火曜日, 7月 9, 2024
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《食う寝る宇宙》66 宇宙開発現場の言霊信仰

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【コラム・玉置晋】宇宙開発は科学技術の塊(かたまり)であることは言うに及びませんよね。その中で、僕は人工衛星の運用に関わる仕事をしているのですが、面白いことに非科学的な伝承がいくつかあるので紹介しましょう。

言霊(ことだま)とは「言葉には霊的な力があり、声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与える。良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こる」ということです。

これは、人間の社会では、あながち間違っているとは思いません。1人から発せられた信憑(しんぴょう)性の怪しい情報が人々に伝播して、国家的な意思決定に影響して、紛争や戦争につながることもありますよね。だから、言葉は慎重に発せねばなりません。

人工衛星運用の現場における凶事とは、衛星が通常とは異なる状態になることです。現場では、不明事象とか不具合が発生したと表現します。最悪の場合、人工衛星が失われることもあり、現場の先輩方はこれを経験してきました。だから、現場で不具合に関する話をすると、ベテランの先輩方から怒られます。

不具合を語る「軌道上技術評価」

ところが、僕は「宇宙天気防災」を専攻しています。宇宙天気は人工衛星の不具合を発生させる疫病神のようなものですが、宇宙天気が世の中に普及するには、その被害を明らかにする必要があります。僕は、衛星運用の中でも「軌道上技術評価」という仕事に取り組んでいます。

人工衛星の健康状態を評価し、いち早く不具合の兆候を見つけ出すのがミッションです。ゆえに、仕事として不具合を積極的に語る必要があります。不具合の情報というのは、本来であれば科学技術の発展のために、人類の資産として共有されるのが望ましいでしょう。

しかし、現実は、技術情報の開示制限がありますし、事故発生時の責任所在など、大変機微(きび)な話となります。言霊信仰は信仰に収まらず、現実のものなのです。

人工衛星の運用はシフト勤務です。一定の時間で労働者を交代させ、休みなく現場を稼働し続ける体制です。人工衛星の運用は昼夜を問わず継続されますので、こういった勤務体系がとられます。そうなると、運悪く不具合に当たる人がいるわけです。しかし、現場では、同じ人が何度も不具合に当たるという伝説が生まれることがあります。

これに関しては、かつて単位時間当たりの不具合遭遇率を計算した結果、概ね平等であることを確認していますので、衛星運用者の方は安心してください。(宇宙天気防災研究者)

《宍塚の大池》67 江戸時代の古文書にも「大池」の名

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大池堤防(左)と半溜の堤防

【コラム・及川ひろみ】宍塚大池は、3本の谷津が集まる所に堤防が築かれ造られた人工の池、水田耕作用(かんがい用)の水ため池です。江戸時代の古文書(宍塚村絵図、原図は国立史料館所蔵)に大池の名が載っていますが、いつ造られたのかは分かっていません。

宍塚には古墳が20基ほどあり、宍塚古墳群と呼ばれています。どれも、宍塚大池の北側にあり、大池を臨む高台にも数基あります。里山に隣接し、国指定遺跡の「上高津貝塚」があるなど、宍塚は古くから人の営みが続いてきた所です。大池は、江戸時代より前に造られたのかもしれません。

宍塚には「半溜(はんだめ)」と言う小字(こあざ)名があります。大池の堤防より下流の谷津に立派な堤防が築かれていますが、その堤防は「半溜の堤防」と呼ばれています。半溜の名の由来を地元の古老に聞いたことがありますが、大池からの水をその谷津の半溜堤防まで溜め、その水を使い果たすと大池の水を使い、半溜の田んぼはその後耕作が行われたということでした。

そのような水の使い方がいつごろまで行われていたかを古老に問うと、「俺は爺様(じいさま)から聞いたけど、爺様の時代にやっていたんではないぞなー、その前だべ」と。ご存命なら100歳をはるかに超える方の話です。大池から半溜の堤防まで水を蓄え、大池だけでは宍塚の田を潤(うるお)すことができないほど、広く耕作が行われていたのです。それにしても、半溜の堤防は立派です。

里山の粘土で築堤 今はピザ窯造り

昭和27~28年ごろ、大池の堤防が決壊し、宍塚の町では床下浸水した家屋もありました。この決壊を受け、宍塚の人たちは総出で、「ねんど山」と呼ばれる里山の一角から大八車で粘土を運び、修復したそうです。長さ50メートル以上もある大池の堤防がいつ築堤されたにせよ、便利で強力な道具や機械がない時代の堤防の造成は、大勢の人の力で成し遂げた大工事であったことは間違いありません。

宍塚の会では、この粘土山を地主の許可を得て掘ったことがあります。それほどきめ細かい、粘土らしい粘土ではありませんでしたが、確かに粘土。会では、その粘土をピザ用の窯(かま)や炭焼き窯を造るのに使いました。

窯は耐熱レンガを積み上げて造りますが、レンガとレンガの間には粘土を詰め、接着剤として使います。高温に耐える窯には粘土が必需品です。粘土の山は里山のどこにでもあるわけではなく、その一角にあるのみです。里山内の土壌の性質を理解し、言い伝えられてきたことが想像できます。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《ひょうたんの眼》29 コロナ禍で日本の観光を思う

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【コラム・高橋恵一】コロナ禍で疲弊した観光産業を救うためとして、補正予算で事業化したGo to キャンペーンが前倒しでスタートする。コロナ感染は収まらず、東京都への発着は補助金の対象にせず、若者や高齢者の団体は対象外、宴会もダメ。一方、感染者の再増傾向の東京通勤圏と大阪府は対象になる。東京都だから伊豆七島や小笠原は対象外、米軍基地からの感染の恐れがある沖縄への旅行は補助対象。

日本地図を横に置いて眺めると、いかにもちぐはぐな観光振興策である。第一、コロナウイルスは人間の作った都道府県境に規制されることは無いのだ。

近年、日本の観光は、政府の肝いりもあって、外国人観光客の受け入れ、インバウンドが盛んであったが、昨年、隣国同士のケンカで、韓国人観光客がほぼゼロになり、中国観光客も一時ほどの爆買いが減ってきたところにコロナ騒ぎで、欧米を含め、外国からの観光客は皆無になってしまったのだから、関連業界は大変深刻なのはわかる。増して、今頃は、東京オリンピックで日本中に観光客があふれているはずだった。

感染は人の移動に伴うものだから、観光地を抱える各地方は、それぞれの県内での観光振興を、政府のGo toキャンペーンに先行させる動きを始めたところであった。地元の観光を見直してもらう機会でもある。

石川県和倉の高級観光ホテルへ

感染騒ぎの始まる前、北陸にグループ旅行をした。和倉の高級観光ホテルへの格安パック旅行だったが、金沢で昼食くらいは贅沢をしようと、友人に勧められた老舗料亭で数千円のお膳を食べた。案内してくれたタクシーの運転手さんの話では、その店での夕食は2万円以上するとのことで、そんなに高い夕食を食べる客がいるんですかと聞いたら、観光客ではなく、地元のお客さんだそうだ。

北陸には、旅館も食べ物も値の張る高級品が多いのだが、客の半分は、地元3県の人が多いと聞いたことがある。本来観光というのは、地元の人に高く評価され支持されている物品・サービスが対象になるべきものであると思う。

インバウンド対応で、日本の伝統的なサービスを簡略化したり、格安料金で粗末な宿を提供したりする傾向がある。日本の観光を安売りして、品格を落としてはいけない。私達も、外国を訪れるときは、本物の外国を楽しみたいのだ。膨大な予算を使うGo to キャンペーンは、大手企画会社の手数料などに使うのではなく、本物の日本の観光を支えている観光業界の役に立てて欲しいと思う。

もちろん、全国移動ができるようにするには、感染拡大の最中ではなく、地方を感染に巻き込む恐れが無くなってから実施するのは当然であろう。(地図好きの土浦人)

《県南の食生活》15 梅干し

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【コラム・古家晴美】例年だとそろそろ梅雨明けの時期だが、今年はどうなるだろうか。梅雨が明けると、今回取り上げる「梅干し」には不可欠の「土用干し」が待っている。保存食と言うよりも、要冷蔵の半生ものとして減塩あるいは蜂蜜漬けされた梅干しを購入される方も多いかもしれないが、自家用に手作りしている友人知人も結構いる。

しかし、そういう筆者は、オンライン授業の準備に振り回されたことを言い訳に、今年は作りそびれてしまった。作る年には、青梅を新聞紙の上に並べて完熟させてから作業に取りかかる。この時に部屋中に溢(あふ)れる甘い香りは、毎回、ささやかな喜びをもたらしてくれると言えば、手作りしている方の多くは頷(うなず)かれるだろう。

「梅干し」が文献に初出するのは、鎌倉時代中期の『世俗立要集(せぞくりつようしゅう)』だが、稲作技術と共に日本に伝わってきたのではないか、最古の料理書『斉民要術(せいみんようじゅつ)』に記述があり奈良時代後期には日本でも確実に作られていたのではないか、と諸説ある。(有岡利幸著『梅干』、法政大学出版局 )

安価で保存性が高く、庶民の日常食と思われがちの「梅干し」であるが、室町時代、禁裏(きんり)への献上品ともなり、16世紀後半には粥(かゆ)と共に天皇の朝食膳に上っていた。また、梅干しは僧の祝賀膳にご馳走として、あるいは禅僧や社家の人たちの贈答品として重宝されていた。

土用干し

『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』(1697年)によれば、江戸時代になると、庶民も元旦には茶に梅干しを入れた「大福茶(おおぶくちゃ)」で新年を祝った。うどんを食べる時に、梅干しと胡椒(こしょう)が薬味として用いられる一方、醤油が普及する以前の調理料である「煎(い)り酒」にも、梅干しは削りかつお、古酒、たまりと共に欠かすことができない存在となった。

梅干しの作り方については、江戸後期になって『漬物早指南(つけものはやしなん)』(1836年)でようやく紹介される。完熟した梅の実を2時間ほど水に浸けて洗い、梅1斗に塩3升(30%)、紫蘇(しそ)を少々入れ、重石を載せ、14~15日置く。天気の良い日にカゴにあけて天日干しする。長く保存したい場合は、干してから夜は壺の梅酢に戻し、これを3日繰り返す。

今日の作り方と比べると、塩漬けした後に三日三晩、雨に当てないように天日干しし夜露に当てる「土用干し」、低塩分濃度(10~20%、長期常温保存は18%以上)、紫蘇(しそ)を入れるタイミングなど、少々相違点はあるものの、概ね共通している。

滝沢馬琴(たきざわ ばきん)は自ら沢庵(たくあん)と梅干しを大量に漬けていた。『馬琴日記』に、板張りの雨戸2枚に塩漬けした梅の実を広げて干したが、にわか雨が降り出して、取り込むのが間に合わなかったと悔しそうに記している。今年、梅を漬けていらっしゃる方々、くれぐれもにわか雨にご注意ください。(筑波学院大学教授)

《法律かけこみ寺》20 大量の雨が―おお!おお!おお!

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土浦市文京町の神龍寺山門(写真は本文と関係ありません)

【コラム・浦本弘海】「大量の雨が―おお!おお!おお!」「ちょっと、伯父さん落ち着いて」。伯父からの突然の電話。しかもなにやら大慌てです。

「落ち着いてもなにも、隣地から雨水が流れ込んできて困っているんだ! お隣さんの雨水浸透桝(うすいしんとうます)が詰まったようで」「薄い新トーマス? 『きかんしゃトーマス』の親戚じゃありませんよね」

どうやら事故や災害ではないようで安心しましたが、耳慣れない言葉が。

「なんだ弘海くん、弁護士なのにそんなことも知らないの? 雨水浸透桝というのは―」

伯父によれば、雨水浸透桝とはその名のとおり雨水を地中へ浸透させる設備で、雨水を直接、排水路や側溝に流せない場合に役立つことはもちろん、地下水の涵養(かんよう)や冠水などの水害軽減にも寄与するようです。きかんしゃトーマスとは無関係でした。

一方で、定期的に清掃をしないと目詰まりを起して十分な浸透効果が得られず、桝から雨水が溢れることがあるとのこと。伯父の話によると、隣地の所有者は不在地主で地所の管理に熱心ではないようです。

そこで、隣地の所有者にまずは清掃をお願いするにしても、法的にどうなっているのか確認したくて連絡したとのことでした。

水流に関する工作物の修繕

ところで、本コラム9(2019年8月20日付)では隣家から木の枝や根が自分の敷地に入ってきた事例を取り上げました。そこで出てきたのが民法の相隣関係(隣りあった土地の間の法律関係を定めるルール)、今回も相隣関係のお話です。

ここでさっそく、今回のトラブルに役立ちそうな民法の条文をみてみましょう。

<水流に関する工作物の修繕等>
216条 他の土地に貯水、排水又は引水のために設けられた工作物の破壊又は閉塞により、自己の土地に損害が及び、又は及ぶおそれがある場合には、その土地の所有者は、当該他の土地の所有者に、工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ、又は必要があるときは予防工事をさせることができる。

簡単に言えば、他人の土地にある貯水や排水、取水のための設備が壊れたり詰まったりしたせいで自分の土地に損害が出たり出そうなときは、設備を修理したり障害を除いたりしてもらえるということです。今回のケースで言えば、民法216条により伯父は隣地の所有者に対し、雨水浸透桝の清掃を請求できることになります。

なお、費用は原則として他の土地の所有者(今回のケースでは隣地の所有者)ですが、民法217条によれば「費用の負担について別段の慣習があるときは、その慣習に従う」とされておりますので、場合によっては土地の所有者(今回のケースでは伯父)が負担することもありえます。

記録的な長雨が続いており、各地で災害も発生しております。みなさま安全には十分ご注意ください。(弁護士)

《吾妻カガミ》86 紙爆弾戦開始 つくば市長選

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】コロナ禍下の選挙は従来とは少し違った形になりそうです。前回コラム「つくば市長選 2つの風景」(7月6日掲載)で触れましたように、今秋のつくば市長選に意欲を示していた保守系現県議は、コロナ下では現職市長に比べ市民との接触面が少ない挑戦者に不利になると、出馬を断念しました。再選を目指す現職も含め、市長選では「密」が避けられない集会は抑えられ、印刷物で市民に訴える「紙爆弾」が多用されそうです。

反市長の「つくば市民の声新聞」

「コロナ・ハンディキャップ」を抱える反現市長グループは6月下旬、「つくば市民の声新聞」第1号を新聞への折り込みで配布、紙爆弾作戦を開始しました。この無料紙が推そうとしている候補が誰なのかは分かりませんが、同紙は五十嵐市長の2大失政(総合運動公園問題後処理の不手際、つくば駅前ビル「クレオ」再生計画の失敗)などのリポートを掲載、現市長にマイナス点を付けました。

また、五十嵐市長の退職金辞退については、①市長退職金は市の財政から直接支払われるわけではない②市が県市町村総合事務組合に払い込んだ積立金から支払われる③したがって市長が退職金を辞退しても市財政の節約にはならない―と解説、「子どものお遊びか?」と指摘しています。

現市長陣営の「Activity Report

同じ日、すでに出馬を表明している五十嵐市長の陣営も、活動報告「Activity Report」第5号を新聞折り込みで配布。こちらは現職の強みを生かし、つくば市の「新型コロナウイルス感染症対策」を特集しました。たまたまなのか、どちらかが相手の動きを察知したのか、よく分かりませんが、紙爆弾が同時投下されたわけです。

報告の内容は、計上した予算(経済対策5億円+市民生活6億円)を掲げ、「児童生徒の感染者を1人も出すことなく休校期間を終え、学校を再開」「70歳以上の高齢者の皆さまに5,000円分の商品券」「大規模医療機関に優先的に約14万枚のマスクを配布」「(事業者支援のため)応援チケットによる資金調達支援」など、コロナ対応を自賛しました。

印刷物はどちらに有利に働くか?

最近、選挙でもネット活用が話題になりますが、ネットの場合、スマホなどの利用者が情報を「読みに行く」必要があります。それに対し、印刷物は目の前に置かれますから、「読ませられる」メディアです。有権者が適度な数の市長選、しかもコロナで活動が制約されている環境下では、紙爆弾が持つ「破壊力」を見直す必要があるでしょう。

印刷物の配り方は、新聞折り込みだけではありません。郵便受けに入れるポスティング、自由に持ち帰ってもらうラック置き、駅前などで配る手渡し―など、多様な方法があります。活字の説得力を考えると、紙爆弾は、実績PRに終始する現職よりも、現職の問題点を突く挑戦者に有利に働くでしょう。反現職側に「ペーパー・アドバンテージ」?(経済ジャーナリスト)

《沃野一望》17 伊東甲子太郎の1 新選組加盟

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かすみがうら市志筑方面から望む筑波山

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼
我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて

天保六年(1835)、関八州を鎮(しず)める名峰筑波山の東麓、常陸国志筑(しづく)村(現かすみがうら市)に、旗本本堂家家臣鈴木専衛門の二男として、鈴木大蔵という風雲児が、呱々(ここ)の声をあげた。

幼いころに父が脱藩、村をでた大蔵は、水戸で文武の修練にはげむ。剣に冴(さ)え、文にすぐれ、眉目秀麗(びもくしゅうれい)、弁舌さわやかな才は、幕末という激動の時代のなかで、いつか激流の先頭を疾駆(しっく)する人物と嘱目された。

水戸での伝手(つて)をたよりに江戸へでると、水戸藩士金子健太郎の道場で北辰一刀流をきわめ、同時に、尊王攘夷を標榜(ひょうぼう)する水戸学に心酔してゆく。

北辰一刀流の技の極意は、いつか市中の評判となり、やがて、深川佐賀町に町道場をひらく伊東精一郎に見こまれ門弟となる。道場では、またたくまに師範代にまでのぼりつめる。さらに、道場の後継者として婿養子にむかえられ、はじめて、伊東性を名乗る。伊東大蔵。

これだけでも、ひとかどの立身出世のはずだったが、これに満足できず、満足させない時代の奔流が、江戸にも京にも渦巻いていた。

土方歳三と同格の参謀に

ある日、北辰一刀流の千葉道場で相弟子だった藤堂平助が、伊東道場を訪ねてきた。藤堂は京にあって、今をときめく新選組副長。

「近藤局長が人材をもとめ東下してきている。たっての願いを受けてほしい。新選組は、これからの世を切り開く隊だ。だが、現存隊員の力量は、とても満足できるものではない。剣の技量においても、隊をまとめる統率力においても、今の要員では、まったく不十分だ。ぜひとも貴殿の力を新選組で開花させてもらいたい。貴殿のもとで、多くの同志が語りあっていると聞く。その者たちともども加盟してもらえれば、重ね重ね歓迎だ。組内の処遇については、悪いようにはしない」

伊東大蔵にとって、願ってもない誘いだった。ここはひとつ、当座の主義主張はとにかく、いや、近藤勇や土方歳三などを論破し、彼らに尊攘思想を注入し、組織としての新選組を利用すればよいだけのかけひきだ。誘いに乗らぬ手はない。

元治元年(1864)、伊東大蔵は、道場で語りあった同志七人とともに、新選組に入隊すべく江戸深川佐賀町の伊東道場を去る。この年の干支(えと)は甲子(きのえね)。伊東は、新天地、京での飛躍を期し、甲子太郎(かしたろう)と名乗りあげた。

約束通り新選組では、新参八人のうち伊東甲子太郎を副長土方歳三と同格あつかいの参謀、篠原泰之進を諸士取調役監察、三人を伍長と、異例の厚遇でむかえいれた。伊東甲子太郎は、新選組という、飛躍の活動拠点を仲間とともに得た。(作家)

《続・気軽にSOS》65 いろいろな人の支えがあるから

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【コラム・浅井和幸】「浅井さんさぁ、何とかなんないかなぁ」。電話から、Aさんの声が聞こえたのは、2011年3月11日から1週間ぐらい経った日だったろうか。そう、あの東日本大震災の少し後。以前からの知り合いAさんは、福島に送る支援物資の調達活動に関わっていた。その中で、数トンの米を寄付いただけることになったが、それを福島まで送る手段を探しているとのことだった。

とても立派な活動で、お手伝いしたいのは山々だけれど、当時の私には(今もだけれど)、それに対応できる方法が想像もつかない。「え~っ、ちょっとどうしてよいか分からないけど、とりあえず考えてみるので期待しないで待っていてください」。そう回答するのが精いっぱいだった。

さて、何人かの知り合いに声をかけてみる。もちろん、よいアイデアは無い。知り合いもみな被災しているし、ガソリンも不足しているし…。そこで、当時始めたばかりだったツイッターで呼びかけてみた。電話がつながりにくい当時、ボランティア同士のやり取りや情報収集に役に立っていたけれど、今ひとつ使い方が分からず、わらをもつかむダメ元ってやつ。

そうしたら、所有しているトラックで運転して持って行けますという声が返ってきた。まったく見ず知らずの人だ。急いで電話で連絡を取ると、ガソリン代も交通費もいらない、すべて無償のボランティアで協力してくれるとのことだった。

こんなこともあるものなのかと、最初は半信半疑で話をすると、とても誠実そうな声で、丁寧に話をしてくれた。Aさんの連絡先を教えるので、直接話してもらってもよいかと尋ねると、その方は何の躊躇(ちゅうちょ)もなく連絡すると答えてくれた。

後日、Aさんから連絡があり、うまく、ことが運んだそうである。さすがと、Aさんは私をほめてくれたが、どう考えても、素晴らしいのはAさんとそのトラックドライバーの方。本当にこんなことがあるんだなぁと、このような素敵な人たちと話ができたことをうれしく思っていた。

感謝、感謝 元気の源

その後も、ネット上で呼びかけたら、見ず知らずの他県の方から、乳幼児用の服や離乳食の詰め合わせが送られてきたこともあった。それは、ある貧困の若夫婦にお届けした。その時に添えられていた、温かい文章が書いてあるかわいらしいメモは、今でも宝物のように事務所の机にしまってある。たまに思い出して読むと、自分も負けてられないよなと、力が湧いてくる。

そのような印象的なこともたくさんあるし、日常的にタオルが欲しいとか、冷蔵庫が欲しい―など、私のおねだりに応えてくれるネットワークのおかげで、私の様々な活動が成り立っている。おねだりをする前から、まだ使えるどころか、浅井家で使っている品物よりもキレイで高価なものを、必要ないかと声をかけてくれる方たちもいる。

感謝、感謝なのです。私の元気の源と言ってよいでしょう。(精神保健福祉士)

《電動車いすから見た景色》8 インクルーシブ教育って何だろう

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統合教育とインクルーシブ教育の違い

【コラム・川端舞】日本が2014年に批准した国連の障害者権利条約では、国は障害児が一般的な教育制度から排除されないようにするとされている。日本には障害児が通う特別支援学校があるが、障害者権利条約では特別支援学校は一般的な教育制度の中には含まれない。障害のある子どもとない子どもが同じ場所で学ぶことを基本としている。

障害者権利条約が目指している教育を「インクルーシブ教育」と呼ぶ。私は障害を持ちながら、小学校から高校まで普通学校に通っていたが、インクルーシブ教育を受けたとは思っていない。特に小中学校の頃は、学校で周りに迷惑をかけないために、友達に手伝ってもらってはいけないと言われていたし、言語障害のある私の言葉を聞いてくれない先生もいた。誰かに直接言われたことは無いが、学校の雰囲気から「私は障害があるから、勉強だけはできないと普通学校に通えなくなるんだ」と思っていた。

障害者権利条約が目指すインクルーシブ教育は、障害の程度やどのくらい能力があるかを、障害児が普通学校に通える条件にしてはならないとされる。「授業についていけるなら」「一人でトイレに行けるなら」など、何かができるかどうかで、障害児が普通学校に通えるかどうかが変わる教育は、インクルーシブ教育に対して統合教育と呼ばれる。

一定の条件をクリアできないと、障害児は普通学校に通えないという考えが学校現場に広まってしまうと、障害のない子どもたちも、「周りと違うのは悪いこと」「できないことを手伝ってもらうのは悪いこと」というような息苦しい考え方になってしまうだろう。

すべての子どもが尊重される教育

反対に、障害のある子どもとない子どもが同じ教室で学び、できないことは友達同士で助け合う環境だったら、障害のない子どもも「できないことは周りに助けを求めていいのだ」と思えるようになるだろう。

そのような環境は障害のある子どもだけでなく、障害のない子どもも安心して必要なサポートを受けられ、自分の意見を表現でき、主体的に学校生活を送ることができる。インクルーシブ教育は、障害のある子どものためだけでなく、すべての子どもが互いに尊重し、価値を認め合うことが目的とされなくてはならないと、国連も述べている。

国連の考えでは、単に障害のある子どもを普通学校に通わせるだけで、現状の普通学校で行われているカリキュラムや指導方法を障害のある子どもでも参加しやすいように変更しなければインクルーシブ教育とはならない。学校のカリキュラムなどを変更するには長い時間がかかるだろう。しかし、普通学校が障害のある子どもにとって過ごしやすい環境になったら、障害のない子どもにとっても過ごしやすい場になるだろう。

子どもたちに関わる様々な立場の人が知恵を出し合って、障害の有無にかかわらず、全ての子どもが安心して過ごせる学校を少しずつつくっていければと思う。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《くずかごの唄》65 市民の環境教育の難しさ

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【コラム・奧井登美子】「明日からプラバッグが有料ですから、気を付けてください」。主婦の友達に注意されたけれど、どういう変化が起こるのかよく理解できないでいた。

7月1日から、今までサービスでくれていたレジ袋が有料になった。私みたいに「もったいない精神旺盛な人」「時間のない人」は、布の大袋をいつも持って歩いていて、買った物は何でも放り込んでしまう。プラスチックのヘタヘタした袋よりも、布袋の方が能率よく短時間に物が入れられるのだ。食物の時は竹糸籠が2個。冷凍製品とそうでないものとを分けて放りこんでしまう。

籠も布バッグも、20年くらい前、友達から旅行のお土産にいただいた代物だ。今までは、店頭で籠やマイバックを差し出すと、けげんな顔をされたこともあったが、7月からは、店員さんも当然な顔をして入れてくれるようになって少し安心した。

海の中、サンゴに絡まったプラスチックの破片などをテレビで見せられて、皆、素直にそれに従うように、店頭教育をされたらしい。

プラスチックがゴミになった時のこと考えて

お歳暮やお中元、バレンタインのチョコレートの包装の豪華さは過剰なものが多い。「Aちゃんからのプレゼントよ、何が入っているのだろう」。ケーキやチョコレートなど、胸をドキドキさせながら、包装を解いていく時の心の高まりは、誰でも感激の時である。

しかし、最近のプレゼント用の商品は豪華すぎて、包装があれでもかこれでもか。解説書と小箱もゴチャゴチャと、ややこしい。途中で、開ける時の感激が覚めてしまうものも多い。

つくる人も、消費する人も、両方が地球市民である。地球の水温が1度上がっただけで、九州に考えられないほどの大雨が降った。プラスチックは便利だけれど、つくる人、使う人、両方とも分解する時のこと、ゴミになった時のことを考えて行動してほしい。

今回は、ほんの思い付きみたいな有料で、どうやら難なく町の中に定着したようであるが、もっと、もっと、地球全体の資源を根本的に見直してほしいと思う。(随筆家、薬剤師)

《ご飯は世界を救う》25 カフェ「Blackboard」 年代物家具屋が経営

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【コラム・川浪せつ子】まるで地球が怒っているような気象。自然災害が広がっている地域の方々にお見舞い申し上げます。コロナと長雨で外出もままならず、ウツウツとする日々ですね。そんな気持ちを少し気分転換。我が家から歩いて行けるカフェにお散歩がてら。

「Blackboard(ブラックボード)」さん(つくば市手代木)の建物は、おぼろげな記憶ですが、20年近く前に建てられたもの。初めは和食バイキングの食べ放題、次は中華料理店、そして今はカフェです。和食も中華も結構イケてる感じだったのに、集客がもうひとつだったような。

こちらのお店の経営者、実はビンテージ家具屋さんなのです。本社は都内某所にあったような気がしたのですが、今回、いろいろ調べてもよく分かりませんでした。HPによると、カフェや家具販売(通信販売も含む)のほか、インテリアデザイン、住宅施工もなさっているようです。

ソーシャル・ディスタンスもバッチリ

それで、カフェ空間もオシャレで居心地よいことが分かりました。このお店が長く続いているのは、ステキな店舗というだけではなく、別のお仕事があるからかも。

店内は家具やインテリア雑貨などの展示はもちろん、配置も抜群です。そしてカフェで使用されているのは、もちろんビンテージ家具です。広い空間にポツポツと配置されているので、昨今のソーシャル・ディスタンスもバッチリ。

ランチもよく考えられていて、これまたオシャレ。平日は女性客が多く、広々空間で団らんしています。わたしも友人と何度か行きました。今回はお1人様でコーヒーとスイーツでオヤツタイム。持って行った画集などを眺めて命の洗濯。よい時間を過ごすことができました。(イラストレーター)

《続・平熱日記》65 包丁は鋼派 まな板はラワン

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【コラム・斉藤裕之】カミさんの楽しみの一つは、次女が勤める東京の美容院に行くこと。娘に髪を切ってもらえるのは特別な思いがあるのかもしれないが、外出自粛期間とあってはそれもままならず、半年分の髪の毛が伸びた。それがここに来て、やっとお上から外出のお許しが出たというので、早速、次女の好きなクッキーを焼き、手土産にして出かけて行った。

「ナツコはどうだった?」「最近、自炊を頑張ってるんだって!」。聞くところによれば、よい包丁が欲しいということ。これは悪いことではない。それならばとカミさんが百貨店に連れて行き、それなりの鋼(はがね)の包丁を持たせたということだった。

さて、包丁の相棒といえばまな板である。イチョウや柳がいいとかいうが、私はラワン材で作る。少し前までは、本棚やいすを作るといえばラワン材であった。ラワン材とは年輪や節の少ない南洋材一般を指すらしいが、今ではベニヤ板に使われるくらいで、手に入りにくい。

当時は気付かなかったが、ラワンのよさを再認識して以来、古い棚を壊したと聞けばもらいに行ったりして集めている。半端なサイズのもので試しに作ってみたのが、取っ手付きのまな板である。まな板業界からすれば相当な掟(おきて)破りと思うが、刃のあたりも柔らかく、意外に使いやすいと好評。長女が結婚した折には、本当は包丁を送りたかったが、縁起がどうのこうのとか面倒臭いことをいうので、このまな板を作ってやった。

実はこの直前に我が家で使っていた包丁も、柄の部分がついに折れてしまったのだ。20年ほど前に友人に打ってもらった鋼製で、飾り気のなさが気に入っていたのだが…。そこでネットで調べてみると、水戸に包丁を打つ鍛冶屋さんがいるという。

最近かみさんの髪が元気に見える

早速カミさんと尋ねてみると、刃物工房ともいえるまさに硬(鋼)派な店構え。鉋(かんな)や鑿(のみ)の刃も打つというご主人。今では珍しい鋸(のこぎり)の目立てもするという。親切丁寧な対応に、カミさんの意にかなった鋼の包丁を買い求めた。もちろん切れ味は申し分ないし、これで自然に鉄分も摂(と)れる。

ところで、私の絵は金網に漆喰(しっくい)を塗って描いているのだが、金網は鉄製である。錆びないからステンレスの方がいいという人がいるが、錆びるというのがいいと思っている。鋼の包丁も、研(と)げるという裏に錆びるという宿命を持っているのと同じで、朽ち行く定めにある金網に日常の世界を描くのがよいと思っている。

「ナツコの味覚は私によく似ているのよ」。次女の好物だという江戸崎カボチャを食卓に並べるカミさん。母の手料理に勝るご馳走なし。面と向かって料理を教えたことはないが、子供たちもやがておふくろの味を引き継いでいくのだろう。自粛要請が解けてしばらくぶりに帰ってくるという次女。ついでに包丁の砥(と)ぎ方も指南しようかと考えたが、恐らく煙たがられるのだろうから、とりあえずラワンのまな板だけはこさえておいてやろう。

それから、かみさんの髪の毛が最近元気に見えるのは気のせいだろうか。ヘアースタイルについてコメントするのが礼儀?だと思っているのだが、照れ臭くてなかなか言えない。(画家)

《邑から日本を見る》67 東海第2 県民投票 県議会が条例案否決

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【コラム・先﨑千尋】茨城県議会は6月23日の本会議で、日本原子力発電東海第2原発の再稼働の賛否を問う県民投票条例案を反対53、賛成5の反対多数で否決した。約8万7000人の県民が署名して求めた県民投票は、最大会派のいばらき自民や県民フォーラム、公明などの反対で実現しないことになった。

本会議に先立つ同月18日に、県議会防災環境産業委員会は総務企画委員会と連合審査会を開き、同条例制定の直接請求代表者や学識経験者、国、地元自治体首長らの意見を聴取し、討論後に反対多数で否決していた。

条例案は、東海第2原発の再稼働の是非について、県内の有権者が賛否の投票をするというもので、大井川和彦知事も多くの県議も再稼働について明言してこなかった。このため、県民の意思を確認する手段の一つとして、有志が「いばらき原発県民投票の会」をつくり、憲法で保障された条例制定の直接請求を県議会に求めていた。

知事は、請求に基づく条例案を県議会に提案する際には、自らの意見を添えて提案することが求められているが、意見書は「慎重に検討していく必要がある」と賛否を明確に示さなかった。

「基本的知識が抜けた議論」

連合審査会では、参考人の意見表明に対して各委員から質疑や意見が出された。その主なものを列挙する。

・安全性の検証、実効性ある避難計画の策定、県民への十分な情報提供(3条件)がそろわない限り、県民に意見を聞く時期でない(自民、公明)。

・条例が次の任期の議会の判断を縛ることになる(自民)。

・県民の意見は多様。二者択一で県民の意見を求めるのは妥当ではない。投票率が低い場合、その結果の解釈をめぐって混乱する恐れがある(公明、県民フォーラム)。

・民間企業の行く末を県議会が決定することへの矛盾、賠償など法律上の懸念もある(自民)。

これらの意見に対して、私の見解はここでは示さない。この日の審査会で驚いたことは、反対した会派の代表の意見表明が参考人の意見とは関係なく、予め用意された文を読み上げただけだったことだ。これだけ重要な県民からの問題提起をたった1日しか審議しないこと、審査の中身を意見表明に反映させていないことから、前もって否決することを決めて委員会に臨み、形式的な審査だけ行ったと思えてならない。

「県民投票の会」共同代表の徳田太郎さんは、審査会後の取材で「基本的知識が抜けた議論で、これで採決するのかというほどレベルが低い」と話しているが、その通りだ。

県民投票条例案が県議会で否決されたあとの今月5日、水戸市でその経過を検証するシンポジウムが開かれ、常磐大学の吉田勉教授が「賛成派、反対派の議論が薄かった。継続審査にすべきだった。県議会に超党派の勉強会を作ってもらいたい」と提言した。

同会では今後、署名集めのノウハウや県議会審議を通じて明らかになった課題をまとめた報告書を作成、公表する、としている。(元瓜連町長)

《食う寝る宇宙》65 茨城で巨大な月ロケットを体感!

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【コラム・玉置晋】今から51年前の1969年7月16日22:32(日本時間)、「サターンV」ロケットSA-506は、米国フロリダ州のケネディ宇宙センター第39発射施設(LC-39)から発射され、3人の宇宙飛行士を月軌道に運びました。サターンVは、全長110.6メートル、重量3038.5トンという巨大ロケットです。そんなこと言われても、大きさを想像できませんよね。

「NEWSつくば」の拠点は茨城県つくば市にありますが、つくば市の隣の牛久市には、日本一の全長を誇る「牛久大仏」が君臨しています。茨城県人の自慢の一つですね。牛久大仏のホームページに載っている諸元によると、像高100メートル、台座20メートル、全高120メートル、重量4000トンだそうです。

つまり、サターンVは牛久大仏くらいの大きさなのです。ちなみに、左手のひらは18メートルありますので、「奈良の大仏様」が牛久大仏の手のひらに乗ってしまうスケール感です。この大きさを体感するには、牛久大仏の内部「胎内空間」に入り、エレベータで高さ85メートルの展望台に上ることをお勧めします。晴れた日には、西に茨城が誇る筑波山、南に東京のスカイツリーや富士山が見える絶景です。

牛久大仏=120m サターンV110

僕には、牛久大仏がサターンVロケットに見えてきました。いっそのこと、サターンVで月に行けたのだから、牛久大仏を宇宙に飛ばすことも可能なのではないだろうか? 残念ながら、無理。

ロケットの質量の大部分は燃料です。牛久大仏を宇宙に飛ばすには、もっと大きなロケットが必要になります。サターンVの搭載能力は地球低軌道で118トン、月軌道で47トンでした。ちなみに、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が2007年に打上げた月周回衛星「かぐや」(SELENE)の質量は3トンでした。「かぐや」を15基搭載可能なわけですね。

「かぐや」の実物大試験モデルは、つくば市のJAXA筑波宇宙センターの見学エリアに展示されています。牛久大仏と筑波宇宙センターを見て、サターンVのスケールを体感してみよう!(宇宙天気防災研究者)

《茨城鉄道物語》3 茨城県に新幹線は必要か?

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東北新幹線「はやぶさ」=JR東日本

【コラム・塚本一也】茨城県内で最初に通った鉄道は何線であろうか? 答えは東北線(1885年)である。最初に開業した駅も古河駅であり、その後、現在の水戸線が小山~水戸間で開業(1889年)し、常磐線の田端~水戸間の開業はその後の1896年である。当時、常磐線の東京延伸が遅れた原因の一つとして、利根川に橋を架ける技術がなかったということが挙げられる。

では、茨城県に新幹線は通っているか? という問いに対する答えはいかがだろうか。正解は「通っている」である。正確に言うと、一部、古河をかすめているだけなのだが、茨城県内に駅がないので県民としてはあまり実感がわかないのであろう。

国の整備新幹線計画は、今でも全国で少しずつ進められている。1970年に定められた「全国新幹線鉄道整備法」に基づいて、北海道新幹線の札幌延伸や、九州新幹線の長崎ルートなどの整備が進められ、北陸新幹線の新大阪延伸も計画中である。

さらに、山形では様々な問題を抱えながらも山形新幹線のフル規格化を検討し、新幹線の空白地帯である四国においても、新幹線を通そうという運動が地元で盛り上がっている。さらに、北陸新幹線議論の延長として「山陰新幹線を実現する国会議員の会」(石破茂会長)なども存在し、大分県では「東九州新幹線整備推進期成会」も設立されているそうである。

地域の特性に合った公共交通の整備を

このように考えると、全国で新幹線を検討していない自治体は、島である沖縄県と半島である千葉県を除くと、茨城県だけになってしまう。なぜ、茨城県では新幹線の議論が発展しなかったのであろうか?

元々県土が平坦で温和な気候であるため、人口が分散し人口集積地ができにくかった。それゆえに、都市間輸送という考えが育たなかったのではないか、というのが私の考えである。一般的に、鉄道のメリットは、速達性、定時性、大量輸送などが挙げられる。一方デメリットとしては、莫大な建設費用と面倒な維持管理などが指摘できる。同じ費用と手間をかけるなら、道路をつくった方がよいと考えがちなのが茨城県人の気質ではないだろうか。

しかし、その茨城県に革命をもたらしたのが、つくばエクスプレス(TX)の開業である。今住んでいる場所から、東京へ通勤通学ができる。これは、地元住民のライフスタイルを劇的に変化させ、準新幹線ともいうべき機能を備えたTXは、沿線開発で移住してくる住民の心を鷲づかみにした。さらに、在来線ゆえに他社線との相互乗り入れが可能であり、新幹線よりも経済的であり、延伸の自由度も高いという将来性も備えている。

このように、新幹線とは縁のない茨城県ではあるが、決して卑屈になることはない。今ある財産を大事にし、地域の特性に見合った公共交通を整備していくことが、これからの社会に求められるのではないだろうか。(一級建築士)

《宍塚の里山》66 アメリカザリガニが大発生!

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組写真左は2020年の宍塚大池、中央2019年の宍塚大池、右は水の色が茶色になった2020年

【コラム・及川ひろみ】コロナ問題が続く中、宍塚の里山は安全安心だと、家族、カップル、高齢者のグループなど、訪れる人がとても増えています。初めて宍塚に来た人誰もが、こんなに素敵なところがあったと大変驚きます。

さて宍塚大池。いつもの年なら、今ごろから淡い紅色の野生ハスが花を咲かせ、夏には一面の花と甘い香りが大池を覆います。また、ヒシもハスの合間でハスと競うように広がりますが、今年はこれらの植物を見ることができません。さらに、池の水は茶色に濁っています。昨年と今年の池の写真を見比べると、その違いに驚かれることでしょう。

なぜ? 宍塚大池は水田耕作用の貯水池、ため池です。当たり前のことですが、昨年も水田耕作農家が池の水を使いました。ところが昨年は雨が少なく、池の水を多く使いました。その結果、池の水位が極端に下がり、しかもハスやヒシが池を覆ったことから、水中酸素が少なくなり、大型魚が酸欠で多数死にました。

その結果、ザリガニやその子どもを食べる生き物がほとんどいなくなり、今年はアメリカ ザリガニが大発生。池をのぞくと、水際に赤い大きなアメリカザリガニが多数見られます。アメリカザリガニは水草が好物で、ハスやヒシを食べ尽くした後の光景が広がっているのです。

大池の捕獲数は去年の 14 倍

宍塚大池の調査は、2006 年、環境省の事業「いきづく湖沼ふれあいモデル事業」を請け負ったことに始まり、それ以後、池の生き物を調べる調査と外来生物の駆除活動を続けています。

今年も週 1 回程度、調査と外来生物捕獲活動を、定置網や「小型もんどり(魚わな)」を使って続けています。去年と今年(いずれも 1 月~ 6 月半ば)に捕獲したアメリカザリガニを比較すると、今年の捕獲数は去年の約 14 倍、その重さは 21.3 倍にもなりました(調査回数はほぼ同じです)。

この結果から、アメリカザリガニの激増と大型化が分かります。池の色は、アメリカザリガニの増加に関係がありそうです。アメリカザリガニと水質について解明できたらと考えていますので、 池の活動に関心のある方は、及川(090-9840-719)までご連絡ください。

宍塚の里山は、里山保全部隊「里山さわやか隊」の方々が、仕事の合間をぬって散策路の草を刈ってくださっていて、とても歩きやすくなっています。ここは、ほっとでき、リフ レッシュできるところです。お越しください。(宍塚の自然と歴史の会代表)

《映画探偵団》33 つくばセンタービル 磯崎新の設計思想

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】東京ディズニーランドのシンボル、シンデレラ城が新型コロナウイルスで休園中に改修された。シンデレラ城は、ドイツのバイエルン国王ルードウィッヒⅡ世によって創られたノイシュバンシュタイン城をモデルにしたものである。東京ディズニーランドと同じく1983年に完成した「つくばセンタービル」も、実はノイシュバンシュタイン城の影響を受けて創られている。

「狂王ルードウィッヒが純粋に快楽のために建設したこの折衷主義のあだ花、キッチュの権化ともいうべきノイシュバンシュタインは、いまでは確実にポピュリズムの核心にある。《つくばセンタービルの複合体が独自の象徴作用をなすためには、私はキッチュ的な要素の使用も辞すまい、と考えたことも事実である」「私はノイシュバンシュタイン的なものへ接近する道を歩んでいたのかもしれない」(磯崎新編著『建築のパフオーマンス』PARCO出版局)

「こんな面白いところが、入場料もとらずに開放されているなんて、信じられない」と言った人がいた。私も30年ほど前から、毎日のようにセンタービルを眺めてきたが、見飽きないし、少しも古びないのは驚きである。晴れた日には、3棟のビルの表面がきらきら輝き、美しいかぎりだ。さらに、1000人以上入るホールがあるのに、巨大さを感じさせないのはなぜだろうか。

なかでも中央の楕円形の広場、いや、庭は実に刺激的だ。何もない空間だからである。だが、東洋的なこの庭は、西洋的な3棟の建物を際立たせている。しかし、権力、財力、名誉を求める人にとっては、廃墟をイメージするような空間は腹立たしさを覚えるのに違いない。力を暗示するシンボルが存在しないからである。

霞ケ浦を模した階段から流れる水は、つくば市の位置に相応する中央へと流れ落ちる。センタービルの空っぽの庭は、創造性を触発する器であり、水が主役なのである。私などは、崩れかけたような岩山に大魔神が埋め込まれているのではないかと、つい想像してしまう。

大映の『大魔神』ドーム屋根案を踏み壊す?

大映の『大魔神』(1966)シリーズは、1年間に3本製作された幻想的な特撮作品であった。大映の美術陣は、大魔神の大きさを4.5メートル、人間の2.5倍に設定した。そして、本建築とミニチュアの中間の精巧なセットをつくり上げた。大魔神が神聖な場所を荒らした領主に怒り、建物を破壊する。屋根瓦が崩れ落ちるシーンは、いつ見ても圧巻である。

昨年3月、磯崎新が建築界のノーベル賞ともいえるプリツカー賞を受賞し、私はつくば市民としてとても嬉しかった。さぞかし、つくば市も喜びの声を上げると思っていたのだが、ホームページで儀礼的なメッセージを出して終わりだった。オイオイ、中心市街地活性化を声を大にして呼びかけているのに、それはないだろうと納得できなかった。しかし最近、やっとその謎が解けた。

受賞と同じ時期の3月に策定された「つくばセンタービルのあり方検討業務報告書」で、なんと、センター広場にアーチ状のドーム屋根をつくることが検討されていたからである。道理で素っ気ないはずである。プリツカー賞は、つくば市にとって目障りだったのだろうか。

東京ディズニーランドは、1年前からシンデレラ城の改修計画を発表している。つくば市は、今までなぜ隠していたのか。センタービルの庭を覆い隠す屋根はなにかを物語っている。

センタービルは、つくば市民のものでも、茨城県民のものでもない。今や世界の文化財である。これでは、「世界のあしたが見えるまち」のコピーに傷がつくのではないか。このままでは、きっと世界の建築家、アーティストの批判の的になることだろう。私には、センタービルの岩山から現れた大魔神が、屋根を踏み壊す映像が見えてしまう。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《雑記録》13 アメリカ大統領選挙・雑感

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【コラム・瀧田薫】2013年1月、再選されたオバマ大統領は2度目の就任式に臨み、リンカーン大統領と公民権運動の指導者キング牧師が愛用した聖書に手を置いて就任の宣誓をした。このパフォーマンスにこめられた政治的意図は、アメリカ建国以来の宿痾(しゅくあ)である人種差別を解消し、分断された社会に調和と協調をもたらすことにあった。しかし、不幸なことに、アメリカ初の黒人大統領の願いは実らず、トランプ大統領の登場以降、アメリカ社会の分断はむしろ拡大の一途を辿(たど)っている。

今年11月、トランプ大統領は再選をめざして民主党候補バイデン氏とたたかう。現時点(7月2日)で、大方の専門家の予想はバイデン氏有利としているが、前回選挙同様、予断を許さない。それはさておき、ここまでの選挙運動を通じて目立った動きは、オバマ氏が前職大統領としては異例なほどにバイデン氏に肩入れし、支援する姿勢を見せていることだ。トランプ氏が再選されれば、アメリカ建国以来の理想(自由、民主主義、人権など)の崩壊につながるとの危機感が彼の背中を押しているに違いない。

2020年5月25日、米中西部ミネソタ州ミネアポリスで、白人警官が黒人男性の首を膝で押さえ続けて死亡させる事件が起きた。この映像がネットを通じて拡散されると、全米各地で人種差別に抗議するデモが発生し、時間の経過とともに、デモは人種差別に対する抗議の域を超えて、米国社会に残る「構造的な差別」の根絶を訴える運動へと展開しつつある。黒人奴隷制度と先住民からの収奪のうえに繁栄を遂げた米国の歴史そのものを見つめ直す議論も始まっている。

南北戦争のトラウマが大統領選に影響

一例をあげれば、南部ミシシッピ州議会(上下院ともに共和党が多数を占める)は、南北戦争(1861年)で南軍が使用した旗をあしらった州旗を廃止する法案を圧倒的な多数で可決した。アメリカの全州の旗から南軍旗のデザインは消え去ることになる。アメリカで、何かが動き始めたようだ。

筆者は、過去何回かの米国大統領選挙について、毎回同じ仮説上に立って分析を試みてきた。すなわち、「南北戦争」(同じ国民同士が殺し合った記憶)のトラウマが大統領選挙の結果に影響を及ぼすのだが、その影響の出方(強弱)は選挙ごとに異なるという仮説である。例えば、オバマ氏の選挙の時よりもトランプ氏の選挙の時に「分断国家」のトラウマはより強く出た。分析の手法としては実に単純で、南軍に参加した州と北軍に参加した州それぞれにおける投票行動(誰に投票したか)を比較する。

ちなみに、前回選挙においては、予想どおり、南軍に参加した州の投票はトランプ氏に有利に出た。今回の選挙においては、アメリカの歴史上、これまでにない何かが起きるかもしれない。ただし、今回の選挙の結果がどちらに転ぼうとも、日本国が受ける影響は深刻なものになる。それだけは確かなことだ。(茨城キリスト教大学名誉教授)

 

《吾妻カガミ》85 つくば市長選 2つの風景

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】国や県のコロナ警戒レベルは下がりましたが、マスク着用とか対人距離など、まだ不自由な日々が続いています。コロナ問題を何度も取り上げてきた本コラム。今回は、「いま、つくば市政が面白い」(6月15日掲載)、「つくばの市長戦まで5カ月」(6月1日掲載)で扱った話をフォローアップします。

本コラムに市から抗議!

「いま、つくば市政が面白い」では、市が4月に発表したコロナ施策の目玉「市内事業者応援チケット事業」について、「(市は制度設計を)内々に変えました」と指摘したところ(詳しくは上の青字部をクリックしてご覧ください)、市の幹部から「変えていない」と抗議の電話が入りました。これに私は以下のように反論しました。

1点目は、事業の柱であるクラウドファンディング(CF)について。CFとは「リスク承知の投資資金をネットで集めること」です。したがって、応援者がおカネを払い込む際に受け取るチケットが紙クズになっても、おカネを集める側に払い戻し責任はありません。ところが市は、この事業を発表したあと、チケットに「払い戻し保証」を付けました。設計の基本を変更したわけです。

2点目は、応援チケット事業の事務局について。市議会への議案説明、そのあとの市長記者会見では、事務局として「つくば観光コンベンション協会」などの業界団体が例示されていました。ところが最終的には、事務局は業界団体=民ではなく、市役所=官に置かれることになりました。これも大きな変更です。

それなのに、市はなぜ「変えていない」と言い張るのでしょうか? どうやら、変更を認めるのは格好(かっこう)が悪いと思っているようです。でも、いま流行(はやり)のCFでおカネを集めてチケットを配るという事業の設計のうち、CFはリスクマネー(大損覚悟のおカネ)の受入口ではなく、払い戻し保証を付けることによって、単なる入金口座に機能が変更されました。こうしなければ、市はリスクのある投資事業(!)を運営していたことになりますから、賢明な変更といえるでしょう。

要は、入金先をCFでなく銀行口座の類にしておけば、迷走はなかったのです。秋の市長選挙を意識した現市長のパフォーマンスは、何かと手違いを引き起こすものです。

コロナは市長選の障害?

もう一つのコラム「つくばの市長選まで5カ月」では、「(現市長のほかに)保守系の現職県議が着々と(立候補の)準備を進めています」と書きました。こちらも、詳しくは青字部をクリックしてください。ところが、先月、この挑戦者は出馬を断念してしまいました。

政治家も政策も選挙で鍛えられます。現県議と現市長との激戦と読んでいただけに、残念です。戦線離脱の理由について、コロナ禍が長引き思うように活動できないと話しているそうですが、いろいろあったようです。準備はかなり進んでいたと聞きますから、この県議にとっては大きな政治的失点になります。新しい挑戦者の登場を待ちましょう。(経済ジャーナリスト)

《つくば法律日記》9 あおり運転と平和な車社会

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】あおり運転に対する罰則を強化する改正道路交通法が6月30日施行されました。

これまで、あおり運転という言葉に具体的な定義はありませんでした。かつては「安全運転していたら後ろからあおられたよ」みたいな使い方がしっくりきた方は多いのではないでしょうか。それが、痛ましい事件が起き、マスコミで様々な危険な運転のニュースが取り上げられるようになり、あおり運転とはなんだ?後ろからなのか前からなのか?などと、素朴な疑問が国民に生じているさなかの道交法改正です。

あおり運転として10の類型が定められています。車間距離不保持、急ブレーキ、割り込み、幅寄せや蛇行運転、不必要なクラクション等々。あくまでもこれらの運転を「交通を妨害させる目的で」ということになっているのですが、運転があまりうまくないせいで列挙されているような10の類型に当てはまる運転をしてしまう人もいそうで、悪気ない人が不利益を被らないかと若干心配になります。

道交法が改正されたことで、これらの類型を頭に入れて運転している人は,他の車両の運転にも目を光らせることでしょう。例えば、急な車線変更をした車を見かけた時に、それが初心者であったり、道に不案内であったせいでも、警察に通報されるようなことがあれば、初心者や慣れない土地で運転する人は、少し怖くなります。僕も首都高を走っていて、どこで高速を下りるかの判断を迷い、急に車線変更しなければならなくなった時に困るなあと心配になります。

さらに言うと、マスコミで取り上げられたような危険な運転をしている人に、10種類の類型のどれかに当てはまる車を見つけて、嫌がらせをするための武器を与えていないかと心配になります。

一番は思いやり運転

今回の道交法改正は、痛ましい事故の影響を受けている点で、飲酒運転の厳罰化とパラレルに語られることがあります。確かに、飲酒運転の厳罰化の経緯に、マスコミで重大な事故が取り上げられ、かつ当時の法律だと罰則が軽すぎるという事情があったことは、今回と同様です。しかし、飲酒運転は、厳罰化しても、交通ルールを守っている真面目なドライバーにとって何ら困ることはありません。また、僕の手元にデータがあるわけではありませんが、飲酒運転をしているドライバーが多かったことも事実なのだと思います。

しかし、今回の道交法改正に関しては、真面目ドライバーが運転をするのに不安を覚える可能性があると思います。また、悪質なドライバーがどれだけ多いかというデータをとって、国民の運転態度を制限することにしたのか、疑問があります。

ただ、車がないと生きていけない車社会に生きる僕の思いとしては、道交法が改正されたことは仕方ないとしても、その過程で、思いやり運転を推奨する議論をもっとしてほしかったです。

マスコミが取り上げた事例に、周囲の車に腹を立てて危険な運転をしている人がいましたが、実はその周囲の車に悪気はなく、運転技術があまり高くないだけの場合も多いです。そんな時、少し冷静になって他者を思いやれば、腹を立てずに済みます。

また、初心者や運転技術があまり高くない人への思いやり運転を心がけていれば,改正道交法を根拠にむげに他のドライバーを批難することも減るでしょう。車社会に身を置いて大切だと感じることは、個々の運転技術や注意力もさることながら、一番は思いやり運転です。

厳罰化がやむを得ない場合もありますが、「人を罰するよりも許すことの方がはるかに気高い」と言ったガンジーの言葉は、相手の表情が見えにくい車社会では、より当てはまるような気がします。あおり運転を減らそうとした改正道交法が、国民同士の罰し合いをあおらないことを祈るばかりです。(弁護士)