日曜日, 5月 17, 2026
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地元ファンに2日早い特典 作家の高野史緒さん 新刊発売記念し土浦でサイン会 

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サイン会で、行列をつくる地元ファンに応じる高野史緒さん(右)=イオンモール土浦、未来屋書店土浦店


土浦市出身の作家、高野史緒さんが、新作「ビブリフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅」(講談社、税込1870円)の発売を記念して21日、土浦市上高津、イオンモール土浦の未来屋書店土浦店でサイン会を催した。発売は23日だが、今回2日前に購入できるという特典が付いた。高野さんは昨年、土浦を舞台にしたSF小説「グラーフツェッペリンあの夏の飛行船」を書き、SF読書ガイドブック「SFが読みたい!2024年盤」国内篇第1位に輝いている(2月25日付)。

今回の作品は「消えてゆく本」「書けなくなった詩人」「本の魔窟に暮らす青年」が登場する架空の世界を描いた作品。新刊の帯には「本であふれた世界に希望はあるか?」とある。

2日早く発売された新刊「ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅」

サイン会会場には32人が並び、一人一人、著者の高野さんと話をしながら、購入した本にサインをもらっていた。高野さんと写真撮影をするファンの姿も見られた。

同市摩利山新田から来店しサインをもらった遠藤康裕さん(62)は「(1929年に巨大飛行船の)ツェッペリン伯号が飛来した(旧霞ケ浦海軍航空隊 格納庫の)すぐ近くに生家があり、とても身近に感じた。高野先生の文章はわかりやすく、てきぱきしていてとても好きだ。本日はていねいに対応してもらって感激している。これからも頑張って良い本を書いてほしい」と話した。

新刊を紹介する高野史緒さん

高野さんは1966年土浦市生まれ、土浦二高を経て90年に茨城大学人文学部を卒業、94年にお茶の水女子大学人文科学研究科修士課程を修了、95年「ムジカ・マキーナ」(新潮社)で作家デビューした。2012年には「カラマーゾフの妹」で第58回江戸川乱歩を受賞するなど、主にSFやミステリーを書く人気作家だ。

高野さんは「故郷土浦とその近郊の皆様にも注目していただき、本当にありがたい限り。私は必ずしも地元密着型作家とは言えず、いろんな世界、時には現実でない世界のことも書く。読者の皆様も私の小説を通じて、一緒にそういういろんな世界を巡ってほしい。今度の新刊『ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅』はまさにそういう本で、こちらも『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』同様、読んでいただけるとうれしい」とコメントした。(榎田智司)

つくばから全国へ 「ヴィーガン」で「クィア」の2人が贈るレシピ集(上)

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「ハンガン・ヴィーガン」の著者のユミさん(左)とヨニイさん

悩み、孤独を感じる人へのエンパワーメントに

動物由来の食べ物を摂ったり、製品を身につけたりしない「ヴィーガン」を身近に感じてもらおうと、つくば市在住のユミさん(27)と、パートナーで韓国出身の大学院生ヨニイさん(25)によるヴィーガン料理のレシピ集「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」(全32ページ)が3月に出版された。ヨニイさんの故郷・韓国の文化紹介とともに、ヴィーガン風にアレンジした韓国料理が9品掲載されている。

出版元は同市天久保のブックカフェ「本と喫茶サッフォー」(23年9月18日付)で、個人や小規模の団体が少部数で製作する「ZINE(ジン)」と呼ばれる小冊子だ。SNSや口コミで広がり発売1カ月で2刷を迎えた。現在までに関東を中心に全国19書店で取り扱われている。

日々の食卓をSNSで発信

2人はヴィーガンであるとともに性的マイノリティの当事者であることを公表し、「ハンガン・ヴィーガン」というユニット名で日々の様子をSNSで発信している。自身の属性への周囲の無理解から悩みを抱えてきたと言い、今回の出版を「私たちの普通の暮らしを知ってもらうことで、悩み、孤独を感じる人たちへのエンパワーメントにつなげたい」と話す。

自宅で料理をするヨニイさん(右)を手伝うユミさん

2人のSNSには日々の食卓が紹介される。調理を担うヨニイさんは「冬は鍋が多かった。タンパク質は豆腐、厚揚げ、がんもどき。だし汁をカツオから昆布にしたり、肉の代わりに豆腐にしたり工夫している」と話す。ユミさんは「ヴィーガンになって肉料理が多い韓国料理から遠ざかっていた。でも、ヨニイと出会ってまた食べられるようになった。『ヴィーガンでも韓国料理ができるんだ』って感動している」と笑顔を浮かべる。

自分の感覚はおかしくない

ユミさんは大学4年でヴィーガンになった。戸惑ったのが食事だった。「(当時)ナッツを乗せたサラダしか食べなかった。1週間後には体も心も辛くなってしまって…」。その後、ヴィーガン料理のあるレストランや本で情報を得ながらメニューを覚えるが、「当時は情報が少なかった。何を食べていいかわからなかった私のような人は、今もいるはず」と話す。今回の冊子では「家庭で作れる普通のヴィーガン料理を紹介したかった」という。だが2人にはもう1つ、冊子に込めた想いがある。「ヴィーガンであることで孤独にならなくていいんだよ」と、当事者たちを励ますことだ。ユミさんがこう話す。

「私はヴィーガンの人と出会えず、ずっと孤独を感じてました。肉を食べないと『ヤバい人』になったのではと思われることもある。でも肉を食べなくても生きていくことはできる。SNSや映画で他のヴィーガンの暮らしを知ることで、『自分の感覚はおかしくない』と思えた。だから私たちも、普通の人が普通にヴィーガンでいる様子を見てもらい、同じ考えを持つ人のエンパワーメントになるものを作りたかった」

2人はヴィーガンレシピで作った韓国料理のビビンパを、毎月第3日曜日に「本と喫茶サッフォー」で提供している

社会問題が身近に

ユミさんがヴィーガンになったきっかけは、大学時代に短期留学した台湾での経験だ。それまで食べていた好物のガチョウが、目の前を楽しそうに歩いていた。とてもきれいで可愛い。「犬や猫など可愛いペットは食べてはいけないのに、なぜガチョウは食べていいと勝手に思っていたのだろう」と疑問が湧いてきた。いろいろ勉強するうちに「動物は軽率に食べていいものではない」と感じ、ヴィーガンの食生活へと移っていったという。

ヨニイさんはある映画がヴィーガンへの考えを深めるきっかけになった。食用や衣類、実験用にされる「殺していい動物」と、ペットなどの「殺してはいけない動物」を取り上げた映画で、人間の考え一つで動物の命の価値が決まることに疑問を感じた。劣悪な管理下にある動物の実情についても知ることになった。「殺していい動物といけない動物の間に引かれる線は何なのか。勉強する中で、自分が殺せないなら食べるのはやめたい」と考えるようになった。

「動物への差別」を意識したユミさんの関心は、社会の中にある他の差別や環境問題へと広がった。「私はヴィーガンであることで社会問題に関心を持った。暮らしの中にある様々な差別に意識的になることで社会は変化すると思っている。多くの人が日常にある課題に問題意識を持つのがいいはず。今回の本は、その入り口になればという思いもあった」と語る。ヨニイさんは「差別は構造の問題。そこに対してもっと関わっていきたい」と言う。

「ビビンパは韓国語で『混ぜご飯』という意味。よく混ぜて食べるのが美味しいんですよ」とヨニイさん

おばあちゃんの味を再現

掲載するレシピは9品。その中に、韓国に暮らすヨニイさんの祖母と母の得意料理が3品ずつ並んでいる。

「ヴィーガンになると、家族と同じものが食べられなくなるんじゃないかと心配がある。そこでつまずいてしまう人もいる。でもヴィーガンになっても家族のレシピは繋いでいけるし、家族の伝統は守れるんだと言いたかった」とユミさん。

ヨニイさんは「レシピには、大好きなおばあちゃんが作る、私が好きな料理も選んだ。最近、レシピ集を見てくれた在日コリアンの方々から『私のおばあちゃんも(掲載されている)カボチャのスープを作ってくれたんですよ』と感想をいただいてうれしかった」と話す。

「社会人として残業しながら働いていると、社会問題に関心を持ち続けるのも自炊するのも難しい。外食は高いし、料理する時間を作れる人は限られる。自分ができる範囲で、気負わずにできれば。まずは一食から。その時にこのレシピが役に立てばうれしい」とユミさんは、これから一歩を踏み出そうとする読者に語り掛ける。

記者が作ってみた

「ヴィーガン料理、なんだか難しそう…」と漠然と感じていた記者が「韓国フェミめし」を参考に韓国の海苔巻き「キンパ」を作ってみた。ヴィーガン料理を作るのも、食べるのもこれが初めて。レシピに従い、さいの目に切った厚揚げと油揚げを油で揚げて、炒めたにんじん、にんにくスライス、生レタスを海苔に広げたご飯の上に並べていく。甘辛い韓国味噌「サムジャン」を適量垂らして巻きすで巻くと完成だ。

記者が作った韓国海苔巻き「キンパ」

米を炊く以外、正味30分程の調理時間。一口サイズに切り分けて口に運ぶと、よく揚がった厚揚げは鶏の唐揚げのような味と食感。サムジャンの旨味と合わさり食べ応えも十分だ。味にも感激したが、手軽さに驚いた。(柴田大輔)

続く

◆「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」は880円(消費税込み)

町の「光」を観る(2)《デザインを考える》8

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イラストは筆者。左はシナ織体験、右はハサかけ体験

【コラム・三橋俊雄】S町では、日常の「いとなみ」の中に、自然とともに人びとが長い年月をかけて育てあげてきた町の「光」があり、それらの「光」を絶やさず守り磨いてきた人びとの姿がありました。

S町は「名人」の町

コラム7(4月16日掲載)で紹介したシナ織のHKさんの他にも、八幡祭りを盛り上げるために子ども御輿(みこし)や笹川民謡流しを考案したTSさん、名勝笹川流れの案内が得意のWHさん、地元で採れる魚の売り口上なら誰にも負けないOMさん、昔ながらの木船作りが村で一番のTHさん、フグちょうちんやサザエ人形作りが得意のTNさん、盆栽・サツキ作りのSSさん。

郷土料理のアワ笹巻・筍(タケノコ)巻き作りが上手なSIさん、町に伝わる民話の語り手HTさん、マタタビざる・スゲ笠作りのKSさん、馬沓(まぐつ=馬のわらじ)・雪沓(ゆきぐつ)作りのTYさん、コクワヅル細工のSRさん、ベテラン海女のTIさん、笹川流れのカキ採り名人HYさん。

米俵・民具作りのSTさん、杖(つえ)作りに励むSHさん、南部地区の歴史に詳しいSTさん、磯見漁の名人WSさん、昔ながらの桶(おけ)・結婚式用の角樽(つのだる)作りのISさん、陶器で「カッパ」を製作しているAKさん、色紙を用いた切り絵細工のNMさん、祭りに使われる梵天(ぼんでん)を製作するTMさん。

S町は様々な「光」を発信する名人たちの町でもありました。

町民が発見した「光」

11月には恒例の「S町産業祭」が盛大に開催され、その一角で「豊かな観光地づくりを語る町民の集い」が催されました。その集いは、町民がどのような「光」を自らの地域に見い出しているかを一堂に会して議論し、今後の観光開発の方向を具体的に見定めていくために開かれたものでした。

会場に集まった町民たちからは、町の観光開発に向けた具体的な提案が200件も寄せられました。

それらを整理すると ①山北町の身近な自然に関連した「日本海に沈む夕日写真コンテスト」「海・山のキャンプ村づくり」②集落の歴史・生活文化にかかわる「八幡宮奉納相撲イベント」「集落対抗味噌づくり合戦」③日常の暮らしを学ぶ「ハサかけ体験」「シナ織体験」「海辺のなりわい体験」④S町住民との触れ合いを中心とした「碁石海岸での囲碁大会」「河川敷での大芋煮会」―など、いずれも町に内在する自然的・人工的環境資源、産業的資源、生活文化的資源に着目したアイデアでした。

すなわち、S町の人びとにとっては、「身近にある豊かな自然」「集落の歴史・生活文化」「日々のなりわい」「町民との触れ合い」そのものが、観光開発のための貴重な資源であるということでした。私たちは、この「町民の集い」に寄せられた具体的な提言を貴重な資料としながら、S町における観光開発基本計画を立案していくことが肝要であると感じました。(ソーシャルデザイナー) 

新シリーズで2年ぶり写真展 土浦写真家協会会長 オダギ秀さん

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2年ぶり19回目の写真展を開催しているオダギ秀さん

土浦写真家協会会長のオダギ秀さんの写真展「新たな新地平に向かって2024」が18日から23日まで、つくば市高野台のカフェギャラリーロダンで開かれている。オダギさんの個展は20年前から毎年開かれているが、昨年は準備が整わずに中止されており、2年ぶりになる。

歳月(オダギ秀写真展から)

今回は帆引船や亀城公園の写真も

「昨年は突然中断し、そのショックでこの1年間ぼけていたが、改めて決意し『新たな地平に向かって』という新シリーズをスタートさせることにした」

喫茶店に併設された小さな展示スペースには、15点の写真が飾られている。壊れかけた実家の竹垣、庭に咲いた青色の朝顔など日々の生活から切り取ったもの、お地蔵さまや小仏堂など路傍で見掛けたものが中心だが、今回は霞ケ浦の帆引船や亀城公園の城門など土浦市の観光写真として使えるものも加えた。

シャッターを切るいとおしい瞬間

夕陽を浴びて(同)

土浦市在住のオダギさんの専門はコマーシャルフォト全般。同時に写真家として写真撮影教室を開き、地域の写真愛好者の指導もしている。2年前には土浦写真家協会を立ち上げた。土浦市観光協会主催の「土浦の写真コンテスト」の審査員もしており、NEWSつくばのコラムニストでもある。

19回目になる今回の写真展については「ポケットの紙切れにメモしたような、通りすがりにチラッと見ただけのような何気ない作品を、目立たぬように少しだけ飾って、行きずりの誰かの心がちょっとざわめくーそんな個展を開いていきたい」と語る。

「写真を撮る瞬間は、ほんの数十分の一秒とか、場合によっては数千秒分の一秒という非常に短い瞬間。ここにある全作品を合わせても、数十分の一ぐらいしかにならない。私の数十年の人生(今年79歳)と比べたら、余りに短い瞬間でしかない。そんな瞬間でも、わざわざシャッターを切った瞬間なのだから、私にはいとおしい瞬間と言える」

ああ大師堂(同)

写真だけでなく説明の文章も好き

19日午前、写真展を訪れた土浦市在住の夫婦は「10数年前にデジタル一眼レフ講座で写真の撮り方を教えていただいた。それ以来、個展は毎回拝見している。写真も好きだが、写真に付いている文章も好きです」と述べ、15作品を丁寧に見て回った。

タイトル「冬のこずえ」の文を見ると「そろそろ日が暮れるころ、気紛れに遠回りをし、見知らぬ道を帰った。正面に見えた樹が、なぜか自分のようだったので車外に出た。思った以上に冷たい風に驚かされた。群雀が頭上を一瞬よぎったが、戻ってくる気配はない」と、詩のような説明文が掛かっていた。(岩田大志)

冬のこずえ(同)

第19回オダギ秀写真展 5月18日(土)~23日(木)、つくば市高野台3-15-35、カフェギャラリーロダンで開催。開館時間は午前11時~午後4時。入場無料。

市民より職員が大事? つくば市の不思議《吾妻カガミ》183

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】元国立研究機関研究者の投稿「つくば市の過剰な管理職数の問題を考える」(5月1日掲載)はとても勉強になりました。市の予算配分と職員構造の問題点を分かりやすく分析してくれたからです。NHK連続ドラマ「虎に翼」の主役の口癖を借りれば、つくば市の「はて?」をいくつか提起してくれました。

縦横斜めから職員人件費を分析

元高エネルギー加速器研究機構准教授の酒井氏は投稿の中で、現市長下で市職員の人件費が大幅に増えたと指摘しています。1期目~2期目半ばの6年の間に、人口が8%増えたのに伴い歳出は24%増え、職員の人件費も20%増えた―と。

前市長の2期目終年と3期目終年を比べると、人口は5%増、歳出は19%増と、現市長下と似たようなトレンドでしたが、人件費の方は2%増にとどまっていました。現市政でお留守になった行政改革が徹底していたからでしょう。

上の数字は現市政と前市政の比較です。そこで、歳出に占める人件費の割合(2022年度)を調べたところ、土浦市は15.1%、水戸市は13.5%なのに、つくば市は18.8%でした。縦(前市政と現市政)で比べても横(つくば市と他2市)と比べても、現市長下の人件費支出は突出しています。

この問題を斜めから(市民目線で)チェックすると、「2024年度予算では…市民1人当たり8.3万円になります。(前市長時代の)16年度は7.1万円ですから、現市長下で17%も増えた…」(酒井氏投稿)ということですから、つくば市民は甘く見られたものです。

行革の緩さは市長2期目に加速

ここまで書いてきて、五十嵐市長が市民を名誉毀損(きそん)で提訴した一件を思い出しました。元市議の亀山氏が発行したミニ新聞の市政批判記事はウソが多いと、同氏を訴えた裁判沙汰です。その概要は、126「…市民提訴 その顛末を検証する」(2022年2月7日掲載)をご覧ください。

名誉を傷付けられたと訴えた箇所は全部で22ありました。うち、ミニ紙が「(五十嵐市政3年目の人件費は前市長時代に比べて年間)7億6500万円も増えており、(市原前市長時代の行政改革の)努力が水泡と消えてしまいます」とした箇所について、五十嵐市長側は「あたかも原告(市長)の施策により税金を無駄に使っているように(読者を)誘導するもの」と論述していました。

引用した金額は酒井氏が示した数字とは違いますが、ミニ紙も人件費支出の甘さ=行革の不徹底を突いているという点では同じです。この記事は市人事課の資料を使って書かれていましたから、ファクト(事実)でありフェーク(虚偽)ではありません。五十嵐市政1期目の行革の緩さは2期目も続いているどころか、加速しているようです。

横柄な市民対応は構造的な問題

冒頭リンクを張った酒井氏の投稿は、人件費過剰問題よりも管理職過剰問題に紙幅が割かれています。係長級(係長・主任主査)も管理職なのかどうか、コメント欄で論争がありましたが、係長級以上を管理職とする酒井氏の定義には説得力がありました。つくば市の場合、その割合が正職員全体の53%というのは驚きです。

土浦市はこのシェアが32%(2021年度)だそうですから、つくば市の「過半」は異常です。こういった職員構造が横柄な市民対応の原因なのだとすれば、はて? (経済ジャーナリスト)

「孤立の風景」筑波大大学院生 野一色優美さんが個展 つくば スタジオ‘S

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個展を開催する野一色優美さん。手前の床面の作品は「孤立の風景」、奥の壁面の作品は「その気に触れて」=つくば市二の宮、スタジオ’S

筑波大学で日本画を研究する大学院生、野一色(のいしき)優美さん(25)の個展「孤立の風景」が17日から26日まで、つくば市二の宮のギャラリー、スタジオ‘S(関彰商事つくば本社内)で開催されている。日本画で伝統的に使用される麻紙(まし)の表現の可能性を模索しながら、人の記憶や感情の揺らぎを主題にした作品など6点が展示されている。

会場中央に展示されている作品「孤立の風景」は、麻紙を割いたり、もみ込んだり、糸で縫い合わせたり、一部を炎で焦がすなどした後、墨をにじませ、岩絵具やアルミ泥などで仕上げた。作品は縦約3メートル、横約2メートルで、床面から50センチほど浮かんだように展示され、周囲の床には、自身や友人らが実体験した言葉が印字されたトレーシングペーパー300枚ほどが散らばっている。

野一色さんは「経験などを通して得た思いや印象などの記憶が、時間経過により希薄になっていき、経験した本人と記憶が分断され、ただ想いだけが取り残された感覚を表現している」とし「自らが死に直面するような出来事や体験があったとしても、 そのときに感じた不安や葛藤は、後々にはどこか他人事のように思えてくるようなことがある。トラウマだけが残りながら記憶がだんだんと孤立していく様子を、浮遊していくような一つの風景として表現した」と語る。

約1カ月間、スタジオ‘Sに滞在しながら制作し設営して、作品の世界観を作り上げた。会場入り口には、自身が棺(ひつぎ)に入った姿を表現した作品「エピローグ」を展示している。

野一色さんは大阪市出身。美術系の高校で岩絵の具や金箔、銀箔に触れたことが日本画を専攻するきっかけになった。滋賀県内の美術大学を経て現在、筑波大大学院人間総合科学学術院の博士課程に在学し、麻紙や岩絵具などを使用しながら、作品の形にとらわれない不定形の基底材での表現を研究している。

「今までは人物画を中心に制作を続けていたが、人物を描く過程で、人物そのものを描きたいのではなく、人の持つ思いの揺らぎや記憶を日本画で表現したいと思うようになり、様々な作品形態を追求している」という。

2021年には個展「その気に触れて」をギャラリーキューブ(滋賀県)で、2022年は「颯」を高島屋大阪店と横浜店で、2023年は「藍より青し」を総本山三井寺(滋賀)などで開催している。

今後の活動について野一色さんは「今までの日本画に制限されない作品を作っていきたい」と述べる。(榎田智司)

◆野一色優美個展「孤立の風景」は5月17日(金)~26日(日)、つくば市二の宮1-23-6、関彰商事つくば本社敷地内、スタジオ’Sで開催。開館時間は午前11時~午後5時。入場無料。詳しくはスタジオ‘Sのホームページへ。

「花火の日」は年に3日もある?《見上げてごらん!》27

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写真は筆者提供

【コラム・小泉裕司】5月28日は「花火の日」。8月1日、そして8月7日も。年に3日ある「花火の日」は、それぞれ起源となった出来事や設定目的が異なる。

528日:由来は両国の川開き

昨年、4年ぶりに開催された隅田川花火大会は、観客数103万人で過去最多を記録。昨年の国内の花火大会でも最多に違いない。今年の大会(7月27日)も、すでに有料の市民協賛席はほぼ完売状態だ。

この隅田川花火の前身「両国の川開き」は、日本の花火大会の起源とされており、1733年(享保18年)5月28日、徳川吉宗が飢饉(ききん)などの犠牲者の鎮魂や疫病退散祈願のために花火を打ち上げたことから、「花火の日」の由来とされている。

制定団体などの詳細は確認されておらず、しかも、根拠としている徳川吉宗川開き説は、歴史的記録が存在しないことは、本コラム16「日本の花火大会のルーツは?」(23年7月16日掲載)で紹介した通り。

今さら、素人の私が声高に「偽史」を叫んだところで「野暮」と言われるだけ。人は「偽史」に引かれるのだから、これはこれで良し。

81日:由来はマルチな出来事

参考文献では、1967年に煙火業者が中心となり、がん具花火の安全な消費運動を目的に制定したとあるが、いくつかの出来事が偶然にもこの日に重なったことに由来するようだ。

一つ目は、終戦後、GHQに禁止されていた花火製造と販売が1948年8月1日に、限定的ではあったが解禁されたこと。

二つ目は、この解禁に伴い、同日から「両国川開き大花火」が再開したこと。三つ目は、1955年8月1日、都内本所厩橋(うまやばし)の玩具花火問屋で大規模な爆発事故が発生し、多くの死傷者が出たこと。

さらに、世界一の花火大会とも称された「教祖祭PL花火芸術」(大阪府富田林市)が開催されていたことも由来とされているが、1953年から66年続いたこの大会は、新型コロナの流行で昨年まで4年続けて開催されていない。

ちなみに、火薬の使用を禁止したGHQは、特別な日に日本の花火職人に基地で花火を打ち揚げさせることもあったようで、日本の花火に魅了されていたGHQが花火業者の訴えに耳を貸し、解禁が実現したという。匠の技は、不変なのだ。

87日:由来は語呂合わせ

8月7日は、「ハ(8)ナ(7)ビ(日)」と読む語呂合わせから、日本煙火協会が、おもちゃ花火の文化伝承とマナーの向上を図ることを目的に制定した記念日。2017年に「おもちゃ花火の日」として、日本記念日協会が認定・登録したもの。

煙火協会は6~8月をおもちゃ花火の安全消費月間に定め、「花火は危険である」という他の業種には類がない逆転の発想で、「ルールを守って楽しい花火」をスローガンに、全国で啓発活動を行っている。

8月7日開催の花火大会で人気なのは、「神明(しんめい)の花火」(山梨県市川三郷町)。色彩豊かな花火に魅了されたコアなファンが多い。発売後数秒で完売となる有料観覧席は、今年はふるさと納税に紐(ひも)付けて発売中。

「土浦花火の日」を提案

第1回土浦全国花火競技大会は、99年前の1925年9月5~6日の2日間、霞ケ浦湖畔で開催された。来年は100周年のアニバーサリー。この9月5日を「土浦花火の日」に制定してはどうだろう。記念日協会の登録は経費がかさむので、自称ということで!

本日は、この辺で「打ち留めー」。「シュー ドドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

<参考文献>
「花火の事典」(新井 充、東京堂出版、2016年6月刊)
「日本の花火のあゆみ」(武藤 輝彦、あずさ書店、2000年10月刊)
「花火入門 令和5年度版」(日本煙火協会、2023年6月刊)
「花火と土浦」(土浦市、2018年3月刊)

かわいい獲物《短いおはなし》27

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

人間の姿をしているが、実は私は妖怪だ。
普段は山奥に身を潜めているが、ときどき食料を探しに街に来る。

私たちの食料…もちろん人間ではない。人など食べない。
私たち一族は、猫が好物だ。「猫食い族」なんて呼ばれている。

飼い猫には手を出さない。その辺はわきまえている。
捕まえるのは野良猫だ。
私は公園に身を置いて、野良猫を待った。

数日後、段ボールに入った猫が捨てられた。
猫は2匹。『誰か拾ってください』と、書いてある。
これは犯罪だが、私にとっては渡りに舟だ。

猫に手を伸ばした時、ランドセルを背負った女の子が声をかけてきた。

「おじさん、1匹ちょうだい」

「いや… これはわたしの獲物…」

「お願い。わたし、ずっと猫を飼いたかったの」

女の子はまっすぐな目で私を見た。
まあいいだろう。また捕まえればいいし。
私は、女の子に猫を1匹渡した。

「ありがとう。じゃあおじさん、また明日ね」

「明日? なぜだ?」

「だってこの2匹はきょうだいよ。離れ離れはかわいそう」

女の子は小指を出して、無理やり指切りをした。
困った。約束をしてしまった。
まあ、どのみち食べごろには程遠い。しばらくここにいるのもいい。
猫は食料になるとも知らずに、私の懐で無防備に眠った。

翌日、女の子が公園に来た。

「ほら、小雪、一緒に遊びなさい」

「こゆき?」

「うん。この子の名前。白いから小雪。おじさんの猫は何て名前?」

はて…。食料に名前など付けるはずがない。

「名前ないの? じゃあ私が付けてあげる。小雪のきょうだいだから小雨ね」

「こさめ」つぶやいてみると、私の猫がニャーと鳴いた。
女の子は紙袋から何とも歪なおにぎりを取り出した。

「はい、おじさん。ママに内緒で作ってきたの。小雨と分け合って食べてね」

女の子は、じゃあまた明日、と指切りをした。
おにぎりは、小雨も吐き出すほどのしょっぱさだった。

翌日、また女の子が来た。
今度はキャットフードとコンビニのおにぎりを持ってきた。

「お小遣いで買ったの。小雨と一緒に食べてね」

獲物になるとも知らないで、女の子は小雨をなでた。
不思議な気持ちになった。
人間の言葉だと「罪悪感」とでも言うのだろうか。
小雨はキャットフードを夢中で食べた。

翌日、女の子は甘いお菓子を持ってきた。
それを食べた小雨は、甘い匂いがした。不思議な感情が沸いてきた。
「いとおしさ」とでも言うのだろうか。

1週間後、私は小雨と別れた。
女の子にあげたのだ。

「本当にいいの?」

「おじさんは、遠くへ行くんだ」

「わかった。小雨のことは任せて。おじさん、元気でね」

「ありがとう。君はどうしてそんなに優しいんだい?」

「だってパパが言ったの。動物が好きな人に悪い人はいないのよ」

女の子は、小雪と小雨、2匹を抱えて帰って行った。

やれやれ、手ぶら帰ることになってしまった。
猫を食べなくても、おいしいものはいくらでもある。
時代は変わった。
そろそろ食生活を変えてみようと、思い始めていたところだ。

(作家)

車いすに乗った「普通」の友達《電動車いすから見た景色》54

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多様な人の中に車椅子ユーザーも混ざっている(イラストは筆者)

【コラム・川端舞】一度読んで、大好きになった絵本がある。2019年、アメリカのヘンリー・ホルト社から出版され、今年4月にエトセトラブックスより日本語訳が発売された『じぶんであるっていいかんじ:きみとジェンダーについての本』。トランスジェンダーの子どもを持つテレサ・ソーンの優しい言葉と、トランスジェンダー当事者であるノア・グリニのぬくもりのある絵が、子どもたちの心に寄り添っていく。

成長する過程で、子ども自身が自分の中に感じる性のあり方を性自認という。絵本には、出生時に周囲の大人が判断した性別が、その後の本人の性自認と合っていたシスジェンダーの子どもも、出生時に判断された性別と性自認が違っていたトランスジェンダーの子どもも登場する。

性自認が男性である子どもも、女性である子どもも、どちらでもない子どもも登場する。そんな全ての子どもたちに「きみは、きみとして生きていけばいい」と優しく語りかける。大切な人が新しい命を授かったときに贈りたい絵本だ。

作中の登場人物のひとり、JJは「自分は男の子でも女の子でもない」と感じている。性自認が男女という枠に当てはまらない、幅広い性のあり方を「ノンバイナリー」という。JJは、同じくノンバイナリーであるアレックスや、トランスジェンダーの女の子ルーシー、シスジェンダーの男の子ザビエルと、広場に遊びに行く。

実は、絵をよく見ると、JJだけ車いすに乗っている。しかし、文章の中で、JJが歩けないことには全く触れていない。リュックを背負っているかどうか、犬を連れているかどうかと同様に、車いすかどうかは取るに足らない、些細(ささい)なこととして描かれている。

トイレより、遊ぶ方法で悩める社会に

おそらく現実世界ではそうはならない。車いすで広場に行くためには、その近くに車いすが入れるトイレがあるか、そこまで向かうためのバスがバリアフリーかどうかを確認する必要があり、車いすで広場に行く過程だけで物語ができてしまう。一方、トランスジェンダー当事者が出かけようとすると、男女どちらのトイレを使うかという、どうでもいい大論争が起こってしまう。

それは、車いすユーザーや、男女の枠に当てはまらない人たちの存在を無視して、この社会がつくられているからである。機能障害の有無や性別に関係なく使えるトイレが当たり前にあれば、どこのトイレを使うかなど、考えなくて済む。

トイレ問題よりも、「どうやって遊べば、もっと友達と仲良くなるか」という難題に、子どもたちが存分に挑戦できる社会になってほしい。(障害当事者)

コスプレーヤーの高校生ら 動画制作しつくばの古民家をPR

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綾茶葉さんと下邑家住宅の長屋門

江戸時代後期に建築されたとされるつくば市栗原の古民家、下邑(しもむら)家住宅で、コスプレーヤーなどの愛好家グループ「下邑しぇあすたじお」(藤島正朗代表)が古民家をPRするプロモーションビデオ(PV)を今年4月に完成させた。下邑家住宅では母屋や庭などを含め屋敷全体を撮影用に貸し出している。グループは貸し切りプランを利用し「刀剣乱舞」という人気のゲーム作品をモチーフにPVを制作した。現在X(旧ツイッター)で公開している。

下邑家住宅は、県道土浦大曽根線沿いの長屋門が連なる栗原地区にある。後継者の郷悠司さん(31)らが年に2回マルシェなどを開催するなど、古民家の保存活用方法について模索を続けている(23年5月31日付)。

撮影は4月6日に実施された。コスプレーヤー8人と、イベント参加者10人が加わり、1分42秒の短い動画にまとめられた。Xでの閲覧数は5月15日時点で8000件を超えるなど予想を超える反響を呼んでいる。

PV制作は、コスプレーヤーで千葉県柏市在住の高校3年生、綾茶葉(あやちゃば)さん(17)が発案した。農業を中心に地域活性化を目指すつくば市の合同会社「ワニナルプロジェクト」(4月18日付)のイベント担当で、市内在住の藤島正朗さんから下邑家住宅を教えられ、撮影に使う機会があれば、古民家の魅力が多くの人にもっと伝わるのではないかと「下邑しぇあすたじお」を発足させた。

メンバ―は17歳から34歳の高校生、大学生、会社員らで、コスプレーヤー、映像スタッフなどで構成する。下邑家住宅などつくばの素晴らしいロケ地を拡散し認知度を向上させること目的としている。4月に同住宅で撮影イベントを開催した。今後はつくば市を中心に自然豊かな場所でコスプレ撮影をするイベントを継続的に開催していきたいと綾茶葉さんは言う。

綾茶葉さんは元々アニメ好き。SNS等でアニメキャラクターにふんしたコスプレ写真を見ているうちに自分でも表現したいと思い、コスプレの世界に入った。今回のPVでも刀剣乱舞のキャラクターである加州清光にふんして出演している。

刀剣乱舞はゲームとして制作され、アニメ、舞台、歌舞伎などにもなった人気作品。綾茶葉さんは下邑家住宅について、刀剣乱舞の世界観にぴったりで、関東で撮影にぴったりな場所はここしかないと思ったそうだ。

下邑家住宅の郷悠司さん(31)はPVについて「うちの家のポイントを押さえてあり、自分で撮りきれない部分まで入っていたのでとても良かった。またコスプレーヤーの演技を見ることが出来てとてもうれしかった」と感想を述べた。

綾茶葉さんは「つくば市は愛好家にとって環境が良い、地域を創生させることによって、ロケーションビジネスとしても成功させたい」と話す。

今後は下邑家住宅だけでなく同市上郷の金村別雷神社(かなむらわけいかずちじんじゃ)での撮影も予定している。11月上旬には下邑家住宅でイベントを開く予定という。(榎田智司)

◆PVはXの「下邑しぇあすたじお」で見ることが出来る。

「死が遠ざかった」今の時代《看取り医者は見た!》19

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写真は筆者

【コラム・平野国美】今、週刊誌の表紙を見ると、「飲んではいけない薬」とか「老後の問題」といった医療介護関係の話題が必ず出ています。特に、毎週月曜日に発売される2つの週刊誌はこれらが必須の記事になっています。昭和や平成のころは、こういった記事はほとんどなく、「新橋の居酒屋情報」とか「買ってはいけないマンション」といった記事が多かったのですが…。

私も、『看取りの医者』(2009年、小学館)を出版した後、よくそういった内容の記事依頼を受けました。あるとき、「こんなに毎週、病気や死ぬ話ばかり出していて、いいの?」と編集者に尋ねたことがあります。

答えは「読者層が昭和、平成から変わらないようで、60~70代がメーンなのです。彼らが現役のときは、飲み屋や旅行、家や車の購入方法が関心事でしたが、今の最大の関心は病気や死ですから、そういった話を盛り込まないと売れません。グラビアも、現代の女優やアイドルではだめで、昭和のスターを出さないと…」でした。

「顔に白い布」を見ていた日常

今は「多死社会」と言われる時代ですが、この分野は誰にも未知の世界です。それゆえに、恐怖を感じるのでしょう。

親との同居が当たり前だった大家族時代には、祖父や祖母、もっと言えば曽祖父が同居しており、腰が曲がり、寝たきりとなり、顔に白い布がかかる日を日常の生活で見ていました。その過程に家族として寄り添うことで、現実として受け止めていました。しかし、核家族化の今の時代、病人や高齢者が同居しておらず、リアリティが消失しているのです。

今年の春は気象予報が立てにくく、桜の開花予想が大きく外れました。桜の名所で満開を期待してきた外国人旅行客が「満開かと思ってきたら、もう葉もなく、枯れ枝ではないか」と話していました。そこの桜はまだ蕾さえ小さく、開花前なのですが、日本の桜を見慣れていない彼らには、花どころか葉さえ散ったように見えたのでしょう。

ドラマの中の死だけでは現実味がなく、心に痛みが伴わぬものです。普段から現実を見ることが大切だと思います。昔の地域共同体では共同で葬式を出していました。近所の家での看取りを通し、死を感じることができた時代でした。死は私にも恐怖ですが、仕事ですから私には日常です。自分の親の死に際にしても、周囲に鈍感と思われるほど淡々としていました。自分の人格を疑われるのではないかと思ったほどです。(訪問診療医師)

ハクレンの大量遡上始まる 桜川 つくば 松塚の堰 

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松塚の堰を上った大量のハクレンを指さし説明する桜川漁協の鈴木清次組合長=つくば市松塚の桜川

15日朝、桜川 松塚の堰(つくば市松塚)に、ハクレンが大量に遡上したのを桜川漁業協同組合(鈴木清次組合長)が確認した。朝は水面が真っ黒になるほどだった。大量遡上が確認されたのは今年初めて。夕方には、朝より数は半分ほど減ったものの多くのハクレンが見られ、背びれを水面にのぞかせて泳ぐ様子に、川辺で農作業をしていた近隣住民も驚いていた。

ハクレンジャンプと言われる集団跳躍行動はまだ見られず、何匹かが堰を上ろうとジャンプする様子が観察された。堰を上りきれず浅瀬にジャンプし、岸に打ち上げられたハクレンも5、6匹見られた。

年々遡上する数が増加

桜川漁協の鈴木組合長によると、ハクレンが桜川に大量に遡上し始めたのは3年前からで、年々遡上する数が増えている。「おとといの13日、雨が降ったので桜川が増水し産卵のために上ってきた。今日は松塚の堰はそれほど水が多くない。松塚の堰を上ったハクレンは(さらに上流の)田土部堰(たどべぜき)が閉まっているのでこれ以上は行けず、ここにとどまったり戻ったりしながらジャンプしている。前は利根川のハクレンジャンプが有名だったが、最近は桜川でも見られるようになった」と話す。

20時間で稚魚になり霞ケ浦へ

ハクレンは、1匹のメスに数匹のオスが寄り添って産卵と受精が行われる。受精した卵は下流に流されながら、20時間ほどでふ化して稚魚になるという。鈴木組合長は「3年前には霞ケ浦のワカサギ漁の網にハクレンの稚魚が大量に入り、ハクレンとワカサギをより分けるのが大変だったという話を聞いている」と話し、「去年も今年もワカサギはあまり獲れないと聞く。このままではハクレンばっかりになってしまう」と懸念する。

ハクレンは中国原産の外来魚で、成魚の体長が100センチ、重さが10キロほどになる大型魚。アオコなどの植物プランクトンを餌としている。産卵期が5月から7月で、この時期に集団跳躍をする習性がある。産卵は、産卵日の前日や前々日が雨天で、川の水量が増加した早朝から行われる傾向があるという。

昨年5月には田土部堰でハクレンの大量酸欠死が発見され(23年5月27日付)、6月初めには台風の影響による増水で大量の死骸が霞ケ浦に流される事態が発生した(23年6月2日付)。(田中めぐみ)

県内の生産は低位推移 消費は緩やかに回復【筑波総研リポート】

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茨城県「茨城県鉱工業指数」より筑波総研作成

筑波銀行グループの筑波総研が15日まとめた「茨城県経済の現状と展望」によると、2月の鉱工業指数(2020年=100、季節調整済み)は106.9と、前月比3.5%上昇したものの、低位の水準で推移している。中国経済の減速などを要因に、自動車や建設機械、半導体関連の生産が減少しており、生産活動には弱さが見られるという。

3月の大型家電店販売は大幅増

個人消費は一部に弱さが見られるものの、全体としては緩やかに回復している。3月の販売額を分野別に見ると、百貨店・スーパーは前年同月比5.2%、家電大型専門店は同23.0%、ドラッグストアは同5.6%、ホームセンターは同5.7%の各プラス。コンビニエンスストアは同0.2%マイナスだった。

筑波総研の担当者は「県内のサービス業の声を聞くと、物価上昇で節約志向がうかがえる一方で、宿泊や小売りは良くなっており、個人消費は緩やかに回復している」という。

空港国内旅客はコロナ前水準に

茨城空港の3月の国内旅客数(定期便)は6万650人になり、コロナ禍前の水準に戻っている。しかし、国際線旅客数(定期便)は2081人と回復が遅れている。「台北便は昨年から運行を再開したが、上海便は5月末まで運休、西安便も10月下旬まで運休が続く」ことがその背景。

コロナ禍でクルーズ船の寄港がほぼストップしていたが、県の誘致戦略もあり、今年度は国内船・外国船とも寄港数が増えそうだ。筑波総研が作成した寄港一覧によると、11隻が予定されている。(岩田大志)

5年ぶり200人規模に 18日 恒例の田植祭 JICA筑波

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アフリカやアジア各国から訪れた農業研修員たち

20年以上続く恒例行事の田植祭が18日、国際協力機構(JICA)筑波センター(つくば市高野台)内の水田で催される。当日は、JICA筑波で農業技術などを学ぶアフリカ、アジア、中南米からの研修員と地域住民が力を合わせて苗を手植えする。コロナ禍で2020年から2年間は開催が見送られ、昨年までは人数を制限して開催だった。今年は5年ぶりにコロナ前同様の200人規模での開催となる。

当日は「ネリカ米」を使ったエスニック料理の試食会もある。ネリカ米はアフリカの食糧事情改善を目的に開発され、JICAも品種開発と普及を支援する。

JICAが品種開発・普及を支援する「ネリカ米」。New Rice for Africa(アフリカのための新しい米)の頭文字が名称の由来になった

「日本は途上国を一方的に支援しているわけではなく、開発途上国に支えられている」とJICA筑波連携推進課の西岡美紀さん(38)はいう。食料自給率は4割未満。さらに近年は労働力人口の減少から、途上国とのつながりなしでは人手不足も解消できなくなりつつある。「田植祭の目的はJICA筑波の活動を知ってもらうと共に、交流を通じて、地域の方に日本と世界のつながりや途上国への関心を持ってもらうこと」だと話す。

つくばだからこそできる国際協力

全国に15カ所あるJICAの国内拠点の中でも特に農業に特化する筑波には、各国の政府機関や自治体から来る年間700人余りの研修員が、それぞれの国が抱える課題を解決しようとやってくる。各国の主要な作物について、品質や収量の向上、病害虫対策など、研修員は自国が直面する課題に対する実験計画を立て、日本の指導員と取り組み、最後にテクニカルレポートを作り上げて帰国する。

アフリカ南部のソレトから訪れた農業普及員のマンポ・マリアさんは、キャベツなど主要作物のための土壌研修に取り組んでいる

研修業務を担当する須田麻依子さん(45)は、近隣にある多様な専門機関と連携できるのがJICA筑波の特色だと話す。「つくばには、近距離に専門機関がたくさんある。気候変動を例にすると、農業分野でどう適応していくかを学びたい方がいれば農研機構の専門家にレクチャーしてもらうし、森林分野の問題では森林総研に最新の研究について講義をお願いする。筑波大の先生から海岸地域の気候変動対策に関するお話を伺い実際に施設を見せてもらうこともある。バスで15分も行けば専門家から直接レクチャーが受けられるのは国内でここだけ。オンラインで海外や日本全国の専門家と接続することは可能だが研修でしか学べないことがたくさんある」と話す。

道の駅を自国でオープン

近年は農業県である茨城の特色を生かし、自治体や農家を交えて多角的な視点で農作物に付加価値を付け、市場を広げる研修にも力を入れている。道の駅のアイデアを自国に持ち帰り、実際にオープンさせた例もあるという。

2020年からは研修員と、途上国での活動に関心を持つ企業や大学を結びつけるためのプロジェクト「農業共創ハブ」をスタートさせた。「企業にとっては現地の人の声を聞ける機会になり、研修員にとっても企業から話を聞くことは非常に有益。JICA筑波がハブとなり、日本の民間企業や大学と途上国のつながりが生まれるよう立ち上げた」と連携推進課の西岡さんは言う。

JICA筑波の西岡さん(左)と須田さん

18日の田植祭は、交流を楽しみにする地元住民らから多数の応募があり、予定より早く募集を締め切った。

「アフリカでも若者の農業離れが進んでいると聞く。田植えは研修員にとっても日本人との貴重な交流の場。日本語を勉強している人もおり、地域の日本人との交流の機会になってよかったと言っている。双方向の文化の理解につなげたい」と西岡さんは企画への想いを語る。(柴田大輔)

◆田植祭は5月18日(土)午前10時40分から12時30分まで。場所はJICA筑波圃場内にらう水田で開催する。秋には収穫祭が予定され、例年9月に研修員と稲刈りを楽しみエスニック料理を食する。詳細はJICA筑波ホームページへ。

すてきな「つくばローズガーデン」《ご近所スケッチ》10

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】「せめて連休中に咲いてほしいなぁ」と思っていたら、温暖化のせいか、バラの開花時期が数年前から半月ほど早まりました。今回のテーマは「なぜ人は絵を描くのか?」です。

2年少し前、実母が没した年齢を超えました。いつ「お空」に行くか、わからない。じゃあ、仕事を辞めて本当に好きなことをしよう。絵を描くことに集中しよう、という思いはよかったのですが…。

人生いつまでたっても、たくさん初体験。今年は3カ月半の間に5回も絵の展示。必死でお絵かき。

そうしたら、首から肩の痛みが取れない。絵だけの生活になって、ひどいギックリ腰を2回。展示会前日の夜まで描いているため、膀胱炎にも。疲労から?仕事では締め切り前に徹夜もして、どうにか乗り越えてきましたが…。

24時間絵のことばかり考えて

年齢を重ねたからということだけではなく、24時間絵のことばかり考えて…。仕事はルーチンワーク。自分の絵は新規の世界。全力で毎日走っているような。

仕事をしていると通帳の残高の数字は大きくなるけど、お絵かき(趣味)は残高が減るの…。でも止められないのはなぜ? そんな中、絵の仲間がたくさんできました。結論は出せないけど、「山になぜ登る」というのに似ているかもしれません。

登ったその風景を見たいから。そして自分の登ってきた足跡を振り返ることができるのは「生きてきた」証拠。そんなことで病み付きになるのかもしれません。

今回の「つくばローズガーデン」(つくば市古来)は本当にステキ! 上の絵も下の絵も10年前くらいに描いたものです。(イラストレーター)

点字本で「宇宙と物質の起源」 高エネ機構、筑波技術大と共同制作

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視覚障害者が点字を読んでいる様子(KEK提供)

「私たちはなぜ存在できているのか」という根源的な問いに迫る研究の成果を、視覚障害のある人にも共有してもらおうと高エネルギー加速器研究機構(KEK、つくば市大穂)素粒子原子核研究所(素核研、齊藤直人所長)が点字本「宇宙と物質の起源 『見えない世界』を理解する」を制作した。点訳や図版を触ってたどる触図化などに筑波技術大学(技大、つくば市天久保)障害者高等教育研究支援センターのチームが共同で取り組んだ。

素核研は素粒子、原子核、宇宙という微細と広大の両極を対象に、理論と実験の両側面から研究を行っている。点字本プロジェクトは2022年春に始まった。人文科学系の図書は点訳が比較的容易だが、自然科学系の図書は内容に精通した点訳者が少なく点訳や触図作成が難しいため、あまり流通しておらず、視覚障害者が物理学など自然科学に触れるのは難しい状況だった。

点字本「宇宙と物質の起源」収録の触図(同)

研究が宇宙と物質の起源という「見えない世界」を扱うこともあって、宇宙や物質について「もっと知りたい、学びたい」という視覚障害者の思いにこたえるべく点字本を企画した。同書の原本になる同名タイトルの書籍は今年3月、講談社ブルーバックスシリーズから発刊になっている。研究者がこれまでの知見や、今後の研究で解明が期待されることなどをやさしく解説した入門書となっている。

点字本は、書籍の本文部分が掲載された点字版と、書籍の図の部分が掲載された触図版で構成されている。研究者10人が「宇宙は何でできているのか」「元素の起源」「質量の起源」「力の起源」などのテーマごとに分担して執筆した原稿を、技大のチームが点訳を行った。元素の遷移を元素・陽子・電子・ニュートリノなどの記号を用いて解説したり、物質に質量を与えるとされるヒッグス場のポテンシャルエネルギーを示す式を提示したり、丁寧に説明している。

技大では、在籍する視覚障害の学生たちのために普段から教科書などの点訳を行っているが、素粒子分野の点訳を執筆者と共同で行うことは初めて。一般的な点訳は、すでに出版されている書籍が対象のため、障害者にわかりづらい文章や図の表現が含まれている。そのような場合、点訳者が原本を解釈して点訳を行い、点字本を作成する。しかし今回は、執筆者が原稿を執筆した後、視覚障害当事者による試読を経て文章を校正し、障害者にわかりやすい表現に修正した。

点訳チームと触読校正者が点字、触図を確認している様子(同)

特に、書籍中のグラフや概念図のほとんどを省略することなく、文章と触図で表現した。点字の専門家である大学教職員と素粒子分野の専門家である執筆者が昨夏の1カ月間、議論を重ねたという。

点訳チームのメンバーの一人で、視覚障害当事者でもある技大の田中仁講師は「点字は創案以来、見えない人たちの新たなチャレンジとともに進化してきた。言葉、楽譜、数式、化学式、情報処理、図・表にわたる点字表現の豊かさはそのチャレンジの証です。点字表現の可能性を信じて点訳した」とコメントする。

素核研の齊藤所長は「今回とても印象的だったのは、視覚障害者が視覚以外の情報から対象を理解しようとするその集中力と情熱の深さ。もともと目には見えない素粒子や量子場を研究している我々は、いわば手探りで理解を積み上げていくという意味では、視覚障害者と同じ立場にある。力を合わせて一緒に探求できれば、新たな理解が生まれるのではないか」と期待を述べた。

触図版は個人や大学、研究機関などに貸し出しが可能。「宇宙と物質の起源 『見えない世界』を理解する」(新書判320ページ、定価1320円=税込み)で執筆者の受け取る印税は全額、寄付され、視覚障害者向け図書普及のために使われるそうだ。

◆素核研の点字本プロジェクトポータルページはこちら

悪役どくろ仮面の正体は?《映画探偵団》76

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】映画が始まった。タイトルバックから月光仮面の登場で「どこの誰かは知らないけれど 誰もがみんな知っている」と主題歌が流れると、館内は少年少女たちの大合唱となった。私も歌った。映画館で合唱を経験したのは後にも先にもこのときだけだ。

『月光仮面』は、1958年に作られた国産テレビ映画で大人気を巻き起こし、東映で劇場用映画が製作された。原作は川内康範、主演は大村文武、公開は7月30日。夏休みのときだった。白ずくめのスタイルと黒のサングラスが印象的だった。敵は黒頭巾に銀色のどくろ仮面。白は正義、黒は悪。一目で分かる対照的なコスチュームだ。

月光仮面の正体は祝十郎探偵であることを、子どもたちはみんな知っていた。だが、どくろ仮面の正体は分からなかった。

国際スパイ団の首領、どくろ仮面には、多くの手下がいる。一つは、首領に似た白のどくろ仮面をつけた黒マントの手下ども。もう一つは、黒のソフト帽にトレンチコ一ト姿で顔半分を黒覆面で隠している部下たち。あと一つは、素顔をさらした部下たちで、三つのグループに分かれていた。

私は首領に似た仮面を付けたグループの位が上だと思って見ていたが、黒のソフト帽の男たちのほうがが上のようだった。いささか過剰な組織だが、序列がしっかり決められていた。一方、月光仮面側、つまり祝十郎探偵側には、助手の五郎八らがいるものの階級制はなく、チ一厶といった印象だった。

後編の『月光仮面 絶海の死斗』で、どくろ仮面の正体が分かる。実は善人と思われていた科学者の赤星博士が、悪の親玉だったのだ。演じていたのは佐々木孝丸。オ一バ一な演技ではなく、リアルな大人の演技を見せていた。後に、新劇界の名優だと知る。

正義のフリした悪いやつ

赤星博士は、世間に信用された科学者。私もまんまとだまされた。それにしても、あの3種類の部下たちをどこでリクルートしたのだろうか。部下たちにも科学者がいるのか。赤星博士にとっては、科学者の姿が仮面であり、どくろ仮面の姿が本性なのだ。世間の肩書やイメージを信用しない私のクセは、映画『月光仮面』から始まったようだ。

『月光仮面』を見た後、少しおいて別の東映作品を見た。題名は忘れてしまったが、なんと正義の味方祝十郎役の大村文武が、悪党一味のチンピラ役で出ていたのだ。子ども心に軽いショックを受けた。正義のイメージを裏切られたからだ。映画会社も残酷なキャスティングをするものだ。

当時、作品と作品、映画と現実は地続きに思えていた。だから、正義の味方も悪いやつに変わる場合があると知って驚いた。

ところでテレビの『月光仮面』だが、子どもが月光仮面ごっこでケガしたり、物語に悪い代議士が登場したりしたためか、「俗悪番組」のレッテルを貼られ、正義側のPTAのやり玉に上がり、打ち切りとなる。ひどい時代だった。

正義のフリした悪いやつ。悪いやつに見えるがいいやつ。何事もイメージに流されないように、注意深く観察して正体を見極めようではないか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

加藤彌進彦翁逝く 内原の地で完治の志を継いで《邑から日本を見る》159

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加藤完治が見守る実践学園校舎

【コラム・先﨑千尋】茨城県水戸市内原町にある日本農業実践学園名誉学園長の加藤彌進彦(やすひこ)翁が、3月末に亡くなった。享年102。翁は、満蒙開拓に深く関わり、生涯を農村青少年教育に捧(ささ)げた加藤完治の3男として、1921(大正10)年、山形県に生まれた。

加藤彌進彦翁

北海道大学農学部を卒業後、妻の実家の栃木県山前村(現真岡市)で農業に従事し、同村農協監事として農協再建に奔走した。52年、父完治が戦後に入植した福島県西郷村(現白河市)の白河報徳開拓地に移り、開拓農協の組合長に就任した。組合長として、道路網の整備、飲料水の確保、電気の導入など農業以前の諸問題の解決に努力し、農業面では酪農経営を柱とした。

58年に、ヨーロッパで農業実習をしたいという夢がかない、国際農友会から派欧農業実習生としてスイスに派遣された。配属された農家は首都ベルン市近郊にあり、酪農と畑作の混合経営。1年半、厳しい自然条件の中で、牧草刈りなど汗まみれになって働いた。

スイスは、2度の世界大戦に翻弄され、その苦い経験から、国民が必要とする食糧は国内で作るという方針を国是としてきた。「農産物価格は農家の生産費を補償する」ことになっており、山岳地帯の農業に対しては手厚い配慮がなされた。アルプスの景観は、国からの農家への直接補償がもたらしたものだ。

翁の長男で現日本農業実践学園理事長の達人さんは「スイスでの体験は父彌進彦の人生の土台になっている。農業に打ち込む生き方はこの時期に定まった」と語る。翁は「スイスは第2の故郷」と書き残している。

帰国後も翁は乳価の引き上げや東京への送乳など酪農組合の諸問題の解決に奔走し、白河の地に骨を埋める気持ちでいた。県議への出馬を要請されるなど、政治の世界への関心も持っていた。

戦後の農協運営や農村青年教育に貢献

しかし、64年春に、日本国民高等学校協会の那須皓理事長から呼ばれ、日本高等国民学校長就任を要請された。現在の実践学園は、当時は日本高等国民学校という名称だった。その後、日本実践大学校になり、91年に現在の校名になった。協会はその運営母体だ。翁は「校長だった80歳の父・完治にこれ以上の苦労はかけられない」という思いもあって、同年9月に校長に就任し、93年まで務めた。校長退任後も、95歳になるまで学生の指導に当たった。

就任に際して、校長自ら学生とともに農業の実践に取り組むこと、学校の経営基盤を確立すること、職員の待遇改善を図ることの3つを自らの任務とした。達人さんによれば、初代完治は立派な農民を育てる教育者であり、農業はカネもうけのためにあるのではないと考えていた。学校経営のことは考えずに、ひたすら教育のみ。学校経営の支援は、元農林大臣の石黒忠篤、財界の渋沢栄一らが担っていた。しかし、それらの人々が世を去り、支援は期待できなくなっていた。

翁が校長に就任して取り組んだのは、学校施設の農場中央への移転、酪農部の新設、栄養士養成課程の創設、外国人研修生の受け入れ、水田の改良と職員住宅の改善など多岐にわたる。初代の時には国からの補助金は入れてこなかったが、翁は積極的に農林省に働きかけ、施設の建設費や人件費に補助金を得ることができた。民間の支援が得られなくなったからでもある。同校の卒業生は累計で約6000人。全国の農村で活躍している。

戦後の農協運営や農村青年教育に深く関わってきた翁の逝去は、一つの時代が終わったことを私に知らせてくれた。今後は、バトンを受け継いだ次の世代が新しい農の未来を開いていってくれることを願うばかりだ。(元瓜連町長)

700種2000株のバラ栽培 つくばローズガーデン 一般公開始まる

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一般公開が始まり、園内で花を楽しむ来場者=つくば市古来、つくばローズガーデン

つくばローズガーデン(つくば市古来)のバラが開花を迎え、11日一般公開が始まった。初日の朝から多くの人が園を訪れ、バラの写真を撮ったり、香りをかいだりしながら、花を話題に会話を弾ませていた。園主の藤沢仁子(まさこ)さんによると現在は一分咲きで、見ごろを迎えるのは18日ごろから25日のあたりまで。6月上旬まで開花を楽しめるという。

SNSの口コミで若者の来園増

約3000平方メートルの園内に、約700品種、2000株のバラを植えて育てている。一般公開はブログやインスタグラムで告知しているだけだが、昨年はシーズン中に約3000人が来園した。園主の仁子さんによると、SNSが普及し始めてから、来園者が園内の写真を投稿して広まるようになり、近年は20代、30代の若い来園者が多く訪れているという。

園は元つくば市長の藤沢順一さん(84)が作り、2005年から一般公開している。藤沢さんは入浴施設つくばユーワールド(同市下原)の代表。施設の風呂にバラの花びらを入れるというアイデアを聞き、「それなら自分がバラを作ってやるよと芝生広場に育て始めた」と話す。雑誌などで情報収集し、イギリスやフランスのバラ、オールドローズなど多品種を集めた。東京農大で農業を学んだ知識を生かして栽培に取り組み、今も毎日2時間程度せん定などの作業を行っているが「バラの手入れを大変と思ったことは一度もない」とのこと。中国で発見されたというつる性のバラ「リージャンロードクライマー」がお薦めと紹介する。

藤沢順一さんお薦めのつる性の「リージャンロードクライマー」=同

バラと宿根草の組み合わせでデザイン

園主の仁子さん(45)はピンク系の多いバラが引き立つよう、白や寒色系のクレマチスなど宿根草約140種類を栽培。立体感のある、絵画のような彩りのガーデンを作り上げた。お薦めは大輪の「ピエールドロンサール」。昨年は夏の酷暑で多くのバラと宿根草が枯れてしまい、植え替えを行った。今年に入ってからも気温の上がり下がりはあったものの、例年通りの花付きで、来週末には最盛期を迎える。「バラが満開になるとまた全く違った光景となる。宿根草とバラの組み合わせをぜひ見ていただきたい」と来園を呼び掛ける。

市内から訪れた男性は「バラが好きで毎年ここに見に来ている。自宅でも鉢で育てていて、冬の手入れは花もないしトゲはあるしで大変だが、花を咲かせてくれると大変さも忘れる」と話し、白いバラの苗を新たに購入していた。(田中めぐみ)

◆園内では18日(土)につくば市在住のピアニスト永田ジョージさんによるジャズライブ、25日(土)には県南で活動するビッグジャズバンド「スターライトオーケストラ」によるライブが開催される予定。また17日(金)からはつくば市や土浦市でヨガ教室を開く新井昌子さんが教えるガーデンヨガも開催される。

◆つくばローズガーデンは、つくば市古来458。今年の一般公開は5月7日(日)~6月2日(日)までの予定。開園時間は午前9時~午後5時(入園は午後4時半まで)。入園料は一般300円~500円(開花状況により変動)、小学生以下無料。同園のホームページはこちら

庭の巣箱にやって来たシジュウカラ《続・平熱日記》157

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】廃材で作った巣箱を庭のカツラの木にかけたのは冬のこと。母屋からの距離わずか3メートルのところ。居間の掃き出しのガラス窓からは手の届きそうな位置だ。

4月初旬。春眠暁を覚えず、処々に啼鳥(ていちょう)を聞く。「ツピッ、ツピッ」という鳴き声はシジュウカラだ。巣箱をのぞいている。シジュウカラはたいてい夫婦でやってくる。「どう?」「うーん、いいかもしんない!」と会話をしているようにさえずっている。

まあ、よくご覧になってお決めください。もしかしてと思ってググると、ゴジュウカラというのもいるそうで、してみるとサンジュウカラやロクジュウカラはいるのかと思いきや、これがいないらしい。

しばらくしてまたやってきた。同じ夫婦なのかどうかはわからない。よく見ると、1羽が何か巣の材料になるようなものをくわえているのが見えた。どうやら本格的に巣作りを始めたようだ。本能とはいえ、とても甲斐甲斐(かいがい)しく巣に戻っては飛び立っていく姿はとてもかわいらしい。それにしても実に器用に5百円玉ほどの穴から出入りする。

四季豊かなこの国では…

ところで、茨城県の鳥はひばりだそうで、確かにこの家を建てたころは周りが野原で、ひばりがホバリングして鳴いているのを見ると、春が来たという実感があったのを思い出す。

だけど、住宅が隙間なく立ち並んだ今、気が付けばひばりの声はしない。それから、先日孫と井の頭公園に行ったらインコが電線にとまっていて、やっぱり違和感あったな。「電線にスズメが3羽とまって…」という歌もあったが、最近都会でスズメが減っているとか。

以前スペイン語を習っていた時に先生をしていたコスタリカの女性によると、彼の地では鳥は鳥であって、特にシジュウカラだのひばりだのという種類は気にしないらしい。ついでに、食卓の魚も魚であってアジとかサンマといったことも言わないという。

そこへいくと、四季豊かなこの国では「花鳥風月」といったいわゆる風流な感性が古(いにしえ)より受け継がれている。とはいえ、このところの調子っぱずれな気候や、バエるだのインバウンドだので、風情などといったものを感じることもままならない。

連休中に遊びに来た孫は…

さて、シジュウカラ家の巣箱のほぼ正面の軒下、いわばお向かいさんというところには山鳩が巣をかけている。こちらはドタバタ、クルクルと重量感があって騒がしい。その壁一枚隔てた家の中には、パクがすやすやと寝ている。

もうすぐ愛鳥週間なんだそうだ。ほかに愛〇週間なんて聞かないことを考えると、やはり鳥は人の暮らしに近い生き物なんだろう。連休中に遊びに来た孫も、飽きずに巣箱に出入りするシジュカラを眺めていた。(画家)