火曜日, 3月 3, 2026
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「死が遠ざかった」今の時代《看取り医者は見た!》19

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写真は筆者

【コラム・平野国美】今、週刊誌の表紙を見ると、「飲んではいけない薬」とか「老後の問題」といった医療介護関係の話題が必ず出ています。特に、毎週月曜日に発売される2つの週刊誌はこれらが必須の記事になっています。昭和や平成のころは、こういった記事はほとんどなく、「新橋の居酒屋情報」とか「買ってはいけないマンション」といった記事が多かったのですが…。

私も、『看取りの医者』(2009年、小学館)を出版した後、よくそういった内容の記事依頼を受けました。あるとき、「こんなに毎週、病気や死ぬ話ばかり出していて、いいの?」と編集者に尋ねたことがあります。

答えは「読者層が昭和、平成から変わらないようで、60~70代がメーンなのです。彼らが現役のときは、飲み屋や旅行、家や車の購入方法が関心事でしたが、今の最大の関心は病気や死ですから、そういった話を盛り込まないと売れません。グラビアも、現代の女優やアイドルではだめで、昭和のスターを出さないと…」でした。

「顔に白い布」を見ていた日常

今は「多死社会」と言われる時代ですが、この分野は誰にも未知の世界です。それゆえに、恐怖を感じるのでしょう。

親との同居が当たり前だった大家族時代には、祖父や祖母、もっと言えば曽祖父が同居しており、腰が曲がり、寝たきりとなり、顔に白い布がかかる日を日常の生活で見ていました。その過程に家族として寄り添うことで、現実として受け止めていました。しかし、核家族化の今の時代、病人や高齢者が同居しておらず、リアリティが消失しているのです。

今年の春は気象予報が立てにくく、桜の開花予想が大きく外れました。桜の名所で満開を期待してきた外国人旅行客が「満開かと思ってきたら、もう葉もなく、枯れ枝ではないか」と話していました。そこの桜はまだ蕾さえ小さく、開花前なのですが、日本の桜を見慣れていない彼らには、花どころか葉さえ散ったように見えたのでしょう。

ドラマの中の死だけでは現実味がなく、心に痛みが伴わぬものです。普段から現実を見ることが大切だと思います。昔の地域共同体では共同で葬式を出していました。近所の家での看取りを通し、死を感じることができた時代でした。死は私にも恐怖ですが、仕事ですから私には日常です。自分の親の死に際にしても、周囲に鈍感と思われるほど淡々としていました。自分の人格を疑われるのではないかと思ったほどです。(訪問診療医師)

ハクレンの大量遡上始まる 桜川 つくば 松塚の堰 

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松塚の堰を上った大量のハクレンを指さし説明する桜川漁協の鈴木清次組合長=つくば市松塚の桜川

15日朝、桜川 松塚の堰(つくば市松塚)に、ハクレンが大量に遡上したのを桜川漁業協同組合(鈴木清次組合長)が確認した。朝は水面が真っ黒になるほどだった。大量遡上が確認されたのは今年初めて。夕方には、朝より数は半分ほど減ったものの多くのハクレンが見られ、背びれを水面にのぞかせて泳ぐ様子に、川辺で農作業をしていた近隣住民も驚いていた。

ハクレンジャンプと言われる集団跳躍行動はまだ見られず、何匹かが堰を上ろうとジャンプする様子が観察された。堰を上りきれず浅瀬にジャンプし、岸に打ち上げられたハクレンも5、6匹見られた。

年々遡上する数が増加

桜川漁協の鈴木組合長によると、ハクレンが桜川に大量に遡上し始めたのは3年前からで、年々遡上する数が増えている。「おとといの13日、雨が降ったので桜川が増水し産卵のために上ってきた。今日は松塚の堰はそれほど水が多くない。松塚の堰を上ったハクレンは(さらに上流の)田土部堰(たどべぜき)が閉まっているのでこれ以上は行けず、ここにとどまったり戻ったりしながらジャンプしている。前は利根川のハクレンジャンプが有名だったが、最近は桜川でも見られるようになった」と話す。

20時間で稚魚になり霞ケ浦へ

ハクレンは、1匹のメスに数匹のオスが寄り添って産卵と受精が行われる。受精した卵は下流に流されながら、20時間ほどでふ化して稚魚になるという。鈴木組合長は「3年前には霞ケ浦のワカサギ漁の網にハクレンの稚魚が大量に入り、ハクレンとワカサギをより分けるのが大変だったという話を聞いている」と話し、「去年も今年もワカサギはあまり獲れないと聞く。このままではハクレンばっかりになってしまう」と懸念する。

ハクレンは中国原産の外来魚で、成魚の体長が100センチ、重さが10キロほどになる大型魚。アオコなどの植物プランクトンを餌としている。産卵期が5月から7月で、この時期に集団跳躍をする習性がある。産卵は、産卵日の前日や前々日が雨天で、川の水量が増加した早朝から行われる傾向があるという。

昨年5月には田土部堰でハクレンの大量酸欠死が発見され(23年5月27日付)、6月初めには台風の影響による増水で大量の死骸が霞ケ浦に流される事態が発生した(23年6月2日付)。(田中めぐみ)

県内の生産は低位推移 消費は緩やかに回復【筑波総研リポート】

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茨城県「茨城県鉱工業指数」より筑波総研作成

筑波銀行グループの筑波総研が15日まとめた「茨城県経済の現状と展望」によると、2月の鉱工業指数(2020年=100、季節調整済み)は106.9と、前月比3.5%上昇したものの、低位の水準で推移している。中国経済の減速などを要因に、自動車や建設機械、半導体関連の生産が減少しており、生産活動には弱さが見られるという。

3月の大型家電店販売は大幅増

個人消費は一部に弱さが見られるものの、全体としては緩やかに回復している。3月の販売額を分野別に見ると、百貨店・スーパーは前年同月比5.2%、家電大型専門店は同23.0%、ドラッグストアは同5.6%、ホームセンターは同5.7%の各プラス。コンビニエンスストアは同0.2%マイナスだった。

筑波総研の担当者は「県内のサービス業の声を聞くと、物価上昇で節約志向がうかがえる一方で、宿泊や小売りは良くなっており、個人消費は緩やかに回復している」という。

空港国内旅客はコロナ前水準に

茨城空港の3月の国内旅客数(定期便)は6万650人になり、コロナ禍前の水準に戻っている。しかし、国際線旅客数(定期便)は2081人と回復が遅れている。「台北便は昨年から運行を再開したが、上海便は5月末まで運休、西安便も10月下旬まで運休が続く」ことがその背景。

コロナ禍でクルーズ船の寄港がほぼストップしていたが、県の誘致戦略もあり、今年度は国内船・外国船とも寄港数が増えそうだ。筑波総研が作成した寄港一覧によると、11隻が予定されている。(岩田大志)

5年ぶり200人規模に 18日 恒例の田植祭 JICA筑波

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アフリカやアジア各国から訪れた農業研修員たち

20年以上続く恒例行事の田植祭が18日、国際協力機構(JICA)筑波センター(つくば市高野台)内の水田で催される。当日は、JICA筑波で農業技術などを学ぶアフリカ、アジア、中南米からの研修員と地域住民が力を合わせて苗を手植えする。コロナ禍で2020年から2年間は開催が見送られ、昨年までは人数を制限して開催だった。今年は5年ぶりにコロナ前同様の200人規模での開催となる。

当日は「ネリカ米」を使ったエスニック料理の試食会もある。ネリカ米はアフリカの食糧事情改善を目的に開発され、JICAも品種開発と普及を支援する。

JICAが品種開発・普及を支援する「ネリカ米」。New Rice for Africa(アフリカのための新しい米)の頭文字が名称の由来になった

「日本は途上国を一方的に支援しているわけではなく、開発途上国に支えられている」とJICA筑波連携推進課の西岡美紀さん(38)はいう。食料自給率は4割未満。さらに近年は労働力人口の減少から、途上国とのつながりなしでは人手不足も解消できなくなりつつある。「田植祭の目的はJICA筑波の活動を知ってもらうと共に、交流を通じて、地域の方に日本と世界のつながりや途上国への関心を持ってもらうこと」だと話す。

つくばだからこそできる国際協力

全国に15カ所あるJICAの国内拠点の中でも特に農業に特化する筑波には、各国の政府機関や自治体から来る年間700人余りの研修員が、それぞれの国が抱える課題を解決しようとやってくる。各国の主要な作物について、品質や収量の向上、病害虫対策など、研修員は自国が直面する課題に対する実験計画を立て、日本の指導員と取り組み、最後にテクニカルレポートを作り上げて帰国する。

アフリカ南部のソレトから訪れた農業普及員のマンポ・マリアさんは、キャベツなど主要作物のための土壌研修に取り組んでいる

研修業務を担当する須田麻依子さん(45)は、近隣にある多様な専門機関と連携できるのがJICA筑波の特色だと話す。「つくばには、近距離に専門機関がたくさんある。気候変動を例にすると、農業分野でどう適応していくかを学びたい方がいれば農研機構の専門家にレクチャーしてもらうし、森林分野の問題では森林総研に最新の研究について講義をお願いする。筑波大の先生から海岸地域の気候変動対策に関するお話を伺い実際に施設を見せてもらうこともある。バスで15分も行けば専門家から直接レクチャーが受けられるのは国内でここだけ。オンラインで海外や日本全国の専門家と接続することは可能だが研修でしか学べないことがたくさんある」と話す。

道の駅を自国でオープン

近年は農業県である茨城の特色を生かし、自治体や農家を交えて多角的な視点で農作物に付加価値を付け、市場を広げる研修にも力を入れている。道の駅のアイデアを自国に持ち帰り、実際にオープンさせた例もあるという。

2020年からは研修員と、途上国での活動に関心を持つ企業や大学を結びつけるためのプロジェクト「農業共創ハブ」をスタートさせた。「企業にとっては現地の人の声を聞ける機会になり、研修員にとっても企業から話を聞くことは非常に有益。JICA筑波がハブとなり、日本の民間企業や大学と途上国のつながりが生まれるよう立ち上げた」と連携推進課の西岡さんは言う。

JICA筑波の西岡さん(左)と須田さん

18日の田植祭は、交流を楽しみにする地元住民らから多数の応募があり、予定より早く募集を締め切った。

「アフリカでも若者の農業離れが進んでいると聞く。田植えは研修員にとっても日本人との貴重な交流の場。日本語を勉強している人もおり、地域の日本人との交流の機会になってよかったと言っている。双方向の文化の理解につなげたい」と西岡さんは企画への想いを語る。(柴田大輔)

◆田植祭は5月18日(土)午前10時40分から12時30分まで。場所はJICA筑波圃場内にらう水田で開催する。秋には収穫祭が予定され、例年9月に研修員と稲刈りを楽しみエスニック料理を食する。詳細はJICA筑波ホームページへ。

すてきな「つくばローズガーデン」《ご近所スケッチ》10

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】「せめて連休中に咲いてほしいなぁ」と思っていたら、温暖化のせいか、バラの開花時期が数年前から半月ほど早まりました。今回のテーマは「なぜ人は絵を描くのか?」です。

2年少し前、実母が没した年齢を超えました。いつ「お空」に行くか、わからない。じゃあ、仕事を辞めて本当に好きなことをしよう。絵を描くことに集中しよう、という思いはよかったのですが…。

人生いつまでたっても、たくさん初体験。今年は3カ月半の間に5回も絵の展示。必死でお絵かき。

そうしたら、首から肩の痛みが取れない。絵だけの生活になって、ひどいギックリ腰を2回。展示会前日の夜まで描いているため、膀胱炎にも。疲労から?仕事では締め切り前に徹夜もして、どうにか乗り越えてきましたが…。

24時間絵のことばかり考えて

年齢を重ねたからということだけではなく、24時間絵のことばかり考えて…。仕事はルーチンワーク。自分の絵は新規の世界。全力で毎日走っているような。

仕事をしていると通帳の残高の数字は大きくなるけど、お絵かき(趣味)は残高が減るの…。でも止められないのはなぜ? そんな中、絵の仲間がたくさんできました。結論は出せないけど、「山になぜ登る」というのに似ているかもしれません。

登ったその風景を見たいから。そして自分の登ってきた足跡を振り返ることができるのは「生きてきた」証拠。そんなことで病み付きになるのかもしれません。

今回の「つくばローズガーデン」(つくば市古来)は本当にステキ! 上の絵も下の絵も10年前くらいに描いたものです。(イラストレーター)

点字本で「宇宙と物質の起源」 高エネ機構、筑波技術大と共同制作

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視覚障害者が点字を読んでいる様子(KEK提供)

「私たちはなぜ存在できているのか」という根源的な問いに迫る研究の成果を、視覚障害のある人にも共有してもらおうと高エネルギー加速器研究機構(KEK、つくば市大穂)素粒子原子核研究所(素核研、齊藤直人所長)が点字本「宇宙と物質の起源 『見えない世界』を理解する」を制作した。点訳や図版を触ってたどる触図化などに筑波技術大学(技大、つくば市天久保)障害者高等教育研究支援センターのチームが共同で取り組んだ。

素核研は素粒子、原子核、宇宙という微細と広大の両極を対象に、理論と実験の両側面から研究を行っている。点字本プロジェクトは2022年春に始まった。人文科学系の図書は点訳が比較的容易だが、自然科学系の図書は内容に精通した点訳者が少なく点訳や触図作成が難しいため、あまり流通しておらず、視覚障害者が物理学など自然科学に触れるのは難しい状況だった。

点字本「宇宙と物質の起源」収録の触図(同)

研究が宇宙と物質の起源という「見えない世界」を扱うこともあって、宇宙や物質について「もっと知りたい、学びたい」という視覚障害者の思いにこたえるべく点字本を企画した。同書の原本になる同名タイトルの書籍は今年3月、講談社ブルーバックスシリーズから発刊になっている。研究者がこれまでの知見や、今後の研究で解明が期待されることなどをやさしく解説した入門書となっている。

点字本は、書籍の本文部分が掲載された点字版と、書籍の図の部分が掲載された触図版で構成されている。研究者10人が「宇宙は何でできているのか」「元素の起源」「質量の起源」「力の起源」などのテーマごとに分担して執筆した原稿を、技大のチームが点訳を行った。元素の遷移を元素・陽子・電子・ニュートリノなどの記号を用いて解説したり、物質に質量を与えるとされるヒッグス場のポテンシャルエネルギーを示す式を提示したり、丁寧に説明している。

技大では、在籍する視覚障害の学生たちのために普段から教科書などの点訳を行っているが、素粒子分野の点訳を執筆者と共同で行うことは初めて。一般的な点訳は、すでに出版されている書籍が対象のため、障害者にわかりづらい文章や図の表現が含まれている。そのような場合、点訳者が原本を解釈して点訳を行い、点字本を作成する。しかし今回は、執筆者が原稿を執筆した後、視覚障害当事者による試読を経て文章を校正し、障害者にわかりやすい表現に修正した。

点訳チームと触読校正者が点字、触図を確認している様子(同)

特に、書籍中のグラフや概念図のほとんどを省略することなく、文章と触図で表現した。点字の専門家である大学教職員と素粒子分野の専門家である執筆者が昨夏の1カ月間、議論を重ねたという。

点訳チームのメンバーの一人で、視覚障害当事者でもある技大の田中仁講師は「点字は創案以来、見えない人たちの新たなチャレンジとともに進化してきた。言葉、楽譜、数式、化学式、情報処理、図・表にわたる点字表現の豊かさはそのチャレンジの証です。点字表現の可能性を信じて点訳した」とコメントする。

素核研の齊藤所長は「今回とても印象的だったのは、視覚障害者が視覚以外の情報から対象を理解しようとするその集中力と情熱の深さ。もともと目には見えない素粒子や量子場を研究している我々は、いわば手探りで理解を積み上げていくという意味では、視覚障害者と同じ立場にある。力を合わせて一緒に探求できれば、新たな理解が生まれるのではないか」と期待を述べた。

触図版は個人や大学、研究機関などに貸し出しが可能。「宇宙と物質の起源 『見えない世界』を理解する」(新書判320ページ、定価1320円=税込み)で執筆者の受け取る印税は全額、寄付され、視覚障害者向け図書普及のために使われるそうだ。

◆素核研の点字本プロジェクトポータルページはこちら

悪役どくろ仮面の正体は?《映画探偵団》76

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】映画が始まった。タイトルバックから月光仮面の登場で「どこの誰かは知らないけれど 誰もがみんな知っている」と主題歌が流れると、館内は少年少女たちの大合唱となった。私も歌った。映画館で合唱を経験したのは後にも先にもこのときだけだ。

『月光仮面』は、1958年に作られた国産テレビ映画で大人気を巻き起こし、東映で劇場用映画が製作された。原作は川内康範、主演は大村文武、公開は7月30日。夏休みのときだった。白ずくめのスタイルと黒のサングラスが印象的だった。敵は黒頭巾に銀色のどくろ仮面。白は正義、黒は悪。一目で分かる対照的なコスチュームだ。

月光仮面の正体は祝十郎探偵であることを、子どもたちはみんな知っていた。だが、どくろ仮面の正体は分からなかった。

国際スパイ団の首領、どくろ仮面には、多くの手下がいる。一つは、首領に似た白のどくろ仮面をつけた黒マントの手下ども。もう一つは、黒のソフト帽にトレンチコ一ト姿で顔半分を黒覆面で隠している部下たち。あと一つは、素顔をさらした部下たちで、三つのグループに分かれていた。

私は首領に似た仮面を付けたグループの位が上だと思って見ていたが、黒のソフト帽の男たちのほうがが上のようだった。いささか過剰な組織だが、序列がしっかり決められていた。一方、月光仮面側、つまり祝十郎探偵側には、助手の五郎八らがいるものの階級制はなく、チ一厶といった印象だった。

後編の『月光仮面 絶海の死斗』で、どくろ仮面の正体が分かる。実は善人と思われていた科学者の赤星博士が、悪の親玉だったのだ。演じていたのは佐々木孝丸。オ一バ一な演技ではなく、リアルな大人の演技を見せていた。後に、新劇界の名優だと知る。

正義のフリした悪いやつ

赤星博士は、世間に信用された科学者。私もまんまとだまされた。それにしても、あの3種類の部下たちをどこでリクルートしたのだろうか。部下たちにも科学者がいるのか。赤星博士にとっては、科学者の姿が仮面であり、どくろ仮面の姿が本性なのだ。世間の肩書やイメージを信用しない私のクセは、映画『月光仮面』から始まったようだ。

『月光仮面』を見た後、少しおいて別の東映作品を見た。題名は忘れてしまったが、なんと正義の味方祝十郎役の大村文武が、悪党一味のチンピラ役で出ていたのだ。子ども心に軽いショックを受けた。正義のイメージを裏切られたからだ。映画会社も残酷なキャスティングをするものだ。

当時、作品と作品、映画と現実は地続きに思えていた。だから、正義の味方も悪いやつに変わる場合があると知って驚いた。

ところでテレビの『月光仮面』だが、子どもが月光仮面ごっこでケガしたり、物語に悪い代議士が登場したりしたためか、「俗悪番組」のレッテルを貼られ、正義側のPTAのやり玉に上がり、打ち切りとなる。ひどい時代だった。

正義のフリした悪いやつ。悪いやつに見えるがいいやつ。何事もイメージに流されないように、注意深く観察して正体を見極めようではないか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

加藤彌進彦翁逝く 内原の地で完治の志を継いで《邑から日本を見る》159

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加藤完治が見守る実践学園校舎

【コラム・先﨑千尋】茨城県水戸市内原町にある日本農業実践学園名誉学園長の加藤彌進彦(やすひこ)翁が、3月末に亡くなった。享年102。翁は、満蒙開拓に深く関わり、生涯を農村青少年教育に捧(ささ)げた加藤完治の3男として、1921(大正10)年、山形県に生まれた。

加藤彌進彦翁

北海道大学農学部を卒業後、妻の実家の栃木県山前村(現真岡市)で農業に従事し、同村農協監事として農協再建に奔走した。52年、父完治が戦後に入植した福島県西郷村(現白河市)の白河報徳開拓地に移り、開拓農協の組合長に就任した。組合長として、道路網の整備、飲料水の確保、電気の導入など農業以前の諸問題の解決に努力し、農業面では酪農経営を柱とした。

58年に、ヨーロッパで農業実習をしたいという夢がかない、国際農友会から派欧農業実習生としてスイスに派遣された。配属された農家は首都ベルン市近郊にあり、酪農と畑作の混合経営。1年半、厳しい自然条件の中で、牧草刈りなど汗まみれになって働いた。

スイスは、2度の世界大戦に翻弄され、その苦い経験から、国民が必要とする食糧は国内で作るという方針を国是としてきた。「農産物価格は農家の生産費を補償する」ことになっており、山岳地帯の農業に対しては手厚い配慮がなされた。アルプスの景観は、国からの農家への直接補償がもたらしたものだ。

翁の長男で現日本農業実践学園理事長の達人さんは「スイスでの体験は父彌進彦の人生の土台になっている。農業に打ち込む生き方はこの時期に定まった」と語る。翁は「スイスは第2の故郷」と書き残している。

帰国後も翁は乳価の引き上げや東京への送乳など酪農組合の諸問題の解決に奔走し、白河の地に骨を埋める気持ちでいた。県議への出馬を要請されるなど、政治の世界への関心も持っていた。

戦後の農協運営や農村青年教育に貢献

しかし、64年春に、日本国民高等学校協会の那須皓理事長から呼ばれ、日本高等国民学校長就任を要請された。現在の実践学園は、当時は日本高等国民学校という名称だった。その後、日本実践大学校になり、91年に現在の校名になった。協会はその運営母体だ。翁は「校長だった80歳の父・完治にこれ以上の苦労はかけられない」という思いもあって、同年9月に校長に就任し、93年まで務めた。校長退任後も、95歳になるまで学生の指導に当たった。

就任に際して、校長自ら学生とともに農業の実践に取り組むこと、学校の経営基盤を確立すること、職員の待遇改善を図ることの3つを自らの任務とした。達人さんによれば、初代完治は立派な農民を育てる教育者であり、農業はカネもうけのためにあるのではないと考えていた。学校経営のことは考えずに、ひたすら教育のみ。学校経営の支援は、元農林大臣の石黒忠篤、財界の渋沢栄一らが担っていた。しかし、それらの人々が世を去り、支援は期待できなくなっていた。

翁が校長に就任して取り組んだのは、学校施設の農場中央への移転、酪農部の新設、栄養士養成課程の創設、外国人研修生の受け入れ、水田の改良と職員住宅の改善など多岐にわたる。初代の時には国からの補助金は入れてこなかったが、翁は積極的に農林省に働きかけ、施設の建設費や人件費に補助金を得ることができた。民間の支援が得られなくなったからでもある。同校の卒業生は累計で約6000人。全国の農村で活躍している。

戦後の農協運営や農村青年教育に深く関わってきた翁の逝去は、一つの時代が終わったことを私に知らせてくれた。今後は、バトンを受け継いだ次の世代が新しい農の未来を開いていってくれることを願うばかりだ。(元瓜連町長)

700種2000株のバラ栽培 つくばローズガーデン 一般公開始まる

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一般公開が始まり、園内で花を楽しむ来場者=つくば市古来、つくばローズガーデン

つくばローズガーデン(つくば市古来)のバラが開花を迎え、11日一般公開が始まった。初日の朝から多くの人が園を訪れ、バラの写真を撮ったり、香りをかいだりしながら、花を話題に会話を弾ませていた。園主の藤沢仁子(まさこ)さんによると現在は一分咲きで、見ごろを迎えるのは18日ごろから25日のあたりまで。6月上旬まで開花を楽しめるという。

SNSの口コミで若者の来園増

約3000平方メートルの園内に、約700品種、2000株のバラを植えて育てている。一般公開はブログやインスタグラムで告知しているだけだが、昨年はシーズン中に約3000人が来園した。園主の仁子さんによると、SNSが普及し始めてから、来園者が園内の写真を投稿して広まるようになり、近年は20代、30代の若い来園者が多く訪れているという。

園は元つくば市長の藤沢順一さん(84)が作り、2005年から一般公開している。藤沢さんは入浴施設つくばユーワールド(同市下原)の代表。施設の風呂にバラの花びらを入れるというアイデアを聞き、「それなら自分がバラを作ってやるよと芝生広場に育て始めた」と話す。雑誌などで情報収集し、イギリスやフランスのバラ、オールドローズなど多品種を集めた。東京農大で農業を学んだ知識を生かして栽培に取り組み、今も毎日2時間程度せん定などの作業を行っているが「バラの手入れを大変と思ったことは一度もない」とのこと。中国で発見されたというつる性のバラ「リージャンロードクライマー」がお薦めと紹介する。

藤沢順一さんお薦めのつる性の「リージャンロードクライマー」=同

バラと宿根草の組み合わせでデザイン

園主の仁子さん(45)はピンク系の多いバラが引き立つよう、白や寒色系のクレマチスなど宿根草約140種類を栽培。立体感のある、絵画のような彩りのガーデンを作り上げた。お薦めは大輪の「ピエールドロンサール」。昨年は夏の酷暑で多くのバラと宿根草が枯れてしまい、植え替えを行った。今年に入ってからも気温の上がり下がりはあったものの、例年通りの花付きで、来週末には最盛期を迎える。「バラが満開になるとまた全く違った光景となる。宿根草とバラの組み合わせをぜひ見ていただきたい」と来園を呼び掛ける。

市内から訪れた男性は「バラが好きで毎年ここに見に来ている。自宅でも鉢で育てていて、冬の手入れは花もないしトゲはあるしで大変だが、花を咲かせてくれると大変さも忘れる」と話し、白いバラの苗を新たに購入していた。(田中めぐみ)

◆園内では18日(土)につくば市在住のピアニスト永田ジョージさんによるジャズライブ、25日(土)には県南で活動するビッグジャズバンド「スターライトオーケストラ」によるライブが開催される予定。また17日(金)からはつくば市や土浦市でヨガ教室を開く新井昌子さんが教えるガーデンヨガも開催される。

◆つくばローズガーデンは、つくば市古来458。今年の一般公開は5月7日(日)~6月2日(日)までの予定。開園時間は午前9時~午後5時(入園は午後4時半まで)。入園料は一般300円~500円(開花状況により変動)、小学生以下無料。同園のホームページはこちら

庭の巣箱にやって来たシジュウカラ《続・平熱日記》157

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】廃材で作った巣箱を庭のカツラの木にかけたのは冬のこと。母屋からの距離わずか3メートルのところ。居間の掃き出しのガラス窓からは手の届きそうな位置だ。

4月初旬。春眠暁を覚えず、処々に啼鳥(ていちょう)を聞く。「ツピッ、ツピッ」という鳴き声はシジュウカラだ。巣箱をのぞいている。シジュウカラはたいてい夫婦でやってくる。「どう?」「うーん、いいかもしんない!」と会話をしているようにさえずっている。

まあ、よくご覧になってお決めください。もしかしてと思ってググると、ゴジュウカラというのもいるそうで、してみるとサンジュウカラやロクジュウカラはいるのかと思いきや、これがいないらしい。

しばらくしてまたやってきた。同じ夫婦なのかどうかはわからない。よく見ると、1羽が何か巣の材料になるようなものをくわえているのが見えた。どうやら本格的に巣作りを始めたようだ。本能とはいえ、とても甲斐甲斐(かいがい)しく巣に戻っては飛び立っていく姿はとてもかわいらしい。それにしても実に器用に5百円玉ほどの穴から出入りする。

四季豊かなこの国では…

ところで、茨城県の鳥はひばりだそうで、確かにこの家を建てたころは周りが野原で、ひばりがホバリングして鳴いているのを見ると、春が来たという実感があったのを思い出す。

だけど、住宅が隙間なく立ち並んだ今、気が付けばひばりの声はしない。それから、先日孫と井の頭公園に行ったらインコが電線にとまっていて、やっぱり違和感あったな。「電線にスズメが3羽とまって…」という歌もあったが、最近都会でスズメが減っているとか。

以前スペイン語を習っていた時に先生をしていたコスタリカの女性によると、彼の地では鳥は鳥であって、特にシジュウカラだのひばりだのという種類は気にしないらしい。ついでに、食卓の魚も魚であってアジとかサンマといったことも言わないという。

そこへいくと、四季豊かなこの国では「花鳥風月」といったいわゆる風流な感性が古(いにしえ)より受け継がれている。とはいえ、このところの調子っぱずれな気候や、バエるだのインバウンドだので、風情などといったものを感じることもままならない。

連休中に遊びに来た孫は…

さて、シジュウカラ家の巣箱のほぼ正面の軒下、いわばお向かいさんというところには山鳩が巣をかけている。こちらはドタバタ、クルクルと重量感があって騒がしい。その壁一枚隔てた家の中には、パクがすやすやと寝ている。

もうすぐ愛鳥週間なんだそうだ。ほかに愛〇週間なんて聞かないことを考えると、やはり鳥は人の暮らしに近い生き物なんだろう。連休中に遊びに来た孫も、飽きずに巣箱に出入りするシジュカラを眺めていた。(画家)

コロナ禍乗り越え鉄道人気の復活に 撮影会に「撮り鉄」集まる 土浦

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ファンのために、行き先を示す字幕にはかつての黒地を用い、「上野」「我孫子」「取手」「土浦」など懐かしい行き先が示された

「ドレミファソラシド~」と発車時に独特のメロディーを奏でたJR常磐線E501系15両編成が17年ぶりに土浦に姿を現し、11日、同市の真鍋跨線橋下で撮影会が行われた。北海道や大阪など県内外から集まった60人余りの鉄道ファンからは、熱いシャッター音とともに「懐かしい」「貴重だ」などの声が上がった。

2万円チケットが3分で完売

今回のイベントは、発売開始3分で2万円のチケットが売り切れた。この日の列車を準備したひたちなか市にあるJR東日本勝田車両センターに勤務する大楽寿樹さん(34)は「E501系を見たいというお客様からのアンケート結果が以前から届いていた。15両編成の501系といえば、土浦がメッカ。土浦で実現できてよかった」と笑顔を浮かべる。

かつてのE501系は10両と5両の車両が連結され15両に編成されていた。17年ぶりに連結部分も復活した

E501系は、東京への通勤圏の拡大を背景に、東京・上野と土浦を結ぶ通勤車両として1995年12月から運行が始まった。通勤形電車としては国内初となる交流・直流両用の車両だった。採用した機器の関係で、当初は発車・停車時に音階のような独特の音色を奏でるのが特徴だった。2007年3月のダイヤ改正後は、土浦以北で10両、5両編成のみが運用され、上野ー土浦間を走行していた15両編成を見る機会はなくなった。今回は07年以来、17年ぶりの15両編成の復活となった。

撮影会を企画したJR水戸支社では他にも、現役の電気機関車や、特急として利用される車両を限定カラーも含めて全色並べるなどした撮影会を、主に勝田車両センターで開催してきた。数万円するチケットは毎回、発売開始とほぼ同時に完売すると、同支社の広報担当者は話す。

広報担当者のスマートフォンに収められた、昨年開かれた勝田車両センターでの撮影会の様子

コロナ禍で乗客減少、イベントで人気回復を

広報担当者によると、今回の企画を含めてJR水戸支社内では、アンケートなどを通じて利用者からの声を集めると共に、従業員が積極的にイベント企画を出し合い実現化させているという。昨年11月には勝田駅前で地元企業やパン店と協力して県内の栗を用いたパンを商品化し販売した。同社の運転士からの発案だった。また今年4月には「いわき駅ナイトサウンドツアー」と題して、最終列車終了後のJRいわき駅構内で、駅のアナウンスや発車メロディー、列車の自動放送、チャイム音などを聞くイベントを開催した。全国から「音鉄」と呼ばれる鉄道や周辺環境の音を聞いて楽しみ分析研究する鉄道ファンが多数集まった。

広報担当者によると、鉄道ファンに向けたイベントを活発に開くようになったのは新型コロナがきっかけだった。コロナ禍で鉄道利用者が減少する中、再び鉄道に目を向けてもらうためにも社内で自由にアイデアを出し合い、実現化する動きが活発になったと話す。

E501系の撮影会は、勝田車両センターで過去に2度、5両と10両編成の車両を用いて行われた。「15両も是非」という過去を懐かしむファンの声を実現させたのが、今回の開催だった。

大阪から前泊して訪れたという石山裕隆さん(31)は「出身が千葉なので、子どもの時に(E501系を)見ていた。行き先が表示される字幕が現在は使われていない『黒幕』だったり、車両下部の『スカート』に当時の形状のものが使われていたりなど、とても懐かしかった」と語った。千葉県松戸市から参加した永野智大さん(29)は「子供の時に乗っていた懐かしい車両。発車する時のメロディーが好きすぎて、上野ー土浦間での運行がなくなった後も、千葉から茨城に乗りに来ていた。今日は本当に楽しめた」と喜びを語った。

勝田車両センターの大楽さんは「今回の企画は列車を懐かしんだり、見るのを楽しみにされるお客様の声が元になった。私も学生時代に乗っていた懐かしい車両で、企画を実現できてホッとしている。是非、これからも多くの方に鉄道を楽しんでもらえたら」と思いを語った。(柴田大輔)

JRひたち野うしく駅周辺のにぎわい《遊民通信》88

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【コラム・田口哲郎】

前略

JRひたち野うしく駅前の西友ひたち野うしく店の第3駐車場の半分が閉鎖され、店舗らしきものが建ち始めたのが冬ごろでした。何ができるのだろうとワクワクしていたのですが、先日看板が取りつけられていました。看板にはAUTOBACSとあります。大手カー用品チェーンのオートバックスの店舗になるようです。

ひたち野うしくにはイエローハットがありますが、カー用品専門店はほかにないので、2店目になります。

茨城県は自動車社会です。県南ですと鉄道で東京都心まで1時間程度で行けますが、地域で暮らすとなると車が必須です。以前書きましたが、関東は町のひとつひとつが大きく、生活便利施設が町のなかに点在しているので、車移動が必要になります。

車が多ければ、メンテナンス用品の需要も増す。カー用品店が必要になるという流れですね。

もはや都会、ひたち野うしく

これも前に書きましたが、ひたち野うしく駅周辺は生活便利施設が密集しており、茨城県南のみならず、関東圏でも指折りの便利さを誇ると思われます。

スーパーマーケット、ホームセンター、家電量販店、ドラッグストア、100円ショップ、靴屋、紳士服店、スポーツ用品店、リサイクルショップ、書店、ペットサロン、カフェ、飲食店、ラーメン店、コーヒーショップ、ガソリンスタンド、整骨院、スポーツジム、洋菓子店、煎餅(せんべい)屋、パン屋、そしてカー用品店と、郊外生活をするのに何不自由ない環境になっています。

そういえばガソリンスタンドに併設される形で話題のチョコザップもオープンしました。

こんなに恵まれているのにまだ不満があるのかと言われそうですが、ひたち野うしく駅前にあったらいいなというお店があります。

それは和菓子屋さん、ブックオフ、マクドナルドです。欲を言えば、100円ショップもダイソー、セリアがあるので、ワッツとキャンドゥーがあれば完璧になりますね。サイゼリアとベローチェがあれば、カフェのバリエーションが増えてより楽しめそうです。

こんなにお店があるのに贅沢(ぜいたく)な話ですが、逆にいうとそれだけ買い物客が集まるということですから、街のにぎわいを象徴していることにもなります。

もはや都会と言ったほうがよいひたち野うしくのますますの発展が楽しみです。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

5月に入社式 セキショウグループ 研修終えた新入社員迎える 

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関正樹社長から一人一人辞令を受け取る新入社員=つくば国際会議場 Leo Esakiメインホール

パリ五輪出場決めたU23サッカー日本代表監督も出席

総合商社の関彰商事(本社・筑西市、つくば市、関正樹社長)などセキショウグループは10日、つくば市竹園のつくば国際会議場で入社式を開いた。新入社員47人を含む約220人の社員、関係者らが式典に臨んだ。これまで4月1日に入社式を実施してきたが、今年から研修を終えた後の5月に変更した。

新入社員に辞令を手渡した後、式辞を述べた関社長は、従来4月に行っていた入社式を5月に変更した理由について「4月1日に入社式をして皆さんを迎えると、どうしてもお客様として迎えてしまう。1カ月の研修を経て、セキショウグループが百数十年どのような仕事をしてきたか、取引先からどのように思われているか、また自分が所属する部門以外のことも分かった上で参加することで、我々も本当の仲間を迎える気持ちに変わるのではという意味で5月に変更した」と話した。

続けて「お客様の悩みに耳を傾け、一緒に悩みを解決し、共有して、将来像を一緒につくっていくことが大切。先輩たちが何万人というお客さまをつくってきた。我々はその関係をより良くし、自分以外の人に対して寄り添い、人の意見を聞き、他の人を尊重できるよう、人として成長していってほしい」と、新入社員に言葉を贈った。

新入社員を代表してあいさつに立った牛久市出身の宮代佑汰さん(18)は「自分が育った牛久市や茨城県に恩返しをするとともに、地域に貢献したい」と目標を語った。同じくあいさつに立った筑波大大学院でやり投げ選手として活躍し、アスリート社員として入社した兵藤秋穂さん(24)は「関彰商事は私たちの挑戦に寄り添いサポートしてくれる企業。競技者としてより高みを目指し、つくばから世界を目指したい。日々新しいことに挑戦し、社業と競技に日々精進することで地域や社内の方々に元気や勇気、活力を与えられることを目標にしたい」と意気込みを語った。

新入社員のアドバイザー役を務める鷹箸宏樹さん(28)は歓迎の言葉として「常に挑戦する心を持ち、何事にも興味を持ちながら、関わる全ての人を大切にできる社員になってほしい。一緒に働けることを楽しみにしています」と言葉を贈った。

式典の最後に紹介された、パリ五輪出場を決めたU23サッカー男子日本代表の大岩剛監督

式典には、今月3日にアジア杯で優勝しパリ五輪出場を決めたU23サッカー男子日本代表の大岩剛監督も出席した。大岩監督は2020年から関彰商事のスポーツアドバイザーと、セキショウアスリートクラブアンバサダーを務めている。(柴田大輔)

地域経済「苦しんでいる会社増えている」 筑波銀行、決算は増収増益

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2024年3月期決算を発表する生田雅彦頭取

筑波銀行(本店・土浦市、生田雅彦頭取)は10日、2024年3月期決算を発表した。最終的な利益である1年間の純利益は、前年比1億円(4.7%)増の21億9500万円(連結)で、増収増益となった。貸出金利息や営業経費など本業の利益が前年に比べ12億円増加したのに対し、配当金や外貨調達コスト、貸し倒れ引当金などの影響が同比11億円マイナスとなった。

生田頭取は「増収増益と言いながら、大口の貸し倒れ引当金の計上があり、当期純利益については当初の業績予想を下回った。しかし本業の収益については十分に改善が図られ、中味はひじょうによくなっている」とした。

一方、地域経済の状況については「今まで長期に及んだコロナ禍の影響があり、現在は原材料高、エネルギー高、人件費増加があり、今後、中小企業を始めとして企業業績に悪い影響が懸念される」とし、「苦しんでいる会社は細かいところも含めると増えている。コロナ明けの今、現在の状況で、これから金利も上がるという中で、地元企業に対してはアゲンストの風(向かい風)が吹いてくる。そうなってくると、耐えられる企業体力があるところは耐えられるし、小規模零細で耐えにくいところは支援をしていかないと倒れてしまう。我々の役割として、本業支援や資金支援、最終的には廃業支援も含めてやっていかなくてはいけない」と話した。

決算の概要は、売り上げに当たる経常収益は、株式売却益や貸出金利息などが増え、前年比10.7%増の410億9200万円になった。

経常費用は、評価損の拡大が懸念される外国債券の売却や外貨調達コストの上昇、大口取引先の貸出金が回収できなくなった場合に備える貸倒引当金の計上などから前年比9.3%増の386億2500万円になった。

預金、預かり資産、貸出金残高(単体)はいずれも過去最高となり、預金残高は。個人、法人、地方自治体などからの預金がいずれも増加し、前年比643億円増の2兆5773億円になった。投資信託や生命保険などの預かり資産残高は前年比492億円増え3410億円となった。貸出金残高は中小企業への貸出やTX沿線を中心とした住宅ローンなどが増加し前年比860億円増の2兆372億円になった。

金融再生法に基づく開示債権額(単体)は、経営改善支援中の取引先企業のランクダウンがあり、要管理債権が前年度の2倍近い157億円に増加するなどし、債権額は前年比79億円増の537億円になった。その結果、不良債権残高の割合を示す開示債権比率は同0.29ポイント上昇し、2.58%となった。

健全性の指標となる、リスク資産に対し資本金などの自己資本がどれだけあるかを示す自己資本比率(連結)は、当期純利益21億9500万円の計上などにより自己資本が増加したなどから、前年比0.14ポイント上昇し、9.13%となった。

サイエンス高をつくば市の人気校に《竹林亭日乗》16

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田植え風景(筆者提供)

【コラム・片岡英明】2023年に開校した「つくばサイエンス高校」の2年連続定員割れについて、問題点の指摘や批判、中には否定的な意見も聞こえてくる。しかし、県立高校不足に悩むつくばの小中学生のことを考えると、第三者的な冷たい評論では県立高問題を解決できない。

私は、県がサイエンス高の定員増(4学級→6学級)と学習指導の充実を図った点を評価している。今回は、この2つの芽と開校後2年の経験を生かし、サイエンス高がつくばの人気校になるような方策を考えたい。

受験生からのメッセージ

サイエンス高は、東京都が2001年に2つの工業系都立高校を統合・新設した都立科学技術高校を参考にしている。都立科学技術高の当初定員は科学技術科35人✕6学級=210人だったが、24年度からそのうち1学級を創造理数科40人とし215人になった。このことから、学校の基本は少人数の進学型専門高といえる。江東区大島にあり、地下鉄住吉駅より徒歩8分と通学に便利だ。

つくばサイエンス高は、2020年8月の県高校改革実施プランⅠ期(第2部)に基づき、つくば工科の学科を改編して23年に開校した。その基本的な考え方の一つは「TX沿線地域の人口増加に伴う県立高等学校への大学進学ニーズの高まりに対応する」となっており、地域の声を取り入れた学習指導充実を加えた。

前身のつくば工科は、18年までは受験者が定員の160人を越え、19・20年は入学157人とほぼ定員を確保した。しかし、改革実施プラン発表後の21年は150人、サイエンス高設置前年の22年は134人と減少した。

つくば工科は資格を取り就職したいという地元の生徒には人気のある学校であった。それが、「研究者や高度技術者を育て、起業家精神を持つ生徒」の育成を目標とする理系の進学型専門高校となり、受験生に不安が生まれた。この結果、定員を240人にした23年度(1期生)は前年の134人から88人に減り、24年度(2期生)は77人に減少した(充足率32%)。

つくばサイエンス高は、つくば市で最も子どもが増えている谷田部地区にある唯一の県立高校であり、地域の期待も高い。それなのに、定員を増やした新設高校で大きな定員割れが起きている。ここから、軌道修正を求める受験生からのメッセージを読み取りたい。

理系進学科+普通科の2学科制

以下、現在のサイエンス高が持っている2つの芽を生かし、地元の人気校になる案を示したい。

(1)科学技術科を少人数学級にして、理系志向の生徒に充実した教育を行う。具体的には30人✕4学級=120人とし、学科定員を絞る。1年次は共通とし、2年次以降は理系進学探求コースと技術を磨くマイスターコースを設け、就職希望者には工業系の資格も取らせる。

(2)絞った定員の残り分を生かし、要望が強い普通科を併設する。そこで新体制の2年間で作り上げた学習指導体制を生かす。

(3)普通科定員を5学級200人、全体定員を80人増の320人とする。但し、25年度からの定員増が難しい場合は、既存の240人定員のうち3学級120人を普通科とし、26年度から5学級とする。また、2年進級時に学科変更を認めるなど柔軟な体制をとる。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

市職員の残業代と特殊勤務手当を未払い つくば市長、副市長10%減給へ

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つくば市役所

できるだけ申請しないよう管理職が指導

つくば市は9日、市社会福祉課職員の残業代(時間外勤務手当て)と特殊勤務手当てに未払いがあったとして、未払い分が請求できる過去3年間にさかのぼって今後、支給すると発表した。未払いの人数や金額が全体でどのくらいになるかは現時点で不明。残業代未払いが発生した要因は、できるだけ申請しないよう管理職が不適切な指導を行っていたため、職員が申請しにくい状況になっていたとしている。

不適切な指導をした管理職に対しては今後、規定に基づいて処分を実施する。一方、監督責任を重く受け止め、五十嵐立青市長が給料を2カ月間10%減給とするほか、飯野哲雄、松本玲子副市長2人が1カ月間10%減給するとし、近く議会に提案する。さらに今後、同様の未払いがないか全庁的に調査するとしている。

残業代については昨年9月、特殊勤務手当については今年2月、いずれも同課職員から未払いがあるとの指摘があり判明した。

市社会福祉課によると、残業代未払いについては職員の指摘を受けて同課で調査、ヒヤリングを実施し、各職員に申請するよう促した。現在、申請に基づきコンピュータシステムへのログイン状況などから突合作業を実施しているが、未払いの人数と金額は調査中で、確定次第、公表するとしている。

一方、未払いの特殊勤務手当は、生活保護の業務に従事した職員に1日275円支給する手当。指摘を受け、今年3月、同課で調査を実施したところ、同業務についての解釈が各職員で異なっていたことが分かった。法令に基づき支給基準を明確化した上で同課職員に過去3年分の未申請分を申請するよう促したところ、今年5月、人数と金額が判明。2020年度(21年1~3月のみ)は12人に1万5950円、21年度は14人に9万6250円、22年度は15人に16万2525円、23年度は16人に9万5700円が未払いで、3年間で延べ57人、37万425円になる。年度によって支給対象職員の7割から9割近くに未払いがあった。

原因は、2020年4月に市職員特殊勤務手当条例の改正があり、改正前は支払い対象職員に定額の手当てが支給されていたが、改正後は、日割りで申請する方式に変更になったことにより、管理職によって判断が違ってしまったとしている。手当を支給する対象業務を明文化した文書などは作成されていなかった。

市人事課は、未払い分についてはいずれも内容の精査が終わり次第、速やかに追加支給をするとしているが、支払い時期は現時点で分からないとしている。

未払いについて五十嵐立青市長は同日「これまでも全庁的に時間外勤務については必ず申請すること、管理職には部下に時間外勤務をさせる場合は必ず事前に業務命令を行った上で、内容について状況を監督すること等、繰り返し指導してきたが、このような事案を発生させてしまったことを反省しています」とし、「今後このようなことが決して無いよう適切な労務管理体制を確立すべく改善に向け取り組みます」などとするコメントを発表した。

【訂正10日午後1時45分】6段落目、特殊勤務手当未払の原因に関して「2020年4月に社会福祉法の改正があり」は「…市職員特殊勤務手当条例の改正…」の誤りです。訂正しました。

一人ひとりの物語残したい つくばの尾曾さん 日系ブラジル人の語りを動画に

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現地でインタビューする尾曾菜穂子さん(左端)=本人提供

日系ブラジル人の歴史と今の姿を知ってもらいたいと、つくば市の尾曾菜穂子さん(25)が動画制作に取り組んでいる。「当事者の語りを動画に残し、日系人が生きた足跡を後世に伝えたい」と語る。

今年3月ブラジルに渡り、2週間にわたって取材した。当初は10人ほどに証言してもらう予定だったが、協力者が増えて35人の日系人から話を聞くことができた。完成したインタビューは「ブラジル日系人の歴史と今の記憶」と題して15分程度の番組にし、随時動画共有サイトで無料配信する予定だ。

すでに公開している初回の動画には、福島県出身の夫婦が登場する。戦後、農業の担い手となる「コチア青年」としてブラジルに渡った夫(91)と、「花嫁移民」として移住した妻(88)の会話から2人が歩んできた道のりをたどる。当時の苦労を口にしつつも夫は「今の生活は天国」と話す。ブラジルで出会い結婚したとばかり思っていた妻に対し、実は夫は、日本にいた時に花婿の候補だったがブラジル行きが決定していたため結婚を断った経緯があったことをインタビューで初めて明かし、2人の運命的な関係に妻が感激する場面もあった。

配信された1回目の動画。ポルトガル語と英語訳も表記している

尾曾さんは「100分のインタビューを15分にまとめる作業が大変だった。どこを切り取るか迷ったが、できるだけ視聴者が共感しやすいエピソードを盛り込んだ。日系人の歴史に初めて触れる人にも分かりやすい内容を心掛けた」と話す。

取材は日本語とポルトガル語の両方の言語で書いた質問状を用意し、移住の経緯や家族構成、仕事内容、将来の夢などを質問した。過去を思い出して言葉に詰まったり沈黙したりする人もいたが、無理に言葉を引き出すことはしなかった。「初対面の日本人の私に人生を打ち明けてくれる。ありがたいこと。移住当初は似たような境遇でも、それぞれ考え方や現状が異なり多様な人生に触れることができた」と語る。

若者の生きるヒントになれば

つくば市で育ち古河市の小学校に入学した尾曾さんは、学校という小さなコミュニティーの中に居心地の悪さを感じ早く抜け出したいと思っていた。中学で英語に出合い、それまで生きてきた世界とは異なる文化があることに改めて気付いた。海外への憧れが募り、留学を後押ししてくれる県外の高校に進学。ブラジルに留学した先輩の体験談を聞き興味が湧き、大学に進学する前の1カ月間ブラジルを旅した。折しもカーニバルの時期で町はにぎやか。耳に入るポルトガル語の響きも心地よかった。外国人の自分に現地の人は「どこの国から来たの」ではなく「どこに住んでいるの」と聞いてくれた。国籍ではなく個人として見てくれたことがうれしかった。人々の懐の深さに触れ、一気にブラジルという国にのめり込んでいった。

大学卒業後の2022年から1年間、ブラジル日本交流協会の研修生としてサンパウロ州ピラール・ド・スールの語学学校で日本語を教えた。学校の敷地内にはさまざまな年代の日系人が集う場所があり、そこに通う人たちと親しくなった。その中の一人に、60年ほど前の16歳の時に家族と共に生活の糧を求めて鳥取県から移住した男性がいた。学校の勉強が好きではなかったという男性は、日本の社会科の教科書に載っていた大型のトラクターの迫力に釘付けになった。将来は農業をやるとの思いを強くし、その夢を持ってブラジルへ渡り希望を現実にした。

「大変な苦労があったと思うが、その人の言葉でいつも明るく前向きな気持ちにさせてもらった」。文化が異なる異国でたくましく暮らす男性の生きた言葉に勇気づけられ、自分も同じように大きな夢を持ち、その実現のために行動したいと思ったという。

現地で多くの日系人の人生に触れ、個々のライフストーリーこそが日系人の歴史そのものだと痛感した。「ポジティブに人生を切り開いた人の言葉は、前向きに生きるヒントがつまっている。かつての自分と同じように生きづらさを感じている若者の背中を押すきっかけになれば」と制作への思いを語る。

現在、尾曾さんは奈良県の種苗会社のインターンシップに参加している。働きながら見識を広げ、日系ブラジル人のストーリーを広める活動を展開している。「日本に滞在するブラジル人にもインタビューしたい」。誰かが記録しなければ消えてしまう一人ひとりの物語を残したいという。

動画は1本あたり15分程度。写真や資料を交えながら日系1~3世のインタビュー動画をユーチューブチャンネル「OSO NAOKO」で紹介する。4月から来年7月までに15本配信する予定。現在2話が公開されている。

ブラジルへの集団移住は1908年に始まり、主に農工業に従事した。外務省によると現在約270万人の日系ブラジル人が現地で暮らしており、海外で暮らす日系人数の半数以上を占める。(泉水真紀)

追悼 戸田広さん 霞ケ浦帆引き網漁の保存活動に尽力

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戸田広さん(霞ケ浦帆引き船・帆引き網漁法保存会提供)

霞ケ浦の伝統的な漁法である帆引き網漁を観光資源として継承し、後世に残したいと保存活動を続けていた戸田広さんが、4月15日に亡くなった。89歳だった。2001年から操船技術の継承と観光帆引き船の運航、PRなどに尽力してきた。帆引き網漁の技術は18年、県内初の国選択無形民俗文化財に指定された。告別式は5月11日に行われる。

戸田さんは、つくだ煮を製造・販売する出羽屋(かすみがうら市)の社長で、「霞ケ浦帆引き船・帆引き網漁法保存会」の会長を務めた。出羽屋で霞ケ浦の漁業者と取引していたことから、帆引き船の操業技術を継承する人材を育成する活動を続けた。

同保存会は2014年に設立。前身は「霞ケ浦帆引き船まつり実行委員会」で、かすみがうら市を盛り上げようと01年に発足した。同年にPRのため「帆引き船フォトコンテスト」を企画して以来、毎年継続し、昨年も県内外から400点以上の応募がある人気コンテストとなっている。観光帆引き船は現在、土浦、かすみがうら、行方の3市により毎年夏から秋に運航されている。

戸田さんは観光としてだけではなく、100年後も生業となる帆引き網漁を残したいとし、亡くなる直前まで精力的に活動した。同保存会事務局長の武田芳樹さん(74)は「何を提案しても『いいよ』と言って受け止めてくれる人だった。いつも前向きで、いろいろなアイデアを持っていた」と、大らかな人柄をしのぶ。帆引き網漁で捕獲した魚のブランド化も発案。引く力が強く、魚を網に押し込んでしまうトロール漁とは異なり、帆引き網漁は風の力を使って柔らかく網を引くため、魚に傷が付かないことから、帆引き網漁で捕れた魚に新たな商品価値を見出していた。保存会では戸田さんの遺志を継ぎ、帆引き船漁法の操船継承を推進する活動を続けていくという。

かすみがうら市歴史博物館に展示されている帆引き船。右は同保存会の坂本栄一さん

白く大きな帆を張り、横滑りしながら漁をする帆引き船は、夏から秋にかけて霞ヶ浦の風物詩となっている。1880年(明治13年)、漁師の折本良平氏によってシラウオ漁を目的に考案されたと言われ、約90年間、霞ケ浦のシラウオやワカサギ漁の主役として操業した。帆の大きさは高さ9メートル、幅16メートルにもなる。霞ケ浦の周囲には遮る山などがなく、四季を通して風が吹くため、風の力を利用する大きな帆の船が考え出され、独特の操業法が継承されてきた。

1963年に常陸川水門(逆水門)が完成し、漁獲量減少を心配していた漁業者への補償として、67年にトロール漁が解禁されると、帆引き船はいったん姿を消した。しかし復活を願う人々の声を受け71年、出島村(現かすみがうら市)が観光帆引き船として復活させた。現在はかすみがうら、土浦、行方3市の各保存会により帆引き網漁の継承が図られ6隻が運航している。(田中めぐみ)

◆通夜は10日(金)午後6時から、告別式は11日(土)午後1時から、いずれもかすみがうら市加茂5319-6 トモエホールで行われる。

香取市の「伊能忠敬記念館」《日本一の湖のほとりにある街の話》23

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】初めての実測による日本地図「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」、通称「伊能図」を作った香取市の偉人・伊能忠敬(いのう ただたか)。今回は、忠敬の人生の結晶である伊能図のほか、測量で用いられた様々な器具や記録などを紹介している「伊能忠敬記念館」のご紹介です。同館学芸員の石井さんに、忠敬の人生と展示についてお話を伺いました。

入館するとまず目に入るのが、一定時間で2つの日本地図が切り替わって表示されている縦3.5メートル×横約4.5メートルの巨大なモニター。表示されているのは伊能図と現代のランドサットによる衛星写真であり、それらはほとんど重なり合っています。伊能図が200年以上前の江戸時代に作製されたということに、驚嘆の念を禁じえません。

次に驚くのが、忠敬が地図作りに取り組み始めた年齢です。もともと天文学や算術に強い興味を抱いていた忠敬でしたが、婿養子入りした伊能家を経営しなければなりませんでした。その商才で財産を築き家督を譲り隠居した後、測量に取り組み始めましたが、その時、なんと御年実に55歳!

ところで、伊能忠敬というと「初めて日本地図を作った人」というイメージがありますが、最初から日本地図を作ったのではないそうです。その測量人生の最初の目的は、正確な暦を知るために子午線一度の距離を求め、地球の大きさを知ること。この際は江戸から蝦夷(当時の北海道)までを測量しました。

酒を飲まないが測量隊の条件

その後、71歳に至るまで10回にわたり全国を巡ることになりますが、測量は「導線法(どうせんほう)」という技術を基本とし、地図の補正や測点の位置の確認、地図上の山や島などの位置の特定する「交会法(こうかいほう)」という技術もあわせて用いました。それらに加え「象限儀(しょうげんぎ)」で測った星の高度から緯度を求め精度を高めたそうですが、これは地図作製の分野で忠敬が初めて採用した技術だったそうです。

展示されている様々な測量器具も人気とのことで、代表的なものに測量の際の目印となる「梵天(ぼんてん)」、距離を測る「鉄鎖(てっさ)」などがあります。また、忠敬が最も用いた方位を測る「杖先方位盤(わんからしん)」は、常に水平が測れるよう真ちゅう製の万能関節を用い、軸受けには水晶が使われるなど、当時の最先端技術の粋を集めた特別製とのこと。

並べられた数々の資料からも、忠敬の几帳面(きちょうめん)さと厳格さはうかがい知れるところですが、象限儀での天体観測においても、その性質が発揮されているのだそうです。測量中は晴れの晩に正確な観測を行う必要があるため、「酒を飲まないこと」を測量隊の条件としていたにもかかわらず、ある時その禁を破り飲酒騒動を起こした者たちがいました。すると忠敬は、その弟子たちを2名破門、3名謹慎にしたそうです。

人生、何か始めるのに遅いはない

最後に、石井さんに注目すべき点について伺うと、当時としては大変珍しい真鍮を用いた測量器具を用い精度を高めた点や、現代では見られない、星の高度を用いて測量しているという点に、歴史的価値を感じてほしいとのことです。また、ともすれば忠敬個人の才能が語られがちですが、測量隊をまとめる手腕もまた、全国測量を成し遂げるための優れた資質であった点に注目すると、より展示への理解が深まるとのアドバイスをいただきました。

生涯に歩いた距離は実に4万キロ、地球1周分にも及ぶとされる、情熱と信念の人・伊能忠敬。その業績を見るにつけ、人生、何かを始めるのに遅いということはないと、勇気づけられる思いがします。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

消費生活センターに関わって3年《ハチドリ暮らし》37

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写真は筆者

【コラム・山口京子】消費生活センターと関わるようになって3年近くたちます。ここは、消費生活全般についての問い合わせや苦情を扱う行政を支援する窓口です。消費者トラブルが起きた場合、事業者と消費者の情報や交渉力の格差を踏まえ、情報提供や交渉に当たって助言などを行います。

他にも、消費者教育、食品ロス削減、エコを意識した暮らし方など、消費者市民社会の構築に取り組んでいます。

消費者とは、生活のほぼ全般について、商品やサービスを購入する者というイメージでしょうか? 以前は「消費者」という言葉を意識することなく、そもそも商品を購入するとはどういうことかも、暮らしについても、しっかり考えたことがありませんでした。

しかし最近になって、「今の暮らし方、ライフスタイルを当たり前だととらえるのは危険かもしれない」と思うようになりました。今の便利な暮らしは、どういう仕組み・前提・条件で成り立っているのか? それらが変更されたり、機能しなくなったときにはどうなるのか? これからの変化は、どういったことが予想されそうか? … 心配性なので不安が募ります。

「根っこ」にある三つの依存症

そして、今の暮らしの「根っこ」には三つの依存症があると感じるようになりました。石油依存、お金依存、電化依存です。

石油に代表される化石燃料に依存して、簡単で便利な社会になったけれど、それらがもたらす副作用というか、外部不経済というか、環境汚染というか―生態系や人体にどう影響を及ぼすのでしょうか?

今はスイッチ一つで電気もガスも水道も至れり尽くせりですが、60年前はそうではありませんでした。自動車運転免許を取得してから、走行した距離と消費したガソリンと排出した二酸化炭素の量はどれくらいなのか? 車を1台作るのに、どのような資源とエネルギーと技術がいるのか? 思いを寄せたこともありませんでした。

これから晴耕雨読でいけたらと…

大半の消費者は働いてお金を得て、そのお金で商品を購入して、生活をやりくりします。実質賃金が下がっている状況で暮らしぶりが厳しくなり、投資やお金もうけの宣伝が目立ちます。経済の金融化が進行する中、製造業や農林水産業など、暮らしの足元を支える産業が危なくなっているのは、大きな問題だと思うのですが…。

暮らしを便利にする電気の力はすごいと感嘆するばかりです。道具が電気やコンピューターとつながって、自動の仕組みがハイスピードで広がり続けています。インターネットがない暮らしは想像できなくなっています。電化とテクノロジーの進化は何にをもたらすのでしょう。

自分のこれからの暮らしは、晴耕雨読でいけたらと願うのですが…。(消費生活アドバイザー)