日曜日, 7月 6, 2025
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《ことばのおはなし》31 正三角形のヤギを見た

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【コラム・山口 絹記】ことばの困ったところは、視覚的には思い描くことすらできないものも、描くことができてしまう点だ。

『つくば市のあらゆる大通りを、現在、正三角形のヤギの大群が歩いている。ヤギはどの角度から見ても正三角形であり、光学機器では現在のところ観測不能であることがわかっている。人間の目による計測を試みようにも、ヤギAに意識を集中すると、それに接しているはずのヤギB、C、D、E、F、Gが認識できなくなり、正確な計測ができない』

みたいな文章はいくらでも書くことができる。書けば書くほど、視覚的な情報とはかけ離れていくだろう。想像してしまった方もおられるかも知れないが、“どの角度から見ても正三角形のヤギ”は存在し得ないため、その想像は誤りだ。球体ならまだ、あり得たかも知れないが。

さて、もう一歩進んでみよう。こんなうわさがたったとする。

『観測不能なヤギを、その目で見てしまった者は、言語能力を失ってしまうらしい。話すことはおろか、文字を書くことも、文字入力を行うこともできなくなってしまうらしい』

もっとやってみよう。

『ヤギを見て、ことばを失った者を見た者から、少しずつ情報が広がり始める。加えて、ことばを失った者を見た者まで、ことばを話せなくなっているらしいといううわさもたちはじめた』

誰かが物語ったものを皆で信じる

まったく荒唐無稽で馬鹿げた話だが、滑稽に思えるのは、もしかすると正三角形のヤギだからかも知れない。

『そうこうしているうちに、市内での無断欠席、無断欠勤が増え始め、SNSなどへの投稿が明らかに減少し始める。意味不明な投稿を最後に、多くのアカウントが沈黙しはじめ、1週間もしないうちに市内からは、ことばが消えた』

虚構である。大嘘だ。フィクションというやつである。しかし、例えばこの文章を読んで生じた感情を、あなたがことばにして発したとき、そのことばはフィクションではなくなる、ということは、よく覚えておいたほうがよい。

誰もが見ることのできないものを共有し、現実との境界を曖昧にしていったあげく、皆がその存在を信ずることができれば、それはもう立派な現実だ。

実はこの、誰かが物語ったものを共有し、皆で信じることができる、という性質こそが、ことばの本質的な力なのだ。ことばがあるからこそ、私は日本という想像上のコミュニティに所属していられるし、なにやら得体のしれない自由などというものを満喫することだってできるのだ。

注意しなければならないのは、一度共有してしまったものは、失敗と気づいてもなかったことにはできないということだ。特に、それが負の感情だった場合。それから、それが生活の奥深くまで浸透してしまった場合だ。

失敗に失敗を重ねた上に作り上げられてしまったIfの世界観を、小説界隈(かいわい)ではディストピアSF、と呼んだりする。ディストピアSFが現実になってしまった場合は、寓話(ぐうわ)にするという手もある。(言語研究者)

県選管も当選無効申し立てを棄却 「勝手につくば大使」通称認定

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10月25日投開票があったつくば市議選の選挙ポスター掲示板

【鈴木宏子】昨年10月投開票が行われたつくば市議選で「勝手につくば大使」が通称として認められたのは違法だとして、同市民らが当選無効を申し立てた問題で、県選管は2月26日付で、申し立てを棄却する裁決を出した。

裁決によると、電子メール等において「勝手につくば大使」などと呼ばれており、本名に代わるものとして広く通用していることが認められるとしている。

一方、「勝手につくば大使」は本名と併記する形で使用されている場合が見受けられることから「(認定にあたって市選管は)資料の追加提示を求めるなど、事実確認をより慎重に行うべきであったことは否定できない」としながら、「選挙長がその裁量の範囲内で総合的に判断した」ものだとして、「(公選法施行令の)規定に違反しているとはいえない」などとしている。

通称認定の在り方については「立候補届出に際して提出される各種の資料から、選挙が行われる区域の全般にわたって、戸籍簿に記載された氏名(本名)がほとんど使用されておらず、本名に代わって、申請があった呼称が広く使用されていると認められている場合に限り、当該呼称を通称として認定すべきであるとされている」とし、「この認定は困難を伴うが、実務上は候補者本人からの説明に加え、公の機関の発行した書類、手紙またははがき等の親書、名刺、著書その他その人の社会関係を広くながめてみて、その人の呼称として通用している実績を示すものを資料として提出させ、それらを判断材料として総合的にみて認定せざるを得ない」などとしている。

「勝手につくば大使」の通称認定をめぐっては、市民らが昨年11月9日、市選管に異議を申し出たが、市選管は12月7日に棄却した。市民らは12月28日に県選管に対し、市選管の決定を取り消すよう求めていた。

県選管の裁決に不服がある場合は、30日以内に東京高裁に訴えを起こすことができる。

タロー・ジロー救出ヘリも移送 筑西 新航空博物館にゴーサイン

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筑波研究資料センターから搬送されるシコルスキーS-58=つくば市天久保

【相澤冬樹】国立科学博物館(科博、林良博館長)は3日未明、筑波研究資料センター(つくば市天久保)に保管されていた重要航空資料、シコルスキーS-58(HSS-1)を筑西市徳持のザ・ヒロサワ・シティに移送した。この到着を待って同日、広沢グループ(広沢清会長)と共に一般財団法人科博広沢航空博物館の設立を発表、財団は年内をメドに同シティ内に新航空博物館を開設する。

初の官民協力博物館

科博の林館長は同日会見し、「国立博物館が民間と共同で財団を設立して常設館を設けるのは初めて。地域活性化に貢献したい」と意義を強調した。財団の代表理事に就任した広沢会長は「博物館の展示品の多くは、科博保有の貴重な財産を無償で提供いただくことで実現できた」という。

同グループが土地と施設、資金を提供して設置の博物館に、科博が保有する標本資料(国有財産)を貸し出す形式となる。新博物館運営の財団法人に科博から2人の評議員が加わる。

共同設立に至ったのは、科博が保管していたYS-11量産初号機を同シティが受け入れたことから。同機は羽田空港内の格納庫で20年ほど保管してきたが、東京オリンピック・パラリンピック開催のために移設を迫られ、保管場所を探していた。

組み立てを完了したYS-11=科博広沢航空博物館提供

この移送をきっかけに、同シティに床面積1850平方メートルの格納庫が整備され、航空機に関する標本資料全般を展示する施設の展開が図られた。シコルスキーS-58も展示の目玉になる大型ヘリ。南極観測船「宗谷」とともに、第3次~第6次(1857年から62年)の南極観測に使用された。59年には南極に残されていたカラフト犬「タロー・ジロー」を救出したことで知られる。科博には73年から2000年まで展示されたが、その後はつくばの資料庫で保存されていた。

この機体が2日深夜、封印を解かれ筑波研究資料センターから運び出された。全長20メートルを超す機体はプロペラが折りたたまれ、後部ローター部をコンパクトに付け替えた形状でトレーラーに積み込まれた。3日午前0時ごろから約2時間をかけて同シティまで運ばれた。博物館となる格納庫では、先に移送され組み立てを完了したYS-11の機体と並べられた。

新博物館にはこのほか、20年7月まで上野本館で展示されていた零式艦上戦闘機(いわゆるゼロ戦)が修復を終えて今月中にも搬送されてくる予定。科博の資料としてはグライダーなど合わせて5機のほか、プロペラやエンジンなど関連資料が展示される。

展示や解説など運営上の詳細を詰め、コロナ禍の動向をにらみながら、年内をメドに開館にこぎつけたいとしている。ザ・ヒロサワ・シティには新幹線車両などを集めたレールパークなどがあり、1月には隈研吾設計の広沢美術館が開館している。

【震災10年】3 止まった時間がやっと動き出した 森田光明さん・智美さん

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フォレスト整体院の森田光明さん・智美さん夫妻

【柴田大輔】つくば市で整体院を営む森田光明さん(53)は、趣味のバイクで時折、福島を走る。県境を超え、見上げる空や、流れる風景に目をやり、こう思う。

「地続きなので、そんなに他県と変わらないはずなんです。でも、福島に入るとなんだかいいなって。福島って、やっぱいいよなって思うんです」

父が独立した年齢を意識した

福島県双葉町の自宅は未だ、帰宅困難区域の中にある。49歳で勤務先の企業を退職し、避難先のつくば市東で2019年、妻・智美さん(46)とフォレスト整体院をオープンさせた。

10年前、父を津波で亡くした。悩んだときに背中をそっと押してくれる父だった。実直に働き家族を養ってきた父を「すごく大好きで、尊敬していた」と言い、「目標だった」と話す。光明さんは父の背中を見て生きてきた。51歳での開業は、造園業を営んだ父が独立した年齢を意識してのことだった。

光明さんは震災当時、福島第2原発に勤務していた。「泣きながら働いていた」というほど仕事に追われる日々だった。発電所内で揺れに遭い、避難所だった自宅近くの小学校で家族と落ち合った。だが、そこに父はいなかった。「100歳まで間違いなく生きる」と誰もが疑わないほど身体が強い人だったから「生きていれば、どんな状態でも帰ってくるはず」と思っていた。

父が見つかったのは、原発事故により止まっていた捜索が再開された4月のことだった。警察から連絡があったその日、外は雪が降っていたという。

「無念でした。長生きしてもらいたかった。ただ、ご遺体が見つからない方もいる中で、ありがたくも思いました」

家族で暮らすのがいい

地震翌日、避難指示が出た自宅を離れて内陸の避難所に移動した。爆発する原発をテレビで見た光明さんは「二度と家に帰れない」とつぶやき沈黙した。

母親と妻、長男らと栃木の親族を頼り、紆余曲折を経てつくば市に転居する。その間、家族と離れ、福島県内の会社寮にひとりで暮らし、第1原発での事故後処理に当たった時期もある。勤務のない日に数時間かけて家族のもとに帰る生活を続けた。

離れた土地で、智美さんが義母と長男の面倒を見た。つくばで長女を出産したとき、智美さんが体調を崩した。光明さんは半年休職し、家事と育児を手伝った。「単身赴任は限界。家族で一緒に暮らすのがいい」と思った。仕事の合間に、整体技術を学び始めたのもこの頃だ。

「原発の仕事もだんだん厳しくなって、いつまで続けられるかわからないという時期でもありました」

心のバランスを保つのも難しかった

整体院で光明さんと施術にあたる智美さんは「女性でも気軽に来てもらいたい」という思いから、つくばに転居したのちに技術を習得した。自身も経験した出産や、その後の経験から産後の骨盤調整や体調不良など女性目線のアドバイスを心がける。

明るく「今」を話す智美さんだが、震災後は家族の被災、避難先を転々とするなど、突然訪れた非日常的な生活に体調を崩してしまう。心のバランスを保つのも難しかった。そんな自分に歯がゆさを覚えていた。

「私はだいぶ、他の人より(新しい生活を始めることが)遅かったと思うんです。日常生活は動いているのに、そこにうまく乗れなくて」

光明さんを手伝うために整体技術を学び始めたのは、こうした不安の中でのことだった。だが、踏み出した新たな一歩が智美さんの中で「止まっていた時間」を動かすきっかけになった。

「震災後は体調不良もあって、時間が止まっていたんです。それが、人より時間がかかりましたけど、やっと自分の身体と気持ちが近づいてきたように思います。(双葉町には)帰りたいけど帰れないのはわかっています。この気持ちも、現実とすり合わせなくてはいけないと思っています」

光明さんはつくばを「新しい故郷」だと話す。

「つくばで知り合った方にもお世話になって、少しずつお客さんも増えてきました。コロナで大変な時期ですが、真面目に長くやり続けたいです」

父親譲りの真面目さで、仕事に向き合う光明さんに智美さんが言葉をかける。

「変に格好つけないでやってもらいたいと思っています。身体を見てもらうってことは、緊張しているとうまく見れないんですよね。お客さんにリラックスしてもらうためにも、私もそうありたいと思います」

初めての患者さんには、時間をかけてカウンセリングを施す。丁寧に、一人一人の状態に合わせた施術を心掛ける。

施術をする光明さん

いつか福島で

つくば生まれの長女は5歳になり、福島で生まれた長男は中学1年生。寂しいのは、家の中で子どもたちが福島弁を話さないことだと光明さんが苦笑いを浮かべる。それを聞いた智美さんがフォローを入れる。

「でも私が福島弁で(息子に)話しかけたら、ちゃんと返事したんですよ。聞くのはわかるけど、話せないんだなぁって」

「いやぁ、でもなんか寂しいよなぁ」と言う光明さんが、胸のうちにあった故郷への想いをこう話した。

「昔は双葉がそんなに好きじゃなかったんですよね、小さな街だし。どこどこの息子は誰だってすぐわかっちゃうし。でも、やっぱり自分は福島県民だなって思うんですよね。双葉で生まれ育って、『双葉愛』があるわけでもないんですけどね。今は人の縁を大切にしながら、コツコツ頑張っていきたいです。それで、いつか福島にも出店できる日がきたらいいなと思うんです」

落ち着いた住宅街にフォレスト整体院がある=つくば市東2丁目5ー13

卒業記念に一人展 気象女子の「旅のきろく」 16日から土浦

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スイスの氷河を描いた絵を手に、石田理紗さん=土浦市中央、がばんクリエイティブルーム

【相澤冬樹】この春、筑波大学大学院教育研究科を修了、茨城県教員として採用が決まっている牛久市在住の石田理紗さん(23)の個展「旅のきろく展」が16日から、土浦市中央の「がばんクリエイティブルーム」で始まる。

筑波大学では地球学類、大学院では理科教育コースに学んだ。高校教育でいう理科4領域(物理・化学・生物・地学)のうち地学、中でも気象を専攻した。フィールドワークがものをいう学問分野、国内のみならず海外に旅した経験を得意の絵画に記録した作品展となる。

海外ではカナダのオーロラ、オーストラリアの巨石ウルル、ロシアのバイカル湖などを見に、厳しい環境の大自然を旅してきた。アクリルガッシュによる小品中心に13点ほどを展示する。

春から高校で教壇に

土浦の街なかで個展を開くことになったのには経緯がある。石田さんは「高校、大学、大学院と見守ってくれた皆さんにご報告がてら、これまでをたどれたらうれしいじゃないですか」という。

出身高校は県立土浦二高(土浦市立田町)、冬のある日、あまりの寒さに通学路にあるカフェ城藤茶店(同市中央、工藤祐治さん経営)に飛び込んだ。同市内外から常連が集まる店だが、実は比較的年齢層が高い。地元の高校の女子生徒となると、にわかにちやほやされる。

明るい笑顔で応えた石田さんはすぐにアイドル的存在になった。大学に進学すると、同市永井で漢方の薬草を育てる理系農家に招かれて、地球学類の仲間らと筑波山地域ジオパークのセミナーを開いたりした。カフェの常連も応援団よろしく聴講に駆け付けた。

地学、気象への興味を膨らませる一方、「得意」としていた絵画の才も磨いて、カフェで小さな個展を開くようになった。

こうした活動から、応援団に後押しされる格好で、武田康男 (気象予報士)さんの著作「今の空から天気を予想できる本」(緑書房)の挿絵を担当するなどした。「例えば積乱雲のイラストを描く際、雲底(うんてい)の様子など細かいところの注文をしなくていいのが重宝されたみたい」

大学から大学院合わせて6年間は、毎年のように異常気象が列島を襲った。線状降水帯とか爆弾低気圧とか猛暑日とか、気象用語にも新語の嵐が吹き荒れた。担当教授が出張して休講となるケースも少なくなかった。

そして6年目、コロナ禍の中での修士論文作成と就職活動となった。「修論のテーマは富士山の波状雲。集中力を高めるリモートワークがいい方向に働いたけど、教員採用試験は大変だった。高校の理科教諭のうち地学は採用枠が1人しかなかった」。地学を教える高校自体が少ないのだ。

その難関をかいくぐって合格を決めると、土浦の応援団が湧きたった。カフェの工藤さんは自身が運営するギャラリー「がばん…」での卒業記念展を持ち掛けた。「うれしくて二つ返事でした」

個展は21日まで。4月からは高校で地学の教鞭をとる。会期までには赴任校も決まりそうだという。

【震災10年】2 浪江出身と言えなかった 原田葉子さん

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原田葉子さん

【柴田大輔】「つくばに来て、やっと先が見えた気がしました」

夫、功二さん(44)が営む眼鏡店の2階で、原田葉子さん(44)が穏やかに話す。

福島県浪江町から避難中に経験した妊娠・出産、周囲に伝えられなかった自分のこと、未だ整理のつかない故郷への複雑な想い―。 震災は自身を取り巻く環境を大きく変えた。現在、つくば市学園の森の新興住宅地で新しい生活をスタートさせ、夫と長男の3人で暮らす。

「被災者」に後ろめたさ感じていた

「浪江出身」と伝えると返ってくる「大変だったね」「原発のとこだったんでしょ?」という言葉に、負担を感じていたという。葉子さんは、故郷の浪江町から避難し、5回、住む場所を変えてきた。その間、常に自分を「避難している人」だと感じていた。

「周囲の方に心配していただいて本当にありがたかったです。一方で、『被災者』だということに後ろめたさを感じていました」

浪江で約100年続く「原田時計店」に、2人姉妹の長女として生まれ育った。3代目の父が社長を務める同店は、時計やメガネ、貴金属などを取りそろえる老舗として地域に愛されてきた。

「浪江はたくさんの友人、親戚、地域の人とのつながりの中で生活できる『ほっとする街』でした。高校生のころは友人とカラオケに行ったり、浜辺でおしゃべりや花火をしたのが思い出です」

県内の高校を卒業し、東京の眼鏡専門学校に進学した。その後は在学中にアルバイトをしていた都内の眼科に就職する。功二さんとは学生時代に出会い、結婚後に夫婦で浪江に戻り家業を手伝った。

震災の年は、実家の近所に暮らす葉子さん夫妻が両親、祖母と同居できるように、実家の建て替えと、古くなった店舗の改築を予定していた。将来を見据え、新たなスタートを家族で切ろうとしていた矢先に震災は起きた。

故郷への思いと現状の間で葛藤

葉子さんの家は、事故を起こした福島第1原発から10キロ圏内にある。

「正直なところ、原発を危険とも安全とも思っていませんでした。普通の会社というか、工場のように『電気を作っているところ』というような。浪江から働きに行く人も多く、身近な存在でした」

地震翌日、原発事故による避難指示が出た。隣町の親戚宅へ避難すると、テレビに映る1号機が爆発した。隣の父親が「あぁ、だめだ。終わった」と言った。その横顔から感じた絶望に怖さが込み上げた。

その後、喜多方市に暮らす別の親戚を頼り、1カ月後には仕事を探すため夫婦で東京に転居した。

「私たち、財布も持たずに浪江を出てきたんです。別の場所にちょっと待機するくらいの気持ちでした。でも、その後の原発を見ていて『もしかしたら、戻れないんじゃないか』と思うようになりました」

思わぬ避難生活の長期化に不安が高まった。東京の暮らしは1年半。その間に妊娠し、千葉県の夫の実家近くに転居し男の子を出産した。

「息子が生まれるまで、浪江に戻りたいと思っていました。でも、県内に残る友人に話を聞くと、福島での生活に手放しで安心しているわけではない。情報はどれを信用していいかわからず、妊娠中はネガティブな話題を遠ざけました。精神的に余計な不安を除きたかったからです」

故郷への想いと現状の間で葛藤していた。家業の再開は常に考えていた。当時、千葉県内の眼鏡店に勤務していた夫と、何度も福島に住む両親を訪ね今後を話し合った。

「当時、浪江町民で新しいコミュニティをつくるという考えがあり、そこでの再開を考えましたが、難しくなり、県外での出店も選択肢になりました」

夫の功二さんと眼鏡店「グラン・グラス」店内で=つくば市学園の森

知人からつくばを紹介されたのはそんなときだった。諸々の条件が合致し「つくばでやっていこう」と決心した。功二さんが眼鏡店を出店し、父は福島県二本松で「原田時計店」を再開した。新しい生活の始まりに「やっと落ち着き、先が見えた」と安堵した。

それだけ年月が経った

つくばに転居する以前、千葉では言えなかったことがある。「浪江出身」ということだ。複雑な当時の心境をこう振り返る。

「『浪江から来た』と言うと、心配してくれる方がほとんどでありがたかったです。一方で、常に『大変』『原発』というイメージで見られてしまう。周囲で、仲のいい人同士が『原発』で意見が分かれる場面も何度も見ました。震災と全く関係ない、『被災者』としてではない人間関係を築きたくなってしまったんだと思います」

福島で被災したある人が心ない言葉をかけられたこと、だれかに自身の車を傷つけられた経験も、葉子さんが過去にふたをすることにつながった。

「だんだん自分のことを話すのが怖くなりました。『もう話すのはやめよう』と思ったんです」

息子が幼稚園に入ると親しい「ママ友」ができた。しかし、友人への隠しごとが辛かった。ある日、福島で活動する葉子さんの父が新聞に取り上げられた。その記事を読んだ友人は、葉子さんの背景を知り「そんなこと気にしないで、普通に付き合っていこうよ」と言ってくれた。

「ずっと言えなかったことが引っかかっていました。彼女の言葉で、すぅっと気持ちが軽くなりました。相手に気を使わせたくないとか、色々考えすぎていたんです。今は話しても、みんな普通に接してくれるのがうれしいです。それだけ年月が経ったということかもしれません」

子どもにどう説明すればいいか

浪江には毎年お墓参りに帰っている。

「浪江は時間が止まっているようで、何年経っても、最近までそこにいた気持ちになります。うまく言えませんが、自分にとって大切な場所です」

だが、8歳になる長男を連れて行ったことはまだない。その理由を、言葉を選びながらこう話す。

「震災のことをどう説明するべきか、まだわからないんです。どうしても原発のことは話さなければいけない。どう伝えるべきか」

ひと呼吸置き、言葉をつなぐ。

「原発に勤めていた知り合いも多かったですし、お店としてもお世話になっていました。全部が『悪』ではないと思うんです。そういうことではない。子どもにどう説明すればいいか、息子が理解できる年齢になる時までに、私の中できちんと整理したい。連れて行くのは、私が自分の言葉で説明できるようになってからと思っています」

震災後の10年は、家族や友人とも離れることになった辛い時間だった。だが、新しい土地でスタートさせた生活に「いろいろな方の支えのおかげです。本当に感謝しています」と話す。

「グラン・グラス」外壁に、福島の本店「原田時計店」の名が刻まれる

インタビューの最後に、息子さんの将来について質問すると、明るくこう答えた。

「息子は『メガネ屋さんになりたい』って言ってるんです。でも私たちは息子が思うようにやりたいことをやって、元気に育ってくれればいいと思ってます。万が一、継いでくれたらラッキーですけどね」

《雑記録》21 水素カーが走る近未来社会

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【コラム・瀧田薫】クルマの点検でディーラーに出向くと、トヨタの水素カー(MIRAI)が展示されていた。お値段を尋ねると、「ハイエンド車で800万超です。茨城県には2台しかありません」とのこと。豪華なパンフには「酸素と水素の化学反応によって電気をつくり、きれいな空気と水だけを排出するこの究極のエコカーとも呼べるモビリティは、環境性能の高さに加え、より多くの人々に愛される、魅力的な一台を目指して開発されました」と書いてあった。しばし、水素カーが走り回る近未来の社会に思いをはせた。

現在、日本国内で二つの水素エネルギー開発プロジェクトが動きだしている。一つは、川崎重工業を中心とする企業グループで、豪州政府より補助を受け、豪州産の褐炭(かったん)から水素を製造して日本に運搬する実証実験を進めている。もう一つは、千代田化工建設が中心のグループで、ブルネイで産出される天然ガスから水素を製造し、これを液化して日本へ輸送する。つまり、どちらもそれぞれの当該国と日本との間に水素エネルギーのサプライチェーンを構築する狙いであることは共通している。

水素エネルギーの商用化を目指す上で、最大のネックはコストの問題だ。国際金融情報センター理事長・玉木林太郎氏は「投資家や企業にとって、気候変動は倫理や責任の問題ではない。損か得かの問題だ。長期の戦略を立てて脱炭素に対応していかなければ生き残れない」(日経、2020年12月14日付)と言い、さらに「脱炭素のビジネスがペイするかどうか見定めるには、CO2排出をコストとして扱う「カーボン・プライシングが不可欠だ」と指摘している。

中東石油シーライン→日豪水素供給チェーン?

つまり、政府が炭素税を導入し、あらかじめ年次を定めていくら増税していくか決めておく方式である。そうなれば、水素ビジネスの側で、水素がいつごろ化石燃料に対して比較優位に立ち利益を出せるか予想ができるし、開発上の不確定要素を減らすことができる。しかし、そうは言えても、水素ビジネス同士の競争が熾烈(しれつ)なものとなることに変わりはないし、競争に敗者はつきものだ。

「脱炭素」と一口にいうが、国家も、政府も、企業も、労働者もそれぞれの立場でこの大変革の時代を迎えようとしている。地球温暖化のもたらす惨害(さんがい)を思えば、脱炭素化を避けては通れない。しかし、脱炭素で職と所得を失う人たちも出てくるだろう。その人たちの生活をどう保障するか、その一事だけに限っても、社会そして政治に課せられるコストの重さは想像を超える。

ところで、もう一つ別のコスト問題がある。将来、日豪間水素サプライチェーンが中東石油シーラインに取って代わるとしたら、日本の安全保障コストはどうなるだろうか。軍事問題も環境問題の一環として捉え、社会科学や地政学を活用し、限られた資源を最大限活用する智恵と長期的・総合的な視野をもって見直していく必要があると思う。(茨城キリスト教大学名誉教授)

土浦市成人式 9月19日 2部制で開催

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クラフトシビックホール土浦=土浦市東真鍋

【伊藤悦子】土浦市は1日、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期としていた成人式を、9月19日、同市東真鍋町、クラフトシビックホール土浦(市民会館)大ホールで開催すると発表した。

ゴールデンウイークや8月のお盆シーズンも候補に挙がったが、9月19日はシルバーウイークで休日が続くこと、気温が比較的高く、ワクチン接種も進んでいることが予想されることから日程を決めたという。

8中学校地区を半部に分けて、第1部を午前11時から、第2部を午後2時から開催する。市内の各中学校から推薦をうけた、新成人の代表者で構成する「成人式運営委員会」と市が、ウェブ会議で話し合って決めた。

対象になるのは今年1月に成人式を実施する予定だった男性730人、女性761人の計1491人(2020年11月1日現在)。

新型コロナウイルスの感染が拡大する中、今年の成人式は、市町村によって延期か中止かなどの対応が分かれた。隣のつくば市は、いつ収束するか見通しが立たないなどとして中止を決め、1人1万円の祝い金を支給した。延期か中止かをめぐってはNEWSつくばにも多数の意見が寄せられた。

【土浦市長会見】ワクチン接種、4月12日から 会場にイオン土浦など

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会見する安藤真理子市長=1日、土浦市役所

【伊藤悦子】土浦市、安藤真理子市長の定例会見が1日、同市役所で開かれた。65歳以上の高齢者や基礎疾患がある市民の新型コロナウイルスワクチン接種について、4月12日以降、開始すると発表した。

接種方法は、個別接種と集団接種の両方とし、個別接種は市内の協力医療機関で受けられるようにする。集団接種はイオンモール土浦と、市保健センターの2カ所で実施する。高齢者以外もその後、順次、接種できるようにする。

高齢者などへのワクチンの優先接種について政府は、4月12日から限定的に開始し、26日の週にすべての自治体に行き渡るようにするとしている。ただしどれだけの量が供給されるかは不明。

接種の予約は、国からのワクチンが確保された後に、接種券を郵送し案内する。事業費は7億7千万円。接種に先立って、ワクチンについての相談を受け付けるコールセンターを22日開設する。

一方、医療従事者約6000人分のワクチン接種は3月上旬を予定している。事業費は約6500万円。

県外在住学生に土浦ブランドを送付

新型コロナ関連の緊急経済対策では、第2弾となる買い物難民支援事業を実施する。食料品など移動販売を新たに始める事業者に運営費を補助するほか、現行の移動スーパーを補完するため、車両購入費の補助を追加する。事業費は約400万円を計上する。

コロナ禍でアルバイトなどの収入が減っている、県外で学ぶ市出身の学生の生活支援のため、土浦ブランド認定品を送付する。さらに卒業後のUターンのきっかけとなるよう既存の市PRパンフレットも送付する。事業費は約320万円を計上する。

新型コロナについての情報や医療・福祉など生活に必要な情報が伝わりにくい外国人市民に対して、市役所に通訳や翻訳者を配置したり、多言語通訳アプリを活用できるようにする。事業費は約530万円。

そのほか、公共施設や救急車への感染拡大対策や、新しい生活様式を踏まえ公共施設のトイレ洋式化などを実施する。

土浦さくら花火を打ち上げ

昨年は新型コロナ感染拡大で中止になった土浦桜まつりは、「今年は静かに桜の魅力を」と称し20日から4月11日まで、亀城公園、桜川堤、新川などでライトアップなどを実施する。

今年は、医療従事者や自粛生活を強いられている市民に元気を届けようと、「土浦さくら花火」と称し、4月3日午後7時から、市内の桜の名所3カ所で、1カ所当たり75発の花火を同時に打ち上げる。打ち上げ場所は3密を避けるため非公表。雨天の場合は4日に順延する。

一方、新型コロナ感染拡大防止のため、亀城公園でのステージイベントや食のイベント、桜の名所をめぐるレトロバスの運行などは中止する。

3月3日入籍カップルは記念撮影を

安藤市長は3月3日の桃の節句についても触れ「今年は令和3年3月3日と3が並ぶため婚姻届けを出す人が多いと思う。祝福する思いで、市役所入り口わきのエスカレーターにひな飾りを設置し、記念撮影のスペースにしている。ここで写真をとって人生の特別な思い出にしてほしい」と呼び掛けた。

グランプリは「KA.TA.MI.」 つくば短編映画祭

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グランプリを受賞した「KA.TA.MI.」。画像はつくばショートムービーコンペティション公式HPより引用

【池田充雄】つくばからの文化発信と次世代の才能発掘を目指したムービーフェスティバル「つくばショートムービーコンペティション2021」(つくば市、筑波学院大など主催)の審査結果が2月27日発表された。10分以内の短編映像が対象となるグランプリには「KA.TA.MI.(カタミ)」(監督・脚本・編集/タイム涼介)が選ばれ、賞金10万円と副賞を獲得した。8回目となる今回は計148作品の応募があった。

受賞作の「KA.TA.MI.」は、新人女優が映画のオーディションに挑み、審査員の発する「言葉の銃弾」にさらされるが、大切な人たちからもらった「言葉の形見」に守られ、審査を乗り切るという話。互いに言葉の銃弾を撃ち合うシーンや、形見の品が銃弾を弾き返すシーンなどの、斬新な特殊撮影も見どころの一つだ。

制作者のタイム涼介さんは映像作家であると同時に「日直番長」「セブンティウイザン」などの作品で知られる漫画家でもある。今回の受賞については自身のツイッターで「中村義洋監督のコメントに感涙しました! コロナ禍においての私たちなりの作品作りをご理解いただきこんなにうれしいことはありません! ありがとうございました!」とコメントしている。

「コロナと正面きって向き合う」

審査員長の中村義洋さん(映画監督)は受賞作について「この作品の面白さは時間・空間を行き来するところ。コロナ禍になって窮屈な世の中だからこそ、そういう自由自在なものを、自分自身が見たかったんだなあと思った。このコンペティションでは毎年、やりたいことをやってほしいとずっと言ってきた。コロナはあるが、それとは別に自分のやりたいことがある。それで正解じゃないか。自分のこの1年の仕事を達観できるような感想を持てて、感謝したいくらい」と総評で述べた。

中村さんはまた、コロナ禍に振り回された一年であったことを振り返り、「この状況でコロナを描くかどうかは誰しも悩むところ。僕自身も、描くならどう描くか、またはコロナ下であることを無視するのか、これまで温めていた企画はコロナの設定なしに通用するのか、コロナと正面きって向き合って描いたものを見たい人がいるのかなど、いろんなことを日々考えた。それは応募する方々も一緒ではないかと思い、心して作品を見た。本当に切実なものがいっぱいあり、若い人がちゃんとコロナに向き合って生活していることが分かって心が打たれた」とも語っている。

審査結果は以下の通り(敬称略)。
【自由部門】
▽グランプリ「KA.TA.MI.」タイム涼介
▽つくば市長特別賞「くしゃみ」高島優毅
▽ウィットスタジオアニメーション賞「マリー」鈴木絢子
▽佳作賞「BEFORE/AFTER」GAZEBO、「した ためる」菱沼康介、「SYNCHRO」張時偉
▽市民審査員賞「BEFORE/AFTER」GAZEBO

【3分以内のショートショート部門】
▽筑波学院大学長賞「リコリス」テンクウ
▽佳作賞「MELVAS」比留間未桜

【全天周映像部門】
▽つくばエキスポセンター賞「Season」高野真衣

【つくば部門】
▽佳作賞 「今日のお散歩」地球レーベルひとでちゃん

ノミネート作品のオンライン上映(youtube)は3月7日まで、こちらのサイトで見ることができる。

【震災10年】1 つくばで100年の歴史をつなぐ 原田功二さん

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つくばの眼鏡店「グラン・グラス」店主、原田功二さん

東日本大震災から10年を迎える。福島原発事故から避難し、つくば、土浦で生活を再建しようとしている6人に話を聞いた。

【柴田大輔】「浪江に住み続けたい」と誰もがそう思える街をつくりたかった。震災は、原田功二さん(44)らが未来を見据えた街づくりの最中に起きた。

つくば市学園の森の新興住宅地に、元・浪江町商工会青年部長の原田さんは眼鏡店「グラン・グラス」を2018年にオープンさせた。真新しい店内だ。

グラン・グラス店内=つくば市学園の森3-10-2

地域おこしのさなかに起きた

「私は浪江の人に育てられたんです」

千葉県柏市出身の原田さんは、結婚を機に福島県浪江町に移住した。妻・葉子さん(44)の実家は浪江で3代続く「原田時計店」。1925年に開業し、時計や眼鏡、貴金属などを扱う地域に根ざした老舗の商店だ。原田さんは千葉県の大学を卒業後、当時交際していた葉子さんの実家の家業を継ぐため、専門学校で認定眼鏡士の資格を取り、眼鏡部門を担当した。

葉子さんは2人姉妹の長女。将来は福島に行くのかなという思いはあったし、浪江ののんびりした雰囲気も気に入っていた。

浪江では生活に慣れるまで時間がかかった。当初は友人もなく、新しい仕事に忙殺され「ほとんど引きこもり状態」だった。「人との距離が近く、横の繋がりが不可欠」な浪江の社会にも馴染めなかった。

「外で静かに飲もうとしても、必ず知り合いに会って話し掛けられる。それが苦手でした。でも、その距離感が心地よくなっていきました」

誰もが見知る地域だからこその信頼感、互いを気遣う「持ちつ持たれつ」の暮らしに、原田さんは次第に「安心感」を覚えた。その後、地元消防団、商工会に入り、会合や祭りに積極的に参加した。

震災前の浪江は、日本中の地方同様、後継者不足に直面する事業者が少なくなかった。こうした中、若い世代が手を取り合い「子どもたちが住みたいと思える、いきいきした街づくり」に動き出していた。その輪に原田さんは積極的に参加し「よそ者」から浪江の一員になっていく。夜は仲間と飲みつつ街の将来を語り合い、地域おこしに取り組んだ。震災は、そんな充実した日々の中で起きた。

故郷の味が仲間をつなぎとめた

その日、店で卸業者の応対をしていると、突然揺れた。店の窓が割れ、ものが散乱した。直後に流れた津波警報。原田さんは家族と高台に避難し車で夜を明かす。翌朝、片付けのため店に戻ると、今度は原発事故による避難指示。落ち着く間もなく店を出た。

隣町の親戚宅に滞在中、福島第1原発1号機が爆発し浪江に戻れなくなった。その後、避難所や親戚宅など、つくばにたどり着くまで県内外5カ所を移動した。

原田さんが浪江商工会青年部長に就任したのは、震災直後の4月。前年に決まっていたことだった。東京の都営住宅に移ったばかりで自身も混乱の中にいた。原田さんはこう考えた。

「『よそ者』の自分は、浪江が故郷の仲間に比べ気持ちに余裕がある。自分だからできることがある」

震災前に購入したスマートフォンで避難者に有益な情報を収集し発信、仲間の安否確認をした。さらに原田さんは青年部の仲間と、名物「浪江焼きそば」を各地に散らばる避難所で振る舞い、被災者の「心の復興」に取り組んだ。避難所で焼きそばを作ると、故郷の味に浪江の人たちが涙を流したのがきっかけだった。活動はバラバラになった仲間をつなぎ止めるためでもあった。浪江の暮らしは地域のつながりがあってこそ。そこから2年、仲間と各地のイベントで焼きそばを作り、メディアでの情報発信に力を注ぐ。

そのころ浪江町民の中で、町外に住民がまとまり暮らせる「代替地」の用意を町長に求める声が上がった。だが、将来的に町への帰還を考える町長と思いは一致しなかった。

「帰るのは無理だと思い始めました。40歳を超え、新しい土地で何かを始めるなら体力のあるうちに動きたかった。県外も考えたいと社長である義父に相談すると、承諾してくれました」

福島での事業再開を望んでいた義父が、原田さんの希望を受け入れた。

愛された浪江の店がお手本

浪江の知人につくばを紹介された。

「つくばは開発中のこれからの街。一目ぼれでした。郊外に広がる山と田畑が浪江に似ていました。ここでやろうと覚悟を決めました」

消防や青年部の仲間に思いを伝えると、励ましの言葉が返ってきた。

浪江の原田時計店から運び込んだ柱時計

新しいお店は「1歳からお年寄りまで来られる眼鏡店」がコンセプト。時間をかけてお客さんの声を聞き、その人にとって最適な眼鏡を決めていく。お客さんがゆっくり過ごせるよう、子どもが遊べるスペースも用意した。住民に愛された浪江の店がお手本だ。店内にある柱時計と壁時計は浪江の店から運び込んだ。「原田時計店」の原点を引き継ぐ。義父は現在、福島県二本松市に同名の店舗を構える。つくばはその支店にあたる。

「私にとって故郷は『人』です。生まれ育った柏でも、浪江でも、私は人に育てられました。特に浪江では、社会人としてたくさんのことを教えられました。つくばでは、地域の方と一緒に育っていけたらと思っています」

原田さんは現在、妻の葉子さん、8歳になる長男と暮らしている。

「息子は浪江焼きそばが好きなんです。まだ小さいので震災のことは話してません。でも、『これ、お父さんとお母さんが住んでたとこの食べものだよ』って伝えてます」

原田時計店は2025年に100周年を迎える。つくばの街で、人の縁と歴史をつないでいく。

《吾妻カガミ》101 つくば市長の名誉毀損提訴を笑う

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市長の五十嵐さんが、期間を限って発行されたミニ無料新聞に市長としての名誉を傷付けられたと、その発行人を名誉毀損(きそん)で裁判所に訴えました。1期目の市政を批判されて面白くなかったのでしょうが、五十嵐さんには、関連する記事に対し自分の後援会紙などで反論する機会があったのに、言論に対し言論で対抗しないで司法の場に持ち込むとは…と、思わず笑いました。

言論による名誉毀損には言論で対抗すべき

五十嵐さんの訴えは、昨秋の市長選挙の前(6月~8月)、ミニ新聞の記事(計3号中の22箇所)によって、市長としての評価を傷付けられたから、その損害(130万円)を賠償せよという内容です。訴えられたのは、元つくば市議で「つくば市民の声新聞」発行人の亀山大二郎さん。提訴の概要や亀山さんのコメントは、本サイトの記事(2月17日掲載)をご覧ください。

この無料紙第1号については、本コラム「紙爆弾戦開始 つくば市長選」(昨年7月20日掲載)でも取り上げ、「五十嵐市長の2大失政(運動公園問題の後処理の不手際、つくば駅前ビル再生計画の失敗)などのリポートを掲載、現市長にマイナス点を付けました」と紹介しました。「権力の監視」を編集方針の柱の一つに掲げる本サイトとしても、シンパシー(共感)を覚えたからです。

提訴の話が耳に入ったとき、知り合いの弁護士に名誉毀損のポイントを解説してもらいました。彼によると、「言論による名誉毀損にはまず言論で対抗すべき」という法理論があるそうです。これには「相手に対し対等で反論が可能であれば」との前提が付くそうですが、五十嵐さんは、後援会紙、SNS、記者説明などで反論できたわけですから、発信力は対等どころか、ミニ新聞よりも優位にありました。

そこで、五十嵐さん後援会紙「Activity Report」7~10月発行分(計4号)をチェックしたところ、内容は市長1期目の自慢話ばかりで、「つくば市民の声新聞」への反論は見当たりませんでした。選挙運動中は反論せず、選挙が終わってから裁判所に駆け込むとは、市長=政治家らしくない行動です。

公約は「返還」でなく「返還交渉」だった?

名誉を毀損されたという記事は、先に引用した2大失政のほか、五十嵐市政下で市職員が増え人件費が拡大している(行政改革が不十分)、県からもらえるはずの補助金なしで給食センターを建てた(市が全部負担)、地元業者優先の不自然な発注が目立つ(入札制度への疑問)―などの内容で、とても勉強になりました。

訴状を読むと、五十嵐さんは記事の表現を問題にしています。例えば運動公園問題については、ミニ新聞の記事では用地をURに返還すると公約したと書いているが、公約したのは「返還」でなく「返還交渉」だった、と。交渉がうまくいかなかったから返還できなかった、でも交渉はしたのだから公約は守った、だから記事は間違いであり名誉毀損に当たる―といった論理構成です。この理屈も笑えます。

逆に、笑って済まされない箇所もあります。「歪(ゆが)んだ情報により一旦結果(選挙結果)が生じれば、一時的とは言え地方自治体の体制を混乱に陥れることになりかねない重大な結果を招く…」とのくだりです。こういった表現の自由を封じるような論述は、どこかの非民主国の言論規制を想起させます。(経済ジャーナリスト)

ロボッツ、佐賀に連勝「シーズンベストの守備」

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この日は守備が充実。小寺が佐賀の得点源ローソンを抑える(撮影/高橋浩一)

【池田充雄】男子プロバスケットボールB2リーグの茨城ロボッツは27、28日、つくば市竹園のつくばカピオアリーナで、西地区の佐賀バルーナーズと2連戦し、27日は101対93、28日は74対59で連勝した。茨城の現在の成績は29勝12敗、勝率7割7厘で東地区2位。レギュラーシーズンの残り試合数は19で、プレーオフ進出マジックは10。

2020-21 B2リーグ第43戦(28日、つくばカピオアリーナ)
茨城 74-59 佐賀
茨 城 |18|15|17|24|=74
佐 賀 |14| 9|17|19|=59

第4Q、平尾のドライブからのレイアップシュート(同)

前日は終盤まで激しい点の取り合いだったのに対し、この日は一転してロースコアのゲームとなった。要因は、互いに昨日の結果を受けて守備の改善を図ったこと。茨城は、相手のガードの選手によるドライブやピック&ロールに注意し、高いプレスで陣形を崩さず守りきることに成功。外からの攻撃に対しても隙を見せることなく「相手の得点源を抑え、シーズンベストの守備で結果を残せた」とリチャード・クレスマンヘッドコーチ(HC)は胸を張った。

ただし攻撃の場面では、前日の疲れもあり、相手の集中したゾーンディフェンスを攻めあぐねた。「昨日はコーナーからうまく攻めることができたが、今日は選手のつけ方を変えてきていた。外からのシュートも入らず、攻め方が単発になった」と、ポイントガードの福澤晃平。

それでも第1クオーター(Q)後半、相手のファウルによるフリースローで得点を重ねて4点のリードを作ると、第2Qには中と外のボールの出し入れで相手に隙を作らせ、リードを10点に広げることに成功。第3、第4Qもこのリードを保ったまま、盤石の勝利を挙げた。

トラソリーニはこの日、4本中4本の3点シュートを決めた(同)

特にマーク・トラソリーニは前半わずか2得点ながら、後半は19得点と爆発。リバウンドも13を取り、ダブルダブル(2項目で2ケタ成績)の活躍でMVPを獲得。4本中4本を決めた3点シュートでは「最近あまり入っていなかった」というが、1本決めてから調子をつかんだようで、思いきりの良いプレーが増えた。

「コミュニケーションをとってスイッチミスなどを防ぎ、チームとして守れた」と福澤。「守備でよく我慢し、佐賀というタレント豊富なチームを抑えることできた」と高橋祐二。クレスマンHCは「攻守とも高いレベルを保ち、攻撃で思うように行かないときも、守備で結果を残せるチームにしたい」と今後の展望を語った。

《食う寝る宇宙》80 火星探査「魔の7分間」

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【コラム・玉置晋】ウチの大事な家族である犬の「べんぞうさん」の体調がすぐれません。この数年、検査で腎臓の数値が悪かったので、腎臓ケアの食事に変えていたら、今度は肝臓の調子が悪くなり、手製の食事に替えましたが食欲がなく、昨日も仕事のお休みをいただいて獣医さんに連れていきました。2008年に我が家にやってきたこのワンコ、人間でいえば70歳くらい。70歳だったら、まだまだバリバリ働いている人いっぱいいるぞ。どうか元気になってくれ。

こういう時に限って、仕事の締め切りやら、確定申告の準備やら、異様に忙しい。2月19日早朝に、たまった領収書と悪戦苦闘しながら、NASA(米航空宇宙局)のライブ中継をみていました。NASAジェット推進研究所の火星探査機「パーシビアランス」が火星への着陸を試みている真っ最中です。

これまで各国で試みられてきた火星探査の成功率は半分以下。火星周回への軌道投入、大気圏突入、軟着陸のためのパラシュートの展開―すべて難易度が高い。地球から火星までの距離は光(電波)の速さでも10分かかるので、探査機に事前にプログラムしておき、自己判断させなければならないのです。特に探査機の大気圏突入の時間は、「魔の7分間」として恐れられているそうです。

着陸成功にガッツポーズ

火星の大気圏突入時には、時速2万キロという高速移動しているために、ものすごい勢いで探査機前方の大気を圧しつぶします。圧しつぶされた大気の分子が激しくぶつかり合って、熱が発生します。火星の大気だと2000℃程度に加熱されるので、高温に耐えねばなりません。

そして、着陸点に向かう軌道を修正しつつ、適切なタイミングでパラシュートを開く。しばらく降下した後、「スカイクレーン」と呼ばれるロケット推進で噴射する装置につるされながら、ゆっくりと着陸していきます。この間7分間。NASAの運用室の緊張感がパソコン画面を通じて伝わってきました。着陸成功が報じられたときは、思わず僕もガッツポーズ。

なお、この火星探査機の開発や運用には日本人のエンジニアの方も関わっています。こういう活躍を見せていただくと、僕もがんばらなくちゃねと励みになります。まずは「べんぞうさん」を抱っこしながら、さっさと領収書の山を片付けないと。(宇宙天気防災研究者)

3分宇宙天気>2月19日から太陽の「コロナホール」から流れ出した高速太陽風が地球周辺に吹いています。20日に太陽の「プロミネンス」から発生したガスの塊は、24日に地球をかすめて通過しました。この後、宇宙天気は穏やかになる見込みです。宇宙旅行の際は宇宙天気を見てからお出かけください!

自動運転からパーソナルモビリティーにつなぐ つくばスマートシティの実証実験

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介助を受けながら自動運転車からパーソナルモビリティーに移乗する五十嵐市長=つくば市 筑波大学付属病院

【山口和紀】つくば市が県、筑波大学、民間企業などと構成する「つくばスマートシティ協議会」は27日、自動運転車両とパーソナルモビリティーの実証実験を行った。自動運転の乗用車がみどり公園(同市学園の森)から筑波大学付属病院(同市天久保)まで走行した後、乗客は遠隔操作のパーソナルモビリティーに乗り換え、病院受付まで自動走行で移動するという内容だ。

実験に用いられた自動運転車両はトヨタ・ジャパンタクシー(JPN TAXI)を自動運転用に改造したもので、自動運転技術はシステム開発企業のTierⅣ(ティアフォー、愛知県名古屋市)の技術が用いられた。パーソナリモビリティーとして用いられたのはWHILL(ウィル、東京都品川区、杉江理社長)の電動車いすだ。

自動運転コントロールルームの様子。異常があれば自動走行からマニュアル操作に切り替え、安全な場所まで人間が移動させることになっている

自動運転の実験では、万が一に備え運転手が搭乗していたものの、一切の運転操作を行わずコンピューターの自律走行のみで公道を走行した。実際に搭乗した五十嵐立青市長は「怖さは全く無かった。最大の難所が人間でも運転が難しい右折だと伺っていたが、全く心配が要らないレベルだった」と感想を話した。

パーソナルモビリティーは、病院内の移動やバス停から自宅までのラストワンマイルなどで用いられる一人乗りの乗り物のこと。今回の実験では、自動走行ではなく、遠隔操作で走った。実験の監修役を務める筑波大学、鈴木健嗣教授(システム情報系)は「将来的には、病院内で身体に不自由のある方や患者さんを自動運転で検査室や病室まで運ぶようなことを想定している。ボタンを押せば病院内どこでも連れて行ってくれるような形だ。技術的には現時点でも十分に可能と考えている」と話す。

左手の男性がコントローラーで自動走行のパーソナルモビリティを遠隔操作している

「自動運転の交通手段とパーソナルモビリティーの連携こそが今回の実験のポイント」と五十嵐氏市長。体に不自由な人を想定した実証実験であるため、市長自身も介助を受けながら自動運転車からパーソナルモビリティーに移乗した。

「自動運転の技術そのものは既に一定程度の水準に達しており、実証実験も各地で進められている。しかし、今回の実験ではそこから一歩進める形で、交通弱者のニーズを解決するということを目指した。具体的には、自動運転とパーソナルモビリティーを組み合わせることで、高齢者や障害を持った人が通院をするというシーンを想定しての実験になった」という。

実証実験を行ったスマートシティ協議会は「つくばスマートシティ」の実現を目指し、産学官金が連携して事業を推進していくことを目的として2019年6月に設立された組織だ。大井川和彦知事とつくば市長が会長を務める。茨城県およびつくば市と、筑波大学や産総研などの研究機関、ドコモやカスミなどの企業、計39機関が会員として所属している。

五十嵐市長は「技術的には自動運転技術は十分に実用化のレベルに達していると思うが、法制度の整備などを待つ必要がある。自動運転などの技術を実際の仕組み、サービスとして具体化していくには『スマートシティ構想』に採択されることが大きな後押しになる」と語った。

《ひょうたんの眼》34 JOC森前会長の罪深い発言

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【コラム・高橋恵一】JOCの前会長が不適切発言で引責辞任し、次期会長に女性が就いた。元々、首相時代から「失言」の目立つ森前会長だったのだが、今回は、重要ポストを追われ、どうやら院政を敷くのも困難な立場に立たされたようだ。

森前会長は、JOCの女性理事の割合を現在の20%から40%にしようとする目標に関して、評議員会の席で「女性の多い会議は、発言者が多くなり、時間がかかるので困る」という趣旨の発言をした。この発言に対して女性蔑視(べっし)、差別だとする批判が高まり、さらに、発言撤回と反省の記者会見で逆ギレし、当初は、政権や関係者の前会長擁護の動きもあったが、IOC会長の裏切り非難声明により、しぶしぶ辞任することになった。IOCも大スポンサーからの指摘で、変節しただけのようだが…。

この発言と「本音」について、国内でも様々な議論が起こったが、日本の男女格差、ジェンダーフリーのレベルが国際的にも最低位置にあることが、世界に広まってしまった。後任のJOC会長の選び方も、透明性確保が求められたが、今までの組織の流れを引き継ぎながら、世間体を繕うために、女性でオリパラ担当大臣の橋本聖子さんが就任した。これで、右往左往した世間も落ち着き、IOCも安心した。

しかし、日本のジェンダーフリー、民主主義のあり方については、何も進展しなかった。会議の発言者多いと、なぜ困るのか? 男性が場を「わきまえている」ということは、異論をはさむ者(男性)を、初めからメンバーに入れていないということだ。そういえば、首相の記者会見、国会での答弁拒否、政策決定の有識者会議等々、初めから結論ありきで、もともと議論を交わす考えがないということだ。

国会だけではあるまい。多くの、株主総会、諸団体の総会から、多くの地域社会の決め事まで、多様な意見を交わして高め合う機会が少なく、結果として、組織の高度化、成長を妨げている。

民主主義に基づく学者とメディアに期待

古来、日本では、権力者と異なる意見を主張することは、困難を伴った。殿様の言動を変えさせるために切腹、諌死(かんし)した逸話も少なくない。自分と異なる意見を聴くのが大嫌いな上司は数多くいる。それが、自分自身の利害や先入観に基づく場合は、強固である。その上司が国家のリーダーである場合、その拒否が、聞き入れない政策が、国民の生命や生活に重篤な影響を及ぼすことになろう。

先の悲惨な戦争が人権と民主主義の否定に端を発していたことは明らかであろう。現在の気候変動や感染症対策、格差拡大を増幅している経済対策も、日本学術会議への態度に見られるように、政権の科学的思考の薄弱さに裏打ちされている。

社会経済が疲弊して、一部の層だけが富と権力を占有し、庶民の不満が限界に近づくとき、巧妙にファッショ化が進行する。歴史の教訓である。本来、忖度(そんたく)などに陥らない、真に使命感を持った官僚が必要なのだが、国民を誤った方向から救えるのは、人権と民主主義に基づく学者とメディアであろう。(地図好きの土浦人)

ネコたちのいる風景 7日まで関由香さん(つくば)写真展

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写真展「ねこうらら」=筑西市丙アルテリオ内、しもだて美術館

【池田充雄】つくば市在住の写真家、関由香さんの写真展「ねこうらら」が3月7日まで、筑西市丙のしもだて美術館で開かれている。約20年間のキャリアの集大成的な展示会で、関さんが特に気に入りの作品100点が並んでおり、「ネコを通して生まれるあたたかな風景が好き。厳しい状況の中で少しでも、うららかな時間を過ごしてもらえたら」と話す。

関さんは長野県出身、東京のブライダル写真の会社で腕を磨いた後、ネコ写真家として独立。2001年に沖縄の竹富・小浜・波照間などの島々を巡って撮った写真が、2003年の第4回新風舎・平間至写真賞優秀賞を受賞し、翌年の写真集「島のねこ」にまとめられた。以来、手掛けた作品は40冊以上。テレビCMで人気の「ふてニャン」の写真集もその一つだ。

展示作品の一つ、ねこ助ポーズの看板ネコ (関由香さん提供)

「ふてニャンがすごいのは“待て”ができるところ。離れていても全然ポーズを崩さない。何百匹に一匹の逸材だそうです。顔がかわいいし、全体に存在感がある。性格も穏やかでいい子」と評価する。

ネコと一緒に撮影を楽しむのが関さんのスタイル。いっぱいほめてあげるとネコも分かってくれるそうだ。ネコの顔が見えるよう地面に寝そべって撮っていると、倒れているのかと心配され、よく声を掛けられるという。「ネコ好きな人には良くしてもらうことが多く、いつもいやされて帰ってきます」

「ほっこりした気持ちになって」

関由香さん(撮影:hirota aotsuka)

展覧会は、写真家としての出発点となった沖縄のネコから始まる。みやげもの屋のテーブルに“て”の字の形に寄り掛かって眠ってしまった子や、電信柱の裏側にしがみついて手だけを見せている子など、ゆったりとした島時間の中で伸び伸びと暮らすネコたちの姿が活写されている。

ラオス、カンボジア、ミャンマーなど、アジアのネコを集めたコーナーもある。台湾の寺で首にお札を付けて大切に飼われていたり、駄菓子屋の店先で立ちポーズを披露したりなど、人とネコとの多様なかかわりが異国情緒あふれる景色の中に浮かび上がる。

下町の商店街や喫茶店などの看板ネコもテーマの一つ。つくばや土浦でも探しているが室内飼いが多いのか、街中でネコを見かけることは少ないと嘆く。看板ネコのいる店をご存じの方は、ぜひ当記事のコメント欄へ情報を。

最近撮り始めたのが「ねこ助」のシリーズ。テーブルやいすなどに手をついたポーズを集めたもの。「マントを付けたお助けマンみたい」というのが命名の理由だそうだ。コロナ禍による自粛期間中、ネコのどういうところが好きなのかと振り返っていてたどり着いた。「ずっとネコに助けてもらってきた。見ているだけで幸せにしてくれる。皆さんにもほっこりした気持ちになっていただけたらうれしい」と呼び掛ける。

「関由香写真展 ねこうらら」の詳細はしもだて美術館へ。

《宍塚の里山》74 コガモとオオタカ

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(円内写真)オオタカ=撮影:鶴田学(上段中)カモの群れ(左)コガモのオスメス(下段)オスの体そらし、見つめるメス

【コラム・及川ひろみ】今ごろの宍塚大池。ピッツ、ピッツと澄んだ声が鳴り渡っています。カモの中で最も小さなカモ、「コガモ」の雄の鳴き声です。ドバトより少し大きな、両手で包めるほどの小型のカモ。コガモと言っても子どものカモではありません。大池を歩いていると、「あの鳴いているのは何?」とよく聞かれます。その正体がカモと知ると、想定外だったのか、皆さん一様にびっくします。

コガモが盛んに鳴いているとき、しばしば雌への求愛行動(ディスプレー)が見られます。1羽のメスの周りに数羽の雄が、うろうろ、そわそわ。頭を振ったり、体をそらせたり、水面すれすれに首を伸ばして泳いだり、水しぶきを上げたり。時に、緑に輝く美しい羽根や、尾の近くの黄色い羽根を見せびらかし、雌に猛アピールするのが見られます。旅立ち前の真剣な儀式です。

大池では1984年から、野鳥の会の依頼を受け、毎年1月、カモの種類とその数を数えています。数え始めたころ、最も多かったのがコガモでした。しかし、次第にその数が減り、数年後にはマガモが多くなり、それが続きました。コガモが多かったころは、池の周りは松が多く、水面が陰影に富み、今のような明るい池ではありませんでした。

次第に明るい池になっていったこの変化が、コガモの減少に関係しているのではと言われていましたが、なんと、この冬はコガモが一番多く、いつにも増してコガモの澄んだ鳴き声が池に鳴り響いています。コガモが増えた理由はさっぱり分かりません。

3月になるとカモたちは北帰行

もうひとつ、この冬の特徴は、カモがなかなか大池にやって来なかったことです。毎年9月末から、コガモを皮切りに多くのカモがやって来て、冬を越します。ようやくカモがやって来て、数を増えたのは11月。コガモが多数やって来たのは11月末のこと。ずいぶん遅い集結でした。

カモの季節、毎年オオタカによるコガモの狩りが見られるのですが、なかなかコガモがやって来なかったことから、オオタカの出番も大分遅くなりました。オオタカとコガモ、密接な関係があるようです。この冬、大池では、オシドリ、オカヨシガモ、ヨシガモ、ヒドリガモ、マガモ、カルガモ、ハシビロガモ、オナガガモ、トモエガモ、コガモ、ホシハジロ、キンクロハジロが見られました。

3月になると、カモたちの北帰行が始まります。この時、旅の途中の大池に立ち寄るカモも多く、日ごろ見ることのない、珍しい種類のカモが見られることがあります。これからどんなカモに会えるか楽しみです。皆さまも、春間近な宍塚の大池にお運びください。(宍塚の自然と歴史の会 前会長)

時速6キロの一人乗りロボ つちうらMaaSに新顔

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歩道を走りだした「ラクロ」=土浦市藤沢

【山口和紀】自動運転の一人乗りロボ「ラクロ」が25日、新治公民館(土浦市藤沢)近くの公道に沿う歩道をかっ歩した。つちうらMaaS(マース)の実証実験の一つとして行われた。コンパクトな車体に、自律移動に必要なセンサーやデバイスを搭載したロボットで、最高速度は時速6キロ、ちょっと速足気味に走行する。バス停から自宅までのラストワンマイルを担う安全性の高いモビリティーとして活用が期待されている。

ラクロを開発するZMP社(東京都文京区、谷口恒社長)事業部長の龍健太郎さんは「ラクロは人間社会に溶け込むロボットとして開発された。状況に合わせて様々な感情を表現することができ、ただ人を運ぶだけの無機質なロボットではない」と語る。

「ラクロには喜怒哀楽それぞれに3段階の感情表現があり、計20パターンの表情がある。目の前に人がいるときには立ち止まり、サウンドと音でコミュニケーションをする」という。実証実験では状況に合わせて「通ります」「道を開けてください」などと発声していた。

将来的には、スマートフォンのアプリなどでラクロを自宅前などに呼び出し、バス停まで自動で乗客を乗せていくという使い方が想定されるという。実際に東京都中央区ではZMP社が、ラクロのシェアリングサービスを行っている。現在は、月に1万円でラクロ乗り放題のプランや10分で370円の時間制サービスなどがあるそうだ。アプリでは、目的地や日時を入力することで簡単に利用できるという。

(上)「ラクロ」の目の部分(下)丸い円錐状の部分が距離を測るレーザー測定器。360度の障害物との距離を常時測定している

大きさは長さ約119センチ、幅66センチ、背もたれの高さ109センチ。ラクロは法律上、歩道を走行するシニアカー(電動車いす)のサイズに準拠する。そのため、日本中どこの歩道であっても走行することができる。

搭載されたコンピューターが自律的に判断をする「自動運転」については、法整備が十分に追いついていない。龍さんは「自動運転で走行することには法律上何ら問題はないが、現在は警察庁などと協議を行いながら事業を進めている状況」と説明した。

ラクロには「頭」の部分に360度の距離を測るレーザー測定器、前方の状況を認識するカメラが搭載されている。客席側にはタブレット端末が装着してあり、目的地までの地図情報や、時間などが表示される。1人乗り専用で、最高速度は時速6キロ、隣の人と歩調を合わせて移動できる。ジョイスティックなどによる操作は一切必要なく、自律的に走行する。リモコンによるマニュアル走行も可能だ。目の前に障害物がある場合には、回避するか立ち止まり、障害物が無くなりしだい自動で走り出す。

実証実験でラクロに乗った男性(つくば市在住)は「思ったよりも速かった。乗り心地は快適で、なにより表情と声がかわいいと思った」と話していた。

入念に新型コロナ対策 筑波大学で入試

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25日午前9時45分ごろ「外国語」の試験開始前=筑波大学3A204試験会場

【山口和紀】筑波大学(つくば市天王台)の2021年度の入学者を選抜する個別学力試験(前期日程)が25日、行われた。受験予定者数の合計は4109人(うち女子は1288人で31%)で、全体の志願倍率は4.2倍になった。最も倍率が高かったのは社会学類の9.0倍で、続いて心理学類の5.8倍だった。合格発表は3月8日。

全国から受験生が集まるため、入念な新型コロナ感染症対策が取られた。受験者には14日間の健康観察記録が義務付けられ、試験会場に入る前に試験官らが健康観察記録表の確認を行った。試験開始前、「本人確認の際のみ、マスクを一時的に外して頂く可能性があります」「換気のため室内の気温が下がることがあります」とアナウンスがあった。

新型コロナウイルス感染のおそれがある生徒は、救済措置として3月22日実施の追試験を受ける。試験方法としては、基本的にオンラインあるいは書類審査をもって行う。ただし、特に専門性が高い医学類、体育専門学群、芸術専門学群、知識情報・図書館学類(後期日程のみ)は筑波大学の試験場で行われる。

今年度入試から、総合選抜が開始された。総合選抜で入学した学生は、1年次の間は新設の総合学域群に所属し、2年次以降は各学群・学類に配属される。総合選抜には「文系」「理系Ⅰ」「理系Ⅱ」「理系Ⅲ」の4区分があるが、どの区分からでも体育専門学群を除く全ての学類に配属の可能性がある。特に専門性が高い、医学類や芸術専門学群にも進路が開かれている。

2020年度は新型コロナの影響で実施されなかった入学式だが、筑波大学によれば21年度について「現時点では入場者の制限を行いつつ実施する予定」だという。