「ひきこもり」その2《看取り医者は見た!》29
【コラム・平野国美】今回は前回(10月4日掲載)の続きです。「ひきこもり」は、いつ、どこから現れたのか? 他国にも存在するのか? 単なる個人の病的な資質なのか?
家族主義がある韓国、イタリア、日本では「ひきこもり」の形態が多く、個人主義の米国、英国では子供が家から独立する傾向があるため、「ホームレス」の形態が多いと言います。つまり、この現象は個人の資質だけでなく、文化や生活習慣の影響を受けていると思われます。
「病理」という医学用語があります。病気の原因や成り立ちを研究する学問で、主に患者さんの病変部を採取した組織を顕微鏡で観察して診断をつける役割を果たしています。「ひきこもり」という現象は、顕微鏡の世界で理解できるものではありません。社会的病理と考えられるのではないでしょうか?
精神科医、斎藤環先生(筑波大学医学医療系社会精神保健学教授)は「ひきこもり」を「病」ではなく「状態」として捉え、社会的な要因が大きく影響していると指摘しています。
斎藤先生によると、日本のひきこもりは、家族主義だけでなく、社会の期待が強い文化背景が影響しており、個人が社会や家族の役に立たないと感じることがその一因と述べています。そして、社会からの孤立が問題の本質と強調されています。
そこは天国か? 地獄か?
日本の「ひきこもり」と欧米の「ホームレス」は似て非なるものなのか? それとも、孤立という同じものなのか? そこに文化的背景があるのか? 私の小学校の同級生に、この範疇(はんちゅう)に入る者の記憶がありません。中学校時代は1学年400名ほどでしたが、1人存在していたと思います。
自分が現在診察している高齢の方に、昔、こういう人はいましたか?と尋ねると、ほとんどの方が存在しなかったと答えます。文化背景の一つかも知れませんが、昭和、戦前の日本家屋を考えると、引きこもる場所もなかったと思います。6畳間に雑魚寝して生活する時代であったと思います。
実際、患者さんたちは、昔のことをこう話してくれます。「家も狭いし、家でゴロゴロしていると、親に外で遊んでこいと叱られた」と。戦後のある時代から、子供部屋というものが出現しました。当初はふすまや障子で仕切られた部屋であったと思います。
私も受験期に、そのような部屋をあてがわれました。そして、平成に入り、子供部屋がドアを持った構造、そして鍵が掛かり、テレビが1台。ある時から、そこにパソコンやゲーム機器が置かれるようになったと思います。20年前、2階の息子と母親が携帯電話で話す姿を見て奇妙に思えたことがあります。
そこは天国か? 地獄なのか? 家屋構造の変化も、「ひきこもり」を誘発したのではないでしょうか?(訪問診療医師)
自民、立憲、共産の三つどもえに 茨城6区 衆院選公示
第50回衆院選は15日公示され、27日の投開票に向けた12日間の選挙戦が始まった。茨城6区(つくば、土浦、石岡市など)で立候補を届け出たのは立憲前職で3期目を目指す党副幹事長の青山大人氏(45)、共産新人で党南部地区委員を務める元つくばみらい市議の間宮美知子氏(77)、自民前職で3期目を目指す元総務政務官の国光あやの氏(45)の3氏。
コロナ禍の前回2021年は、野党共闘により、国光氏と青山氏の一騎打ちとなったが、国光氏が約12万超と、青山氏を約1万2000票上回る得票を得て逃げ切った。青山氏は比例で復活当選した。今回と同じ三つどもえだった前々回2017年は、国光氏が約10万票超で初当選、青山氏(当時は希望の党)は約9万7000票ときん差で敗れたが、比例復活で初当選した。古沢喜幸氏(共産)は約2万票だった。
「望まぬ用途に税が使われるのを正す、大切な選挙」
青山大人 45 立憲前② 党副幹事長【略歴】土浦市出身、土浦一高、慶応大学経済学部卒。国会議員秘書、県議2期、2017年比例復活で初当選。党県総支部連合会代表、党幹事長部局副幹事長【公約】①時限的消費税減税など内需主導型経済対策②危機管理に投資しリスクを最小化②教育無償化、看護・介護・保育・教育現場の処遇改善など人への投資
青山氏は午前11時半、土浦市乙戸の街頭で第一声。土浦市議の下村寿郎氏、奥谷崇氏、矢口勝雄氏、栁澤健二氏らが応援に駆け付けた。
青山氏は今回の総選挙を「税の配分を問う重大な選挙」と位置付け、「物価、税金、社会保険などの負担がずるずると上がっている。政治全体を大局的に見て、一旦歯止めをかけるべき」と訴えた。一例が5年間で防衛費を43兆円増やす政府方針。「日本をとりまく安全保証環境の変化は承知しているが、必要に応じてではなく中身を何も決めていないうちに増額だけを勝手に決めるのはおかしい。霞ケ浦医療センターなどの旧国立病院はどこも老朽化で建て替えが必要で、国立病院機構では貯金を進めてきたが、それを防衛費に回すのは納得がいかない」
過去最高を更新する国の税収をどう経済再生に結び付けるか。その切り札が立憲民主党の消費税還付法案だという。「一度消費税をしっかり下げ、実質賃金が物価高を超える段階までは内需拡大を目指す」教育・子育てでは独自の国債発行を、農業では個別補償制度の充実を唱え、「裏金で脱税した議員らが自民党の公認をもらえずに出馬を取りやめたが、政治家とはそんな軽いものじゃない。政党のためではなく地元の声を国に届けるのが役割」と話した。この日は坂東市など県西方面を遊説後、土浦市のホテルで出陣式を行った。
「一人ひとりの懐を良くすれば経済は回る」
間宮美知子 77 共産新 党南部地区委員【略歴】つくばみらい市出身、東京都立大卒。東京都江戸川区、足立区の中学校教員。茨城県立養護学校教員。JICAシニアボランティア。つくばみらい市議1期。【公約】①戦争準備でなく平和構築を②物価高騰から暮らしと経済を立て直す改革を➂原発推進止め原発ゼロ、脱炭素社会に切り替え④人権が大切にされるジェンダー平等社会
間宮氏は午前10時、つくば市竹園の大清水公園で第一声。二見伸明元衆院議員が応援に駆け付け「間宮さんと一緒にやりたいことが3つある。東海第2原発の廃炉を実現する、日本を核武装に巻き込まない、食を守る、農業を守る」ことだと話した。
間宮氏は「石破さんが首相になった途端、解散総選挙をするのは、自民党候補が受かってしまえば裏金事件はちゃらになるという思惑から」だと批判。自身について「38年間教員をやって、50歳の時、母の介護のため教員を辞めた。介護のため自分の全財産を使ったので、10年間JICAのシニアボランティアをやった。大変だったが自分の支えになっている」などと話した。
さらに「今。物価高で、買い物の金額に驚く。年金は少しずつ減らされ、この夏暑くてクーラーの電気代に驚いた。庶民の生活実態を自民党の政治家に何としても分かってほしいという思いで立候補した」と述べ、「(共産党は)国民の生活、国民の暮らしを良くする方向に税金を使う。大幅な賃上げをし、消費税を5%に戻し、学費を値下げするなど、一人ひとりの懐を良くすれば経済が回っていく。自公政権はアメリカ言いなり、大企業言いなりで、軍事費の倍増計画を進めている。国民の生活と安全を守ることが政治」だなどと訴え支持を求めた。
「6号渋滞緩和、霞ケ浦医療センター整備など仕事する」
国光あやの 45 自民前② 元総務政務官= 公明推薦【略歴】山口県出身、長崎大学医学部卒。勤務医、厚労省医系技官、同保険局医療課課長補佐。2017年、丹羽雄哉氏の後継者として初当選。第2次岸田内閣で総務政務官。【公約】①物価等に連動した年金受給額のさらなる引き上げ②国道6号バイパスの整備促進➂霞ケ浦医療センターの整備実現
国光氏は午後3時から、土浦市藤沢、新治運動公園で出陣式。上川陽子前外相が応援に駆け付けた。厳重な警備体制が敷かれた中、上川氏は国光氏について「声なき声を聞ける人」と持ち上げ、「2期で大きな仕事をやってきた。大丈夫だろうでなく、3期だからこその壁を乗り越えさせていただきたい」などと支持を求めた。自民党の加藤明良参院議員、伊沢勝徳元県会議長のほか、公明党県本部幹事長の八島功男県議らも駆け付けた。
国光氏は「コロナから日常が戻ったが、次なる危機がやってきた。物価高にすべての人が困っている。何とかしたいと取り組んできた。バブル期以降、過去最大の年金引き上げを成し遂げたが、まだまだ足りない。来年4月もしっかり引き上げたい」などと述べた。地元の課題に対しては「県南は人口が伸びている地域だが渋滞がひどい。国道6号の渋滞を緩和したい。霞ケ浦医療センターの整備はコロナ禍で遅れてしまったが予算を確保することができ、内部から整備が始まっている。恋瀬川や桜川の河川整備も進めている」などと話し「私は皆さんの課題を解決する職人。しっかり仕事をしてなんぼのもの。仕事をする力はだれにも負けない」などと訴え支持を求めた。16日は岸田文雄前首相がつくばに駆け付ける。
もったいない(1)《デザインを考える》13
【コラム・三橋俊雄】里山で出会った「もったいない」についてお話ししようと思います。これは、モノの持つ本来の価値を大切にし、無駄にしないという考えです。「もったいない」は、ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんが世界に広めた言葉でもあります。
今回は、福島県の人口3000人ほどの過疎山村、三島町での桐(きり)の木の活用についてです。
この町では桐の栽培が400年も前から行われ、桐は「金の木」と呼ばれて大切な農家の財産として育てられてきました。町では、この貴重な桐の木を、小枝から幹、根にいたるまで無駄なく使い尽くす、伝統的なものづくりの知恵が生かされていました。(上図を参照してください)
桐の太さ2寸5分〜3寸(約7~9センチ)以下の残木(ざんき)と呼ばれる小枝は、小箱づくりに利用されました。また、薪(まき)は燃やすと火が柔らかくなり、豆腐づくりに最適であったと言われています。灰は肥料として畑にまかれ、トマトなどのアク抜きにも用いられました。
桐の幹部は、20〜25年ほど生長して直径7〜8寸(21~24センチ)となったものが桐箪笥(だんす)の板目として利用されました。さらに、30〜40年ほどのものは直径1尺2寸(36センチ)ほどにもなり、木目がきれいにそろった鏡板として高値で取り引きされました。
箪笥用に伐採された残りの桐の根の上部は、桐下駄(げた)や桐火鉢、生け花の台などに利用されました。また、「下駄尺」と呼ばれる根の上8寸(24センチ)ほどの幹部からは、男物の巾広の下駄材と女物の巾の狭い下駄材が切り出され、さらに、残った四隅の三角形の材からは高下駄の台が取られ、それに朴(ホオ)や橅(ブナ)の「刃」を付けて製品化されました。
最後に、桐の根を5〜6寸(15~18センチ)残した「ごんぼ根」からは新芽が育ち、「二才木」と呼ばれて、息子が生まれると記念樹として大切に育てられたということです。
一物全体活用
このように、かつての三島町には、桐を貴重な里の資源として余すところなく使い尽くす、「一物全体活用」と言われる「もったいない」の観念が根付いていました。
しかし、私が訪ねた1990年代には、桐箪笥や下駄材に使われる以外のほとんどが、野積みにされ焼却されるという状況でした。
人間は、厳しい自然に対峙(たいじ)しながらも、自然を積極的に働きかける対象としてとらえ、自然から生きる術(すべ)を学び取ってきました。その一例が、桐の一物全体活用という「もったいない」のデザインなのではないでしょうか。(ソーシャルデザイナー)
「蓮豚焼き」を新名物に 土浦商工会議所青年部が開発
土浦産のレンコンとしょうゆ、県産豚バラ肉を使った炒め物「蓮豚(れんとん)焼き」を土浦商工会議所青年部(土浦市中央 小椋直樹会長)が1年かけて開発した。土浦の新名物として今後、青年部会員が経営するお店を中心に売り出すことになっており、年内から提供するお店を決めていくという。
同市役所前の大屋根広場で11日開かれた「つちうら炭火焼きまつり2024」で、同青年部が発表した。
厚切りの豚バラ肉とレンコンを、しょうゆをベースにした甘辛のたれで炒めた料理で、しょうゆは地元の柴沼醬油醸造(同市虫掛 柴沼秀篤社長)の製品を使用した。レシピは、農水省の料理人顕彰制度「料理マスターズ」ブロンズ賞を昨年受賞した地元の料亭「よし町」(同市中央)の社長、木村英明さん(48)が監修した。
食べられるお店が意外とない
青年部の小椋直樹会長(45)は「土浦はレンコンが有名だが、意外と食べられるお店がない」とし「地元の人や遊びに来た人たちが、市内のいろいろなお店で土浦のレンコンを食べられるように新名物を作りたいという思いがあった」と話す。「蓮豚焼きは、ビールはもちろん、ご飯にも合うので小さなお子さんにもお薦めしたい」と語る。
試作品としてピリ辛味と甘辛味の2種類を作って7月の土浦キララまつり、8月の真鍋のまつりなどで提供し、食べた人にどちらがいいか投票を依頼した。その結果、人気だった甘辛味の蓮豚焼きを新名物とすることになった。
青年部の菅井歩美さん(40)は「メンバーたちでほぼ1年あれこれ悩んだ。全力投球で開発した。皆さんにおいしく食べていただけたら」と話す。(伊藤悦子)
世界で最初に飢えるのは日本《邑から日本を見る》169
【コラム・先﨑千尋】前回(9月23日掲載)に続いて、食の話題を提供する。先月29日、水戸市民会館で「食の安全保障」をテーマにした講演会が開かれた。タイトルは「世界で最初に飢えるのは日本」。ぎょっとするタイトルだ。しかも、この講演会を開いたのが、普段は農業とあまり関係がなさそうな水戸葵ライオンズクラブ(以下LC)だったから驚いた。
LCは、献血や地域の環境整備、災害復興支援などを行う、ボランティア活動を目的として結成された民間団体で、同クラブは結成60年を迎えるという。今回の講演会はその記念行事として行われたもので、鈴木宜弘東京大学大学院教授の講演とパネルディスカッションの2部構成。
講演で鈴木教授は「農産物のタネは90%が輸入。肥料の原料や畜産の飼料もほとんどが輸入に頼っている。日本の自給率は37%と言っているけれど、実質は10%を切っている。今や異常気象が通常気象になり、世界の農産物の供給は不安定だ。台湾有事など戦争の危機は高まっており、食糧は武器だ。ウクライナ戦争で食料争奪戦は激化しており、オイルと食料が日本に来なくなればお手上げだ。日本政府はそういう事態に、カネで買えばいいという前提で食料安全保障を考えているが、カネでは買えなくなり、物流が止まれば飢餓が待っている。不測の事態にトマホークとオスプレイで国を守れるのか」などと訴え、世界的視野に立った食料問題や、我が国の農政の問題点、有機農業の実態などを分かりやすく解説した。
有機が話題の中心に
パネルディスカッションには、高橋靖水戸市長、幡谷公朗水戸葵LC会長、秋山豊常陸農協組合長、地域住民代表の横山かおりさんが登壇し、それぞれの取り組みや食に対する思い入れなどが語られた。
高橋市長は「農業はカネで勘定できない。市民の健康や環境を守り、多面的機能もある。地元の飲食店で地元の食材を使う店を増やし、学校給食にも地元の農産物を増やしていき、有機農産物も使いたい」などと話した。
幡谷会長は「国防で一番大切なのは食料。国民を飢えさせないことが国防だ。台湾有事になれば、1カ月でスーパーの棚から食料品が消える。食料安保のために農家が再生産できる環境を整えるべきだ」と力説した。
秋山組合長は、常陸大宮市で有機農産物を学校給食に取り入れている事例を紹介しながら「有機農産物は値段が少し高いので、消費者になかなか買ってもらえない。スーパーでも高いから置かない。子どもを健全に育てるためには、学校給食に健全な野菜や米を提供することが大事なことだ。外国から持ってこられないものを我々は作っていく。水戸農協でも有機の取り組みが始まった。国をあてにするな」と話した。
3人の子どもを持つ横山さんは「食に関心を持つきっかけは妊娠、出産だった。赤ちゃんは母親の食べたもので育っていく。普通の消費者は食の危険性に気づいていない。原料の出自や内容がよく分からない加工品をなるべく使わずに、目の前にある食材で料理するように心がけている」と、自分の体験談を語った。
鈴木教授とパネリスト4人の話を聞いて、「世界で最初に飢えるのは日本」というタイトルが決してオーバーな表現ではないと感じた。中身の濃い企画だった。(元瓜連町長)
手製の本通じ思い伝えたい 9人の作家が作品展 つくば
25周年に
銅版画や木工、デザイン、イラストなどの創作活動に打ち込む9人の作家が、それぞれが作る手製の本を通じて思いを伝える作品展「ブックワームス15」が、つくば市天久保のギャラリーYで12日から始まった。各作家が作った本と、それぞれの専門分野の作品計約100点が展示されている。筑波大で芸術を学ぶ学生が中心になり1999年に始まった企画で、活動を始めて25周年になる。近年は2年に一度の開催で、今回が15回目の開催となる。
第1回から中心で活動し、同作品展を主催する画家で版画家の田中千夏さんは、25年間の活動を通じて「作家が本当に見せたい思いを本にしてきた。万人向けじゃないかもしれないが、流通する本にはない魅力がある。実際に手に取って作家の思いを感じてほしい」と語る。
本当に伝えたいことを形に
田中さんは、日々の暮らしで感じるささいなことを書き留め本にする。シリーズ化する「それがどうした」や「mousouroku(妄想録)」は、書き留めなければ暮らしの中で流れていってしまいそうなその時々の思いを「定点観測的」に記録したものだ。「振り返ってみると自分でも面白いような恥ずかしいような」と言いながら、「私にとって手製の本は、自分が今、『いいな』と思っていることを考え、伝える手段。流通に乗らないものだからこそ好きなことができるし、作家が本当に伝えたいことを形にできる」と話す。「何かを作っているのが好きで、ほっとくと何かを作っている。作らないとやっていけない」とも言い、手製の本とともに、大学で学んだ銅版画、木を使ったオブジェ、手芸品など多様な作品を展示する。
今年1月に、あかえだいずみの作家名で絵本「ミコばあちゃん」(あのねブックス)を出版した、つくば市在住の絵本作家、倉持いずみさんは、一緒に暮らす2匹の猫との暮らしを手書きの絵と文字で本にまとめた。手製本の魅力について「頭に浮かんだことを紙に書いてホチキスで止めるだけでも本になる。何かにとらわれず、自由に作れるのが魅力。毎回展示に向けて、質感の異なる紙や、色々な製本の仕方も試せるのが楽しい」と話す。
4回目の参加となる日本画家の丹野香織さんは、前回の企画でも展示した、空を飛ぶことを夢見る少年とロボットの交流を描いたオリジナルの絵本「スモールマン」を、紙質やとじ方、サイズを変えて製本した3種類の本を展示する。「物語自体は変わらなくても、素材や本の形が変われば、ものとしての価値や意味が変化する」と話す。
石岡市の木工作家で画家の小田島久則さんは、知人のアイディアがきっかけになり、自身が油絵で描いたクマなどの動物をもとに絵本を作った。本の中には文字はなく、本を見た人が自由にセリフやストーリーを書き加えてオリジナルの一冊にすることができる。「これまでに4人の子どもが、自分でストーリーを書いてくれた。それぞれ、話が異なり個性が出ていて面白かった」と語る。
その他、40代で経験した自身の妊娠・出産体験を「母親学級」というタイトルで108ページの漫画にした、あべようこさんや、ダンボールの素材を生かした筑波大学芸術学系の元教授、笹本純さんらの作品が並ぶ。
田中さんは「本は、絵のようにパッと見てある一面が見えるものではなく、ページをめくることで物語としての深みや奥行き、時間の推移を感じる見せ方ができる。子ども向けの本だけでなくて、アーティストブックとしてさまざまなチャレンジができると思っている」と手製の本の魅力を語り、「25年続けて、一緒にやってきた人たちがそれぞれ歳を重ね、作品も変化している」とし、「作家が本当に見せたいものを、売れるかどうかを基準に考えずに作っている。その良さを実際に手に取って感じてほしい」と呼び掛ける。(柴田大輔)
◆「ブックワームス(Book Worms)15」は12日(土)から20日(日)、つくば市天久保1丁目のギャラリーYで開催。開館時間は午前11時から午後7時(最終日は午後6時)まで。詳しくは、同ギャラリーのホームページへ。
子供たち150人が仮装行列 26日 つちうらハロウィン
31日のハロウィンを前に、「つちうらハロウィン2024」が26日、土浦駅周辺で開催される。約150人の子供たちが仮装して、駅前のアルカス広場から川口町バス停前広場まで中心市街地約350メートルを行進する。
街中ににぎわいをつくろうと、コミュニティバス「キララちゃんバス」を運行するNPOまちづくり活性化土浦(同市中央、横山恭教理事長)が2015年から開催している。
子供たちは仮装行列の後、スタンプラリーを行い、各自自由に店舗を回ってお菓子をもらう。参加者150人はすでに定員に達している。つちうらハロウィンに協賛する店舗や施設は、国道125号沿い、中城通り、本町通り、モール505内など49カ所となっている。
同NPOの金澤敦子さんは「募集後、2日で定員に達した。2015年から始めたつちうらハロウィンが地元に定着してきてうれしい」とし「思い思いの仮装を楽しんでいただくことはもちろん、スタンプラリーで土浦にたくさん素敵なお店があるという発見もしてほしい」と語った。
高校生がイラスト、ラッピングバス運行
つちうらハロウィンを前に、同市内では9月11日から、市内の高校生3人が描いたハロウィンのイラスト3点をそれぞれラッピングしたバスが3コースで運行している。同NPOが今年7月、市内の高校生に向けて初めてポスターデザインコンテストを開催し、最優秀賞に選ばれた土浦三高1年の赤見美和さんと、入賞した同校1年の飯塚杏奈さん、土浦一高の3年の青木淑香さんが描いたイラストをラッピングした。
赤見さんのイラストは同法人のキャラクター、キララちゃんがドーナツを食べているところを見つかって慌てているシーンを描いた。赤見さんは「とにかくかわいいキララちゃんを描きたかった。構図をパッと思いついて、タブレットを使って7時間くらいで描いた」と話す。赤見さんのイラストはバスのラッピングのほか、今年のつちうらハロウィンのポスターにも使用されている。(伊藤悦子)
◆つちうらハロウィン2024 26日(土)午後1時30分~午後4時30分開催。小雨決行。開会式と全体記念撮影のあと、仮装行列とスタンプラリーを行う。終了後アルカス広場に再集合し、仮装の表彰式と閉会式を行う。参加者は事前登録済。詳しくは電話029-826-1771(まちづくり活性化土浦)へ。
雨情とつくばセンタービル《映画探偵団》81
【コラム・冠木新市】2025年にやる『雨情からのメッセージⅢ』のイベントを準備中である。10月26日には、依頼を受け『つくつくつくばの七不思議/つくばセンタービルの事件簿』の講演をする。一見、雨情とつくばセンタービルとは関係ないようだが、私の中では七不思議とつながっている。
当初11月の開催予定が10月になった。26日は、つくば市長・市議選挙の前日に当たる。きっと各候補者がセンタービル付近に集まりにぎやかになることだろう。
1985年、つくば科学博覧会が開かれた年に、ロバート・ゼメキス監督のSF映画『バック・トゥ・ザ・フュ一チャ一』が公開された。時は1985年、所はカリフォルニア州ヒルバレー(架空の都市)。高校生のマ一ティは、ドク博士が全財産をつぎこみ製作した車型タイムマシーン・デロリアンで過去へとタイムスリップする。
その記念すべき日が10月26日なのだ。また着いた1955年の町では、市長選の真っ最中である。講演日と市長選の現実が映画の内容と偶然に重なる。
雨情との対話
そんなある日、夢を見た。センタービルでタバコをのむ小柄なちょびひげの壮年を見かけた。
「あのー、もしかして野口雨情さんではありませんか?」
「いやぁ、これは初めまして。野口雨情でやんす。『筑波節』を広める活動をしているあなたがセンタービルの話をすると聞き、あの世からやって来たのでやんすよ」
「恐縮です。でも雨情さん、ここは禁煙なんですが…」
「おや、これは失礼。水戸芸術館には喫煙場がありましたがな」
「水戸芸術館にも行かれたのですか」
「行きやした。私は建築の専門家ではありませんが、磯崎新さん設計のセンタービルと水戸芸術館は対の構造になっている感じがしましたな」
「センタービルの印象はいかがですか」
「見た目は西洋風ですが、中心の何も無い虚(うつ)ろな広場を見ていると、極めて日本的な建物だと思いやんした」
「実は4年前、広場に屋根やエスカレーターを付けたり、外壁を変えたり、階段を削ったり、10億円弱かけた改造計画がありました」(映画探偵団33参照)
「えっ、少しも古くなってないじゃありませんか。で、どうなりました」
「市民の反対を受けて、改造計画は撤回され、内装のみとなりました」
「それはようござんした。用意された改造費用もだいぶ節約になったんでござんしょう」
「それが、屋根やエスカレーターがなくなっても、予算は変わらずでした」
「う一ん、しかし選挙があるみたいですから、改造計画を進めた議員さんは、市民から批判を浴びるのではありませんか」
「さぁー、どうでしょうか。日本人は忘れぽいですからね。『筑波節』を作曲した藤井清水さんは、『私は地味でも(略)どこまでも日本人の音楽を創っていく。百年後には理解する人も出てくるであろう』と言われましたが、筑波節はあと5年、センタービルはあと60年ぐらいかかるのではないでしょうか」
「私の歌を知る人も少なくなりましたか?」
「雨情さんの童謡は今でも歌われていますよ」
「だが私の民謡を知る人は少ない」
「でも雨情さん、歌も建物も愛する人が1人でもいれば、いつかきっと理解する人が現れてくると思います」
「ありがとうさん。ところでセンタービルを設計した磯崎さんは?」
「2年前に亡くなりました。亡くなる前に、センタービルを守ってくれてありがとう、との伝言がありました」
「それはようござんした。今度、磯崎さんと会って話をしてみましょう。サイコドンハ トコヤン サノセ」
「あ、先に言われちゃった」(脚本家)
◆講演『つくつくつくばの七不思議/つくばセンタービルの事件簿』 日時:2024年10月26日(土)10時30分〜12時 場所:つくば駅前コリドイオ大会議室 参加費:1000円 申込先:cocolabo.2024@gmail.com 090-8315-3775(町田)
巨大化する災害にこそ研究連携で 防災科研呼び掛け11機関勢ぞろい
能登半島地震の観測や調査、復旧支援などに関わったつくばの研究機関が一堂に会し、それぞれの取り組みを報告し、なお巨大化する災害に対する連携を模索する特別セッションが11日、都内で開かれた。防災科研(つくば市天王台、寶馨理事長)の研究成果発表会「国土の安全と防災連携」の冒頭で行われた。筑波研究学園都市交流協議会(筑協、福田敬大会長)が全面協力し、関係省庁の垣根を越えて11機関が参集した。防災科研によれば、これまでにない規模での横断企画で、会場となった東京国際フォーラムには約250人、オンラインで約300人が参加した。1月1日の地震発生直後から、宇宙航空研究開発機構(JAXA)や国土地理院は動き、それぞれ陸域観測技術衛星「だいち2号」(ALOS-2)による土砂移動情報、空中写真撮影による斜面崩壊や陸地化変動などを把握して国の対策本部に報告。気象研究所では気象庁機動調査班(JMA-MOT)による津波の高さの測定など行った。その後早い段階で研究者が現地入りし、産総研は調査で最大4メートルの海底隆起が観測されたことから海底活断層の動きを評価した。既知の活断層の再活動ととらえられたが、海岸段丘に2メートルもの隆起が見られたことから数百年に一度起こる活動にとどまらない1000年オーダーでとらえるべき地震だったとした。復旧支援には国総研、土木研、建築研などのチームが現地入り。インフラの復旧や崩壊トンネルの調査などに当たった。これらの作業にはJAXAの提供するALOS(陸域観測技術衛星)や地理院の航空レーダー測量などのデータが大きく役立ったという。農研機構は主に農村工学研究部門が職員を派遣し技術支援に当たった。森林総研は海岸の隆起に伴う飛砂対策、国環研は300万トンを超えると見積もられる災害廃棄物の処分対策などを自治体の職員向けに発信するなどした。
筑協を介し開催を呼び掛けた防災科研の宝馨理事長は「地震に始まった今年は、豪雨や猛暑が続いた。災害対策は従来100年から200年に一度のレベル1を想定してきたが、これからは経験したことのない記録破りのレベル2の災害に対する備えも必要になってくる。研究の方も連携して、巨大災害、有事に対応しなければならない」と述べた。防災科研は研究機関との連携による災害・防災の研究をさらに推進する構えだが、今回を契機につくばで多様なテーマでの連携が進むことを期待している。 (相澤冬樹)
レスリングの大沢友博さんを悼む《竹林亭日乗》21
【コラム・片岡英明】9月12日、霞ケ浦高校でレスリング部の監督をしていた大沢友博さんが69歳で亡くなった。日本レスリング協会はすぐに「高校レスリング界に不滅の金字塔~大沢友博氏が死去」とHPに掲載。告別式には教え子の樋口黎さん(2014年卒)のパリでの金メダルを胸にかけた写真が飾られた。大沢さんの努力がパリまで届いたなと感じた。
世間では「高校レスリング界の名匠」(レスリング協会のHP)と称されていたが、今回コラムでは大沢友博さんを悼むとともに、彼のレスリング部での出発点を紹介し、若手教師を励ましたい。
体育館の片隅のマット2枚から
大沢さんは1977年、霞ケ浦高校の教諭となった。私も同期で、共に定年まで勤めた。1980年の最初の卒業生は、彼が3組、私は4組の担任。テストの採点をしながら、遅くまで職員室で語り合った。
最初は柔道部顧問だったが、彼はすぐにレスリング部づくりを始めた。八丈島出身で、東京の正則高校から日本体育大学に進んだ彼は、八丈島のレスリング道場で体験した厳しさの中にある楽しさを、部活を通して生徒に伝えようとしていた。
最初の年の夏前には、体育館の隅に体操用マット2枚を広げ、担任に「この生徒を私が面倒みます」と、3人ほど集めて練習を開始。すると部員たちが大きく成長し、大沢さんの指導力を皆が認めた。
部活の伝統校などでは、すでに道があるところを歩む教師が多い。また、部活の顧問から練習条件が悪いと「これでは練習できない」との愚痴も聞く。しかし、彼は部活がないところで、体育館のマット2枚からレスリング部を始め、部員も一人ひとりに声をかけ、自分で集めた。
「やってみなはれ!」の精神
現在、文科省は探求心や創造性を生徒・教師に求めている。創造性を求めるとは「やってみなはれ!」の精神で教師のチャレンジを学校が受けとめるということだ。それならば、愚痴のひとつも言いたい学校の中でも、今こそ教師自身の創造性を発揮するときではないか。
多忙な毎日と管理疲れを癒すには、問いかけに始まる対話を通して生徒の願いをつかむことにある。大沢さんのように、どこか一点からでもチャレンジし、目の前の授業や部活で個性的な実践に取り組んでほしい。生徒・保護者はそれを待っている。「やってみなはれ!」
2年目には、シューズやウエアも整え、レスリングのマットシートも用意された。その後、武道館ができて旧柔道場がレスリング道場となった。その古い木造の道場から大沢レスリング部は10年目の1986年インターハイで優勝した。
悪条件の中でも、いつも生徒と汗を流し、応援する教職員を増やした。そうして、レスリングの自分の原点を次の世代につなげようと、体育館の片隅のマット2枚からパリの金メダルまで突き抜けたのだ。
葬儀で息子さんが「レスリングの生徒はどこかいいところがあるんだよ」との言葉を紹介した。その言葉には、生徒へのぬくもりや可能性への深い信頼が現れているような気がした。大沢友博さん、ありがとう。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)
