土曜日, 12月 5, 2020
ホーム 土浦 【戦後74年の夏】2 慰霊碑前に集い阿見大空襲の惨禍を記憶

【戦後74年の夏】2 慰霊碑前に集い阿見大空襲の惨禍を記憶

【鈴木宏子】74年前の1945年6月10日、土浦海軍航空隊(阿見町青宿)が米爆撃機B29による空襲に見舞われ、予科練生と教官ら281人と民間人計374人が犠牲になった。慰霊碑がある土浦市大岩田、法泉寺の慰霊碑前で毎年6月10日、犠牲者の冥福と平和を祈る「つどい」が市民の手で開かれている。

1961年に慰霊碑が建立されて以降、毎年、全国から遺族が集い供養が行われてきたが、高齢になり集まれなくなった。遺族に代わって「土浦の戦争惨禍を記憶する会」が慰霊を引き継いだ形だ。6年前の2013年から毎年14~15人の市民が集り、6月10日朝8時50分、慰霊碑に線香を手向け、手を合わせる。記憶する会代表の福田勝夫さん(75)は「再び戦争の惨禍を繰り返さないため身近で起きた戦争体験を記憶したい」と語る。

土浦海軍航空隊は、10代の予科練生(海軍飛行予科練習生)が操縦士になるための基礎訓練をする教育部隊で、1940年に航空隊員を養成する霞ケ浦海軍航空隊から独立して発足した。

阿見大空襲は、終戦2カ月前の6月10日午前7時37分に起こった。この日は家族面会が許された日曜日だったため、父母らが隊門脇の面会所に集まり、練兵場では予科練生が教官の訓示を受けていた。総員退避命令が出て、隊員らは周辺の何カ所にも掘られた防空壕に避難した。

米軍の小型機が低空で機銃掃射を浴びせ、爆弾が防空壕に命中した。土砂が崩れ落ち、多数の隊員が防空壕の中で生き埋めになった。

負傷者や犠牲者を運ぶ担架代わりとして、付近の民家から雨戸の戸板が強制的に集められた。4人1組になって犠牲者を戸板に載せ、近くの同航空隊適性部(土浦市大岩田、現在の県立土浦三高)に運んだ。適性部は、予科練生の採用試験や採用後の適正検査などを行っていた部署で、隣に法泉寺がある。犠牲者は運ばれた先で荼毘(だび)に付された。

慰霊碑に刻まれた阿見大空襲で犠牲になった予科練生の名前を見る福田勝夫さん=同

体験談収集きっかけに

市民による慰霊の「つどい」のきっかけは、戦後50年を機に福田さんらが土浦の戦争体験談を収集したこと。元予科練生だった大塚嘉考さん(故人)らから生々しい体験談を聞いた。

「よくしごかれた」という話がある。予科練生はすべて連帯責任とされ、だれがミスをすると長さ1メートルくらいの太い青竹がばらばらになるまで全員が尻を叩かれた。訓練が厳しく、気絶したり、訓練中に死んだ人、自殺した人もあった。

「成績優秀だった若者が志願したと伝えられるが、夜中にしごかれる子供たちの悲鳴を聞いていた地元の親たちが子供を志願させるわけがない。校長から『お前が行け』と指名され行った」と大塚さんは語り、「戦争をする人間をつくるためにマインドコントロールされた。戦争を二度と繰り返してはいけない」と福田さんらに言い残した。

福田さんは「当時、高校3年生くらいだった18歳か19歳のいがぐり頭の少年たちが犠牲になった。私たちの子供や孫、身近な人から、土浦でこういう現実があったことをきちんと伝えていきたい」と語る。

➡【戦後74年の夏】1はこちら

スポンサー

LATEST

不登校生徒の学習支援 つくば市と協働、NPOが再スタート

【川端舞】認定NPO法人リヴォルヴ学校教育研究所(つくば市)は、10月から不登校児童生徒の学習支援事業を、つくば市と協働で始めた。「不登校生徒の学習支援は経営が厳しく、市に支援してもらうことは大変助かる」と代表の本山裕子さん(57歳)は語る。自治体が民間団体と協働し、不登校の学習支援をおこなうのは県内でも珍しい。 20年の支援経験生かす 代表の本山裕子さん 同NPOは、2000年11月から今年9月まで、不登校生徒の学習を支援する「ライズ学園」(つくば市谷田部)を運営してきた。不登校の背景には、読み書きに困難があるがタブレット端末を使ったら学習しやすいなど、周囲とは異なる学び方をするLD(学習障害、学び方の違い)などが潜むケースも多い。ライズ学園では一人一人の子どもの特性に合わせた学習指導をおこなったり、絵画造形やスポーツなど体験的な学びの機会を取り入れたりしていた。 子どもたちには月謝を払ってもらっていたが、学習指導をマンツーマンで行っていたため、人件費だけでも費用がかさむ。やればやるほど赤字だったという。もともとは週に4日開いていたが、経営悪化により開催できる日数が次第に少なくなった。昨年4月には、経営を立て直すため一時休園することも考えたが、それまで通園していた子どもたちがいるため、週1日だけ開いていた。

1階の旧飲食店街はオフィスに つくばセンタービル改修計画 屋根は取り止め

【鈴木宏子】議会からも市民からも十分な説明がないと批判がある、つくばセンタービル(同市吾妻)のリニューアル計画について、4日、市議会全員協議会が開かれ、五十嵐立青市長はリニューアル計画概要を説明した。旧レストラン街の1階アイアイモールを働く場を支援するオフィスとし、現在のつくばイノベーションプラザ1~3階は新たな市民活動拠点とする配置イメージが示された。 4日議会に説明があったつくばセンタービル1階配置イメージ図 一方、センター広場にドーム型屋根をとりつける計画は取り止めになった。屋根は、市が6月にホームページで「リニューアルの方向性案」を示した時点では、雨天時にもイベントが開催できるように計画されていた、市学園地区市街地振興室によると、屋根の計画に対してはさまざまな意見が市に寄せられたことなどから「デザインに配慮し取り止めた」という。同センタービルは、2019年に建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した建築家、磯崎新氏の代表作の一つで、ポストモダン建築の代表作。 取り止めになったセンター広場のドーム型屋根のイメージ図 リニューアル計画によると、もともとはレストラン街だったが現在はすべての飲食店が撤退した1階アイアイモール約2500平方メートルは、働く人を支援する場とし、コワーキングスペース、テレビ会議ブース、シェアオフィスなどを整備する。子連れ出勤のサポートなど多様な働き方を支える場とし、来年3月に市と民間企業が出資して設立する予定のエリアマネジメント会社(まちづくり会社)が運営する。

地域をつなぐマーケット つくばの「まめいち」 活動絶やさず 

【川端舞】環境に配慮した商品提供と、多様な人々とのかかわりを大切にしているコミュニティマーケット「まめいち」。地域にあるつながりを絶やしたくないと、感染対策に配慮して開催が続けられている。 環境にも人にも優しい場所 まめいちを主催しているのは、つくば市大角豆で治療院「つくば草の根はりきゅう院」を営む小池栄治さん(47)と妻の容子さん(44)。2011年の福島原発事故の際、「電気やお金がなくても何とか暮らしていける」ことを地域で証明したいと思った。当時「朝市をやってほしい」という友人の依頼もあり、12年2月から毎月第3日曜日に治療院の駐車場で開催するようになった。 筑波山の麓で農薬を使わず育てた野菜を販売する農家や、無添加で仕上げたベーコンや鶏ささみの燻製を販売するハム屋など、環境に配慮したものづくりをしている地元の個人店が、毎月出店する。単に販売するだけでなく、商品の背景にあるエピソードが語られたり、顔なじみになって互いの安否を気遣ったりする。 クラフト紙で作ったバッグや無農薬の稲わらで作った鍋敷きを販売する小物屋「文田釜」は、出店して約4年になる。店主の北山良香さんは「まめいちは、健康に良い材料にこだわりを持っているお店が多く、刺激を受ける」という。「どうやって商品を作るかなど、他のお店の人と話せるのも楽しい。お客さんのリクエストで新しい小物を作るときもある」という。 「0円マーケット...

議長に小久保氏、副議長に皆川氏 つくば市議会 投票なく初の指名推薦

【鈴木宏子】3日開会した改選後初のつくば市議会12月議会で、議長に小久保貴史氏、副議長に皆川幸枝氏がそれぞれ指名推薦で選任された。同市ではこれまで議長、副議長とも投票で選ばれてきた。指名推薦で選ばれたのは初めて。 議長の選任にあたっては年長者の金子和雄氏が臨時議長になり、選任方法について指名推薦でよいか諮った。だれからも異議が出ず、金子臨時議長の指名推薦で、議長に小久保氏が選任された。副議長も小久保議長の指名推薦で皆川氏が選任された。 小久保議長は「初めての指名推薦。皆さんの期待に応えられるようしっかり議会運営に努めたい。コロナ禍の中、議会運営について大変な部分もあると思うが、議会改革にも努めたい」などとあいさつした。 3日決まった各委員会のメンバーは以下の通り。◎は委員長、〇は副委員長。敬称略 ▷総務委員会=◎五頭泰誠、〇浅野英公子、宮本達也、小久保貴史、飯岡宏之、小野泰宏、久保谷孝夫 ▷文教福祉委員会=◎木村清隆、〇小森谷さやか、黒田健祐、塚本洋二、山本美和、橋本佳子、金子和雄