金曜日, 4月 26, 2024
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手作りのランタンアート 14、15日 7000個がつくばの街彩る

【橋立多美】11年目を迎えるつくばの冬の風物詩「ランタンアート2019」が14、15日の両日、つくば駅周辺のペデストリアンデッキとセンター広場を彩る。 日が暮れたころ、市民手作りのランタン約7000個に明かりがともされ、街は華やかで幻想的な雰囲気に包まれる。つくば駅を中心とするセンター地区のにぎわい創出を目的とする、つくばセンター地区活性化協議会主催。 光源のろうそくは約3時間で燃え尽きてしまうが、師走のイベントとして待ち望む人が多く例年来場者は2万人に上る。 ランタンは2リットルのペットボトルを活用。障子紙に絵を描いたものと色画用紙を切り抜いた2種類の装飾カバーがセットされ、ろうそくの灯りを美しく演出する。 市民が手作り、ボランティア200人が支える ランタンは市内の小中学校の児童生徒とワークショップ参加者などが手作りしている。今月1日、つくば駅前のBiViつくばイベントスペースでランタン制作のワークショップが開かれ、親子でランタンカバー作りに取り組む姿が見られた。サンタクロースと雪だるまを描いていた市内の小学5年の女子児童は「4年のときにクラスみんなでランタンを作って楽しかった。今年も作りたいと(ワークショップに)参加しました」と話していた。 ランタン制作のほか、主催する同協議会の会員や近隣小中学校保護者、筑波学院大の学生、市民サポーターなど約200人のボランティアが準備から撤収までを支える。 初日は点灯時間までに7000個のランタンを設置して着火具で一斉に火をともす。消灯後は消火を確認しながら、持ち去られないよう通路沿いのランタンの装飾カバーを外す。翌日は外したカバーを戻して点灯する。明かりが消えて来場者がいなくなると撤収作業に取りかかる。 希望者は自作のランタンに点灯することができるという。「点灯するのが楽しい」「ろうそくの温かい明かりに癒される」という声が事務局に届くという。 ◇「ランタンアート2019」の点灯時間は14日(土)、15日(日)いずれも午後4時45分~同7時30分。問い合わせは、つくばセンター地区活性化協議会(029-883-0251)。

小さな芸術品「蔵書票」を展示 再開したつくばの古書店

【橋立多美】つくば市の古書店、ブックセンター・キャンパス(同市吾妻)で、「紙の宝石」と言われ収集の対象になっている蔵書票を紹介する「日本の蔵書票展」が1日から始まった。 蔵書票は本の見返し部分(表紙の内側)に貼って、その本の所有者を記す小紙片のこと。木版や銅板、石版などが用いられ、著名な芸術家が制作を手掛けている。単なる紙片ではなく、版画技法で制作された趣のある小さな芸術品だ。 日本に蔵書票が広がったのは1900年ごろ。当時の文芸雑誌「明星」が西洋の蔵書票を紹介したのがきっかけ。それまでは本の持ち主を示すものとして朱肉による蔵書印が用いられていた。現在では書物に貼るという本来の目的よりも、小版画としてコレクターの間で交換による交流が行われている。 店主の岡田富朗さん(83)は「蔵書票は本の所有者が作家の得意な絵柄に任せて依頼し、数百枚単位で作成されていたと思う。一色刷りからカラフルな多色刷りまであるが、いずれも趣のある作品ぞろい」と話す。当初の大きさは、切手大からシガレットケースほどだったが、人気が出てからは大きなサイズの蔵書票が見られるという。 同店は会津の木版画家斎藤清(1907ー1999)、版画や彫刻など多彩に活躍した池田満寿夫(1934ー1997)など、高名な作家45人による382点の蔵書票を所蔵している。今展では12人の作家の木版と銅版18点を見ることができる。 前身は古書店街の1軒 岡田さんは、筑波研究学園都市の形がほぼ整った1990年代初め、同市天久保にあった古書街の1店舗を経営していた。5店の古書店が軒を並べ、文系、理系、美術系の古書がそろい、学生と多くの市民でにぎわった。 その後、岡田さんの店は閉店。4店舗のうち残った1店舗が昨年3月に閉店して、つくばから古書店街は姿を消した。 家族の勧めもあり、岡田さんは「つくばに古書店を再び」と思い定めた。今年、新刊本を売っていたブックセンター・キャンパスで20年ぶりに店舗営業を再開した。広さ約160平方メートルの店舗に江戸や明治、大正、昭和期の古書数万冊が顔をそろえている。 ◆「日本の蔵書票展」の会期は12月30日(月)まで。営業は午前10時~午後4時、火曜日定休。同店はつくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い)。店舗の裏に駐車場有り。電話は029-851-8100。

《猫と暮らせば》8 女は残念な存在!? 男性中心主義に怒り

【コラム・橋立多美】先月27日、レスリング女子63キロ級の2016年リオ五輪金メダリストで、57キロ級の東京五輪代表となった川井梨紗子さんが、出身地である石川県レスリング協会の下池新悟会長が「石川県には五輪内定者が2人いる。しかし残念ながら女だ」と発言したと告白した。 またか、である。スポーツ業界に限らず女性蔑視と男性中心主義的な言動に憤りを覚えつつ、「それは違うだろう」と忠告してくれる友人も家族もいないんだなとあわれみさえ感じる。 土浦の女性新市長、安藤さんに期待 さて、先の土浦市長選挙で16年間の実績を掲げて継続を訴えた中川清さんが、市議と県議を歴任し、変革の必要を前面に押し出した安藤真理子さんに敗れた。 女性市長の誕生は土浦市初で、現役首長としては県内唯一。男は女より秀でていて、政治家を筆頭に偉い人はみな男という認識が強い(ように思う)保守王国茨城の状況が覆された。 勝敗には、前中川市長が推し進めた公立幼稚園の廃止と公立保育所の民営化(10月31日掲載)が少なからず影響したと思う。 市選管の発表によれば、投票人数は男性約2万1000人で女性約2万2000人。女性が大挙して投票所に押し寄せたわけではないが、女性たちが安藤さんの公約「市立保育所の維持」に期待を寄せたと思える。 選挙のプロたちの予想は「中川さん当選」で安藤市長誕生を言い当てた人はいなかった。そこには「中川市政は長すぎだと思っても女性に任せようと思う有権者は少ない」との読みが働いたのではないか。 しかし、市政を女性候補に託してみようと思っていた人は男女問わずいた。そして、子どもを保育所に預けて働く女性たちの切実な思いをくみ取ることができれば、予想は違うものになっていたと思うのは私だけか。 つくば市は男女参画課を「室」に降格 女性の活躍を阻む壁は男尊女卑文化だ。1999年に「男女共同参画社会基本法」が公布・施行され、当時のつくば市の藤澤順一市長は男女共同参画課を設けた。ところが2004年に市原健一市長に代わると「課」から「室」に降格されて現在に至る。 表向きは、男性も女性も意欲に応じて、あらゆる分野で活躍できる男女共同参画社会を推進するとしながら、本音は「女性活躍なんて言う女は面倒くさい」という意識が透けて見える。こうした古い文化を温存したままでは地方創生は絵にかいた餅だ。 国会で女性議員に汚いヤジを飛ばすオジサンや、説明責任を果たさない国のリーダーの不誠実な言動を見るにつけ、安藤市長の活躍を期待する思いが強くなる。(ライター) ➡橋立多美の過去のコラムはこちら

《学生インタビュー》23 つくば駅前でストリートライブを計画

筑波学院大学(つくば市吾妻)は、学外活動を通じて社会に貢献する意欲を醸成する「オフ・キャンパス・プログラム(OCP)」に取り組んでいる。大類大暉さんと南城俊作さんは、音楽で地域活性化を試みるボランティア組織「まちかど音楽市場」の運営スタッフとして活動中。23日、LALAガーデンつくばのステージ(同市小野崎)で開催された同組織主催の「音楽祭2019晩秋」の会場を訪ねた。 筑波学院大学 経営情報学部ビジネスデザイン学科メディアデザインコース2年 大類大暉さん 経営情報学部ビジネスデザイン学科ビジネスマネジメントコース2年 南城俊作さん ―OCPは企業やNPOなどが参画して活動分野が広い中で、まちかど音楽市場に決めたのはなぜですか。 僕ら2人は学院大学の音楽サークルで知り合い、お互いにギターにはまっていることで親密になりました。活動するなら音楽に関わるプロジェクトでと思いました(南城さん)。 受け入れ企業や自治体などによる学生向けの説明会で、まちかど音楽市場代表の三浦一憲さんが話した「世代を問わず市民が音楽を楽しむ文化都市を目指す」に共感しました(大類さん)。 ―活動はどんなことをされていますか。 主に音楽祭やライブイベントの裏方で開催前日に機材を借り、当日は演奏が始まる前に会場の設営をします。「音楽祭2019晩秋」はあいにくの雨だったので、朝7時に開始してテントの設営をしました。入場者にプログラムを渡したり出演者のCD販売もします。閉幕後の片付けも活動の範囲です。 ―活動を通じて得たことはありますか。 僕たちがスタッフになった今年は8回イベントがありました。ステージを間近で見られて出演者と個人的な話ができることもあって、やりがいを感じています(大類さん)。 来来月21日正午からの路上ライブに参加 ―卒業後の進路は決めていますか。 ステージの裏方を体験したことでますます音楽が好きになりました。小学5年の時からギターを弾いていることもあり、将来は音楽関係の分野に進みたいと思っています(南城さん)。 僕はギター歴は浅いけど、やはり音楽に関わる仕事に就きたい(大類さん)。 ―三浦さんと計画していることがあるそうですね。 つくば駅前を「音街かしわ」のようにしようという計画です。JR柏駅のデッキに限って路上ライブが公式に許可されています。街の活性化が目的で、多くのアーティストが街ゆく人々に歌声を届けています(大類さん)。 そのための実験として12月21日正午から、つくば駅前のペデストリアンデッキで路上ライブを開きます。僕らも参加する予定です。気軽に立ち寄ってください(南城さん)。 (聞き手:橋立多美)

いっぱい読んでしおりをもらおう つくばの小学校で秋の読書まつり

【橋立多美】読書週間(10月27日~11月9日)にちなみ、つくば市立茎崎第三小学校(鮏川誠校長、216人)で「よんで&あつめてスタンプラリー」と副題を付けた「秋の読書まつり」が開かれている。スタンプを集めるとしおりがもらえる特典付きだ。 同校図書室の蔵書は5908冊。歴史や自然科学、芸術、産業などの書架のほか、絵本、クイズ、実話、教科書に出てくる本などを集めたコーナーが設けられている。図書室の運営と管理は、司書教諭補助員の戸川美紀さんと、4年生から6年生までの図書委員22人が行っている。 戸川さんによると、今年5月の1カ月間に貸し出した図書数は887冊で児童1人当たりの月平均読書冊数は4冊。もっと本を読んでほしいと戸川さんと図書委員が企画したのが、10冊を読破するスタンプラリーの読書まつりだ。 委員たちがしおり制作を担当し、短冊形にカットした色画用紙にイラストを描いたり折り紙を付けたり工夫を凝らした上にラミネート加工を施した。 低・中・高学年別に配られたスタンプ用紙は、高学年だと「歴史の本をよみましょう」からスタートして、怖い本、宮沢賢治が書いた本など、指定された分野の本を順番に読んでそれぞれ1個スタンプを押してもらう。スタンプが10個になるとラリー達成となり、しおりがプレゼントされる。 休み時間になるとスタンプラリーの用紙を持った児童たちで図書室はにぎやかになり、貸し出しカウンターに行列ができた。バーコードを活用してパソコンで図書を管理するシステムが導入されており、図書委員の児童が簡単に貸し出しを行う姿が見られた。 図書委員で4年生の西村懸命さんは「しおり作りが楽しかった」。6年生の北田恵さんは「図書委員になっていろんな本に興味を持つようになり、今は歴史の本が面白い」と話してくれた。 19日現在でしおりを入手した児童は3人。戸川さんは「読書まつりは28日まで。まだ時間があるので普段読まないジャンルの本でもチャレンジして、しおりを手に入れてほしい」。そして「本との出合いに遅過ぎることはない。親は『うちの子は本は読まない』なんて決めつけず、子どもが本に触れるきっかけをつくってあげてほしい」と言い添えた。

万博記念公園で秋を満喫 愛犬の撮影にも人気 つくば

【橋立多美】秋が深まり、つくば市の科学万博記念公園のイチョウが見頃を迎えた。澄んだ青空に映える黄色のイチョウの下を散歩する人や、犬友達のグループが愛犬の写真撮りをする姿が見られた。 同公園は1985年に開催されたつくば科学万博会場跡地に造られた。面積約6万平方メートル。現在は緑豊かで芝生が広がる公園となり、万博当時から「ぽっちゃん池」という愛称で呼ばれていた水辺には多くの生き物が生息する。中でも秋色に染まる科学万博記念公園のイチョウ並木は人気のスポットだ。 秋を切り取る撮影スポットは愛犬家たちにも知られ、色づいたイチョウを背景に愛犬を撮影しようという女性たちのグループが次々にデジタルカメラを肩にかけ、小型犬を抱いて公園に現れた。 散歩で知り合った「犬友だち」が公園で落ち合って撮影し、インスタグラムに投稿するのだという。よりかわいい写真を撮るために熊手(落ち葉をかき集める)やシャボン玉、上から撮るための脚立などの演出用具を持ち込む。ドッグウエアは着替えまで用意するそうだ。 撮影場所を探していた3人のグループは40代後半の主婦たち。最初の写真撮りはドラえもんの衣装と決めていたそうで、3頭はタケコプター付きのお揃いの衣装を身に着けていた。「いい記念になるしインスタ映えする写真を撮りたい」と話した。 同市は筑波山はもちろんのこと、筑波研究学園都市地区に植樹されている街路樹の多くが落葉樹であることから、秋にはまちが赤色や黄色に彩られる。市内各地の都市公園でも美しい紅葉を楽しむことができる。

女子学生さん、いらっしゃい つくば市消防本部で職場体験

【橋立多美】つくば市消防本部は9日、同本部が置かれた中央消防署(同市研究学園1丁目)で女子学生向けの消防職場体験を実施した。県内外から女子学生10人と男子学生4人が参加し、防火衣着装や消火活動などの体験と女性吏員とのランチミーティングが行われた。 数年後に社会人となる若者に、消防の仕事の魅力と消防分野で活躍する可能性を知ってもらおうという催しで、特に女性をメーンに据えた取り組みは今回が初めて。 きっかけは2015年9月4日に施行された「女性活躍推進法」だ。消防・防災の分野でも女性が活躍することで住民サービスの向上と消防組織の強化につながるとして、消防庁が各自治体の女性消防吏員の比率を26年までに5%に引き上げることを数値目標とした。消防士は正式には「消防吏員」と呼ぶ。 同市は今年3月、同庁が定めた数値目標達成に向けて女性吏員の活躍の推進に関する行動計画を策定した。計画では21年までに女性吏員11人(全体の3.1%)以上を目指し、26年に18人(約5%)と目標を掲げる。4月現在の同市消防職員320人中、女性は10人で「男の職場」というイメージが強い。 消防活動の現場がよく分かった 体験は防火衣着装から始まった。防火靴、防火服、防火帽、手袋を指導を受けながら身に着けた。火災が発生した建物に進入する可能性のある吏員の防火衣は約8キロと重く、10キロの空気呼吸器(ボンベ)を着装することもあるという説明に「えーっ」と声が漏れた。 続いて防火衣を着けたままホースを使った消火訓練に挑んだ。火点に向けての放水体験で、先輩の吏員から「腰に重心を置いて前傾姿勢で」と声が掛かった。学生たちは「ホースは重く、水圧が半端なかった」と感想を口にした。 高さ15メートルの訓練棟ではしごを使った救出訓練が行われ、真剣なまなざしで迅速な活動を見学した。そして、患者搬送など救急隊員の負担軽減のために同本部が導入している「ロボットスーツHALR(ハル)」を装着した。 下妻市在住で救急救命士を志す晃陽看護栄養専門学校1年の人見莉花さん(19)は「スーツを着けたら20リットルの水が入ったポリタンクが楽に持ち上げられた。災害現場など幅広く活用できるのでは」と笑顔で話した。 好天に恵まれ、中高層ビルの救助や火災に力を発揮する、はしご車(地上約40メートル)の搭乗は学生たちには新鮮な体験だった。安全ベルトを外して地上に降り立つと「いい眺めで怖さは感じなかった」と頬を紅潮させながら語った。 搭乗は2人ずつで順番で待つ間に吏員と言葉を交わす場面が見られた。つくば市手子生在住で国士館大学2年の男子学生、安曽晃平さん(19)は「現場の話が聞けて良かった。消防士になりたいという気持ちが強くなった」。 現役女性吏員との対話 女性吏員が女子学生と一緒に昼食をとりながら、疑問や不安に応えるランチミーティングが同本部のホールで行われた。消防吏員を目指したきっかけや消火、救急、救助、火災予防などの職務内容や給与など、現役女性吏員のきめ細かな説明を交えて和やかに意見交換が進んだ。 参加者から「体力に自信がない」という声が上がった。消防歴15年で警防課主査の斎藤智絵美さんは「採用時に体力試験はあるが、懸垂ができない男性もいるから気にすることはない。女性の視点を消防や防災に生かせるし働きやすい職場」と背中を押した。 同本部総務課課長で消防司令長の山田勝さんは「今回の催しで女子学生の皆さんが消防に関心を持ち、吏員に挑戦してほしい」と話した。

【台風19号】避難勧告で防災への関心高まる つくば市森の里団地

【橋立多美】大型で非常に強い台風19号の到来で避難勧告を受け、つくば市茎崎地区の住宅団地、森の里は防災への関心が高まった。19号に続いてやってきた21号の影響による大雨から一夜明けた26日、森の里公会堂で開催された消防訓練には通常の倍の住民約70人が参加した。 避難所では詳しい情報がつかめない 同団地は1970年代に計画的に整備された住宅街(面積33ヘクタール、約1300世帯)で東は小茎、西は牛久沼に注ぐ谷田川を挟んで茎崎、南は牛久沼を挟んで下岩崎、北は六斗と接している。 入居から40年。2011年の東日本大震災で地盤に液状化現象が発生したり、15年6月、1時間に81ミリの猛烈な雨が降って一部の住居が床下浸水の被害に遭ったが、団地住民は「避難」とは無縁の生活を送ってきた。それだけに避難勧告は予想外の出来事だったのではないか。地域住民の安全な暮らしが双肩にかかる森の里自治会長の倉本茂樹さんに話を聞いた。 同団地で問題となるのが東側の小茎地区との境の里山だ。高さ10メートルほどの緩やかな斜面で、同市作製のハザードマップ(被害予測地図)で土砂災害警戒区域に指定されている。 気象庁の「記録的な大雨になる」という発表を受けて11日夕方、市の危機管理課から里山に最も近い16軒の住民を対象に自主避難所=※メモ=を茎崎交流センターに設けるという連絡があった。倉本さんをはじめとする自治会役員が手分けして1軒ずつ連絡して回った。 翌12日午前9時、自主避難所だった茎崎交流センターは指定避難所となり、ペット同伴可能な避難所が茎崎中学校柔剣道場に開設された。午後2時3分に避難勧告が発令されると茎崎地区の土砂災害警戒区域の住民たちが避難し、森の里住民を含めて計154人が身を寄せた。 午後10時、暴風雨を押して避難所を見舞った倉本さんは「団地住民3人に会った。冷え込みが厳しくなかったのは幸いだった。避難所で最も知りたいのは台風の動きだがホールに行かないとテレビはなく、けたたましいスマホの緊急速報は短文で詳しい情報はつかめないと思った」と話した。 一方、自治会の事務局でもある公会堂には副会長ら5人が万一に備えて待機した。雨風が小康状態になるまで何度も電話が鳴った。防災・防犯部を兼務する副会長の松村健一さんによると「不安で心細い」という住民からの電話や、老親と離れて暮らす人が団地の状況を問い合わせる内容だったという。 森の里は水田を埋め立てた平坦な土地で、雨水は谷田川に直接ポンプで排水している。団地内に10カ所の排水施設があり、1カ所を除いて停電でも稼働する。台風19号と、21号の影響で激しい雨がまとまって降った25日も住宅が水につかる被害はなかった。 避難への質問相次ぐ 大雨が過ぎ去った翌26日午後1時30分からの消防訓練は、市南消防署茎崎分署の職員による「水害」に重点を置いた講話が行われ、集まった住民70人が熱心に聞き入った。その後「避難の判断はどう考えればいいか」「水害時の避難に車を利用するのは危険か」など、迅速な避難や対処について活発な質問が相次いだという。 防災・防犯部を代表して訓練の進行役を務めた松村さんは「昨今は想定外の災害が発生する。台風で不安な夜を過ごした人が多かったが、結果的に防災への意識が高まった」と振り返る。 倉本会長は「これまで重要視されなかったハザードマップに関心を寄せる住民が多くなり、『なくしたので欲しい』という声がある。市から入手して公会堂に置くようにしたい」と話す一方、茎崎地区の区長たちと情報交換して地区全体で災害に備えたいと話してくれた。 ※自主避難所 避難勧告を発令する際に開設する指定避難所とは異なり、自主避難を希望する人が親戚宅や知人宅などの安全な避難先を確保できない場合に利用できる「一時的な避難所」。 ➡台風19号の過去記事はこちら

40周年迎え記念行事 つくば市桜ニュータウン 「みんなが元気に暮らす街を」

【橋立多美】つくば市下広岡の住宅団地、桜ニュータウンが分譲開始から40年を迎えたことを記念し、11月9日(土)と10日(日)の両日、自治会と実行委員会共催による「桜ニュータウン40周年記念行事」を広岡交流センターで開催する。 実行委員会の縁の下の力になっているのは、元桜ニュータウン将来計画検討会のメンバーたち。同会の前身は2年前に住民たちが立ち上げた「桜ニュータウンの素晴らしさをアピールする会」。高齢化の進展による空き家対策として、入居を呼び掛けるチラシを近隣の不動産会社に置かせてもらったり、高齢者の送迎支援などに関する意識調査を実施するなどの活動を展開してきた。今年度、自治会に属して改称した。 つくば市誕生前の旧桜村の純農村地域に1970年代後半に開発された桜ニュータウンは、働き盛りだった世帯主が一斉に老いたことで高齢化が進む。同団地の65歳以上の高齢化率は同市の平均20.1%を大きく超えた47.93%(4月1日現在)。また高齢者世帯は272戸で全世帯数の46.5%に上る。 記念行事は高齢化を背景に「住み慣れた街で自分らしく暮らしていくために」と題した講演会や、航空写真と写真でたどる桜ニュータウンの歩み、自治会だより「桜タイムス」の展示や住民の作品展示、記念植樹など多彩。 さらに特別企画として「飯野農夫也版画展」が開催される。「野の版画家」と称された飯野農夫也さんの三男道郎さんが主宰する飯野農夫也画業保存会から約40点を借り受けて展示する。 79年、真っ先に入居した実行委の入江昂さんは「当時谷田部に職場があって通勤できる距離に家を建てようと探していた。案内されたら水田と畑、平地林が広がり、富士山の稜線が見えた。その時、ここに住もうと決めた。住み始めて数年は版画にあるように姉さんかぶりで稲を手刈りする農作業が見られた。作品は桜ニュータウンの原風景。ぜひ多くの人に鑑賞してほしい」という。 また実行委員会の金子和雄委員長は「自治会と地域に根差した活動が活発で連帯感が醸成され、自治会の加入率はほぼ100%。これからも子どもから高齢者までみんなに住みよい街づくりを目指す」と語った。同委員会は年内の40周年記念誌発行に向けて作業を進めている。 桜ニュータウン40周年記念行事の主な内容は以下の通り。 【講演会とパネルディスカッション】11月9日(土)午後1時30分~同4時15分。広岡交流センターホール。第1部基調講演「高齢化社会とまちづくり」。講演者は東京大学高齢社会総合研究機構客員研究員の木村清一さん。第2部パネルディスカッション「支えあい活動の事例紹介と意見交換」。パネリストは阿見町筑見団地で送迎システムづくりに取り組む田邊勉さん、千葉県柏市の地域活動「みらいプロジェクト」世話人の村口憲治さん、桜ニュータウン将来計画検討会共同代表の金子和雄さん。 【飯野農夫也版画展】11月9日(土)と10日(日)の午前9時から。9日は午後5時、10日は同4時で終了。同センター2階会議室。 会場の広岡交流センターは桜ニュータウン内の中央公園隣。入場無料。センター裏に86台収容する駐車場あり。問い合わせは実行委の阿部さんまで(電話029-857-6503)。 ➡つくば、土浦地域の住宅団地に関連する過去記事はこちら

【葬送】3 寺をコミュニティーの場に 「本業」で生活は成り立たない

【橋立多美】寺は檀家の支援で成り立ち、葬式のお布施などが収入源だ。檀家の戸数が少ない寺の住職たちの生活は苦しく、「墓じまい」による離檀や、継続的に布施や寄付を求められる檀家制度に背を向けた「寺離れ」が経営難に拍車をかける。副業で生活を支えつつ、コミュニティーのなかでの寺の役割を見つめ直したいと、小中高生向けの集いを実践している寺がある。 つくば市谷田部の明超寺の副住職大内崇久さん(40)は、「見栄と世間体で行われていた葬式は寺経営の屋台骨だった。いまは仏事の簡素化で僧侶の出番の少ない葬儀のかたちが広がった」と話す。さらに「老老介護の世帯で収入がない檀家さんの葬式は一式15万円で執り行った。高齢化でこうしたケースが多くなると寺は立ち行かなくなる」と本音を漏らす。 寺の経営安定には檀家数500戸以上とされる。檀家の数が多いほど豊かな収入源があるということになる。不特定多数の参詣者を引きつける京都や奈良などの有名寺院を除き、多くの寺は檀家の確保に苦悩する。同寺の檀家数は350戸。ここ5年の間に墓じまいで檀家5戸を失った。 「宗教法人は非課税だから儲かる」とされるが、布施などは「住職の所得」ではなく「宗教法人の収入」。ここから諸経費を差し引いたものが住職の手取りになる。檀家の少ない寺の住職は妻子を満足に養えないと「二足のわらじ」をはいている。住職には公務員の兼職が認められており、教員を副業にする住職が多い。 大内さんは10年前に中学の教員を辞め、現在は僧侶派遣業者に登録している。派遣先は車で片道1時間程度の北関東一円だという。派遣の仕事で大内さんは意外な発見をした。 「初め、派遣サービスを選ぶ人は寺と縁を切るなど事情があり、儀式で仕方なく呼ばれたと思っていた。ところが熱心に法話を聞いたり相談を持ちかけるなど、信心深い人が大半を占めることに驚いた」。今は生活のための手段ではなく、僧侶の義務として車を走らせるそうだ。 ◇時代に即した寺を模索していく 大内さんは8年前に小学生対象の「子供会」を組織した。餅つき大会や寺でのお泊り会、夏季と冬季の寺の大掃除など伝統行事を中心に、バーベキューや花火大会など子どもの喜ぶ活動を盛り込んでいる。少子化で子どもの数は減ったが30人近い子どもたちが集まる。 子供会を巣立った中高生は「ティーンの会」に属して子供会の運営メンバーになる。また夏休み期間中は、静かで涼しい本堂下の広いフロアを開放して「寺子屋」を開いている。 取り組みから垣間見えるのは、子どもを介して地域の人々が集うコミュニティーの場を作り寺の役割を考えたい、そして寺と縁のない子ども世代に寺のありのままの姿を知ってほしいという大内さんの思いだ。 一方、葬儀や墓建立の手順がわからないという意見に応えてマニュアルを自作して檀家に配った。「仏事の手引き」には葬儀から四十九日法要までの流れや作法をまとめた。「お墓の手引き」には墓地使用の規則や墓石の種類、墓じまいの流れを記載している。 「これからは檀家になる必要はなく、必要なときだけ僧侶が関わるシステムが増えると思う。やれることをやり、できないことは時代に即したやり方を模索していく」と大内さんは語った。(葬送シリーズおわり) ➡【葬送】1はこちら 2はこちら

【葬送】2 家族葬がもたらすもの 

【橋立多美】地域共同体が担ってきた葬儀は近年、葬祭業者に代替されるようになり、会場は自宅から斎場へと移行した。迎えた高齢化の現在は、家族葬や直葬など従来とは異なる葬儀スタイルを選択する家族が多くなった。長年葬儀をサポートしてきたセレモニースタッフに、つくばの葬儀事情を聞いた。 葬儀は「家」から「個」へ 農業者の組合組織の農協(JA)は「JA葬祭」として葬儀事業を展開している。JAつくば市谷田部から葬儀運営を委託されている葬祭業者、城東ユニオン企画推進室長の齋藤尚美さん(60)。「こすもす谷田部」の名称で地域の葬儀を受け持って40年になる。 入社当初は集落の組合員が寄り合って行う自宅葬が一般的で、喪主と組合が決めた葬儀委員長、寺の3者が葬儀の日程を決めた。 当時は間取りの広い和式の家が多く、庭に面した室に祭壇をつくり、縁側に焼香台を置いた。弔問客は庭に列を作って焼香した。料理は集落の女性たちが作った。齋藤さんは「弔問客の駐車スペースがなくて苦労した」と振り返る。 通夜から火葬、告別式まで執り行うことができる市営斎場「つくばメモリアルホール」(同市玉取)が1999年に完成。5年後に同JAの斎場「JA谷田部つくばホール」(同市榎戸)ができると自宅葬に陰りが見え始め、現在は全組合員が斎場を利用している。 遺体が運び込まれる斎場は迷惑施設として地域で反対の声が上がる。JA谷田部つくばホールは田んぼに囲まれた立地に建てられ、「俺たちのために造ってくれた」と地域に受け入れられたという。 高齢化による変化もあった。昔からのしきたりを重んじ、葬儀の手順を決めていた葬儀委員長たちが高齢化して力を失くし、持ち回りとなった。葬儀委員長の存在感が薄くなり、喪主が葬儀を自分で決めるようになった。齋藤さんは「葬儀が『家』から『個』に移り、これが家族葬を生んだ」と話す。 家族葬とは知人や近隣住民に知らせず、家族や親族、親しい友人で小規模に行うこと。弔問客の接待に追われず落ち着いて故人とのお別れができる。 昨年実績の約3割が家族葬 「メリットばかりではない」と齋藤さんはいう。葬儀が済んだことを知った人から「我が家の葬儀に来てくれたのに参列できず、(香典の)借りが返せない」といざこざが起きたり、遺族宅の敷地の雑草を非難されるなど、地域の風当たりが強くなったケースがある。 齋藤さんは家族葬を希望する遺族には「近所の人や知り合いに故人がお世話になってきたと思う。ほんとに家族葬で大丈夫か」と何度も念を押すそうだ。 家族葬であっても一般葬と同じ祭壇や棺が使われ、寺への布施や戒名料もかかる。一般葬なら親類や近所からの香典で葬儀費用と相殺できるが、参列者の少ない家族葬は遺族が葬儀費用を自前で払うことになると斎藤さんは指摘する。 こすもす谷田部は一般市民の葬儀にも対応し昨年の葬儀実績は約200件。このうち家族葬は61件、葬儀を行わず火葬だけを行う直葬は18件あった。市営斎場またはJA谷田部つくばホールでの葬儀となるが、全体の6割が火葬場が併設されて利便性の高い市営斎場を利用している。 葬儀の現場にはハプニングもあるようだ。齋藤さんが経験したのは、弔問客への挨拶に自信がない喪主が葬儀直前に雲隠れしたこと。もう1つは葬儀で無人の遺族宅に空き巣が入り、喪主が葬儀中に帰宅したこと。急きょ親族に替わってもらうことで切り抜けたという。 齋藤さんは「葬儀はやり直しがきかない。どんな葬儀の形式が望ましいか、葬祭業者が薦めるサービスが本当に必要か、よく考えて契約してほしい」と結んだ。 ➡【葬送】1はこちら

【葬送】1 墓の管理どうしますか 多様化する墓のかたち

【橋立多美】多死社会を迎えた一方で核家族化が進み、「葬送」を取り巻く状況が大きく変わってきた。墓の維持が困難になったとする「墓じまい」や、家族などの近親者だけで行う「家族葬」、宗教儀礼を行わない火葬のみの「直葬」などだ。まちの声や関係者に聞いた昨今の葬送事情を3回に分けて報告する。まずは墓に関する状況からーー。 我が国の年間死亡数は2015年に130万人となった(厚生労働省)。内閣府は40年に168万人を突破するとみている。墓のニーズが高まる一方で、子どものいない夫婦、離婚経験者、生涯未婚が珍しくない昨今、墓で頭を悩ます人は少なくない。 つくば市漆所在住の60代女性は結婚したことはない。早くに父と離婚した母親と独り身の弟と3人で暮らしてきた。3年前、地域が管理する共同墓地を買っていた母が亡くなった。 この先、子どものいない姉弟で墓を守っていくことは難しいと共同墓地を解約し、火葬した母の遺骨を手元に置いた。同市神郡、つくば道に面した普門寺が宗教・宗派を問わない永代供養墓=メモ=を建立すると人づてに聞いたからだ。今春、永代供養墓が完成して納骨を済ませた。 普門寺は約500軒の檀家(だんか)をもつ古刹(こさつ)。檀家から「高齢になり子どもは離れて住んでいるため、お墓を維持するのが難しくなった」と永代供養墓を望む声が聞かれるようになったのが始まり。遮那誠一住職は「寺も時代のニーズに応えていかなければ」と話す。 ◇弔いのかたちは保たれている 06年、同市新井のサイエンス大通り(県道19号)沿いに墓石展示場「石工房 和」を開設した塚越石材工業社長の塚越和之さん(51)によると、3年前から墓じまいの依頼が舞い込むようになったという。「3年前まではゼロに近かった」と話す。 墓じまいは、先祖代々受け継がれてきた墓を撤去し、家族や親族がお参りしやすい墓地などに移転することで「改葬」ともいう。さまざまな手続きや作業が必要で、墓石の解体や撤去は石材店が請け負うケースが多い。 遺骨の引っ越し先は、寺院や霊園への墓建立、永代供養墓、納骨堂、樹木葬、散骨などがある。費用は移転先によって異なるが、墓じまいの時には閉眼供養(魂抜き)や墓所を更地にする代金のほか、墓を管理してきた寺から離檀料を請求されることもある。 同展示場は、圏央道のつくば中央インター近くにあることから他県の客が立ち寄る。県内の寺に改葬を希望する客の相談に応え、寺との橋渡しや撤去作業に他県まで足を運ぶことがあるそうだ。 塚越さんは「いまに限らず墓守りをどうしようと迷う人は多かったと思う。だが、墓は守っていくもので墓じまいはやっちゃいけないものだと思い込んでいた。テレビや新聞の影響で『やってもいいんだ』という風潮が広がった」と見る。 同社が受注する墓建立は月平均3件。その一方で、墓を維持するための修理やリフォームは月に4、5件あるという。「墓じまいが行われたのは墓地の一部で、従来のお墓を守るという弔いのかたちは保たれていると思う」と話した。 最近増えているのが2つの家の墓を1つの墓に合祀(ごうし)する「両家墓」で、受注した中の約2割が両家墓だという。一人娘が他家に嫁いでしまった場合など、将来的に墓を維持できない時に利用される墓の形態だ。また、東日本大震災で伝統的な和型の墓石の多くが倒壊したことから、震災後は背の低い洋風スタイルの墓が人気を集めているそうだ。 ※メモ「永代供養墓」 家族や子孫が墓を継承して遺骨の管理や供養を行う家墓に対し、永代供養墓は霊園や寺院が管理と供養を行う。墓の継承者がいない人だけでなく、子どもに墓守りの負担をかけたくないという人にも広がっている。寺院や霊園によって異なるが、一定期間を過ぎると合葬される。

彼岸花 秋を彩る つくば市沼田の燧ケ池

【橋立多美】筑波山麓のつくば市沼田集落にある燧ヶ池(ひうちがいけ)の土手に、今年も彼岸花が咲き始めた。 池を望む古木のエノキと真紅であでやかな彼岸花は、写真愛好家に人気が高い筑波山の隠れた撮影ポイントだ。 枝ぶりの良かったエノキは数年前に枝が折れて基幹中心部の洞(うろ)を人目にさらすが、残った幹が枝を伸ばして堂々たる風情。沼田のお年寄りは「俺らの子どもの頃からエノキの根元は洞窟のようで、鬼ごっこの隠れ場所だった」と話す。 古木と群生する彼岸花との組み合わせのほか、筑波山をバックにした彼岸花も望める。 例年だと彼岸花は秋の彼岸入りには開花するが、今年は残暑の影響か開花が遅れ気味でつぼみが多く、この先1週間はすくっとした立ち姿と妖艶な姿を楽しめそう。 観光地化されておらず、狭い農道を進み乗用車2台ほどしか駐車できないので注意を。それだけに彼岸花が彩る里山の秋を満喫できる。

【どう考える?免許返納】12 返納者同士助け合う術を模索 つくば市茎崎の住宅団地

【橋立多美】入居者が一斉に高齢化しているつくば市茎崎地区の住宅団地住民が、市中心部へ向かうコミュニティバス「つくバス」の発着時間に合わせ、高齢者を自宅からバス停まで送迎する術を模索している。免許を返納した高齢者が運転できる送迎車があれば、シニアボランティアが団地ぐるみで送迎を担えるのではないかというアイデアだ。 発案者は同市宝陽台に住む片岡三郎さん(76)。宝陽台は1978年に入居が始まった住宅団地で世帯数は約550世帯。入居から40年を経た今、夫婦だけの世帯か独居の高齢者が目立つ。65歳以上の高齢化率は同市で最も高い55%(4月1日現在)だ。 片岡さんは宝陽台自治会の街づくり委員として高齢者の交通アクセス問題に取り組んでいる。遠くの店や病院に行かざるを得ないのに、車しか手段がない。バス停までのスムーズな移動手段があれば、免許を返納した高齢者が引きこもりになるのを防げるのでは、と考えている。 団地内に牛久市のコミュニティバス「かっぱ号」のバス停が2カ所設置され、牛久駅までの足はある。しかし、市中心部に向かう「つくバス」のバス停までは距離があって高齢者には使いづらい。バス停から最も遠い街区だと、重い荷物を持った高齢者は10分近くかかるという。 考えた末の結論が「つくバス」の発着時間に合わせて自宅とバス停間に送迎車を走らせること。送迎車は運転免許がなくても運転できることが条件になる。今後、免許を返納する人がもっと増えても運行に支障がでないためだ。 情報を集める中で「グリーンスローモビリティ」と呼ばれる環境に配慮した移動手段を知った。ゴルフカートをベースとした電動車両で時速20キロ未満で公道を走り、乗員は4人以上。狭い路地も通行が可能で、国土交通省は公共交通から取り残された地域の新たなスタイルとして各地で実用化に向けた試験を進めている。 ところが、スローモビリティは免許保有者でなければ運転できないことが分かって断念した。現在は運転免許不要で歩道を通行できる1人乗り電動車両「シニアカー」(最高時速6キロ)を、2人乗りにできないかと思案する。「つくばには多くの研究機関がある。望みを託してみたい」と話す。 市や警察は着想に否定的 片岡さんは宝陽台独自の交通システムを考え始めてから市高齢福祉課やつくば中央警察署交通課に相談に行った。着想に否定的で、警察署では自動運転車を紹介された。「自動運転車の普及は2020年代以降。今の高齢者には間に合わない」と不満を募らせる。 また「移動する方法はゼロではないが、さまざまな規制があって自由度が低い」という。一例が「つくタク」だ。移動範囲が決められ1時間単位の予約で時間が読めないことから「行きはいいが帰りが怖い」と指摘する。 片岡さんは「誰もが余生は自由に送りたいと思うもの。好きな時に外出できるよう送迎を実現させたい。突破口は免許を返納した人が運転可能な車。諦めることなく模索していく」と揺るがない。(免許返納シリーズ 終わり) ➡【どう考える?免許返納】の過去記事はこちら

【どう考える?免許返納】10 運転手不足に拍車がかかる つくばの移送サービス

【橋立多美】公共交通を利用できない移動困難者のために外出支援をしている、つくば市の移送サービスの高齢ドライバーが送迎活動を休止したいと申し出ている。近頃の「高齢者は免許返納すべき」という風潮の影響と見られる。高齢化時代のサービスとして期待され、需要が伸びているだけに関係者に不安が広がる。 同市を中心に、正月三が日を除くほぼ毎日、外出が難しい高齢者や障害者を有償ボランティアがマイカーで送迎するNPO法人「友の会たすけあい」(同市下岩崎)。茎崎町時代に発足、活動は22年になる。国土交通省が認めた福祉有償運送で、市の依頼を受けている。 「たすけあい」は、登録した利用会員からの電話を茎崎高齢者交流センター内の事務局で受け、その居住地や行き先に応じ協力会員(運転ボランティア)を決める。利用は通院や買い物、墓参りなどさまざまで、費用はタクシーの半額程度と格安。昨年1年間で延べ3380人を移送した。 免許返納の広がりを受け、ボランティア会員17人のうち、75歳を過ぎた3人が送迎活動を止めて電話の受付を希望するようになった。無事故で利用会員からの苦情はないが、「利用者が高齢ドライバーの自分の運転を不安に思うのではないか」の思いがこうした状況を生んでいるそうだ。 運転は75歳までのルール ボランティア会員は定年退職後に活動を始めた人たちだ。佐藤文信理事長は「ボランティア会員の運転は75歳までというルールはあるが、定年後も働き続ける人が増えて運転者が足りず、地域に詳しいベテラン3人に頼らざるを得ない状況が続いてきた」と話す。 申し出を受け入れ、3人の活動は近距離のルートだけに絞り乗車回数も減らしている。これからはボランティア会員を75歳以下にしたい考えだが、佐藤さんは利用会員からの予約を断るケースが出てくるかも知れないとした上で、「今年度の移送は延べ3500人を見込んでいるが乗り切れるかどうか…」と思案する。 移動困難者を支えるボランティアの前に立ちはだかる年齢の壁。その一方で、地区内では高齢化が進行して車を手放す人が増えるなど利用増加が予想される。132人の利用会員中、最近利用会員になった4人は要支援になって免許を返納し、マイカーを処分したためだという。 運転手不足は全国の福祉移送サービス事業者共通の課題だ。取手市のNPO法人「活きる」はボランティア不足で需要に応えきれず、昨年は利用会員の新規登録を中断した。今年は困っている障害者や高齢者を捨て置けないがすべてを受け入れられないと、新規登録を制限する一方、運転ボランティアの活動年齢を75歳から80歳に引き上げた。 佐藤さんは「長く働きたい人が増えてボランティアのなり手がいない今、高齢者に免許返納を迫る風潮が重なった」と現状を憂う。 ➡【どう考える?免許返納】の過去記事はこちら

【どう考える?免許返納】9 うつや閉じこもりの可能性大 運転やめた高齢者

【橋立多美】高齢ドライバーが引き起こす悲惨な事故による運転免許返納の動きのなかで、語られていない側面がある。それは「免許返納に伴う高齢者の健康リスク」だ。東京医大霞ケ浦病院内科医長を経てつくば市倉掛に開院し、在宅医療を担ったことで高齢者の心身の変化に詳しい室生勝さん(NEWSつくばコラムリスト)がいう。 マイカーで移動できる楽しさを甘受した現在の高齢者にとって、自家用車は通勤、買い物、通院、レジャーなどの日常生活に欠かせないツール(道具、手段)だった。 75歳以上の後期高齢者になって身体機能が衰えてきても、運転に不都合を感じないまま乗ってきた。しかし身体機能、特に危険を察知したときの手足の動きは鈍くなっており、さらに驚きと精神的動揺から運転を誤り暴走したり道路から逸脱してしまう。 また、軽度の認知症では信号や交通標識(右折禁止、一方通行など)の見落としが事故につながる。そして道路脇の建造物の破損のみならず通行人にも危害を与えることになる。ところが、多くの高齢者は自分はそのような事故を起こさないと自信とまでもいかないが強い気持ちを持っている。 子どもたちから運転免許証の返上を迫られ、家長としてのプライドが傷つき、生きがいを失った高齢者もいる。高齢者のみの世帯の人は車がない生活を考えただけで生きていく気力が無くなってしまうのではないか。 配偶者や家族、ペットとの死別、故郷との訣別(知らない土地へ移り住んだ場合)などの喪失体験はうつ状態になりやすい。高齢者にとって運転免許証の返納は大きな喪失体験となる。 うつ状態にならなくても車を運転できなくなれば外出は少なくなり、閉じこもり状態になりやすく、地域から孤立してしまう。うつ状態や閉じこもりは運動不足や食欲不振の引き金となり、下肢筋力は低下し転倒しやすくなり、転倒すれば骨折して寝たきりになることもある。 交流に誘うのは早いほど望ましい 軽度認知機能障害の人が返納を契機に認知症に進む場合もある。区会・自治会や互助活動、見守り活動に関わる人たちは運転免許証を返納した、あるいは自家用車を運転しなくなった高齢者に気づいたら、買い物や高齢者が集うサロンに誘うなど交流することが望ましい。早ければ早いほど、閉じこもりやうつ状態から脱することができる。 市は今夏、市内を舞台に、AIを活用して新たな移動手段を目指すとして国土交通省のモデル事業に選ばれた。その技術を生かし、免許返納後も高齢者の活動が維持できる交通システムの整備も急ぐべきだ。 ➡【どう考える?免許返納】の過去記事はこちら

【どう考える?免許返納】7 高齢者の暴走事故翌日、県内の返納率2.3倍に

【橋立多美】全国で高齢ドライバーによる交通事故が後を絶たない。今月2日には、つくば市桜のスーパーに市内に住む73歳の女性が運転する軽自動車が突っ込んで女性店員が軽傷を負った。アクセルとブレーキを踏み間違えた可能性があるという。高齢者の運転操作ミスや暴走事故などの報道をきっかけに、県内では高齢者の自主返納者数が増加している。 県警運転免許センターによると、75歳以上の高齢ドライバーの自主返納者は年齢別統計を取り始めた2015年の3871人(全体4105人)から増加の一途をたどり、昨年には7627人(同7842人)と8000人に迫った。 今年4月19日、東京・東池袋で87歳の男性が運転する乗用車が暴走して母子2人が死亡、10人が重軽傷を負った翌日、県内の返納者は80人に上った。1日当たりの返納者数は平均35人程度で、その2.3倍に当たる人が返納した。事故の影響を受けたと同センターは見ている。 ただし全国的に見ると県内の返納は多いとはいえない。警察庁の18年度運転免許統計によると、県内の75歳以上の免許返納率は3.7%で高知の3.8%に次いで2番目に低い。返納率の高さの上位を占めるのは東京(8.0%)と大阪(7.3%)で、公共交通網の発達の違いが返納率に反比例していることが見て取れる。 つくば市「特典増やし2倍のペース」に 電車やバスなどの公共交通機関が乏しい地域の高齢者にとって、買い物や通院などの移動手段を失うことが免許返納の壁になっている。その対策が公共交通を利用する際の優遇制度だ。 県は、自主返納した高齢者が協賛店から商品の割引などさまざまな特典サービスを受けることができる「高齢運転者運転免許自主返納サポート事業」を2018年3月から開始した。 つくば市は09年から65歳以上の自主返納者にコミュニティバス「つくバス」や乗り合いタクシー「つくタク」などの乗車券の助成を、土浦市は15年から「のりあいタクシー土浦」の年会費助成を行っているが、両市とも返納後1回限りの「特典」で、継続的な支援態勢は手薄なのが実情だ。 一方、1回限りとはいえつくば市は今年4月から返納者への特典を4種類に増やした。従来のつくバスとつくタクの乗車券に加え、新たに路線バス「関東鉄道」の乗車券と交通系ICカード「PASMO」を加え、4つの中から選べるようにした。その結果、昨年1年間の自主返納者は255人だったのに対し、今年は8月末までで194人と昨年の2倍のペースで増えた。市防犯交通安全課は「特典の選択肢を増やしたことで自主返納率が高まった」としている。 ➡【どう考える?免許返納】の過去記事はこちら

【どう考える?免許返納】4 もう年だからにノー 運転は死活問題

【橋立多美】「高齢者は運転免許を返納すべき」の風潮はおかしいと話す人がいる。自家用車に頼らざるを得ない地域の高齢者は、返納したら生活が成り立たなくなると訴える人もいる。切実な声や地域の状況に耳を傾けた。 高齢者をひとくくりにした自主返納の動きに「待った」をかけるのは、つくば市南部に位置する住宅団地あしび野に住む稲川誠一さん(75)。茎崎地区民生委員の傍ら「通学路の安全を守る会」の代表で、市立茎崎第二小学校に通学する児童たちの登下校を見守っている。 「運転能力は年齢差ではなく個人差だと思う。そこに目を向けず、もう年だから返納したほうがいいという動きや、75歳以上の高齢者を対象にした認知機能検査で片づけようとするのは納得がいかない。実際の運転技能で判断してもらいたい」 同会の会員で富士見台在住の中村房好さん(67)は「認知機能検査の効果はどうなのか。認知症になった高齢者が免許を返納したことを忘れて無免許で運転したり、車で徘徊(はいかい)する例もあると聞く」と疑問をぶつけた。 自転車切り替えにもリスク 井上文治さん(70)も富士見台在住の会員。井上さんは「牛久沼に突き出た稲敷台地に広がる富士見台やあしび野には、これまでバスが走っていなかった。市の新規路線バス実証実験で4月から1日8便が牛久駅まで運行しているが、実証実験が終わる3年後は分からない」と不安げ。「この辺りでは体を壊さなければ80歳を過ぎても運転するのは珍しくない。自主返納は公共交通が充実している都市部の場合で、代わりとなる生活の足のない地域の高齢者は車がなかったらどうやって生きていけばいいのか」と話した。 交通事故を心配する息子や娘に「買い物は一緒に行くから」と返納を促されるケースが多くなったと稲川さんは言う。しかし返納後は若い世代だけで出かけて高齢者は取り残される。それを予測するのか、かたくなに免許を手放さない人がいるとも。 稲川さんの気がかりは移動手段を自転車に切り替えた人だ。バランスを崩しやすく、側溝に落ちてけがをした人が少なからずいる。同地区細見の70歳の男性は「家族は本人のために免許返納と言うが、替わりの自転車はフラフラして車の運転より危ない。転倒して下手すりゃ骨折して寝たきりになる」。 ◇ ◇ ◇ 県内の交通事故死者数は2018年 122人で、前年から21人減じた。うち65歳以上の高齢者が65人(前年80人)で、死者全体の過半数を占める。内訳は歩行者が最も多く44%の29人(横断が19人、その他が10人)、前年は36人(横断中27人)だった。次いで四輪車運転18人(前年19人)、自転車11人(同13人)、四輪車同乗4人(同8人)、二輪車運転3人(同3人)の順で推移した(県警「いばらきの交通事故」2017年版・18年版)。 歩いての道路横断や、気軽に乗れる自転車にも事故の危険やリスクは潜んでいる。県警はドライバーに高齢者の自転車利用者を見かけたら、思わぬ動きに対応できる速度で走行するよう呼び掛けている。 つくば中央警察署交通課によれば、市内で65歳以上の高齢者による自転車事故は一昨年10件、昨年は14件、今年は7月末までで6件。死亡事故はゼロで件数は増えていないが、免許返納に合わせて増加する懸念はあるという。 ➡【どう考える?免許返納】の過去記事はこちら

【どう考える?免許返納】2 家族の運転に依存する生活にストレス つくばの返納者

【橋立多美】現在の高齢者は自動車が大衆化し、遊びや買い物にマイカーの恩恵を受けてきた世代。それを絶たれると生活はどうなるか。返納した当事者たちに話を聞いた。 つくば市茎崎地区の森の里は住民の約半数を高齢者が占め、最近は自宅の駐車スペースに車がない家が多くなったという。 森の里の福本稔さん(81)は今年1月15日に運転免許を返納した。80歳になった頃から視野が狭くなったと感じたり、よく知っている道でも迷うようになった。運転に不安を覚えるようになり、5歳年下の妻の「80歳過ぎたし、そろそろ運転は止めたら」の言葉が背中を押した。 琴の講師の妻は指導のために車を運転し、買い物などに不便はない。夫の稔さんに進言したように「今はまだぼんやりだけど、私も80歳で運転免許を返納すると思う」と話す。「森の里は牛久駅とつくばセンター行きのバスはあるし、生活するには困らない」とも。 楽しみが一つ減った レストランや映画館が併設されたショッピングモールに行けなくなったと話すのは同団地の村上琢磨さん(83)。一時停止違反をきっかけに昨年4月免許を返納して車を手放した。 高齢ドライバーによる悲惨な事故のニュースを見て「自分はいつまで運転できるか」と迷っていた時期に、取り締まりを受けて反則金を払った。いつも交通ルールを守っていただけにショックを受け、気持ちの整理がついたという。 「(自宅近くに)スーパーの移動販売車が来るし市内に住む息子が食材を届けてくれる。妻の通院は路線バスで牛久駅まで行き、駅から病院の巡回バスを利用している」。そして「困ってはいないが」と前置きした上で「運転していた頃はドア・ツー・ドアでショッピングモールに行ったが、今はバスを乗り継ぐしかない。楽しみが1つなくなった」と村上さんは話した。 夫の都合に左右 判断力が鈍りこのまま運転を続けては危険だと、2年前に自主返納した76歳の女性は、夫の運転に依存する生活にストレスを抱えることになった。 外出は2歳上の夫が運転するマイカーを当てにしていたが、あらかじめ約束を取り付けておいても夫の都合で左右される。夫は交友関係が広く不意に訪問客があれば時間が押され、「今日は無理、明日だ」とキャンセルされることも少なくない。 次第に買いだめするようになり、冷凍室は肉と魚のストックで常にパンパン。洋服選びは「まだかい」と催促されてゆっくり楽しむ時間はない。腰痛対策のプール通いも足が遠のいた。 便利さと事故を起こすかもという不安をはかりにかけ、人様を傷つけるほうが重いと判断したから仕方ないと言いつつ、「返さなきゃ良かったと思う時がある」と漏らす。 ➡【どう考える?免許返納】の過去記事はこちら

【どう考える?免許返納】1 返納した私 つくば市内で引っ越し 不便さ実感しつつ安堵

【橋立多美】NEWSつくば記者の私は2017年12月、68歳で車を手放した。記者にとって取材は原稿書きの根幹で、車は取材と生活に欠かせぬ大切な足だが、60代の半ばから運転中にヒヤッとすることが多くなった。 ある日、スーパーに入ろうと走行する道路を左折して駐車場に乗り入れようとした時、左手から来ていた自転車を見落とし衝突寸前で急ブレーキを踏んだ。幸い自転車に乗っていた女子中学生にけがはなかった。 運転に必要な判断力と反射神経の衰えを自覚するようになったことで自主返納を考え始めた。返納したら仕事と日々の生活に影響が出るが、受け入れるという覚悟もできた。少しでも暮らしをカバーできるよう路線バスの停留所に近いつくば市内の住宅地に引っ越し、仕事も区切りをつけようと思った。 計画通りに引っ越しを終えて車を手放したが、やり残した仕事にケリをつけて退くつもりが未練がましく今も取材を続けている。移動手段はバスと自らの足だ。 そもそも私は車の運転が好きでも、得意でもなかった。ではなぜ運転したかと問われれば、2人の子どもとの生活の糧を稼ぐために必要だったからだ。大黒柱の私が交通事故を起こしたら、金銭的に窮地に追い込まれるという思いをずっと抱いていた。 子ども2人は独立し、私なりに親の役目は果たした。公共交通網が十分でない地方では自主返納になかなか踏み切れないが、すんなり返納できたのは、安全運転への重責から解放されたいという意識が働いたと今になって思う。 月3万円が5000円に 車を手放して良かったと思う事が2つある。1つは歩行スピードが速まったこと。ハンドルを握らなくなった直後、街中で私より年上の女性に先を越されてショックを受けた。それからは歩行姿勢に注意して歩く距離を伸ばすことを心掛けている。私の場合、車に乗り続けていたら歩行機能の衰えはもっと進んでいた可能性が高い。 もう1つが車の維持費がかからなくなったことだ。車に乗っていた頃は車検費用や保険、税金、駐車場代、ガソリン代などで年間約36万円。月割りすると約3万円かかっていた。 今は行き先によって路線バスか市のコミュニティバス「つくバス」を利用。つくバスは高齢者運賃割引証の提示で運賃が半額になる制度を活用している。交通系ICカードに月5000円チャージすれば事足りている。 良いことばかりではない。公共交通が市内全域を網羅できるはずもなく、おのずと行動範囲が狭くなった上に取材に時間がかかる。「老い」に伴う不便さを実感しつつ、交通事故の加害者にはならないことに安堵(あんど)しながら毎日を送っている。 ◇   ◇   ◇ NEWSつくば編集部は8月「あなたはどう考える? 高齢ドライバーの免許返納」と題して、シニアの運転免許証の自主返納についてツイッターなどで読者の皆さんの意見を募集しました=8月9日付。 自主返納については世論が分れるところですが、当事者や老親の運転に不安を持つ娘や息子などの思いを我が身に引き寄せて考えてみよう―という企画です。 ツイッターで募集した免許返納に対する意識の集計と、加齢に伴う身体機能の変化を自覚して免許を返納した人、返納することによるリスク、暴走事故を未然に防ぐための装置の研究など、つくば・土浦エリアの高齢ドライバーを取り巻く状況をシリーズで報告します。

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