火曜日, 12月 30, 2025
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65歳になって考えていること《ハチドリ暮らし》29

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家の庭のミカンが青々としています

【コラム・山口京子】一生に1年だけの65歳…。それぞれの年齢が1年の期間なのは当たり前ですが、この1年でしっかり考えるべきことは何なのかが気になっています。無事にここまで生きることができたという安堵(あんど)の思いと、自分が65歳になったことの不思議な感覚…。ここにきて、人生の主なイベントは峠を越えたのでしょう。

30年前の自分が思っていたこと。一つ、2人の子どもをちゃんと育てて、できれば大学まで行かせたい。二つ、家を買うことで生じた住宅ローンは、なるべく繰上げ返済をして定年まで持ち越さない。三つ、夫が定年まで勤めあげてくれれば、老後は年金でどうにかなるだろう。

思っていたことでかなったこと、かなわなかったこと。

一つ目、子どもをちゃんと育てるというのはどういうことなのかを自問すると、自分がイメージする「ちゃんと」を、子どもに一方的に押し付けてきたのではないか。子どもの気持ちや考えを察するとか聞きとるという配慮ができていませんでした。

また、大学に行かせたいのは、それが当たり前の風潮になっていたこと。また、子ども自身が大学を希望したこと。上の子は大学で学びたいというよりは、高校3年生の段階で具体的に働くという選択ができなかったこともあるでしょう。ちょうど就職氷河期にあたっていて、担任の先生は進学より就職の方が難しいと言っていたのを覚えています。下の子は語学が学びたいから大学に行きたいと意思を表示していました。

70歳までのローンで返せますか?

二つ目、わが家が組んだ住宅ローンの完済時期は夫が70歳。年金生活になって、月に10万円以上のローンの返済は現実的ではありません。当時、銀行の方に「70歳までのローンで返せますか、大丈夫ですか」と聞いたとき、担当者は「みなさん、そういうローンを組んでいますよ」という返答。

そのときはうなずいてしまいましたが、数年してから怖くなり、繰上げ返済をするようになりました。夫が50歳ごろにローンが終わったときは、本当にほっとしました。

三つ目、定年まで勤めると思っていましたが、早期退職勧奨に手をあげて退職し、厳しい再就職の経験をしました。現役時代の収入に応じた保険料の支払い額は、年金の額にも影響します。年金制度の仕組みや改正で、年金の額は実質減少傾向にあります。65歳以上で働く人は900万人を超えたそうです。  

これからの社会がどうなるかは不確実ですが、自分が願う暮らし方や働き方ができますように。(消費生活アドバイザー)

地震時の断層の滑りを再現 世界最大規模の試験機を開発 防災研

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世界最大規模の巨大岩石摩擦試験機。中央の黒い直方形がはんれい岩の岩石で、上の岩石と下の岩石をすり合わせて断層の滑りを再現する=つくば市天王台、防災科学技術研究所 大型耐震実験施設内

発生のメカニズム解明へ

巨大な岩石同士をすり合わせて地震時の断層の滑りを再現する世界最大規模の試験装置を防災科学技術研究所(つくば市天王台)が開発し、12日、報道関係者を対象に公開実験を実施した。「巨大岩石摩擦試験機」で、地震発生のメカニズムや、地震が連鎖的に起こる仕組みの解明を目指す。

同研究所地震津波防災研究部門の山下太主任研究員らが開発した。今年3月に装置が完成し、8月から実験を開始した。設計・開発・設置費は約4億円。

試験機は幅13.4メートル、奥行4メートル、高さ5.9メートル、総重量200トン。装置の中央に、直方体の岩石を上下に2体並べ、加重をかけ、すり合わせて、石の伸び縮みや揺れなどのデータを測定する。すり合わせる岩石は長さ7.5メートル、幅0.5メートル、高さ0.75メートルと、長さ6メートル、幅0.5メートル、高さ0.75メートルで、2体の岩石がすれ合う断層面積が世界最大規模になる。最大で1200トンの加重をかけ、毎秒0.01ミリから1ミリの速さで、最大1メートル滑らせることができる。

身の回りで実際に起きているマグニチュード・マイナス1.4規模の地震を実際に起こすのと同じ規模の実験になる。地震として観測可能な最少規模の地震より少し大きな地震という。実験に使用する岩石は現在、粒が小さく硬く壊れにくい、はんれい岩を使っている。

実験の説明をする山下太主任研究員

地震は、断層が滑る際に揺れ(地震波)が起こり発生する。断層の滑り方は岩石の摩擦の性質に左右されることから、地震のメカニズムの解明を目指し、これまでも岩石同士をすり合わせて摩擦の性質を探る研究が世界中で重ねられてきた。

当初は、手のひらサイズの岩石を使って実験室で摩擦の性質を調べる実験が行われてきたが、近年の研究で、実験に使う岩石の大きさによって摩擦の性質が変わることが分かり、自然に近い大きさの岩石での実験が求められているという。

南海トラフ「半割れ」再現も

今後は、岩石と岩石がすり合う断層面に発生する石の粉などの摩耗物を取り除いて断層面が比較的均質な状態で実験したり、石の粉を残したまま断層面が不均質な状態で実験するなどし、断層面の均質性が地震の前の段階にどのように作用しているかなども実験で確かめたい考えだ。

さらに南海トラフのような広大な断層では、断層の一部が滑って地震が発生した後、時間をおいて残りの断層が滑る「半割れ」と呼ばれる連鎖的な地震が発生してきた。半割れは現在国が、南海トラフで想定しているケースの一つでもある。これまでの試験装置では使用する岩石が小さかったため、断層全体が一度に滑ってしまう地震しか再現できなかった。今回開発された装置を使い、半割れのような複雑な地震の発生を実験で再現することも求められている。

同研究所は2011年から大型岩石摩擦実験に取り組み、これまで長さ1.5メートルの岩石で実験してきた、今回開発した大型試験機はそれに次ぐ規模となる。

12日は同研究所内の大型耐震実験施設内に組み立てられた巨大岩石摩擦試験機を動かし、上段のはんれい岩に上から30トンの荷重をかけて、さらに下段のはんれい岩を横に毎秒0.01ミリの速さで1センチ動かす実験を実施した。山下主任研究員は「地震を再現して地震発生のメカニズムを再現し、地震発生予測につなげたい」と話す。(鈴木宏子)

海のものと山の人《続・平熱日記》141

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写真は筆者

【コラム・斉藤裕之】夏のバカンスイン山口。楽しみの一つは弟の舟で釣りに出かけること。狙いはアジとメバル、カワハギなどの瀬戸内の小魚。ところが港を出てしばらくすると、ナブラ(イワシなどの小魚が大きな魚に追われてできる)が湧いているのを発見。餌のイワシを追って海面をバシャバシャ泳いでいるのは、この辺りでヤズと呼ばれているブリの子供。急いで疑似餌を投げてみるが、うまくヒットしない。

どうやらヤズが回遊してきたという情報が回ったとみえて、次に舟を出したときにはヤズ狙いの釣り舟は随分と増えていた。遠目に立派なヤズを釣り上げている姿も見かけるようになった。我々もナブラにキャストを繰り返してはみたものの、ヤズの気を引くことはできず、本来の餌釣りに専念することにした。

結果、刺身と煮つけにちょうどいいサイズのアジとアラカブが釣れた。その日の夕方、近くの果樹園で働く義妹のユキちゃんが帰宅。「これもらったの」と、なんと大きなヤズを抱えているではないか。ご友人が日本海で釣ってきたものだそうだ。こういう状況を言い表す、うまいことわざなり故事成語なりがありそうな…。

とにかく、願ってもない御馳走(ごちそう)には違いないが、初老の我々3人にはちょっと持て余す大きさで、メインディッシュの予定だったアジは塩をされて干物に回された。

ユキちゃんと休日に市街へ出かけた

ユキちゃんは不安定な暮らしをしていた弟を支えて、2人の娘を立派に育てた。今は午前中に地元の加工場でパンを焼いて、午後は果樹園で働く。毎朝みそ汁と魚を焼いてくれて、弟の弁当と私の昼のおにぎりも用意してくれる。夕飯もちゃちゃっと作る。その間に、薪(まき)で風呂も焚(た)く。いつも少し駆け足気味にスタスタと歩き、とにかくよく動く。

そのユキちゃんと休みの日に市街へ出かけた。目的の一つは昔からあるラーメン屋さん。この店に初めて訪れたのは小学生の頃。隣のみっちゃんと映画を見た後、「ライスちゅうメニューが50円であるんよ」と誘われて入った。多分相当貧乏に見えたのか、意気揚々と「ライス」を2つ注文した子供に、ご主人はおかずをつけてくれた。

当時すでに評判だったこの店は、今も行列ができるほど繁盛していた。コショウを一振り。数十年ぶりに食べるラーメン(中華そば?)は記憶の通りの味だった。ユキちゃんに「高校の食堂のラーメンを思い出したよ」と、私。実はユキちゃんは同じ高校の1年先輩。

アジを狙ってヒラメが食いついた

山口で過ごす最後の日。クマゼミの鳴き声で覆われた粭島(すくもじま)の港を出航。小アジの群れにぶつかって辟易(へきえき)していたら、何と、弟の竿(さお)に引っ掛かった小アジを狙って大きなヒラメが食いついた。というわけで、最後の晩餐は豪華ヒラメの刺身。夕方帰宅したユキちゃんは手際よくさばいて、その手には大きなヒラメの頭と骨が。

「これは山の人にあげよう」と言って、裏の捨て場に放り投げた。「何の動物(彼女が山の人と呼ぶ)か知らんけど、次の日にはきれいに無くなるんよ」

バカンスって、もしかしてベイカント(からっぽ)のこと? 夕方、パク(犬)と散歩していているときに、頭の中で言葉が結びついた。あ、くずの花が咲いている。勢いのある緑色だった田んぼも、いつの間にか秋色に変わりつつあった。(画家)

現役教師にエール 元高校教員が授業づくりの「勘ドコロ」出版

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著書を紹介する片岡英明さん=つくば市内の自宅

つくば市在住の元高校教師で、NEWSつくばコラムニストの片岡英明さん(72)が、現役教師のために授業や学級活動のヒントをまとめた電子書籍「若手教師の勘ドコロー基礎力を磨く授業づくり・HR(ホームルーム)づくり、教えます」(22世紀アート、税込1000円)をこのほど出版した。

片岡さんが1982年から2021年までに書きためた教育に関する論文やアイデアを収録している。学校現場で使える指導の実践例を多数挙げ、解説している。片岡さんは「悩みは宝。悩んだことや失敗に全ての問題を解決するためのヒントがある」と若手教師に向けてエールを送る。

絶版となった前著「若い教師のための授業・HRづくり」(2016年、三友社出版)に、17年から21年発表の論文6本を加え、新たに電子書籍化した。長年の高校教師の経験から得た、生徒との関係をつくる対話法や授業のコツなど、明文化されにくい教師の仕事の要所、いわゆる「勘ドコロ」をまとめている。

2010年当時、教室で英語を教える片岡さん=霞ケ浦高校

片岡さんは茨城大学大学院農学研究科を修了後、私立霞ケ浦高校(阿見町)で英語教師として39年勤め、2016年に退職した。生徒との対話を中心にした指導を重視する。生徒とのかかわり方は「渚(なぎさ)を歩くイメージ」。押しつけや説得ではなく、遠くから生徒を冷静に見る、中に入り波を起こす、というスタイルだ。

「上から見下ろす評論家教師ではなく、子どもが遊んでいる水に入ってかき回してしまう教師でもない。時に大きな波をかぶることもある」と笑う片岡さん。「それでも生徒との対話が教師の根本的なエネルギーになる。意見を押し付けるのではなく、『まいったなあ』『すごいな』といったゆるい言葉の研究が大切」と話す。同書にはゆるい言葉を使った生徒との対話例も掲載した。

英語の教科指導においては、短くやさしい言葉で文法を解説する「ひとくち英文法」を考案し、その試みについても同書に再録した。「自分が英語を勉強し始めた時、なぜ“do”が“does”になるのだろうと悩んで分からなかったことから、生徒に文法を分かりやすく伝えるためにはどうすればよいかを突き詰めて考えた」という。

教員を取り巻く現状を憂える。なり手が減少していることについては、学校側が指導に自信と責任を持つことが必要と語る。「人間が人間を教えているのだから指導には失敗があって当たり前。失敗があっても長い目で見て、良い方に指導しようとしていることは分かってくれと、学校側が自信を持てば、教育にチャレンジしてみようという若者が増えるのでは」。これから教員を志す学生や、現役の教員への応援メッセージとして同書を届けたい思いがある。(田中めぐみ)

◆「若手教師の勘ドコロ─基礎力を磨く授業づくり・HRづくり、教えます」(22世紀アート)は476ページ、税込み1000円。電子書籍販売サービスAmazon Kindle(アマゾンキンドル)で8月30日から発売。

東海第2原発、避難できるか?《邑から日本を見る》143

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那珂市で講演する桜井勝延元南相馬市長(中央奥)

【コラム・先﨑千尋】漁業関係者との文書での約束を一方的に破り、多くの漁民が反対している中で、先月24日に始まった東京電力福島第1原発の汚染水海洋放出。これに対して中国が日本産水産物の輸入を全面的に停止した。野村哲郎農水大臣はこの事態を想定外と発言、さらにアルプス処理水を汚染水と記者団に言ったため、政府は打ち消すのに躍起になった。この問題が今後どうなるかは現時点では分からないが、岸田文雄首相には頭の痛いことだけは確かだ。

こうした中、先月27日、那珂市の「ふれあいセンターごだい」で、「東海村にある日本原電東海第2発電所で事故が起きたら避難できるのか」をテーマとした講演会(同実行委員会主催)が開かれた。主催者の話では170人を超える入場者がいたというから、同原発に対して周辺住民の関心が高いことが分かる。

講演会では、福島県元南相馬市長の桜井勝延さんと美浦村長の中島栄さんが講演した。桜井さんの住む南相馬市は一部が避難区域に指定された。

桜井さんは当時の状況を「避難区域になることを最初に知ったのはテレビ。国、県からは何の連絡もなかった。食料やガソリンなどの生活物資が入らなくなった。市内は原発から20キロの線で分断され、住民の間に亀裂が入った。強制的に避難させられた区域の惨状は口では言い表せない。原発さえなければ、と今でも考える」と怒りを込めながら語り、「東海第2の最良の避難計画は原発の再稼働を止めること。そうすれば避難計画を作らなくていいから」と結んだ。

「美浦村は原発の再稼働に反対だ」

美浦村は、東海第2原発が事故を起こせば、ひたちなか市から2007人(当初は3000人以上)の避難民を受け入れることになっている(県の計画)。しかし、本当にそれだけの人が避難できるのか。中島さんは、それは無理だと言う。

その理由を「ひたちなか市から美浦村までの間に那珂川、恋瀬川、桜川などがあり、避難者がわれ先にと移動すれば、スムーズな避難はできない。避難できたとしても、入院患者、透析患者、要介護者など支援が必要な人にどう対応するか。犬猫などのペットを飼っている人もいる。それらの人たちがどれくらいいるのかを知らされなければ対応できないので、まだ何も決まっていない」などと説明し、「福島の事例でも分かるように、10年以上経っても避難生活を続けている人がかなりの人数になる。住民の負担を減らし、安全な生活を守るために、避難しなくともよい方法を考えるべきだ」と提言した。

中島さんは最後に「美浦村は原発の再稼働に反対だ。原発に頼らなくてすむように、2015年に霞ケ浦湖畔に太陽光発電所を立て、現在は年間で1億円以上の収入を得ている。人間が作った技術で制御できないものは人間社会に不必要であり、地球上につくるべきではない」と結んだ。

那珂市での集会前日には、水戸市で東海第2原発の再稼働を止める大集会が開かれ、県内や首都圏から約600人が参加し、水戸市内をデモ行進した。(元瓜連町長)

移住しつくばの自然から着想 佐々木あかねさん抽象画展

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作品と佐々木あかねさん。小作品からF50までの大きさの作品が展示されている=つくば市民ギャラリー

市民ギャラリーで開幕

つくば市在住の画家、佐々木あかねさん(32)の作品108点を一堂に展示した抽象画の個展「Color of motion(カラー・オブ・モーション)」が10日、つくば市民ギャラリー(同市吾妻)で始まった。関東で個展を開くのは初めてとなる。18日まで。

佐々木さんは北海道生まれ、青森県育ち。絵を習い始めたのは小学生の頃からで、小学校高学年の時に岡本太郎の作品を見て衝撃を受け、以来、抽象画を描き始めたという。北海道教育大学の芸術課程美術コースを卒業後、都内のアートスクールで絵画講師として指導しながら制作を続けてきた。

作品は、アクリル絵の具や水彩絵の具を紙やキャンバスに飛び散らせたり垂らしたりする「アクション・ペインティング」という技法で描かれたもの。アメリカの画家、ジャクソン・ポロックの影響を受け、2020年頃からこの技法で描くようになった。偶然生まれた形やにじみ、色の重なりなどにある意図しない規則性や美しさを制作のテーマとしている。

今年、つくば市に移住してきた。「つくばでの生活を始めて早8カ月、すでにこの土地に魅了されています」と佐々木さん。つくばの豊かな自然に影響を受け、新作36点を作り上げた。植物の形や空の移り変わりなどから着想を得ているという。

「誰でも匂いや温度など言い表せない記憶を持っている。作品を見た人にそういった記憶を思い出して感じてもらいたい」と話す。アートスクールの講師だったことから、つくばでも子どものための絵画教室を開きたいという夢がある。「つくばの自然豊かな環境で今後ものびのびと制作し、発信し交流していきたい」と語る。

◆佐々木さんの個展「Akane Sasaki Solo Exhibition『Color of motion』」は18日(月)まで、つくば市吾妻2-7-5、中央公園レストハウス内、つくば市民ギャラリーで開催。開館時間は午前10時~午後4時半(最終日は午後1時まで)。入場無料。会期中は佐々木さんが在廊する。展示作品は購入が可能。佐々木さんのホームページはこちら

筑波技術大の多田伊吹さん 2025デフリンピックのエンブレムを制作

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イベントでデザインを手に持つ筑波技術大学の多田伊吹さん=東京都パラスポーツトレーニングセンター(筑波技術大学提供)

ろう者のためのオリンピック、デフリンピックが2025年に東京で初めて開催される。大会のエンブレムに、筑波技術大学の学生、多田伊吹さん考案のデザインが採用されることが決まった。大会エンブレムは、大会の気運醸成に活用するほか、大会時の盛り上げにも使用する予定だという。

採用された東京2025デフリンピックのエンブレム(同)

採用が決定したエンブレムは手と花がモチーフ。聴覚障害者のコミュニケーションが手話で行われることから、多田さんはデザインを考え始めてすぐに手の形を思いついた。手を桜の花弁に見立てて、人々の繋がりの「輪」を表現し、コミュニティが「輪」のように繋がった先で新たな花が咲いてほしいという、未来への希望の思いを込めた。エンブレムにはデフリンピックの公式ロゴマークと同じ赤色、青色、黄色、緑色を用いており、この色はアジア太平洋、ヨーロッパ、全アメリカ、アフリカと4つの地域の連合を表現しているという。

エンブレムは、同大の学生が考案した案の中から投票で選ばれた。今月3日に東京都パラスポーツトレーニングセンター(調布市)で開催されたイベント「2025 年デフリンピック 大会エンブレムをえらぼう!」で3案が示され、中高生らが投票し、決定した。投票したのは都内に在住、在学の中高生65人。同大の学生からそれぞれのデザインの説明を聞き、参加者同士の意見交換を経て投票を行った。全日本ろうあ連盟理事長の石野富志三郎さんは「選手もこのエンブレムを見て、競技を頑張ろうという気持ちが湧き出てくるのではないかと非常に期待している」と述べた。同イベントには、21年のデフリンピックブラジル大会に出場した中野洸介選手(陸上競技・マラソン)と岩渕亜依選手(デフサッカー)も参加し、デフスポーツの魅力や2025 年のデフリンピックへの思いなどを語った。

投票イベントの参加者らからは「一筆書きができるところが素晴らしい」「手の指下のところが繋がりを表しているのが良い」「親指のところが花になっておりユニーク」「一目で手であることがわかり、幼稚園生など小さい子でも描きやすそうなデザイン」などと評価され、採用が決定した。

エンブレム制作は、全日本ろうあ連盟がきこえない人を制作の主役にしようと、筑波技術大学の学生に協力をあおぎ、同大学の総合デザイン学部に所属する1年生から4年生15人が今年5月から制作を開始した。完成した中から校内選考で5案を選んで、同連盟に提出。同連盟が制作要件に基づいた審査や商標など知的財産の事前調査を行い、さらに3案に絞り込んだという。

多田さんは、手の輪や花びらの形、色の配置など、細かい点の調整や修正等も含めて、完成まで約2週間かかったと話す。「(手の形を)どう表現するか、悩みに悩んで、やっとひらめいて作ったので、それを皆さんに選んでいただけたことがうれしい」と喜びを語る。

卒業後は都内の旅行会社に就職する予定。「旅行会社が大切にしていることは、人と人のつながり。私もエンブレムデザインに込めた思いと同様に、学んできたデザインの知恵を活かし、旅行を通して、お客様に喜びや感動などを贈りたい。2年後にデフリンピックが開催されるので、共に働く方やお客様に少しずつデフリンピックの話題を広めていくよう、自ら繋がりを深めていきたい」と夢を語る。

デフリンピックは、ろう者による国際スポーツ大会で、1924年にフランスのパリで第1回大会が始まって以来、4年に一度、夏季と冬季大会が開催されている。2025年は100周年の記念となる25回目の大会で、初の東京開催。会期は11月15日(土)から26日(水)まで。世界70~80カ国・地域から、約3000人の選手が出場する予定。(田中めぐみ)

首都圏のマンション住民 筑波山麓で稲刈り体験

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参加者に稲の刈り方を説明するメンバー=つくば市神郡

筑波山麓グリーンツーリズム推進協議会(つくば市北条)と野村不動産(東京都新宿区)が主催する里山交流イベント「かやぶきの里プロジェクト」が9日、つくば市神郡で開催され、同社が分譲する首都圏のマンション住民が筑波山麓で稲刈りを体験した。

過疎化と高齢化が進む農村と、故郷を持たない都会の子供たちをつなぎ、都市と農村の持続可能な関係を築くことが狙い。2012年から始まり、コロナ禍により3年ぶりの開催となった。

前日の台風13号による大雨で開催が心配されたが、東京、神奈川、千葉、埼玉から家族連れ46人が参加した。同社がマンション住民を対象にはがきで参加者を募った。費用は同社が負担し、マンション住民は無料で体験できる。参加者には後日、2キロの精米が届けられる。5月には50人が参加してすでに田植えを体験している。地元からは、同協議会やNPOつくば環境フォーラムのメンバーら13人が対応にあたった。

会場の「すそみの田んぼ(野村不動産エコ田んぼ)」は、同環境フォーラムが、生き物と共存するコメ作りをしている。当日つくば駅に集合しバスで現地へ。到着後、近くの林に移動し、まず収穫したコメを天日乾燥させる「おだがけ」で使うクヌギの木を伐採し、参加者が枝や葉を取り払った。さらに加工した木材を田んぼまで運び、稲が干せるように組み立てる。準備が出来たら、田んぼで稲刈りを体験。30分ほど作業をし、自然の中で家族ごとに食事をした。午後は、田んぼの生き物探しや虫取り、沢遊び、里山散策などを行った。虫取りは子供たちには稲刈りよりも人気があった。同協議会は、地元の農産物や菓子、ジュース、コーヒーなどを販売し、参加者と交流を図った。

沢遊びや虫取りを体験する参加者

東京都港区から参加した柳川剛教さん(37)は「子供たちに自然環境を体験させたいと申し込んだ。ここは素晴らしい環境に恵まれており、子供たちは稲刈りや昆虫観察を楽しんだ。かつて筑波大学に通っていたのでつくばは懐かしい地。今でも愛着がある。今後このような企画があれば是非また参加したい」と述べた。

同社によると、体験イベントは分譲マンションの住民を招待するという顧客サービスであると共に、企業の社会貢献でもあるという。一方、同協議会は、都会の人に農村の魅力を知ってもらい、将来、定住や就農につながればと期待を持っている。農村に憧れる都市住民は一定数おり、うまくマッチングできればビジネスチャンスになり得ると関係者は話し合った。

同協議会事務局の安藤彗さん(40)は「当初は100人集めようと計画したが、コロナ明けということもって慎重に進めたいという双方の意見で50人ということになった。グリーンツーリズムが目指すものは都市と農村の交流の促進であり、最終的には都会の人が農村部の価値観に気づき、担い手不足に陥っている農業などに目を向けてくれればありがたい」と語る。

土浦花火弁当 お披露目

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今年販売予定の色どり華やかな土浦花火弁当をお披露目する飲食店関係者ら

11月4日開催の「第92回土浦全国花火競技大会」で販売される土浦花火弁当がこのほどお披露目された。地元の飲食店が土浦の食材を使って作った料理を、花火の打ち上げ筒に見立てた3段重ねの容器に詰めた花火大会限定の弁当だ。昨年は飲食の制限があり300個ほどしか販売できなかったが、今年はコロナ禍前と同じ3000個の販売を目指す。

三段重ねの土浦花火弁当。写真は「喜作」の花火弁当で、土浦のレンコン料理のほか、フグとアンコウの唐揚げ、フグの炊き込みご飯などを提供する

今年は日本料理店やレストランなど飲食店6店と1組合が提供する。販売するのは▽ふぐ・あんこうの「喜作」(同市神立中央)▽老舗料亭の「霞月楼」(中央)▽弁当・ケータリング・会食の「さくらガーデン」(宍塚)▽和食の「蓮の庭」(阿見町実穀)▽「寿司の旦兵衛」(大和町)▽つくだ煮とうなぎの「小松屋」(大和町)▽土浦飲食店組合。

土浦のレンコンや霞ケ浦のシラウオなどの地元食材や、常陸牛、アンコウなど茨城の食材をふんだんに使った炊き込みご飯、天ぷら、ローストビーフ、煮物などを提供する。花火大会は肌寒くなる季節に開催されることから、釜めしは観覧席で容器に付いたひもを引っ張ると加熱され熱々の状態で味わうことができるなど心づくしのメニューを用意する。

ずわい蟹、えぼ鯛など豪華な食材を使った「霞月楼」の釜めし。容器に付いているひもを引っ張ると加熱され、熱々の状態で味わうことができる

土浦花火弁当は、飲食店などでつくる「土浦市食のまちづくり推進協議会」(堀越雄二会長が、土浦名物の花火弁当をつくって全国から訪れる見物客に味わってもらおうと2006年から販売を始めた。同弁当部会の嶋田玲子部会長は「食を通して土浦の良さをPRしていきたい」と意気込みを話す。市観光協会の中川喜久治会長は「土浦の食材を使って腕によりをかけて提供する。去年はコロナの制約があったが、今年は何とかコロナ禍前に戻って、土浦のお店の力を全国に発信したい」と話す。

弁当の価格は物価高の影響で昨年より若干高くなり、2000円台から4000円台になる見込みという。

「蓮の庭」の花火弁当。茨城の食材を食べてもらいたいと同店の大手町店や日本橋店でも宣伝したいと力を込める

◆花火弁当は事前予約が必要。花火大会当日、桟敷席近くで受け取ることができる。市観光協会のホームページ(HP)と各飲食店のHPで案内し、事前予約を受け付ける。詳しくは電話029-824-2810(市観光協会)へ。

美浦村の鹿島海軍航空隊跡地《日本一の湖のほとりにある街の話》15

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大山湖畔公園(イラストは筆者)

【コラム・若田部哲】うだるような日差し、頭上にはどこまでも高く澄んだ空と湧き上がる入道雲。「終戦の日も、こんな天気だったのだろうか」。8月半ば、そんなことを考えながら愛車のハンドルを握り、霞ケ浦の水面と稲穂が続く風景を横目に、取材先へと向かいました。

目的地は、この7月より「大山湖畔公園」として一般公開が始まった、美浦村の鹿島海軍航空隊跡地。今回は、同村企画財政課の大竹さんと、園の指定管理を受託している「プロジェクト茨城」の篠田さんに、お話を伺いました。

鹿島海軍航空隊は1938年に発足し、阿見町の予科練とともに第2次世界大戦時の重要拠点としての役割を果たした場所です。終戦後、跡地の一部は東京医科歯科大霞ケ浦分院として使用され、1997年に閉院。その後は草に覆われた状態となり、フィルムコミッションなどで多数利用されつつも、心霊スポットとして不法侵入が絶えない、荒れた状態となっていました。

村は長らく放置されていたこの場所を2016年に国から取得し、当初は敷地内に残存する旧軍事施設を取り壊し公園として整備する予定でした。公園として整備が進まない中、笠間市の筑波海軍航空隊の指定管理も手掛ける「プロジェクト茨城」から村への投げかけにより、保存による利活用の方向性が上がってきたそうです。

保存への舵(かじ)が切られたポイントとしては、この施設が一まとまりの戦争遺跡群として、国内でも最大級のものである点。現在、敷地内には「旧本部庁舎」「汽缶(ボイラー)場」「自力発電所」「自動車車庫」の4つの遺構が残っており、整備された順路に従い各施設を見学させて頂きました。

現在の平和に思いを馳せる拠点

各施設とも、朽ちつつも往時が偲(しの)ばれる造りが印象的です。天井が高く、各所に細かい装飾が施された本部庁舎。堅牢な構造により、外壁は剥がれ落ちつつも、どこか美しさを漂わせる、鉄骨トラス造の汽缶場や発電室。また、巨大なレンガのボイラーは、取材に先立ち画像を見ていたものの、実物は予想を超えた迫力あるたたずまいでした。

最も印象的だったのは、特別に上がらせていただいた本部棟屋上からの眺めです。広大な敷地は草に覆われ、各施設や既に基礎だけになった遺構がその中に点在する光景に、戦争への言いようのない虚無感を禁じえませんでした。

今後の活用については、2024年3月までに村の文化財に登録する予定であり、予科練記念館(阿見町)や筑波海軍航空隊などと広域の連携を図りつつ、遠方からの来客も、地元の方も活用できる方策を探っていきたいとのこと。

老朽化した戦争遺構を、その意義を踏まえ意匠性を維持しつつ、保存・活用することは様々な困難を生じることと思われますが、観光のみならず、現在の平和に思いを馳(は)せる拠点として、ぜひ多くの方にご覧頂きたいスポットです。(土浦市職員)

大山湖畔公園(鹿島海軍航空隊跡地)
▽公開日:土日のみ、午前9時~午後5時(最終入園は午後3時)
▽詳細は【公式】鹿島海軍航空隊跡(大山湖畔公園)をご確認ください。

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

つくばFCレディース伊東選手 デフサッカー世界選手権に挑戦

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手話で「ガンバ」のポーズをとる伊東選手(左)と五十嵐市長=つくば市役所

日本代表キャプテン

女子サッカーなでしこリーグ2部のつくばFCレディースで正ゴールキーパー(GK)を務め、セキショウグループのアドバンス・カーライフサービスに勤務する伊東美和選手(22)がこのほど、デフサッカー女子日本代表に主将として選出された。世界選手権出場を前に8日、五十嵐立青つくば市長を表敬訪問した。

出場するのは23日からマレーシア・クアラルンプールで開催される第4回ろう者サッカー(デフサッカー)世界選手権大会。聴覚障害者を対象とした競技で、選手同士はアイコンタクトや手話などでコミュニケーションをとる。今大会、女子は10カ国が参加。予選リーグで日本は米国、イングランド、ネパール、トルコと同じBグループに配された。

「出場するからには優勝が目標。日の丸を背負う責任と結果が求められる。応援してくれる方々に一番見ていただきたいのは、厳しい状況でも全員で必死に最後まで戦い続ける姿。一人でも多くの人に感動と勇気を与え、子どもたちに日本代表を目指してもらえるようなプレーがしたい」と伊東選手。

世界選手権は新型コロナの影響により延期され、開催は7年ぶり。今回、女子チームは11人制のところ8人しかメンバーが選出されておらず、人数のハンデを背負って戦うことになる。これはデフフットサルワールドカップ(11月10日~、ブラジル・ノヴァペトロポリス)と開催時期が近いことが原因。両方に出場する遠征費がねん出できず、一方に絞らざるを得ない選手が多かったという。

ルール上は最低7人いればゲームが成立するが、当然控え選手はおらず、ケガをしてもピッチから下がるわけにはいかない。「どうしても厳しい時間が長くなると思うが、キャプテンとして常にチームを鼓舞したり、一人一人に声掛けしたりして、チームが一番いい状態で戦えるよう準備していきたい」

栃木県出身。小3でサッカーを始め、中2からGKを務める。宇都宮文星女子高で3年次に全国高校選手権出場、卒業とともにつくばFCに入団。仕事ではDr.Driveアドバンスセルフ吾妻店に勤務し、カーメンテナンスなどに従事する。

つくばFCでは現在4年目。今季は背番号1を背負い、開幕から多くの試合で先発出場を果たしてきた。身長は157センチ。なでしこリーグ1部・2部を合わせ60人ほどのGKがいる中で、最も小柄なクラスに入るという。だが持ち前のキック力とビルドアップ能力で最後方からゲームを組み立てる。伊東選手の蹴るロングフィードがチャンスをつくり出すことも多い。

右耳は3歳のとき突発性難聴を患い、左耳も3年ほど前から聴力が落ち始め、半年前から補聴器を装着する。デフサッカーには昨年7月の代表候補選考会を機に挑戦を決めた。つくばFCの試合でも前座イベントとして、子ども向けのデフサッカー体験会を自ら主催するなどの取り組みもしている。

五十嵐市長は「障害者サッカーの体験会は市でも開催したことがあり、子どもたちの視点が変わって良い影響があると思う。機会があればスケジュールの許す限り参加したい」と話すとともに、大会での健闘を祈り、激励金を伊東さんに手渡した。(池田充雄)

筑波山で「ナラ枯れ」 中腹のコナラ、集団で枯死

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つくば市沼田側から望む筑波山。麓から中腹に赤茶けた部分が目立つ

筑波山でこの夏、まるで紅葉のように赤茶けた樹木が目立つようになり、麓から中腹にあるコナラなどが集団で枯れている。南側の宝篋山でも枯れた樹木を確認することが出来る。筑波山などで活動する市民団体「つくばネイチャークラブ」代表で環境カウンセラーの田中ひとみさんによると「ナラ枯れ」だという。

何本がナラ枯れで枯死したかは不明だ。赤茶けて見える箇所がすべてナラ枯れの被害を受けた樹木かどうかも現時点で分からない。一方、幹が太く、樹齢を重ねた樹木が被害を受けやすいとされており、枯死した樹木は早期に対策を取らないと、翌年以降さらに被害が広がるとされる。筑波山はこれから紅葉シーズンを迎えることから、景観や観光への影響を心配する声もある。

赤茶けて見える部分が広がる筑波山中腹

ナラ枯れは、ナラ類、シイ・カシ類などの樹木が集団で枯れてしまう病気で、全国的に大きな問題になっている。梅雨明け後の7月中旬から8月に発生するとされ、森林病害虫のカシノナガキクイムシ(通称:カシナガ)が引き起こす。カシナガが媒介する病原菌、ナラ菌の作用により、7~8月頃に急速に葉の色が赤褐色に変色し、枯死する。カシナガは、生きている木の幹に直径1.5~2.0ミリの丸い穴をあけて食い入る。その穴からは粉のように細かい木くずが排出され、幹の根元にたまる。1匹で数百個の卵を生むとされ、被害はあっという間に拡大する。

初確認は昨年 筑波山系

県内では2020年につくば市内で確認されたのが最初で、今年5月時点で県内44市町村中31市町村で確認されている。県林業技術センターによると、筑波山系では昨年、朝日トンネル付近で確認されたのが最初という。今年になって急速に筑波山や宝篋山まで広がったかどうかは不明だ。高温少雨の年は被害が多いともいわれる。

つくば市によると、筑波山麓の同市臼井、筑波ふれあいの里で今年、ナラ枯れが確認された。市は32本を伐採し、薬剤によるくん蒸処理を実施した。

葉がすべて茶色になった樹木=筑波ふれあいの里近く

筑波山は水郷筑波国定公園になっており、国有地や私有地などさまざま。市は市有地について、今後ナラ枯れを調査し、今後の対策を検討したいとする。

県林業課はホームページで、ナラ枯れの被害木を放置したり伐倒したままにすると、カシナガが増殖し分散して被害が拡大する恐れがあるため、伐倒後は焼却または薬剤によるくん蒸処理が必要だと呼び掛けている。さらにナラ枯れが発生した森林では、猛毒のキノコ、カエンタケが発生することがあり、誤って食べてしまうと死亡する危険や、触れるだけでも皮膚の炎症をおこすので注意が必要だとしている。

田中代表は「地球温暖化にも間接的な原因がある。冬に死ぬはずのカシナガが越冬してしまい繁殖してしまう。筑波山では標高の低い所で顕著であり、管理されずに放置され大きくなった老木に被害が進んでいる」と話す。(榎田智司)

◆ナラ枯れの過去記事は以下の通り
➡ナラ枯れの脅威! 被害対策奮戦記(上)《宍塚の里山》79(21年7月27日付
➡ナラ枯れの脅威! 被害対応奮戦記(下)《宍塚の里山》80(21年8月28日付
➡先月「ナラ枯れ」調査を行いました 《宍塚の里山》88(22年4月23日付
➡ナラ枯れ対策 子どもたちの活躍《宍塚の里山》97(23年1月28日付

デジタル社会今昔《遊民通信》72

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【コラム・田口哲郎】

前略

デジタルネイティブという言葉はずいぶん定着しました。生まれたときにはすでにIT革命が起こっており、インターネットやパソコンが当たり前にある環境で育った世代を指します。私はデジタルネイティブではありません。インターネットやパソコンが普及して、日常生活で使いはじめたのは、大学生のときです。

大学で課されるレポートはワープロソフトで作成し、プリントアウトして提出していました。インターネットがめずらしく、ネットサーフィンといういろいろなホームページを閲覧する遊びがはやっていて、テレホーダイを利用して何時間もつぶしていました。

いま思うと、なぜあんなに夢中になれたのか不思議です。電子メールにもいちいち感動して、新しいコミュニケーションツールを楽しんで使っていました。そう考えると、情報収集の方法も変わりました。昔はホームページや掲示板(BBS)などでしたが、いまは旧ツイッターなどSNSが主流です。

ITツールが生活を変えた

ふとインターネット、パソコン、携帯電話がなかった時代に思いをはせました。よく引き合いに出されるのは、待ち合わせ方法の変化です。携帯電話がないころは、待ち合わせ場所は細かく決めなければいけませんでした。たとえば、新宿駅東口改札出て、右に何番目の柱のところ、などと。いまはだいたいの場所を決めて、そこに着いたら電話なりメッセージ送信すれば会えます。

ITツールは便利なのですが、便利ゆえに使いこなし方が問われることになります。そうなると、より効率的にとかはやくとか、目的をすばやく的確にこなすことが求められるようになっている気がします。

自分をかえりみても、たとえば出かけるにしても、ただぶらぶらするのではなく、目的を設定して、順路を調べて、よりはやく、より安く移動しようとしてしまいます。こうなりますと、散歩好きを自称する身としてはよくありません。なにもITツールが悪いのではないのです。

要は使い方です。そして使い方を考えるとややこしいので、いっそ使わないことが大切なのかもしれません。このごろ、わけもなく、デジタル社会になる前の世の中にノスタルジーを感じます。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

ベテラン教員にも新たな気付き【不登校生徒の居場所 校内フリースクール】下

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つくば市の校内フリースクール「Sルーム」内の自分のペースで勉強できる学びのスペース。Sルームはパーティションで仕切られ、リラックスできる場と学びの場に分かれている(市教育局学び推進課提供)

伊東誠一さん(仮名、56歳)は、つくば市の公立中学校に今春設置された不登校生徒の居場所「校内フリースクール」の支援員を務める。県南地域の小中学校の教員として教壇に立ち、教頭も務めた。担当教科は理科。思うところがあって今春で学校教員を退いた。その後は放課後児童クラブの指導員になろうかと考えたが、周囲の勧めがあって校内フリースクールの支援員に就いた。

伊東さんが担当する生徒は5人で、このうち3人が常時通学している。登下校の時間や学習する内容、過ごし方は生徒たちの自由意志に任せている。校内フリースクールができたことで、それまで通所していた民間フリースクールを辞めてきた生徒もいるという。

着任し、子どもたちと過ごして分かったことがある。自分の意見をうまく言語化できない子どもたちだからこそ、その話に耳を傾けることの大切さだ。通常の教室では授業中に教員が学習事項を板書して生徒がそれをノートに書き写す。教員にとってはクラス全員が書き写すことは当たり前だが、書き写すことが苦手な子どもは「何が嫌なのか」を聞いてもらえず、級友からは怠けていると見られて学校が嫌いになることがある。「過去の私は子どもの意見をじっくり聞かず、自分主導で子どもたちに勉強を強制していた」と振り返る。

「待つ」ことの大切さにも気づいた。問題が解けない子どもがいたら、考えるヒントを示して答えを考えだすのをじっと待つ。自分は勉強ができないと思い込んでいる子どもほど、答えを見つけ出せたことで達成感を得て自己肯定感が高まる。同時に「考える力」をつけることになる。忍耐強く待てるようになった伊東さんだが、教えることが当たり前の教員にとって待つより教えたくなってしまう。ベテラン教員になるほど待つのは難しいのではないかと伊東さんはいう。

さらに、人と関わるのが苦手な子どもを孤立させないためにどうしたらいいかと考えたが、取り越し苦労だった。女子生徒2人が意気投合して楽しそうに過ごしている。分かり合える友だちがいて安心できる人間関係があれば、学校は楽しくなる。生きづらさを抱えている子どもたちにとって、校内フリースクールは育ちと学びの選択肢の一つとして必要と伊東さんは言い切る。

中学の教員だったころ、高校受験を控えた中3の2学期から不登校になった生徒の担任をしていたことがある。不登校の理由を聞いたがつかみどころがなく、家庭訪問や保護者を交えて話をしたが良い結果は得られなかった。生徒は卒業証書を校長室で受け取り、私立高校に進んだ。

今、校内フリースクールを担当したことで子どもたちの学校に行けない悩みや苦しさが分かるようになり、あの時、生徒をもっと見てやっていれば悩んでいたことに気が付いたと悔いる。「子どもの気持ちを表面的にしか分かってなかった。今の私なら、子どもの視点に立ってもっと出来ることがあった」と話した。

支援員の役割は、子どもたちがストレスから解放される居心地の良い場所づくりだと思っているという。登校してくる子どもたちを笑顔で迎え、話を聞いたり、分からないところがあれば一緒に勉強する。子どもたちにとって「いつも校内フリースクールにいるおじさんでいい」と話す。そんな伊東さんに生徒が掛けた言葉が「先生、来年も担任でいてくれるよね」。子どもたちが望むなら支援員を続けていきたいと伊東さんはいう。

子どもの第3の居場所として全国に広がってきたフリースクールは全国的にはNPOなど民間団体が運営しているものが多い。民間のフリースクールは所在地が遠かったり、月謝など経済的負担で利用できる児童生徒はごく少数に限られるケースもある。一方、自治体が公立学校の空き教室を活用して整備した校内フリースクールは自宅から通学でき、授業料がかからない上に給食も食べることができる。また専任職員(支援員)が中核となって児童生徒の状況や学習内容を把握し、個々に寄り添った支援も期待できる。(橋立多美)

終わり

教員確保できず 募集条件緩和を検討 つくば市【不登校生徒の居場所 校内フリースクール】上

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つくば市内の校内フリースクール「Sルーム」。テーブルで一緒に勉強したり会話したりできる(市教育局学び推進課提供)

つくば市は、不登校の小中学生が学校内で自由に過ごす居場所「校内フリースクール」の整備を始めたが、配置する支援員が足りない状況にある。今年度は新たにスタートした22校のうち3校で専任の支援員が確保できていない。来年度は市内全校に校内フリースクールを設置する計画だが、教員不足がいわれる中、支援員を確保できるかが課題になっている。

同市は、2021年12月に実施した不登校児童生徒の学習支援施設運営事業者の選定をめぐって迷走した問題を受けて、22年度に不登校支援のあり方について検討した。学校内の支援策の一つとして、全小中学校に校内フリースクールを整備し、不登校や教室に入れない児童生徒が安心して過ごせる居場所をつくる方針を決めた。

22年度に中学校1校に校内フリースクールを開設。今年度は、中学校16校につくり、全ての中学校17校に校内フリースクールを整備した。小学校は今年度、空き教室の活用ができ不登校児童が比較的多い6校に設置した。来年度は新設される1校を含め全32校に整備する目標を掲げている。

校内フリースクールには児童生徒の相談や学習支援を行う専任の支援員1人が常駐することになっている。ところが、小中学校合わせて22校の校内フリースクールのうち、支援員を配置できたのは19校で、小中3校は今も支援員が不在のままだ。

「数えきれない教員に応募呼び掛けた」

支援員はどのように募集が行われ、支援員のいない校内フリースクールはどう運営されているのか。市教育局学び推進課によると、支援員の公募は市のホームページ(HP)で2月に始まった。主な勤務条件は▽任期は24年3月31日までの1年間▽公立小・中学校に週4日または5日勤務▽時給1281円、通勤費支給▽教員免許保持者―。市教育相談センター所長で校内フリースクール担当の久松和則参事は「数え切れないほど多くの現役教員やOB教員に電話をかけて応援と応募を呼び掛けた」と話した。

HPで募集を開始すると、同課に問い合わせの電話が多くかかってきたが、募集22人に対し、実際の応募者数は20数人だった。書類審査及び面接で19人に絞られ、小中3校が未配置になった。着任した支援員は20代から60代で、結婚や子育てで教職から長期間離れていた女性が全体の4分の3を占める。

応募者が少なかったことについて同課は、民間フリースクールが知られるようになっているのに対し、県内では昨年4月、同市の中学校に設置した校内フリースクールを皮切りに導入の動きがあるものの認知度は低く、支援員の仕事について理解を得られなかったことが原因と考えられるとしている。

支援員のいない小中3校では、利用している児童生徒の担任教員が手の空いた時間に支援に入る。手が空かない時間は校長、教頭、学年主任らが入れ替わり支援に入り、学校全体で運営しているという。久松所長は「支援員不在での運営が、その学校に勤務する教員の負担になっているという話はない」とした。また、学校によっては不登校の対策会議を開くなど全教員が校内フリースクールへの理解を深め、協力態勢が整ってきていると言及した。

支援員を配置する意義については「校内フリースクールは不登校児童生徒たちの居場所づくりだが、場所をつくったら終わりではない。大事なのは常駐の支援員がいること。いつでも温かく迎えてくれる支援員がいることで安心できる居場所になって、学校に行きやすくなる」と久松さんは力を込めた。

任用期間で応募断念

同課は、支援員不足の状況を好転させたいと、次年度の公募要項の再検討に取りかかっている。「校内フリースクールを継続し、推進することが前提」とした上で、募集条件を緩和して人材の確保につなげたい考えだ。時給は条例で決まっていて、条例改正に時間を要することから変更はないとする。今年度と同じように不登校児童生徒を理解し、1人ひとりに寄り添って支援できる人を採用する。検討結果が出る時期は未定だが、来年1月中には市HPで広く応募を呼びかけるという。また、年度末もしくは次年度に不登校児童生徒や支援員に聞き取り調査を行い、校内フリースクールの1年間の成果と課題を検証するとしている。

子育てで教職から離れている40代の女性教員は「復帰して不登校の子どもたちをサポートしたいが、任用期間が1年間で毎年審査と面接を受けることになり、子どもたちに長く伴走するのは難しい」と応募を断念したそうだ。また、時給について「非常勤だから仕方ない」という声がある一方で「経験を積んだ教員に対して良識ある時給とは思えない」という別の教員OBの意見もある。

同市の校内フリースクールの総称はハートフル「Sルーム」と名付けられている。SはSafe(セーフ)、Select(セレクト)、Special(スペシャル)、Support(サポート)、Space(スペース)の頭文字から付けられた。特徴は▽教室復帰ではなく社会的自立を目指す▽時間割はなく自主的な過ごし方と学びができる▽Sルームに登校すればその日は出席扱いとなるなど。

同市の不登校児童生徒数は21年度末で592人。現在、校内フリースクールに通っているのは、不登校や登校しても教室に入れず校門でUターンしたり保健室で過ごしていた児童生徒のほか、発達障害をもっていたり、外国籍で日本語によるコミュニケーションが苦手な児童生徒など。学校規模によって利用する児童生徒数は違うが、夏休みなど長期の休み明けは不登校や登校を渋る子どもたちが増え、利用者が増えることが予想されるという。(橋立多美)

続く

竹園・牛久栄進・土浦一・土浦二を10学級体制に《竹林亭日乗》8

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稲刈り直前の田んぼ(筆者撮影)

【コラム・片岡英明】前回のコラム(8月10日付)で、来年度は牛久栄進高の1学級増でも、土浦一高の高校生募集が6→4の2学級減では、高校入試は逆に厳しくなる―と書いた。今回はこの解消策を考えたい。

つくばの市立中学卒業生2183人(今年)のうち、市内の竹園高には200人入っているが、牛久栄進高129人、土浦二高113人、土浦一高88人と、市外の県立高へ流出している。一方、土浦の卒業生1095人の入学先は、土浦湖北高120人、土浦三高97人、土浦二高86人、土浦工業高81人、石岡一高50人、土浦一高37人、石岡二高36人である。

土浦一高は6学級に対して、土浦37人(15.4%)、つくば88人(36.7%)。土浦二高は8学級に対して、土浦86人(26.9%)、つくば113人(35.3%)。つくばから土浦の伝統校への流入が増え、土浦の生徒の地元伝統高への入学が抑えられ、石岡地区に流れているようだ。

こういった状態で、2024年土浦一高の高校募集を2学級減らしてよいのだろうか? 土浦一高の学級減の影響は、多くの受験生と学校に波及する。このままでは、つくばと土浦の受験生の悩みはさらに深くなるのではないか。

募集数は1987年比65%減

町村合併でつくば市が誕生した1987年、市内には全日制県立高が6校41学級(募集1927人)あった。その後、1989年をピークに第2次ベビーブーム世代が去り、子ども減が起きたが、つくば市の場合は2005年(TX開通年)を底に中学3年生は増加に転じた。

ところが2008年以降、県は市内の全日制高を減らし、現在は3校17学級(募集680人)。募集削減率は65%にもなる。つくば市内の県立高校不足問題の構造的原因はここにある。つくば市の現在の小学1年生は1989年の中学3年生のピーク2574人を越え、2686人(2023年)で、早急な対策が必要だ。

つくばエリアの人口・子ども増は県の発展にもプラスである。この地域の小中学生のために、県の平均的水準まで全日制県立高の入学枠を増やしてほしい。そのためには、現時点で15学級増、2030年までにさらに10学級増が必要と考える。

10学級体制へのシナリオ

学級増の具体策については、以下のような年次シナリオを提案したい。

▼2024年:牛久栄進高1学級増に加え、土浦一高の2学級削減を止めて、6学級維持。

▼2025年:牛久栄進高を9学級→10学級に。竹園高を8学級→10学級に。

▼2026年:土浦二高を8学級→10学級に。土浦一高を付属中からの2学級に加え、高校入学を6学級→8学級に戻す。

つまり、4県立高校を10学級体制にし、高校入学枠を計8学級増やしてはどうか。並行して、県とつくば市が共同で2030年までのエリアの生徒数を正確に推計し、現時点の必要学級数と今後の必要学級数を算出する。

その上で、算出した必要学級数が既存の全日制県立高の学級増で賄えるのか、それとも学級増の一つの形態としての高校新設も必要なのか―を見極めてはどうか。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

<ご参考>8月30日、電子書籍「若手教師の勘ドコロ―基礎力を磨く授業づくり・HRづくり、教えます」(22世紀アート社)を出版しました。アマゾンkindle版をご覧ください。

中国経済の変調:経済の日本化《雑記録》51

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マリーゴールド(筆者撮影)

【コラム・瀧田薫】中国経済の様子がおかしい。中国不動産大手「恒大集団」がニューヨークで破産を申請し、不動産最大手「碧桂園」の資金繰り難も表面化した。中国国家統計局によると、4~6月の国内総生産の伸びは前期比わずか0.8%増と急減速した。米英日の経済各紙は、中国経済の変調は「一過性のものではなく、構造的要因によるもの」とする見方で一致している。

2008年のリーマン・ショック後、「欧米経済の日本化」が指摘され、野村総合研究所のリチャード・クー氏と彼の「バランスシート不況」理論が脚光を浴びた。そして今回、「中国経済の日本化」が指摘され、クー氏と彼の理論が再び注目されている。

クー氏は、日本経済停滞の原因を、借り手企業が過剰債務解消に固執したことにあるとし、この状況を「バランスシート不況」と呼んだ。その後、企業の過剰債務は解消されていったが、投資意欲は低迷したままだった。中央銀行が異次元金融緩和を実施したが、借り入れ需要は高まらず、労働者の実質賃金は減少し、物価も上昇しなかった。

この状況下、クー氏はさらなる日本経済診断に挑戦し、その成果を『追われる国の経済学』(東洋経済新報社、2018~19年)において示した。それによれば、新興国における資本収益率が日本国内のそれを上回り、当時の日本国内には魅力ある投資先が見当たらなくなっていた。このこともあって、企業が選択したのは新製品の開発でも国内の設備投資でもなく、既存のビジネススタイルの海外移転であった。

そして残念ながら、日本政府はこれを傍観し、構造改革を率先遂行すべきところ、既得権益に対する支援策・保護策(積極財政)を優先した。狙いは選挙に勝利して政権を維持すること、つまり政府・与党にも既得権益への固執があったのである。

最大リスクは「聞く耳もたぬ」姿勢

クー氏の理論は、中国経済を「日本化」というフレーズに絡めて読み解く上で有効だ。中国経済は当初こそ低コストの労働力を梃子(てこ)として急速な工業化に成功したが、資本効率の低下、人口の高齢化と減少により成長は鈍化し、若年労働者の失業率が急激に上昇(20%)している。不動産市場の不調は巨大債務となり、デフォルトの可能性は特に地方政府において深刻である。

社会面では、出生率が下げ止まらない。過去の「一人っ子政策」の影響は、50年、100年単位で国力の阻害要因となるだろう。近未来の経済成長を担うと期待されるハイテク分野も米中摩擦の壁にぶつかっている。

もちろん、中国にも構造改革、投資偏重経済の是正、さらに若者が希望を持てる社会の形成、それぞれの大切さを認識している層もいるだろう。しかし、自国の経済成長を独自の「中国モデル」によるものとし、体制の優位性を自画自賛する習近平氏は、経済成長や「共同富裕」スローガンよりも国家安全保障や国家・国民の政治的統制を優先する。進行しつつある中国経済の変調は、この傾向に拍車をかけることになろう。

日本や欧米の側から見て、中国における最大のリスクは、中国指導層の「聞く耳もたぬ」政治姿勢にあるのではなかろうか。(茨城キリスト教大学名誉教授)

小中学校の給食費を無償化へ 土浦市 10月から

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記者会見する安藤真理子土浦市長=4日、市役所

土浦市の安藤真理子市長は4日の定例記者会見で、小中学校の給食費を無償化するための補正予算案を5日開会の市議会9月定例会に提案すると発表した。可決されれば10月分から無償化を実施する。給食費の無償化に取り組む市町村は県内で14番目になるという。

子育て環境のさらなる充実と物価高騰による子育て世帯の負担軽減が目的。安藤市長は「将来を担っていく子供たちの健やかな育ちを支えていきたい」と話す。

無償化の対象は、公立の小学校15校、中学校7校、義務教育学校1校の計23校に通う小学生約6200人と中学生約3200人の計約9400人。同市の現在の給食費は小学生が月額4200円、中学生が4700円で、今年度は10月から半年間で約2億4500万円、23年度以降は年間で約4億5000万円かかる見込み。財源は、今年度の半年分は22年度決算で確定した剰余金の一部を充てる。

給食費の無償化に取り組む市町村は今年になって全国で増えている。同市によると現在、無償化を実施している県内13市町は、大子町など6市町が小中学校の給食費無償化を実施。水戸市が今年4月から中学校のみ無償化を実施。神栖市など6市町が期間限定で小中学校の無償化を実施している。

一方、国のこども未来戦略会議は今年6月に示した「こども未来戦略方針」案で、学校給食について「無償化の実現に向け、まず無償化を実施する自治体の取り組み実態や成果・課題の調査、全国ベースでの実態調査を速やかに行う」などとしているが、無償化の時期は明確になっていない。安藤市長は「早急に無償化を実施することが、現在の物価高で負担が増大している子育て世帯の支援につながると考えた。本来は国がやるべきものと思っている。早急に始めたいと思っていた中、財源の確保ができたので10月からやろうと決めた。国の無償化が決まるまでのつなぎだと思っている」とした。(鈴木宏子)

▽今年度、学校給食費の無償化を実施している13市町村と実施時期は以下の通り(土浦市調べ)
【小中学校の給食費を無償化】
・大子町 2017年4月から
・城里町 18年4月~
・河内町 20年9月~
・潮来市 22年4月~
・日立市 23年4月~
・北茨城市 23年4月~
【中学校のみ無償化】
・水戸市 23年4月~
【期間を限定し小中学校を無償化】
・神栖市 23年4月ー24年3月
・境町  23年4月ー24年3月
・稲敷市 23年4月ー24年3月
・鉾田市 23年9月ー24年3月
・石岡市 23年9月ー24年3月
・かすみがうら市 23年9ー11月

高齢研究者と車いす生徒に冷たい土浦市《吾妻カガミ》166

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教育委員会が入る「ウララ2」ビル(左)と市役所が入る「ウララ」ビル

【コラム・坂本栄】本欄では土浦市立博物館の郷土史「論争拒否」を何度か取り上げてきましたが、今度は、元中学生の保護者が在学中のいじめについて再調査を求めたのに土浦市教育委員会が断ったという、いじめ「調査拒否」が明らかになりました。市役所のこういった門前払い対応、いずれも文化教育行政を所管する教育委員会が担当する案件です。

「調査を行う予定はありません」

いじめ問題については、記事「いじめをなぜ止められなかったのか 保護者が再調査求める 土浦の中学校」(9月3日掲載)をご覧ください。

中学在学中に車いすの息子さんが何度もいじめを受け、その都度、保護者が教育委に対応を求めたにもかかわらず、いじめが止むことなく続いたというケースです。そして、何度も相談に来る保護者を教育委は「クレーマー」(文句を言う人)と思ったのか、市長名で調査打ち切りを通告してきたそうです。

そこには「〇〇様からいただいているご意見につきましては、既に、教育委員会からメール、電話、対面等で、ご回答及びご説明をさせていただいておりますので、改めて回答する事項はありません。また、ご要望いただきました、いじめ防止対策推進法第30条2項の地方公共団体の長による調査については、検討の結果、同調査を行う予定はありません」(2022年6月15日付)と書かれています。

現在、息子さんは障害者対応が整った私立高校に通っているそうです。従って、教育委の再調査拒否は現在進行中の問題ではありませんが、中学在学中の教育委の対応をうかがうと、今でも同様なことが続いているのではないかと気になります。また市長回答を読むと、163「土浦博物館の論争拒絶 市民研究者が猛反発」(7月31日掲載)で取り上げた事例と似ているのが気になります。

「博物館は一切回答致しません」

博物館に論争を挑む郷土史研究者(元市職員の高齢者)に論争拒否を通告した文書には「… 以上の内容をもちまして、博物館としての最終的な回答とさせていただきます。本件に関して、これ以上のご質問はご容赦ください。本件につきまして、今後は口頭・文書などのいかなる形式においても、博物館は一切回答致しませんので予めご承知おきください」(2023年1月30日付)と書かれています。

博物館の歴史解釈に疑問を持ち文書での回答を求める研究者を門前払いにする、教育委の生徒いじめ対応に疑問を抱いて再調査を求める保護者を門前払いする、単なる偶然なのか市役所の体質なのか分かりませんが、教育委の冷たい対応には類似性を感じます。いずれも専属弁護士の助言に基づいているようですから、市政=守勢といえます。

郷土史研究者は8月30日、市民の相談を受け付ける窓口(広報広聴課)に、博物館の歴史解釈の間違いを指摘する文書を提出するとともに、市民研究者を「クレーマー」扱いする博物館の対応を改めさせるよう申し入れたそうです。

教育委のチェックは市議会の仕事

博物館と教育委の対応を見ていると、行政部門に問題の解決を期待するのは無理かもしれません。議会の文教厚生委員会(委員長=矢口勝雄、副委員長=田中義法、委員=吉田千鶴子、鈴木一彦、勝田達也、福田勝夫、平岡房子、根本法子の各氏)の出番ではないでしょうか。議会が議会の仕事(市政のチェック)を怠れば、市議は市民のチェックを受けるでしょう。(経済ジャーナリスト)

いじめをなぜ止められなかったのか 保護者が再調査求める 土浦の中学校

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中学生だった2019年4月から22年3月までの3年間、土浦市内の公立中学校でいじめを受けていた男子生徒(現在は高校2年)の保護者が、市に対し、いじめ防止対策推進法や市いじめ防止基本方針に基づく再調査を求めている。

保護者は昨年5月に要望を出し、市長は同6月「再調査を行う予定はない」などと回答した。保護者はさらに市教育委員会の担当者から同7月「(22年)7月に弁護士と教育委員会の間で、男子生徒に関する問題はすべて終結し、今後、保護者とは対応しないとの確認があった」などと言われ、対応してもらえない状況だという。

障害を揶揄

男子生徒は身体に障害があり、学校では補装具を付けて歩いたり、車いすで移動している。排せつの感覚がないため4時間ごとにトイレに行き、自分で排せつを行う必要がある。5時間以上トイレに行かないと体に悪影響が出る。

保護者によると、小学校の時からいじめがあり、中学入学直後、同じ小学校出身の同級生からいじめが始まり、広まった。「死ね」と書かれた手紙を渡されたり、筆記用具が無くなったり、クラスのグループLINEに写真を掲載され悪口を書かれたりした。休み時間に個室のトイレに入っていた時、ドアを激しくたたかれたり蹴られたりしたことが繰り返しあった。怖くてトイレに行けなくなり、体調が悪くなって薬を服用したこともあった。

車いすを揶揄(やゆ)する悪口や陰口を言われたり、補装具を付けて歩く姿を真似され笑われた。中1の体育祭では「応援合戦に出るな。それがクラス全体の意見だ」と言われ、見学した。男子生徒はクラスに居場所がないと感じ、その後、中1の3学期が終わるまで特別支援学級や市の適応指導教室などで個別学習をするようになった。

学校は、男子生徒から相談を受けたり、保護者から連絡を受けるなどして、その都度いじめに対応。加害生徒も男子生徒に謝罪するなどした。学校はさらにいじめに関しクラスアンケートを取ったり、道徳の時間にいじめについて話し合ったり、加害生徒の家庭訪問を行うなどした。中1の2月に実施されたアンケートではクラスの生徒から延べ30件のいじめの報告があった。

学校と教育委員会はさらに、いじめ重大事態として中1の2月から、第三者を加えたいじめ対策委員会をつくり調査を開始、中2の21年3月までに調査報告書をまとめた。報告書の中で、学校が認定したいじめは9件で、加害生徒は14人になった。報告書にはいじめ防止対策や男子生徒への支援策などが記された。

対策中もいじめ止まず

一方、いじめ対策委員会の調査中もいじめは止まず、中2、中3になってからもいじめは続いた。男子生徒は中2の秋、所属していた部活動でビデオを撮影した際「足手まとい。(男子生徒を)入れずに撮影しよう」と言われ、休部し、別の部活動に移った。同じ時期、クラスの複数の生徒から、近くを通りかかった際、腕や背中、腰を殴られることが継続的にあった。男子生徒は脊椎が損傷しており手術を受けている。背中や腰を殴られれば麻痺(まひ)が広がる恐れもあった。

ところが中2の3月にまとめられた調査報告書には、中2で受けたいじめの調査報告が無かった。中3の3学期にも一部の生徒から廊下や階段で「ざこ」「かす」などと繰り返し言われた。県立高校入試の際は、自分をいじめている生徒が同じ高校を受験することが分かり、受験校を変更した。

中途半端な謝罪で幕引き

中2の1月、いじめ対策委員会が調査を終えることを知った男子生徒の保護者は、学校に対し「(加害生徒の)表面的、形式的な謝罪で幕引きを図っている。(学校は)事態を矮小化し、クラス全体に十分な指導を行わなかったために、いじめはその後も続くことになってしまった。(加害生徒の)中途半端な謝罪を認めることが適切であったか検証すべき」「(息子と)加害生徒との食い違いは解消されておらず、報告書に取り上げられてないいじめが多数あり、事実関係は明らかになっていない。いじめは続いており、学校・教育委員会の取り組みはいじめの再発防止につながっていない」などとして調査継続を求めたが聞き入れられなかった。

この問題は中2だった21年3月の教育委員会定例会に報告され、中3になった翌年度6月、補足訂正の報告が行われた。教育委員の1人から「(いじめが)続いているとしたらこれは相当大変な事案。この年齢になると周りの大概の子供は(障害を抱えている子供に対する)そうした良識を身に付ける。それこそ、いじめをやっている子供たちこそがカウンセリングが必要」などの意見が出た。

調査が不十分

いじめ防止法と市の基本方針は、十分な調査が尽くされてない場合、市長の再調査についても定めている。保護者は「トイレをたたいたり蹴ったりした事案は繰り返し行われ、男子生徒は『ごめんなさい、ごめんなさい』と泣き叫ぶほどだったのに、調査報告には『恐怖と不安を感じた』とだけ記すなど調査が不十分。中1の2月に実施したクラスアンケートでは延べ30件のいじめの報告があったのに、調査されたいじめは9件にとどまっている。中2のときに受けたいじめが調査報告から抜けている。中2の秋に、数人の生徒に背中や腰、腕を殴られた事案は(障害がある男子生徒にとって)まひが広がる恐れがある重大事態だったにもかかわらず調査報告書に記載がない」など、調査が不十分だと指摘する。

話し合い再開してほしい

男子生徒の父親(49)は「教育委員会も学校も『相手にしない』という姿勢で話を受け付けない。教育委員会担当者とは中3の2月以降、学校とは卒業後の4月以降、話ができていない。重大事態調査終結後も、学校、保護者、教育委員会の3者が連携して子供を守る約束だった。なぜ一方的に約束を反故にしたのか。話し合いを再開してほしい」と話す。

市教育委員会指導課は、男子生徒に対するいじめや、いじめ防止の対応などに関するNEWSつくばの取材に対し「関係する生徒等の個人情報やプライバシーに関わることであり、回答を差し控えさせていただく」とし、「本いじめ問題の解決に向けては、本人や関係生徒、関係する保護者等に対して、調査、指導、回答、報告等を丁寧に行い、教育的な配慮に基づいて、粘り強く事実の確認や再発防止のための策を講じてきた」などとしている。(鈴木宏子)