土曜日, 6月 14, 2025
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【戦後74年の夏】2 慰霊碑前に集い阿見大空襲の惨禍を記憶

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慰霊碑建立のいわれを話す福田さん=土浦市大岩田、法泉寺

【鈴木宏子】74年前の1945年6月10日、土浦海軍航空隊(阿見町青宿)が米爆撃機B29による空襲に見舞われ、予科練生と教官ら281人と民間人計374人が犠牲になった。慰霊碑がある土浦市大岩田、法泉寺の慰霊碑前で毎年6月10日、犠牲者の冥福と平和を祈る「つどい」が市民の手で開かれている。

1961年に慰霊碑が建立されて以降、毎年、全国から遺族が集い供養が行われてきたが、高齢になり集まれなくなった。遺族に代わって「土浦の戦争惨禍を記憶する会」が慰霊を引き継いだ形だ。6年前の2013年から毎年14~15人の市民が集り、6月10日朝8時50分、慰霊碑に線香を手向け、手を合わせる。記憶する会代表の福田勝夫さん(75)は「再び戦争の惨禍を繰り返さないため身近で起きた戦争体験を記憶したい」と語る。

土浦海軍航空隊は、10代の予科練生(海軍飛行予科練習生)が操縦士になるための基礎訓練をする教育部隊で、1940年に航空隊員を養成する霞ケ浦海軍航空隊から独立して発足した。

阿見大空襲は、終戦2カ月前の6月10日午前7時37分に起こった。この日は家族面会が許された日曜日だったため、父母らが隊門脇の面会所に集まり、練兵場では予科練生が教官の訓示を受けていた。総員退避命令が出て、隊員らは周辺の何カ所にも掘られた防空壕に避難した。

米軍の小型機が低空で機銃掃射を浴びせ、爆弾が防空壕に命中した。土砂が崩れ落ち、多数の隊員が防空壕の中で生き埋めになった。

負傷者や犠牲者を運ぶ担架代わりとして、付近の民家から雨戸の戸板が強制的に集められた。4人1組になって犠牲者を戸板に載せ、近くの同航空隊適性部(土浦市大岩田、現在の県立土浦三高)に運んだ。適性部は、予科練生の採用試験や採用後の適正検査などを行っていた部署で、隣に法泉寺がある。犠牲者は運ばれた先で荼毘(だび)に付された。

慰霊碑に刻まれた阿見大空襲で犠牲になった予科練生の名前を見る福田勝夫さん=同

体験談収集きっかけに

市民による慰霊の「つどい」のきっかけは、戦後50年を機に福田さんらが土浦の戦争体験談を収集したこと。元予科練生だった大塚嘉考さん(故人)らから生々しい体験談を聞いた。

「よくしごかれた」という話がある。予科練生はすべて連帯責任とされ、だれがミスをすると長さ1メートルくらいの太い青竹がばらばらになるまで全員が尻を叩かれた。訓練が厳しく、気絶したり、訓練中に死んだ人、自殺した人もあった。

「成績優秀だった若者が志願したと伝えられるが、夜中にしごかれる子供たちの悲鳴を聞いていた地元の親たちが子供を志願させるわけがない。校長から『お前が行け』と指名され行った」と大塚さんは語り、「戦争をする人間をつくるためにマインドコントロールされた。戦争を二度と繰り返してはいけない」と福田さんらに言い残した。

福田さんは「当時、高校3年生くらいだった18歳か19歳のいがぐり頭の少年たちが犠牲になった。私たちの子供や孫、身近な人から、土浦でこういう現実があったことをきちんと伝えていきたい」と語る。

➡【戦後74年の夏】1はこちら

つくば市の待機児童数 また県内ワースト1

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【山崎実】茨城県子ども未来課が公表した4月1日現在の待機児童数は345人で、最も多かったのはつくば市の131人。同市だけで県内待機児童数の3分の1以上を占めた。つくば市の待機児童は昨年も県全体の3割を占めワースト1だった。今年は昨年同期の116人より15人増えた。

県全体の待機児童数は昨年比41人(約11%)減り、直近の5年間では最少となった。345人の内訳をみると0~2歳児が303人と87.8%を占め、3歳児以上は42人(12.2%)だった。0~2歳の待機組が全体の約9割を占めている。

つくば市を含めた県南地域の待機児童は239人で、県全体の7割程度に達している。このうち土浦市の待機児童数は8人で県内ワースト12位。昨年同期は2人だったが6人増えた。

待機児童が発生しているのは20市町村で、うち20人以上いるのはつくば市、つくばみらい市、阿見町、ひたちなか市の4市町。女性の就業率の向上に伴う入所希望者の増加に対し、受け皿対策が間に合わないことなどが原因。

このため同課では、今後の対応として▽国の保育所整備交付金を活用し地域の実情に応じた保育所や認定こども園、小規模保育施設などの整備、家庭的保育事業者の増加を図るなどして受け皿の拡大を目指す▽「いばらき保育人材バンク」や保育士修学資金貸付制度など、各種施策を推進し保育人材の確保に取り組む―ことなどを重点的に進めていくとしている。

市町村別待機児童数
順位 市町村名 待機児童数(人)
1 つくば市 131
2 つくばみらい市 33
3 阿見町 31
4 ひたちなか市 25
5 水戸市 18
5 牛久市 18
7 古河市 15
7 取手市 15
9 那珂市 13
10 下妻市 11
11 東海村 9
12 土浦市 8
13 常総市 4
14 高萩市 3
14 鹿嶋市 3
14 神栖市 3
17 常陸太田市 2
18 守谷市 1
18 稲敷市 1
18 美浦村 1
2019年4月1日現在

【戦後74年の夏】1 戦時下の土浦 「どんな時も楽しみを見つけた」

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山口あささん=土浦市西根南

戦後74年目の終戦の日が今年も巡ってくる。戦争体験者が高齢化し、戦争の実態を次世代にどう伝え、平和への願いをどう引き継げばいいのか。74年前と今をつなぐ夏の景色を追った。

【田中めぐみ】土浦市に住む山口あささん(98)は、16歳で母を亡くし、戦時中は父と妹と3人で土浦駅のそばで暮らした。兄は兵士として中国に行き、弟は横須賀海軍航空隊に所属した。

信仰が心の支えに

あささんが小学4年生の時、長屋の前を通っていると美しい讃美歌が聞こえ、思わず中に入った。キリスト教の講義所だった。大人たちが優しく招き入れてくれたのがきっかけで講義所に通うようになり、クリスチャンとなった。戦時中も週に1度は集まりに参加した。「一生懸命努力して自分の力を出して働きなさい、そして良いことを行いなさい」という牧師の話を聞くと、いつも元気になって帰ることができたという。教会では皆が協力して食べ物を持ち寄り、行けばいつでも食べ物があった。教会は心の支えだったと話す。

あささんは戦前から、叔父の経営する会社で洋裁の技術を生かし、学生服を縫って働いた。太平洋戦争が始まる1941年には、社長だった叔父が従業員を並べ、「これから戦争になる。縫うものにも混ぜ物が入るかもしれない」と話をした。「こんな大きい戦争になるとは思いもしなかった」という。

男子が兵隊に取られ、労働力が不足すると、一時期、東京に出て、品川の軍需工場で働いた。しかし、洋裁のことも忘れなかった。学生服だけではなく家族が着る物も縫えるようになりたいと、夜間は五反田にある洋裁の製図専門学校に通った。昼間は軍需工場でラジオの真空管を作り、夜は学校に通う生活が1年半ほど続いた。仕事の行き帰りや昼休みには、同僚と干し芋を食べるのが楽しみだったという。「みんな同じ境遇だから辛くはなかった。どこに行っても楽しみはあるもの」と話す。戦中から今に至るまで、洋裁の仕事を辞めずに続けてきたことが誇りだという。

阿見大空襲、町が赤く燃えた

土浦に戻ったある日、大岩田の畑にじゃがいもを植える勤労奉仕をしていた時、数匹の猫を見つけ、嫌がってひっかくのを無理やり抱いて1匹連れ帰った。猫はすぐになつき、「ミーちゃん」と名付けかわいがった。空襲警報のサイレンが鳴ると、猫を抱いて一緒に防空壕に逃げた。

土浦ではほとんど怖い経験はなかったが、1945年6月10日の阿見大空襲の時は、B29に爆撃された町が赤く燃えているのを見て恐ろしかったと振り返る。

駅前は歩けないほどの人混み

終戦の年、あささんは24歳だった。8月15日の玉音放送の日、土浦駅前は人でごった返した。玉音放送がよく聞こえず何が起こったか分からない人、敗戦を信じられない人、日本が負けたと悟っている人、多くの人々が互いに情報を求め、駅前に詰めかけていた。

歩けないほどの人混みの中、教会に向かっていると、途中で泣いている若い女性と出会った。夫が霞ケ浦海軍航空隊に所属しているという。女性は何が起こったのか分からず、とにかく海軍航空隊に行けば情報が得られるのではと考え、遠くから来たということだった。泣く女性を連れて教会に行くと、牧師はいつも通り落ち着いていて、「大丈夫だから」と話してくれた。あささんは安心し、その女性も気持ちを落ち着け、帰っていった。駅前の人々もそれぞれの方法で納得し、帰ったようだった。

町を見下ろし涙があふれた

幸いなことに、終戦後すぐ中国に出征していた兄が帰ってきた。追って横須賀の海軍航空隊にいた弟も無事戻った。父は兄と弟の無事を心から喜んだ。

戦時中は貴重品などの荷物を真鍋の親戚に預けていた。終戦の翌年の2月、預けていた荷物を取りに行き、真鍋の坂から土浦の町を見下ろした時、思わず涙があふれてきた。「これでやっと終わった」。あささんは、この時初めて終戦を実感しほっとした。その翌日、土浦に雪が降ったことを覚えている。

今は短歌や詩、文をつづるのが趣味というあささん。日々の出来事を書いて投稿し、新聞に掲載された切り抜きをスクラップしている

➡昨年の終戦の日連載企画「戦後73年の記憶」はこちら

故郷にお帰り ピエロたち 10日から土浦で「塙賢三展」

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作品解説を聞きながら展示を観て回る「塙賢三展」内覧会=土浦市民ギャラリー

【相澤冬樹】遺族から作品の寄贈を受け、10日から「塙賢三展」を開く土浦市民ギャラリー(同市大和町、アルカス土浦1階)で9日、内覧会が開かれた。同ギャラリーに関係者を集め、土浦生まれで「ピエロの画家」と呼ばれた塙賢三さん(1916-1986年)の画業をたどった。3男で、遺作の寄贈を申し出た塙義雄さん(74)=東京都練馬区=が駆けつけ、「ここなら大事にしてもらえると思った。喜んで送り出した」と語った。コミック「ちびまる子ちゃん」の作者で、ちょうど1年前に亡くなったさくらももこさんとの交流に関わる作品も展示されている。

あいさつする塙義雄さん=同

土浦に生まれた塙さんは戦後本格的に絵筆を握り、二科展を中心に活躍した。同市出身の福田義之助、鶴岡義雄らに師事したが、「美術学校を出たわけでもなく独学だったため、それまでの絵画の概念を打ち捨てられた」といい、広い背景の中に人物を小さく配置する構図に新境地を見出した。中でもピエロの描像は印象的で、「ピエロの画家」と呼ばれ、親しまれた。

今回の「塙賢三展」には、寄贈の10点に加え、義雄さん所蔵の18点が展示される。さらに賢三ファンだったさくらももこさんが20歳になった記念に買い求め、大事にしてきた作品「夢のサーカス」が、さくらさんが2007年に描き、義雄さんに贈った「ピエロとちびまる子ちゃん」の絵と合わせて特別出品された。これら画業の変遷をたどる全30作品で構成される。

17年11月にオープンした同ギャラリーの開館記念展「茨城ゆかりの洋画家たち」に賢三さんの作品2点が展示されたのがきっかけ。来場した義雄さんが「自宅での管理が難しくなっている。このまま作品を埋もれさすには忍びない」と申し出た。ふるさとの心地よさが決め手だった。土浦市の美術品収集検討委員会(小泉淳一委員長)が義雄さん宅を訪れるなどし、最終的に10点を選定、4月までに寄贈を受けた。1950年代の作品から1986年作の絶筆(I am Pirrot)までが含まれる。

内覧会で解説を務めた学芸員の萩谷良太さんによれば「ピエロは本来Pierrotでeが抜けたつづりだが、調べると賢三の作品名は二転三転して気まぐれなのもおもしろい。解説を聞く機会があればその辺も楽しんでほしい」という。

◆「塙賢三展~ピエロの画家、ふるさとへ」は8月10日~9月16日(毎週月曜日休館)午前10時~午後6時。入場無料。問い合わせは同ギャラリー(電話029-846-2950)。美術品収集検討委員長の小泉淳一さんによる記念講演会「塙賢三という画家」が25日午後1時30分から、同ギャラリーで行われる。先着50人。

県内ロケ作品が過去最高に 旧土浦市役所などで撮影

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旧土浦市役所(同市下高津)で撮影された映画「祈りの幕が下りる時」。現在は使用できない(土浦フィルムコミッション提供)

【山崎実】映画、テレビドラマなどの県内撮影を市町村と支援している県フィルムコミッション(FC)がまとめた2018年度の実績調査によると、ロケ支援作品数は606作品(対前年度比15%増)で過去最高となり、地域別のロケ実施では県南が27%と最も多かった。

FCは、茨城県のイメージアップ、観光振興と誘客促進などを目的に、2002年10月に設立。以後、県内ロケの誘致、支援活動に積極的に乗り出し、16年間で6508作品と、既に6500作品を突破した。

昨年度の実績は、作品数はもとより、撮影日数も1318日(同7%増)と前年度を上回ったほか、経済波及効果の推計額は約4億5000万円(同2%増、02年からの累計額は約78億1000万円)に及ぶ。

また、一般県民がボランティアエキストラとして参加した人数は、映画やドラマ194作品に延べ約1万5000人が出演。映画「平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER」(水戸市・県庁)に3日間で延べ900人、ドラマ「ハケン占い師アタル」(土浦市・旧斗利出小学校)でも3日間で延べ800人が参加した。

主な支援作品は、映画「ダイナー」「アルキメデスの大戦」「ある町の高い煙突」、テレビドラマ「なつぞら」「ひよっこ」「あなたには帰る家がある」など。全てのジャンルでの主要ロケ場所では、採石場(常陸大宮市)、筑波海軍航空隊記念館・こころの医療センター(笠間市)、大洗サンビーチ(大洗町)がベスト3。地域別のロケ地で多かったのは県南の27%、次いで県央25%、県北22%、県西18%、鹿行8%の順だった。

ロケツーリズムで情報発信、1000万円を制作補助

県はロケ適地PRのため、昨年前期はロケ地として数多く利用されている霞ケ浦流域下水道、旧土浦市役所(現在は使用できない)、JAXA筑波宇宙センターなど土浦、つくば市、後期は特撮の聖地とされる県庁にテーマを絞ったロケツーリズムを実施するなど情報発信に力を入れた。さらに、本県を舞台題材とした映画作品の制作補助を打ち出し、映画「ある町の高い煙突」(日立市の鉱山煙害と大煙突)に1000万円の補助を行った。

FC活動は、市町村との連携、協力が重要だが、現在設立しているのは29市町村。下妻、坂東、かすみがうらの各市と茨城町などが設立を検討中という。

県FC推進室は今年度の事業として、海外フィルムマート(商談会)出展や、映画制作団体の訪問、海外映画監督の招へいと、県内ロケ地ツアーの実施など、「海外で本県のロケ地のプロモーション活動を行い、海外映像作品の誘致を進めていきたい」としている。

 

土浦市高岡の旧斗利出小学校で撮影されたテレビドラマ「探偵が早すぎる」(土浦フィルムコミッション提供)

【戦後74年】「戦争が起きないよう願う」 土浦の野田信次さん(90)博物館で体験語る

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戦争体験を語る野田信次さん=土浦市中央1丁目の市立博物館

【谷島英里子】土浦市立博物館(同市中央1丁目)で7日、「戦争体験のお話をきく会」が開かれた。1945年3月10日の東京大空襲で凄惨(せいさん)な体験をした市内在住の野田信次さん(90)が講話し「過去の教訓を学ばぬものは再び同じ過ちを繰り返す。今後(戦争が)起きないように願っている」と力強く語った。

野田さんは現在の東京都墨田区に生まれ、旧制中等教育学校のころ空襲に遭った。焼夷(しょうい)弾で一面火の海で逃げ場がなくなり、自宅も燃えてしまった。食糧のコメを防空壕に入れ、火に追われながら父親らと風上に走って隅田公園に避難した。そこには火の粉が浅草からも飛んできており、避難してきた人たちと叱咤(しった)激励して消火にあたったと生き延びた当時を振り返った。

この辺りでは「熱さで隅田川に飛び込む人、電柱につかまりながらセミのような状態で焼死した人、死体がゴロゴロ転がっていた」と悲惨な光景を話した。野田さんはその後何日か過ぎてから汽車で両親の実家がある土浦に疎開した。試験に合格し、土浦海軍航空隊の適性部(土浦市大岩田)に従事したという。

会場には国民服や当時の写真などが展示され、参加した30人を超える市民らは平和への思いを新たにした。戦時中、土浦に疎開していたという参加者の森玲子さん(84)=牛久市在住=は「戦争は心も体も食べ物も全てを失う。何が何でも戦争だけは食い止めないといけない」と話していた。

展示された戦時中の国民服を見る参加者=同

【高校野球’19】霞ケ浦、甲子園は初戦敗退 生徒ら最後まで声援

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スクリーンの向こうのクラスメートに歓声を送る生徒たち=7日、霞ケ浦高付属中学校多目的ホール

【池田充雄】第101回全国高校野球選手権大会は2日目の7日、第1試合で本県代表の霞ケ浦高校が登場。大阪府代表の履正社高校と対戦し6対11で敗れた。待望の甲子園1勝はまたもお預けとなった。阿見町青宿の同校では生徒、保護者、職員ら200人以上が応援観戦に詰めかけ、勝利を信じ、スクリーンに向かって最後まで声援を送り続けた。

この試合、履正社は1試合5ホームランの大会タイ記録を含む17安打の猛攻。霞ケ浦は中盤に打線がつながり追い上げを見せたが、序盤の大量失点が最後まで響いた。

霞ケ浦の先発・鈴木寛人は1回表、履正社の先頭と4番にそれぞれソロホームランを打たれ、ペースを乱された。低めを突こうとしたスライダーやチェンジアップが決まらず、高めに浮いたストレートを狙われた。2、3回にも2ランを含む計5安打を浴び、0-7と引き離されたところで降板。3回1死からマウンドを継いだ山本雄大は変化球を巧みに使い、テンポの良い投球で相手の打ち気をそらすが、わずかに甘く入った球を捉えられ、5・6・8・9回に1点ずつを許す。

霞ケ浦の反撃は3回裏、天野海斗のソロホームランから。6回には先頭の黒田悠真が四球を選び、小田倉啓介の中前打で一、二塁とすると、吉本光甫の右翼への二塁打と、天野の左中間三塁打で計3点を加え、履正社のエース清水をマウンドから引きずり下ろす。2番手の岩崎からも飯塚恒介の二ゴロで1点を奪い、この回で5-9と4点差まで迫る。

8回には山本の遊ゴロで1点を加えたが、反撃もここまで。9回はダブルプレーであえなく試合終了。3回の2死満塁や、5回の無死一、三塁といった好機を生かせていれば、また別の展開もあったかもしれない。

「来年も頑張ってほしい」

「2回戦はみんなで甲子園で応援するつもりだった。行けなくなって残念だけど、ここまで一緒に頑張ってこれて野球部には感謝している」と試合終了時、目頭を押さえながら話したのは、2年生の岩瀬桃奈さん。山本投手や瀬川悠人捕手ら同級生の活躍に「来年もすごく応援したい気持ち。頑張ってほしい」とエールを送る。

「天野くんが打ってくれてチームに流れが来て、すごくよかった」と話すのはクラスメートの瑞穂花鈴さん(3年)。日ごろの天野選手は明るく元気で、いつもふざけている感じなので、試合中の真剣な表情に感動したそうだ。

先輩の活躍をまぶしそうに見つめる附属中硬式野球部の部員たち

同高附属中学の硬式野球部員、約30人も試合を見守った。「両チームとも一つひとつのプレーのレベルが高くてすごかった」と比氣叶夢さん(中3)、「一緒に練習した人が甲子園に出ていて感動した」と根本優真さん(同)。先日、ボーイズリーグの全国大会であるリポビタンカップの中学生の部に出場し、1回戦突破を果たしてきたばかり。兄弟チームそろっての1勝はならなかったが、次は自分たちが先輩の夢を引き継ぐ番だ。「来年は自分たちが1年からベンチ入りして、甲子園で活躍したい」と山田大河くん(同)は意気込んだ。

【履正社】清水、岩崎-野口 【霞ケ浦】鈴木寛、山本- 鈴木春、瀬川 ▽本塁打=桃谷、井上、野上、西川、桃谷(履正社)、天野(霞ケ浦)

筑波ふれあいの里をアウトドア拠点に つくば市が基本構想着手

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筑波山麓の筑波ふれあいの里

【鈴木宏子】筑波山麓にあるつくば市営の自然活用型施設「筑波ふれあいの里」(つくば市臼井)を、近年注目を集めるアウトドアの拠点に再整備しようと、つくば市が基本構想の策定に着手する。

五十嵐立青市長の公約の一つ。2018年度にアウトドアフィールド観光資源活用調査を実施した結果、筑波ふれあいの里が最もアウトドア拠点にふさわしいという回答を得たため再整備する。18年8月に同市と地域活性化に関する包括連携協定を締結したアウトドア用品メーカー「スノーピーク」(新潟県三条市、山井太社長)が、17年から市の委託を受けて観光資源のコンサルティングを実施してきた。

基本構想の策定に向け市は、7月12日から22日まで策定業務のプロポーザル参加申し込みを公募した。企画提案書を8月16日まで受け付け、21日に非公開で審査を実施する。同策定業務の予算は約815万円。

市観光推進課によると、何社から応募があったかについて現時点で公表できないとしている。基本構想は来年3月までに策定する。2020年度以降、設計、再整備を実施するが、来年度以降のスケジュールは未定。現在の施設を生かすのか、全面的に再整備するのかなど、再整備の規模や予算額なども現時点で未定という。

筑波ふれあいの里は1989年3月に都市と農村の交流施設としてオープンした。面積は約14ヘクタール。宿泊施設、コテージ、キャンプ場、バーベキュー施設、そば打ちや染色の体験施設、長さ100メートルのローラースライダーなどがある。2017年度の利用人数は約2万5500人で、目標の年間2万5000人をわずかに上回る。利用人数はここ数年ほぼ横ばいとなっている。17年度の年間事業費は約7280万円。

【霞ケ浦 4年ぶりの夏舞台】㊦ 頼むぞ!夏の初戦の壁を越えろ

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決勝進出を決め喜ぶ山本と仕黒

こつこつ打線が花開く

【伊達康】初戦の土浦三は好投手・濱崎鉄平に3点に抑えられたがミスなく守り勝つことができた。その後、藤代・中山航と石岡一・岩本大地の県内で5本の指に入る好投手との壮絶な死闘を2試合勝ち抜いた霞ケ浦は、試合を重ねるたびに強くなった。

特に今年は弱点と言われていた打線が上り調子になったことが大きかった。チームとしてホームランは1本もなかったが、髙橋祐二監督が「こつこつ打線」と名付ける単打でつなぐ打線が花開いた。1番の天野海斗は6試合全てでヒットを記録し打線を牽引、.360もの高打率を残した。4番に起用された山本雄大も打率.368と役目を果たした。

特に藤代戦のサヨナラ打が印象に残る。大会前の監督インタビューで髙橋監督が期待する選手として挙げた5番の仕黒大樹は、21打数9安打と監督の期待に大いに応える活躍をみせた。守備でも準決勝・水城戦で相手の追い上げムードを断つ逆シングルグラブトス併殺のビッグプレーがチームに勇気を与えた。

監督の期待に見事に答えた仕黒大樹

さらに1年生ながら2番に起用された飯塚恒介が21打数10安打と大当たりし、攻撃の起点として大いに機能した。巧みなバットコントロールで甲子園を沸かせてくれるに違いない。

4回戦のヤマ場 Dシードが生んだ偶然の産物

投手の起用方法では左腕の山本雄大(2年)が初戦の土浦三をはじめ、石岡一や水城などのシード校に対し中盤まで試合を作り粘り強く戦う原動力となった。県内ナンバー1の好投手・鈴木寛人をストッパーとして起用できたことで終盤に競り負けるリスクをうまく回避できた。

また、大会前に髙橋監督が勝ち上がりのポイントに挙げていた藤代戦では、髙橋監督の思惑どおりに休養十分の両エースのガチンコの投げ合いとなった。4回戦という早い段階で強敵・藤代とのヤマ場を迎え鈴木寛人が完投できたことはDシードが生んだ偶然の産物だ。これがもし準々決勝や準決勝で藤代と当たる組み合わせとなっていたならば、決勝戦での鈴木寛人の消耗具合は異なったであろう。

夏初戦の壁を越えてくれ

6日から開幕する夏の甲子園。霞ケ浦は大会2日目の第1試合に大阪代表の履正社と対戦する。相手はプロ注目の強打者・井上広大を擁して春夏連続出場を果たした超強豪校であり正直言って分が悪い。ただし霞ケ浦のエース鈴木寛人も大会屈指のプロ注目右腕として各種の媒体から取り上げられる。よく「野球はピッチャーの出来で試合の9割が決まる」と言われる。総合力は相手が勝っていようとも、霞ケ浦の「こつこつ打線」でなんとか1点をもぎ取り、大エース鈴木寛人がピンチを背負いながらも最後までしのぎきる。そんな試合展開に持ち込んで勝利をたぐり寄せて欲しい。

去年も書いたが「常総学院じゃないと夏の甲子園で勝てない」―ちまたではこんな言葉をよく耳にする。茨城の常総学院以外の夏の代表校は、2005年の藤代が柳川(福岡)に勝利して以来、14年間も勝利していない。常総学院以外の代表校には長く初戦の壁が立ちはだかっているのだ。長く立ちはだかった決勝戦の2度の壁を越えた霞ケ浦が、今度は夏の初戦の壁を越えてくれるに違いない。頼むぞ霞ケ浦!

➡大会前の霞ケ浦・髙橋祐二監督のインタビューはこちら

【霞ケ浦 4年ぶりの夏舞台】㊤ プロ注目右腕の鈴木寛人が期待以上の活躍

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マウンドに集まる霞ケ浦ナイン=茨城大会

【伊達康】第101回全国高校野球選手権茨城大会は7月25日、霞ケ浦が4年ぶり2度目の栄冠を手にして幕を閉じた。6日から始まる甲子園に向けて霞ケ浦の戦いぶりを振り返る。

立ちはだかる好投手たち

優勝した霞ケ浦は、初戦となった2回戦で最速145キロ右腕・濱崎鉄平を擁する土浦三を2番手格の山本雄大(2年)と岩瀬元希の継投により3対1で振り切ると、4回戦は昨秋の県大会準々決勝で敗れた相手であり秋準優勝、春優勝のAシード藤代と早くも激突した。

大会前の髙橋祐二監督の予想通りに、この試合が一番の山場となった。ここまで互いに温存してきた霞ケ浦・鈴木寛人と藤代・中山航の両エースの壮絶な投げ合いは9回を終えても両者譲らず延長戦に突入。10回二死二塁から4番・山本雄大が運命の一打を放って劇的なサヨナラ勝ちを収めた。

4番で2番手投手としてもチームを牽引する山本雄大

2試合続けて延長サヨナラ勝ち

準々決勝は最速148キロ右腕でプロ注目の岩本大地を擁する石岡一と対戦。前の試合で10イニングを投げ切り疲労が残る鈴木寛人を温存し、山本雄大が5回まで2対1と試合を作り1点リードしたまま鈴木寛人につなぐ必勝リレーが成功したが、石岡一がすぐに反撃した。鈴木寛人の140キロを超える高めのストレートを石岡一の5番・武田翼が左中間に弾き返してスリーベースでチャンスを作ると、6番・岩本大地が2ストライクと追い込まれながらも落ち着いてスクイズバントを決めて同点に追いついた。この時、必勝リレーが崩れた霞ケ浦ナインには明らかに動揺が走ったが、場を沈めたのが代わってマスクをかぶった鈴木春樹だった。

鈴木春樹が「低め」を徹底的に要求して凡打の山を築くと次第に鈴木寛人は落ち着きを取り戻し、10回まで石岡一打線をパーフェクトに抑えた。同点となってからも再三のチャンスを迎えたが岩本大地の粘りの投球に全く勝ち越し点を奪えない。

しかし延長10回、石岡一の守備のほころびから勝負が決まる。鈴木春樹が四球と盗塁と暴投で二死三塁とすると、スライダーをキャッチャーが弾いたのを見て瞬時に本塁に突入。非常に際どいタイミングであったが、タッチをかいくぐって生還した鈴木春樹の攻守にわたる活躍で霞ケ浦は2試合連続で劇的なサヨナラ勝ちを収めた。

死闘を終えて抱き合う鈴木寛人と岩本大地(石岡一、背番号1)

常総学院敗退 霞ケ浦に追い風

昨年8月の県南選抜大会決勝(新人戦)では常総学院に大敗を喫した。常総学院の分厚い壁を越えなければ甲子園にはたどり着けないと常に意識し、万全な対策を練ってきた霞ケ浦にとって意外な出来事が起こった。この試合と同時刻に行われていた別会場の準々決勝において、優勝候補筆頭とされた常総学院が常磐大高に1点差で敗れたのだ。ここから一気に霞ケ浦に追い風が吹いた。

準決勝 反撃を断った仕黒のビッグプレー

準決勝はBシードの水城と対戦することとなった。水城は4回戦で昨夏の覇者・土浦日大に完封勝ちを収め、準々決勝ではAシードの鹿島学園をコールドで粉砕した。1年生右腕の樫村佳歩がここまで4試合全てで先発を任され、小柄ながら最速136キロの小気味のよい投球で相手打線を圧倒して勝ち上がってきた。

この試合でも水城は樫村が先発であったが、霞ケ浦打線は初回一気に4点を挙げ、水城の勝ちパターンを早々に攻略。6点をリードして6回からエース鈴木寛人につないだ。しかし水城打線が粘りを見せ中軸の4連打で2点を返された。今大会初めて2失点を喫した鈴木寛人であったが、セカンド仕黒大樹のビッグプレーで落ち着きを取り戻してその後は4点のリードを守り切り決勝へと駒を進めた。

決勝 100点満点の投球

決勝の相手は常磐大高となった。準々決勝で優勝候補の筆頭・常総学院を相手に4番の所宜和(2年)が5打点の大暴れで9回に逆転。猛打を武器に勝ち上がってきた相手だ。だが、常磐大高は投手陣の疲弊が激しく準決勝までの勢いが残っていなかった。

霞ケ浦は初回から着実に得点を重ね3回で4点差をつけ試合の主導権を握ると、4回には2番手左腕の児島愛斗(2年)を捉え7点を挙げるビッグイニングとした。投げては鈴木寛人が「100点満点でした」という通り7回途中まで1本もヒットを許さない気迫の投球で1安打完封。14対0の大差をつけて4年ぶり2度目の優勝を果たしたのである。(続く)

➡大会前の霞ケ浦・髙橋祐二監督のインタビューはこちら

土浦一高1、2年生が病院訪問 医学コース設置見据え

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土浦一高

【山崎実】県立土浦一高(土浦市真鍋)は、医学部進学研究会(医学研)活動の一環として、1、2年生の病院訪問を実施する。

医学研は、同校が筑波大学や水戸協同病院などの協力の下、病院見学、出前授業などを通して、医学部進学志望生徒に対し、医師になるための志を育むことを目標に、独自に取り組んでいる。今年度は、来年度からの第2学年「医学コース」設置を見据え、第1学年も実施する。

病院訪問は、第1学年医学研が16日、1年生48人が土浦協同病院(同市おおつ野)を訪れ、オリエンテーション、病院内見学、実習、研修医との懇談などを行う。

次いで、第2学年医学研は20日、2年生20人が水戸協同病院(同市宮町)を訪問。カンファレンス見学、院長講話、病院内見学、研修医との懇談などを通し、医療現場や医師としての在り方などを学ぶ。

県は、医療後進県からの脱却―特に、医師不足解消に全力を傾けており、同校医学研の活動が注目される。

➡土浦一高に関する過去記事はこちら

外国人の長期収容問題訴え 土浦駅前で市民がちらし配布

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入管問題の啓発チラシを配布する市民有志たち=JR土浦駅西口

【崎山勝功】牛久入管センター(牛久市久野町、法務省東日本入国管理センター)で外国人収容者が長期収容に抗議してハンガーストライキを続ける中=7月22日付=、多文化共生を目指す市民団体「カチカジャ!いばらき」による街頭啓発キャンペーンが4日、JR土浦駅西口前で行われた。同団体の呼び掛けで集まった市民有志らが、土浦キララまつり会場に向かう市民に向けて啓発チラシを配布し、外国人の長期収容を止めるよう訴えた。

主催した同団体の岡美徳代表(46)=土浦市=は、約2年前から同センターに収容されている外国人との面会活動に取り組んでいる。「会うといつもニコニコしていた人が(ハンストで)ゲッソリしていた。ハンストで歩けなくなって車いすの人もいた」とセンター内の様子を話す。外国人の中には「(外に)出られないなら死んだ方がいい」という人もいるという。ハンストは現在も続いており、参加者数は、仮放免の約束を取り付けてハンストを止めた人も含め、延べ100人近いという。

岡代表は「(外国人収容者は)命を賭けて闘っているので、長期収容問題を広げる運動をしないといけない。牛久入管の問題は外国人の問題ではなくて日本の問題」と訴え、多くの市民が声を挙げることの大切さを強調した。

差し入れ品募る

同団体と共に街頭啓発キャンペーンに参加した市民グループ「FREE USHIKU(フリーうしく)」メンバーの森川暁夫さん(49)=牛久市=らは、ツイッターで、収容されている外国人に差し入れる国際電話用テレホンカードや、シャンプーなどの衛生用品などを募集している。詳細はツイッター「#FREEUSHIKU」まで。

8本の炬火が1つに 土浦で茨城国体の集火式

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炬火台に点火する、茨城国体土浦市代表ランナーの伊沢勝優さん(左から3番目)ら代表者たち=土浦市大和町うらら大屋根広場

【崎山勝功】いきいき茨城ゆめ国体2019(茨城国体)に向け、土浦市内8カ所で採火された炬火(きょか)を1つに集める「集火式」が3日、土浦市大和町のうらら大屋根広場で行われた。炬火はオリンピックの「聖火」に当たるもので、市内の公民館で6月8日から7月20日までの間に灯された炎が「土浦の火」として一つにまとめられた。9月28日の同国体開会式で、県内各地で採火された炬火と一つに束ねられる。

各公民館で採火された火種は触媒カイロで保存され、集火式会場に持ち込まれて8基の炬火台に灯された。各公民館のチャレンジクラブ代表の小学生が2人1組で炬火台からトーチに点火。その後、茨城国体土浦市代表炬火ランナーで土浦二中3年の伊沢勝優さん(14)ら代表者6人の持つトーチに火を移した。6人の持つトーチがステージ壇上に備え付けられた炬火台に点火され、「土浦の火」が一つにまとまった瞬間、会場の客席からは拍手が沸き起こった。

各地区公民館の炬火台からトーチに点火する、各地区チャレンジクラブ代表の児童たち=同

集火式を終えて、伊沢さんは「少し緊張したけど誇らしかった。土浦市の代表なので、責任を持ってしっかりとランナーを務めたい」と意気込みを改めて示した。

土浦二中地区チャレンジクラブの松本虹さん(11)は炬火イベントでマイギリ方式での火おこしに苦労した経験をもつ。「トーチは思ったより重くて、2人で持ったけど少し重かった。でも代表者の人に火を移すことができて、土浦市の火が起こるところを見られて良かった」と語った。

「土浦の火」は9月28日の国体開会式まで石油ランプで保存され、ひたちなか市佐和の笠松運動公園でつくば市など他の43市町村の炬火と一つにまとめられる。茨城国体の正式競技のうち、土浦市では相撲・水泳(水球)・軟式野球の3種目、特別競技では高校野球(軟式)の1種目が実施される。

つくば市では24日のまつりつくばで

つくば市では、11日と24日に炬火の採火イベントが市内2カ所で行われ、24日の「まつりつくば」内イベントで集火式が行われる予定。

高校生、街なかでアピール 土浦キララまつりに10校集結

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豪快な筆遣いで書道を披露する土浦二高書道部=土浦市役所隣のうらら大屋根広場(撮影/筑波学院大学・鈴木琉菜)

【谷島英里子】土浦市内にあるすべての高校(土浦特別支援学校を含む10校)が集結するイベント「学祭TSUCHIURA2019」が3日、土浦キララまつり会場内の土浦駅西口うらら大屋根広場などで開催された。部活動の披露や各校の特色を示したパネル展、ビブリオバトルがあり、多くの来場者が訪れて高校に関心を持つ機会となった。

昨年から始まり、内容を拡充して2回目の開催。メーンとなった部活動紹介は、特設ステージ上で、土浦二高書道部の書道パフォーマンスのオープニングから始まり、各校の鉄道研究サークル、剣道、バドミントン部などが日ごろの活動の様子を実演してみせた。パネル展示では、各校のブースが並び、直接生徒が学校の歴史や年間行事などを来場者した中学生らに説明していた。

部活動紹介で剣道の技を見せるつくば国際大高=うらら大屋根広場(同)

5校対決のビブリオバトル、土浦工の狩谷さん優勝

本を紹介し、どの本が一番読みたくなるかを投票で競う書評合戦「ビブリオバトル」には、土浦二、常総学院、土浦工、土浦日大、土浦湖北の5校の代表が出場し、本の魅力をアピールした。「私の好きな本」をテーマに、5分間の制限時間のなかで熱弁をふるい、質疑応答を経て投票で優勝者を決める。

ビブリオバトルで本を紹介する土浦工の狩谷燎亮さん=土浦市役所市民ラウンジ

ラブストーリーの「君は月夜に光り輝く」(佐野徹夜著)、ミステリーの「スガリさんの感想文はいつだって斜め上」(平田駒著)など幅広く、若者らしい選択の書籍が並ぶなか、「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル著)を紹介した土浦工3年狩谷燎亮さん(18)が優勝をさらった。第2次世界大戦中ナチスによって強制収容所に送られた体験を書いた1946年の文学作品で、一般参加者36人による投票で17票を獲得した。狩谷さんは「難しい本だったが、人生について考えたところがあったのだと思う。自分にとっての生きる意味について深く考えるきっかけになってほしい」と話していた。

 

来春から「日航」と「JALシティ」に つくばのホテルオークラ2館

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「ホテル日航つくば」に名称変更となるオークラフロンティアホテルつくば本館㊧と「ホテルJALシティつくば」になる同エポカル館

【鈴木宏子】つくば駅前のオークラフロンティアホテルつくば本館(つくば市吾妻)が来年4月1日「ホテル日航つくば」に、つくば国際会議場に隣接する同エポカル館(同市竹園)が「ホテルJALシティつくば」に、それぞれ名称変更される。

ホテルオークラ(東京都港区)の子会社で、オークラ、ニッコー、JALシティの3つのホテルを運営するオークラニッコーホテルマネジメント(東京都品川区)が進めているブランドの組み替えに伴うもの。国内外のグループホテルを客室数や客室の広さなどに合わせて7つに等級分けし、同本館とエポカル館の2館もホテルブランドの等級に応じて名称が変更される。オークラフロンティアホテルつくばによると、名称変更後も、運営会社や施設、従業員などに変更はない。

つくば駅前のホテル日航つくばは、多数の宴会場や会議室を擁することから、ホテルニッコーブランドとして、親しみあるサービスを強化し、国際都市つくばにふさわしい地元に根差したサービスを追求する。

つくば国際会議場に隣接のホテルJALシティつくばは、宿泊主体でビジネス客の利用が多いことから、JALのネットワークを生かして集客を強化する。さらに新たにQRコードでチェックインやチェックアウトができるシステムを導入し利便性向上を図る。

オークラフロンティアホテルつくば本館は11階建て、延床面積約1万8600平方メートル、客室数164室。同エポカル館は11階建て、延床面積約7000平方メートル、客室数186室。2館の平均稼働率は73%。

本館は、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した磯崎新氏によるポストモダン建築の代表作の一つ、つくばセンタービルに立地する。1983年に筑波第一ホテルとして開業し、2001年にオークラフロンティアホテルつくばに名称変更した。エポカル館は1999年の国際会議場の開館に合わせてオープンした。

レジオネラ菌検出で温浴施設ストップ つくばウェルネスパーク 15日再開

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温浴施設があるつくばウェルネスパーク本館ヘルスプラザ

つくば市は1日、複合スポーツ施設、つくばウェルネスパーク(同市山木)本棟ヘルスプラザ内の温浴施設で、基準値を上回るレジオネラ菌が検出されたとして、2日から使用を停止すると発表した。再開時期は現時点で未定で、安全が確認されるまで利用できない。これまでに健康被害は報告されてないという。

市スポーツ振興課によると、2カ月に1度の定期検査のため、指定管理者のライフテックつくばが7月18日に水質検査を実施したところ、露天風呂、白湯風呂、圧注気泡風呂の3カ所で、基準値を上回るレジオネラ菌が検出された。最大で露天風呂から、基準値の3000倍が検出された。原因は不明。

温浴施設の水は、すべての風呂水を循環させ、ろ過して使っている。1日は休館日で、指定管理者は、浴槽や配管を高濃度洗浄剤で洗浄し、水質の再検査を実施している。早ければ7日に結果が出るという。

一方、ヘルスプラザ内の温水プールからレジオネラ菌は検出されておらず、引き続き利用できる。同施設で基準値を超えるレジオネラ菌が検出されたのは2011年のオープン以来初めて。

14日までに安全を確認

つくば市は14日、浴槽の換水清掃、配管等の化学洗浄、浴室の塩素消毒と高圧洗浄などを実施し、水質検査を改めて実施した結果、レジオネラ菌は検出されず、14日までに安全が確認できたとして、15日午前10時から浴室の利用を再開すると発表した。

今後は再発防止に向けて、浴槽の塩素噴霧消毒の実施や残留塩素濃度の管理など更なる衛生管理を徹底するとしている。

医療と介護のデータ200万件 つくば市が筑波大に託す

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覚書を締結した(左から)筑波大学ヘルスサービス開発研究センターの田宮菜奈子センター長と五十嵐立青つくば市長

【鈴木宏子】つくば市が、過去5年分の医療と介護の報酬明細書(レセプト)データ約200万件を、筑波大学ヘルスサービス開発研究センター(つくば市天王台、田宮菜奈子センター長)に提供し、同センターがデータを分析して、効率的な医療と介護政策の検討に役立てる組みが始まる。

同市と同大が1日、医療介護分野のデータ解析に関する覚書を交わし、取り組みがスタートした。

市が提供するのは、国民健康保険加入者や75歳以上の後期高齢者医療制度加入者の診療報酬明細書(医療レセプト)と、介護保険給付費明細書(介護レセプト)など、年間40万件に及ぶ医療と介護のレセプト。2014~18年度の5年分計約200万件を、個人情報が特定できないよう匿名化して同センターに提供する。

センターは、医療と介護のレセプトを連結させてデータ分析し、高齢者が住み慣れた地域で暮らし続けられるよう、効率的な地域包括ケアシステムづくりに生かす。

これまで同センターは、千葉県柏市のデータを2014年から分析し、高齢者が太ももを骨折した場合にかかる医療と介護の費用を日本で初めて算出したり、特別養護老人ホームと介護老人保健施設を比較し、入所後に、症状が悪化し病院に入院する割合が異なることを突き止めた。

つくば市のデータについては、どの観点からどのように分析するかはこれから検討する。例えば、退院後に、訪問看護サービスを受けていた高齢者と受けていなかった高齢者を比較して、サービスを受けていた高齢者の方が再入院する割合が少なかったとすれば、予防の観点から政策に反映させることができる。高齢者施設によって、入所後の高齢者の体調や体の機能維持の割合が異なれば、ケアの在り方を再検討することもできるという。

同センターの田宮センター長はこれまでも、つくば市の高齢者福祉計画策定や在宅医療・介護連携推進協議会に携わってきた。新たなデータの分析結果は、毎年、進ちょくに合わせて市に報告し、市の政策に生かす。

田宮センター長は「モデル的な分析をして、地域に根差した包括ケアシステム構築を市と協働し進めていきたい」と述べ、五十嵐市長は「レセプトをどう活用するかは行政にノウハウがない。医療と介護を組み合わせて本当に必要なサービスを検討することができれば大きな意義がある」などと話した。

「おいでよ 土浦の夏」 3、4日はキララまつり

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2日目のクライマックス、キララまつりの市民山車=土浦市観光協会提供(昨年撮影)

今年30回目を迎える土浦キララまつりは8月3、4日、歩行者天国となる土浦駅前通り、中城通りをはじめ土浦港、モール505などを会場に開催される。土浦日本大学中等教育学校の高校生ライター2人が土浦市観光協会を訪ね、事務局の大里雅司さんと山口浩さんにキララまつりについてお話を聞いた。

盛り上げに一役 学祭TSUCHIURA

【高校生ライター/酒井明日香、石田日菜子】キララまつりは毎年、8月最初の土日の2日間にわたって行われる。1990年から開催されており、毎年市内外から多くの来場者を集め、昨年はおよそ16万人が来場した。

土浦駅前うらら広場に開設のステージでは連日音楽や踊りのパフォーマンス=同

今年は初日の3日、午後から駅前通りパレードが始まり、市内の真鍋小、東小校など5校の音楽隊によるパフォーマンスが祭りを先導する。ハイライトは午後5時30分から9時にかけて駅前通りで繰り広げられる「七夕おどりコンテスト」で、にぎわいは最高潮に達する。今年は28団体(特別参加3団体を含む)が参加予定だ。

市内の高校生が集まり、それぞれの学校の魅力を発表する学祭TSUCHIURAも開催。土浦市内にある10校が参加し、自慢の部活動の披露や学校対抗のビブリオバトル、模擬店などを展開する予定だ。広場ステージでは午後5時から「いきいき茨城ゆめ国体」に向けた同市の炬火(きょか)イベントが行われる。市内8カ所で採火された炬火を1つにまとめる集火式となる。

レトロバスでめぐるハスの花ツアーも

2日目の4日は、午後から駅前通りで競演する市民山車等巡行がメーンイベントとなる。

花の見頃を迎えたハス田を行くレトロバス=同

ボンネット型のレトロバス(いすゞ1966年型)で行く「ハス花めぐりバス」は、初開催した昨年の好評を受けて今年も行われる。運行は午前9時半、11時、午後1時半、3時土浦駅東口発の4便で、およそ1時間かけて、花の見ごろを迎えたハス田をめぐる。乗車無料で、各回定員先着25人。

霞ケ浦では帆曳船と遊覧船の見学、無料乗船イベントを開催。帆曳船の見学は土浦市とかすみがうら市の共同で行われる。遊覧船は先着順で、無料で乗ることができる。

土浦駅前うらら広場会場に開設されるステージではダンスや和太鼓などのライブ「舞動の祭典」が行われる。モール大会本部周辺では終日、キララフリーマーケットが開かれる。

キララまつりとは

キララまつりは、1951(昭和26)年に始まった土浦七夕まつりが元になっている。1990年に、土浦七夕まつりと霞ケ浦湖上まつりが1本化された。七夕まつりは8月、湖上まつりは7月と、開催日が近かったことで一緒にしてしまおうという流れができたという。土浦の伝統ある七夕まつりに、花火や遊覧船といった霞ヶ浦を生かした湖上まつりが加わり、市内外から多くの人が訪れる祭りとなった。当時、祭りの名前を募集し、小学生が考えた案の1つキララまつりが採用されたという。大里さんは「この名前を考えた小学生によると、霞ケ浦のキラキラと土浦の輝きのキラキラを合わせてキララとなったらしい」ということだ。

祭り期間中は、つちまるくんやキララちゃんグッズの売れ行きが好調だと話す土浦市観光協会の山口浩さん=まちかど蔵(土浦市中央)

キララまつりの魅力

キララまつりの魅力の1つとしてあげられるのは市民の協力という。普段は人気のない土浦の通りに祭りの日は市外からも人が訪れ活気があふれる。観光協会の大里さんは「活気にあふれた土浦の中心地を見ると、市民は改めて土浦の魅力を感じることができる」と熱く語ってくれた。「真夏の暑い季節、躍動の時期に市民が一丸となって同じ時間を共に過ごすことができる。いつも見ているなんでもない日常的な風景が、キララまつりの日は非日常に変わる」という。

キララまつりでは土浦市民が土浦の魅力をアピールすべく協力し合える。そしてこのキララ祭りは市内のお店や機関による協力もあってできるものだ。パレードが行われるときは道路を整備し歩行者天国にしたり、行灯を飾ったりするには地域の人々の協力もあってできる。また祭りの宣伝ポスターを市内のお店に貼らせてもらったりしている。何と言っても交通規制をするにあたって地域の協力は不可欠。この祭りを通して土浦の魅力を再発見してもらいたいと願っている。(土浦日本大学中等教育学校5年)

◆問い合わせは土浦キララまつり2019実行委員会事務局(土浦市観光協会)電話029-824-2810 URL:www.tsuchiura-kankou.jp/tanoshimu/kiraramatsuri/

車いす卓球の2020ネパール代表候補 つくばの子供たちと交流

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子供たちと卓球を楽しむ2020東京パラリンピック・ネパール代表候補のケサブ・タパさん(右端)=つくば市天久保

【鈴木宏子】車いす卓球で2020東京パラリンピック出場を目指すネパール代表候補のケサブ・タパ選手(29)が30日、つくば市天久保の妻木バッティングセンター内卓球場で子供たちと卓球をして交流した。

ケサブさんは、8月1~3日、東京都の港区スポーツセンターで開かれる「パラ卓球国際大会ITTF PTTジャパンオープン2019東京大会」(国際卓球連盟主催)に出場するため29日、来日した。

ネパールで障害者スポーツは、代表に選ばれるまで国の支援が受けられず、渡航費や滞在費をすべて自分でまかなわなければならない。費用を節約するため、日本滞在中の支援をつくば市の障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」に申し出た。

車いすの障害者で、市内のアパートで介助を受けながら自立生活をする、ほにゃら事務局の斉藤新吾さん(44)が引き受け、大会期間中、ケサブさんは、斉藤さんのアパートに滞在しながらつくばエクスプレス(TX)で大会会場に通う。

参加した子供たちとの記念写真に応じるケサブ・タパさん(左から3人目)

出場へ向け遠征費のカンパ募る

大会を前に30日夕方の約2時間、ほにゃらのスタッフや子供たちと、つかの間の交流を楽しんだ。ケサブさんは試合とは打って変わって、笑顔で子供たち一人ひとりにやさしく返球していた。

一緒に卓球をした市立松代小5年の五十嵐弘憲さん(10)は「一緒にできて楽しかった。パラリンピックに出場できるよう応援したい」などと話していた。

ケサブさんはネパールの首都カトマンズ出身。大学生だった2011年、事故で脊椎を損傷した。車いすとなったが、その後、卓球を始め、大学に復学し大学院にも進んだ。現在は赤十字社のコーディネーターとして働きながら東京パラリンピックを目指している。

ほにゃらとの縁は、障害者福祉の向上に寄与する人材を育成する「ダスキン愛の輪アジア太平洋障害者リーダー育成事業」の第18期生として、2016年に来日し、10カ月間、日本各地で研修したのがきっかけ。つくば市にも約10日間滞在し、ほにゃらで当事者による自立支援の取り組みや介助者の育成方法などを学んだ。

1年半後、今度は卓球選手として再び来日することになり、斉藤さんに支援を申し出た。ケサブさんは「斉藤さんの家に宿泊出来てうれしい。もし宿泊できなければ本当に大変だった」と話す。

ケサブさんは来年3月まで、台湾、日本、タイ、中国で開かれる国際大会を遠征し、良い成績を残すことができれば東京パラリンピック出場が決まる。出場できればネパール初の卓球パラリンピック選手になるという。

斉藤さんは「ケサブさんがパラリンピックに出場できるよう応援したい」と話す。ほにゃらではケサブさんの渡航費用のカンパを募っている。

◆問い合わせは電話029-859-0590(つくば自立生活センターほにゃら)

 

地域の楽しみ方広げる つくばACCS人気番組「月刊チラシズム」8月号は夏休み催事中心

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8月号収録のために集めたチラシ142枚を背にする冠木さん㊧と飯泉さん=つくば市竹園

【橋立多美】ケーブルテレビが発信するコミュニティチャンネル(自主放送)の番組は、地域の観光資源や行政情報が王道で、ある種のマンネリ感が否めないなか、研究学園都市コミュニティケーブルサービス(ACCS)が制作している「月刊チラシズム」は話が別だ。つくばと土浦の公共施設などで集めた100枚以上のチラシを世相と照らし合わせて斬り込むことに軸足を置く。地域の楽しみ方を広げたと番組ファンの1人は語る。

怪しげな笑い声をバックに「冬木周一がつくばに迫る」と題したオープニング映像が流れる。続いて、つくば市在住の脚本家、冠木新市さんが「語り手」として収録室の壁一面に貼られたチラシを紹介する。色遣いや文章など時代を背景に変化するチラシを独断と偏見で斬り込みつつ、イベントやコンサートなど、お薦めのスポットに焦点を当てる。

そこにもう一工夫加えたのが、冠木さんとタッグを組んで同番組を制作している飯泉彩プロデューサー。ギョロ目のイラストを用い、あえてチラシを指すのに指し棒を使わず、毛深い冠木さんの指にこだわった。

番組放送開始から2年を経た今では「語り手の声が良くて(毛深い)手が気にならなくなった」の声が寄せられる。飯泉さんは「怪しい雰囲気の番組作りを目指した。作戦通り」と満足気だ。

飯泉さんにとって同番組は格別の思い入れがある。チラシ収集家でもある冠木さんにチラシを使った番組制作を持ちかけられていたが、踏み出せぬまま1年間の産休に入った。ところが産休中たびたび「復帰はまだか」と冠木さんから連絡がくる。「早く復帰せねば…」の思いが増幅し、子どもの寝顔を見ながら番組の企画を練ったという。

収録前に欠かせぬチラシの貼り込み作業。冠木さんが集めたチラシが顔を揃える=同

つくば市在住の櫻井豊さん(55)は番組を楽しみにしている1人。「語り手の価値観でチラシが紹介されているが、鋭い視点で面白い。イベント情報は興味のある分野をチェックするだけになりがちだが、スポットが当てられることで関心を持ち、地域の楽しみ方の次元を上げてくれる」と話す。冬木さんに会いたいと、つくば三井ビル内のACCSを訪ねてくる人もいるそうだ。

「月刊チラシズム」8月号は、夏休みの子ども向けイベントを中心に収録され、8月5日から放送される。番組放送はACCS11チャンネルで午前8時5分~、同11時5分~、午後3時5分~、同6時35分~の1日4回(1回10分)。問い合わせはACCS(電話029-852-6111)まで。