月曜日, 11月 10, 2025
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介助者という社会資源の少なさ【かなわなかった自立生活】㊦ 

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宿泊体験中、介助者とカラオケを楽しむ蛯原千佳子さん

自立生活がかなわず今年1月に亡くなった蛯原千佳子さん(60)は、つくば自立生活センターほにゃらで2017年8月から宿泊体験を14回繰り返した。19年11月には、ほにゃらの介助者も蛯原さんの介助に自信が出てきて、人数さえ増えれば、一人暮らしを始められる状況になった。しかし、一人暮らしを支える介助体制をつくれないまま、蛯原さんは亡くなった。

ほにゃら事務局長の斉藤新吾さん(46)は、「地域で生活したい障害者の希望をかなえるためには、障害者が入所施設ではなく、地域で暮らすことは人間としての当たり前の権利であることを、ほにゃらの職員だけでなく、社会全体が認識していく必要がある」と話す。

街中で求人チラシ配る

蛯原さんに関わる介助者を増やすためには、当初から蛯原さんに関わっていた介助者が蛯原さんの介助に十分に慣れ、新しい介助者に障害の特性や体調に合わせた介助方法を伝えられるまでになる必要がある。宿泊体験を始めてから1年8カ月後の19年春、蛯原さんの介助に慣れてきたころ、ほにゃらでは蛯原さんの一人暮らしを支える介助者を募集した。

求人チラシを作成し、駅前で配ったり、全国の福祉系大学に求人票を郵送した。介助という仕事が持つ負のイメージを変えるために、仕事内容の紹介動画を作り、ホームページに載せたりもした。蛯原さん自身も宿泊体験中に介助者と一緒に街中に出かけ、直接チラシを配った。

ほにゃらの介助者だけでは足りず、他の訪問介護事業所と連携することも考え、20年1月には相談支援専門員を探し始めた。相談支援専門員とは、訪問介護や訪問入浴など複数の事業所が1人の障害者の生活に関わる際、事業所間の連絡調整をおこなったり、必要なサービスを受けるための行政的な手続きをおこなう機関である。

本来なら蛯原さん自身が自分に合った相談支援専門員を探すはずだったが、新型コロナが蔓延し、ほにゃらの介助者が施設で面会することもできなくなったため、ほにゃら側で蛯原さんの地域生活を支える相談支援専門員を探した。

20年7月に一度だけ短時間の面会が許可され、蛯原さんと相談支援専門員が初めて顔を合わせることができた。が、それ以降はまた面会が制限された。

一人暮らしに向けて、他の介護事業所とも連携したかったが、具体的にいつから介助派遣を依頼するか定まらないと、相談支援専門員から他の介護事業所に協力を求めるのも難しい。蛯原さんとほにゃら介助者、相談支援専門員が面会し、一人暮らしを始める具体的な日程を決められないまま、蛯原さんは体調を崩し、今年1月亡くなった。

つくば自立生活センターほにゃらのスタッフ・介助者と蛯原さん(手前)

「重度障害者の地域生活を支える社会資源の少なさと、新しい社会資源をつくり出せなかったことが、蛯原さんの一人暮らしが実現できなかった一番の原因なのでは」と、斉藤さんは話す。

権利知ってもらうことから

2014年に日本も批准した国連の障害者権利条約第19条では、障害者に、他の者と平等に、どこで誰と住むかを自分で選択し、特定の生活様式で生活することを義務づけられることなく、地域社会で生活する権利を保障し、そのために必要なサービスを提供するなど、適切な措置をとることを国に求めている。

しかし、障害者が入所施設ではなく地域で生活することは権利だという認識が、行政機関を含めて社会全体に浸透してないことが、障害者が地域で生活したくてもなかなかできない理由の1つだろうと、斉藤さんは話す。

「日本の学校では、人に優しくするというような道徳教育が重視され、自分がどのような権利を持っているかを学ぶ機会は、障害のない人でも少ない。自分の権利についても意識が低いのだから、障害者の権利と言われてもピンとこない人も多いだろう」と、ほにゃら代表の川島映利奈さん(39)は付け加える。

さらに川島さんは「相談支援専門員や行政機関の人の中でも、重度障害者が介助者を使いながら地域で生活できることを知らない人も多い。重度障害者でも地域で生活できることを社会に発信することもほにゃらの役割だと思う。まずは、障害者が堂々と社会に出ていき、障害者の存在を身近に感じてもらうことから始める必要がある」と話す。(川端舞)

終わり

霞ケ浦から桜川へ自転車散歩 《ポタリング日記》1

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三帆ひろばからラクスマリーナを望む。チョコ(右)はナショナルサイクルルートのロゴ入り
入沢弘子さん

【コラム・入沢弘子】高架道でまちを抜けると霞ケ浦が見えてきました。こんな快晴の日の湖面は透明感のある瑠璃色。沖には数隻のヨットの白い帆がくっきり。今日は湖の近くを走ってみましょうか。

りんりんポート土浦の駐車場は、県外ナンバーでほぼ満車。ロードバイクのサイクリストの間で車から自転車を降ろします。さっき見えた土浦港に行ってみようかな。隣接する三帆ひろばでラクスマリーナのヨットを撮影。見晴らしがよく気持ちがスッとします。

停泊するモーターボートを眺めながら港沿いを行くと、日本三大水天宮の水天宮に到着。水神宮と稲荷大明神と三社が並んで見送ってくれました。近くの出島状に湖に突き出た港町地区には湖岸道があったはず。ジョギングや散歩の人たちがちらほら。岸から釣り糸を垂らす人がたくさん。小さな船だまりの木造船の先に養殖さおや漁網もあるのは、漁をしていた頃の名残かな? 湖面を渡る風は、かすかに潮の香り。

おやつは「リンリンチョコ」

秋は土浦全国花火競技大会が開催される時期。今年も中止だけれど、会場付近の様子を見に桜川を上ってみましょう。桜川堤の右岸は歩行者と自転車のみ通行可能な道が整備され、自動車も通行可能な区間は、河川敷の道に降りられるので安心。約500本の桜並木の堤防は、昔からのお花見の名所で有名です。

港町から水郷橋のたもとを渡り、常磐線の橋梁をくぐり、桜川橋、匂橋、銭亀橋、土浦橋を通過すると学園大橋に到着。この辺りが花火大会の時は桟敷席になる場所です。来年は夜空に咲く大輪の花が見られますように。

広い河川敷で休憩。土浦駅前の老舗・高月堂で買った「リンリンチョコレート」でおやつタイムです。特産品のレンコンのチップ入りチョコは食感が楽しく、まろやかな甘さに癒されます。さあ、この後はどこに行こうか。町なか探検をしようか…。

自転車と泊まれる駅のホテル

日本で2番目に大きな湖・霞ケ浦のほとりにある城下町土浦市。世界に誇る「ナショナルサイクルルート」に認定された「つくば霞ケ浦りんりんロード」の玄関口です。JR土浦駅は日本で唯一のサイクリスト仕様のアトレ(「プレイアトレ土浦」)。部屋に自転車と泊まれる星野リゾートのホテルも開業しました。

サイクルウェアに身を包み、輪行バッグで改札口を通る人も多く、市内の店舗のサイクルラックにも、ロードバイクが停められている「自転車のまち」。

駅前の図書館に勤務していたころは、土浦が「自転車のまち」として変貌するのを他人事のように見ていましたが、次第に自転車ライフを楽しみたくなり、駅ビルの店で自転車を購入。小型自転車BROMPTON(ブロンプトン)は、折りたたんで車に乗せられる気軽さをとても気に入っています。

これから、土浦市やその周辺を自転車散歩した様子を「ポタリング日記」として記していきます。本格的な自転車乗りの方には物足りないと思いますが、ご容赦ください。(広報コンサルタント)

つくばFCレディース逆転負け、残留は最終節に持ち越し

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先制点を挙げる活躍をしたつくばFCレディース(青のユニフォーム)の古寺未佳(撮影/高橋浩一)

日本女子サッカーリーグのプレナスなでしこリーグ2部、つくばFCレディース 対 吉備国際大学シャルム(Charme)岡山高梁の試合が2日、ひたちなか市新光町の市総合運動公園陸上競技場で開催された。ホームゲーム最終節のつくばは1-2で敗れ、残留を決めることはできなかった。13節を終え、つくばは3勝1分9敗、勝ち点10で6位のまま。残留は次の最終節に持ち越しとなった。

プレナスなでしこリーグ2部 第13節
つくばFCレディース 1-2 吉備国際大学シャルム岡山高梁
前半 1ー0
後半 0ー2

今節は勝ち点10で6位のつくばFCと、勝ち点5で最下位8位の吉備国際大による下位対決。負けると後がない吉備国際大は、序盤からロングボール主体の攻撃でつくばに襲い掛かる。前線には抜群の動き出しを見せるFW西村や、スプリントに強いMF鵜木らをそろえ、どこからでも1本のパスでシュートチャンスをつくってくる。つくばはベテランの小田切美咲、ルーキーの渋谷巴菜によるCBコンビが高さと強さを発揮、吉備国際大の突破を許さない。

攻撃でつくばは、右MF岸川りなのクロスや左SB藤井志保のドリブル突破で、中央で待つFW古寺未佳にボールを集めようとするが、相手CB陣のマークも厳しく、効果的なパスを供給できない。

それでもゲームが落ち着きを見せるととともに、つくばが勢いを増してくる。先制点は前半38分、相手のゴールキックを右サイドで収めた岸川が、サポートに来た古寺にパス。ドリブルに入るかに見えた古寺は、ペナルティエリア外から意表をつくミドルシュート。このボールが相手GKの頭上を抜け、左サイドネットに突き刺さった。「追い風もあったので狙っていた。前を向けるタイミングが少なかったので、チャンスが来たら打とうと決めていた」と古寺。前半を1-0で折り返した。

右サイドから好クロスを連発した岸川りな(同)

後半、吉備国際大は選手交代やポジションチェンジで前線の枚数を増やし攻勢を強めてくる。必然的につくばは重心が後ろに下がり、前からのプレスがかけられず、前線と中盤の距離も開いてくる。つくばはFW大坪菜が古寺と縦関係をつくり、ボールのつながりを改善しようとするが、勢いに乗った攻撃を取り戻すことはできなかった。

後半38分、相手の波状攻撃からコーナーキックを与えると、このボールを中央で頭でつながれ、ファーサイドのFW古谷に蹴り込まれ、同点とされてしまう。さらに43分、左サイドのクロスからゴール前で混戦となり、最後はDF川名に決められ逆転。終盤の2失点で、引き分けでも残留が決まる状況をみすみす逃がすことになった。

失点を生んだ後半38分のコーナーキック(同)

「最も警戒していたセットプレーでやられたのが特に悔しい。相手FWとの1対1ではうまく対応できていた。混戦の中ではっきりとプレーすることや、あと一歩寄せることを徹底しなくてはいけなかった」と小田切。「前半は良い戦いができているが、後半は失点が増えてしまう。思うように戦えていないわけではないが、一瞬の隙を与えないことや球際の強さなど、練習からやっていることを徹底したい」とGKの稲葉寧々。

第13節を終え、最下位の岡山湯郷Belleとは勝ち点3、得失点9の差がある。「残留争いでは有利な位置にいるが、勝負に絶対ということはない。ぜひとも勝って終わりたいし、そのプロセスが来季につながる」と橋野威監督。最終節は10月10日、優勝を狙うバニーズ群馬FCホワイトスターとアウェーで対戦する。(池田充雄)

ホーム最終戦を黒星で終え、サポーターにあいさつするつくばFCレディースイレブン 

【かなわなかった自立生活】㊤ 準備進めた5年間

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宿泊体験中、車いすで介助者と一緒に買い物に行く蛯原千佳子さん

蛯原千佳子さんの死

約20年間、県内の障害者施設に入所していた蛯原千佳子さん(60)が、今年1月に亡くなった。蛯原さんは生まれつき重度の運動障害と言語障害があり、首から下は自分で動かせなかった。しかし、いつか施設を出て、地域で暮らしたいと強く願い、5年前から障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(つくば市天久保、川島映利奈代表)の支援を受けながら、一人暮らしに向けて準備を続けていた。

しかし、蛯原さんの体力面や介助者不足などで、ほにゃらの介助者と一緒に一人暮らしの練習をするのは月1回が限度で、介助者が蛯原さんの介助やコミュニケーションに慣れるのに時間がかかった。介助者さえ増やせれば一人暮らしを始められる状況までいったものの、その間に、新型コロナの蔓延により、施設でほにゃら職員との面会も制限されてしまった。会えない期間が続く中、蛯原さんは体調を崩し、亡くなった。

「もう一度、地域で生活したい」

生前、蛯原さんはほにゃらの機関誌の中で、それまでの人生を振り返り、なぜ地域で一人暮らしをしたいのか、文章につづっている。

蛯原さんは小学校から高校まで養護学校に通うため施設に入所していた。高校時代は学校で生徒会活動をしていたが、施設の中で生活していたため、親から「社会性が弱い」と言われた。その頃から、「障害者はもっと外に出ないと、健常者に理解してもらえない」と感じていたという。

高校在学中に施設を退所し、家族と暮らし始めた。地元の大学生が運営する、障害児と健常児の交流会に関わりはじめ、会長になった。「学生と話すことで、障害に対する考え方を変えたかった」と、機関誌の中で蛯原さんは振り返る。

当時は地域で暮らしたい障害者は東京に引っ越すことが多く、蛯原さんも友人から「東京に来ないか」と誘われたこともある。しかし「茨城で生まれたから、茨城から社会を変えなくてはならない」という使命感から、茨城で生きていくことを決めた。仲間と一緒に障害者団体をつくり、「親が高齢になるなど、家族が介助できなくなったあとも、障害者が地域で暮らせる場所をつくってほしい」と、行政に働き掛けたこともあった。

40歳の頃、母親が体調を崩し、蛯原さんの介助ができなくなったため、施設に入所した。施設の中では限られた人にしか会えず、外出の機会も制限される生活だった。

それまで活動的だった蛯原さんは、おとなしくしていることができず、「もう一度、地域で生活したい」と思った。障害の進行により、以前より体は動かなくなっていたが、なんとか頬の筋肉でパソコンを操作できるようになり、2015年12月、「施設から出て、一人暮らしをしたい」というメールをつくば自立生活センターほにゃらに送った。

「一人暮らしを始めたら、今までの経験を生かして、障害のある仲間を支援したり、地域の人たちに障害について伝える活動がしたい」と蛯原さんは機関誌に綴っている。

車いすで散歩する練習から

重度障害者が介助者の介助を受けながら、一人暮らしをする場合、障害者自身が「今、何をするか」「夕食は何を食べるか」を考え、介助者に何をしてほしいか伝える必要がある。毎日、決められた生活リズムや食事の献立がある入所施設とは異なる。多くの障害者の一人暮らしを支援してきた自立生活センターには、障害者が一人暮らしを始めるための支援方法が蓄積されている。

一人暮らしを始める準備として、まず、介助者とのコミュニケーション方法や、介助者に指示を出して料理をする方法など、一人暮らしを始めるために必要な知識や技術を、すでに一人暮らしをしている先輩障害者から学んでいくのが一般的だ。蛯原さんから相談を受けた、ほにゃら事務局長で自身にも重度運動障害がある斉藤新吾さん(46)は、施設に通い、半年かけて一人暮らしに必要な知識などを伝えた。

一通りの知識を伝え終わると、ほにゃらが借りているアパートで、介助者のサポートを受けながら数日過ごす「宿泊体験」を始めるのが一般的だ。しかし、蛯原さんの場合、施設ではほとんどベッドの上にいて、自分の車いすも持っていなかった。そのため、まずは車いすを借り、介助者と一緒に施設周辺を散歩したり、近所に買い物に行くことから始め、車いすに何時間乗っていられるかを試した。施設からほにゃら事務所まで車で移動しても、蛯原さんが体力的に耐えられると判断できたことから、2017年8月から宿泊体験を始めた。

平均3~5年

宿泊体験を何泊から始めるか、最初から何人の介助者が関わるかも、本人の障害の状態や必要な介助内容によって異なる。ほにゃら代表の川島さん(39)は、「蛯原さんの場合、自分では体をほとんど動かせず、介助者が蛯原さんの体を動かす場合も、注意しないと関節に痛みが生じるなど、介助で注意すべき点も多かった。蛯原さん自身の体力がどのくらいあるのかも分からなかったため、1泊2日の宿泊体験から始め、少しずつ宿泊体験の日数や関わる介助者を増やしていった」と振り返る。

蛯原さんは24時間、介助を必要としていた。宿泊体験中、介助者が慣れるまでは、事故防止のためもあり、日中は介助者2人で対応した。夜間は介助者1人で対応したが、介助者は他の利用者の介助にも行く必要がある。また、それまで外出の機会が制限されていた蛯原さんは、施設からほにゃらまで片道1時間かけて車で移動するだけでも体力を使った。ほにゃらの介助者の勤務調整の面でも、蛯原さんの体力の面でも、宿泊体験は多くても月1回が限度だった。

リフトを使い、一人で蛯原さんの介助をできないか試行錯誤する介助者ら

インフルエンザが流行する冬は、感染予防のため施設から外出することが難しく、また蛯原さん自身が体調不良で入院し、宿泊体験を中止せざるを得ないこともあった。それでも2年2か月かけて、14回の宿泊体験をおこなった。その間に、どうしたら介助者1人でも安全に介助できるか、様々な方法を試し、その都度、蛯原さんの感想を確認しながら考え、蛯原さんに合った介助方法を確立していった。

川島さんによると、施設に入所している障害者が地域で一人暮らしを始めるまで平均3~5年かかる。蛯原さんが入所していた施設はほにゃらから離れていて、宿泊体験以外では月に1回ほどしか施設に面会に行けず、一人暮らしに向けての具体的な話をなかなか進められなかったことも、一人暮らしを始めるのに時間がかかった理由だと、川島さんは話す。(川端舞)

続く

料理を作らない人が味に文句を言う 《続・気軽にSOS》94

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【コラム・浅井和幸】「うちの旦那は、いつもは何も言わないで、おいしくない時だけ文句を言ってくる。文句があるのならば、自分で作ればよいのにと言ってやりたい。料理を全くできないのに、文句ばかり言うなとも言ってやりたい」

いろいろな場面で見られることですね。上司、親、子供、客、利用者、支援者、評論家などなど。自分ができないのに、人に言ってくるなという感覚も分かります。でも、自分ができないことは誰にも言ってはいけないとなると、完璧な人間でないと不満や指摘も伝えられなくなってしまいます。

なので、言う方と言われる方の関係性が良好であるかどうか、良い部分の指摘もできるかどうかということが、お互いが受け入れられるか拒否感を感じるかの大きな要因となるでしょう。

何か悪いところを指摘する方と指摘される方では、指摘をする方がちょっと上であるような、物事を知っているような、ちょっとした上下関係が生まれます。相手に嫌な思いをさせてまで、相手より自分の方が上だとして優越感に浸る。いわゆる「マウンティング」と言われるものでしょうか。有効的な関係を保つにはよくない、悪手ですね。

相手を打ち負かして勝ち誇る「論破」という言葉が、ネット上でもよく見られます。それは、知恵や知識を使って相手をやっつけるようなやり取りです。それで「論破」できれば、すべて自分の方が分かっている気分になれます。気分はよいでしょうが、それはとても危険なことです。

「あれ? そんなに言い切って大丈夫?」

どんなに頑張っても、人はすべてを知ることはできません。理論によって勝ったところで、現実に何かを組み立てるにはかなり荒っぽいものとなります。まるで、大きなコンクリートブロックだけで建築物を建てるようなものです。細かなところはガタガタで、見ていられないものです。

例えば、優しく人に接すれば、人は優しく接してくれる。「優しく接する」って具体的にはどうすればよいだろう? お互いが頑張って相手に思いやりを持てばよい関係がつくれ、否定はしないけれど、それを聞けば誰とでも仲良くなれるわけではないですよね。

「つくば市から水戸市に行き、おいしいリンゴを買ってくる」。文章にすれば簡単なことかもしれませんが、移動すること、おいしいリンゴを見分けることは簡単ではないと思います。もちろん、人によって何が難しいか、どこで支障が出るかは違ってきます。支障が出る部分をどのようにフォローするかで、ガタガタだった理論が実行に反映されるようになるのです。

かなりの知識人や論破王が、多くの人を納得させる言論をしても、その筋の専門家からすれば、「あれ? そんなに言い切って大丈夫?」と感じることも多々あります。本人がいないところで勢いよく批判をしているコメンテーターも、本人登場で急にトーンが下がり、歯切れが悪くなることも多々あることですよね。(精神保健福祉士)

つくばセンタービルの保存すべき価値示す 市民団体が報告書作成

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作成されたシンポジウム報告書を紹介する「つくばセンター研究会」共同代表の山室真澄さん(左)と冠木新市さん=つくばセンタービル正面玄関前

市のリニューアル計画に対峙

つくばセンタービルの価値はどこにあり、何を未来に残すべきなのかーつくば市がつくばセンタービルのリニューアル計画を進めようとしている中、見直しを求めている市民団体「つくばセンター研究会」(冠木新市代表)が、「緊急討論!つくばセンター広場にエスカレーターは必要か」と題した報告書(A4版、64ページ)を作成した。

6月27日に研究会が開催した「ーエスカレーターは必要か」と題したシンポジウムの講演や討議の内容、参加者から寄せられたアンケート結果などを掲載し、リニューアル計画の問題点やつくばセンタービルの何を保存すべきかを示している。

報告書で鵜沢隆筑波大学名誉教授はつくばセンタービルの価値について「センタービルと不可分な存在としてのセンター広場が最も特筆すべき点として世界的に評価されている」とし、さらに広場の特徴について「広場に行くことを目的とした人でないと通らない、動線的に全く分離された広場」と解説している、磯崎さんの設計意図については「1階の広場と2階のペデストリアンデッキとの間で交わされる視線の交差、視線を介したある種の劇場広場のようなものとして理解できる」とし、市によるセンター広場へのエスカレーター設置計画に対して「エスカレーターのような設備がつくことで解決できる問題ではない」と指摘している。

その上で「広場に降りる動機をつくりだす」ための活性化方法を提案し、「広場を活性化させる新たな主役は当然、市民」だとして、市民が提案し、つくば市やまちづくり会社が市民の提案を実践して、出来上がったものを市民が享受する仕組みづくりや、具体的なアイデアを提案している。

筑波大学の加藤研助教は、つくばセンタービル建築当時を振り返り、磯崎さんが筑波研究学園都市建設をどのように見て、つくばセンタービルがどうして現在の設計になったのかを解説している。

神奈川大学の六角美瑠教授は、磯崎さんが設計したつくばセンタービルと水戸芸術館の運営方法を比較し、つくばの磯崎さんの設計意図を理解できるキュレーター(学芸員)の配置を提案している。

報告書ではさらに「貴重な広場は当初設計のまま残し活用すべき」だなどとする参加した市民の意見も紹介している。

研究会代表の冠木新市さんは「エスカレーターが必要か、必要でないかということだけでなく、つくばセンター広場を活性化するにはどうしたらいいのかなども提案しているので、ぜひ読んでほしい」と話している。

報告書は計約350部作成し、市長や市議会議員、市民のほか、全国の著名な建築家などにも配布しているという。冠木さんは「とても好評で、残り少なくなっているので、いま増刷を検討している」としている。

◆報告書は500円(カンパ)。問い合わせは電話090-5579-5726(冠木さん)またはメール(tsukuba.center.studygroup@gmail.com)へ。

本サイトはスタートから4年に《吾妻カガミ》117

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左は編集室がある筑波学院大の建物、右は1階入口に立て掛けてある案内版

【コラム・坂本栄】このサイトがスタートしたのは2017年10月1日。それから4年がたちました。開始数日前の発表会見では、1日に何本の記事がアップされるのかとの質問を受け、平均3本を目標にしたいと答えました。コロナ禍でイベント類の記事は減りましたが、逆にコロナ関連を増やすことで、この目標はほぼ達成できています。これからも、元新聞記者、市民記者、大学生記者による記事、一家言ある識者のコラムをご愛読ください。

大学生記者の記事が大ヒット

9月には筑波大生記者の記事が注目されました。(A)ある団体がつくば市の公園で食料無料配布会を開こうとしたが、コロナ禍を理由に公園の使用が認められなかった、(B)この記事が掲載されたあと、記者が担当課に改めて理由を取材したところ、密回避を条件に使用を認めるとの連絡が団体に入った、(C)万全のコロナ対策をして配布会が開かれ、大学生や市民に大変喜ばれた―以上のような流れの3本です。

詳しくは「『公園が借りられない』 つくば市の食料支援団体」(9月15日掲載)→「一転、つくば市が使用を許可」(9月16日掲載)→「支援団体 感染対策を徹底」(9月25日掲載)をご覧ください。コロナ禍でアルバイト先が減り困っている学生、彼らを助けようとしている団体、規則だから公園使用はNOと言う市、当サイトの記事と取材を受けOKに転じた市。一連の記事は大ヒットし、書き込みコメントも増えました。

3本の記事は、本サイトの編集方針である(1)地域の話題を取り上げる(2)自治体の行政をウォッチする―に沿ったものです。これらに地域の方々が強い関心を持ち、結果、市を動かしたことになります。「NEWSつくば4周年」にふさわしい内容でした。

3コラムニストが再・新登場

土浦市を扱ったヒットコラムも紹介します。コロナ禍で花火大会が取り止められたことを受けて書いた「また中止された土浦の花火を考える」(9月20日掲載)です。私はこの中で、花火大会が事故で2度も中断されたことを踏まえ、打ち上げ場所を変えたらどうかと提案しました。これにはアクセスが多かっただけでなく、賛成論・反対論がコメント欄に書き込まれ、論争になりました。これも本サイトの役割ではないでしょうか。

コラムは原則毎日1本アップされており、こちらも本サイトの「売り」です。10月から、入沢弘子さん(広報コンサルタント、元土浦市立図書館長)とオダギ秀さん(コマーシャルフォトグラファー、土浦写真家協会会長)が復帰、秋元昭臣さん(元ラクスマリーナ=土浦港のヨット/ボート係留・遊覧船運行会社=専務)が新たに参加します。三方には、土浦とつくばを中心に、地域の魅力を全国に向け発信していただきます。

もちろん、つくばの総合運動公園用地問題、陸上競技場新設問題、センター地区再生問題など、市民の関心が強いテーマも引き続き取り上げていきます。また、土浦も現市長が公約した課題が動き出しますので、こちらもウォッチします。本サイトの情報が皆さまのご参考になれば幸いです。(NEWSつくば理事長、経済ジャーナリスト)

シェアサイクル「つくチャリ」実証実験 つくばで10月1日開始

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出発式で、試乗する自転車の脇に並ぶ五十嵐立青市長(左から2人目)ら=30日、市役所

シェアサイクル事業「つくチャリ」がつくば市のつくば駅と研究学園駅周辺で10月1日から始まる。50台の自転車を20カ所に配置し、利用者は20カ所の間を24時間、自由に行き来できる。公共交通を補完する新しい移動手段として、つくば市が3年間、実証実験する。

利用方法はスマートフォンに専用アプリをインストールし、メールアドレスやクレジットカード情報を入力して会員登録する。乗る際は、自転車に付いているQRコードをスマートフォンで読み込み、カギを開ける。

利用料金は15分77円(税込み)、8時間上限1500円(同)、支払いはクレジット決済のみ。

自転車は、昨年秋発売された「ルートワン」という新機種を1台約7万5000円で購入した。ペダルを踏み込む力でギアに内蔵されたシリコンを圧縮し、反発する力で楽にこぐことができる。電動自転車と比べ、充電する必要がない。

シェアサイクル事業を各地で実施しているエコバイク(東京都千代田区、結城耕造社長)が、市から委託を受けてシステムを運営する。事業費は自転車購入費を含め3年間で約2200万円。

市外からつくば市を訪れ、駅を降りて利用したり、市民が日常の足として使うことを想定している。初年度の21年度の利用想定人数は1日平均20人、22年度は27人、23年度は37人、24年度は50人。

同市では2000年から全国に先駆けてシェアサイクル「のりのり自転車」を実施したが、自転車が盗まれたり、放置されるなどしたため事業を取り止めた経験がある。今回は自転車をGPSで追跡できるなど、当時と比べ進化したIT技術を活用する。

30日、市役所で出発式と試乗会が催され、五十嵐立青市長、小久保貴史市議会議長のほか、自転車のまちつくば推進委員会委員長の渡和由筑波大准教授、エコバイクの結城社長、サイクルポート4カ所を提供するカスミの山本慎一郎社長、つくば駅周辺でシェアサイクルと連携したまちづくりを行うつくばまちなかデザインの内山博文社長らが参加した。

五十嵐市長は「つくば駅周辺では中心市街地の活性化や人流をつくり、研究学園駅周辺では公共交通を補完する。やりながら課題を検証したい」などと話した。

県内では、土浦、筑西、笠間市などですでにシェアサイクル事業が展開されているという。(鈴木宏子)

付属中併設は泣きっ面にハチ 【つくば市に県立高校新設を】㊦

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さまざまなデータを元に、つくば市の県立高校受験の実態を明らかにし、つくば市議会に請願した「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」代表の片岡英明さん=つくば市内

今春、土浦一高に付属中学が併設され、高校入試の募集人数が削減された。つくば市近隣の竜ケ崎一高(2020年度から)、水海道一高、下妻一高(いずれも22年度から)などでも次々と付属中が併設され、高校入試の募集人数が削減される。

つくば市内に全日制の県立高校新設を求めて市議会に請願している市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」代表の片岡英明さんは「県立高校の付属中設置による募集枠減少は、もともとあったつくば市の県立高校問題を新たな事態に押し上げ、つくばの子どもたちや保護者にとっては泣きっ面にハチの状況になる」と憂慮する。

土浦一高の付属中併設が発表された19年、つくば市議会は「つくば市の児童生徒数の急増に対して、土浦一高の門戸を狭くすることは、一部生徒のみならず、つくば市全体の生徒に影響を及ぼす」などとして、高校の募集規模を当面維持するよう求める意見書を知事らに提出した。意見書では「近年、つくば市から県外の私立中学への進学者も1割を超え、県外への生徒流出に拍車をかける」と懸念を表明したが、知事の耳には届かなかった。

私立に定員増

県全体の子どもの数が減少し県立高校の再編が進む中、急増するつくば市の生徒の高校進学を支えてきたのは、私立高校だ。片岡さんによると、県は以前は私立高校の定員厳守を求めていたが、これを緩め、19年からは私立の定員増を認めるようになった。19年度から20年度に増えた県内の私立高校の増加定員の合計は575人。そのうちつくば市近隣では常総学院が105人増、土浦日大が100人増、霞ケ浦が50人増、秀英とつくば国際が40人増、江戸川学園が35人増、茗渓が10人増えたという。

片岡さんは「私学の教育に魅力を感じて入学する判断は大事にしたい」としつつ、「県は、つくば市の小中学生の急増を、私学の定員増と、生徒・保護者の負担増でしのいでおり、公教育の役割とは何かを改めて考える必要がある」と指摘する。

既存校の定員増、通学の利便性増、市内に新設を

こうした状況の中、県は県内を12のエリアに分け、つくば市を含むエリア10(つくば、牛久、常総、守谷、つくばみらい)では2学級増が必要だとして、23年度からつくば工科高校を2学級(科学技術1学科、1学級標準40人)増やす。

これに対し片岡さんは、県平均の中学3年生の生徒数に対する全日制県立高校の募集定員は76.3%であることと比べると、つくば市だけで868人、エリア10全体に広げても626人不足しており、まだまだ不十分だとして、具体策を提案している。

つくば市内の県立高校は▷竹園高校の定員を2学級増やす▷23年度から2学級増となるつくば工科にさらに普通科を2学級増やす▷全日制が廃止された茎崎高校に全日制の普通科を4学級を復活させるーなどだ。

市外の近隣の県立高校に対しても▷土浦一高の募集定員を減らさず6学級のまま維持する▷伊奈高校の定員を2学級増やす▷牛久栄進高校の定員を2学級増やす、など提案する。

通学の利便性向上も提案している。▷スクールバスの運行やコミュニティバス「つくバス」の路線見直しなどにより筑波高校、守谷高校の通学利便性を高める、などだ。そして、つくば市内のつくばエクスプレス(TX)沿線に県立高校を新設することを求める。

つくば市の子どもたちや保護者が直面している県立高校問題の解決に向け、まず「市民が課題を共有し、声を上げることが大切ではないか」と片岡さんはいう。(鈴木宏子)

第1部 終わり

【つくば市に県立高校新設を】㊤ 市民団体が市議会に請願 全会一致で採択へ

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今後の活動などについて話し合う「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」のメンバー。左から3人目が代表で元霞ケ浦高校教員の片岡英明さん

つくば市内に全日制の県立高校を早急に新設することなどを求める意見書採択の請願を、元高校教員や父母らでつくる市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡英明代表)が9月議会に提出している。10月1日の市議会最終日に全会一致で採択される見通しで、知事らに意見書が出される。

請願はほかに、つくば市と周辺の既存の県立高校の定員増を行うこと、既存校の通学の利便性を高めることを求めている。

6人に1人

代表の片岡さん(71)らがつくば市の中学生の高校受験の実情を調査したところ、2020年の県立高校入試では、中学3年生1928人のうち、市内の県立高校に入学したのは6人に1人の338人(17.5%)だった。ほぼ半数の895人(46%)が市外の県立高校に入学し、695人(36.1%)が私立高校などに通っていることが分かった。

子育て世帯の人口が急増しているつくば市では、特に中間の県立高校がないことが課題だと指摘されてきたが、「6人に1人」という数字が明らかになったのは初めてだ。

片岡さんは「調べて、自分でも驚いた」と話す。「子どもたちや保護者から『つくばは学園都市なので、子どもの教育が充実していると思っていたが、市内にはどうして県立高校がないの?』という疑問が出ている」とし、「気がつくとつくば市は、15の春に泣く学園都市になっている」と指摘する。

募集定員3分の1に

片岡さんによると、つくば市内の全日制県立高校は2008年以降、6校から3校に減り、募集定員が3分の1に減ったことが要因だ。一方で県全体の子どもの数が減少し続ける中、つくば市は増加を続け、昨年は小中学生の数が水戸市を抜いて県内一となった。

市内の県立高校は、つくば市が誕生した1987年は6つの全日制校があり募集定員は41学級(1学級標準40人)あった。その後、2008年に並木高校(8学級)が全県対象の中高一貫(募集は4学級)の中等教育学校となり、高校入学は行われなくなった。09年には上郷高校が石下高校と統合し、事実上廃校となった。12年には茎崎高校が定時制となった。

県立6校のうち3校で全日制の募集が行われなくなった結果、つくば市内の全日制県立高校の募集定員は、つくば市が誕生した1987年度は6校41学級1927人だったのに対し、去年の2020年度は3校15学級600人と3分の1以下に減った。片岡さんは「特に並木高校がなくなった影響が大きい」とする。

これに対し県内の他市町村をみると、2000年から2020年の20年間で削減された全日制県立高校の学級数は、水戸市は1.9%減にとどまり、日立市は21.4%減、土浦市は20.6%減にとどまっていた。つくば市の県立高校の学級数は61.5%減だ。

現在、隣接の土浦市や常総市は、市内の中学3年生の数より、県立高校の募集定員の数の方が多い。つくば市には6人の1人の募集定員数しかない。

片岡さんは「つくば市内の多くの中学生が、市外の県立高校や私立高校に入学し、通学費用や送迎などで生徒や保護者の重い負担となっている」とする。(鈴木宏子)

続く

芸術の秋始まる 《令和楽学ラボ》15

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【コラム・川上美智子】茨城県芸術祭美術展覧会(県展)が10月2日(土)~17日(日)、茨城近代美術館で始まります。新型コロナウイルスの感染下にあって開催が危ぶまれていましたが、デルタ株も沈静化の方向で、無事開催の運びとなります。昨日、自分の作品の搬入を終え、発表の場があること、ありがたく思っています。

振り返ると、第23回国民文化祭茨城大会(いばらき2008)の実行委員会で、陶芸家の荒田耕治先生とご一緒したことがご縁で、先生の教室の生徒になり、それから毎年、県展と水戸市展には欠かさず出展し続け、今日に至っています。かれこれ、陶歴も13年。家の中には所狭しと、10キロの大型作品が30点余り鎮座しています。

県展で2回、水戸市展で1回、賞も頂戴し、いつか個展をやりたい、が夢ですが、60歳からのスタート、夢がかなうかどうかわかりません。荒田先生とは、実行委員としての出会いが初めてでしたが、私が結婚し茨城に移った1970年の笠間佐白山の陶器市で目に止まった、黒釉(こくゆう)彩のコーヒーカップセットを購入した時にお名前をインプットしていました。

今も、陶芸に興味をもたせてくれたそのカップは、マイセンやロイヤルコペンハーゲンのカップと並べて大切に飾ってあります。

陶芸の良さは、作品作りそのものが集中力と持続力をもたらしてくれる時間になることです。日頃のストレスフルな生活を忘れて、ひたすら土をこね、器の表面をきれいに仕上げる手仕事に傾注できることにあります。手指を動かすと、脳の感覚中枢や運動中枢の血流が10%くらい上がり、脳の広範囲の神経細胞が活性化すると言われています。

さらに、手順や段取りを考える、形を創造するなどの高次機能も発達させ、日頃と違う脳の使い方をさせてくれます。高齢者の認知症予防に効果があるため、介護領域ではリハビリのための陶芸療法という言葉も生まれ、高齢社会にピッタリの活動と言えます。

脳の発達や創造性を育てる粘土遊び

また、幼児の粘土遊びも、手指の発達を促し、脳の発達や想像性と創造性を育てるのに効果があり、保育園などの教材としてお道具箱に納められています。男の子は恐竜を、女の子は食べ物と、性差を感じますが、集中して好きなものを作っています。

勤務する保育園ではアート活動に力を入れており、年長さんのクラスには、筑波大学の直江俊雄教授の研究室による絵画活動を導入しています。当方も幼稚園の頃から絵の教室に通い、小学校で大型の油絵を描いていた経験から、幼少期のアート活動が生涯のアートへの関わりにつながることを実感しています。

環境を整え、いろいろな技法を提供するのは園側の仕事ですが、子どもたちが自由な発想で描くこと、創ることを大事にして、多くの機会をつくりたいと考えています。

県内では、芸術の秋に向け、県展のほか、笠間陶芸大賞展、県近代美術館企画展、天心記念五浦美術館企画展など、展覧会が繰り広げられます。新型コロナ禍での巣ごもり生活を少し開放して、アートで癒やされませんか。(みらいのもり保育園園長、茨城キリスト教大学名誉教授)

通常登校を再開、時短営業など解除 10月1日から

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茨城県庁(イラストは「いばらきアマビエちゃん」)

国の緊急事態宣言が30日で解除されるのに伴って、県内では10月1日から、行動制限の要請が順次、解除される。

大井川和彦知事の27日の発表によると、リモート授業と分散登校が行われている学校は10月から、通常登校・通常授業を再開する。部活動や学校行事も感染対策を徹底した上で実施できるようになる。ただしコロナが不安で登校できない児童・生徒に対してはリモート授業を引き続き行い、欠席扱いはしない。

図書館や美術館を除き休館していた県の公共施設は、10月からすべて再開する。

午後8時までの時短営業及び酒類の提供終日停止としていた飲食店や大規模集客施設も、感染対策ガイドラインの遵守を要請した上で、10月から通常の営業を再開できる。

ただし大規模イベントのみ、解除後1カ月間程度の10月中は5000人以下または定員の50%以内とし、11月以降は人数制限を行わないとした。

緊急事態宣言の解除に伴って県は、厳しい状況にある観光事業者や飲食店を支援するため10月から、県内の宿泊旅行を割引で利用できる「いば旅あんしん割事業」と「GoToイートキャンペーン」を再開する。「いば旅」の支援対象者はワクチン2回接種済み者またはPCR検査など陰性の県民に限定する。

県内の現在の感染状況は、20日から26日までの1日平均の新規感染者数は44.7人と第5波のピーク時(8月23日)の7分の1に減少した。市町村別の人口1万人当たりの新規感染者数は、つくば市が1.48人と1.5人を下回った。一方、土浦市は2.83人。病床稼働率は現在、第5波のピーク時の3分の1、重症病床稼働数は2分の1に減少しているという。

ワンコインで保護犬支援 #推しペットプロジェクト 筑波大生が立ち上げ

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つくば市吉瀬のキドックスカフェで保護犬の「はっさく」と触れ合う浜野さん(#推しペットプロジェクト提供)

保護犬を気軽に支援できる仕組みをつくりたいと、筑波大学の女子学生3人が、ワンコイン(500円)から簡単に支援できるプロジェクトを立ち上げた。

「#推しペットプロジェクト」(浜野那緒代表=芸術専門学群4年)と名付けた。SNSで公開された保護犬の画像や動画を見て気に入った保護犬を選んでもらい、ワンコインを寄付すれば、選ばれた保護犬の画像をプロジェクトが拡散する。寄付した支援者にも画像をシェアしてもらう。寄付金は保護犬の薬代などに活用する。

代表の浜野さんは「保護犬を可視化し身近な存在として捉えてもらうことが大きな目標。そのためにSNSを通じて、保護犬を『推し』として応援できる仕組みを作ろうと考えた」と話す。

「推し」はアイドルグループなどに用いられている言葉で、「特に好きなもの」「他の人にも勧めたいほど好き」という気持ちを表す。「推しメン(応援している好きなメンバーの意味)」などと使われる。

プロジェクトのSNSでは「キドックスカフェ」(つくば市吉瀬)で保護されている犬たちの写真や動画を発信している。NPO法人キドックス(土浦市大畑、上山琴美代表)が運営する、保護犬らと触れ合うことが出来るカフェだ。

浜野さんらは、誇張のない保護犬のありのまま姿の発信を目指している。「たくさんの人にSNSを通じて保護犬たちを見てもらうのが最初の目的。『推し』が見つかったら、ホームページ(HP)からワンコインで支援することが出来る。寄付をしたという内容でSNSに投稿するのはハードルがあるが、『推し』の支援のシェアは気兼ねなくすることができるのではないか」と浜野さん。

HPから集まった支援金はキドックスに寄付され、保護犬の病気や感染症予防のためのの医療費やえさ代などとして用いられる。ただし、プロジェクトはキドックスとは別に独立して行っている。

コロナ禍のペットブームきっかけ

プロジェクトを立ち上げたのは去年の夏。クラウドファンディングを通じてHPの制作費や運営費を募り、約7万3000円の支援金を集めた。

きっかけについて浜野さんは「昔から保護犬に興味があったというわけではなかった。コロナ禍で安易にペットを飼ったものの飼育が困難となり、手放してしまうケースが相次いでいるというニュースを見た。そのような社会的な課題に対しアクションを起こす人たちの存在を知り、調べるようになった」と話す。一方で「保護活動は、SNSで一部の過激な発信をする人だけが切り取られ、保護団体や保護犬に対し距離を取ってしまっている人が多いのではないかと感じられた」と語る。

そこで、保護犬支援の心理的ハードルを下げるためにSNSを活用するアイデアを思い付いた。浜野さんは、友人の和田すみれさん(芸術専門学群4年)と平石あすかさん(人文学群3年)に話をし、一緒にプロジェクトを立ち上げることになった。

「SNSはその特性からペットの『かわいい』部分だけが拡散される。一方で保護犬は『かわいそう』な印象の方が届きやすい。保護施設を訪問する中で、『かわいそうな存在』として保護犬と距離をとるのはこちら側の勝手な都合でしかなかったことに気づいた」と浜野さんは語る。(山口和紀)

SNSでの発信の様子(同)

◆プロジェクトのHPはこちら。インスタグラムはこちら

宇宙天気キャスター 《食う寝る宇宙》93

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【コラム・玉置晋】9月19日、地球に帰還した宇宙船「クルードラゴン」から降り立った4人は全員が民間人でした。民間人だけで宇宙旅行を行ったのは世界で初めてです。宇宙旅行産業の始まりを告げるものというコメントもあります。後の時代、2021年は宇宙旅行元年と呼ばれるようになるでしょう。そして、宇宙旅行の前にチェックしなければならないのが宇宙天気です。

僕たちが毎日見ているテレビのニュース番組で、お天気について解説する気象キャスター。この気象キャスターに宇宙天気をレポートしてもらいたい。僕がリーダーをしている宇宙ビジネスサロン「ABLab」宇宙天気プロジェクトのミッションの1つです。

宇宙天気キャスターは,宇宙天気情報を一般の方々に分かりやすく伝える未来の職業です。「昨日より太陽活動が活発で、地球周辺の放射線が増加しています。不要不急の宇宙旅行は控えましょう。明日には回復する見込みです」。こういった解説を茶の間で視聴する時代は、意外とすぐかもしれませんよ。

コラム78で紹介した宇宙コミュニティ「宇宙人クラブ」(代表:福海由加里さん)では、まさに宇宙天気キャスターの試験運用を開始しています。毎月1回、宇宙天気概況を説明しています。最近では、NHKニュースの気象コーナでおなじみの斉田季実治さんによるレポートを配信しましたのでご覧ください。こちらまで。

アナウンサーとキャスターの違い

斉田さんに3分宇宙天気を実施していただくにあたり、当初は宇宙天気アナウンサーと紹介される予定だったのですが、「アナウンサー」ではなくて「キャスター」としてくださいと要望させていただきました。

実は、アナウンサーとキャスターには違いがあって、アナウンサーは「原稿の通りに正確に情報を伝える」職業です。そしてキャスターは「原稿に独自の洞察を加え情報を分かりやすく伝える」役割です。

この違いは、ABLab宇宙天気プロジェクトの宇宙天気を独自に解釈できる人材を増やしていき、宇宙天気災害に備えるという目標に関わっていて、僕たちが生み出そうとしているのは、「宇宙天気アナウンサー」というより「宇宙天気キャスター」なのです。(宇宙天気防災研究者)

ロケ支援、大幅な落ち込み コロナ禍影響

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映画「東京リベンジャーズ」の撮影が行われた土浦セントラルシネマズ前の交差点=土浦市川口1丁目

茨城県フィルムコミッション推進室(県FC)は2020年度の県内ロケ支援の実績をまとめた。コロナ禍の影響で、作品数、撮影日数、経済波及効果いずれも、宿泊を伴うロケの減少などから大幅な落ち込みを見せた。

20年度に県内でロケが行われた作品数は344作品(19年度は515作品)で前年度と比べ33%減となった。撮影日数は633日(同1253日)で49%減少した。

ロケ隊による経済波及効果推計額は、19年度が5億1000万円だったのに対し、20年度は1億3000万円と75%も減少した。

20年度の主な支援作品は、映画が「うみべの女の子」(ロケ地は笠間、水戸市、大洗町など)「東京リベンジャーズ」(潮来、土浦市など)「ザ・ファブル殺さない殺し屋」(つくば市など)「賭ケグルイ絶体絶命ロシアンルーレット」(笠間市など)など。ドラマは「仮面ライダーセイバー」(テレビ朝日)、「極主夫道」(日本テレビ)、「青天を衝け」(NHK大河ドラマ)など。

昨年公開の興行収入10億円以上の邦画18作品のうち、茨城県がロケを支援したのは2作品という。

県FC推進室は2002年に設置された。本格的にロケの誘致、支援活動を開始して以来、18年間の支援作品は7367作品、累計経済波及効果推計額は84億5000万円以上という。(山崎実)

10年経っても変わらない東電の体質 《邑から日本を見る》96

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朝露に光る彼岸花

【コラム・先崎千尋】学友・北村俊郎さんが今月初めに『原子力村中枢部での体験から10年の葛藤で掴(つか)んだ事故原因』(かもがわ出版)という長いタイトルの本を出した。

彼は1967年に大学を卒業し、現在再稼働が焦点になっている東海第二発電所を持つ日本原子力発電に入社。本社の他、東海発電所、敦賀発電所などの現場勤務を経験、主に労働安全、教育訓練、地域対応などに携わってきた。20年前から東京電力福島原発近くの富岡町に住み、福島第一原発の事故で帰還困難区域に指定されたため、現在も福島県内で避難生活を続けている。

原子力村の中枢にいたと言うのだから、立ち位置は私と真逆だ。しかし本書は、反原発の安斎育郎氏の推薦文にあるように「当事者だからこそ見える原発業界の危うい風景。福島の事故はなぜ防げなかったのか。その内幕を縦横に語る、気骨のある『内からの警告書』といえる。著者が日本原電にいて見たのは、政産官学や地方自治体、地元住民を巻き込んだ巨大な運命共同体が閉鎖的になっていく姿だった。

本書は、「福島原発事故は日本の原子力発電の帰結」「巨大組織は何故事故を起こしたのか」など6章から成る。著者は第1章の冒頭で「福島第一原発事故の背景には長い間に積もり積もった問題が多々存在していたのではないか。事故前に規制当局や原子力業界に定着していた考え方、慣習は事故につながる問題点が多く見られる。最近の柏崎刈羽原発再稼働に関する一連の不祥事も、体質、企業風土の問題がいまだに改善されていない」と指摘し、「東京電力は事故後10年経っても変わらない」と糾弾している。

子どもでもわかる汚染水処理の愚

第4章「処分出来ない汚染水と廃棄物」では、汚染水の処理問題を書いている。2015年に福島県漁連に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と文書で確約しているにも関わらず、国と東電は一方的に海洋放出の方針を決めた。こうした動きに対し、「いくら困ったからといって、約束を破れば誰も東電の言うことを信用しなくなる。何故、こんな悪手を使うのか」とあきれ、「小出しにしてなるべく反発を抑え、後で修正するいつものやり方。こんな姑息(こそく)なやり方は不誠実であり、金の無駄遣い」と厳しく指摘する。

国と東電の方針では、年間の海洋放出は3万トン。しかし汚染水は現在でも年間に5万トン増え続けている。足し算、引き算すればどうなるかは小学生でもわかる。こうしたやり方が汚染水問題の解決にならないことをどうしてやるのか、私にはわからない。

最終章「原発の根本的問題は克服できるのか」では廃棄物の処分先未定、テロの不安増大など7項目を挙げているが、おそらくそのどれもが克服できないと著者は見る。問題の先送りで10年経った。ふるさとを追われた人々は今でも数万人いる。現時点では、菅首相の後に誰がなるかわからないが、誰が首相になっても、東電とその後ろにいる経産省の体質は変わらないのではないか、と私には思える。

本書は四六判239ページ。1800円+税。かもがわ出版に電話(075-672-0034)すれば送料無料。著者は事故後、『原発推進者の無念』(平凡社新書)も出している。(元瓜連町長)

献血活動、危機 緊急事態宣言が拍車

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企業や学校などの会場確保が難しくなっている献血バス=土浦市内

コロナ禍による外出自粛などから献血活動が危機的事態に追い込まれている。県赤十字血液センター(茨城町)は、献血事業へのさらなる理解を求める取り組みや、若者向けの協力要請に必死だ。最近では7月上旬から必要献血者数を下回る状況が続いており、緊急事態宣言の発令が不足に拍車をかけている。

献血バスの採血状況を見ると、今年7月7日から9月7日の期間で必要人数を733人下回る状況が続いている。

減少の要因としては、献血バス会場の6割を占める企業献血で、テレワークに伴う出社人数の制限、ワクチン接種(接種後48時間は献血不可)などに加え、緊急事態宣言により献血を中止する企業も増えているという。

中止による代替会場は大型商業施設などになるが、これも外出自粛により必要献血者数の確保が困難な状況だ。

学校献血は若年層の献血離れが危惧されている中で重要な役割を果たしているが、昨年は実施できていた高校献血も、リモート授業や分散登校などから、9月だけで予定していた12校のうち8校の中止がすでに決定している。大学・短大での献血も昨年度からほとんど実施できていない。

同センターでは、県内の学生に向けツイッターなどで現状を訴え、感染症対策にきちんと取り組んでいること、献血が必要な患者が全国で1日約3000人いること、献血は不要不急の外出には当たらないことを理解してもらう啓発活動を進めている。(山崎実)

問い合わせは県赤十字血液センター・献血推進課(電話029-246-5574)。

白い靴下 《続・平熱日記》94

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【コラム・斉藤裕之】夏の間ビーサンで過ごした足も少しひんやりとしてきたので、靴下を買いに行った。底が厚手の黒いものを探したが、好みのものが見つからず、黒、白、グレーの3足組を買った。白い靴下を履くのは高校生のとき以来かもしれない。

ホワイトソックスといえば大リーグだが、レッドスキンズのチーム名が差別に当たるとして、名前を変えるというニュースを…。あれはアメフト?

先日無事に?終わったオリンピック。ジェンダーや宗教上の壁を取り払う努力はスポーツの祭典にふさわしい。難民選手団も頑張った。その一方で、そもそも、いくつかの競技には黒人選手がほとんどいないことに気づく。

例えば、集団で演技をする競技ではほぼ同じ肌の色の選手で演じられる。違う色の足ではいい色のメダルは取れないのか。それから、お金のかかる競技には黒人選手が少なく、逆にお金の稼げる競技には多い。体操や水泳には黒人選手は少なく、野球、バスケ、サッカーには多い。

間もなく始まる冬のオリンピックはもっと極端だ。もちろん貧しい国にはスケートリンクもないだろうし、雪も降らない国も多いが、欧米諸国には多くの黒人が住んでいるにも関わらず、例えば陸上競技の種目によってはほぼ黒人が表彰台を独占しているのに、スピードスケートではその姿をほとんど見かけない。フィギュアスケートは多分お金がかかるし、スキーやホッケーの選手も少ない。

お国柄や風土、歴史によって人気のある競技に偏りがあることを差し引いても、多民族の国家では、競技によって意図的な「色分け」があるような気がするのだが。かつて、「はだいろ」というクレヨンや、黒人の子供を主人公にした童話に誰も違和感を持たなかったように、目には見えにくい差別はまだまだ身の回りに潜んでいる。

茶色はカッコいい

高校の体育祭で柔道部の先輩が教えてくれた。「さいとう、あれが我が校の『茶色い弾丸』じゃ」。目の前を見事な前傾姿勢を保ちながら驚異的なスピードで走り抜ける、真っ黒に日焼けした女子の姿が目に飛び込んだ。女子ハンドボール部だ。当時、我が校のハンドボール部は全国制覇をするほどの実力で、部活対抗のリレーでは陸上部よりも速かった。

「茶色い弾丸」とは、確か、その昔オリンピックの百メートル走を制した黒人選手のニックネームだったと思う。私は素直にその比喩に感動した。つまり茶色はカッコいいと思ったのだ。

ちなみに、昔はユニホームが白だったので、靴下の色でチームがわかるようにしたそうな。レッドソックス然り。そういえば、洗濯した白い靴下がピンクや水色に染まって…。そんなことを思い出しながら、白い靴下を履いてみたが…。おじさんの足には白がまぶしすぎる。恥ずかしいので、部屋履きにすることにした。(画家)

支援団体、感染対策を徹底 つくばの食材無料配布に感謝の列

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食材の無料配布が行われた松見公園=つくば市天久保

つくば市の食料支援団体「学生応援プロジェクト@つくばPEACE(ピース)」が25日、筑波大学近くの松見公園(同市天久保)で食材の無料配布を行った。用意した200人分は徹底した感染対策の下、3時間以上をかけ同大の学生らに受け取られた。

今回は当初、配布場所として公園の使用許可がつくば市から出ず、開催が危ぶまれた(9月15日付)。市と打ち合わせを行い、新型コロナ感染症対策を講じた結果、公園の使用が認められた。その際には、前回の実施形態や写真などを市と確認したうえで、今回の松見公園での実施が決定した(16日付)。

今回、配布は30分ごと30人ずつの利用となった。利用者の滞在時間を短くするために配布の列を通常よりも短くし、レトルトや缶詰などをひとまとめにした基本セットで配布した。また、スタッフの人数も12人に制限した。加えて、「いばらきアアマビエちゃん」登録や手指の消毒と検温、利用者に手袋を使用してもらうなど、徹底した感染対策を行った。

列には筑波大などの学生をはじめ、一般の利用者が並ぶ姿も見られた。新米200キロも提供された。

200キロの新米を提供した本木茂さん=同

持ち込んだのはモトキバイオファーム(つくば市小沢)の本木茂さん(66)。「もとから食料配布活動に興味を持っていた。今回はNEWSつくばを見て活動に参加しようと思った。娘が筑波大の卒業生で、いろいろなところに支援してもらっていたため、今度は私が支援してあげたい。皆が少しずつ支援をすれば、より大きなものになっていくだろう」と語った。

つくばPEACEの利用者の一人である湯川楓祐さん(筑波大情報学群情報科学類1年)は、「TwitterでつくばPEACEの活動を知った。松見公園で広々と開催できてよかった。屋外の方が感染リスクを抑えられることができるため、次も松見公園で開催してもらえたらうれしい。配布はとても助かっているので、これからも続けてほしい」と話した。

学生以外の利用者の姿もあった=同

つくばPEACEの冨山香織代表は、「公共施設が使えてよかった。今回、松見公園使用のきっかけとなったNEWSつくばと、使用を許可してくれた市役所に感謝している。これからは、新規利用者を増やすためにもチラシなどを配布して周知活動を積極的にしていきたい。予約の壁と感染対策を講じながら、来月も松見公園で開催していきたい」という。(武田唯希)

「土浦は着物が似合う町」前野呉服店3代目、市民ギャラリーで90周年の伝承展

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前野呉服店代表、前野有里さん=土浦市中央

ことし90周年を迎えた前野呉服店(土浦市中央)が29、30日、土浦市民ギャラリー(同市大和町)で「伝承展」を開催する。節目の年に、日本の伝統文化である着物のよさを知ってもらいたいと代表取締役、前野有里さん(52)は語る。

「着物には染めと織りがある。でも、着る人が減ってどちらも職人が減っている」と前野さん。「改めて着物のよさを実感してもらい、次の世代につなげていきたい」と今回の企画につながった。

伝承展の作品。左から「モンステラ」「ヤツデ」「花更紗」=森尻春司さん提供

伝承展では京都在住の着物デザイナー、森尻春司さんの作品「style(スタイル)」や染めの工程の一部を展示する。昔ながらの技法と、新しい感覚の色彩やデザインの出会いが見どころだ。多数の反物が会場を彩る。

呉服店は1931(昭和6)年2月、有里さんの祖父である前野道之助さんが創業。当時は着物だけでなく、オリジナルの布団やはんてん、綿なども販売していた。嫁入り道具として、着物や布団がよく売れていたそうだ。

創業当時の店舗。場所は現在と同じ旧土浦町本町=前野呉服店提供

父、昌男さんが継いだ際は、着物のほかに洋服や生地、カーテンなども販売した。昌男さんは手先が器用で、土浦七夕まつりの飾りも毎年制作していたという。

有里さんは2年間の修業を経て1992年、24歳で店を継いだ。「基本的に父は好きなようにやらせてくれた」ため、アクセサリーや財布、バッグなど小物も置くようになった。

しかし意見の食い違いもあった。都心のおしゃれなお店の真似をして、ディスプレイの小物を最小限にした。翌朝になると、父親がびっしりと小物を並べている。また有里さんが減らす。これを何度も繰り返したそうだ。小物をたくさん並べるのは父親の「商品がない店と思われてしまう」という心配からだった。

ところが少ないディスプレイにした方が、若い女性の来店が増えるのを目の当たりにして「時代が変わると販売方法が変わる」と納得してくれたという。

「着物のすばらしさ伝えたい」

今は積極的な営業とイベント、ネットでの宣伝が重要だという。SNSの利用など、今度は自身が時代についていかなければならない。「とにかく必死」と前野さん。しかし着物もお客さんも好きだからこそ、楽しんでいる自分がいるそうだ。

今の暮らしに、着物はほとんど必要ない。しかし結婚式や成人式、葬儀などで着る機会はある。「人生の節目に着物を着たいお客さんの思いと、着物を着てもらいたい自分の思い」がつながるときがあるという。とにかく役に立ちたいと、一人ひとりに合った着物や小物をコーディネートする。

今年、カラーアナリストの資格も取った。今後は、お客さんに似合う色を、感覚ではなく理論的に説明できるという。「土浦は着物が似合う町。着物のすばらしさをこれからも伝えるのが、自分の役目だと思っている」と意気込みを語った。(伊藤悦子)

「2021伝承展」 9月29日(水)午後1時~6時、30日(木)午前10時~午後5時、土浦市民ギャラリー(土浦市大和町)。入場無料。見逃した人向けに10月1日(金)から4日(月)午前10時~午後6時(最終日は5時30分まで)、前野呉服店(同市中央2の8の2)でも展示を行う。