金曜日, 4月 26, 2024
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筑波大学医学群発 「花火の力」療法《見上げてごらん!》17

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子どもたちが描いた絵と花火(つくばけやきっず提供)。左から「虹はなび」「カエル」「花畑」「流れ星」

【コラム・小泉裕司】千紫万紅(せんしばんこう)のごとく夜空を彩る打ち上げ花火は、見上げる人の心に「感動」や「癒やし」をもたらしてくれる。この「セラピー効果」は、「花火の力」そのものではないか。

筑波大生が学園祭で花火企画

今回は、筑波大学「雙峰祭(そうほうさい)」の花火イベント、第11回「ゆめ花火」を企画運営する同大医学群学生団体「つくばけやきっず」(構成員38人)の活動を紹介しよう。

「ゆめ花火」は2011年、同大医学系学生サークル「賢謙楽学」と「花火研究会」が共同して、同大付属病院で病気と闘う子どもたちを励まそうと、雙峰祭の後夜祭で花火を打ち上げたのが始まり。同病院小児科で闘病中の子どもたちの活動支援を行う「けやきっず」がこの活動を引継ぎ、今日に至る。

今年は、11月8日午後8時30分から、大学構内「虹の広場」で打ち上げ、観覧場所は後夜祭会場の「石の広場」。「ゆめ花火」60発、ミュージックスターマイン200発を計画している。子供たちには会場内特別ブースで楽しんでもらうという。

子どもたちの描いた絵を花火に

花火の形は、子どもたちが思い思いに描いた絵を夜空に再現するというもので、いわゆる「型物花火」といわれる種類の花火。大きさは4号玉(直径12センチ)を使用するとのこと。

第1回から花火づくりを担当する山﨑煙火製造所(つくば市、山﨑智弘社長)の花火師さんは、原画をできるだけ忠実に再現できるよう熟練の技術を傾注するとのこと。型物花火の難しさは、観客側から意図した形が見えるかがポイント。ひとつのデザインに3発使用するのはそのためだろう。子どもたちが大好きな曲に乗せて打ち上げる工夫も欠かせないという。

花火を見た子どもたちのアンケートには「絵が本物の花火になって最高の思い出だった」「辛い闘病生活だったけど花火を見てまた明日から頑張れる」「涙が出るほど感動した」などと。ご家族からは「娘にも私にも勇気を与えてくれた」などの感想が届いている。

現在、小児科病棟や外来で「絵集め」の真っ最中で、全てをどうにか花火として打ち上げたい!と思わせてくれるものばかりだそうだ。

闘病中の子どもに夢と希望を

「ゆめ花火」にかかる費用は、クラウドファンディング「闘病に励む子どもたちに、笑顔と希望の「ゆめ花火」を!」で募っている。筆者も応じてはいるが、昨今の火薬類や諸経費の価格高騰に対応するためには、募集終了日まで残り15日。あともう一踏ん張りというところ。

代表の穗戸田勇一さん(34)=医学類5年=は「第1回を『花火研究会』側で始めた自分が、今度は『つくばけやきっず』側で再び携わることにも感動している。今年はコロナの落ち着きもあって、たくさんの絵が集まっている。子どもたちに夢と希望を与えられるよう、最後まで精一杯駆け抜けるつもり。皆さんのご支援を心からお願いしたい」と話す。

穗戸田さんは、「花火プロデューサー」として、県内外の花火大会の企画運営にも携わるなど八面六臂(ろっぴ)の忙しい毎日を送る。

30年ほど前、3歳の娘が白血病で入院。脊髄注射など小さな体にはかわいそうすぎて目を背けたくなる辛い治療の3年間を、無菌室で過ごした。打たれ弱い筆者は、明日が見えない不安を抱きながら、下を向いて歩く日々が続いた。

「ゆめ花火」発案者の穗戸田さんが、30年前にワープしてくれていたら、「花火の力」療法で、少しでも前を向くことができていたのかもしれない! ちなみに娘は、医療スタッフのご尽力で寛解に至り、元気でいてくれるのが何より。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

世界の見え方《続・気軽にSOS》139

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【コラム・浅井和幸】AさんとBさんは仲が悪く、いつもけんかをしていました。Aさんは、Bさんがいつも自分の悪口を言っていて、嫌がらせばかりしてくると言っています。Bさんは、Aさんは些細(ささい)なBさんの言動に文句を言ってきて、いつもBさんのことを見張っていると言っています。

それぞれは、相手を分析し、自分としては何も思っていないのに、相手が自分のことが嫌いだからわざわざ嫌なことをしてくる、そして、AさんBさんのどちらも、相手は自分にだけそのような悪い言動をしてくるのだ―と主張します。

ですが、それぞれの相手に対する分析はことごとく間違っていました。Aさんは、誰に対しても相手がより良い行動をとれるようにと、口出しをしてしまう人でした。Bさんは、誰に対しても直接悪口を言う人でした。

ただ、他の人はこの2人を避けるような行動をとることに比べて、AさんとBさんは接する機会が多く、さらには自分から寄っていき、小さなことが流せずに、コミュニケーションをとるとエスカレートしてけんかになる2人でした。

ここで面白いと言ったら、真剣な2人には失礼ではありますが、気にかかるところがあります。それは、それぞれの相手に対する評価や推測が間違っているのです。例えば「相手は自分にだけしてくる」とか、「いつも嫌がらせを考えている」とか、「田舎者だからしてくる」など。

もうひとつ面白いのは、もう関わりたくないと何度も言いつつ、自分から近づいて行ったり、長い時間を共にしたり、手紙のやり取りをしたり、相手を正そうとしたり―と、はたから見ると、積極的に関わろうとしているような行動をとるのです。

「防衛機制」の「投影」

人は不快なものを取り除こうと、不快なものを意識し続けるという特徴があります。また、悪い奴が変わるべきで、自分は悪いことは一つもないのだから、何も変わらないと主張する人も多数います。それに加えて、悪い奴をやり込めてやろうという気持ちも出てきます。このようなことから、嫌なものに近づいていき、悪循環を起こすのです。

また、「防衛機制」という言葉を保健体育で習ったかと思います。ストレスから自分を守る機能なのですが、その中で「投影」というものがあります。自分自身を守るために、自分の性格や言動を認めず、相手に自分の悪い面を押し付けるような心の動きです。

自分が相手のことを嫌いだった場合、相手が自分を嫌いだと思い込むことです(ストーカーは、自分が好きな対象が、自分のことを好きであると思い込んで対象に執着していきます)。自分がしている嫌がらせはさておき、相手がよりひどい嫌がらせをしてくるという考えに至ります。犯罪者は被害者意識が高いということは、よく知られている事実です。

世界は苦しいものだ、人間はずるいものだ、日本は弱い者いじめが好きだ、あいつは常識がない―と思ったことは誰にでもあるでしょう。さて、それは本当に対象がそのような状態なのでしょうか? それとも自分自身がそのような状態で、対象に自分の嫌な部分をなすり付けていないでしょうか?(精神保健福祉士)

トランスジェンダーの友人と語る教育《電動車いすから見た景色》45

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】来月、あるイベントで、高校時代の友人と対談する。友人は、出生時に割り当てられた性は女性だが、男性として生きるトランスジェンダー男性だ。高校卒業後10年以上たってから再会し、互いの子ども時代を語り合う中で、今の学校で障害児やLGBTQの子どもたちが過ごしづらいのは、多様な子どもたちがいることを前提に学校がつくられていないからではと感じた。

障害者とトランスジェンダーが教育について一緒に話すことで、今の学校が抱える根本的問題が見えてくるのではと思い、今回のイベントを企画した。

公の場で友人と話すのなら、トランスジェンダーに対する基礎知識は持っておきたいと、書籍を複数購入した。一言に「トランスジェンダー」と言っても、当然、全く同じ人間は存在しないし、差別をより受けやすいトランスジェンダー女性の経験は、トランスジェンダー男性とはまた違う部分もあるはずだから、過度な一般化はせずに、できるだけ冷静に読んでいきたいと思う。

しかし、読み進めるうちに、「この部分は、友人はどうなのだろう」と、無意識に友人との対比で考えてしまう。そんな自分に気づき、苦笑する。子どもの頃、同じ学校に運動障害のある子どもは自分1人だけという環境で育ち、周囲から「理想の障害児」像を押しつけられることに辟易(へいえき)していたのに、同じことを友人にやっているのではないか。

互いのしんどさを同じ俎上に載せる

一方、私にとって一番身近なトランスジェンダーは友人だ。実際のトランスジェンダーが生きているのは、本やテレビの中ではなく、私たちが暮らす現実世界だ。友人が普段、身近で経験する差別について知り、そんな社会を一緒に変えていきたいから、差別を生み出す社会構造について本で勉強する。これは間違ったことではないのかもしれない。

トランスジェンダーは人口の0.7パーセントほどしかおらず、出会ったことがないと思っている人も多いだろう。しかし、全校生徒300人の学校なら2人はトランスジェンダーの生徒がいる計算だ。男女に分けるのが当然とされる学校で、見えなくさせられているだけだ。かつて、重度障害児として普通学校で育った私が、障害児がいない前提で進められる授業の中で、必死に自分という存在を消していたように。

もちろん、友人はトランスジェンダーの代表でなければ、私は障害者の代表でもない。ただ、子ども時代に互いが感じていたしんどさを同じ俎上(そじょう)に載せることで、今の学校にある課題が見えてくるはずだ。(障害当事者)

皆さんと初顔合わせした「金太楼鮨」《ご飯は世界を救う》57

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金太楼鮨

【コラム・川浪せつ子】近場でも知らない飲食店さんがたくさんあることに驚きます。今回のお店、「金太郎鮨」(つくば市東新井)もその一つ。知るきっかけになったのは、自分勝手な思いつきからでした。

昨冬、実母が没した年齢を超えました。長生きの家系だったにもかかわらず、思いのほか早く天に召されました。建築パース(外観イラスト)の仕事をまだしようと思っていましたが、母の闘病、余命宣告の年齢を超え、命の限りあることをつくづく感じ、絵に集中したいと思うようになりました。

そして昨年から、終活ならぬ「水彩活」を始めることに。牛久の水彩画家Tさんと、2回目にお会いしたとき、「一緒に展示会させてもらえませんか?」と、むちゃブリ。「僕でいいのですか?」。そんな謙虚な方。それで気をよくし、茎崎のIさんにも声かけたら、またまた「いいですよ」

今秋、茎崎のギャラリーで展覧会

それでつけ上がった私は、Iさんに「土浦市のOさん、茎崎のSさんもお誘いしたいのですが」とお願い。実はOさんとは話をしたこともなく、今年93歳になる水彩画家K先生と一緒に展覧会にいらしていた、Oさんの絵がステキだと思ったからです。

Sさんは、いろいろな場所で展覧会されていました。その後お会いし、人柄にもひかれました。幸運なことに、皆さんと今年10月末からSさんのギャラリーで展覧会を開くことになりました。皆さん水彩画のキャリアも長く、私はお教えいただくことばかり。つくば市に来て41年。やっと、私の念願だった絵の話ができる方々に出会うことができました。感謝しかありません。

ところで、なんで「金太楼鮨」さん?ですよね。Oさんのお勧めで、5人で初めて顔合わせした場所です。そして、私のお気に入りになりました。(イラストレーター)

金太楼鮨のばくだん丼

「静かなお盆でおめでとうございます」 《訪問医は見た!》2

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筆者の友人が描いたイラスト

【コラム・平野国美】私の生業(なりわい)「訪問診療」は、依頼された各家庭にお邪魔しまして、定期的に診察を行うものです。しかし、これには義務がありまして、その患者さんに24時間対応をしなくてはなりません。熱が出た、腹が痛い、夜独りで淋しい―まで、多彩です。

電話の対応で済むことも多いのですが、出向かなくては済まないことも多々あるのです。当然、患者さんの最期に立ち会わなくてはなりません。今、ひと月に30名近くの看(み)取り、つまり最期に立ち会うわけでして、縛りが多いのです。

開業当初は、私独りで行っておりましたので、普段の生活を楽しむ余裕はありませんでした。しかし、今までに6000軒ほどの家にお邪魔し、患者さんに関わる家族や関係者と話すのは、辛いことも多いのですが、色々な気づきや発見もあります。

20年前、この仕事を始めたころ、農村地帯ではお盆の行事や飾りを見ました。そして、親戚や知り合いがあいさつに訪れる風景を見ながら、診察しておりました。そのときの来客者のあいさつが、いまだに耳を離れません。正座をして深々と頭を下げ、「静かなお盆でおめでとうございます」

「初盆でおさみしゅうございます」

今の時代、このあいさつを知らぬ方も多いと思います。正月でなく、お盆におめでとう? でも昔は、このあいさつが普通に見られたのです。この家に、この1年間、不幸が無くてよかったという意味合いのあいさつだそうです。皆さん、ご存じでしたか? 知らなかったのは私だけではないと思います。

この感動から20年後、このあいさつの対極にある風景を見ました。それは「初盆でおさみしゅうございます」。再び痺れました。確かに、この家では今回が初盆。来客者は神妙な顔つきで正座し、あいさつをします。

昔は普通に、このあいさつも交わされていたようです。遠州三河地区では、盆義理と言われる習慣として残っているそうです。

最近では、新型コロナウイルスによって葬儀や通夜が簡素化され、人を多く集めない形に変わってきました。盆踊りの行事も見なくなりました。お盆のあいさつに、親せき宅や近所を回る習慣も大分消えています。日本人の共同体(コミュニティー)には、そこに生きる人だけでなく、取り巻く自然や死者も一緒になる独特の文化があります。

私の生業は各家庭の玄関を入ってからの仕事です。私の感覚が正常に機能していれば、どこか遠くへ旅に行くことなく、地元で新しい発見をし、感動が手に入ります。「静かなお盆で、おめでとうございます」。このあいさつ、残したいものです。(訪問診療医師)

弘前ねぷたまつりを楽しむ 《邑から日本を見る》141

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弘前のねぷたまつり

【コラム・先﨑千尋】街に笛の音が流れ、太鼓がとどろく。夏の夜に次々とあふれ出てくるねぷたの群れ。ひと夏を謳歌(おうか)する津軽衆が街を練り歩く。私は今月4、5日の夜、繁華街の弘前市土手町とJR弘前駅前に立ち、7年ぶりに弘前のねぷたを堪能してきた。

弘前ねぷたまつりは、三国志や水滸伝などを題材にした、勇壮で色鮮やかな武者絵が描かれた扇型の扇ねぷた、人形の形をした組ねぷた、子ども用ねぷたが、日中の暑さが残る中、「ヤーヤドー」の掛け声とともに市内を練り歩く祭りだ。

今年は、愛好会や子供会、幼稚園、医師会などから、大小合わせて63台が参加。コロナ禍のために4年ぶりの運行となった。まつり本部の発表だと、5日は30万人の人出。観客は早くから場所取りに忙しく、駅前には有料席も設けられていた。各団体のスタートは午後7時。交差点などで、ねぷたを勢いよく回転させると、力強い武者絵と哀愁を帯びた見送り絵が交互に現れ、観衆から拍手が沸き上がっていた。

ねぷたの起源にはいろいろ説があるようだが、暑さの厳しい、農作業の忙しい時期に襲ってくる睡魔を追い払うため、村中一団となって、さまざまな災いや邪悪を水に流して村の外に送り出す、農民行事から生まれた「眠り流し」がねぷた流しに転化した、と言われている。起源は古く、300年以上も前から行われてきた。

大人から子供まで世代交流の場

青森市では同じ行事を「ねぶた」と呼び、いずれも1980年に国の重要無形文化財に指定されている。青森県内では他にも、五所川原市の立佞武多(たちねぷた、高さ23メートル、重さ19トン)や、むつ市の大湊ねぶたなどが、ほぼ同じ時期に運行されている。

弘前ねぷたは、直径3.3メートルの大太鼓を先頭に小型のねぷたから順に運行され、後半には最大9メートルを超える大型のねぷたが登場する。それぞれのねぷたの後には笛や太鼓の囃子(はやし)方の一団が続き、勇壮な囃子の音色を観衆の耳奥に残しつつ、9時過ぎまで中心市街地を練り歩く。

青森市のねぶたは大企業による大型のものが多いようだが、弘前市のねぷたは「下新町ねぷた愛好会」など、町会単位がほとんど。主役は子どもだと言われている。小学校低学年の子どもがねぷたの綱の引き手を務める。高学年になると、角提灯(ちょうちん)や小型の金魚ねぷたを持ち、行列を先導する。中学生になると、太鼓や笛、かねの囃子方に移っていき、年代ごとに役割が与えられている。

ねぷたを通じて子どもたちは地域の大人と関わり、幅広い世代と交流しながら、心身ともに成長していく。子どもを背中におぶった母親が笛を吹いている姿も見かけた。

ねぷたの制作期間中に学校から戻った子どもがランドセルを玄関先に放り投げ、ねぷた小屋に駆けていき、制作を手伝ったり、囃子の練習をしたりするのも、弘前ならではの光景。ねぷたが地域コミュニティの中心になっている。ねぷたの絵を描く絵師は弘前市では40人以上もおり、それぞれが自慢の腕をふるい、違いを見分けるのも楽しみの一つだ。(元瓜連町長)

「世界のつくばで盆おどり」を終えて《映画探偵団》67

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】『第1回 世界のつくばで子守唄』(7月1日開催)と同時並行で、『第11回 世界のつくばで盆おどり』(7月29日、デイズタウン平面駐車場)の準備をしていた。久しぶりの参加である。

私の担当は、やぐら前で披露するステージ部門「Let’s world BON dance!!」(午後1時20分~6時)。二の宮太鼓会、アフリカ(ケニア)、インドネシア、フラメンコ、コンテンポラリーインド、スリランカ、サンガイア(バレ一ボ一ル)、フラダンス、日本舞踊、ベリーダンス、ストリートダンス、ケンニイバンド―などから成る催しだ。

時間は1チーム約20分。炎熱下、カラフルな衣装でダンスなどを披露する。言葉もうまく伝わらない中、外国の1チームが待機場所に見あたらず、探し回ったことも。なんと、観客席に座っていた。

ステージを終え、午後6時からは盆踊りを観賞した。すさまじい人出。延べ1万数千人はいただろう。「つくば音頭」「ダンシングヒーロー」「せかぼん音頭」に混じって、「炭坑節」も流れ、浴衣姿の外国人女性が踊っているのが印象的だった。

今年はコロナ明けのせいか、つくば、日本各地、世界でも盆踊りブ一厶である。13年前とは隔世の感がある。当時は会場に来ても踊る人が少なく、ビンゴゲームの商品で人を集めた。

歌い踊った歌垣が盆踊りのルーツ

2010年、NPOの副代表をしていたとき、盆踊り企画が出て、メンバーから大勢を集めたいとの声が出た。ただの盆踊りではインパクトが弱いので、東映映画『夢のハワイで盆踊り』(1964)をヒントに、『世界のつくばで盆おどり』と命名したが受けなかった。でも約5000人が集まり、しっかり踊る姿が見られてうれしかった。今では『せかぼん』の愛称で知られている。

盆踊りは死者供養と男女の出会いの場であることが知られている。『盆踊り 乱交の民俗学』(下川耿史著、作品社)を読むと、755年ごろ、春と秋に関東各地から筑波山に集まり、歌い踊った歌垣(かがい)が盆踊りのルーツのようである。

『スター・ウォーズ』の元ネタで知られる黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』(1958)に、戦さに敗れた秋月城の雪姫が同盟国に向かう脱出行の途中、火祭りで楽しそうに踊る場面が出てくる。城から出たことのなかった16歳の姫にとって、敵地にあっても息抜きの一時だった。

男女、国を超え、一緒になって踊る行為は平和そのものである。盆踊りは日本が世界に誇れる文化だと思う。日本の盆踊りをつくばに集め、世界にアピールしたらどうだろうか。実は13年前に考えたのだが、今回、久しぶりに運営に参加して思い出した。ひょっとして、10年後に実現しているかもしれない。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

ホームドラマの名物お母さん 《遊民通信》70

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【コラム・田口哲郎】
前略

このごろ、昔のドラマがたくさん再放送されています。最近でも、「二人の世界」「明日からの恋」「夫婦」「心」「道」「太陽の涙」「幸福相談」と、1970年代から80年代に放映されたものが、テレビ神奈川、東京メトロポリタンテレビ、BS11でふたたび放送されています。

このうち、「夫婦」「心」「道」の脚本家は橋田壽賀子さんです。橋田さんのドラマのテーマは家族です。高度成長期は終わり、生活が豊かになり、伝統的な家制度が本格的に崩壊し始めた時代の、家族のあり方を主題に、人間模様を描いています。旧来の「家」概念にしばられる人びとが、お互いに協力したり、ぶつかりながら、自由を尊重しつつ、暮らしてゆく。そんな日常生活はまさに当時のリアルな国民生活のひとつの側面だったのでしょう。

そうした変わりゆく家庭風景のなかで、橋田ドラマでは母親が主人公になることが多いです。「心」では山田五十鈴さんが、「道」ではその役を京塚昌子さんが演じています。山田五十鈴さんは戦前の映画スター、京塚さんといえば「胆っ玉母さん」「ありがとう」で国民的母のようなイメージです。恰幅(かっぷく)のよい、やさしそうだけれども、しつけにはきびしいお母さん。ひと昔前までは、そういう母親像がたしかにありました。

ホームドラマのお母さん役の系譜

山田さん、京塚さんの前に、そういう母親らしい役者さんがいるかと思ったら、ピンときました。東山千栄子さんです。小津安二郎監督の「東京物語」の母親役で有名です。東山さんも恰幅がよく、やさしそうだけれど、どこか芯が通っている、そんな母親を演じられています。

東山さんは華族のお嬢さんだったところ、築地小劇場に出るようになって、役者となりました。山田さんの父親は新派の出身、京塚さんは新派出身の女優さんです。おふたりの演技を見ていると、うまいなあと素人ながらに感心すると同時に、なんともいえない味があります。セリフや所作、架空の人物ながら、その生きざまが見る者を魅了します。

俳優さんのすごさは、人間味を見せてくれることなのでしょう。私は、山田さん、京塚さん、東山さんの演技を見ながら、魅力的な母親と会っているような、不思議な満たされた気分になります。たかがドラマ、されどドラマです。名優さんの演技は、見る者の生き方の参考になるのではないでしょうか。

だから、日本にはホームドラマが長らくあり、国民的母親を演じる俳優が重宝されてきたのだと思います。50年前の文化遺産は本ではなく、映画やドラマになる時代になりました。そうした文化遺産から学ぶことは多いですね。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

牛久栄進1学級増でも山積する地域の課題 《竹林亭日乗》7

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ゆれる穂波(筆者撮影)

【コラム・片岡英明】茨城県の森作宜民教育長は7月26日、2024年度から、牛久栄進高校を1学級増の9学級にし、筑波高校が募集する3学級の中に国・数・英を強化した「進学アドバンストコース」1学級設置する―と発表した。

私たちの会の最初の要望書(2年前)への回答が「学級増は困難」だったことを考えると、来年度の学級増と進学コース設置は小さいが大きな一歩である。県教育庁の担当者をはじめ市議・県議など多くの方々に感謝する。

筑波高を訪れ、定員には満たないものの「つくばね学」を学び、大学進学希望者がいるのに、教員が少ないために十分な指導や指導ができないとの話を聞き、進学指導の充実を県にお願いしてきた。これからも同校を見守り、応援していきたい。

ただ、現在の受験事情を見ると、まだまだ課題が残る。私たちの計算では、「つくばエリア」の県立高校は、県平均よりも現時点で15学級不足し、2030年までを展望すると、さらに10学級不足する。そこで今年4月には、毎年2~4学級の学級増か、学級増の一形態として高校新設を要望したが、牛久栄進が2学級増でなく1学級増にととどまった。

県には「学級増には既存教室で対応し、新校舎は建てない」という縛りがあるようだ。その条件を付けると「つくばエリア」には牛久栄進の次に学級増ができる高校はないから、中学生のために、この縛りを解いて「校舎を建て学級を増やすこと」をお願いしたい。

土浦一高では来年度、付属中の1期生が高校に入る。それに伴い、元々8学級で現在6学級の高校の募集が、来春には4学級になる。「付属中をつくっても総学級数は維持する」との縛りがあるからだ。そのため、来年度、牛久栄進が1学級増えても、土浦一が2学級減り、地域全体の高校入試は厳しくなる。付属中の分を高校で減らすのには疑問がある。

公募校長に求められる高い倫理観

県は7月31日、教員免許不問の民間人を含む校長を採用するため、7名を新規に公募することを発表した。公募校長(来年校長予定の副校長を含む)は現在8名(水戸一高、土浦一高、龍ケ崎一高、下妻一高、水海道一高、鉾田一高、勝田中等、つくばサイエンス高)いるが、日立一高、太田一高、鹿島高、下館一高、並木中等、古河中等、IT未来高に配置するためだ。

高校問題の学習会を開くと、魅力のある高校への期待とともに、民間出身の公募校長に対する疑問の声を多く聞く。県には「民間校長なら県立高校の改革が進む」という固定観念があるのだろうか。

生徒=人間を指導する学校と利益を追求する民間企業では、組織運営の形が異なる。県の学校改革も、校長への信頼があってこそできるものだ。新たな選考要項には、「求める人物像」に「高い倫理観」が加わったようだが、公募採用校長の不祥事が報道され、選考の視点に問題があることに気づいたようだ。

この際、新規の校長公募をいったん立ち止まり、現8校長の学校運営状況を検証してみてはどうだろうか。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

「人生の終わりのための活動」を考える 《ハチドリ暮らし》28

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旅の景色を撮りました

【コラム・山口京子】数年前から、終活に関するセミナーに呼ばれることが増えました。終活とは「人生の終わりのための活動」の略です。人生のたな卸しをしつつ、これからの締めくくり方を考えます。「自分の情報や願いを整理し、これからやりたいことを書き出して実行してくださいね」と話しています。

終活の前段として、いつまで働くか、いつから年金を受け取れるかも大きな課題です。高齢期の長期化で、健康寿命・働く寿命・資産寿命の3つを意識せざるを得ません。健康寿命を延ばすことは、働く寿命や資産寿命にも影響し合います。職種によっては定年が70歳だったり、定年を廃止しています。

一般的に65歳以上の人を高齢者と言い、2022年時点で3627万人、人口の3割弱となっています。みなさんは、65歳以上になった自分の生活や働き方、受け取れる年金の予想額などを意識されているでしょうか。

2022年の日本人の平均寿命は、男性が81.05歳、女性が87.09歳。死亡者が最も多い年齢は、男性で88歳、女性で93歳でした。長生きをするほど、平均寿命を超えていくのがわかります(令和4年度簡易生命表=※メモ参照=より)

認知症の患者は、2025年には700万人を超えると言われています。自分も認知病までに至らなくても、物忘れが増えましたし、体の敏捷性や体力の低下を実感しています。ですので、数年前から身の回りの片づけを始めました。

社会的な活動にも参加する

「思い立ったが吉日」で、資産のたな卸しやエンディングノートの作成、成年後見制度の仕組みや家族信託、遺言や各種委任契約などを調べてみてはいかがでしょうか。

また、人生を振り返って、自分が生きた時代はどういう時代だったかを整理したいと思います。そのうえで、これからどう生きるかをしっかり考えることが求められます。今を生きる宿題、それにどういった答えを出すかが、子どもや孫たちの人生にもかかわるのではないでしょうか。

セミナーでお伝えすることは、①自分の気持ちと向き合いその気持ちを家族に伝え、家族の気持ちも受け止めて思いを共有する、②家計を予算化しその範囲で暮らし、資産寿命を延ばす、③これからの法律の立法や改正にアンテナを張り、それがわが家にどう影響するかを考える、④事情が変われば早めに見直す、⑤社会的な活動に参加する―などです。(消費生活アドバイザー)

メモ※令和3年簡易生命表
政府統計報告書の1つ。日本にいる日本人について、令和3年1年間の死亡状況が今後変化しないと仮定したときに、各年齢の人が1年以内に死亡する確率や、平均してあと何年生きられるかという期待値などを、死亡率や平均余命などの指標によって表したもの。日本の死亡状況の厳密な分析、また0歳の平均余命(平均寿命)など広く活用されている。

「ラージポンポン」 《続・平熱日記》139

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】「異次元の少子化対策」の何がどう「異次元」なのか? そんなことが世間でつぶやかれる中、3次元的に大きく膨らんだのは長女のお腹。1人目に続き帝王切開ということで、一応予定日というか誕生日、時間まで決まっている。その時間、私は授業中だから、心の中で無事に生まれてくることを祈るしかない。

少子化は国家の根幹を揺るがすほどの問題なのかもしれないけど、娘の大きなお腹を見ていると、この「さずかりもの」は国家と関係があるのだろうか? とか、種としては十分すぎるほど繫栄しているし、むしろ増えすぎたんじゃなかろうか? とか、少しぐらい日本の人口は減ったぐらいがいいじゃないか? とか、いや減るべくして減っているのでは? とも思う。

しかし、ソーリとしては「面倒見るよ! 心配しないでバンバン産んで!」と言うしかないのだろう。

それにしても、「異次元」という言葉は、どなたかの入れ知恵なのかもしれないけれど、少し子供っぽい。それよりも、どこからこの予算を引っ張り出すのか。異次元が2次元に、「絵に描いた餅」にならないように。子供が増えると、まず減らされるのはお父ちゃんの小遣いだろう。

ということは、まずは政治家さんの小遣いから減らさないとね。「異次元の身を切る政策」から。

「インハラベビー」

それはそうと、夏休みを心置きなく故郷で過ごしたい。そのために、9月の頭から香川県のギャラリーで開かれる展示のため、数点の作品を早めに準備しておくことにした。そのタイトルが「ディメンション Zero展」。キャンバスのゼロ号サイズの作品展という意味だそうだが、ゼロ次元展とも読める。ゼロ次元というのは宇宙誕生の寸前? 創造のエネルギーの状態? かな。

実は次元という言葉には少しアレルギーがあって、というのも現代美術というくくりの中では絵画のことを2次元表現なんていうものだから、こっちもすっかりその気になって「ニジゲン、ニジゲン…」なんてやっていたら袋小路に入っていっちゃって…。

でもあるとき、シンプルに「絵を描こう!」って思ってから楽になったというか…。そんな苦い経験があるからだ。

数日後、無事に長女が男児出産の知らせ。メールで送られてきた画像を見ながら、何とも言えない幸福感に包まれる。「こんにちは赤ちゃん…」子供の頃にはやった歌が頭の中に流れてきた。

そうね、異次元云々より「こんにちは赤ちゃん予算」くらいにしておくのはどうだろう。それから中学のときの国語の先生の言葉を思い出した。「ラージポンポン、インハラベビー」。当時産休に入られる先生のことを言ったのか…。なんか昭和って感じ。

そういえば四国に行ったことがない。故郷の海岸からはうっすらとその姿が見えるのに。次元は超えられないが、海なら越えられる。行ってみるか…。(画家)

つくばの洞峰公園問題 まだ迷走が続く? 《吾妻カガミ》164

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洞峰公園野球場=つくば市二の宮

【コラム・坂本栄】茨城県営の洞峰公園(つくば市二の宮)が無償でつくば市に譲り渡され、市営化される流れになっていると思っていたら、県議会から「待った」がかかりました。この公園の管理運営方法については県と市の間でホットなやり取りがあり、市がタダでもらうことで県と話がついていましたが、これで幕引きとはならないようです。

県議会が無償譲渡に「待った」

県議会の「待った」とは、知事が鹿島セントラルホテル(神栖市、県の第三セクターが経営)、県立白浜少年自然の家(行方市)などの県財産を安易に処分するのはおかしいと、議会が調査特別委員会を設けて審査する作業が8月2日から始まり、その中に県営洞峰公園も含まれることになったという動きです。

県議会が何を問題にしているのかなど、詳しくは「洞峰公園も調査対象に 県議会が調査特別委設置」(7月31日掲載)をご覧ください。

7月末時点での市のスケジュール感は、9月県議会で譲渡条例を可決してもらう⇒9月市議会で譲受条例を可決してもらう⇒同議会で半年分(10月~来年3月)の公園関連追加予算を承認してもらう―というものでした。しかし、調査特別委(次回は8月30日)が譲渡の是非や条件をチェックすることになれば、県も市もその結論が出るまで動きが取れなくなります。

仮に、調査特別委が「洞峰公園は民間売却でなく、官⇒官だから特別扱いしてもいいが、無償でなく有償にすべきだ」とか、「どうしても無償というなら、県が提案していたグランピング施設などを無償譲渡の条件とせよ」といった結論を出すようなことになると、これまでの基本合意は白紙に戻さざるを得ません。

県は名を捨て実 市は実を捨て名

市は上のスケジュール感を前提に、8月中に無償譲受の是非を市民に聞くアンケート調査を実施する予定でした。しかし、調査特別委の作業に時間がかかれば、当分、この調査は実施できないでしょう。また、仮に調査特別委が無償譲渡にOKを出すとしても、当たり前のことですが、アンケート調査の結果がどうなるかわかりません。

市民説明会の記事(7月22日掲載同29日掲載)によると、市は2択形式の調査を考えていたようです。県の当初案(洞峰公園の野球場に民営のグランピング施設などを設け、その賃貸収益で公園管理費を捻出し、県の財政負担を軽くする)か、市営化案(洞峰公園を無償で市が譲り受け、市の財政負担とコンセプトで管理する)か、どちらかに〇を付ける形です。

私はコラム(下欄参照)で、県と市の「洞峰公園バトル」を終わらせる策として、県営公園の市営化(簿価+アルファで有償譲受)を提案。結局、知事は市側により好ましい無償案を示してきました。県は「名(公園改造計画)を捨て実(管理費転嫁)を取り」、市は「実を捨て(管理費発生)名(公園現状維持)を取る」ことになったわけです。

しかし、市営化案にも賛否があります。譲受賛成派=公園の現状維持を望む周辺市民(緑茂る今の公園のままがよい)、譲受反対1派=公園をあまり利用しない市民(市は余計な予算を使うな)、譲受反対2派=県の当初案を歓迎する市民(グランピング施設などでの魅力度アップは面白い)―などです。

調査は多サンプル・無作為抽出で

調査特別委の結論が出たあと、市は市民の多数意見が把握できるアンケート調査をすべきでしょう。少なくとも、無作為抽出の1000~2000人を対象にすべきです。少サンプルかつ作為抽出でやれば、アンケート調査をしなかった(故意?)運動公園用地売却のケースように、市民の間に強いストレスが残ります。(経済ジャーナリスト)

<参考>
153「洞峰公園の市営化、住民投票が必要?」(3月20日掲載
151「…洞峰公園バトル、勝者は県? 市?」(2月20日掲載
150「つくば市の2大懸案 県が示した解決策」(2月6日掲載
146「…洞峰公園…をめぐる対立と分断」(22年12月5日掲載
144「…洞峰公園… 県と市の考えが対立」(22年11月7日掲載
134「…洞峰公園、…市が買い取ったら?」(22年6月6日掲載

なぜ、このコラム・タイトルなのか? 《訪問医は見た!》1

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海辺の無人駅 JR四国・下灘駅

著者近影

【コラム・平野国美】お初にお目にかかる方も多いかと思います。コラムの担当することになった平野国美(くによし)と申します。「NEWSつくば」の前身である日刊紙「常陽新聞」や無料紙「常陽リビング」でもコラムを書いていましたから、常陽紙を引き継ぐ本ニュースサイトへの執筆は「10年ぶりの復帰」とも言えます。

確か、日刊紙常陽への寄稿が始まったのは、拙著「看取りの医者」(2009年)がテレビドラマ化されたことが契機になったと記憶しています。その後10年、何もしていなかったわけではないのです。医療介護の業界誌やら週刊誌などのメディアで書き続けていました。検索していただくと、ネットで読めるものもあります。

現在は、つくば市内に医院を設け、主に訪問診療を行っています。開業は2002年春ですから、ずいぶん月日も経ちました。生まれは龍ケ崎市、家業は自転車の卸業でした。コラムのタイトルにもつながるのですが、父のトラックの助手席に座り、配達を手伝っていたエリアと、いま診療で回っているエリアは重なっています。

物心が着いたころから50年以上、茨城県南の姿を見てきたことになります。私が高校を卒業する年、当時「軍艦」と呼ばれていた土浦駅が取り壊され、現駅の工事が始まりました。一浪して、筑波大学にたどり着いたのが1985年。つくば市はまだ誕生前で、桜村と呼ばれていたころです。

日本で初めて「村」にオープンした百貨店が筑波西武。つくば科学万博(EXPO85)が開催され、その後の風景の移り変わりを定点観測のように眺めてきました。つまり、《訪問医は見た!》のです。

医療だけでなくサブカルの話も

そして東北大震災前の2010年、拙著「看取りの医者」が大竹しのぶさん主演でテレビドラマ化される打ち合わせの席で、三流原作者の平野は「訪問診療をしていると、各家庭には経済的な問題や家族間の問題が必ずあることがわかる。市原悦子さん主演のドラマ『家政婦は見た』の中で、市原さんが家政婦をしている時間はほとんどありません。ドアの隙間からのぞいている時間がほとんどです」とあいさつしました。

ここで《訪問医は見た!》が成立するのです。そこで聞く話は、私が生まれる前の土浦やつくばの風景もありますし、患者さんの生き様や死に様を見せつけられることもあります。「訪問医に魅せられた」のです。

私は休日には旅に出ます。ピカピカの観光地ではなく、昭和・大正の雰囲気が残る地方都市に向かいます。そこで新たな話を聞くことで、自分の生まれ育った街の伝統・習慣に気付かされるのです。

医療の話だけでなく(むしろこちらは少なめにして)、民俗性やサブカルチャーについても書ければと思っています。自由度を求めて、タイトルを《訪問医は見た!》にしました。また、いつ消えるかわかりませんが、ご愛読よろしくお願いします。(現役訪問診療医師)

【ひらの・くによし】土浦一高卒。1992年、筑波大学医学専門学群卒後、地域医療に携わる。2002年、同大博士課程を修了、訪問診療専門クリニック「ホームオン・クリニックつくば」を開業。著書「看取りの医者」(2009年、小学館)は大竹しのぶ主演でドラマ化。新刊は『70歳からの正しいわがまま』(2023年4月、サンマーク出版)。医療関係業界誌などでもコラム執筆。1964年、龍ケ崎市生まれ。つくば市在住。

日本語の大切さ 《続・気軽にSOS》138

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【コラム・浅井和幸】支援の場では、日本語があまり得意でない外国の方に対応することもあります。私は日本語しか話せないので、日本語ができれば対応しますと伝えますが、困っている人が日本語を話せるとは限らないので、できるところまで対応することになります。

英語をちゃんと勉強していたら、こんなことにはならなかったのかなぁ―なんて愚痴を言っても前に進みません。簡単な日本語と翻訳アプリ、それから身振り手振りで対応します。時には知り合いの通訳を交え、必要な情報を聞き取っていきます。

英語さえできたらと考えていましたが、英語以外の言語の対応を迫られることもあります。翻訳アプリ・通訳者様々です。翻訳アプリも、簡潔に文章を組み立てて音声入力するコツがあるようで、まだ勉強中です。

そうは言っても、日本人の相談を受けることが圧倒的に多いのは確かです。ですが、悩みを聞いている間に主語が変わったり、「てにをは」が間違ったりということが起こります。

もちろん、全て正確な日本語を使って、何一つ間違わずに会話を進めることはできません。それを差し引いても、日本語の使い方が独特な人もいます。主語が変わっていくというのは、抑うつの時にも出ることがあります。特定の人との人間関係がうまくいかなくなったら、全ての人が自分とうまく人間関係が作れないと考えてしまいます。

抑うつの状況でなくても、物事の捉え方が大ざっぱであったり、日本語の表現がうまくなかったりするため、「みんなが自分を悪く言っている」と、「みんな」が口癖の人は多いでしょう。「自分にはいつも嫌なことばっかり起こる」という表現もそうですね。

右・左・真ん中の選択肢

Aさんの前には、右・左・真ん中の3つの選択肢があります。Aさんは、右は絶対にうまくいかないから進みたくないと考えているとします。ですが、私は、とりあえず今は決めつけずに、3つの選択肢があり、それぞれにはメリットとデメリットがあるはずなので、決めつけずに考えていきましょうと説明します。

このとき、私は3つの選択肢が可能性としてあることを提示しているのに、Aさんは絶対に右に行かなければいけないと浅井が言っていると捉え、話が前に進まないことが実際に起こります。この場合、図で説明するとわかってもらえるのですが、言葉だけだとどうしてもニュアンスが伝わらず、相談につながらないこともあります。

Aさんが言っていることを総合的に考えると、右に進むことのメリットが大きく、左と真ん中の道のデメリットが全く想像できない状況で、右以外の道に進めば素晴らしい場所に行けるとさえ考えるようになります。ここで検討せずに進んでしまうと、こんなはずではなかったとなりやすいのです。

人は失敗から学ぶことも大切ですが、その失敗から「やっぱり私には悪いことしか起きない」という感想につながることが残念なことです。次に進むときには、現状の把握がとても大切な要素です。現状の把握と言語での正確な表現方法は密接に関わっていると感じる、今日この頃です。(精神保健福祉士)

「翻訳」のおくりもの《ことばのおはなし》60

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】前回のコラムでは、文化や常識の違いによる翻訳の難しさについて書いた。今回はより込み入った話をしてみよう。

「役割語」ということばをご存じだろうか。例えば、「わしが若い頃はそうしたもんじゃ」「オイラにまかせとけよ」「あたしがそうって言ったらそうなのよ」といった、その話者の人物像を想起させるような言葉遣いだ。

英語にも役割語がないわけではないが、日本語ほどのインパクトはないことが多い。原文になかったニュアンスを、翻訳作業で入れるかどうかは翻訳者に託される部分である。また、ジョークやダジャレといった言葉遊びも、忠実な翻訳が困難な場合が多いだろう。

かといってジョークに注釈をいれるのも興ざめだ。なにげなく読んでいる分には意識することはないだろうが、実はこういった本筋に関係ない部分が最も難しいと私は考えている。

そして、今回は児童文学の翻訳だ。児童文学の特徴に、漢字の取り扱いがある。絵本であれば、その文章の多くがひらがなのみで書かれており、小学校低学年、中・高学年向きであれば、それぞれの学習年度に合わせた漢字が使用されることが一般的だろう。

とはいえ、これはあくまで一般的なおはなしであり、対象学年で習わない漢字でもルビを振って使用されることだってあるし、逆に習っていてもあえてひらがなで書かれることもある。

ひらがな表記か漢字表記か?

試しにミヒャエル・エンデの著書『モモ』(小学高学年向き)の表紙の文章を引用してみよう。“時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語”とある。“時間泥棒と盗まれた時間を人間に取り返してくれた女の子の不思議な物語”ではないのだ。

では、対象年齢に合わせた漢字にすべての文章をただ修正すればよいのかというと、そう簡単なおはなしでもない。例えば、「ただすべき」とひらがなで書かれると「只すべき」なのか「正すべき」なのか判断しかねる、といった問題が発生する。

漢字を使わないのあれば、句点を使ったり、あるいは表現自体を変えて誤解を招く表現を避ける工夫も必要になってくる。そして、児童文学に限らず、日本語においてひらがなで表記されるか漢字で表記されるか、というのは文章の雰囲気に大きな影響を与える。「美しい」と「うつくしい」、どちらの表記がより美しさを伝えられるか。あるいはどちらでも変わりがないのか。

これはもはや正解のない問いなのだが、翻訳をして文章に落とし込むのであれば、どちらかに決めなければならない。ルビを振ってでも漢字を使いたいと思うことだってあれば、どんなに簡単な語彙(ごい)でも、ひらがなを使いたいと思うことはあるのだ。

時間はかかったが何とか一冊の翻訳をやり切った。翻訳だけで満身創痍(まんしんそうい)になってしまったので、ルビをふるのはこれからだ。印刷できたら、今度は娘にプレゼントしようと思う。(言語研究者)

つくばの防災科学技術研究所 《日本一の湖のほとりにある街の話》14

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防災科学技術研究所。イラストは筆者

【コラム・若田部哲】毎年夏休み、つくば市内の各研究所で開催される様々な科学イベント。その中でも人気施設の一つに、防災科学技術研究所があります。

同研究所は、地震、津波、噴火、暴風、豪雪、地滑り、そして水害などの被害を抑えるべく、様々な実験施設により産学官民連携した研究を行い、社会に役立つ情報プロダクツを創出する機関。国内数カ所に拠点があり、そのうち、つくば本所には世界最大級の「大型降雨実験施設」などが設置されています。

そして、この大型降雨実験施設の人気体験イベントが「豪雨体験」。日本観測史上最大の降雨量、1時間換算300ミリという猛烈な雨を体験することができるというものです。

今回は、同研究所広報の入沢弘子さんに、この実験施設についてお話を伺いました。研究所入口の駐車場に車を止め、木々が豊かに茂る広大な敷地内をご案内頂くこと数分。木立の切れ間から目に飛び込んできたその施設は、とにかく巨大! 建屋の大きさは奥行49メートル×幅76メートル×高さ21メートルと、7階建てマンションが数棟並んだほどの大きさ。さすが世界最大級!

それだけでも驚きですが、なんとこの建物、動くのだそう! 施設は様々な実験が可能なよう、A~Eの一直線上に並んだ5ブロックがレールでつなげられており、その上を巨大な建屋が移動するとのこと。これにより、それぞれの区画で、実物の家屋など制作に長い日数を要する実験模型を準備し、様々な実験を行うことができるのだそうです。

様々な実験に使われる降雨実験施設

実験にあたり、いで立ちはカッパに傘、長靴と、完全フル装備。どんな雨も大丈夫…なハズ。いざ実験が開始されると、床面から16メートル上に設置された544個のノズルから、自然な降雨を再現した雨が降り始めます。雨は段々と激しさを増していき、叩きつけるような雨に。そして1時間に300ミリという降水量に達すると、長靴は水で満ち、激しい雨で視界は不明瞭、音は雨音しか聞こえません。これが実験でなかったら、恐怖にすくんでその場から動けなくなってしまうでしょう。

降雨のために地下に設けられた貯水槽の容量は2500立方メートル、小学校のプールおよそ4個分はあろうかという量。1日に実験で使用できる水量は、2000立方メートルにもなるそうです。この施設は自治体の啓発動画の作成や、建設業界との協働による水害に強い建物の開発、ドローンや自動車の技術向上など、様々な実験に使用され、年間90パーセントという高い稼働率を誇っているとのこと。

ここ数年来、毎年のように繰り返される「数10年に一度」の自然災害。中でも深刻なものの一つが、集中豪雨による水害です。ただし、この災害が地震や火山の噴火と違うところは、予報からある程度事前の対策が可能な点。

子供の夏休みの自由研究にとどまらず、いざという時の準備のため、ぜひ皆様に体験いただきたい、非常に貴重な機会です。ぜひ足を運び頂き、ご家庭の防災力向上にお役立てください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

<防災科研 一般公開2023>
▽日時:8月5日(土)午前10時~午後4時
▽場所:国立開発研究法人 防災科学技術研究所 茨城県つくば市天王台3-1
▽入場料:無料
▽詳細はこちら

➡これまで紹介した場所はこちら

新世界秩序、読み解く鍵は「合従連衡」 《雑記録》50

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写真は筆者

【コラム・瀧田薫】世界の現状をどう捉えるか、さまざまな観点、論点がある中で、屋上屋を架すことになるが、「合従連衡」という言葉に即して現状把握を試みたいと思う。

5月10日、北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長は「台頭する中国に対応するため、東京にNATO連絡事務所を新設する」構想について日本政府と協議中であると発言した。日本政府も、先にNATO本部のあるブリュッセルに代表部を設置していて、東京事務所にも前向きであった。

ところが、マクロン・フランス大統領が強硬に反対したため、この構想は当面、沙汰やみとなった。マクロンは、NATOによる集団防衛の適用範囲は北大西洋に限られていることを反対の根拠としたが、これは表向きの理由であって、台湾有事においては米国主導の枠組みから自由でありたい、経済面では中国との関係を強化したい―といった思惑があると思われる。

いずれにしても、NATOとその参加国の一つであるフランスの間に、対ロシア、対中国の政策をめぐって齟齬(そご)があり、一枚岩ではない現状をさらけ出したと言えよう。ともあれ、NATOの策は国家連合を形成して強国の脅威に対抗しようとする「合従」に該当し、フランスの策は独自で強国との関係を構築することにこだわる「連衡」に該当すると言えよう。

ちなみに、こうした合従連衡をめぐる分裂、不一致の事例は歴史上珍しいことではない。古くはBC.475の頃、中国の黄河中下流域において、6つの国(魏・趙・韓・斉・楚・燕)と、その西側にあった秦の合計7国が覇権を争っていた。やがて秦が台頭すると、魏など6国は秦に協調する策と、連合して対抗する策との間で揺れ動いた。一方、秦は近隣の魏を侵略し、遠方の斉には和平政策を採り、これを「遠交近攻策」と呼んだ。

結局、BC.221に秦が6国を滅ぼして、中国を統一(始皇帝)した。結果論になるが、秦以外の6国による合従連衡は実を結ばなかったことになる。

2大リスク:全面核戦争、地球環境問題

ところで、現代国家の合従連衡は、過去には存在しなかった2つの巨大リスクを前提条件として押さえておかねばならない。すなわち、「全面核戦争」と「地球環境問題」のリスクである。

これら2つのリスクは人類の滅亡にもつながる。過去の合従連衡は国家の存亡に特化していればよかったのに対して、現代国家の合従連衡は、もともと国家にビルトインされている国益優先の価値体系に徹すれば、2つの巨大リスクについてヘッジ機能を果たせないジレンマに陥る。つまり、われわれは人類史上初めて「人類の存亡にかかわる合従連衡の時代」を生きているということだ。

核兵器をふりかざす独裁者がなりふり構わず強権国家連合を押し出してくる現状に対してどう対応するのか。彼らを抑え込んでこの世の平和と新たな世界秩序を維持するとして、そのための合従連衡のあり方はどのようなものになるのか。そのおぼろげな姿さえまだ見えてこない。それが世界の現状である。(茨城キリスト教大学名誉教授)

土浦博物館の論争拒絶 市民研究者が猛反発 《吾妻カガミ》163

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改修中の土浦市立博物館(左)と市教育委員会が入るウララ2

【コラム・坂本栄】この欄では、158「土浦市立博物館が郷土史論争を拒絶」(5月29日掲載)、159「…市法務が助言」(6月5日掲載)、160「…議論沸騰」(6月19日掲載)で、市民の歴史研究者に対する博物館のおかしな対応について取り上げました。その後、市教育委員会も博物館の「論争拒絶」をかばう姿勢を示したため、この研究者は強く反発しています。

館長面談2回、質問書手交5

郷土史論争の概要や博物館の対応については、上記3コラムの青字部をクリックして読んでください。整理するとこういうことです。

▼誰と誰?:市立博物館の学芸員(主役は中世史家の糸賀茂男館長)VS.郷土史研究者の本堂清氏(広報課長兼市民相談室長や社会教育センター所長も務めた元土浦市職員)

▼主な争点:筑波山系の市北部は古くから「山の荘」と呼ばれていた(本堂氏)VS.そう呼ばれるようになったのは中世以降である(博物館)、「山の荘」は桜川南岸の現つくば市北部を中心とした「方穂荘(かたほのしょう)」の一部だった(博物館)VS.いや「方穂荘」は「山の荘」まで延びていない(本堂氏)

▼接触回数:本堂氏は2年の間に11回も来館し学芸員の業務に支障が生じた(博物館)VS.質問書への文書回答がなく回数が増えたが、この中には館長面談(2回)、単なる質問書手交(5回)も含まれる(本堂氏)

▼論争拒絶:2023年1月30日付最終回答書で「口頭・文書いかなる形式でも今後一切回答しない」と論争拒絶を通告(博物館)VS.市民研究者に対するは博物館の対応は許せない(本堂氏)

「市教育委の課長に脅された」

つまり、博物館は本堂氏の論争スタンスに圧倒され、最終回答書(メモ書きに続く2回目)の中で論争打ち切りを伝えたということです。158では「アカデミックディスビュート(学術論争)を挑む市民をクレーマー(苦情を言う人)と混同するかのような対応」と書きましたが、市民にオープンであるべき博物館の在り方に逆行する対応といえます。

本堂氏によると、7月20日、博物館を監督する教育委員会の担当課長が本堂宅を訪れ、博物館との直接論争を止めるよう説得してきたそうです。「このまま続けたら、私の市職員時代の業績に傷が付くと、脅すような口ぶりだった」。その場で、1月30日付回答書への反論の書を入野浩美教育長に渡すよう頼んだところ、受け取りを拒否されたそうです。

本堂さんのメッセージ

本堂氏は博物館と教育委の姿勢に怒り、掲載写真のような書(清空は雅号)をしたためました。「目は二つ 耳も二つ 口は一つ 反対意見は二度聞くがいい 敵意よりも好意をもって もう一度」と書かれています。市の現文化行政に対するメッセージです。

次は市民窓口と議会文教厚生委

博物館の対応の問題と論争の中味の問題は分けて考えるべきでしょう。前者は対話型論争から博物館と教育委が逃げるという市民サービスの低下に関わる問題であり、後者は歴史解釈の内容に関わる問題(本堂氏は糸賀氏の説は間違いと繰り返し主張)ですから。この際、論争を学術誌の場にも広げ、対話型と紙上型を併走させるのも一案です。

本堂氏は「市民相談窓口を通じて博物館の市民軽視を改めさせ、議会の文教厚生委員会には博物館の市民対応の是非を審議するよう求める」と言っています。この問題、文化施設/文化行政の場から一般行政/市議会の場にエスカレートする?(経済ジャーナリスト)

市民会館の開館で水戸の魅力が倍増《令和楽学ラボ》24

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大ホールで記念撮影。後列左から2人目が筆者

【コラム・川上美智子】7月2日、水戸市民会館が開館した。東日本大震災により、旧市民会館が被災し、2年7カ月をかけて水戸のど真ん中に建て替えられた。設計は建築家の伊東豊雄氏で、彼の設計の特徴である国内産の杉材を使ったやぐら広場など木造部分が主体となる日本らしさを盛り込んだ現代建築である。

県内唯一のデパートである京成百貨店と磯崎新が設計した水戸芸術館の間の一等地を区画整理して、3つの建物がそれぞれ道路を挟み一体化した形で配置され、辺りの風景は一新した。

県南では、つくば市の人口増加率が全国一と報じられ、若い世代の人口流入が顕著であるが、県都の水戸市は、歴史や文化、千波湖などの自然に恵まれ、買い物などの利便性も高く、とても住みやすいまちである。毎日、水戸と職場のあるつくばを往復して感じるのであるが、どんどん外に広がりまとまりなく膨張するつくばに対し、水戸は集約型のコンパクト・シティーへと発展し続けていて、子どもにも、高齢者にもやさしいまちだということである。

そういうまちの中心に今回、市民会館が建てられたことで、町の魅力が倍増したと思う。特に感心するのは利用料金が驚くほど安いことである。その理由は、市民に手軽に使ってもらえる市民会館でありたいというポリシーが根底にあるからだ。

県内最大の大ホール、500名ほど入る中ホールなどは大人気で、コンサートや公演など土日は来年3月まで空きがない状況である。中でも圧巻なのは、3階まで2000席が設置された大ホールで、舞台空間も驚くほど大きく、オーケストラビットの設置が可能で、音響反射板が水戸の梅を模したカラフルな洒落(しゃれ)たデザインで目を奪われる。

楽器をそろえた音楽室、調理室、工作室、茶室、展示室のほか、誰でも自由に使えるラウンジなど、中学生や高校生が勉強できるスペースも其処此処(そこここ)にある。調理室でお料理を教えたいとか、工作室で陶芸教室が出来るのではないかと夢が広がる。

市民をまちの真ん中に連れ出すことで、市民会館が文化交流やにぎわいの核となり、北関東第一の質の高い文化拠点になること間違いなしである。当初の理念を忘れず、市民中心の市民会館として発展することを期待する。

都市公園の面積は世界第2

水戸の魅力のもう一つは、都市公園の面積がボストンに次ぎ、世界第2位であるという点である。水戸駅からそう遠くない千波湖や逆川周辺に広大な自然が広がり、それらを利用した多くのイベントが年間を通じ行われている。早朝や夜間の千波湖はランニングや散歩する人で大にぎわいである。

毎月配布される水戸の広報誌には様々な市民参加型のイベントが紹介されていて、大会やフェスタなどが目白押しである。また、文化、教養、スポーツの欄には、無料の講座、学習会、映画上映会などの情報がしっかり掲載されている。このような仕掛けを市や団体が活発に行っており、小さな子どもから高齢者まで日々楽しみ、生活できる環境がつくられているのである。

研究機関が集積する科学都市つくばの発展も素晴らしいが、私にとって住み続けたいまちは、やはり水戸である。(みらいのもり保育園長、茨城キリスト教大学名誉教授)

黒い心 《短いおはなし》17

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】
5歳の夏、弟が生まれた。僕は一週間、伯母の家に預けられた。
伯母は古い一軒家に、ひとりで住んでいた。
慣れない家で眠れずにいたら、天井に黒いシミが現れた。
シミはどんどん大きくなり、やがて液体になって僕の額にポトリと落ちた。
悲鳴を上げたら伯母が飛んできて、背中を優しくなでてくれた。
黒いシミが、じわじわと体の中に入る気がした。

母と弟が退院して、僕は家に帰った。
「卓ちゃんは、お兄ちゃんになったのよ」
母はその日から弟の世話ばかりで、僕は甘えることができなくなった。
ある日僕は、心の中で念じてみた。
「弟なんか消えてしまえ」
すると翌日、弟は高熱にうなされて、生死の境をさまよった。
僕は怖くなり、命を取りとめた弟に何度も謝った。

小学生になり、僕は自分の力を確信した。
いじめっ子に「消えてしまえ」と念じたら、翌日交通事故で入院した。
嫌な先生に「消えてしまえ」と念じたら、翌日不祥事を起こして学校をやめた。
宿題が終わらなくて「学校なんか燃えてしまえ」と念じたら、ボヤ騒ぎが起きて3日間休校になった。
僕は自分の心が怖くなって、念じることを一切やめた。

12歳になった夏、母が原因不明の病気で入院した。
僕は弟と一緒に、再び伯母の家に預けられた。
伯母は僕にだけ、異常なほど優しかった。
弟が寝た後、伯母が僕の顔をのぞき込んで言った。
「ねえ卓ちゃん、伯母さんの子供にならない?」
伯母は、嫁いですぐに夫を亡くして子供がいない。寂しいのは分かる。
だけど僕は、すぐに首を横に振った。

「伯母さん、僕はこの家が怖い。だからこの家の子にはならないよ」
僕は、あのシミを見た夜のことや、その後に起きた不思議な力の話を打ち明けた。
「なんだ。卓ちゃんもそうなの。実は伯母さんにも、その力があるのよ」
伯母は、嫁いで間もないころ、僕と同じ経験をしたそうだ。
「でも、卓ちゃんの念はちょっと弱いね。優しい子だから、本当に消すことは出来ないのね。伯母さんの念は強いよ。意地悪な姑(しゅうと)と小姑、ふがいないダンナ、みんな消しちゃった」
伯母はさらりと言った。笑みさえ浮かべている。

「伯母さん、まさかお母さんに何かした?」
「ふふ、卓ちゃんが欲しいって言ったら断られちゃったから、ちょっと嫌がらせ。ねえ卓ちゃん、私がもっと強く念じたら、あんたのお母さん、どうなるかな」
「やめて」
「ねえ卓ちゃん、伯母さんの子になって」
伯母が手首をぎゅっとつかんだ。やめて、痛いよ、やめて。

伯母の手が急に離れたと思ったら、胸を押さえて苦しみだした。
「えっ、伯母さん?」
伯母の呼吸が止まった。僕は念じていない。僕じゃない。

後ろの襖がすうっと開いた。弟が立っていた。
「ぼく、この伯母ちゃんキライ」
弟の額には、黒いシミがべったりと付いていた。(作家)