月曜日, 10月 12, 2026
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5年ぶり200人規模に 18日 恒例の田植祭 JICA筑波

20年以上続く恒例行事の田植祭が18日、国際協力機構(JICA)筑波センター(つくば市高野台)内の水田で催される。当日は、JICA筑波で農業技術などを学ぶアフリカ、アジア、中南米からの研修員と地域住民が力を合わせて苗を手植えする。コロナ禍で2020年から2年間は開催が見送られ、昨年までは人数を制限して開催だった。今年は5年ぶりにコロナ前同様の200人規模での開催となる。

当日は「ネリカ米」を使ったエスニック料理の試食会もある。ネリカ米はアフリカの食糧事情改善を目的に開発され、JICAも品種開発と普及を支援する。

JICAが品種開発・普及を支援する「ネリカ米」。New Rice for Africa(アフリカのための新しい米)の頭文字が名称の由来になった

「日本は途上国を一方的に支援しているわけではなく、開発途上国に支えられている」とJICA筑波連携推進課の西岡美紀さん(38)はいう。食料自給率は4割未満。さらに近年は労働力人口の減少から、途上国とのつながりなしでは人手不足も解消できなくなりつつある。「田植祭の目的はJICA筑波の活動を知ってもらうと共に、交流を通じて、地域の方に日本と世界のつながりや途上国への関心を持ってもらうこと」だと話す。

つくばだからこそできる国際協力

全国に15カ所あるJICAの国内拠点の中でも特に農業に特化する筑波には、各国の政府機関や自治体から来る年間700人余りの研修員が、それぞれの国が抱える課題を解決しようとやってくる。各国の主要な作物について、品質や収量の向上、病害虫対策など、研修員は自国が直面する課題に対する実験計画を立て、日本の指導員と取り組み、最後にテクニカルレポートを作り上げて帰国する。

アフリカ南部のソレトから訪れた農業普及員のマンポ・マリアさんは、キャベツなど主要作物のための土壌研修に取り組んでいる

研修業務を担当する須田麻依子さん(45)は、近隣にある多様な専門機関と連携できるのがJICA筑波の特色だと話す。「つくばには、近距離に専門機関がたくさんある。気候変動を例にすると、農業分野でどう適応していくかを学びたい方がいれば農研機構の専門家にレクチャーしてもらうし、森林分野の問題では森林総研に最新の研究について講義をお願いする。筑波大の先生から海岸地域の気候変動対策に関するお話を伺い実際に施設を見せてもらうこともある。バスで15分も行けば専門家から直接レクチャーが受けられるのは国内でここだけ。オンラインで海外や日本全国の専門家と接続することは可能だが研修でしか学べないことがたくさんある」と話す。

道の駅を自国でオープン

近年は農業県である茨城の特色を生かし、自治体や農家を交えて多角的な視点で農作物に付加価値を付け、市場を広げる研修にも力を入れている。道の駅のアイデアを自国に持ち帰り、実際にオープンさせた例もあるという。

2020年からは研修員と、途上国での活動に関心を持つ企業や大学を結びつけるためのプロジェクト「農業共創ハブ」をスタートさせた。「企業にとっては現地の人の声を聞ける機会になり、研修員にとっても企業から話を聞くことは非常に有益。JICA筑波がハブとなり、日本の民間企業や大学と途上国のつながりが生まれるよう立ち上げた」と連携推進課の西岡さんは言う。

JICA筑波の西岡さん(左)と須田さん

18日の田植祭は、交流を楽しみにする地元住民らから多数の応募があり、予定より早く募集を締め切った。

「アフリカでも若者の農業離れが進んでいると聞く。田植えは研修員にとっても日本人との貴重な交流の場。日本語を勉強している人もおり、地域の日本人との交流の機会になってよかったと言っている。双方向の文化の理解につなげたい」と西岡さんは企画への想いを語る。(柴田大輔)

◆田植祭は5月18日(土)午前10時40分から12時30分まで。場所はJICA筑波圃場内にらう水田で開催する。秋には収穫祭が予定され、例年9月に研修員と稲刈りを楽しみエスニック料理を食する。詳細はJICA筑波ホームページへ。

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