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「霞月楼所蔵品展」が開幕 土浦市民ギャラリー

29日はトークセッション

明治時代に創業し各時代の政治家、軍人、文化人らをもてなした土浦の老舗料亭「霞月楼」(同市中央、堀越恒夫代表)が所蔵する美術作品などの写真パネル約40点を一堂に展示する「霞月楼所蔵品展」(同実行委員会主催)が24日、土浦駅前の土浦市民ギャラリー(同市大和町、アルカス土浦1階)で始まった。会期は29日まで。初日は午後2時からオープンし、約40人が訪れた。

政治家、軍人、文化人らが通う

「霞月楼」は1889年(明治22年)に創業、130年以上の歴史を誇る。県内の政治家や実業家らの社交場として、また多くの文人や画家、書家らが逗留(とうりゅう)する創作の場としても栄え、画家の大川一男小川芋銭、竹久夢二、岡本一平などが残した作品が大切に継承されている。

1921年(大正10年)、阿見町に霞ケ浦海軍航空隊が発足すると、海軍の関係者らが訪れて連日にぎわい、東郷平八郎山本五十六もよく通った。1929年、飛行船ツェッペリン伯号が飛来した際は、乗客乗員を「霞月楼」で歓待した。

海軍予備学生の寄せ書き屏風レプリカも

展示されているのは、東郷平八郎、山本五十六、リンドバーグ、ツェッペリン伯号などにまつわる歴史資料と、著名作家の美術作品の写真パネルなど。土浦市出身の彫刻家、一色五郎の作品は「白鷺(しらさぎ)」の写真パネルのほか、「逆さだるま」と鳩の彫刻2点の現物を展示している。

太平洋戦争末期の1944年に「霞月楼」で開かれた海軍予備学生の送別の宴で、これから戦地に向かう予備学生らが寄せ書きした屏風(びょうぶ)は、同じ大きさのレプリカを展示。「征空萬里」、「回天」という勇ましい言葉や、当時人気だった芸者「春駒」の文字が見られる遺書のような屏風は、若者が命を賭した戦争の痛ましさを生々しく伝える歴史資料の一つだ。

「霞月楼」の堀越雄二さんは「当時祖父が予科練にいて、この寄せ書き屏風の存在を伝え聞いていたという人も訪れ、涙を浮かべて屏風を見ていた。このような歴史の1ページがあることを多くの人に知ってもらえれば。開催中は受付にいるので、解説もしますし、質問もいつでもお待ちしています」と話している。(田中めぐみ)

◆「霞月楼所蔵品展」は土浦市民ギャラリーで、9月24日(火)から29日(日)まで開催。開館時間は午前10時から午後6時まで。入場無料。

◆最終日の9月29日(日)午後1時から午後3時は同ギャラリーで、小説家の高野史緒さんと社会学者の清水亮さんによるトークセッション「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」が開かれる。入場無料。車で来場の際は駐車場が最大2時間無料。図書館、または市民ギャラリー受付で確認印が必要。

➡《霞月楼コレクション》の過去記事はこちら

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