金曜日, 11月 7, 2025
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谷川俊太郎をしのぶ つくばでつながった縁きっかけ

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イベントを主催する野口修さん(右)と、コンサート会場でライブペインティグを行うnatunatunaさん=つくば市民ギャラリー

29日から写真展とコンサート

昨年11月に亡くなった詩人・谷川俊太郎さんを追悼する連続企画がつくば市で始まった。29日からつくば市民ギャラリー(同市吾妻)で、谷川さんの詩と写真家 松本美枝子さんの写真による写真詩集「生きる」の写真展が9月4日まで開かれる。9月19日には、谷川さんと多数の作品を生み出してきたフォークシンガー 小室等さんによるコンサート「小室等 谷川俊太郎を歌う『いま生きているということ』」が、つくばカピオホール(同市竹園)で開かれる。演奏は、谷川さんの長男でピアニストの谷川賢作さん、バイオリニストの太田惠資さん、歌手のこむろゆいさん、ドラマーの河野俊二さんら。

主催するのは、1979年から2000年まで同市天久保にあった多目的ライブハウス「クリエイティブハウスAkuAku(アクアク)」を運営した野口修さん(69)らによる実行委員会。アクアクでは1980年代、つくばエキスポセンター・プラネタリウムを使用して谷川さんの作品を上映するなど、3度にわたり市内で谷川さんとイベントを開催してきた。

野口さんは谷川さんの印象について「できるだけ平易に、多くの人に伝えられる言葉を使い、人の人生に関わる言葉を投げかける方だった。アクアクの若いスタッフと交流する際も、ごく普通のたたずまいに優しさを感じた」と語る。

今回写真展を開く松本さんは、2008年に谷川さんとともに写真詩集『生きる』を刊行した。写真展では、写真集のページをめくるように、写真と詩を交互に展示する。現在、茨城県を拠点に国内外で活躍する松本さんが初めて個展を開いたのも、アクアクだった。

写真展では、谷川俊太郎さんの詩と松本美枝子さんの写真が交互に並ぶ=つくば市民ギャラリー

小室等さんは1978年、谷川さんとの共作アルバム「プロテストソング」を発表。その後も谷川さんの詩を歌い続け、亡くなった後も作品を歌い継ぐ活動を行っている。市内の県立並木中等教育学校(旧・県立並木高校)の校歌も、谷川さんと小室さんによるものだ。

私たちの中で詩が生きている

一連の企画について野口さんは「追悼的な企画をやらないといけないと思っていた」とし、昨年12月、谷川さんの逝去直後に都内で開かれた小室さんらのコンサートに参加した際、出演者にオファーしたことがきっかけとなったと語る。

野口さんは「谷川さんが亡くなってから、SNSなどで俊太郎さんの詩が多く共有された。亡くなっても、私たちの中で常に詩が生きていると感じた。俊太郎さんは『詩はむしろ詩作品と読者との関係に潜んでいるはず』とも語っていた。イベントの主催者側の企画意図ではなく、作品を見たり聞いたりすることで感じるものが、来場者の中に残ってくれたらいい。多くの方に俊太郎さんの言葉に出合っていただければ」と思いを語った。コンサート会場では、演奏される曲と谷川さんの詩をもとに、つくば市在住の「絵描き」natunatuna(なつなつな)さんによる即興ライブペイントも披露される。(柴田大輔)

◆谷川俊太郎×松本美枝子写真詩集「生きる」写真展は、つくば市吾妻2-7-5、中央公園レストハウス内 つくば市民ギャラリーで、8月29日(金)~9月4日(木)まで開催。開館時間は午前10時~午後4時30分(最終日は午後3時まで)。会期中の8月30日(土)午後2時から松本美枝子さんによるアーティストトーク、31日(日)午後2時から自由参加の朗読会が開催される。いずれも入場無料。

◆コンサート「小室等 谷川俊太郎を歌う『いま生きているということ』」は、つくば市竹園1-10-1、つくばカピオホールで、9月19日(金)午後7時から。入場は一般5000円、学生・障害者4000円。イベントのホームページはこちら

総合病院の病理科の仕事とは?《メディカル知恵袋》12

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筑波メディカルセンター病院

【コラム・内田温】総合病院の病理科は、患者さんはもちろん、多くの医療従事者にとってもあまりなじみのない部門です。しかし、医療の根幹を支える重要な役割を果たしています。今回は、そんな病理科についてご紹介します。

主な業務

病理科の主な仕事は、「病気を肉眼および顕微鏡で診断すること」です。たとえば、胃や大腸、乳腺などから小さく採取された組織(生検検体)を観察し、悪性かどうかなどを判定する「生検組織診断」、手術で摘出された臓器や腫瘍の診断を行う「手術検体組織診断」があります。

さらに、手術中に腫瘍の良悪性や切除断端の状況などを判断するため、臨床検査技師が作製した凍結切片から病理医が短時間で診断を下す「術中迅速診断」も重要な業務です。

近年では「がんゲノム医療」においても、遺伝子変異の有無やバイオマーカーの評価を通じて、患者さん一人ひとりに最適な治療法を選ぶ手助けをしています。

病理医は希少種

このように重要な役割を果たす病理医ですが、全国的に非常に数が少ないのが現状です。日本全国の病理専門医は2800人弱と、全医師数の1%にも満たない「希少種」と言える存在です。

当院では幸いなことに3名の常勤病理専門医を擁しており、正確で信頼性のある病理診断を提供するため、すべての症例において原則2名以上の病理医が協力して診断を行うダブルチェック体制を構築しています。

臨床検査技師

病理診断を支えてくれている、大切な存在が病理検査室の臨床検査技師です。病理診断のためには、提出された検体から適切な標本を作製する高度な技術が必須であり、このプロセスを担うのが臨床検査技師です。彼らがいなければ、病理医は診断業務を遂行することができません。まさに信頼すべきパートナーであり、常に尊敬と感謝の気持ちを持って一緒に仕事をしています。

病理診断とAI

昨今では、さまざまな分野でAI(人工知能)の活用が進んでいますが、病理診断の分野でも以前からAI技術に関する多数の研究が行われてきました。

有名な研究としては、乳癌リンパ節転移の検出精度を競う国際的なコンペティションにおいて、AIが病理医と同等かそれ以上の診断精度を示した報告があります(Bejnordi et al., JAMA, 2017)。また、胃生検の病理診断支援AIについて、全国10施設の画像を用いた検証で約95%の一致率を記録した日本の研究もあります(Abe et al., Cancer Sci, 2022)。

AIが病理医の仕事を奪うのではないかという懸念もありますが、私個人としては、そのような事態は今後数十年(少なくとも私が現役でいる間)は訪れないと考えています。AIは病理医の「置き換え」ではなく、「診断を補助するための優秀な道具」として、診断の効率化や業務のストレス軽減に貢献してくれるものと期待しています。

なお、当院では現在のところAIシステム導入の予定はなく、リンパ節転移個数測定やバイオマーカー陽性率算出などを含め、地道な業務を当面今まで通り行っていく方針です。

縁の下の力持ち

病理科は表に出ることの少ない「縁の下の力持ち」ですが、診療の根幹を支える極めて重要な存在です。患者さんやご家族の安心、そして正確な治療につながる診断のために、私たちは日々努力を重ねています。このコラムが、病理科について少しでも理解を深めるきっかけとなれば幸いです。(筑波メディカルセンター 病理科 医師)

塚本一也氏第一声 全文文字起こし 県議補選つくば市区

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塚本一也氏=29日、つくば市花畑

➡音声はこちら

皆様お疲れ様でございます。

今、ウグイスの方からご紹介いただきました、塚本一也でございます。

暑い中、今日は皆さんお集まりいただきましてありがとうございます。

明日が出陣式になりますが、出発に際してですね、一言、皆様にごあいさつを申し上げたいというふうに思います。

3年前ですね、せっかく皆さんにですね、いただいた議席を失ってしまうことになりましてですね、大変申し訳ございません。その後ですね、私も喪中ということもあって、一時、政治活動生活を控えていた時期がございました。

しかしですね、昨年のトリプル選挙、衆議院議員選挙と、つくばでは市議会議員選挙、市長選挙とがございました。その市議会議員の選挙ですね、私どもの従兄弟にあたります、塚本洋二に対してですね、多大なるご支援をいただいてですね、非常に多くの票もいただきました。これはやはり、私ども塚本一族に対する、塚本一族と言ったらちょっと語弊がございますけれども、塚本の政治姿勢に対する期待の現れだというふうに私も受け止めました。もう一度ですね、機会があれば政治に挑んでみようという思いがついたのはその辺でございます。

トリプル選挙においてですね、市長選に出た星田(弘司)先生がですね、私ども地元の先輩議員として星田先生を応援したんですが、あのような結果になって、その後、星田先生とですね、いろいろなお話をさせていただきました。つくばの市政の問題、あるいは県政の将来について。その中でですね、星田先生から、「自分はこれから市の先頭を目指して活動するので県議会には戻らない。塚本さん、遠慮しなくていいよ」というようなことを言っていただきました。

大変ありがたいお言葉でございました。私も何回も落ちておりますが、そんな機会をいただいて、そして、洋ニに対する期待も後押しして、せっかくのこのつくばの代表者として県政に戻るチャンスがあればという思いで、今日に至ったわけでございます。

いろいろとですね、このつくばは発展はしておりますが、発展の中でもですね、いろいろな問題がまだまだございます。そしてつくばの歴史においては、やはり県が強力なサポートをして導いてきたからこその、今日のつくばがあるという風に、私は思っております。

ですから、市と県と国と、この3者が手をつないで、スクラムを組んでこのつくばを発展させることが国の発展につながるということでございますので、私ももう一度その一端を担えるように、今回出馬を決意して、そして、県政の復帰を目指すところでございます。

非常に厳しい選挙ではありますが、何としてでも勝ち抜いて、そして皆様の期待に応えられるような働きをしていきたいというふうに思っています。今日から9日間の選挙戦になります。これから出発をいたしますが、3年前の忘れ物を取りに行ってきます。どうぞ応援よろしくお願いいたします。

山中たい子氏第一声 全文文字起こし 県議補選つくば市区

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山中たい子氏=29日、つくば駅前

➡音声はこちら

お集まりいただいた皆さん、そして駅ご利用の皆さん、こんにちは。

県会議員補欠選挙に立候補いたしました、私、山中たい子でございます。

9月7日の投票は知事選挙と一緒になります。知事選挙では田中重博さんを日本共産党として推薦をしております。ぜひ私と、そして田中重博さんを何としても押し上げてください。まず初めにお願いを申し上げます。

選挙は自民党候補との一騎打ちとなっております。前回失った議席を取り戻すとともに、先ほど江尻県議がお話しいただいたように、県議会での日本共産党の複数議席を何としても回復させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

参議院選挙では裏金問題に反省のない政権与党が過半数割れとなりました。自民党政治に、明確にノーの審判が下されたわけです。そういう下で今回の選挙が戦われております。

知事選挙は自民党が応援する大井川知事、そして、私たち日本共産党を含む多くの政党、団体、個人の皆さんが応援する「いのち輝くいばらきの会」の田中重博さんとの事実上の一騎打ちとなっております。皆さんどちらを選べば私たちの暮らしの願いが届くのか、これはもう言うまでもありません。

田中重博さんは茨城大学で教べんを取られた、地方自治、そして地方財政の専門家です。人権と民主主義、地方自治、憲法を何より大事にして、人権や差別を、人権を守り、差別を許さない、一人一人の、人権、生き方を支えようと、それが田中重博さんです。

無駄な大型開発を止めて、税金の使い方を抜本的に見直していく、こう約束をしています。皆さん、これだけ聞けば、田中重博さんが願います、私は、強く強く田中重博さんを応援しています。どうぞよろしくお願いを申し上げます。田中さんを何としても知事に押し上げていただきたいと思います。

大井川知事は、皆さん、常陸那珂港建設や霞ケ浦導水事業、那珂川と霞ケ浦を43キロ地下トンネルで結んで水をやりとりする、こういう無駄な大型開発事業、莫大な予算をつぎ込んでおります。そしてさらにグローバルな大企業、この茨城に、これまでの2倍の100億円もの補助を市場重視のために予算化しております。そして皆さん、パワハラ、独断専行、トップダウンのワンマン県政です。職員の声も聞かない。皆さん、自民党の議席に、3分の2を持つ県議会に支えられている。本当に無茶振りがひどすぎます。

皆さん、こういう大井川知事、盛んに継続、継続と言っています。私はもう、継続はノーと、そして、田中重博さん、子どもたちの未来と私たちの明日を託したいと、そのためにも田中重博さんを知事に、そして私、山中たい子を県議会へと押し上げてください。どうぞよろしくお願いいたします。

皆さん、この間、大井川知事は、大規模な公共事業に税金を使う一方で、福祉や医療、全国最低クラス。この間、私、どこに行ってもお話するのが保健所問題。それは最近またコロナが増えてきているからです。この感染症対策になるのが保健所。選択と集中の名で、コロナの直前でしたけれども、12カ所から9カ所に減らす。こういうことが行われました。保健師さんの数38番目。看護師さんの数43番目。暮らしと関わる様々な指標が全国最低クラスという状況になっています。皆さんこれらを飛躍的に改善させるためには知事を変える。そして同時に、この田中知事の下で働く県議を増やすということではないでしょうか。

皆さん、私は4期16年間、自民党県政と対決をしてまいりました。そして様々な市民の皆さんと運動に取り組み、その実現のために力を合わせて県政を動かしてまいりました。もう18年前になるんですけれども、つくば特別支援学校はまさに、市民の皆さんと力を合わせてつくった特別支援学校、今では大規模になり過ぎて、これを分離してほしい、こういう声も大きく広がっているところです。私はこうしたことにもぜひ取り組んでいきたいというふうに思っております。

皆さん、私はこれからも力を合わせて、皆さんの願いを真っ直ぐ届けるために働いてまいります。何としても県議会へと申し上げてください。どうぞよろしくお願いを申し上げます。

皆さん、そして何としても暮らしが大変なわけです。世論調査でも、消費税の減税、廃止を求める声は7割を超えています。いつでも誰でも何でも5%減税、一世帯で年間12万円になります。そうすればインボイスもいらなくなります。皆さん、家計も助かる、そして業者の人も助かる。この消費税減税、廃止の声、そしてインボイス廃止。この声をつくばから大きく上げていこうではありませんか。そのためにも、私、山中たい子を県議会へと押し上げてください。どうぞよろしくお願いを申し上げます。

また緊急の物価対策として、東京都のように、県として水道料金を引き下げる、つくばでは下水道料金も来年4月から上げようとしておりますから、皆さんと一緒に、こうした暮らしに関わる負担を軽減する。さらには高過ぎる国保税、見直しの度に引き上げられている介護保険料、後期高齢者医療保険料、これも来年4月見直しの時期です。皆さんと力を合わせて引き下げを求めていきたいと思います。

皆さん、そして県立高校問題。大変重要な問題になっています。15の春を泣かせない。そのためにも今、つくば市に住む大人の責任で、そして、沿線開発を進めてきた国や県の責任で、この高校問題、解決しなければならないと思っております。粘り強い市民運動の中で着実に身を結んでいるのが、この問題です。県政を確実に動かしております。筑波高校に進学コース。牛久栄進高校には1クラス増やす、また谷田部にあるつくばサイエンス高校には普通科を3クラスつくると。しかしまだまだ足りないというのが多くの皆さんの率直な声であり、運動団体、市民団体の皆さんと引き続き、幅広い、党派を超えた運動でこれを何としても実現したいと思います。

皆さん、そして学校給食の無償化。今、県内半数の自治体で無償化、実現しています。住民運動に応えた市町村の努力で行われております。しかし、これまた東京都のように、県段階を動かして、そうすれば全市町村で実施することができます。2歳までの子どもの保育料、そして子どもの国保税均等割、負担ゼロなど子育てにかかる負担の軽減、これは県予算のわずか1%で実現することができます。皆さんご一緒に実現しようではありませんか。そのためにも私、山中たい子に議席を与えてください。よろしくお願いいたします。

皆さんそして、なんと言っても東海第2原発、再稼働をストップさせなければなりません。私は14年前の原発事故避難者の方から、今すぐ近くにもそういう方がたくさん住んでおられます、ふるさとに帰りたくても帰れない。その苦しみは本当に推し量ることができません。皆さん、再びこんなひどい原発事故を起こさせないためにも、再稼働をストップさせる、古くて危険な東海第2原発再稼働ストップ、党派を超えてこの声を大きく広げようではありませんか。どうぞよろしくお願いいたします。

皆さん、今年は戦後80年。私の父は、福島に生まれ、沖縄戦に参加をして、命からがら帰り、私たち6人に命がつながりました。皆さん、日本共産党は、党をつくって103年。侵略戦争に命がけで反対をし、一切の差別も暴力も許さない。そして、平和のために戦い続けている、そうです、皆さん、この日本共産党だからこそ、企業や団体の献金も受け取らない。だからこそ、皆さんの願いにまっすぐ応えることができるわけです。そのために働くことができるわけです。どうぞよろしくお願いいたします。

皆さん、選挙は自民党中心の県政、このまま続けていいのか、そのことが問われております。大井川県政から、安心して生き続けられる県政をつくるためにも、知事は田中重博さん、そして県議補選では、私、山中たい子を議会へと押し上げてください。どうぞよろしくお願いいたします。

一週間お世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

元職2氏が届け出、一騎打ちに 県議補選つくば市区告示

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候補者の第一声を聞く支持者ら

知事選と同日の9月7日投開票で行われる県議補選が29日告示され、つくば市区(欠員1)にはいずれも元職で県議4期を務めた党県常任委員の山中たい子氏(74)=共産=と、県議一期を務めたタクシー会社社長の塚本一也氏(60)=自民=が立候補を届け出て、元職同士の一騎打ちになった。投票は9月7日午前7時から午後7時まで市内76カ所で行われ、即日開票される。有権者数は20万1700人(28日時点)。

皆さんの願いにまっすぐ応える 山中氏

山中たい子氏=29日、つくば駅前

山中氏は、午前10時からつくば駅前で第一声。共産党の江尻加那県議が水戸から駆け付け「山中たい子さんを再び県議会に戻していただきたい。どんな問題でも、市民の願いがそこにある限り、実現するまで決して諦めず繰り返し何度も議会で質問をぶつける、それが山中たい子さん」などと話した。山中氏は「今回の選挙は自民党中心の県政をこのまま続けていいのかが問われている。大井川知事は大規模な公共事業に税金を使う一方で、福祉や医療は全国最低クラス。これらを改善させるためには知事を変え(候補者の)田中重博知事と働く県議を増やすこと」などと訴えた。さらに「今年は戦後80年。私の父は沖縄戦から命からがら帰った。共産党は党をつくって103年。侵略戦争に命がけで反対し、一切の差別も暴力も許さず平和のために戦い続けている。共産党だからこそ皆さんの願いにまっすぐ応えることができる」と支持を求めた。

山中たい子 74 政党役員 共産 元④
【公約】①国保税、介護保険料、後期高齢者医療保険料の引き下げ②児童生徒数増に見合う県立高校新設とクラス増設を進める③危険な東海第2原発の再稼働をストップし廃炉に
【略歴】福島県小野町出身、日本大学Ⅱ部法学部新聞学科卒。千葉県商工団体連絡会に勤務。つくば市に転居後、1984年から旧桜村議・つくば市議を4期を務め、2003年から県議を4期。前回2022年12月の県議選は次点。現在、共産党県常任委員など歴任

市と県と国がスクラム組み発展を 塚本氏

塚本一也氏=つくば市花畑

塚本氏は、午前10時から同市花畑の選挙事務所で第一声。出馬の動機として、昨年行われた衆院選、つくば市長選、市議選のトリプル選挙の際に、市議選に当選した従兄弟の塚本洋二氏のトップ当選を挙げながら「塚本(家)の政治姿勢に対する期待の表れと受け止め、もう一度政治に挑んでみようと思った」とするとともに、昨年の市長選に出馬し県議を失職した星田弘司氏から「遠慮しなくていい」との声掛けもあったとし、「私も何回も落ちておりますが、せっかくのこのつくばの代表者として県政に戻るチャンスがあればという思いで、今日に至った」と述べた。また、「つくばの歴史において、県が強力にサポートし導いてきたからこその今日のつくばがある。市と県と国の3者が手をつなぎ、スクラムを組んでつくばを発展させることが、国の発展につながる。もう一度、その一端を担いたい」と支持を訴えた。

塚本一也 60 タクシー会社社長 自民 元①
【公約】①国や県との連携を重視する中でつくばの成長産業の育成②TX沿線No.1の教育環境の実現③高齢者、障がい者、育児家庭が暮らしやすい社会の構築など
【略歴】つくば市出身。県立土浦一高、東北大学工学部建築学科を卒業後、筑波大学大学院環境科学研究科修了。1991年にJR東日本に入社し、2006年に大曽根タクシー社長に就任。18年から県議一期を務めた。現在は同社社長のほか、茨城県ハイヤー・タクシー協会会長などを務める。

(柴田大輔、鈴木宏子)

元職同士の一騎打ちか あす告示 県議補選つくば市区

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知事選と県議補選のポスター掲示板=つくば市吾妻、中央公園前

知事選と同日の9月7日投開票で行われる県議補選があす29日、告示される。つくば市区(欠員1)には、いずれも元職で自民党公認の塚本一也氏(60)と、共産党公認の山中たい子氏(74)が立候補を表明しており、元職同士の一騎打ちになりそうだ。同市区の有権者数は20万538人(6月2日現在)。

塚本氏

橋渡し担いつくば市をけん引 塚本氏

塚本氏は「つくば市を力強くけん引する県政を」をスローガンに掲げる。「県が主導し仲介することで、国や世界的な企業を誘致できる。県とつくばの橋渡しの役目を担う」とし、①国や県との連携を重視する中でつくばの成長産業の育成②TX沿線ナンバー1の教育環境の実現③高齢者、障がい者、育児家庭が暮らしやすい社会の構築など7つの政策を掲げる。

これまで自身の政策を記したリーフレットを市内全域に2度ポスティングなどで配布し、市内各所でのあいさつや街頭演説、SNSや動画共有サイトへのメッセージ動画配信を重ねる。「堂々と論陣を張り、有権者の判断を仰ぎたい」と語る。出陣式は30日午後2時から同市小野崎のホテル東雲で、支持者を集めて開催する。

山中氏

政治変え切実な声が届く県政に 山中氏

山中氏は「県議会にこれ以上自民党の議席を増やしても県民の暮らし向上にはつながらない。共産県議の議席復活こそ県政への厳しいチェックにつながる」などと訴え、「自民党政治を変えて願いかなういばらきに」をスローガンに掲げる。①国保・介護・後期高齢者医療保険料引き下げ②県立高校新設・クラス増設➂学校給食無償化・地場産品活用のほか、東海第2原発の廃炉などを訴える。

これまで市内70カ所以上で街頭演説をしてきたほか、知事選に無所属で立候補している田中重博氏のつくば市での街頭演説や個人演説会でもあいさつする。29日は午前10時からつくば駅前で第一声、同日午後4時30分から同党の岩渕友参院議員と大清水公園前で街頭演説をする。

「つくば市1市が水戸・日立エリアに匹敵、改善を」 2038年の中学卒業見込数

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県高校審議会宛ての要望書を手渡すつくば市の小中学生の高校進学を考える会の片岡英明代表(左)

市民団体が高校審議会に要望書

2027年度以降の県立高校の統合や学科の再編など高校教育改革の方向性を検討する「県高校審議会」(委員長・笹島律夫常陽銀行会長)が7月29日にスタートしたのを受けて、つくば市やTX沿線に県立高校の学級増や新設を求めている市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡英明代表)は26日、同審議会の笹島委員長と同専門部会の中村麻子部会長(茨城大副学長)などに、つくばエリアの子供増に見合った県立高校の学級増の答申を出すなど改善を行うよう求める要望書を出した。

同審議会は県教育委員長(柳橋常喜委員長)の諮問機関で、2027年度以降の県立高校の適正配置や適正規模、学校や学科の魅力づくりなどについて審議する。今年12月に答申を出す予定で、県教育委員会は答申に基づいて2027~33年度の次期県立高校改革プランを策定する。

人口増加が続くつくば市やTX沿線地域の生徒数の見通しについて、県教育庁が7月29日に同審議会に示したエリア別中学校卒業者見込み数によると、2038年3月の中学卒業者見込みは、県全体では1万7826人と今年3月の2万5192人より7366人(29%)減少するのに対し、つくば市の2038年3月の中学卒業見込み数は3392人と、すでに県立高校不足が問題になっている今年3月の2652人よりさらに740人(28%)増える。今後も児童生徒数の増加が続くつくば市1市のみの2038年の3392人は、今後児童生徒数が減少する「県北臨海エリア」(日立市など3市)と「水戸近郊エリア」(水戸市など4市)の2038年3月の中学卒業見込み数を合わせた3429人に匹敵すると推計されている。

考える会の片岡代表は「県が高校審議会に出した資料で、2038年のつくば市1市の中学卒業見込み者数が、水戸近郊エリア(水戸市など)と県北臨海エリ(日立市など)の卒業見込み者数の合計に匹敵することが推計されている。水戸と日立の2つのエリアには全日制の県立高校が合わせて18校103学級ある。これまで改善してこなかったツケが、県の資料からも明らかになっている」と指摘し、つくばエリアの県立高校を県平均水準に改善することなどを改めて要望した。

26日要望書を受け取った、県教育庁高校教育改革推進室の片見徳太郎室長は「要望書はお預かりしたので、きちんと委員長と専門部会会長、専門部会の委員の方々にお渡ししたい」と述べるにとどまった。(鈴木宏子)

➡県高校審議会に出された児童生徒数の推計資料はこちら

阿見町に残る旧軍の掩体壕《日本一の湖のほとりにある街の話》34

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】阿見町の、陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地前を横切る県道203号線から、少しそれた道沿い。通りを進んでいると、不思議な存在感を放つコンクリートの量塊(りょうかい)がチラと視界の隅に入ります。これは、戦時中に軍用機を隠すためのシェルターとして、各地の基地周辺に建造された「掩体壕(えんたいごう)」という戦争遺跡。

戦時中、霞ケ浦周辺には阿見町だけでも21基の壕が存在していたそうですが、現在では鹿嶋市の「桜花公園」のほか、阿見町のこの1基のみとなっています。今回は、町指定文化財ともなっているこの「霞ケ浦海軍航空隊有蓋(ゆうがい)掩体壕」について、同町生涯学習課の鯉沼さんにご案内いただきました。

終戦後、民間に払い下げられた壕は、そのほとんどが終戦後の鉄不足を背景として、中の鉄筋を取り出すために解体されたと言います。間近で見る壕は、軍事施設だけあって、すでに建造から80年以上を経ているにもかかわらず、重厚そのもの。一部露出している鉄筋を見ると、今日の住宅などに使用されるものより明らかに太く、なるほど、1基から取り出せる鉄筋の量は相当なものでしょう。

一時はピアノ練習教室に利用

今残っているこの壕の最初の所有者である山本さん(仮名)は、内部を人が住めるように整え、住まいとして大切に扱ったのだそうです。その後、家族の変遷とともに用途は移り変わり、ある時は物置に、またある時はピアノ教室として用いられたこともあったのだとか。

山本さんは、掩体壕を「家の歴史そのもの」として強い愛着を持っており、保存に熱心に取り組まれました。その熱意は、当地の戦時中の歴史を伝えるものとして実を結び、町の文化財の指定を受けることとなったのだそうです。

現在、再び倉庫として使用されている壕の前には、まぶしい日差しをうけ、夏野菜が青々とした葉を茂らせていました。終戦の日を思わせるような青い夏空の下、戦争の中をたくましく生き抜いてきた市井の人々の歴史に、静かに思いをはせる取材となりました。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。今回の史跡は民地内にあるため、一般の見学はできません。

<参考> これまで紹介した場所はこちら

8月の平和事業 水戸、土浦、つくばを比較【水戸っぽの眼】4

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今年のまつりつくば(筆者撮影)

【コラム・沼田誠】かつて水戸市役所で平和事業を担当していたことがあります。当時は、水戸空襲など戦争を体験した語り部と若者をつなげる「ぴ〜すプロジェクト」、平和作文コンクール、折り鶴プロジェクトを組み合わせた小中学生平和大使の広島派遣、さらに平和記念館を拠点とした展示・資料保存を三本柱に据えた、市民参加型の事業を展開していました。現在も、基本的にはこの枠組みで続いています。

しかし、担当していた際、「平和事業が8月の定番行事になってしまっていて、参加者が受け身になっていないか」「高齢化する語り部に依存し続けてよいのか」という疑問を抱いていました。参考になる事例を調べる中で、アウシュビッツでは現在ガイドに直接の体験者はいないこと、唯一の日本人ガイドを務める中谷剛さんが、過去の悲劇を現代社会に引き寄せて考えるべき、と主張されていることを知り、こうした企画ができないか、上司とも議論していました。

その後転職してしまったので、私の手でこのような企画を実現することはできませんでした。しかし、少しずつ平和をどう伝え、主体的に考えていくのか、ということについて、水戸市役所内で議論が進んでいることを感じています。8月26日に戦場カメラマンの渡部陽一さんの講演が水戸で企画されているのはその一例でしょう。

隣接する土浦市でも、市民団体が主導する「原爆と人間展」や講演会を行政と協力して展開し、若い世代を巻き込んでいると聞きます。土浦市立博物館が発行する「戦争の記憶マップ」も手元にありますが、戦争について学ぶ教材としてとても優れていると思います。

つくばは規模も内容も控えめ

では、つくば市の平和への取り組みはどうでしょうか。

五十嵐市長は8月15日のFacebookで「今日8月15日は平和の尊さをあらためて心に刻む日です」と訴え、市内中学生を「青少年ピースフォーラム」へ派遣していることを紹介しながら、「核武装が安上がり」といった議論を批判し、「歴史に学び、未来への責任をもって共有」すべき、と強調されています。

その姿勢は、戦災の有無を超えて平和であることを軽視しないという強い意思を示していると思います。

一方、つくば市として行う平和事業は、青少年ピースフォーラムの派遣やパネル展にとどまり、水戸市や土浦市と比べ、規模も内容も控えめに映ります。これは、地域の中で戦争中に直接大きな被害を受けなかった、という歴史的事情が影響しているのかもしれません。しかし、同時に、「科学のまち」として多様な外国人が暮らし、国際的な課題と接点を持つ都市だからこそ、慰霊や回顧にとどまらない、独自の立ち位置での平和に向けての発信ができるのではないでしょうか。

つくば市の可能性のひとつとして、五十嵐市長の発信が単なる追悼の言葉に終わらず、未来志向の取り組みへと発展していくことを期待したいと思います。(元水戸市みとの魅力発信課長)

ビューティフルネーム《短いおはなし》42

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

敬老の日に、嫁が食事に誘ってくれたの。
孫たちに会うのは久しぶりよ。楽しみだわ。

「お義母さん、いらっしゃい」

「今日はお招きありがとね」

「わーい、おばあちゃんだ」

「おばあちゃん、こんにちは」

「まあまあ、孫たちも大きくなって」

孫は全部で5人いるの。
高校生を筆頭に、一番下はまだ3歳。
みんなかわいいわ。
だけどねぇ、年のせいかしら。名前がなかなか覚えられないのよね。

「ええ~と、一番上のあなたは確か、月ちゃんだったかしら」

「違うよ、おばあちゃん。わたしは月の姫と書いて、月姫(かぐや)だよ」

「ああ、そうだった。かぐやちゃんね。2番目のあなたは、大ちゃんだったかしら」

「違うよ、おばあちゃん。僕は大きい河と書いて、大河(ナイル)だよ」

「あ、ああ、ナイルくんね。3番目のあなたは、真くんよね」

「違うよ、おばあちゃん。僕は真珠の星と書いて、真珠星(スピカ)だよ」

「あ、ス、スピカくん…。そうだったわ。4番目のあなたは、鈴ちゃんだったかしら」

「違うよ、おばあちゃん。わたしは鈴の音と書いて、鈴音(べる)だよ」

「ああ、そうそう、べるちゃんね…。え~っと、一番下の子は?」

嫁の後ろから、可愛らしい女の子が顔を出した。

「お義母さん、すみません。この子、人見知りで」

「会うのは初めてだもの。仕方ないわ。それで、名前は、雪ちゃんだったかしら」

「違いますよ、お義母さん。この子は雪の女王と書いて、雪女王(エルサ)です」

「ああ…エルサちゃんね。ああ、もう、みんな難しい名前で覚えられないわ」

「ねえ、おばあちゃんの名前は何ていうの?」

「おばあちゃんの名前は簡単よ。だってひらがなだもの」

「ふうん。じゃあ、紙に書いて」

孫たちが持ってきた紙に、私は大きく名前を書いた。

「ほら、これがおばあちゃんの名前よ」

『ゑゐ』

「え? 何、この字?」

「ひらがな?」

「何て読むの?」

「ゑゐと書いて、ゑゐ(えい)よ」

「えええ~、おばあちゃんの名前がいちばんスゴイ!」

「おばあちゃんの名前、すごいキラキラネームだね」

「月姫(かぐや)も大河(ナイル)も真珠星(スピカ)も鈴音(べる)も雪女王(エルサ)も、みんな素敵な名前よ。おばあちゃん、ちゃんと覚えたからね。今度、俳句仲間に自慢するわ」

「おばあちゃんの名前も、カッコいいから学校で自慢するね」

「あらうれしい。長生きはするものね」

こんなに名前をほめられるなんて、親に感謝ね。

 (作家)

TXが開業20年 「多くの方に支えられ成長できた」 

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1日駅長を務めた4人の小学生

24日 秋葉原駅で記念イベント

つくばエクスプレス(TX)は24日、開業20周年を迎えた。TXを運行する首都圏新都市鉄道(東京都千代田区、渡辺良社長)は同日、東京・TX秋葉原駅で記念イベントと、特別ラッピング列車「ユニール号」(23日付)の出発式を行った。渡辺社長は20周年を迎えた感想を「多くの方に支えられ、成長できた20年間だった」と述べた。

イベント会場では、ユニコーンをモチーフとした新マスコットキャラクター「ユニール」がお披露目され、同社のプロモーションパートナーであるJ1柏レイソルからサッカー日本代表に選出された垣田裕暉選手らが登壇、大勢の鉄道ファンらがステージを囲んだ。

記念イベントでの記念写真。前列中央は首都圏新都市鉄道の渡辺社長

出発式では、約1500人の応募者の中から選ばれた4人の小学生による1日駅長が「出発進行!」と合図。午前11時30分、ユニール号がつくばに向けて出発した。

1日駅長を務めた東京都府中市の光井駿仁さん(7)は、祖父母が暮らす茨城県那珂市を訪ねる際にこれまで5回ほどTXを利用した。今回の応募は、電車が大好きな駿仁さんのことを思った那珂市の祖母が、募集案内を見つけて知らせてくれた。「1500人の中から選ばれてすごくうれしかった。3歳くらいから電車が大好き。TXは形やデザインがかっこいい。出発式では自分たちの合図で『出発進行』した。駅長さんの大変さを知った。夏休みのいい思い出になった。今日のことは日記に書きたい」と笑顔を見せた。

TX秋葉原駅のホームに入るユニール号

「沿線と共に発展させたい」

首都圏新都市鉄道の渡辺社長は今後について「20年、30年先を見据え、沿線の方々と共に鉄道と沿線を共に発展させる中で、安全、安心、サービスの向上を引き続き最優先にしていく」と語った。沿線の人口増加で課題となっているラッシュ時の混雑の対応については「現在進めている車両の8両編成化事業をできるだけ早期に運用開始できるよう取り組む。ホーム延伸化工事の推進に加え、通勤通学時間帯に集中する利用の分散も呼び掛けていきたい」と話した。

インバウンド対策については「海外から観光に来る方にも沿線を楽しんでもらえるようトリップウォーク(ウオーキングイベント)を毎年開催していきたい。改札でのQRカード方式や、クレジットカードのタッチ方式であれば海外の方もそのまま利用できる。対応できるサービスを充実させ、通勤通学を基本にしつつ、土日や日中の利用も促進していきたい」と展望を示した。TX延伸については「交通政策審議会で『秋葉原から東京へ』の位置づけがあるが、整備主体・運営主体は未定。茨城県内の延伸を含めて、現段階でコメントできる立場にない」とした。(柴田大輔)

◆「ユニール号」は、8月24日から2026年3月下旬までの期間で運行し、25日(月)は午前5時台から午後11時台までの間に、上下線で計19本の運行が予定されている。詳細は首都圏新都市鉄道の公式ホームページで確認できる。

➡TX20年の過去記事はこちら(7月31日付6月2日付4月12日付2月26日付1月28日付

“雑草”にも栄枯盛衰はあるのか《文京町便り》43

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】猛暑が続いている。線状降水帯の局地的な襲来はあれど、全国的には、継続的な高温、降水量の不足などで、各地のコメ、果樹、農作物の収穫が減り、食料品価格が全般的に値上がりの可能性が出ている。そんな中で一人気を吐いているのが“雑草”である。

植物学者・牧野富太郎博士の言葉「雑草という草はない」を待つまでもなく、この世の一木一草に至るまで生命の神秘が込められているので、地球上のあらゆる生命体には敬意を払わなくてはならないのだが、正直、“雑草”には悩まされる。道路際・駐車場隅の植え込みばかりか、わずかな隙間を突き破って立ち上がってくる生命力・繁殖力には舌を巻く。

拙宅の狭い庭先にも、しっかりと繁茂してくる。表門から玄関先にかけては何とか刈り取るのだが、1時間程度の暑さと屈み込み作業に音を上げて切り上げると、2週間程度で同じような光景が再現する。要するに、きりがないのである。

高温下で雨量が少ないためか、他の庭木はあまり元気がないが、“雑草”だけはお構いなしに繁茂してくる。そこでふと気づいたのだが、いわゆる一般的な庭木や食糧作物(コメ、果樹、農作物)と“雑草”は、氏素性が違うのではないか。

われわれは、植物を一括して天然・自然そのものだと思い込んでしまうが、庭木や食糧作物は人間の活動・生活に適するように手を加えられた植物である。要するに、動物でいえば家畜(牛、馬、豚、鶏など)に似ている。

対して、“雑草”は、そうした人間の活動・生活を活用し潜り抜けて勝手に、したたかに生き延びてきた植物である。したがって、多少の環境・天候変化に対しても、それを物ともせずに生き延びてしまう生命力が、遺伝子に組み込まれているに違いない。より野生に近い生命体である。

道路・交通事情も影響?

改めて、拙宅の“雑草”に目をやると、そこには十年一日のごとく同じタイプの“雑草”も繁茂しているが、10年前とは少し異なるタイプの“雑草”もあるようである。

私にはこうした植物の名称や種別・系統には何の知識のないのだが、こうした意図せざる変化(繁茂・分布の拡大・交流による栄枯盛衰)は、天候・気象条件の変化だけではなく、道路・交通事情によってもたらされている可能性があるのではないか、と愚考する次第である。交通量の激化や交通インフラの充実などが“雑草”の繁茂あるいは栄枯盛衰の、前提条件あるいは促進剤になっているのではないか。

われわれは、至便な交通事情を享受する以上、こうした負の影響(“雑草”の繫茂・栄枯盛衰)も受け止め、対処する必要がありそうである。(専修大学名誉教授)

ラッピング列車「ユニール号」24日から運行 TX開業20年

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24日から運行が始まるラッピング列車「ユニール号」=つくばみらい市筒戸のTX総合基地

つくばエクスプレス(TX)を運行する首都圏新都市鉄道(東京都千代田区、渡辺良社長)は開業20周年を迎える24日から、新マスコットキャラクター「ユニール」をデザインした特別ラッピング車両「ユニール号」を来年3月下旬まで期間限定で運行する。

20周年の節目を祝い、利用客への感謝の気持ちを込めて企画された。運行開始を前に23日、つくばみらい市筒戸のTX総合基地で報道関係者にユニール号がお披露目された。

車両の前面に装着されている「ユニール」をあしらった特製ヘッドマーク

ユニール号はつくば-秋葉原駅間を運行する。最新の3000系の車両で6両編成。車両の前面に「ユニール」をあしらった特製ヘッドマークが装着され、車体の側面に敬礼やスマイルなどさまざまなポーズをとる縦横70センチのユニールのステッカーが計88枚貼られている。車両全体でにぎやかで楽しい雰囲気を表現しているという。

車両側面に貼られたさまざまなポーズをとるユニールのステッカー

車内には、TXのロゴと20周年の文字が焼き印された木製の特製吊り手が取り付けられている。

ユニール号は24日午前11時30分、秋葉原駅を出発する。24日は上下線各6本、25日は上り9本、下り10本を運行する。今後の1日の運行本数は保守点検の関係上、未定だが、運行時間は1週間単位で首都圏新都市鉄道のホームページで公表するという。

車内の吊り手に取り付けられたTXのロゴと20周年の文字

新マスコットキャラクターのユニールは、幸運を呼ぶといわれているユニコーンがモチーフで、初代キャラクター「スピーフィ」に憧れて2025年4月に入社し、角を触ると幸せになれるという噂が広がり、全国からファンが集まるという設定になっている。

記念乗車券を2000セット限定販売

24日には併せて、開業20周年記念乗車券2000セットが限定販売される。つくば、流山おおたかの森、八潮、秋葉原駅からの硬券乗車券4枚(計1200円分)を専用台紙に入れた記念乗車券で、乗車券には8月24日の日付けと開業20周年記念乗車券の文字が印刷されている。専用台紙には2005年8月24日の開業から20年間の歴史を振り返る年表や、過去の周年ヘッドマーク車両の写真などがデザインされている。

価格は1セット1200円(税込み)。販売場所はつくば、守谷、北千住、秋葉原駅4駅の定期券売り場で、販売時間はつくばと秋葉原駅が正午~午後8時、守谷と北千住駅が午前7時~午後8時。 販売期間は9月30日までだが、無くなり次第、終了する。1人5セットまで購入できる。

酷暑でもにぎやかな里山《宍塚の里山》127

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写真撮影は鶴田学さん

【コラム・及川ひろみ】人が酷暑にあえぐ中、宍塚の里山は緑の木々のトンネルが続き、暑さをしのげます。そして、さまざまな生き物にも出合えます。今年はいつもの夏より種類も多いようです。

この里山は関東平野有数の広さ。広葉樹林、針葉樹林、田んぼ、湿地、小川、大池…。さまざまな自然があり、さまざまな生き物が息づいています。草むらに、木々の間に、木の上に、川辺に、湿地に、水面に、水中に、足元に、大小色とりどりの生き物が飛び交い、環境に溶け込んでいます。

今年はカブトムシやクワガタムシも多く、ヤマトタマムシ(茨城県準絶滅種)もいます。クヌギ、コナラの根元には、カブトムシの羽根が散らばっています。昔なら、カブトムシを食べる犯人はフクロウの仲間、アオバズクでしたが、今、犯人はカラスです。カラスはカブトムシのほか、ヤママユガの幼虫など、大型昆虫の捕食者です。

今ベビーラッシュを迎えているのはバッタ。歩を進めるたびに草の間から飛び出します。そして、小さなバッタがたくさんいるところには、彼らを食べるカエルたち。草の間から飛び出すのはアカガエル、それほど目立たず動くのはヌマガエル。ヌマガエルは至るところで見られます。

カエルが多いということは、生き物が豊富な証しです。カエルが増えれば、それを狙うヘビ。小さな生き物からヘビ―生き物のつながりを感じます。

ここで確認されたトンボは59

写真撮影は鶴田学さん

空を切るように飛ぶトンボ。その種類が多いのもこの季節。野原、湿地、谷津田では、ショウジョウトンボ、シオカラトンボ、大シオカラトンボ、ナツアカネが見られます。小川にはオニヤンマ、草むらにはイトトンボがいます。宍塚でこれまで確認されたトンボは59種。全国のトンボの4分の1です。

今、宍塚大池の水面はハスの花で覆われています。大池にこれほどたくさんのハスの花が咲くのは6年振り。霞ケ浦沿岸に広がる蓮田のハスの花は白ですが、宍塚大池の野生種のハスはピンクで、とてもきれいです。

また、池で見られる胴体が短いチョウトンボの羽根は幅広で、遠目にはチョウのようです。羽根の一部が透き通り、オスはきらりと光ります。トンボは飛行の名手。特にチョウトンボは素早く飛び、ハスの上をたくさん飛んでいます。

しばらく酷暑が続きそうです。暑さしのぎに宍塚の里山、大池に足を運んではいかがでしょう。子どもたちには、自然体験の場として絶好です。(NPO法人宍塚の自然と歴史の会 会員)

小田の祇園祭 つくば市無形民俗文化財に

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神輿と大獅子がせめぎ合う「顔合わせ」(つくば市教育委員会提供)

まつりつくばで大獅子が披露

つくば市教育委員会は22日、毎年7月に小田地区で催されている民俗行事「小田の祇園祭(ぎおんまつり)」を同日、市の無形民俗文化財に指定したと発表した。江戸時代に始まった小田八坂神社の行事で、①神輿(みこし)の巡幸②大獅子の巡幸③神輿と大獅子がせめぎ合う「顔合わせ」④お囃子(はやし)の演奏から成る。特徴的な行事や芸能を備えることなどから指定された。

市無形民俗文化財の指定は合併前の1986年2月以来、9件目。市文化財の指定は85件目。23、24日、つくば駅周辺で開催される「まつりつくば」の23日夕方のパレードで、同祇園祭の構成要素の一つである「小田の大獅子」が披露される。

市文化財課によると、小田地区東部にある八坂神社は江戸時代初期の1651年に創建された。江戸時代中期の文書に神輿の巡幸や太鼓の使用が確認できることから、祇園祭は創建のころから実施されていると推測されるという。現在は7月の第3土曜日に開催され、小田東部区、八坂神社お囃子保存会、小田大獅子保存会の3団体が担っている。

神輿の巡幸は、昼間から夕方に小田地区東部を巡行し、夕方までに東部の一時休憩場所である御仮屋(おかりや)に戻る。神輿の巡幸は現在、東部区が担当している。

大獅子の巡幸(同)

大獅子の巡幸は、獅子頭に続く長さ約10メートルの大きな胴体を約30人で上げ下げし、蛇行させながら、小田地区中部を昼間から夕方に練り歩く。起源は不明だが、江戸時代末期の1865年に獅子頭が寄贈されており、それ以降、始まったとみられている。大獅子は毎年、獅子頭に胴体とたてがみを付けて作られる。たてがみは栃木県の鬼怒川中流域で毎年、水草のササバモを採取して作られ、神聖な魔除けとして巡幸の際などに各戸に配られる。大獅子は、戦国時代の小田城最後の当主、小田氏治(うじはる)が戦勝祈願をした姿だとする言い伝えがある。巡幸する大獅子は、江戸時代末期に寄贈されたものが現在も使われている。小田大獅子保存会が伝承している。

東部の神輿と中部の大獅子がせめぎ合う「顔合わせ」は、祇園祭の大きな山場となる。東部と中部の境界で夜8時ごろから5回行われる。大きな歓声が沸き上がる中、神輿と大獅子が4~5メートルの高さに持ち上げられ、高さを競って張り合う。江戸時代末期から近代に間に始まった行事だと推測されるが、古事記や日本書紀の神話、スサノオノミコトとヤマタノオロチの争いを模したものと言い伝えられ、荒ぶる力のぶつかり合いと対抗で災厄を撤退させる夏の鎮送儀礼といえる。

顔合わせの後、神輿は八坂神社に帰り、本殿に収められる。この宮入りの間、荒ぶる魂を鎮めるお囃子「御神輿(ごじんこ)囃子」の演奏が続けられる。江戸時代中期の文書に太鼓を使用した記載があることから、この頃に起源をもつと推測される。お囃子の伝承と顔合わせ等、夕方以降の東部での行事は八坂神社お囃子保存会が主に担当している。

市無形民俗文化財の指定について市文化財課の石橋充課長は「地域の方々が伝統的な民俗行事を残していこうと努力しているところなので、市としても未来に継承できるよう支援していきたい」と話している。

➡小田祇園祭の過去記事はこちら(2018年2月25日付23年7月15日付

23、24日はまつりつくば ごみ袋「もってかえる」を1万枚配布  

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出番を待つ今年初登場のねぶた「八郎太郎」=つくば市竹園

つくば市最大の祭り「第42回まつりつくば2025」(まつりつくば大会本部など主催)は今年もつくば駅周辺を会場に、23日と24日の2日間開催される。つくばエクスプレス(TX)開業20周年を迎える今年は、TXを運行する首都圏新都市鉄道がパレードに参加するほか、記念グッズが大清水公園で販売される。今年新たに、来場者に飲食容器などのごみを持って帰ってもらう啓発を実施し、カエルのイラストがデザインされ「もってかえる。」と書かれたごみ袋を1万枚配布する。今年も例年と同規模の48万人の来場者を想定している。

メーンの「まつりパレード」は、両日とも午後4時から土浦学園線の東大通りと西大通りの間で実施され、大ねぶた4基と中小ねぶた5基が繰り出す。今年の新作として十和田湖や八郎潟、田沢湖の竜神「八郎太郎」のねぶたが登場する。ほかに、40年前の1985年開催のつくば科学万博で披露された万博山車や市内各地区のみこしが練り歩く。25日は万灯みこしが加わる。

11エリアで

会場は駅周辺の11エリアに分かれる。▽つくばセンター広場と大清水公園の「まんぷく広場」には市内のグルメや特産品が勢ぞろいする。▽市中央図書館からつくばエキスポセンター前の遊歩道、つくば公園通りでは「アートタウンつくば 大道芸フェスティバル」が開催され、中国雑技芸術団など大道芸のパフォーマンスが披露されるほかアート作品の販売される。世界の料理が楽しめる「ワールドレストラン」なども催される。

▽科学のまちつくばならではの「スーパーサイエンスパーク」は、つくばセンタービル3階のつくば市民センター・コリドリオ大会議室や、ノバホール小ホールなどで開催される。分身ロボットを操作して迷路にチャレンジしたり、分身ロボットのツアー体験、並木中等教育学校や茗渓学園による工作教室などが催される。体験はいずれも無料で、両日とも正午から整理券を配布する。

▽つくば駅に隣接する中央公園では福祉団体などの活動を紹介する「ふれあい広場」を開催。▽つくば国際会議場隣の竹園公園ではダンスフェスティバルのほか、さまざまなスポーツを体験できる「スポーツパーク」を催す。▽つくば駅前のクレオ前広場では屋台などが並ぶ「トナリエつくばスクウェアうきうき広場」を開催。▽つくばセンター広場特設ステージでは、園児や子供たちによる音楽やダンスのほか、トップ・ウクレレ奏者の名渡山遼さん、シンガーソングライターの澤田千加子さん、地元つくば市出身の演歌歌手 水城なつみさんなどが登場する。▽昨年始まった「つくばのおさけで乾杯エリア」のほか、今年からは「行政PRブース」や「協賛出店ブース」なども用意される。

会場で配布するごみ袋「もってかえる。」を紹介する木村憲一市環境衛生課長

今年の新たな企画としては「ごみ持ち帰り啓発」が実施される。まつり会場は2030年までに二酸化炭素排出量実質ゼロを目指す脱炭素先行地域に指定されていることから、ごみゼロを目指して、「もってかえる。」とデザインされたごみ袋1万枚を大会本部など計4カ所で来場者に配布し、ごみを持って帰ることを呼び掛ける。ただしごみ箱は撤去せず、例年通り設置するという。

市環境衛生課の木村憲一課長は「今年はごみ持ち帰り元年にしたい。まずは来場者に慣れてもらうという意味でのPRであり、ごみ問題に意識を高めてもらえれば」と話す。

暑さ対策としては、つくばセンタービル1階と竹園西児童館に救護所を設置する。医師や看護師が常駐し、救急車も待機する。さらに会場内に休憩所やミストシャワーも用意する。

まつりのポスターやちらしのメーンデザインは、市内3カ所に物流倉庫を構えるZOZOが担当した。まつりつくばのごった煮感をイメージしたデザインだという。

まつりつくばは1981年、合併前の旧桜村の市民有志が大清水公園で開催したのが始まり。コロナ禍の3年間は開催されなかった。近年は48万人の規模で開催されている。(榎田智司)

展望台と滝がある松見公園《ご近所スケッチ》18

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】松見公園(つくば市天久保)は、TXつくば駅から車で数分の所にあります。1976年に完成したそうです。高さ50メートルの展望台がボトルオープナーの形をしており、「栓抜き公園」という愛称で親しまれています。上からは筑波山から研究学園まで一望できます。展望台の下には、たくさんの鯉がいる大きな池、その池に注ぐ滝があります。

今回は滝がテーマなのですが、描きあげるのに苦悩しました。その理由は、水がたくさん流れているわけではなくて、どのように滝と分かるように描けるかでした。結局、水量を増やして描くことにしました。見に行かれた方は、「実際はチョロチョロなのかぁ~」と思われるかもしれません。

今回は「絵を描くとは?」に悩みました。結局、写真は真実を写しますが、絵は「好きでいいじゃん! 心象風景でいいじゃん!」ということになり、やっと描くことができました。つくば周辺の絵を描いていますが、「ウソ」ではなく「心の絵」ということです。記録画とは少し違いますが、これからも「つくば周辺の良さを描く」をテーマにします。

下の絵は、トップの滝の上の所です。小さな滝があり、手前には渡れる飛び石が配置されています。公園の周りはメディカルセンター病院はじめ、建物ばかりですが、この空間は旅に行ったように思えるステキな場所です。(イラストレーター)

ペット学校→日本語学校→次は?東郷サンスイG代表【キーパーソン】

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東郷治久さん

サンスイグループ(東郷治久代表、本部・つくば市小野崎)はいろいろな事業を展開している。新しい分野は2018年春に開校した日本語専門学校だが、本部敷地内にある校舎が手狭になり、別の場所に移すことも考えているという。同グループの歴史と現状、生徒が増えている日本語学校を今後どう展開するのか、東郷さんに聞いた。

「ひとつの業種にこだわるな」

サンスイグループは複数の事業で構成されている。本部を置く「つくば山水亭」を核とした飲食事業、筑波山手前にある「わんわんランド」などペット事業、ペット専門学校に日本語学校を加えた教育事業―の3分野だ。

東郷家の事業は、祖父が1919年に常総線水海道駅前に開業した米穀商が始まり(配給制を受け戦後廃業)。常総鉄道の経営にも手を拡げ(のちに京成電鉄が買収)、筑波山神社前にあった旅館山水荘(つくばグランドホテルの前身)も取得。父の代には県内最多の映画館チェーンを経営した(テレビの登場により撤退)。3代目は、飲食事業、ペット事業、学校法人を立ち上げ、神社前のホテルは2023年に米国の投資ファンドへ売却した。

こういった経緯は常陽新聞の記事(2014年6月16日掲載)、本サイトの記事「…米投資会社に譲渡…」(23年8月10日掲載)に詳しい。

「グランドホテルを処分したことで先々代・先代が始めた事業はすべてなくなった。祖父は『ひとつの業種にこだわるな。ひとつ良い時に違うことをやっておけ。9勝6敗でも構わない。商売は失敗してもよい』と常々言い、チャレンジを大事にした。私もこの家訓を胸に刻み、社会経済の変化を読んで新事業を始め、儲からない事業からは撤退した」

日本語学校にはすんなり入れた

1996年に起業した犬の動物園「わんわんランド」の区画には、ペット専門学校、動物病院、老犬介護ホーム、ペット霊園なども併設され、今では猫とも遊べる総合ペットランドになった。これら施設の中で収益の柱になっているのが、2006年に設立したペット専門学校。

「元々ここで働く人に犬について学んでもらう施設があった。それをペットに関心ある人を受け入れる専門学校にしたら大ヒット。発足時16人だった生徒数が今では500人を超える規模になった。これは東京、大阪、名古屋にある類似の専門学校に次いで全国4位。つくば市に何でそんな規模のペット学校があるの?とよく聞かれる」

ここで東郷さんを刺激したのが「ひとつ良い時に違うことをやっておけ」という祖父のビジネス訓。

「ペット専門学校の生徒募集のために高校回りをしていて生徒数の減少を痛感。日本の労働力不足を補うには外国人にも働いてもらう必要がある。そこで時代に合った学校もやろうと日本語学校を立ち上げた。商社で中近東に駐在していた時にアラビア語を勉強させられたこともあり、日本語学校事業にはすんなり入れた」

日本語学校「日本つくば国際語学院」校舎の壁面

サンスイグループの日本語学校の定員は県内で最大。開校時40人弱だった生徒数は、今秋にはネパールやミャンマーからの留学生を中心に200人を超える。東郷さんはこれを300~400人規模にしたいという。それには別の場所に新校舎を建てるか、ビルを買って校舎に改修する必要がある。早晩、市内のどこかに大きな日本語学校が姿を現しそうだ。

【とうごう・はるひさ】1973年、東北大経済卒、三菱商事入社。開発建設・エネルギー分野を担当、中東のシリアやレバノンなどに3年駐在。83年に商事を退社、家業の東郷商店に戻り、90年から社長。現在は「つくば山水亭」「わんわんランド」「つくば文化学園」などを束ねるサンスイグループ代表。水海道市(現常総市)出身、在住。77歳。

【インタビュー後記】東郷さんの事業展開の最初の柱をペット関連(ホップ)とすれば、日本語学校はステップ、日本語学校の拡大充実はジャンプになる。ただ、移転先案や新計画案を聞いていると(これはオフレコ)、3段跳びはジャンプで終わらず、4段目もありそうだ。グループの事業構造はこれからも変わる? (経済ジャーナリスト、坂本栄)

「日本のいちばん長い日」と「肉弾」《映画探偵団》91

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】戦後80年。終戦秘話を描いた2時間37分の映画「日本のいちばん長い日」(1967)を久しぶりに見た。

この作品は1967年度の興行成績第2位で、大ヒットを記録した。しかし公開前、製作関係者の誰もが当たると思っていなかった。脚本家の橋本忍も当たらないと思っていた。当時、大学生の息子に尋ねたところ「8月15日に公開すれば当たる」との答えが返ってきた。橋本忍は半信半疑だったが、それを条件に仕事を引き受けた。直前に9月公開と聞き、約束が違うと8月15日に戻させた。

トップシ一ンは、日本列島の地図上にポツダム宣言のクレジットが出て始まる。その後、政治家や陸軍・海軍大臣らの終戦をめぐる閣議が続く。また、陸海軍の若手将校らの戦争続行、本土決戦の突き上げもあり、会議はなかなか進行しない。結局、天皇の決断で終戦は決まるが、国民に知らせる玉音放送をめぐり若手将校の反乱が始まる。

そして、この戦争で300万人が亡くなったとのクレジットと再び日本列島の地図で映画は終わる。出演者名は登場順に出てくる。

これまで何度か見てきた作品だが、橋本忍は当たりそうもない話を玉音放送ができるかどうかとのサスペンス映画として組み立てている。また岡本喜八監督の短いカットの積み重ねはアクション映画そのもので、優れた娯楽作品に仕上がっている。

同じ役者が両作品に何人も

岡本監督は「日本の~」を作ったあと、自伝ともいえる「肉弾」(1968)を無性に作りたくなり、自宅を抵当に入れア一トシアター作品として製作する。大作「日本の~」とは真逆の小さな作品だ。

魚雷にくくりつけられたドラム缶の中、21歳6カ月の「あいつ」が海に漂うトップシ一ンから始まる。魚雷で特攻する隊員の1945年の夏を描いている。しかし「肉弾」は、敗戦濃厚の諦めムードに支配された人物が多々登場し、漫画も用いた多彩な表現で、全編ユ一モアに満ちた喜劇仕立てである。ラストは1968年に海水浴を楽しむ若者たちのシーンで、海を漂うドラム缶の中で骸骨になった「あいつ」が戦争を批判し叫んでいる。

同じ終戦の夏を描いても、「日本の~」と「肉弾」はまるで異なる。さらに、「日本の~」に出ていた役者が「肉弾」に何人も出てくるため、続けて見るといささか混乱させられる。

「日本の〜」で沈着な首相を演じた笠智衆は、「肉弾」ではB29の爆撃で両腕を失ってもひょうひょうとした古本屋の主人。口をへの字にして特攻隊を見送る飛行団長の伊藤雄之助は、東京湾で「あいつ」に終戦を伝えるオワイ船の船長。徹底抗戦を支持する陸軍の髙橋悦史は、酒をコップであおり若者の命を惜しむヒゲの下士官。その他、同じ役者が2本の作品に何人も出てくる。ナレータ一の仲代達矢と音楽の佐藤勝も両作品を担当している。

「日本の~」に感動した人が「肉弾」を見たら、ふざけていると怒り出すかもしれない。また「肉弾」を評価する人が「日本の~」を見たら、自分の立場しか考えない頑迷な指導者を立派に描き過ぎると批判するかもしれない。戦後80年。いまの日本に合っているのはどちらの映画だろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

高校生と一緒に土浦を活性化したい 教員 酒井慶太さん【ひと】

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酒井慶太さん=放課後こども食堂調理場の市役所2階ガスタ東部ガスライフスタジオ前

放課後こども食堂など開催

つくば国際大学高校(土浦市真鍋)の教員、酒井慶太さん(27)は、若者による土浦のまちの活性化に取り組みたいと「土浦わかもののまちプロジェクト」を立ち上げ、高校生らがボランティアで運営する「放課後こども食堂」や高校生主体のイベントを開催している。今年7月にはNPO法人化した。

土浦に戻ってきた

20代前半は、全国各地の様々なところに住みたいと思い、大学卒業後、沖縄の高校で教べんをとった。「故郷の土浦が好きで、土浦を活性化させたいという思いが強くなり」、2023年4月、土浦に戻ってきた。「人口減少によって無くなる町があると知り、土浦は無くなってほしくないという思いもあった」という。

高校教員である自分なりのアプローチとして、高校生の活動によって土浦の活性化を図りたいと考えた。「高校生にとっては、地域のいろいろな人たちと関わって成長していく社会教育にもなる」と思い、2023年9月、一人で同プロジェクトを立ち上げた。まず思いついた活動が「地域の子どもたちに放課後の支援ができて、高校生が地域の人と関わり社会課題にも触れることができる放課後こども食堂の運営だった」。

放課後こども食堂の食事を作るボランティアの高校生たち(酒井さん提供)

やってみよう、やればできる

市内の一中地区や神立地区などのこども食堂を訪れ見学した。新たに開設する放課後こども食堂の会場として、土浦駅前の市役所2階ガスタ東部ガスライフスタジオのキッチンと、同じ階にある市役所研修室の利用をそれぞれ依頼した。食材はJA水郷つくばやレンコン農家に提供を願い出た。子どもたちに向けては、土浦駅近くの土浦小と土浦二小にちらしを配り、高校生ボランティアは、まず勤務先のつくば国際大高で声を掛けてボランティアを募った。

2023年11月に第1回目のこども食堂を開催した。酒井さんのSNSで活動を知った土浦日大の教員が声を掛けてくれ、両校の高校生ボランティアが合わせて約10人が集まり、小学生約30人が参加した。

酒井さんは「やってみよう、やればできると思って行動した。とにかくいろいろなところに足を運んだ」とし「やってみると皆が助けてくれる。人が人をつないでくれると実感した」と語る。現在は一緒にやってくれる人が少しずつ増え、メンバーが10人になった。現在、食材は、活動を知った農家が野菜の寄付などを申し出てくれているという。

小学生の新しい居場所に

こども食堂は毎月1回、平日の午後4時から7時までで開催し、今年6月までに計18回開催している。これまで提供した食事は「コーンご飯と鶏の照り焼き、ポテトサラダ」「豚しゃぶおろしそばとフルーツポンチ」など。高校生らが毎回、30~35人分を自主的に調理する。献立は栄養を考え旬の食材を取り入れながら酒井さんが考えている。最近は、当初から関わってくれていた高校生が大学生になり、メニューを提案してくれているという。

高校生ボランティアは、調理するチームと小学生と遊ぶチームに分かれて活動する。小学生は出来上がった食事を研修室で食べた後、高校生と絵を描いたり、トランプをして一緒に遊んだり、勉強を教えてもらったりする。

小中学生には「気楽に来てほしい」という思いから、事前の予約はとらない。参加費は小中学生は無料、高校生以上は300円。小学生は土浦駅近くの土浦二小の児童が多いが、神立や荒川沖からの参加者もいる。毎月楽しみにして通っている小学生も多く、きょうだいの中学生が一緒に来て、高校生に進路や勉強方法などを相談することもある。

酒井さんは「放課後こども食堂は、子どもたちにとって単に食事がとれる場所ではない。月に一度だが高校生に勉強をみてもらったり、一緒に遊べたりと安心できる放課後の新しい居場所として機能している」と話す。今後は他の高校にも声を掛けていきたいという。

子どもたちに勉強を教える高校生(酒井さん提供)

高校生の企画を全部かなえる

「まちの活性化のためにも土浦の高校生たちにそのまま住み続けてほしいという思いがある」と酒井さんは語り、「土浦は水戸に次いで高校が多い都市。近隣市町村から通ってきている高校生も多く、彼らにも土浦に住んでもらいたい」と語る。そのためにも土浦で楽しい思い出をたくさんつくってほしいという願いがある。

そこで高校生が土浦で楽しむイベントをしたいと、2024年7月に「土浦ティーンズフェス2024」を市役所前のうらら大屋根広場で開催した。「どうしたら高校生が土浦のイベントに来て、楽しめるか」を高校生自身が考え、企画、運営するイベントだ。運営には土浦三高、土浦日大、つくば国際大高から40~50人が集まり、「洋服屋さんやアクセサリーショップがあると楽しい」「自分に似合う服やメイクの色を診断して教えてもらえるパーソナルカラー診断があるといい」「ステージで有名人を呼びたい」「自分たちも出し物をしたい」など様々な企画が出た。

酒井さんは「自分の仕事は高校生が考えた企画を全部かなえること」だと考え、できる限り実現できるよう奔走した。ほぼすべての企画が実施でき、衣料品店やアクセサリーショップ、カラー診断は県内の店が出店、キッチンカーは県内で移動販売を実施するワッフル店や市内のおにぎり専門店が出店してくれた。出店してもらうだけでなく高校生も一緒に接客する経験もした。ステージには、SNSのTikTocで高校生に人気の配信者やシンガーソングライターの丸山純奈さんなどを招いた。高校生による出し物は、土浦日大高校ストリートダンス部の演技や、高校生がモデルをするファッションショーなどを行った。司会進行やテント設営なども高校生自らが行った。

参加費は無料とし、イベント費用はクラウドファンディングで調達した50万5000円を充てた。市内の高校生だけでなく、近隣の20代、30代の若者などが遊びに来ていたのが印象的だったという。 

2回目となる今年度は「夏の猛暑や秋の文化祭シーズンを避け、来年3月も開催する予定だ。前回好評だったファッションショーを行う予定で、モデルは世代交流の意味を含め子どもからお年寄りまであらゆる世代が出られるようなショーにしたい」と酒井さんはいう。

次の目標はユースセンター

さらに、高校生が活躍する地域イベントをティーンズフェスとは別に年に1回開催したいと考えている。今年は、高校生が集まって土浦をどうしていきたいかを考える「若者会議」の開催を県県南生涯学習センターとの共催で計画している。開催は12月の予定で、「土浦の今と理想のイメージを考え、土浦でしたいこと、あったらいいことを考える」をテーマに、9月に参加者15人程度を市内10校から募る。内容は発表して終わりにするのでなく「有名なカフェの誘致は無理だとしても、東部ガスのキッチンでカフェを開く」など少しでも実現していくようにしたいと酒井さん。

今後は放課後こども食堂を継続するとともに「学校と家以外で中学生や高校生が無料で毎日集まれる場所となるサードプレイス(第3の場所)として、ユースセンターを土浦につくることが目標だ」と意気込みを話す。市の施設や企業の空きスペースなどを利用し、大学生にインターンとして常駐してもらいたいと考えており、「補助金や企業の協賛金を利用して運営できたら」と語る。

【取材後記】酒井慶太さんのことは2年前から知っていて、前々から取材したいと考えていた。実際に話を聞いてみて、行動力に驚いた。単に考えるだけでなく「すぐに動く」「人に会う」「人と協力する」ことができるのは、27歳という若さだけではない。「土浦を活性化したい」思いや情熱からくるものだと実感した。そして人の情熱は、行動すれば周囲の人に伝わっていくことを改めて認識した。若い人の活躍や思いを聞く取材は、自分自身への刺激にもなった。(伊藤悦子)