火曜日, 4月 22, 2025
ホーム ブログ ページ 147

「子ども第三の居場所」に採択 つくばで交流カフェ開設へ

0
「カフェ・ロベ」のイメージ図を持つ森美智子理事長=居場所サポートクラブロベ提供

生活困窮世帯の子どもに学習支援を行う「無料塾」を運営するNPO法人「居場所サポートクラブロベ」(つくば市島名、森美智子理事長)が、新たに地域の子どもたちや高齢者も気軽に立ち寄れる居場所の開設を準備している。日本財団(東京都港区)の「子ども第三の居場所」事業に採択され、4772万円の助成が決まったためだ。今年11月頃の事業開始を目標にしている。

「第三の居場所」事業は、子どもたちが放課後、安心して過ごせる居場所を提供し、生き抜く力を育むことを目的とした事業で、ロべは施設の建設費や当面の運営費に充てようと応募していた。7月に全国で57拠点の採択が決まり、茨城県内では唯一選ばれた。コミュニティーモデルとして採択されており、現時点での名称は「カフェ・ロベ」。「カフェのように、地域の誰もが立ち寄れて、様々な人と交流できる場所になれば」と理事長の森さん(54)は話す。

地域とつながる教室に

現在、同会が運営している「無料塾」は、利用世帯のプライバシー保護のため、一般の地域住民からは様子が見えない形になっている。しかし、年に数回実施している保護者との面談の様子から、生活困窮世帯の保護者は社会的に孤立した状況にいることが多く、保護者同士や地域住民とつながることができる場所も必要なのではと感じていた。

そこで、生活困窮世帯だけでなく一般家庭の親子や、地域住民も気軽に立ち寄れて交流できる場所を作ろうと思い立った。助成金を受けられたことで準備を始めている。同会が借用しているつくば市緑が丘の一軒家を改修し、多様な人が集まれるよう、リビングや台所を広げ、屋上には子どもたちが遊べるテントやプールを設置する。和室は子どもたちが宿題などをするスペースにし、学習塾や習い事教室を開催する部屋も増設する。

全員が一緒に夕食

新しい居場所「カフェ・ロベ」は、週3回、午後から開所する予定。学習塾のほか、外国人保護者のための日本語教室、保護者の就職等にも役立つパソコン教室、子どもも大人も学べる中国語教室など、利用者の希望に沿った教室を開設し、各自が受けたい教室を選べるようにする。基本的に各教室の受講料は徴収するが、生活困窮世帯は無料または低額にする。読み書き等が苦手な発達障害の子どもも各教室に参加できるよう、タブレット端末等の設備も整える。

各教室の終了後、全員がリビングに集まり、一緒に夕食をとる。夕食は子ども食堂のように、低額で提供する。「生活困窮世帯の保護者は複数の仕事を掛け持ちしていることも多く、その上、家事もこなそうと思うと、子どもと関わる余裕がなくなってしまう。低額で夕食を提供することで、親子が十分にコミュニケーションをとれる時間的余裕を作れれば」と、森さんは話す。

教室には参加せず、教室が開かれている時間帯にリビングで談笑したり、屋上で遊んでいてもいい。夕食を食べに来るだけの親子がいてもいい。「緑が丘地区には高齢者世帯や子育て世帯など、幅広い世代が暮らす。ロベが運営する、知的障害や精神障害を持つ人のグループホームも近くにある。夕食の準備など、高齢者や障害者にも手伝ってもらったりしながら、いつでも誰でも立ち寄れる場にしたい」と、森さんは意気込む。(川端舞)

◆同会では「カフェ・ロベ」開設に向けて、夕食の調理や発達障害の子どもたちへの学習指導、子どもたちの送迎等、運営を手伝ってくれるボランティアを募集している。問い合わせはロベ(電話029-886-9318、メールinfo@robe-npo.org)へ。

五十嵐つくば市長 今度は被告席に《吾妻カガミ》113

70
つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】元市議を名誉毀損で提訴している五十嵐つくば市長が、今度は6人の市民から住民訴訟を起こされ、五十嵐さんは2つの裁判を抱えることになりました。名誉毀損の方は原告、住民訴訟の方は被告と立ち位置は違いますが、両裁判に気を取られて市長本来の仕事がお留守にならないか心配です。

センタービル再生:監査請求住民訴訟

市が進める「つくばセンタービル再生事業」はいい加減なものだから、すでに支出したおカネは返してもらい、それがダメなら市長が自腹を切れ、これから手をつける設計・工事はすべてストップせよ―と、五十嵐市政の目玉事業に「NO」を突きつけた住民訴訟は、8月上旬、水戸地裁に提起されました。詳しい内容は、記事「つくば市長らに7000万円返還請求 6人が住民訴訟」(8月6日掲載)をご覧ください。

この訴訟は、原告を含む市民グループがセンタービル再生事業の問題点を列挙、市の監査委に監査請求をしたところ、問題なしと棄却されたことから、それでは裁判で白黒をつけようという、市民たちの次の一手です。監査委の結論で引かず、問題点を究極の第三者である司法の判断に委ねるアクションといえます。

監査請求が棄却されたこと、その理由に対する疑問については、コラム「五十嵐つくば市政 揺らぐその原点」(8月2日掲載)でも取り上げ、この再生事業は大規模事業(総経費10億円以上)であるにもかかわらず、五十嵐さんが自ら定めた事業評価(市要綱に規定)をしなかったのは、五十嵐市政の原点(広く意見を聴き事業を推進)を自ら否定するものではないかと指摘しました。

原告団は提訴理由として、上記の要綱軽視のほか、以下の4点を挙げています。①再生事業を担う第3セクター(まちづくり会社)設立の際の評価作業が不十分であり、総務省の指針に反する、②公の場所(センタービル)に民間賃貸会社(まちづくり会社)を置くのも総務省の指針に反する、③基本設計を担当した会社への発注が随意契約になっており、市の入札規則に反する、④センター広場にエスカレーターを設けるのは、広場の文化的価値を壊すだけでなく、著名な設計者の著作権を侵す―と。

問題ありの理由を5つも並べられ、市はどう対応するのでしょうか。再生事業(総経費10億3800万円)は裁判が終わるまで棚上げにする? これまでの経緯を反省して評価作業を立ち上げる? リスク(敗訴に伴うもろもろ)覚悟で再生事業を計画通り進める?

市長の名誉毀損裁判:原告被告?

もう一つの裁判(水戸地裁土浦支部)については、コラム「名誉毀損提訴、取り下げ?」(7月19日掲載)で、五十嵐さんは取り下げるのではないかとの見方が出ていると書いた後、事情通から「そういった動きがあることは確か」と耳打ちされました。一方で、ミニ新聞に掲載された記事の多くは虚偽だと訴えられた元市議(発行人)は、「うそつき」呼ばわりされて名誉を毀損されたと、逆提訴も考えているそうです。

ということは、五十嵐さんは原告と被告の2裁判ではなく、被告と被告の2裁判を抱える可能性もあります。「言論の自由」封じにつながる名誉毀損提訴(あるいは逆提訴?)。市が進める再生事業に異を唱える住民訴訟。両裁判は五十嵐さんの器を問うシーンになりそうです。(経済ジャーナリスト)

<メモ> 監査委員:市長から独立した執行機関。主に市の財務を監査。市民の監査請求にも対応。現在の委員は、高橋博之さん(識見を有する人)、石川寛さん(同)、神谷大蔵さん(市議・前議長)の3人。

来年4月パークPFI導入へ つくば市洞峰公園

7
洞峰公園=つくば市二の宮

事業者を公募

つくば市二の宮の洞峰公園(面積20ヘクタール)を対象に昨年来、パークPFI制度(Park-PFI、公募設置管理制度)に関わる意向調査を実施してきた県は(20年12月3日付)、来年4月から同制度を導入することを決め、整備運営事業者の公募に乗り出した。

この制度は、民間資金を活用した新たな整備、管理手法で、2017年の改正都市公園法で設けられた。

飲食店、売店等、公園利用者の利便性を図る(公募対象)公園施設の設置と、施設収益を活用し園路、広場等、公園利用者が利用できる特定公園施設の整備、改修を一体的に行う出店希望事業者を公募により選定し事業を推進する。

公募内容やスケジュールは、事業期間は最長20年間(指定管理者は10年で更新)で、事業方式はパークPFI制度と、指定管理者制度を組み合わせた管理運営方式とする。

公募期間は8月5日から9月30日まで。10月下旬に有識者による選定委員会を開いて、12月に事業者を決定し、2022年4月からパークPFIによる管理運営をスタートさせる予定。(山崎実)

◆問い合わせは県都市整備課(電話029ー301-4655)

1階クラスター収束 つくば市役所 新たな感染者なし

7
つくば市役所

つくば市役所1階で2日から6日、職員6人が相次いで新型コロナウイルスに感染していた事態を受け、同市は14日、1階などに勤務する職員計122人を対象にPCR検査を実施した結果、新たな感染者はなく、他の市職員への感染拡大はないと判断していると発表した。1階で発生したクラスターはひとまず収束したことになる。

窓口センターは16日から再開

収束に伴って、旧町村ごとに6カ所ある各窓口センターと5カ所の出張所は、16日から業務を再開する。窓口センターなどは、自宅待機となった31人の本庁舎職員のため、10日から業務を休止していた。当初20日まで休止する予定だったが、1週間早い再開となる。

本庁舎の休日窓口と木曜夜8時までの窓口延長も16日以降、再開する。休日と延長窓口は8月末まで休止の予定だった。2週間早く再開する。

市ワークライフバランス推進課によると、保健所による行政検査と市独自検査を含めて5日から13日まで、感染が判明した6人が勤務する部署などの1階職員のほか、1階職員と一緒に業務に携わった2階職員など計94人を対象に、PCR検査を2回、1週間間隔を空けて実施した。さらに本庁舎の応援に回った各窓口センター職員や休暇中の職員など28人の検査を1回追加で実施し、陰性が確認された。

2~6日に感染が判明した6人のうち、現在3人は回復し、3人は療養中という。

一方、クラスターがなぜ発生したかなどの感染経路は不明としている。

真岡鐵道のSLに乗ってみた 《茨城鉄道物語》14

1
真岡鐵道のSL

【コラム・塚本一也】コロナ禍で少々うんざりしているところではありますが、「夏休み特別企画」ということで、真岡鐵道のSLに乗ってきました。真岡鐵道真岡線は茨城県の下館駅から栃木県の茂木駅まで、41.9キロを運行する第3セクターの鉄道会社です。

国鉄の分割民営化の際に、赤字ローカル線であった真岡線を存続させるため、1987年、栃木県と沿線自治体が出資して真岡鐵道株式会社を設立されました。1994年から、休日のみ、「SLもおか」(下館駅~茂木駅)を1往復半運行しています。全国でSLに乗車できる路線は9つありますが、関東では埼玉県の秩父鉄道と茨城県~栃木県の真岡鐵道だけです。

会社自体は栃木県の会社ですが、茨城県の下館駅から乗車できるということで、私もかねてから注目していました。

インターネットで予約し、日曜日の午後に真岡駅から下館駅まで乗車しました。普通列車で真岡駅に到着してまず驚いたことは、真岡駅(真岡鐵道の本社)自体がSLをデザインした造りになっていることです。そのほかにも、敷地内にSL展示館があったり、SL関連グッズを販売していたりと、さすが有名な観光地を抱える県は商魂がたくましいと感じました。

SLをデザインした造りの真岡駅

非日常感をあおる レトロ感あふれる客車

その日はオリンピックも開催されており、コロナ患者数も連日記録を伸ばしている最中であったため、観光客らしい姿はあまり見かけられませんでした。しかし、近隣からいらしたとお見受けする家族連れや、鉄道マニアらしき少年たちが、早い時間から列車を心待ちにしていました。

定刻通りに、蒸気機関車が汽笛吹鳴(きてきすいめい)と共にホームに進入してくると、「鉄ちゃん」というわけではない私でも、何となくウキウキとしてきます。車内に乗り込むと、独特の油の臭いが鼻をつき、扇風機で涼をしのぐレトロ感あふれる客車も非日常感をあおります。

列車が出発すると、沿線には週末の楽しみに蒸気機関車を一目見ようとする見物客やカメラマン、そして我々乗客に大きく手を振る近隣の方が鈴なりでした。真岡鐵道が地域に愛されているということが、しみじみと実感できた瞬間です。

蒸気機関車を運行するためには、機関車の向きを変えるための「転車台(てんしゃだい)」という設備が必要です。真岡駅と茂木駅に転車台がありますが、下館駅にはありません。ゆえに下館駅を始終点としたことによって、気動車で機関車を回送するという手間が発生します。

しかし、下館駅から直接蒸気機関車に接続できることで、首都圏からの観光客を呼び込む大きなメリットが発生します。茨城県が観光立県を目指すのならば、観光先進県とタッグを組むことも重要なことなのではないでしょうか。(一級建築士)

市立学校教員が新型コロナ つくば市

42
つくば市役所

つくば市は13日、市立学校教員1人が同日、新型コロナウイルスに感染していることが分かったと発表した。

学校での濃厚接触者はいないという。

学校は夏休み中のため、臨時休校等の措置はないとしている。

追憶の「筑波日記」 詩人・竹内浩三との幻の接点を綴る【戦後76年】

4
西筑波飛行場跡地は戦後、国内有数の芝生の生産地になっている=つくば市作谷

筑波から激戦地のフィリピンに渡り23歳で戦死した詩人・竹内浩三が、終戦から76年目の今年、生誕100年を迎えた。竹内は、青年期にある自身の気持ちを等身大の言葉でみずみずしく表現した詩人で、戦後、その作品群が詩集「戦死やあわれ」にまとめられるなど、たびたび注目されてきた。竹内は戦争末期の1年3カ月あまりを、今のつくば市作谷にあった西筑波陸軍飛行場の滑空部隊で訓練を積んだ。その日々を「筑波日記」と題した日記に記録した。

冊子「ないはずの記憶 竹内浩三がいた北条にて」

竹内とつくばの関係を再考する冊子にまとめたのは、つくば市北条で洋品店「とり文」を営む土子隆輝さん(78)。タイトルは「ないはずの記憶 竹内浩三がいた北条にて」、一昨年に刊行された。

竹内が北条を頻繁に訪れていたことを知ったのが、冊子作成のきっかけになった。冊子では、同時代を生きた父の日記を併記させ、生後間もない土子さん自身の記録とともに、そこにあったかもしれない竹内との接点を「ないはずの記憶」として表現した。

竹内浩三と北条

「戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれ 遠い他国で ひょんと死ぬるや」

1945年フィリピン・バギオで戦死した竹内浩三が22歳で入営する直前に詠んだ代表作「骨のうたう」の冒頭の一節だ。竹内はこの詩で戦争の虚しさだけでなく、戦後を想像し、復興の中で世間から忘れられゆく戦死者の心も詠んでいた。

竹内は大正10年(1921)、呉服屋の長男として三重県で生まれた。18歳で上京し、日大芸術学部で映画監督を志すが、戦時体制強化の中、夢半ばで大学を繰り上げ卒業し陸軍に入営する。

竹内が筑波に転属したのは1943年9月。所属部隊が置かれた西筑波飛行場は、1940年10月に現在のつくば市作谷と吉沼にあたる地域に開設され、竹内が所属した滑空部隊の他に陸軍士官学校西筑波分教場が置かれていた。

翌年元日から書き始める日記は、周囲の目を盗み毎晩トイレにこもり書いたもの。手札ほどの大きさの手帳に、以降1日も欠かすことなく筑波での日々を書き綴った。厳しい検閲を逃れるため、分厚い本の一部をくり抜き手帳を隠し、三重の姉に届けた。

土子さんは筑波日記を読み、北条にあった「伊勢屋旅館」など身近な名前が登場することに驚いた。日記には、竹内が休日によく足を運んだ場所として、つくば市吉沼の書店「十一屋」などがあがる。近隣の宗道など下妻市内の地名や店名も頻出している。

父が書き残した日記 つくばとの接点

土子さんが生まれたのは、竹内が筑波に転属する前月。初めての子を得た父親は、喜びとともに息子の成長を日記に書き記した。北条をたびたび訪れた竹内は、土子さんの自宅前を行き来していたことが筑波日記から読み取れる。土子さんの実家は当時、竹内の生家と同じ呉服店を営んでいた。同業者である竹内は、店先で幼い土子さんを見かけると声かけ、その頭を撫で、家族に代わって胸に抱いたこともあったのではないか。筑波日記を読む土子さんは竹内との接点を想像した。

土子隆輝さん。明治36年創業の北条「とり文」の三代目

竹内の魅力を土子さんは、子どもに向ける優しさと、戦時下でも失わないユーモア、率直な感情表現にあるという。その豊かな才能は、「呼吸をするように詩が生まれた」(竹内浩三作品集)という言葉にも表れている。

現存する筑波日記は1944年7月まで。それ以降の記録は残っていない。「竹内なら、外地のことも含めて、その後も記録したはず」と土子さんは考える。冊子は150部作成し、知人を中心に配布した。竹内の地元・三重県伊勢市の竹内に縁がある人々とのつながりも生まれた。「歴史の中で、竹内の物語が北条と繋がったというのは貴重」と話す。

戦争への思い

冊子作成を通して親近感を持った竹内との縁は、互いが学生時代を過ごした町でも繋がった。

「竹内が学生生活を過ごした同じ地域で、私も学生時代下宿していたんですよ。竹内が過ごした20年後のことでした。戦争の前後で、大きな時代の違いを実感しました」

「生きていれば、映画、漫画、詩、様々な分野で才能を発揮したはず。(竹内は)ひょんと死んじゃったんですよね。惜しい人を殺してしまった。こういう殺し方をした戦争というのは、するものではないとつくづく思う」土子さんはそう話す。

三重県庁公報によれば、陸軍上等兵・竹内浩三は1945年4月9日、フィリピン・バギオ北方1052高地で戦死した。享年23。遺骨は、今も見つかっていない。(柴田大輔)

「風立ちぬ」考 その2 《遊民通信》22

4

【コラム・田口哲郎】
前略

高橋源一郎氏は小説『風立ちぬ』を読み直し、死者の責務を悟りました。「それは『生きろ』と命ずること、そのことによって、『死者』を(自分を)忘れるように懇願することではないだろうか」と。アニメのエピグラムは「生きねば」です。これは堀が小説の冒頭にポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」最終節からとった有名な一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」の変奏です。

原文《Le vent se lève, il faut tenter de vivre!》から感嘆符を抜き、《Le vent se lève, il faut tenter de vivre.》とした上に、直訳ならば「風が立った!…生きなければならない!」とするところを、「生きめやも(生きるべきか、いやそうもいかない)」と意訳し、生きることへの躊躇(ちゅうちょ)をあえて表現した堀の意図とは趣を異にします。

小説の主人公は定職を持たない青年です。許嫁(いいなずけ)に付き添ってサナトリウムで生活するくらいですし、定職を持っていては人里離れた高原に入り浸ることはできません。社会性が皆無のこの小説には生きるための職業問題など一切書かれていないように思われますが、実はその点はきっちりと書かれています。

許嫁を見舞いに来た父親と主人公の間に次のような会話が交わされます。

「……だが、あなたも冬まで一緒にいて下されるのか?」
「ええ、勿論(もちろん)いますとも」
「それはあなたには本当にすまんな。……だが、あなたは、いま仕事はしておられるのか?」
「いいえ……」
「しかし、あなたも病人に構っておらずに、仕事も少しはなさらなければいけないね」
「ええ……これから少し……」と私は口籠(ごも)るように言った。

小説とアニメの「生きる」の意味の違い

アニメでは堀越二郎の許嫁は菜穂子という名で、結核を患い二郎と離れて暮らすことを余儀無くされます。堀越は菜穂子に付き添いたいと言いますが、菜穂子の父親は言います。「男は仕事をしてこそだ」。堀越は未練を残しつつ、菜穂子のいる東京を離れ、名古屋へと旅立ちます。

小説『風立ちぬ』には社会不安が全く描かれないといわれますが、代わりに個人の不安は描かれています。高等遊民の主人公も安穏としていたわけではなく、社会の非難の眼差(まなざ)しを免れてはいない。一般大衆にとっての不安は、人間の生とは何かと哲学的に問うことではない。いち市民としてどうやって飯を食い、結婚を通じて再生産を果たし、運命共同体たる社会を存続させてくのかということになるでしょう。働けるのにあえて働かない者の心情を社会が非難するのは当然です。

堀の小説の「不安」はこの点においても、時事問題とか社会問題など殊(こと)に男性が好んで語るとされる社会をどうするのか?という問いからは遠く離れ、いち個人の生活の不安に終始しています。続きは次回。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

福祉タクシー券制度を考える つくばの市民団体、21日にフォーラム開催

0
「タクシーとバス、どちらでも選択できるようになれば」と話す斉藤新吾さん。=つくば市吾妻、つくばセンター

障害者やその家族、支援者などからなる市民団体「障害×提案=住みよいつくばの会」が、つくば市福祉タクシー券の制度見直しを考える市民フォーラムを21日にオンラインで開催する。同会は、障害とともに生活しているからこそ思いつくアイデアを、昨年行われたつくば市長選挙、市議会議員選挙の立候補者に、公開質問状の形で提案した。福祉タクシー券の制度見直しは提案したアイデアのうちの1つ。

利用申請したのは1割

つくば市は一定以上の身体障害・知的障害・精神障害がある人を対象に、タクシー運賃の一部を助成している。タクシー券1枚につき500円が助成され、障害者1人につき年間36枚、人工透析治療のために週3回程度通院している人には年間108枚が交付される。ただし、自動車税等の減免を受けている人は対象外。市によると、2020年度、制度対象者約6000人のうち、タクシー券を申請した人は約10%、申請により交付されたタクシー券のうち実際に利用されたのは約42%だった。

利用が進まないことについて、会の主宰者、斉藤新吾さん(46)は「福祉タクシー券は、障害者の社会参加の促進のためにあるが、電動車いすの利用者はタクシーに乗車できない、介護タクシーは台数が限られる、他の公共交通機関の方が便利な障害者もいる、などの理由から、対象なのに制度を利用できない人もいる」と話す。

斉藤さんは、普段はバスや電車で移動しているが、天候や体調によってはタクシーを利用する人もいると見ている。そのため、制度対象者にタクシー券の代わりにICカードを給付し、その時の状況によって、タクシーだけでなくバスや電車も利用できるようにすることをつくば市に提案している。

より多くが利用できる制度に

昨年の選挙終了後から市障害福祉課でも検討が進められ、同会も市と意見交換をしてきた。その中で、ICカードを給付した場合の精算方法や、電車やバスの利用時に障害者手帳の区分により障害者割引が適用される人と適用されない人が出てくるが、その違いを給付額に反映させるかどうかなど、様々な課題があることが分かってきた。

「私たちの会のメンバーには身体障害者が多く、知的障害や精神障害を持つ方がどのような希望を持っているか、把握できてない部分もある。私たちがまだ気づいていない課題もあるかもしれない。様々な障害を持つ方やその家族、タクシー券の制度に興味のある多くの市民の皆さんと意見交換をすることで、より多くの人が利用できる制度の仕組みを考える機会になれば」と斉藤さんは話す。

開催時間は午後1時30分から3時30分。参加費無料。申し込みは19日までに氏名とメールアドレスを、メールcil-tsukuba@cronos.ocn.ne.jpまたはファクス029-859-0594に送る。手話通訳などの合理的配慮が必要な場合は、早めに連絡する。詳しくはこちらまで。(川端舞)

コミュニティ棟2階職員が新型コロナ つくば市役所

18
つくば市役所

つくば市は12日、市役所コミュニティ棟2階に勤務する職員1人が同日、新型コロナウイルスに感染していることが判明したと発表した。

市ワークライフバランス推進課によると、この職員は本庁舎隣りの別棟で業務を行っており、2日から6日までに感染が確認された本庁舎1、2階の職員と接点はないという。

この職員の職場での濃厚接触者はいないが、万全を期するため、市は座席位置を考慮し、一部職員を自宅待機とする。自宅待機者の人数は非公表としている。

この職員が勤務する部署は、消毒作業を行い通常通り業務を実施する。

「たたり」と「科学都市」 《映画探偵団》46

18
イラストは筆者

【コラム・冠木新市】桜川流域にある「つくばセンタービル」は、研究学園都市のシンボルとして1983年「桜村」に誕生した。「桜村」は、昭和30年(1955)に栄村と九重村と栗原村が合併してできた村だ。この栗原には「天狗党殉国烈士之墓」と刻まれた石碑、天狗塚が残されていて19人の若者が眠っている。ほかにも天狗塚はあるようなのだが、詳しいことは分からず、つくばではこの話はタブーみたいである。

ある農家の人が「あの土地は売れてないんだ。天狗党を処刑した場所だから」と、草原を指し教えてくれた。またある人は「あそこは天狗党処刑地近くなので、交通事故が多発する」と語っていた。

『八つ墓村』の探偵役・渥美清

私は天狗党の話を耳にすると、松竹『八つ墓村』(1977)を思い出す。横溝正史原作、橋本忍脚本、野村芳太郎監督、芥川也寸志音楽。主人公の寺田辰弥をショーケンこと萩原健一、探偵の金田一耕助役は渥美清が扮し、空前の大ヒットを記録した。

寺田辰弥は毒殺事件に巻き込まれ、亡き母の故郷八つ墓村にやって来る。村は、400年前に毛利との戦に敗けた尼子一族の落武者8人が流れ着いた場所だった。毛利方の褒賞に目がくらんだ村人たちは、祭りの晩に酒に毒を盛り落武者を酔わせ、竹やりで次々と突き殺してしまう。時は流れて昭和24年(1949)、落武者殺しを指揮した村総代の子孫が急に狂い出し、村人32名を惨殺する。

物語は「現代(1977)」「昭和24年」「400年前」の3つの時代が交錯して描かれる。回想シーンに回想シーンが挿入され、込み入った手法がさえわたっていた。

強烈なキャラクターが次々登場するのであまり目立たないのだが、最初は「たたり」をばかにして笑っていた村の若者たちが、殺人事件が重なるにつれて、村に来た辰弥が原因だと思い込み集団リンチしようとする。つまり「たたり」をいつの間にか信じてしまうのだ。400年前の「たたり」は現代でも存続しているというのが作品のテーマで、推理物よりも怪談映画の雰囲気に近かかった。

センタービルと広場は「鬼門封じ」

つくばセンタービルは、東京の北東、鬼門の方角に建っている。鬼門とは邪気が侵入して来る位置を示す。鬼門封じには白い石を置くとよいともいわれている。子どものころ、怪談映画を見て因果応報を信じて育った私は、白っぽいセンタービルと広場は鬼門封じの建物だと思っている。

だから、センター地区の中心線につながるセンタービルの壁と階段を壊すとの改造計画を聞いたときは、ショックを受けた。さらに、ノバホール正面玄関の片側の重厚な白い壁も壊すと知ったときは、非常に恐ろしくなった。鬼門封じのバランスが壊れるからだ。そんなことをしては「たたり」があるのでないか。

センタービルは2年後に40周年を迎える。「桜村」で1983年前後に生まれた子どもたちは、40歳前後の大人たちとなる。「科学都市」の洗礼を受けて育った世代はAI社会の明るい未来を信じ、スマートシティ、スーパーシティを目指しているのだろうか。「たたり」などは、『八つ墓村』の最初の若者たちみたいに、非科学的と無視するに違いない。

映画探偵の私は、金田一耕助のように、センタービル改造計画の行方を見届けるつもりだ。「たたり」がないことを切に願うばかりである。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

「大事ノート」「家族年表」 《ハチドリ暮らし》4

0

【コラム・山口京子】日々の暮らしに追われて、生活を時間軸で意識することはあまりない。でも、日々の暮らしの積み重ねが人生をつくるのだと思う。ファイナンシャルプランナーの勉強を始めたころ、「大事ノート」と記した1冊のノートをつくった。そのインデックスの最初に「家族年表」をつけた。結婚してからの家族の年齢や出来事を毎年書き出した。

一般的に生活設計で使うライフイベント表は、将来の出来事を書き込むものだが、この家族年表は確定した出来事を書く。結婚して2人暮らしになり、子どもが生まれて3人暮らし、4人暮らしと続く。子どもたちが大学に入り家を出て3人暮らし、2人暮らしと家族は小さくなっていった歳月。住宅ローン返済に苦労したこと、大学授業料や仕送りに頭を悩ませた時期があったことを、ノートは教えてくれる。

インデックスは、「収入」「支出」「資産一覧」「住宅費」「子ども費」「保険証券」「交際費」と続く。40年にわたる推移と現在の内容が確認できる。今だったらパソコンで打つのだろうが、今もノートに書き足している。

そして、別のノートには、家族が生まれた年にどんな出来事があったのかを書き出してきた。祖父母が生まれた年、1900年前後に何があったのか。父母が生まれた1933年は、世界中(と言ってもヨーロッパやアメリカが中心だったと思う)がきな臭い時代。ドイツでヒトラーが政権を握った年。日本では「蟹工船」で有名な小林多喜二が虐殺された年。日本の農村はとっても貧しかったという。

孫1歳の2020年にコロナ禍

1950年代は、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約が交わされ、現在にもつながる問題を提起している。経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言。1958年には、東京タワーが竣工し、東京の観光名物となった。60年代には、東京オリンピック開催され、都会に高層ビルが建ち、景観が変わっていく。経済成長が目覚ましかった。「山高ければ谷深し」。1960年代から2020年代までの60年の変化は、どんな風に説明されるのだろう。

子どもが生まれた1986年は、男女雇用機会均等法、労働者派遣法の施行、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きた年。男女雇用機会均等法も労働者派遣法も改正が重ねられ、今に至っている。2011年3月11日、東日本大震災と福島原発事故。孫が1歳になった2020年、コロナ禍で変わっていく社会。

個人の生活を考えるにあたっても、社会、経済、政治の動きは要注意だ。この事態に政府はどんな政策で対応しようとするのだろうか。コロナばかりが目立つが、国会ではどんな法律が通過しているのか。先が見通せない時代。夕方、少し涼しくなる時間を見計らって、インゲンの種を取る。(消費生活アドバイザー)

昨年度策定の業務委託費を未払い つくば市

4
つくば市役所

つくば市は10日、2020年度に策定した市地域福祉計画(第4期)の一部業務委託費49万5000円(消費税込み)を、委託事業者に支払ってなかったことが分かったとして、委託事業者に謝罪し速やかに支払うと発表した。

市社会福祉課によると、策定期間は昨年5月29日から今年3月31日までで、3月末に出来上がった。市は今年5月31日までに業者に支払わなければならなかった。

同課によると、委託事業者との契約締結時に、契約金額の支出負担行為の伝票を発行するなどの事務処理を失念したのが原因という。さらに予算執行管理の確認が不十分だったため、未払いであることを確認できなかった。

6日、委託事業者から問い合わせがあり、未払いが分かった。

再発防止策として市は「委託契約締結後の事務処理を徹底し、予算の執行管理を複数の職員で確認するなど再発防止に努めます」としている。

未払いの委託費は、補正予算は組まず、2021年度の同課の予算の中から支払うという。

クレオ3階からオンエア ラヂオつくば「トナリエスタジオ」

0
夕方の番組を生放送する月曜日担当の有働文子アナウンサー(右)=ラヂオつくば「トナリエスタジオ」

つくば市のコミュニティーFM、ラヂオつくば(周波数84.2HMz、堀越智也社長)の「トナリエスタジオ」が、つくば駅前の商業施設トナリエクレオ3階にオープンした。8日から昼と夕方の番組などを生放送している。

新スタジオは面積約66平方メートルで、放送スタジオとイベントスペースに分かれている。生放送中のスタジオの様子を、買い物客が、目の前のイベントスペースで視聴できるのが特徴だ。

クレオなどの商業施設「トナリエつくばスクエア」を運営する日本エスコンから誘いを受け、まちづくりにさらに寄与したいと新たなスタジオを設けた。これまで生放送をしていた、つくばセンタービル2階のサテライトスタジオ・センは、引き続き番組の収録などに使用する。

堀越社長は「皆が気軽に立ち寄って楽しんでいける場にしたい。一方的に発信するのではなく、MC(司会進行者)、ディレクター、市民、通り掛かりの人が、一緒に番組をつくっていけるスタジオにしたい」と抱負を述べる。

トナリエクレオ3階にオープンしたラヂオつくばの「トナリエスタジオ」

夕方5時から7時までの生放送番組「つくば You’ve got 84.2(発信chu)!(つくば ゆうがたはっしんちゅう)」の月曜日番組ディレクターで、筑波大学情報学群4年の土居未奈さん(23)は「スタジオの外にスピーカーも設置されていて、目の前で番組を心地良く聞いていただけるようになっている。(イベントスペースで視聴する)リスナーとの距離が近いので、リスナーにゲスト出演していただくようなことも今後やっていけたら」と話す。

月曜同番組の司会進行をする有働文子アナウンサー(35)は「例えばスイーツフェスタなどのイベントを開催していれば、担当の方に番組に出ていただいたり、トナリエのお店の方に番組に出ていただいて一緒に番組をつくるなど、地域情報発信の場として活用していけると思う」などと語る。

◆トナリエスタジオ前で生放送を視聴できる時間帯は以下の通り。月~木曜=午前11時~午後1時、午後5~7時/金曜=午前11時~午後1時、午後5~8時/日曜=午後1~3時

ハチマンタロウにやられた? 《続・平熱日記》91

2

【コラム・斉藤裕之】今年は庭のブルーベリーが驚くほどの豊作だ。ところが、喜び勇んで実を採っていると、枝の間に入れた腕を何者かにチクチクと刺される。その痛みは独特で尋常ではない。とはいえ、次々と熟す実は収穫しなくてはならない。なにせ、袋いっぱいの実は知り合いのカフェのスイーツの材料として引き取られ、ランチと引き換えの手はずになっているのだから。

「ハチマンタロウにやられた?」と、カフェのマスター。茨城ではそう呼ぶらしい。毛虫の仕業ということはわかっていたが、イラガという蛾(が)の幼虫で、虫を触らずとも全身から毒液や毒針を発射するらしい。「デンキムシ」とか「ヒリヒリガンガン」とか、いろんな呼ばれたりするらしいが、洗ったり薬をつけてもなかなか痛みが治まらない。

目に見えないほどの毛虫の毒液とあっては避けようがない。だから、手袋と手甲をして完全防備で摘み取ることを覚えた。それにしてもハチマンタロウとは、たかが毛虫にしてはたいそうな名前で気に入った。

そこで思い出すのが「キンタロウ」だ。故郷山口の日本海側。萩や長門あたりの海沿いを走っていると、このキンタロウに出会うことができる。炭火の上で焼かれる、小ぶりの赤い魚がキンタロウの正体だ。一夜干しにしてあって、とてもおいしい。カミさんは今でもたまに「キンタロウ食べたい!」とつぶやくことがあるほど。正式名称は「ヒメジ」という魚。多分流通にはのらない雑魚だが、こちらもかわいらしい名前だ。

オッコトヌシとキンタロウ!

ここまでくると、もう一丁「〇〇タロウ」といきたいところだ。いろいろ考えてみるが、古くは漫画の主人公、食べ物のチェーン店などに多く、またワクチン担当のタロウやボルサリーノをかぶったタロウなど、やはりタロウは伝統と安定感があるのか、政界では割と好まれるらしい。

そういえば、前総理のお父さんも「シンタロウ」だったか。私の場合は、母親によく「寝タロウ」と言われていたことを思い出す。しかし、3年寝たあとにお金を儲ける寝タロウとは違って、私は「プータロウ」となってしまうのだが。

さて話は戻って、恐らく、毛虫が「ハチマンタロウ」と呼ばれるようになった理由があるはずだ。何かのきっかけで、ある限られた地域や家族の中でしか通じない呼び名が使われることがあるように。

最近耳にして気に入っているのが、弟の嫁さんが魚のカワハギの頭につけた呼び名「オッコトヌシ」。アニメに出てくるイノシシの親分だが、なるほどそっくりである。酢醤油でいただくと、イノシシ同様、ほほ肉は美味だとか。まずは尾頭付きのカワハギをさばいて料理をしなければ、出会うことはないと思うが。

「今日の夕飯は?」「オッコトヌシとキンタロウ!」。ことばひとつで、暮らしは楽しくなる?(画家)

待機児童数大幅減 つくば市は2人

15
写真はイメージ

茨城県子ども未来課が発表した今年4月1日現在の保育所待機児童数によると、前年同期の193人から13人とマイナス180人の大幅減となった。ピークだった2017年と比べると503人減少した。

内訳を市町村別でみると、水戸市8人、つくば市と守谷市が各2人、阿見町1人となっている。毎回待機児童数ワースト1のつくば市は、今回ワースト1を返上した。

減少の要因について同課は「保育所や認定こども園の整備、幼稚園の認定こども園化、地域型保育事業(小規模保育事業、家庭的保育事業など)の整備といった保育の受け皿整備が進んできた」ことを挙げる。

一方「利用児童数は年々増加しており、今後も保育需要の増加は見込まれる」と気を引き締め、「今後も待機児童の解消など、安心して子育てができる環境づくりが求められる」と指摘している。(山崎実)

県子ども未来課まとめ

脱原発首長会議が海洋放出で緊急声明 《邑から日本を見る》93

20
松川浦で説明する遠藤友幸さん(右側中央)

【コラム・先﨑千尋】脱原発をめざす全国の首長らで構成する「脱原発をめざす首長会議」は7月11日、福島県南相馬市内で記者会見を開き、「政府は汚染水の海洋放出を断念せよ」という緊急声明を発表した。同会議のメンバー14人は、前回本欄(7月26日付)で触れた通り、前日に東京電力福島第1原発の事故現場を視察し、11日には北隣の相馬市の松川浦を訪れ、特産のアオサノリの養殖漁師・遠藤友幸さん(60)から原発事故後の漁業の実態を聞いた。

遠藤さんは、汚染水の海洋放出について「原発事故後、汚染水が出るのはわかっていたことだ。しかし東電はこれまでしっかりした対応をしてこなかった。納得できず、反対するしかない。バリケードを作ってでも阻止したいくらいだ。放射能の汚染を減らしながら収穫量を回復する努力を続けてきたが、市場価格はなかなか回復せず、今回の汚染水放出の決定。残念だ」と不安と怒りをぶちまけていた。

遠藤さんはさらに、後継者がいない漁家の中には、カネ(補償金・賠償金)をもらえば漁業を止めてもいいという人が出てくるかもしれない、と苦悩の表情を見せていた。

東京電力が6年前、福島県漁連に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と文書で約束しながら今回の一方的な海洋放出決定をした背景には、漁民はカネでなんとかなるという心算が政府、東電にあるのだろうと考えている。

海洋放出は「人の復興」に逆行

記者会見では、同会議の佐藤和雄事務局長(元東京都小金井市長)が声明文とその背景を説明した後、参加者がそれぞれ視察の感想や汚染水への考えを述べた。同会議ではこれまで2019年、2020年に「汚染水は長期保管を」、「地元関係者が納得し、『人の復興』を最優先にした案を、透明性の高いプロセスにより決定するよう求める」という声明を出している。

それを受けて、今回は「大型タンクによる長期保管、すでにアメリカで実施例があるモルタル固化といった海洋放出を回避するための代替案について検討が尽くされているとは思えない。政府は『人の復興』に逆行する海洋放出を断念し、陸上での保管・処理へ舵を切るよう求める」という声明を出した。

記者会見する首長会議メンバー(右側の列)

記者会見で、同会議世話人の1人である桜井勝延前南相馬市長は「汚染水問題は自分には関係ないと思っている人は、安全だという国と東電の説明をうのみにしがちかもしれないが、漁業者にとっては自分の人生をダメにしてしまうような大きな問題」と語っていた。

私は「政府・東電は風評被害と言っているが、風評ではなく実害。賠償問題に関し、この10年の東電の対応を見ていると、被害者の声に耳を貸さず交渉を一方的に打ち切るケースが多く見られ、今回の海洋放出でも同じことが起きるのではないか。カネでは被害は救済されない」と話した。(元瓜連町長)

居酒屋など続々休業告知 まん延防止重点措置、県内31日まで

24
「臨時休業」や「8月31日まで酒類の提供を停止致します」などの張り紙を出す居酒屋やラーメン店=つくば市天久保、土浦市桜町で撮影

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、国の「まん延防止重点措置」が8日からつくば、土浦市など茨城県内38市町村に対して適用された。適用期間は今月31日まで。

適用初日の8日、居酒屋やバーなど酒類を提供する飲食店が集まるつくば市天久保地区では、店頭に「臨時休業」の張り紙を出す店舗が目立った。店舗の中には、臨時休業を知らずに来た来店客のために、問い合わせ先の電話番号を貼り紙に明記する店舗もあった。

重点措置適用地域では飲食店に対して▽午後8時から午前5時までの営業自粛▽酒類の提供(利用客の店舗への持ち込み含む)は終日停止▽カラオケ設備の利用も終日停止―の要請が県から出されている。

「酒類提供の終日停止」は、居酒屋やバーなど酒類を主に提供する飲食店だけでなく、ラーメン店や焼き肉店、牛丼店など、全ての飲食店に適用される。このため、ビールなどを提供していたラーメン店では「8月31日まで酒類の提供を停止致します」との張り紙を出して対応した。

同地区の居酒屋の女性店主は「今日は日曜日だからいいけど、これからが心配。(売り上げが)どうなるか分からない」と不安を口にした。その上で「8月中は休みだと思っている。その間に業者を入れてお店の清掃をする。これからも頑張っていくしかない」と店舗の続への強い意思を語った。

土浦市桜町の飲食店の店頭にも、同様に「休業」の張り紙が出されていた。(崎山勝功)

さらに33人がPCR陰性 つくば市職員

12
つくば市役所

つくば市役所1階で2日から6日、6人が相次いで新型コロナウイルスに感染していることがわかった問題で、同市は7日夜、PCR検査を実施した職員のうち33人が陰性だったと発表した。

今回PCR検査を実施した職員は計97人。そのうち、7日昼までに陰性が判明した57人を加えると、計90人が陰性だった。一方、6日に保健所の検査で1人の感染が確認されている。

7日夜までに陰性が判明した33人の内訳は、保健所による検査対象者が30人、市独自の検査対象者が3人。

保健所による検査対象者31人のうち、今回、陰性が分かった30人は、引き続き14日まで自宅待機となるという。

一方、残りの職員については、結果が出次第、発表するとしている。

今回検査を受けた職員は、一定期間後、再度PCR検査を実施するという。

夏休みの宿題と風景画 《つくば法律日記》17

4
堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】夏になるたびに思い出すのが夏休みの宿題。大人になっても、夏休みの終盤になって慌てて手を付ける自分を反省させられる、風物詩のようになっている人は多いと思います。実は、僕は早めに夏休みの宿題に手を付ける子でした。それでも、夏が来るたびに宿題の失敗を思い出し、反省します。

小学1年の1学期の最後の日。初めて、夏休みの宿題という「敵」が存在することを、宿題一覧表を渡されて知ることになります。それを見て、早めに片付けようと決意しました。宿題の中でも絵が強敵だと気づき、絵を早めに取り掛かろうと。

そこまでは、自分でもなんて偉い子なんだと思います。しかし、そのあとが自分らしかった。一覧表には「風景画」と書いてあるのに、自分の中で「絵」と認識し、夏休みが終わるまで「風景画」という文字を見返すことなく、画用紙にガンダムの絵を描き続けました。

夏休みが明けて、その絵を学校に持って行き、丸まった画用紙を平らにしようとして、みんなに取り囲まれ、初めてミスに気づきます。「宇宙も風景じゃねえか」という言い訳が頭に浮かびましたが、無理筋だと思い直し、自己弁護を諦めかけたところ、先生が割って入ります。

「こんなに一生懸命、絵を描いてきた人はいますか?」と言ってくれました。なんてナイスな弁護だ。確かに、僕は全身全霊でガンダムの絵を描いてきた。そして、先生は、「金賞はあげられないけれど」と言い、銅賞をくれました。その後、みんなの風景画に紛れて、ガンダムの絵が体育館に飾られました。

先生に褒められ絵が好きになった

それを機に僕は絵が好きになり、毎年、夏休みの宿題で絵を描くことを楽しみにするようになりました。あのとき、誹謗(ひぼう)中傷されていたら、絵も勉強も嫌いになっていたのではないかと思い、毎年のようにその先生に感謝します。

そんな先生に感謝しているのは僕だけではないようで、みんなにからかわれそうなことをしても、その先生に褒められて、勉強好きの大人になった友人がいます。その友人は、いつも勉強が楽しそうで、勉強の話もマンガの話もゲームの話も、同じテンションでした。だから、彼の周りの人も勉強が楽しくなり、成績がよくなります。 SNSによる誹謗中傷が当たり前の世の中になりましたが、それがどれだけ社会のマイナスになるかと心配になります。もちろん、批判的な意見も自由にできなければならないことは、歴史上明らかです。しかし、人のプラス面を生かすことで、その人が救われるだけでなく、長い目で見れば社会も救われるだろうと、小学1年の自分の弁護をしながら思う2021年の夏。(弁護士)