月曜日, 4月 29, 2024
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《吾妻カガミ》90 つくば市長選 際立つ2候補の違い

【コラム・坂本栄】今秋のつくば市長選挙に、2期目を目指す五十嵐立青さんに挑戦すると、富島純一さんが立候補を表明しました。コロナ禍で選挙戦にならないのではないかと心配していましたが、42歳の五十嵐さんと37歳の富島さんの激突になりそうです。以前のコラム「つくば市長選 2つの風景」(7月6日掲載)でも触れましたように、政治家も政策も選挙で鍛えられます。若い2人のバトルが楽しみです。 挑戦者・富島さんの出馬会見については、「会社経営の宮島純一氏が出馬表明」(8月31日掲載)をのぞいてください。現職・五十嵐さんの続投表明については、「2期目へ、五十嵐市長が立候補表明」(2月27日掲載)をご覧ください。この間6カ月。選挙の構図がやっと整いました。 挑戦者と現職者 それぞれの強み 挑戦者にとって有利なのは現職の「失政」を突けることです。経営者歴16年の富島さんは記者会見で、五十嵐さんの失政(総合運動公園問題が未解決、TXつくば駅周辺整備が停滞など)を念頭に置いて、「1期4年で結果を出せないのでは動きが遅い。経営では毎年結果を出さなければ倒産してしまう」と、現職の力量に疑問を呈しました。 思い起こすと、4年前の選挙では挑戦者だった五十嵐さんも、前市長の失政(総合運動公園計画を発表→市民の多くが計画に反対→住民投票の結果を受け計画推進を断念)に乗じて、前市長の後継候補を破りました。攻めの富島さんが、今度は守りの五十嵐さんをどう攻めるのか、注目しています。              出馬表明が遅れた富島さんにとって不利なのは、現職の五十嵐さんに比べ、知名度が低いことです。しかも、新型コロナ禍で大集会や小会合が思うように開けませんから、圧倒的に不利です。富島さんはこうしたハンディキャップを、印刷物の大量配布、ネットの活用などでカバーするそうですが、十分な展開ができるのか、こちらも注目しています。 「合意形成」型と「代表率先」型 五十嵐さんと富島さんのキャリアは対照的です。五十嵐さんは大学院卒で市民運動家・市議上がり、富島さんは中学卒で起業家・会社経営者上がりと、両候補のコントラストは際立っています。 会見で対抗馬との違いを質問された富島さん、「ひとつは学歴。もうひとつは、五十嵐さんはイケメン、私はこんな顔」と、笑いを取っていました。あとで聞いたところ、市長になるまで本格的に組織を動かしたことのない頭デッカチの五十嵐さんと、各種法人を立ち上げ現場を動かしてきた自分とでは地頭(じあたま)が違うと、引け目はありませんでした。 五十嵐さんの市政運営スタイル、富島さんの会社経営スタイルから見て、2人の違いは仕事の進め方の違いだと思います。市長としての五十嵐さんはコンセンサス(合意形成)型でしたが、富島さんはリーダーシップ(代表率先)型になるでしょう。今、つくば市が必要としているのはどちらでしょうか?(経済ジャーナリスト)

【つくば/都市と文化】5 ちょっと野良仕事遊びを

【鴨志田隆之】つくば市内の、特につくばエクスプレス(TX)沿線で開発された住宅地は、個々の商品企画はあるものの、ニュータウン開発を各地で見てきた目には「なんだか大筋は何処も変わらない」印象が強い。それでも居住人口は伸びている上、つくばでも高層マンション住まいがもてはやされるのは、都心への移動手段があり、近隣に良好な自然環境があるという要素があればそれで良いのかもしれない。 TX沿線整備事業で最も北の中根・金田台地区(地区面積189ヘクタール)は現在、春風台、流星台と名付けられ、宅地分譲が急ピッチで進む。同地区にほど近いつくば市大(旧桜村)の農村集落で、「中ノ条プロジェクト」という小さな売り建て分譲に出会った。 牛久市在住の建築家、長尾景司さんがつくば市の不動産業、ケンライズ社と取り組む農地の有効活用で、わずか3棟の分譲だ。土地の提供者は、なんと「もん泊プロジェクト」にかかわっている塚本康彦さんだった。 「塚本さんは、もともと自宅母屋の利活用を考えており、以前はコーポラティブハウス新築の提案もされていました。もん泊はそこから発している事業です。中ノ条プロジェクトは塚本さん所有の農地を使わせていただき、住宅とセットで農地も借り受け、入居者が家庭菜園より少し本格的な野良仕事で遊べるというコンセプトを立ち上げました」 長尾さんは、3区画の分譲で建築する住宅には建築条件を付けず、自由設計とし、シェアファーム構想による自然と共にある日常を求め、増加傾向の空き家現象に対して持続可能な建築空間を提案し、ユーザー本位の住まいを実現しようとしている。つくばの農地に住むという環境を肌で体験してもらい、土地の伝統集落が有する文化との交流をアピールする考えだ。 「母屋は、この住居にお住いの方々に、たとえば親戚や友人を招く際のゲストハウスとして活用していただいても良い」塚本さんも農地や母屋の利活用に積極的な展望を持っている。その需要については、コロナ禍の影響もあり、東京から移住を検討しているという問い合わせ電話が増えている。 「私どもが提供した住宅地のひとつに、お父さんの会が発足していて、野菜や料理などの交換や焚火(たきび)を囲んだバーベキューといった交流が実現しています。中ノ条地区でも同じような地域コミュニティーが生まれることを願っています」 つくばという巨大な都市の開発は、鉄道沿線の大規模宅地にばかり目がとまっていたが、かつてミニ開発は乱開発と呼ばれた時代は変わっているようだ。周辺地域の魅力をどのように活かすかを真剣に考え、街づくりに携わる人々は、つくばらしさを常に大切にしている。(おわり)

【つくば/都市と文化】2 街の外からの刺激

【鴨志田隆之】古い書籍をもう1点、取り上げる。「つくば建築フォトファイル」から、さらに10年をさかのぼる90年代半ばに、当時の住宅・都市整備公団つくば開発局と日本都市計画学会がまとめた「文化は都市を刺激する(上・下)」(1996年、プロセスアーキテクチュア刊)だ。 当時、つくば市は成熟途上にあり、つくばエクスプレス(TX)も常磐新線の名称で路線着工したばかり。その沿線都市開発が今後のつくばを左右するとまで言われ、牛久市や土浦市も巻き込んでの業務核都市整備が取り沙汰されていた。 つくば市域の開発はいわゆる一体化法に基づく土地区画整理事業で、茨城県と住宅都市整備公団(2004年からUR都市機構)が事業主体となった。この頃公団つくば開発局で指揮を執っていた三宮満雄さんは「優れたハード(都市)を作っても誰にも気づかれなければただの器。これが売れなかったら失敗作」とTX沿線開発やJRひたち野うしく駅周辺開発について冗談めかして話していた。ならばどうすればいいのかと尋ねたところ「お祭り(イベント)を絶えず仕掛けて、気になってしようがないくらい耳目を集めるんだよ」と答えてくれた。 そうして仕掛けられたのが、「文化は都市を刺激する」と題された連続シンポジウムだった。95年10月から5カ月の内に、10回の基調講演とパネルディスカッションが繰り広げられた。本書はその完全収録ものだが、上巻は95年11月に出版されている。 都市活動がもたらす文化。そこにテーマを置くことから、講演者もパネラーも多様な人材が招かれた。見城美枝子(エッセイスト)、阿久悠(作詞家、故人)、浅井慎平(写真家)、養老孟司(解剖学者)、江崎玲於奈(物理学者)など、総勢28人が登壇した。 シンポジウムは、実はつくばの外にいる人々にアピールしようとしながら、そのような外来者が持ち込む「街の外からの刺激」を地域の人々に仕向けていた節がある。ただ、これをどれだけ咀嚼(そしゃく)し、外圧と戦い、つくばならではの文化を育てていくのかという、先の読めない印象も得た。 郊外と都市、ルーラル・アーバンという2つの外来語をミックスした、ラーバンという造語を、当時の公団は好んで利用した。千葉県・北総台地の千葉ニュータウンがその事例だが、筑波研究学園都市は、よりそのイメージを濃厚に持つ。いかに都内が便利でも、それに勝る魅力が郊外の、農村と都市の風景風土にはある、と。田園都市つくばの方向性が示唆されたようにも見えた。 その後の四半世紀で、今のつくばがある。市域全体でみれば地域格差が残り、都心地区では空洞化が進む。一方でつくばエクスプレス沿線は定住人口が伸びているものの、どこのニュータウンにもありそうな風景となってきた。 都市化という外からの刺激に長年さらされながら、農村はふところの深さを見せてなおもしっかりと残っている。今や近場に田園と自然が広がる風景こそ、筑波研究学園都市の魅力といえるかもしれない。(続く、全5回シリーズ、不定期掲載)

【つくば/都市と文化】1 建築博物都市・つくば

【鴨志田隆之】つくば市、少し限定して筑波研究学園都市内には、すでに改築、解体され現存していない建物も含めて、実に多種多様で大量の公共建築が林立する。磯崎新設計によるつくばセンタービルをはじめ、つくばカピオ(谷口吉生設計)、つくば国際会議場(坂倉建築研究所)、つくば文化アルス(石本建築事務所)、松見公園展望塔・レストハウス(菊竹清訓設計)、筑波新都市記念館・洞峰公園体育館(大高正人設計)など。 研究学園都市の開発を主に手掛けたのは、現在のUR都市機構(都市再生機構、日本住宅公団~住宅・都市整備公団が前身)と国土交通省(建設省)の出先機関、筑波大学(施設部)などだった。個々の建築物は都市の森の中に埋もれて久しいが、公団では自ら担当した建物だけでなく、建設省や各研究機関の建築についてもデータベースを残している。この資料は90年代後半の建築記録で内部資料としてまとめられたが、後にNPOが立ち上げられ、つくば建築研究会として「つくば建築フォトファイル」が2005年に出版された。つくばエクスプレス(TX)開業に合わせて、つくばの建築と街のガイドブックとしてまとめられており、現在でも入手可能だ。 106の建築物を掲載、800点のカラー写真や図版、300ページを超えるボリュームは、手軽に持ち歩くにはいささか重さを感じるが、公共、研究、住宅などのジャンルごとに紹介される建物それぞれが、これほど個性を放っていたのかと再認識させられる。 同書を編集したつくば建築研究会の若柳綾子理事に聞くと、「私の夫(若柳幹郎さん)が生前、前身のデータベースづくりを公団から依頼された。当初は内部資料でしたが、後の時代に向けて一般市民にも販売できるものとして考えられていたようです。若柳建築事務所とともにこの仕事を私とNPOが引き継ぎ、作り上げたものです。建築探訪ツアーなども展開してきました」と経緯を話してくれた。 いま、この書籍を紹介する理由は、膨大な建築作品集とともに収録されている土肥博至さん(住宅公団出身、筑波大学教授を経て神戸芸術工科大学で学長を務めた)と故・大高正人さん(大高建築設計事務所を率い各地の建築設計のほか、全国のニュータウン開発に参画)の対談にある。2人とも、建築家、都市計画家として研究学園都市のデザインに関わり、建築も残した人物だ。 対談の時点で都市は概成(1979年度、43 の教育・試験研究機関等の移転完了をもって学園都市建設は概ね完了した)しており、つくば市合併を経て、まちづくりはTX開業と沿線開発による市街地形成という新しい局面に移っていた。「もはやどこがどうだかわからなくなった」「まちは変わるもの。変われなければ沈滞する」と対話している。 彼らの展望通り、研究学園都市は変貌を続けている。しかし変化の仕方に魅力があるかどうかは、住まい、訪れる人々それぞれの受け止める印象で異なるだろう。コロナ禍によって外出も思うようにならない日々、この建築フォトファイルを再読すると、つくばの街と樹々に埋もれた106件もの建築(掲載点数)をあらためて俯瞰(ふかん)することができる。(続く、全5回シリーズ、不定期掲載) ◆「つくば建築フォトファイル」(変形B5判、370ページ、本体価格2381円+税)つくば建築研究会で取り扱い中(通信販売のみ、電話029-886-8039)http://tsukuba-arch.org/?page_id=12

《土着通信部》40 根本健一さんのつくばスタイル

【コラム・相澤冬樹】音楽はクラシック党、名画を求めてエルミタージュやフィレンツェの美術館を訪ねたりしていたから、こと芸術に関しては本格志向だった。それでいて新奇さや前衛に傾倒する新しもの好きで、学生や若いアーティストにパトロンじみた支援も行うなど、鄙(ひな)には稀(まれ)な人物だった。鄙―つくば市吉瀬の田園を「ルーラル」と呼んで、筑波研究学園都市の「アーバン」と対置する取り組みを行ってきた根本健一さんが4日、亡くなった。66歳だった。 今の筑波都市整備の前身、第3セクターの筑波新都市開発で竹園や天久保のショッピングセンター開発に取り組んでいた根本さんが退職し、吉瀬の自宅の長屋門で画廊を始めたのは30歳前後、80年代の初めだったと思う。鄙に戻って家業の農家を本格的に継ぐのかと思えば、口にしたのは「農村業」への転身だった。 3セクはデベロッパーだったから、身に着けた不動産業の知識を農村に合った形で事業化する展開を考えた。科学万博のあった85年を契機に退職、長屋門を構えるほどの旧家の母屋はやがてレストランとなり、自宅周辺の小家屋は陶芸工房や貸しオフィス、美術学生のアパート兼作業場として提供された。 平成になると、事業は吉瀬集落からつくば市周辺に及ぶ。吉瀬には林間のオートキャンプ場「フォンテーヌの森」を開設、「アウトドアライフ」やら「RV車」などがトレンドワードとして急浮上していた時期で、時代の先取り感はあった。「グリーンツーリズム」や「クラインガルテン」など農村業にまつわる横文字には即座に反応し、企業化を図ったが、イチゴの水耕ハウス栽培など空回りすることも少なくなかった。 農村のストックを付加価値の先頭に 高度経済成長が続いた80年代まで、農村の都市化は不可逆的で、学園都市周辺の農村部はいわゆる「混住社会」というとらえ方をされていた。しかし「混住」は過渡期の姿ではなく、地域社会の1つのありようであることが、まさにつくばで明確になってきた。根本さんは筑波大学をはじめとした都市計画、地域計画の専門家、芸術家たちと交流するなかで、手法や考え方を学び、地域のなかに具体的に落とし込む作業に没頭した。 2005年のTX(つくばエクスプレス)開業に前後して唱えられた「つくばスタイル」こそ、混住モデルの提示と言えた。このブランドづくりに一役買った根本さんは「CROSSつくば」06年1月号に「つくばスタイル 新・田園ライフの提案」を書いている。「農村のストックを付加価値の先頭に登用する」と市民農園への「モービルホーム」係留などの展開法を提示した。 新しもの好き、根本さんの先取りはいかんせん早すぎたのかもしれない。根本さんの好んだカタカナ言葉、「グリーンツーリズム」も「モービルホーム」も「古民家リノベーション」も、今は地域づくりのツールとして普通に使われるようになった。しかし、時代が追いついてきたとき、根本さんは生き急ぐかのように逝ってしまった。 心臓に持病を抱え、昨年11月脳梗塞に倒れた。以来丸9カ月に及んだ闘病生活。コロナ禍で周囲の面会もままならないなか、家族だけが看取る静かな死だった。 葬儀で井坂敦美さん(最後の筑波町長、元つくば市教育長)は、長い付き合いを振り返り「みんな中途半端になった」、叱るように早すぎる死を惜しんだ。(ブロガー)

《土着通信部》40 根本健一さんのつくばスタイル

【コラム・相澤冬樹】音楽はクラシック党、名画を求めてエルミタージュやフィレンツェの美術館を訪ねたりしていたから、こと芸術に関しては本格志向だった。それでいて新奇さや前衛に傾倒する新しもの好きで、学生や若いアーティストにパトロンじみた支援も行うなど、鄙(ひな)には稀(まれ)な人物だった。鄙―つくば市吉瀬の田園を「ルーラル」と呼んで、筑波研究学園都市の「アーバン」と対置する取り組みを行ってきた根本健一さんが4日、亡くなった。66歳だった。 今の筑波都市整備の前身、第3セクターの筑波新都市開発で竹園や天久保のショッピングセンター開発に取り組んでいた根本さんが退職し、吉瀬の自宅の長屋門で画廊を始めたのは30歳前後、80年代の初めだったと思う。鄙に戻って家業の農家を本格的に継ぐのかと思えば、口にしたのは「農村業」への転身だった。 3セクはデベロッパーだったから、身に着けた不動産業の知識を農村に合った形で事業化する展開を考えた。科学万博のあった85年を契機に退職、長屋門を構えるほどの旧家の母屋はやがてレストランとなり、自宅周辺の小家屋は陶芸工房や貸しオフィス、美術学生のアパート兼作業場として提供された。 平成になると、事業は吉瀬集落からつくば市周辺に及ぶ。吉瀬には林間のオートキャンプ場「フォンテーヌの森」を開設、「アウトドアライフ」やら「RV車」などがトレンドワードとして急浮上していた時期で、時代の先取り感はあった。「グリーンツーリズム」や「クラインガルテン」など農村業にまつわる横文字には即座に反応し、企業化を図ったが、イチゴの水耕ハウス栽培など空回りすることも少なくなかった。 農村のストックを付加価値の先頭に 高度経済成長が続いた80年代まで、農村の都市化は不可逆的で、学園都市周辺の農村部はいわゆる「混住社会」というとらえ方をされていた。しかし「混住」は過渡期の姿ではなく、地域社会の1つのありようであることが、まさにつくばで明確になってきた。根本さんは筑波大学をはじめとした都市計画、地域計画の専門家、芸術家たちと交流するなかで、手法や考え方を学び、地域のなかに具体的に落とし込む作業に没頭した。 2005年のTX(つくばエクスプレス)開業に前後して唱えられた「つくばスタイル」こそ、混住モデルの提示と言えた。このブランドづくりに一役買った根本さんは「CROSSつくば」06年1月号に「つくばスタイル 新・田園ライフの提案」を書いている。「農村のストックを付加価値の先頭に登用する」と市民農園への「モービルホーム」係留などの展開法を提示した。 新しもの好き、根本さんの先取りはいかんせん早すぎたのかもしれない。根本さんの好んだカタカナ言葉、「グリーンツーリズム」も「モービルホーム」も「古民家リノベーション」も、今は地域づくりのツールとして普通に使われるようになった。しかし、時代が追いついてきたとき、根本さんは生き急ぐかのように逝ってしまった。 心臓に持病を抱え、昨年11月脳梗塞に倒れた。以来丸9カ月に及んだ闘病生活。コロナ禍で周囲の面会もままならないなか、家族だけが看取る静かな死だった。 葬儀で井坂敦実さん(最後の筑波町長、元つくば市教育長)は、長い付き合いを振り返り「みんな中途半端になった」、叱るように早すぎる死を惜しんだ。(ブロガー)

《吾妻カガミ》87 つくばセンタービル再生の問題点

【コラム・坂本栄】本サイトの中ほどに「つくばセンタービル」というタイトルの特設コーナーが設けられています。現時点では、市が同ビルをどう活用しようとしているのか調べた記事と、ビル裏手(正面?)の中央広場への想いを述べた脚本家のコラムがアップされています。今回のコラムではこのセンタービルの問題を取り上げましょう。 記事とコラムは、「具体案、市民に説明なく」(6月26日掲載)、「民意と距離ある計画」(6月27日掲載)、「世界的アート建築に屋根?」(6月28日掲載)、「コラム:磯崎新の設計思想」(7月9日掲載)の青字部をクリックしてご覧ください。磯崎氏は、ノバホール+ホテル日航つくば+センタービル+中央広場を設計した方です。 記事は、①市は空きが目立つセンタービル1階を、事業の立ち上げを目指す起業者の作業区にしようとしている②また、音楽会場・ノバホール右側の建物などは市民活動を支援する拠点に改装しようとしている③しかし、これらの案は市民の意を汲んだものとはいえず、市の情報開示も十分ではない④一方、中央広場に屋根を付けるという改修案に磯崎氏は遠回しに反対している―に要約できます。 起業には「トキワ荘」がよく似合う 一昔前、センタービル1階には銀行の支店や飲食店などが入り、一帯はまさに市のセンターでした。ところが、賑わいの中心がTX研究学園駅に移り、センタービル周辺は駐車の便が今一のこともあって、市の真ん中ではなくなりました。 こういった場所の再生を考える市も、大変です。若い起業者支援のために、旧一等区画を活用しようとする気持ちは分かります。でも、そういった優遇策は彼らのためにならないでしょう。起業には、赤塚不二夫らが雑居した「トキワ荘」がよく似合うからです。ビル・ゲイツはガレージで起業しました。事業の立ち上げには、公務員宿舎跡が向いていると思います。 センタービルを核とするTXつくば駅周辺は、オフィスビル+マンション+飲食店+小売店が立ち並ぶ「ビジネスゾーン」にし、企業の本支店を誘致したらどうでしょうか。センタービルについては、その区分所有権(つくば市53%、ホテル日航つくば38%、筑波都市整備9%)を大手不動産に一括売却し、民間の知恵(再設計は磯崎新事務所?)で再開発してもらったらどうでしょうか。(経済ジャーナリスト)

《吾妻カガミ》87 つくばセンタービル再生の問題点

【コラム・坂本栄】本サイトの中ほどに「つくばセンタービル」というタイトルの特設コーナーが設けられています。現時点では、市が同ビルをどう活用しようとしているのか調べた記事と、ビル裏手(正面?)の中央広場への想いを述べた脚本家のコラムがアップされています。今回のコラムではこのセンタービルの問題を取り上げましょう。 記事とコラムは、「具体案、市民に説明なく」(6月26日掲載)、「民意と距離ある計画」(6月27日掲載)、「世界的アート建築に屋根?」(6月28日掲載)、「コラム:磯崎新の設計思想」(7月9日掲載)の青字部をクリックしてご覧ください。磯崎氏は、ノバホール+ホテル日航つくば+センタービル+中央広場を設計した方です。 記事は、①市は空きが目立つセンタービル1階を、事業の立ち上げを目指す起業者の作業区にしようとしている②また、音楽会場・ノバホール右側の建物などは市民活動を支援する拠点に改装しようとしている③しかし、これらの案は市民の意を汲んだものとはいえず、市の情報開示も十分ではない④一方、中央広場に屋根を付けるという改修案に磯崎氏は遠回しに反対している―に要約できます。 起業には「トキワ荘」がよく似合う 一昔前、センタービル1階には銀行の支店や飲食店などが入り、一帯はまさに市のセンターでした。ところが、賑わいの中心がTX研究学園駅に移り、センタービル周辺は駐車の便が今一のこともあって、市の真ん中ではなくなりました。 こういった場所の再生を考える市も、大変です。若い起業者支援のために、旧一等区画を活用しようとする気持ちは分かります。でも、そういった優遇策は彼らのためにならないでしょう。起業には、赤塚不二夫らが雑居した「トキワ荘」がよく似合うからです。ビル・ゲイツはガレージで起業しました。事業の立ち上げには、公務員宿舎跡が向いていると思います。 センタービルを核とするTXつくば駅周辺は、オフィスビル+マンション+飲食店+小売店が立ち並ぶ「ビジネスゾーン」にし、企業の本支店を誘致したらどうでしょうか。センタービルについては、その区分所有権(つくば市53%、ホテル日航つくば38%、筑波都市整備9%)を大手不動産に一括売却し、民間の知恵(再設計は磯崎新事務所?)で再開発してもらったらどうでしょうか。(経済ジャーナリスト)

夏休みの子育て家庭に食品寄付を 8月1日受け付け つくば子ども支援ネット

【川端舞】学校給食がなくなる夏休み中の家庭の経済的負担を少なくしようと、つくば市の子育て支援団体「つくば子ども支援ネット」(山内ゆかり代表)が、夏休みがスタートする8月1日と2日、余っている食品の寄付を受け付ける「フードドライブ」と、寄付された食品を経済的困難を抱える家庭に無料で配布する「フードパントリー」実施する。 同会によると、新型コロナウイルスの影響で経済的に困難を抱える家庭が増加している。夏休み中は学校給食がなくなり、子育て家庭の食費や光熱費の負担が増え、経済的困難を抱える家庭はさらに厳しい状況に追い込まれることから実施する。 つながっていない家庭にも 同会は、市内の子ども食堂や無料の学習支援団体などをつなげ、寄付された食品や文具の分配などを行っている。子ども食堂や学習支援団体も日頃から、食事提供など経済的な支援をしており、支援団体につながっている家庭はさまざまな支援の情報も手に入りやすい。一方、支援団体につながっていない家庭は、支援を受ける力「受援力」が弱いことが多い。この状況を改善しようと同会は、企業や家庭から寄付された食品や文具などを、市内の支援団体に分配すると共に、経済的に困難な状況にあるのに支援団体につながっていない家庭にも直接、届けようとしている。当初は来年度に本格的な活動を開始する予定で、市内の子ども食堂「竹園土曜ひろば」の副代表である山内ゆかりさん(48)を中心に準備を進めていたが、新型コロナウイルスの影響で経済的に困難を抱える家庭が増加したため、活動の拡大を早めた。 「助けて」と言える場がある 「一般家庭から広く寄付を受け付けることで、ボランティアは大げさなことではなく、ご近所におすそ分けする感覚でできるということに気づいてもらいたい」と、同支援ネット代表の山内さんは語る。さらに「経済的に困難な状況になるのは、長い人生の中で誰にでも起こりうることであり、恥ずかしいことではない。行政が行う支援の対象になっていても、つながるタイミングがなかったり、世帯収入は基準以上で、行政支援の対象外であっても、様々な事情で経済的に困窮していたりする家庭も多いはず。そのような家庭でも身構えずに『助けて』と言える場が地域にあることを知ってほしい」と山内さんは語る。すでに他の団体から支援を受けている家庭でも、足りない場合は利用してほしいという。また、今回は都合が悪く参加できなくても、希望者がいれば、できるだけ早く次の機会を設けるので、まずは連絡してほしいと話す。 マスク1枚、鉛筆1本でも 食品以外でも、日用品や文具の寄付も受け付けており、8月2日の配布会で希望者に食品とともに配布する。新型コロナウイルスの影響で生活必需品となっているマスクもその1つ。現在、市内の支援団体につながっている家庭にはマスクも支給されているが、つながっていない家庭ではマスクの常備も心配ではないかと、山内さんは危惧する。寄付を受けるマスクは、市販品でも手作り品でもよいが、衛生的配慮から、包装されているものに限る。また、寄付はマスクに限らず、鉛筆1本やノート1冊でも、寄付してもらえれば、必要な家庭に配布するという。 ◆寄付は8月1日午前10時から午後3時に竹園交流センター(同市竹園)で受け付け、翌2日に食品を無料で配布する。寄付できる食品は、原則、賞味期限が8月15日以降の未開封のもの。翌日に配布されるため、野菜や生鮮食品も受け付けるが、事前に連絡が必要。 2日に食品を配布する場所は希望者にだけ伝える。受け取りたい家庭は電話(070-4451-6328)かメールkodomoshien.net.tsukuba@gmail.com、LINE公式アカウント(「つくば子ども支援ネット ホッとライン」(LINE ID:@971stxgf))で事前連絡が必要。支援を必要とする人専用(子ども本人でも可)のLINE公式アカウントは、登録もメッセージの送受信も他人からは見えないようになっている。 詳しくは「つくば子ども支援ネット」ホームぺージへ。

《茨城鉄道物語》3 茨城県に新幹線は必要か?

【コラム・塚本一也】茨城県内で最初に通った鉄道は何線であろうか? 答えは東北線(1885年)である。最初に開業した駅も古河駅であり、その後、現在の水戸線が小山~水戸間で開業(1889年)し、常磐線の田端~水戸間の開業はその後の1896年である。当時、常磐線の東京延伸が遅れた原因の一つとして、利根川に橋を架ける技術がなかったということが挙げられる。 では、茨城県に新幹線は通っているか? という問いに対する答えはいかがだろうか。正解は「通っている」である。正確に言うと、一部、古河をかすめているだけなのだが、茨城県内に駅がないので県民としてはあまり実感がわかないのであろう。 国の整備新幹線計画は、今でも全国で少しずつ進められている。1970年に定められた「全国新幹線鉄道整備法」に基づいて、北海道新幹線の札幌延伸や、九州新幹線の長崎ルートなどの整備が進められ、北陸新幹線の新大阪延伸も計画中である。 さらに、山形では様々な問題を抱えながらも山形新幹線のフル規格化を検討し、新幹線の空白地帯である四国においても、新幹線を通そうという運動が地元で盛り上がっている。さらに、北陸新幹線議論の延長として「山陰新幹線を実現する国会議員の会」(石破茂会長)なども存在し、大分県では「東九州新幹線整備推進期成会」も設立されているそうである。 地域の特性に合った公共交通の整備を このように考えると、全国で新幹線を検討していない自治体は、島である沖縄県と半島である千葉県を除くと、茨城県だけになってしまう。なぜ、茨城県では新幹線の議論が発展しなかったのであろうか? 元々県土が平坦で温和な気候であるため、人口が分散し人口集積地ができにくかった。それゆえに、都市間輸送という考えが育たなかったのではないか、というのが私の考えである。一般的に、鉄道のメリットは、速達性、定時性、大量輸送などが挙げられる。一方デメリットとしては、莫大な建設費用と面倒な維持管理などが指摘できる。同じ費用と手間をかけるなら、道路をつくった方がよいと考えがちなのが茨城県人の気質ではないだろうか。 しかし、その茨城県に革命をもたらしたのが、つくばエクスプレス(TX)の開業である。今住んでいる場所から、東京へ通勤通学ができる。これは、地元住民のライフスタイルを劇的に変化させ、準新幹線ともいうべき機能を備えたTXは、沿線開発で移住してくる住民の心を鷲づかみにした。さらに、在来線ゆえに他社線との相互乗り入れが可能であり、新幹線よりも経済的であり、延伸の自由度も高いという将来性も備えている。 このように、新幹線とは縁のない茨城県ではあるが、決して卑屈になることはない。今ある財産を大事にし、地域の特性に見合った公共交通を整備していくことが、これからの社会に求められるのではないだろうか。(一級建築士)

《茨城鉄道物語》3 茨城県に新幹線は必要か?

【コラム・塚本一也】茨城県内で最初に通った鉄道は何線であろうか? 答えは東北線(1885年)である。最初に開業した駅も古河駅であり、その後、現在の水戸線が小山~水戸間で開業(1889年)し、常磐線の田端~水戸間の開業はその後の1896年である。当時、常磐線の東京延伸が遅れた原因の一つとして、利根川に橋を架ける技術がなかったということが挙げられる。 では、茨城県に新幹線は通っているか? という問いに対する答えはいかがだろうか。正解は「通っている」である。正確に言うと、一部、古河をかすめているだけなのだが、茨城県内に駅がないので県民としてはあまり実感がわかないのであろう。 国の整備新幹線計画は、今でも全国で少しずつ進められている。1970年に定められた「全国新幹線鉄道整備法」に基づいて、北海道新幹線の札幌延伸や、九州新幹線の長崎ルートなどの整備が進められ、北陸新幹線の新大阪延伸も計画中である。 さらに、山形では様々な問題を抱えながらも山形新幹線のフル規格化を検討し、新幹線の空白地帯である四国においても、新幹線を通そうという運動が地元で盛り上がっている。さらに、北陸新幹線議論の延長として「山陰新幹線を実現する国会議員の会」(石破茂会長)なども存在し、大分県では「東九州新幹線整備推進期成会」も設立されているそうである。 地域の特性に合った公共交通の整備を このように考えると、全国で新幹線を検討していない自治体は、島である沖縄県と半島である千葉県を除くと、茨城県だけになってしまう。なぜ、茨城県では新幹線の議論が発展しなかったのであろうか? 元々県土が平坦で温和な気候であるため、人口が分散し人口集積地ができにくかった。それゆえに、都市間輸送という考えが育たなかったのではないか、というのが私の考えである。一般的に、鉄道のメリットは、速達性、定時性、大量輸送などが挙げられる。一方デメリットとしては、莫大な建設費用と面倒な維持管理などが指摘できる。同じ費用と手間をかけるなら、道路をつくった方がよいと考えがちなのが茨城県人の気質ではないだろうか。 しかし、その茨城県に革命をもたらしたのが、つくばエクスプレス(TX)の開業である。今住んでいる場所から、東京へ通勤通学ができる。これは、地元住民のライフスタイルを劇的に変化させ、準新幹線ともいうべき機能を備えたTXは、沿線開発で移住してくる住民の心を鷲づかみにした。さらに、在来線ゆえに他社線との相互乗り入れが可能であり、新幹線よりも経済的であり、延伸の自由度も高いという将来性も備えている。 このように、新幹線とは縁のない茨城県ではあるが、決して卑屈になることはない。今ある財産を大事にし、地域の特性に見合った公共交通を整備していくことが、これからの社会に求められるのではないだろうか。(一級建築士)

《茨城鉄道物語》2 まぼろしの筑波鉄道はいずこへ

【コラム・塚本一也】私が小学生のころ(約45年前)、実家から最も近い繁華街は旧筑波町の北条であった。そこには旧大穂町の大曽根商店街よりもワンランク上の商店街が存在した。それはおもちゃ屋さんであったり、牛肉を販売する肉屋さんであったり、眼科などの専門医であったり、小学生には縁がなかったが接客の伴う飲食店であったりと、筑波山のお膝元ということもあって、生活必需品以上の品揃えの整った商店街が栄えていた。 中でも他の町村よりも際立っていたのは、鉄道が走っていたことであろう。県南の商都として発展した常磐線土浦駅と水戸線岩瀬駅を鉄路で結ぶ「筑波鉄道(1979年まで関東鉄道)筑波線」(営業キロ40.1キロ)が、1918年から1987年まで約70年間営業を続けていたのである。最盛期には常磐線や水戸線から直接客車が乗り入れて、筑波山観光に一役買っていたそうである。 私の記憶する筑波線は、通常は2両編成であったが、土浦一高の一大行事である「歩く会」の際に、新土浦駅から生徒を乗せて真壁あたりまで輸送していただいたことがある。その時は約1,000人の高校生が乗車するため貸切の車両を特別編成するのだが、車両がホームに収まり切れずに先頭車両だけでドアを開閉し、車内通行によって乗り降りしたような覚えがある。 その筑波線も1987年4月1日に国鉄分割民営化と共に、惜しまれながらもその歴史に幕を閉じることになったのである。世はバブル経済へ向かってひた走っている時代であり、ご当地の筑波線沿線地域も、つくば万博後の民間企業進出によって好景気時代を迎えていた。農家の庭先には父親のシーマ、息子のソアラ、お姉さんのプレリュードが所狭しと並んでおり、在京TV局が満杯の駐車場を備える天久保歓楽街に頻繁に取材に来ていたころである。「モータリゼーションの普及」の名のもとに、筑波鉄道筑波線は廃線の憂き目にあったのである。 残された観光資源の有効活用を 私は茨城県の県民性に「飽きっぽさ」を挙げることができると思っている。郷土の持つ豊かな自然環境と立地条件から、「いつでも何をしても食べていける」という考え方が根底にあるため、それまでの歴史や資産価値などにこだわらず、すぐに心変わりをしてしまうのである。それゆえに筑波線の存続もあっさりと諦めてしまったことは、他県の市電やローカル線が注目されている昨今では、本当に残念でならない。 しかし一方では、今から30年以上前のバブル経済初期に、誰が今日の環境問題や地方創生策を想定しただろうか、という思いもある。歴史に「たられば」は禁物だが、筑波線が残っていたのならば、つくばエクスプレス(TX)との接続やJR線との相互乗り入れなど、地域発展のための様々な選択肢が考えられたと思う。 昨年、筑波線の廃線跡地であるつくば霞ケ浦りんりんロードは、日本で3カ所しかないナショナルサイクルロードに指定された。筑波線開業から100年の時を経て、再び観光資源として脚光を浴びようとしているのである。今度こそ先見の明をもって、残された観光資源が有効に活用できるような未来を描くことが求められているのではないだろうか。(一級建築士)

《茨城鉄道物語》2 まぼろしの筑波鉄道はいずこへ

【コラム・塚本一也】私が小学生のころ(約45年前)、実家から最も近い繁華街は旧筑波町の北条であった。そこには旧大穂町の大曽根商店街よりもワンランク上の商店街が存在した。それはおもちゃ屋さんであったり、牛肉を販売する肉屋さんであったり、眼科などの専門医であったり、小学生には縁がなかったが接客の伴う飲食店であったりと、筑波山のお膝元ということもあって、生活必需品以上の品揃えの整った商店街が栄えていた。 中でも他の町村よりも際立っていたのは、鉄道が走っていたことであろう。県南の商都として発展した常磐線土浦駅と水戸線岩瀬駅を鉄路で結ぶ「筑波鉄道(1979年まで関東鉄道)筑波線」(営業キロ40.1キロ)が、1918年から1987年まで約70年間営業を続けていたのである。最盛期には常磐線や水戸線から直接客車が乗り入れて、筑波山観光に一役買っていたそうである。 その筑波線も1987年4月1日に国鉄分割民営化と共に、惜しまれながらもその歴史に幕を閉じることになったのである。世はバブル経済へ向かってひた走っている時代であり、ご当地の筑波線沿線地域も、つくば万博後の民間企業進出によって好景気時代を迎えていた。農家の庭先には父親のシーマ、息子のソアラ、お姉さんのプレリュードが所狭しと並んでおり、在京TV局が満杯の駐車場を備える天久保歓楽街に頻繁に取材に来ていたころである。「モータリゼーションの普及」の名のもとに、筑波鉄道筑波線は廃線の憂き目にあったのである。 残された観光資源の有効活用を 私は茨城県の県民性に「飽きっぽさ」を挙げることができると思っている。郷土の持つ豊かな自然環境と立地条件から、「いつでも何をしても食べていける」という考え方が根底にあるため、それまでの歴史や資産価値などにこだわらず、すぐに心変わりをしてしまうのである。それゆえに筑波線の存続もあっさりと諦めてしまったことは、他県の市電やローカル線が注目されている昨今では、本当に残念でならない。 しかし一方では、今から30年以上前のバブル経済初期に、誰が今日の環境問題や地方創生策を想定しただろうか、という思いもある。歴史に「たられば」は禁物だが、筑波線が残っていたのならば、つくばエクスプレス(TX)との接続やJR線との相互乗り入れなど、地域発展のための様々な選択肢が考えられたと思う。 昨年、筑波線の廃線跡地であるつくば霞ケ浦りんりんロードは、日本で3カ所しかないナショナルサイクルロードに指定された。筑波線開業から100年の時を経て、再び観光資源として脚光を浴びようとしているのである。今度こそ先見の明をもって、残された観光資源が有効に活用できるような未来を描くことが求められているのではないだろうか。(一級建築士)

みどりの南小の予定地を移転 小中併設校へ つくば市

【鈴木宏子】つくば市が、人口が急増するつくばエクスプレス(TX)みどりの地区に新設予定のみどりの南小学校(仮称)の建設予定地を約600メートル南に移転し、小中学校の併設校を建設することが分かった。もともとの南小予定地には学校用の屋内プールを建設する。 南小は、みどりの義務教育学校の児童・生徒数が増加し、校舎を増築しても足りなくなることから、同義務教育学校から分離新設する。開校は2024年4月の予定。 もともとの予定地は同義務教育学校から1キロほど南の約2.5ヘクタールの県有地だった。今年度当初予算で用地購入費約8億5000万円などが計上され、3月議会で可決されていた。中学校はさらに南に600メートルほど離れた別の場所に新設する予定だった。 市教育局教育施設課によると、小中一貫の義務教育学校から分離新設して学校を新設することから、小学校と中学校を別々に建設すると学習環境が大きく変わってしまい子供たちの負担が大きくなるとして、学習環境を大きく変えないため、南小の予定地を中学校の予定地に移転し、小中学校併設校とする。 新しい予定地は、常磐道とゴルフ場(つくばみらい市)などにはさまれた県有地で、準工業用地。小中併設のため面積を拡張し計約6.1ヘクタールとする。規模は特別支援学級を含め、小学校が6学年で40学級、中学校は3学年で10学級を予定している。開校時期に変更はない。土地購入費は約18億7000万円。9日開会の6月議会に提案する。 プールは市民にも開放、会議室併設 一方、もともとの予定地2.5ヘクタールは、市が予定通り県から用地を購入し、屋内プールを建設する。みどりの南小中学校のほか、近く開校しプールが設置されない香取台小学校(仮称)、研究学園小中学校(仮称)など他校の児童生徒も利用する。学校の利用がない夜間や土・日曜などは一般市民に開放する。会議室なども設置される予定で、市民が利用できるという。 プールも、みどりの南小中学校と同じ24年4月までのオープンを目指す。 産廃施設近く議会から懸念 南小のもともとの予定地は、つくばエクスプレスの線路をはさんでつくばみどりの工業団地に隣接している。産業廃棄物処理施設が近くに立地しており、予算を審議した市議会3月議会では「小学校用地は産廃施設が目の前にあること、高圧電線の下に位置する場所であるため、地元からは教育環境として問題があるのではという心配の声が上がっている」などとして、環境調査や有害物質の有無についての検査を実施し、地元住民が安心して子供たちを学校に通わせられる教育環境を整備するよう求める意見が一部議員から出ていた。 すでに立地している産廃処理施設の近くに学校を新設する場合、規制はない。一方、県廃棄物処理施設設置の事前審査要領では、今回とは逆の廃棄物処理施設を後から設置する場合、住民説明会の開催や敷地境界から300メートル以内の土地所有者の同意などが必要とされている。 もともとの南小予定地が産廃施設に近いことについて市は、今回の移転とは関係ないとしている。

《令和楽学ラボ》7 コロナ禍の保育園事情

【コラム・川上美智子】4月に開園したばかりの本園は、予期せぬ新型コロナウイルス感染症の流行に遭遇し、竣工式も、入園式もすべて中止し、4~5月は、感染予防・感染防止対応に終始しました。特に、首都圏通勤者の多いTX沿線のつくば市などは、4月2日に、知事より不要不急の外出自粛要請が出て、にわかに危機が迫ってきたことを感じ、対策の強化を余儀なくさせられました。 当園では、4月中旬に風邪症状を示す園児が10名前後も出て心配をしましたが、子どもたちは間もなく回復し、コロナではなかったのだと安堵しました。その後、政府の緊急事態宣言などを受け、小学校の休校や保育園の登園自粛などが出されましたが、保育園も、併設の児童クラブも、働く保護者がいる限り休園はしない方針で、保育士始め全職員が前線で頑張ってきました。 もとより、保育園は、新型コロナウイルスに限らず、感染症の宝庫で、次々と子どもたちが病気を持ち込むのが当たり前の場です。また、保育室の中で、子ども同士、保育者と子どもの間の密な環境を避けるのは、ほぼ不可能です。 そのため、感染症が広がらないように、園をつくる段階で、いろいろ感染症対策や安全対策を講じてきました。従来の次亜塩素酸ソーダによる消毒、アルコール消毒に加え、次亜塩素酸水製造装置の導入、非接触型の体温計の利用、おしぼり製造装置の導入、哺乳瓶殺菌庫、玩具のUV(紫外線)殺菌装置、HACCP(危害要因分析必須管理点)に準じた厨房装置などなど、出来る限りの装備をして保育を行っています。 第2波、3波が来たときどうするか 保護者や訪問者には、マスクの着用、ハンドソープ、使い捨てペーパータオルを使った手洗とアルコール消毒をお願いしています。それでも、外から持ち込まれる感染症を予防することは難しい状況です。今後、第2波、3波が来たときどうするか、課題は残ったままです。せめて、PCR検査や抗体検査がスムーズに受けられる環境を国や県にはつくっていただきたいものです。また、治療薬やワクチンの早期開発が待たれるところです。 このような中でも、子どもたちは園での生活を楽しみ、成長し続けています。4月には鯉のぼり、5月にはお池の生き物の、大きな作品づくりにみんなで挑戦しました。この子どもたちが、安心して生活できる日常を早く取り戻したいと願うばかりです。(みらいのもり保育園園長、茨城キリスト教大学名誉教授)

《令和楽学ラボ》7 コロナ禍の保育園事情

【コラム・川上美智子】4月に開園したばかりの本園は、予期せぬ新型コロナウイルス感染症の流行に遭遇し、竣工式も、入園式もすべて中止し、4~5月は、感染予防・感染防止対応に終始しました。特に、首都圏通勤者の多いTX沿線のつくば市などは、4月2日に、知事より不要不急の外出自粛要請が出て、にわかに危機が迫ってきたことを感じ、対策の強化を余儀なくさせられました。 当園では、4月中旬に風邪症状を示す園児が10名前後も出て心配をしましたが、子どもたちは間もなく回復し、コロナではなかったのだと安堵しました。その後、政府の緊急事態宣言などを受け、小学校の休校や保育園の登園自粛などが出されましたが、保育園も、併設の児童クラブも、働く保護者がいる限り休園はしない方針で、保育士始め全職員が前線で頑張ってきました。 もとより、保育園は、新型コロナウイルスに限らず、感染症の宝庫で、次々と子どもたちが病気を持ち込むのが当たり前の場です。また、保育室の中で、子ども同士、保育者と子どもの間の密な環境を避けるのは、ほぼ不可能です。 そのため、感染症が広がらないように、園をつくる段階で、いろいろ感染症対策や安全対策を講じてきました。従来の次亜塩素酸ソーダによる消毒、アルコール消毒に加え、次亜塩素酸水製造装置の導入、非接触型の体温計の利用、おしぼり製造装置の導入、哺乳瓶殺菌庫、玩具のUV(紫外線)殺菌装置、HACCP(危害要因分析必須管理点)に準じた厨房装置などなど、出来る限りの装備をして保育を行っています。 第2波、3波が来たときどうするか 保護者や訪問者には、マスクの着用、ハンドソープ、使い捨てペーパータオルを使った手洗とアルコール消毒をお願いしています。それでも、外から持ち込まれる感染症を予防することは難しい状況です。今後、第2波、3波が来たときどうするか、課題は残ったままです。せめて、PCR検査や抗体検査がスムーズに受けられる環境を国や県にはつくっていただきたいものです。また、治療薬やワクチンの早期開発が待たれるところです。 このような中でも、子どもたちは園での生活を楽しみ、成長し続けています。4月には鯉のぼり、5月にはお池の生き物の、大きな作品づくりにみんなで挑戦しました。この子どもたちが、安心して生活できる日常を早く取り戻したいと願うばかりです。(みらいのもり保育園園長、茨城キリスト教大学名誉教授)

休校中の中学校駐車場に不法投棄 つくば市の歴史緑空間用地

つくば市は28日、同市さくらの森、市立桜中学校西隣の駐車場に、大型ダンプ3台分の土砂やがれきなど約30立方メートルが不法投棄されたと発表した。 駐車場は普段、生徒を送迎する保護者などが利用している。休校中は車の出入りがあまりなかったという。 市公園・施設課によると、26日に桜中の教員から通報があり、不法投棄が分かった。同中は22日に異常がないことを確認しており、22日夜から25日朝までの間に投棄されたとみられるという。 駐車場の出入口は、鎖で施錠しているが、当時は施錠されてなかったという。 同市は28日、つくば警察署、県県南県民センター環境・保安課と現場確認を実施した。今後さらに、がれきの成分調査を行った上で、市が撤去する予定だ。 同駐車場は、つくばエクスプレス(TX)沿線開発地区の一つ、中根・金田台地区内の国指定史跡、金田官衙(かんが)遺跡周辺にある。将来、緑地公園などとして整備する「歴史緑空間用地」だが、現在は中学校が駐車場として利用している。 市では29日に、再発防止用の看板を設置するほか、今後、防犯・環境美化サポーターによるパトロールを強化する。防犯カメラの設置も予定している。

《茨城の創生を考える》15 新型コロナを機に企業も変わるべき

【コラム・中尾隆友】新型コロナウィルスの感染拡大について、様々なメディアが心の暗くなるような報道ばかりをしている。しかし私は、茨城の企業が今回の出来事をバネにして、大きなチャンスをものにするように願っている。というのも、「テレワーク」という働き方が本格的に普及する環境になってきているからだ。 テレワークは日本の生産性を大幅に引き上げるポテンシャルを秘めている。日本の会社員にとって毎日の「通勤」は「痛勤」と揶揄(やゆ)されるほど肉体的または時間的な負担が大きいので、その負担をなくせるだけでも効果が大きいはずだからだ。 東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県と呼ばれるエリアの会社員は、毎日、満員電車や満員バスに押し込まれ、往復の長い移動だけで疲弊してしまっているが、茨城でも常磐線やTXで東京や千葉に通勤している会社員がいるし、圧倒的に多い車による通勤も決して楽ではない。 ところが、テレワークが一般的な働き方となった場合、毎日の通勤で体力を消耗することもなく、最初から仕事に集中できるようになる。仕事にあたる集中力を高めることができれば、業務の効率性は想定を超えて上がり、だらだらと長時間労働をする必要もなくなっていく。 これまで毎日の通勤にあてている体力と時間をすべて仕事に振り向けることができれば、どれだけの効果がもたらされるのか、想像してみてほしい。 テレワーク拡充で生産性をアップ たとえば、午前7時から仕事を始め、午後3~4時に終わらせることが十分に可能となるのだ。これからテレワークの仕組みを拡充していくことで、ホワイトカラーの生産性を2~3割引き上げることは難しくはないというわけだ。 総務省の統計によれば、国内でテレワークを導入した企業の割合は2018年の時点で19%と、アメリカの85%と比べ4分の1以下の水準にすぎないという。新型コロナの感染拡大防止のため、足元では20%台後半にまで割合が増えているというが、残念ながら、茨城も含めて地方の中小企業ではほとんど普及が進んでいない。 企業のなかには、「労務管理が難しい」「営業マンに不向きである」といった意見が多いのだが、「できない理由を列挙する」のではなく、「できるためにはどうしたらいいか」を考える段階に来ているのではないだろうか。 日本人の働く場所が1週間のうち3日は自宅に切り替われば、ホワイトカラーの生産性が上がるばかりか、子育てや趣味にあてる時間が増えて生活に潤いが増えていくだろう。 そのうえで、私がお勧めする働き方は、自宅以外に集中力が高まる場所や空間をいくつも確保しておくということだ。たとえば、私は細かいデータを分析するときは、リラックスできる行きつけの喫茶店を利用したりしている。(経営アドバイザー)

《茨城の創生を考える》15 新型コロナを機に企業も変わるべき

【コラム・中尾隆友】新型コロナウィルスの感染拡大について、様々なメディアが心の暗くなるような報道ばかりをしている。しかし私は、茨城の企業が今回の出来事をバネにして、大きなチャンスをものにするように願っている。というのも、「テレワーク」という働き方が本格的に普及する環境になってきているからだ。 テレワークは日本の生産性を大幅に引き上げるポテンシャルを秘めている。日本の会社員にとって毎日の「通勤」は「痛勤」と揶揄(やゆ)されるほど肉体的または時間的な負担が大きいので、その負担をなくせるだけでも効果が大きいはずだからだ。 東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県と呼ばれるエリアの会社員は、毎日、満員電車や満員バスに押し込まれ、往復の長い移動だけで疲弊してしまっているが、茨城でも常磐線やTXで東京や千葉に通勤している会社員がいるし、圧倒的に多い車による通勤も決して楽ではない。 ところが、テレワークが一般的な働き方となった場合、毎日の通勤で体力を消耗することもなく、最初から仕事に集中できるようになる。仕事にあたる集中力を高めることができれば、業務の効率性は想定を超えて上がり、だらだらと長時間労働をする必要もなくなっていく。 これまで毎日の通勤にあてている体力と時間をすべて仕事に振り向けることができれば、どれだけの効果がもたらされるのか、想像してみてほしい。 テレワーク拡充で生産性をアップ たとえば、午前7時から仕事を始め、午後3~4時に終わらせることが十分に可能となるのだ。これからテレワークの仕組みを拡充していくことで、ホワイトカラーの生産性を2~3割引き上げることは難しくはないというわけだ。 総務省の統計によれば、国内でテレワークを導入した企業の割合は2018年の時点で19%と、アメリカの85%と比べ4分の1以下の水準にすぎないという。新型コロナの感染拡大防止のため、足元では20%台後半にまで割合が増えているというが、残念ながら、茨城も含めて地方の中小企業ではほとんど普及が進んでいない。 企業のなかには、「労務管理が難しい」「営業マンに不向きである」といった意見が多いのだが、「できない理由を列挙する」のではなく、「できるためにはどうしたらいいか」を考える段階に来ているのではないだろうか。 日本人の働く場所が1週間のうち3日は自宅に切り替われば、ホワイトカラーの生産性が上がるばかりか、子育てや趣味にあてる時間が増えて生活に潤いが増えていくだろう。 そのうえで、私がお勧めする働き方は、自宅以外に集中力が高まる場所や空間をいくつも確保しておくということだ。たとえば、私は細かいデータを分析するときは、リラックスできる行きつけの喫茶店を利用したりしている。(経営アドバイザー)

《ご飯は世界を救う》22 外出自粛の前に『珈琲屋かたみ』へ

【コラム・川浪せつ子】緊迫した昨今。ウイルスの早い、収束を願うばかりです。3月末、東京都からの週末外出自粛令の出る1日前に、どうにか行ってきました。つくばみらい市、TXみどりの駅近くの「珈琲屋かたみ」さんへ。 今年は早めの桜満開。SNSで福岡堰(つくばみらい市)がガラガラとのことで、スケッチに行ってきました。途中、前々から気になっていたステキな建物。掃出し窓からレースのカーテンがヒラヒラ。風通し抜群! 「これだったら、室内に入れるかも」。 桜のスケッチ、写真をたくさん撮り、疲れ果てた帰りに寄ってみました。内部は天井が高く、内装もとてもオシャレ。メニューにはスィーツもいろいろ。ここのところ自粛でオウチ生活多く、体重増加だったので、アイスコーヒーフロート。 閉店間際でしたので、残念ながら、ほんの少ししか滞在できませんでした。でも、とっても気に入ってしまい、翌日のランチ時に一番乗り。「もしかしたら、コロナのことで、当分店舗ではランチできないかも」と。ランチ時には、3人の女性が働かれていました。飲み物まで付いて、裏切らない美味しさ! 次回はスィーツね、絶対。 キツイ自粛生活に小さな楽しみ コロナがだんだん拡がってきたころ、ガーゼ立体マスクをたくさん縫いました。そのあと、いつも通っているフイットネス、月1の大先生の水彩画教室、私のやっている教室、大好きなカフェ―すべて閉鎖。ほかにもいろいろ重なり、私はコロナうつうつ。 家事など、最低限のことはできるのですが、なんだかパワーが出ず、倦怠感。そして眠い。どうしても、コロナのニュースばかりが気になってしまいます。どうもこんな感じは、私だけではないと気が付きました。 散歩などしていましたが、何だかうつうつ。本来は『#家にいよう』なのですが、こりゃだめだ。そこで、庭の草むしりを始めました。お日様ポカポカ。雑草は山のようになって、お庭はどんどんキレイに。そこで、やっと抜け出せました。 草むしり、バカにできないですね。「小さな積み重ねが大きな成果」なんて、ね。キツイ自粛生活に、小さな楽しみを見つけて過ごせれば、いいなと思います。(イラストレーター)

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