水曜日, 4月 9, 2025
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グランプリは「KA.TA.MI.」 つくば短編映画祭

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グランプリを受賞した「KA.TA.MI.」。画像はつくばショートムービーコンペティション公式HPより引用

【池田充雄】つくばからの文化発信と次世代の才能発掘を目指したムービーフェスティバル「つくばショートムービーコンペティション2021」(つくば市、筑波学院大など主催)の審査結果が2月27日発表された。10分以内の短編映像が対象となるグランプリには「KA.TA.MI.(カタミ)」(監督・脚本・編集/タイム涼介)が選ばれ、賞金10万円と副賞を獲得した。8回目となる今回は計148作品の応募があった。

受賞作の「KA.TA.MI.」は、新人女優が映画のオーディションに挑み、審査員の発する「言葉の銃弾」にさらされるが、大切な人たちからもらった「言葉の形見」に守られ、審査を乗り切るという話。互いに言葉の銃弾を撃ち合うシーンや、形見の品が銃弾を弾き返すシーンなどの、斬新な特殊撮影も見どころの一つだ。

制作者のタイム涼介さんは映像作家であると同時に「日直番長」「セブンティウイザン」などの作品で知られる漫画家でもある。今回の受賞については自身のツイッターで「中村義洋監督のコメントに感涙しました! コロナ禍においての私たちなりの作品作りをご理解いただきこんなにうれしいことはありません! ありがとうございました!」とコメントしている。

「コロナと正面きって向き合う」

審査員長の中村義洋さん(映画監督)は受賞作について「この作品の面白さは時間・空間を行き来するところ。コロナ禍になって窮屈な世の中だからこそ、そういう自由自在なものを、自分自身が見たかったんだなあと思った。このコンペティションでは毎年、やりたいことをやってほしいとずっと言ってきた。コロナはあるが、それとは別に自分のやりたいことがある。それで正解じゃないか。自分のこの1年の仕事を達観できるような感想を持てて、感謝したいくらい」と総評で述べた。

中村さんはまた、コロナ禍に振り回された一年であったことを振り返り、「この状況でコロナを描くかどうかは誰しも悩むところ。僕自身も、描くならどう描くか、またはコロナ下であることを無視するのか、これまで温めていた企画はコロナの設定なしに通用するのか、コロナと正面きって向き合って描いたものを見たい人がいるのかなど、いろんなことを日々考えた。それは応募する方々も一緒ではないかと思い、心して作品を見た。本当に切実なものがいっぱいあり、若い人がちゃんとコロナに向き合って生活していることが分かって心が打たれた」とも語っている。

審査結果は以下の通り(敬称略)。
【自由部門】
▽グランプリ「KA.TA.MI.」タイム涼介
▽つくば市長特別賞「くしゃみ」高島優毅
▽ウィットスタジオアニメーション賞「マリー」鈴木絢子
▽佳作賞「BEFORE/AFTER」GAZEBO、「した ためる」菱沼康介、「SYNCHRO」張時偉
▽市民審査員賞「BEFORE/AFTER」GAZEBO

【3分以内のショートショート部門】
▽筑波学院大学長賞「リコリス」テンクウ
▽佳作賞「MELVAS」比留間未桜

【全天周映像部門】
▽つくばエキスポセンター賞「Season」高野真衣

【つくば部門】
▽佳作賞 「今日のお散歩」地球レーベルひとでちゃん

ノミネート作品のオンライン上映(youtube)は3月7日まで、こちらのサイトで見ることができる。

【震災10年】1 つくばで100年の歴史をつなぐ 原田功二さん

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つくばの眼鏡店「グラン・グラス」店主、原田功二さん

東日本大震災から10年を迎える。福島原発事故から避難し、つくば、土浦で生活を再建しようとしている6人に話を聞いた。

【柴田大輔】「浪江に住み続けたい」と誰もがそう思える街をつくりたかった。震災は、原田功二さん(44)らが未来を見据えた街づくりの最中に起きた。

つくば市学園の森の新興住宅地に、元・浪江町商工会青年部長の原田さんは眼鏡店「グラン・グラス」を2018年にオープンさせた。真新しい店内だ。

グラン・グラス店内=つくば市学園の森3-10-2

地域おこしのさなかに起きた

「私は浪江の人に育てられたんです」

千葉県柏市出身の原田さんは、結婚を機に福島県浪江町に移住した。妻・葉子さん(44)の実家は浪江で3代続く「原田時計店」。1925年に開業し、時計や眼鏡、貴金属などを扱う地域に根ざした老舗の商店だ。原田さんは千葉県の大学を卒業後、当時交際していた葉子さんの実家の家業を継ぐため、専門学校で認定眼鏡士の資格を取り、眼鏡部門を担当した。

葉子さんは2人姉妹の長女。将来は福島に行くのかなという思いはあったし、浪江ののんびりした雰囲気も気に入っていた。

浪江では生活に慣れるまで時間がかかった。当初は友人もなく、新しい仕事に忙殺され「ほとんど引きこもり状態」だった。「人との距離が近く、横の繋がりが不可欠」な浪江の社会にも馴染めなかった。

「外で静かに飲もうとしても、必ず知り合いに会って話し掛けられる。それが苦手でした。でも、その距離感が心地よくなっていきました」

誰もが見知る地域だからこその信頼感、互いを気遣う「持ちつ持たれつ」の暮らしに、原田さんは次第に「安心感」を覚えた。その後、地元消防団、商工会に入り、会合や祭りに積極的に参加した。

震災前の浪江は、日本中の地方同様、後継者不足に直面する事業者が少なくなかった。こうした中、若い世代が手を取り合い「子どもたちが住みたいと思える、いきいきした街づくり」に動き出していた。その輪に原田さんは積極的に参加し「よそ者」から浪江の一員になっていく。夜は仲間と飲みつつ街の将来を語り合い、地域おこしに取り組んだ。震災は、そんな充実した日々の中で起きた。

故郷の味が仲間をつなぎとめた

その日、店で卸業者の応対をしていると、突然揺れた。店の窓が割れ、ものが散乱した。直後に流れた津波警報。原田さんは家族と高台に避難し車で夜を明かす。翌朝、片付けのため店に戻ると、今度は原発事故による避難指示。落ち着く間もなく店を出た。

隣町の親戚宅に滞在中、福島第1原発1号機が爆発し浪江に戻れなくなった。その後、避難所や親戚宅など、つくばにたどり着くまで県内外5カ所を移動した。

原田さんが浪江商工会青年部長に就任したのは、震災直後の4月。前年に決まっていたことだった。東京の都営住宅に移ったばかりで自身も混乱の中にいた。原田さんはこう考えた。

「『よそ者』の自分は、浪江が故郷の仲間に比べ気持ちに余裕がある。自分だからできることがある」

震災前に購入したスマートフォンで避難者に有益な情報を収集し発信、仲間の安否確認をした。さらに原田さんは青年部の仲間と、名物「浪江焼きそば」を各地に散らばる避難所で振る舞い、被災者の「心の復興」に取り組んだ。避難所で焼きそばを作ると、故郷の味に浪江の人たちが涙を流したのがきっかけだった。活動はバラバラになった仲間をつなぎ止めるためでもあった。浪江の暮らしは地域のつながりがあってこそ。そこから2年、仲間と各地のイベントで焼きそばを作り、メディアでの情報発信に力を注ぐ。

そのころ浪江町民の中で、町外に住民がまとまり暮らせる「代替地」の用意を町長に求める声が上がった。だが、将来的に町への帰還を考える町長と思いは一致しなかった。

「帰るのは無理だと思い始めました。40歳を超え、新しい土地で何かを始めるなら体力のあるうちに動きたかった。県外も考えたいと社長である義父に相談すると、承諾してくれました」

福島での事業再開を望んでいた義父が、原田さんの希望を受け入れた。

愛された浪江の店がお手本

浪江の知人につくばを紹介された。

「つくばは開発中のこれからの街。一目ぼれでした。郊外に広がる山と田畑が浪江に似ていました。ここでやろうと覚悟を決めました」

消防や青年部の仲間に思いを伝えると、励ましの言葉が返ってきた。

浪江の原田時計店から運び込んだ柱時計

新しいお店は「1歳からお年寄りまで来られる眼鏡店」がコンセプト。時間をかけてお客さんの声を聞き、その人にとって最適な眼鏡を決めていく。お客さんがゆっくり過ごせるよう、子どもが遊べるスペースも用意した。住民に愛された浪江の店がお手本だ。店内にある柱時計と壁時計は浪江の店から運び込んだ。「原田時計店」の原点を引き継ぐ。義父は現在、福島県二本松市に同名の店舗を構える。つくばはその支店にあたる。

「私にとって故郷は『人』です。生まれ育った柏でも、浪江でも、私は人に育てられました。特に浪江では、社会人としてたくさんのことを教えられました。つくばでは、地域の方と一緒に育っていけたらと思っています」

原田さんは現在、妻の葉子さん、8歳になる長男と暮らしている。

「息子は浪江焼きそばが好きなんです。まだ小さいので震災のことは話してません。でも、『これ、お父さんとお母さんが住んでたとこの食べものだよ』って伝えてます」

原田時計店は2025年に100周年を迎える。つくばの街で、人の縁と歴史をつないでいく。

《吾妻カガミ》101 つくば市長の名誉毀損提訴を笑う

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市長の五十嵐さんが、期間を限って発行されたミニ無料新聞に市長としての名誉を傷付けられたと、その発行人を名誉毀損(きそん)で裁判所に訴えました。1期目の市政を批判されて面白くなかったのでしょうが、五十嵐さんには、関連する記事に対し自分の後援会紙などで反論する機会があったのに、言論に対し言論で対抗しないで司法の場に持ち込むとは…と、思わず笑いました。

言論による名誉毀損には言論で対抗すべき

五十嵐さんの訴えは、昨秋の市長選挙の前(6月~8月)、ミニ新聞の記事(計3号中の22箇所)によって、市長としての評価を傷付けられたから、その損害(130万円)を賠償せよという内容です。訴えられたのは、元つくば市議で「つくば市民の声新聞」発行人の亀山大二郎さん。提訴の概要や亀山さんのコメントは、本サイトの記事(2月17日掲載)をご覧ください。

この無料紙第1号については、本コラム「紙爆弾戦開始 つくば市長選」(昨年7月20日掲載)でも取り上げ、「五十嵐市長の2大失政(運動公園問題の後処理の不手際、つくば駅前ビル再生計画の失敗)などのリポートを掲載、現市長にマイナス点を付けました」と紹介しました。「権力の監視」を編集方針の柱の一つに掲げる本サイトとしても、シンパシー(共感)を覚えたからです。

提訴の話が耳に入ったとき、知り合いの弁護士に名誉毀損のポイントを解説してもらいました。彼によると、「言論による名誉毀損にはまず言論で対抗すべき」という法理論があるそうです。これには「相手に対し対等で反論が可能であれば」との前提が付くそうですが、五十嵐さんは、後援会紙、SNS、記者説明などで反論できたわけですから、発信力は対等どころか、ミニ新聞よりも優位にありました。

そこで、五十嵐さん後援会紙「Activity Report」7~10月発行分(計4号)をチェックしたところ、内容は市長1期目の自慢話ばかりで、「つくば市民の声新聞」への反論は見当たりませんでした。選挙運動中は反論せず、選挙が終わってから裁判所に駆け込むとは、市長=政治家らしくない行動です。

公約は「返還」でなく「返還交渉」だった?

名誉を毀損されたという記事は、先に引用した2大失政のほか、五十嵐市政下で市職員が増え人件費が拡大している(行政改革が不十分)、県からもらえるはずの補助金なしで給食センターを建てた(市が全部負担)、地元業者優先の不自然な発注が目立つ(入札制度への疑問)―などの内容で、とても勉強になりました。

訴状を読むと、五十嵐さんは記事の表現を問題にしています。例えば運動公園問題については、ミニ新聞の記事では用地をURに返還すると公約したと書いているが、公約したのは「返還」でなく「返還交渉」だった、と。交渉がうまくいかなかったから返還できなかった、でも交渉はしたのだから公約は守った、だから記事は間違いであり名誉毀損に当たる―といった論理構成です。この理屈も笑えます。

逆に、笑って済まされない箇所もあります。「歪(ゆが)んだ情報により一旦結果(選挙結果)が生じれば、一時的とは言え地方自治体の体制を混乱に陥れることになりかねない重大な結果を招く…」とのくだりです。こういった表現の自由を封じるような論述は、どこかの非民主国の言論規制を想起させます。(経済ジャーナリスト)

ロボッツ、佐賀に連勝「シーズンベストの守備」

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この日は守備が充実。小寺が佐賀の得点源ローソンを抑える(撮影/高橋浩一)

【池田充雄】男子プロバスケットボールB2リーグの茨城ロボッツは27、28日、つくば市竹園のつくばカピオアリーナで、西地区の佐賀バルーナーズと2連戦し、27日は101対93、28日は74対59で連勝した。茨城の現在の成績は29勝12敗、勝率7割7厘で東地区2位。レギュラーシーズンの残り試合数は19で、プレーオフ進出マジックは10。

2020-21 B2リーグ第43戦(28日、つくばカピオアリーナ)
茨城 74-59 佐賀
茨 城 |18|15|17|24|=74
佐 賀 |14| 9|17|19|=59

第4Q、平尾のドライブからのレイアップシュート(同)

前日は終盤まで激しい点の取り合いだったのに対し、この日は一転してロースコアのゲームとなった。要因は、互いに昨日の結果を受けて守備の改善を図ったこと。茨城は、相手のガードの選手によるドライブやピック&ロールに注意し、高いプレスで陣形を崩さず守りきることに成功。外からの攻撃に対しても隙を見せることなく「相手の得点源を抑え、シーズンベストの守備で結果を残せた」とリチャード・クレスマンヘッドコーチ(HC)は胸を張った。

ただし攻撃の場面では、前日の疲れもあり、相手の集中したゾーンディフェンスを攻めあぐねた。「昨日はコーナーからうまく攻めることができたが、今日は選手のつけ方を変えてきていた。外からのシュートも入らず、攻め方が単発になった」と、ポイントガードの福澤晃平。

それでも第1クオーター(Q)後半、相手のファウルによるフリースローで得点を重ねて4点のリードを作ると、第2Qには中と外のボールの出し入れで相手に隙を作らせ、リードを10点に広げることに成功。第3、第4Qもこのリードを保ったまま、盤石の勝利を挙げた。

トラソリーニはこの日、4本中4本の3点シュートを決めた(同)

特にマーク・トラソリーニは前半わずか2得点ながら、後半は19得点と爆発。リバウンドも13を取り、ダブルダブル(2項目で2ケタ成績)の活躍でMVPを獲得。4本中4本を決めた3点シュートでは「最近あまり入っていなかった」というが、1本決めてから調子をつかんだようで、思いきりの良いプレーが増えた。

「コミュニケーションをとってスイッチミスなどを防ぎ、チームとして守れた」と福澤。「守備でよく我慢し、佐賀というタレント豊富なチームを抑えることできた」と高橋祐二。クレスマンHCは「攻守とも高いレベルを保ち、攻撃で思うように行かないときも、守備で結果を残せるチームにしたい」と今後の展望を語った。

《食う寝る宇宙》80 火星探査「魔の7分間」

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【コラム・玉置晋】ウチの大事な家族である犬の「べんぞうさん」の体調がすぐれません。この数年、検査で腎臓の数値が悪かったので、腎臓ケアの食事に変えていたら、今度は肝臓の調子が悪くなり、手製の食事に替えましたが食欲がなく、昨日も仕事のお休みをいただいて獣医さんに連れていきました。2008年に我が家にやってきたこのワンコ、人間でいえば70歳くらい。70歳だったら、まだまだバリバリ働いている人いっぱいいるぞ。どうか元気になってくれ。

こういう時に限って、仕事の締め切りやら、確定申告の準備やら、異様に忙しい。2月19日早朝に、たまった領収書と悪戦苦闘しながら、NASA(米航空宇宙局)のライブ中継をみていました。NASAジェット推進研究所の火星探査機「パーシビアランス」が火星への着陸を試みている真っ最中です。

これまで各国で試みられてきた火星探査の成功率は半分以下。火星周回への軌道投入、大気圏突入、軟着陸のためのパラシュートの展開―すべて難易度が高い。地球から火星までの距離は光(電波)の速さでも10分かかるので、探査機に事前にプログラムしておき、自己判断させなければならないのです。特に探査機の大気圏突入の時間は、「魔の7分間」として恐れられているそうです。

着陸成功にガッツポーズ

火星の大気圏突入時には、時速2万キロという高速移動しているために、ものすごい勢いで探査機前方の大気を圧しつぶします。圧しつぶされた大気の分子が激しくぶつかり合って、熱が発生します。火星の大気だと2000℃程度に加熱されるので、高温に耐えねばなりません。

そして、着陸点に向かう軌道を修正しつつ、適切なタイミングでパラシュートを開く。しばらく降下した後、「スカイクレーン」と呼ばれるロケット推進で噴射する装置につるされながら、ゆっくりと着陸していきます。この間7分間。NASAの運用室の緊張感がパソコン画面を通じて伝わってきました。着陸成功が報じられたときは、思わず僕もガッツポーズ。

なお、この火星探査機の開発や運用には日本人のエンジニアの方も関わっています。こういう活躍を見せていただくと、僕もがんばらなくちゃねと励みになります。まずは「べんぞうさん」を抱っこしながら、さっさと領収書の山を片付けないと。(宇宙天気防災研究者)

3分宇宙天気>2月19日から太陽の「コロナホール」から流れ出した高速太陽風が地球周辺に吹いています。20日に太陽の「プロミネンス」から発生したガスの塊は、24日に地球をかすめて通過しました。この後、宇宙天気は穏やかになる見込みです。宇宙旅行の際は宇宙天気を見てからお出かけください!

自動運転からパーソナルモビリティーにつなぐ つくばスマートシティの実証実験

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介助を受けながら自動運転車からパーソナルモビリティーに移乗する五十嵐市長=つくば市 筑波大学付属病院

【山口和紀】つくば市が県、筑波大学、民間企業などと構成する「つくばスマートシティ協議会」は27日、自動運転車両とパーソナルモビリティーの実証実験を行った。自動運転の乗用車がみどり公園(同市学園の森)から筑波大学付属病院(同市天久保)まで走行した後、乗客は遠隔操作のパーソナルモビリティーに乗り換え、病院受付まで自動走行で移動するという内容だ。

実験に用いられた自動運転車両はトヨタ・ジャパンタクシー(JPN TAXI)を自動運転用に改造したもので、自動運転技術はシステム開発企業のTierⅣ(ティアフォー、愛知県名古屋市)の技術が用いられた。パーソナリモビリティーとして用いられたのはWHILL(ウィル、東京都品川区、杉江理社長)の電動車いすだ。

自動運転コントロールルームの様子。異常があれば自動走行からマニュアル操作に切り替え、安全な場所まで人間が移動させることになっている

自動運転の実験では、万が一に備え運転手が搭乗していたものの、一切の運転操作を行わずコンピューターの自律走行のみで公道を走行した。実際に搭乗した五十嵐立青市長は「怖さは全く無かった。最大の難所が人間でも運転が難しい右折だと伺っていたが、全く心配が要らないレベルだった」と感想を話した。

パーソナルモビリティーは、病院内の移動やバス停から自宅までのラストワンマイルなどで用いられる一人乗りの乗り物のこと。今回の実験では、自動走行ではなく、遠隔操作で走った。実験の監修役を務める筑波大学、鈴木健嗣教授(システム情報系)は「将来的には、病院内で身体に不自由のある方や患者さんを自動運転で検査室や病室まで運ぶようなことを想定している。ボタンを押せば病院内どこでも連れて行ってくれるような形だ。技術的には現時点でも十分に可能と考えている」と話す。

左手の男性がコントローラーで自動走行のパーソナルモビリティを遠隔操作している

「自動運転の交通手段とパーソナルモビリティーの連携こそが今回の実験のポイント」と五十嵐氏市長。体に不自由な人を想定した実証実験であるため、市長自身も介助を受けながら自動運転車からパーソナルモビリティーに移乗した。

「自動運転の技術そのものは既に一定程度の水準に達しており、実証実験も各地で進められている。しかし、今回の実験ではそこから一歩進める形で、交通弱者のニーズを解決するということを目指した。具体的には、自動運転とパーソナルモビリティーを組み合わせることで、高齢者や障害を持った人が通院をするというシーンを想定しての実験になった」という。

実証実験を行ったスマートシティ協議会は「つくばスマートシティ」の実現を目指し、産学官金が連携して事業を推進していくことを目的として2019年6月に設立された組織だ。大井川和彦知事とつくば市長が会長を務める。茨城県およびつくば市と、筑波大学や産総研などの研究機関、ドコモやカスミなどの企業、計39機関が会員として所属している。

五十嵐市長は「技術的には自動運転技術は十分に実用化のレベルに達していると思うが、法制度の整備などを待つ必要がある。自動運転などの技術を実際の仕組み、サービスとして具体化していくには『スマートシティ構想』に採択されることが大きな後押しになる」と語った。

《ひょうたんの眼》34 JOC森前会長の罪深い発言

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【コラム・高橋恵一】JOCの前会長が不適切発言で引責辞任し、次期会長に女性が就いた。元々、首相時代から「失言」の目立つ森前会長だったのだが、今回は、重要ポストを追われ、どうやら院政を敷くのも困難な立場に立たされたようだ。

森前会長は、JOCの女性理事の割合を現在の20%から40%にしようとする目標に関して、評議員会の席で「女性の多い会議は、発言者が多くなり、時間がかかるので困る」という趣旨の発言をした。この発言に対して女性蔑視(べっし)、差別だとする批判が高まり、さらに、発言撤回と反省の記者会見で逆ギレし、当初は、政権や関係者の前会長擁護の動きもあったが、IOC会長の裏切り非難声明により、しぶしぶ辞任することになった。IOCも大スポンサーからの指摘で、変節しただけのようだが…。

この発言と「本音」について、国内でも様々な議論が起こったが、日本の男女格差、ジェンダーフリーのレベルが国際的にも最低位置にあることが、世界に広まってしまった。後任のJOC会長の選び方も、透明性確保が求められたが、今までの組織の流れを引き継ぎながら、世間体を繕うために、女性でオリパラ担当大臣の橋本聖子さんが就任した。これで、右往左往した世間も落ち着き、IOCも安心した。

しかし、日本のジェンダーフリー、民主主義のあり方については、何も進展しなかった。会議の発言者多いと、なぜ困るのか? 男性が場を「わきまえている」ということは、異論をはさむ者(男性)を、初めからメンバーに入れていないということだ。そういえば、首相の記者会見、国会での答弁拒否、政策決定の有識者会議等々、初めから結論ありきで、もともと議論を交わす考えがないということだ。

国会だけではあるまい。多くの、株主総会、諸団体の総会から、多くの地域社会の決め事まで、多様な意見を交わして高め合う機会が少なく、結果として、組織の高度化、成長を妨げている。

民主主義に基づく学者とメディアに期待

古来、日本では、権力者と異なる意見を主張することは、困難を伴った。殿様の言動を変えさせるために切腹、諌死(かんし)した逸話も少なくない。自分と異なる意見を聴くのが大嫌いな上司は数多くいる。それが、自分自身の利害や先入観に基づく場合は、強固である。その上司が国家のリーダーである場合、その拒否が、聞き入れない政策が、国民の生命や生活に重篤な影響を及ぼすことになろう。

先の悲惨な戦争が人権と民主主義の否定に端を発していたことは明らかであろう。現在の気候変動や感染症対策、格差拡大を増幅している経済対策も、日本学術会議への態度に見られるように、政権の科学的思考の薄弱さに裏打ちされている。

社会経済が疲弊して、一部の層だけが富と権力を占有し、庶民の不満が限界に近づくとき、巧妙にファッショ化が進行する。歴史の教訓である。本来、忖度(そんたく)などに陥らない、真に使命感を持った官僚が必要なのだが、国民を誤った方向から救えるのは、人権と民主主義に基づく学者とメディアであろう。(地図好きの土浦人)

ネコたちのいる風景 7日まで関由香さん(つくば)写真展

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写真展「ねこうらら」=筑西市丙アルテリオ内、しもだて美術館

【池田充雄】つくば市在住の写真家、関由香さんの写真展「ねこうらら」が3月7日まで、筑西市丙のしもだて美術館で開かれている。約20年間のキャリアの集大成的な展示会で、関さんが特に気に入りの作品100点が並んでおり、「ネコを通して生まれるあたたかな風景が好き。厳しい状況の中で少しでも、うららかな時間を過ごしてもらえたら」と話す。

関さんは長野県出身、東京のブライダル写真の会社で腕を磨いた後、ネコ写真家として独立。2001年に沖縄の竹富・小浜・波照間などの島々を巡って撮った写真が、2003年の第4回新風舎・平間至写真賞優秀賞を受賞し、翌年の写真集「島のねこ」にまとめられた。以来、手掛けた作品は40冊以上。テレビCMで人気の「ふてニャン」の写真集もその一つだ。

展示作品の一つ、ねこ助ポーズの看板ネコ (関由香さん提供)

「ふてニャンがすごいのは“待て”ができるところ。離れていても全然ポーズを崩さない。何百匹に一匹の逸材だそうです。顔がかわいいし、全体に存在感がある。性格も穏やかでいい子」と評価する。

ネコと一緒に撮影を楽しむのが関さんのスタイル。いっぱいほめてあげるとネコも分かってくれるそうだ。ネコの顔が見えるよう地面に寝そべって撮っていると、倒れているのかと心配され、よく声を掛けられるという。「ネコ好きな人には良くしてもらうことが多く、いつもいやされて帰ってきます」

「ほっこりした気持ちになって」

関由香さん(撮影:hirota aotsuka)

展覧会は、写真家としての出発点となった沖縄のネコから始まる。みやげもの屋のテーブルに“て”の字の形に寄り掛かって眠ってしまった子や、電信柱の裏側にしがみついて手だけを見せている子など、ゆったりとした島時間の中で伸び伸びと暮らすネコたちの姿が活写されている。

ラオス、カンボジア、ミャンマーなど、アジアのネコを集めたコーナーもある。台湾の寺で首にお札を付けて大切に飼われていたり、駄菓子屋の店先で立ちポーズを披露したりなど、人とネコとの多様なかかわりが異国情緒あふれる景色の中に浮かび上がる。

下町の商店街や喫茶店などの看板ネコもテーマの一つ。つくばや土浦でも探しているが室内飼いが多いのか、街中でネコを見かけることは少ないと嘆く。看板ネコのいる店をご存じの方は、ぜひ当記事のコメント欄へ情報を。

最近撮り始めたのが「ねこ助」のシリーズ。テーブルやいすなどに手をついたポーズを集めたもの。「マントを付けたお助けマンみたい」というのが命名の理由だそうだ。コロナ禍による自粛期間中、ネコのどういうところが好きなのかと振り返っていてたどり着いた。「ずっとネコに助けてもらってきた。見ているだけで幸せにしてくれる。皆さんにもほっこりした気持ちになっていただけたらうれしい」と呼び掛ける。

「関由香写真展 ねこうらら」の詳細はしもだて美術館へ。

《宍塚の里山》74 コガモとオオタカ

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(円内写真)オオタカ=撮影:鶴田学(上段中)カモの群れ(左)コガモのオスメス(下段)オスの体そらし、見つめるメス

【コラム・及川ひろみ】今ごろの宍塚大池。ピッツ、ピッツと澄んだ声が鳴り渡っています。カモの中で最も小さなカモ、「コガモ」の雄の鳴き声です。ドバトより少し大きな、両手で包めるほどの小型のカモ。コガモと言っても子どものカモではありません。大池を歩いていると、「あの鳴いているのは何?」とよく聞かれます。その正体がカモと知ると、想定外だったのか、皆さん一様にびっくします。

コガモが盛んに鳴いているとき、しばしば雌への求愛行動(ディスプレー)が見られます。1羽のメスの周りに数羽の雄が、うろうろ、そわそわ。頭を振ったり、体をそらせたり、水面すれすれに首を伸ばして泳いだり、水しぶきを上げたり。時に、緑に輝く美しい羽根や、尾の近くの黄色い羽根を見せびらかし、雌に猛アピールするのが見られます。旅立ち前の真剣な儀式です。

大池では1984年から、野鳥の会の依頼を受け、毎年1月、カモの種類とその数を数えています。数え始めたころ、最も多かったのがコガモでした。しかし、次第にその数が減り、数年後にはマガモが多くなり、それが続きました。コガモが多かったころは、池の周りは松が多く、水面が陰影に富み、今のような明るい池ではありませんでした。

次第に明るい池になっていったこの変化が、コガモの減少に関係しているのではと言われていましたが、なんと、この冬はコガモが一番多く、いつにも増してコガモの澄んだ鳴き声が池に鳴り響いています。コガモが増えた理由はさっぱり分かりません。

3月になるとカモたちは北帰行

もうひとつ、この冬の特徴は、カモがなかなか大池にやって来なかったことです。毎年9月末から、コガモを皮切りに多くのカモがやって来て、冬を越します。ようやくカモがやって来て、数を増えたのは11月。コガモが多数やって来たのは11月末のこと。ずいぶん遅い集結でした。

カモの季節、毎年オオタカによるコガモの狩りが見られるのですが、なかなかコガモがやって来なかったことから、オオタカの出番も大分遅くなりました。オオタカとコガモ、密接な関係があるようです。この冬、大池では、オシドリ、オカヨシガモ、ヨシガモ、ヒドリガモ、マガモ、カルガモ、ハシビロガモ、オナガガモ、トモエガモ、コガモ、ホシハジロ、キンクロハジロが見られました。

3月になると、カモたちの北帰行が始まります。この時、旅の途中の大池に立ち寄るカモも多く、日ごろ見ることのない、珍しい種類のカモが見られることがあります。これからどんなカモに会えるか楽しみです。皆さまも、春間近な宍塚の大池にお運びください。(宍塚の自然と歴史の会 前会長)

時速6キロの一人乗りロボ つちうらMaaSに新顔

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歩道を走りだした「ラクロ」=土浦市藤沢

【山口和紀】自動運転の一人乗りロボ「ラクロ」が25日、新治公民館(土浦市藤沢)近くの公道に沿う歩道をかっ歩した。つちうらMaaS(マース)の実証実験の一つとして行われた。コンパクトな車体に、自律移動に必要なセンサーやデバイスを搭載したロボットで、最高速度は時速6キロ、ちょっと速足気味に走行する。バス停から自宅までのラストワンマイルを担う安全性の高いモビリティーとして活用が期待されている。

ラクロを開発するZMP社(東京都文京区、谷口恒社長)事業部長の龍健太郎さんは「ラクロは人間社会に溶け込むロボットとして開発された。状況に合わせて様々な感情を表現することができ、ただ人を運ぶだけの無機質なロボットではない」と語る。

「ラクロには喜怒哀楽それぞれに3段階の感情表現があり、計20パターンの表情がある。目の前に人がいるときには立ち止まり、サウンドと音でコミュニケーションをする」という。実証実験では状況に合わせて「通ります」「道を開けてください」などと発声していた。

将来的には、スマートフォンのアプリなどでラクロを自宅前などに呼び出し、バス停まで自動で乗客を乗せていくという使い方が想定されるという。実際に東京都中央区ではZMP社が、ラクロのシェアリングサービスを行っている。現在は、月に1万円でラクロ乗り放題のプランや10分で370円の時間制サービスなどがあるそうだ。アプリでは、目的地や日時を入力することで簡単に利用できるという。

(上)「ラクロ」の目の部分(下)丸い円錐状の部分が距離を測るレーザー測定器。360度の障害物との距離を常時測定している

大きさは長さ約119センチ、幅66センチ、背もたれの高さ109センチ。ラクロは法律上、歩道を走行するシニアカー(電動車いす)のサイズに準拠する。そのため、日本中どこの歩道であっても走行することができる。

搭載されたコンピューターが自律的に判断をする「自動運転」については、法整備が十分に追いついていない。龍さんは「自動運転で走行することには法律上何ら問題はないが、現在は警察庁などと協議を行いながら事業を進めている状況」と説明した。

ラクロには「頭」の部分に360度の距離を測るレーザー測定器、前方の状況を認識するカメラが搭載されている。客席側にはタブレット端末が装着してあり、目的地までの地図情報や、時間などが表示される。1人乗り専用で、最高速度は時速6キロ、隣の人と歩調を合わせて移動できる。ジョイスティックなどによる操作は一切必要なく、自律的に走行する。リモコンによるマニュアル走行も可能だ。目の前に障害物がある場合には、回避するか立ち止まり、障害物が無くなりしだい自動で走り出す。

実証実験でラクロに乗った男性(つくば市在住)は「思ったよりも速かった。乗り心地は快適で、なにより表情と声がかわいいと思った」と話していた。

入念に新型コロナ対策 筑波大学で入試

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25日午前9時45分ごろ「外国語」の試験開始前=筑波大学3A204試験会場

【山口和紀】筑波大学(つくば市天王台)の2021年度の入学者を選抜する個別学力試験(前期日程)が25日、行われた。受験予定者数の合計は4109人(うち女子は1288人で31%)で、全体の志願倍率は4.2倍になった。最も倍率が高かったのは社会学類の9.0倍で、続いて心理学類の5.8倍だった。合格発表は3月8日。

全国から受験生が集まるため、入念な新型コロナ感染症対策が取られた。受験者には14日間の健康観察記録が義務付けられ、試験会場に入る前に試験官らが健康観察記録表の確認を行った。試験開始前、「本人確認の際のみ、マスクを一時的に外して頂く可能性があります」「換気のため室内の気温が下がることがあります」とアナウンスがあった。

新型コロナウイルス感染のおそれがある生徒は、救済措置として3月22日実施の追試験を受ける。試験方法としては、基本的にオンラインあるいは書類審査をもって行う。ただし、特に専門性が高い医学類、体育専門学群、芸術専門学群、知識情報・図書館学類(後期日程のみ)は筑波大学の試験場で行われる。

今年度入試から、総合選抜が開始された。総合選抜で入学した学生は、1年次の間は新設の総合学域群に所属し、2年次以降は各学群・学類に配属される。総合選抜には「文系」「理系Ⅰ」「理系Ⅱ」「理系Ⅲ」の4区分があるが、どの区分からでも体育専門学群を除く全ての学類に配属の可能性がある。特に専門性が高い、医学類や芸術専門学群にも進路が開かれている。

2020年度は新型コロナの影響で実施されなかった入学式だが、筑波大学によれば21年度について「現時点では入場者の制限を行いつつ実施する予定」だという。

《県南の食生活》22 ひな祭り その歴史と形

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手作り草もち

【コラム・古家晴美】今の時期、多くのスーパ―では、袋詰めのひなあられが山積みにされている。ひな祭りと言えば、どちらかというと女児のための朗らかな行事のイメージが強い。しかし、奈良・平安時代の天皇や貴族にとっては、上巳(じょうし、3月3日)は水辺で和歌を詠み、桃花酒(とうかしゅ)を飲み、草もちを食べて邪気を祓(はら)う行事を執り行う日であった。

「ひな祭り」が貴族・武家・上層の商家や農家や都市部で成立したのは、その数世紀後の室町時代から江戸時代にかけてのことだ。それ以前は人間の穢(けが)れを移した人形を水辺に流していたが、これ以降、内裏雛(だいりびな)として屋内に飾られ、江戸幕府がこの日を五節供(ごせっく)の一つに定めた。

さらに農村漁村の庶民における普及は、近代に入ってからになる。つまり、かなり新しい。県南地域でも、戦前にひな人形を所有していたのは、経済的に豊かな家庭に限られた。庶民の子どもたちはひな飾りのある家を見て回ると、その家で作られた甘酒や草もち、ひなあられが振る舞われた。

ひな飾りがない家では、親戚や仲人さん、地域の組合から贈られたお内裏様(だいりさま)が描かれた掛け軸(カケジ、ヒョージ)を飾り、自家製の桜まんじゅうや餅、草もち、赤飯で祝った。

また、初節句には、仲人や親せきなどを招いてご馳走した。特に霞ヶ浦湖岸では、特産物であるシラウオや鯉(洗いや煮つけ)などが饗されたと言う。お祝いのお返しとしては、餅や桜餅、桜まんじゅう、赤飯などを配った。

「ひなあられ」は野外での携行食

このように、ひな人形を飾るようなひな祭りは、庶民にとって比較的最近のことだ。掛け軸で代用していた家庭では、菱(ひし)餅の存在感はあまりなかっただろう。しかし、上巳で食べられていた邪気除(よ)けの草もちはアンコ入りの草もちという形で、また桃花酒はほとんどアルコール分がない甘酒という形で受け継がれ、ひな祭りの行事食となった。

ところで、ひなあられは、野外での携行食として、菱餅を砕いて作ったのが始まりだという説がある。県南地域では見られなかったが、ひな祭りに女性や子どもが磯遊びや山遊びなどに出かけ共同飲食する事例が、近年まで全国的に広く分布している。

おひな様を連れて花見や涼みに行く、あるいは河原に持ち出し、そこで煮炊きしたオヒナガユ(粥)を供え、子供たちと共食するなどの報告もある。他方、本格的な農事開始に先駆け、非日常の空間(磯や山)で1日暮らすことにより、田の神を迎える物忌みの準備をしているのではないか、との分析も興味深い(田中宣一『年中行事事典』三省堂)。

今年のひな祭りをどのように過ごそうか。まずは今晩、ひな人形を飾ってみよう。(筑波学院大学名誉教授)

「TSUKUBA新型コロナ社会学」を開講 新年度の筑波大学

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[参考ページ]https://www.osi.tsukuba.ac.jp/fight_covid19_topics/1063/

【山口和紀】筑波大学(つくば市天王台)が4月からの新年度、「TSUKUBA新型コロナ社会学」を開講する。複数の授業担当者が回ごとに講義をするオムニバス形式の授業として行われる。「世界的にも独自性の高い試み」だという。自由科目として開講され、大学院生や科目等履修生を含む、すべての学生が受講できる。

講義全体のオーガナイザーを務める秋山肇助教(人文社会系)は「特に新型コロナの影響を受けて変化する社会や科学、学問のあり方について考える学生の参加を見込んでいる」と話す。

筑波大は「新型コロナ危機に立ち向かい、その成果をいち早く社会に伝えることを目指す」として、27件の新型コロナ関連の研究プロジェクトを「大学『知』活用プログラム」として昨年始動させた。このプログラムには、医療健康分野だけでなく文化、教育、心理など幅広い分野の専門家が参加した。

たとえば、山田実教授(人間系)は「パンデミック下でも介護予防を! 高齢者がパンデミックを乗り越える秘けつを探索する」というプロジェクトを立ち上げ、感染拡大が高齢者の活動に及ぼす影響の経時的調査などを実施している。

太刀川弘和教授(医学医療系)は「健全な引きこもりはあるのか? 引きこもりから『学ぶ』新しい生活様式の在り方を逆転の発想で提案するプロジェクト」を立ち上げた。新型コロナがもたらした「国民的引きこもり状態」は、引きこもり患者にとっては好環境かもしれない。既往の患者から「健全な引きこもり方を『学ぶ』ことはできないか」と提起し、新しい生活様式を提案する研究を行っている。

総合大学であるという特色を生かした「多様な知を学生に還元するため、新型コロナが社会や科学・学問に与えた影響を扱う」のが開講される「TSUKUBA新型コロナ社会学」だという。

授業を担当するのは「大学『知』活用プログラム」に参加している10人の教員。一講義ごとに教員が入れ替わるスタイルの授業で、第1回は秋山肇助教の「COVID-19と日本国憲法」で始まり、最終回は池田真利子助教(芸術系)の「COVID-19下の創造性と芸術表現」で終わる。幅広い学問分野の教員がオムニバスで授業をするという「真の総合大学」を目指す筑波大学ならではの取り組みだ。

オーガナイザーの秋山助教は、受講する学生に期待することについて「まずは、研究者がそれぞれの専門をもとに新型コロナという大きな社会的課題の解決に向けて、様々な研究に取り組んでいることを知ってほしい。その上で、新型コロナが突き付けた社会的課題を解決するためには、多様な学問分野の知見が必要になることを学んでほしい」と話した。

《遊民通信》11 神秘体験記(2) 宍戸諏訪山

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諏訪大明神御社

【コラム・田口哲郎】
前略

以心伝心はあるのかもしれません。今回はそんなお話です。国土地理院の地形図を見るのが好きです。今どきのマップと違い文字情報は多くないですが、主要施設は地図記号でしっかり記載されています。ある日、旧宍戸町(茨城県笠間市)の地形図を眺めていました。母の実家がありなじみがあるからです。それでも地形図には未知の情報がたくさん載っています。加賀田山(かがだやま)が目に留まりました。母方の父系は武田氏です。一帯の庄屋をしていました。名字帯刀を許された家柄です。

「加賀田山がつぶれても、武田の家はつぶれない」と言われたものだと母から聞かされていましたから、山の名に覚えがあったのです。農地改革で土地を失い武田家は見事に没落。諸行無常です。諸法無我でなければ浮世を生きるのはつらいわけです。

それはともかく、加賀田山の隣に諏訪山というのがあります。山頂に神社マークがあります。そのときは何とも思いませんでした。それからしばらくした夏の日、母が朝方夢を見たと言いました。道の右脇の森に朱の鳥居があり、その奥に道が続いていた。行ったことがない場所だが呼ばれているようだったと。諏訪山の神社かな、と直感しました。朱の鳥居の有無は知りませんが、地形図を立体化すると母の夢の光景になるかも…。

興味が湧き、行ってみました。果たして諏訪山の神社の入口には朱の鳥居と長い参道がありました。母も夢で見た通りだと言います。

宍戸の諏訪大明神

草深い杉林の参道を行くと、急な石段。途中の踊り場には御手洗の石桶があり諏訪大明神と刻まれています。さらに上ると広場に拝殿があり、その奥の細く急な階段の上に板で囲まれた古ぼけた社がありました。

母は幼いころ祖母に連れられて一度きり来たそうですが、裏の山道を来たので赤い鳥居の参道は知らなかったそうです。素人目にもこの打ち捨てられたような神社がなかなかの格式であることが分かりました。後で調べたらそこは宍戸神社と言い、明治時代の一郷一社制度により近隣の平神社と合祀されたものだとわかりました。明治以前は諏訪大明神だったのです。

祖父は母の実家に婿に入りましたが、武田の家柄を誇り、信玄公を輩出した甲斐武田家の直系だと言っていたそうです。家紋は武田菱(たけだびし)です。私は旧勝田市(ひたちなか市)発祥である武田氏が宍戸に土着した末裔(まつえい)だと思っていましたが、ご先祖様が諏訪大明神を勧進(かんじん)したのなら、祖父の言に一理あります。

甲斐武田氏は信濃の諏訪大社を信仰していました。武田氏は滅亡しましたが、落ち延び伝承は各地にあります。宍戸には養福寺(ようふくじ)という天台宗の寺院があり、寺紋は武田菱です。祖父は40年前に他界しましたが、隔世の伝言のようにいろいろ分かったのは不思議です。

母の兄は調べもせず根拠なしと祖父の誇りを嘲笑したそうです。伯父と違って勘の利く私に祖父は伝えたかったのでしょう。成仏しても苦労が絶えない一切皆苦(いっさいかいく)です。羯諦(ぎゃてい)、羯諦。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

筑波山神社を花と着物で彩る 27日から「百人きもの」

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2018年の「百人きもの」の様子(筑波山華やぎプロジェクト提供)

【山崎実】コロナ禍の心に華やぎをもたらしたいと、筑波山発!「百人きものーコロナ終息を願いー祈り」が、27日、28日、3月1日の3日間、筑波山神社(つくば市筑波)を中心に催される。

観光庁の「誘客多角化のための魅力的な滞在コンテンツ造成」実証事業として、筑波山華やぎプロジェクト実行委員会(吉岡鞠子代表)が、デンマーク人の世界的なフラワーアーティスト、ニコライ・バーグマンさんとタッグを組む。

バーグマンさんにフラワーアート制作を依頼し、神社境内各所に展示するほか、筑波山大御堂では、着物姿の参加者延べ約250人が次々と献花し、3日間かけてオブジェを制作するなど、花と着物で筑波山を彩る。

筑波山華やぎプロジェクト実行委員の(左から)浅野弘美さん、吉岡鞠子さん、小川原智子さん

実行委員会は40代から70代の女性5人。旅館「筑波山江戸屋」女将(おかみ)の吉岡鞠子さん、体験型エクステリア展示場を運営する浅野弘美さん、料理研究家の小川原智子さん、筑波山ガイドの浅野祥子さん、市議の山本美和さんが2018年にスタートした。

2020年秋に3回目の開催を予定していたが、新型コロナの影響で延期されていた。

番傘でソーシャルディスタンス

今年度は新しい試みとして、開催会場をすべて屋外とし、着物に番傘というソーシャルディスタンスで独自のコロナ対策をする。さらに世界的なフラワーアーティストの出演により、国籍、性別、年齢を超えてダイバーシティー(多様性)を推進し、コロナ終息を願う祈りのイベントとする。

筑波大学の学生の力も借りて、10代から80代まで、幅広い年齢層の協力を得て、イベントを盛り上げる。大御堂の階段には筑波大生がデザインしたランタン約150基を置き、ライトアップする。旅館や土産店が並ぶ門前通りにも番傘を飾って彩る。

実行委員会のメンバーは「コロナ禍で沈んだ心を癒し、華やぎをもたらし、筑波山の伝統文化を世界に向けて発信していきたい」と話し、筑波山の華やぎから、コロナで打撃を受けている飲食店や宿泊事業者の応援につながり、筑波山温泉郷のホテルに一人でも多くの人に足を運んでもらい、地域経済の活性化につながればと期待している。

◆参加費無料。ドレスコードは着物。申し込みは26日まで。詳しくは筑波山華やぎプロジェクト「百人きもの~祈り」のホームページへ。問い合わせは同実行委員会の浅野弘美さん(電話090-8722-5697)。

《続・平熱日記》80 センスの問題

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【コラム・斉藤裕之】「何が悪いんだ?」という顔でその人はそこに立っている。記者風情の質問には腹が立つのだろう。なにせ首相までやったのだから。ここまでオリンピックを引っ張ってきたのだから。私の親の世代、女性に対する物言いや女性の地位は今思えばひどいものであった。

いやほんの少し前まで自分を含めた周りもそうだった。女に負けるな、女みたいな髪型、女の腐ったような…。とにかく、男は女より優れていて、「男子たるものは」という教育を受けてきた。だから、この大柄な老人のことをとやかく言えるかと言えば、はなはだ怪しい自分がいる。理屈として分かっていても、本心から女性をリスペクトすることは容易ではない。

要するに、地雷を踏まない術(すべ)を身に着けることはできても、聖人君子のようにはなれない。いや、君子でさえも「女子と小人(しょうじん)は…」なんて言っているのだから。

ところで、2人の娘は小学校の時から柔道をやっていた。2人ともそれなりに強くて、長女は県南で優勝したこともある。次女などは県の大会で決勝までいってしまって。ここで勝つと、全国大会で秋田まで行かなければならないというのでちょっと焦ったが、いい感じの接戦で惜しくも負けてくれた。

かわいらしい女の子だと思ってつかみかかりにいくと、一本背負いでぶん投げられる。当時の映像は残っていないが、絵に描いたように男の子を投げ飛ばす姿は、我が子ながら見事だった。

しかし、2人ともそれほど好きではなかったらしく、中学で畳から降りた。実はその間にいただいた金銀のメダルが段ボールひと箱ほどもある。子供たちが巣立ってから、少しずつ不要になったものを捨ててきたのだが、その日、カミさんが引っ張り出してきたのはこの大量のメダル。

時化の日には漁を諦める

寒そうに美術室に入ってきた女子。「この真冬にスカートをはいているだけで尊敬するよ」「ですよね~!」って笑って答えてくれるが。こういう会話が許されるのは、私が人格者だからか、はたまた人畜無害な初老に見えるからか。いや多分センスの問題だ。

ある時から、女性の方が優れているのではないかと気づき始めた。医学部の入試の一件もそうだが、美術大学はずいぶん前から女子と男子の比率が逆転している。ちょうど、オリンピックでマラソンや柔道に女性が活躍し始めた時期と重なるような気がする。特に最近では、ジェンダーやマイノリティーについて世論は敏感だ。

これはとても繊細な問題なのだ。だからセンスを養う必要がある。最近メディアを騒がすのはこのセンスない人たち。そういえば、この方は文部大臣もやられたのでは…。今回の件は、「けがの功名」としてオリンピックのレガシーに。そういうセンス。

段ボールいっぱいのメダルに未練はない。さっさと燃えないゴミに出した。燃えないゴミから作ったオリンピックのメダルが陽の目を浴びる日は来るのだろうか。時化(しけ)の日には漁を諦めるというのもひとつのセンス、勇気だと思うが。(画家)

23日から解除 県独自の緊急事態宣言

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茨城県庁(イラストは「いばらきアマビエちゃん」)

大井川和彦知事は22日、茨城県独自の緊急事態宣言を23日午前零時から解除すると発表した。県内全域に出されていた外出自粛と、飲食店の夜8時までの時短営業要請は22日までで解除となる。

飲食店以外に一律20万円を検討

今回の緊急事態宣言で、飲食店以外にも大きな影響を受けた関連事業者が数多くあったことから、大井川知事は、大きく売り上げを減らした事業者に、県独自に一律20万円を支給する準備を進めているとした。支給要件は現在検討中で、詳細が決まったら改めて発表し3月中旬以降に受け付けるとした。

一方、飲食店の時短営業協力金(1日1店舗当たり4万円)は22日までとなり、1店舗当たり最大60万円を支給する。

医療機関に常駐しクラスター対策指導

県全体では先週時点で、解除の条件である、1日当たりの新規感染者数60人以下(21日時点で30.1人)、コロナ専用病床稼働数185床以下(同176床)を達成していた。しかしつくば市内の医療機関でクラスターが発生したことなどから、いったん解除を見合わせた。その後、経過を分析し、飲食関係や他県からの移動に伴う新規感染者がひじょうに少なくなっていることなどから解除を決めた。

一方、病院や福祉施設、職場などでは新規クラスターが発生しているとして、クラスター発生の医療機関に、対策を指導する専門家を常駐させる体制を至急構築し、一刻も早くクラスターを収束させるとしている。

15日から21日まで1週間の新規感染者数は、つくば市が人口1万人当たり1.39人、土浦市が同0.22人。

国の緊急事態宣言指定基準まで至らずに解除できたことについて大井川知事は「スピーディーに対応し、悪い状況の中でも収束を早めることができたと感じている」などと話した。

筑波山梅まつりは26日から開催

県独自の緊急事態宣言は1月18日発令された。当初は2月7日まで3週間だったが、今月末までさらに3週間延長された。今回、約1週間前倒しとなり、5週間かかってようやく解除となる。

開催延期の措置が26日解除となる筑波山梅まつり=つくば市沼田

外出自粛要請の解除を待って、第48回筑波山梅まつりは26日からの開催が決まった。2月13日から開催が延期されていた。会期は3月21日まで。

販売開始を延期していた県独自の宿泊促進事業第2弾「めざせ日本一」割については、国のGoToトラベルの状況を見て判断するという。

新治コミバス運行実験スタート つちうらMaaS

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コミュニティーバスに乗り込む利用者=土浦市藤沢の新治地区コミュニティーセンター前

【池田充雄】観光客の周遊促進や市民の移動手段確保を目指すつちうらMaaS(マース)実証試験のうち、土浦市新治地区でのコミュニティーバス運行実験が22日から始まった。ワンボックス型の8人乗り車両2台を使い、3月11日までの間、前後期で運行形態や乗客認証方式を変えて実施する。運行時間は午前10時~午後4時、運賃は無料。

前期は時刻表に基づき運行

2月22日から3月2日までは、所定のルートを時刻表に基づき運行する。高岡・田土部方面と沢辺・田宮方面の2ルートがあり、バス停の数は合計29カ所。各ルートを1台の車両が受け持ち、おおむね40~45分間隔で回る。

運行ルートの設定やバス停位置の選定には、スマートフォンの位置情報から抽出した「流動人口データ」を利用。住民の移動需要を予測し、人の移動が多いと思われる区域を割り出した。データからは、土浦方面への住民の移動欲求が高いことも確認できた。旧国道125号の上坂田-藤沢十字路間には、土浦駅を発着する路線バスが1日30往復ほど運行しているため、それらとのスムーズな接続を図ることで、土浦へのアクセスを高めるとともに、路線バスが通らない区域をコミュニティーバスが高頻度で回れるようにした。

後期は自由で効率的な運用

3月3日から11日までは、オンデマンド乗り合い方式の運行になる。利用者がインターネットか電話で、乗降場所(バス停名)と乗車人数を伝えると、AI(人工知能)が即時に最寄りの車両を選び、最短時間で配車する。1時間前とか前日といった事前の予約ではなく、直前の申し込みで大丈夫。配車予定時間も教えてくれる。オンデマンド方式の場合、バスは必ずしも既存ルートにはこだわらず、指定したバス停間を最も効率的な経路で走る。相乗りに際しても、柔軟なコース変更で対応するという。

このほか今回の運行実験では、乗客を対象とした認証実験も同時に行われる。前期はマイナンバーカードを使った認証で、後期は顔認証を用いる。将来はこれらの認証システムが、運賃の自動支払いや、登録者限定の運賃割引など、さまざまなサービスの提供につながるはずだ。

「新治バス」の教訓生かす

土浦市では2011年にもコミュニティーバス「新治バス」の試験運用を行ったが、このときは利用低調により2年半で廃止となった。新治地区全域をカバーする長い距離を走るため便数が少なく、待ち時間も長いという弱点があった。

だが今回はビッグデータの活用により、移動需要が多い区域を選び、なるべく小回りに走ることで、より細かい需要も拾えるようになった。またコミュニティーバスだけで完結するのではなく、路線バスのほか電動キックボードや自動運転ロボットといった小型モビリティーなど、複数の交通システムを組み合わせることで、効率化を図りつつきめ細かなサービスが提供できると期待されている。

新治コミュニティーバス出発式での記念撮影

つちうらMaaS推進協議会の関東鉄道、廣瀬貢司取締役は「高齢化や少子化が進む中、地方の移動手段確保はますます難しくなっている。多様な組み合わせから最適なものを考えていきたい。ぜひ多くの方に利用していただき、ご意見をうかがいたい」と語る。

22日の運行初日、第1便には高岡・田土部ルートで1人、沢辺・田宮ルートで3人の利用客があった。ショッピングセンター「さん・あぴお」のバス停から乗車したという20代の男性は「いろんな集落の中をぐるぐる回るので、新たな需要が見付かるのでは。免許返納した高齢者などに便利だと思う」と感想を述べた。

園児らの「アマビエ」ラッピング 土浦キララちゃんバスの撮影会

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バスのラッピングの前で、安藤市長、大山理事長にはさまれ記念撮影する小林新ちゃん(中央左)と前野ゆうりちゃん(同右)=土浦駅前

【伊藤悦子】まちづくり活性化バス「キララちゃん」をラッピングするアマビエの絵を描いた2人の園児を招き、記念の撮影会が21日、土浦市有明町の土浦駅前バスロータリーで行われた。安藤真理子市長、バスを運行するまちづくり活性化土浦の大山直樹理事長らが参加した。

新型コロナ退散を願う「アマビエ」は昨年9月、同市が行ったデザインコンテストで、応募577点の中から選ばれた(1月16日付市長賞を受賞した小林新ちゃん(5)とイオンモール土浦賞の前野ゆうりちゃん(6)の2人のデザインが採用された。ラッピングバス側面に描かれ、9日から同市内を走り出した。

アマビエラッピングのキララちゃんバス

事務局長の小林まゆみさんによると、受賞した園児の家族らから「ラッピングバスの前で写真を撮って、バスにも乗りたい」と聞いたのがきっかけ。「せっかくなら」と関係者で話し合い、記念撮影会を開催することにしたという。

安藤市長は、「新型コロナウイルスの厳しさや、マスクや手洗いの必要性をわかってもらうために、市内の園児たちにアマビエの絵を描いてもらった。これがきっかけですばらしいラッピングバスになってうれしい。2人のアマビエの絵で土浦が元気になる。コロナに負けるなという気持ちがみんなに強く響くのでは」と挨拶した。

市長賞を受賞した小林新ちゃんは「アマビエの絵を描くのが楽しかった。キララちゃんバスに乗りたくなった」と声を弾ませる。母親の明日香さん(34)は「受賞の知らせには驚いた。(新ちゃんは)絵を描くのがとにかく好きでいつも絵を描いている」と話す。

イオンモール土浦賞の前野ゆうりちゃんは「絵を描くことが好き。うれしい」と笑顔で話し、父親の三千丈さん(56)は「絵が好きな子だからよかった。初めてのことでうれしい」と語った。

大山理事長によると、アマビエデザインコンテストの報道に接し、「キララちゃんバスにラッピングしたい」と市長に申し出たところ、快諾されたという。「土浦は今、コロナで元気がないところがある。アマビエバスが市内を走って、元気になることを祈っている」と話した。

アマビエラッピングバスは、予定では6月下旬まで走行する。

《邑から日本を見る》82 ずさんな東海第2の避難計画

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麦畑を飛び立つ白鳥

【コラム・先﨑千尋】2月13日夜中の地震にはたまげた。飛び起きてテレビをつけた。東海村は我が家から至近距離。そこにある日本原電東海第2発電所がどうなのかが心配だったから。何事もないことを確認し、また寝た。

翌朝のテレビはもっぱらこの地震の模様を伝えていた。福島にある2カ所の原発には異常がなかったようだが、高速道路で土砂が崩れたり、東北新幹線が不通になったりし、けが人もかなり出た。大学受験にも影響が出ているようだ。

報道では、今回の地震は10年前の東日本大震災の余震だとか。今回は津波が起きなかったので一安心だったが、福島の人たちはさぞ肝を冷やしたのではないかと思っている。10年もたっているのに、余震だとは驚きだ。

その東海村。毎日新聞は全国版の1月31日と2月1日付で、「東海第2避難所1.8万人不足」「責任曖昧 ずさん算定」という記事を載せている。それによると、同発電所をめぐる広域避難計画で、県内の避難所が2018年時点で約1万8000人分不足していた。施設のトイレや倉庫、ステージ、玄関ロビーまで、避難者の居住スペースとして計算していたからだという。

県の基準は「避難者1人当たり2平方メートル」だそうだ。トイレや倉庫まで含めて算出しているので、実際にはもっと少なくなる。あまりにもひどすぎる計画だ。畳1枚よりほんの少し広いくらいのスペースに、台風などの水害とは違い、いつまで続くかわからない長期間の避難生活ができるのか。計画を立てた人や首長、議員の皆さんに実験してもらいたいものだ。

「事故は起きない」楽観が暗黙の前提?

原発事故に備えた広域避難計画は、原発から30キロ圏内の自治体が策定することになっている。茨城県では東海村など14の市町村が該当し、これまでに5市町が策定済みだそうだ。その計画の中身を承知していないが、コロナ騒ぎの前のものなので、現時点では役に立たないだろうと考えている。

県が昨年5月に示した自然災害の際の避難所レイアウトでは、1人5平方メートルを想定している。原発災害にこの基準を当てはめると、広域避難計画そのものが成り立たなくなる。

4年前の県知事選のとき、現職の橋本昌氏が「避難計画などできはしない」と言っていたことを思い出す。県のトップがそう発言しているのだから、私も計画は作れないと思っている。策定済みのところも、作り直さなければならないのではないか。計画策定は原発再稼働の前提となっているので、東海第2原発の再稼働はできないことになる。

毎日新聞の記事には、災害リスク学が専門の広瀬弘忠さんの「あまりにもずさん。本気度が感じられない。『事故は起きない』という楽観が暗黙の前提になっているのではないか」というコメントが載っている。

今度のような最大震度6強の地震がまた発生し、津波も押し寄せたら、10年前と同じような惨事になる。いいかげんな避難計画を策定し、犠牲者が出たら誰が責任を取るのだろうか。「東日本大震災、今も影響。余震警戒さらに10年」と専門家は呼び掛けている。今度の地震はいろいろなことを考えるきっかけを作ってくれた。(元瓜連町長)