水曜日, 12月 31, 2025
ホーム ブログ ページ 96

大学生が作る小さなお風呂 筑波山の古民家宿泊施設に今秋完成

0
学生たちがお風呂作りをしている現場=つくば市筑波

筑波山の南麓から関東平野を一望するロケーションに、法政大学デザイン工学部建築学科の学生が乗り込んで、小さいながらも解放感いっぱいのお風呂を作っている。築130年の古民家をリフォームした宿泊施設「旧小林邸ひととき」の前庭だ。約10平方メートルの広さだが、宿泊客やコワーキングスペース利用の滞在者のみならず、地元住民や観光客の利用も想定、ことし秋の完成を予定している。

旧小林家は江戸時代から続く米問屋で、明治時代に筑波山のケーブルカーや筑波鉄道を作ることに尽力した資産家という。空き家となっていた古民家をGoUp(野堀真哉社長)が買い取り、リノベーションして2020年にオープンした。2階建ての母屋で宿泊ができ、ハナレにはコワーキングスペースを置いている。

赤松研究室の学生たち=旧小林邸ひとときの母屋前(法政大学赤松研究室提供)

お風呂建設に携わるのは法政大学デザイン工学部建築学科、赤松研究室(赤松佳珠子教授)の学生で、ゼミの一環として作業を進めている。延べ人員は37人だが、1日に3、4人が代わるがわる筑波山に来て、工事に当たっている。大学の決まりで泊まることが出来ないので少し効率が悪いという。

現場は斜面地のため狭あいで、建物配置には苦労する(同)

お風呂には「ゆりゆら」と名前をつけた。現在、建屋の作成中で、枠組みが出来た段階。脱衣所と浴室の面積は約10平方メートルと小さめだが、浴室には3人が入れる。外気浴の出来る約11平方メートルの中庭を介して2棟に別れた構成とし、小さいながらも開放的なおふろ空間を作り出す。竹、筑波石、瓦屋根、竹あかりなど、つくばの地元ならではの素材を用い、地域産業に根付いた計画をした。

設計にあたり、研究室では2021年から1年かけて、7つのグループに分かれてプロポーザルを行い、設計・プレゼンをした。赤松教授や地元の専門家の意見を参考にし、議論した上で最優秀を決めた。最優秀になったプレゼン案は全員で細かいプランに落とし込み、具体的に進めていくことになった。22年度にはクラウドファウンディングを呼び掛け、50万円の目標に対し約75万円が集まり、建設の一部に充てられる。

建築の仕事は初体験「道具は重いし…」

赤松研究室では10年前から「つくばプロジェクト」と称し、筑波山の中腹、通称「西山道」と呼ばれる登山道周辺の地域おこしに取り組んできた。つくば道から分岐して直線的に中腹の筑波山神社直下まで上る急斜面の一帯だが、ここからの展望を好んだ資産家たちが建てた古民家が所在する。

旧小林邸を少し上ったところには古民家「大越邸」があり、1960年代以降、使われず廃れてしまっていた。子の杉原洋子さん、孫の由樹子さんの代から手を加えることで、新しく生まれ変わらせようという試みが始まった。由樹子さんは赤松研究室1期生で、改修工事を申し出て、学生が定期的に筑波を訪れるようになった。クラブハウスとして、春秋の筑波山神社御座替祭には休憩所として利用されるようになった。

法政大学大学院1年の太田一誠さん

つくば(旧豊里町)生まれの野堀さん(38)は2015年に、同神社参道入り口近くで「Cafe日升庵」の営業を始めた。さらに、日帰りしない観光地とされる筑波山にあって、ホテルに泊まり1日筑波山を楽しんで欲しいという意図から「旧小林邸ひととき」に取り組んだ。開業以降、赤松研究室の大越邸での活動を見ていた野堀さんから声を掛け、今回建設に賛同を得た。

実際に工事にあたっている、大学院1年の太田一誠さん(23)は「本来は設計が専門なのだが、建築の仕事は初体験だったので作業は大変だった。道具は重いし、扱い方も難しい、改めて職人の凄さを痛感した。現場の仕事を体験したことによって、将来必ず役に立つと思う。筑波山麓秋祭りでワークショップを開催するのでそれまでは完成したい」と述べる。(榎田智司)

税収予測の悩ましさ・融通むげ 《文京町便り》17

2
土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】岸田政権は、内閣支持率がなかなか好転しない中、重要な施策にも取り組んでいる。通常国会の会期末(2023年6月)だけでも、次元の異なる少子化対策、防衛財源確保法や骨太方針2023などがある。衆議院の解散風が吹いていたにしては、問題提起・頭出しだけでも重みのあるテーマである。

それを進めるうえで問題になるのは財源・税収の目途(めど)だが、これらの中長期施策では現時点では具体的ではない。そこで野党は、これらの施策の実現可能性には疑問を示している。

毎年度の次年度予算編成の流れは、以下のようである。経済財政諮問会議の骨太方針(6月)、財務省からの予算編成方針(初夏)、各省庁から夏過ぎに歳出に関する概算要求が出され、財務省主計局(および総務省)による予算査定の終盤に(晩秋)、財務省主税局(および総務省)から次年度の税収予測が明らかになる。その前提あるいはフィードバックとして、翌年度の経済成長(GDP成長率)の見通しがセットになる。

これらの予算案・見通しは三位一体の関係にある。どのような施策を行うかでGDPは変化する(施策⇒GDP)、そのGDP次第で税収見積もりは変動する(GDP⇒税収)。同時に、税制・税収いかんでGDPも変わってくる(税収⇒GDP)。

したがって、これらの作業は(翌年度予算編成の最終段階である)12月に同時に進行する。ここで重要になるGDPは名目値である(物価上昇率やGDPデフレーターを差し引いた実質値ではない)。なぜなら税収額が名目値だからである。マクロ計量経済モデル・予測で重視される実質値ベースとは、一線を画すゆえんである。

タナボタ税収はその年度で配分?

税収予測で悩ましいのは、税収の自然増収をどう見込むか、である。経済学の基本概念に税収の所得弾力性(税収の増加率を分子に、課税標準・GDPの増加率(税収の増加を分子に、課税標準・GDPの増加を分母にした割り算)があるが、これは一般的・標準的には1以上である(要するに、課税標準・GDPの伸び以上に税収は増える)。

例えば、法人税を筆頭に所得税や消費税などの主要税目は、税収の所得弾力性は1.1以上である。これは、税務当局にとっては自然体(作為の無い)の増収である。だが納税者にとっては、追加的な余分の税負担である。

しかし、作意が込められる可能性もある。税務当局としては次年度GDP成長率を慎重に見て、次年度税収見込み額を控えめにし、財務省全体で次年度歳出予算の膨張に歯止めをかけようとしているかもしれない。しかし、翌年度は想定上に景気が回復して税収は順調に伸びる(当初予算額を超える)かもしれない。

この増収分も自然増収というが、このタナボタ税収は当該年度で配分される(当初予算歳出額が増額される)可能性がある。

一般会計税収の当初予算と決算の食い違いを対前年度伸び率で比べると、2019年度6.6%増・3.2%減、2020年度1.6%増・4.1%増、2021年度9.5%減・10.2%増、2022年度13.6%増・6.1%増、・決算値は不確定、2023年度6.4%増・予算執行中、という実績である。したがって、一般会計税収の2020年度・21年度ではコロナ禍でも、いずれも、当初予算で想定した以上の決算額が実現していた。

この再現(当初予算額以上の税収額の見込み)を2022年度~24年度で狙っているとすれば、岸田政権の衣の下もおのずから透けてくる。2023年度予算の執行状況が見極められる23年末に、財源の目途をつけると言っているゆえんかもしれない。(専修大学名誉教授)

小中学校のHP再開12月に つくば市 不正アクセスで停止

16
廃校になった旧大形小学校にある市総合教育研究所=つくば市大形

不正アクセスにより今年1月から閲覧できない状態になっているつくば市内全ての公立小中学校と義務教育学校48校のホームページ(HP)について、再び閲覧できるのは今年12月になる見通しであることが分かった。停止期間は異例の11カ月間に及ぶ。

小中学校などの教育情報ネットワークを管理運営している市総合教育研究所(同市大形)によると、各学校のこれまでのHPは同教育研究所が管理していたが、24時間監視できないなどから、これまでのHPを廃止し、新たに専門業者に委託する。8月以降、各学校で新しいHPを作り直して、12月から再び閲覧できるようにする。

6月議会最終日の23日、2023年度から28年度まで5年間の業務を専門業者に委託する予算と債務負担行為合わせて約2300万円を計上した。8月に委託業者の一般競争入札を実施し、契約後、各学校のHPを作り、12月再開を目指す。専門業者に委託することにより常に最新のセキュリティー情報を認識し不具体への対応を適切かつ迅速に実施するとしている。

不正アクセス後、同教育研究所が3月までに実施した調査によると、今年1月3日午後、香港のIPアドレスから侵入を受け、市内にある公立小中学校と義務教育学校計45校(当時)すべてのHPのログインIDとパスワードが書き換えられた。画面の改ざんなどはなかった。だれが、何の目的で不正アクセスし、ログインIDなどを書き換えたかは分からなったという。

不正アクセスを受け同教育研究所は1月5日、すべての小中学校HPを閲覧できないようにし、さらに11日、すべての学校のHPを停止した(1月11日付)。

HPが閲覧できなくなって以降、市教育局は各学校の必要な情報を市役所のHPに掲載しているほか、保護者にはデジタル連絡ツールを活用するなどして日々の連絡手段を確保しているという。

一方、卒業生や地域住民、新たに転入を希望する児童生徒や保護者には、学校生活の特色や現在の様子が分からないため、様子を知りたいなどの問い合わせがあるという。

同教育研究所の山田聡所長は「ご不便をお掛けしお詫びします。今後は安全で安心なセキュリティーを確保した上で再構築させていただきます」としている。(鈴木宏子)

眼鼻について 《写真だいすき》21

0
カッと見開いた眼や寝ているのか起きているのかわからないような眼もある=写真は筆者

【コラム・オダギ秀】人を表すには、写真にせよ絵画にせよ、眼鼻の表現が大切だ。眼鼻が見えないと、どんなヤツかわからん。とくに眼が、どんなふうに表現されているかが、とにかく大切。こんな眼付きじゃ犯人みたいだぜ、なんて言われる。

「眼を開けている時に撮ってね」

仏像の場合は、眼の表現、つまり眼の形や造形方法によって、制作意図や時代などが推定されることが多い。多くはその仏像の持つ意味などが表わされる。だがボクが、好きで、しばしば撮影している石仏の場合は、一般の仏像より、何かと困ることがある。石仏は、そのほとんどが、開いているか半眼か、どちらかなのだ。

石仏は、まずほとんどは、仏像制作の専門家である仏師が彫ったものではなく、石屋さん、つまり石塀や庭石、墓石を扱う石切場の石工が彫っているし、頻繁に彫仏の仕事があるわけでもないから、それほど詳しい知識もなければ工法にも大きな差のある技術があるわけでもないことが多い。

いくつかのポイントを寺の僧侶などに教えてもらい、それによって彫ることが多かった。だから、地蔵さまなど、よく注文される仏さまの眼は、教えられたように半眼にする、となる。半眼とは、瞑想(めいそう)している眼で、開いていれば雑念が見え過ぎ、閉じていれば寝てしまったようだから、半眼ということなのだ。細く開いた、半分だけ開いた眼だ。

だから、眠っているようでなく、開いているようでなく撮る。ちゃんとそう彫ってあれば、撮影も難しいことではない。

むかし、「♬今日でお別れね」と歌った眼の細い歌手を撮った時は、「ボクはいつも眼を閉じた時に撮られちゃうの、眼を開けている時に撮ってね」と言われたが、半眼でない、ただ細い眼は、どうしても閉じたような眼になってしまう。だから、思いっきり開けて歌えよ、と思ったが、石仏の場合は、寝てないように、人間臭いギョロリ眼にならぬように撮る。

するとありがた味がきちんと写る。しかも動いていない。だから簡単な撮影と言われそうだが、そういうワケでもない。と言うのは…。

すごい眼を見せるモデルさん

仏像はもちろんだが、人の顔というのは、眼鼻をどう撮るかの表現で、大きく変わる。じつはカメラの位置が数センチ、ほんの5センチぐらい違うだけで、変わってしまう。魅力的にも嫌らしい顔にも撮れるのだ。その狙い通りのドンピシャの位置を見つけるのが大変。だが面白い。楽しい仕事とも言える。一般的には、眼鼻を撮る難しさなんてわからないから、勝手な言葉で評されている。

優れたモデルさんは、もちろん、眼の重要さはよくわかっていて、シャッターを切る瞬間がわかるらしい。今だ、とシャッターを切ろうとすると、その瞬間、それまで何でもなかった眼がキラリと光ったり、狙った眼になるのだ。いい眼だからシャッターなのではなく、シャッターを切ろうとする瞬間、さらにいい眼になるのだ。「だって、シャッター切る瞬間って、わかるわよ」なんて笑っていた。

もっとも、そのことがわからぬカメラマンもいるのだが、すごい眼を見せるモデルさんは、本能なのか、感覚が鋭いのか、はたまた努力なのか、すごいもんだと思う。「は〜い、チーズ」なんて声をかけられて写真を撮ってもらっているうちは、ちゃんとしたモデルにはなれないってことだよ。あなたは?(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

「3年後、海外旅行に行こう」《続・平熱日記》136

2
絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】妻が亡くなってから次女とメールのやり取りをするようになった。それまではほとんど連絡を取ることがなかったのに…。とはいえ、何を食べたとかどこに行ったとかというような他愛もない内容で、でもそんなことのやり取りをしていたら、本当に突然に次女と海外旅行に行くことを思いついた。なんとなく3年後ぐらいに。

何年も先のことを考えて予定を立てるという能力がない。目の前のこと、とりあえず明日のことを考えて暮らすのが精いっぱいだったからだろう。例えば、割と年を取ってからも次のオリンピックが開かれる頃はどこで何をしているやら、などと考えていた。

しかしここにきて、そろそろ日雇い先生もお払い箱が近くなってきたし、3年後ぐらいには立派な年金受給者になっているはずだ。それから次女は妻と毎年旅行をしていたことも思い出した。果たして次女は私の旅のお供をしてくれるだろうか。

「海外旅行いこう」「なんで?どこに?」「理由はない。3年後。どこか行きたいところある?」「マルタ、フランス、イギリス、ギリシャ…」「わしはクロアチアと…、とりあえず全部行っとくか」

体力をつけておく―私は本気だ

パスポート探してみた。懐かしい昔のでっかい赤いやつ。写真が若い。それから小ぶりになった10年パスポート。最後に行ったのはスウェーデン。もう20年以上前。そういえば、最近なにやらパスポート申請をしたら抽選で割引になるとか聞いた。

マイナポイントとかもそうだが、お上は最近こういうのが好きね。でもなんか、不公平な感じ。まあそれで文句もないけど。例えば旅館で机いっぱいに並べられた豪華な夕食が苦手。どこに入ったらいいかわかんないベッドがダメ。そば殻の枕派。もちろんパックツアーは無理。ゆえにゴートゥーナンチャラの恩恵も受けることもない。

風呂敷ひとつ持ってというのが理想。パンツ2枚シャツ2枚。幸い貧乏にも旅にも慣れている。ところで、今はどうやってお金払うのかな。カード? なにせトラベラーズチェックの時代だから。スマホがあれば地図や時刻表も要らないということか。まあその辺も含めて老いては子に従え、ってことか。

朝、SNSに妻の誕生日の通知が届いてちょっと戸惑う。アカウントを閉じた方がいいのだろうが…。その夜、というか翌朝?3時ごろ目が覚めてしまった。次女からメールが来ていて妻の誕生日だったことに触れていたので、返信したらすぐに返事が来た。「まだ起きている?」「これから寝るところ」。どうやら東京と茨城にも時差があるらしい。

さて今年の厄払い、胃カメラ様を飲み込む儀式が無事に終わり、結果は極めて健康体。ということで明日は草刈りのアルバイト。明後日は…、そして3年後は…。体力だけはつけておかないと。次女はどう思ったか知らないが、私は本気だ。(画家)

「いのちを生きる」会津・小林さんの写真集《邑から日本を見る》138

0
小林芳正写真集の表紙

【コラム・先﨑千尋】「有機農業は生き方だ」。農協陣営での有機農業運動のカリスマだった小林芳正さんは日頃そう語り、宮沢賢治を人生の理想としていた。小林さんは、福島県熱塩加納村(あつしおかのうむら=現・喜多方市)農協の営農指導員として有機農業を、一個人としてではなく、地域ぐるみの取り組み(面的展開)として進めた。学校給食にも有機栽培の米や野菜を提供し続けた。

また、農業だけでなく、地域社会づくりや農村文化の向上にも力を尽くした。百合の一種である可憐なひめさゆりを植え、年中行事や伝統食・保存食を伝え、残すことに努力した。「ひめさゆり群生地」は、今では30数万本ものひめさゆりが咲きそろい、観光客を呼ぶ。農村の普通の景色や生き物の姿、人々の営みをカメラに収めることも好きだった。

その小林さんは昨年7月に88歳で亡くなった。膨大なネガフィルムが残されていた。小林さんの病状悪化が伝えられた昨年4月、同村の有機米を使い、酒にしてきた酒造会社や有機農産物販売会社など小林さんを慕う人たちが集まり、「小林芳正写真集刊行委員会」を立ち上げた。小林さんの生前には間に合わなかったが、今年2月に写真集が完成した。

写真集のタイトルは『いのちを生きる-小林芳正写真集』。「いのちの輝き」「有機の里熱塩加納」「子どもたちに伝える『農』の心」「この村で、ともに生きる」の4編構成。同村の学校給食に関わった坂内幸子さん、喜多方市大和川酒造の佐藤彌右衛門さんらの寄稿文、小林さんのプロフィールも入っている。

「子どもたちに安全な食材を」

ここで、「百姓」という肩書の名刺を持つ小林さんの業績を振り返ってみよう。

小林さんは1934年生まれ。福島県農事試験場で学んだあと農業に従事し、28歳の時に同村農協の営農指導員になった。日中は管内の田んぼを見回り、農協の事務所へは夕方に「出勤」したという話が伝わっている。

1980年に有機農業に取り組み、89年には同村の学校給食に、親たちと一緒になって、有機の米「さゆり米」と野菜の供給を始めた。「次の世代を担う子どもはかけがえのない地域の宝。その子どもたちに安全な食材を」という考えからだった。

92年に農協を定年で退職した時、NHKテレビは午後7時半から、小林さんの仕事を振り返る特別番組を放映した。NHKが1人の農協職員の歩みをこのように放映したことは、それまでにはなかった。

小林さんは農協にいる時から子どもたちに農業を教え、共に作業していた。これがのちに全国で初めて小学校に「農業科」が設置されるきっかけとなった。小林さんはそこで農業科支援員となり、子どもたちと田畑に立った。現在は喜多方市のすべての小学校で取り組まれており、2013年には、喜多方市小学校農業科が日本農業賞「食の架け橋の部」で大賞を受賞している。

私は40年以上前から小林さんのところに通い、有機農業や学校給食、地域づくりなどのことを学んできた。酒米の「五百万石」の種子を分けてもらったこともあった。写真集を見て当時のことを思い返している。ありがとう、小林さん。(元瓜連町長)

ゲンジとヘイケ一緒に 筑波山南麓にホタル舞う

4
細草川地区の谷津とホタルの軌跡(合成)=つくば市神郡

筑波山南麓のつくば市神郡、細草川沿いや周辺では6月下旬、ゲンジボタルとヘイケボタルが同時に飛び交う姿が見られる。5月下旬からはゲンジボタル、6月半ばからはヘイケボタルが加わり、6月下旬には30匹ほどが乱舞する姿が見られた。

ルールを守った観賞を

今の時期、筑波山麓でホタルが見られるのはつくば市神郡、臼井、沼田、国松などの沢沿い。NPOつくば環境フォーラム(つくば市要、永谷真一代表)理事の大塚太郎さん(53)によると「6月中旬は、ゲンジボタルとヘイケボタルが交差する時期、農薬を使わない水田にはヘイケボタル、きれいな沢にはゲンジボタルが見られる。7月に入るとヘイケボタルが主流になる」と説明する。

細草川周辺は、筑波山や里山の環境保全に取り組む同フォーラムや、知的障害者と共同生活をしながら有機農業に取り組むNPO自然生クラブ(つくば市臼井、柳瀬幸子代表)らが農薬を使わずコメ作りをしている。筑波山本体の南部に位置しており、民家がなく、谷津田が広がり街灯もないなどの昔ながらの自然が残されており、ホタルが生息しやすい環境となっている。15年前ぐらいから、同フォーラムの「すそみの森」など、農薬を使わない米作りが広がってからホタルの数が増えていった。

コロナ前は6月に入ると、地元の小学校の児童やボーイスカウト、環境団体などがホタル観賞に訪れていた。地域の元PTA役員が中心となって出来た「田井エンジョイクラブ」が地域の子供たちを集めて、10年以上ホタル観賞会を続けてきた(2019年6月16日付)が、コロナ禍で途絶え、2020年以降は団体でのホタル狩りは少なくなった。行動制限がなくなった今年は家族や友人同士で訪れている姿が見られる。

つくば市六所地区にあるホタルの石碑

六所地区にある「ホタルの里」の石碑は、2008年頃近くの工事をしていた建設業者がホタルがたくさんいることに感動、地域への感謝の気持ちをこめて寄付したものだそう。

23日、つくば市谷田部から訪れた男性(48)は「昨年知人から教えられ、この地区でホタルを観賞するようになった。市内にも豊かな自然が残されている場所があるのは感動でした。環境を守り、いつまでもホタルが見られるようにしていきたい」と述べた。

六所地区の元区長でホタルパトロールなどを提唱していた森田源美さん(87)は「ホタルを見に来る人は歓迎したい。六所地区には六所大仏の前に市営駐車場があるので、そこから歩いて私有地などには入らずに、ルールを守った観賞会を実施して欲しい」と語る。

大塚さんは「ホタルに興味を持ち自然とふれあうことは良いことだが、ルールを守らない観賞者もいる。ホタルを持ち帰ったり、狭い道の中まで車が入ってきて、車のライトでホタルの『こんかつ』を邪魔したり、貴重な水生動物をネットオークションで売ったりする人もいる。『すそみの田んぼとその周辺の森』という環境フォーラムの活動拠点には絶対に無断で入らないで欲しい」と訴える。

「すそみの田んぼ」(環境省のページ)は生物多様性保全上重要な里地里山に選定されている。(榎田智司)

対岸の家 《短いおはなし》16

0
美浦村から見た霞ケ浦と筑波山(筆者撮影)

【ノベル・伊東葎花】
歩くことが困難になり、施設のお世話になっています。
施設の前には大きな湖があります。湖の向こう側は、私が生まれ育った町です。
晴れた日は高台の小学校が見えます。その先が私の家です。
誰も住んでいません。両親はとうに亡くなり、独り身なので家族もいません。
残された家が不憫(ふびん)でなりません。

「そろそろ戻りましょう」

職員さんが来ました。陽が暮れて、向こう岸にチラチラ灯りが揺れています。

「ねえ、湖の向こう側に行くには、車椅子でどのくらいの時間がかかるかしら」

「丸一日かかりますよ。ここからまっすぐ、橋でも架かっているなら別だけど」

職員さんは笑いながら車椅子を押してくれました。
本当に橋が架かっていたら、どんなに近いでことでしょう。

それから私は、湖のほとりに行くたびに想像しました。ここからまっすぐ、向こう岸まで延びている橋を思い浮かべました。
透明な硝子で出来ている橋はどうかしら。まるで湖の上を歩いているみたいで素敵(すてき)。
そんな夢みたいなことを考えていると、寂しさや不安が消えていきます。

ある日のことです。日暮れまで、湖のほとりで対岸の町を眺めていました。
夕凪(なぎ)の中に、誰かの声がしました。目を凝らすと、向こう岸から誰かが叫んでいます。
「ごはんだよー」と言っています。
母の声です。母が私に向かって叫んでいます。
きっと帰りたい気持ちが、幻を見せているのです。

目が眩(くら)むほどの強い光が湖の上を走りました。
次の瞬間、私の足元から向こう岸まで、橋が架かっていたのです。
それは、私が夢見た硝子(ガラス)の橋でした。
私は立ち上がりました。自分でも驚くほど自然に立てたのです。
あれほど重かった身体が、走り出すほど軽やかです。
橋に足を乗せました。すっかり藍色になった湖の上を、ゆっくり歩き出しました。
時おり魚が跳ねて、小さな水音を立てます。楽しくて、踊るように橋を渡りました。

対岸の町に着くと、一気に坂道を駆け上がりました。毎日のように上っていた坂です。
とうに閉店したはずの駄菓子屋が、店先でラムネを売っています。

「早く帰らないと叱られるよ」

とっくに死んだはずの店のおばちゃんが、笑いながらラムネをくれました。
青い瓶に映った私は、おかっぱ頭の小さな子供になっていました。
家の前に母がいて、「いつまで遊んでるの」と私を叱ります。
夕餉(ゆうげ)のいい匂いがします。

私は振り返り、向こう岸を見ました。
湖のほとりに、空の車椅子がポツンと置かれています。
硝子の橋は、跡形もなく消えていました。
もうあの場所に戻ることはありません。
私は扉を開けて、「ただいま」と大きな声で言いました。(作家)

見学者5倍、熱心に説明聞く 重要文化財の旧矢中家住宅を公開

0
ガイドツアーに参加し別館2階の応接間を見る見学者ら

国の重要文化財として指定するよう答申があったつくば市北条、旧矢中家住宅(6月23日付)が24日、一般公開され、通常の公開日の5倍の約150人が見学に訪れた。新聞報道などで指定を知り、ボランティアによるガイドツアーに参加して熱心に説明を聞いたり、建物内を見て回る様子が見られた。

ボランティアで同住宅を管理し、定期的に一般公開しているNPO法人矢中の杜”の守り人の井上美菜子理事長や中村泰子事務局長、所有者の森洋さんなども集まった。

ガイドツアーは午前と午後の2回催された。共に二手に分かれ各10人ぐらいのグループになって、詳しい説明を聞きながら約1時間かけて住宅内を見て回った。本館(居住棟)の表玄関から入り、別館(迎賓棟)に移動。本館では居間、座敷、書斎などのほか、風呂や台所、女中部屋なども見て回った。居間や書斎などの各部屋には時代を意識させる調度品などがあり、参加者は、別館の最上級のふすま絵、ふんだんに設置された通気口など、細かなところまでこだわった豪華絢爛で実験的といわれる造りに興味深く見入った。

2011年の東日本大震災と12年の北条竜巻の二つの災害で受けた被害の説明もあり、窓が破壊された痕跡もあった。

地元の北条から見学に訪れた70代男性は「旧矢中家住宅がかつて空き家だった頃は小学生で、子供の遊び場だった。今回改めて地元の財産を知ることになった」と話した。

所有者の森洋さん

所有者の森さんは「購入した時は本当の価値が分からず途方にくれるようなことがあったが、多くの人の協力で、素晴らしい栄誉をいただけることになった。本当にうれしい。これを機にもっと来場者が増えるといい」と話した。

北条在住で同住宅の保存活動にも関わってきた北条街づくり振興会の坂入英幸会長(73)は「重要文化財の指定は大変喜ばしいことで、『地元ももっとがんばれよ』と言われた感じがした。これからも地域の財産として活用していき、北条地区振興に役立てたい」と語った。(榎田智司)

24日から海外出張 五十嵐つくば市長

13
つくば市役所

つくば市の五十嵐立青市長が24日、海外出張に出発した。7月1日まで7泊8日の日程でフランスとルクセンブルクを訪問するという。

今年3月31日、OECD(経済協力開発機構)の先進的市長(チャンピオン・メイヤー)に選ばれ、同先進的市長会議に参加したことから、27日にパリで関係者に面会する。29日にはルクセンブルクで、世界各国のICT(情報通信技術)業界関係者が集まる「ICTスプリング」に登壇し、つくば市の取り組みを紹介する。

市市長公室によると、24日から27日までパリに滞在し、新しい働き方として注目されている労働者協同組合の関係者と面会し視察や意見交換をしたり、文化芸術財団と意見交換する。さらにパリ市役所を訪れ労働者協同組合や文化芸術について話を聞く。27日はOECD先進的市長会議の関係者と面会する。

同先進的市長会議は、2016年にOECDが呼び掛けて立ち上げた先進的な取り組みを進める首長の会議で、格差や不平等をなくし、国連が掲げる誰一人取り残さない包摂的な都市の実現を目指す。約60の首長が参加し、日本からは小池百合子東京都知事、高島宗一郎福岡市長、福島県広野町長らが参加している。五十嵐つくば市長は、誰一人取り残さない包摂的で持続可能な社会の実現に向けた様々な施策を推進しているとして選ばれたという。

その後28日からルクセンブルクに移動し、29日にICTスプリングに参加する。世界約70カ国から5000人以上が集まるイベントで29、30日の2日間開かれ、企業によるブース展示やワークショップなどのほか、最新のデジタル技術とイノベーションをテーマに閣僚や著名人による講演やパネルディスカッションなどが催される。五十嵐市長は登壇者の一人という。

海外出張には市職員2人が同行するほか、つくばスーパーサイエンスシティ構想の全体統括者を務める市顧問の鈴木健嗣筑波大教授も同行する。

市長公室によると、海外出張費用は現時点で未確定だとしている。(鈴木宏子)

土浦駅に決定 TX県内延伸先 県

21
つくばエクスプレス

つくばエクスプレス(TX)の県内延伸先を検討してきた県は23日、第3者委員会からの提言(3月31日付)と5月に実施したパブリックコメント(意見募集)の結果を踏まえ、延伸先を土浦方面に決定したと発表した。

JR常磐線と接続する駅は土浦駅とし、今後は県内延伸構想の具体化に向けた検討を進める。さらに土浦駅延伸が実現後、自衛隊との共用空港である茨城空港の着陸制限の緩和など空港を取り巻く状況が変化した場合、改めて茨城空港延伸について議論するとした。

5月1~30日に実施したパブリックコメントは個人と団体計283人(団体)から意見が寄せられ、県内延伸に賛成は82%、反対は12%だった。

延伸先については土浦方面が最も多く全体の44%で、理由としては「4方面の中で費用がかからず実現可能性が高い」「事故・災害時の代替交通の確保につながる」などの意見があった。

延伸先を茨城空港方面とする意見も全体の25%あったほか、水戸方面は7%、筑波山方面は5%あった。反対意見の中には「採算性に乏しく赤字となる延伸は必要ない」などの意見があった。

意見を寄せた283人(団体)の内訳は、土浦市在住者が25%と最も多く、次いで小美玉市が22%、つくば市が17%の順。年代別は50代が20%と最も多く、次いで40代が18%、60代が17%の順。

「採算性の懸念共有している」

意見募集の結果について県は、土浦や茨城空港も含めて、延伸に賛成する意見が圧倒的に多く大きな期待が確認できたとした。土浦と決定した理由について大井川和彦知事は23日の記者会見で「実現可能性のある延伸先であることがまず最も重要」だとした。

一方で大井川知事は「反対の主な理由が採算性に対する懸念で、延伸したはいいが、赤字をずっと出し続けるのであれば最終的には県財政の負担につながるだけ、というような趣旨だった。我々も懸念は共有している」と述べ、「今後、単なる運賃収入だけじゃなくて、周辺開発なども含め事業採算性をいかに向上させていくかの方策を練ることが、反対意見の不安を払拭する最大の答えになる」と述べた。

県は3月に、土浦駅に延伸する場合の概算事業費や需要予測について、事業費は約1400億円、つくば駅-土浦駅間の1日当たりの乗車人数は約8600人と見込まれ、建設コストを除き年間3億円の赤字が出ると予測される、鉄道事業の採算性を評価する指標の一つで、1以上が望ましいとされる費用便益比は0.6にとどまり、1を上回るためには11万人規模の沿線開発が必要だとする見通しを示している。

東京延伸と同時、28年の答申目指す

今後の進め方については第1段階として、土浦駅であっても赤字であることから、沿線開発なども含めてどうやって採算性を確保していくかを調査検討し、県としての叩き台(素案)をつくっていく。

第2段階として素案をもとに、国や、TX出資者の東京都、埼玉、千葉県、TXを運行する首都圏新都市鉄道などの事業者と調整をし、2028年の国の交通政策審議会の答申に位置付けていくことが大きなステップになるとした。最終の第3段階では路線計画、建設計画、事業資金などを決めていく。

大井川知事は事業費1400億円の負担について「県内延伸は茨城県が全部やれ、という竹内知事時代の覚書があって(20年12月22日付)、それを1回チャラにしてもらって、各都県に協力もいただいた上で、県内延伸と東京延伸を同時にやりましょうという構図に持っていきたい。マイナスですけれどもお願いします、は多分通らない。是が非でも知恵を絞らなきゃいけない」と述べた。

事業費負担の理解を得る見通しについては「一にも二にも採算性。採算性がマイナスの時点で周辺近隣都県に理解を求めることは非常に難しい。これからの検討において、いかに採算の見込みを向上させていくかということが次の鍵になる」と強調した。理解を得る鍵として「(土浦延伸により)首都圏を中心とした経済圏をバックアップする後背地が大きく広がることの経済的メリットと、首都直下型地震などの大きな災害時に、常磐線とTXがつながることによって交通の代替性が確保されること」の二つを挙げた。

雑草の不思議 蒲の穂《くずかごの唄》129

0
イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】コロナで休んでいた「河童(かっぱ)サロン」の復活。笛の名人・相崎伸子さんが「わらべ歌」を皆で歌おうと提案してくれた。歌いながら、みんなで手の指、足の指を動かして、外反母趾(ぼし)の予防運動にもなる。伸子さんの発明した楽しい遊びである。

伸子さんのご主人、相崎守弘先生の同僚だった島根大元教授の森忠洋先生も参加してくださった。森先生は「やってみませんか 家庭でできる生ごみの処理 生ごみ堆肥化・分解大作戦」という分かりやすく、面白い本を書いた人である。

「わらべ歌」も奥が深い。昔の歴史を知らないと理解しにくいわらべ歌もある。大黒様の唄(明治38年 石原和三郎作詞)。

♫ 大きな袋を肩にかけ、大黒様が来かかると、ここにいなばの白兎(うさぎ)、皮を剥(む)かれて赤裸、大黒様は哀れがり、「綺麗(きれい)な水に身を洗い、蒲(がま)の穂綿(ほわた)にくるまれ」とよくよく教えてやりました。大黒様のいうとおり、綺麗な水に身を洗い、蒲の穂綿にくるまれば、兎はもとの白兎 ♫

ガマのホワタとホオウの関係は?

「ガマのホワタって、いったいどのようなものなの?」

「聞かれたら、困ると思って、原っぱを探して、蒲の実を持ってきたわよ」

伸子さんは真茶色の、膨らんだ細長いダンゴのような蒲の草の実を、採ってきてくれて見せてくれた。赤裸の兎が、たちまち元の白い毛の生えた兎に戻ってしまう不思議さ。私は穂をごしごしとこすってみた。中からたくさん出てきたのは鮮やか過ぎるほど鮮やかな真黄色の粉末だ。

漢方薬「蒲黄(ホオウ)」という名で薬用の止血剤に使った粉らしい。「白くてふわふわしたものかと思ったら、違うのね」。わらべ歌に出て来る「ガマのホワタ」と「ホオウ」の関係は何なのだろう。

「ねっ、牧野富太郎先生教えてください」(随筆家、薬剤師)

中長期の施設修繕費6億円 つくば市負担 縮減し年1億8600万円に 洞峰公園

23
洞峰公園の施設状況と維持管理費について市議会に説明する五十嵐立青市長(中央)=23日、市役所

無償譲渡を受けることが望ましいとして、つくば市が県と協議を進めている県営の都市公園、洞峰公園(つくば市二の宮、約20ヘクタール)について、五十嵐立青市長は23日、体育館・プール棟や新都市記念館など園内施設の中長期的な修繕費用は計約6億970万円かかり、年平均で3500万円程度になるとの見通しを示した。毎年の維持管理費約1億5100万円と合わせて市の費用負担は年約1億8600万円になる。

6月議会最終日の23日開かれた市議会全員協議会で説明した。無償譲渡に向けた協議の中で県から資料提供を受けるなどして市が算出した。

今年2月の議会への説明(2月14日付)では施設の修繕費用は、県が2023年度から27年度までに計画した大規模修繕費用と同額の年平均約7800万円かかり、年間維持管理費約1億5000万円と合わせて年約2億2800万円かかるとしていたが、2月の試算より年約4200万円縮減される。

園内施設の中長期的な修繕費用は、県がすでに実施した工事費や、目標使用年数を80年として県が策定した長寿命化計画の策定資料などから市が試算した。計約6億970万円の内訳は、体育館・プール棟が約4億6000万円、新都市記念館が約6900万円、トイレなどがあるフィールドハウスが約5600万円、運動用具倉庫やトイレ、井戸ポンプ、管理棟などが約2300万円。

算出にあたって市は5月、建築士に依頼し、体育館・プール棟、新都市記念館、フィールドハウスの3施設について、壁や天井など53カ所の調査を実施した。判定を「早急な修繕が必要な箇所」「近いうちに修繕が必要な箇所」「現状のままで使用可能な箇所(経過観察)」の3段階に分け、「早急に修繕が必要な箇所」12カ所については県と協議し、県が修繕を検討することになった。

さらに洞峰公園の指定管理者から施設や設備の状態を確認し、温水プールの室内暖房の故障など現時点で修繕が必要な12カ所についても、県が修繕を検討する。

県が27年度までに計画した年平均約7800万円の大規模修繕については、例えば県はフィールドハウスについて約1億4600万円で建て替えを計画していたが、市が実施した建築士の調査で「建て替えを行うほどの劣化は見られない」との判定が出たなどから、修繕内容を一部見直すほか、現時点で不具合がある設備については県が修繕を検討する。

県都市整備課は取材に対し「現時点で、故障などにより公園利用者に不具合がある設備については、修繕してから市に移管したい」としている。

市民説明会を実施へ

今後のスケジュールは、市が無償譲渡を受ける時期については、県による修繕が終わった後となり現時点で未定という。園内の洞峰沼は国有地であることから国との協議も今後必要になるとした。

一方、五十嵐市長は7月中に市民説明会を開くと話し、洞峰公園体育館で週末と平日に開催するほか、市北部と南部でも開くとした。合わせて市民アンケートも行いたいと述べた。

無償譲渡を受けた後の運営方法については「地域住民や公園利用者、有識者による協議の場をつくることを考えている」と述べるにとどまった。現在、スポーツ教室や文化教室などが開催されており、利用者サービスを低下させない維持管理方法を協議するため、当初、維持管理方法が定まるまでは、現在の事業者と業務委託などにより管理を行うことも検討しているという。

全協では議員から「洞峰公園を普段利用しない市民から反対の声が上がっている。1億5000万円の支出は市全体にとってメリットがあることを示すべき」「中長期の修繕計画にテニスコートや遊具が入ってないので計画を出してほしい」「樹木や洞峰沼の状況も県と情報共有し調査してほしい」「市として無償譲渡は決定していることか」「2023年度に市の公園にかかる予算は11億円強。洞峰公園の1.5億円は11億円の14%弱で決して少なくない。費用削減をしっかり考えてほしい」などの意見が出た。

市全体のメリットについて五十嵐市長は「遠方の方から『そこ(その地区)ばかり』という声が上がるのは当然。100%満足は難しい。各地区の公園を早急に前倒ししてきちんと修繕したい」などと答えていた。(鈴木宏子)

旧矢中家住宅が国の重要文化財に つくば市北条

1
旧矢中家住宅本館(つくば市提供)

NPOが保存、活用

国の文化審議会は23日、つくば市北条にある昭和初期の近代和風建築、旧矢中家住宅を、新たに国の重要文化財に指定するよう文科相に答申した。官報に告示後、正式に指定される。

約2500平方メートルの敷地に本館(居住棟)と別館(迎賓棟)の2棟が建ち、庭園が広がる。建材研究家でセメント防水剤を発明し、大正時代に油脂化工社を創業した北条出身の実業家、矢中龍次郎(1878-1965)が、1938年から53年にかけて自宅として建築した。

「理想というべき木造のモデル住宅」を目指し龍次郎自ら設計した実験的な住宅で、木造建築を基本としながら石造やコンクリート造などを取り入れている。木造では珍しい平らな「陸屋根」を設け、自身が発明した防火板など近代的な材料を使用している。建物の各所には換気や通風など通気性向上の工夫がされていることなども大きな特徴となっている。

内部は、近代の上流階級の間で流行した和洋折衷の様式で、色鮮やかな杉戸絵やふすま絵、水墨画などが室内を飾り、要所でサクラやケヤキ、スギなどの銘木が使用されている。周辺住民から「矢中御殿」と呼ばれるような豪華絢爛なつくりで、上流階級の邸宅として意匠的に優れた特徴がある。調度品や設備なども当時のまま残っている。

別館1F食堂。天井に通気口がある(同)

貴重な歴史的建築として2011年7月に登録有形文化財に登録された。今回、実験的住宅としての学術的な意義や、意匠的に優れていることなどが改めて評価された。

国重要文化財に指定されるのは本館と別館の2棟。住居として建てられた本館は木造平屋建て、建築面積約197平方メートルで、1942年建築。陸屋根、大谷石造の地下室があり、建具は部屋ごとに異なる。別館は「皇族のような上流階級の人々を迎賓できるように」と建てられた。2階建てで、1階は鉄筋コンクリート造、2階は木造、建築面積は約90平方メートルで、1949年建築。敷地内の石塀、石積、擁壁、横井戸も併せて指定される。

つくば市の国指定文化財は8件目、建造物としては2件目となる。

没後40年空き家に

龍次郎は1965年に死去するまで北条の住宅で過ごしたが、没後、約40年間にわたって空き家に近い状態となっていた。2008年、現在の所有者である森氏に所有が移り、保存活用活動が始まった。

当時、荒れた状態になっていた住宅や庭園を、学生、地域住民、後にNPOを構成するメンバーも加わり、掃除したり手入れしたりして公開できる状態に整えた。住宅と敷地を合わせた空間を新旧の所有者にちなみ「矢中の杜」と名付けた。現在はNPO法人 “矢中の杜”の守り人のメンバーがボランティアで日常的な管理をし、定期的に一般公開している。

同NPOの井上美菜子理事長は「国の重要文化財に指定されたことは大変栄誉あることで喜ばしい。空き家の状態から、国登録有形文化財の登録と続き、東日本大震災(2011)、北条の竜巻(2012)と二つの大災害、さらにはコロナ禍を乗り越え保存活用に努めてきたので、これほどうれしいことはない。今まで関わってきた人に感謝したい。しかし矢中の杜を後世に残していくには、大規模な修繕工事など困難な課題がある。これを契機に興味を持ってくれた人に、ご支援、ご協力をお願いしたい」とコメントした。

つくば市の五十嵐立青市長は「この建物を、北条地区のシンボルであり市を代表する文化遺産として未来へと継承していけるよう今後も所有者やNPOと協力し支援していく」などとするコメントを発表した。(榎田智司)

◆旧矢中住宅はつくば市北条古城94-1。NPO法人 “矢中の杜”の守り人が毎週土曜日午前11時から午後4時まで一般公開し、午前11時からと午後2時からの2回、ガイドツアーを実施している。料金は住宅の維持修繕協力金として一般500円、中学生以下無料。

「花火の原理がわかる手持ち花火」販売 火薬研究の第一人者が開発

2
「花火の原理がわかる手持ち花火Ⅰ色火剤」のパッケージを手に持つ松永猛裕さん=つくば市内

発光の原理学び興味持って

火薬研究の第一人者で、つくば市在住の松永猛裕さん(62)が、手持ち花火と分光シートをセットにした「花火の原理がわかる手持ち花火Ⅰ 色火剤(いろびざい)」を開発した。分光シートをスマートフォンのカメラに貼り撮影することで、花火がどのような光を発しているか分解して観察できる。夏休みの自由研究や科学実験での活用を想定しているという。7月1日から販売を開始する。

「花火の原理がわかる手持ち花火Ⅰ 色火剤」のセット内容(松永さん提供)

松永さんは産業技術総合研究所の元研究者で、現在も招聘(しょうへい)研究員として研究を続けている。2011年1月に花火研究のベンチャー企業「グリーン・パイロラント」をつくば市東の産総研内に設立した。火薬研究の第一人者としての知見を生かし、同社ではテーマパークで用いる安全性の高い花火の受注開発や、火薬を扱うメーカーでの事故の現象解明などを手掛けてきた。コロナ禍でテーマパークからの注文が減ったことから、一般向けの手持ち花火の開発を始めた。分光シートと花火を組み合わせて観察できるようにした商品は他になく、特許庁に実用新案登録を受けている。

「手持ち花火Ⅰ 色火剤」は、黄、赤、緑、青、紫、ピンクの6色と炎色反応がある元素を入れない花火を加えた7本組が2セット(合計14本)と、分光シート、解説書が入っている。色火剤は、火炎に色を付ける金属化合物のこと。花火には基本的にナトリウム(Na)、ストロンチウム(Sr)、バリウム(Ba)、銅(Cu)が使われ、それらが炎色反応によって黄、赤、緑、青の4色に発光する。他の色はこの4色を混ぜ合わせて作り出している。

分光シートで観察すると、ナトリウムを使った黄色の花火は一つの波長の光しか出ない。ストロンチウムやバリウム、銅の炎色反応では複数の光が観測され、すべての花火でナトリウムに由来する黄色の波長が観測される。いろいろな物質の中にナトリウムが微量に混入しているためだという。

スマホで観察する様子(左)と、観察できるスペクトル(松永さん提供)

火薬の研究、危険と敬遠

現在は、ナトリウムと、ストロンチウムやバリウム、銅の炎色反応の原理の違いについて、大学院レベルでも学ぶことがなく、知る人が少なくなっていると松永さんは話す。研究者も火薬の研究は危険と敬遠しがちで、知識を持つ人が少なくなっている現状があるという。「高校生くらいの方に使ってほしい。花火にはいろんな原理が詰め込まれている。原理を知って花火を見ると、見る目が変わってくる。ワクワク感を大切にしてほしい」と松永さん。手持ち花火で発光の原理を学び、興味を持ってほしいと、教育現場での活用も見込んでいる。

今回発売するのはシリーズ第1弾で、商品名を「手持ち花火Ⅰ」とした。第2弾、第3弾の構想もある。第2弾は花火の輝きを観察するセットで、中に入れる金属粉をアルミ、チタンなど変化させ、その違いを見る。第3弾は酸化剤を変えた花火でどのくらい見え方が変わるか観察するセットだという。

松永さんは1960年、静岡県浜松市生まれ。中学生の頃、東京の大気汚染を目の当たりにし、光化学スモッグの研究をしたいと志を立て、東京大学工学部の反応化学科に入った。しかし、当時研究室に入った3人のうち、光化学スモッグについて研究できるのは1人だけ。1枠を賭けてじゃんけんをしたところ負けてしまい、火薬の研究をすることになった。この研究室は伝統ある火薬研究室で、教えを受けながら爆発性物質の研究を続け、1988年に通産省工業技術院化学技術研究所(現在の産総研)に入所した。高校時代に化学を教わった恩師が旧日本軍の研究所で火薬と毒ガス弾の研究をしており、2000年頃には、毒ガス弾の安全な処理方法の開発研究にも携わったことから、火薬や爆発の研究は導かれた天命と思うようになったという。火薬などの安全研究に携わる国内で数少ない専門家で、著書に『火薬のはなし』(講談社ブルーバックス)などがある。

◆「花火の原理がわかる手持ち花火Ⅰ 色火剤(いろびざい)」はインターネットで販売。価格は2980円(消費税込)。グリーン・パイロラントの公式オンラインストアはこちら

オカルティズムが似合う街《遊民通信》67

0

【コラム・田口哲郎】

前略

生まれてこのかた新興住宅地に住んできました。東京、大阪、宮城、茨城の中の新しくつくられた街にしか住んだことがありません。もちろんほかの地域には古い街があり、そこでは古来の風習が残ったりしているわけですが、私はそういうものとは無縁に育ってきました。住んだことのあるところは、どこでも身の回りには、古い寺社仏閣がありませんでした。

新しい街はきれいですが、伝統がありません。寺社仏閣が担う伝統がないのです。あるのは、家、公園、スーパーマーケット、ホームセンターや家電量販店ばかりです。ですから、土浦の中心部のような古い城下町に憧れたりするわけですが、それも憧れで終わるわけです。

そこに住んでらっしゃる方々の生活にも憧れます。いわゆる年間行事があり、伝統的なしきたりに従ってすることも多いのだろう、なんて思いをはせるのです。こうした行事の多くは宗教的なものだと思います。街に伝統があるということは、宗教的な色彩が強いということかもしれません。しかし新興住宅地には、そういった色合いもないわけです。

新しい街にはオカルティズムが妙に合う

ひたち野うしく駅は、関東の駅百選に選ばれるほどの造形美がある銀色の近代的な建物です。その周りには整然と並ぶ新しく美しい家々が広がっています。所々にマンションが建ち、広い道路には今どきの自動車がスイスイと通っています。こうした街並みを見ながら、ふと「ここにはオカルティズムが似合うなあ」と思いました。

オカルティズムは前に書きましたが、19世紀ヨーロッパで誕生した新しいスピリチュアリティです。キリスト教の支配から解放された社会に出現した、新しい霊性ともいえます。

世の中が変わっても、人間自身は変わらないと言われます。宗教の束縛を受けなくても、科学や理性を信じていれば、豊かに安全に暮らせるようになった人間は、自由です。でも、新興住宅地に住みながら伝統的な街の暮らしに憧れる者がいるように、自由な生活の中で、旧来の霊性というものに憧れる者もいるでしょう。この近代的な街にあって、生活している者が持つのは、そう簡単には変わらない人の心です。

自由ゆえの不安がわいてきても、逃げ込む神社やお寺、教会も近くにはない。さて、それではタロット占い、水晶占い、星座占いをしてみようかと思うこともあるでしょう。

実際、私はエリファス・レヴィの影響で、タロットを勉強しています。そして、変わりばえのない整った街を歩きながら、さきほど出たタロット・カードの絵柄を思い浮かべながら、自らの来し方と今のうつつと、ゆく末に想いをはせたりするのです。その感覚が風景に妙にマッチすることは、発見でした。街の風景とタロットの絶妙な調和などについて書いてゆきたいと思います。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

89チームの対戦カード決まる 高校野球茨城大会 7月8日開幕

0
開会式の選手宣誓が決まった霞ケ浦高校の新保玖和主将

7月8日に開幕する第105回全国高校野球選手権茨城大会の組み合わせ抽選会が21日、水戸市のザ・ヒロサワ・シティ会館(県民文化センター)で開かれ、出場する96校89チームの対戦カードが決まった。

昨秋と今春の大会結果により16校がシード校となり、今春の県大会で優勝し関東大会でベスト4の成績を残した常総学院と、昨秋に県大会で優勝し今春準優勝した土浦日大、霞ケ浦はAシードで、2回戦から出場する。

抽選会を見る常総学院の澤田一徹主将(前列右端)と、土浦日大の塚原歩生真主将(同右から3番目) 

6年ぶりの優勝を狙う常総学院の澤田一徹主将は「去年の夏は悔しい思いをしたので夏の大会で力を出す。どんな相手がきても一戦必勝で戦う」と力強く語った。昨年夏に決勝で明秀日立にサヨナラ負けをして惜しくも甲子園出場を果たせなかった土浦日大の塚原歩生真主将は「結束力をスローガンに甲子園に向けてプレッシャーを感じることなくいつも通り自分たちの力を出す」と決意を述べた。

Bシードから大会初優勝を狙うつくば秀英の池内航主将は「大会に向けて投手、野手含めて全体的に順調に仕上がってきている。昨年はベスト8だったが常に甲子園を意識して力を発揮出来るようにしっかり準備していきたい」と話す。

開会式直後の開幕1試合目に下館一高との対戦が決まったつくば工科(つくばサイエンス)の橫嶋翔太主将は「開幕1試合目から熱い試合をしていきたい。3年生は自分だけで若いチームなので勢いに乗って戦っていきたい。最後まで全力プレーで頑張っていきたい」と意気込みを語った。

開会式直後に対戦する下館一高の主将と握手するつくば工科(つくばサイエンス)の池内航主将(右)

4年ぶり開会式、声出し応援可能に

3年続いた新型コロナウイルス感染症が5類になったことから、4年ぶりに全チームが参加して開会式が催され、観客は声を出して応援ができるようになる。

昨年同様に入場制限はない。入場料金は一般、学生800円、高校生は学生証の提示があれば無料、中学生以下は無料。試合会場はノーブルホーム水戸、ひたちなか市民球場、J:COMスタジアム土浦、笠間市民球場、日立市民球場の5会場で行なわれ、決勝は26日ノーブルホーム水戸で行われる。(高橋浩一)

第105回全国高校野球選手権茨城大会トーナメント表

23年度売上1.6倍増目指す まちづくり会社が決算報告 つくば市議会

619
つくば市議会特別委員会で決算報告などをするつくばまちなかデザインの内山社長(中央)=20日、つくば市役所

つくば市議会つくば中心市街地まちづくり調査特別委員会(塩田尚委員長)が20日開かれた。市が出資するまちづくり会社「つくばまちなかデザイン」(同市吾妻、内山博文社長)が、2022年度3月期(22年4月-23年3月)決算と23年度の目標などについて報告した。23年度については、つくば駅周辺のロボット配送の運営などコンサルタント受託事業費が増えるなどから、22年度売上実績約8790万円の1.6倍の1億4000万円の売り上げを目指すとした。

設立2年目の22年度決算は、約8790万円の売り上げに対し約9775万円の経費(販売費及び一般管理費)がかかり約985万円の赤字(営業損失)となった。支払利息などの営業外損失を加えると当期損失は約2163万円(税引前)となり、これにより22年度末の負債残高は、社債などを含め約3億3226万円になった。

同社は第3セクターとして21年4月に設立された。市と民間企業3社による出資金1億2100万円のほか、社債を発行してファンド(投資信託)から3億1600万円の資金を調達して始動した。市が区分所有するつくばセンタービル1階を改修し、22年5月から「働く人を支援する場」として、貸しオフィスやコワーキングスペース(共同オフィス)、カフェなどがあるco-en(コーエン)を運営する。今年4月からは新たに市の指定管理者としてつくばセンター広場を管理、運営する。調達資金の元本の返済は24年度から始まる。

22年度決算は、co-en全体の売り上げが目標5637万円に対し81%の約4571万円で、経費などを差し引いた営業損益は、開業に伴う初期費用などから約1694万円の赤字となった。売り上げの内訳は、貸しオフィスが昨年8月に満床になり売り上げ目標3027万円に対し95%の約2900万円。23年度は2700万円の売り上げを目指す。コワーキングスペースは3月末の会員数が個人・法人合わせて39者(目標43者)で、売り上げ実績は目標2490万円に対し47%の約1171万円にとどまった。23年度は3000万円を目指す。カフェ(ビア&カフェエンギとシェアキッチン)からの収入は120万円の目標に対し4倍超の500万円、23年度の目標は120万円。23年度はco-en全体で前年度の1.27倍の5820万円の売り上げを目指す。

co-en以外の事業として、地下駐車場の売り上げが約1213万円、利益が約438万円、つくばエキスポセンター内のカフェからの収入が約80万円、ロボット配送などのコンサル受託費が2000万円超など計約4219万円の売り上げがあったとした。

23年度の売り上げ目標は、地下駐車場が1300万円強、エキスポセンターのカフェからの収入が200万円、ロボット配送の運営受託費などコンサル受託事業が5400万円のほか、つくばセンター広場の管理運営収入が市からの指定管理費と利用料金収入合わせて1000万円など、co-en以外の売り上げを22年度実績の1.9倍の8180万円にするとした。

議会特別委では、23年度の売上目標の内訳や、当初co-en内に計画されていた「子連れで働ける場」がいまだに開設されてない問題、つくばエキスポセンター内の「ほしまるカフェ」撤退後、今年4月オープンしたサンドイッチ専門店の業者選定の経緯、つくばセンタービル4階の吾妻交流センターをオフィスに改修する計画などについて議員から質問が出た。

吾妻交流センターについては、現在、市が改修工事を進めている市民活動拠点がつくばセンタービル南側に完成し吾妻交流センターが移転した後の来年6月以降に工事に着手する計画で、内山社長は、工事費用の約5000万円は、現在、手元にある現金及び預金3295万円と消費税の還付金約2500円でまかなえるとした。昨年6月の決算報告では改修費用をまかなうため増資を検討するとしていた(22年6月9日付)。

子連れで働ける場について内山社長は「(まちなかデザインの)持ち出しが出続ける事業は経営的に難しい。家賃は取れなくても自走していただける経営者を検討している」とし、吾妻交流センター跡の第2期工事の中で子育て支援拠点なども含め幅広く検討していくとした。吾妻交流センター跡は当初、貸しオフィスの増床が計画されていた。(鈴木宏子)

マジョリティとしての特権 《電動車いすから見た景色》43

7
イラストは筆者

【コラム・川端舞】マジョリティと呼ばれる人々は多くの場合、特権を持っている。入り口に段差があるかどうかを気にせずに、飲食店やホテルを選べるのは、車椅子やベビーカーが必要ない人の特権。音声による説明がなくても、インターネット上の写真・グラフなどから情報を得られるのは、目が見える人の特権。店員から商品の説明を口頭でしてもらって買い物ができるのは、耳が聞こえる人の特権。

婚姻届により、血縁関係のない2人が家族として認められるのは、戸籍上の異性同士で愛し合った人だけの特権。どんなに2人が愛し合っていても、戸籍上の性別が同じであれば、現行の法律では婚姻届は出せない。

日本の難民認定手続きがどう変わっても、日本を追い出される心配をしなくていいのは、日本国籍を持つ人たちの特権。日本国籍を持つ私には、日本を追い出される恐怖など想像すらできない。

奪った権利をマイノリティに返すだけ

マジョリティとは誰のことだろう。私は車椅子がないとどこにも行けない点ではマイノリティだが、視覚的な図で表された情報でも、音声だけの情報でも困らずに利用できる点ではマジョリティだ。入管難民法がニュースとして話題になるまで、自分が日本国籍という特権を持っている自覚すらなかった。

また、私は誰に身分証明書の性別欄を確認されても、何も困らない。これもマジョリティの特権なのだが、出生時に割り当てられた性と性自認が一致しない「トランスジェンダー」に対し、自分のように生まれた時の性と性自認が一致する多数派は「シスジェンダー」と呼ぶことさえ最近まで知らなかった。

しかし、シスジェンダーとしての自覚を持つと、今の社会がトランスジェンダーの権利を犠牲にし、シスジェンダーが生活しやすいようにつくられていることが見えてくる。例えば、学校の制服を男女で分ける仕組みは、自分らしい性を表現したいトランスジェンダーの生徒を犠牲にしている。

そして、自分もそのような社会をつくっている一員だと思うと、シスジェンダーである私たちこそ社会を変えていかなければならないことに気づく。

マイノリティの人権問題は、マジョリティ側が自分たちの持っている特権に気づき、その特権をマイノリティ側にいかに還元するかの問題でもある。決してマイノリティに特別な権利を与えることではなく、マイノリティから奪ってきた人間としての基本的な権利を、彼らに返すだけだ。(障害当事者)

土浦博物館の郷土史論争拒否で議論沸騰 《吾妻カガミ》160

75
土浦市立博物館(左)と市役所

【コラム・坂本栄】今回も土浦市立博物館と地元郷土史家の歴史論争問題です。1回目は158「…博物館が…論争を拒絶」(5月29日掲載)、2回目は159「…論争拒否、土浦市法務が助言」(6月5日掲載)。コメント欄への投稿に加え、コラム《ひょうたんの眼》(6月14日掲載)や市議会も論争に参入。議論が沸騰してきました。

苦情と歴史論争は次元が違う

「博物館の仕事は、城郭(研究の砦)に籠(こも)って研究するだけではなく、その成果を市民に知ってもらうことにある。この論争を見ていると、博物館は市民とのコンタクトが薄いような気がする。本堂さんとの対話を面倒くさいと断つようでは、市立博物館とは言えない。博物館は学術と市民の間に立って、学問の成果を市民につなぐのが本来の仕事」(土浦の歴史好き)

「郷土史家との対話拒否は行政の下手なリスク管理の見本。歴史論争の回答書にあんな文言(コラム158で引用)を入れたらメディアに叩かれるのは当然。博物館が論争を打ち切るのはその存在を否定するようなもの。それを市の法務担当が指導したというのは論外。一般行政への市民のクレームと市民の博物館との論争は区別しなければいけない。次元が違うものだから」(リスク管理人)

議会も博物館の対応に疑問符

コメントの中には、本堂氏が博物館に11回も通ったことに注目し、博物館の論争拒否通告を支持するコメントもありました。

しかし、博物館の面談記録(各回60~90分、糸賀館長か担当学芸員が対応)によると、2020年12月1回、2021年2月2回、同3月1回、同9月1回、2022年6月1回、同7月1回、同9月1回、同10月1回、同11月1回、同12月1回だったそうですから、論争の間隔としてはむしろ控えめなぐらいです。

この問題は市議会教育厚生委員会(矢口勝雄委員長)の会合でも話し合われました。関係市議によると、博物館が面談拒否の理由を「11回も来られ困った」と説明したとの報告について、委員からは▼本堂氏はクレーマー扱いされて戸惑っている▼市の弁護士が間に入り拒否を通告させたのは問題ではないか▼微妙な問題であり博物館は冷静に対応すべきだ―などの発言があり、博物館の対応に疑問符が付いたそうです。

自分の立ち位置から語る歴史

コメントにはクールな意見もありました。「歴史とは自分の立ち位置から過去を描写する作業。郷土史家も館長も自分の史観に都合いいように解釈している」(歴史論争嫌い)。話が脱線しますが、私の旧友、門跡寺院(もんぜきじいん=皇族や公家の寺)の門主(もんす=住職)さんの史観はその極致でした。自分事なのです。

寺は天台宗ですから総本山比叡山を焼き払った織田信長は極悪人。寺に手水(ちょうず)石を寄贈してくれた豊臣秀吉は偉い。寺領の一部を奪い他寺に与えた徳川家康は小悪人。雄藩に担がれて権力に復帰した明治天皇は期待の星。天皇制と華族制(彼もその家柄)を廃止したマッカーサー元帥は「けしからん」と。(経済ジャーナリスト)