火曜日, 10月 6, 2026
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雨情とつくばセンタービル《映画探偵団》81

【コラム・冠木新市】2025年にやる『雨情からのメッセージⅢ』のイベントを準備中である。10月26日には、依頼を受け『つくつくつくばの七不思議/つくばセンタービルの事件簿』の講演をする。一見、雨情とつくばセンタービルとは関係ないようだが、私の中では七不思議とつながっている。

当初11月の開催予定が10月になった。26日は、つくば市長・市議選挙の前日に当たる。きっと各候補者がセンタービル付近に集まりにぎやかになることだろう。

1985年、つくば科学博覧会が開かれた年に、ロバート・ゼメキス監督のSF映画『バック・トゥ・ザ・フュ一チャ一』が公開された。時は1985年、所はカリフォルニア州ヒルバレー(架空の都市)。高校生のマ一ティは、ドク博士が全財産をつぎこみ製作した車型タイムマシーン・デロリアンで過去へとタイムスリップする。

その記念すべき日が10月26日なのだ。また着いた1955年の町では、市長選の真っ最中である。講演日と市長選の現実が映画の内容と偶然に重なる。

雨情との対話

そんなある日、夢を見た。センタービルでタバコをのむ小柄なちょびひげの壮年を見かけた。

「あのー、もしかして野口雨情さんではありませんか?」

「いやぁ、これは初めまして。野口雨情でやんす。『筑波節』を広める活動をしているあなたがセンタービルの話をすると聞き、あの世からやって来たのでやんすよ」

「恐縮です。でも雨情さん、ここは禁煙なんですが…」

「おや、これは失礼。水戸芸術館には喫煙場がありましたがな」

「水戸芸術館にも行かれたのですか」

「行きやした。私は建築の専門家ではありませんが、磯崎新さん設計のセンタービルと水戸芸術館は対の構造になっている感じがしましたな」

「センタービルの印象はいかがですか」

「見た目は西洋風ですが、中心の何も無い虚(うつ)ろな広場を見ていると、極めて日本的な建物だと思いやんした」

「実は4年前、広場に屋根やエスカレーターを付けたり、外壁を変えたり、階段を削ったり、10億円弱かけた改造計画がありました」(映画探偵団33参照)

「えっ、少しも古くなってないじゃありませんか。で、どうなりました」

「市民の反対を受けて、改造計画は撤回され、内装のみとなりました」

「それはようござんした。用意された改造費用もだいぶ節約になったんでござんしょう」

「それが、屋根やエスカレーターがなくなっても、予算は変わらずでした」

「う一ん、しかし選挙があるみたいですから、改造計画を進めた議員さんは、市民から批判を浴びるのではありませんか」

「さぁー、どうでしょうか。日本人は忘れぽいですからね。『筑波節』を作曲した藤井清水さんは、『私は地味でも(略)どこまでも日本人の音楽を創っていく。百年後には理解する人も出てくるであろう』と言われましたが、筑波節はあと5年、センタービルはあと60年ぐらいかかるのではないでしょうか」

「私の歌を知る人も少なくなりましたか?」

「雨情さんの童謡は今でも歌われていますよ」

「だが私の民謡を知る人は少ない」

「でも雨情さん、歌も建物も愛する人が1人でもいれば、いつかきっと理解する人が現れてくると思います」

「ありがとうさん。ところでセンタービルを設計した磯崎さんは?」

「2年前に亡くなりました。亡くなる前に、センタービルを守ってくれてありがとう、との伝言がありました」

「それはようござんした。今度、磯崎さんと会って話をしてみましょう。サイコドンハ トコヤン サノセ」

「あ、先に言われちゃった」(脚本家)

◆講演『つくつくつくばの七不思議/つくばセンタービルの事件簿』
 日時:2024年10月26日(土)10時30分〜12時
 場所:つくば駅前コリドイオ大会議室
 参加費:1000円
 申込先:cocolabo.2024@gmail.com 090-8315-3775(町田)

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