火曜日, 10月 6, 2026
ホームつくば食材無料提供、毎月欠かさず半年 筑波大生ら延べ1300人利用 

食材無料提供、毎月欠かさず半年 筑波大生ら延べ1300人利用 

コロナ禍、アルバイトが減った学生を支援しようと、つくば市天久保の松見公園で開かれている食材無料提供会が5月で半年を迎える。市民団体「学生応援プロジェクト@つくばPEACE」(冨山香織代表)が昨年12月から毎月欠かさず、無料でコメや野菜、日用品を配布し、半年間で延べ約1300人が利用した。半年で何が浮き彫りになったのか。冨山代表は「共助でやっているが、公的支援がすごく求められている」と話す。

ここ数カ月は毎回300人を超える学生や親子連れなどが利用し、午前11時の開始30分前には長い行列ができる。利用者のうち大学生が9割を占め、ほとんどが筑波大生だ。

毎回長蛇の列ができる食材無料提供会

毎回、利用者にアンケートをとり結果をまとめて、A4判裏表のニュースを作成し、カンパを寄せてくれた支援者に報告している。ニュースは5月で9号になった。

「学費払えない」

県独自の緊急事態宣言が出されていた2月のアンケート結果は、アルバイトをしている人のうち57%が「シフトが減るなど減収になった」と回答した。

3月のアンケートでは「現金があまりない」「バイトで稼げない」「(オンライン授業のため)大学の友達ができない」「気力が足りず就活が心配」などの声が寄せられた。

4月のアンケートでは回答した189人中、21人が「学費を払えない、または今後の支払いが不安」、7人が「退学や休学をした、または検討中」と答えるなど、深刻な状況が浮かび上がった。

冨山代表は「実家の仕送りが減ったという学生もいた。バイト代を生活費に充てている学生も多く、状況は日に日に悪化していると感じる」と話す。

市内で一人暮らしをしている大学生からもらったお礼のメールには「(自分は)ひとり親家庭なので、配布会でもらったチョコレートを1枚だけ残して、あとは全部実家に送りました」と書かれていた。この学生はアルバイトをいくつか掛け持ちし、実家に仕送りしながら勉強しているという。

休業支援金を案内

飲食店の時短営業要請が断続的に続き「バイト収入が減った」という切実な声が寄せられる一方、学生からは「休業手当をもらってない」「休業支援金なんて知らない」という声が聞かれた。1月のアンケートではアルバイト収入が減ったと回答した学生のうち、実際に休業手当を受け取っていたのは3人に1人だった。

2月の配布会では、利用者に休業支援金や給付金制度を案内するちらしを配布し、会場に「なんでも相談コーナー」を設置した。休業支援金の申請書を用意し、記入を手伝うなどもした。

個別対応も

コロナ対策のため2月から、レトルト食品、菓子、日用品などが入った基本セットを250人分つくり、一人当たりの滞在時間を短くした。

コロナ対策のためつくった基本セット(冨山さん提供)

さらに「配布会当日は用事があって行けない。どうしたらいいですか」などの問い合わせを受け、3月からはメールやツイッターで申し込みがあった学生などを対象に、配布会の翌週などに松見公園駐車場で待ち合わせをして、食材を配布している。

学生ばかりでなく、社会人や親子連れも利用する。コロナで解雇されたという20代の女性から「4月の配布会に行けない」とメールがあり、翌日、松見公園駐車場で会う約束をして食材を渡したこともあった。所持金は2000円しかなかった。生活保護の申請をアドバイスし、市役所窓口まで付き添ったケースもあった。

冨山代表は「毎回たくさんの人が配布会に来てくれてうれしいが、こういう社会って何なんだろうと毎回複雑な気持ちになる」と語り、「4月の配布会には筑波大の新入生たちがたくさん来てくれた。1カ月前まで高校生だった子たちが、勉強の心配でなく生活の心配をしなくてはならない。お金のことを考えずに学べる環境とはほど遠いのでは」と憂える。

毎回20万円分購入、支援金確保課題

冨山代表は、夫が経営する筑波大近くの洋風居酒屋を手伝う。店のアルバイトも客も筑波大生が主。昨年春以降、大学生のアルバイト先が減って困っているのを知り、ずっと心苦しかった。

去年夏頃から全国各地で学生を支援する取り組みが始まったのを知り、友人に相談したところ「やるなら応援するよ」という背中を押す返事が返ってきた。

昨年12月6日のスタート以来、毎回10人から20人がボランティアで配布を手伝う。用意するコメや野菜、日用品は、市内外の住民から寄付されたものだ。寄せられたカンパで毎回20万円分ほどの食材や日用品などを購入する。

買い出しをした食材を車に積み込むボランティアスタッフ=21日午前

寄付者は年配者が多く、10万円をぽんと振り込んでくれた人、毎月60キロのコメを寄付してくれる人、毎月欠かさず1万円を寄付してくれる人などもいるという。

新聞などで活動が紹介されるとカンパが多く寄せられる。しかし残金は残り少なく、5月初め時点で残り13万円しかない。毎回カンパを呼び掛けているが、続けるためには支援金の確保が大きな課題だ。冨山代表は「いつまで続けられるか分からないが、続けられるよう努力したい」という。

公的支援求め署名活動

これまでの活動で浮き彫りになった実態を踏まえ「将来の発展を支える学生が経済的不安を抱くことなく学業に専念できる環境を整えるのが自治体の責任」だとして、3月下旬から、署名活動を始めた。

昨年8月、18歳以下と70歳以上に商品券を配布したつくば市に対し、18歳以上の全学生に現金または商品券を配布するよう求める。さらに県に対し、経済的に困難な学生を対象に独自の支援を実施するよう求める。

署名はわずか1カ月で全国から1万1000人を超える数が集まった。6月上旬に市長と話し合いの場をもつ予定だ。(鈴木宏子)

◆5月の食材無料提供会は、23日(日)松見公園レストハウスで開催する。今回は予約制で約250人から申し込みがある。カンパの送り先や利用などの問い合わせはメールpeaceoftsukuba@gmail.com。

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