日曜日, 12月 28, 2025
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夏の夜の道 《ことばのおはなし》72

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】つくばで暮らすようになって10年が経つけれど、最近のように暑さの続く夜道を歩いていると、ふと遠くに来てしまったような感覚に襲われることがある。

最初の数年は、単に自分がこの街に慣れていないからだと思っていた。たまに地元に帰ると感じる懐かしさは、単純に慣れ親しんだ風景によるものだと疑うこともなかった。しかし、違ったのだ。この街には、潮の香りがない。違和感の原因は、何かがあることではなく、何かがないことだったのだ。

私は東京のいわゆる下町で育った。家から少し歩いても海が見えるわけではないが、比較的東京湾は近く、隅田川をはじめとしたたくさんの川が流れている。地図を眺めれば、「深」や「洲」、「潮」など、水に由来のありそうな地名ばかりで、特に夏の夜になると、決まって海から流れてくる風に乗って潮の香りがする。住んでいたころは全く気が付かなかったが、それはいつのまにか、自分にとってあって当然のものになっていたのだろう。

つくばの香り?

さて、この半年ほど、なんのご縁か、再び育った街の近くで仕事をすることになった。近くとはいえども、少し内陸寄りのせいか、夜になっても潮の香りはしない。しかし、つくばとも何か違った香りがするのだ。

「何の香りなんだろうなぁ」と夜道をスンスンしながら歩くのだが、いまだによくわからないでいる。はたから見たら完全に不審者なのだが、気になるので仕方ない。スンスンしながら夜道を歩く。そして、つくばエクスプレスでつくばまで戻り、駅を出ると「ああ、つくばに帰ってきたな」と感じるのだ。これはもしかすると、つくばの香りなのだろうか。わからない。

まぁ、私がその要因に気づくのは、いつか遠くに引っ越した時かもしれないし、一生わからないのかもしれない。それでも、いつかその何かが、自分にとって当然のものになってくれたらうれしいような気がしているのだ。(言語研究者)

痴漢・盗撮被害防止ポスターを作り直そう 筑波大生有志がイベント

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イベントポスターを掲げる上田咲希乃さん(左から3人目)と運営メンバー

つくばエクスプレス(TX)の駅構内などで目にする、痴漢や盗撮の注意を呼び掛けるポスターの問題点、改善点について話し合い、新たにオリジナルのポスターを制作するイベント「ちかん、盗撮 誰のせい?」を、筑波大学の学生有志が8月10日、つくば駅前のつくばセンタービル1階 co-en(コーエン)で開催する。県内在住の高校生、大学生、社会人などと、痴漢・盗撮被害について考える。

主催者代表を務めるのは、筑波大学社会・国際学群、社会学類3年の上田咲希乃さん(21)。同大生、院生、卒業生9人が集まり、今年6月、「ちかん、盗撮 誰のせい?」プロジェクトを立ち上げた。

上田さんは、TX駅構内に掲示されている痴漢・盗撮被害防止ポスターを見て「被害者がスカートを履いている、夜道に1人で歩いているなどの状況で被害に遭いやすいと書かれており、被害者の側が特定の服装を控えるよう受け取れることや、被害者に自衛を求める姿勢に違和感がある」と感じ、同じ問題意識を持った仲間に呼び掛けた。

今回のイベントは、痴漢・盗撮被害防止ポスターの提供元であるつくば警察署の協力や、市ダイバーシティ推進室と連携し実現することができた。

参加者はA4の紙を用いて、1人一枚ずつポスターを制作する。参加者のアイデアや意見を参考に、同団体が新たにポスターを作成する予定で、TXの駅構内や、同警察署が管轄するショッピングモールに掲示してもらう予定だ。

ほかに、臨床心理学や犯罪心理学が専門の同大の原田隆之教授、社会学やジェンダー問題が専門の鈴木彩加准教授によるトークセッションを開いたり、性暴力や性差別をなくすために活動する慶應義塾大学の学生団体などが出展する痴漢・盗撮被害に関するブースを通して、参加者は必要な知識や情報を集め、ポスター作成に取り組む。

会場の全員が安心して参加するためのルールを定め、参加者のプライバシーを守り、過去にトラウマを抱えた参加者なども心理的に安心して参加できるよう環境づくりをする。

上田さんは「現状のポスターに違和感を感じない人がいるのも事実。被害者の責任、過失とも受け取れるような現在のポスターや、社会でこれまで形成されてきた痴漢・盗撮被害を軽視する風潮などの問題点を、参加者が認識し見つめ直す機会になれば」と話し、「この問題に本気で取り組み、最終的には注意を呼び掛けるポスターなしでも、痴漢・盗撮犯罪やその予兆が起こらない社会を目指したい」とした。(上田侑子)

◆イベント「ちかん、盗撮 誰のせい?」は、つくばセンタービル1階 co-enのcoイベントスペースで、8月10日(土)午後2時〜4時半まで開催。参加費無料。参加者は先着20人。申し込みは、同団体申込フォームへ。詳しくは同団体公式インスタグラムへ。

新千円札の北里柴三郎《くずかごの唄》141

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明治25年に行われた薬剤師国家試験合格者の集合写真(左)と平沢有一郎(写真とイラストは筆者)

【コラム・奥井登美子】祖父の平沢有一郎(上の写真右)は慶應3年(1867)に生まれた。明治25年(1892)に行われた薬剤師国家試験で茨城県では初めて合格し、26号の合格証がある。その年に合格した全国28人が大事な実験器具の周りに集まって撮った集合写真(同左)も我が家に残っている。

北里柴三郎は明治25年、福沢諭吉の援助で日本初の伝染病研究所を設立した。次の年、芝白金三光町に結核患者の結核療養所をつくった。諭吉は日本で初めてのこのサナトリウムを「土筆ケ岡養生園(つくしがおか ようじょうえん)」と命名した。

柴三郎を尊敬した奧井有一郎

土筆ケ岡養生園の便せんに書かれた平沢有一郎の手紙(筆者提供)

北里柴三郎の人と仕事を尊敬し、その仕事の手伝いをしたかった平沢有一郎は土筆ケ岡養生園に就職し、夢中で働いていたらしい。この養生園の便箋に書かれた手紙(本欄の写真)が我が家に残っている。彼は結婚して奥井家に入り、奥井有一郎になった。

有一郎の孫にあたる奥井勝二は、私からは義兄になる人。手先が超器用な優しい人で、おじい様をとても尊敬していた。義兄は千葉大学医学部の外科医で、働き盛りのころは考えられないほど忙しい毎日を送っていた。

医療用の機械にロボットなどない時代、医者の体力と技術だけが頼りの手術だったので、ものすごく多忙な毎日だった。胃がんの手術500回分のデータをまとめた資料を見せてもらったこともある。

「今日は有一郎おじい様の命日です。お参りに行きたいけれど、行かれない」

「手術を待っている人、たくさんいらっしゃるのだから仕方ないわよ」

「ごめんなさい。おじい様にお花を挙げておいてください」 

新千円札の顔をなでながら

義兄も、96歳の天寿を全うして宇宙に飛び出してしまった。私は千円札になってしまった北里柴三郎の顔を指でなでながら、この人に痛烈にあこがれた2人の人間がこの家にいたという事実をかみしめている。(随筆家、薬剤師)

水道料金平均15%引き上げが妥当 つくば市の審議会が答申 来年4月から

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答申について五十嵐市長(手前)に説明するつくば市上下水道審議会の白川会長

4人世帯 22%増の月2900円から3550円に

つくば市の水道料金について、同市上下水道審議会(会長・白川直樹筑波大准教授)は29日、来年度から平均15%引き上げることが妥当とする答申書を五十嵐立青市長に提出した。9月3日開会の市議会9月定例会議に提案し、答申通り来年4月からの引き上げを予定している。値上げされれば2018年度以来。

市の試算によるとモデルケース別では▷一人暮らし世帯(メーター口径13ミリ、月平均7立方メートルを使用)は現在の月額1200円から15%(180円)増の1380円▷2人暮らし世帯(口径20ミリ、月14立方メートル使用)は2060円から23%(470円)増の2530円▷ 4人暮らし世帯(口径20ミリ、月20立方メートル使用)は2900円から22%(650円)増の3550円になると試算されている。

期間は2029年度までの5年間で、5年後に再び改定を検討する。平均15%の引き上げは、23年3月策定の市水道事業経営戦略の財政シミュレーションと同率で、同戦略は5年後の2030年度にもさらに15%引き上げを見積もっている。ほかに下水道料金の改定についても現在、市下水道事業経営戦略を策定する審議会の中で審議されている。

基本水量を廃止、大口の引き上げ率低く

29日出された答申によると、上水道が普及していない地域の解消や、老朽化している施設や水道管の更新費の財源を確保するため水道料金を引き上げる。引き上げられれば、現在口径13ミリと20ミリを使用している一般家庭などは2022年度の実績で供給単価が給水原価を下回っている状態だが、赤字が解消される。

今回の引き上げにあたっては基本水量を廃止するのが特徴の一つ。基本水量は、口径13ミリ、20ミリ、25ミリの世帯などに対し、使用水量が月10立方メートル以下の場合、現在は使用量にかかわらず0円としている料金を、使用水量に応じて1立方メートル当たり40円とする。代わりに口径13ミリと20ミリの基本料金を50円から100円引き下げる。これにより口径13ミリで月2立方メートル以下しか使用しない世帯や、口径20ミリで月1立方メートル以下しか使用しない世帯などは改定により水道料金が月10円から100円下がる。具体的には、市内に家があるが常時居住していなかったり、空き家などを所有している世帯が引き下げの対象になるとみられる。

さらに2018年度の引き上げの際は、引き上げ率が平均21%、4人暮らし世帯は平均16%引き上げなど、一般家庭の引き上げ率を低くし、大口使用者の引き上げ率を高くした。今回は料金の公平性を高めるため、大口使用者の引き上げ率を、口径50ミリは14%、75ミリは10%、100ミリは9%引き上げなど一般家庭に比べ引き上げ率を低くする。市全体では平均15%、4人暮らし世帯は22%の引き上げになる。

答申を受け取った五十嵐市長は「(答申の)内容を重く受け止め、市民の負担と経営のバランスを考慮しながら計画的に事業を行っていきたい。議会にお示しした上でご意見を伺って、市民の皆さんにも丁寧に理解を得られるような説明を心掛けていきたい」としている。

市民への説明について市水道総務課は、議会で可決されれば、10月から市広報誌やホームページのほか、ちらしを各戸配布して周知したいとしている。(鈴木宏子)

TX研究学園駅に「駅ピアノ」を設置 《けんがくひろば》8

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研究学園駅構内に置かれた駅ピアノ(筆者提供)

【コラム・髙野勝憲】7月1日、TX研究学園駅の構内(改札口外側コンコース)に「駅ピアノ」を設置させていただきました。今回のコラムでは、誰でも自由に弾ける駅ピアノをなぜ研究学園駅に寄贈したのか、私の思いを述べたいと思います。

一つは、駅利用者や近隣住民の皆さんに癒しや潤いを与えることができればと思っています。通勤や通学で研究学園駅を利用される方々は、気分のいい日もあれば気分が乗らない日もあるでしょう。そのとき、誰かが奏でる駅ピアノで前向きな気持ちになってもらえたらと思います。

二つ目は、この駅ピアノが地域のコミュニケーションの場になればということです。老若男女、市在住・在勤を問わず、この新しい街で生活する人たちに触れ合いが生まれる場所になればと思います。学校帰りの子供の演奏を通りがかった方が耳にして拍手を送る、といったように。

そういった思いを込め、ピアノのバックボードには、この地域で活動されている方々の団体名を記載させていただきました。

学園の思い出のシンボルに

もう一つ、研究学園駅が駅利用者や近隣住民の愛される場所となることです。私は生まれも育ちも仕事もつくばで、そしてこの地を愛しています。先祖代々からの地元の方々、学園都市開発のために越して来られた方々、この街に魅力を感じて新たにお住いになられた方々―すべての方々に、この地を愛してもらえたらと思います。

特に子供たちに、です。価値観が多様化している現代社会において、子供たちには様々な経験をし、活躍をしてもらいたいと思います。その上で、この地に縁がある子供たちには、この地を忘れずに愛するふるさとと思ってもらえるよう、駅ピアノがこの地の思い出のシンボルになればと思います。

そういった願いを込め、茨城県出身のデザイナーに駅ピアノの企画を練ってもらい、つくば市出身のアーティストに学園都市にまつわる絵を描いてもらいました。また、1日の開設セレモニーでは、つくば市出身のピアニストに記念演奏をお願いしました。

このピアノが末永く愛され、皆さんの心に潤いを与え続けるとともに、研究学園の心のふるさにとなってくれることを願っています。(株式会社ホテルベストランド 代表取締役)

狛犬さんのお導き《令和楽学ラボ》30

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諭鶴羽神社と狛犬(右側手前)=筆者撮影

【コラム・川上美智子】つくばの保育園園長をこの3月に卒園し、4月からは人生で一番近い職場、関彰商事の水戸オフィスに勤務している。NHKの大河ドラマ「光る君へ」と朝の連続テレビ小説「虎に翼」を見る余裕も生まれた。いずれのドラマも時代に抗して突出した能力を発揮し活躍する女性が主役なので、応援しながら見ている。

「光る君へ」の中では、紫式部、清少納言の2人の才女が源氏物語と枕草子を記すさまも描かれるようであるが、高校時代に少しかじっただけで今まで関心をもつことはなかった。しかし、テレビが縁で頭の中が平安モードになり、がぜん興味が沸いた。筑波山が、常陸風土記や古事記、日本書紀に歌垣(うたがき)の山として描かれていることは見聞きしていたが、源氏物語の「東屋」の冒頭にも登場し、「浮舟」へとつながることを初めて知った。

また、枕草子第15段には、「峰は」として、私の生まれ故郷の淡路島の山がつづられていることを知った。

峰は、ゆづるはの峰。あみだの峰。いやたかの峰。

この「ゆづるはの峰」こそ、淡路島最高峰(と言っても607.9メートル)の諭鶴羽(ゆづるは)山であり、父の実家、現在の南あわじ市灘仁頃と母の実家、洲本の間にそびえ立つ険しい山だった。特に南斜面は、四国から紀伊水道にかけて走る中央構造線に続く断崖層となっており、歩いて登るのは大変である。そのため、古くから山岳信仰の修験道の霊場として発展し、急斜面には修行僧が行く細い古道がつくられ今も残されている。

私は、この年まで一度もこの山に関心がなく、400メートル地点に諭鶴羽神社があることも、この神社がその地域の守護神となっていて、祖父や父が大事にしてきたことも知らずにいた。

由緒ある諭鶴羽神社

ところが、「光る君へ」のご縁か、先日、神社行きがかなったのだ。昔の茶の研究者仲間で静岡在住の元伊藤園の方が淡路島出身で、SNSを通じて私が7月の墓参りの際に神社に行きたがっていることを知り、すぐに連絡をくれて、諭鶴羽神社への案内をかって出てくれた。険しい山道を車で登ると、深い森の中に鳥居が現れた。

諭鶴羽神社は、国生み神話(紀元前、第九代開化天皇の時代)のイザナギ、イザナミの二神が鶴に乗ってこの山に降り立ち権現となったのが始まりとされる由緒ある神社であった。熊野古道で有名な熊野の神は、この諭鶴羽神社から渡っていったという記述があり、平安期には28の大伽藍(がらん)がある大霊場だったという。豊臣秀吉もこの神社を参ったとの記録が残っている。

現在は、諭鶴羽神社と奥の院が残されているだけであるが、羽生結弦選手がオリンピック前後に訪れたこともあって、若い女性たちの人気パワースポットにもなっている。

この神社に関心をもったもう一つの理由が狛(こま)犬である。昭和56年に父と伯母が神社に狛犬を寄進したことが最近わかったのだ。その礎石には「昭和の初めに先代(祖父)が献進した青銅製狛犬が大戦中に供出献納され、改めて石造狛犬一軀を寄進する」と書かれていた。

参拝の折、狛犬のことをご存知の宮司さんにも偶然お会いでき、自分といろいろつながりのある神社に導いてくれたドラマと狛犬さんに感謝している。(茨城キリスト教大学名誉教授、関彰商事アドバイザー)

アニメ「パトレイバー」の聖地 土浦に巨大ロボット出現へ 8月3日夕

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26日から展示が始まった機動警察パトレイバーに登場するロボット「イングラム」の模型=土浦市中央、亀城プラザ1階

キララまつり会場

アニメ「機動警察パトレイバー」の聖地、土浦に8月3日夕、同アニメに登場する高さ10メートルの巨大ロボットが出現する。3日と4日、同市中心市街地で開催の夏祭り「土浦キララまつり」の開催に合わせて、まつり会場の一つ、同市中央、亀城公園前に登場する。ロボット立ち上げイベントに先立って7月26日から、同公園前の亀城プラザで、同ロボットをデザインした4回目となるマンホールカードの配布と、同ロボットの模型などの展示が始まった。

3日登場する巨大ロボットは、実写版映画に登場した実物大の機動警察のロボット「イングラム」で、高さ10メートル、幅4.5メートル。同日午後5時から8時まで、歩行者天国になる亀城公園前のバス停近くで、トレーラーの荷台から立ち上がる。同アニメに登場する土浦研究所で製造された「グリフォン」は、イングラムの敵役という設定になっている。

ロボットの立ち上げイベントを盛り上げるため、同日午後3時30分から4時30分まで亀城プラザで、アニメファンでタレントの喜屋武ちあきさん、ワンピースなどのアニメ作品に出演している声優の千葉繁さん、機動戦士ガンダムなどに関わったメカニックデザイナーの出渕裕さんらのトークイベントやコスプレイベントも予定されている。

立ち上げイベントは、東京・吉祥寺や新宿など各地で開催されており、土浦では初めて。立ち上げやトークイベントなどの事業費は約270万円。

26日からカード配布やフィギア展示

配布が始まったマンホールカード(土浦市提供)

26日から亀城プラザ1Fエントランスホールで配布が始まった新しいマンホールカードは「霞ケ浦総合公園☓バド」と題し、同公園にあるオランド風車を背景に、パトレイバーに登場するイングラム1号機が描かれている。併せて同会場で、イングラムの模型と操縦席、劇場版で登場する建造物「方舟」の模型のほか、歴代のマンホールカードの展示が8月3日まで1週間行われる。

マンホールカードは2016年に配布が始まり、今回が23弾となる。23年の第20弾からはデザインをパトレイバーとしている。今回のマンホールカード配布などについては59万円を計上している。

聖地巡礼を

同市はアニメファンの聖地巡礼など、にぎわい創出に向けて、2022年1月に同アニメ30周年記念企画展を開催した(22年1月13日付)。続いてマンホールのふたをパトレイバーのデザインに変えるデザインマンホールの作成(22年5月28日付23年3月24日付)、土浦で誕生したという設定のグリフォン像の設置(23年12月15日付)など、アニメを活用した取り組みを実施している。

同市の市長公室政策企画課の栄貴尋さんは「パトレイバーを通じて、土浦市の良さをもっと多くの人に知ってもらえれば」と話す。

機動警察パトレイバーは、ロボット技術による歩行式の作業機械「パトレイバー」が普及する近未来が舞台となり、新設されたレイバーの活躍を描く漫画やアニメ。作品には「土浦研究所」が登場している。1988年から劇場版やテレビシリーズが制作され、今も根強いファンがいる。(榎田智司)

◆マンホールカードの配布は7月26日(金)から亀城プラザで。配布時間は午前9時から午後4時。ロボット模型などの展示は、同プラザで7月26日から8月3日まで。

◆巨大ロボットの立ち上げ(デッキアップ)イベントは8月3日(土)午後5時から8時まで、亀城公園前のバス停「亀城公園前」付近で、数回に分けて立ち上げる。トークイベントは予約多数によりすでに満席。

◆土浦キララまつり2024は8月3日(土)と4日(日)の2日間、土浦駅西口前から亀城公園前までの駅前通りを歩行者天国にして開催。3日は市内などの高校10校の高校生による「学祭TSUCHIURA」や「七夕おどり」が実施され、参加者が土浦駅前通りを練り踊る。夜には霞ケ浦湖岸で花火を打ち上げる。4日は山車の競演が行われる。

霞ケ浦が優勝、つくば秀英は涙のむ【高校野球茨城’24】

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優勝を決めマウンドに集まる霞ケ浦ナイン(撮影/高橋浩一)

第106回全国高校野球茨城大会は最終日の27日、ノーブルホームスタジアム水戸で決勝戦が行われ、霞ケ浦がつくば秀英を9-3で破り、5年ぶり3回目の優勝を飾った。8月7日から兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開催される全国大会に出場する。

閉会式で、ダイヤモンドを一周する霞ケ浦の選手たち

霞ケ浦は終盤、緊張と疲れからミスが出たつくば秀英を攻め立て、突き放した。つくば秀英の櫻井健監督は「夏を勝ち切る力が残っていなかった。技術面や精神面のほか体の疲れも大きく、選手の100パーセントの力を発揮させてあげられなかった」と悔やんだ。

準優勝のつくば秀英の選手たち

序盤は霞ケ浦の市村才樹、つくば秀英の羽富玲央の両2年生エースが好投し、3回までともに無失点。試合が動いたのは4回裏、きっかけは霞ケ浦の4番・羽成朔太郎の右前単打を二塁打にする好走塁だった。「当たりは良くなかったが、ライトの守備が深いのを見て、打った瞬間から2つ行こうと思った」と羽成。これには相手投手の羽富も「ただのライトゴロと思って打球から目を切り、気付いたら走者が二塁にいたので、なぜそこにと驚いた」と動揺を隠せなかった。

4回裏霞ケ浦1死二塁、大石健が左前へ先制打を放つ

5番・大石健斗は「羽成の執念を無駄にできない、返さなくてはという使命感で、来た球を余計な感情なくフルスイングした」。と、これが左前への適時打となり1点先制。その後7番・片見優太朗と8番・鹿又嵩翔の連続内野安打などで2点を追加、つくば秀英の羽富をノックアウトした。

大石健の先制打で、羽成が生還

つくば秀英は7回表に反撃、6番・稲葉煌亮の左中間二塁打と、7番・知久耀の左前適時打で1点を返す。さらに代打攻勢に出たが、これが次の回に影響する。羽富の後は中郷泰臣が登板し6回まで無失点に抑えていたが、代打を出したことで彼を下げざるを得なくなり、7回裏のマウンドには三塁手の大石隼也が登った。

大石隼はこれまでに何度もチームの窮地を救ってきたが、打・守・投の3役を一人で引き受けるのは荷が重い。本来の投球内容ではなく、またチームにエラーやミスが続出しこの回3失点。6-1とされる。

8回表つくば秀英1死満塁、吉田泰規の中前適時打でつくば秀英が2点を返す

8回表は、それまで好投を続けてきた霞ケ浦の市村が捕まり、4安打を浴び2失点。ここで眞仲唯歩がマウンドへ。1死一・二塁の場面で大石隼をスライダーで三ゴロ、代打・石井清太郎は見逃し三振で抑えた。眞仲は「大石には打たれてもいいつもりで戦う気持ちを前面に出した。石井にはまっすぐがアウトローに決まり、相手も手を出せなかった」と振り返った。

8回のピンチを切り抜け、タッチを交わす霞ケ浦の眞仲(赤いグラブ)と市村(右)

これで立ち直った霞ケ浦は8回裏にも3点を追加、9回表も眞仲が抑えて試合終了。「8回の守りでは去年の悪夢も頭によぎったが、前半の得点が生きた」と高橋祐二監督。大石隼との対決では「ホームランを打たれても同点止まり。負けないんだから恐れずに行け」と眞仲にアドバイスしたという。

8回裏霞ケ浦2死三塁、羽成が右翼線へ適時二塁打を放ち9-3とする

「甲子園で校歌を歌うためにこの1年間頑張ってきた。みんなで力を合わせて目標を達成したい」(高橋監督)との思いで、霞ケ浦ナインは次のステージに挑む。(池田充雄)

里山子ども探偵団《宍塚の里山》115

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写真は筆者

【コラム・阿部きよ子】私たち「宍塚の自然と歴史の会」は、将来に向け里山を保全していくためには、若い世代が里山の魅力を体験することが欠かせないと考え「環境教育」に力を注いできました。

1989年の会発足時からテーマのある月例観察会を行いましたが、小さな子どもは参加しても、専門の先生の話に集中することは困難でした。そこで2001年から、子ども中心の遊びと観察の会「子ども探偵団」を始めました。以来、雨天以外、毎月第4土曜午前10~12時に実施しています。生物多様性の宝庫、美しい里山景観の中での体験が、成長していく彼らの「ふるさと」体験となってほしいと願って活動しています。

毎回、下見をして主な内容とコースを計画していますが、集まった子どもたちの様子、天気などで変更もします。今年の様子を一部紹介します。

7月は短距離日陰コース

1月:メインは落ち葉のプール作りと「小屋」作り。

2月:前半は梅の花見とアカガエルの卵塊観察。後半は「アスレチック広場」で体を動かす遊び。木登り、ターザンロープ、スラックライン、ゲンコ、ブランコなどなど。ゲンコは地元のお年寄りから教わった昔ながらの遊びです。木の枝の枝分かれしたY字の部分を削って尖らせた「ゲンコ」を地面に投げて突き刺し、さらに倒し合います。

3月:雨天で中止

4月:池に浮かぶ水草のヒシ、雑木林の春の草花の観察。保全活動を兼ねた孟宗竹のタケノコ倒し。

5月:ドングリから育ち始めたコナラの芽と根の観察。ヒバカリ(無毒の蛇)、鮮やかな色のフクラスズメ(蛾の幼虫)の観察。多くの子が怖がらずに触ることができました。

6月:ネムの花の観察、朽ち木の間の甲虫捜し、保全活動を兼ねた真竹のタケノコ倒し。採集した生き物は、毎回観察後、元に戻しています。

7月:猛暑だったので短距離日陰コース。宍塚大池で、ブルーギルが水に落ちたバッタを食べる様子を観察し、水面に広がるヒシが水に浮く仕組みや、葉っぱを食い荒らすハムシの幼虫と卵を観察。セミの抜け殻を拾い集めながら林の中を進む途中、コケに包まれた小鳥の巣が落ちていたのを発見。

思いがけないものを発見

初めて参加する子の中には、とても物知りだけれど、実際の生き物を見つけたり、触れることのできない子がいます。でも、経験ある子どもと接する中で、積極的に生き物に接していく姿がしばしば見られます。また、参加した子が次には友達を誘ってきてくれることもあります。

毎回、子どもたちは思いがけないものを発見してくれるので、スタッフの私もわくわくします。この里山が、将来も、子どもたちの育つ場として生かされることを願っています。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

400人規模の市職員対象に睡眠の質調査へ 筑波大とつくば市が実証研究

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実証研究について説明する筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の柳沢正史機構長

つくば市と筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(柳沢正史機構長)は26日、睡眠の課題発見と解決に向けた連携協定を締結した。400人規模の同市職員を対象に、今年秋ごろから睡眠の質を調査し、さらに改善策を検証する実証研究を共同で実施する。

おでこなどにシールを貼って、自宅で眠っている時に脳波を測ることができる機器を対象者に貸し出し、個々の職員の睡眠の質と量を測定し解析する。さらに睡眠に関する個々の問題点をそれぞれ洗い出して、改善策をアドバイスなどして、再び脳波を測定してもらい、改善できたかどうかを検証する。

脳波の測定は一人に付き眠っている間の5日間ほど。改善策やアドバイスを受けて再び5日間ほど脳波を測定し検証する。

実証研究の対象者や方法など詳細は今後決めるが、一つの職場で400人規模で実施することにより、働く世代の睡眠に関する有病率がどれくらいか分かることが期待されるほか、例えば、測定結果や改善策をすぐにアドバイスするグループとそうでないグループに分けて、自分の睡眠を知ることがどれだけ行動変容につながるのか、本人が自分の睡眠を自覚するだけでどのような変化があるかなどの検証も期待できるという。実証研究の対象職員からは併せて、飲酒など普段の生活習慣や生活パターンなどを聞き取り、睡眠の質や量と突き合わせる。

柳沢機構長が、功績の大きい研究者に贈られる2023年の国際的な学術賞「ブレイクスルー賞」を受賞し、受賞記念講演を聞いた五十嵐立青市長が柳沢機構長に働き掛けたことがきっかけという。実証研究の費用は約970万円で市が負担する。9月議会に提案し、可決されれば、10月か11月ごろから来年3月まで実施する計画。

柳沢機構長は「健康の3要素は食、運動、睡眠といわれるが、睡眠だけは自分で自覚できない。企業の従業員や自治体の職員などが問題を抱えている時の生産性の低下は、睡眠による影響が食、運動に比べて10倍大きいという調査もある。睡眠が悪ければ病気になりやすくなるのに加えて、睡眠不足を含めた睡眠障害は直接に頭や体のパフォーマンスに影響してきて生産性が下がる。感情のコントロールもできにくくなるので人間関係や信頼関係が悪くなりがちということもあって、その辺りを職域で改善することは極めて大事になる」とし「在宅で脳波を測れるデバイスを用いて、客観的に職員の睡眠を測り、高解像度で睡眠を見える化した上で、個人の問題点を洗い出して、改善策をアドバイスするなり、探っていき、さらに改善できたことを検証したい。この手の実証研究は数十人でやるなど、ともするとスケールが小さくなりがちだが、職域を一つのフィールドとして400人規模で自治体が率先して行っていくことに敬意を表したい」と話した。

五十嵐立青市長は「ノーベル賞につながるといわれるブレークスルー賞を受賞した柳沢先生が率いられる機構とご一緒できることはひじょうに価値がある。共同研究の成果は直接的に市民の健康に資する。睡眠が幸福度の大きなカギだと確信しているので、協定をきっかけに市民の幸福度を高める取り組みを進めていきたい」と話す。

飛行機が苦手だけれど《遊民通信》93

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【コラム・田口哲郎】

前略

私は航空機移動が苦手なので、国内は鉄道で旅することにしています。先日、長崎に行かねばならない用事があったのですが、スケジュールの関係でどうしても飛行機を選択せざるを得なくなりました。

飛行機のチケットをとったときから不安になり、それが着陸まで続きます。新幹線があるのに、なぜわざわざ上空1万メートルを飛んでゆく必要があるのかとか、旅客機はまったく近代の産物で、おかげで人類は進歩できたけれども、それは多くの犠牲のうえに成り立っているなどと、余計な思考が頻繁に頭をよぎるようになりました。

軽い鬱(うつ)状態で、機内で離陸時、着陸時にはパニックに陥ってしまうかもしれないと、いま思えば大げさなことを考えて不安をどんどん大きくしていました。

快適な天空の旅

さて、実際に搭乗し、着席し、飛行機が動き出しました。猛スピードが出て、浮揚し、ぐんぐん高度を上げてゆく機体の中で湧いてきたのは、不安というよりワクワク感でした。あの高揚感は技術のフロンティアを築いてきた人々への憧れと尊敬なのでしょうか。とにかく、説明のつかない気持ちでした。

高度1万メートル辺りになるとシートベルト着用サインが消えて、機体は水平になります。窓の外を見やると、雲上の世界。青と白、遠く霞む水平線。陽の光に照らされた明るい、澄んだ景色が目に入りました。不安はどこかに飛び去り、美しい光景に感動し、神の目をもったような気分になりました。

天空の航行を楽しんでいると、キャビンアテンダントが飲み物はいかがですかと笑顔で話しかけてくれます。天女のやさしさを思わせます。リンゴジュースを飲むと、エデンの園のりんごはこんな味だったかと想像するほどに、フライトを心地よく思っている自分がいました。

時速900キロほどの速度ですから、羽田から長崎まで2時間弱で着いてしまいました。無事着陸した時の衝撃音で地上の現実に戻ったことを悟ったときには、天が恋しいとさえ感じました。異国情緒漂う長崎で所用を済ませて、帰るときにも、行きのような心境の変化がありました。多少の不安、離陸の高揚感、天空の夢心地、そして地上の覚醒、着陸した後のひと安心。

成田空港が近い茨城県南では、航空機が飛行するのをよく見かけます。いままでは他人事で気にもかけていませんでしたが、このごろは人類の英知を結集した航空機がクルーの皆さんのたゆまぬ努力で多くの人に快適な翼の旅を提供していることに想いを馳(は)せることができるようになりました。

空の旅は非日常に誘ってくれますね。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

霞ケ浦が守谷破る、決勝はつくば秀英と【高校野球茨城’24】

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7回表守谷1死一・二塁、遊ゴロからのダブルプレーに仕留める。二塁手・森田、遊撃手・鹿又(撮影/高橋浩一)

第106回全国高校野球茨城大会は15日目の25日、ノーブルホームスタジアム水戸で準決勝が行われ、第2試合では、霞ケ浦が守谷を6-2で破った。これで決勝戦の組み合わせはつくば秀英-霞ケ浦に決定した。

霞ケ浦と守谷の試合は序盤の点の取り合いから、中盤以降は締まった展開になった。結局、霞ケ浦が3回に奪った4点のリードを守って試合を決めた。

3回裏霞ケ浦1死一・三塁、大石が初球を振り抜き中堅へ運ぶ

3回裏の霞ケ浦の攻撃は2番・森田瑞貴の右前打から始まった。3番・雲井脩斗の三ゴロと4番・羽成朔太郎の右前打で1死一・三塁、打席には5番・大石健斗。勝ち越しがかかる緊張する場面で「初球からフルスイングし、自分の良さを出すことができた」という。インコースのスライダーを中堅へ運び、「外野フライには十分」と思ったところで野手が落球。自分も塁に生きた。続いて2死一・二塁の場面から、7番・鹿又嵩翔の中前適時打と8番・乾健斗の中堅への2点三塁打で3点を積み重ねた。

3回裏霞ケ浦2死一・二塁、鹿又の中前適時打で羽成がホームイン

乾は先発投手としては立ち上がりが良くなかったため、この打席では「取られた分は自分で取り返そう」と臨んだ。打ったのは真ん中のまっすぐ。「打撃ではタイミングの取り方や打つポイントなど、監督に教わったことを意識しながらやっている」という。「今のボールはフライを上げると飛ばないが、乾のように低めに打つとライナーで入っていく。ああいう打球を目指してほしい」と高橋祐二監督は賞賛する。

先発した乾

投手としての乾は3回以降立ち直り、スライダーとチェンジアップが要所要所で決まり、結局8回途中までマウンドを守った。後を継いだのは眞仲唯歩。1死一・二塁の場面で登板し、1人目は一ゴロで打ち取り、2人目はストライクからボールに逃げるスライダーで空振り三振に切って取った。「今日もまっすぐが走り、最速を142キロに更新した。投げるごとに状態が良くなっている」と眞仲の感想。

9回表守谷の攻撃も、眞仲が3者凡退に抑える

「今日は乾が持ち味を出してくれたのが勝因。眞仲も試合ごとに安定感が増し、マウンド上で余裕が出てきた。打線も投手に助けられながら力をつけてきた。ここへ来て選手たちに勝ちたい気持ちが出て、チームがまとまってきている」と高橋監督。

決勝戦の相手はつくば秀英。春大会は1-4で敗れた相手だ。選手たちは口々に「鹿島学園戦に続いてリベンジを果たしたい」と話す。特に大石は「自分たちは今大会、初戦から挑戦者の気持ちで戦ってきた。ぜひ最後まで勝ちきって、(昨年の決勝で逆転負けを喫した)去年の3年生の屈辱を晴らしたい」と意気込みを見せる。

決勝は27日午前10時からノーブルホームスタジアム水戸で開催される。(池田充雄)

つくば秀英 サヨナラで初の決勝進出【高校野球茨城’24】

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9回裏つくば秀英1死一・三塁、佐々木が中堅へ犠飛を放ち、稲葉が生還(撮影/高橋浩一)

第106回全国高校野球茨城大会は15日目の25日、ノーブルホームスタジアム水戸で準決勝2試合が行われた。第1試合はつくば秀英が常磐大に6-5でサヨナラ勝ちを収め、夏大会では初の決勝進出を決めた。序盤のビハインドをコツコツと取り返し、ついに9回に試合をひっくり返した。

つくば秀英は1回表に4連打で2点を奪われ、その裏に4番・吉田泰規の右翼への適時打で1点を返すものの、3回表には3点本塁打を浴び、この時点で1-5と大きなビハインドを負った。

1回裏つくば秀英1死一・二塁、吉田泰の右翼への適時打で1点を返す

「点差があっても自分たちの野球をすることを心掛けた。苦しい時間帯もあったが守備からリズムが出てきたので、1イニング1点ずつ取るぞと選手たちに声を掛け、9イニングトータルで勝つことを意識した」と櫻井健監督。

3回裏には5番・大石隼也に2ランが飛び出し、ホームランにはホームランでお返し。「打ったのは真ん中低めのまっすぐ。つなぐバッティングで、鋭い打球で外野の間を抜く意識だったが、結果的に入ってよかった」と大石の振り返り。

3回裏つくば秀英2死三塁、左翼へ2ラン本塁打を放った大石が拳を上げる

4回表からは先発の羽富玲央から中郷泰臣へ投手交代。「羽富はここまでの疲れもあり、気持ちが高揚していたようだ。羽富から中郷への交代は春からのパターン。力のある投手で、本来の仕事をしてくれた」と櫻井監督。結果的に中郷は、7回までの4イニングを2被安打3奪三振1四死球で抑えた。

4回からマウンドに上がった中郷

4回裏には1番・吉田侑真の左前打と2番・小久保良真の中堅への二塁打で1点追加、4-5と1点差まで追い上げた。だがここからが一進一退。6回裏は2死二塁の場面から小久保が左前打を放ち、二走・吉田侑が本塁を狙うがタッチアウト。7回裏は3番・明石理紀斗の中前二塁打と大石の中前適時打でついに同点、続いて四球2つを選んで満塁とし、8番中郷には石井清太郎が代打。中飛からのタッチアップで大石がホームを踏むが、三塁手のアピールプレイでアウト。幻の逆転打となった。

4回裏つくば秀英2死一塁、小久保が中堅へ適時二塁打を放つ

8回表は中郷に代わり大石がマウンドへ。タッチアップのミスを引きずらないよう周りから「しっかり切り替えていけ」と声が掛かったそうだ。2イニングを投げて2被安打1奪三振で無失点。9回表には1死三塁の場面で、一ゴロから打者走者とベースカバーの二塁手・吉田侑が交錯、その間を突いて三走が本塁に向かうが、吉田侑が素早く立ち上がりバックホーム、本塁クロスプレーでアウトにした。

9回表常磐大1死三塁、一ゴロから本塁を狙った三走をタッチアウトにする。捕手・稲葉

そして9回裏最後の攻撃。6番・稲葉煌亮の左前打と敵失などで1死一・三塁、打順は9番・佐々木将人。監督からはスクイズの提案もあったが「自分で打って決めたい」と首を振った。直球に振り遅れないようバットをいつもより短く持ち、2ボール2ストライクからの5球目を中堅へ。外野フライには十分で、稲葉が生還しサヨナラ勝ち。「みんなのおかげ。全員がヒーロー」と勝利のコメント。

9回裏つくば秀英1死一・三塁、佐々木が中堅へサヨナラの犠飛を放つ

櫻井監督は決勝に向けて「やることは変わらない。最後は気持ちの部分。1戦1勝でねばり強く食らいついていきたい」と意気込みを語った。(池田充雄)

イスラエル北端 ハイファでの体験《文京町便り》30

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】ハマスの急襲(2023年10月)に反発したイスラエル・ネタニヤフ首相によるガザ地区への容赦のない攻撃は止まる気配が見えない。双方が採用している戦略や武器類を比べると、宗教対立の域を超え、それぞれの国内政治事情や地政学的対立構図にからめとられている感がする。そんなイスラエルを私は一度だけ訪れたことがある。

2017年7月、イスラエル北部のハイファ大学でのイスラエル日本学会第3回隔年会議『平成時代を振り返って:日本におけるポスト工業化・消費者時代の主要な潮流』に参加したのである。

直前にノルウェー・オスロにいたこともあり、ドイツ・フランクフルト空港からの便を利用したのだが、現地(テルアビブ)到着が当日深夜に大幅にずれ込んだこともあり、入国審査が大いに手間取った。そのため(数名の入国審査官は審査業務をほとんどサボタージュ)、国内移動手段(公共交通機関)が途絶え、タクシーでの長距離・長時間・高額移動を余儀なくされた苦い思い出がある。

この会議で、私は報告「日本におけるウェルビーイング:2015年サーベイ調査から」を依頼されていた。会場・主催はハイファ大学ロテム・コウナー(Rotem Kowner)教授だった。同教授は、近代日本の人種問題・意識を専門領域にしていて、筑波大学で学位(博士論文は「日露戦争の影響」)を取得していたこともあり、われわれ2人の間では会議の合間、つくば・土浦の飲食店や筑波山・霞ケ浦の話題で盛り上がった。

基調講演は『民主と愛国』(新曜社、2002年、1000ページ近くの大著)などで知られる慶應義塾大学・小熊英二教授で、圧倒的な熱量で参加者に語り掛けていた。この会議の報告者には日本文学を専門にするイスラエル人研究者もいて、文学作品の執筆当時の社会情勢と文学作品の同調やズレを指摘していて、社会意識の高さを感じた。

日常と戦時体制のギャップ

このように、イスラエルにおける日本研究の着実な浸透を体験できたことは貴重だった。と同時に、イスラエルの風物にも興味深いものがあった。以下、4点紹介しておく。

第1に、ハイファはイスラエルの北端で、大学は地中海を西方に見る山の頂上付近に立地していた。紺碧(こんぺき)の地中海の夕刻は、爽快そのものだった。キャンパスから北に目を転ずると、国境線を挟んだヨルダンには巨木の点在が視認でき、彼の地の古代森林資源の豊かさを彷彿(ほうふつ)とさせた。

第2に、そのキャンパスに向かうべく、朝、定期バスで通勤・通学客と一緒に乗り合わせた女子中学生たちの騒々しさは、ひどかった。でも、他の一般乗客たちはこうした喧(かまびす)しさには慣れているのか、無視していた。子供はどこでも元気で傍若無人(ぼうじゃくぶじん)なのだ。

第3に、ハイファの街中では、地中海の強い日差しの下、ヒジャブを纏(まと)ったアラブ系(と思しき)婦人たちが三々五々、買い物に出歩いていた。彼の地でのアラブ系との日常的な対立を想定していた私は、このきわめて平穏な風景には驚いた。

第4に、ところが帰路の電車から途中停車駅のホームで見かけた、銃を抱えキッパーをかぶったハイティーンが(軍服姿ではなく普通の身なりで)佇(たたず)んでいて、それを周りの誰もが咎(とが)めるわけでもない様子に、再度の驚きを禁じ得なかった。

こうしたイスラエルにおける当時の日常と現下の戦時体制(内戦状況)のギャップには、大いなる戸惑いと絶望感を禁じえない。(専修大学名誉教授)

女性リーダー育成へ 共同プロジェクト研究始動 事業構想大・土浦市・関彰商事

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初回の次世代女性リーダー育成プロジェクト研究の様子=土浦市役所内

女性活躍を目指す県内企業を対象に次世代の女性リーダーを育成しようと、社会人大学院の事業構想大学院大学(東京都港区、田中里沙学長)と、土浦市、関彰商事(本社・筑西市、つくば市、関正樹社長)が23日、共同プロジェクト「次世代女性リーダー育成プロジェクト研究」をスタートさせた。

商社、銀行、ホテル、社会福祉法人など多様な業種の県内企業6社と土浦市役所の20代から50代の女性職員10人が参加し、同市役所男女共同参画センターを主会場に、来年5月まで24回計100時間、座学やワークショップなどを実施する。参加者は最後に、それぞれの会社の新しい事業構想計画書をまとめ、自社に持ち帰って仕事に生かす。

土浦市の安藤真理子市長が男女共同参画の推進に力を入れていることから、同大が共同開催を同市に働き掛けた。関彰商事は同大のプロジェクト研究にすでに多くの社員を参加させていることから、同社が県内企業に働き掛け、共同開催が実現した。

23日の初回研究会では同大事業構想研究所の小端進所長がリモートで概要や目的を説明し「会社を代表して新しい事業構想と事業計画をつくり、会社に持ち帰っていただきたい。新しい構想は決して正解があるわけではなく、模範解答を探したり、社長ならこういえば評価してくれるなどと考えることはやめていただきたい。新しい構想を成功させるためには壁を突破していくパッションが重要」だと述べ、「事業の種は至るところに落ちているので、種に気付けるように既成概念から脱却してほしい」などと参加者に呼び掛けた。

前半は、会社の新しい価値を生み出すためのアイデア出しをしたり、事業の種に気付く力を身に着けることに力点を置き、後半はマーケティングや財務、利益につながる組織づくりなどを学ぶという。

恐竜の星《短いおはなし》29

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

眠れないのかい? そうだよね。窓の外はいつも真っ暗だ。
朝か夜かもわからない。宇宙旅行とは、そういうものだ。
どれ、父さんが話をしてあげよう。
いつかお前に話そうと思っていた話だ。

これは、ある星の話だ。
恐竜と人間が共存する、不思議な星の話だ。
ずっとずっと大昔に、地球の恐竜が絶滅した。
神様は、絶滅前に何頭かの恐竜を他の星に移住させた。
このまま絶滅させては可哀想(かわいそう)だと思ったんだろう。
共食いをされては困るから、草食恐竜ばかりを選んだ。

自然豊かなその星で、恐竜は穏やかに暮らした。
やがて人間が誕生して、暮らしも進化していった。
しかしその星の人間は、恐竜の領域を侵すことはしなかった。
先住民である恐竜を敬い讃(たた)えていたのだ。
また恐竜も、人間の暮らしを脅かすことはなかった。
お互いに、上手(うま)く共存していたんだ。

たくさんの時代を超えて、科学は進化した。
そしてその星に、地球人がやってきた。
地球人は驚いた。
絶滅した恐竜が、そこにいたからだ。
地球人は、恐竜を何頭か譲ってくれないか、と頼んだ。
しかしその星の住民は断った。どんなに大金を積まれても断った。
恐竜にとって、この星を出ることは幸せではないと思ったからだ。

地球人は諦めた。
しかしひとりだけ、どうしても諦められない男がいた。
恐竜が大好きな研究者だ。
男は恐竜の生息区域に忍び込み、卵を盗んだ。
そして何食わぬ顔で地球に帰ったのだ。

男は自分の研究室で、卵を大切に育てた。
やがて見たこともない恐竜が生まれた。
大変高い知能を持った恐竜だ。人間の言葉を理解し話すことができた。
恐竜も進化していたのだ。

男は、まるで我が子のように恐竜を可愛(かわい)がった。
恐竜も男を父親だと思った。
男にとっても恐竜にとっても、それは楽しい日々だった。
しかし恐竜は、どんどん大きくなった。
まだ1年足らずで男の背を追い越した。このままではいずれ天井に届いてしまう。
食べ物だって、あの星ほど豊富ではない。
研究室で育てるには、限界がある。

男は、自分の愚かさに気付いた。
愛(いと)しい。とても愛しいけれど、恐竜を故郷に返すことにした。
これ以上大きくなったら船に乗せることができなくなる。
だから急いで出発した。
最愛の息子と、最初で最後の宇宙旅行だ。

「お父さん、もしかして、その恐竜がボクなの?」

「ああそうだ。お前はやっぱり賢い子だな」

「もう一緒には暮らせないの?」

「暮らせない。父さんは罪人だ。罰を受けなければならない。ごめんよ。お前には本当に悪いことをした」

「でも、ボクはお父さんが好きだよ」

「ありがとう。さあ、もうすぐ到着だ。少し眠りなさい」

愛しい息子は、ざらついた舌で、私の涙をそっと拭った。

(作家)

昨年の覇者 土浦日大、常磐大に敗れる【高校野球’24】

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サヨナラの一打を浴びマウンドに崩れ落ちた土浦日大のエース大井の前で、常磐大の選手たちが勝利に喜ぶ

第106回全国高校野球茨城大会は14日目の23日、準々決勝4試合が行われた。ノーブルホームスタジアム水戸の第1試合では昨年の覇者 土浦日大が、常磐大に2-3で逆転サヨナラ負けを喫した。同じく第2試合ではつくば秀英が下妻一に延長タイブレークの結果10-5で勝利した。25日の準決勝の組み合わせは第1試合が常磐大-つくば秀英、第2試合が霞ケ浦-守谷と決まった。

土浦日大は5回と7回の得点で2点をリードしたが、7回裏に常磐大に追い付かれ、9回裏に逆転打を許した。「前半の攻撃で2、3点取れていれば結果は違っていた。夏は得てしてこういうゲームがあり、乗り越えることでチームが急成長できる。そうならなかったのは、まだ甲子園に招かれるだけの力がチームになかったということ」と小菅勲監督は総括した。

一人で9回を投げ切った大井

前半はエース同士の投げ合いによる投手戦。土浦日大の先発・大井駿一郎は6回まで1安打無四球3三振とほぼ完璧な内容。一方、常磐大の沢畑壱心は6回まで5安打5四死球5三振で、2回以外は毎回得点圏に走者を背負った。

特に3回表の攻防は土浦日大にとって大きな逸機となった。先頭の9番・野口智生がセーフティバントで出塁し、盗塁と牽制悪送球で無死三塁。1死後、四死球2つで1死満塁となるが、後続が倒れ無得点。沢畑が決めに来た高めの直球を打ち上げてしまう場面が目立った。

3回表土浦日大無死、野口がセーフティバントで出塁し三進する

5回表は1番・島田悠平の右前打と3番・中本佳吾の四球で1死一・二塁、4番・大井の打球は中堅への適時二塁打で土浦日大が1点を先制。なおも1死二・三塁で、5番・梶野悠仁は初球スクイズを敢行するが捕邪飛に倒れた。

5回表土浦日大1死一・二塁、大井の適時二塁打で島田が生還

7回表の土浦日大は中本の四球、大井の中前打、梶野の右前適時打で、沢畑からマウンドを引き継いだ常磐大の仲本寛から1点を追加。ただし三塁を狙った大井は右翼からの返球でタッチアウトとなり、この回も1点止まり。

7回表土浦日大1死一・三塁、梶野の右前適時打で1点を追加

そして7回裏。「2点差になって相手も開き直ってくる。このまま行くと思うな」と、小菅監督は選手たちの気を引き締めた。だが中本主将の実感としては「リードしている感覚はなかった」という。硬くなったかエラーやミスが続出。遊ゴロは悪送球、二ゴロは送球できず、加えて盗塁も許し2死二・三塁、ここで右中間への2点二塁打で同点とされてしまう。

9回表に勝ち越しの機会もあった。中本が死球で出塁し、打席には大井。3ボール1ストライクからエンドランを仕掛けた。「外野手が下がっていたので頭上は抜けないが、間を抜ければ中本の足ならかえってこれる。大きい当たりではなく低いライナーを狙った」と大井。打球は惜しくも左翼線へ切れた。「紙一重のファール。勝つときはあれが切れずにフェアになる」と小菅監督。

9回表土浦日大2死一塁、ファールで粘った大井だが最後は右飛に倒れる

9回裏もマウンドは大井。「疲れは感じず、ただひたすら目の前の打者へ投げ続けていた」というが、最後はコースが甘くなった。2死三塁からサヨナラの一打を浴び、選手たちはその場に崩れ落ちた。試合後にそのときの気持ちを聞かれた大井は、しばらく押し黙った後、「ひたすら悔しかった」と声を絞り出した。(池田充雄)

霞ケ浦、鹿島学園に勝利しベスト4【高校野球茨城’24】

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霞ケ浦3回裏1死1塁から雲井がタイムリーツーベースを放つ

第106回全国高校野球茨城大会は14日目の23日、2会場で準々決勝4試合が行われた。ひたちなか市民球場では霞ケ浦が鹿島学園と対戦、3−1で勝利し準決勝進出を決めた。

試合後スタンドの声援に応える霞ケ浦の選手たち

霞ケ浦の先発 市村才樹は初回、鹿島学園から内野安打を打たれ、送りバントで1死2塁とされるが、続く打者を三振とサードゴロに打ち取り、ピンチを切り抜けた。

2回、市村が鹿島学園打線を三者凡退に抑えると、霞ケ浦はその裏1死後、大石健斗がチーム初安打を放ちボークで2塁に進塁。続く森田瑞貴がタイムリーを放ち1点を先制した。さらに相手のエラーで2塁、3塁とチャンスを広げると、鹿又嵩翔がセンターへの犠牲フライで1点を追加した。

2回裏1死2塁から森田が先制のタイムリーを放つ

3回には矢田貝優が四球で出塁すると、続く雲井脩斗が「エンドランのサインが出ていて自分が待っていた球を1球で仕留めた」と言う通り、放った打球はレフトへのタイムリーツーベースで3−0とリードし主導権を握る。

市村は6回、1、3塁のピンチに、鹿島学園の4番 中根健太郎をセカンドゴロに打ち取るが、その間に1点を失い、2点差とされた。

9回にも1死3塁のピンチを迎えるが、鹿島学園の代打 稲垣南月をファーストフライ、最後は小泉吏玖をレフトフライに打ち取り、準決勝進出を決めた。

最後の打者を打ち取りガッツポーズをする市村

市村は猛暑日の中、9回を140球投げ、被安打7 7奪三振 1四死球の好投を披露した。「前回はバラバラになってしまったが(今回は)リズムよく焦らず落ち着いて丁寧に自分の良さを発揮出来た。(捕手の)片見のサインには自信を持って投げた」と市村。

3点目となるタイムリーを放った雲井修斗は「打ったのはインコースの真っすぐ。次の1点が大事だったし、これでみんなが盛り上がった。前回はコールド勝ちで今日は良い流れで勝てた。ここからが本当の勝負。受け身ではなく積極的に攻めていきたい。昨年はあと一歩の所で大変悔しい思いをしたので、この流れに乗って次も一戦必勝で勝っていき先輩たちに恩返しがしたい」と意気込んだ。

猛暑日の中、声援を送る霞ケ浦の応援団

霞ケ浦の高橋祐ニ監督は「これまでの3試合よりは、元気に明るく負けたくない気持ちが出ていた。準々決勝からの3つはいつ負けてもおかしくない。けん制、バントなどをしっかり修正して流れを大事に戦っていきたい」と準決勝に向けて気を引き締めた。(高橋浩一)

➡霞ケ浦 高橋監督の監督インタビューはこちら

餅は餅屋マコト君のこと《続・平熱日記》162

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】季節外れの話というわけではない。天気予報で毎年びくびくするのが大雪の予報だ。というのも、いつかの大雪の日に屋根から落ちる雪の塊がお隣のフェンス辺りに落下するのを目撃して、これはまずいと思った。そうでなくても雪の重さはバカにできない。雨樋が壊れる原因となる。

だから雪止め金具を付けたいとずっと思っていた。しかし、我が家の屋根は瓦棒(かわらぼう)と呼ばれる金属屋根なのだが、相応の雪止め金具がホームセンターで売っていないし、ここ数年は運よく雪が降らないことをいいことに、保留していた。というか、瀬戸内育ちの私はそもそも雪止めなどというものがあること自体知らなかった。

そこで今年こそはと、検索「雪止め金具」。すると、我が家の屋根にピッタリ合いそうなものがあったので、一つだけ注文してみた。

ここで助っ人を呼んだ。同じ大学の工芸科を出たマコト君。年もほぼ同じ彼はあらゆる材料、加工技術に精通している。木製の家具から金属加工、小さなものから大きなものまで、とにかく何でも作る頼りになる男だ。作れるもの、直せるもの、自分でできそうなことは、極力自分でやってきた。

ひとつの理由は興味、欲求から。作るのが好き。もひとつは安く上げるため。見よう見まねから始めることもあったし、教えてもらうこともあった。失敗したり、やっているうちに分かったり。いわゆる我流でやってきたことも結構ある。「器用ですね」と言われるが、とんでもない。

人から見れば、何でもできるように見えて不器用極まりない。失敗ばかり。それから何でもかんでも自分でやらないでときには、人に任してやってもらうことも大事であることも学んだ。「餅は餅屋」という言葉がある。マコト君はその餅屋のひとり。彼は何でもキッチリやる。工芸科と油画科の違い? 職人気質と芸術家気質との違い?

ところで、男1人になって果物をほとんど買わなくなった。しかし、珍しく冷蔵庫には杏(アンズ)がある。信州千曲市のギャラリーコクーンのかおりさんのお誘いで、今年も杏狩りに行ってきたのだ。昨年は食べられなかったハーコットという特別に大きな杏。お尻のようなところを半分に割って皮ごとほおばる。口の中に独特の香りと甘みが広がった。

このギャラリーには、マコト君が作った記帳用のテーブルが置いてある。オープンに際して、私がかおりさんに紹介した経緯がある。「今度はバターナイフとか簡単なカトラリーづくりのワークショップとかやってくれませんか」と、かおりさんに言われて、それならマコト君が適任だと推しておいた。

それにしても、マコト君からなかなか連絡がこない。梅雨に入ってしまったし、屋根の上は灼熱(しゃくねつ)になって登れなくなってしまう。ぎっくり腰をやったというから無理はいえないが…。私はかおりさんのもうひとつの依頼を思い出した。「できたらハーコットの絵を…」。危うく全部食べてしまうところだった。私はあわてて杏の絵を描くことにした。

追記。梅雨の晴れ間、無事に雪止めを設置。マコト君の自作の道具やちょっとした工夫で、作業を滞りなく終えることができた。しばし屋根を眺める。グッジョブ!(画家)

「川越地方のサツマイモ文化史」《邑から日本を見る》164

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あいさつする井上健さん(中央右)

【コラム・先﨑千尋】「サツマイモ博士」の井上浩さん。昨年7月に92歳で亡くなった埼玉県川越市の井上浩さんの遺著『川越地方のサツマイモ文化史』が1周忌の今月に発刊された。それを記念し、13日に同市のサツマイモまんが資料館に有志が集まり、同書を読み解く会が開かれた。集まったのは、生前にご子息や井上さんと関わりが深かった川越民俗の会のメンバーら20人。

私はひたちなか市の干し芋生産者・木名瀬一さんを誘って参加した。拙著『ほしいも百年百話』を執筆する時に、史料や研究者などを教えてもらった縁からだ。井上さんは私の生き字引、「サツマイモ博士」だった。

会では、最初にご子息の健さんから同書編集のエピソードが紹介され、井上さんと親交の深かった「川越いも友の会」会長のベーリ・ドゥエルさんと同会事務局長の山田英次さんから、同書の価値などが話された。さらに参加者は「食料危機で、サツマイモがもう一度見直される時期が来る」など、それぞれ井上さんの思い出を話した。

井上さんは高校の教師時代からサツマイモ産地である川越市に住み、「サツマイモなんて」とイメージが悪かったサツマイモの文化史を「誰もやらないならオレがやる」と、1人でコツコツと始めた。麦作や柿、ゴボウ、サトイモ、そうめん、唐桟(とうざん)など、同地方の物産の歴史にも詳しかった。

後にドゥエルさんや山田さんらが研究に加わり、「川越いも友の会」が結成され、輪が広がっていった。定年後に、サツマイモ料理の店を開いていた「いも膳」社長の神山正久さんがサツマイモ資料館を開いたので、その館長を務めた。

資料・文献をどう引き継ぐか

山田さんによれば、井上さんのイモ学の業績は、川越いもの歴史解明、江戸および東京の焼き芋文化史、明治期に発見された「紅赤」(芋の品種)の研究など。文献資料を集め、現地の関係者の聞き取りをし、その結果は『埼玉史談』や『川越ペン』、『いも類振興情報』などに発表した。

文体は非常にわかりやすく、一般人にも読みやすいと評判だった。資料館長時代には、見学に来る各地のイモ関係者から情報を集め、国内だけでなく海外へも足を運び、その成果は資料館に展示されていった。今では「川越と言えばサツマイモ」と言われる名物となり、「いも煎餅(せんべい)」など関連商品の売り上げは年に40~50億円に達する。

2017年に脳梗塞で倒れてからも、入院中にベッドで原稿を執筆。8割方まとまったところで亡くなった。戒名は「芋博浩教信士」。没後関係者が補足し、同書の完成にこぎつけた。

私はこの席で、井上さんが残した膨大な資料、文献をどう引き継ぎ、残していくかが課題だと話した。『ほしいも百年百話』などをまとめる際、郷土の歴史を学ぶ者は多いが、関係資料は散逸し、意外に少ないということを知った。川越地方だけでなく、全国のサツマイモ事情を研究する後学の人たちが、井上さんが残したものから学び始められる。そのありがたさを身をもって知っているので、資料類をきちんと残してほしいと提案したのだ。

この書は非売品だが、日本いも類研究会のホームページで見ることができる。(元瓜連町長)