水曜日, 4月 24, 2024
ホームつくばつくば生きもの緑地から始める30by30 国立環境研「自然共生サイト」に名乗り

つくば生きもの緑地から始める30by30 国立環境研「自然共生サイト」に名乗り

新緑の候、4日はみどりの日。キンランの花咲く所内の保全区域を足場に、国立環境研究所(つくば市小野川)が「自然共生サイト」を地域に広げる取り組みに乗り出している。

同研究所は所内の植生保全優先区域のうち5.1ヘクタールを「つくば生きもの緑地」と名付け4月、国の認定制度がスタートした「自然共生サイト」に申請した。同サイトは、民間が主体となって生物多様性の保全が図られている区域を国が個別認定する。国際的な目標30by30(サーティ・バイ・サーティ、※メモ参照)に基づく取り組みだ。

国は今年度中に100カ所以上の認定を目指している。国立・国定公園などを除く企業の森、ナショナルトラスト、自然観察の森、社寺林などが対象。認定には生物多様性の価値(絶滅危惧種の生息、渡り鳥の飛来地、環境教育の実践など)に加え、普段の管理や維持が適正に行われていることが基準になる。

研究所のサイトについて生物多様性領域、石濱史子主任研究員は、伐採・除草はあまりせず、適宜手を入れる管理法で、適度に明るさを保つ林を維持してきたという。木漏れ日のさす林では今の時期、環境省レッドリストの絶滅危惧Ⅱ類に掲載のキンランが育つほか、ジュウニヒトエ、ツリガネニンジン、ワレモコウなどの植物を見ることができる。所内では、ノウサギ、ニホンアカガエルなどの生育も確認されている。

トンボの別名「秋津」の名を冠した池も植生保全優先区域の一画

筑波研究学園都市の建設初期に立地した研究機関は、敷地の30%以上を緑地として保全した経緯があり、同研究所にも在来の植生を生かした林や原野が残ることになった。その後も、コナラを主とした在来種からなる落葉広葉樹林の育成と区域の特性に合わせた頻度での草刈りなど、絶滅危惧種を含む草地性の動植物種の個体群維持を図っているという。

今回が初認定となる「自然共生サイト」への申請は5月8日に締め切られ、審査して8月ごろ認定される見込み。市域からは、つくばこどもの森保育園(同市沼崎)も申請している。

緑地ネットワークも再始動

研究所は「自然共生サイト」を地域に広げる取り組みにも乗り出している。2019年にスタートしたものの、コロナ禍から休止していた「つくば生きもの緑地ネットワーク」の活動をこの春から再開させた。農研機構や防災科研に改めて参加を呼び掛けており、相互の緑地見学会や交流セミナーなどを開催、生物分布に関する情報共有を行いたいとしている。

また同市では生物多様性つくば戦略(仮称)の策定を進めており、石濱主任研究員は策定懇話会に委員として参画している。第3次つくば市環境基本計画の重要施策のひとつで24年度の策定をめざしており、30by30の目標に歩調を合わせる。さらに機会をとらえて「自然共生サイト」の趣旨に沿った情報、知識の発信をしていく構えだ。(相澤冬樹)

※メモ 30by30(サーティ・バイ・サーティ)
2030年までに生物多様性の損失を食い止め、回復させるゴールに向け、海域を含む国土の30%以上を健全な生態系として効果的に保全しようとする国際目標。2018年のCOP14での採択などに基づく。環境省はオールジャパンで目標を達成するためのプラットフォーム「生物多様性のための30by30アライアンス」を立ち上げた。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

4 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

4 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

タオルの一生《短いおはなし》26

【ノベル・伊東葎花】 わたしは、ふわふわのタオルでした。かわいいお花模様の、ピンク色のタオルでした。上品な箱に入れられて、この家にやってきました。大人も子どもも、わたしに頬ずりして言いました。 「肌触りがいいね」 「ふかふかで気持ちいい」 「ずっとすりすりしていたいな」 そうです。わたしはタオルの中でもひときわ人気者でした。えへんと胸を張って、タオル掛けでみんなを待っていたのです。 しかし悲しいかな、月日は流れ、わたしは古くなりました。何度も洗濯されてごわごわになりました。ある日子どもが、ろくに洗わない泥のついた手を、わたしで拭きました。「あらまあ汚い」と、おばあさんがわたしを漂白しました。ちょっと待ってぇ~と叫んでも、声は届きません。私は漂白されてしまいました。 自慢だったきれいなピンク色は、白と薄いピンクのまだらになりました。お花模様は、もはや色とりどりのシミと成り下がりました。生地の繊維も弱くなり、いつ穴が空くかビクビクしていました。そしてついに、そのときがやってきたのです。 お母さんが、テーブルをわたしで拭いたのです。そうです。わたしは雑巾にされてしまいました。でも、テーブルの雑巾は、雑巾の中でも上位でした。台所の油汚れを拭かれたり、トイレの雑巾になるよりは、ずっとマシなのです。だからわたしは、たとえ食べ物のかすを拭かれても、じっと耐えました。 あるとき、子どもが言いました。 「お母さん、この雑巾、穴が空いてる」 が~ん。ついに、わたしに小さな穴が空いてしまったのです。 「あら、しょうがないわね。じゃあ、お台所の雑巾に格下げしましましょう」 格下げ…。嫌な言葉です。恐れていた言葉です。わたしは台所の油汚れを拭かれた上に、焦げた鍋やこびり付いたカレーを拭かれ、ゴミ箱に捨てられるのです。わたしの一生は、こうして終わりを迎えるのです。 しかしそのとき、子どもが言いました。 「お母さん、これ、絵の具拭きにしていい?」 「いいわよ」 ああ、なんとありがたいお言葉。絵の具拭きになるということは、子どもと一緒に学校へ行けるのです。格下げどころか、天にも昇る気持ちです。 わたしは翌日から、絵の具用の雑巾になりました。赤青黄色、たくさんの色で、わたしはとてもカラフルになりました。写生の時は、一緒に外に連れて行ってもらいます。太陽の光を浴びながら、水色や緑に染まります。わたしは今、とても幸せです。 子どもは、なかなか絵が上手でした。将来、有名な画家になるかもしれません。彼が有名な画家になったら『有名画家が使用した雑巾』として、美術館に展示されるかもしれません。わたしはその日を夢見て、今日も絵の具箱の中で出番を待っているのです。(作家)

「国際人となって世界へ」 13の国・地域 68人が入学 日本つくば国際語学院

つくば文化学園による日本語学校「日本つくば国際語学院」(つくば市松代、東郷治久理事長兼校長)の入学式が23日、同市小野崎の料亭、つくば山水亭で開かれた。13の国と地域出身の68人が、多様な民族衣装やスーツに身を包み、新たな一歩を踏み出した。 新入生を代表してあいさつしたアフリカ・マダガスカル出身のラコトベ・ラベヴィチャ・アンディ・エヴァンさんは「日本に来るための準備に苦労し、家族や友人からもとても心配された」という。しかし、来日してみると「風景はきれいで、覚えてきた日本語で日本人と話すことができた。『これは夢ではない。現実だ』と思うと心配はなくなった」と話す。夢はアニメーター。「いつか著名な日本人アニメーターと仕事を共にしたい。そのために日本語を一生懸命学び、毎日絵を描き、多くの方に作品を見てもらえるよう頑張りたい」と語った。 在校生を代表したネパール出身のタマン・マダン・クマルさんは「日本に来て一番困ったのは日本語ができなかったこと」だと振り返る。来日当初、コンビニのレジで支払い方法を聞かれたのに、「はい」と答えてしまい恥ずかしい思いをした。「わからない時には『はい』『大丈夫です』とは言わないでください。ここには皆さんを助けてくれる人がたくさんいる。わからないことは先輩や先生に聞いてほしい」と新入生たちに語り掛けた。 入学式に参加する息子を見届けた、バングラディシュ出身でつくば市在住のモハメドさんは「皆さんのおかげで(息子は)ここまで成長できた。今は安心しているが、ここから先は彼自身の責任で前に進まなければいけない。しっかり日本語を学んでほしい」と我が子にエールを送った。 東郷理事長兼校長は「異国の地での生活には不安もあると思うが、学校には様々な国籍の先輩がいる。困ったことがあれば先輩たちを頼ってほしい。これから留学生活の中で日本語を楽しく学び、何かをつかみ、大きく成長してください。皆さんが国際人となって世界へ羽ばたくことを期待しています」と話した。 今年度の入学生68人のうち、最も多いのはネパール出身者で37人。次いでミャンマー出身が8人、スリランカ出身が7人。その他、中国が3人、タイ、韓国、バングラディシュ、モンゴルが2人、香港、インド、ベトナム、マダガスカル、フィリピンから1人ずつとなっている。 ネパール留学生増え2位に 出入国在留管理庁によると、2023年末時点における在留外国人は341万992人で、前年末と比べて33万5779人増で過去最高を更新した。その中で「留学」の在留資格を持つ人数はほぼ1割の34万883人。国籍・地域別ではネパール国籍の留学生が5万5604人で、ベトナムを抜いて初めて2位となった。1位は中国で13万4651人。2024年3月1日時点のつくば市には、146カ国、1万2583人の外国籍住民が暮らしている。(柴田大輔)

杜の都と学園都市を結ぶ 日本国際学園大の橋本学長【キーパーソン】

つくば駅から徒歩7分の一等地にある筑波学院大学(つくば市吾妻)が、4月から「日本国際学園大学」に改称され、学びの場も「杜(もり)の都」仙台と「学園都市」つくばの2キャンパス制になった。同時に、理事長を務めていた橋本綱夫さんが新装大学の学長も兼務する。新名称+学長兼務+2キャンパスの狙いは何なのか、橋本さんに聞いた。 日本発の国際的人材を育てる 「新名称は、一言でいえば日本発の国際的人材を育てたいということ。自分の国、日本の文化を知ることが国際化の第一歩という意味合いも込めた。当然、外国からの留学生がたくさん来てほしいという思いもある」 「うちのような小規模な大学の場合、学長が理事長になるケースが多い。この5年半、理事長だったが、学長を兼ねることで教育と経営の一体性を図ることができ、大学経営のスピード感も高められる。理事長を引き受けてからの変革期が終わったので、学長を兼務することが適当と判断した」 仙台市で専門学校も経営する橋本さんは2018年秋、東京家政学院大学の姉妹校・筑波学院大の経営権を譲り受け、理事長に就任した。この5年半、大学再生の仕事にコロナ禍による留学生減が重なり、経営はハードだったようだ。これまでが大学再生の第Ⅰ期とすれば、大学名変更は第Ⅱ期への移行宣言ともいえる。 2キャンパス活用は来年から 名称変更に合わせ、大学はつくば市内と仙台市内の2キャンパス制になる。仙台キャンパス(仙台市青葉区)は仙台駅から徒歩10分の専門学校(外語系とホテル系)の建物を使う。 「仙台での授業は来年4月からになる。今の時代(ネットを使うなど)学びの地理的なハードルは低くなっている。うちでは、今年はつくば、来年は仙台といった形で学べる。今年度入学生は、1年時はつくばキャンパス、2年以降はコースによって両キャンパスに分ける」 1学部1学科(経営情報学部ビジネスデザイン学科)の学園大には、①国際教養②英語コミュニケーション③現代ビジネス④国際エアライン⑤国際ホテル⑥公務員⑦AI・情報⑧コンテンツデザイン⑨日本文化・ビジネス(対象は留学生)のモデル(コース)があり、この9コース構成は筑波学院大と専門学校の特性が生かされている。 来年度は200人定員充足へ 大学再生の最大の課題は「定員200人」の確保になる。今年度は126人(うち留学生は40人)にとどまったが、「来年度は仙台キャンパスが本格的に稼働することもあり、定員を充足できると思う。知名度では勝てないので、入学希望者にはキャンパスに足を運んでもらい、よい大学と思ってもらいたい」と語る。 また、専門学校を大学に統合する計画はないのか、新たな学部を創設する計画ないのか―との質問には「いずれも現段階では考えていない。仙台キャンパスの立ち上げで定員が不足することも予想されるので、まず定員を300人に増やすこと考えたい」と、2キャンパスの活用に意欲を見せた。 【はしもと・つなお】2005年、東北大学経済学部卒。あずさ監査法人、経営共創基盤(企業再生コンサル会社)を経て、10年、東北外語学院(外語観光専門学校、ホテル・ブライダル専門学校、幼稚園・保育園を経営)理事。13年から同学院理事長。18年9月から筑波学院大理事長。11~12年、イタリアのBocconi大学に修士留学。42歳、宮城県利府町在住。 【インタビュー後記】東北外語は旧満州のハルピン大学で数学教授をしていた祖父が創設した。綱夫氏は外語学院の経営者としては3代目。公認会計士の資格を持っており、大学再生には適任といえる。祖父は大学創立に強い関心があったそうで、孫の代でその宿願を達成した。(経済ジャーナリスト・坂本栄)

「… in宇部」後記②同級生《続・平熱日記》156

【コラム・斉藤裕之】イリコの絵を買っていかれた「いりこ」さん。実は個展を心待ちにしていてくれた中学の同級生の奥様だった。 「いりこ」というのはもちろんあだ名で、旧姓の「いり…」がその由来だそうだが、このいりこさんは奇遇にもギャラリー・オーナーの同級生だったのだ。つまり、旦那が私の同級生で奥様はオーナーの同級生。というわけで、図らずも彼の善意で私の個展の情報は中学の同窓会のSNSに回るという事態を招いた。 これはちょっと困ったことになったと思った。なにせ高校卒業以来、人生の裏街道をひた歩いてきた私にとって、故郷の友人は思い出の中にあって、できるだけ会いたくないというのが正直なところ。実際に、学校を出てからほとんど誰にも会ったことがないのだ。 しかしながら、絵描きというのは絵も描くが、絵を見せてなんぼのものである。ひとりで絵を描きたいのだが、みんなに見てもらいたいというひねくれた生き物なのだ。 結果的に、3人の同級生が個展会場に現れた。正直、会った瞬間は誰かわからなかった。しかし、「〇〇です」と言われた瞬間に、50年近く前の顔が瞬時に頭に浮かんだ。 「これ俺」「ヨシナガくん?」 1人目は前述の彼、2人目は地元にいて家業を継いだ男で、どこか華のある男だったが、高校の同級生と組んだロックバンドを今も続けているという。そして、3人目は会うなり「これ俺」とスマホの画面を見せてきた。 その画面を見た途端、「ヨシナガくん?」と。それは保育園のお遊戯会のときに彼と2人で踊った「角兵衛獅子」の画像だった。そのモノクロの写真は我が家にもあったし、多分何度も稽古をしたのだろう、幼心にはっきりと覚えている。 と同時に、彼にとって彼自身を私に思い起こさせる最良の手段として、わざわざこの画像をスマホに納めて会場に現れたことに胸が熱くなった。 というのも、彼とはその後、高校までを共にするのだが、恐らく同じクラスになったことはなく、つまり彼との確かな思い出、記憶としてはこの角兵衛獅子以来あまりないのだ(実は前述の2人も同じクラスになったことがない)。 彼はニコニコほほ笑む奥様を同伴していて、「再婚なんだ」と紹介してくれた。それから地元の大企業に勤めてけっこう偉くなっていること、お母様がご健在で私の母のことを気にかけてくださっていることなども分かった。そして「この絵をください」と、昨夏にふと訪れた徳山動物園の象の絵(紙粘土で作ったものを描いた)を買ってくれた。 5月末からは「… in丸亀」 しかし一番驚いたのは、会期中に同級生が持ってきてくれた、数年前に開かれた中学の同窓会のパンフレット。なぜか当時の校長の挨拶文が載っているのだが、それがなんと実家の向かいのヒロちゃん(高校では柔道部の先輩)だったこと。 さて、5月末からは「平熱日記 in 丸亀」が香川県のギャラリーで開かれる。それをSNSで知った高校の同級生達。丸亀行を企てているという。そっとしておいて欲しくもあり、有り難くもあり。(画家)