月曜日, 11月 10, 2025
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冬場に大気がアンモニア運ぶ 霞ケ浦の富栄養化対策に一石 茨城大

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冬季のアンモニア揮散・移流・沈着の概念図(論文資料)。背景は冬の霞ヶ浦と筑波山

【相澤冬樹】秋から冬にかけて農地に散布された堆肥が高濃度の大気中アンモニアとなり、北寄りの季節風に乗って湖上に流されている―と、霞ケ浦の富栄養化対策に一石を投じる論文が発表された。執筆当時、茨城大学大学院農学研究科大学院生だった久保田智大さん(現・日本原子力研究開発機構所属)が中心となり、茨城大学の堅田元喜さん(現・同大学特命研究員)、国立環境研究所、気象研究所、京都大学、森林総合研究所などによる研究グループの論文としてまとめられ、10日公表された。

アオコの発生など、水質悪化に悩む霞ケ浦では、窒素やリンなどの栄養分が河川を通じて湖沼に流れ込むため、調査や対策は流域に範囲を広げて行われなければならない。湖水だけを調べても効果的な対策は打ち出せないわけで、今回は水の流れにとどまらない大気を介した窒素流入の実態解明に流域規模で取り組んだ。国内ではほとんど調査されていなかったプロセスだ。

大気を通じた窒素の供給源には、畜舎・堆肥舎や肥料散布などによりアンモニアが大気中に排出され、雨水に取り込まれて陸上に落下する「湿性沈着」や、ガスとして湖沼の表面まで運ばれ吸収される「乾性沈着」の例が知られる。アンモニアの沈着は、生物の必須元素である窒素化合物の供給源として本来有益だが、湖沼のような閉鎖水域に過剰に供給されると植物プランクトンが異常に繁殖し、アオコの発生などにつながる場合がある。

研究グループは、霞ケ浦流域の住宅地、森林、農地、湖上など36地点に大気採集のためのサンプラーを設置し、そのうち17地点で最長1年4カ月にわたって大気中アンモニア濃度を観測した。

その結果、観測期間中の土地利用別の月平均アンモニア濃度は、農地、湖、住宅地、森林の順に高かった。特に排出量が大きい霞ケ浦の北部を含む農地や湖では、大気中アンモニア濃度が冬季に最大となることがわかった(図参照)。同じ流域の内部で、湖沼と隣接する畜産地帯との間に大気を介した循環(揮散・移流・沈着)が生じている可能性が示された。

観測期間中の大気中アンモニア濃度の月平均値の季節変動(土地利用別に平均)

アンモニアの排出源である農地や堆肥舎からは、通常、夏季に揮発しやすいと考えられており、この結果は従来からの知見を覆すものという。日本の特徴ともいえる秋から冬にかけての農地への堆肥散布と、北寄りの季節風によって高濃度の大気中アンモニアが霞ケ浦の湖上に流されたことが要因と考えられた。

今回の成果は、湖沼の富栄養化の対策のために、大気中アンモニアの揮散と移流をモニタリングする必要性を示す。こうしたモニタリングは、霞ケ浦に留まらず、アジア諸国でも農業活動によるアンモニア排出源が主であることから、これらの地域での農業生産と湖沼環境の保全を両立する上で重要なものといえるとしている。

店頭に菊の花とひな人形飾る 土浦駅周辺90店

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菊の花と、土浦市のイメージキャラクター「つちまる」・キララまつりのイメージキャラクター「キララちゃん」の雛人形=土浦市中央、まちかど蔵大徳

【伊藤悦子】土浦市の中心市街地などで9日から、市民手作りの催し「重陽(ちょうよう)いばらきの菊の節句」が始まった。土浦駅周辺の商店や銀行、公共施設など約90カ所の店頭に、菊の花と、ハスの花托(かたく)で作られたひな人形「霞連雛(かれんびな)」が飾られている。

五節句のひとつ「重陽の節句」=メモ=にちなんだ健康長寿を願う行事で、同市の同好会「菊被綿(きくのきせわた)文化を守る会」(木村恵子会長)が2014年から毎年、店頭に飾っている。今年は展示場所に市立博物館、市立図書館も加わった。

例年なら、赤、白、黄の綿を菊の花の上にかぶせて展示するが、今年は綿をかぶせていない。守る会会長の木村さんによると「綿は体につけて長寿を願うという意味があるため、不特定多数の人が触る恐れがある。今年は新型コロナウイルス感染拡大予防に考慮した。菊の花そのものを見て楽しんで」と話す。

菊の花と併せて霞連雛が飾られているのは、重陽の節句では、3月3日に飾ったひな人形を再び飾る「後(のち)の雛」という江戸時代から伝わる風習があるため。

霞連雛は、守る会のメンバーや市内商店街のおかみさんたちが、日本一のレンコンの産地をPRして土浦を盛り上げたいという思いを込めて一つひとつていねいに手作りした。

木村さんは「健康や長寿、若返りを祈る重陽の節句は、個々人はもちろん、企業や社会にも通じる。コロナウイルス感染拡大で大変な今だからこそ大切にしたい」と語った。

◆展示は10月25日まで。展示場所や霞連雛についての問い合わせは菊被綿文化を守る会(電話029-821-1607=すがた美容室)まで。

土浦産のハスの花托で作られた霞連雛=同市桜町、すがた美容室

※メモ
【重陽の節句】「菊の節句」とも呼ばれる五節句のうちの一つ。中国では奇数を「陽」、偶数を「陰」とし、陽は縁起の良いものと考えられた。そのため陽数で最も大きい「9」が重なる9月9日は大変縁起のよい日とされた。

日本に伝わったのは平安時代。宮中では菊被綿という行事も行われていた。8日の晩、夜露が降りる頃に菊に赤、白、黄の真綿をかぶせる。翌朝、夜露を含み菊の香りが移った真綿を体につけると元気になり、若返る、長寿になるとされた。

【つくば/都市と文化】5 ちょっと野良仕事遊びを

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中ノ条プロジェクトの看板

【鴨志田隆之】つくば市内の、特につくばエクスプレス(TX)沿線で開発された住宅地は、個々の商品企画はあるものの、ニュータウン開発を各地で見てきた目には「なんだか大筋は何処も変わらない」印象が強い。それでも居住人口は伸びている上、つくばでも高層マンション住まいがもてはやされるのは、都心への移動手段があり、近隣に良好な自然環境があるという要素があればそれで良いのかもしれない。

TX沿線整備事業で最も北の中根・金田台地区(地区面積189ヘクタール)は現在、春風台、流星台と名付けられ、宅地分譲が急ピッチで進む。同地区にほど近いつくば市大(旧桜村)の農村集落で、「中ノ条プロジェクト」という小さな売り建て分譲に出会った。

牛久市在住の建築家、長尾景司さんがつくば市の不動産業、ケンライズ社と取り組む農地の有効活用で、わずか3棟の分譲だ。土地の提供者は、なんと「もん泊プロジェクト」にかかわっている塚本康彦さんだった。

「塚本さんは、もともと自宅母屋の利活用を考えており、以前はコーポラティブハウス新築の提案もされていました。もん泊はそこから発している事業です。中ノ条プロジェクトは塚本さん所有の農地を使わせていただき、住宅とセットで農地も借り受け、入居者が家庭菜園より少し本格的な野良仕事で遊べるというコンセプトを立ち上げました」

長尾さんは、3区画の分譲で建築する住宅には建築条件を付けず、自由設計とし、シェアファーム構想による自然と共にある日常を求め、増加傾向の空き家現象に対して持続可能な建築空間を提案し、ユーザー本位の住まいを実現しようとしている。つくばの農地に住むという環境を肌で体験してもらい、土地の伝統集落が有する文化との交流をアピールする考えだ。

「母屋は、この住居にお住いの方々に、たとえば親戚や友人を招く際のゲストハウスとして活用していただいても良い」塚本さんも農地や母屋の利活用に積極的な展望を持っている。その需要については、コロナ禍の影響もあり、東京から移住を検討しているという問い合わせ電話が増えている。

「私どもが提供した住宅地のひとつに、お父さんの会が発足していて、野菜や料理などの交換や焚火(たきび)を囲んだバーベキューといった交流が実現しています。中ノ条地区でも同じような地域コミュニティーが生まれることを願っています」

つくばという巨大な都市の開発は、鉄道沿線の大規模宅地にばかり目がとまっていたが、かつてミニ開発は乱開発と呼ばれた時代は変わっているようだ。周辺地域の魅力をどのように活かすかを真剣に考え、街づくりに携わる人々は、つくばらしさを常に大切にしている。(おわり)

《映画探偵団》35 つくばにはモンローがよく似合う?

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【コラム・冠木新市】20年前、女子短期大学で講師をしていたとき、『モンローとヘップバーン』をテーマに取り上げた。マリリン・モンローは1926年、オードリー・ヘップバーンは1929年の生まれ。2人は同時代に活躍し共通の映画人たちと仕事をしている。初めのうち、学生の好みはヘップバーンが多かったが、講義終了時になるとモンローファンが急激に増えていった。モンロー作品の変遷を追い、演技に対する真摯(しんし)な姿勢を知ると、馬鹿な娘役は高度な演技であることが見えてくるからだ。

つくば市のイメージキャラクターに、2人のどちらかを選ぶとしたらどうだろうか。『ローマの休日』(1953)で王女に扮(ふん)したヘップバーンを大多数の人が選ぶことだろう。だが、市の中心市街地に建つセンタービルには、さりげなくモンローのイメージが組み込まれているのだ。

モンローカーブと呼ばれる外壁の曲線はいくつもある。ホテル棟のドアの取っ手のくねっとした形は、モンローを模している。また、ロビーに無造作に置かれた黒い椅子は背もたれが波うち、モンローチェアと呼ばれている。そのほか、滝の流れ落ちるステージにもモンローカーブがある。きっと、建物内部にも思わぬ所にあると思う。

ビル設計者の磯崎新は、なぜこんなにもモンローにこだわったのか。映画探偵としてこの疑問を考えてみた。モンローの代表作を俯瞰(ふかん)すると、《水》と関連している作品が多くあることに気付く。

《水》:《滝》《海》《河》

『ナイアガラ』(1953)は、腰を振って歩くモンローウォークが有名だが、物語の背景は雄大な《滝》である。『紳士は金髪がお好き』(1953)は豪華客船が舞台で、《海》の旅が描かれる。『帰らざる河』(1954)は、西部劇で不実な恋人を追い、《河》をさかのぼる話だ。『七年目の浮気』(1954)は、名無しのCMガールと中年男が主人公で、モンスター映画『大アマゾンの半魚人』(1954)の、川のイメージを活用して語られている。

改めて、《水》つながりでセンタービルを見ると、階段の降り口にある青銅の月桂樹に黄金の布が巻き付いた彫刻物(長沢英俊・作)に目がいく。これはギリシャ神話に出てくる川の神ペネイオスの娘、水の精ダフネが、太陽神アポロンのしつこい求婚を拒否し月桂樹となった姿を表現している。目立つ位置にありながら目立たない彫刻なのだが、水の精が樹に変身したものと知れば、モンロー作品の《水》のイメージと重なる。

というのも、ホテル入口の取っ手と月桂樹に巻き付いた布の色は、同じ金色だからである。いや、《水》のつながりは当然だとしても、本当は別の意味合いが強いのかもしれない。

強い者に媚びない自立した女性

モンローは、馬鹿っぽい役を押しつける映画会社に嫌気がさし、反旗を翻して女優初のモンロー・プロダクションを設立した。彼女は次のような言葉を残している。「私はかって映画界に入り、女優になるために戦ったのと同じように、自分の才能を発揮するために、戦わなければならないと悟りました。もし戦わなければ、映画という手押し車に乗せられて売り払われる1個の商品となってしまうからです」。

モンローは自由に企画を選ぶ権利を獲得し、プロダクション第1作『バス停留所』(1956)を制作する。ハリウッドスターを目指す場末のクラブ歌手チェリーは、純情でがさつな牧童に惚れられる。チェリーはしつこい牧童を拒否し続けるが、ラストシーンのバス停留所で心底から反省する牧童の姿に接するとほだされて、妻となる道を選ぶ。

モンローとダフネに共通するのは《水》以上に、アポロンを拒否したダフネ、ハリウッドに抵抗したモンロー、2人の意志の強さなのかもしれない。磯崎新は2人の女性の生き方に敬意を表し建築に引用して見せた。センタービルには、強い者に媚(こ)びないで戦う自立した女性像が秘められているのだ。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

【つくば/都市と文化】4 長屋門に泊まってみない?

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塚本家の長屋門=つくば市大

【鴨志田隆之】「つくばRegion8(リージョンエイト)地域活性化プランコンペ」で2年連続敗退している、と刺激的な書き出しをするが、審査側は興味を示しながら「次年度以降のビジネスモデルを構築すべき。実力のあるスタッフだから必ずできるだろう」という旨の講評で不採択とした。「もん泊」(長屋門を活用した民泊と地域振興イベント)という取り組みは、特定非営利活動法人つくば建築研究会(小玉祐一郎代表)が進める「長屋門の利活用」だ。

長屋門は、江戸期に生まれた農家、商家の建築様式で、門構えの両サイドに居住ないし納屋空間をしつらえた大型の門を示す。関東地方の農村や旧街道沿いでよく見かける建築だが、つくば市内には実に217軒もの長屋門が所在する。長屋門は藩政時代、許可制であったため、市内の多くは明治期以降に建てられたものと調査されている。

「水回りも含め、佇(たたず)まいをそのままに、宿泊機能を付加する改修を施し、古民家に滞在体験する。交流と農村の歴史と文化を、長屋門を通して知っていただきたい」と研究会はアピールしている。

「もん泊」は、2018年の住宅宿泊事業法施行で解禁された「民泊」のもじりだが、なぜわざわざ「門」に泊まるのか? そこが、家主と同居に近い形態の民泊との最大の違いだ。母屋(家主)と適度の距離を置き、プライバシーを保ちつつコミュニケーションも図るという良いとこ取りなのである。

モデルケースはすでに確保されている。栄地区在住の塚本康彦さん(68)が所有する、江戸末期に建てられた長屋門が、塚本さんの協力で改修着手を待つ。長期的な展望では、長屋門の所有者の賛同を得て、「もん泊」対象長屋門を増やしていく考えだ。

塚本さんは「数年前父親から相続したものの、私の住居は離れで十分。母屋も利活用を模索していますが、研究会のテーマが地域交流と活性化に資することで好感が持てる」と述べる。母屋は寄せ棟造瓦ぶきの平屋住宅。18年の民泊新法施行前から、グリーンツーリズムの受け皿としての農家リノベーションを考えていた。

研究会は9月27日、市内外の「門主」を塚本邸に招き、プロジェクトの説明会と交流会を予定している。11月1日には、より広く参加者を求めシンポジウムも準備されている。コロナ禍の情勢によってはオンラインミーティングに切り替えられる可能性もあるが、長屋門という建築様式や歴史、そこに生まれた地域文化を見聞するまたとない機会だ。

ここまで準備が整っていながら、まだ資金的な裏打ちが弱いことが悩みの種だ。「長屋門はそのまま見学施設として、庭先でキャンプでも良いのでは?」という寸評もある。いずれにしても第2、第3の「もん泊」へつなげていくために、ビジネスモデルの構築が待たれる。

つくば建築研究会ともん泊についてはhttp://tsukuba-arch.org/を参照。(続く、全5回シリーズ、不定期掲載)

天久保1丁目に安全宣言 新型コロナで県 対策指針はステージ2に緩和

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茨城県庁

つくば市天久保1丁目の飲食店で新型コロナウイルス感染者のクラスターが発生したことから、県がPCR集中検査を実施していた問題で、大井川和彦知事は8日、8月26日以降、陽性者はなく、9月6日で検査を終了したとして、天久保1丁目の飲食店に安全宣言を出した。

集中検査は、同地区の飲食店従業員や利用客を対象に、8月21日から9月6日まで実施された。家族や知事を含め計644人を検査し、16人が陽性だった。

大井川知事は「感染拡大が限られた範囲で食い止められた。感染が広がってないことが確認できた」とし「根拠のない恐れを抱くことなく、感染対策をしながら街を訪れ、経済活動を再開する環境をつくっていただくことが何より大事」と述べた。

都内への移動・滞在自粛要請も解除

一方、県全体の感染状況は改善してきているとして、県の対策指針をステージ2に緩和するとした。7日時点で、病床稼働率が21.9%とステージ1の状況に改善、陽性率は2.7%とステージ2の状況に改善、東京都内の経路不明陽性者数も改善してきているためだ。

併せて、自粛を要請していた都内への不要不急の移動や滞在についても、自粛要請を解除した。

地域選び医療・介護職員のPCR定期検査を実証

今後の対策については「(感染拡大が)落ち着いてきたと言っても、これから第1波と第2波の間のように感染者ゼロの日がずっと続くのか、ある程度脱しつつ、しばらくこの状態が続いて、秋冬のインフルエンザに突入するのか、何とも言えない」とし「あと1カ月ちょっとでインフルエンザの季節。本番はそこからと思っている。そこへ向けて気を緩めず感染対策強化を図っていきたい」と強調した。

具体的な対策としては、インフルエンザの患者と新型コロナの患者は見分けがつかないことから、近場の診療所などでPCR検査を受けられる体制をつくることを、現在、医師会などと検討しているとした。

さらに政府の方針が変更となり、感染拡大地域では医療従事者や介護・障害者施設の職員が定期的にPCR検査を受けることを認めるようになったことを受けて、県内で実証的に地域を選んで、医療従事者や介護・障害者施設職員の定期検査を実施してインフルエンザの季節に備えたいとした。

次世代の窓 つくばの公共施設で実証実験 物材機構

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調光ガラスが設置されたつくばスタートアップパーク=つくば市吾妻

【相澤冬樹】遮光/透明状態をスイッチで自由に切り替えられる「調光ガラス」の実用化に向けた実証実験が8日、つくば市内で始まった。省電力性・発色性に優れたエレクトロクロミック(EC)材料を開発した物質・材料研究機構(NIMS)が、同市の支援を受け行うもので、長期使用に対する動作安定性などを検証する。

実験が始まったのは、つくばスタートアップパーク(つくば市吾妻)コワーキングスペース東側の窓。青色と紫色のEC調光ガラス(1枚10×10センチ角)を1000枚以上、木枠に入れて既存の窓の内側に設置した。窓の脇にはスイッチデバイスも置かれ、来年3 月までの実証実験期間を通じて、施設利用者らに操作してもらい、要望に沿って切り替えの操作性などを改良する予定という。

調光ガラスは、カーテンやブラインドを必要としない次世代窓として注目されている。現在、ボーイング787などで使用されているが、消費電力や発色性の面で課題があり、オフィスや商業施設などへの普及には至っていない。

調光ガラスについて説明する樋口昌芳さん=NIMS

NIMSでは、機能性材料研究拠点電子機能高分子グループ(樋口昌芳グループリーダー)を中心に材料研究が行われてきた。開発したEC材料「メタロ超分子ポリマー」は低消費電力で駆動し、発色性にも優れる。含まれる金属種を変えることで、青、緑、紫、黒など様々な色に変えることができるという。

実用化に向けては、建物に設置した状態での耐久性や切り替えの操作性などを検証する必要があった。実証実験中のEC調光ガラス窓をショーケースとみなし、市内外の製造企業に積極的に技術を紹介することで、将来の実用化に向けたサプライチェーンの構築を目指す。

樋口リーダーによれば、これだけの規模で実装された調光ガラス窓は前例がないそうだ。「通常の窓だと、夜になると明るい室内が外からのぞかれるようになるが調光ガラスはスイッチひとつで視線をシャットアウトできる。直射日光を受けて温度変化がどうなるかなど利用者に体感してもらいたい」と語っている。

【つくば/都市と文化】3 3年目のSDGsと2年目のR8

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2002年秋、稲刈りの中、建設が進むつくばエクスプレス=つくば市島名

【鴨志田隆之】SDGs(持続可能な開発目標)未来都市。2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」をもとに、日本では全国60都市のモデル事業が選定されており、つくば市も未来都市のひとつ。社会・経済・環境を主体にSDGsが掲げる17の課題を解決しようとしている。2020年度は3年目にあたり、旧総合計画基本構想や基本計画を改定する「つくば市未来構想」「つくば市戦略プラン」をベースとした施策体系の構築を検討し始めた。

持続性のある市政は当然のことなので、目標とされる2030年度内に、それらすべての事業が達成できるとは思えない。努力を持続させ市民の意識を醸成していくことが、大事なことだ。少子高齢化、地域間格差、生活保護につながる貧困問題は、つくば市も抱える問題であり、一見、環境問題にスポットが当たりがちなSDGsの中でも、格差と貧困の是正は喫緊の課題といえる。

しかし「向こう10年で問題解決できるというなら、つくば市が合併してから今までの年月はなんだったのか」という懐疑的な声を聞く。それらはいわゆる研究学園都市の外側、特に北部の周辺地区でくすぶり続けている。都市と農村の境界線は、風景ではなく地域住民の感じ方なのかもしれない。

つくば市はこうした周辺地域8エリアを対象に「つくばRegion8(リージョンエイト)地域活性化プラン」を公募し、民間活力を投入する助成事業も進めている。2年目にあたる今年は、地域ぐるみ活動創生コース(賞金各100万円)で▽コロナ災禍克服熱狂「町民芝居と和提灯祭」-手作り不滅の町おこしムーブメント(わわわやたべや町民会議)▽Bond Job(ボンジョブ)で産業・マルシェ・フォトアートを展開する(明治大学木寺ゼミナール)▽ふるさと菜園事業-つくばにあなたのふるさとを(国際耕種株式会社)の3プラン、稼げる地域づくり創生コース(各200万円)で▽地域に開かれたゴルフ場活用プロジェクト(筑波国際カントリークラブ)▽古民家再生プログラム「工芸×IoT」で最先端の地域活性化(iriai tempo=イリアイテンポ)の2プランが採択された。

いずれも地産の資源を活かし、人々の定住を促そうという計画だ。補助金対象は単年度で、来年2月に成果報告を求めているところは性急だが、そもそも単年度で撤収するようなプランはひとつもない。いかに持続させていくかがこれからの注目だろう。

「Region8」は周辺地域における事業。研究学園地区内とは別個の「ものさし」で進められる息の長い地域振興となる。格差と貧困の是正という急務も横たわるが、そこにはつくばの豊かな都市と文化の再発掘と活性化がある。これこそが四半世紀前に唱えられた「文化は都市を刺激する」という言葉の継承に他ならない。(続く、全5回シリーズ、不定期掲載)

《続・平熱日記》69 「犬は私を縛り、亀もまた然り」

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【コラム・斉藤裕之】朝のルーティーンであった散歩をする必要がなくなった。犬のフーちゃんがついに息を引き取ったのだ。18年近く我が家にいたこの犬の思い出話はよそうとは思うのだが…。

しかし、少し前に飼い始めたマルといた年数を勘定すると、都合30数年、毎朝毎夕、雨の日も風の日も、散歩をしたことになる。そして、やや大袈裟に言うと、私の人生での犬との付き合いはこれでひとまずお開き。

さかのぼること1カ月。コロナ禍の暇つぶしに、庭に野菜の苗を植えるべく、スコフィールド(ロシアリクガメ)の柵を移動。1畳ほどの広さの柵をしっかりと据え付けたつもりだったが、ちょっとした隙間から脱走されてしまった。

周りは住宅しかなく、どなたかが見つけて飼ってくれていればいいが…などと思いながら、しばらく近所の道路などに気を配るも、ついに発見に至らず。近所の林で収監後10年。脱獄をする米ドラマの主人公から付けたスコフィールド。ついにミッションコンプリートか。

「家具は家を縛(しば)り、家は人を縛る」という坂本竜馬の言葉がある。意味は大きく違うと思うけど、私の場合「犬は私を縛り、亀もまた然り」。生き物を飼っていると、旅行にも行けない。現にこの20年余の間、家を留守にしたのは母の葬式の日ぐらいだ。

百個を目標に額縁を作ろう

話は変わって、毎年、牛久市の「サイトウギャラリー」で開く「平熱日記展」は今年で10年目。こういうご時世ではあるけども、特に三蜜にもならず大声を上げることもないだろうから、いつも通り開催しようと思う。

ついては、「そういえば定額給付金ってどうしたっけ?」という、ありがちな未来を回避すべく、「あると便利だなあ」と思っていたスライド丸鋸(まるのこ)を思い切って購入。

残暑厳しい中、黙々と作品を入れる額を作り始めた。実は奇特な友人が冗談半分に、御自宅を「斉藤裕之美術館」にするというので、ほったらかしにしていた小さな絵どもを額装しておきたいと思っていたのだ。

それから、来年の今ごろは還暦ということもあって、故郷の粭島(すくもじま)にある「ホーランエー食堂」(海の見える民家食堂)で、ささやかな回顧展をやると口約束をしていたのだが、いつも気になっていたフーちゃんやスコフィールドもいなくなったことだし、家を留守にして島を訪れたいと思い始めた。

それにしてもリアリティーとは。夕餉(ゆうげ)にカミさんがみそ汁の出汁にとったイリコを、鍋のふたに取ってゴミ箱へ捨てた。今までは、フーちゃんのお皿にポイっと投げ入れていたのだが…。アトリエの机の上にもイリコがひとつ。描き終えると、フーちゃんがパクリと食べるはずだった…。

こうも暑いと対抗心さえ芽生えるのは気性のせいか。とりあえず百個を目標に額縁を作ろう。しばらくは脳みそを空っぽにして汗にまみれよう。そういう労働に縛られるのも悪くない。(画家)

教育支援員足りず「権利利益侵害」の恐れ 市民団体が市町村教委に実態調査

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回収された県内市町村教育委員会のアンケート用紙

【川端舞】通常学校に通う、障害のある子供たちの学校生活を支援する「特別支援教育支援員」の配置実態を明らかにしようと、市民団体「茨城に障害のある人の権利条例をつくる会」(事務局・水戸市)がこのほど、各市町村教育委員会にアンケート調査を行った。教育支援員が足りない市町村があったり、足りていても保護者に付き添いを求める市町村があるなどの実態が浮き彫りになった。

学校生活において、平常の授業日や校外学習時に支援員が付き添えないからと、保護者の付き添いを障害児だけに求め、できない場合は参加を拒否することは、2016年施行の障害者差別解消法が禁止する「権利利益の侵害」にあたる。同つくる会では今後、各市町村教育委員会に対し、今回の調査結果を情報提供すると共に、支援員の研修機会を提供するなど、支援員の充実に協力していく考えだ。

6割が「足りていない」

支援員は、学校生活での食事や排せつなどを介助したり、授業や学習で個別的な支援が必要な児童生徒を支援する。

アンケートには全44市町村のうち41市町村が回答した。「支援員が足りているか」という質問には、6割超の27市町村が「足りていない」と回答した。

さらに、1人の児童生徒が1日に支援を受けられる時間についても尋ねた。支援員が支援できる時間が限られていて、その時間では支援が不足する場合、保護者が付き添っていると8市町村が回答した。

支援員が足りていないと回答した市町村の方が、保護者が付き添っている割合は高いが、足りている市町村でも「平常の授業日に保護者が付き添っている場合がある」と回答したところが1市町村あった。

一方、支援員が足りていない市町村でも、「1日の支援時間に上限はない」と5市町村が回答した。

「支援時間に上限はあるが、支援員の勤務時間を前後させたり、空いている職員を計画的に配置したりすることで、保護者の付き添いはないようにしている」と回答した市町村もあり、支援員の人材不足が、必ずしも保護者の付き添いを求めることにつながらないことが分かった。

校外学習時に支援員が付き添えるかという質問には、「日帰りの校外学習に支援員が付き添える」と35市町村が回答し、「宿泊を伴う校外学習に支援員が付き添える」と5市町村が回答した。「支援員が足りていない」市町村でも、「宿泊を伴う校外学習に支援員が付き添える」と回答したところが3市町村あった。

さらに校外学習時に保護者が付き添っているかという質問には、支援員が足りている市町村の方が付き添っている割合は58%と低いが、それでも約6割の市町村が校外学習に保護者が付き添っていることがわかった。

つくば市、修学旅行に付き添えず課題残る

修学旅行に支援員が付き添えないために、保護者が付き添えなければ、障害のある児童生徒が修学旅行への参加をあきらめる事態がつくば市内で起こったことが、2016年12月の市議会一般質問でも指摘されている。

同年に施行された障害者差別解消法では、障害を理由として、各種機会の提供を拒否する、または提供にあたって、障害者ではない者に対して付さない条件を付すことは、障害者の権利利益の侵害として禁止されている。

五十嵐立青つくば市長は、支援員の大幅増員を公約に掲げ、2016年度から2019年度にかけて支援員の数を倍増した。しかし、宿泊を伴う校外学習には支援員は付き添えないなど課題は残っている。

同市によると、市内の小中学校や義務教育学校では平常の授業日は支援時間に上限はないため、学校側から保護者の付き添いを求めることはない。

一方、日帰りの校外学習に支援員が付き添えることもあるが、宿泊を伴う校外学習には支援員は付き添えず、保護者に付き添いを求める場合があるという。

今後、宿泊を伴う校外学習にも支援員が付き添えるようにする方針はあるかをつくば市に聞いたところ「勤務条件外になってしまうため、難しい」という回答だった。障害のない子供なら無条件に参加できる修学旅行に、障害があるからと、保護者の付き添いが参加の条件になってしまう実態は解決されないままだ。

アンケート結果の詳細はhttp://www.honyara.jp/ibakentsu/ed.pdf

【つくば/都市と文化】2 街の外からの刺激

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「文化は都市を刺激する」

【鴨志田隆之】古い書籍をもう1点、取り上げる。「つくば建築フォトファイル」から、さらに10年をさかのぼる90年代半ばに、当時の住宅・都市整備公団つくば開発局と日本都市計画学会がまとめた「文化は都市を刺激する(上・下)」(1996年、プロセスアーキテクチュア刊)だ。

当時、つくば市は成熟途上にあり、つくばエクスプレス(TX)も常磐新線の名称で路線着工したばかり。その沿線都市開発が今後のつくばを左右するとまで言われ、牛久市や土浦市も巻き込んでの業務核都市整備が取り沙汰されていた。

つくば市域の開発はいわゆる一体化法に基づく土地区画整理事業で、茨城県と住宅都市整備公団(2004年からUR都市機構)が事業主体となった。この頃公団つくば開発局で指揮を執っていた三宮満雄さんは「優れたハード(都市)を作っても誰にも気づかれなければただの器。これが売れなかったら失敗作」とTX沿線開発やJRひたち野うしく駅周辺開発について冗談めかして話していた。ならばどうすればいいのかと尋ねたところ「お祭り(イベント)を絶えず仕掛けて、気になってしようがないくらい耳目を集めるんだよ」と答えてくれた。

そうして仕掛けられたのが、「文化は都市を刺激する」と題された連続シンポジウムだった。95年10月から5カ月の内に、10回の基調講演とパネルディスカッションが繰り広げられた。本書はその完全収録ものだが、上巻は95年11月に出版されている。

都市活動がもたらす文化。そこにテーマを置くことから、講演者もパネラーも多様な人材が招かれた。見城美枝子(エッセイスト)、阿久悠(作詞家、故人)、浅井慎平(写真家)、養老孟司(解剖学者)、江崎玲於奈(物理学者)など、総勢28人が登壇した。

シンポジウムは、実はつくばの外にいる人々にアピールしようとしながら、そのような外来者が持ち込む「街の外からの刺激」を地域の人々に仕向けていた節がある。ただ、これをどれだけ咀嚼(そしゃく)し、外圧と戦い、つくばならではの文化を育てていくのかという、先の読めない印象も得た。

郊外と都市、ルーラル・アーバンという2つの外来語をミックスした、ラーバンという造語を、当時の公団は好んで利用した。千葉県・北総台地の千葉ニュータウンがその事例だが、筑波研究学園都市は、よりそのイメージを濃厚に持つ。いかに都内が便利でも、それに勝る魅力が郊外の、農村と都市の風景風土にはある、と。田園都市つくばの方向性が示唆されたようにも見えた。

その後の四半世紀で、今のつくばがある。市域全体でみれば地域格差が残り、都心地区では空洞化が進む。一方でつくばエクスプレス沿線は定住人口が伸びているものの、どこのニュータウンにもありそうな風景となってきた。

都市化という外からの刺激に長年さらされながら、農村はふところの深さを見せてなおもしっかりと残っている。今や近場に田園と自然が広がる風景こそ、筑波研究学園都市の魅力といえるかもしれない。(続く、全5回シリーズ、不定期掲載)

《吾妻カガミ》89 つくば市議会の愚かな選択

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】前回のコラム(8月17日掲載)では、4年前の市長選挙で五十嵐さんが掲げた看板公約「運動公園問題の完全解決」について検証しました。今回はその関連ということで、この問題のプロセスで節目になった市議会の動きを取り上げます。結論を先に言ってしまうと、議会は「愚かな選択をした」ということです。

運動公園問題を整理すると、市原前市長が計画(陸上競技場など3施設をUR都市機構から買った土地に305億円かけて建設)を発表多額の建設費に反対する市民運動(住民投票を求める署名活動)が活発化議会が住民投票実施とその要領を可決建設反対が多数を占め前市長は計画の推進を断念「運動公園問題の完全解決」を目玉公約に掲げた五十嵐市長が誕生それから4年経った今「問題の完全解決」は完全未解決―といった流れになります。

こういった経緯から、運動公園問題は、市民の反応に気落ちして4期目への出馬を断念した前市長にとっても、前回選挙で公約の目玉にして当選した現市長にとっても、とても重い案件であった(ある)ことが分かります。前市長は不出馬で失政の責任を取りましたが、看板公約を実現できなかった五十嵐さんはどうするのでしょうか?

現実策を封じた2択住民投票

話がそれましたので元に戻します。節目の動きは、2015年5月12日、「議会が住民投票実施とその要領を可決」した際に起きました。投票用紙の設問を、執行部が推す3択(計画に賛成、反対、見直し)にするか、市議側が提案した2択(賛成、反対)にするかで、議会が紛糾。採決の結果、2択方式が採用されました。これによって、当初の運動公園計画を見直すという、現実策を探る議論は封じられたわけです。

ところが今になって、公式競技ができる陸上競技場が欲しい、空き地になっている運動公園予定地に造ったらどうか―といった声が市議や市民の間から出ています。これは、当初計画(予定地に公認陸上競技場+サッカー兼ラクビー場+総合体育館を建設)のスケールダウン(予定地に陸上競技場だけを建設)ですから、3択の「見直し」そのものです。

もし住民投票が3択で実施されていれば、見直し+賛成が多数を占め、優先度が高かった陸上競技場はすでに完成、今ごろ利用されていたのではないでしょうか。5年前の議会は、スポーツ施設の是非という議会本来の仕事よりも、反市長会派(グループ)の政治的な思惑に支配され、賢さに欠ける選択をしたことになります。この愚かな行動により、市民の利益が大きく損なわれました。(経済ジャーナリスト)

<参考:市議の投票行動>

▼2択方式に賛成した現市議:久保谷孝夫(自民つくばクラブ・新しい風)、五頭泰誠(同)、小久保貴史(同)、神谷大蔵(同)、黒田健祐(同)、北口ひとみ(つくば・市民ネットワーク)、宇野信子(同)、皆川幸枝(同)、滝口隆一(日本共産党)、橋本佳子(同)、金子和雄(新社会党)、塩田尚(山中八策の会)=敬称略

▼3択方式に賛成した現市議:塚本洋二(つくば市政クラブ)、柳沢逸夫(同)、鈴木富士雄(同)、高野進(同)、須藤光明(同)、大久保勝弘(同)、小野泰宏(公明党)、浜中勝美(同)、山本美和(同)、木村清隆(つくば政清会)=同

《霞月楼コレクション》7 中村不折 洋画・書・挿絵・収集などに多大な業績

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霞月楼

「これぞ不折流」

【池田充雄】霞月楼に「霞月」の書を残した中村不折(なかむら・ふせつ)を紹介する。落款には大正丁巳(1917年)二月との年紀があるが、残念ながら由緒などは伝わっていない。

額「霞月」1917年 霞月楼所蔵

「霞月」の書について、不折コレクションを収蔵する台東区立書道博物館主任研究員の中村信宏さんは「これぞ不折流という、特徴がよく出た作品」と述べ、「書の本場である中国には、ただ美しく書けばいいというものではなく、大事なのは気迫であり、それがあれば自然とまとまりが出るものだという理念がある。不折の字は決して美しくはないが、一度見たら忘れられない風格を備えている」と解説している。

不折が霞月楼を知ったのは、1907(明治40)年に東京朝日新聞の仕事で筑波山を訪れた際だろうか。あるいは小川芋銭の線もあり得る。本多錦吉郎の死後、芋銭ら門下生が建てた顕彰碑には不折が銘を書き、書道博物館には合作の「猫の図」が残るなど、2人の交遊を示す証拠もある。1907年や1917年ではなさそうだが、何かの機会に霞月楼で酒を酌み交わしていないとも限らない。

新聞の挿絵画家として頭角現す

中村不折 1937年、72歳 台東区立書道博物館所蔵

不折は1866(慶応2)年、江戸京橋東湊町(現東京都中央区新川)で生まれた。本名鈼太郎。一家は1870(明治3)年、維新の混乱を避けて高遠(現長野県伊那市)へ帰郷。不折は呉服店や菓子店で働きながら漢籍・南画・書を学び、1884(明治17)年からは西高遠学校の代用教員などを務める。

1887(明治20)年上京し、小山正太郎の「不同舎」に入塾、明治美術会の展覧会で作品発表を重ねる。同会は小山や浅井忠、松岡寿、本多錦吉郎らが1889(明治22)年に創立した日本初の洋画団体で、二世五姓田芳柳も創立会員の一人だった。

生計のため教科書や新聞の挿絵などを描き、1895(明治28)年には日本新聞社の記者として日清戦争に従軍。中国各地や朝鮮半島を巡り、「龍門二十品」や「淳化閣帖」の拓本など書の古典とされる貴重な資料を持ち帰った。

日本新聞社では正岡子規と出会い、その縁で小説家らとも親交を深め、島崎藤村の「若菜集」や伊藤左千夫の「野菊の墓」、あるいは雑誌「新小説」「ホトトギス」「馬酔木」などの装丁・挿絵も数多く手掛けた。夏目漱石は「吾輩は猫である」が発売後わずか20日で初版売り切れとなり、「不折の描いた軽妙な挿絵のおかげ」と感謝する手紙を送っている。

夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』上巻(挿画・中村不折、装丁・橋口五葉)1905年、大蔵書店・服部書店 台東区立書道博物館所蔵

渡仏を経て洋画家として大成

1901(明治34)年にはフランスへ自費留学し、ジャン=ポール・ローランスから人物画を徹底して学ぶほか、彫刻家オーギュスト・ロダンのアトリエなども訪問し、イタリアやイギリスにも足を伸ばした。また、不同舎の後輩で同じ長野県人の荻原碌山がパリに来ると親しく世話をした。

1905(明治38)年に帰国し、明治美術会の後身である太平洋画会に所属。東洋の歴史画を目指し、日本や中国の故事を題材にした作品を相次いで発表した。代表作の「建国剏業」では日本の建国神話を、西洋流の立体的な画面構成と、緻密かつ力強い人体表現で描き、1907(明治40)年の東京勧業博覧会で一等金牌を受賞している。

同年から始まった文展では審査委員の一人に任命され、1919(大正8)年に帝国美術院が創設されると初代会員13人中に名を連ねた。また太平洋画会研究所では人体デッサンや解剖学を指導し、2000人以上の生徒を世に送り出した。1929(昭和4)年には太平洋美術学校への改組に伴い、初代校長に就任している。

書家・不折、衝撃のデビュー飾る

洋画と並行して書の研究にも精進し、特に中国南北朝時代の北派の書を基底に、「不折流」と呼ばれる大胆で斬新な書風を展開した。その代表作が1908(明治41)年に発表した「龍眠帖」で、当時の書道界に驚きをもって迎えられ、河東碧梧桐や森鴎外ら熱心な支持者も多かった。

「龍眠帖」1908年、木版印刷折本 台東区立書道博物館所蔵

不折の書は「日本盛」「神州一味噌」「筆匠平安堂」など多くの商品名や商標にも用いられた。特に「新宿中村屋」の看板文字はよく知られている。不折と中村屋の縁は荻原碌山が結んだようだ。碌山は中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻と郷里の穂高村の頃から親しく、帰国後は中村屋の裏にアトリエを構え、彼を慕って若い芸術家たちが集まるようになった。

中村屋サロンの中心人物の一人に中村彝がいる。彼も太平洋画会研究所では不折の教え子だった。碌山は1910(明治43)年に30歳で早世、彝も1924(大正13)年に37歳で世を去り、不折は悲嘆の中で彼らの墓碑銘を書いた。ほかに伊藤左千夫や森鴎外の墓も彼の手による。

収集の精華を見せる書道博物館

中国巡遊から始まった不折の書道研究は生涯に及んだ。40余年にわたり日中の書道史上重要な資料を集め続け、1936(昭和11)年には書道博物館を開館。収蔵品は重要文化財12点、重要美術品5点を含む約1万6000点に及んだ。これらは自身の書や日本画の潤筆料を原資とし、全くの独力で成し遂げられた。

不折は1943(昭和18)年に78歳で他界するが、博物館は1945(昭和20)年の東京大空襲を鉄筋コンクリートの躯体で耐え、戦後も遺族の手で守り抜かれた。1995(平成7)年に台東区へ寄贈されると、中村不折記念館を併設し、2000(平成12)年に台東区立書道博物館として再開館した。

●取材協力・参考資料 台東区立書道博物館▽中村不折自伝「僕の歩いた道」(2016年、台東区立書道博物館)▽「中村不折のすべて」(2020年、台東区立書道博物館)▽新宿中村屋ウェブサイト

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

《つくば法律日記》11 つくば市の2つのメディア

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】長引くコロナウィルス禍で、相撲、野球、サッカーなどを現場で見ることは制約を受けています。また、米大統領選挙、つくば市長・市議選挙、自民党総裁選挙なども、コロナ禍の影響を受け、民主主義もダメージを受けるかと心配していましたが、現状に危機感を覚える人が多く、いろいろな議論が起きている気はしています。

つくば市長選挙については、出馬に意欲を示していた方がコロナ禍を理由に、立候補を止めると聞いたときは、「つくばの民主主義も疫病の前に敗北した」と、落胆しました。しかし、8月末、現市長に挑戦する方が現れ、議論が活性化するのではと、期待が持てるようになりました。

自民党総裁選では、世論調査で一番人気がある人が、総裁になりそうもないというのはどうかと思いますが、それが政党政治であり、メリット・デメリットがありながら、日本が選択した制度です。一番人気の人が総裁になりそうもないことが、かえって国民の関心を高めているところもあるようです。

コロナ禍の閉塞感に挑む

テレビやパソコンの前で現状を批判することは簡単ですが、僕としては、現状を打開しようと努力している人がいる中、自分は何ができているだろうと考えると、反省することばかりです。

今は、SNSを通して政治的な発言が容易にできる世の中です。SNSはファクトという点で劣ってはいます。しかし、知人がSNSでまちの問題点を指摘、それまで気づかずにいた問題を知ったときには、SNSが無力でないと感じました。

宣伝するわけではありませんが、つくばには「NEWSつくば」という、経験豊富な記者を抱える媒体があります。また、宣伝になるかもしれませんが、僕が代表を務めている「ラヂオつくば」は「NEWSつくば」と提携して、市に関連するニュースを流しています。

「Withコロナ」であっても、こういった媒体に接することは通常通りできますので、僕ができることがあるとすれば、これらの媒体を活かして、つくば市政の新鮮かつ正確な情報を流すことかもしれないと思っています。つくばの市長・市議選挙では、「ラヂオつくば」で特別番組を設け、コロナ禍による閉塞感に挑もうと思っています。(弁護士)

3密回避の「ソトカフェ」 つくばセンター広場で飲食店支援

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ソファやハンモックで飲食ができる客席を設けた「ソトカフェ」=つくばセンター広場

【車谷郁実】3密を避け市民の憩いの場をつくりつつ、コロナ禍で苦境にある市内の飲食店を支援しようという屋外営業の「ソトカフェ」が5日、つくばセンター広場(つくば市吾妻)で始まった。ソファやハンモックで飲食ができる客席を100席設けたオープンテラスに、市内の飲食店11店舗が出店、テントやキッチンカーで営業する企画で、初日は多くの家族連れでにぎわった。

国土交通省がテイクアウトやテラス営業のための道路占用の許可基準を緩和し、飲食店に接続する路端の利用や飲食提供の施設の仮設が可能になったのを受けて、つくば市が企画した。

6月下旬から出店者の募集を始め、市内の和食系居酒屋や洋風バー、ベトナムやブラジル料理など10の飲食店とバルーンの販売店の出店が決まった。市はコロナ禍で厳しい経営状況にある飲食店を早急に支援したいと企画から2カ月でイベント開始にこぎつけた。市内でテイクアウトの代行サービスを行う「リアッタイーツ」とも連携し、つくばセンター広場前に商品を配達できるようにした。

新型コロナの感染拡大から、同市でも先月クラスターが発生するなど、多くの飲食店が厳しい経営状況にある。ソトカフェに参加している「居酒屋みやま」でも売り上げが激減。8月の売り上げは昨年の2~3割程度だったという。社長の髙橋賢司さん(44)は「イベントの話を聞いたとき、助かったと思った。不安しかなかったが少し希望が見えた」と感染リスクが軽減される屋外での営業に期待を寄せる。

利用者からも屋外スペースの活用を歓迎する声が上がった。土浦市から小学生の子どもたちを連れて友人家族とソトカフェを訪れた田谷沙織さん(33)は「距離を保ちながら子どもたちとゆったりできるのでありがたい」と喜んだ。

木陰になっている客席でそれぞれの時間を過ごす利用者たち=同

主催したつくば市市街地振興課の渋谷亘さんは「困っている飲食店の助けになればと思う。市民の皆さんにも感染リスクの少ないところで飲食を楽しんでほしい」と話す。

イベントは来年3月31日まで。金・土・日曜日のみ営業するオープンテラスの飲食店もある。今後もテーブルの間隔を3メートル以上開ける、アルコール消毒を設置する、などの感染対策を講じていく予定だ。(くるまだに・いくみ=筑波大学社会国際学群社会学類1年、ドットジェイピーインターン生)

【気分爽快 りんりんロード】1 「自分の世界広がる」髙山了さん

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筑波山をバックにりんりんロードを走る髙山さん(先頭)

秋はサイクリングシーズン。コロナ禍で、密にならない身近な野外レジャーが注目されている折、「つくば霞ケ浦りんりんロード」をさっそうと走れば気分もリフレッシュできそう。昨年ナショナルサイクルルートに指定され、モデルコースは充実、レンタサイクルもある。日々、りんりんロードと周辺を走る地元の自転車愛好家に、魅力を聞いた。

ポタリングがおもしろい

【田中めぐみ】土浦市在住の髙山了(さとる)さん(73)は、「普段の足慣らし」として日常的にりんりんロードを走っている。

定年退職後、60歳から10年かけて、奈良からローマまでのシルクロード約2万キロを自転車で横断した経験がある。以前から日本の歴史や文化のルーツをたどりたいと考え、定年になり、シルクロードを自転車旅行する愛好サークル「シルクロード雑学大学」(事務局・東京)に所属し、仲間と共に走破した。

次の新たな目標は、日本の海岸線を一周すること。自らを「鉄っちゃん(鉄道ファン)でもある」という髙山さんは、自転車と鉄道を組み合わせて一周する計画を立てている。

日頃走る、りんりんロードの魅力について「りんりんロードを軸に、気ままに脇道に入ってポタリングするのがおもしろい」と話す。「ポタリング」は、目的地を特に定めることなく自転車でめぐる散歩のこと。気ままにサイクリングすると、思いもよらぬ発見があるという。

例えば、土浦に前方後円墳があることを知っているだろうか。りんりんロードの虫掛休憩所からほど近い「常名天神山古墳」(土浦市常名)で、なんと全長約70メートルの前方後円墳が見られる。

りんりんロードを外れ、筑波山麓方面に足を延ばすと行き当たる「六所皇大神宮霊跡」(つくば市臼井)も、髙山さんには発見したばかりの興味深いスポットだ。かつて筑波山神社の里宮とされ、現在は廃社となっている。往時どのような人たちがどのように神様を拝んでいたのか、時の流れに思いをはせるという。

六所皇大神宮霊跡にある磐座=つくば市臼井(髙山さん撮影)

「平沢官衙(かんが)遺跡」(同市平沢)で立ち止まってみるのも気持ちがいい。広々とした開放感を満喫できる。北条から筑波山への参詣道である「つくば道」は日本の道百選にも選出されており、古の情緒を感じるスポットだ。

都内から訪れた人を髙山さんが案内すると「こんなところがあったとは」と皆一様に感動し、必ず喜んでくれるそうだ。

りんりんロードを霞ケ浦湖岸沿いに下り美浦村まで足を伸ばせば、初めて日本人の手によって発掘調査が行われ「日本考古学の原点」とされる「陸平(おかだいら)貝塚」がある。史跡・文化に興味ある人におすすめのスポットが満載だ。

奈良・平安時代におかれた郡役所の跡とされる平沢官衙遺跡(髙山さん撮影)

人も歩けば望に当たる

地元の人との交流も髙山さんの楽しみのひとつになっている。田植えの季節には農作業する人に声を掛け、田植え機に詳しくなったそう。土浦出身だが「地元でも知らないところがまだまだたくさんあり、りんりんロードは何度走っても飽きることがない」という。

「犬も歩けば棒に当たる」をもじり、「人も歩けば望に当たる」と笑う。望とは新しい希望という意味だ。地域の魅力を再発見することで、自分の世界が広がっていくのを感じると話す。髙山さんの言うように、風の向くまま気の向くままに自転車で行けば、新しい希望を見つけられそうだ。

初心者はすぐ買わない

「りんりんロードはよく整備されていて、都内の有名サイクリングロードと比べても格段に走りやすい」という。比較的空いているため初心者にも安全だが、いくつか注意点があるそうだ。

まず、自転車を始めるからと言ってすぐに買わないこと。自転車には様々な種類があり重さや値段もピンキリ。自分がどのように自転車に乗るのか、スタイルが定まらないうちは中古車を買って試したり、レンタサイクルを活用したりして様子を見ることが大事だ。

走り方のスタイルが定まったら、経験者や自転車屋さんに相談しながらどのような自転車が合うか吟味するとよい。

自宅に駐車スペースがない場合は折りたためる小径車もおすすめだ。また、けが防止のためにヘルメットを着用し、服装は長袖長ズボンとし、肌を出さないこと。ハンドルの滑り止め用の手袋をはめることも必要だ。

忘れがちなのが保険加入。対人事故の可能性も考え、自転車保険に入っておくことも忘れずに。サドルの高さ調整やペダルを踏む際ひざを平行に保つこと、ブレーキのかけ方などにもコツがある。初心者はけがにつながらないようよく勉強してから始めたい。髙山さんは「自転車の楽しみ方はいろいろ。人それぞれ見つけてほしい」と話した。(続く)

《続・気軽にSOS》68 猫とのコミュニケーション

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【コラム・浅井和幸】私は常日ごろから、コミュニケーションが大事と伝えています。日常の人間関係でも何かの支援でも、相互の気持ちを伝達し合うこと、感じ取ろうとすることが大切と考えています。

事実と推測を一緒くたにして過ごしていることは多いものです。あの人は私を嫌っているとか、私の気持ちを相手は酌(く)んで動くべきだ、という思い込みで日常生活を送りがちです。また支援にしても、良い支援と悪い支援、良い言葉かけと悪い言葉かけに分けて決めつけ、相手がどのように感じているかは二の次、三の次になしてしまうこともしばしば、というより、思い込みで動いていることの方が多いのです。

それは人間同士だけでなく、猫と人間でも同じです。浅井家だけに通じる言葉、「みー触り」「らえる触り」「とまと触り」というものがあります。「みー」「らえる」「とまと」は、浅井家にいる(いた)歴代の猫です。

さば白柄のオス猫「みー」。甘えん坊で、いつも人間にベタベタとくっついてきます。遠くにいても呼べば寄ってくるし、玄関まで人間を出迎えたりします。この猫は、ガシガシ強めに撫(な)でたり、軽く肩叩きをするかのように叩くととても喜びます。この撫で方を「みー触り」と呼んでいます。

猫の気持ちと距離を測りながら

「みー」よりも、一回り大きなスモーク柄のメス猫「らえる」。洗濯機や机の上に乗ると、体当たりをするように甘えてきます。しかし、普段は遠巻きにこちらを見ていました。それだけ強く当たってくるのであれば、やっぱり「みー触り」が良いだろうと思って触ろうとすると、逃げていきます。

いわゆる普通の猫に対する撫で方でも、体を震わせるようにして逃げていきました。ある時、「らえる」と名前を呼びながら、体毛に触るかどうかの優しく触ってみると、逃げることが少なくなりました。

今まで普通だと思って触っていたやり方では、「らえる」にとっては強すぎて嫌だったのです。ある団体に保護されていた「らえる」。過去に、ちょっと嫌な経験もあったのでしょう。若干の人間に対する不信感があったのではないかと思います。この「らえる触り」を繰り返すうちに距離が縮まり、コツはありますが、今ではもう少し強めに触っても逃げなくなりました。

それ以外に、三毛猫(もちろんメス)の「とまと」。ある程度、どのような触り方でも喜ぶのですが、手のひらを押し当てるようにして、ゆっくり震わせるようにすると、落ち着いて寝転がります。これが「とまと触り」。

ある農場に、乳離れするかしないかのうちに捨てられていた「とまと」。カラスに襲われていたところを、その農場主に保護されました。もしかしたら、もっと恐ろしい体験もしていたかもしれません。きっと、大きな面積で触れられることで安心感があったのでしょう。

もちろんこれらは、様々な試行錯誤、猫の反応を見ながら接しているうちに見つけた方法です。少しずつ猫の気持ちと距離を測りながら。(精神保健福祉士)

高校生ボランティアが元気を発信 土浦駅前・県南生涯学習センター

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企画担当をした杉浦彰子さん(左)と生天目咲弥さん=県南生涯学習センター

【伊藤悦子】日ごろ高校生ボランティアに、学習と活動の場を提供している茨城県県南生涯学習センター(土浦市大和町)が、withコロナの時代に新基軸を打ち出した。まずはビデオ会議ツールを利用した「ヤングボランティアオンラインセミナー」を開催したところ、従来のボランティア講座を大幅に上回る参加者を集め、弾みをつけて次なる発信に歩を進めている。

同セミナーは8月30日、オンライン開催した。新型コロナの影響から、問い合わせがあっても高校生にボランティア活動の場を提供できない状態で同センターは対応に苦慮。2012年から行ってきた高校生向けに行ってきたボランティア講座の開催も困難になっていた。

今回は、講師に『旅キャリ』代表武田直樹さん、ゲストスピーカーにタイ在住の森本薫子さん、筑波大学学生グループ盆LIVE実行委員会を招いた。オンラインにすることで、タイに住むゲストスピーカーとも中継を繋ぐことができた。参加した高校生は73人。昨年度対面で行った講座の32人を倍以上上回った。企画を担当した同センターの杉浦彰子さんによれば、「オンラインにしたことで守谷市などからも参加があった」そうだ。

講座に参加した生徒たちからは「オンラインセミナーは初めての経験でとても貴重な時間を過ごせた」「興味深い話がたくさん聞けたので、また機会があったら参加したい。ボランティア活動にも参加してみようと思う」などの感想が寄せられているという。

高校生が作るマスクケース介しQ&A

「オンライン講座に参加して話を聞いて面白かっただけでなく、こんなときだからこそできるボランティア活動をしてもらいたい」と杉浦さんは次の手を打つ。「土浦駅から元気発信プロジェクト」の企画だ。

オンライン講座に参加した生徒が、自宅でクリアファイルを使ったマスクケースを1人7、8個ずつ、合計400個を作成する。マスクケースには高校生からのメッセージとQRコードが付いており、読み取ると同センターのサイト、夢を語る高校生と応援する大人の非対面の対話の場「夢追(ゆめつい)Yume-tui」につながるようになっている。

高校生のメッセージとQRコードが付いたマスクケース

サイトには、「高校生から大人への質問」が匿名で掲載されており、読んだ大人も匿名で回答することができる。同センターが大人からの回答をサイトに掲載することで、高校生が読むことができる。直接は会わなくても「高校生は大人に質問をする、大人は質問に答えることができる」という仕組み。

杉浦さんは「会えなくても土浦駅前から元気を発信したい、こういうときでも夢を語り合っていける環境を作りたいと考えた。高校生が自分にロールモデルになりそうな大人を見つける機会にしたい」と意気込む。

マスクケースは駅ビル「プレイアトレ土浦」(同市有明町)3階、ステーションロビーのカフェ「SLOW JET COFFEE Cookie(スロージェットコーヒークッキー)」に9月18日から設置する。「レストランなので、マスクケースがあると便利だと思う。目にしたらぜひ手に取ってQRコードも読み取って欲しい。高校生のメッセージを読んで元気になってもらえたら」と語っている。

経済効果5億円突破 2019年度県内ロケ 作品数は減少

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NHK連続テレビ小説「エール」で東京帝国音楽学校の校舎となった土浦一高旧本館㊧とバラエティー番組などの撮影に使われた旧筑波東中学校

【山崎実】茨城県フィルムコミッション推進室(FC)は、2019年度の県内ロケ支援実績をまとめた。作品数、撮影日数は前年度より減少したが、経済波及効果は増加して5億円を突破した。

19年度のロケ支援作品数は515件(18年度は606件)で、ロケ延べ日数は1253日(同1318日)、経済波及効果の推計額は5億1000万円(同4億5000万円)だった。

映画やドラマの主なロケ支援作品は▽NHK連続テレビ小説「エール」(ロケ地は土浦市や水戸市など)▽同大河ドラマ「麒麟がくる」(常陸大宮市、県北)▽同ドラマ「少年寅次郎」(常陸大宮市)など。

ほかに、▽7月に亡くなった三浦春馬さんが主演のフジテレビ系ドラマ「TWO WEEKS」(土浦市)▽テレビ朝日の「仮面ライダー ゼロワン」(水戸市)▽北川景子さんなどが出演した映画「スマホを落としただけなのに」(県央)▽佐藤健さん主演の映画「ひとよ」(大洗町、神栖市)▽アニメを実写映画化した「映像研には手を出すな!」(笠間市、水戸市、美浦村)ーなどがあり、延べ約1万6000人の県民がボランティアエキストラとして映画やドラマ246作品に参加した。

旧筑波東中が5位

利用頻度の高いロケ地のベスト10は、①筑波海軍航空隊記念館/県立こころの医療センター敷地(笠間市)②採石場(常陸大宮市)③袋田の滝(大子町)④旧筑波東中学校(つくば市)⑤猿島環境センター(境町)⑥茨城空港(小美玉市)⑦大洗海岸(大洗町)⑧自然散策の森(つくばみらい市)⑨水戸赤十字病院(水戸市)⑩茨城県庁・議会棟(同)の順。

県FC推進室が2002年に設置されて以来、17年間の支援作品は累計7023件となり、ロケ支援推計7000作品を上回った。経済波及効果の推計額も累計で約83億2000万円に上っている。

すでにFCが設立されているのは34市町村。現在、設立を検討しているのは、下妻、坂東、かすみがうら、那珂市と茨城町の5市町という。

【つくば/都市と文化】1 建築博物都市・つくば

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「つくば建築フォトファイル」つくば建築研究会で取り扱い

【鴨志田隆之】つくば市、少し限定して筑波研究学園都市内には、すでに改築、解体され現存していない建物も含めて、実に多種多様で大量の公共建築が林立する。磯崎新設計によるつくばセンタービルをはじめ、つくばカピオ(谷口吉生設計)、つくば国際会議場(坂倉建築研究所)、つくば文化アルス(石本建築事務所)、松見公園展望塔・レストハウス(菊竹清訓設計)、筑波新都市記念館・洞峰公園体育館(大高正人設計)など。

研究学園都市の開発を主に手掛けたのは、現在のUR都市機構(都市再生機構、日本住宅公団~住宅・都市整備公団が前身)と国土交通省(建設省)の出先機関、筑波大学(施設部)などだった。個々の建築物は都市の森の中に埋もれて久しいが、公団では自ら担当した建物だけでなく、建設省や各研究機関の建築についてもデータベースを残している。この資料は90年代後半の建築記録で内部資料としてまとめられたが、後にNPOが立ち上げられ、つくば建築研究会として「つくば建築フォトファイル」が2005年に出版された。つくばエクスプレス(TX)開業に合わせて、つくばの建築と街のガイドブックとしてまとめられており、現在でも入手可能だ。

106の建築物を掲載、800点のカラー写真や図版、300ページを超えるボリュームは、手軽に持ち歩くにはいささか重さを感じるが、公共、研究、住宅などのジャンルごとに紹介される建物それぞれが、これほど個性を放っていたのかと再認識させられる。

同書を編集したつくば建築研究会の若柳綾子理事に聞くと、「私の夫(若柳幹郎さん)が生前、前身のデータベースづくりを公団から依頼された。当初は内部資料でしたが、後の時代に向けて一般市民にも販売できるものとして考えられていたようです。若柳建築事務所とともにこの仕事を私とNPOが引き継ぎ、作り上げたものです。建築探訪ツアーなども展開してきました」と経緯を話してくれた。

いま、この書籍を紹介する理由は、膨大な建築作品集とともに収録されている土肥博至さん(住宅公団出身、筑波大学教授を経て神戸芸術工科大学で学長を務めた)と故・大高正人さん(大高建築設計事務所を率い各地の建築設計のほか、全国のニュータウン開発に参画)の対談にある。2人とも、建築家、都市計画家として研究学園都市のデザインに関わり、建築も残した人物だ。

対談の時点で都市は概成(1979年度、43 の教育・試験研究機関等の移転完了をもって学園都市建設は概ね完了した)しており、つくば市合併を経て、まちづくりはTX開業と沿線開発による市街地形成という新しい局面に移っていた。「もはやどこがどうだかわからなくなった」「まちは変わるもの。変われなければ沈滞する」と対話している。

彼らの展望通り、研究学園都市は変貌を続けている。しかし変化の仕方に魅力があるかどうかは、住まい、訪れる人々それぞれの受け止める印象で異なるだろう。コロナ禍によって外出も思うようにならない日々、この建築フォトファイルを再読すると、つくばの街と樹々に埋もれた106件もの建築(掲載点数)をあらためて俯瞰(ふかん)することができる。(続く、全5回シリーズ、不定期掲載)

「つくば建築フォトファイル」(変形B5判、370ページ、本体価格2381円+税)つくば建築研究会で取り扱い中(通信販売のみ、電話029-886-8039)http://tsukuba-arch.org/?page_id=12