13兆3210億円の支払いを命じる判決を出した。「ひとたび発生すれば『国そのものの崩壊』につながりかねないのが原発事故だ。ところが津波の襲来が予想されたにもかかわらず、担当役員は対策を先送りし、会長らもそれを是認した。そろって取締役としての注意義務を怠り、地域と社会に甚大な被害を与えた」

東電の株主は、同電力の福島第1原発事故を巡り、旧経営陣が津波対策を怠ったことで東電に巨額の損害が生じたとして、元会長らに22兆円の損害賠償を求めていた。今度の裁判の争点は2つ。「政府機関が2002年に公表した地震予測『長期評価』に基づき、巨大津波の予見が可能だったか」と「浸水対策などで事故を防げたかどうか」だ。

判決は、長期評価について「科学的信頼性を有する知見」と認めたうえで、旧経営陣の過失の有無を検討した。東電は08年、長期評価に基づき、福島第1原発に最大15.7メートルの津波が到来すると試算しており、「最低限の津波対策を速やかに指示すべき取締役としての注意義務を怠った」と指摘した。浸水対策については、「主要な建屋などで対策を実施していれば重大事故に至ることを避けられた可能性は十分にあった」としている。

長期評価の報告を受けながら津波対策をすぐに指示せず放置したことは不作為であり、対策を先送りしたものだ。政府機関には地震や津波のトップレベルの研究者が多く集められ、段階的な議論を経て取りまとめられた地震の長期評価には信頼性がある、という判断だ。

そして、「02年以降の東電経営陣の対応は、安全確保の意識に基づいて行動するのではなく、いかに現状維持できるかで、そのために有識者の意見のうち都合のいい部分を利用し、悪い部分を無視することに腐心してきた」と断罪している。

東海第2原発の再稼働に反対

私は、東海第2原発の再稼働反対を訴えている「首都圏ネットワーク」の一員として20日、大井川知事に「東海第2原発の廃炉と再稼働への不同意を求める要望書」を提出した。

その際、水戸地裁でも不備が指摘された広域避難計画について、「事情を最もよく知っている立場の橋本前知事が現職のときに、問題点が多すぎて実効性のある計画は作れないと言っていた。東海第2原発を再稼働させないことが最良の避難計画だ」と述べた。

原発は、福島の事故が示しているように、ひとたび事故を起こせば取り返しのつかない被害を生命と環境に与える。原発を運転する会社の役員には、他の会社とは比較にならないほど大きな責任がある。そのことを東京地裁の判決は示している。私はそう考えている。(元瓜連町長)

原発は再開すべきか、脱・廃を目指すべきか 《文京町便り》6

0
土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】ここ数カ月で、原発に関して、方向性の異なる判断(いまだ決定には至っていない)が、国内外で続いている。ここでは、「原発再開」と「脱原発」と区分けしておこう。

日本国内における原発に関する裁判も、方向性は異なっている。まずは、最高裁で6月17日に、東日本大震災による福島第1原発事故の避難者の集団訴訟で、国に責任なしとの判決が出た。そもそも東京電力の賠償責任は確定しているが、2審で判断が分かれた国の責任についての審理である。これは、政府の地震調査研究推進本部が2002年7月に示した「長期評価」だけでは国の法的責任は問えない、という判断である。

しかし、この判決には3対1の少数(反対)意見があり、国の社会的・政治的責任にも言及されている。ともあれこれは、条件付きながらも「原発再開」である。

他方「脱原発」は、東電株主代表訴訟で、東電の当時の経営陣5名に対する22兆円の損害賠償責任を問う裁判(東京地裁)では、4名に対して総額13兆円超の損害賠償額を認めた。判決文では、特に「水密化」(電源設備のある敷地・建物・部屋への段階的な防水・浸水対策)が、造船・潜水技術で古くから確立されていたにもかかわらず、かつ、「長期評価」(2002年7月)と、貞観地震(869年)の津波モデルの知見および予見可能性を無視したことなどに瑕疵(かし)を認めている。

EUタクソノミー、気候変動対応オペ

ところで、2022年2月下旬のロシアのウクライナへの軍事侵攻以来、資源エネルギー価格が世界的に上昇している。ロシアは、国際的な経済制裁に対抗すべく、ガスの供給・輸出の締め上げを実際に始めている。それに対抗するにはこの際、原子力の利活用が必要ではないか、という議論が浮上している。「原発再開」の復活である。

そもそも欧州議会では2021年春以降、EUタクソノミー(持続可能なグリーンエネルギーに原発とガスを含める)の事務局原案が公表・議論されてきた。

賛否両論が交錯する中、6月14日の合同委員会(環境委員会と経済金融委員会)では賛成62、反対76だったが、7月6日の本会議では賛成328、反対278、棄権33と逆転し、原発とガスをEUタクソノミーに含めることが決まった。ただし、オーストリアやルクセンブルグは提訴を表明している。ともかく、欧州議会の方針は「原発再開」である。

他方、日銀は、「気候変動対応オペ」を2021年6月以降検討していたが、同年12月、金融機関からの応募を受け付け、24日、資金供給を実施した(複数の地銀への2兆円超)。この制度の期限は2030年度末で、金融機関がこの制度を利用するには、情報開示が条件づけられている。

日銀は、躊躇(ちゅうちょ)しながらも踏み切ったこの政策の狙いを「脱炭素に向けた呼び水」効果だとしている。次回オペのオファーは7月20日である。この政策は、EUタクソノミーに原発、ガスが含まれる以上、結果的には、「原発再開」を推進するだろう。

というわけで、脱炭素と脱原発に向けての政策は、両輪・両立か二律背反かのダッチロール気味である。(専修大学名誉教授)

太陽光発電に侵食される里山 《宍塚の里山》91

0
里山の太陽光発電所

【コラム・片山秀策】地球温暖化対策として、二酸化炭素(CO₂)を発生する化石エネルギーから、太陽光や風力など再生可能な自然エネルギーに転換しようとする動きがあります。再生可能エネを利用する動きは、1970年代のオイルショックの後から始まっていますが、日本ではなかなか代替が進んでいませんでした。

ところが、2011年の福島第1原発事故の後、再生可能エネ利用を推し進める再エネ特措法による固定価格買い取り制度(FIT)で弾みがつき、あちこちで太陽光発電の建設が進んでいます。問題は、太陽光発電所は大きな面積が必要となるため、耕作放棄地や未利用地が使われるようになっていることです。

未利用の土地といっても、工場や住宅に使われていないだけで、大気中のCO₂を吸収する樹木が生育していて、多様な生物が生息する場所です。

樹木は10年単位で光合成により大気中のCO₂を固定しています。その樹木を大量伐採して、耐用年数が20年程度の太陽光発電所が建設されています。土浦市内にある大規模太陽光発電所を例に挙げると、約26ヘクタールの平地林を伐採して建設されました。もともとそこにあった林が何十年もかけて固定したCO₂は、燃やされたり廃棄されたりします。

再生可能エネの一つ、太陽光発電施設を造るために、大気中のCO₂を固定する森を破壊することは、本末転倒というか、大きな矛盾をはらみます。

1ヘクタール以上の太陽光発電所の設置は都道府県知事の許可、1ヘクタール未満の場合は市町村長の許可がそれぞれ必要ですが、発電量が50キロワット未満の小規模なものは届け出が要らないので、宅地のミニ開発のように、行政も住民も知らないうちに広がっていくことが心配されています。

行政への働きかけや監視を強める

実際、宍塚の里山周辺でも発電規模49.5キロワットという、規制の抜け穴を使った発電所が、地域住民も知らないうちに数ケ所できてしまいました。県や市町村によっては、乱開発を防ぐために、届け出が必要な発電所の規模を10キロワット以上としたり、住民説明会を開かせるといった規制強化の動きが出ていますが、土浦市ではまだそうなっていません。

森や林は、光合成で大気中のCO₂を固定するだけでなく、多様な生物がすむ場所となっています。その環境は、一度破壊されると元に戻すことが困難になります。

多様な自然環境に恵まれ、絶滅危惧生物が数多く生息する、宍塚の里山周辺の雑木林でも、木々を伐採して太陽光発電所の建設が始まっています。今後、里山の環境破壊を伴う乱開発を防ごうと、私たちの会は、行政への働きかけや監視を強めています。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

国蝶オオムラサキの不思議 《くずかごの唄》112

0

【コラム・奥井登美子】「どんぐり山」は、2003年に霞ケ浦の水の浄化を願って、かすみがうら市の加茂に、皆で、どんぐりを蒔(ま)いた森である。1500本のクヌギ苗を植えたが、森林総合研究所の指導で、次の年には間引いて500本にした、

しかし、下草刈りが大変だった。東京の台東区の人達にも手伝ってもらって草刈りをした。ご近所の農家の人たちから、農薬を使うことを勧められたが、使わなかったのは、カブト虫など森の昆虫たちに期待したからである。農薬を使わなかったおかげで、いろいろな昆虫が発生し、2007年にはオオムラサキがクヌギの甘い汁を求めてやってくるようになった。

オオムラサキはエノキの木にタマゴを生み、4回も変身して冬を越し、かわいい角を掲げた幼虫が、その後2回も変身してチョウになる。昔は、エノキが一里塚として方々に残っていたらしいが、エノキの木も少なくなってしまった。エノキの木を、どこで、どう、ほかの木と区別してタマゴを生むのか、よくわからない。幼虫はエノキの葉だけを食べて大きくなる。

雄のチョウの、紫色のだんだら模様の色の美しさは、個性的で、芸術的。さすが、日本を象徴する国蝶(こくちょう)だと、納得する。

山の観察会では虫をムシしない

2008年から昆虫観察会が始まった。子供たちを集めてどんぐり山で昆虫を手でつかまえる。木にしがみつくカブトムシを、木からはがして、暴れる虫をゲットするときの、手の感覚と気持ちの高まりは味わった人しかわからない。パソコンやゲームで遊んでばかりの今の子供たちに、自然の虫と木の皮膚感覚を味わってほしいのだ。

観察会での私は救急の係。2~3日前に現地に行って、森の下見をしておく。マムシとヤマカガシはいるかいないか確認。マムシはそっとしておくと逃げてくれるけれど、ヤマカガシは個性的なヘビで、木の上にいたので突いたら、顔に飛びついてきたりする。

ハチも、子供たちが刺されたら困るので確認。さわらないように注意する。注意しているのに刺されてしまう子もいる。

山へ行く時に欠かせないのが冷たい滅菌水。私は日本薬局方の精製水を冷やして救急箱に入れておく。虫に刺されたら、すぐにジャブジャブ洗って、泥を流し、虫の刺口の液を、ぎゅうぎゅう洗ってしまう。そこに強ステロイドのクリーム、または液をすり込む。

軟こうは効くまで時間がかかるので、救急には向かない。1時間ぐらいたって、まだ赤くて腫れていたら、もう一度ステロイドを塗って、様子をみる。山の観察会には虫をムシしない救急係が必要なのだと思う。(随筆家、薬剤師)

茨城にあるすばらしい里山へのあこがれ 《遊民通信》45

0
石岡の里山

【コラム・田口哲郎】

前略

先日、石岡の辺りを車で通ったら、梅雨空が晴れて、深い緑の里山が明るくなりました。その光景があまりにもきれいなので、助手席から写真を撮りました。茨城県は魅力度最下位などと言われますが、こんなにきれいな里山があるのはすばらしいと思います。里山なんて日本の田舎にはどこにでもあるよ、と言われそうですが、どこにもあるなら、こうした里山をわざわざ京都の大原に見にいかなくてもよいわけで、「灯台下暗しはよくないな」と反省しました。

里山は日本の原風景だと言われます。江戸は大都市でしたが、パリのような近代的な西洋型の大都市がいまの形になったのは、19世紀の後半ですので、明治初期に重なります。要するに、パリ、ロンドン、東京のような、みんながすぐに思い浮かべる大都会ができたのは、たかだか150年前で、日本人が長い間住み、命をつないできたのは、里山のような農村だったと言えます。

私は転勤族の核家族家庭で育ちましたので、いわゆる新興住宅地しか知りません。ですから、里山のようなところにあこがれます。父母の実家は古くから里山にある家ですから、盆暮に親戚宅に行ったときは、その生活が垣間見えました。いわゆる田舎には、いまも古くからの共同体が残っています。超高齢社会ですから、衰退傾向にあるようですが、それでもまだまだ神社の氏子やお寺の檀家のつとめは行われているようです。

里山の共同体とは何だったのか?

田舎に移住するのがはやっていますが、都市生活者が田舎に住むと、田舎の生活の忙しさに驚くそうです。町内の寄合や入会地の草取り、寺社仏閣の行事や維持管理、消防団の訓練、地域の祭りの準備などなど。里山はつくり込まれた自然なので、維持管理が大変なのでしょう。住人の協力が必要です。

そうすると、人同士のつながりが生まれます。いままで日本は経済大国として突っ走ってきましたが、そうした人間同士の絆を古くさいものとして切り捨て、個人を尊重する個人主義がはびこりました。その結果、日本の共同体は崩壊しました。一見面倒くさく見えるつながりは、実はセーフティーネットの役割を果たしていましたので、それが無いところでは個人は孤独になります。そうすると不安になり、病んでしまう可能性も高くなります。

人間同士のつながりに大切なのは、利益になるとか、ためになるとか、お互いに成長できる関係ばかりではなく、お天気の話しかしないけれども、気楽につながっていられる気楽さが基本にあることではないでしょうか。

それは日本のどこにでもある里山のようにありふれた、地味なものかもしれません。珍しくもないからといって軽視すると、いつの間にかなくなってしまうものです。特に新興住宅地に住むような、共同体を持たない、さびしい人々をケアしてゆくには、今こそ、共同体が必要だと思います。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

「気韻生動」という写真集 《写真だいすき》10

0
「気韻生動」から、雪の日の旧土浦中学本館

【コラム・オダギ秀】またまた昔の話で恐縮してしまうが、古い写真集の話をする。ボクにとっては貴重な写真集で、見ていると、つい涙してしまうのだ。

「気韻生動(きいんせいどう)」という写真集がある。(この意味は、気品がいきいきと感じられること=広辞苑)

旧土浦中学(現茨城県立土浦第一高校)の、まさに気韻生動なゴシック本館を、昭和30年前後に卒業した奥村好太郎氏と大久保滋氏が6年にわたって撮影し、設計をした駒杵勤治(こまぎね・きんじ)と建築を請けた石井権蔵(いしい・ごんぞう)とにささげた写真集である。小さな自費出版写真集なのでほとんど知られていない。だが、この写真集からあふれる熱い思いには、ボクはいつ見ても、涙するような気持ちになるのだ。

「気韻生動」と名付けられたこの写真集は、昭和63年以来撮影され、平成6年に刊行された。

旧土浦中学校本館は、明治37年、駒杵勤治氏によって設計され、石井権蔵氏によって建築された美しいゴシック様木造建築で、90年にわたり勉学の場となっていて、昭和51年、国の重要文化財に指定された。質実剛健の時代に、この建築の斬新さ、美しさはひときわ魅力的であったろう。

今なおきちんと保存されており、この地には、この校舎で学んだという者が少なくない。だから、奥村、大久保の両氏が、雪の日の1枚、夜の1枚、花の1枚、枯れ葉散る1枚に、光に影に、どれほどの熱意を込めて撮影されたのかと思う。この校舎で学び暮らした筆者(卒業生)も、ここにこそ自分の青春があったという思いに駆られ、つい涙してしまうのだ。

四季の移ろい、桜散る学び舎、樹木のやすらぎ、凛(りん)然とした教室の1枚1枚が、ここで学んだ日々を、鮮明に甦(よみがえ)らせる。

かけがえのない写真

この写真集は、昭和が終わり平成に替わった頃の撮影だから、奥村、大久保の両氏は、ひときわ時の流れを感じながらの制作であったのかも知れない。両氏の眼には、単なる校舎ではなく、自分たちの青春、いや人生の様々な場面そのものが見えていたに違いない。だから、限りない情熱を傾けて撮影されたのだろう。

写真集のなかには、雪景を撮った日の苦労話や、設計者・駒杵勤治には実子がなかったが、81歳の養女・駒杵幸子さんが広島から駆けつけられたことなどが記されている。

建築の技存分に発揮して本望ならん死したる父は 駒杵幸子(同集序から)

写真の評価は、基本的にその技術では決まらない。大切か、佳(よ)い写真か否かは、その写真を見る者、所有する者によって大きく左右されることが多い。他人には面白くも何でもない孫や子の写真が、その親や祖父母にとっては、かけがえのない大切な写真であることが少なくないのと同じだ。

土浦一高を卒業したボクらにとっては、この写真集は、自分の人生を懐かしむにとどまることなく、人生そのものを写した、大切な写真集となっている。

あなたにも、かけがえのない写真があると思う。写真は、時の証しであったり、人生の、いや人生そのものであったり、励ましであったりする。過ぎてしまった人生のシーンを甦らせてくれる人生の証しそのものなのだ。いつまでも、写真は大切にしてほしい。

「気韻生動」という写真集が存在してくれたことに、ボクはたまらなく感謝している。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

つくば市長の宿痾 総合運動公園問題 《吾妻カガミ》137

0
つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】元研究者たちによる五十嵐つくば市長リコール署名運動(7月11日~8月10日)が進行中です。解任の理由は多岐にわたりますが、一番は「議会の議決を取らず公有地を売り払うような市長は辞めさせよ」ということです。このコラムでも何度か、総合運動公園用地売却の手順のおかしさを取り上げてきました。この際、改めて整理しておきます。

リコール運動は「変節」市長への怒り

135「運動公園用地売却…の不思議」(6月20日付)では、▽前市長がUR都市整備から用地を買ったとき、名義上の取得者は市土地開発公社だった ▽しかし、借金した用地代金の返済について、議会から「市が債務を保証する」旨の議決を得ている ▽借金の元利返済も、その予算について議会の承認を得ている ▽それなのに、売るときには議会の議決は要らないという理屈は何か変だ―と指摘しました。

129「公有地売却…『逃げ』の…市長」(3月21日付)では、「市が行ったパブリックコメント(意見募集)では、(コメントを寄せた)77人のうち売却に賛成は2人、残りは反対か対案提示か分類不可でした。2択方式(賛成か反対)で分けると、賛成はたった3パーセントです」と書きました。

125「公有地売却…市の牽強付会」(1月31日付)では、「少ないサンプルで市民の声を計るのは正しくありません。そこで提案です。市民の声を聴くため、市長発意による住民投票(総合運動公園の是非で実施)か、サンプル数が多い無作為抽出調査(土浦市との合併の是非で実施)をやったらどうでしょうか?」と提案しました。

前市長が執行部主導であったことを批判、その否定の上に発足した五十嵐市政のセールスポイントは、議会にきちんと相談する、市民の声をきちんと把握する―でした。ところが、上記3つのパラグラフで引用したように、自ら定めた市政運営の基本を捨て去り、議会と市民の意見を聴かずに市政を進めるようになりました。リコール運動はこういった「変節」に対する怒りではないでしょうか。

議会や市民を軽視し、公有地を売却

五十嵐市長にとって、運動公園問題は「1丁目1番地」のテーマです。最初の選挙で掲げた目玉公約は「総合運動公園問題の完全解決」でした。具体的には、選挙前の住民運動で破棄に追い込んだ運動公園計画の用地をURに返還する、同計画にも入っていた陸上競技場を市内のどこかに整備する―この2つです。

しかし、用地返還は失敗に終わり、跡地をどう処分するかが市政の懸案になりました。そこで捻出されたのが、一部を防災用に借り上げる条件で一括売却する処分策です。なぜ防災施設なのか分かりませんが、一括売却色を薄めたかったのでしょう。市長としては、運動公園問題という宿痾(しゅくあ=長期間にわたって解決できない困難)から、何が何でも逃げたかったようです。

ところが処分を焦るあまり、(議会と市民の声が大事という)民主主義の基本中の基本を軽んじ、市政運営の「金看板」を自ら降ろすという過ちを犯しました。

五十嵐さんは最初の選挙で、運動公園用地売買契約書に「URは市の返還要求を拒める」旨の条項があるのに、目玉公約に「用地返還」を掲げました。つまり、返還が事実上無理であるのに、よく調べないで主要公約に仕立てました。この「フェイク(虚偽)公約」が災いとなり、この6年間、運動公園問題を抱えて迷走。今度はリコール運動を呼び込むに至りました。(経済ジャーナリスト)

花火を観るなら有料観覧席で 《見上げてごらん!》4

0

【コラム・小泉裕司】今月26日(火)は、3年ぶりに開催される「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」(新潟県柏崎市)への初参戦を予定。今シーズンは、4月末の秋田県大仙市大曲での開幕2連戦(5月14日付コラム)を幕開けに、6月の宮城県亘理町(6月19日付コラム)に続き、アウェー4戦目となる。

新型コロナ感染対策で中止が相次いだ全国各地の花火大会が、「3年ぶり」を合言葉のように次々に開催日程を発表し、観覧席の販売を開始した。このまま夏の花火シーズンに突入すると思いきや、「第7波」がやってきた。喜びもほんのつかの間となってしまうのか、新規感染者数の推移が気にかかる。

さて、花火大会主催者は、花火会場のベストロケーションに有料観覧席を設置するが、人気のある大会の場合、この「チケット」を求めて花火ファンが門前に列をなす。「宿」や「交通手段」とともに「花火旅」の三種の神器だ。

その販売方法は、地元に配慮した現地販売に加えて、遠隔地からも購入可能なネット販売を併用するパターンが多いが、茨城県外の現地販売に並ぶのは現実的に難しい。おのずからネット申し込みとなるが、これも「長岡花火」のような抽選方式もあれば、「大曲花火」のような先着方式もある。

抽選方式には家族や友人名義での複数応募、先着方式の場合は長年培った「瞬札技」を駆使することになるが、それでもアクセスが集中しパソコン画面が停止することもしばしば。過去、購入することができず鑑賞を見送ったこともあるが、今シーズンは幸いにも高勝率に恵まれている。

「プラチナチケット」を眺めながら

一方、茨城県内の花火大会は原則、現地販売に行列することにしている。先日、「いなしき夏祭り花火大会」(稲敷市)の「さじき席券販売」に並んだところ、例年の3倍となる120人が訪れたとのことで準備した整理券がなくなり、事務局が「来年は募集方法を再考したい」というほどの人気。

今月3日の全国花火競技大会(大曲の花火)の場合は、隣県からも訪れた800人が行列したとのニュースを聞いて、ネット販売に回る残席数が気がかりだったが杞憂(きゆう)に終わり、希望の席をゲットすることができ安堵したところだ。

過去、土浦市役所に奉職していた頃は、桟敷席購入のための抽選券配付に早朝から霞ケ浦文化体育会館(土浦市大岩田)に並び、当日知り合った行列仲間とともに当落に一喜一憂したものだ。こうして手に入れた「プラチナチケット」をよなよな眺めながら、大会当日への気分を醸成していくのが私の花火鑑賞の王道であり、この信条は今も変わらない。

こうした花火大会に向けたルーティンがある限り、私の「慢性煙分依存症」の治癒は、ほど遠いようだ。

故三浦春馬さんも土浦花火ファン

明日7月18日、土浦市出身の俳優三浦春馬さん(享年30)の三回忌を迎える。今も全国各地から多くのファンが聖地「土浦」を訪れている。春馬さんの逝去3カ月前に発行した「日本製」(ワニブックス)は、各地のメード・イン・ジャパンを訪ねた雑誌連載を書籍化したものだが、文中、土浦の花火の魅力を語っている。子どもの頃から親しんできた花火を観るために、上京してからも都合のつく限り帰ってきたという。

それぐらい土浦の花火が好きだった春馬さんは、いつも見ていた高台ではなく初めて桜川の河川敷で見たときは心から感動したそうで、「まだ土浦全国花火競技大会を見たことのない方は絶対に足を運んでほしいですし、茨城の誇りを見に来てほしいです!!」とコラムを結んだ。

一度も会場を訪れたことのないあなた、春馬さんの言葉を信じて、今年こそ会場に足を運んで、花火を見上げてみませんか。本日はこの辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

前提条件の大切さ 《続・気軽にSOS》113

0

【コラム・浅井和幸】若いころに車で人を迎えに行くことがありました。今、〇〇ビルの右側にいるとのことです。ビルの右と言っても、ビルに向かって右なのか、ビルを背にして右なのかが分からないと、車をどこに停めて行けばよいのか分かりません。

しつこくビルに向かってなのか、背を向けてなのかを聞いたら、右側だと言ったら右側だと怒られてしまい、そのまま電話でケンカになった覚えがあります。私も若く、今よりももっと短気でした。恥ずかしい思い出です。

今でも相談を受けるとき、大切なポイントだと思うところは同じ質問を繰り返すことがあります。例えば、「不眠症なので、眠れるようになりたいんです」と眠れない悩みの相談を受けたときは、どのように眠れないのか、それは精神科病院などでの診断名なのかをお聞きします。

寝付けないのか、途中覚醒するのか、朝方目が覚めてしまうのか、どのように寝にくいのか、昼間に強い眠気が出るとか、それが生活にどのような支障が出ているのか―などをお聞きします。

こういった質問をするのは、前提条件として、今の立ち位置が分からないと、「眠れるようになる」という目標に向かうための方法が見つけにくいからです。

場合によっては、人は8時間以上の睡眠を取らなければいけないという思い込みから、8時間眠り続けられない日があるから、不眠症なのだと思い込んでいる人もいます。こういった人は、今のままでも問題はありません。

また、不登校で困っているという相談では、どれぐらいの不登校なのかを聞きます。布団からも出られず、ほとんど家族とも話をしないのか、保健室登校なのか―などです。

酒飲み話なのか、改善したい悩みなのか

前提条件、現在の立ち位置といってもよいと思いますが、それを正確に把握した方が、具体的な対処がしやすくなります。不登校とか不眠症とかのざっくりとした表現では、どこにいるかが分からないのです。

朝早く起きたいというのは何時に起きたいのか、力が強くなりたいというのはどれぐらいの重さを持ち上げたくて、今はどれぐらいの重さを持ち上げられるのか、自由に生きられないというのはどのような状態なのか、普通に生きたいとはどのような生き方なのか―などなど。

お茶会や飲み会での雑談であれば、むしろ、前提条件がずれていた方が盛り上がるかもしれません。恋とは何だ、愛とは何だ、ひいきの野球チームが負けた原因は何か―など、前提条件がブレブレの方が、「あーでもない、こーでもない」と楽しい話ができるでしょう。

さて、あなたが今取り上げたい悩みは、酒飲み話なのか、真剣に取り組み改善したい悩みなのか、もう一度自分に問いかけてみてください。(精神保健福祉士)

ジュネーブに行ってきます 《電動車いすから見た景色》32

0

【コラム・川端舞】障害者権利条約は、障害者が社会のあらゆる場面で他の人と平等に生活する権利を規定している。日本が障害者権利条約を守っているか、国連の障害者権利委員会が審査する会合が8月、国連ジュネーブ本部で開催される。その会合を傍聴するために、スイスのジュネーブに行けることになった。

日本を審査する国連障害者権利委員会の委員は、ほとんどが世界中から選ばれた多様な障害者だ。日本からも多くの障害者がジュネーブに向かい、国内の障害者の権利について現状を障害者権利委員会の委員に伝える。

障害者権利条約は、「私たちのことを私たち抜きで決めないで(Nothing about us without us)」を合言葉に、世界中の障害当事者が参加して作成され、2006年に国連で採択された。そんな当事者主体の条約に基づき、世界と日本の障害者リーダーが自分たちの権利を話し合う場に、私も参加できるのだ。

国連審査傍聴に向けて、権利条約や審査の流れを改めて勉強し直しているため、国連審査の詳細は8月のコラムで説明したい。そのコラムが掲載されるときには、私はジュネーブにいるはずだ。

経験値を増やす絶好のチャンス

国連審査を傍聴するまでの旅路は初めてのことだらけだ。まず人生で初めて、航空券を自分で予約した。自分と介助者の航空券を間違えないように、緊張しながら予約する。今回は他の車いすユーザーも一緒に行くこともあり、旅行代理店の方も慣れているようで、私が車いすを利用していることを伝えると、すぐにどの書類を提出すればいいか教えてくれた。

私は介助者と一緒に飛行機に乗ったり、10日間も介助者と旅をするのも初めてで、楽しみ半分、不安半分なのだが、自分以外にも多くの障害当事者が同じような日程でジュネーブに行くと思うと、少し安心する。

障害があると「失敗するとかわいそう」「大変だから無理にやらなくていいよ」と言われることも多く、いろんなことに挑戦する機会が少なくなってしまいがちだ。しかし、新しく挑戦したことが思っていた以上に面白く、自分の世界が広がることもある。新しい挑戦を応援し、見守ってくれる人たちがいるおかげで、私の世界は広がり、好きなことがどんどん増えていく。

これから私も障害当事者として多くの経験を積んで、他の当事者が新しいことに挑戦するのを不安がっているときに、「こうすれば大丈夫だよ」とアドバイスできる存在になりたい。そのために経験値をどんどん増やす絶好のチャンスが、この夏やってくる。(障害当事者)

トナリエ・スクエアの「ベリーベリーカフェ」 《ご飯は世界を救う》49

0

【コラム・川浪せつ子】TXつくば駅そば、トナリエつくばスクエアのフードコートに、「ベリーベリーカフェ」さんはあります。以前、図書館の帰りに同じ階のパン屋さんに寄り、駐車券をもらいお茶していました。コロナ下、お客さんが減ってしまったのか、そのパン屋さん(2020年9月17日掲載)は閉鎖。困ったなぁ~と、フードコートで初めてお茶してみました。それが、結構よかった!

それ以来、「ベリーベリーカフェ」さんのファンに。はやりは少し陰りましたけど、タピオカ入りのミルクティーを注文。とてもおいしいのですが、ちょっと難点が。タピオカを太いストローで吸い込むとき、細かく砕けた氷を一緒に吸い込んでしまう…。コレ、とっても残念な感触。タピオカのクニュクニュだけを、味わいたいんだけどなぁ~。

ほかのお気に入りは、コーヒーフロート。アイスコーヒーの上に、アイスクリームが浮いています。このお店のアイスは、丸いアイススプーンでアイスを載せたもの。ほかのお店では、ソフトクリームを載せるバーションもありますね。どちらもスキです。

イラスト、食欲をそそりますか?

そして今回は、「ハンバーグ・オムライスセット」というダブルでおいしいというものを、注文してみました。ちょうど、私が属しているグループの展覧会がつくば美術館であり、午後のお当番の前に。そして、絵が映えるように、シュワシュワのメロンソーダー、スープとセットです。

描き始めたのはよかったのですが、色塗りの段階で苦戦。卵の上には、デミグラソース。茶色のもので、こういう分散型のソースって難しいのです。ハンバーグはやめておいて、ただのオムライス(これは赤いケチャップだった!)のほうが、映えたのではないか? でも、もうこれでやるしかない、と頑張りました。

このイラスト、食欲をそそりますでしょうか? スケッチを見て、「うまそう!」「食べたい!」と思っていただけ、それだけで幸せな気分になれる絵を描きたい。そう思っている毎日です。

このお店には、ワッフル―甘いのと食事タイプ―もあります。品数も多いので、これから、楽しみ、楽しみ ♪(イラストレーター)

スイカの苗から変なものが… 《ハチドリ暮らし》15

0
スイカだったはずなのに…

【コラム・山口京子】思わぬ出来事がありました。今春、畑に、ジャガイモ、ナス、きゅうり、ピーマン、ネギ、玉ネギ、枝豆、インゲン、トウモロコシ、スイカの苗を植えたところ、なんと、スイカの苗についた実は、ウリというか、冬瓜(とうがん)というか、ひょうたんというか、よくわからないものだったのです。

確か、店で買ったときは、苗ポットにはスイカの写真が付いていました。昨年もこの店でスイカの苗を買い、スイカを食べることができたのに…。今年は、どこでどう間違ったのでしょう。苗がスイカではなかったと考えるしかありません。それとも突然変異なんてことがあるのでしょうか。このわけのわからない実がどこまで大きくなるのか、様子見の状態です。

目的のものと実際のものが違っている場合は、目的のものをくださいと言う権利が消費者にはあります。けれども、お店と交渉するにしても、買ったときのレシートもポットに付いていた写真もありません。すでに数カ月も時間が経過しています。こんなことが起きるなんて思ってもみなかったので、証拠となるものは何も取っておきませんでした。

知らないために不利益を被ったら

今回は小さな出来事でしたが、大きな契約では諦め切れないことも出てくるでしょう。それれで、以前聞いた話を思い出しました。

ある方の家に保険会社の営業員が訪問してきて、「いい保険ができたので、今持っている保険を下取りして、新しい保険に入り直しませんか」と勧めたそうです。新しい保険のいいところの説明がありました。それならと、新しい保険に加入しました。古い保険を新しい保険に移す、転換というやり方です。そのときはなんの疑問も抱かなかったそうです。

数年後、保険について勉強するセミナーに参加し、予定利率の高かった保険を解約し、予定利率の低い保険にされていたことに気づいたそうです。予定利率のことや転換の仕組みを知っていたら、転換はしなかったと言っていました。

知らないために不利益を被ってしまうことがあります。保険会社と個人では、情報の質や量に大きな差があります。民法は対等な個人(私人間)を想定していますが、保険会社と個人の関係では、個人が弱い立場に置かれることが少なくありません。

その格差を是正し、個人(消費者)の権利を守るための法律があります。消費者法といわれるものです。消費者トラブルで困った場合は、行政の消費生活センターに相談することをお勧めします。(消費生活アドバイザー)

人間は作る生き物「ホモファーベル」 《続・平熱日記》113

0

【コラム・斉藤裕之】美術大学の学生にとって美大受験の予備校の先生はいいアルバイトになる。私も随分長い間しばらく住んでいた埼玉の予備校にお世話になった。日曜日のコースには栃木や群馬から高校生がやってきた。当時は彼らの北関東訛(なま)りが新鮮だった。

その中の1人の女の子の話。出会ったのは彼女が高校生の時。さすがに現役とはいかなかったが、才能と努力で後に芸大に見事合格した。最後に会ったのは我が家を建てた直後に引っ越しを手伝いに来てくれた時だから、ちょうど20年前になる。それからしばらくして、実家のある那須に生活の拠点を移したこと、数年前から牛舎を改築してなにやら始めたところまではSNSで知っていた。

その牛舎が見事なカフェに生まれ変わって、その様子がテレビで紹介されるという。私はそれまでその番組を知らなかったのだけれど、古い建物をリフォームしてカフェを営んでいる方々を取り上げている番組らしい。古い建物やリフォームは私の大好物である。牛舎としては珍しい入母屋(いりもや)のつくりや、かわいらしい建具なども興味深く拝見させていただいた。

番組の中で、彼女は旦那さんと共にこのカフェに生きがいを感じているのがよく分かった。いつか大きなタケノコを送ってくださった、ご両親のお顔も拝見できた。そして東日本大震災を機に彼女が故郷に帰り、その魅力に気づいたことを知った。故郷を愛し故郷に生きる彼女の姿を見て、応援したいと思った。

1日ひとつでもいいから何か作る

少し迷ったが、放送後にSNSに簡単なコメントを送った。すると「先生が『人間は作る生き物』と言われたことを今でも覚えていて…」という返信があった。これはホモサピエンスという人間の学名に対して、「人間は本質的に物を作ることにおいて人間である」という概念で人間を定義したもので、「ホモファーベル(つくるひと)」という言葉に由縁している。

それを恐らく何かの時に口にしたのだと思うのだが、彼女がこの言葉を大事にしてくれていたということに感慨深くもあったが、実はこの言葉を聞いて意表を突かれたのは私自身だった。

この4月、日雇い先生をする学校で生徒に向けた自己紹介文を書くように言われたので、急いでパソコンに打ち込んだ。「1日ひとつでもいいから何か作ろうと思っています。文章でもご飯でも、友達でも」。何とも腑(ふ)抜けた自己紹介だが、つまり私自身無意識に「ホモファーベル」であり続けたいと思っていたということだ。

言葉が消えていくものでよかったと思う。良くも悪くも。言葉ひとつで仲良くなったり険悪になったり。でも何かの折に心に引っ掛かった言葉が何十年も生き続けることもある。那須には大学の研修所があったので、何度か出かけた思い出の地だ。しばらくぶりに尋ねてみようか。北関東訛りにも少しは免疫ができたことだし。(画家)

最高裁の裁判官は結局国の番人? 《邑から日本を見る》115

0
除草が終わった田んぼ

【コラム・先﨑千尋】東京電力福島第1原発事故で避難した住民らが、国に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷は先月17日に「津波対策が講じられていても、事故が発生した可能性が相当ある」とし、国の賠償責任はないとする判断を示した。

この判決をテレビのニュースで聞き、新聞を読み、原告らの怒りと落胆、涙する姿を見て、最高裁の裁判官は国民の側に立つのではなく、国の番人なのではないか、と考え込んだ。

今回の判決は、福島、群馬、千葉、愛媛の各県で起こされ、福島、千葉、愛媛では高裁が国の責任を認め、群馬だけが国の責任を認めず、司法判断は割れていた。このため、最高裁が今回統一判断を示したもの。法務省によれば、今回の訴訟を含めて、国に対して賠償を求めたのは約30件あるという。

原発が立地する福島県からの避難者はピーク時には16万人を超え、この4月時点でも約3万人が避難生活を続けている。

判決の骨子は、「国が東電への規制権限を行使していれば、事故が起きなかったとは認められない。国が2002年に公表した地震予測の『長期評価』を前提とした津波対策を東電に命じても、津波の到来による大量の浸水は避けられなかった」など。今後の判決は、今回示された判例に沿って出されることになろう。

原発は典型的な「国策民営」の事業だ。国が方針を決め、民間企業の東電や関西電力などが発電所を持ち、運営する。福島の事故後に当時の東電の清水社長は「福島第1原発は、国に許可していただいている原発だ」と発言している。先日、北海道知床沖で観光船沈没事故を起こした知床観光の桂田社長も「許可していた国も悪い」と発言していた。それと同根か。

判決は、津波対策を講じていても事故は防げなかったとしている。そういう論理なら、東電にも責任がないということになるのではないか。一体、誰の責任だというのか。

国に忖度してこのような判決?

3・11の時、東海村にある日本原電東海第2発電所は、1週間前にポンプ周りの擁壁のかさ上げが終わり、重大事故にはならず、辛うじて助かった。防潮堤があっても津波の高さは想定を超え、事故は防げなかったという判断ではなく、東海第2でもわかるように、事故が発生しないような対策を講じることはできたはずだ。

私たち国民の生命や財産を守るために国は責任を果たしたと言えるのだろうか。判決は、どのような対策を講じれば事故を防げたのか何も示していない。

原発推進政策は、これまでも、そしてこれからも、国のエネルギー基本政策に位置づけられている。最高裁が原発国賠訴訟(福島原子力発電所事故に伴う国家賠償請求訴訟)で国の法的責任を認めれば、原発推進政策の見直しが求められる。今回の裁判官は、下級審の事実認定を踏まえず、先に結論ありきとした。

最高裁の人事は内閣が決める。今回の判決は、国策の誤りを認めず、被害を受けた住民の救済を考えず、国に忖度(そんたく)してこのような判決を下したとしか思えない。救いは、4人の裁判官のうちの1人の三浦守裁判官が、判決文で30ページに及ぶ反対意見を述べていることだ。(元瓜連町長)

基本を繰り返す 《つくば法律日記》22

0
堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】中学1年生の頃から、ボクシングが好きで、当時は日本で放送された試合は全てビデオに撮り、ボクシング雑誌を隅から隅まで読んでいた。当時世界チャンピオンだった、大橋秀行さんが会長を務めるジムの井上尚弥選手の先日の試合も当然見た。1カ月たった今でも余韻が残っている。

どうしてあんなに強いんだろうと考えながら過ごしている。挙げれば数えきれないだろうけど、その中でビジネスマンとして何か吸収できないかと考えた時に思い浮かぶのが、基本を大切にしているところだ。

ガードを高く構え、パンチを打ったら、すぐにガードの位置に戻す。日ごろの練習でも基本を何度も繰り返す。基本となるステップは、子どもの頃から欠かさずに続けているらしい。

そういえば、司法試験も新しい理論や判例の勉強よりも、基本を何度も繰り返した人が合格する。いろいろな本を読むよりも、同じ本をボロボロになるまで繰り返した方が実力がつく。

社会人になって、何か新しいことを勉強する時も、基本となる本を飽きるほど何度も何度も読むと、だんだん初めて触れた時と全然違う感覚になっていき、昔から知っていたことみたいになってくる。

コラム締め切り厳守も基本

基本が大事であることは、子どもの頃から言われ続けているのに、なぜ人は基本を繰り返すことを忘れてしまうのだろう。たぶんそれは、基本は淡泊でつまらない、同じことを繰り返すと飽きてくる、優秀な人を見ると基本以外の派手なところが目立ち、基本が重要と感じなくなる―などなど。

一流のプロの世界でも、基本を大事にしているかどうかで結果が変わると思われるのだから、自分もたくさん基本を怠っているだろうと思い、見直せることがないか、考えてみた。

まず、日々の仕事や勉強で、本を繰り返し読んでいないことがある。人の悪口を言わないかと言えば、多分たまに言っている。元気に明るく挨拶をしているかと言えば、そうでないこともある。ビジネスマンとして反省すべきは、時間を守らないことがあることだ。このコラムの締め切りも、十分反省すべきだ。

ただ、基本を守れていないのは、自分だけではない。暴力がいけないことも、民主主義が守られなければならないことも、子どものころから基本であることとして教わってきた。それでも、人間はそんな大事な基本を忘れてしまう生き物らしい。憎しみは何も生み出さないことも基本だと思うから、「罪を憎んで人を憎まず」―元首相の銃撃事件について頭を整理したい。(弁護士)